無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年10月31日(木) 食い損ねた話/『あたしンち』8巻(けらえいこ)/DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』3巻

 漫画家の蛭子能収さんが、映画監督に初挑戦するとか。
 作品は自ら脚本を書き下ろしたという『諫山節考』。深沢七郎かい。
 ほんの二十分ほどの短編で、来年2月に上映会をちょっと開いたら、すぐにDVDとして販売するそうな。映画と言うよりVシネマっぽいけど、まあ大ヒットする類のものじゃないし、こういう売り方も仕方ないんだろう。
 物語は、世間の常識を自分だけ知らないことに苦悩するサラリーマンの姿を描くもの。一見、そこには蛭子さん自身が投影されてるようだけれど、どっちかというと、その「常識」の下らなさに対する蛭子さんの怒りが現われる作品に仕上がるような予感がある。こないだなんのテレビ番組だったか、蛭子さんが高級料亭のオカミから「蛭子さんみたいな客は入れない」とか言われて、本気で怒ってたたものなあ。
 出演はベンガルに神戸浩。こういうクセのあるキャスティングも面白い。結構な拾い物になるんじゃないかとは思うけれど、セルオンリーでもそうそうヒットするとは思えない。奇特な方、どうか買ってあげてくださいな。


 今日は職場で式典だの祝宴だのがあったので、仕事は休み。
 と言っても忙しいのに変わりはないのだが。
 なんだかよくわからんが、「引き」があって、撮影係に任命される。おエライさんたちのスピーチを撮影しといてくれってことなんだが、「ビデオカメラはどこですか?」と聞いたら、「ないよ?」の返事。
 ……ないって、あーた、それでどうやって撮れと(ー∇ー;)。
 しかたなくウチからソニーのデジビデを持ってくる。雨ン中式典会場の外観まで撮りましたがな。ずっと撮ってたんで、いざ食事をしようと思ったら、もう殆どの料理は食べ尽くされていたのでありました。トホホ(T.T)。


 マンガ、けらえいこ『あたしンち』8巻(メディアファクトリー・897円)。
 あ、『あたしンち』の「ン」ってカタカナだったんだ。今まで意識してなかったけど、もしかしてこれまでの日記の中で「ん」にしてなかったかな。
 アニメの方もたまに見てるけど、もう印象は平山綾の『威風堂々』と、渡辺久美子の「じょ・お・ね・つの赤いバラァー♪」に尽きるなあ、と思ってたら、今巻の表紙でお母さんバラくわえてフラメンコ踊っててオビにもしっかり歌詞が(^o^)。
 ちゃんとJASRACに申請してるみたいだが、ってことはこれ、元歌があったのか!? てっきりけらさんのオリジナルだと思ってたんだけど。ネットで検索しても『あたしンち』以外の記事にヒットしないしなあ。もしかしたらちょっと歌詞を変えてるのかも知れない。
 中身についてはいつもの『あたしンち』なんで、特にどうこう言うことはないりだが、私の密かなお気に入りキャラ、ユズヒコの友達の石田さんが、成績が悪くてちょっとばかしチチがあることが判明。これってちょっといい話だと思いませんか(どこがや)。


 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』3巻。
 ……『ハレグゥ』シリーズ中最高傑作じゃねーか、この巻。ときにはちょっとギャグの押しが足りないかなあ、と思っていた回もあったが、今巻はもう誰も水島演出に歯止めをしようと思わなかったのではなかろうか。
 illusion后峭くて硬くててらてら光ってて暗くて狭くて湿ったところが好きなわりに速いせーぶつ」……ってアレのことっスけど、役名も「アレ」。声優は櫻井孝宏さんと矢島晶子さんだ。いやあ、矢島さんもアレまで演じてしまうとはホントに演技の幅が広いよなあ(^o^)。
 家でハレがテトリス(^o^)をしていると、いきなりフランス語で「アレの気配はふいに感じ取れたりするものだ」とナレーション。なぜフランス語? と全く意味のないところがまずよろしい。画面も意味なく映画チックにワイド。
 グゥがアレを人間化してハレを恐怖に陥れる展開は原作どおりなのだけれど、ともかく作画がいい。特にグプタの妄想「ときめきメモリアル」はこれで一本別アニメ作ってほしいくらいハイレベル。シンエイ動画でチチゆらしが見れるたあ思わなかったな(#^_^#)。元に戻ったアレの動きも細かいが、さりげないけれど作画陣に実力がなきゃとても描けないものだ。つーか、これだけの技術をアレの動きに使うってか(^_^;)。
 「好き好きおじいさんバーサーカー」……ダマ婆さん全開(~_~;)。
 婆さん追う!「生ませろぉぉぉぉぉぉ!」ハレが逃げる!「人間じゃねぇぇぇぇぇぇ!」
 あーもー、コメントのしようがありまへん(~ー~;)。
 ……今回ホラー二本立てか?

2001年10月31日(水) すみません、ちょっと疲れてます/『蝙蝠と蛞蝓/睡れる花嫁』(横溝正史・児島都・長尾文子)
2000年10月31日(火) 母さん、もうすぐ側に行くよ


2002年10月30日(水) DNAに値段ってあるのか/『源氏物語』第弐巻「帚木」(紫式部・江川達也)

 早稲田実業学校中等部で、50代の男性音楽教師が、パソコンの授業中に、知りあいのキャバクラ嬢(当然知り合い程度ではあるまい)と、えっちな内容の私用メールをやりとりしてたそうな(何を考えてまたそんな時に)。しかもアホな話なのだが、ついうっかりと誤って、生徒用のパソコン画面にこのメールを送信してしまったとか。
 まーねー、イマドキはねー、おカタイ仕事のヒトたちだって遊びたいんだろうしねー、キャバ嬢やソープ嬢とメールのやりとりするのも普通なんだろうけれどねー、昼日中から職場でやるのかねー。これもスリルを味わう感覚なのぉ? しかも、その中身というのがもうどうにもトホホでねー。
 教師「君のキスに遊ばされました」
 キャバ嬢「50代のお客様は初めてで緊張しましたけど楽しかったです」
 ……はあ、遊ばされたんですか。どんなキスだか知らないけれど、よかったですね。
 この教師、日頃「女の子ばかりに歌わせて『口が開いていないなー』と口の中に指を突っ込んで」きたり、フーゾク店への出入りを生徒に目撃されて「ソープ」と仇名で呼ばれてるそうだが、50も過ぎてまだそんなに自分の情欲をおさえきれんのかなあ。ちなみにこの教師、既婚者でムスメもいるそうである。そこまで抑制が働かないのなら、ムスメも危険じゃないのか(-_-;)。
 授業はもちろん大混乱になったらしいが(だろうな)、その後の生徒たちの対応が凄まじい。
 翌日には早速、「あの○○の話聞いた!?」「授業でキャバ嬢とのメールがパソコン画面に!」「メアドがkiss me againだってよ!」と煽って、その中身をコピペして伝えてったとか。ご丁寧にメールの最後には「このメールを見た人は知り合いの早実生5人に送って! マジ話です」と付け加えたために、あっという間に多数の生徒に知れ渡ることになった。不幸の手紙より伝播スピード速かったろうな(^o^)。いや、まさしくそのエネルギーっつーか、パワーには感心しちゃうね。
 教師の倫理感はもう今更どうこう言うつもりはない。所詮、サルまねしか能のない人種だし、日頃から抑圧されてたんでしょうねえ。どっちかっつーと、騒動に巻き込まれたキャバ嬢の方により同情しちゃうね。「私のせいでごめんなさい」とか責任を感じてたりしたら、可愛そうだよな。
 もちろん、生徒も抑圧されてるから、こういう教師のスキャンダルがわかると喜んで騒いじゃうんだろうが、イマドキの若者は元気がないとか言ってるのはどこの世界の話かねって気になってくるね。他人のスキャンダルを楽しむなんて不謹慎だ、と言って眉を顰めるのは簡単だが、世の中を動かしてくのは往々にして不謹慎なエネルギーだったりするものだ。世の中キレイゴトだけじゃない、ということは中学生だってとっくに知っている。今回の件は彼らにとって実にいい社会勉強になったのではなかろうか。
 男性教諭は一応、2週間の授業停止と自宅待機を命じられたそうだが、正式処分は後日になるとか。まあクビになる可能性が高いと思うけれども、世間に解き放って自暴自棄になってヘンなことされるより、どこかの施設に閉じこめて、「これがあのパソコンエロメール教師ですよ」と観察できるようにするってのはどうか(^o^)。
 もう一つマヌケなのは、溝渕日出世事務部長のコメント。「教諭には教諭用パソコンを私信に使わないよう注意しているが、もっと厳しく注意したい」。
 そういう問題かよ(-_-;)。


 晩飯はガスト。
 ここのディスプレイ、“プラスe”と言うんだそうである。タッチパネル式の液晶ディスプレイで、通信衛星を使った情報配信システムなんだけれど、一回遊ぶたびに50円だの100円だの料金を取られちゃうので、ケチなしげはあまり遊びたがらない。私はこういうのは大好きなんだが。
 ほら、昔、デパートのレストランなんかに必ずおツマミ用のピーナツの入った機械(何て名前なんだあれ)置いてたじゃない、子供時分はあれ、必ず食ってた口なのよ。……今はもう全く見かけなくなっちゃったなあ。置いてるとこまだどこかにあるのかなあ。星座占いの機械はまだ見かけるよね? あれもしょっちゅうやってた。
 さて、いつものようにしげは画面をろくに見ようとしないが、私は何か面白いものはないかと「バラエティ」とか書いてあるコンテンツを開いてみる。
 「……おい、これ面白そうだぞ。『DNAの値段を計る』んだってさ」
 タイトルは『りょー子先生の診療室』。いかにもいかがわしげなタイトルで、どうしても松坂慶子の『夜の診察室』を連想しちゃうな(そんなのはお前だけだ)。しげも『DNA』ってとこに興味を引かれたらしく、珍しく「一緒にやってもいいよ」と言う。
 開いてみると、雑なポリゴンキャラで白衣のねーちゃんが現われる。なんかあまり面白そうじゃないな、と思ったが、「あら、いらっしゃい」と喋る声を聞いたら、これがなんと井上喜久子! エレクトラさーん♪(〃∇〃) ☆(普通はベルダンディーかな)
 いきなり「名前を入力するのが遅いわよ!」と叱られてしまう。どうやら「おね〜様に叱られながら占ってもらう」というコンセプトらしい。そのあとも問診に答えるたびに、「彼女と一緒に来てるの? つまんないの」とか医者がそんなこと言っていいのかって感じの返事が返って来る。これはあれだな、一人で来てたりしたら「彼女もいない寂しい人生送ってるのね」とか毒づかれるんだろうなあ。なるほど、一部のシュミの偏ったオタクに受けそうだ。……ってファミレスにこんなの配信するのか(^_^;)。
 結局私は「ビンゾコメガネタイプ」と診断されて、DNAの値段はほぼ400万円。これが高いのか安いのか分らないが、しげがやったら165円(誤字ではない)だったので、やっぱりそれなりには高いんだろう。
 でも、しげって、この手の占いで人間的な価値を評価されたことってないよなあ。やっぱり誰もが認めるカスってことなんだろうな(^o^)。


 マンガ、紫式部原作・江川達也漫画『源氏物語』第弐巻「帚木」(集英社/YJC−UJ愛蔵版・980円)。
 「オールマン」から「ウルトラジャンプ」に掲載誌が移ってたんだなあ。事情はよく分らんけど。
 「帚木」は今なら「ほうきぎ」あるいき「はわきぎ」と読むところだろうが、「母」との掛詞に使われることも多いので、「ははきぎ」と読んでほしいところである。フリガナもちゃんとそうなってるのだが、本編中、「帚」に「はは」と振って、「木」に「きぎ」と振ってるのはどうしてだ。「帚」に「ははき」と三文字振れはずはないんだが。
 表紙に藤壷が出てるけど、この巻には出番がないはずなのに、と思ってたら回想シーンでの登場であった。「帚木」って女の品定めの話だから、楽しい人には楽しいけれど、つまんない人には全然退屈な話なので、ちょっした彩り程度でも、藤壷出しとこうってことなんだろう。源氏の正妻・葵上もやっぱりちょっとだけ出演。
 けれど今巻のメインのヒロインは何と言っても次巻にも引き続き出演する予定の「空蝉」である。光源氏にとっては初めての人妻との不倫なんだけれど、原作ではさほどのご面相でもない空蝉を江川さんは小柄だけれど艶めかしいオトナの女として描いている。キャラクターによってスタイルも描き分けようとしている姿勢もいい(ただ、左馬頭を馬の顔に描くセンスはちょっとなあ)。
 けれど、このマンガの一番のネックは、多分誰もが指摘してると思うが翻訳のヘタさだ。いや、一生懸命現代人にも感覚的にピンと来るようにしようとしているのはわかる。けれど、如何せん、人間のコトバになっていない。
 「あなたの言うそのどの身分がどうだとかってことをまだわからない初めてのことなんです。というか……私のことをそこらへんの普通の男達と一緒にならべて想像していらっしゃるあなたこそヒドい。自然と耳にしたりしてるでしょう私のこと……。私が意味もなくわきあがる情欲にはまったく従わない人間であることを。前世からの運命でしょうか、本当にこのような私の非難されても当然の心の迷いを、私自身も不気味に感じるくらいまで強烈に……あなたのことを」
 ……日本語か? これ。こう言ったあとで空蝉とヤるんだけれど、こんな言語不明瞭な人間に犯されながら感じるというのは空蝉もなかなかのヘンタイ趣味ではなかろうか(ちゃうって)。
 原作の言葉になまじ忠実な訳をしようとするから失敗する。誰も江川さんに与謝野晶子や谷崎潤一郎を求めてはいないんだから、敬語も気にするこたあない、意訳でいいじゃん。
 「身分がどうのって……何なんですか? それ。私が、そんなことを気にする男だとでも? 聞いたことはあるでしょう? 私のことは。これでも理性はあるつもりです。興味本意であなたを抱きたいわけじゃない。運命だって……そう信じてるんです。もしかして、あなたはそんなふうには感じてないかもしれないけれど……私は自分の運命に逆らおうとは思いません……」
 せめてこの程度には訳せないものかね。……江川さん女性を口説くのヘタそうだもんなあ。大塚ひかりさん、監修に付いてるんでしょ? 何とかしてあげてよ。
(訂正 偉そうな口を利いてしまいましたが、大塚ひかりさん御本人から、「監修には付いていない」旨の御指摘を頂きました。単行本で江川さんと対談されていたので勘違いしてしまったのですが、全くの事実誤認ですので、ここに訂正させていただきます。江川さん、大塚さん、お二方ほか、関係者各位には多大な御迷惑をかけてしまったことと思います。まことに申し訳ありませんでした。)


 巨人の2年ぶり20回目の日本一のニュースを見ながら、親父は多分、今頃お袋を思い出しながら酒でも飲んでるんだろうな、と苦笑。
 原辰徳の熱狂的なファンだったお袋は、彼が選手引退した1995年に死んだ。阪神大震災やらオウム真理教事件やら、すさみまくった世相を目の当たりにした末の原引退だったから、お袋にはそうとうショックだったろう。
 もうちょっと体を大事にして、長生きしてくれてたら、こんな楽しいニュースも見られたのにな、なんてことを考えていると、お袋が今でもどこかでこのニュースを見ているかも、とかいうこともふと考えてしまうのである。もちろん死後の世界や霊魂の存在を信じているというわけではないのだが。

2001年10月30日(火) ベランダでフラメンコる女たち/『狼には気をつけて』3巻(遠藤淑子)ほか
2000年10月30日(月) 仕事がたまっているのに眠いぞコラ/ドラマ『名探偵金田一耕助・トランプ台上の首』ほか


2002年10月29日(火) A fluit of “H”/舞台『Bad News ★ Good Timing』/『超少女明日香 学校編』1巻(和田慎二)

 TBSが昨日、ビートたけしの短編小説集を映像化したドラマ『少年』を制作すると発表。中身は「ドテラのチャンピオン」「星の巣」「おかめさん」の3本立てオムニバスとなるそうで、これはちょっと見てみたいかな、と思ったのだが、問題はそのキャストである。
 主人公は3作品とも子役が演じるが、「ドテラ」に武田鉄矢と所ジョージ、「星の巣」にはたけし本人と豊川悦司が脇役で出演とか。これを報道ではどこでも「豪華キャスト」とか「大物キャスト」とか言ってるのである。
 えーっと、「大物」って、誰?(ー∇ー;)
 いや、私は別に武田鉄矢や所ジョージやトヨエツをバカにしたいわけではないよ。でも、このキャストを「大物」と呼称して、それを世間が納得すると思ってる感覚はいったいいつから誰が言い出したことなの? というか、そんな表現は今回が初めてで、「言ったモン勝ち」で押し切ろうというTBSの謀略(^o^)ではないかと思うのだ。
 一応さー、「大物」ってのはさー、演技力が高く評価されてるとか、主役何本も張ってて、その評価が高いとか、スター性があるとか、演劇界の重鎮であるとか、いろんなイメージがあると思うわけよ。
 で、例えば武田鉄矢の演技がうまいか?
 主役は確かに張ってるよねえ、『思えば遠くへ来たもんだ』とか『刑事物語』とか『プロゴルファー織部金次郎』とか『博多ムービー ちんちろまい』とか。『ちんちろまい』以外マトモに見てないけどな。テレビの『3年B組金八先生』を代表作と考えても、さて「大物」感は伝わってくるかねえ? 「日本映画の代表作を1本選べ」と言われて、あなた、『ちんちろまい』を選びます? 私は選んでもいいけど(^o^)。
 所ジョージの出演作って、私、『下落合焼鳥ムービー』と『まあだだよ』とテレビの『私は貝になりたい』しか知らないんですけど(『キッドナップブルース』にも出てたらしいが記憶にない)。
 トヨエツもねえ……主演作は多いけど、「トレンディ俳優」の印象しかないよなあ。映画は『12人の優しい日本人』と『八つ墓村』くらいしか見てないが、追っかける気にさせるほどの演技はしてないし。もしかして、この人たちは私が見てないところでいつのまにか「大物」になってしまっちゃってたのか。そんなち○ち○のような(^o^)。
 なんちゅーか、この人たちを「豪華」とか呼んじゃったら、他の役者さんたちに悪いなとか、そういう配慮は働かなかったのかいな、とそういう疑問が浮かぶわけよ。そりゃ、確かに前世紀の終わりにホントにホントの大物、三船敏郎とか萬屋錦之介とか勝新太郎とかバタバタ死んじゃったけどさあ、まだ仲代達矢とか緒形拳とかいるわけじゃん。若手だって、せめて真田広之とかだったら豪華と言えなくもないかなとか思うんだけど、どうしてあの三人で「大物」とか言ってて、恥ずかしいとか考えないのかね?
 そんなんで「豪華」って言っていいんだったら、ウンナンとダウンタウンと爆笑問題とキャイーンとネプチューンとダチョウ倶楽部と中川家が共演する映画作ったら、すっげえ豪華ってことになると思うがどうか。……あ、見たいわ、それ。 


 仕事帰り、車の中で、しげと駄弁っているうちに、ネットのことが話題になる。
 昨日もこうたろう君と「ネット生活始めて、世界が広がったねえ」という話をしてたのだが、基本的に私はネットで関わった人に対しては、みな同様に好意を持っている。中には諸事情で疎遠になってしまった人も何人もいるのだが、まあ縁があればまたヤリトリすることもあるかな、と気楽に考えているので、ショックを受けたり落ちこんだりはしていない。
 ところがそういう私の態度が、しげの悋気に火を付けてしまうのである。「人を嫌いにならない」というだけでヤキモチを焼かれてはたまったものではない。それではしげのジェラシーを押さえるためには私が全人類を憎むしか方法がないことになってしまうではないか。
 いつも繰り返している会話であるが、いい加減でヤキモチばかり焼くのはやめろ、と文句を言う。
 「夕べもこうたろう君と話したぞ、おまえは『不安神経症』だって」
 「なにそれ?」
 「だから、『自分が裏切られるかもしれない』って不安に思うから、『それなら最初から相手を疑ってた方が、実際に裏切られた時のショックが少ない』とか考えちゃうってことだよ」
 「そんなん当たり前やん。裏切ってないとかわからんし」
 「仮に裏切ってたとしても、それが死ぬまでバレなきゃ問題ないわけじゃん」
 「そう言っててさ、オレが死ぬときになって、『実はおまえを裏切ってたんだよ』って言われたらショックやん」
 「言わねーよ。それに、言ったとしてもすぐ死ぬんだから別にいいじゃん」
 「いやん」
 「何がイヤだよ! ずっと疑われつづけるほうがイヤだよ。だいたいおまえは俺がこうたろう君と電話しててもヤキモチ焼くだろ」
 「当たり前やん」
 「だからこうたろう君は男だろうが! おまえ、男だろうがモノだろうが絶対ヤキモチ焼くけど、モノとどうやったら浮気できるんだよ!」
 「なん、アンタ、『愛情は思いこみだ』って言っとったやん」
 「思いこまなくていい相手まで思いこんでどうする! おまえの言い方だったら、オレはホモでヘテロでマザコンでロリコンでフェチだってことになるじゃんか。なんでオレが世の中のヘンタイを全部一手に引きうけなきゃならんのだ!」
 「がははははははは!」
 「……な、どうした?!」
 「ひいひいひい、アンタが面白いコト言うから……げへへへへへへ!」
 「オレが何、面白いコト言ったよ?」
 「世界のヘンタイを一手にって……」
 「……『世界』じゃないよ、『世の中』だよ……あ、おまえ、俺が世界のヘンタイを全部演じてる様子想像したな!?」
 「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
 ……このあともずっとしげは、思い出し笑いしながら車を運転していくのであった。危なっかしいったらないが、未だにわからない。「世界のヘンタイ」って、そんなに可笑しいか? 


 ちょうどリンガーハットに愛上さんが入っている時間だというので、二人で寄ってみる。
 覗いたとたん、「いらっしゃいませ」の声が愛上さん。
 驚いたような可笑しいような笑顔。しげもいつも着ているリンガーハットの淡いピンクの制服を来ているが、もちろんしげよりほっそりしている。一時期ちょいと太りギミであったがも少しスマートになったようだ。名札にはしっかり「研修」の二文字。
 「お好きな席へどうぞ」の声がなんとなくおっかなびっくりである。
 もともと少しハスキーなところのある愛上さんの声だが、注文を取る時はやはりやや甲高くなる。しげなんか耳に響くくらいにキンキン声になっちゃうのだが、これもいわゆる職業病というやつか。
 そんでもって、やっぱり「ご注文は以上でよろし『かった』ですか?」と過去形。注意はされてるはずだと思うが、なぜここまで蔓延するかなあ。集団で意識の変革が起こったとしか解釈のしようがないな。
 リンガーの制服、はっきり言ってあまりかわいらしいものではない。もちろん往年のアンナミラーズではないのだから(今はどうなってるか知らん)、別に色気を振りまく必要はないのだが、せめてあのなんの愛想もないただの円柱型の帽子はなんとかならんものか。イマイチ愛上さんに似合っていないのである。
 でも、店に来る客は当然なにも知るまいが、この子が既に二人の子持ちであると誰が見抜けようか。だってまだ21歳か22歳だし。そうかヤンママだったか(^o^)。
 いつもの通り、皿うどんセットを頼むと、
 「餃子を一口餃子に代えられますがいかがいたしますか?」
 そう聞かれて、断れるものではない。営業トークだとはわかっていても(それが愛上さんでなくても)こういうセリフには弱いのである。女で破滅するタイプだよなあ、オレ。もうしてるか(-_-;)。
 注文を取って引っ込む時に愛上さんがボソッと「……びっくりしました」と呟いたのがかわいらしかった。全く生活臭さがいい意味で身につかないヒトである。
 家庭に入ってしまったために、劇団のキャストとしてはなかなか板の上に立ってもらえなくなってしまったが、ウチでは一番の演技派なんで、しげたちももっと愛上さんをうまく使う方法、考えてほしいものなんだが。
 食事のあと、「愛上さん、かわいらしかったなあ」と呟いたら、しげ、即座に「惚れたらいかんよ」と突っ込む。
 だからどうしてほんのちょっと人を誉めたただけでヤキモチ焼くのかな。だから私は世の中のヘンタイを一手に引き受けてるわけでは……そこで笑うな、しげ!


 WOWOWで舞台『Bad News ★ Good Timing』を見る。
 裏で「BSマンガ夜話」を録画してるので、片時も見逃せない。ついついテレビに齧りつくように見てしまったが、考えてみたらこれもDVDで出てるので、買えばいいだけのことであった。金はあるのか。
 作・演出は三谷幸喜。三谷さん、映画の演出で役者を動かす楽しみを思い出したのか、何年か前までは舞台の演出を山田和也氏に任せて脚本だけに専念していたのが、ここしばらくは勢力的に自ら演出を担当するようになっている。やはり基本的に、脚本家は演出も手がけたほうが解釈におかしなところが出ずにすむもので、これは悪い傾向ではない(でも池田成志君に脚本投げわたしたりしてるのは無謀だと思うぞ)。
 お話は三谷さんお得意のすれ違い勘違いコメディ。三谷さんの手の内はもうだいたい見当がついているので、先の展開はほぼ読めるのだが、やはり伊東四郎と角野卓三、この二人の呼吸がいいので退屈するコトがない。
 逆に言えば、この二人が出てくるまでのギャグがことごとく滑り巻くっているのがチトきつくはあった。うーん、沢口靖子、最近、随分うまくなったと思ってたんだが、間が悪いなあ。生瀬さんも演技過剰でどうもキャラクターをつかみきれていないウラミがある。ベテラン二人と組んで緊張したのかなあ。まあこの二人と組んで緊張しない役者もいないだろうが。

 ある結婚式場で、新郎・哲郎(生瀬勝久)と新婦・奈々美(沢口靖子)は、今日が結婚式当日だというのになぜか落ち着きがない。実は二人の父親は、一世を風靡した漫才コンビのエントツ(伊東四朗)と、とんかつ(角野卓造)。しかし、十年前につまらぬケンカでコンビを解消して依頼、今も絶縁状態。しかも二人の結婚を、まだ親たちには伝えていなかったのだ!
 一触即発の親たちに二人はどうやって結婚を認めさせることができるのか!?

 まあ、結婚式当日まで二人の間柄を秘密にしてるなんてシチュエーション自体、相当無理があるのだが、三谷さんの脚本で無理がなかったことはないので、それはもうあまり問わないことにしましょう。
 大傑作は作れないけれど、そこそこの佳作を連発する才能というものを認めてこそ、喜劇の発展はあるというものである。三谷さんにプレストン・スタージェスやビリー・ワイルダー、ニール・サイモンを求めるのはなんぼなんでも酷だよ。
 実際、脚本のキモである、二人の結婚式を親たちが「自分たちのコンビの再結成を画策してる」と勘違いさせるための伏線が弱い。そしてその勘違いが勘違いだと分るまでの引きに明確な理由がない。ウェイターの八島智人が事情を全て知ってるのに傍観してるだけってのはどういうことかね。少なくとも、今や議員となったとんかつが辞職しようというのを止めきれないのはちょっと納得がいかない。
 なまじこれまでに勘違いコメディをたくさん書いてきているだけに(特に『君となら』は秀逸だった)、今回の脚本はいかにも雑である。それでも「見られる」ものになっているのは、やはりベテラン二人の力によるものなので、三谷さん、お二人には頭が上がらないと思うよ。


 マンガ、和田慎二『超少女明日香 学校編』1巻(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・580円)。
 表紙が変身前のチンクシャバージョン。
 でも、変身後の明日香は全く好みじゃないので、こっちのほうがいいな(〃∇〃) てれっ☆
 本編でもちょっとしか変身してないし。
 『学校編』とあるが作者後書きによれば『学校に行こう!編』であるそうだ(^o^)。そう言えば、今までセーラー服を着てるわりに学校に通ってなかったよな、明日香。……だれが着せてたんだ? あのセーラー。
 けど、なんと言っても今回最高に嬉しいのは、あの人が出てくれたことである。
 そうっ!
 平泉成!……じゃなくて、沼重三先生であるッ!
 和田慎二の、作品と作品をリンクさせるやり方が嫌いな人もいるようだが(しげもそうである)、別に『ピグマリオ』とリンクさせてるわけじゃなし、永井豪や松本零士みたいに見境なしじゃないから、これは私は許容範囲。確かに明日香が頼れそうなオトナって考えたら、沼先生は一番の適任だよな。戸籍のない明日香に色々と裏工作もしてあげたようだし(^o^)。
 一也「いろいろ言われたでしょ、市役所とか教育委員会」
 沼 「うるさいことをぬかすからしかたなく……ちょっとな。いやもちろん暴力なんか使わんよ」
 何使ったんだ沼先生(^_^;)。
 ……今気づいたが、私が教師に抱く理想像って、沼先生に近いな。熱血教師もプロ教師も結局は理屈こねるばかりだしね。もちろん、沼先生にも和田慎二の理想が過剰に映し出されてる分、説教クサイ面はあるのだが、とりあえず「行動」してるし。教師が生徒のために権謀術数を使わんでどうするかってなもんだよな。
 こういう先生に教わっていれば、私もこんなヒネクレた人生は送らなかったかもしれない(んなことないか)。 
 しかし沼先生の微笑む顔が見られる日が来ようとはねえ。21世紀だなあ(意味不明)。

2001年10月29日(月) 「ばびゅーん」の語源は『宇宙少年ソラン』から/『黒鉄 <KUROGANE>』5巻(冬目景)
2000年10月29日(日) まあスクルドがかわいかったからいいか/アニメ『ああっ女神さまっ 劇場版』ほか


2002年10月28日(月) また上京……?(゚゚)/DVD『刑事コロンボ 魔術師の幻想』/『スパイラル 推理の絆』1〜3巻(城平京・水野英多)ほか

 ここしばらく、しげが迎えに遅れることはなかったのだけれど、駐車場に行ってみると車が見えない。携帯に連絡を入れると「きつくて起きれん」とのこと。
 仕方なく、ミニストップで弁当を買って帰る。もちろんしげの分も。もちろんしげは「ありがとう」のヒトコトもなくただそれを食らうのみなのである。
 何で感謝のコトバ一つ出ねえんだ、と聞いたことがあるが、しげはそれに対して「『ありがとう』なんて負けやん」と答えた。つーことは黙って「搾取」することが「勝ち」か。昔の資本家よりタチが悪いよな。
 なのに私ゃせっせとエサを運んでやってんだからなあ。羽までむしられた親鳥の気分よ、全く(´。`;)。


 DVD『刑事コロンボ 魔術師の幻想“NOW YOU SEE HIM”』。
 原語タイトルは、奇術師が姿を消し、再び現れた時の掛け声から。
 今回の犯人、魔術師ロベルト“グレート”サンティーニは、明らかにハリー“脱出王”フーディーニをモデルとしていて、彼が実際に行った水中脱出術を再現して見せる。その正体が最後に暴かれるラストとも相俟って、このタイトルは実に秀逸である。邦題もコロンボの「完全犯罪なんてアンタの幻想だよ」というセリフに基づいているのだけれど、ややインパクトが弱い。でも「さあ、現われました!」じゃあ、タイトルにならないし、しゃあないか。

 DVDでコロンボを見る時には必ず英語字幕を見るようにしている。これだと日本語訳がいかに苦労をしているか、たまに誤訳をしているかがわかって楽しい。これはテレビ放送だけでは味わえない楽しみである。
 今回登場のフレデリック・ウィルソン刑事(と訳されてるが、原語は“sergent”だから巡査部長)、英語では「ジョン・J・ウィルソン」。すわ誤訳か、と言えばさにあらず、実はこのウィルソン刑事、『悪の温室』に続いての再登場なのだが、そのときは「フレデリック」という名前だったのだ。オリジナル版のミスを日本語訳で訂正してあげたと言うわけ。ウィルソン刑事を演じてたボブ・ディシーも、自分の役名を忘れてたんだろうな(^o^)。
 『悪の温室』の時にはコロンボのむさくるしい風体を見て対立していたのに、今回はすっかりコロンボに心酔していて、「コロンボ警部は完全主義者だからな!」とベタベタベッタリ、やたら根回ししまくるのがおかしい。コロンボの相棒と言えばクレイマー刑事が印象深いが、そこまでベッタリしてない。どっちかというと「また細かいことに拘って」と呆れられてたりしてるから、コロンボのロス警察での立場、余り高くないのかも。

 今話には珍しくもコロンボの声優、小池朝雄に大きな勘違いがある。
 ラスト、サンティーニが観念して述懐する時のセリフに対するコロンボの応答である。

 サンティーニ「私には自信があった。完全犯罪の……」
 Santini:“And I thought I'd performed the perfect murder.”
 コロンボ「完全犯罪? お気の毒ですが、完全犯罪なんてものはないんだよ。それこそあなたの幻想ですよ」
 Columbo:“Perfect murder,sir? Oh,I'm sorry.There is no such thing as a perfect murder.That's just an illusion.”

 で、問題なのは次のコロンボのセリフ。
 「頼むよ」。
 さて、コロンボは何を「頼んで」いるのか? 小池さんの演技は、サンティーニに向かって「いい加減にしてくれよ」とでも言いたげに呟いている。つまり「完全犯罪が可能だなんてばかげたことは言わないでくれよ」という意味に解釈していることがそのセリフ回しから見て取れるのである。
 ところが原音で聞くとわかるのだが、実はコロンボはここで、サンティーニの「後方」に向かって怒鳴っているのだ。

 Columbo:“Officer.”

 ……なんのことはない、この「頼むよ」というのは、ラストでのコロンボのいつものセリフ、巡査を呼んで犯人を連行するように命令しているだけだったのだ。シナリオの訳も当然そのつもりだったのだろうが、声を当てた小池さんが、コロンボの目線を勘違いして、サンティーニに向かって言ったものだと思っちゃったのだろう。
 でも、この「勘違い」のほうがいかにもコロンボっぽく思えるから、意外にこれは怪我の功名ではなかったろうか。原音のコロンボは小池版より冷徹である。

 もう一つ、特撮ファンにはニヤリとできる趣向が一つある。
 サンティーニを演じているジャック・キャシディ、彼はコロンボシリーズに『構想の死角』『第三の終章』に続いて三作出演しているのだが(惜しくも寝タバコで焼死して、本作が遺作)、三作とも声をアテているのは「田口計」である。
 で、今回のキャシディは奇術師役で、しかもその得意技は「水中脱出」だ。
 これでピンと来なければ、特撮ファンとは言えまい。♪(((#^-^)八(^_^*)))♪
 そう、『怪奇大作戦』第一話『壁抜け男』で、脱出王と呼ばれた奇術師、キングアラジンを演じていたのが田口計なのである。偶然の符合ではあるが、「コロンボVSキングアラジン」の対決と思うと、なんとも楽しいではないか。
 これが当初予定されていたキャスティング通り、サンティーニ役をオーソン・ウェルズが演じていたとしたら、日本人にはあまり面白くなかったことだろう(トシ食って太ってからのウェルズは、随分大根になっている)。特に熊倉一雄あたりに吹替えられた日にゃあ……。
 

 夜、東京のこうたろうくんへ電話。
 掲示板に豊島区が江戸川乱歩展を開く予定だという報せを書いてくれていたので、その詳細を聞いてみたのだが、ファックスで送ってもらった今朝の読売新聞の記事にも、「来年1月下旬から2月上旬にかけて約十日間」とあるばかりで、詳しい日程や会場は書かれていない。
 区のやることだからショボイんじゃねーかとも思うが、それでも「貼雑年譜」を展示、なんて書いてあると心もそぞろになるのをおさえきれない。乱歩ファンなら先刻承知、乱歩自身が自らの経歴を新聞記事や批評文などを貼り付けていって作成した「自伝帖」であり、今までに出版されたことはたったの二度、しかも何冊もあるうちのほんの一部でしかない(廉価版を私は一冊だけ買った)。どの程度見せてくれるのかなあ。めくって読めるようにしてくれてたら嬉しいんだけど無理だろうなあ。
 乱歩が撮った8ミリビデオの上映もあるそうだ。映画・演劇にも並々ならぬ興味を示していた乱歩がカメラに飛びつかなかつたはずはないが、これも一部が『知ってるつもり』や『西田ひかるの痛快人間伝』などで一部が紹介されたことがあるに過ぎなかった。ウウウ、みたいぞ、くそう!(T∇T)
 「また上京するかい?」とこうたろう君は悪魔の誘いをしかけてくる。でも、今度はしげも連れてかないと、帰宅したら家の中の本とDVDが全て燃されているなんて事態になりかねないのだ(◎_◎;)。しげとの休みの予定は合うかなあ、オタクアミーゴスの公演も間近だしなあ。なによりボーナスカットのウワサもあるしなあ(^_^;)。事態は予断を許さないのであった。


 今日から始まった『BSマンガ夜話』、第一夜は『最終兵器彼女』。
 後半どんどん「マンガで描かれた詩」みたいになっちゃって、殆ど読まなくなっちゃってたし、アニメも斜め見だったんで結末がよくわかんなかったのだが、やっぱりあれ、最後は地球上にたった二人だけって話だったのか。
 「究極のラブストーリーを描こうと思ったらどうしてもそうなる」って話が出てたけど、他にも手はある気はするけどなあ。「二人だけの世界」という意味では心中と変わらんよ。回りが死んでるか自分たちが死んでるかの違いでしかない。愛の物語を描くのに後ろ向きな姿勢でいるのはどうもね。


 マンガ、城平京原作・水野英多作画『スパイラル 推理の絆』1〜3巻(エニックス/ガンガンコミックス・各410円)。
 この作者、二人とも女性だろうか? なんとなくそれっぽいんだけど。
 城平さんの『名探偵に薔薇を』は途中まで読んでたけど、どこか本の山に沈んでるな(^o^)。だもんで、原作のみの担当とは言え、一部にカルトな人気を呼んでるらしい城平さんの作品に触れるのはこれが初めてである。
 某掲示板でもアニメ版が散々からかわれてるので、こりゃ読んでみなけりゃいかんよなあ、と思ってとりあえず三冊買ってみたけど……。
 うーむ、まず作画が新人さん(っつーか見るからに同人上がり。『ガンガン』だものなあ)なせいもあるだろうけれど、デッサン狂いまくりの絵のせいでちょっと損してるよ、このマンガ。
 確かに、ストーリーやトリックについて突っ込もうと思えばいくらでも突っ込めるけれど、作画に力のある人が関わってたら、もちっと「誤魔化し」が利いたのではないか。
 たとえば、例の竹内理緒が「肋骨がないのを爆発で誤魔化す」というトンデモナイトリックである。死なない程度に爆発させるなんて、そんな調整が利くもんかい、という突っ込みはとりあえず置いといて、問題はそんな自殺行為を断行できる心理に、どれだけの説得力を与えられるかだ。
 恐らくは「ブレード・チルドレン」という存在そのものに、そんなことをさせるだけの「根拠」が秘められているのだろうけれど、今のところその謎が明かされる様子はないから、キャラクターの「演技」によって読者を納得させる必要が生じてくるのだ。
 ……アニメ絵じゃムリだよ(-_-;)。いや、役者だってシリゴミするわい。
 こういうバカトリック(貶し言葉ではない)は、そのままストレートに描いてもバカバカしくなるばかりなので、成立させるためには、例えば世界観そのものを「歪ませる」ような手練手管が必要になるのだ。泡坂妻夫や森博嗣はそこに一番腐心している。「ブレードチルドレン」という設定がいかにもこの世界の「歪み」を象徴しているようではあるが、いかんせん、まだそれが何なのかはわかっていない。
 けれどその謎が気になるほど絵に魅力がないことがやはりネックなんだよねえ。多分アニメ版はこのヘタレな絵を修正してくれてるだろうとは思うけれど、だからと言って、どれほどの説得力が生まれるものだろうか。やはりこれは、マンガネタではなくて小説向きのネタなんじゃなかろうか。

2001年10月28日(日) 至福の休日/アニメ『サイボーグ009』第3回『閃光の暗殺者』/『碁娘伝』(諸星大二郎)ほか
2000年10月28日(土) AIQってボランティアだったのね/CGアニメ『バグズ・ライフ』


2002年10月27日(日) そりゃテレビは全部宣伝でしょ/DVD『ほしのこえ』/DVD『100%の女の子』/DVD『刑事コロンボ 仮面の男』ほか

 サンデープロジェクトを見てたら、「北朝鮮のプロパガンダだ」とか、またなんだか鬱陶しい声がしてたので、つい目を向けてしまう。
 横田めぐみさんの娘さんであるキム・ヘギョンさんへのインタビューをフジテレビが行ったことに対して、議員の人たちが怒っているらしい。
 様子が分らないので、ネット検索などをしてみると、要するにヘギョンさんに涙ながらに「どうしてここに(祖父母が)来られないで、私が質問ばかり受けなくてはいけないのですか。おじいさんとおばあさんに会いたいんです。お母さんが日本人だからといって、日本には行けない」などと訴えさせたのが、北朝鮮の「仕込み」だと言うのである。
 政治屋さんと我々庶民の感覚の乖離は随分感じてきたことではあるが、北朝鮮が全体主義国家である以上、中学生とは言え、その思想信条が国家に準じていることは初めからわかりきってることである。こちらからインタビューしに行って、その内容がこちらの意図したものにならなかったからといって、プロパガンダだというのはチト頭が悪過ぎないか。
 常識で考えて、「お爺さんお婆さんに会いたい」「でも自分は日本に永住できない」というのは当たり前の反応である。私の母の故郷は台湾だが、だからって「おまえも台湾に永住しろ」と言われたら困る。絶対困る。来週の『プリンセスチュチュ』が見られなくなるではないか。
 インタビュアーはだいたい、まだほんの子供であるヘギョンさんから何が得られると思っていたのだろうか。仮に北朝鮮が何かをヘギョンさんに「仕込んで」いたとしても、それは大局に影響するものではない。それに気付かぬフジテレビと朝日新聞もアホだが、その政治とはなんの関係もないことを北朝鮮を非難する口実にすりかえて利用しようとする日本の政治屋さんたちのイヤラシさの方が、見ていて気持ちが悪くなってくる。
 いや、こう書くと北朝鮮を擁護してるみたいに取られそうなんで、付け加えておくが、ヘギョンさんは横田めぐみさんの娘ではあっても、日本人ではなく北朝鮮人なのだということを忘れてはいけない、ということなのだ。もし、彼女を日本に永住させたいということであるなら、それは彼女を日本人として「再洗脳」し、北朝鮮とは完全に断絶させ、北朝鮮をまさしく「悪の枢軸」として認識させるということになるのである。
 あの国がろくでもないことはわかるし、そうしちゃイカンと言うつもりはないが、でもそこまでしてヘギョンさんを日本に連れて来たいと考えている人たちの心情というものが私には解らないのだ。もしそれが、「日本人の血がヘギョンさんに流れているから」という理由であるなら、それは下らないなあ、としか思えないのである。ヘギョンさんには異母兄弟もいるんでしょ? 父親もいるでしょ? 家族の意志を無視しておねえちゃん一人を日本に引き取ろうって、それ、「拉致」って言わない?
 帰国した五人の、北朝鮮に残された子供たちの引き取り問題もあるよなあ。彼らには向こうでの生活、友達や恋人もいるかもしれないけれど、そういうのを一切無視して、つれて来ようって感じで動いてるよねえ。今度は日本がやり返すことになるわけだね。目には目を、「拉致」には「拉致」をで。ま、政治はキレイゴトですむことではないから、それがあの国に対する日本のカードとして利用されて行くことはもうどうしようもないことなのだろうけれど、「政治に正義はどこにもない」ということだけは認識しといた方がいいんじゃないかね。


 読んでない本やDVDが山積してるので、ともかく見まくることにする。
 まずは新海誠監督作品、DVD BOOK『ほしのこえ』。以前『アニメージュ』で巻頭特集まで組まれていた、「たった一人の手になるCGアニメーション」である。
 アニメージュ・ライブラリーの第1弾という触れこみだけど、第2弾の予定があるんだろうか。気になるのはオビに「石原慎太郎絶賛!!」とあること。これって宣伝としてはかえってマイナス効果になりゃしないか(^_^;)。「この知られざる才能は、世界に届く存在だ!」って、アンタがアニメの世界知らないだけでしょ。個人でアニメ作ってる例なんて、実験アニメの世界じゃ昔からザラにいるぞ。でもオタクじゃなきゃ、日本のアニメって、スタジオジブリとポケモンとサザエさんしか知らないってのが普通のレベルなんだろうしねえ。
 それはそれとして、問題は作品の出来映えだ。
 ……いいよ、これ(T∇T)。
 わずか24分の作品、けれどそこに凝縮された思いはまさに「永遠」だった。

 近未来。
 宇宙人(タルシアン)の侵略から、地球を守る選抜メンバーに選ばれた少女、ミカコ。恋人のノボルに別れを告げて、ミカコは宇宙からノボルの携帯にメールを送り続ける。
 戦場は太陽系を離れ、はるか銀河にまで広がる。ミカコのメールは、既にノボルのもとには届かない。そして、ウラシマ効果で二人の年齢も刻々と離れて行く。
 そして、最後の戦闘。
 16歳のミカコは、25歳のノボルに、最後のメールを送る。

 すれたSFオタクなら、このネタが既成作品のいくつかにインスパイアされていることはすぐに気がつくと思うけれど、それでもやはりそこには静かな、そしてムネが絞めつけられるような切なさがある。
 タイトルは「ほしのこえ」だが、実際に見ていて一番印象に残るのは、空と、雲の描写だ。二人が地上に一緒にいたときに見上げた空、ノボルが遥か彼方のミカコに思いを馳せて見上げた空、ミカコが見下ろした地球を覆う空と雲、青空、夕焼け、入道雲、鰯雲、飛行機雲……。
 それは風景であって風景ではない。二人の心を映し出す鏡だ。そして観客は、その鏡に映った自分の心も見ることになるのである。

 しげに『ほしのこえ』を見せながら、「これ、全部一人で作ったんだってさ」と言ったら、「ヒロインの声も!?」と驚かれた。んなワケあるかい(-_-;)。
 でも、ノボルの声は新海監督自身なんである。
 

 DVD『100%の女の子&パン屋襲撃』。
 昨日の『ビリィ★ザ★キッド』に続く山川直人監督の自主制作短編映画。原作は村上春樹である。
 たしかこの『100%の女の子』を私は、公開当時から間もなく深夜テレビの短編映画特集かなにかで見ている。そのときには主演が室井滋だったことに全く気付かなかった(『ビリィ』よりも以前の作品だから当たり前である)。
 冒頭の「ある晴れたカンガルー日和の朝、原宿の裏通りで僕は100%の女の子とすれ違う。たいして綺麗でもなく、素敵な服を着ているわけでもない。しかし50メートルも先から僕にはちゃんとわかっていた。『彼女は僕にとっての100%の女の子なのだ』と」というナレーションとともに、コマ落としで室井滋が向こうからやってくる。まさしく彼女は「綺麗でもない」。だからこそ、このナレーションにはリアリティがあった。
 恋は要するに思いこみである。
 その思いこみが男女間で双方向に向いていて、お互いがそれを自覚している状態を「幸せ」と呼ぶ。まさしくこの『100%』は、恋の本質を言い当てた物語であるのだが、同時に100%の恋がいかにして崩壊するかを描いた物語でもある。
 「100%の恋でも壊れちゃうの?」との声にはこう答えよう。
 「でも恋って『思いこみ』だから、100%と0%は、実はイコールなんだよ」と。
 だからこれは「悲しい話」なのである。
 『パン屋襲撃』は観念論が現実によって打倒される物語を観念的に描いた作品(^o^)。つまりメタギャグなんだけれど、このギャグ感覚ってなかなか理解してもらえないんだよね、私は好きなんだけど。
 

 DVD『刑事コロンボ ハッサン・サラーの反逆“A CASE OF IMMUNITY”
』。
 原題の「IMMUNITY」ってのは「免除」という意味だけれども、主人公のハッサンが、外交官特権で捜査の対象から外されることを指す。それをコロンボがいかに追いつめて行くがか今話のミソ。
 イスラム社会がアメリカナイズされることに反発する人物を犯人に仕立てたことで物議をかもした作品。よく発売できたな(^o^)。

 もう一本、『刑事コロンボ 仮面の男“IDENTITY CRISIS”』。
 原語タイトルは心理学用語で「自己認識の危機・自己喪失」の意味。コロンボシリーズ最多出演のパトリック“プリズナー”マッグーハンが二重スパイ・ブレナー役で登場しているが、彼がなぜ二重スパイになったのか、ということがあまりハッキリとは描かれない。そこにこのタイトルの意味を深読みしてみるのもちょっと楽しそうである。
 てっきり未見だと思ってたけど、しげと一緒に見ていた。記憶力に関しては私のほうがしげよりよっぽどアテになると思っていたが、そろそろ逆転現象が起きつつあるようである。しげの記憶力レベルは特に向上してなくて、私がボケだしただけかもしれんが。
 本話には他にも被害者役にレスリー“裸の銃を持つ男”ニールセンや、CIA本部長役でデビッド“『奥様は魔女』のラリー”ホワイトが出演。ホワイトの声優は表記がないけれど、耳で聞いた感じでは『奥様は魔女』と同じく早野寿郎氏が担当しているように思える。記録はキチンとして欲しいよなあ。
 マッグーハンの声は『祝砲の挽歌』に引き続いて佐野浅夫が担当。水戸黄門なんかやってるときは優しいお爺ちゃん、という印象だけれど、声優をやらせるとコワモテだったり渋く固い印象を与える演技が多く、これはなかなかマッグーハンに合っている。
 実はこの話には翻訳に関する問題点が一つある。
 それは、マッグーハンが自らの罪を認めたあと、ラストのコロンボとの会話なのだ。これが放送当時から「意味不明」ということで、コロンボファンにとっての「謎」となっているのである。
 まずは額田やえ子女史によるテレビ版での翻訳。

コロンボ 「笑い話があるんですが」
ブレナー 「ぜひ聞きたいね」
コロンボ 「ある日、ポーカーとね、マージャンが賭をした」
ブレナー 「どうなった?」
コロンボ 「前半はポーカーが有利」
ブレナー 「ところが後半…逆転」
コロンボ 「……その通り」

 つまり、「これのどこが『笑い話』なの?」ということなんである。
 そこで、オリジナル英語版に当たってみると、これが全然違うのだね。

Columbo "Would you like to hear something funny?"
Brenner "I'd love to."
Columbo "Today, the Chinese, they changed their minds."
Brenner "Did they, again?"
Columbo "They're back in the games."
Brenner "in the games....mah-jong."
Columbo "mah-jong."

 昔のノベライズ版(二見書房サラ・ブックス)での訳(三谷茉沙夫訳)を参照すると、比較的原語に忠実ではあるけれども、これもまた微妙に違っている。

コロンボ 「ブレナーさん、笑い話があるんですよ」
 コロンボはブレナーの背中に話しかけた。
ブレナー 「ほう? ぜひ聞きたいね」
コロンボ 「きょう、中国人が気を変えたそうで、ゲームに参加するそうです。」
ブレナー 「ゲームに? マージャンのだろ?」
コロンボ 「わかっちゃいましたか」

 最新版の二見文庫では、ついにこのやりとり自体がカットされてしまった。どうも何が言いたいのか、訳者がお手上げになっちゃったらしい。それでもプロかよ(-_-;)。 
 『刑事コロンボ』のファンサイトである『安葉巻の煙』では、「ブレナーの部屋で麻雀牌を見たことがアリバイ崩しのヒントになり、それを皮肉った」とか「mind-change と mah-jongg の シャレなのではないか」など、いろいろな説が披露されているが、実はこれ、この部分だけ切り取っちゃうからワケが解らなくなるんである。

 ブレナーは自分のアリバイ造りのために、朝方書いた原稿を、殺人のあった昨夜に書いたと主張した。ところが、昨日書いたはずの原稿に、今朝初めてニュースになったばかりの、「中国のオリンピック不参加」のことが書かれていたのである。
 つまり「ゲーム」というのは「オリンピック」のことを指しているのである。「中国人が気を変えた」というのは、「今日になってまた中国がオリンピックに参加する気になった」とコロンボは言ったのであるが、これは当然ウソ。ブレナーは、「君は『ゲーム』としか言わなかったが、それが『オリンピック』のことだと思わせたいのだろう。けれど、そのゲームってのは『麻雀』のことじゃないのかね?」と、コロンボの「引っ掛け」を見抜いて言ったのだ。
 ところが、見抜いたつもりのブレナーはハッと気付く。これはつまり「中国人は気を変えたりしない」という意味でもあるのだと。「二重スパイ」として、祖国を裏切り、共産圏に情報を売っていたブレナーに対して、これはキツーイ皮肉になる。会話の流れから考えれば、そういうことだとすぐに気付きそうなものだ。
 どうして「ポーカーとマージャンの賭け」なんてヘンな訳になっちゃったのか、理由は定かではないが、多分、“something funny”を「笑い話」と解釈しちゃったから、何かこれが粋なアメリカンジョークかなんかだと勘違いしたんじゃなかろうか。
 これを「ヘンなことがあったんですが、聞きたいですか?」と訳しときゃ、別に誰もまよいはしなかったと思うんだがねえ。額田さんの翻訳は名訳として知られているけれども、これは結構トンデモな訳だったと思う。

2001年10月27日(土) どこまで行くのかな、クラリス……天神まで行きました(-_-;)/DVD『STACY』ほか
2000年10月27日(金) 頼むから一日12時間も寝るのは止めて/映画『少年』ほか


2002年10月26日(土) 確信犯だったのか柳美里/DVD『ビリイ★ザ★キッドの新しい夜明け』/『新暗行御史』第四巻(尹仁完・梁慶一)ほか

 ついうっかり書き忘れていたが、しげの初心者マークがついに外れた。
 なんだか永遠に初心者ってイメージがあったんだが、時間は確実に流れているのである。流れてるだけって気もするが。
 今、初心者マークはウチの玄関のドアに二つ並んで張りつけられています(^o^)。

 柳美里のデビュー作『石に泳ぐ魚』の改訂版が刊行されることになったとか。
 改訂前の小説は、主人公のモデルとなった女性のプライバシー、名誉などを侵害したとして、出版差し止めの最高裁判決を受けたのだが、その際に指摘された「問題の箇所」を全て書き換えたそうで、こうなるとあの裁判は改訂版を出すための布石だったのかなとカングリたくなる。『脱ゴーマニズム宣言』と同じ手だね。
 モデル女性の弁護団は「話題性を逆手に取った商業主義だ。女性の苦しみをこれ以上増やさないためにも、出版を自制すべきだ」と訴えているそうだが、当の女性は「もうこの件には関わりたくない」とも言っているらしい。
 原告側はこの改訂版についても出版差し止めを求めたが、一審判決で棄却されたという経緯がある。となれば最終的に出版を止めることは出来ないんじゃないかな。裁判自体は原告の勝訴なんだろうけれど、実質的には柳さんの勝ち、ということなんだろう。なんだか後味が悪いな。
 とりあえず出たら買って読んでみましょうかね。


 しげは職場の飲み会で朝帰りである。っつーかいつも朝帰りなんだけれど、今日は9時過ぎまでどこぞで遊んでたらしい。でも今日はAIQの集まりもあるんだけど、からだ持つのか……と思ったら早速寝室でイビキをかきはじめた。「寝る時間がない」とかしょっちゅう言ってるが、家事がいっこうに進んでないことからそれが全くのウソであることが解るのである。
 だからいい加減でテメエが血塗れにしたオレのパンツ洗えって。


 DVD『ビリイ★ザ★キッドの新しい夜明け』。
 1986年にパルコが製作したスーパーエキセントリック&キテレツな映画がついにDVD化。
 いや、これはマジで欲しかった待望の一枚。誰もが認める傑作というのでなく、思いっきりカルトなんだけれど、公開当時からこれは私のフェイバリットムービーのベスト3に入ってるのである。それにしてもまさかこんなマイナーなのが21世紀に復活してDVDになるとは思ってもみなかった。これに出演している役者さんたち、今は有名になっている人が多いけれど、当時は殆どが無名のド新人だったのである。
 おハナシもちょっとマトモじゃない。
 高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』『虹の彼方に』『ジョン・レノン対火星人』をベースにしてるというタテマエにはなっているが、実際は山川直人監督の暴走大爆発なオリジナル脚本である。
 国籍不明の酒場「スローターハウス」(こりゃ間違いなくヴォネガットへのオマージュだろう)は今しも横行するギャングたちに狙われていた。主人公、ビリィ・ザ・キッドは自分を用心棒として売りこむが、既にそこには6人の用心棒たちが集められていた……。

 はい、これが『七人の侍』のパロディだってことは分りますね。けど、問題はその集まった七人にあるのです。
 ビリィ・ザ・キッド以外の時代考証無視&国籍不明のその6人とは!
 宮本武蔵!
 サンダース軍曹!(あのテレビドラマ『コンバット』のですよ)
 マルクス・エンゲルス!(カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが合体したそうな。確かに「マルクス・エンゲルス」を一人の人間だと思ってたバカな大学生ってよくいたよな)
 104!(電話番号案内の「104」です。「人じゃないじゃん」って、人なんだよこの映画では。番号案内は便利なのでなんでもできるそうである。……って意味不明)
 中島みゆき!(なんで中島みゆきが用心棒? なんて理屈で考えてはいけない。演じてる方は下記を参照。中島みゆき本人も気に入っているとか)
 全くなんなんだよ、このデタラメさは!
 ここで引いちゃうマジメな人にはこの映画、絶対に楽しめませんね。宮本武蔵が眼光鋭く酒場の床掃除してるオカシサ、ピンときてほしいんだけどねえ。
 ……え? 用心棒が6人しかいないじゃないかって? だからマルクス・エンゲルスは一人で二人なんだってば(^o^)。しかもこいつらマジで強いのよ。中島みゆきですら(^o^)。

 「スローターハウス」にはほかにも様々な人々がやってくる。果たして彼らの中にギャングはいるのか? ってハナシなんだが、ここでちょっとその豪華なキャストを列記しよう。これだけ見ててもクラクラしてくるんである。

 ビリィ・ザ・キッド…三上博史(初主演)
 シャーロット・ランプリング…真行寺君枝
 中島みゆき…室井 滋
 マスター…石橋蓮司
 宮本武蔵…内藤剛志
 マルクス・エンゲルス…戸浦六宏
 サンダース軍曹…加藤善博
 104…石井章雄(=ラサール石井)
 ハリィ・キャラハン…原田芳雄
 ブルース・スプリングスティーン…塩野谷正幸
 レオニト・ブレジネフ…浅葉克巳
 テイタム…オーラ・ラニ
 ZELDA…ZELDA(高橋佐代子・石原富紀江・小嶋さちほ・小澤亜子)
 旧日本警察の巡査…神戸 浩
 ヒイラ・モンスターの老婦人…北林谷栄
 牧師…海琳正道(みたま・まさみち)
 金子光晴のイエス・キリスト…山口晃史
 あやしい男…細川俊之
 ポパイ…日比野克彦(アニメキャラでなく、雑誌である)
 ポパイのガールフレンド…遠藤京子
 177…郷田ほづみ(天気予報である)
 佐々木小次郎…鮎川 誠
 近所の針小棒大おばさん…木内みどり・北村 魚(きたむら・とと)
 パンクボーイズ…メトロファルス(伊藤ヨタロウ・バカボン鈴木・光永“GUN”巌・岩瀬“チャバネ”雅彦・ライオンメリィ)
 某国立大教授…栗本慎一郎(当時は現職)
 女子大生…井上明子
 ヒイラ・モンスターの老婦人の夫…奥村公延
 ライアン…マーク・オリアーニ
 ドイツ将校…ゲオルグ・マティス
 ハリマオ…平田純一
 旧日本海軍の水兵…立原繁人(=徳井 優)
 MP…肥後克広(ダチョウ倶楽部)
 ぶりっ子の客…清水よし子(ピンクの電話)
 製氷機の運送屋…有園芳紀
 ニュースキャスター&ナレーター…三宅裕司
 機動隊員…小倉久寛
 高橋源一郎…高橋源一郎
 その他のエキストラ…劇団七曜日

 三上博史の出演は、これ以前にはポール・シュレイダーの『ミシマ』があるが、残念ながら日本未公開。実質、これが映画デビュー作となった。軽薄でお調子者でロリコン(・・;)のビリィを、今じゃ考えられないくらいに軽〜く演じていて楽しそうである。
 真行寺君枝も『蘇える金狼』などのチョイ役出演はあったものの、これが本格的な役者としての出演第一作。「ぼけぇ!」のヒトコトがステキだ。
 室井滋は『やっぱり猫が好き』の前の出演で、ぴあフェスティバルなどで名前は出ていたものの一般的にはやはり無名。戸浦六宏さんは「滋」という名前から男だと思い込んでいたらしく、どう見ても女なので困惑したそうな。
 内藤剛志は『戦場のメリークリスマス』『ヒポクラテスたち』などの出演があるが、ブレイクするのはもちっとあとの『家なき子』から。
 ラサール石井や三宅裕司、小倉久寛らについては説明の必要もないだろう。みんな当時は新人だったのである。キリコ・キュービィまで出てるんだもんなあ(^o^)。
 ほかにも珍しい人が出てるみたいなんだが、何しろ字幕が英語(つまりアルファベット)なもんで、全員はとても解らない。ダチョウ倶楽部の肥後さんや徳井優さんなんか、出てたの今回見直して初めて気付いた。清水よし子もまだ無名で黙って
突っ立ってるだけで、字幕に名前も出てこない。どこのカットに出てるか探してみよう(笑)。

 ベテラン陣もみなさん大活躍。
 石橋蓮司さんがそれまでの悪役専門からコメディ演技に転向したきっかけになったのがこの映画や『遊びの時間は終わらない』あたりだろう。「オレにはここを離れられないわけがあるんだ……娘が転校したくないって言うのよ」……アンタ、ちょっと前まで悪霊島で猟銃ぶっ放してなかったか(^_^;)。
 戸浦さんは『日本の黒い霧』で学生活動家を演じたセルフパロディを実直に好演。死ぬ時ちゃんと赤旗がバックにはためくのである。「マルクス・エンゲルスは死んでも、弁証法的唯物論と唯物史観とマルクス経済学と共産党宣言は死なないぞっ!」……死んだって、とっくに(^o^)。
 原田芳雄や北林谷栄などは多分自分が言ってるセリフが何を意味してるのか(観念的なセリフが並べられてるだけでもともと意味なんてないのである)全く分かってないと思しいが、にもかかわらず、そこにリアリティを持たせている演技力はさすがだ。私はこの北林谷栄の演技は『ビルマの竪琴』以上だと考えているんだけど、賛同者いないか。
 そしてびっくりしたぞ神戸浩。神戸浩に初めて出会った時の衝撃、これはとても言葉では表せない。「あまくない、あまくないぞぉー」「かねこみつはるって、まだいきてましたっけ?」。神戸さんと主に絡んだのは、原田さん戸浦さんだが、この芸達者の二人にして、どう演じたらいいかわからなくさせてしまったあの独特の個性。往年のタコ八郎もかくやというあのボケ演技、トロンとした目に半開きの口、テレッとした喋り、私はこの人がホントに知恵遅れなのかヘンな人なのか病気なのか演技なのか全然知らないのだが、ともかく「面白い」としか言いようがないのである。ああ、いったいこの人の面白さをどう表現したらいいのか。無理やりたとえて言うなら、生チャーリィ・ゴードン! もっとも神戸さんに天才になった時のチャーリィは演じられないかもしれないが。「そうねー。まあねー。だいたいねー」。

 ZELDAの歌う主題歌『黄金の時間』も珠玉の名曲。
 あの清廉な声、なのにどこか切なく、そして聞く者に元気を呼び起こす不思議なメロディーライン。

  もはや これまでと あなたを見失ったのは サハラの砂漠
  あれから 私はずっと あなたを探しつづけている
  鬱金の夜が明けるまで 闇の毛布にくるまって
  黄金の時間(とき)は止まったまま 風の嘆きだけを残す
  太陽が焦げつき 海があふれ 風がヤキモチを焼く
  地球のどこかにあなたが隠れているはず だから……
  こんなに陽射しのよい日には 遊び相手が欲しい
  帽子と双眼鏡を持って 消えてしまったあなたに会いにゆくの

 (耳で確認してるので歌詞にちょっと間違いがあるかも。全歌詞を知ってる人がいたら教えてください)
 「黄金の時間」とはルイス・キャロルの「黄金の午後」をモチーフにしているのかもしれない。しかし何よりもこの言葉が胸を打つのは、これが、寂しいくせにそれをオクビにも出さず地球を経巡る覚悟をした少女の物語であるからだ。これだけ壮大な、一つの叙事詩と言ってもいいほどのラブソングを、私は他に知らない。うう、聞くだに泣けるぜ、くそう。人を愛するってんなら、ここまでやらなきゃなあ。
 でもどこのカラオケ屋に行っても入ってないんだよこれが(T.T)。

 ここまで完璧に私のシュミに合った映画というのはそうそうない。ああもう、この映画について語り出したらもう終わんないこと解りきってるから、このへんでやめよう。
 でも最後に一つ、美少女好きな人には嬉しいお知らせ、マスターの娘・テイタム役のオーラ・ラニちゃんにはきっと思いっきり萌えられると思いますよ。いやもう、ちょっとナマイキなところはあるけれど、サラサラの金髪にまん丸な瞳とおハナがかわいーのなんの。どこをどうしたら石橋蓮司からこんな可憐な(しかもなぜか外人)の女の子が生まれるというのだ(^o^)。
 

 寝腐っているしげを叩き起こして、赤煉瓦記念館へ向かうが、寝惚けたしげ、道を間違えて5分遅れて到着。
 チケットとチラシが完成、ノルマが今年も課せられたわけだが、さて、どうやって捌こう(-_-;)。職場の人間はアテにできなあいしなあ。トモダチも少ないしなあ。……何を自分で自分を淋しくするようなこと言ってるかな(T∇T)。
 会議のあとはいつもの居酒屋で飲み会、食うだけ食う。なんだかやたら喉が乾くのでウーロン茶ばかり追加。
 やっぱりぴんでんさんのヤンキー化計画が話題に上るが、ヒキョーなぴんでんさん、嫌がる獅子児さんまで巻きこもうとする。でも二人で金髪でユニット組んだら、ちょうどローレル&ハーディみたいで似合いそうだが(^o^)。


 マンガ、尹仁完原作・梁慶一作画『新暗行御史』第四巻(小学館/サンデーGXコミックス・580円)。
 前巻あたり、ちょっと話がダレ気味になってたけれど、ミス黄(ファン)の登場が一気に沈滞ムードをふっ飛ばしてくれましたね。おねえ様、ステキだわあ♪
 一粒で二度美味しいというか、純情可憐な眼鏡ッ娘とせくしいだいなまいとなねーちゃんを演じ分けるとはなんという芸達者。クラリスと峰不二子の合体バージョンって……そんな人間おるか(^_^;)。

2001年10月26日(金) それは愛ゆえの殺人か/『孤島の姫君』(今市子)ほか
2000年10月26日(木) さすがに櫃まぶしは英語字幕になかった/映画『ラヂオの時間』ほか


2002年10月25日(金) 巨とか貧とか実はさほど気にしてない。ホントよ/『敬虔な幼子』(エドワード・ゴーリー)/ドラマ『時をかける少女』(内田有紀版)ほか

 私がとある劇団の代表みたいなものをやってることはこの日記の読者でいらっしゃれば先刻ご承知であろうが、その辺の付き合いもあって、ほかの演劇関係者と会話をすることがある。
 ちょっと差し障りがあるので、どこの誰とは言えないのだが、今日、ある役者の女の子とお喋りする機会があった。その子と知りあったのは別に演劇関係の場所ではなかったのだが、役者独特のオーラを発していたので、すぐにそれと知れた(^o^)。長年、その道にいると同族はピンと来るものである。演劇関係者とオタクは特に。本職の関係者は全く分らないんだけどね(^_^;)。
 その子は役者をやりながら、イラストなんぞも描いていて、某ゲーム雑誌に投稿して常連さんになっているとか。ネットでもあるHNで徘徊していて、プロのマンガ家の方々ともやりとりをしているのだそうな。どうやら役者よりもそちら方面でタツキを立てて行きたいらしく、役者を辞めてしまうのはチトもったいないのだが、それはまあ、その子の選んだ道だから仕方がない。
 それにしても演劇やってる女の子って、やたらオタクが多いが、某サイトで近頃話題になっていた「独身オタクが結婚するためにはヤンキーになればいい」というネタ、そんなハードなハードルを越えるようなことをせんでも、芝居をやればいいのである。女の子は余るくらいいるし、別にこちらが節を屈せずとも、相手は既にオタクだ。何をためらうことがあろうか。
 もちろん、そんなオタクにとって天国のような環境であっても、問題がないわけではない。つまり、天国なものだから、たいていの女の子は早々と誰ぞのお手つきになってしまうのである(「差し障り」と言った意味の一端をご理解頂けただろうか)。
 けれど大丈夫。熱しやすく冷めやすいの例え通り、芝居やってる女の子は、様々な役を演じて様々な恋を経験するように、私生活でも一人のオトコに飽きたらまた次のオトコに乗り返るのである。そのココロとココロの隙間を狙えば、独身でお悩みのアナタでもチョイといいカモが……。
 ちょっと話がヤバくなってきたな(いつものことだが)。本気に取る人があると困るので、「これは冗談です」とちゃんと言っておこう(^_^;)。ね、言いましたからね、「冗談」だと。仮にアナタが役者の女の子にコナかけて手ひどくフラレたとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。

 役者としてのその子は、実は男役しかしたことがない。タッパが高い、ということもあるのだが、実はその、ご本人には悪いのだが超絶的にムネがないのである(これもまた「差し障り」の一つとお考え頂きたい)。
 演劇仲間のもう一人の女の子に、今日、その子がムネのことでからかわれたのである(ちなみにもう一人の子は超絶的にムネが「ある」)。と言っても、会話の口火を切ったのは私であるが。
 「女の子は大変だよなあ。土台骨格が違うんだから、男役になるのは無理があるし、ムネにサラシ巻かなきゃなんないし」
 途端にムネあり子が(^o^)、
 「あ、でもこいつなんか簡単ですよ(と例のムネなし子を指差して)、そのまんま男役できますから」
 私が慌てて「……それセクハラ発言じゃ……」と言いかけたら、ムネなし子が堂々とないムネを張って、言ったのである。
 「自慢じゃないが、サラシを巻いたことなど一度もないっ!」
 ……そりゃ確かに自慢にならんのとちゃうか。っつーか、何を言い放ってるんだか。

 それにしても、役者っていいなあ、と思うのはこういう肉体的なハンデ(と言っていいのかどうか)を逆に武器にできるところだと思うのである。チビにはチビの、デブにはデブの需要というものがちゃんとある。映画やドラマが美男美女ばかりで作られていたらこんな味気ないものはない。ブスの中にあってこそ美人は映えるのであって、美人女優ばかり集めたらドラマが派手になるかと言えばさにあらず、かえって地味になってしまうものなのだ。
 だから役者は常に自分を客観的に見ていなければならないし、「私ブスでよかったわ、だってブスの役が出来るんですもの」くらいの気概は欲しい。というか、そういう心構えなくして役者ができるはずもない。
 おかげで芝居の現場ではタブーとなる言葉は極めて少ない。端から見れば「ナニを話しとんじゃ」と言いたいくらいアブない言葉が飛びかったりしてるときもあるが、それが「自由」ということでもあるのである。

 思わず「いいねえ、『ムネなし』なんて言葉でも自由に言い合えて」と呟いたら、ムネなし子は冷ややかに言ったのである。
 「あ、男が言ったら腹立ちます。凸(`、´メ)」
 あ……さいですか(・・;)。
 

 一昨日、博多駅で本を買いこんだばかりだけれど、まだ買い損ねてる本があったので、天神を回る。しげはまた「疲れてるから」と付き合わない。
 やっぱさー、近所の小ぢんまりした本屋じゃなくてさー、フロアーがどど〜っと向こうの壁が見えないくらい続いててさー、そういうとこで本棚をいつまでもいつまでもいつまでもボケ〜っと眺めてるのが好きなんだけど、それはしげも同じだろうとは思うが、ペースがやっぱり微妙に違うんだろうな。ペースを合わせるためにはある程度相手を「忘れる」技術が必要なのだが、不安神経症のしげにはそれが一番苦手である。
 いや、しげだって結構私のことを忘れることはあると思うが、忘れてしまうことが自分が忘れられることに繋がるんじゃないかと思ってしまうのだろう。「忘れたらまた思い出せばいいじゃん」と気持ちを切り替えられればいいんだろうけど、しげがそういった心の修業ができるようになるまで後何年かかるのであろうか。
 福家書店で本、LIMBでDVD。
 LIMBが店内の模様替えをしていて、以前は奥まったところに階段があって、そこにアニメコーナーがあったのだが、フロア全体がフラットになっていて、アニメも棚の1コーナー、という形になっている。もしかして万引き対策か、これ。確かに以前はアニメのコーナーって陰に隠れてて暗かったんで、明るくなったのは改善されたと言っていいのかもしれない。けど、いかにもオタクな連中が狭い空間で肩寄せ合ってた以前の雰囲気も嫌いじゃなかったんだが、店にとっては迷惑だったんだろうな(^o^)。
 旧『刑事コロンボ』DVDシリーズは、今月にて完結。未見の作品も二、三混じっているので、一気に見るのはもったいない。チビチビ見て行こう。


 『プリンセスチュチュ』11.AKT 「ラ・シルフィード」。
 さあ、いよいよ最終回までカウントダウンだ。
 チュチュへの想いが募るみゅうとは、エデルさんから受け取った美しいペンダントをチュチュに贈りたいと思う。しかしそのペンダントにはクレールの呪いが……。
 その事実を知らないまま、あひるは、チュチュに変身してみゅうとの前に現れる。ペンダントをみゅうとがチュチュに手渡した途端、チュチュはペンダントの「呪い」にとらわれ身動きができなくなる。
 クレールはおもむろにみゅうとの胸から「愛する心」を抜きとって……。
 サブタイトルの「シルフィード」ってのは風の精ジルフスのことだけれど(ゲーテや小栗虫太郎読んでるとこっちの名前のほうがピンと来るのよ)、バレエ曲の『ラ・シルフィード』から取ったものだろう。婚約者があるにもかかわらず風の精に恋した少年が、それと知らずにシルフィードに呪いをかけてしまい、彼女を殺してしまうお話。チュチュが呪いをかけられるシチュエーションはそのままだが、その呪いの正体はクレールの「嫉妬」。
 いやあ、怖いわこの設定。「誰かのものになるくらいなら心をなくしてしまったほうがいい」ってクレールのセリフ、恋愛ものにはよくあるセリフだけれど、人形のように戻ってしまったみゅうとを背中から抱きしめながら言ってる姿見てるとマジで怖い。
 って似たようなセリフ、昔誰ぞに言われた気が……ああ、いやいや(^_^;)。
 ともかく来週に注目だ!(なに怖がってるのか)


 エドワード・ゴーリー(柴田元幸訳)『敬虔な幼子(The pious infant)』(河出書房新社・1050円)。
 柴田氏の解説にもある通り、物語は一見、信心深い子供がその信仰活動の末に天に召されたお涙頂戴話のようなのだけれども、どうも一筋縄でいかないというか、そう単純に理解するわけにはいかないような雰囲気が漂っているのは、ゴーリー作品についてはいつもながらのこと。
 本来この作品は、本国では「レジーナ・ダウディ」の変名で出版されたものだが、ラストのイラストの墓標に、しっかり「E・G」と作者ゴーリーのイニシャルが刻まれているところに彼の「したたかさ」が見て取れる。

1,三歳になって間もなく、ヘンリー・クランプ坊やは、自分の心が邪であること、にもかかわらず神様は彼を愛し給うことを知りました。
2,坊やはじきに、多くの聖句や聖歌を覚えて、いつも一人で唱えておりました。
3,あるとき波間から鴎が舞い上がるのを見た坊やは、「御覧、あれを!」と妹のファニー・イライザに言いました。「僕が死んだら、あの鳥のように天に昇るんだよ」
4,貧しい不信心者が邪神にひれ伏さぬよう小銭を恵んでやろうと、坊やは日々お菓子も食べずに過ごしました。
5,両親を心から愛し、自分に何か出来ることはないかと、朝に夕に訊ねておりました。
6,優しい善良な坊やでしたが、時に悪魔に誘惑されてしまうこともありました。けれどそんな時も、己の罪をひしひしと感じて、やがて心から悔いるのでした。
7.坊やが階上で一人跪いて祈る姿が、よく見受けられたものでした。
8,ある日曜日、氷滑りをしている男の子たちを見かけて寄って行き、「何と浅ましい、聖書も読まず安息日を無為に過ごすとは!」と窘めました。
9,妹のファニー・イライザをたいそう可愛がり、妹が癇癪を起こすたびに、この子の魂が果たして救われるだろうかと、深く憂うのでした。
10,書物に目を通しては、神の名が軽々しく触れられているたびに、念入りに塗り潰したものでした。
11,四歳になって五か月が過ぎたある冬の午後、坊やは自分のパンプディングを、恵まれない未亡人の許へ届けに出かけました。
12,帰り道、大きな黒雲が現われて、大粒の雹が激しく降ってきました。
13,その夜、坊やの喉が痛み出し、翌朝にはそれが命取りの病となっておりました。
14,今際の際に、「神様は僕を愛してくださり、僕の罪をすべて許してくださいました。僕は幸せです!」と坊やは言って、枕に頭を横たえたました。顔からは血の気が失せ、その身は二度と動きませんでした。
15,ヘンリー・クランプの小さな体は墓の中で土に還りましたが、魂は神の御許に昇って行きました。」

 これまでの柴田さんの訳は、我田引水的か、あるいはよく意味が分らないままに適当に訳してる印象があって好きになれなかったのだが、今回は特に難しい言葉もなかったのかまあまあの出来。
 それでも、“he fell back pale and still and dead”を「枕に頭を横たえたました。顔からは血の気が失せ、その身は二度と動きませんでした」なんて訳すのは粉飾のし過ぎだし、言語のテンポを無視してるなあと思う。「枕」なんて単語、どこにもないぞ。言語のムードはもっとあっさりと「坊やは青ざめて静かになって死にました」って感じじゃないのかね。

 それにしても、このヘンリー・クランプ坊や、側にいたら絶対ヤなやつだと思う。イラストを見れば分るが、両親は初めこそ坊やをニコニコと見つめているが、だんだん関わらなくなっていき、坊やが喉を押さえてても背中を見せて無視するようになるのである。消極的な子殺しの話ですな(^o^)。
 坊やの押しつけがましいところや説教グセ、妹を猫かわいがりするとことか寒さで死ぬとこなんか、やたらと宮澤賢治にイメージがかぶるんだが、敬虔な宗教者って、洋の東西を問わず似ちゃうものなんだろうなあ。「僕が死んだら、あの鳥のように天に昇るんだよ」って、ほかの人間は救われないってか。独善的なやつほど自分の独善性には気がつかないってことの典型である。
 結局これって、「宗教にハマったやつはさっさと神様に責任を取って引き取ってもらおう」って話じゃないのかね(^_^;)。でもこの絵本が秀逸なのは、宗教者自身がこれを読んだら、まず100%、「ああ、ステキな話だねえ」と勘違いするだろうってことだ。「いい人って早死にするものなのよねえ」とかなんとか言いながらな。
 まあ現世のことは悪人に任せて、いい人はどんどん天国に行って頂きたいものである(^o^)。


 昨日ツタヤで借りてきた1994年CX版『時をかける少女』を見る。
 今見るとキャストがすげえ豪華だ。
  内田有紀…芳山和子(都立羽田西高校二年生。バスケットボール部部員)
  袴田吉彦…深町一夫(和子の同級生)
  河相我聞…浅倉吾朗(和子の幼なじみの同級生で実家は銭湯)
  森本レオ…芳山勉(和子の父で空港の整備士)
  吉沢京子…芳山静江(和子の母)
  安室奈美恵…芳山美代子(和子の妹)
  佐藤B作…福島隆司(和子の担任。バスケットボール部の顧問)
  森口瑤子…小松沙織(羽田西高校の英語教師)
  筒井康隆…藤原正道(和子の家の近所の寺の住職)
 ドラマは、初め、教室で福島先生が問題を当てるために座席表を見て行くシーンから始まる。このときのカメラワークがスバラシイ。佐藤B作の指の動きと目線の移動、内田有紀が振り返る顔、机を追って後ろに移動するカメラ、そして最後尾の席には……。いやあ、リキ入ってるわ。南野陽子版のクソぶりに比べると「ただのテレビドラマには終わらせない」ってスタッフの気概が見られるね。
 内田有紀は声が上ずる癖はあるが熱演。原田知世の弓道着姿もよかつたけれど、内田有紀の体操着姿もいいぞ。とりみきさんがこれにもハマっちゃったってのはよく分る。
 それに、大林宣彦監督版を強く意識しているドラマ造りになっているのは見方によってはマイナスポイントだろうが、設定が細かく付与されてリアリティが増してる分、よくなってるところも多々ある。特に、真相を知った和子が一端は一夫を拒絶するのはいい演出である。記憶を勝手に操作されてるのに、それでも「好き」って言えるようになるまでには、やっぱりある程度悩むプロセスが必要だよね。ラストが未来の和子を描くのも大林版と同じだけど、安易に一夫を再登場させなかったセンスも個人的には大林版より上に思える。
 ただ、福島先生と小松先生の不倫話と、筒井康隆のゲスト出演は余計だったな。やっぱ関西訛り抜けてないし、ヘタだよ、筒井さん(^_^;)。それから手と手を繋いで超空間を飛ぶのはハズいからやめようね。f(^^;) ポリポリ。
 さあ、あと見てない『時かけ』は、中本奈奈版と安倍なつみ&「モーニング娘。」版だけだ! って、見なきゃならんのかよ。

 『乱歩 妖しい女たち』と『金田一少年の事件簿・魔術列車殺人事件』についてはもう書いてる元気がない。『乱歩』はそのうちコーナー作る気でいるから感想はそのときでいいや。『金田一』は鈴木杏の可愛さを見るためだけに借りたので、ま、あんなもんだということで(^o^)。

2001年10月25日(木) わが名はロドリゲス/映画『眠狂四郎人肌蜘蛛』『旗本退屈男 江戸城罷り通る』ほか
2000年10月25日(水) 今日は三度も昼寝した。やっぱ体変だわ/『冬の教室』(大塚英志)ほか


2002年10月24日(木) 多分、心の壁を作ってるのは私の方なのだろうが/『空前絶後のオタク座談会3 メバエ』(岡田斗司夫・山本弘)ほか

 仕事で半日出張。とある会議に参加。
 ホントは一人で行く予定だったのだが、例のちょっと心に悩みをお持ちの同僚の女性が、急に「私も行きます」と言い出す。いや、プロジェクトの一員でいらっしゃる、というよりは企画者の一人であるので、それは別におかしいことではないのだが、今日いきなりそんなこと言い出して通るものかどうか。
 ……通りやがるし(-_-;)。
 一つ企画を通すのにも書類が揃ってないとか、上の連中、いろいろ融通利かないことも多いくせに、なんでこんなに簡単に話が進むのだ。下っ端の私じゃ話にならんと判断されたか。
 ともかくねー。ご一緒しましたけどねー、別にヘンなことはありませんでしたけどねー、まあ、30分で終わるお話し合いが、1時間半かかったとだけ言っておきましょうか。私もそのクセあるから、人のことは言えんのだが、同じことを三度も四度も繰り返して話すのはやめましょうよ。しかも中身仕事と関係ないことばかりだし。これまでも仕事上で実のない愚痴を聞かされてきたけど、出張先の相手にまでそれを延々とやるか。アチラさんも事情はご存知なのだが、ちょっと閉口してたぞ……って、それを私が止めなきゃなんなかったんだろうけれど、でもさあ、心の弱い方に向かって何が言えようか(T∇T)。
 昼食も今日はその方とご一緒である。
 出張先の近所のスパゲティの専門店に入ったのだが、食事を注文する前に勘定を払おうとするし(どうやらチケットを予め買うものと勘違いしたらしいが、なぜそう勘違いしたかは不明)、食事中もやはりクドクドと愚痴を聞かされ続けるし、この人ホントに大丈夫だろうか、という気がしてくる。
 でも以前みたいに、「あの人を殺して私も死ぬ」とかスゴイことは言い出さなくなってきているので、少しホッとしてはいる。心が弱いだけで、性格の悪い人ではないので、なんとか頑張ってほしい。できれば私を巻き込まないで(←外道)。

 疲れ果てて帰宅したあとすぐ寝る。夜になってようやく起きて、しげと「ツタヤ」に行く。
 こないだからしげは、渡部篤郎主演の『ストーカー』を探していたのだが、ようやく見つけて、それをレンタルしに行くことにしたのだ。私はテレビでざっと見ていたので今更興味はない。ついでに内田有紀版の『時をかける少女』とか鈴木杏版の『金田一少年の事件簿』とか佐野四郎・川島なおみの『乱歩』とか見損なってたテレビドラマの類を借りてもらう。レンタルは「返さなきゃならない」強迫観念と、「どこに行ったか解らなくなる」恐怖で滅多にしないのだが、けれどDVDになかなかならないからいたし方がない。……それに見始めるとホントにキリがなくなっちゃうからなあ。既に遅いかも(^_^;)。


 DVD『アベノ橋魔法☆商店街』4巻。
 第8話から第10話までを収録。第8話『ときめけ! アベノ橋☆学園商店街』は恋愛シミュレーションゲームのパロだけれど、作画レベルまでゲームに合わせてヘタレにするこたなかったんじゃないか(^_^;)。しかしこうしてパロられたもの見ると、恋愛ゲームがどれだけ男の欲望に迎合することのみで成り立ってるかってのがよくわかるな。世間ではゲーム脳がどうのこうのと騒がれているが、もともと恋愛ゲームにハマるやつの脳がどうかしてるのである。
 もちろん私も昔ハマったぞ、『センチメンタルグラフィティ』に。あのゲームの最大の欠点は、えみりゅんとのシミュレーションで「『りゅんりゅん』言っててウザッタイから殺す」というコマンドがない点だと思うがどうか。
 10話の『ぽわぽわ(はあと)アベノ橋☆メルヘン商店街』は、知人の島田賢志君が原画で参加してる回。と言っても見てもどの絵画いてるか分らんな。本人の絵は結構クセがあるけど、もう以前より随分上達してるだろうし、多少線が歪んでても作画監督が修正してるだろうし(^_^;)。彼ともまた連絡取れたら取りたいんだけど、HNのままじゃ私が誰だか分らないだろうしなあ。


 岡田斗司夫・山本弘『空前絶後のオタク座談会3 メバエ』(音楽専科社・1680円)。
 毎回読んでてワクワクする座談会シリーズ、これでまた『史上最強』シリーズと同じく三部作が出揃ったけれど、こちらはまだまだ4・5と続くんだろうなあ。タイトルは『ヨイコ』『ナカヨシ』と来てたんで予想していたけれどもやっぱり『メバエ』。他愛無いことだけれど当たると嬉しい。次は『ヨウチエン』と予想する人が多かろうが、意表をついて『ヒカリノクニ』ってのはどうだ。特撮座談会ならピッタリだと思うが。
 それでは各座談会について簡単に感想。

.ートゥーン徹底大研究(ゲスト・眠田直)
 見てたなあ、ハンナバーベラ。つまんないと思いながらね。眠田さんも指摘してた通り、子供のころ、『トムとジェリー』のクオリティの高さに比べて、『ドラネコ大将』や『大魔王シャザーン』や『電子超人Uバード』や『宇宙怪人ゴースト』はどうしてこんなにつまんねえんだ、とか思ってたからなあ。映画とテレビの差……と言っても、映画だって『トムとジェリー』はリミテッド・アニメなんだけどなあ。やはり予算をケチれば駄作しかできねえってことなのかな。
 当時の番組、全部主題歌歌えるけどだからと言って本気で面白がってたとは言えない。昔のアニメファンはつまんなくても放映されてたアニメは必ず見てたのである。『チキチキマシーン猛レース』がマシだったってのもまさしく設定のみの面白さだったからなんだね。

⊃玩フィギュア徹底大研究(ゲスト・海洋堂専務取締役・宮脇修一)
 「日本人はフィギュアが嫌い」という宮脇さんの言葉には注釈が必要だろうなあ。嫌いというよりは人形に求めるクォリティが日本人の場合高過ぎるのである。二次元のマンガキャラを人形にすることなど、土台不可能なのだが、その不可能を求めてしまうのが業というもの。手先の器用な日本人は量産化された人形にまで名匠の作る唯一無二のワザを求めていると言っていい。
 だから「百鬼夜行」シリーズで、人間のフォルムを必要としない妖怪に目を付けたのはいいアイデアだと思ったのだが、気がついたら世界名作だのタイムスリップだの松本零士だの手塚治虫だのにまで手を広げているのである。それでもほかのメーカーに比べればディテールやシチュエーションには格段に凝ってるのだが、しげなどはそれでも「似てない」とヒトコトで片付けちゃうのである。
 あのダン・エイクロイド好き好き大好きどうにでもしてよ〜ンのしげが、ブルース・ブラザースの人形だけは絶対に買おうとしない。日本の技術にすら満足しないしげにしてみれば、海外の似ても似つかないクソフィギュアなどただのパチモンにしか見えん、ということなのである。
 こんな客は多分日本中にゴマンといるだろう。私のように「ここまで頑張ってりゃ充分」なんて優しい客はそうそういないのだ。海洋堂さん、大変だよな。とりあえず「手塚治虫」は『ワンダー3』が出るまで集めますんで。

B膕獣徹底大研究(ゲスト・開田裕治)
 「怪獣」について語れるゲストもたくさんいるだろうが、「画集」という形でその思いの丈を語ってきた開田さんはかえって「言葉」で語る機会が少なかったように思う。
 平成『ガメラ』の「元気玉」(みんな『ドラゴンボール』が元ネタみたいに言ってるけど、みんなのエネルギーを集めるっての、『太陽の王子ホルスの大冒険』の昔から、やたら使われてるネタだぞ)やプラズマ火球が許せるかどうかって問題については、実は私も「どうでもいい」派だ。手首切って血まで見せといて、中身がエネルギー体って矛盾してるじゃん、というのが岡田さんの主張みたいだけれど、手の部分は肉体で腹の部分には横ちょに「エネルギーふくろ」があるってことでいいじゃん(^o^)。物語の構造自体をぶち壊すほどのミスじゃないし。
 けど、怪獣映画いかにあるべきか、とか、怪獣のリアルさについての談義も誰かと思い切りやってみたくはあるんだよなあ。けどマジで何十時間も甲論乙駁状態になっちゃうのが予想されちゃうから怖くて口にできないんだけれども。「怪獣映画全肯定」か、「第一作『ゴジラ』以外全否定」とう極論を私が口にすることが多いのも、そう言っといたほうが論争にならずにすむからである。

ぅンダム&ガンプラ徹底大研究(ゲスト・バンダイホビー事業部・川口克巳)
 意外に思われる方もいらっしゃるかもしれないが、私はガンプラには全くハマらなかった。『ガンダム』で好きだったのは、ドラマだったりフラゥ・ボウだったりセイラさんだったりミハルだったりマチルダさんだったりララァだったりするもんで(^_^;)。私の好きなメカって、やっぱり「流線型時代」だからさあ(^o^)、部品がやたらゴテゴテしてるのって、ダサイとしか感じないのよ。川口さんの名前もこないだ読んだ『少年マガジン』のガンプラマンガで初めて知ったし。
 でも私より下の世代の人って、やっぱりガンプラから入ったって人多いんだよなあ。ミノフスキー粒子の設定知らないで堂々と『ガンダムファンです』って言いきれちゃうやつもいるんだからなあ。いや、ガンプラファンがみんなそうだとは言わないが、本編見ないでファンだって称するやつが多いのも事実なんで、実はフィギュアのファンってのを私はあまり信用してないのである。ジオラマ作って、「これはガルマが落ちた時のザクとガンダムの位置を画面からシミュレートしてみたものです」って語れるレベルの人なら立派だけれどもね。
 『オトナ帝国』の万博シーンで泣けるかどうかって件も含めて、オタクの感覚の断絶って、昭和40年生まれを境にしてるんじゃなかろうか。
 だからこそかえって、下の世代の人で昔のアニメとか特撮に興味持ってくれる人がいると嬉しくなってしまうのである。もちろん、その時代を生きてきた感覚まで実感することは不可能だろうが、温故知新を厭わぬことこそこそ普遍的なオタクの資質だと思う。
 っつーか、「古い作品だから見たくない」なんて考えの持ち主はフンコロガシ以下だと断言していいと思うが反論は認めないのでそのつもりで(^o^)。

2001年10月24日(水) こぉのー、むねのとぉきーめきぃー/『彼氏彼女の事情』12巻(津田雅美)ほか
2000年10月24日(火) 年取ったシワをCGで消すってのは無理?/ドラマ『ウルトラセブン・地球より永遠に』ほか


2002年10月23日(水) 『ハリポタ』ホントに面白いか?/『呪いのB級マンガ 〜[好美のぼる]の世界〜』(唐沢俊一&ソルボンヌK子監修)

 職場で若い子から、「今日は『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』の発売日ですよ」と教えられる。イカンイカン、すっかり忘れていた。積読にしちゃいるが、一応全部初版で買っちゃいるので、買い忘れないでいようと思ってはいたのだ。
 それで仕事帰りに「本屋に連れてってくれ」としげに頼んだら、「おれはアンタのパシリじゃない」と文句を垂れられる。つい、二、三日前も、私が車の中で鼻歌を歌ってたら、「俺が運転してるのになんでアンタが楽しそうにしてるんだよ」と因縁つけられたが、何をそんなにイラついてるんだろうか。どうやら仕事がメチャクチャ忙しいらしい。かと言ってヤツアタリされても迷惑だ。
 「四の五の言わずに連れてけこのアマ」と、チョイと鼻に指突っ込んで、奥歯ガタガタ言わせてやってドテっぱらに穴ぁ空けてカツブシを突っ込んで言うことを聞かせる。

 博多駅バスセンターの紀伊國屋書店、『ハリー・ポッター』がそこら中に山積。昼間、天神を回って買い物をしたというしげの話によると、「天神コア」あたりでは、一階フロアで叩き売りまでしてたそうである。バナナか。口上の一つでも聞いてみたいものだ。
 そこまで売れてるというのは(売ろうとしているのは)、やはりどこか異常に思える。近来にないベストセラーになっちゃった理由がどうも判然としないのだが、逆に理由なんてたいしてないのかもしれないとも思う。読書が日常の習慣となっている身にしてみれば、『ハリー・ポッター』もたくさんの本の中の一冊に過ぎないのだが、そうでない人にとってはやっぱり面白いんだろう。トバし読みしかしてないんでよくわからんけど(^_^;)。
 でもなあ、あまり若い人がこういうのばかり読んでるのもどうかと思うんだけどなあ。例えば受験生の場合、特に弊害があると思うけどね。読書感想文とか、みんな『ハリポタ』だと、点数はどうしても辛くなるだろうし。面接試験とか、「最近、何か読みました? あなたも『ハリポタ』? ふ〜ん、そうですか。じゃあ、お次の方」ってなもんで、あっさり落とされちゃうかも。
 けれど、今はどこの古本屋に行っても全くその姿を見ない『ハリポタ』シリーズだけれど、3年後にはひと棚全部『ハリポタ』で埋まることになりそうだよな。どうせ「本なんか読まなくても生きていける」とか考えてるど畜生どもがベストセラーだってんで、仕方なく買って読んでるのが殆どだろうからな。そう考えると、これだけ「売れてる」ことが本自身にとってはかわいそうなことのようにも思えてくるのである。

 もう一冊、近所の本屋には全く置いてなくて苦労した唐沢俊一監修『呪いのB級マンガ』もゲット。新刊だってのに平積みされてなくて、棚に2冊しかなかった。紀伊國屋は、唐沢さんの新刊には比較的好意的で、新刊休刊を問わず常時サブカルコーナーに平積みされてるのだが、この本だけは別扱い。ご本人の著作も面白いのだけれど、こういうプロデュース本も唐沢さんの真価が発揮されてると思うので、もっと読まれたらいいと思うんだけどなあ。澁澤龍彦本もあまり売れてなさそうだし。


 晩飯はロッテリアでチキン。
 しげがイライラしてたのは、やっぱり昼間なにやら車のグッズを買ってて寝てなかったせいらしい。帰宅すると、夜仕事に出るまで3時間ほど寝るが、日頃は寝つきの悪いしげがバタンキューである。ああ、ホントにそんなに疲れてるんだったら、ドテっぱらに突っ込むの、カツブシじゃなくて明太子くらいにしといてやればよかった(なんのこっちゃ)。


 先日からLOTTEの『銀河鉄道999』フィギュアを集めているのだが、海洋堂の香川雅彦原型制作なだけはあって、シチュエーションがスバラシイ。今日はようやく一番欲しかった鉄郎の母ちゃん(星野加奈江)をゲット。これが雪の中、機械伯爵に撃ち殺された瞬間の苦悶の表情をフィギュアにしているという通好みというよりは子供向けに何を作るっとんじゃ(^_^;)、という物である。もちろん私はこういうのが大好きだ(まあ、えっち)。
 まだ鉄郎と車掌さんを揃えてないけど、もうこれで充分。好きなのが手に入れば、あまりコンプリートには拘らないのである。


 マンガ、唐沢俊一&ソルボンヌK子監修『呪いのB級マンガ 〜[好美のぼる]の世界〜』(講談社・1680円)。
 ついに出たまるまる一冊好美のぼる本。世に唐沢俊一ファンは多かろうが、こういうプロデュース本まで楽しんで読んでる人はやっぱり「ケッタイ」な部類に入るんではなかろうか。なんだ私か(^_^;)。
 唐沢さんやK子さんがプッシュしているからと言って、じゃあ「好美のぼるは面白いよ!」と人に勧めることができるかと言うと、それはやっぱりちょっとためらわれるところなのである。ただ、それは好美のぼる作品が必ずしも「つまらない」せいではない(読んでつまんねーじゃん」という感想を持つ人が多かろうとは思うが)。
 大衆が消費する文化にも様々な質があって、マンガにおいても、作家性やアーティフィシャルな面が強い作品もあれば、マンガ表現の職人技を見せてくれるもの、ただひたすら荒唐無稽でナンセンスなものなどがあって、その全てをひとくくりにできるものではない。好美のぼるを始めとする貸本マンガや、オヤジマンガ、エロマンガ、4コマ専門誌などは確かに粗製濫造ではあるのだが、ある意味「どうせ読み捨てなんだから何やってもいい」という「デタラメさ」や「自由さ」もそこにはあるのである。そこに常識では考えられないすっとぼけた笑いも生まれてくるのだ。ジャンプマンガを始めとする少年マンガにはシバリが多すぎて、突き抜けた面白さってのはないからね。
 収録作品の『毒香水』、轢き逃げされて顔をメチャクチャにされた少女が、復讐のために麻薬の入った香水を犯人の少女たちに贈って廃人にしてしまうのだけど、いくらクスリが切れて苦しいからって、フツー、女の子が犬のポーズを取って「ウーッウーッウーッ」とヨダレ垂らして唸ったりはしません(^_^;)。一応少女マンガなはずなんだけど。
 しかもラスト、全ての復讐を果たして高笑いした主人公、次のコマで「この手でとうとうやったのになぜ寂しいんだろう」とか言っていきなりクビ吊って死ぬし。間が無いっつーか、「あと1ページしかなかったのでとりあえず結末つけました」っつーか。
 そんな好美さんがライバル視してたのは、手塚治虫だそうである。まあ、先日の『ロック・ホーム』について書いたことでもあるが、初期作品は手塚さんも思いっきり適当でアンチクライマックスな結末つけてたから、確かに同列に並べてみること不可能じゃない。けれど、劇画に対抗するようになって以降、格段にドラマとしての厚みを重ねていった手塚さんに比べて、好美さんは全く変化しなかった。でもこれはこれで「一切の迎合が無い(いや、時流への迎合はあるんだけれど、全て「好美流」に昇華されている)」という点でスゴイことなんだけれど、その偉大なるマンネリを理解するには、世間はもちっとマンガの持つパワーについて学習せねばならんと思うのだ。
 好美のぼる、タダモノではないのだよ。

2001年10月23日(火) 凡人礼賛/DVD『エイリアン9』2巻/『魔獣狩り』(夢枕獏・木戸嘉実)ほか
2000年10月23日(月) 浮かれたホークスファンは情けない/アニメ『犬夜叉』『人造人間キカイダー』第2話ほか


2002年10月22日(火) 愛の賛歌(^o^)/『金色のガッシュ』7巻(雷句誠)/『焼きたて!! ジャぱん』4巻(橋口たかし)/『眠狂四郎』5巻(柳川喜弘)

 21日の日記の続き。『華麗なるロック・ホーム』映像化の歴史。

 恐らく、『バンバイヤ』以降、ロックの映像出演はしばらく途絶える。『アラバスター』、『ダスト8』、『火の鳥・未来編』、『ブルンガ一世』、『インセクター』といったロック出演作が全くと言っていいほど、映像化されなかったせいだが(暗い作品ばかりだしね)、『ジェッターマルス』や『ふしぎなメルモ』あたりにチョイ役出演してはいないだろうか。さすがにそこまでビデオを揃えていないので確認ができない。

 ロックが思わぬ姿で復活するのは、あの悪名高き24時間テレビのおかげである(^o^)。
 ここいらで私の記憶もなんとかハッキリしてくるのだが、24時間テレビ第2作『海底超特急マリンエクスプレス』(1979)でのロックが、映像における初主演作であろう。
 相変わらずただの二枚目で、ピンチになったら情けなく嘆いたりして、ロックらしさはあまりないのだが、ムー大陸の女王であるサファイヤと恋をするのは『リボンの騎士』の再現でファンには嬉しいシチュエーションであった。「放映当日まで手塚治虫が絵コンテを切っていた」というマコトシヤカな風説でも有名な作品である(^o^)。ロックの声は武岡淳一。

 映画の初出演作は『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(1980)。
 主役のゴドーから恋人を奪い、火の鳥を捕らえて永遠の生命を得ようとする悪辣な科学者を演じて、これこそロック、という感じの名演なのだが、残念なことに名前はロックであっても、髪型が変えられてあの巻き毛が消えてしまった。ザンギリ頭のロックってロックじゃねーよ(`‐´≠)凸。
 サングラスを掛けてるところにかろうじてロックの名残りがある。声は池田秀一。個人的には一番ロックらしさを表現していたと思う。ベストワンに推すなら、映画の出来は置いといて(^o^)、この池田版ロックが一番だと思う。
 ちょうど池田さんも声優として引っ張りだこになって、ノリにノッてた頃である。

 同年、やはり24時間テレビの『フゥムーン』(名作『来るべき世界』のアニメ化なのになあ……)に出演。ちょっと細面にデザインされていて、キャラクター的にもたいして個性を発揮しないロックだったが、声が『2772』でゴドーを演じた塩沢兼人だったので、手塚さんに気に入られて起用されたのかも。

 更に同年、無謀にも『Dr.スランプ アラレちゃん』の裏番組にぶつけて半年で惨敗したカラー版『鉄腕アトム』に出演。
 第10話『白い惑星号』、これは未見なのだが、原作通りならロックがやはり星野光一役で出演しているはずである。もっともキャラデザイン変えられてる可能性は大だけれども。演じているのは『マリンエクスプレス』と同じく武岡淳一。私の調べた限りでは唯一ロックを二度演じている声優さんである。ヒゲオヤジの富田耕生(あるいは熊倉一雄)ほどのフィックスはロックの場合はないのだな。
 第27話の『ブラック・ジャックの大作戦』は原作にないオリジナルエピソードで、タイムパトロールでアトムやブラックジャックを連れて時間犯罪者を捕まえる役だったような(細かいところは忘れた)。サファイアとの三度目の共演だけれど、つまんなかったという印象しか残ってない。演じたのは水島裕で、えらく声が上ずってた記憶がある。
 ほかにもこのリメイク版ではチョイ役出演してる回があるらしい。

 オリジナルビデオアニメ、『ブラック・ジャック』第3話『サンメリーダのふくろう』(1996)にレスリー役で出演。
 巻き髪でかろうじてこれはロックだ、とわかるが、何しろキャラクターデザインが杉野昭夫である。『エースをねらえ!』風のロックって、まあお耽美がお好きな方ならともかく、古いファンにはちと気持ちが悪い。いや、確かにロックには耽美的要素もあるんだけど、あくまで大正・昭和初期の浪漫画の流れにあるんで、鋭角的な線は違うのだ。それはブラック・ジャックのキャラについても言えるんだけどさ。
 しかも声が古谷徹って、違うでしょ、熱血は(-_-;)。シャアとアムロの二人が揃ってロックを演じてるってのは面白いけどね。……あ、マ・クベもか。

 映画としてはイマイチだったけれど、原作にいないのに大抜擢されたのが2001年の『メトロポリス』。
 養父レッド公を敬愛するあまり、ティマ(原作のミッチィ)を破壊することに執念を燃やすなるほどロックに演じさせるにはピッタリのキャラではある。
 キャラデザインの名倉靖博の線は、50年代の手塚治虫の懐かしい線を再現していて好きなのだが、それは同時に『バンパイヤ』以降のロックの狂気も削ぎ取ってしまうことになっていた。ミッチィは原作では男性女性のどちらにも変身できる両性具有のロボットなのだが、アニメのティマは女性形のみでの登場である。ミッチィが持っていた狂気のうち、男性の部分をロックが代わりに演じている、というのが脚本の大友克洋のアイデアであろうから、それはなかなかの着想なのだが、やはり男でも女でもない苦しみを持ってこそのミッチィなので、原作ファンとしてこの改変は素直に喜べるものではない。痛し痒しである。
 少なくとも、ここでのロックはサングラスをかけさせるべきではなかった、と思う。こういう狂気は眼で表現させなきゃならんのだ。演出があの『幻魔大戦』の(^o^)りんたろうだからしょうがないんだけどさ。
 声は岡田浩暉だが、池田秀一によく似ていて、最初聞いたときてっきり池田さんだと思いこんでしまった。声だけならこれもなかなかいい線行ってるんじゃないかな。

 さて、あと最新作として、宇多田なんたらがピノコを演じたどうしょうもないネット配信版『ブラック・ジャック』(2001)にロックが出演しているそうだが、これは未見(どうしょうもないというのはウワサね)。多分、一生見る機会はないような。
 データによれば『第9話 刻印』に間久部緑郎として出演。でも声優の神奈延年という人は知らんなあ。だからどんな声かも想像がつかん。

 抜けは多々あると思うが、ともかくロックの映像化の軌跡をたどってみた。手塚ファンの楽しみの一助となれば幸いである。

 マンガ本編に全く触れないのもなんなので、収録作品のメダマをご紹介。
 やはり手塚作品には必ずある単行本未収録オリジナルバージョンが数編入っているのがうれしいところ。
 サボテン君、というキャラクターはその名通りの作品でデビューし、手塚作品にあっては概ね正義感溢れる少年を好演しているのだが(『ブラック・ジャック』第一話『医者はどこだ!』では、無実の罪に陥れられた主人公を弁護する少年役)、その第一話ではなんとロックがサボテン君を演じているのである。現行の単行本では改稿されて我々のよく知るサボテン君に描き変えられているが、いったいどうしてこのような変更が行われたものか。米沢氏は「ロックではカッコよすぎたのかもしれない」と類推されているが、理由は手塚治虫のみぞ知る、である。
 そして、『ロック冒険記』幻の雑誌版最終回、ロックが死なないバージョン。読んでみるとページ数に合わせたせいだろう、地球の危機がいきなり回避されてしまうご都合主義な結末だが、手塚さんの「とりあえずキャラを死なせりゃ感動的に終わる」という安易な結末のつけ方にはいささか食傷気味なので(『メトロポリス』のミッチィの死などは必然性はあるけれども、『地底国の住人』の耳男などは死なせる意味が全くない)、こちらのほうが新鮮味を感じちゃうね。
 しかし初期のロックは実に女性的なラインを持った美少年なのだよなあ。ちょっと「男装の麗人」的なムードすら漂っている。あの独特な髪の巻き毛は、もともとは少女雑誌の表紙に描かれていた中原惇一や蕗谷紅児のイラストの延長線上にあったのだということが、ロックのアップなどを見るとはっきりわかるのだ。やっぱヅカファンなんだね、手塚さんは(^o^)。
 こういう宝塚趣味は『バンパイヤ』以降はすっかりナリを潜めてしまうのだが、たまにヒョイと意外なところで顔を出してくる。『原人イシの物語』で、死に行くイシの手を握って泣くロックの横顔などは、少女以外の何者でもない。ロックというキャラクターは、やはりただの二枚目にも悪役にも閉じ込められない、幅と深さを持っているのである。

 河出文庫の手塚治虫漫画劇場は、このあとアセチレン・ランプ編を配本するそうだが、できればそれも売れて、ハム・エッグ編、スカンク草井編、レッド公編、丸首ブーン編、金三角編とか出してくれたら嬉しい……って、私、ホントに悪役が好きだなあ。 



 推理作家・時代小説家の笹沢左保が21日、肝細胞がんのため死去。享年71歳。 骨太な作風で知られる氏であるが、そのペンネームは妻の佐保子さんから取られている。そういう繊細で抒情的な面もあったのだ。
 今でこそミステリ界の多作家、と言えば赤川次郎にトドメをさすが、それ以前は笹沢左保か梶山季之、というのが相場であった。生涯の著作が377冊だそうだが、ちょうど三百冊の出版記念が赤川次郎のデビュー時に重なっている。
 「三百冊もよく書けるな」と赤川氏は慨嘆したそうだが、まさか自分が笹沢氏を超えるスピードでその記録を凌駕するとは、当時は思ってもみなかったろう。
 さすがの笹沢氏も、それ以降は著作のペースが落ちたが、それでも77冊を数えたのである。やはり並の筆力ではない。
 高校から大学にかけての一時期、本邦のミステリ作家の作品は一通り読んでやろうと思いたって、笹沢左保も『招かれざる客』ほか何作かを読んでみたのだが、見事なくらいに記憶に残っていない(-_-;)。
 多分、「本格ミステリとは言えんな」という感想を持ったせいだろう。当時の私はミステリに関してかなり偏狭だったのである。今読み返せばまた別の感想もあるだろう。
 赤川氏もそうだが、多作家というのはともすればその評価を低く見積もられる傾向がある。確かに内○○夫とか西○○○郎とか山○○紗とか、何十冊読んでも秀作にぶち当たらないどころか、日本語も使えねえのかこいつらは、ってな感じの憤懣やる方ない思いを味わわせてくれる作家も腐るほどいる。しかし、世の中の愛飲家だって、いつもいつも吟醸酒ばかり飲んでるわけじゃない、とりあえずビールで晩酌できりゃいい、とノタマわれる朋輩も多かろう。鮎川哲也や土屋隆夫クラスの作品ばかりでは、息も詰まるというものである。リズムに乗るように読み流す笹沢氏のような作家を評価してこそ、ミステリの裾野も広がるというものだろう……とかなんとか考えてたら同じようなことを唐沢俊一さんが裏モノ日記に書いてたなあ。これだから日記は遅れちゃうと書きにくい(^_^;)。
 笹沢作品は、小説よりもやはり『木枯し紋次郎』のほうが私の好みに合ったが、中村敦夫主演のドラマのほうがやはり印象が強く、「笹沢左保」を意識したのは実は大林宣彦監督のデビュー作の『HOUSE』出演だったりする。ワンシーンだけの出演だったが、ダンディな立ち姿は結構画面で映えていた。


 いつものことだが、しげの機嫌が悪い。
 毎日、車で迎えに来てくれるのはありがたいのだが、必ずたいしたことでもないことで難癖をつけてくるのだ。
 要するにまたも「オレのことキライやろ」と絡んできたのである。別に何も言ってないのにである(「何も言わない」から勝手にそう思いこむのだろうが、私はただ単に疲れているだけである)。そんな愚痴を口にしたら、私が怒ると分ってるのになぜか何度も聞く。だもんで「しつこい!」と私が怒鳴ることになるのである。
 しげの肩を持つ人は、「女って、自分が愛されてるとわかってても確かめたくなるものですよ」と言うが、それは「わかっていない」から聞いてるのである。「わかろうともしない」とも言う。以心伝心とまでは言わないが、自分で「夫婦は一心同体」とか主張すならこちらが喋ってなくてもそのときの気持ちくらい、ちったあ想像しろと言いたい。「黙ってる=嫌ってる」なんて小学生の発想じゃないんだからなあ。
 「あのさ、国に文化の違いがあるようにさ、個人にもそれぞれ文化の違いがあるんだよ。それを受け入れなきゃ会話はできないの」
 「何がどう違うと?」
 「例えばオレがオマエに最大級の愛の賛辞を贈るとしよう」
 「……うん(〃∇〃) 」
 「そのときオレはこう言う。『何も言わんでもオレの気持ちはわかろうもん』」
 「何それ(`Δ´)。全然愛のコトバじゃないやん!」
 「と、オマエがそう思ってるだけな。じゃあ聞くけど、オマエがオレにめいっぱい愛のコトバを囁くとしたら何て言う?」
 「……上目遣いで睨んで、『嫌いじゃないよ』って言う」
 「それを求愛のコトバと受け取るやつは多分この世にゃいないと思うぞ。だから結局、コトバなんてのは相手には伝わらないんだから、『これがこの人の愛のコトバなんだ』って受け入れるしかないんだよ」
 「……なんか騙されてる気がする〜」
 「騙してねーよ。じゃあ、オレが『オマエの好きなもん奢るぞ』って言ったら、それは信じるか?」
 「うん!」
 「……やっぱり自分の都合でコトバを勝手に解釈してるだけじゃん」
 で、「すし大臣」でたらふく寿司を奢らされるハメになったのだった。
 愛より食い気じゃんかよ、結局。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』7巻(小学館/サンデーコミックス・410円)。
 ガッシュたちと出会って戦い、それでも倒されずに生き残っていく魔物たちが少しずつ増えてきているが、必ずしも「強い」魔物ばかりが再登場するとは限らないところがこのマンガの面白いところだろう。
 今巻もまた、「生き残った」魔物として、テントウムシみたいなロップスが登場。魔界の本の主であるアポロは、財閥の御曹司で、ただ自由な旅を楽しみたいだけで、戦いを好まない。その点では清麿やガッシュとも共通しているのだが、「戦い自体を終わらせたい」清麿たちとはやはり根本的に生き方が違う。結局彼らは戦うことになり、それ自体は痛み分けに終わる。
 「魔界の王を決める争い」とヒトコトで言っちゃうといかにも陳腐な設定のように聞こえるのだが、その戦うキャラクターたちの中に、こういう物語の構造そのものを俯瞰する人物を配置することは、うまく行けば作品世界を大きく広げることに繋がってくる。ジャンプマンガだとこれに失敗すること多いんだよね。『封神演義』じゃ申公豹がそうなるべきだったのに、扱いがどんどん軽くなって物語に飲みこまれて、ザコキャラに落ちぶれてっちゃった。
 アポロとロップルがキャラとしてちゃんと転がっていくかどうかは未知数なのだけれど、サンデーの新人さん、最近うまく育ってないみたいだから、雷句さんにはちょっと頑張ってほしいとこなんである。
 ……でも、ウマゴンやキャンチョメ(全く、どこから考えつくんだってネーミングだよな)が勝ち残って魔界の王になっちゃったら、魔界はいったいどうなるんだと心配になるな(^o^)。「メルメルメ〜」しか言えないぞ、ウマゴン。


 マンガ、橋口たかし『焼きたて!! ジャぱん』4巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 巻頭に特別読切『松代DX(デラックス)』と超特盛オマケ『炊きたて!! ゴはん』付き。普通、番外編とかは巻末に付けるもんじゃないかって思ったら、これ、巻末をカラーページにするための措置なんであった。
 でもホントに緑色の「ミドリガメパン」なんて誰が食べたがるってんだ。緑色ってあまり食欲をそそる色じゃないと思うが(野菜が美味しくないのはそのせいもあるかも)。
 パン造りマンガとしてマジメに評価するのはもう無理なんじゃないかって域に入ってきてるけど、あれだねえ、やっぱりマンガで料理物扱うときのノウハウを、『ミスター味っ子』が作ってしまった(アニメ版のほうが特に)ってのは功罪相半ばするところがあるんじゃないかなあ。
 橋口さんの画力は相当なものだけれど、にもかかわらず、焼きそばパンもお好み焼きサンドも、全然食欲をそそらない。その制作過程を細かくリアルに見せることが、かえって食欲を削ぐ結果になっているのだ。これが『美味しんぼ』だと画力がないせいで(^o^)、できあがったものがうまく見えるんだけどね。
 言っちゃなんだが、前作の『ウィンドミル』にしろ、橋口さんは自分の画力に合ったストーリーを作れてないように思うなあ。こういう料理ガチンコ勝負みたいなマンガじゃ繊細な表情なんて描く必要ないからねえ。まだラブコメのほうが絵に合ってるように思うけれど、無難なマンガ描くよりは素っ頓狂なマンガ描いて勝負した方がいいと考えたのかもね。
 でも、一応は料理マンガなんだから、読者が自分で「作りたくなる」ものを描いてほしいよ。マンガにはもともとそれだけの表現力があるんである。私ゃ未だに自分の作るカレーのベースは『包丁人味平』の味平カレーなんだから。


 マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘画『眠狂四郎』5巻(新潮社/バンチコミックス・530円)。
 一気につまんなくなった、というよりどうしょうもないバカマンガになっちゃったんですけど、どうしたんですかあ?(^_^;)
 いや、風魔と戦うあたりまではまだいいんだけどね、戸田隼人との戦いなんて、最後はただのドツキ合いだぞ。でもってあの眠狂四郎がねえ、「愛する者、守るべき者のために……闘うっ!!」て言うんだよ。……それ、誰よ(-_-;)。
 柳川さん、原作ちゃんと読んでるのかねえ? これが「眠狂四郎」じゃなくて、たとえば全く原作のない「起笑一郎」とか「食泣次郎」とかなら私も別に文句もないんだけどさ、眠狂四郎って言えば「無明の剣士」であり「ニヒリスト」の代表だよ? 腐っても「愛」なんて幻想は信じないし、「剣」を捨ててのタイマンなんて絶対にしないって。ヤンキーじゃねえんだからさあ。
 なんだかシバレンを本宮ひろしで和えてみましたって印象だけど、それじゃ『真田十勇士』じゃん(^_^;)。別に原作を高尚だというつもりはないけどさ、エンタテインメントにはエンタテインメントとしての「格」がやっぱりあるんだよ。それをまたなんでこんなに意識の「低い」ところにまで持ってきたもんなんだか。
 最初のころはそれほどひどくはなかったし、若い人に読んでもらうにはある程度現代的なアレンジは必要だろうとは思ってたけど、原作の根幹にある「思潮」まで変えちゃ話にならんよ。これじゃ柴田錬三郎を借りてくる意味がないじゃん。柳川さん、自分で何を描いてるか認識してないんじゃないかね。
 原作知らない人にはこれでも面白いんだろうが、その読者が万が一、原作にも興味を持って読んでみたりして、「マンガと違うじゃん」とか文句言い出したら腹立つよな。勝手に設定変えてるのはマンガの方だって。
 焚書せよとまでは言わないけど(おいおい)、少なくとも「柴田錬三郎原作」ってのは看板に偽りアリだからね。

2001年10月22日(月) 野だいこ敬語/『源氏物語』第壱巻「桐壷」(江川達也)ほか
2000年10月22日(日) 時代劇なのにカップルが多いとは珍しい/映画『五条霊戦記』ほか


2002年10月21日(月) 今から2ヶ月後のプレゼントで悩んでいる男の愚痴/『華麗なるロック・ホーム』(手塚治虫)ほか

 入籍してから丸十年を経過しているが、式を挙げたのは五年経ってから。
 てなワケで今日が結婚「式」記念日である。
 ところがしげのやつ、この手の記念日ってのをすぐ忘れるのだな。イベント好きのクセに数字には極端に弱いので、「1021」なんて数字はいい語路合わせも思いつかなくて覚えられないようなのである。ちなみに「入籍」記念日は12月31日で大晦日なのだが、これもしげはすぐに忘れる。なぜだ(まあアホだからなんだけどな)。
 でも金欠病が続いているので、記念日のプレゼントは用意してない。と言うか、何を贈ったらいいか、もうネタギレである。指輪も贈った(縁日で売ってた、やっすいやつだけど)、ネックレスも贈った(観光地で買ったダッサイやつだけど)、ブレスレットも贈った(磁気だか妖気だかが出てる妖しいやつだけど)、香水も口紅もバッグも水着も贈った(たいてい1回で捨てられてるけど)、これ以上、何を贈ったらいいと言うのだ。図書券や現金は「そんなんプレゼントじゃない!」と怒るし。
 「お前の好みのものかどうか分らんからヘタなもん買えん」と文句を言うと、「プレゼントなんか用意してないフリして、『ほら』ってくれたものがステキなものだったりするのがいいとよ!」なんてほざきやがる。わしゃ、エスパーとちゃうわ。
 だいたい私の方から一方的にプレゼント贈るばかりで、しげからは気が向いたときにたまにしかプレゼントなんかくれないのだ。ブルジョアから搾取されるならばまだ納得がいかないこともないが、プロレタリアートがプロレタリアートから搾取するなよ。なんだかムチャクチャ理不尽なものを感じるのだが、世間の夫婦はやっぱり夫が一方的に妻にプレゼントしているものなのだろうか。……でも、親父がお袋にプレゼントしてるとこってあまり見たことないなあ。お袋はしょっちゅう、親父に何やかやと買ってたものだったけど。 

 
 それでもなにかイベントらしきことはせねばなるまいと、「さかい」で肉を食う。そう言えばしばらく焼肉を食っていなかった。
 しげにはとりあえず赤味の肉をあてがっておけばいいのだが、私はそれだけだと物足りないし、第一、三人前の盛り皿を頼んでおいても、しげがその大半を食い尽くすのである(-_-;)。私は私で何か頼んでおかないと腹が減って仕方がない。なんだかよく分らないが新メニューで壷に入ってるホルモンがあったので、それを頼む。甘タレが染みこませてあるということであるが、ホルモンにタレが染みこむものであるのか。まあ、腸だからどこかに穴は開いてるんだろうけれど。味は普通のホルモンと比べて美味いんだかどうだか、まあ、不味いとは言わないけれど、気分の問題という気もする。
 私がホルモンに執着してしまうクセというのは、これもやっぱり子供のころの刷り込みで、親が焼肉と言えばホルモン、というように小学生の私に食わせまくったのである。ホルモン注射とかなんとかとのイメージの混同があったのだろうが、「栄養がある」「からだにいい」と思い込んでいたのだろう。実際はただの腸なんだがなあ。しかし、この手の勘違いは世間一般でも同様だったらしく、昔は焼肉屋の前には堂々と「ホルモン焼き」と看板が立てられていることが多かった。っつーか、ホルモン焼き専門の店まであったくらいである(今はその店は焼鳥屋になってるが)。
 しげ、肉を10枚ほど食べ残して「もう食べきらん。少食になった」とぼやく。言って置くが、「三人前」の皿の、残り10枚である。私はせいぜい5、6キレしか赤味の肉は食っていない。少なめに見積もっても、しげは20枚以上肉を食い、、ご飯も2杯オカワリしているのである。「これで少食になった」と言ってるのだから(一応それは事実だ。昔は肉を10枚も残すことはなかった)、以前がどれほどのものだったかは察していただきたい。健啖家、なんて表現が生易しく聞こえるくらいなんスから、ホント。


 しげ、腹も下ってきたらしく、「早く帰ろうよう」と泣きだす。
 けれど無情に「いや、本が買いたいから」と突き放し、、ムリヤリ積文館に寄らせる。散々肉食っといて、腹が痛くなったなんて、自業自得というものだ。ちょっとくらいガマンせえ、と、しげを駐車場に待たせておいて、本を物色。
 ついでに隣のセガワールドを覗いてみたら、UFOキャッチャーでちょうどいい位置に『ヒカルの碁』の卓上時計が四種類出ていたので、全てゲット。
 喜んで駐車場で待ってたしげのところに持って行ったら、「なんでゲーセン寄っとんの!?」と立腹。
 「いや、たいして時間かかってないよ」
 「かかっとうよ! 行くときは『10分くらいね』とか言っといて、もう30分も経っとうやん!」
 「そんなに経ってないよ。せいぜい20分くらいやろ」
 「そうやってすぐサバ読む! どっちにしろ10分は過ぎとうやん!」
 「……おまえ、心狭いよ。もう少し広くならん?」
 「なるわけないやん。あんたの妻よ?」
 ……どういう理屈だ。じゃあ、私の友人、知人は全員心が狭いんか。どっちかというと心が広い人間ばかりで助けられてばかりなんだが。人間としての器の小ささという点では、私の知る限り、しげと親父が両巨頭だぞ。
 この日記で私は散々愚痴だの悪態だの吐いてはいるが、これは殆ど親父やしげの真似なのである。だって、私ってば日頃はおとなしくって気が弱くって、とても○○○○とか○○○とか○○○○なんてコトバ、口にもできないんですもの(^^)。
 ……っつーことは私、やっぱり身内に関しては不幸なのかも(・・;)。


 エロの冒険者さんのホームページ(未だに『素敵なあなた』というタイトルは馴染めない。ウチのバナー、未だに『元祖エロ倶楽部』のままだし)で、ネタになっていた、ぴんでんさんヤンキー化計画、これにしげが至極ノっている。
 っつーか、先に掲示板の方を見て、ぴんでんさんが本当にヤンキーになったと思いこんだらしい。
 んなバカな(^_^;)。
 以下は車の中での私としげのいつもの会話。
 「てっきり、車もヤン車になったと思ってた」
 「なるかよ。オタクのヤン車ってどんなんだ」
 「だから車体にピーブロ作品とか描いてるんだよ」
 「じゃあ、バックにはスペクトルマンで、サイドはライオン丸か。でもってフロントはザボーガーか。そんな車をぴんでんさんが……したら面白いな」
 「やろ!?」
 「でもそんなアホな車にするやつこの世にいるわけ……」
 ちょうどそのときである。
 しげの車の前に急にグイっと割りこんできた軽自動車。なんだコイツと、思ったが、腹立ちよりもなによりも我々二人の眼はそのバックに思わず吸い寄せられていた。
 ……そこには「ロンドンブーツ」の二人がどでかくペイント(70%美化+ウンコ座り)されていたのである。
 一瞬、我々は呆けた。ちょうど信号ですぐに停車したので事故にはいたらなかつたが。ようやく口を開いたのは私の方である。
 「……これもヤン車?」
 「……じゃない?」
 「あの、つまりヤンキーの人たちにとって、ロンブーってカッコイイ存在な分け?」
 「……じゃない?」
 「どこが?」
 「知らんよ!」
 お笑いでもイロモノでつまんないしキャラが立ってないという私の認識はやっぱりヤンキーとは一線を画すもののようである。ということは、ぴんでんさんがヤンキーになるためには、まず「ロンブー」を許容しなけりゃならないということなんだろうか。いや、ヤンキーの基準が奈辺にあるか分らないが、許容しなければならないハードルはまだまだかなりある気がする。果たしてオタクとヤンキーの両立は可能なのか。
 そう言うと、しげがまたとんでもないことを口にした。
 「……大丈夫。こないだもっとスゴイヤン車、見たから」
 「……なんだよそれ。やっぱりペイント?」
 「うん、バックが『ガンダム』」
 ……い、痛いなあ。オタクでヤンキー。水と油に見えながら、実は共通する何かがあるのか。彼らは若さゆえの過ちを認めたくないのか。
 「でもさ、もっと凄かったのは横んとこ」
 「そこにもなんか描いてあったの?」
 「うん、何だと思う?」
 「『ビバリーヒルズ高校白書』」。
 ……言っとくが、コレ、全然ツクリじゃないからね。世界はまだまだ神秘に満ちて入るのであったた、たたた。


 しげが仕事に行ってる間に漫然とテレビを見ていると、拉致被害者の方々が故郷に帰ったとのニュース。
 もう殆ど興味をなくしてたので、たいして耳にも入ってなかったのだが、あるヒトコトを聞いた途端、思わず椅子からコケ落ちそうになった。
 曽我ひとみさんが故郷である新潟県真野町に帰ってきたとき、出迎えた小学生くらいの子供たちが、「ひとみちゃ〜ん!」と声をかけたのである。
 先日、しげが「5人の人たちのうち、誰がアイドルになるかなあ?」と脳天気なことを言ってたとき、良くも悪くも卑近な日常感覚でしか物事を捉えることができない日本人の性状からすれば、そういうこともあろうかと予測はしてたが、それがもうここまで象徴的に現れようとは……(^_^;)。
 多分、この「ちゃん」づけに対して違和感を覚える日本人は少数派であろう。私はもちろん違和感を覚えるものであるが、別にイイおトシの女性を「『ちゃん』付けするな」などと言いたいわけではない。あの町ではまさしく曽我さんは拉致された19歳のころのまま、24年という時間は動くことなく、「ひとみちゃんはどうしているかねえ」と、家々で会話されてきたのだ。
 だから、曽我さんが帰ってきたとき、ごく自然に子供たちは「ひとみちゃん」と彼女を呼んだ。それは確かに自然な感情の流れではあった。
 だがそれが、彼女のこの24年の人生の否定であることもまた事実である。以前も書いたことだが、拉致被害者たちが被害者のままであの国で生きてこれたはずはないからだ。彼女たちはもう人生の半分以上を北朝鮮人として生きてきたのである。
 彼女たちの抱えている問題はただ故郷に帰ってきたから、で終わるものではない。北朝鮮に残された家族をどうするか、という難問が控えている。なのにあの「ちゃん」はそれらの問題を全て無視している。そしてあの子たちのこの「暴言」を町のオトナたちが誰一人たしなめず、また報道も何の違和感も持たずに放送したのだ。それがいったい何を意味しているか。
 ……なんかこれ以上は書きたくないなあ。
 いや、今後、拉致事件の報道が流されるたびに同じこと考えちゃうんだろうなあ、とわかっちゃったんで、気が重くなってるんだけどもね、つまり、もうこの国は国全体が集団ヒステリーに陥っちゃってるってことなんであるよ。
 ヒステリーは必ずしも感情の爆発という形でのみ現れるものではない。その感情の爆発を内包したまま、一触即発の状態で推移している場合もある。少なくとも、テレビを初め、マスメディアの中では、「被害者5人、北朝鮮に送り返してもいいんじゃない?」という意見は全く語られなくなっているではないか。仮に語ればその人に対してどんな攻撃が来ることになるか。「お前は北朝鮮の味方をする気か!」というのが代表的な罵倒であろう(2ちゃんねるあたりではそういう話も出てるんじゃないかと思うけど、怖いから覗いてない)。けどそれって、「日本は大戦中、朝鮮に対していいこともした」という発言に対して北朝鮮・韓国が激怒するのと同じ感情の流れの果てにあるコトバなんだけれどもね。
 北朝鮮は絶対の悪であり、民主主義を標榜する日本は絶対の正義である。そういう図式を無意識にみんなが受け容れてしまってる状態を冷静ではない、と判断することのどこがおかしいだろう? 私は別に北朝鮮の肩を持つ気はないが、日本政府が「拉致被害者の家族」を気遣ってはいても、「拉致被害者」本人たちのことを気遣ってはいない、ということは紛れもない事実であって、それを指摘をしているだけのことである。
 また単純なやつは、北朝鮮人として育ってきたアチラの家族も日本で引き取ればいい、と簡単に考えてるんだろうなあ。例えばアナタがいきなり「実はオマエは北朝鮮人なんだよ」と言われたとして、見たこともない、政治体制も環境も違う故郷に帰りたいと思うものかどうか。そのあたりの報道が全くなされていない現状は「言論統制」がされてると判断するのが妥当ではないかと思うがどうか。
 ……こんな小さな日記のみのサイトだけど、私のこの意見にもクレームつけてくるバカっているかなあ。もしいれば、逆にこの国がホントに病気に犯されてるってことの証明になっちゃうんだけれども。
 

 記念日の食事は焼肉食ったからもうよかろう、と思っていたが、仕事から帰ってきたしげが、なぜかつまんなそうである。
 「あーあ。今日が終わる」
 「今日は終わるよ。それがどうした」
 「記念日終わるやん」
 「……焼き肉食ったろ」
 「ケーキ食べとらんやん!」
 式にはケーキ。いかにも精神年齢低そうな刷り込みだけれど、しげの精神年齢は実際に低いのでこれは当然の発想ではある。けれど、以前、ホール1個をペロリと食べていたしげもさすがにここまでオトナになるとショートケーキを2、3個食うのが限界である。
 「……じゃあ、ロイヤルホストに行くか?」
 昨日の今日でまたロイホかよ、とは思ったが、ファミレスでもそれなりにディナー風味が味わえる点では重宝している。どうせ食うのは肉料理だが。
 土産にショートケーキを二個ずつ買って帰る。種類はケーキに詳しくないので、とりあえず知ってる名前のものを注文する。シュークリームとモンブランである。片方はケーキじゃないな(^_^;) 
 2ヶ月後には今度は入籍記念日が来る。そのときまでに私は何かしげが満足するイベントを考えつけるのだろうか。


 マンガ、手塚治虫『華麗なるロック・ホーム』(河出文庫・819円)。
 米沢義博編による、ロック・ホームの作品集セレクト。ヒゲオヤジに続いての第2弾だが、こういう編集の仕方の作品がこれまでなかったというのが不思議だ。水木しげるには『ねずみ男の冒険』があったのに。
 手塚治虫が取ったキャラクターシステムをファンなら知らぬものはなかろうが、いったん主役を張った二枚目キャラがまた別の作品でも主役を務める例は案外少ない。アトムだって百鬼丸だってブラックジャックだって、他作品に出演するときはあくまでゲストキャラである。ゲスト以上の役割を振られたのはケン一とこのロック・ホーム(間久部緑郎)くらいではないだろうか。
 米沢氏が解説でロックの変容ぶりを詳述してくれているが、初期作品ではお定まりの正義の探偵少年で、たいした個性もなかったのである。『バンパイヤ』で悪の魅力を発現して初めて女性ファンがついたというのはもう有名。
 収録作品について詳述してったらキリがないので、今回はロックの魅力を別の角度から、つまり、マンガではなく、映像化されたロックの軌跡からちょっと探ってみよう。手持ちのビデオテープで確認できる範囲なんで、随分抜けがあるとは思うが。

 初めて映像化されたロックは何かと言うと、実写版『鉄腕アトム』(1959)の第1部『ZZZ団の巻』に登場するリヨン大統領の息子、ロベール役、と言いたいところなのだが、コレがちょっとマズイのである。
 というのも、映像化にあたって、これが息子から娘に変更されているからだ。なんとロックの初映像化は女役だった! ……いや、『バンパイヤ』で女に変装したこともあるロックだからおかしかないんだけどね。「ミシェール」(字幕にはそう表記されてるが、本編では「アルベール・ミッシェル」と呼ばれている。リヨン大統領もなぜかアルベール・リヨン博士に変更)という名のその少女を演じているのは、字幕によればサディア・アルテンバイ。
 GOOGLE検索かけても全くヒットしないから、プロフィールが分らないんだが、同話に出演していて『スーパージャイアンツ』シリーズにも出演していたジャック・アルテンバイ氏の娘さんではないだろうか。いや、これがちょっと鼻は大きいけれどなかなかの美少女なんだよね。「天国のママ、パパを守ってくださいね」と祈るあたり、正統派「可憐な」美少女、と言った雰囲気でヨイのですよ(* ̄∇ ̄*) 。もちろん声は吹替えだろうが、口パクが合ってるから、一応、日本語は喋れるようだ。
 ついでだけれど、『アトム』のアニメ化は1963年1月1日が初めて、と思われているが、この実写版のオープニングで実は『アトム誕生』がアニメ化されてるのである。

 実写ではなく、アニメの初出演はモノクロ版の『鉄腕アトム』(1963〜1967)の第16話『白い惑星号』の星野光一役ということになりそうだ。
 声優は『ウルトラQ』第一話『ゴメスを倒せ』の次郎少年の声や、『少年忍者風のフジ丸』のフジ丸、『サザエさん』の三平(初代)を演じた小宮山清。テロップは失われていて、耳で確かめたから本当は断定はできないのだが、特徴のある声だからまず間違いはなかろう。けれど、アニメ用にキャラデザインに若干変更が施されているので(髪のカールがやや直線的)、これをロック初出演作と言っていいものかどうか、ちょっと異論はあるところだろう。ほかにもこのテレビアニメ版は原作が短いためにいろいろな改変がしてある。原作にはないライバルに佐々木小次郎を起用したり、悪役にロンメルやアセチレン・ランプを配してドラマに厚みを持たしてある。
 同様に、第30話『ZZZ総統』でのロベールもキャラデザインが全く変えられていて、『罪と罰』のラスコルニコフみたいなキャラになっている。声優は『エースをねらえ!』愛川マキや『忍者ハットリくん』ケン一の菅谷政子(これも耳での確認)。もしかしたら『アトム』の全話を見るとどこかにロックが出て来ているかもしれないが、さすがに全話を見返す時間と気力はない(^_^;)。誰か熱心なファン、調べなさい。

 ハッキリとロック初出演作と言えるのは『リボンの騎士』(1967〜1968)のフランツ・チャーミング王子(声・喜多道枝)だろう。ジュラルミンだのナイロンだの、『リボンの騎士』のキャラクターには鉱物や加工品の名前が付けられてたのに、サファイヤの相手たるフランツが普通の名前だったのはちょっと不思議に思っていた。ホントは好きなくせによくサファイヤと口ゲンカしていたのは、高橋留美子の『らんま1/2』の乱馬とあかねにまでしっかり受け継がれている黄金パターン。でも、やはり初期のロックは映像化作品でも正統派二枚目であって、ちょっと物足りない。

 さて、他の役でなくまさに極め付けロックとして登場したのが実写とアニメの合成作品、水谷豊主演作としても有名な『バンバイヤ』(1968)。ロックを演じたのは佐藤博(後半は梶健司)という俳優さんだが、どうも私には記憶が薄い。戸浦六宏の熱海教授の印象のほうが強かったせいかも。「佐藤博」で検索しても同名異人が多すぎてプロフィールが解らない。大島渚の『日本春歌考』に出演していた佐藤博と同一人物なのだろうか。
 佐藤さんはエンディングの「ロックのバラード」も歌ってたそうだが、さて、どんな歌だったか。毎回楽しみに見てたのにこんなに記憶というものは消えるものなのか。ファミリー劇場あたりで再放送してくれんかなあ。

 枚数オーバーしたので続きは明日の日記にて。

2001年10月21日(日) もう6年/『背後霊24時!』3巻(がぁさん)ほか
2000年10月21日(土) 仔牛のテールは美味かった。♪ドナドナ/『火星人刑事』4巻(安永航一郎)


2002年10月20日(日) クレーマー・クレーマー(^_^;)/『COMAGOMA コマゴマ』3巻(森下裕美)/『フルーツバスケット』10巻(高屋奈月)ほか

 朝方、久しぶりに『ハリケンジャー』やら『龍騎』やらを見る。
 間が開いているので、もう筋がどうなってるんだか付いていけん。やっぱりホームページとか見て、ストーリーを追ってかなきゃならんかなあ。
 『どれみ』はあいこちゃんの離婚してる両親の話。あいこちゃんのために復縁しようかどうしようか、と悩むのだが、お母さんのほうが、お爺ちゃんの介護をしなきゃならないから、と二の足を踏む。嫌いあって別れた二人ではないのだ。
 子供向けアニメでこれだけハードな設定が描かれることは珍しいのだが、実際、この問題に関しては全く魔法が意味を持たない。結局あいこちゃんが耐え忍ぶことで決着(?)するのだが、そこんとこがどうにも後味が悪くて仕方がなくってね。お父さんがまたすげえ短気で、すぐお母さんを怒鳴ろうとしてあいこちゃんにたしなめられてるのよ。オトナが子供に心労かけてどうするんだろね。
 見ながらつくづく「死に損ないのジジイなんか病院にたたっこんどいて、家族で暮らせや」てなこと考えちゃうんだけどさ、そんな考え方は不謹慎だ、なんて怒るやつも多いんだろうな。
 でも生活上、現実にそうしてる家族もいるんだしねえ。自分たちだけが不幸、みたいなツクリ方、どうにも偽善的で気に入らないのよ。
 『題名のない音楽会』、ゲストは葉加瀬太郎さん。今度この人、福岡に来るんだよなあ。しかもベスト電器に。あそこの特設ステージって、ムチャクチャ小さいんだけど。コンサート会場、取れなかったのか? でも時間があえば見に行きたいなあ。


 昼飯はロイヤルホスト。
 割引券が送られて来てたのだが、〆切が今月中だったので、慌てて使う。
 そのとき、支払いを金券で払おうとしたのだけれど、「割引券と金券の両方は使えません」と断られる。
 まあ、そういう反応をするだろうとは思ってたが、私が金券を持っていたのには事情があったので、素直には引き下がらない。
 「これ、前に来たときにカードのポイントが溜まってたんで、引いてもらうはずだったんですよ。けれど、レジの人が新人で、引きそこなっちゃったんですよ。そのお詫びに貰ったものなんで、だから、ちゃんとこれで引いてください」
 お店の人、「誰ですか、それ?」と言いかけて口をつぐんだ。そんなこと聞いたって意味ないし、こっちが本気で怒ってるってことに気付いたらしい。金券を受け付けてくれた。
 ああ、またしげの嫌いな「クレーマー」しちゃったよ。世の中にちゃんと仕事してくれる人が多けりゃそんなことせずにすむのに。……自分がクレーム付けられることを考えてないやつはすぐこんなこと言うのだな(^_^;)。


 マンガ、森下裕美『COMAGOMA コマゴマ』3巻(集英社/ヤングジャンプコミックス・840円)。
 キャラクターたちのフルネームがようやく判明。サカタは「坂田新一」でゆうまは「麻原ゆうま」、まおちゃんは「天地まお」。「まお」って仇名だと思ってたんだが、本名だったのか。ワザと女の子名前つけたのかなあ。
 しげから「佐藤先生、アシベたちの先生だったんだね」と聞かれたが、何のことかわからなかった。
 「なんのこと?」と聞き返すと、「『ここだけのふたり』に出てたじゃん!」と言う。
 ……全く記憶にない。年々記憶力の減退は感じてきてはいるが、自分の好きなマンガの内容まで忘れるようになっちゃったんだなあ。若年性のアルツハイマーもあるそうだけれど、アタマの老化を防ぐ手段ってないのかなあ。
 内容は相変わらず、そこそこ面白いんだけれど、『アシベ』の頃に比べて、毒が随分薄まっちゃゃってるような気がする。昔だったらジイちゃんみたいなワガママなキャラは、罪の報いで(^o^)何度となく血塗れになってて当然な気がするんだけれど。
 ワイド四コマになって、なんだかマンガの量が半分になったような損したような気分も覚えているし、もしかしたら森下さん、ホントにネタに詰まってるのかもしれない。今後の活躍を望む。


 マンガ、天樹征丸原作・さとうふみや漫画『探偵学園Q』7巻(講談社/KCM・440円)。
 えーっと、もしかしたら今回のトリック、江戸川乱歩の『月と手袋』のパクリかな? まあ、まだ解決編は収録されてないので、詳しいことはまだ書かないでおこう。私の予想が外れていることを祈る。
 しかし世間のミステリファンはいい加減でこういう低レベルなミステリマンガに対して怒らないものなのかなあ。“最先端の整形技術で変装する”「冥王星」なんて存在出しちゃ、まずミステリとしての基盤自体、ぶっ壊してるでないの。ルパンだって、「全くの別人」に変装することはあっても、実在する他人に成りすますことはしてないんだがね。どんなに整形技術が進んだって他人にゃなれないってことぐらい、小学生でもわかるぞ。「冥王星」ってネーミングもモロに栗本薫の「天狼星」のモジリだしなあ。この節操のなさはいったいなんなんだ。
 あと、随分と絵がうまくはなってきたんだけど、未だに遠近法を殆ど使わない画面構成はいい加減で何とかしよう。正面顔のアップばかり並べてちゃ、単調過ぎて読んでて退屈だぞ。


 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』10巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 ああ、ようやく透の心の闇が描かれ始めたねえ。
 天然ボケの少女、という設定は少女マンガにはありがちな設定なんだけど、これってもともと少女からある一定の性的な要素を排除する効果もある。そりゃ、1巻や2巻のころに由希が透を押し倒したりしたら、なんて人非人だ、ってことになっちゃうからねえ。マドンナは周囲の人間を「癒し」はしても、「性的対象」とは見られないようになってるんだね。そんな気持ちをマドンナに対して抱くことは汚らわしい、「冒涜」だ、ということになるから。
 けど、ドジッ子だって生身の人間。体型的にもツルンペタンの幼児的に描かれている透だけれど、決してありきたりな少女マンガのキャラクターとして描かれてはいない。どこかに「生身」を感じさせる部分があったけれども、それがここに来てじわじわと描かれるようになってきた。
 燈路(「ひろ」と読むのだ。ああ、ややこしい)に、なぜ母親のことばかり話して、父親のことを語らないのか? と詰問された途端、透は一瞬、心を閉ざす。誰にも触れられたくない過去はあるというが、さて、透にとって父親はどういう存在だったのか? なんとなく少女マンガにあるまじき設定がありそうで興味津々。
 何がどう面白くなって来たかと言うと、透の「弱点」がハッキリ現れてきたことによって、これまで由希たち十二支の一族の呪いが透の「癒し」によって解かれる日が来るかも、という予想が崩れ始めたからである。多分、読者の誰もが、慊人に縛られ、自らの運命に立ち向かえずにいた由希たち十二支の一族を、透の存在が解放し、救ってくれると信じていたはずだ。けれど、どうもそう簡単にはいかないらしい。慊人は早晩、透の過去を知り、その「弱点」を責めることになるだろう。何らかの「致命傷」を透に与える可能性も高い。
 透が壊れたとき、由希たちは透を救えることができるのか。今はまだ、透にすがることしかできない由希たちに。
 今巻のラストのひとコマ、透の前で涙を落とす由希を見ていると、「何も見えてないヤツはみっともないな」とつくづく思う。「オマエがすがっている相手は、オマエのかあちゃんじゃないんだぞ」と言ってやりたくなる。何より、少女の心の闇に気付かず、一方的に甘えているだけの由希の心が本当の意味で「愛」と呼べるものかどうか。
 少女マンガの大半は恋愛は描いても性は微妙に避けて通ってるんだけれど、ここまで問題を煮つめて来たら、もうただの天然ボケで問題をかわしてはいけないだろう。少年は少女に自らの苦しみを訴えた。しかし、心に闇を持つ少女に、少年の全てを受け入れることが可能だろうか。
 透には一点の曇りもないと信じていたら、由希はかえって足元を掬われることにならないか。なんだかどんどんドロドロしてきそうだけれど、実はそこをうまくまとめられればおもしろい物語になっていけそうなんだけどね。

2001年10月20日(土) 泣くなしげっちゅ/『眠狂四郎』1巻(柴田錬三郎・柳川喜弘)ほか
2000年10月20日(金) カシューナッツと水木の世界とパーティと/『大熱血』(島本和彦)ほか


2002年10月19日(土) 多分今日は死にかけていた/映画『千年女優』/『ロード・トゥ・パーディション』

 昨日の日記で書き忘れてたことから。
 しげから鴉丸嬢の原稿〆切が今月末であることを聞く。本気でエロマンガ作家を目指している鴉丸嬢ではあるのだが、その奔放な発言とは裏腹に、根は純情なお嬢さんなのである(最近の女の子はみんなそれなりに経験値積んでるんで、本気でエロなやつかどうか判別しにくくなってるのだ)。
 正直な話、ドロドロな人間関係には抵抗力がなさそうなので、あまりソチラの世界には行かないほういいような気もしているのだが、本人はもうこれが貧乏脱出大作戦、とばかりに頑張ってるので、一概に「やめとけば?」とも言いがたい。
 しげの話だと、なんか話造りに煮詰まってて、私に相談したがってたそうだ。
 「出来上がったやつの感想聞きたいっての? でも描き直すヒマはないでしょ」
 「だから、次の作品の意見を聞きたいってことじゃないの? 話造りには自信がないみたいだから」
 話造りに自身のないやつがマンガ家目指すのか、とも思ったが、実際に原作ねーと描けないマンガ家もいるしな。いや、そんなマンガ家になることを目指されてもなあ。
 けれど、鴉丸嬢も私の性格については先刻ご承知のはずである。私に相談されても、まず辛辣なことしか言わんだろうということはわかってて、それでも聞きたいんだろうか。だったらマジで見込みあると思うけど(マンガ家として立って行けてる人の大半は理不尽な悪評にも負けてはいない)、どんなもんなんだか。なんだかんだ言っといて、原稿を見せに来ないに5千点。


 今日は映画に行く約束の日。見たい映画が2本あるので、さてどうしたものかと考えたが結局今日のうちにハシゴすることにする。連休なんだから、1本は明日に回しゃいいじゃん、というご意見はあろうが、連休のうち一日は休んでおかないと、カラダが持たないトシになってるのである。
 いつものごとく、朝寝しているしげを叩き起こして、まずはキャナルシティに向かう。映画の時間を見たら10時からということだったので、時間を気にするしげに気を遣って、9時過ぎには家を出たのだったが。
 しばらく運転していて、しげ、急に「しまったあああ!」と叫ぶ。いつもながら、甲高いしげの声は心臓に悪い。
 「どうしたんだよ、いったい」
 「財布忘れた!」
 「ウチにか? 取りに帰ればいいじゃん」
 「違う、職場!」
 「……なら、職場に取りに行けばいいじゃんか」
 「まだ、店、開いてない。今行って、カネが無くなったりしてたら一発で犯人だと思われるからイヤだ」
 なんだか杞憂じゃないかとは思うが、李下に冠を正さずの例えもある。ましてやしげは李下で冠を正しながら踊ったりジャンプしたり果物食ったような臭い屁をこいたりするような行為に及ぶことはしばしばなので、用心するアタマが働いてるときには働かせておいたほうがいい。
 しかし問題が一つあった。私にもカネがないのだ。
 仕方なく財布は帰り道に取りに行くことにして、とりあえずしげにはカネを銀行から卸してもらうことにする。今日はしげの奢りの約束だったので、私はナケナシの食費を出さずにすんだのであった。

 キャナルに着いてみると、映画は10時40分から。どうやら時間を見間違えてたらしい。
 「だったら10時に店に行けたのに」
 と、またしげの機嫌が悪くなる。銀行の手数料を取られたのがそんなにも惜しいらしい。相変わらずケチ臭いやつである。
 時間が余ったのでウェンディーズで朝食。ここのハンバーガーはほかの店に比べて二割はチーズ増ししてると思うが、これも、もしかしたら肉の味を誤魔化すためだろうか。

 
 映画『千年女優』。
 『パーフェクト・ブルー』に続く、原案・脚本・監督・キャラクターデザインの今敏と、脚本、村井さだゆきコンビ第2弾である。
 前作がサイコホラーとしてなかなかの出来だったので、今回も相当の期待をして見に行った。
 で、見た結果はどうかということなんだが、「惜しいなあ」というヒトコトに尽きる。『パーフェクトブルー』も余り予算がなくてスタッフは苦労したらしいが、本作も制作のスケジュールやらなにやら、おそらく相当キツキツの中で作ったんだろうな、というのが察せられる出来なのである。作画のいいところとよくないところにムラがあるのだ(殺陣のシーンなんかは恐らく『少女革命ウテナ』の作画監督を務めた本田雄の担当だろう、迫力ある出来だったのだが、日常風景になると表情が止まることが多い)。

 映像制作会社「VISUAL STUDIO LOTUS」の社長、立花源也(飯塚昭三)は、かつて一世を風靡したものの、30年前、忽然と銀幕から姿を消した大女優、 藤原千代子(荘司美代子)のドキュメンタリーを作るために、人里離れた彼女の山荘を訪ねる。
 しかし立花にはその目的のほかに、もう一つ、彼女にあるものを手渡す約束をしていた。それは古びた小さな鍵。かつてなくしたその鍵を手にしながら、千代子は過ぎ去りし日々の思い出を語り出す。

 『千年女優』の「映画」としての面白さは、この映画の「語り口」にある。
 立花とカメラマンの二人は、何の違和感もなく千代子の語るかつての人生と映画の中に入りこみ、ときにはいくつかの役を演じつつ、虚実皮膜の境を流浪する。ここで物理的な整合性を考えてしまったら、この映画を楽しむことは不可能だろう。これはあくまで「千代子の語る過去」であって、現実の過去ではないのだ。トシを取った千代子には、既に現実と虚構の区別も曖昧になっていただろうし、そう考えれば時代的な矛盾も特に気にならない。
 彼女の語る人生が、そして映画こそが彼女にとっての真実であり、藤原千代子を女神と崇め奉る立花は、ウソと知りつつ彼女の妄想に付き合っているのである。もしも私が、20年前にこの映画を見ていたら、その斬新な演出に感嘆し、絶賛の声を挙げることも吝かではなかったろう。

 けどなー、もう押井守を見ちゃったあとだしな〜(^_^;)。「どこからどこまでが現実か虚構か」とか、「これは現実ではなくて誰かの虚構の中かも」ってのは、まあ押井さんが嚆矢ってわけでもないけれど腐るほどあの人がやってきてるしなー。で、この映画、結局は千代子の妄想の中だけでのお話、ということが早々にわかっちゃった時点で、ドラマとしての求心力は、どんどん減殺されて行っちゃってるのだ。ドラマを後半まで引っ張っていく「謎」がないと、映画を見てても観客は「オレって、今、何を見せられてるの?」って気分になっちゃうんだよ。ここが押井守と今敏との才能の差なのかな。いや、「惜しい」なあと言ったのは実はシャレだったんだけど、実際、村井さだゆきと今敏、押井守の影響をヘタなとこだけ受け過ぎなんだよねえ。

 千代子がただひたすら、かつて出会った「鍵の君」を追いかけて映画に出演し続けてきた、それを描く構成自体を否定するつもりはない。しかし、見ていて何が辛かったかって、『うる星2』のあたるのセリフじゃないが、「自分の夢に勝手にオレを巻き込むなあ!」なんである。ともかく狂言回しのつもりかなんだか知らないが、立花の扱い方が徹底的に悪い。立花はいったいなんのために彼女の妄想に割り込んで行ったんだ? 千代子に対するただの賛美者、追従者なら宗教の信者と変わらんじゃないか。そんなキャラを妄想の中に登場させたって、ドラマが平版になるばかりだ。
 映画女優に恋をして、映画の中に入りこむ、というのなら、ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』くらいに徹底してくれないとつまんない。所詮、立花は千代子の妄想に付き合ってるだけの傍観者に過ぎないから、物語に何か影響を与える訳でもなんでもない。それじゃ物語は予定調和のままで進むだけだ。壊れ行く千代子の妄想を食いとめるなり反逆するなりしてこそドラマになるのに、「千代子さ〜ん」と泣かせるばかりか。脚本家、もちっと映画を見たらどうだ。

 語られる映画、実際に昔の日本映画をモデルにしてはいるのだけれど、これももうちょっと凝ってほしかった。ただずらずら並べるだけじゃなくて、時代の雰囲気を出してくれないとねえ。これも予算の関係でしかたないんだろうけれど、かつての日本映画の名作、ということになれば全部モノクロ画像にするくらいのことしてくれなきゃねえ。
 ついでだから、劇中劇、として描かれた藤原千代子主演映画の元ネタについてちょっと考察してみよう。
 『傷痍の勇士』や『君を慕いて』、すれ違いのドラマで停車場のシーンとなれば、こりゃもう『愛染かつら』である。だったらこのシーンでは絶対、テーマソング作って流さなきゃなあ。凝り方が足りないのはこんなとこなんである。満州へ渡る、というあたりは、『支那の夜』のイメージも混じってる感じだが、どちらかというと岡田嘉子の逃避行事件の影響があるように思える。つまり、「この映画はアレが元ネタ」と限定できるものばかりでなく、いくつかのイメージを合成してニセの映画を作ってるんである。
 『めぐり逢い』は「千代子巻き」の映像でもう『君の名は』だとわかる。
 『島原純情』は『祇園の姉妹(きょうだい)』、『雪の絶唱』は一連の新撰組映画(『月形半平太』も混じる)、『怪傑黒天狗』はもう『怪傑黒頭巾』と『鞍馬天狗』の合体、『千代子の忍法七変化』は一連の美空ひばりシリーズ、『学舎の春』は『二十四の瞳』や『青い山脈』の合体、『東京のマドンナ』はちょっと特定ができないが、高峰秀子がバスガイドをやってた映画があった気がする。『化石の家』は小林正樹の『化石』、『女の庭』は小津安次郎の一連の映画、印象としてはヒロインが結婚を迫られるから『晩春』がベースになってる感じか。『真夏の水平線』は多分『太陽の季節』や『狂った果実』といった太陽族映画(海辺のシーンしかないから限定できん)。『トラック大将』は説明いらないよな(^o^)。
 でもって、これはやりすぎだなあ、と思ったのが、『ギガラ』。いや、『ゴジラ』なんだけど、藤原千代子、芹沢博士の役演じてやんの(^_^;)。ヒロインじゃないのか。松竹映画系、日活映画系の作品が多い中で東宝が1本混じってくるとこにも違和感があるねえ。もっともそんなの感じるのって、40代より上の人間だけだと思うが。
 『紅の華』、女武者モノってなんかあったかなあ、と思ったんだが、なんとなく『クレヨンしんちゃん・雲黒斎の野望』や『戦国大合戦』にイメージが被っちゃうんだよなあ。まあ、戦いの中で誰かが犠牲になるってシチュエーション、あまりに多過ぎてこれは特定できない。
 『あやかしの城』は一番テーマに関わってくる話。と言っても、糸車を回す老婆が出てくれば、これはもう黒澤明の『蜘蛛巣城』である。となれば、老婆の正体も初手から見当がつく。案の定、『プリズナーNO.6』でした(^_^;)。全体、脚本が客へのブラフのかけかたがヘタなんだよなー。もっとも、殿に死なれた姫が城から助け出される、というエピソードは『秀頼と千姫』のもの。
 で、最後の出演作、『遊星Z』は、『アルマゲドン』……じゃなくて『妖星ゴラス』ね(^o^)。これが引退映画ってのが、脚本家にセンスなさ過ぎ。伝説の大女優どころか、節操のないヒロインって感じしかしないぞ。っつーか、40過ぎて特撮映画のヒロインやったりしないし、やらせねえって。……とかなんとか言ってるけど、原節子が『日本誕生』なんてのに出たって実例があるからなあ(-_-;)。一概に否定もできん。
 それにしても特撮が以上に凝ってるが、大正12(1923)年生まれのヒロインが、40代で引退したってことは、まさしく『ゴラス』のころじゃん。あんな精密なメカ特撮、作れてねえぞ。この辺の考証もいい加減なんである。やっぱり詰めが甘いなあ。

 一番ガックリきたのは、ラストの千代子のセリフ。「だって、私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」。
 いや、だから、これが全部千代子の妄想だって気付いた時点で、そんなこと説明されなくたってわかってんだって。「こいつ恋に恋してるだけだよなあ」と思いながらガマンして見てたのに、そんな解りきった陳腐なセリフで映画をシメられるのかよ。脚本家、そんなふうに説明しないと客は理解出来ないだろうとか考えてるのか? ちょっと客を舐めてないか。
 福岡での公開は1ヶ月遅れ、東京じゃ早々に打ち切りにあったっていう話だけど、この程度の出来だとしかたがないかもなあ。 

 しげに感想を聞いてみると、「面白いのかもしれないけれど、好きじゃない」とか。うーむ、やっぱり気に入らなかったか。これはアタリだと思ってたんだがなあ。つまんないとまでは言わないが、やっぱり「もっと面白く出来るのになあ」という思いがしてならない。特に声優はもっとうまい人使おうよ。飯塚昭三さん、好きな人だけど抑えた演技の出来る人じゃないんだから。
 しげは『ブルー』を見ていないし(怖いのはアニメでもダメなのである)、事前情報も全くなかったので、ムリヤリ連れて来たようなもの。それで金まで出させてるんだから私もヒドイやつである。


 口直しに、と、キャナルからトリアス久山に移動して『ロード・トゥ・パーディション』を見る。
 しげが一席2500円もする「プレミアスクリーン」というところで見たがったのである。食事用のテープルが横についてて、ゆったり見れる、という話だったけど、そう広いというほどでもなく、しかも隣席の人と共用。あまり意味ねえなあ。しかも、持ちこんだ食いもの、フライドチキンにタコヤキだし(^_^;)。
 ウワサのTHX、初体験だけれど、そんなにスゴイのかどうかよくわからなかった。銃の音にはちょっとビックリしたけど。

 事前情報としては、サム・メンデス監督が『キネマ旬報』のインタビューで、「『子連れ狼』をを元にしてマース」とか言ってたのを聞いて、トム・ハンクスが拝一刀かぁ? とか首を傾げてたんだけど、いや、見てみて驚いたねえ。ホントにストーリーもキャラクターもそのまんまだ。どのくらい似てるかっていうと、『ロミオとジュリエット』と『ウエストサイド物語』程度には似ている。いや、盗作ギリギリってとこだね。
 アチラにマックス・アラン・コリンズ原作のグラフィック・ノベルがあるそうだけれど、まず間違いなくその人、『こ連れ狼』読んでるね。……そう言えば、原題の“ROAD TO PERDITION”、直訳すると「地獄への道」だ。……「冥府魔道」じゃん(^_^;)。これで『子連れ狼』と何の関係もありませんとは通らんだろう。小池一雄、原作権料請求してもいいんじゃないか。
 ちなみに若山富三郎主演の『子連れ狼』映画版シリーズは、“Lone Wolf and Cub”“Sword of Vengeance”などのタイトルで海外でも公開されている。

 イリノイ州ロックアイランドの町で、12歳の少年、マイケル・サリヴァン・ジュニア(タイラー・ホークリン)は優しい両親、やんちゃな弟と平和に暮らしていた。しかし、ある夜、父マイケル(トム・ハンクス)が銃を持っていることを知り、父の仕事に疑念を抱く。
 実は父マイクはギャングのボス、ジョン・ルーニー(ポール・ニューマン)の子飼いの手下だった。ルーニーの息子、コナー(ダニエル・クレイグ)は殺人を犯すのをマイケルに見られたため、彼も含めてサリヴァン一家を皆殺しにしようとする。
 妻と次男がコナーに殺され、マイク親子は復讐を誓う。ルーニーは息子をシカゴにかくまい、マイクにこの土地を離れるよう勧告するが、既にシカゴのボスが差し向けていた殺し屋、マグワイア(ジュード・ロウ)が、親子に暗殺の手を差し伸べていた……。
 柳生烈堂(十兵衛の弟だ)が実在人物だったように、ジョン・ルーニーも実在のギャング。虚実ない交ぜのドラマに仕立ててるあたりもそっくりなんだけれど、最後の最後、『子連れ狼』では柳生烈堂を倒したのは……だったんだけれど、そこはちょっと変えてあった。まあ、エセヒューマニズムの国、アメリカならではの結末ではある。けれどそうしなきゃならないということもわかるし、特にラストのマイケル・ジュニアのセリフは、『子連れ狼』の大五郎にも言わせたいようないいセリフだった(もちょっとオトナにならないとムリだけど)ので許す。
 まあ、トム・ハンクスがギャングに見えるかどうか心配してたけどそう悪くはなかったし(こないだの『インソムニア』でアル・パチーノが警官に見えなかったのとは好対照)、ジュード・ロウのイカレた暗殺者ぶりはなかなかのものだったので、充分満足。『子連れ狼』ファンには必見でしょう(^o^)。


 帰宅途中の車の中で、しげが突然とんでもないことを言い出す。
 「眠い。マジで眠い」
 「……いきなりなんだよ、そんなに寝てないのか?」
 「今朝まで仕事だったし昨日の昼も寝てないし」
 「寝とけよ!」
 「寝つけなかったんだもん。……このままだと運転しながら寝ちゃうから、なんか喋りかけて」
 「なにかって……いきなり言われても、話すネタないよ!」
 「……一緒に死ぬ?」
 「あ、そう言えば、今度なんの映画に行こっか、『リング』はまず怖くても見に行くやろ、『ピーターパン2』はお前興味なかったんだよなあ、てっきり『フック』も見に行ったし、見たがると思ってたんだけどなあ、今度のはちょうど『1』と『フック』の間の物語ってことになるのかな、ウェンディの娘が主人公なんだろ? 確か『フック』はウェンディの孫かひ孫が主人公だったからなあ、でも、ピーターパンがオトナになったらロビン・ウィリアムスってのはなんだかウソだよなあ、『マイノリティリポート』はどうする? 原作読んだからもういい? 『恋に唄えば』は絶対はずせないしなあ、ああいうバカ映画でミュージカルでってのは押さえとかないとなあ。けど、最近、竹中直人映画に出過ぎだよなあ、実際は演技に幅のない人なんだからイロモノで使い過ぎると飽きられちゃいそうなんだけどなあ、あ、『TRICK』はオレ、行くよ、お前が行かなくてもね、『ケイゾク』のスタッフで作ってるんだけど、相変わらずバカだよー、アレ。まあ、渡部篤郎は出ないけど、毎回、宗教の教祖のインチキ暴くんだよ、巨根の阿倍寛と貧乳の仲間由紀恵のコンビがね、で今回の教祖役って野際陽子なんだよ、似合ってるよなあ、教祖役が……って寝るなあ!」
 ……マジで時々車線を越えそうでした。生きて帰れたのは奇跡です。『地獄への道』見てきたあとに地獄へホントにイッちゃったらシャレにならんがな。それとも我々二人だと『地獄珍道中』か?
 しげも帰ってすぐ寝たけど、私も倒れて寝ました。とりあえず『ガンダムSEED』と『キングゲイナー』は録画仕掛けたけど、いつ見返せるかわかりません……(-_-;)

2001年10月19日(金) 逆探知されました(^_^;)。/『コータローまかりとおる!L』1巻(蛭田達也)ほか
2000年10月19日(木) 異端審問と放火魔タマキと消えたメールと


2002年10月18日(金) 今日はノロケじゃないと思う/『プリンセスチュチュ』10AKT.「シンデレラ」/DVD『鬼畜』ほか

 今日も仕事が6時過ぎまでかかっちゃったので、しげ、頗る機嫌が悪い。
 「仕事の前にメシ食って風呂入る時間がないやん」と言うのだが、そこまで余裕がないわけではない。9時出勤で、早めに出かけるとしても、3時間はあるのだ。ものごとを針小棒大に解釈して被害妄想に自ら陥るのはしげの悪い癖だが、いい加減にしてもらえないものか。一日会う時間がないと文句垂れまくってるからこちらもムリしつつ早めに帰れるようにしてるのである。
 そう言うと「じゃあ、無理してるから感謝しろって言うの?」なんて陰険なことを言う。
 このアマ、なにナマイキなこと言い腐っとんじゃ、のぼせあがるのも大概にせえよ、キサマ何様のつもりか、それじゃあ感謝してもらおうじゃないか、オレの目の前で「私が悪うございました、許してくださいごめんなさい」と手をついて土下座しやがれ、三べん回ってニャアと言え、おまえみたいなドグサレた人格の○○○○の○○○○の○○○○○○につきあってるだけでもありがたいと思えや、この唐変木のコンコンチキが、と心の中だけで嘯く(心だけかい)。
 実際には給料日前でカネがないのでしげにマクドナルドでベーコンレタスバーガーを奢ってもらったのである。悪口など言えるはずがない(^_^;)。


 金曜日は『プリンセスチュチュ』の日。なんだかもう一週間の楽しみが『チュチュ』に集約されてるような(^_^;)。今日のお話は何かなあ? お話の好きな子、寄っといでえ〜(三谷昇の声で読むこと)。というわけで、いよいよクライマックス近しの第10話「シンデレラ」。
 13話で終了か? と思われていたのだが、めでたく延長が決まったようである。次はやっぱりというか、「卵の章」に続いて「雛の章」だ。しげは「その次は『成鳥の章』?」とか言ってたが、主人公があひるなんだからその先は当然『白鳥の章』になるんじゃないのかね。
 けれど、あまり喜んでばかりもいられない。延長決定がギリギリになると、たいてい作画レベルが落ちてしまうのが常だからである。しかも、14話からは『動画大陸』というアニメ特番の中の一本として放映されるようになり、しかもこれまで30分1本の番組だったのが、15分2本に変更されるのだとか(「金曜20時45分ごろ」放送の「ごろ」ってなんなんだよ)。
 ……なんとなく『秘密戦隊ゴレンジャー』が『ゴレンジャーごっこ』に変わっちゃうような悪い予感がするのは私だけでしょうか(^_^;)。スタッフやらキャストやらが変わっちゃわないかと心配だなあ。特に三谷昇さんのスケジュール、確保できるのかどうか。

 それはさておき、『卵の章』も、今回を含めて残すところあと4話。
 いよいよ隠された謎が明かされていく。と言うことで、今日は「みゅうと」がなぜ「みゅうと」になったかが判明。うわー、こいつほんとにおとぎ話の「王子様」だったんだなあ。っつーか、語源が「ミュートス」から来てるんだから「神様」なんだね。年も取らないってことだから、まさにこの世界は「おとぎ話の落穂拾い」なわけだ。
 河合隼雄が『昔話の深層』でメルヘン・ファンタジーの心理分析を行って以来、シロウトもこぞっておとぎ話の底に流れる深層心理についてマコトシヤカに語るようになっちゃったけど(『ホントは怖いなんとか童話』の類の本はたいていはこの本の稚拙なパクリだ)、実のところ精神分析なんて学派の数だけ説があると言っていい。まあ我々は常に「物語」を求めているものであるから、その物語に「根拠」を示してくれるものがあればつい飛び付いちゃうのだけれど、さて、意外と我々が子供の頃抱いていた疑問にキチンと答えてくれたものは少ない。
 つまりは「物語の主人公はあのあとどうなったか」である。おとぎ話は近代小説のように心理を描写することに主眼を置いていないし、とりあえずの結末をつけたものが多いから、納得しがたい結末を迎えるものも多い。ペロー童話では『赤頭巾』の狼は、赤頭巾を食って、それでおしまいである。グリム童話でその結末が改変され、狼が猟師に退治されることになるのも、「これで終わっていいのか」という疑問に答えたためであろう。もちろんペローが昔話を再録した頃には、この物語は「危険なところへ行ってはいけません」と少女をたしなめるために語ればよかったのだから、赤頭巾が食われておしまい、でもよかったのである。
 『プリンセスチュチュ』はもちろん『みにくいあひるの子』をモチーフにしている。しかし、みにくいあひるの子は白鳥になれて幸せだったのか。というより、あひるは白鳥に比べてみにくいのか。昔はともかく、今の子供たちは、当然そういう疑問を持つだろう。となれば、あの物語は決して「めでたしめでたし」ではないし、「新たな」結末を求めるのである。
 とは言え、その「お話の続き」を求めてるの、ドロッセルマイヤーだからなあ(^o^)。おとぎ話ごたまぜのこの物語で、さて、どんな結末が描かれていくことになるのか、相当ヘンテコなものになりそうで、それを期待して見てるんだけれども。
 で、猫先生は山羊先生から逃げることが出来たんだろうか(^o^)。


 こないだ見た田中登監督版の『鬼畜』が物足りなかったので、改めてDVDで野村芳太郎版『鬼畜』を見返してみる。
 やっぱりと言うか、レべルが違うねえ。冒頭から流れる音楽も故・芥川也寸志入魂の一曲だものなあ(よく『砂の器』を挙げる人がいるが、あれは芥川さんは「音楽監督」をしてるだけであってテーマソングを作曲してはいない)。
 テレビドラマ版の方の失敗は、子捨ての主導権を父親の方に持たせちゃったことの方にあるんだなあ、と気がついた。やっぱり妻の岩下志麻に責められ詫びて子を捨てる緒形拳の情けなさがいいのだ。
 『大和物語』に、姨捨山伝説を扱ったもので、古典には珍しく、貧困からではなく、妻の姑への憎しみから夫が育ての親を捨てさせられる話がある。この妻というのがとことん性悪で、あることないこと夫に吹きこんで、元は優しかった夫を変心させてしまうのである。妻が夫を手玉に取るルーツ、こんな昔からある(^_^;)。夫は月を見て、母親を山に捨ててきたことを悔やむのだが、この『鬼畜』で緒形拳が、「東京タワー」を見てそこに娘を捨ててきたことを思い出すシーンに似てないか。もしかしたら『大和物語』を参考にしてる面があるのかもな。
 そして、今回見返して気が付いたのだが、岩下志麻を憎んで睨む子供の眼つきと、同じく妻に責められて恨みがましく睨み返す緒形拳の眼つきと、この二つの表情が、構図も間も全くそっくりに撮られている。つまり、再三繰り返される岩下志麻の「あんたの子だって? 似てないよ」というセリフを、演出が否定しているのである。まさしくこの物語が「実の子殺し」であることを強調しているシーンであった。いや、凄い。
 ネットを散策してみたら、やっぱりこの物語の結末を「子供は自分が殺されかけたのに、親を庇った」と見ているアタマの悪い客が多いことを知って唖然とした。ちゃんと子供、笑いかけてきた緒形拳に対して「父ちゃんなんかじゃない」と拒絶して言ってるのになあ。「なんか」というのは親を庇うときに使う言葉じゃないじゃん。あれはもう、子供にしてみれば親を親として認めることすらできない感情の高ぶりの表れなんであって、庇うとか庇わないとか、そういうレベルの話ではないのだ。だから緒形拳も「許してくれ」と泣きながら子にすがることになるのだよ。日本語理解できないのか?
 こんなアホな読み方されちゃうと、脚本の井出雅人も草葉の陰で泣いてんじゃないかと思うが、案外、著名人でもアホな読みしてる人多いんだよなあ。橋本治を私は随分買ってたんだけども、この程度の読みもできずに「子殺しの親を庇う映画を作るとはどういうことか」なんてトンチンカンな文句をつけてたんで、すっかり興醒めしたことがあった。あの〜、もしこの映画が「親と子の絆を謳った」映画だったら、タイトルに『鬼畜』ってつけてるのなぜ? 橋本さん、古典やりすぎて現代語忘れたの?
 なんだかなあ、松竹映画=人情映画って思いこみの図式ができあがっちゃってるせいなのかなあ。『寅さん』だって、「決して家庭には受け入れられない」はみだし者の物語なんだけど、みんなアレを「人情映画」だと思ってるしねえ。映画には「愛」と「人情」しかないのか。
 もう「人情」で映画を見る先入観ができてる客には、基本的な日本語理解能力もなくなってるのだ。手塚治虫や宮崎駿の映画を「実際に見たにもかかわらず」、「ヒューマニズムの映画だ」なんて言ってる連中が多いのにも呆れるが、要するにみんな映画を「観」てなんていないってことなんだよなあ。……何しに映画館に行ってるんだよ。暇つぶしか? いや、別に映画に「教養」を求めろって言ってんじゃないよ、そんなレベルの話じゃない。「勝手な思い込みでモノ言ってんじゃなくて、人の話聞けよ」ってことなんだよ。
 映画の魅力を人に伝えることも一筋縄で行くことじゃないが、要するに相手に「聞く態度」があれば多少の言葉の齟齬はなんとかなるものなんである。それができないのはやっぱり言葉を受ける側の能力の低下に原因の多くはあるんで、少しはその事実を自覚してほしいもんだ。
 なんかさあ、最近身の回りでもその手のトラブルが多すぎてねえ、やんなっちゃってるんだよ(-_-;)。


 『刑事コロンボ』のファンサイトを探していて、『安葉巻の煙』というサイトを見付ける。タイトルは團伊玖磨のエッセイ(『パイプのけむり』)のモジリかもしれないが、管理人の方、あまり意識せずに付けたのかも。
 これがまた、微に入り細に入り、以前に出版されていた海外の研究本『刑事コロンボの秘密』よりもデータ的には充実している。ブロードウェイまでピーター・フォーク主演の舞台を見に行ったりしてるくらいだから、相当のマニアだ。こんな人もいるのだから、やっぱり「ネットは広大」だね(^^)。
 で、各エピソードについて、そのウラ話なんかを見てたんだが、名作『別れのワイン』について、以下の記述が。

 「原題は英語の慣用句 any port in a storm をもじっている。この句の意味は『嵐の中の港』(嵐になったらどんな港でも救いになる)で、辞書では『窮余の策』『せめてもの頼り』と訳されている。コロンボは事件解決に年代物のポルトワインを使う。このポルト(old port)こそ、コロンボが犯人を追いつめるための『窮余の策』なのだ。

 うひゃあ、あのタイトル、そんなシャレになってたのか。全っ然気付かないで、昔の日記に「原題は芸のないタイトル」とか書いてた気がするぞ。ニュアンスとしては「溺れるものはワインをも掴む」って感じか。こういうシャレを日本語に移し変えることはまず不可能だから、『別れのワイン』というタイトルはやはり秀逸だと思うが、英語タイトルもさすがは『コロンボ』、なかなかに凝っていたのである。
 念のためと思って辞書引いてみたら、「PORT」のところに慣用句としてしっかり太字で載ってやがった。高校生レベルで知ってて当然の慣用句なわけだな。くそ、私の英語力が高校生以下だってことがバレちまったではないか。
 あっ、もしかしてこの日記読んでる読者、みんなこのことに気づいてて黙ってたんじゃないか。「ふふふ。こいつこんな簡単な英語も知らないんでやんの」とか言ってバカにしてたんじゃないのか。そうだろ、そうなんだな。
 くくくくくそう、どうせオレなんて無知だよ馬鹿だよマヌケだよ、社会の底辺に這いつくばって生きてるゴクツブシだよ、英語ができんとがなんで悪いとや、地球の人口の何割が英語圏の人間だと思ってやがんだ、英語ができなきゃ人間じゃないってか、人数だけなら中国人のほうが圧倒的に多いじゃないか、そそそそのうち日本人が世界を征服して博多が世界首都になったら世界共通語を全て博多弁にしてやるんだからな、あいさつは「なんばしょっとや」だ、「プリーズ」は「よござっしょうか」だ、ブッシュもプーチンも金正日もみんなそろって「ふてえがってえ!」って叫ぶんだぞ、今から練習しとけよ、三年後にはそうなってんだからな、見てろ見ていろ、ホントにそうなるんだからなあ! ……はあはあ。

2001年10月18日(木) 風邪、続く。気の利いたタイトルなんて思い浮かばねーや/『トライガン・マキシマム』6巻(内藤泰弘)ほか
2000年10月18日(水) オニギリとわらび座とフリカケと/『彼氏彼女の事情』10巻(津田雅美)


2002年10月17日(木) フェチじゃないモン!/『東京少年物語』(羅川真里茂)/『冷暗所保管』(ナンシー関)ほか

 仕事が連日ムチャクチャ重なっている。
 〆切ギリギリまでかかってた私が悪いと言えば悪いのだが、別に〆切破ってる訳じゃないんだがなあ。神経質な人間が多いよ、ウチの職場……と愚痴っても仕方がないので必死で仕事を片付ける。でもメシ食う時間くらいはくれ。


 父に電話をして、例のアラーキーの写真撮影のことをどうするか聞いてみたが、撮影日が平日なのでやめた、と言う。六十過ぎてまだそこまで仕事に拘るかなあ、と思ったが、多分それは表向きで、自分の老いを写真で確認したくはなかったのだろう。老化を受け入れるほどには父のメンタリティは強くはない。無理強いは出来ないなあ、と思ったので、諦める。
 しげに「おまえは写してもらいたくない?」と聞いたが「興味ない」とこれもニベもなく断られた。まあ、福岡嫌いのしげに「福岡の顔」の写真集に載ることには忸怩たるものがあると思うが、それがかえって面白いと思ったんだがなあ。どちらにしろ応募するのは諦めた。父かしげのどちらかがその気になってくれれば、私も一緒に、と思っていたのだけれど。


 山本弘さんとこのホームページ『SF秘密基地』、ようやく荒らしがひと段落したようである。昨日の日記には「某掲示板」と書いたが、これであまり遠慮して書かなくてもよくなったかな。
 ほぼ同一人物と見られる某氏、以前は単に中傷の書きこみを続けていただけだったのが、名前を変えて他人のフリをしたり、また実際に他人のHNを使って書きこんだり、ここんとこやりたい放題をしていた。ただの感情的な書きこみだけではバレると思ったのか、いかにも冷静な法律家、というフリをして「法律に詳しい者です」とか言って「山本弘さんの行為は名誉毀損に当たります」とか批判してたのだが、フツー、自分で自分のことを「法律に詳しい」とか言ったりしないよな。弁護士なら弁護士とちゃんと肩書き言うし。これだけでも当人が権威主義者だってことがバレバレ。こういう「自分は冷静だ」と主張する人間が冷静だったためしは100%ないんだけどね。
 サーバーに連絡して、警告してもらったそうだけれど、さて、かなり有名な荒らしさんであるらしいから、これで引き下がったりはすまい。あくまで今回の件は「ひと段落」に過ぎないのであって、多分荒らしはもっと悪質化してくると思われる。イヤなタトエではあるが、こういう事件は相手が小さな罪を犯してる段階ではどうにもできないんであって、エスカレートしていった末にホントに大事件でも起こしてくれないと取り締まれないんである。寸借詐欺が実際には咎められないのと同じで法の抜け穴ってやつですな。その点、確かにこの人、「法に詳しい」のかもしれない。
 けど、荒らしを横行させた責任、ここに集ってた常連さんの何人かにもあると思うんだけど、あまりそのこと認識してる様子がなかった。何度も「荒らしは放置で」と警告されてたのに、まずそれが荒らしかどうかの判断すらついてない人が結構いたのである。文章力もない人間に手もなく踊らされてるのだから、そのレベルの低さは荒らしさんとどっこいどっこいなんだけれど、そのことを自覚してなかったので、荒らしさんをやたら図に乗らせていたのである。
 さすがに今回の件で反省したのか、何人か荒らしを煽ってた常連さんたちは、掲示板に顔を出さなくなってきた。でも、気付くの遅いよな。人間、やはり失敗しないと自分を顧みられないものらしい。常連さんでまだ若干名、荒らしにレスつけたがるオッチョコチョイさんが残ってるみたいなので、似たようなトラブルが起こる可能性は残ってるが、おそらくはもう大々的なことにはなるまい。っつーか、ならないようにしろよ、常連さん。

 掲示板も新しくなって、「原作とアニメ、どっちが上か」とか、まったりとした話題が続いている。なんかもー、学生の頃を思い出すなあ。平和でいいこっちゃ。もっとも、こういうたわいのない会話に参加しにくくなっちゃったのはそれだけこちらがトシを取ったということでもあるのだが(この日記でできるだけ「たわいのないこと」をさも「重大なこと」のように針小棒大に語っているのは、実は私の心のリハビリの意味もあったのである)。

 山本さんの掲示板に書きこむつもりはないけれど、原作が小説で、それが映像化された場合、その表現方法が違っている以上、本来「どちらが上か」というのは比較しても詮無いことである。カレーライスとラーメンのどっちが好きかってのは同じ食料だから比較できるけれど、カレーライスとテレビアニメのどっちが好きかなんて比較、したって意味はないってことなんで。同じ芸術だからって視点で比較できるんじゃないかって思われる向きもあろうが、「音楽と絵画とどちらの芸術性が上か?」ってのも比較できないのと同じである。
 にもかかわらず、原作が映像化された時に「ストーリーを改変している」「声のイメージが合わない」「作画がボロボロ」とか原作と比較してモノを言うことができるように錯覚するのは、あくまで原作を「素材」としているからなので、言ってみれば食材の調理法を云々しているに過ぎない。アニメ化された作品が原作より面白く感じたからと言って、それは原作とアニメの目指すベクトルが違っていて、見る者の主観がアニメのベクトルに引かれたってだけのことに過ぎないんで、原作の完成度が低いってことにはならないのである。逆に原作をアニメより面白いと考える場合も同様。
 『カリオストロの城』が映画としては面白くても、「『ルパン三世』としてはつまらない」と言われるのもそのためである。だから、私は、あるときは「『カリオストロ』最高! 原作はつまんない」と言うときもあるし、「あれ、『ルパン三世』じゃなくて『コナン三世』じゃん」と言うときもあるのである。視点を変えりゃ批評なんてどうとでもなるということなので、私のこの日記の批評を読んで、「私の好きな作品を貶したな!」とご立腹されることがあっても、あまり気にしないで下さい。誉めろといわれれば、昨日貶した作品でも誉めます。いやあ、『GMK』は今世紀最高のゴジラ映画だ!
 ……何を怖がってんのかな、おれ(^_^;)。


 マンガ、羅川真里茂『東京少年物語』(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 表題作のシリーズ2編ほか、『がんばってや』を収録。
 どれも「都会と地方」をモチーフにした作品になっているが、ありがちな「都会は人情が薄く、地方は厚い」的な発想で描かれているのはやや頂けない。単に他国の文化に馴染めないってだけのことでしょうに。物語としてのまとまりがいだけに浅薄な感情で描かれてる部分が目立つところが惜しまれる。

 『東京少年物語・1』が描かれたのが平成3年、『2』が平成6年、『がんばってや』が平成13年と、収録作の制作に10年の開きがあるのだが、ご本人は「絵が変わってない(進歩してない)」と卑下されてるが、どうしてどうして、着実に進歩なさっておられる。確かに丸顔の大きな瞳の、マンガチックなキャラクターであることに違いはないのだが、初期はもうともかく「絵を描いてる」という雰囲気でしかなかったものが、後期にはちゃんと「人間」を描けるようになっている。……わかりやすく言えば、人物の区別がつくようになってるんだな(^o^)。人物の表情が初期はみんな同じで、泣こうが笑おうが記号にしかすぎなかったものが、最新作では「この表情はこの子にしか出来ないよなあ」という絵がたくさん描かれている。こりゃ大進歩ってもんでしょう。『ニューヨーク・ニューヨーク』のようなハードな作品を読んだあとだと、ストーリー的にはどうしてもたわいのない印象を持ってしまうのだが、絵で見せてくれるというのは立派な力量だと思う。
 特に『がんばってや』の丸山舞子の関西女キャラクターは秀逸。東京人が関西女をマンガに登場させると、どうしてもうるさい、がさつ、男勝り、といったステロタイプで描かれることが多いのだが、実際に大阪女の全てがそうであったら、大阪は喋くりの騒音で道も歩けまい。もちろん舞子にもそういう特徴はあるのだが、ちょっとした表情や仕草で、繊細で微妙なときめきや切なさを表現している。青森出身で、方言コンプレックスから他人とうまく喋れない岸本寛治を、抱きかかえるようにして(っつーか、押さえつけて)泣きそうな顔で「人を……嫌いにならんといて……」なんて言うのだよ、この子は。いや、現実にこういう女の子がいたら惚れるで(^o^)。
 羅川さんは青森出身なのだろうか、一般的に東北出身者は関西より西の人たちと違って言語コンプレックスが強いようである。寛治のように、必死で訛りを直そうとする傾向が強いのではないか。それに比べて関西人は東京でもあくまで関西弁で通そうとしているように見受けられて、傲岸不遜に見える。九州人はたいてい共通語を話そうとするが、それは東北人のようなコンプレックスゆえではなくて、外国で外国語を喋るのは当たり前、という感覚であろう。その点、鹿児島出身という設定の幹悟が「他の人と話すとき相手に通じる言葉言うのは当たり前じゃっど」と語るのはいかにも九州人。羅川さん、よく観察してるなあ。
 いろいろな地方の出身者が交流する物語はそれこそ漱石の『三四郎』の昔から数限りなく書かれているわけだが、その地方性をおさえつつも決してステロタイプに陥らないように描くというのはなかなか簡単ではない。『がんばってや』は成功作の部類に入るのではないか。
 

 ナンシー関『テレビ消灯時間ぁ[箘貼衒欖鼻戞癖現嬖幻法440円)。
 もう四ヶ月である。
 その間もテレビではどうでもいい番組を垂れ流し続けているわけだが、ふと気付いたら、ナンシーさんだったらなんて言うかなあ、と考えてたりするのだ。その人の不在をこれだけ意識してしまうというのも、やはりナンシーさんが「今」を生きていたことの証明なのだろう。
 今巻でナンシーさんの俎上に上げられた芸能人たちも50人を越える。彼ら彼女らについての文章を読むたびに思うことは、「そいつ誰?」である。いや、これは別に私が芸能人のことに疎くて、聞いたこともない人についてクビを捻っている、ということではない。その人の名前は知っている、テレビで姿を見たこともある。けれど、その人が「誰」であるかは分らない、そういう状況が生まれてしまっているのが今のテレビ界ではなかろうか。
 一例を挙げよう。磯野貴理子という人がいる。彼女は『ごきげんよう』というトーク番組に出ている。他にもいくつかのバラエティに出てたと思うが、ともかくナンシーさんが語るのは、彼女が同番組でどのような位置に立っているかだ。
 ナンシーさんは「貴理子はサイコロトークの『象徴』である」と説く。で、ナンシーさんにそう断言されたら、確かに彼女はそれ以上のものでもそれ以下でもないなあ、と我々は認識する。考えてみたら、彼女が何者であるかを、番組内で全く提示していないことに気付く。そして思うのだ。「磯野貴理子って、誰?」。
 ナンシーさんの批評は、「彼ら彼女らが何であるか?」という分析ではなく、ひたすら「彼ら彼女らがどう見えるか?」を指摘するものだ。だから「こいつら何者?」という疑問が常に前面に押し出されることになる。結果として、我々はその対象となるバラエティやトレンディドラマに興味を抱くことになる。貶しがかえって番組の「格」を「底上げ」することになっていたのだ。
 しかし、そういう効果も、悪口を表面的にしか捉えられない人には理解の範疇の外だろう。ナンシーさんがいなくなったことで、テレビ番組が本当にただのつまらないものに成り下がってしまった。生きておられたら『逮捕しちゃうぞ!』や『アルジャーノン』や『天才柳沢教授』をどう貶してくれるか楽しみだったのだが。
 え? おまえはその三本、どう見たかって? 見てませんとも。見てどうしろっていうのですか? 「批評は見て言え」というのは私のモットーではありますが、事前に批評したくなる情報がなきゃ、私は見ません。全ての番組を見ることなんて不可能ですから。

 
 しげがバイト先の同僚の人からドラマ『ビューティフルライフ』のビデオを全話分、借りてくる。こりゃまたいったいどういう風の吹きまわしかと聞いてみたら、「渡部が出てるし」。
 そう言えばしげ、渡部篤郎のファンだったな。聞いてみればなるほどであるが、ちょうど今し方、ナンシーさんの本の中で、「『ビューティフルライフ』のキムタクはどうしてハナをすするのか」って記事を読んだばかりだったから、そのシンクロニシティには驚いた。
 トレンディドラマの類は全くと言っていいくらい見ないので、『ビューティフルライフ』も今回初めて見たのだが、昔ながらの難病悲恋モノだったのね。常盤貴子が車椅子の難病さんで最終回で死んじゃうのである。つまり『愛と死を見つめて』の現代版ってわけだね。イマドキこんな古臭いテーマの話をやるのかとは思ったが、どの世代の人間も、この手の話を自分の世代の物語として持っていたいものなのかもしれないな。私の世代の場合はやっぱり山口百恵、三浦友和の『風立ちぬ』あたりかね。大映制作のドラマにも似たようなのあった気はするが、あの手の番組に私はあまりハマらなかったんで。
 木村拓也と常盤貴子の絡み、案外悪くはない。もっともそれはたわいのない会話のシーンに限ってであって、シリアスなシーンになるとてんでダメである。セリフに全くと言っていいほど説得力がない。しかし、これは必ずしも役者の演技力ばかりを責められる問題ではないかもしれない。と言うのも、北川吏枝子の脚本、普通の会話のときは「超マジ?」みたいな若者言葉を多用していてこれはこれで自然な印象を与えるのだが、ラブシーンなんかになると途端にセリフが臭くなってしまうのだ。「この世に生まれてきてアナタと出会えて幸せだった」とかなんとか、もう大時代的でねえ。キムタクのナレーションの「これが彼女がナニナニした最初で最後だった」みたいな言い回しも、劇中のセリフに比べると全然上滑りで真剣味がない。
 でもなあ、じゃあ、ラブシーンをイマドキの若者言葉で情感こめて言えるかって言ったら、やっぱりムリだわなあ。「アタシィ、ナンカァ、アンタのことって好きになったみたいナァ?」……こんな喋り方で告白する女がいたら殺して埋めたくなると思うが、それともイマドキの若者はこんな喋り方でも気持ちが伝わり合うものなのだろうか。
 どちらにせよ、ドラマのセリフとして、シリアスシーンに若者言葉は使えない。結果的に三文芝居のようなセリフが横行することになる。トレンディドラマというやつがどうしようもないのは、たとえどんなに脚本家が心血を注いでドラマを書いたところで、主人公を演じているのがもともとシリアスな恋愛言葉を持たない若者世代であるという時点で、アウトになっちゃってるのではないか。
 それが証拠に、『ビューティフルライフ』で一番ドラマとしておもしろかったのは、コメディリリーフである渡部篤郎と水野美紀の絡みだったのである。渡部はこのドラマでは徹底的に恋愛音痴な純情バカ(でもえっちはする)を演じていて、女心のカケラもわからぬドジを見せまくるのだが、ここまでバカだと女は惚れるしかない、という様子が実にリアルに伝わってくるのである。ハッキリ言わせてもらえば、このドラマの渡部に惚れない女は女としての価値がない。「だってバカじゃん」なんて嘯く女は簀巻きにして海にたたっこめ。キムタクより渡部のほうがよっぽど「男」だぞ。
 しげも「渡部いい!」と言いつつ、ひと晩徹夜で全話見切りやがった。……熱入ってんなあ。私は途中で仮眠取ったってのに。


 さて、もはや最近の恒例となりつつある私としげのノロケ話のことである。
 と言っても、私としげはそんなこと話してる意識は全くなかったりする。たんにしげのアホを私がたしなめているだけなのだが、どうも世間的にはこれがラブラブな関係に映って見えるらしい。人によっては「パソコンのディスプレイを蹴たくりたくなった」とのたまわれた方もおられるが、そんなことをしたらパソコンが壊れちゃいませんか。
 で、そういう方にはもしかしたら以下のやりとりも「ノロケ」に聞こえるのかもしれない。私はただのバカ話だと思うのだが。
 しげは全く唐突に脈絡もなく私に「ちゅー」を求めてくるクセがある。もちろんこれはネズミの声真似ではない。私はたいていの場合それを拒絶する。何しろしげの「ちゅー」は風情と言うものがカケラもないのだ。唇とんがらせてタコのように突出されたからって、誰がそんなもんに口を付けるか。
 しげは「何で? 夫婦やん!」と文句をつけるが、夫婦だからって、やっていいことといけないことの区別はあろう。セクハラ(あるいはドメスティックバイオレンスか)に対抗して何が悪い。
 「だってアンタからしてくれんやん!」
 とブスブス言うので、
 「してるよ、寝顔に」
 と答えると、
 「オレ、認識してないやん! そんなん死体に『ちゅー』してるのと同じやん! あんた死体フェチか!」
 とヒドイことを言う。
 「だって動いてるお前より動いてないお前のほうがかわいいんだからしかたないやん。イヤなら動いてる時もかわいくなれば?」
 と突き放す。夫婦と言えば家族、家族で「ちゅー」しあうなんて、外人じゃあるまいし、そんな変態行為ができるわけがない。第一、しげはいったん私の口に吸い付いたら、スッポンのごとく離れようとしない。私の肺から酸素を吸い尽くさんばかりに「ふん! ふん! ふん! ふん!」と吸いまくるので、マジで呼吸困難に陥るのである。なぜたかが「ちゅー」で命を賭けねばならないのか。
 そんなに酸素がほしいなら酸素ボンベ買え。
 ……どうでしたか? 全然ノロケじゃないでしょ?

2001年10月17日(水) 踊る私と寝る私/映画『十兵衛暗殺剣』/『ザッツ・ハリウッド』ほか
2000年10月17日(火) 博多弁とベターハーフと女好きな女と/映画『知らなすぎた男』


2002年10月16日(水) 合宿落穂拾い・その他盛り沢山/『ナジカ電撃作戦』2巻(田代琢也)

 今日も残業、しげはまたもや駐車場待ちである。予め残業になるとわかってりゃ連絡も出来るが、たいてい突発的なのでしげには堪えてもらうしかない。でもしげのストレス、確実にたまってきているようで、無意味に「あんたのせいやけんね」と絡んでくるのが最近のしげの日課になってるのである。
 車に乗り込むなり、しげ、「腹が痛い、あんたのせいやけんね」と訴えてきた。
 「何でおまえの腹痛がオレのせいなんだよ」
 「だってあんたの妻やん。『一心童貞』やろ?」
 意味不明だ。もう今さら突っ込む気にもなれない。脱力したまま相手にしないでいると、シツコク話を続けてくる。
 「便に不純物が混じっとったとよ」
 なんだか汚い話になりそうだったので聞きたくもなかったが、もちろんしげは私の困惑になど頓着するはずもない。
 「細長いのがあるなあと思って見たら、昨日食べた糸コンニャクやった」
 糸コンが消化されないなんて、どういう消化器官をしているのか。
 「……噛まずに食ってんじゃないのか? 食うの早いし」
 「そんなことないよ」
 「噛まずに早食いして、そのまま寝こけて腹出して寝てるから腹コワすんだよ」
 「腹出してないよ、オレ」
 「出してんの! オレいつも見てんだから。自分がどれだけ寝相悪いか知らんめえ?」
 「でも、オレが朝起きたとき、ちゃんとフトンの中にいるよ?」
 「オレがフトンかけてやってるからだよ!」
 ああ、またアホの相手をしてしまった。体力消耗するだけなのになあ。


 晩飯はまたもや「めしや丼」。変わり映えのしないメニューだが、今日は珍しく、秋の限定メニューとして、カキフライ定食がある。カキフライのほかにミニ鯖と冷奴もついてくるので、これに納豆をプラスして食べる。
 しげはここではチキン南蛮しか食わないので書くのも面倒臭くて省略しているのだが、「なんでチキン南蛮しか食わないんだよ」と聞いたら、「好きなんだもん」とヒトコト。「だってあと目玉焼きと冷奴もついてきたりするんだよ?」。
 いや、そういうことが聞きたいわけじゃなくて、自分で自分の栄養バランスとか考えないかって意味だったんだが。しげに人間の会話を求めたのが間違いだった(-_-;)。それがわかってて、どうして私も聞くかな。

 昨日読んだ『辣韮の皮』に、「ジョー」と聞いて、アニメ・特撮キャラの誰を思い浮かべるか、というネタがあった。オタクなら一度は会話した経験のあるものだが、そこに紹介されてたのが、「あしたのジョー(矢吹丈)」「ジョー東」「ジョー(若草物語)」「島村ジョー」「東丈」「G.I.ジョー」「コンドルのジョー」。答え方によって、その人の好みだけでなく、「世代」も浮かび上がってしまうというちょっと怖い質問である。今時の若い人はもう、『幻魔大戦』や『ガッチャマン』は知らないらしいぞ。(T-T) グスッ。
 ためしに、しげに「お前はなにを思い浮かべる?」と聞いてみたら、「先にマンガ読んじゃったから、もうそれ以外の思いつかないよ」と言う。
 「でも、最初マンガ読んだとき、ひとコマ目で自分はこれだなって、パッと思い浮かべるやん」
 「思い浮かべる前に次のコマ読んでるよう」
 「……おまえ、そんなに頭の回転速度遅いんかい」
 「(`´)あんたはなにか思い浮かべたん?」
 「オレはやっぱり島村ジョーだよ」
 「ふうん」
 「でも二番目はダイナマイトジョーだな」
 ……ここで受けてくれた人は私の同志です♪


 帰宅してパソコンを覗くと、しげが先日の合宿の様子を劇団ホームページにアップしている。
 しかし、これがまた状況がよくわからず、説明不足のところが多い。「どういうことか?」としげに突っ込みを入れる。以下はしげの原文のまま。*( )内が解説である。



今回は10月12〜14のPPP初合宿の模様を報告。

12日12時に集合。まずは買出し。主に酒。酒、酒。
高速に乗る前にご飯。そこで飯炊き係のハカセより衝撃の報告!


 *(「ハカセ」とは穂稀嬢のこと。三平方の定理もコロンブスの大陸発見も知らないくせに、なぜか高校を卒業出来たが、本人曰く、「成績なんて悪くても先生を○○○て、○○○○しちゃったら簡単ですよお」。日本の教育の未来は暗い)


2日目夜は飲み会の予定。だが、つまみを「本当の」おつまみしか用意してないとのこと(例:ちくわ、きゅうり・・・)!!
全員(主に私と姉さん)怒り狂う。
「酒飲むのにつまみだけだと!?」
「やっぱバーベキューでしょう!!」
「俺たちゃ食うよ!?」
急遽スーパーへ。肉を買う。
そして出発。


 *(「姉さん」というのはよしひと嬢のこと。メンバー中、一番のオ・ト・ナである。全く、彼女がいなかったら、ウチの劇団どうなってることか。
 今回、メンバーは山間のコテージみたいなところでキャンプしたのである。つまり、予め食材を買っておいて、そこで調理をすることになってるのだが、その買い出しを脳味噌にシワのない穂稀嬢一人に任せたのだ。無謀である。穂稀嬢、「一人頭、八百円ですみましたよ〜」とか脳天気なコト言ってたらしいが、二日間、酒とツマミだけで過ごせると思ってたのだろうか。これが男に貢がせて自分は働かない女の感性と言うものであろう)


高速を1時間くらい走って現場へ。
山道ではひと山越えるまでいっこも信号がありませんでした。
目的のキャンプ場へつく。
簡単に片付けとかしてさっそく台本読み。
不穏な台詞に隣のコテージの人が何事かと時々こっちを覗いてたらしい。


 *(「不穏な台詞」というのは私の書いた第一稿のこと。「殺す」の「殺さない」のっていろいろ書いたからなあ。いきなり山間でそんなこと喋ってたら、確かに通りがかりの人には「不穏」に聞こえるだろう。隣のコテージとは結構距離も離れてたそうだが、芝居の練習なので、声が響いていたと思われる。窓からこちらを覗く人々を目撃していたのは円谷くん。彼は今回出番がないにもかかわらず合宿に参加した。いろいろあって、今は寂しがりやさんらしい)


よるめし。やきそば。
大変なことが発覚。油がない・・・。何とかして食った・・・。


 *(私「油買い忘れてたのかよ」。しげ「うん」。どうやら水で食ったらしいが食えないわけじゃあるまい。表現が大袈裟なのである。)


夜。練習してから就寝。
寝つけねぇ・・・。
姉さんはいつもの通り即寝。


 *(しげのメンタリティは小学生でストップしているので、旅行になると興奮して眠れなくなる。結局合宿中は殆ど寝てないそうだ。逆に「どこでも寝れる」がよしひと嬢の特技だが、こちらはこちらで無防備過ぎると思う)


明け方ハカセとごろちゃんのイチャつき声がうるさくて目覚める。が、根性で寝る。
ハカセ、見境無しはやめろ。


 *(「ごろちゃん」というのは円谷くんの愛称。野口五郎に似ているからである。ここだけ読むと、円谷くんと穂稀嬢がいかにも仲がよくて、朝っぱらからナニしているように見えるが、実際はこの二人、恋人同士でもなんでもない。単に無駄話をしていただけだそうだが、二人とも口調がイマドキの若者言葉で、しげは聞いててイライラしたのでこんな書き方をしたのだそうな。故意に悪意で書いてるのである。これはいくらなんでも誤解を招くぞ、ということで注釈。でも穂稀嬢が見境無しなのは半分事実だ)


れんすう。
走ったり腹筋したりする。
あさめし食ってまたれんしゅ。そのうち、『自分はなぜ芝居をするのか』なんてまじめな話とかする。あんまウチらしくないか?


 *(劇団ホームページの方、最近閑古鳥が鳴いているので、掲示板に、塩浦嬢が「みんな芝居する気あるの?」と書きこんだのがきっかけと思われる。私もたびたびしげたちには苦言を呈してはいるのだが、どうも反応が無い。それぞれに「やる気」はあるのだろうが、それが学芸会レベルじゃあ、お客さんは増えていかないと思うが。別にイデオロギー云々を言いたい訳ではなく、客を呼べる芝居を作るってどういうことかを考えなきゃ、というレベルの問題なのである)


ひるめし食ってれんすうしてるところにラクーンドッグさん合流。
今回の客演快く受けてくださる。助かった・・・。
なんで、本物キャストで初読み合わせ。
いろいろ意見交換。


 *(ラクーンさんはネットで知り合った演劇仲間。前回の公演にも下働きして頂いた。脚本は当初、「女三人で」という依頼であったが、とてもじゃないが今の彼女たちの演技力ではメリハリのつくものになりそうもなかったので、「男がほしい」とムリヤリ脚本にねじ込んだのである。ラクーンさんが引き受けてくれなかったら、最悪の場合、東京のこうたろうくんに台本送って、公演当日ライブでやってもらおうかとまで考えていた。一応台本の検討はマジメにして、女性陣の配役なんかを相談した模様である。)


夜めしは待ちに待った飲み会&バーベキュー。
焼き、食い、ひたすら飲む。
バーベーキューが終わっても室内に入りまだ飲む。
結局6時間くらいはやってました。
眠い人から順次風呂入って寝ました。
布団入ってからもまだ語ってたけどね。


 *(体重また増えたろうなあ。演技に響かないのか)


3日目朝。残った食材をとにかくチャーハンにして食う。
そして出発。
いったん基山パーキングで落ち合い、次回の再会を約束して別れた我々であった。


 *(私「材料余ったんなら持ち帰ればよかったじゃん」。しげ「とにかく食うことしか頭になかった」。やっぱり食欲魔人である。でもこういう「合宿」を通じてメンバーの結束が固まるのならええこっちゃ)




 文化庁が、昨日15日、日本の現代文学を海外に普及させようと、今年度から始める翻訳事業の対象として、作家27人の作品を選定。選考に当たった委員は、田辺聖子氏、福田和也氏ら5人。「外国人に一定の評価が見込まれる」という選考基準で選んだそうだけれど、さて、その「外国人」というのがいったいナニジンを想定してるんだかね。それに外国人に「評価してもらう」ために翻訳するんじゃ意味ないでしょ、とも思うのだが、とりあえず、そのラインナップは面白い。

 ▽芥川龍之介(作品未定)
 ▽石原慎太郎 わが人生の時の時
 ▽内田百痢〔重咫ξ構臚城式
 ▽岡本綺堂 半七捕物帳(第一巻)
 ▽獅子文六 自由学校
 ▽島田荘司 占星術殺人事件
 ▽曽野綾子 天上の青
 ▽樋口一葉 たけくらべ・にごりえ・十三夜
 ▽宮本輝 錦繍
 ▽山田詠美 ベッドタイムアイズ・指の戯れ・ジェシーの背骨
 ▽逢坂剛 斜影はるかな国
 ▽大岡昇平 武蔵野夫人
 ▽大佛次郎 赤穂浪士
 ▽梶井基次郎(作品未定)
 ▽川口松太郎 しぐれ茶屋おりく
 ▽北方謙三 檻
 ▽小島信夫 抱擁家族
 ▽末永直海 百円シンガー極楽天使
 ▽永井荷風 腕くらべ、または「ボク東綺譚」(ボクはサンズイに「墨」)
 ▽夏目漱石 坊っちゃん
 ▽長谷川伸 日本捕虜志
 ▽林芙美子 浮雲
 ▽藤沢周平(作品未定)
 ▽山田太一 異人たちとの夏
 ▽夢野久作 ドグラ・マグラ
 ▽横森理香 ぼぎちん バブル純愛物語
 ▽吉行淳之介 夕暮まで

 ははは、この中で読んでるの、作品未定を除けば、岡本綺堂、島田荘司、樋口一葉、大仏次郎、永井荷風、夏目漱石、夢野久作、吉行淳之介と、これだけしかないや。林芙美子と山田太一は映画版ですませてる。小島信夫は確か大学の課題にあって読んだ気もするが記憶にない。いかに私の知識が偏っているかかが丸わかりなのだが、偏見を省みずにものを言うと、やっぱりどうしたって注釈つけなきゃピンと来ない作品が圧倒的に多いんじゃないかってことだ。
 誰の小説だったか、海外で紹介された時に、本文中の女性の形容で「浅丘ルリ子のような」という表現が、「ブリジット・バルドーのような」と翻案されたことがあった。この場合の浅丘ルリ子は、もちろん日活時代の純情可憐な時期のイメージである。それがまたなにをトチ狂ってBBになっちゃうかね。まだしもオードリー・ヘップバーンに比定してくれたほうがマシだった。
 ことほどさように日本人の感覚の翻訳は一通りではないのだが、まあやらないよりやったほうが面白いし、個人的には島田荘司と夢野久作が海外でどんな評価を受けるのか気になるところだ。『占星術殺人事件』は、ミステリとして評価してもらうなら、アレはちょっとなあって出来なんだけど。『ドグラマグラ』の「スチャラカチャカポコ」なんて擬音、そのまんま訳すんだろうなあ。


 マンガ、スタジオファンタジア原作・田代琢也作画『ナジカ電撃作戦』2巻(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・540円。
 アニメの方は終わっちゃったけれど、マンガはちゃんと続いているのは嬉しい。絵はそんなに上手くないし、パンチラもマンガだとたいしてインパクトはないのだけれど、リラがやっぱりかわいいからいいのだ。
 この「人の手によって作られたがために人間的感情に乏しいロボット(あるいはそれに類するもの)が、トンチンカンな行動をしつつも次第に感情を手に入れて行く」というパターンは、もちろんSF作品には随所に見られていてルーツをたどることすら難しいのだが(ピグマリオンにまで行っちゃうしね)、この手の話を特に好んだのは日本人であるように思う。
 『撰集抄』「西行於高野奥造人事」に、高野山に篭った西行法師が、孤独に堪えかねて、反魂の秘術を用いて人間を作ったが、それは心のない人間だったために置き捨てた、というエピソードがある。私はこの話を最初、諸星大二郎の『妖怪ハンター』最終回「死人帰り」で知ったのだが(作者本人が気に入らなかったらしく、現在は同シリーズから削除されていて読めない)、その話を聞いてすぐに思い浮かべたのは言わずと知れた手塚治虫の『鉄腕アトム』であった。
 天馬博士がトビオを作ったのも息子を亡くした「孤独」ゆえであったし、成長しないトビオをサーカスに叩き売ったのもヒドイ話だったが(昭和初期まではサーカスにいる少年少女はみんな売られてきたのだという都市伝説があったんですよ)、もとネタをこの西行のエピソードにおいていることはまず間違いのないところだ(『フランケンシュタイン』はもっと後だしね)。
 この、人造人間が一旦人間に捨てられる、という過程を辿ることは意外に重要ではないかと思う。西行の作った人間モドキは打ち捨てられたままであったが、日本のテレビアニメに登場するロボットたちは実際「道具に使われる」「捨てられる」「壊される」とやたら悲惨な目にあっているのだ。そして、その行き付く先は「造物主への反乱」である。アトムの『青騎士』における「人間め!!」という涙の絶叫を覚えておられる方も多かろう。例が古いってんなら『エヴァ』の綾波の「私はあなたの人形じゃない」はどうだ。
 思うに、日本において「親子」の関係というのは、はるか昔から極めて希薄なものであったのだ。聖書における最初の殺人がカインとアベルの兄弟間の嫉妬が原因であったのに対し、日本神話のそれはイザナギ・イザナミによるわが子ヒルコの遺棄である。自らの血を残すのであれば跡継は一人だけで充分であるし、自分の意に染まぬ子であるなら捨て去ることは親の権利ですらあった。
 なんで日本人がそうなっちゃったかってのを分析するのはちょっくら複雑で一言では言えないのだが、閉鎖されたムラ社会が基盤になっていて、貧困との戦いが日常であったかつての日本人にとっては、「オトナになりきれないコドモ」というのは、生活上、やはり厄介者以外のなにものでもなかったからではないかと思う。外敵と戦うためには親子の絆を強める必要があった西洋人と違って、日本人の戦う相手は「自然」だけでよかった。そのため、子への情愛、なんてあやふやなものはたいして顧みられることもなく、ただひたすら自分が生きて行くことだけを優先させて来たのである。
 その結果、西洋では「親子の絆」というものが無条件に保証されるようになったが(おそらくは中国・朝鮮などのアジアもそうだ)、日本では、親は親として範を示し、子は子として自らが「役に立つ」存在であることを明確な形で提示せねば簡単に廃嫡の対象となった。日本人の親子間には、そういう冷徹な現実が常に日常的な問題としてあったのである。親による子の「勘当」という概念が、その縁切りの理由を「子としての不行跡」に求められていたのも、その顕著な例であるだろう。
 親子が血で血を争う物語は、日本では特に珍しいものではない。
 親が子を虐待するニュースが頻繁に流れるようになって、マスコミはさも昔の親子が温かい家庭を築いていたような幻想を撒き散らしているが、そんなのはウソである。昔の親は自分の意に染まなければ簡単に子供を虐待していたし、それが子供の命の危険に至ることも決して少なくはなかった。私だって、酔った親に殴られ蹴られ、鉄板を投げつけられ、殺されかけたことは数えきれないほどある。でもそれが当時の「フツー」であったのだ(そうでないと思ってる4、50代の親は、過去の記憶を忘れているか、その意味を理解していないのである)。これで親子の間に通常の意味での「愛情」が生まれると考えるのは脳天気に過ぎるというものだ。たとえ親が自分を不必要としていても、そこに絆を求めなければならないところに、子の苦しみが常に存在していたのである。
 日本のアニメーション作品にはどうしてロボットものが多いのか、しかもそのロボットが心を獲得して行くパターンがなぜ多いのか(巨大ロボットものにすらその特徴が随所に見られる)、さらには心を持ったロボットが自らの存在異議について悩むパターンがいかに多いか、これは日本人の持つ「子殺し」の記憶に対する贖罪の意味が強いのではないか、と思うのだ。
 『アトム』しかり、『ジャイアント・ロボ』しかり、『キカイダー』しかり。もしかしたら我々は、たとえそれが本当のわが子であったとしても、作ってはいけない子供を作ってしまった罪悪感から子供を育てているめんがあるのではないか。
 リラもまた、アニメ版ではナジカに反逆し、物語を終えるのだが(おお、やっと『ナジカ』の話に戻った♪)、初めリラを拒絶していたナジカが少しずつリラに人間らしさを認めていくのに反比例するように、ナジカを慕っていたリラはやがてナジカに対立するようになる。リラを初め、ヒューマリットが「愛玩用」として開発された側面があることはそれとなく暗示されているが(今巻ではリラがまさしく「アイドル」になる話もあるぞ)、自らが人間の「オモチャ」であったことを自覚したとき、「作られた子供たち」は今度は生みの親である人間たちを殺す物語を自らの道として選択するようになるのである。まあ、マンガの中のリラはまだひたすらボケててかわいいだけだけど。
 この血塗られた伝承を断ち切るのには「子をなさない」ことしかありえないようにも思うが、もしかしたら現在の少子化現象は、日本人の遺伝子がこれ以上の殺伐とした親子関係を抑制しようと考えた結果なのかも。……なわけないけど、これ、そのモチーフで小説書いたら結構面白いSFになりそうだな(^^)。


 あ、あと今日見た『ヒカルの碁』はまたもや作画レベルが落ちてました。総集編やった意味ないぞ。

2001年10月16日(火) ココロを濡らす雨……詩人だなあ(どこが)/『エンジェル・ハート』1巻(北条司)ほか
2000年10月16日(月) ファジー理論とエスパーとサイボーグと/アニメ『犬夜叉』『人造人間キカイダー』第一話ほか


2002年10月15日(火) トンデモ傷つきブリッコの世界/ドラマ『鬼畜』/『辣韮の皮』2巻(阿部川キネコ)/『ななか6/17』8巻(八神健)

 仕事が忙しくなってきて、残業が続く。
 しげを6時過ぎまで駐車場で待たせてしまっているので、頗る機嫌が悪い。
 「遅れると分ってたら、『レッド・プラネット』、全部見てくるんだった」
 「テレビでやってたんかい」
 「うん、WOWOW。どのチャンネル見ても『5人の帰国』しかやってなかったから」
 ああ、そう言えば今日が帰国日だったっけ。なんだか興味が薄れてきているので、新聞記事もあまり注目してなかった。
 「ずっと生中継で『今どこそこに移動してます』とか実況中継してても、そんなの面白くもなんともないし」
 確かにハイジャック事件とかあさま山荘事件とか(映画になったから、あまり古い話題でもないよな)、「次に何が起こるか分らない」事態と違うからなあ。拉致自体は事件でも、帰国は事件じゃないじゃん。見てて何か面白いのか?
 何年か前のバスジャック事件だって、映像自体は退屈なんである。あんな、なんの変哲もない映像がニュースとしての価値を持つのは、ひとえに視聴者の想像力に依拠しているからにほかならない。でも別に想像なんてしたくないしな、こっちは。
 しげは脳天気に「どいつがアイドルになるかな?」なんて言っている。
 「アイドルってどういう意味だよ?」
 「5人の中にカッコイイ人がいたら、その人がみんなのアイドルになるかと思って」
 全く、事件の重大さなんて何も考えてない発言だな(^_^;)。人によっては人非人の発想だと非難する者もいようが、庶民の関心なんて実はこんなものだ。でも政治的な発言をすることでいかにも一家言があるように見せかける薄っぺらなメンタリティの持ち主に比べりゃ、よっぽどマシと言うものである。
 ついでに、「おまえが北朝鮮に拉致られたらどうする? 自分が生きるために国を売るか、自殺するか」と聞いてみる。
 「別に北朝鮮が住みよかったらそこに住むよ。でも相手がイヤなヤツだったら自殺するかな」
 拉致するヤツがいいヤツってこたないような気もするが。韓国の拉致被害者の家族も、北朝鮮に対して抗議行動を行っているらしいが、早晩、こちらも拉致を認めなければならなくなるのだろう。金正日、本気で引退後(あるいは統合後)の身の安全を考えてるんじゃないかって気がしてきたなあ。こうも路線変更し始めたの、もしかしたら跡継に国を任すのが不安になってきたからかも。だってアレ、ただのオタクだし(^o^)。ネクストジェネレーションになった途端に国が滅ぶと踏んでる人間、北朝鮮内にも多かったりしてな。
 となると、拉致被害者を帰国させた遠因は日本アニメの隆盛にありと言えなくもないかも。言えんかな(^_^;)。

 しげ、仕事までに時間がないというので、夕食はマクドナルドでハンバーガーをテイクアウト。なんでもいいから買ってくれ、としげに頼んだら、ビッグマックセットを頼まれた。以前、こればっか食ってたからなあ(^_^;)。でも実は最近のマイブームは59円バーガーだったりするんだけど。これ三つ買った方が安いよな。『わしズム』で小林よしのりが「非衛生的な肉」と扱き下ろしてたが、さて、今ドキ健康な食品なんてどれだけあるものか。おキレイ好きが高じて、ちょっとでも汚いものを見ると毛嫌いするようになるのは差別意識の始まりだと思うけどね。そっちのほうがよっぽど非衛生的じゃん。


 夕方、『火曜サスペンス劇場1000回突破記念作品 松本清張スペシャル 鬼畜』、CMカットしながら録画。
 仕事に出かけるしげから、「絶対録っとってね!」とクギを刺されていたので、片時も気が抜けない。2時間24分の放送枠だが、CMカットすればピッタリ2時間に収まるのである。
 初め、ステレオにし損なって、1分ほど石丸博也の副音声を録りそこなったが、なんとか録り損ねずにすんだ。失敗してたらしげからどれだけ恨まれたことか。
 というのも、しげは数ある日本映画の中でも、野村芳太郎監督版の『鬼畜』(昭和53<1978>年)が一番好きなのである(今回の監督は田中登)。私も松本清張の映画化作品の中ではこれが最高傑作だと思うから、結婚前、お互いに『鬼畜』が好きだと言うことで意気統合したのであった。そのころしげはまだ女子高生。いいトシしたオトナが女子高生と「あの子供を崖から落とすところがいいよねー」とか喋りあってる風景って、あまりゾッとしないよな(^_^;)。

 『鬼畜』をご存知ない方のために、簡単に説明しておくと、この映画・ドラマの原作は、松本清張が知り合いの検事から聞いた実話をもとに脚色した犯罪小説である。愛人に産ませた三人の子供の始末に困った男が、子供を次々に崖から落として殺した、という事件。今でこそ親が子供を虐待して殺すケースは頻繁にニュースになってはいるものの、原作発表時の昭和32<1957>年には、相当ショッキングだと考えられたのだろう、下の赤ん坊こそ事故死に見せかけて殺したものの、長男と長女は命が助かる形に変更された。
 最初の映画化では、緒形拳、岩下志麻、小川真由美の三人が好演し、三者三様の「鬼畜ぶり」を披露してくれた。あれだけの傑作に仕上がっていれば、再映像化はなかなかに困難である。その困難に挑戦した結果は如何、と、期待と不安が入り混じった形で今回のドラマ化を見てみたのだが……。
 ……驚いたね。出来がいいか悪いかって以前に、これ、「盗作」じゃないの? いや、そこまで言うのは言いすぎかもしれないが、映画版の『鬼畜』をそのままなぞった描写があまりにも多すぎるのだ。少なくとも脚本家の「節度」を疑う作りになっているのは確か。
 もちろん原作が同じだから似るのは当たり前、という面はあろう。しかし、先の映画版には、脚本の井出雅人がオリジナルで付け加えたシークエンスが結構あるのだが、それを今回の脚本家の佐伯俊道、ほとんどそのまま流用しているのである。一番顕著なのはラストシーンである。犯人の父親が逮捕されて、殺そうとした子供と対面するシーンは、実は原作にはない。セリフが一字一句同じというわけではないのだが、子供が父親を父親と認めないところ、父親が泣き崩れる状況、その展開はそっくりそのままだ。……こりゃ、やっちゃいけないよなあ。
 映画版を見ていなければ、そんなことには普通、気がつかない。しかし、『鬼畜』は清張作品の代表作の一つでもあるのだ。原作と映画とドラマと、その三つを全部見ている人も結構いるはずだ。なのに、こんなパクリがバレないとでも思ったのだろうか。もしかしたら佐伯俊道、老人ボケが始まってるのかもしれない。
 この老人ボケ説、案外当たっているかもしれない。というのも、今回のドラマ化でのオリジナルシーン、例えば前回の映画では初めの30分ほどで姿を消す愛人が、今回は二度再登場するのである。しかし、一度目はともかく、二度目の登場は、はっきり言ってドラマ的には全く意味がない。男が逮捕され、呆けて留守をしている妻のところに愛人がやってくる。
 「あの子たちを返して!」
 「もう遅いのよ!」
 妻はヒステリックに叫ぶが、このシーンはこれで終わり。自分の産んだ子が殺されたってのに、そのあとのリアクションを全く描かないというのはいったいどうしたわけか。ともかく、意味不明な原作の改変が多過ぎる。
 原作からの変更、という点では、登場人物の名前もそうだ。前回の映画化は原作のとおりだったが、今回は主人公の印刷工、竹中宗吉は竹中保夫に、妻のお梅は春江に、長男の利一は保に、愛人の菊代は昌代に変更されている。……要するに名前の語感が古臭いからってことかね。名前だけ変えたって、キャストがみんなどヘタくそじゃなあ。保夫のビートたけしはビートたけしの演技しかできないし、昌代の室井滋と春江の黒木瞳は、まだキャストを逆にしたほうがマシである。そして、三人が三人とも、鬼畜ぶりが甘い。先の映画版の足元にも及ばぬ薄さ、貧弱さである。
 ……火サスは所詮、火サスなのかね。なんだか口直しに野村版『鬼畜』を見たくなっちゃったなあ。


 そのままダラダラとテレビを見てたら、『踊るさんま御殿』に三船美佳が出演していた。結婚してもうしばらく経つけど、ようやくハタチになったようだ。けど、さんまの「もうリコンしたんかいな?」というボケにマジギレ。瀬川瑛子のツッコミでなんとか笑いに落とせていたが、精神年齢はやはりオトナになりきれていないようである。『友情』に出たころには本格的な女優を目指すのかとちょっと期待してたんだけど、こんな堪え性のない性格じゃちょっとねえ。
 しかしこの人、父親の三船敏郎にも母親の喜多川美佳にも似てないが、隔世遺伝なのか?
 実は三船美佳はどうでもよくて、今回大変だったのは千石規子さんである。もうトシはいくつだ、大正11(1922)年生まれってことはちょうど80歳か、これがまあ、ちょっとどころでなくて危ないのである(・・;)。
 本番中にいきなり寝るのもなんだかなあ、なんだが、何を聞かれても受け答えが「何十年女優やってると思ってんの〜?」「私は私〜」である。でも何となく会話が繋がってるように聞こえなくもないのは、誰かブレーンがいて、何を聞かれてもこう答えなさい、ってレクチャーしてるんじゃないか。ここはさんまに「ボケとるがな!」と突っ込んで欲しかったのだが、さんまは形式的にコケて見せるばかり。あのコケ、「この人には何も突っ込めません」という記号なんで、じつはフォローにもなんにもなってない。三船美佳に対してひたすら謝ってたのと同じで、これって、かえって千石さんを「神棚」に隔絶して置いてきぼりにしちゃうことになってんだよね。たとえ相手が話がマトモに通じる相手でないとわかっても、怒るなり笑うなり、積極的な働きかけをしなきゃ、そこに人間関係は生まれないと思うんだが。
 いつのころからか、お年寄りをバラエティで使うのに(というか弄るのに)、そのトンチンカンな返事にコケて見せる、お手上げして見せる、というパターンができあがっちゃってる感がある。まあ、ヘタに「ボケたんかオマエは!」とかやっちゃうと、視聴者から「お年よりをバカにするとはケシカラン!」と抗議がくるからやれないんだろうけど、昔は吉本新喜劇の平参平を弄る時のように(まあ、あの人は芸でボケてたのか本当にボケてたのかあまり区別のつかない人だったが)、本気でそのボケにハラを立てて振りまわすドツキ倒す、ということをしていたものだ。それでいて別に舞台上の出来事が現実の差別に繋がると考えるほど、昔の観客はアホではなかったのである。
 なんだか、コメディとバラエティの区別がつかなくなってからこっち、「差別ギャグ」が対象の存在肯定になってるって仕組みが理解されなくなってきてる気がするなあ。キレイゴト言ってる連中ほど、自分の差別性に気付いてないよな。
 ……なんか今日、差別のことについてばかり考えてるなあ。それくらい無自覚な差別者が世間に横溢してるってことなんだけどね。
 でも、さんまに「あなたの出演者に対する気遣いはかえって差別です。もっと相手を罵倒しコケにしなさい」と言っても聞きゃしないのはわかる。仮にさんまが認めても、三船美佳が許さない(^_^;)。自分が被害者だと思いこんでる人間に何を言ったって無駄だもんな。私も腐るほどそういう経験してきましたです、はい(-_-;)。
 こないだ島田伸介が『行列のできる法律事務所』で「アシスタントを罵倒する発言が名誉毀損」と非難されてたけど、その根拠は、パネラーの弁護士の全員、見事にバラバラだった。言い替えればどんなにテキトーな理由でも被害者ぶれば相手を名誉毀損に持ちこむことが可能だってことだ。犯罪的だよな。どこぞの掲示板で「名誉毀損で訴えてやる!」みたいなことを叫んでる○○○○がいるが、管理人さんも困ってることだろう。
 罵倒や悪口が本当に相手を傷つけるものかどうか、キッチリ線引きなんてできるものではない。いい加減、「バラエティは人をバカにして笑いを取るから不快」なんて幼稚な意見を吐くのやめようよ。誰に言ってんだ、俺。


 マンガ、阿部川キネコ『辣韮の皮 萌えろ!杜の宮高校漫画研究部』2巻(ワニブックス/GUM COMICS・819円)。
 おお、無事に2巻が出たか。オタク以外に誰が読むんだって気はするが、掲載誌の『コミック・ガム』もオタク雑誌だからいいのか。
 今巻の新登場キャラは仮面ライダーオタクの漫研部顧問、ジャスティス(^o^)と、新寺部長の姉、同人作家の花京院艶子。後者は明らかに作者本人がモデルだな。同人女って意外とオタク男を毛嫌いするものだけれど(同族嫌悪か?)、阿部川さんは結構、心が広いような気がする。何しろこのマンガ、一般社会にはちょっと溶け込めなさそうなオタクを何人も登場させてはいるのだけれど、その中で一番マトモな人格者が、デブでメガネの少女マンガマニアなのである。そうだ! デブでメガネで汗っかきで石森章太郎や大島弓子のファンに悪人はいないのだ!(自分に向かって言うなよ)
 ジャスティス(自称。本名が「正義」だからである)みたいなオタクな教師って、意外と多そうな気はするが、生物のテストで「ライダー1号からアマゾンまでのそれぞれのもとになったと思われる生物を答えよ」なんて問題出してたらクビになるんじゃないか。まあ、そこまででなくても、校長から叱責くらいはくらいそうな気はするが(けど、この問題、1号・2号=バッタ、アマゾン=トカゲ、ストロンガー=カブトムシは知ってたが、V3とXはなんだったっけ? ……とかなんとか言ってたら、山本弘さんとこの掲示板に全部紹介されていた。結構アバウトだったんだね)。
 「『龍騎』なぞ我々に言わせればライダーではないね!! あれはガンダムで言うトコロのGガンダムなのだよ!!」……熱いなあ、この教師。徳光康之の濃爆オタク先生はガンダムからサクラ大戦に転んでオタクとしてのステイタスを自ら放棄してしまったが、ジャスティスは大丈夫そうだ(^_^;)。
 だいたい、このタトエ自体、「ガンダムシリーズにおけるGガンの位置」を知らないと理解できまいにねえ。主人公でオタクだけれど美少女系な滝沢くんは、これに「ガンダムじゃないですかー」と返してしまうのだ。あまつさえ、「ハカイダーって何代目のライダーなんですか?」と来たもんだ。こういうヤカラ。現実にいるしな。そういうヤツはたとえどんな美少女であろうと、いな、美少女であればなおのこと○○して○○○して○○○○○○○○○○○○、どうか。

 今回は巻末に昨年のSF大会のレポートもあり。昔から吾妻ひでおとか、SF大会のリポートマンガを描いてる人は多いけど、そろそろ1冊にまとめたらどうかなあ。けど、一人のマンガ家さんじゃとてもその全貌は窺い知れまい。同大会のレポートはエロの冒険者さんも書かれているが、全くと言っていいほど内容が重なっていない。それくらいイベントの数が多いのだ。
 エロさんが『クレヨンしんちゃん部屋』に行ってる時に阿部川さんは『さいとうちほ&幾原邦彦が語るウテナから最新作まで』を覗いている。私がもし行ってたらやっぱり『ウテナ』の方に行くだろうな。それは別に『クレヨンしんちゃん』より『ウテナ』が上、と考えているわけではなく、唐沢さんたちが何を語るかはだいたい見当がつくからである。
 『トゥーン大好き!』コーナーには阿部川さんも参加してたはずだが、例の大川周明……じゃなくて○○り○○○おの唐沢さん帽子トバし事件の顛末は一切描いていない。まあ、『ガム』の読者に「SF大会は怖い」イメージを抱かれちゃ困るだろうから、そりゃ当然なんだけれども。……それはそれとして阿部川さん、少し似顔絵の練習した方がいいと思うぞ。松本零士も武田康廣も庵野秀明も樋口真嗣もみな同じ顔というのはちょっとなあ。


 マンガ、八神健『ななか6/17』8巻(秋田書店・410円)。
 アニメ化も決定したそうで、まずはめでたい。
 前巻までは新キャラをやたら出しまくって、ちょっとテコ入れ気味の話も多かったが、やっぱりこのシリーズは稔二と二人の七華、そして雨宮さんの三人(四人?)で成り立っているのである。
 16歳の七華と6歳のななかという「二重人格」の設定は、初め三角関係のドロドロになりかねない三人の関係をオブラートに包む働きをしていた。その機能はまだ働いてはいるが、この「二人の七華」の対立が、ここに来て一気に急展開を見せはじめる。
 16歳の七華は、自分の中から6歳のななかを消そうとする。しかも、まずは雨宮さんを利用しようとし、次には自ら6歳のななかを演じて稔二を騙し……。
 二人の七華は同じ七華であってやはり別の人格。それを「同じ七華じゃねーか」と叫ぶ稔二は、やはり七華の苦しみを理解しきれてはいなかった。そして6歳のななかは、稔二に嫌われたと思い込み姿を消す。しかし、そのとき稔二が流した涙は、16歳の七華が望んだ自分のための涙ではなかった……。
 いやあ、いいなあ、16歳の七華の悪辣さ。嫉妬に狂ったオンナの恐ろしさを少年マンガで堂々とやっちゃう潔さにも感心。こういう描写は、手加減しちゃうとかえってつまんなくなっちゃうからね。やはり「一旦は」6歳のななかに消えてもらわねば収まりがつくまい。そしてこの展開は、「二人の七華のどちらかが生き残るのか?(あるいは統合されるのか?)」という疑問を、久しぶりに読者に突きつける形になった(ここしばらくナアナアなラブコメ的展開が多かったからなあ)。うん、『ななか』って、結構ハードな物語だったんだよ。
 でも、まだ最終回じゃない(^o^)。次巻予告に出てきたキャラは男か女か?

2001年10月15日(月) カチカチ山の……/ドラマ『着ながし奉行』
2000年10月15日(日) ステーキとモーレツとSFミステリと/『海底密室』(三雲岳斗)ほか


2002年10月14日(月) 若本規夫賛江/映画『サイン』/『エドワード・ゴーリーの世界』(濱中利信編・柴田元幸・江國香織)

 三連休最後の日。
 せっかくの三連休、ただ無為に過ごすのもなんだよなあ、と思ったので、ちょこちょこと部屋を片付ける。
 とりあえず新聞を片付けて、本を積み上げてケモノ道を作る。
 休みの間、何もしてなかったとしげに言われたかないしな。仕事がなくてしげに甲斐性があれば本気で主夫してーよ。


 昼間、ヨナさんとこのチャットを覗いてたら、ちょうどユースケさんに出会う。チャットの経験もそれなりに重ねてきたつもりではあったが、やはり顔を知ってる方と違って、語りかけ方に気を遣う。話題が合わないんじゃないかとか、オタクだとバレると嫌われるんじゃないかとか(^_^;)。
 差し触りのないところで、カラオケ話でお茶を濁したが、やはりチャットに参加しようと思うなら、趣味は幅広く持っておかねばならんよなあ、と思うのである。入りはしたが、語ることが何もないではなぜそこにいるかが解らない。人の顔色を見て空気を読みつつ、ということもできないので、ともかく話題だけが頼りってとこがある。
 最低限の一般常識も持った上で、さらに自分の個性を訴えることのいかに難しいことか。いつもいつも思うことだが、みなさんと語っていると、自分自身の無個性ぶりがコンプレックスになって胸がズキズキしてくるのだ。
 ユースケさんが落ちたあと、ヨナさんとちょっと会話。「女の子はどうしてお互いにチチを揉みたがるのか」とセクハラで不遜な話題。男は絶対、○○でない限り、○○○○揉みあったりしないもんな。
 ふざけてるようだが、これは突き詰めて考えていけば結構マトモなSEX論になりそうだ、と思ったのだが、そろそろしげが合宿から帰ってくるので、中途で退出。ちょっと思ったが、実は女性とはもともとユニ・セックスなのではなかろうか。「男」という性自体が実は存在自体、アブノーマルなのである。いや、根拠はあまり考えてないので、そのうち資料なんかも調べて考えてみようかな。


 昼過ぎになって、しげ、合宿から帰ってくる。どんな様子だったか聞いてみたかったが、よっぽどぶっくたびれてたらしく、「眠い」と言ってそのままフトンに倒れこむ。
 「合宿の間、眠ってなかったのかよ」
 旅行に行くときはいつもそうだが、緊張して寝付けなかったらしい。
 「よしひと姉様はすごいよ、どこでも寝れるから。夜もすぐ寝たし、車の中でも寝てたし」
 人生の半分を寝て暮らしてるしげには言われたくないセリフだな。
 帰ってきたら一緒に映画に行くとか言ってたけど、こりゃ今日もダメかな、と思ってたら、7時を過ぎたころに、トイレに起きてきた。ちゃんと起きるためには寝る前に水分をたくさん取っておく、というのも一つの手であろう。これだと私の場合、睡眠が2時間でもなんとか起きられる。ただ、これが続けられるのは私のトシでは二日が限度だ。
 掲示板にレスなど付けたあと、キャナルシティに向かう。

 ラーメン食いたいとしげが言うので、久しぶりにキャナルシティのラーメンスタジアムに行く。
 若本規夫のナレーション、相変わらず「ラーアアアアアメン者たちよ!」と全開バリバリである。マジでスカールが演じてるように聞こえるぞ。これ、CD出してくれんかなあ。この日記見てる人でキャナルシティの関係者いないか。こそっとテープ廻してくれ(^^)。
 「ちよ父」もいいけど、若本さんの代表作はこのナレーションであると断言しよう(^o^)。
 しげは餃子のある店にしか入りたがらないので、「むつみ屋」か東京ラーメン「香月」かで迷うが、ジャンケンで香月に決める。と言っても、勝った方の好きな店に入ろう、と決めといたのに、勝ったしげがどっちか決められなかったので手近なところに入ったただけなのだが。ジャンケンした意味ねーな。
 二人で豚の角煮醤油ラーメン。別に相談して一緒にしたわけでなく、気が合っただけなのだが、案外しげはこういうのを喜ばない。同じメニューだとこちらの具をピンハネできないからである。とことん実利的なやっちゃ。
 醤油ラーメンのわりにえらく油が浮いている。スープを飲んでみると見た目ほどしつこくはないが、もう少しあっさりした味を期待していたので、ちょっと首を傾げる。もしかしたら東京で出してるものと違って、豚骨ベースにしてるのではないか。これがもし、福岡の人間は豚骨、という摺り込みでされたことだとしたらマジでゆゆしき事態である。全国各地のラーメンが食えるというラーメンスタジアムのコンセプトが崩れちゃうではないか。それどころか、福岡の人間はともかく豚骨しか食わない舌バカ、と思われてるんじゃないかと心配になってくる。……もう遅いのかなあ。


 福家書店を回ってコミックスの新刊を何冊か買ったあと、AMCで映画『サイン』。
 相変わらずしげは、M・ナイト・シャマラン監督の“M”を「ミッド」だと主張する。ミッドナイト・シャマランって、そりゃナニジンだよ。
 しげにはほかにもこの手のアホ話がやたらとあって、「ねえ、エドガー・アラン・ポーって、エドガーとアランとポーなの?」って意味不明のものもある。そんなこと言ってたら、パブロ・ピカソは何人いるんだ(本名がすげー長いんである)。多分、しげの脳構造は人間のものと違ってるんだろうな、あれ、エイリアンだから。
 シャマラン監督がどうしてMをイニシャルのままにしているのか、理由はよく知らないが、多分インド系の人だから発音が難しいとか、あるいは宗教上の理由があるとかそんなんじゃないかね。
 それはそれとして、今回、批評が殆ど書けないのである。ヒッチコックの『サイコ』あたりが嚆矢だと思うが、いわゆる「この結末は誰にも話さないで下さい」ってやつだね。『シックス・センス』でも『アンブレイカブル』でもそうだったけれど、それに触れずに感想を述べることがそもそも不可能な映画なんである。
 予告編で仰々しく紹介されてたミステリーサークル、これが果たして大掛かりなイタズラなのか宇宙人のシワザなのか、それとも全く別のものなのか、この謎の答えをヒミツにしてくれと言われちゃ、もう話自体が進められない。もちろんネットを散策すりゃあ、ネタバレ思いっきりしてるとこだってゴマンとあるだろうが、一応ミステリファンのハシクレとしては、まあ、三年は秘密にしておきたい(『影武者』かよ)。
 というわけでストーリーも一切言わないで、感想だけ述べれば、限りなくフツー。堅実と言えばこれほど堅実な演出もない。シャマラン監督、今回は『シックス・センス』や『アンブレイカブル』のときのような無意味などんでん返しは全く行わなかった。伏線は全てラストに向かって有機的に築き上げられているから、素直に見ていけば、ラストもまあ、物語としては納得できるのである。もっとも、あの作品やあの作品にインスパイアされたんじゃないかなってのは今回も強く思った。ただ、それは欠点とまでは言えない。
 でも、だからって面白いとは限らないんだよねー。映画としての欠点はないが、ツッコミどころは腐るほどある。そのツッコミどころも全て謎に絡んでるからやっぱり書けないのだが。
 しょうがないからもう、演技的なことを書くくらいしかないが、メル・ギブソン、最初から最後まで同じ表情。『身代金』の時もそうだったから、この人の演技ってやつがパターン化されてきてるってことじゃないのかね。今回の映画にこの人の重々しすぎる演技が合ってたかどうかってのは賛否が分れるところだろう。
 どっちかって言うと、今回はオトナより子役二人の名演が光るな。カルキンくんは目にクマのできたマコーレー(^^)。いやあ、あの暗さがいいねえ。特にあそこんとことかあそこんとことか。アビゲイルちゃんは、角度によってはなんかデクノボーに見えるが、真正面から表情をしっかり撮ると映える。アチラは子役もしっかり演技指導されてるんだろうなあ。アレがアレした時のあの仕草はすげーかわいかったな(^o^)。
 何が言いたいんだか、具体的なことを書かないでは全く分らないだろうが、仕方がない。まあ、リピーターが出るのも分るなあ、とは思うのである。かと言って、ホントにありふれた映画なんで、さほどお奨めはしませんが。


 濱中利信編・柴田元幸・江國香織ほか『エドワード・ゴーリーの世界』(河出書房新社・1575円)。
 ネットで『The Wonderful World of Edward Gorey』というホームページを開設している濱中さんによる、日本初のゴーリー解説本。ゴーリーの作品紹介など、ホームページからの流用も多いが、やはり本として手に取って読めるというのは嬉しい。カラーページで様々なゴーリー・グッズを見られる楽しさ。Tシャツほしいなあ。
 ゴーリー作品の魅力をヒトコトで伝えるのは難しい。
 その諧謔、皮肉、悪意、狂気と混乱、嗜虐と被虐、暗さ、奇怪さ、ブラックユーモア、いくら言葉を尽くしても、ほんの一端しか語れていないように思う。しかし、その一端を分析し、集めて行くことで成り立っているのがこの本だ。そこにはこれまで見えてこなかったゴーリーの魅力が横溢している。
 ともかく、ゴーリーに関する情報なんて、ついこの間までは皆無に等しかったから、ともかくページを捲るたびに新情報が次々に飛びこんできて、ワクワクしてくるのだ。
 日本で最初にエドワード・ゴーリーを紹介したのは、かの植草甚一氏で。1976年12月、『ミステリマガジン』誌上に『オードリー・ゴアの遺産』が載ったのが最初だったとか。全っ然知らんかったわ。そうと知ってりゃ、こないだ東京に行ったときにミステリ文学資料館で、『MM』のバックナンバー探してみるんだった。まあ、この手の後悔はしょっちゅうすることではある。
 ゴーリーが日本通であった事実も読んでビックリである。『源氏物語』が愛読書で(サイデンステッカー訳だろうか。十数回読み返したというから本格的である)、成瀬巳喜男のファンって、渋すぎるぞ。今時の日本人でもそんなん、そうそういないって。確かに人間の不幸を冷徹に見つめる視点は、成瀬監督と共通するものがある。考えてみたら、一人の女が全く報われることなく一生を終える林芙美子原作の成瀬監督作『浮雲』などは、ゴーリーの『不幸な子供』そのまんまじゃないか。脳天気なハッピーエンドドラマがキライな向きには(私だが)こたえられない魅力なのだ。
 アメリカの『Mystery!』という番組(NHKで放送してた『シャーロック・ホームズ』や『ポワロ』、『ブラウン神父』や『ジキルとハイド』などのシリーズを放送していた枠だそうな。初期のホストは何とビンセント・プライス!)ではゴーリー氏はオープニング・アニメーションを担当していたとか。見てみてえー! ともかくゴーリーのミステリファンぶりはものすごいものだったらしく、特にアガサ・クリスティーはお気に入りで全作五回は読み返してたとか。「ミステリーは読み捨てるものではない、読み返すものだ」と言う氏の意見には激しく賛同。でも『X‐ファイル』の大ファンだったってのは少々頂けないが(^^)。
 柴田元幸、江國香織両氏との対談で濱中さんが明かしていることだが、ホームページにアクセスしてくる全世界のゴーリーファン、相当濃い人ばかりのようである。アメリカ人で「ゴーリーとガッチャマンのグッズは全部集める」と豪語している人がいるそうだが、どんな人間なんだ(^_^;)。そこまではいかなくとも、少なくとも日本で集められるゴーリー関係のものはこれから集めて行こうと思っている。ああ。またハマっちゃったものが増えて行くなあ……。
 てなこと言いながら、新刊の『敬虔な幼子』(ゴーリーにはときどき別名で作品を発表するクセがあって、これもその一つ。でも「エドワード・ゴーリー」のアナグラムになってるので本人だとすぐわかる。本作は「レジーラ・ダウディ」名義で発表された。このあたりもゴーリーがミステリファンである証拠)、まだ買ってないんだよなあ。っつーか近所の本屋じゃ見かけない。やっぱり天神の福家書店まで行かないとダメか。

2001年10月14日(日) 新番紹介、大トリ!/アニメ『サイボーグ009』第1話「誕生」
2000年10月14日(土) 「野草」刈りと漂泊者と生ベルばらと/『あこがれの遠い土地』(トーベ・ヤンソン)ほか


2002年10月13日(日) 芸のためならって問題でもないんだけど/DVD『アベノ橋魔法☆商店街』3巻/アニメ『サイボーグ009完結編』

 朝は爆睡。起きたらまた昼の12時である。連休はどうしたって気が抜けるなあ。
 もう最近はハナちゃんがどんなトラブル起こしてるかもわかんなくなっちゃってるよ。ライダーはもう13人分ったのかな。羽田さんまだ下手なトーク続けてるのか。ぴたテン、少しは作画マシになってないかなあ。
 そろそろ朝ちゃんと起きて、午前中のうちに原稿書いたりホームページの準備をしたり、建設的な生活をしたいものだが。


 『アッコにおまかせ』を何気なく見ていたら、水沢アキが17歳当時、森本レオにレイプされたのを激白したとか。30年前ってことだからもう彼女も47歳か……遠い目(いや、若い頃はいろいろおセワに)。一見、清純派に見えるんで、ウチの親父なども隠れファンだったのだが、実は結構若い頃から2時間ドラマなどでレイプされる役など演じてたのである。心にキズ持っててよく演じられたなあ。
 事件の経過は、本人の談によれば、当時、毎日テレビのドラマ『夏に来た娘』で共演していた森本に「演技指導してあげるから」と言われて、自宅へ招かれたところ、フトンが敷いてあって押し倒されたということである。今になってどうして告白したかというと、最近、森本の不倫騒動が報じられて、自分と同じような目に合ってる人がいるのを考えたらガマンできなくなって、ということだ。
 突然30年前の古傷をえぐられた森本レオの方は、「オトナの付き合いでした」とレイプを全面否定。なんだか初めから真相は藪の中って感じだ。
 普通ならレイプの報道ということになれば、加害者である森本レオ、ケシクリカラン、ということになりそうなものだが、和田アキ子も峰竜太もアリとキリギリスも小池栄子も(こうして並べると濃いメンツだよな)、ほぼ一方的に「なんで今さら、水沢アキ」という意見に終始している。……嫌われてるんだなあ、水沢アキ。
 何しろ、「仮にレイプが事実でも時効」「森本レオが名誉毀損で訴えて、売名行為が立証されたら水沢アキのほうが罪になる」とまでフリップを用意して説明してるのだから、念が入っている。
 確かに、これまでレイプの事実を「黙っていた」ということは、本人の体と心の傷がいかに大きかろうと、客観的にはそのレイプの事実を「許容していた」と見なされても仕方がない面がある。言っちゃなんだが、その30年の年月の間に、水沢アキの心の中で合意の行為だったものがレイプにすり返られた可能性だって否定はできないのだ。人間の心って、それくらいの記憶操作は簡単にする。
 ただ、和田アキ子たちが水沢アキに対して怒りを露わにしているのは、必ずしも彼女の告白の信憑性を云々しているわけではないようだ。和田アキ子はいつものかるーい調子で(でもドスは利いた声で)「私なら、レイプされてても30年経って言ったりしないな」と発言していた(もちろん「するほうじゃん」とのツッコミあり)が、そのウラには、大なり小なり、自らの身を犠牲にして今の立場を築いてきた芸能人としての呪詛が篭っているように思える。なんか呪詛なんて言い方をするとえらく重く聞こえるかも知れないが、やはり芸能界、特に役者の世界は「体張ってなんぼ」の世界なのである。法がどうの、女性の権利がどうのと言ったようなキレイゴトなんて通りゃしない。やはり映画版『Wの悲劇』での三田佳子のセリフ、「あなただってカラダ使いませんでした?」ってのは真実であるのだ。「たかがレイプごときでなぜ騒ぐ」、これが口にこそしないが、芸能人たちの一般常識なのだろう。
 これが、告白したのが一般の女性であったなら、たとえそれが売名行為であったとしてもこういった反応は少なかったのではないかと思う。「シロウト女を犯して捨てた悪いヤツ」という、森本レオに対するダメージのほうが大きかったのではないか。なんで被害者である水沢アキのほうが槍玉に上げられるかというと、つまりは彼女が30年間、役者として一歩も進歩してこなかったということが、今回の告白でバレちゃったからなのだ(水沢アキって役者だったの? という声も聞こえてきそうだな)。
 「犯されるのも芸のコヤシ」、というのはムチャクチャな論理ではあるが、それは役者の世界において一面の真実であることは間違いのないことなのだ。彼女の行為はシロウトの行為でこそあれ、役者のソレではない。「これで自分が干されても構わない」とか決意表明のようなことを言ってるらしいが、彼女が干されるとしたら、芸能界のタブーを犯したからではなく、単に「使えねえ」役者だからだろう。今後の経緯がどうなるか知らんが、まあ水沢アキの決意に反して「レイプ? それがどしたの?」ってことで流されちゃうんじゃないかね。
 こんなこと書いてるからって、私がレイプを肯定してる、なんて誤読しないようにね。もともと反道徳的な世界の論理を、杓子定規に一般的な正論で判断しようとしたら、かえって現実から目を背けることになるよって話なんでね。これはまあ、素直に「水沢アキの売名行為(レイプも多分、彼女の被害妄想)」と捉えといて構わないと思うけど、いかがでしょうか。

 続いてもう一つの「今さら」話、荻野目慶子さんがもう十年以上も深作欣二さんの愛人だったんですって。これは水沢アキの場合と違って、著書の中で告白してるからまさしく「女優」としての活動の一環。押し倒されたとたん、思わず「カントク!」と叫んだとか、「これはもしかしたら死んだ河合義隆監督が(荻野目慶子と不倫関係にあって自殺したのである)蘇えったのではないか」と考えたとか、キテますねえ、これは(^_^;)。
 深作監督も、ガンの手術をして男でなくなるくらいなら死んだ方がマシだと、命かSEXかでSEXを選んだってんだからねえ、根性入ってるというか、いかにも深作カントクらしいというか。さすがの和田アキ子たちもこのニュースにはヒトコトもコメントしなかった。そりゃ「さいですか」としか言えんよなあ。
 で、彼女がまさしくレイプ経験を芸のコヤシにしてることは、『高校教師』や『忠臣蔵外伝四谷怪談』の狂気の演技で証明ずみ。全く、『獄門島』のころの可憐な美少女はどこに行っちゃったんだか。
 この二つのニュースが並べられてるってのは、全く妙な偶然もあったものである。役者としての軍配は圧倒的に荻野目慶子に挙げられるだろうが、実際に付き合う相手としてどっちがいいかというと、どっちも泣き寝入りしてくれないって点では同じなのである。
 しげはもちろん荻野目慶子タイプだが、もちろん襲われたのは私の方なのである(じゃあ和田アキ子じゃん)。


 せっかくの休みだし、買ったままでまだ見てないDVDを見ようと、まずは1本、アニメ『アベノ橋魔法☆商店街』3巻。
 CS放映時には見損なってた第七話『回想! 魔法商店街☆誕生』、これはこれだけで青春アニメの一編としてよくできてる。『王立宇宙軍』と言い、『ポケットの中の戦争』と言い、通じ合わない恋を描かせたら山賀博之さん、絶品だね。無駄な描写を極力省くテクニックがうまいのだ。
 どういうところかっていうとさ、夢音が好きな相手の阿倍のために弁当を作ってるわけよ。なのにそれを阿倍のところに届けようともしないで、花に黙々と水を遣っている。それを見て、若き日の雅ジイ、嫉妬してその弁当を「阿倍に届けてやるから」と言って取り上げる。夢音は雅ジイを呼びとめようとするけど、すぐに諦める。もちろん、雅ジイはその弁当を届けないで自分で食っちゃうんだが、ゴマで作ったんだか、弁当のハートマークが切ない。
 説明すると陳腐になっちゃうんだけど、もう、この時点で三人の関係は壊れちゃってるのだ。阿倍は雅ジイが夢音のことを好きだと知ってるから、一旦は関係を持ったものの、もう夢音を避けようと思ってる。夢音はもう阿倍が自分の弁当を食べてくれないと知ってるけど、それでも作らないではいられない。雅ジイは嫉妬はしてるけど、弁当をそのままにしている夢音を見てるのがつらくて仕方がないから、それを持って逃げる。夢音だって、雅ジイが自分のことを気遣ってくれてるのが分るから、呼びとめることができない。お互いに相手のことを思っているのに結局ドツボにはまっている様子を、くどい説明をせず、演技だけで示している。こういうのを「演出」というのだ。
 山賀監督、殆ど映画を見ない人らしいけど、こういう脚本が書けるというのはやはりスバラシイ才能だ。だから早いとこ『蒼きウル』作ってよって。
 

 アニメ『サイボーグ009完結編 Conclusion God's War』第二幕「光の羽音(はねおと)」。
 さて、先週見そこなってたので、果たしてどんな出来になっとるものやら、と思ったけれど、作画がやっばりガタガタ(^_^;)。つーか、「文成動画」って、また外注に出したかよ。ラストの5分だけはなんとかまともな作画に戻ったけれど、絵コンテ段階で既に演出のセンス一つ感じられない雑なもの。これが三十年近く待たされた完結編の序章ってか? やっぱり1話分削られたのは、少々きつかったのかなあ。
 こういう中途半端なとこで終わっちゃって、果たして続編は作られるんだろうか。希望としては1年の間を置いて、テレビシリーズ第2部、映像化されてない『海底ピラミッド編』とか『エッダ編』とか『ディープスペース編』とかもやってほしいものだけど(結構『神々との戦い編』に直結しそうなネタを避けてたことから、スタッフはそういう路線も考えてたんじゃないかって気がする)。もちろん最終回は今回の続き、神々との戦いを描いてもらってね。
 今回の『序章』編、神々とは何か、原作の『天使編』ではまさしく「造物主」として描かれていたものが(半村良の『収穫』だね)、今さらハネのはえた天使でもあるまいって判断だったのか、全世界の神話・伝説を統合したような全く違った設定で描かれる、と聞いてたんで、そんな御大層なことができるのかいな、と危惧してはいたのだ。
 で、やっぱりモアイとかみょうちくりんな神殿とか、神の巫女とか、どうしょうもないアイテムばっかり出てくるし(-_-;)。もう既にトンデモ本等が流行したあとじゃ、そんなの、どうにもニセモノくさく見えちゃってねえ。グレイも出てくるんじゃないかとマジで心配しちゃったよ。あの光の中の神(?)がソレ臭いよな。
 神々の正体、『海底ピラミッド編』みたいに姿を見せないままでやるしかないんじゃないかと思ってたけど、それだと009たちのアクションがなくなっちゃうからねえ。だから代理としての巫女を出すのは分るんだけど、せめて演技の付け方、なんとかならなかったものか。この土壇場でスタジオOX、降りてんじゃないよって。
 まあ戦闘服が青くなってたのもねえ、アイデアはいいんだけど色塗りが徹底的にヘタだったから、なんとも地味に見えちゃってさあ。キャラクター、みんな沈んでるよう。いっそのこと最初の映画版みたく、009だけ白にしてくれたらよかったのに。
 もう一つの疑問。『天使編』のラストでも描かれてた。001がみんなに与えたって新しい力、エスパー能力じゃなかったの? 008の「水を自由に操れる」というのはそれっぽいけど、004なんてスキルアップしたってだけじゃん。それは改造手術でなんとかするものであって、001がどうにかできるものでもないように思うんだがなあ。


 連休の合間ということで、一番ゆったりできたが、日記の更新は遅々として進まず。ネット散策して早々と就眠。明日は少しは部屋を片付けようっと。

2001年10月13日(土) 封印/第三舞台『ファントム・ペイン』(鴻上尚史作)/アニメ『カスミン』第1話
2000年10月13日(金) 病気自慢と白髪三千丈と……ね、眠い/映画『レッド・ブロンクス』


2002年10月12日(土) 第一稿完成!/『ちょびっツ』7巻(CLAMP)ほか

 太陽が明るい。
 全く、このトシになって徹夜で原稿上げてるだなんて、わしゃ〆切前のマンガ家か。いや、修羅場ってほどじゃないけどさ。
 後半殆どはしょった感じにはなったが、ともかく第一稿は仕上げた。しげにいろいろ文句は付けられたがなんとかギリギリで間に合わせたのだ。約束破りが常連のしげにとやかく言われたくないものである。
 しげはいそいそと合宿に出かける。泊まりこんでまでどんな練習をするのかよく分らないが、ともかく今は眠い。額に手を当てると熱もある。
 空気が抜けたままのベッドに倒れこんで、そのまま夜まで爆睡するのであった。

 『起動戦士ガンダムSEED』第2回「その名はガンダム」。
 あっ、東京より一週間遅れで放映すると思いこんでたけど、福岡もちゃんと先週が第1回だったのか。前回こうたろうくんに見せてもらっててよかったなあ。
 でもやっぱりファーストガンダムのリメイクって印象が強いなあ。いい加減仮面の男を出すってネタ、やめたがいいと思うんだけど。
 「ガンダム」ってOSの名前なわけか。「GUNDAM」がそれぞれ何かの頭文字らしいがまるでMOGERAだな。面白いのかねえ、こういうの。私には姑息な語呂合わせにしか思えんが。スタッフが自分たちだけで悦に入ってる姿が透けて見えて、ちょっと鼻白んじゃう感じだ。
 キャラクターデザインがみんな同じ顔で80年代テイストなのと、三石琴乃がまた葛城ミサト役で出演しているので(^o^)、なんだか全然新しいアニメを見てる気がしない。
 富野さんが『キングゲイナー』やってんだからなあ。どうしても薄いアニメに見えちゃうんだけど、新人育成のダシに使われてる気がしてならんなあ。セリフもありきたりだし好みの女の子も出て来ないし。次回も見るかどうかは微妙。


 夜、ヨナさんとこのチャットを覗く。
 ヨナさん、初めましてのユースケさん(男性かと思ったら女性であられた)とご挨拶したあと、番人を頼まれる。
 ちょっと待ってるとあやめさんが来られたので、ちょっと有頂天になる。全く、人妻に何を萌えてんだか(^_^;)。カラオケ話が、いつの間にやらあやめさんの写真集を出そう話にスライドする。聞くところによるとあやめさん、○○姿とか○○○○○姿とか○○○○○姿の写真もお持ちだそうである(伏字にするとかえってえっちっぽいな。いや別にヘンなものではないと思う。見てないけど)。
 そういう立派なモノを隠しておくというのは、人類にとって世界にとって罪であろう。早いとこヨナさんにホームページを立ち上げてもらって、WEB上で公開すべきだ、と主張したら、ニベもなく断られた。ちっ、ガードが固いぜ(~_~;)。
 途中から参加されたBobyZさんも、私があまりに「写真集出そうよ」と主張するものだからすっかり呆れている。しかし私はおエライさんにゴマをすったりするのは抵抗なくできても、お世辞や追従は大嫌いである(ゴマスリはお世辞じゃないのか?)。山登りがそこに山があれば登るように、そこに美人がいればのぼ……ああ、いやいや、世間にお披露目したいと考えるのは自然な流れであろう。
 まあ別に写真集に拘らなくても、ご夫婦揃って特技や趣味を幅広くお持ちの方々だから、WEBサイト運営したり、同人誌でも作られれば、すごく面白いモノができると思うんだがなあ。
 同人誌作られるんでしたら、小説でもなんでも寄稿しまっせ(^o^)。


 マンガ、CLAMP『ちょびっツ』7巻(講談社・540円)。
 謎が随分と解かれてきた。こりゃ、あと数巻で終わるかな? 少なくとも「世界にとって危険」てな大風呂敷まで広げちゃったんだから、半端な形では終わってほしくないものだ。
 フレイヤとエルダ(ちぃ)が、子供の生めない体である日比谷さんの子供として作られた、という設定が語られたことによって、『ちょびっツ』がまさしく『鉄腕アトム』直系の作品であることがハッキリしてきた。となれば、「ロボット(本作の場合はパソコン)に心が生まれるか?」という疑問は疑問としての体をなさないことになる。ロボットもパソコンも現実のそれではなく、あくまで一つの寓意であるからだ。『アトム』は差別との戦いの物語であったし、『ちょびっツ』もまた、その匂いを濃厚に漂わせている。
 『アトム』は自己犠牲の末に、最終回でその身を太陽の炎で焼き尽くしてしまったが、ちぃに対して本須和は力強く「しあわせになってほしい」と断言した。ならば、絶対にこの物語をアンハッピーエンドにしてはならないだろう。世界の危険よりも、ちぃの幸せを優先するくらいの話にしてくれなければ、読者は黙っちゃいまい。……でもなんとなく安易な方向に行っちゃいそうな気がするんだよなあ。キャラクターを結構掘り下げて描いてあるんで、あまり小ぢんまりとまとめないでほしいんだけど。

2001年10月12日(金) それはそれ!/『ゲッベルスの贈り物』(藤岡真)ほか
2000年10月12日(木) 乳の電話と江戸のエンコーと胃袋女と/『十時半睡事件帖 おんな舟』(白石一郎)ほか


2002年10月11日(金) 呪う女(・・;)/『お笑い創価学会』(佐高信・テリー伊藤)/『世紀末リーダー伝たけし!』1巻(島袋光年)ほか

 今日は一日出張。
 帰りが何時になるか分らないから、しげには地下鉄の駅まで朝だけ送ってもらう。
 楽しい出張だったのだけど、やっぱり職業がバレちゃうので、中身は書けないのであった。こうなると職業バラした裏日記も書きたくなるなあ。会員制にしてそういうのも作ってみようか。……って誰がわざわざ会員になってまでこんなのよむってんだろうね。思いあがりも甚だしいのである。
 書けることって、昼食に食ったうな丼プラスうどん定食が美味かったってことくらいかな。けれど、店の名前もやっぱりどこに行ったかバレちゃうので書けない。つくづく残念なことである。


 コンビニで『週間文春』を立ち読み。
 小林信彦氏が鮎川哲也の死去について一章まるまる述懐している。
 鮎川氏が鮎川哲也としてデビューするまでに様々なトラブルに巻き込まれたことは、とみに有名である。『黒いトランク』懸賞金未払い事件を初め、『赤い密室』が、高木彬光の筆が入っていると大坪砂男に中傷されて(事実は鮎川氏が高木氏の家に挨拶に行ったのが誤解されただけ)、推理作家協会賞を逸した件なども小林氏は紹介し、その結果、鮎川氏は「被害妄想」になったと説く。
 小林氏に対してあるときは親密な態度を取ったかと思うと、あるときは極端に疎遠になり、そのワケというのが「あなたは本格派を見限ってハードボイルドに行ったかと思ってました」という全く勝手な思いこみなのだから、これは小林氏も往生したことだろう。まあ、確かに小林氏の作風を見ればそう見えなくもない。もともと本格推理小説は小林氏は『神野推理』シリーズくらいしかなく、あまり得意とは言えない。確かに鮎川氏が被害妄想気味であったことは間違いないだろうが、これはまた、作風の定まらぬ(と言うか何がやりたいのか分らない)小林信彦に対する痛烈な批判でもあった(未だに定まってないとも言えるな)。
 一時期、深くつきあっていた小林氏ならではの視点ゆえに、見方によってはあ鮎川批判とも受け取れる筆致だが、これはもちろん「記録」なのである。既に鮎川氏は「歴史」なのだ。個人の名誉とか、そういうことよりも、氏の言動をそれに直接接した人々が感傷を交えずに記録することのほうが、優先されるべきことなのである。


 内田有紀と吉岡秀隆が、結婚を決めたそうな。前にも書いたような気がするが、今回が本決まりらしいから、一応、内田有紀の隠れファンである以上は(実はそうなんである)改めて書くことにする。で、どうやらこの結婚が内田有紀の引退、ということにもなるらしい。
 『北の国から』の完結編は一応ビデオに録っちゃいるんだけれど、まだ見返してない。共演中に愛が芽生えたって話だが、内田有紀は真剣に役者としての到達点を目指してたから、不器用だけれど間違いなく「役者」である吉岡秀隆に惹かれたのも分らないではない。ただ、内田有紀の役者としての到達点が果たして『北の国から』でよかったのかどうか、ちょっと残念には思う。でもじゃあ、これから彼女の役者魂を満足させられるドラマが作られることがあるのかというと、確かに望み薄ではあるのだ。
 内田有紀の役者としての才能は同年代の女優の中においては傑出していると言っていい。しかし、それを見抜いている映像クリエイターが殆どいないのが現状なのである。視聴者もまたその演技を斜めに見て、ポッと出のアイドルの余技ぐらいにしか思ってないのではないか。じっくり見れば彼女がいかに「役」に没頭してるかが分らないはずはないのだが。
 くだらん連ドラやバラエティばかりに使われて、ただ日々そのイメージを消費されるに任せる状況の中にあっては、役者を続けることの意味を自ら問うことになるのも自然の流れだろう。彼女は「仕事」をしたいのではなく、「演技」をしたいのだから。
 脚本家・倉本聰および演出の杉田成道を、結局はテレビの枠の中に留まっていて、映像演出としては雑な撮り方しかしていないと、私はあまり買ってはいないのだが、それでもほかの連ドラのいい加減さに比べれば遥かにマシである。これを花道にできるのであれば、役者人生に終止符を打ってもいいや、という気分になったとしても充分首肯できることではある。
 それにしても惜しい。なんとかもう一度、内田有紀にふさわしい役を、映像関係者は模索して彼女を翻意させる努力をしてほしいものだが、なんだか望み薄な気がする。願わくば彼女自身の役者魂が再び北島マヤのごとく燃えあがり(^o^)、「チョイ役でもいいんです、使ってください!」(つか劇団に入った時はまさしくこうだったのだ)とどこぞのオーディションを受けるか、夫となる吉岡秀隆が「もう一度やれよ」と言ってくれるかしないかなあ、と思うのだが。
 でも、富良野で結婚式挙げるのはちょっと……ねえ(^_^;)。


 佐高信・テリー伊藤『お笑い創価学会 信じる者は救われない 池田大作ってそんなにエライ?』(光文社/知恵の森文庫・520円)。
 実は昔、実家の床屋では聖教新聞を購読してました。でも別に創価学会の信者だったってわけではなく、知り合いから頼まれて置いてたそうです。でもはっきり言って読むとこ全くないし、じき、置かなくなりました。まあ、昔から世間から乖離したことしかやってなかったんですね。
 とにかく宗教とか政治結社やらに強く誘われたことが殆どありません。知り合いにそちらの人も結構いるんですが、私だけは絶対に誘いません。「しっかりした顔立ちだからでしょう」とか言われたこともありますが、果たしてホントにそうなのか。単に神も仏もないやつと思われただけではないのか。あるいは勧誘してもこいつはかえって組織内を引っ掻き回すと思われたのではないか。おかげで平穏無事な生活送れてますけど。まあ、神様いなくても人間生きて行けますよね。
 さて、この本、一応、創価学会の「批判本」ということになってますけど、別に宗教活動自体を否定してる本じゃないんですね。脱会した人の談話が収録されてますが、その人も別に日蓮宗そのものを捨てたわけじゃないので。
 つまり「宗教団体」のあり方の是非を問うているわけで、見方を変えればこれ、「あるべき宗教団体」の「指南本」になってるわけです。
 ムリに金集めするな、トップ批判を自由にさせるようにしろ、なんだか宗教団体を批判しているというよりバブル期の企業を批判しているような言質。全く、この本の言う通りにしていれば、創価学会はもっともっと発展していくぞ、と言わんばかりです。
 でもやっぱりこの本が単行本になったときには、焚書した学会員もいたことを後書きで佐高氏が暴露してますね。学会員の人たちって、やっぱり馬鹿多いみたいですよ。
 

 出張から帰宅したのは6時過ぎ。
 台本原稿を書かねばならないのだが、しげが「ラーメン食いたい!」といきなり言い出したので、筑紫通りの「金龍」に行くことになる。
 「金龍」自体はチェーン店で、家の近く、車で二分の距離にもう一軒あるのだが、チェーン店でありながらメニューが全く違うのである。筑紫通り店には、汁なし、タレと酢で食う「金龍そば」があるのだ。
 昔はこの金龍そば、「油そば」と言っていたのだが、語感が悪かったらしく、名前を変えた。確かにいかにも油食ってますって感じのネーミングじゃあ、ダイエット指向の強い若い人には全く売れまい。でも以前よりはタレの油分、幾分少なくなってはいるようである。
 しげ、普通のラーメンと油そば、どっちを選ぶか長々と迷う。こういう定食屋系の店は注文が決まらないのをひどく嫌がる傾向があるから、「両方頼め」と言って、食べ切れずに余ったのを私が食べることにする。
 あれだけ食いたがっていたのに、いざとなるとしげ、食べながら「おなかが痛い」と言い出す。結局相当私が食べる羽目になった。だからわしゃ糖尿だっちゅーのに。

 ラーメン食いながら、島袋光年の『世紀末リーダー伝たけし!』の1巻を読む(買ったんじゃないから値段を記すのもなんなんだが、一応、集英社/ジャンプコミックス・410円ね)。
 あー、たけしって小学校1年生だったんだ。老けた顔の小学生ってネタもこれまでに結構あったし(タイトル忘れたけど『サンデー』で連載してなかったか。『椎名百貨店』のネタにあったのは覚えてるんだが)、ギャグもまあ、どこかで見たことのあるものが多い。『コータローまかりとおる!』のパクリもあったぞ(主人公とライバルと、お互いに強さを言い合ってる最中に不良が茶々入れて、二人から同時にノされるってやつな)。
 イジメ問題とか扱ってるけど、展開や結末のつけ方は概して浅薄で、1巻読んだ限りではそんなに志の高いマンガには見えない。っつーか、ジャンプマンガで志の高いマンガがどれだけあるのか。『ワンピース』だって初期はパクリしまくりだったからなあ(構図やセリフまでマネしてるものがあるもので、とても換骨奪胎とか言い訳はできない)。
 復帰する価値のあるマンガ家かどうかって興味で読んでみたが、まあ、こちらがその価値をどう計ろうと、復帰できる人はするし、できない人はできない。これだけ節操のないマンガ描いてた人なら、意外といけしゃあしゃあと復活しちゃうかもね。


 帰宅してひたすら原稿書き。
 しげがフスマの陰から、黙ってじっとこちらを見ている。
 「……何見てんだよ」
 「見てるだけ」
 〜m( --)m (/;°ロ°)/ アレー
 背後霊かおまえは。キーボードの上で指が硬直して、文が進まない。こりゃもうあかん、しげが寝てから書こうと思い、背中に突き刺さる冷ややかな視線を無視して風呂に入る。
 風呂に入った途端に昼間の疲れがどっと出て落ちる。目覚めるともう午前様。
 こりゃヤバいと、もう一度パソコンに向かうと、しげが、掲示板に愚痴を延々と書き残している。これがまたなんとゆーか、その(〇_o;)。
 これはもう、私の筆致でその迫力を伝えることはできないので、しげの書いたものをそのままコピーしておこう。
 掲示板の過去ログはそのうち流れて消えちゃうので(最近のものを除いて、保存はしてないのよ)、これも一つの記録である。



 最初の締め切りは9月でした。
 「叩き台でいいから」と30分位のものを頼んでいたのです。
 できません。というか、とりかかってさえいません。
 ・・・依頼したのは夏の初めでした。

 今日から合宿です。

 先週東京に行くというので、「1週間前の練習には持っていってみんなに見せてあげたい。あがってから東京に行け。」と言い、「分かった。」と言っていました。
 勿論あがってません。
 取り掛かったのは前日の夜。7ページできました。

 今日から合宿です。

 東京から帰ってきて「がんばって書くよ。」と言っていました。
 今日までに2、3行『がんばり』ました。
 でも、「金曜日にコピーしたいから締め切りは木曜日。」と言ったはずです。

 今はもう土曜の朝。合宿当日です。
 勿論出来上がってません。
 今11ページ目です。そして風呂に入ってます。のんびりと。
 締め切りの迫ってるものよりも書き込みを優先するのはなぜでしょう?
 締め切り通りにできないのは「お前が邪魔するせいだ。」とか、「気分を乗せてくれないからだ。」とか言います。
 私のせいですか?
 我々は何しに合宿に行けばいいんでしょう?
 台本についてのじっくりとした話し合いが出来るからと企画したものなのに。
 基本がなければ何を話すのか・・・。
 それとも私たちは大自然を満喫して肉練だけして帰ればいいんでしょうか?

 何度も言うようですが今日から合宿です。
 3回目の締め切りを過ぎてます。
 出かける日の朝に慌ててコピーしろと言うわけですね。
 しかも出来上がってない台本を。

 ネットに繋げないように細工しようかと思いましたよ、ホントに。
 レスに2時間掛けて、台本は休み休みゆっくり書いてやっと4ページ進んだだけ。
 早めに取り掛かればブチブチ言われずに済むのに自分からそうしてるんだからわざとなんでしょう、きっと。

 彼が仕事に出かけるまでに3時間を切りました。
 本当にどうなるんでしょう。

 今日は合宿当日です。

 また風呂で寝てるんでしょうか・・・?


 
 ……呪い文かこれは(-_-;)。
 しかし、日頃はあっぱっぱあで脳天気な文章しか書けぬくせに、これは客観的に見てもなかなかの名文である。いや、実際、舌を巻いたぞ。
 これだけの文章が書けるのに、どうして戯曲は書けないのだ。毎回毎回私にばかり書かせているが、自分で何とかしようとは思わんのか、と一人ごちるが、今はもう、そんなことを言っている余裕はない。
 「……書かんとマジで殺される」
 私の命は風前の灯である。まさに残り3時間、しげはもすぐ目を覚ます。
 果たして台本は間に合うのか、有久滅亡まであと3時間、あと3時間しかないのだ!(『ヤマト』だなあ、と思われますでしょうが、ミステリファンには『幻の女』なんですよ)

2001年10月11日(木) なぁじぃかは、知ぃらねぇどぉ♪/『ナジカ電撃作戦』第1話「華麗なるエージェントは 一輪の薔薇と共に」ほか
2000年10月11日(水) スパイと台湾論とこげぱんと/『こげぱん』(たかはしみき)ほか


2002年10月10日(木) ゴミとゴミとゴミの間に/『とむらい機関車』(大阪圭吉)ほか

 仕事がめたくそ忙しい。
 もちろん悪いのは〆切ギリギリまで仕事しない私なんだけどさ。
 日頃は仕事なんて日銭稼ぐための手段さ、あくせく働いたってしゃああんめえ、と無責任男を決めこんでる私であるが、忙しさの沸点ギリギリになるとかえって仕事に対するエネルギーが生まれてくるのである。気がついたらあの仕事この仕事その仕事と暴走気味にこなし、気がついたら他人の仕事まで手伝って片付けちゃってて、「有久さん助かりました」「有久さん、どうしちゃったんですか」とか言われてるのである。
 なかなかやるじゃん俺、とか思ってたが、自分の仕事を一つやり忘れていて、同僚が代わりにやってくれていた(^_^;)。なかなか終わりよしとはいかないものである。

 仕事が長引いたので、しげを駐車場で待たす。待たしたどころか、しげの仕事の時間にも間に合わなくなったので、結局わざわざ迎えに来てくれてたのに、とんぼ返りさせてしまった。ああ、これでまたしげの機嫌が悪くなるなあ。
 しげ、帰り際に「台本は?」と聞く。
 「帰ったら書くよ」
 「時間ないやん」
 「書き始めると早いから」
 もちろん、その場限りのセリフなのだが、でもこのその場限りのセリフをなんとかこなしてこの40年というもの生きてきたのだから、もはやギリギリにならないと動けないというのは習い性なのである。

 帰りついたのは9時過ぎ。当然、しげはもう仕事に出かけていていない。
 いつものように、床に散らばった新聞、飲みかけのペットポトル、口を開けたままゴミが溢れかえっている透明の福岡市指定のゴミ袋、雪崩れを起こしかけている本の山、部屋の中は乱雑この上ないのだが、それでもゴミの隙間からニオイただよって来るように、いつもなら奥の部屋から「帰ったと〜?」と鼻にかかって間延びしたしげの声(あるいはイビキ)が聞こえてくるところである。それがシンとしたままというのは、なにか拍子抜けがする。しげとゴミがセットになって、すっかり我が家の風景に馴染んでいるせいなのだが、主のいないゴミの山はただのゴミだ(しげがいてもゴミはゴミじゃん、と言うのが正しい意見ではあろうが、まあそれはそれとして)。
 一人寂しく買い置きのおでんを食うが、卵もスジも厚揚げもすっかり固くなっている。なんだか独身時代に戻ったような気分で、なんとなく侘しい。今も昔もウチはゴミだらけで散らかっていたのだが、昔はあえてゴミを片付けないでいたこともあった。小奇麗にしていると、なんとなく誰かが尋ねてくれることを期待しているようなものほしそうな感じがしてしまって、かえって自分自身が寂しく思えてしまうからだ。でも誰もいないからってゴミだけ溜めとくのもやっぱり寂しいのである。
 やっぱりゴミの谷間からしげの顔が見えてこそうちはうちなのだろう。


 ネット検索してて、田嶋陽子さんが七日に社民党を離党していたことを知る。
 田島さんは私が心の中で密かに、栗本慎一郎、大槻義彦と並んで三大バカ教授と呼んでいるのだが、政治に口を突っ込んだのもバカなら、今更自分の立場が悪くなったからって離党するってのもバカな話である。
 その理由については、朝鮮労働党と友好関係にあった党が説明責任を果たしていないこと、と述べているが、世間はみな一様にこう思っているだろう。
 「何を今更」。
 社民党が社会党時代から中国、北朝鮮にべったりだったことは政治オンチな私だって知ってることだが、この人はいったいこれまで世の中の何を見てきたというのか。ここまで政治オンチだと元々選挙に出ることすら憚られるのがごく当然な判断だと思うが、判断力ないから出ちゃうんだろうね。
 当然、報道陣からも「党の体質を知らずに立候補するのは不勉強」と突っ込まれるわけだが、それに対して、「そうは思わない。結婚だって、してみないと相手のことは分からない」と答えたのは、バカの上にバカを重ねる発言だった。それじゃまるで、コート着た変質者が「お嬢さん、これをご覧」とスッポンポンの前を晒したら、「まあ、立派、でもしてみないと具合は分らないわ♪」と自らマタ開いてるに等しいが、もしも具合がよかったら、未だに具合を確かめあってたってことなのかね。確かに世の中やってみなけりゃ分らないこともたくさんあるが、やらんでも分かってることだっていっぱいあるのである。
 やってみなけりゃわかんないって言うんだったら、男と女の仲についてだってウダウダ言うんじゃないって。
 実はこの人、元うちの大学のセンセイで、在学中から有名ではあった。もちろん「バカ」ってことで。うちの両親がまたこんなバカのファンだったものだから、「講義を覗きに行け」と再三再四、奨められていたのだが、テレビの言動からこの人は単に自分の私怨をフェミニズムにすりかえてるだけだと思ってたので、とても聞きに行く気にはなれなかった。
 たけしのテレビに使われてるときも、デタラメなフェミニズム論ばかりぶち上げてて、失笑させられたものだった(この人の言う通り世の中が本当に男社会なら、「かかあ天下」という言葉も生まれないはずだがね。女性の社会進出が拒まれてることについても、「差別」の一言で片づけられるほど単純な問題でもないし)。
 テレビ局はこの人を専ら「イロモノ」扱いしていたが、本人も、もしかしたらそのことにトウに気づいていて、フールをあえて演じてるのかなあ、と好意的に解釈していた時期もあった。けれど、選挙に出たことでやっぱりただのバカであることが露見した。こういうバカに喋らせてるから女性の社会進出がかえって遅くなるんである。
 離党はしても議員の辞職はしないそうである。裏切られた格好の土井たか子党首も「離党するなら議員を辞職するのが筋」などと反論してるが、拉致疑惑を否定してきた自分も議院辞職すべきだとは思わんのかね。死んだお袋、田嶋さんや土井さんのファンだったけれど、生きてりゃ「よくこんなののファンやってたね」と突っ込んでやりたいところである。今度オヤジに突っ込むか。


 今日までに書いてね、としげの冷たいまなざしが背中に突き刺さるので、ひたすら原稿書き。けれど日中にドーパミンを使い果たしているので遅々として進まない。どうやら完成は明日に持ちこされそうである。
 さあ、しげにはなんと言い訳しようか。 


 『キネマ旬報』10月下旬号。
 まずは『魔界転生』再映画化のニュース。
 「再」と言ってるが、オリジナルビデオ作品を二作、アニメ版も間に挟んでいるので今度が5度目の映像化である。一番出来がいいのはシリーズが途中で中断してしまったがやはりアニメ版。『ジャイアント・ロボ』のスタッフが再結集したがすぐに離散した(^_^;)。
 今回の映画化は平山秀幸監督で、堅実な監督であるだけにかえってあの破天荒な世界を映像化できるのかと不安になる。予算がたったの十億、役者が窪塚洋介に佐藤浩市とコツブなのも気になる(前作もコツブだったけど)。どうせまた天草四郎をメインにするんだろうなあ。あんなの別に剣豪でもなんでもないから、原作じゃ途中でリタイアしちゃって、柳生十兵衛最大の敵はあくまで宮本武蔵なんだけど。前作では出番のなかった荒木又右エ門や田宮坊太郎とかいったキャラクターを出してくれると嬉しいんだけど(細川ガラシャなんていらんわ)、なんかまた換骨奪胎とか称してスケールがちっちゃくなっちゃうのかなあ。そんなふうになるくらいだったら東映、アニメの続き作ってくれ。
 秋興行の結果、『サイン』は大ヒットしてるそうな。最終的には70億いきそうだとか。まだ見てはいないが、『シックスセンス』『アンブレイカブル』のばかばかしいくらいのハッタリのかましかたから類推して、ちょっとチエのついた一般客にはウケるだろうってのは見当がつく。ミステリーサークルってのもキャッチーだし(そうか?)その伝で見て、面白かった、と感じた客は多いのだろう。これはやはり見てみて、その後で貶さないとな(^o^)。
 『リターナー』は、初めこそ好調だったものの、急激に失速して、20億の予定が13億に落ちこんだそうである。口コミがきかなかったんだろうなあ。やっぱ、あれを見たがるのは、カネシロが出てるんならなんでもいいって脳天気なねーちゃんと、ロリコンだけだろう(^o^)。まあ確かに私も美少女好きになら奨めるかもしれんが。


 大阪圭吉『とむらい機関車』(創元推理文庫・693円)。
 戦前、『新青年』各誌で活躍し、本格探偵小説の雄として評価されながら、応召され、1945年、ルソン島で病没した悲劇の探偵作家、大阪圭吉。
 とは言え、私はあまりこの人の作品をそれほど面白いとは思っていなかった。20年ほど以前に最初に読んだ『石塀幽霊』が、「まさかこんなチャチなトリックじゃないだろうな」と思っていたのがその通りだったからである。高校生にそう思わせるほどだから、ホントにおしまいそれをやっちゃあオシマイよ」的な「困った」トリックだったのである。
 この人の手持ちの探偵役は青山喬介という名前だが、これがまた明智小五郎や大心地先生、法水麟太郎、花堂弁護士、隼お秀といった戦前活躍した名探偵たちと比較して、無個性なことこの上ない。一応、その出自は第一作の『デパートの絞刑吏』に、「嘗ては某映画会社の異彩ある監督として特異な地位を占めてはいたが、日本のファンの一般的な趣向と会社の営利主義とに迎合する事が出来ず、映画界を隠退して、一個の自由研究家として静かな生活を送っていた」と紹介されている。
 なんとなく五所平之助あたりをモデルにしたのか、と思われるような記述である。これだけを読むとちょっと面白そうなんだが、残念ながらこの経歴が事件やその捜査において全く活用されない。あとの事件では、ファイロ・ヴァンス的衒学趣味を振り回すだけの、鼻持ちならない、定番の探偵像に成り下がっている。
 扱う事件もそれほど面白味がない。『デパートの絞刑吏』は、墜死した死体に無数の擦過傷があったのはなぜか? というのが謎なのだが、これは舞台となった場所を考えればすぐに判明する。やはりトリックとしてはイマイチである。
 ほかの作品も大同小異で、わずかに最後の事件である『あやつり裁判』が、異なる裁判に出没する謎の女の姿を、裁判所の廷丁(こづかい)の語りを通して軽妙な味わいで描出しているが、これとてもその結末はたいしたことがない。
 概して青山喬介シリーズ、面白くないのである。
 しかし、彼が登場しない『とむらい機関車』『雪解』『坑鬼』の三作には唸った。謎が提示され、それが合理的に解かれるという定番に則っているとは言いがたいが、粉飾の少ない文章の行間に漂う情感は後の松本清張に通じるものがあるのではないか。
 中でも『坑鬼』はまさしく本短編集中の白眉だろう。
 海底鉱山で起こった爆発事故。今しもそこで働いていた夫婦のうち、妻は命からがら坑から這い出たが、側に夫の姿がないことを知り愕然とする。しかし坑は監督たちの手によって、閉ざされてしまった後だった。
 その直後から起こる連続殺人。閉じ込められた男が生きていて、復讐を図ろうとしているのか?
 ドンデン返しにムリがなく、ラストシーンにもリアルな現実を背景に、なんとも言えぬ情感が漂っていて、一編の映画のようだ。掲載誌を見てみると、いつもの『新青年』ではなくて、『改造』。必ずしも探偵小説専門誌とは言えない同誌に執筆するにあたり、本格派としての気概を見せようと意気込んだものか。これだけの作家がたかが戦争のために露と消えたのかと思うと、残念で仕方がない。
 大阪圭吉が没してもうすぐ60年になる。しかし、彼の作品は文庫化され21世紀に蘇えった。戦前の幻の探偵作家たちの中には、まだまだ鉱脈が埋もれていると思うのである。

2001年10月10日(水) 新番レポート復活!/アニメ『テニスの王子様』&『ヒカルの碁』第1話
2000年10月10日(火) 失敗合戦と治らないケガと異父兄妹と/『ムーミン谷への旅 トーペ・ヤンソンとムーミンの世界』


2002年10月09日(水) また騒ぎ方が違うんじゃないかって話/『青少年のための江口寿史入門』(江口寿史監修)ほか

 一昨日から続いている下痢血便のせいか、感覚が磨耗している。
 いや、仕事はしてますよ、それなりに。でもちょっと仕切り直ししないと、週末までカラダが持ちそうにないのだ。仕事中も気がついたら意識が飛んでいるのである。ここんとこ熟睡も出来ないしどうなっちゃうのか。
 エアーベッドが何日か前から空気が抜けてへにょへにょになっている。一度しげに空気を入れてもらったのだが、またすぐにへにょへにょになった。どうやらどこかに穴が空いてるらしいのだがどこかよく分らない。
 しげに「空気入れて」と頼むが、「あんたが乱暴に踏むからやん!」とまたまたニベもない。最近とみに険悪だなあ。
 しかたなくへにゃベッドに沈みこむが、すぐケツが床にぶつかる。そんでもって、カラダは両脇から押しつぶされているので、頗る寝ごこちが悪い。ふと、愛されてないんだなあ、と一人ごちる。泣きたくなる自分がつくづく馬鹿なのだよなあと思う。全く、自分で自分を落ちこませてどうするか。感覚の磨耗、と言うよりは、やはり疲れてるんだろう。


 世間の出来事についても「あ、そう」くらいの思いしかないので、たいして書くことがない。
 ノーベル化学賞を島津製作所の研究員・田中耕一氏ほか3人が受賞。昨日、小柴昌俊・東京大学名誉教授が物理学賞を受賞したのに続いて、2日連続、日本初のダブル受賞、日本人の受賞も3年連続と、いささかマスコミもはしゃいでいる様子。去年一昨年の受賞はそんなに騒がれなかったような気がするが、やっぱり「無名の技術屋さんが受賞した」と言う「物語」が日本人好みだったってことなんだろう。
 なんかこの騒ぎ、いつかどこかで見たなあ、とデジャブーを感じたのだが、毛利衛さんが宇宙飛行することになった時の熱狂ぶりに似てるのだ。田中さんのどこか「普通っぽい感じ」「庶民らしさ」がクローズアップされるあたりがそっくりだと思うんだがどうだろう。小柴氏と比較されるからなおのことその印象は強まるし、授賞発表に作業着で来たことも得点が高い(なんの特典だよ)。
 毛利さんフィーバーのころも向井千秋さんはやや置いてきぼりの印象があった。田中氏の受賞で小柴氏の受賞が霞んでしまってることを考えると、どうもこの騒ぎ、素直に喜べない。「庶民派」の標榜が、権威的なものを引き摺り下ろしたい、日本人の僻み根性の裏返しになってる点も確かだからだ。実際には田中氏の受賞理由の「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」なんて、庶民の研究とは思えないのだけれど。「新薬の開発やがんの早期発見に道を開いた」とのことだが、理系の人間でもない私には具体的なイメージはちっとも湧いて来ない。まだしも小柴氏のニュートリノの研究のほうがSFにやたら出てくるだけに身近に感じちゃうのだが(実際には無害なのに有害物質のように扱われたりしてるけどさ)、世間一般の感覚じゃ、ニュートリノのほうがわけわかんないんだろうなあ。
 今日になって、小柴氏が東大卒業した時の成績が「ビリ」だったとか(成績は悪かったらしいが、ホントはビリだと特定はできないらしい)、「庶民派」報道がヤラセっぽくされているのには苦笑する。
 人は、「常識」という物語に従って行動する。それは悪いことではないし、そうして生活するしかないのだが、他人を自分の物語のワクになんとか入れこもうという行為そのものは、たいていの場合、その対象となる人間にとっては迷惑なことこの上ない。称賛の形を取ってはいても、それは結局、緩やかな差別であり偏見なんである。言い返れば偏見と差別によってしか人は関係を持つことができないのだが(だから「差別をなくそう」という言質はかえって人間否定になっちゃうのである)、かと言って、それを露骨にやられるのはやはり醜悪だ。
 「田中さんってこんな人」なんて報道、別に私ゃ知りたいとも思わないのだが、日頃プライバシーにうるさいマスコミが、やたらと田中氏の日々の生活ぶりを提供しようとするのは、これまで「異界の住人」であった田中氏の存在を、咀嚼し「こちらの住人」にムリヤリ取りこもうとする作業でもある。今は受賞の喜びに浸っているであろう田中さんが、後々周囲の「思いこみ」や「決めつけ」でかえって研究がしにくくなるような事態にならなければいいのだが。


 外食する余裕がなくなってきたので、マルキョウでおかずを買いこんで、晩飯はおかかと高菜のお握り、いかゲソの唐揚げ。糖尿だからだいたいはこの程度の食事で充分なのである。いつもやっぱり食いすぎてるよなあ。 


 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵アイドル』10巻(小学館/ヤングサンデーコミックス・530円)。
 表紙がアキラのウェディングドレスだったからてっきりこれで完結かと思ったらただのコスプレでした(^_^;)。10巻って、『たとえばこんなラブソング』に並んじゃったよ。人気あるのかこれ(買ってんじゃん、おまえ)。
 ああ、けど10巻記念サービスのつもりか、いつも以上に巨乳度高いぞ。担当は主に莉奈とゆかり。やたらとこの二人のチチに室戸警部や清春が顔を埋めるシーンが多いが、嬉しがる読者いるのか。ヤング誌のくせにオールヌードにならないし(そういう問題か?)。
 トリックもなあ、既にトリックと言えないくらいチャチっつーか、警察がそんなこと気がつかないわけないやん、てなレベルのものばかりだしなあ。
 「お見合いトラブル編」も「お料理対決編」もそうだが、あんな自分が犯人だとバレるような状況でわざわざ事件を起こす不自然さが全く説明されてない。通りすがりに見せかけるとか、相手が一人のときに殺して逃げるとか、そっちのほうが足がつかない可能性が高かろうに。
 だから、ミステリの本道はどうしたってアリバイ崩しになるんだけど、みんな密室とかそんな何パターンしか解決の仕方がないものに拘るからねえ。はっきり言っちゃえば、密室ネタは全てポーの『モルグ街の殺人事件』とルルゥの『黄色い部屋の謎』の変形でしかないのである。よっぽどブラフのうまい人じゃないと、密室モノに手を出しちゃいかんよ。横溝正史だって、『本陣殺人事件』以外の密室モノは『悪魔が来りて笛を吹く』はやっぱり『モルグ街』だし、『悪魔の降誕祭』は『黄色い部屋』だ。
 ヘボミステリーはたいていここがダメなので、「館」ものや「島」もの(限定された場所に人が呼び寄せられるパターンね)の大半が失敗作になっちゃうのはこの点に原因がある。クリスティーの『そして誰もいなくなった』が傑作なのは、犯人も××××××からで、それ考えると、ミステリの秀作を書くことがどれだけ難しいかはわかろうと言うものだ。
 館モノの一番合理的な解決は、実は一番安易な「隠し部屋の中に犯人が潜んでる」ってことになっちゃうので、ミステリをよく知らない人間はあまり手を出さないほうがいいのだ。
 まあ、『なん探』読んで感心したり、トリックや犯人の見当がつかない人は(トリックがへボすぎてかえってわからなかったという人を除く)、間違っても自分のことをミステリファンだなどと呼称しないほうがよろしい。
 ……だったら買うなよ、オレ。やっぱりチチに惹かれてるのか?(でも好みはアキラなんだけどなあ)


 マンガ、江口寿史監修『青少年のための江口寿史入門』(角川書店・1050円)。
 二日続けてえぐちを読む。また楽しからずや(^o^)。って、彼の新作が同時に読めるなんて、20世紀、21世紀を通じて初めてじゃないか。
 と言っても実は中身は再録が殆どで初単行本化はちょっとだけなんだけどね。
 やっぱり『怪獣王国』は何度読んでも面白く、我々の世代にビンビンと来る。「放射能怪獣コチラは、鉛怪獣アチラに弱い!」別に敵が鉛だからって勝てるとは限らんと思うが、このヘンのいい加減さが既に怪獣ものの秀逸なパロディになってるのである。もちろん、コチラのデザインはゴジラもどきでアチラはアンギラスなのだが、これがまたアチラが勝っちゃうんだよな。やっぱりゴジラよりアンギラスファンって、結構多いんじゃないか。全く、どうして『GMK』は(以下略)。
 新作の『岡本綾』は、映画『飛ぶ夢をしばらく見ない』に取材しているが、短いページの中で、若返って行く老女を見つめる家族の温かいまなざしを切なくさりげなく描き出した佳作。婆ちゃんがトシ取ってる時も若返った時も、ずっとボケたまま、というのが秀逸だ。我々は世界の変化をただ静かに見つめて行くしかない。その孤独が、しかし孤独ゆえにそこに「繋がり」を見出す冷たくかつ優しい視線がリアルなのである。
 江口作品のギャグとシリアスの両極を見ることができる点で、これはまさに入門書だ。でも、出口はどこなんだろね(^o^)。

 江口寿史の「弱さ」というのはやはりコマ割りが70年代でストップしちゃってるからではないかと思う。と言っても、あれだけ尊敬を表明してる手塚治虫の影響は少なく、ちばてつやの『あしたのジョー』の初期あたりか。ともかく斬新さを全く狙わず、四角四面でコマ間も広く、単調なのである。作品によってはそのコマ割りを崩した方が効果が上がると思われるのに、あえてそれをしない。
 シリアスものになるとこれは特に顕著で、『くさいはなし』も『岡本綾』も、秀作ではあるのだけれど、あと数ページあれば、もっと味わいが出たろうになあ、と惜しく思う。
 でも、おそらく江口寿史は、「コマの進化」ということをあまり信じてはいないのだ。戦前の田河水泡の『のらくろ』のような舞台の書割り的なコマ割りが、宍戸左行の『スピード太郎』を経て、手塚治虫の『新宝島』に結実していく過程を、一般的にはコマの複雑化と、映画化ととらえるのだけれど、更なる進化を試みた石森章太郎をおそらく江口寿史は「流行に乗ったモノ」としか見ていないのではないか(ファンであるとは思うけど)。それは比較的コマに工夫のある『恋はガッツで』をあとがきで「今見ると古い」と自分で言っていることからもわかる。
 流行の追随はヘタな模倣にしかならない。それはわかるのだが、江口寿史の停滞はは、結局、彼の作品を古くしていっているように思う。結果が同じなら、もっと「実験」してみてもいいのではないか。……とかなんとか言ってると江口さん描かなくなるんだよなあ。ホントに、こういう人はそっとしておいてあげるしかないんだろうか。

2001年10月09日(火) 探偵小説ネタ多し。ついて来れる方、求む/『死神探偵と憂鬱温泉』(斎藤岬)ほか
2000年10月09日(月) 女って癒してもらう対象ではないよな/『鉄槌!』(いしかわじゅん)ほか


2002年10月08日(火) 妬み絡みがせからしか/『キャラ者2』(江口寿史)ほか

 風呂場を覗いてみると、洗面器が置いてあって、私のパンツが水に浸してある。しげが私のパンツを汚してしまったせいなのだが、なんだか私が血を流してるみたいで妙な気分になる。それは別にいいのだが、しげの場合、こうして浸したパンツをそのまま1週間も2週間もほったらかしにしておくのだ。洗う気があるのか。血が取れる以前に、ゴムは伸び切りパンツはぶかぶか、二度と履けぬただのヌノキレと化す。だいたいしげは私よりケツがデカイのだから、履かれた時点でダメになっちゃいるのだが。
 だからオレのパンツ履くなって言ってるのに。自分の下着つけてるときも、何日も同じの着るし、これで食料関係の店に務めているのだから、職業意識がないと言われても仕方あるまい。
 酔客に「へっへっへ、おねえちゃん、今日のパンツ何色?」と聞かれて「うーん、今日はもう三日も履きっぱなしだから茶色と赤と黒のブレンド?」とか答えられたらシャレにならんぞ。はよ洗え。


 そのしげ、また朝方寝腐って起きて来ない。なんだか脳天を蹴飛ばしてやりたくなるが、体力の無駄なのでやめる。ちょっと前、ぴんでんさんから「もう少ししげちゃんに強く当たったらどうですか?」とアドバイスを頂いたが、強く当たって、ヒステリー起こされて、せっかく買ったDVDだの本だのを焼き捨てられたらどうするんですか。私は人質に囲まれて生活してるんである(+_;)。


 『ダ・ヴィンチ』の今月号で、呉智英氏が田中圭一の『神罰』を取り上げている。奇妙なことに、その手塚治虫の模写を基調とした田中さんのスタイルには一切触れず、ただひたすら収録作品の一つである『局部くん』(これもまた手塚模写によって成り立っている)の特異性について称賛するのだ。
 マンガの進化はここまで来た、と手放しの誉めようなのだが、局部を擬人化したネタなんて、小学生の男の子の90パーセントが思いつくと思うんだが、呉さんには子供時代というものがなかったのだろうか。いかにもなさそうなとこが怖いが。
 絵柄にとらわれて、作品の本質を見誤ってはならない、ということを言いたいのかもしれないが、マンガのストーリーやテーマは絵と不可分である。あれは手塚さんの絵だから笑えるのであって、それを無視して批評したって、それは誉めたことにはならないように思うんだが。
 

 しげ、帰りだけ迎えに来るのは昨日と同じ。
 積文館で本を買って、ガストで食事。なんだかえらく喉が乾いていて、フリードリンクを飲みまくる。ビーフスパゲティ、肉がちょっと硬い。
 昨日、リンガーに行けなかったことを謝るが、「私よりトモダチを選んだんやね」とニベもない。
 「いや、こうたろうくんも謝ってたよ、『オレが悪かった』って」
 「そうやって友達のせいにするんやね」
 ……どうすりゃいいんだ(-_-;)。
 「今日は店に食べに行くからさ」
 なんとかなだめるが、考えてみたら別に私はしげに悪いことなんかしてないのである。昨日リンガーに行こうかって言ってたのも、確約してたわけじゃないし。こんなことで気を遣うのはバカバカしいよなあ。

 とは言え、これ以上しげを怒らしたくないので、夜、1時を過ぎてリンガーに行く。少しは余計に食べてやらないといかんかなあ、と思ってチャンポンのほかにチャーハンも頼んだのだが食いきれずに残す。少食になっちゃったなあ。大学時代はドンブリメシ七杯食っても平気だったもんだが。  


 『ドラゴンHG(ハイパーグレイド)』第6号(角川書店・1000円)。
 さあ、この雑誌もそろそろ厳しくなってきてないかなあ。『ももえ』は終わるし『ダーティペア』は減ページくらってるし、なにより吾妻ひでおの『すくらっぷ学園』がいつの間にか連載になっている。『土ワイ4』と『マリアナ伝説』、二作ともはっきり言ってどんどんつまんなくなってきてるので、『ももえ』切るより、そっちの方を打ち切って連載入れ替えてったほうがいいと思うけどなあ。


 マンガ、江口寿史『キャラ者2』(ぴあ・1260円)。
 あれ? これ、『漫画アクション』から『ぴあ』に連載変わってたんだね。って、一冊分溜まってるってことは随分古い話か。昔みたいに本屋の立ち読みが出来なくなって来てるから、世間の情報にも疎くなってるんである。仕事帰りに本屋に寄れればなあ。しげが絶対いやがるものなあ。やっぱりどう考えても私の方がしげに合わせまくってるんで、少しはしげも譲歩してほしいものである。
 それはそれとして、最近の江口寿史がそんなに面白いかっていうと、まあ一時期ほどではないんだけど、ともかく連載してくれてるだけで往年のファンは満足なんである。
 KSSD(敵組織。なんの敵だかよくわからんが)の正体がようやく判明。どうやらアジア支部長はキ○ィちゃんで、ヨーロッパ支部長はミ○○ィで、アメリカ本部長はミ○○○・○○スらしい。全部シルエットで墨塗りだけど。確かにこいつら日本制服目指してるよな。ウチですら○ッ○ィグッズあるし。
 どうにも理解に苦しむのは、なんであんな異常肥大したネコだのウサギだのネズミだの、見るからにいびつなケダモノを「かわいい」とか言って、女性は身につけて歩けるかってことだ。
 いや、世の女性を全て敵に回すつもりはないから、彼女たちがキャラ者たちに洗脳されてようが、それについて文句は言うまい。問題なのは、日頃女っぽく見られたがらないしげが、○ッフ○グッズを買いたがるその神経だ。血ィ流すのよりそっちのほうがよっぽど恥ずかしくないか。新井素子のようなSF者なら、ぬいぐるみを集めたりしててもそれ自体SFだったりするが、おまえ、しげだぞ。おまえとミッ○○の組み合わせって、ホラーがやりたいのか。
 そんなおぞましい行為に明け暮れていながら、オタクがグッズに走るのをうざったがるのは人としてどうかと思うが。西原理恵子の潔さを見習ってほしいものである。
 ってまたマンガの内容に触れてない(^_^;)。でも、たいして中身ないしな、このシリーズ。実際、プックンとKSSDとの抗争は1巻の時に比べると殆ど描かれなくなった。38歳の女子高生コスプレイヤーが出てきたり、昔なつかし『進め! パイレーツ』の犬井けんたろう、九十九里吾作、粳寅満次が出て来たり。ちょっと楽しいギャグはあるけど、「江口寿史は面白いんだぞ!」と力説できた往年の輝きはもうないからなあ。でも今更『ストップ!ひばりくん』の族編描いてはくれないだろうしなあ。
 ヘタに消えてないだけに、この低空飛行はちょっと寂しいのである。

2001年10月08日(月) これは戦争ではない。……まだ。/映画『クイーンコング』/『カムナガラ』3巻(やまむらはじめ)ほか
2000年10月08日(日) V2余燼/映画『X‐MEN』ほか


2002年10月07日(月) ○まみれ観音様(^_^;)/『ヒカルの碁』19巻(ほったゆみ・小畑健)

 なんだか感覚的には東京から帰って一日が経った気がしない。
 日記の更新もしたいのだが、さすがに疲れが澱のように溜まっている。今度の連休でちゃっちゃと片付けないことには、また更新が遅れまくるな。
 しかし、昨日までの日記でも、書き忘れたことがいっぱいあって、補遺を書いておきたい衝動に駆られてしまう。
 あやめさんのカラヤン批判もすごかったなあ。私はカラヤンと聞いて思い出せることなんて、晩年の指揮してる姿をテレビで見たことがあるくらいで、あとはマンガの『オバQ』に関西人の指揮者で「唐やん」ってのが出て来たなあとか、その程度のものなので、全くついていけなかったのであった。クラシックも嫌いではないのでCDも何10枚かは持っているのだが、どちらかと言えば演奏者や楽団の方に気が行っていて、指揮者の方はあまり気にしていない。そのうち、そういうところもあやめさんにレクチャーしてもらおうかな。
 けれど、さすがにこうたろうくんに誘われて『エクセルサーガ』をデュエットさせられたことは恥ずかしくて書けないのであった。って、今書いたら意味ないじゃん(^_^;)。
 

 しげ、またもや朝寝して、車送りしてくれない。
 やっぱり一人残して東京に行ったんで怒ってるのかなあ、と思っていたのだが、そのわけは夕方になって判明した。

 しげ、迎えに来た車の中で、いきなり「スーパーに寄らねば」と言い出す。
 「買い物?」
 「うん、ウィスパー買うと」
 しげの外見、あまり女々したところがないのでふと忘れがちだが、これでもお赤飯を炊いた経験はあるのである。でもその手の話題を私に振ることは滅多にないので、いったいどうしたのかと思っていると、「いやあ、昨日はびっくりしたよ」と言う。
 「何が?」
 「仕事してたらね、いきなり血がズルッと流れてきたと」
 「……はあ」
 「いやあ、すごかった。流れるとかそんなんじゃなくて塊がヌルッと」
 「すごいって……今まで血を流したことなかったわけじゃあるまいし」
 「いや、あんなのは初めて。もうパンツ血塗れ」
 「血塗れってなあ……予兆とかそういうのなかったんかよ」
 「だっていつもは全然少ないんだもん」
 「パンツ、ちゃんと洗ってるんだろうな……って、ちょっと待て」
 「なに?」
 「おまえ、誰のパンツはいてる?」
 「あんたの」
 「なんで人のパンツ履くんだよ! あれだけ履くなって言ったろ?!」
 「だって男もののパンツって、前が分厚くてちょうどいいんだもん」
 「だからって血塗れにするなあ!」
 「大丈夫だよ、洗って返すから」
 「洗えばいいってんじゃないんだよ! 乾いたあとゴワゴワになるんだよ! ……って、まさか今もおれのパンツはいてるのか?」
 「ふふん」
 「ふふんじゃねー! またオレのパンツ汚す気かっ!」
 「笑わかさんでよ、また出るやん」
 「出すなよ! ふざけたことやってると日記に書くぞ!」
 「いやん」
 「なんだ、おまえでもやっぱり恥ずかしいか?」
 「だってオレが女だってバレるやん」
 「女じゃねーのかおまえはっ!」
 台本が上がってないのにあまり怒ったような素振りがなかったのは、こういうわけがあったからなのだな。
 ……ともかく、「書いていいよ」と許可が貰えたので、こうして書く。全く、恥があるんだかないんだかわからんやっちゃ。


 そのまましーじゃっくでスシを食って帰宅。
 しげの働いてるリンガーハットに、先輩で横溝正史のファンの方がいらっしゃるそうだ。金田一はなんと言っても古谷一行、と仰っているそうで、そこが私と趣味の違うところなのだが、横溝正史作品は殆ど読破されているとかで、結構筋金入りらしい。なんだか私に興味を持っているとのことなので、じゃあ、お客さんが少なそうな12時過ぎにお邪魔しようか、となんとなく相談していた。
 早めに寝たのはつまり夜更かしするためなんだが、ちょうどそろそろ出かけようかと起き出してきた時、電話が鳴った。
 東京のこうたろうくんからである。
 「今、ヨナさんとこのチャットがすごいことになってんだよ」
 すごいというのが何なんだか分らないが、ともかく慌てて覗いてみると、こうたろうくんのほかにヨナさん、BobyZさん、GUINさんが集っておられる。
 某サイトで知り合った方々なのだが、とある事情でここしばらく疎遠になっていたのである。別に疎遠にしたいわけではなかったのだが(^_^;)。
 なんだかよく分らないうちに姿を消してしまっていたので、顔を出すのもちょっと憚られたのだが、みなさん、なんの屈託もなく言葉を交わしてくださったので、ちょっとホッとする。東京でお会いできなかったのは残念なのだが(もっともGUINさんはアメリカ在住なのでお会いできるはずもないのだが)、BobyZさんなどは前日、光文社の前まで行かれたそうである。なぜ前日なのかはよく解らない(^o^)。
 12時を回っていたので、あまり長くは話せなかったが、どなたも「とある事情」について詰問されなかったのには助かった。話せないわけでもないのだが、話したあとのトラブルを思うと、まことに頭が重い問題なのである。みなさんオトナであることだよなあ。私も数年経てば、ここに書いたとある事情がなんだったのか、すっかり忘れてしまっていることだろう。
 チャットのあと、すぐにこうたろうくんから電話がある。
 腹をコワしていたので、子機を使ってずっと便所に座って会話。尾篭なことである。


 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健漫画『ヒカルの碁』19巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 第2部開始記念、ということでか、折りこみでロングポスターつき。
 メインのヒカルはどうでもいいが(^^)、あかりちゃん、すっかりオトナになったなあ。これならそろそろ私にも守備範囲……って、何のだ(^_^;)。それにしても越智が異様にかわいいな、このイラスト。越智って、記録上はヒカルの遥か上を行ってるのに、どんなに頑張っても現実的にはナンバー2って立場がすごくかわいそうで、ついヒイキにしたくなるのである。雑誌連載の方ではもっとかわいそうなことになってるしなあ。
 本編の方は、対韓国戦を睨みつつ、かつて登場して来たキャラが次々とヒカルに立ちはだかって行く展開。あの卑劣な御器曽プロが意外にいい顔したりするあたり、小畑さんの作画に対する自信も伺える。門脇さんとの対決とを、伊角×桑原本因坊戦と平行して見せるのもいい演出だ。
 第2部に入っても、その勢いはいささかも衰えがなさそうだ。

2001年10月07日(日) 新番紹介お休み・有朋自遠方来/映画『陰陽師』ほか
2000年10月07日(土) V2/ムック『本多猪四郎全仕事』ほか


2002年10月06日(日) 再見、東京/『ガンダムSEED』第1話ほか

 5日の日記の続き。

 ヨナさんご案内で、いよいよペルシャ料理店「ZAKURO」に侵入。
 いや、ホント、「侵入」と言ったほうがいいような雰囲気なのだな、これが。
 ビルの奥の狭い階段を降りて行くのだが、これで重くて厚いドアでもあれば秘密クラブと言っても通りそうだ。
 入るなり、狭い入口で靴を脱ぐ。横の棚には安孫子素雄が見たら変コレクションに入れたくなるような、民俗衣装を着た占い師のようなオバサン人形が、ドデンと置いてある。背丈は50センチ以上はあり、目の高さよりも上にあるので、なんだか威圧されてるみたいだ。
 ペルシャ人だかトルコ人だかの店員さんが、流暢だがいかにも怪しい外国人、といった口調で「イラサイマセー♪」と案内してくれる。
 床は絨毯敷きでこれもいかにも雰囲気は魔法の絨毯。そこに2メートル四方ほどの板が置いてあって、ここで胡座をかいたまま食事をせよ、ということのようだ。
 いつもなら、どんなメニューが出たのかこと細かく書くところだが、何しろ謎の料理が多すぎて、品名が全く解らない。ナンくらいはわかるのだが、あの肉は鶏か羊か牛肉か、いったいなんだったのだ。美味かったけど。
 ともかく、次から次へと料理が出る。そのたびに喉が乾いてお茶を飲む。別に注文しなくても、怪しいペルシャ人がわんこそばのごとくお茶を注ぎに来るのだ。なんだかさっきから「怪しいペルシャ人」とヒドイことを書いてるが、本人が「私、怪しいペルシャ人ねー」と言ってるのだからいいのである。なんか時々「オーマイゴッド!」とか言ってるし。イスラムじゃねーのか、お前。

 あぐさん、4月にお会いしたときには『クレヨンしんちゃん』話が存分にはできなかったので、今回は肝に銘ずるところがあったらしい。なんと差し上げた同人誌『オトナ帝国の興亡』を持参してこられた。
 こうたろうくんが冷やかして、「サインしたら」とか言うが、作家でもないのにそんな恥ずかしいことができるか。既にこうたろうくん、そうとう酔っているのである。
 小説を書いた時の裏話などをご披露するが、そんなことより、もっと『オトナ帝国』や『戦国大合戦』について熱く語ればよかった、と、あとになって反省。
 それにしてもあぐさんのオタク精進ぶりはすごい。
 いくら私やこうたろうくんが「『クレヨンしんちゃん』はすごいよ!」と口角泡を飛ばして語っても、実際に映画館まで足を運ぶ人間はごく稀なのだ。
 それをあぐさんは、『戦国大合戦』を堂々と見に行ったばかりでなく、更にもう一度、今度は大学の仲間も総勢8名引きつれて、見事に全員を感涙させ、それどころか「クレしん映画」全作をビデオで借りて制覇しちゃったのである。
 あまつさえ(もう接続詞も思い付かんな)黒澤明の『隠し砦の三悪人』まで見たというのだから、果たしてこれは夢か幻か。オタクに偏見がなくって、しかも優しくて美人で、あぐさんをして「オタクの天使」の称号を与えることに異存のあるものはなかろう。
 独身オタクなら、この話を聞いて、思わずストーカーしたくなるかもしれないが(おいおい)、こんなスバラシイ人がほっとかれてるはずがない。残念ながら既に彼氏持ちなのである。その彼氏さん、今日は「濃い話についていけないかも」とご出席を辞退されたようだが、もし来られていたら「こんなステキな人をヒトリジメしやがって」とフクロにされていたであろう。 つくづく残念なことだ(^o^)。

 あやめさん、7時を回ってやっと合流。
 なんだかこの間お会いしたときよりお若くなってる気がするなあ。いやもう、かように凛々しく美しいヤマトナデシコを奥さんに持てているとはヨナさんもやっぱりフクロにせねば(^o^)。
 髪をミツアミにされていて、印象は早乙女乱馬である。もちろん女のほう(^^*) 。この方も見た目は楚々たる美人なのだが、やっぱり今まで戦っていたらしい。巴御前か。
 「走ってきたら7分でついた!」
 元気だなあ(^o^)。
 あやめさんの職場、この店から近いそうだが、実際、電車を利用するよりも足で来た方が早いようだ。東京は路線が縦横無尽に張り巡らされているが、ひと駅ひと駅の区間は短いので、こういうこともよくあるのである。何かミステリーのトリックに使えんかなあ、と漠然と考える。いや、応募するわけではないけど(^_^;)。
 食事も相当食べていたので、あやめさんの食べる分はあるだろうかと考えていたが、それからもまだまだピラフだのなんだのと食事は出て来るのであった。

 博多のお土産で、あやめさんには「明太子くん」のペン(おみくじつき)を差し上げる。このキャラ、今、某明太子会社が密かに博多で流行させようとしているのだが、全然知名度が低い。なんたって、明太子だからって、赤いだけのキャラである。こんなもん貰っても嬉しくもなんともなかろうが、私のプレゼントのコンセプトは、「ウケ狙い」、もとい、「相手が捨てても構わないようなものをやる」(「粗品」ならそうあるべきだよな)ことなので、これでいいのだ。
 なのに、あやめさん、「職場で使う」とのたまう。ヘンな人に見られなければいいけれど(^_^;)。

 無知な話で申し訳ないのだが、店の名前の「ZAKURO」、これはもちろん「柘榴」の実のことだが、原産地がペルシャであることを初めて知った。イスラムとかペルシャについては全くと言っていいほど解らない。
 だから、ヨナさんたちの語るイスラムの話が、聞いていて実に面白い。
 ヨナさんご夫婦は20世紀の終わりにご旅行でエルサレムまで行かれたそうだが、あちらには日本人の観光客は殆どいないそうだ。「外国に行って“Japanese?”と聞かれない唯一の土地です」とは、言い得て妙。たいてい中国人か韓国人か、と聞かれるらしい。日本人の海外旅行というのは結局はただの「買い物」で、アチラの文化に本気で触れたいなんて気はサラサラないのだなあ、と実感。その点、ヨナさんたちはすごいものである。「20世紀のうちに行かないと危ないと思ったから」という情勢判断も的確である。
 ペルシャやトルコのほうは、イスラムでも結構アバウトな方だそうだ。戒律だの風習だの文化だの、そのあたりを厳密に気にしてたら、確かに国際交流なんてできるものではあるまい。この店の怪しさはアバウトな怪しさでもあり、だから落ちつくのだろうな、と思う。

 この店のメダマ、水煙草の回し飲み。煙草と言ってもニコチンは全くないとのことなので、私も飲んで見る。
 あぐさんのチョイスでパイナップルのスティックを選んで、これを吸い口に差して一口、二口吸う。確かにパインの匂いが口内に広がるが、咽るほどではない。こうたろうくんは奥さんとの約束だとかで吸うのを固辞したが、もし吸っていたらとても気持ちよかったことであろう(^o^)。あぐさんはちょっと咽ておられた。
 考えてみたら、「煙草」と名のつくものを飲んだのは生まれて初めてである。副流煙に悩まされて、タバコなんてついぞ美味しいものという認識を持ったことはなかったが、こういう「回し飲み」はいいものだなあ。『ピーターパン』のワンシーンを思いだしたね。
 私がタバコ飲みを嫌ってたのは、携帯電話が傍若無人なのと同じで、公共の空間に私的な空間をムリヤリ持ちこむ無神経さがイヤだったのだなあ、と実感する。世間の愛煙家さんたち、若者の携帯に目くじら立てなさんなよ、あんたらのやってる行為もそれと変わらん。


 9時を回ったので、今度は御徒町まで山手線で移動、「パセラ」というカラオケボックスに入る。つい「銀座ーのパッセラー♪」と歌いたくなるな(それは「パキラ」)。
 ヨナさんお勧めの通り、収録曲数が半端ではない。特撮とアニメだけで別冊があるのである。ここで歌わずして何のために生きて来たというのか。
 このときのためにと、『サンバルカン』をかけて『愛国戦隊大日本』を歌うが(本編見たことないのに)、ヨナさんたちはともかく、あぐさんまでしっかり『大日本』を知っていたのは驚いた。『ヤマト』や『ガンダム』はおろか、『Z』にだって間にあってないはずなのに(オレたちが大学生でウダウダしてたときに生まれてんだよ、どう思う? こうたろうくん)、なんでそうマニアな曲を知っているのだ。こんなことなら『共産戦隊ダイロシアン』も歌えばよかった。
 こうなるともう、五人で歌の取り合いである。
 ヨナさんには『やあ。』を取られた(^_^;)。あ〜るくん好き、山本正之好きのしげがそこにいたら、狂喜したであろう。こうたろうくんも『オレンジのダンシング』を歌えて、生きててよかったと泣いている。
 なにがもう感動したかって、あやめさんが『薔薇は美しく散る』を歌ったときである。あやめさん、リキを入れたか、ミツアミの髪を卸して美しさ4.5倍増し(髪を卸す前がよくないということではなく、そういう行為に男は弱いのである)、高く伸びのある声が私の耳を直撃する。それどころかあぐさんも隣で口ずさむものだから、このお二人の気高く凛々しく美しい声がステレオ効果(T∇T)。
 ……「至福」とはこういう瞬間を言うのであろう。つくづくヨナさんとあぐさんの彼氏さんを簀巻きにして(以下略)。

 河岸を変えて、また歌いとばす。
 とてもその過程の全ては書ききれるものではないが、いかに我々がドーパミン大放出であったかは、気がついたら午前○時になっていた、ということでご理解いただけよう。実際、そこまで自分の体が持ったのが不思議なくらいだ。もしかして私、健康体なんじゃないのか(^_^;)。
 でもまだまだ歌いたりなかったなあ、と思うことしきり。あの曲もあの曲もまだ歌っていない。更にあの三倍は歌いこますことも可能である。それはヨナさんご夫婦も、こうたろうくんも同じであろう。あぐさんだけは「そろそろネタが尽きました〜」と最後はネをあげていたが、我々、なんとかここで年の功を見せられた格好である。
 っつーか、いくら偏見がないとは言え、徹夜カラオケマラソンなどというバカな行為につきあわせてしまって、あぐさんには申し訳ないことをしてしまった。オトナとしての自覚が足りなかったなあ、と反省。これに懲りて、「アニメも特撮ももう見ない」などとあぐさんが言い出さないことを祈るばかりである。

 うっすらと空も明るい。
 駅前でヨナさん、あぐさんと別れたが、名残惜しいことこの上ない。
 土産まで頂いたが、こちらがたいしたものを用意してもいないのに(食事やカラオケだって、殆ど奢られた)、申し訳なくてし方がない。今度上京するときには、もちっとマシなものを土産に持って行かねば、と思う。もちろん、今度は絶対しげも連れて、あの怪しい店にも行くのだ。

 タクシーを捜しながら、ふと呟く。
 「なんて気持ちのいい連中だろう」
 どうやら私も大切なものを盗まれてしまったらしい。



 ここから6日の日記。
 こうたろうくんの家で数時間の仮眠、9時に起床。
 朝食をご馳走になるが、そのときにようやく奥様、二人の子供さんにご挨拶。
 録画してあった『ガンダムSEED』の第1話を見せて貰うが、福岡では来週からなのであった。第1話の印象ではファーストガンダムのくどいリメイク、と言った感じ。
 息子さん、小学生なのに「なんでガンダムにプラグがついてんだよ」と早くもオタクぶりを発揮している。そんな教育してていいのか、こうたろうくん(^_^;)。

 10時にこうたろうくんの家を出る。送ってもらうのも、またこうたろうくんのウチの車。毎度毎度、お世話になりっぱなしで申し訳ない。しかもまた土産もらってるし。
 渋滞に巻き込まれることもなく、早めに羽田に到着。そこでこうたろうくんご家族とは別れたが、彼はこれから家族サービスだそうだ。昨日の今日で、体が持つのだろうか。子持ちは大変である。

 空港で時間をつぶすため、『ガンダムエース』と『ダ・ヴィンチ』を買う。
 『ガンダム・ジ・オリジン』は、ガルマ偏と言うより『再会、母よ』編。
 冒頭の水着シーン、乗員たちがいきなり戦闘に駆りたてられたのに、水着を用意してるのはヘンと判断したか、ミライさんもセイラさんも普通のシャツにズボン。露出度低いぞ。でもその分フラウがシュミーズ一枚でがんばってくれてたのであった(何をだ)。

 飛行機、雨のために博多湾上空で迂回。結局、帰着が予定をはるかに超えて午後4時を過ぎた。練習から帰ってきたしげと会えはしたが、もう体力が持たず、そのままあとは翌朝まで爆睡。
 当然、台本は書けていないが、しげの文句を聞くのも翌日に持ち越しである。
 ペルシャのお守りをプレゼントに渡したので、少しは喜んでくれるといいのだが。

2001年10月06日(土) 新番……第何弾だよ/『星のカービィ』第1回/『ヒカルの碁』(ほったゆみ・小畑健)14巻ほか
2000年10月06日(金) 詳しくはコメディフォーラムを見てね


2002年10月05日(土) 東京曼陀羅/「ミステリー文学資料館」ほか

 しげ、とうの昔に仕事は終わってるはずなのに、遅刻の連絡一つない。もう時計は6時を回っている。このままでは飛行機に乗り遅れてしまう。
 シビレを切らして、しげに電話を入れたら、職場でお仲間どうし、駄弁っていたのであった。私を焦らせるイヤガラセか、と思って文句を言うと、しげ、冷ややかな声で「台本上がったと?」。
 大方の予測通り、もちろん台本は上がっていない。それでも東京行きは決行せねばならない。ここは一番、ウソついてでも誤魔化さねばならない。
 「上がったよ……10枚くらい」
 「上がっとらんやん!」
 小心者なのでウソをつききれないのである。
 「話の展開がわかる程度には書いたよ。それでカンベンして」
 なんとか拝み倒して、車で空港まで送ってもらえるようにはなったが、やはりしげの機嫌、頗る悪い。
 「どこまで送ればいいと? 国際線でいいね」
 いいわけない。露骨なイヤガラセである。せめて朝食くらい奢ってやらねばと下手に出たが、ニベもなく断られる。
 「ロビーの売店で朝飯くらい食おうよ」
 「イヤ」
 「いや」の字がひらがなでなく、カタカナである。しかも楳図かずおの描き文字のようにトゲがあるのである。
 しげ、空港前で私を落とすと、こちらを見返りもせず、とっとと車を出してしまう。……明日帰宅してからが修羅場だなあ。
 

 飛行機は日本エアシステム。
 と言っても、ちょうど今日から日本航空と合併したので、窓口にはJASとJALの文字が交互に並んでいる。合併記念で何かサービスでもあるかと思ったが、そんな気配は全くない。不況型の合併だってことがモロにわかるな。
 特にシーズンではないので、飛行機の中はさほど混んでない。というよりガラ透きである。ゴールデンウィークの時とは雲泥の差だ。背もたれのディスプレイで朝のNHKニュースを録画上映しているが、中身は相変わらず拉致関係。被害者の証言と、家族の把握してる事実が食い違ってる、北朝鮮はやはり情報操作してるんじゃないか、という疑惑だが、この期に及んで北朝鮮、まだ隠したいことがあるんかいな。便秘の時の大便のようにキレの悪いことである。おっと、これじゃエロの冒険者さんのウンコネタのパクリだな(^o^)。
 チャンネル変えると、新作映画情報など。北野武監督の新作『DOLL』、映像は美しいが予告編を見る限り雰囲気だけって印象も拭えない。あのうざったい「キタノ・ブルー」とやらはあまり見受けられなかったので、それは好感が持てたが。菅野美穂はマジメな女優さんなので好感持ってるんだが、マジメ過ぎてかえって演技の幅を狭めているように思う。ともかくこれは見に行きたい一本なんだけど、しげの興味を惹くかどうか。
 チャンネルを変えてアニメ『ちびまる子ちゃん・町内の運動会の巻』。断言しても言いが、機内のいいトシしたオトナ(しかいないが)で、『まる子ちゃん』を真剣に見てたのは、私だけであろう(威張るなよ)。もう相当後期の作品なので、たいした毒もなく、さほど面白くない。『まる子』の最大の長所は、あの時代と空間から一歩も動けない(『サザエさん』はトシは取らないが時代は動いている)点にあるので、普遍性を持たせようと一般的なギャグを入れてしまうと、かえってつまらなくなってしまう。鈴木の爺さんが競争中に転んで腕の骨を折って、「人間も骨が折れると痛いから、子供たちも木を折っちゃいけないよ」って、これ、ギャグのつもりなんだろうか。

 今回は定刻通り8時半に到着。
 モノレールで浜松町まで行き、こうたろうくんと改札で待ち合わせ。会うなりこうたろう君「やあ、浅見光彦かと思ったよ」とトバす。四月に東京に行ったときもそうだったが、そんな感じの帽子を被っていたのである。
 内田康夫はつまんないので、本気でコスプレするなら明智小五郎か金田一耕助のコスプレでもしたいとこなんだが、さすがに和服で旅ってのは動きにくい(それが理由かい)。
 のっけから、オタクな会話。
 「山本弘さんの『秘密基地』、またどうでもいい話題で盛り上がってるなあ」
 「『ゴジラ』のやつとか?」
 「今更『どれがベストかワーストか』なんてなあ」
 「所詮、『ゴジラ』は『ゴジラ』なんだしなあ。唐沢さんも『一作目だってB級映画』って言ってんだし」
 「あそこに集まってる連中って、なんであんなに世界が狭いの?」
 「あれだからSFファンが嫌われるんだよなあ」
 どっちがどっちのセリフかは勝手に想像して下さい。結局は同じだし。
 セリフだけ読んでると貶してるように見えるだろうが、「若さゆえの過ち」を微笑ましい気持ちで見ているのである。誤解なきように。


 駅の地下のレストランでモーニングのサンドイッチ。
 こうたろうくん、しげのことを心配して、「怒ってないかい?」と聞いてくる。「怒ってるよ、カンカンだよ」と答える。こうたろうくん、恐縮して、「なにか土産を買って上げないとなあ」と言うが、別にそんな気遣いは無用なんだがなあ。しげは私とくっついてない限り、誰に対しても嫉妬してしまうので、そんなん気にしてたら、とても身が持たないのである。ほっときゃいいのだ。
 食事のあと、電車を乗り継いで要町で降りる。東京の路線は、離れて随分経つので、もうなんだかよく解らん。到着は10時20分。
 目的の「ミステリー文学資料館」は、光文社の一階にあった。
 土曜は玄関のシャッターが閉まっているので、脇から一度地下に降りて、警備員室で名札をもらって一階に上がる。名札をもらう際に記帳をするのだが、前に来館した人が9月28日の日付け。そんなに利用者少ないのか。
 中はきれいだが、図書館というよりは図書室、という感じ。ミステリ関係の資料だけなので、そんなに面積は必要ないのだろう。
 受付で会員登録をする際、こうたろうくんがねーちゃんに「こいつ(と私を指差して)、わざわざ福岡から来たんですよ」とバラす。「わざわざ言うなよ、恥ずかしい」と怒るが、どうせ会員登録の欄に住所は書いてるのだから意味はないのであった。
 横溝正史生誕百年記念展示は、図書室の一角を区切った形で、『八つ墓村』や『仮面舞踏会』の生原稿や、『本陣殺人事件』の掲載された『宝石』の松野一夫のイラスト、遺品の鉛筆や虫眼鏡、各種出版物の表紙や、正史や乱歩をはじめ、探偵作家たちの若き日の写真などを、狭いスペースに押しこんだようにして飾っている。
 執筆の道具と言えば当然万年筆、と思っていたのに、正史ははるか昔から鉛筆で原稿を書いていたようだ。改稿癖のある正史ならでは、という気がする。
 こうたろうくんが正史の写真と松野一夫描く金田一耕助のイラストを見て、「ああ、金田一ってやっぱり正史自身だな」と言う。確かに、写真と比較すると、和服姿の正史の印象は金田一そのものである。そして正史は常田富士男にクリソツなのである。やっぱり映画『本陣殺人事件』のとき、常田富士男に金田一を演じさせればピッタリだったのだ。なんで世間は石坂だの古谷だのって言うかなあ。原作読んでないんだろうな、やっぱし。

 図書室の方に移り、『新青年』や『宝石』などの、昔懐かしき探偵小説雑誌がズラリと並んでいるのを見てクラクラする。
 欠本も多いので必ずしも充実しているとは言いがたいが、それでも現実に戦前戦後期の雑誌にあたれる機会なんて滅多にない。埃に咽ながら、片っ端から目次拾い。
 今回の目的の一つに、徳川夢声の小説を渉猟しようということがあった。カツベン師として有名であった氏の小説を、私は今まで『オベタイ・ブルブル事件』と『ポカピカン』の二作しか読んだことがなかったのだが、先日、唐沢俊一さんが『ポカピカン』を朗読したことを知って、他の作品も読みたくなったのである。ところが、雑誌にあたってみると出るわ出るわ、余芸どころの話ではない、優に全集が編めるほどの作品がゴロゴロと出て来るのである。エッセイも含めればその数は膨大な量になる。とてもちょっとコピーして、というわけにはいかない。そうそうに夢声探索は諦めて、気になる記事や、単行本収録が難しい作品などを博捜する。これはとても1時間や2時間で終わる仕事ではない。こうたろうくんに恐る恐る尋ねる。
 「なあ、いちんちここにいていいか?」
 「俺を誰だと思ってるんだよ」
 頼もしいなあ。
 しげも本好きではあるが、堪え性がないし、自分がほったらかしにされるのが大嫌いだから、一日図書館で過ごす、なんてこと頼んだら、即座にヒステリーを起こされてしまうだろう。ミステリー資料館でヒステリーだなんてヘタなシャレじゃん(-_-;)。
 心置きなく、資料を物色する。残念ながらそれでも時間は足りないので、『探偵趣味』『探偵倶楽部』や『ヒッチコックマガジン』などに手を出すのは断念し、『新青年』と『宝石』のみに絞る。
 戦前の横溝正史編集長時代の『新青年』の編集後記など、乱歩の『陰獣』を絶賛しているのだが、戦後、乱歩が編集した『宝石』では正史の『悪魔の手毬唄』を「ライフワーク」と誉めつつも「『獄門島』に比べて地味」とか書いている。全く、この二人のライバルときたら(^_^;)。こういうのもコピーしたかったのだが、これも量が膨大になりすぎるので泣く泣く諦める。同様の理由で、明智小五郎や金田一耕助のイラストも殆どコピーせず。片岡千恵蔵の映画の影響か、ごく初期から金田一が美青年に描かれているのは新発見であった。
 乱歩が編集長を務めていたときの連載のラインナップがまたすごい。松本清張の『零の焦点』、高木彬光の『成吉思汗の秘密』、横溝正史の『悪魔の手毬唄』、そして乱歩御大の『探偵小説三十年』である。乱歩は自分が編集長になったのに『宝石』がイマイチ売れなくて憤慨していたと言うが、これでどうして売れなかったのか、謎だ。正史がこのころから探偵小説を書かなくなったのはわかる気がする。ラインナップの三番手、清張の後塵を配するような立場では、内心、煮え湯を飲まされた気持ちになっていたのではないか。
 しかし、目次を見ているだけで、時代が見えてくる、当時の雰囲気が伝わってくる。まさにここは探偵小説ファンのメッカであった。

 結局、コピーしたのは戯曲を中心として、単行本収録の見込めないものばかり。それもとても全部は紹介しきれないので、一部だけ。

 モーリス・ルブラン原作・松野一夫画『アルセーヌ・ルパン 古燈の秘密』(『宝石』昭和21年8月号)。
 3ページの絵物語。原作はもちろん『ルパン対ホームズ(ショルムス)』の『ユダヤのランプ』。『新青年』の表紙を飾るモダンなイラストを描いていた松野氏だが、挿絵を描かせると朴訥な絵を多く描いた。そのせいか、フランスはパリを舞台にしていながら、キャラクターは丸っこく、どこかほのぼのとしている。ルパンもショルムスも丸い丸い。もとが四色なので、こういうのはやっぱりカラーでコピーしたかった。

 江戸川乱歩原作・樋口十一脚色『二廃人』(『宝石』昭和23年10月号)。
 これは原作自体が戯曲的筋立てなので、結構面白くなるんじゃないかと思ったが、まさしく原作どおり。ただし、主人公の述懐を原作では心に思うだけなのを、芝居ではいちいちセリフにせねばならないので、そこがどうしても不自然になる。これは役者の力量が問われるところだろう。新国劇で岡秀夫と磐城吉二郎によって演じられたそうだが、出来はどうだったのだろうか。

 横溝正史原作・武田武彦脚色演出『びっくり箱殺人事件』(『宝石』昭和25年4月号)。
 探偵役の深山幽谷先生はもちろん江戸川乱歩。ほかにも木々高太郎、城昌幸、香山滋、山田風太郎、水谷準、大下宇陀児、島田一男、高木彬光と、そうそうたる面々がご出演だが、原作が長編のわりには途中、解説がやたらと入って、時間は意外に短い。やはり文士劇のシロウト芝居で長時間は持たせられぬと判断したものだろう。というか、セリフは殆ど幽谷先生こと乱歩の出ずっぱりである。乱歩の芝居好きの趣味に、ほかの探偵作家が付き合わされた格好か。

 江戸川乱歩・幸田文対談『幸田露伴と探偵小説』(『宝石』昭和32年8月号)。
 乱歩はこの対談のときまで露伴が無類の探偵小説好きであったことを知らなかったようだ。中島河太郎氏の研究によって、今の我々には露伴が『あやしやな』という、黒岩涙香の『無残』に次いで、創作探偵小説を書いていたことも知っているが、当時はまだそういう研究も進んでいなかったのだろう。言っちゃなんだが名作と言われる『五重塔』より『あやしやな』の方がよっぽど面白かった。読んだの随分昔なんで中身は忘れてるが。


 途中、一旦外出して、近所のラーメン屋でつけ麺。こうたろうくんはチャーシュー麺。店員さんの一人がアジアの人らしく、「タマコ、アジツキか、×××××か?」と聞いてくるが発音がハッキリせず、聞き取れない。「タマコ」とは多分、女の名前ではなく卵であろう。伏字の部分が気になるが聞き返すのもなんなので、味付きを頼む。でもちょっとだけだが、店の奥から桜たまこがいきなり出てきて『おじさんルンバ』を歌ってくれたらうれしいのになあ、と思った。バカである。
 つけ麺、腰のある縮れ麺で美味い。タマコの正体はやはり味付き卵であった。日頃九州じゃクソマズなとんこつ白濁ラーメンしか食ってないから、こういうマトモなラーメンを食うと嬉しくて涙が出そうになる。
 つけ麺で食べるとスープはちょうどいい辛さなのだが、それだけを飲むのはちょっと辛くてツラい。蕎麦湯を足してもまだ辛い。けれど、香辛料のそれでなく醤油自体の辛さなので、舌にピリピリ来ることはない。コクのある辛さというヤツである。
 この「辛さ」の点でも、胡椒と唐辛子ブチこんどきゃいい式の九州の某ラーメンは完敗である。福岡人、絶対舌バカになってきてるよなあ。


 待ち合わせは午後6時だが、もう少し時間がある。
 喫茶店でなんだかよく分らない甘いものを飲みながら、こうたろうくんと他人の悪口に興じる。いや、しげのことではありません(^o^)。
 5時を回ったので、少し早めではあったが、またなんだかよく分らない電車を乗り継いで、JR日暮里駅に向かう。
 実を言うと、電車の中で駄弁っていて、駅を二つ乗り越してしまったのだ。なんだかお互い興奮しているのだなあ。けれど時間に遅刻はしなかった。早めに行動しておいて正解であった。
 
 日暮里駅の北口、既にヨナさん、待ち構えておられた。
 わかりやすいように作務衣で来ます、ということだったが、ホントに作務衣だった(^o^)。しまった、それなら私も金田一ルックで来ればよかった(そのうちホントにしてやる)。久闊を叙しながら、全くまたこんなに早くお会いできる日が来ようとは思ってもみず、しばし感動に浸る。
 「ミステリー文学館のあとはどこを回られたんですか?」
 「いや、そこだけです」
 ヨナさん、目を丸くして驚く。そりゃ、半日図書館で本を読むためだけにわざわざ九州から東京まで出てくるようなバカがいようとは思ってもみなかったのだろう。
 「てっきりアキハバラでも回ってたのかと」
 そう言えば秋葉原は以前住んでたときと違ってすっかりオタク街になってるそうだが、もししげと一緒にきてたなら、神保町よりもこちらのほうが楽しめたかもしれない。
 ヨナさんの奥様のあやめさんは、まだ新しい職場で戦っておられるとのことで、遅れて来られるとのこと。あやめさんの日記で、そのあたりの経過の大枠は知っているのだが、果たしてどのような戦いっぷりであるのか。鎧に矢を射られて額に血を流したりしてやってくるんじゃないかとか勝手に妄想。誰にも気付かれないと思って失礼なこと考えるやつである。

 6時ちょうどにあぐさんも来られる。一度お会いしただけなので、私の視力で識別できるかどうか心配していたのだが、杞憂であった。改札口を通る一番かわいい子を探せばよかったのだ。
 「さっきまで秋葉原で『あずまんが大王』探してたけど見つからなかったんです。やっぱり予約しとかないとダメですね」
 全く、オタクの行動というのはどうしてこう似通うのか(^_^;)。けれど、まだ大学生の身で、DVD12800円、消費税抜きを買おうってのは、なかなかの出費のはずだ。これだけでもあぐさんの若年にして既に筋金入りのオタクになりつつある片鱗が見て取れる。
 「『戦国大合戦』のDVDはいつ出るんですか?」
 「多分『オトナ帝国』が売れたら、ですよ」
 「じゃあ、やっぱり買わないと」
 訂正。既に筋金入りのオタクです、あぐさん。「(^^; ) すんづれいしました。
 あぐさんがしげが来られなかったことを残念がってくださったのは嬉しかった。「一緒に、『幻想水滸伝掘戮つまんなかった話、しようと思ってたんですよ」と仰っていたが、人見知りの激しいしげも、あぐさんやあやめさんとなら気が合うように思う。
 しげ自身があまり女性的なものを強く主張しないことが関係しているのかもしれないが、いかにも女でござい、みたいな人とではしげは合わないのである。かと言って、ムリに男に伍するような言質を弄する人もしげは敬遠してしまう。要するに「自然体」な人がしげには一番、気の合う仲間となるのだ。ムリにでもしげを連れて来ればよかった、と後悔。

 店にはすぐに入らず、少し駅前をブラブラする。
 夜の坂道の商店街は、出店もあり、どことなく昔風で懐かしさを感じさせる。
 「ここが谷中の墓地ですよ。向こうの方は猫が多いんです」とヨナさんが傍らを指差す。
 谷中と言えば、どうしたって思い出すのは漱石の『こころ』である。
 市川崑監督の映画では、森雅之演ずる「先生」を、安井昌二の「私」(映画では「日置」と名がつく)が追いかけるシーンを、まさにこの墓地の中で撮影していた。……今ならなかなか許可がおりないだろうなあ。
 少し早めに来て、このあたりを散策してみてもよかったかな、と思う。少し離れたところに、明智小五郎最初の事件の舞台ともなった、団子坂もあるのである。
 すごく顔の整った、映画の子役かと見紛うような男の子がいたのでびっくりしたが、付き添いの父親を見ると外人さんであった。このあたりは昔から、外人さんも多く暮らしていたのだろう。
 しげに土産でも、と思ったが、市場なので、売ってるのは食い物ばかりである。こうたろうくんが冗談で「『ひよこ』でも買ってくか?」と聞く。
 「『ひよこサブレ』は売ってるかな?」と返すが、こうたろう君、ひよこサブレのことは知らなかった。
 「知らない? テーマソングがあるんだよ」
 ついでなんで、全歌詞をご紹介。こういう九州限定のテーマソングというのもちょっと面白いのではなかろうか。

 1,セイウチのサブレは牙が難しい
   タツノオトシゴのサブレは折れやすい
   コウモリのサブレはなんかイヤだ
   やっぱりひよこのサブレにしよう

 2,ヤマアラシのサブレは痛そうだ
   スッポンのサブレは噛み付きそうだ
   ヒトデのサブレは食べたくないよ
   やっぱりひよこのサブレにしよう

 何となく口ずさんでしまう音楽、という点では、九州人には結構頻度が高いと思う。

 長くなったので、この続きは明日の日記で。あやめさん、まだ登場してないし(^_^;)

2001年10月05日(金) 新番第4弾/『クレヨンしんちゃんスペシャル』/『化粧した男の冒険』(麻耶雄嵩・風祭壮太)ほか
2000年10月05日(木) ちょっと浮気(?!)とSFJAPANと/『荒野のコーマス屋敷』(シルヴィア・ウォー)ほか


2002年10月04日(金) 前日の嵐/DVD『あずまんが大王【1年生】』/『HUNTER×HUNTER』15巻(冨樫義博)

 ちょっと体力が尽きかけてきたので、仕事を休む。
 劇団の台本書きもあったので、今日一日で仕上げられるだけ仕上げようと決意するが、午前中はすっかり眠りこむ。
 明日はいよいよ東京行きなので、今のうち休んでるに越したことはないのだが、それにしても自分でも寝過ぎだ。
 しげはいつものように朝、夜と送り迎えをしないでいいので、やっぱり昼過ぎまでぐっすりと寝ている。結局、行動し始めたのは昼過ぎから。


 しげが、私やよしひと嬢が書いた劇団の脚本をホームページからダウンロードできるようにした。穂稀嬢と昼寝る時間も削ってやってきたのが、どうやらようやく実を結んだ形である。
 しかし、昔の脚本(と言っても、せいぜい5年前なのだが。それ以前のやつはお蔵入りである)を読み返すと、「ああ、ここのセリフは無駄だ、ここの展開は不必要」なんてのが露骨に見えてくるのが恥ずかしい。
 それだけ今のほうが上達してるってことではあるが、同時にやっぱり作品ってのは書かなきゃ進歩しないってことがはっきり解る。昔の知り合いに「自分の腕はプロ級」と言ってた奴がいたが、結局、口先ばかりで実作をモノにしようとはしなかった。やはり小説であれ戯曲であれ、書いたり小屋にかけたりしてナンボである。コリクツこねてるヒマがあれば書け! なのである。
 ……しげごめん、台本の〆切、もちょっと待って。今日中に書けだなんて、ムリだよう(T.T)。(←有言不実行)


 とりあえずエネルギーをつけねばと、しげと焼肉を食いに(またかよ)、麦野の「ウエスト」へ。
 1年以上来てなかったんで、カードは失効している。あまり食いすぎないようにとメニューを吟味してると、ウェイトレスの子(知り合い)が、3品盛りがいいよ、と勧めてくれる。
 カルビやロースやホルモンや鶏や豚バラや、と言ったところから3品をチョイスできてお特、ということだったので、しげと二人で注文する。
 「今日はサラダバーも美味しいよ」と勧めてくれたのでそれも頼むが、「今日は」ってことは、あまりよくない日もあるのか。見てみると、サラダはともかく、フルーツは充実していた。みかん、桃、パイン、梨、メロンほか、ゼリーやパンチも何種類もある。まあ、どれも缶詰だろうけど。
 「缶詰なら食える」と言って、日頃フルーツを全く食べないしげも桃を食う。「缶詰が食えて、どうして普通の果物が食えないんだ」、と言うと、「だって缶詰のは甘いので包んでるから」とかよく分らない理屈を言う。別に桃の成分が変わったわけじゃあるまいに。

 「ウエスト」の通りを挟んだ向かいに、何ヶ月前からか、レンタルビデオ・DVDの「TSUTAYA」が新しくできている。返却期限を過ぎて延滞料金を取られるのがイヤで、レンタルはほとんどしないのだが、ちょっとだけ覗いてみる。
 しかし、最近のラインナップを見ていると、やはり見ようと思っててまだまだ見てない映画も多い。週一で新作見てたって、とても追っつかないのである。やはりどれだけ見る時間を捻出するか、ということなんだが、本は仕事の合間にトイレに篭って読めても(くせえな)、ビデオや映画は確実に2時間、時間を取られてしまうのだ。日記の更新や台本書きもあるというのに、これはなかなか厳しい。寝る時間削ると確実にカラダにガタが来るから、そうなるとやはりしげと一緒にいる時間を削って……あ、ばか、殴るなしげ。☆⌒(>。≪)イタタ。
 レンタルビデオのコーナーを見ると、『クレヨンしんちゃん』の特集が組んであって、わざわざ店員さんの手書きでキャプションまで付けてある。筆頭に『オトナ帝国の逆襲』が置かれてあって、しかも五本並んでた奴が全てレンタル中、というのは立派なものではないか。さて、『戦国大合戦』の発売はいつになるかな。
 セルDVDが1500円と激安だったので、『カサブランカ特別版』『スペースボール』と2本買う。どっちも見てるし、ビデオテープなら持ってるのだけれど、コメンタリーだのメイキングだのが結構多かったので買った。『カサブランカ』は私は世評で言うほどに名画だとは思っていないのだけれども、それでも主題歌『時の過ぎゆくまま(As time goes by)』(「沢田研次の?」なんて言うヤカラは火焙りだ)は名曲中の名曲だし、この映画でのイングリッド・バーグマン以上の美しさを見せてくれた女優を私は知らない。そのうちしげに内緒で一人でこっそり見よう。


 しげが仕事に出かけてから、ようやく台本に取りかかるが、あとから思いついた設定が増えてしまって、なかなかまとまらない。しげは「台本できてなかったら東京に行かさんからね」と捨て台詞を残していたので、生汗がダラダラ流れる。とりあえず汗を流そうと風呂に入ったら、また眠くなってちょっと寝る。気がついたらもう真夜中。やばい、マジで時間がない(・・;)。
 気晴らしにDVD『あずまんが大王』をかけるが、こちらに見入ってしまって、やっぱり台本が進まない。何をやってんだ、私。
 これはもう、しげに叱られるしかないかと覚悟を決める。ノルときはホントにノルんだがなあ。


 DVD『あずまんが大王【1年生】』。
 第1話「入学式」から、第9話「ちよちゃんの誕生日」までを収録。解説によればテレビ版とは違うビデオ仕様で収録、とあるが、このへんの話はテレビ版を見てないし、見てたって私ゃ色弱だから多分違いなんで分らないのであった。見て違いが解る人がいたら教えてください(-_-;)。
 考えてみたら第一話で入学式で、ちよちゃんとおーさかが転入生ってどーゆーことなんだろう。微妙に転入日が違うってことかもしれないけど、そういうことってほとんどないと思うんだけどなあ。
 しかし、第一話でちよちゃんの頭だけが見えるってギャグ、私も劇団HPに載っけた4コママンガのネタで使ったな(^_^;)。
 けど、初期のころはまだ男子学生が結構出演してたのな。なのに、主役の女の子たちには、浮いた話が全くない(^_^;)。この『あずまんが大王』が稀有なのは、まさしくその恋愛ネタが全くないという点にある(ここでかおりんの榊さんへの思いは? とか突っ込まないよーに)。これは当然、原作者の確信犯であろう。
 おかげで後半はほとんど女子高かって感じになっちゃったけど、案外現実でも男の子との恋愛なんて考えてもいないって女の子、多いのかもしれない。彼女たちはそれぞれに一所懸命なものを持っていて、恋愛なんかに気を回してるヒマなんかなかったりするのだ、多分。
 それにちよちゃんに男の子問題が起こったら大変だしね(^_^;)。それは置いといても、彼女たちに彼氏が全くいないというのは、必ずしも不自然ではないように思う。そういうところが本作にそこはかとなく「現実感」をもたらしていると思う。
 現実感と言えば、おーさかの声優の松岡由貴さん、ホントに大阪出身だったんだね。とゆーか、『どれみ』のあいこちゃんだし『アベノ橋』のあるみだし『コメットさん☆』のネネちゃんだし『ハレのちグゥ』のマリィじゃん。大阪弁がスムーズなのも当たり前か。ポッと出の新人さんにしちゃ演技が上手いなあ、とか思ってたが、これだけ松岡さんが出演してるアニメを見てて、今の今まで気付かなかったとはな私はバカか。全くオタクの風上にも置けないとはこのことだ。
 これはもう、遠慮なしにファンになれるな。どんどんアニメの中に大阪弁キャラを登場させて、松岡さんに演じてもらいたい。
 ほんならやー(はあと)。
 ああ、それからおーさかちゃん、カタツムリは昆虫じゃないけど虫です。「かたつむり」って、漢字で書くと「蝸牛」って書いて、虫偏が付いてるでしょ?


 マンガ、冨樫義博『HUNTER×HUNTER ハンター×ハンター』15巻(集英社/ジャンプコミックス・410円)。
 面白いんだか面白くないんだかよくわかんないけどともかく自分の世界は作ってるみたいだから何となく読むのをやめられないまま15巻まで来ました、「ハンターハンター」。いい加減「×」はどう読むのか教えてくれ。
 カバー折り返しの写真がいしかわじゅんにそっくりだけど何かあったのか、冨樫さん。キャラの線も背景もどんどん雑になってきましたねー。いろいろオリジナルな設定を作るのはいいけれど、もう私は全部覚えようなんてめんどくさいことはしません。自分が参加できもしないゲームの設定を細かく説明されたって、読者は退屈なだけだと思うんだけど、冨樫さん、そのこと自覚してるのかな。もっとも、一所懸命覚えてるファンもいるんだろうなあ。そういう人たちにこのマンガは支えられているのである。なんのために支えてるのかわからんけど、ご苦労様です。


 ……と、現実逃避が終わったところで、再びパソコンに向かい、台本を書く……って、もう朝の6時じゃん!
 台本は上がらない。
 しげはまだ仕事から帰ってきてない(車で空港まで送ってもらう予定なのである)。
 飛行機の出発時刻は7時10分だ。
 さあ、私は明日、東京に行けるのか!
 明日の日記を刮目して待て!

2001年10月04日(木) 新番第3弾……いつまで続くのよ/『おとぎストーリー 天使のしっぽ』第1話ほか
2000年10月04日(水) 止まる息とふらつく自転車とドロドロと/『本気のしるし』1巻(星里もちる)ほか


2002年10月03日(木) 何が最悪?/アニメ『NARUTO ナルト』第1話/『愛人(あいするひと)』2巻(吉原由起)/『番外社員』(藤子不二雄A)

 一週間で仕事が一番忙しい日である。
 先週から毎週木曜日にやらなきゃならない仕事が一気に二つも増えたので、休憩時間がほぼなくなったのだ。
 ハッキリ言ってカラダが持たんのだが、そこはそれ、このトシになると仕事の手の抜き方も少しは覚えてくる(昔からだろう、という意見は却下)。
 丸一日仕事があると思うから草臥れるのだ。昼休みにともかく1時間でもいいから寝る。午前を一日、午後を一日、休みをはさんで日が変わったと考えれば仕事量は半分。気持ちの上ではとりあえずがんばれる。なぜか疲れは取れてないけど(^_^;)。


 マルキョウで買い物などして帰宅すると、ちょうど新番アニメ『NARUTO ナルト』に間に合う。
 第1話「参上!うずまきナルト」って、『ナルト』ってタイトル、ホントになルトから取ったのか(^o^)。
 実はマンガの方、今まで全く読んでない。別に嫌ってるわけじゃなくて、単に読み飛ばしてただけ。若いころほど全マンガ雑誌(と言っても月刊誌合わせたって10誌に満たなかったが)を丹念に読むエネルギー、なくなってるからなあ。
 だから、これが忍者マンガだってことも今日まで気がつかなかった。もちろん今っぽくアレンジされた忍者もので、時代も世界も別に日本に拘ってるわけじゃなさそうだ。けれど、それでも多少はリアルにしないと、わざわざ「忍者」と銘打つ意味がないのではないかと見ていて思うことしきり。やはりあれは、日本の風土と切り離しては考えられないので、『ザ・ニンジャ』にしちまっちゃあ、つまんないと思うんだが。
 キャラデザインにもそれほど魅力は感じないが、いかにもアニメ化を想定した絵柄だなあ、とは思う。まあ、これで若い人に受けてるんならそれはそれでいいのかな、と思うしかない。アニメ化のウワサが絶えなかったのもそのせいなんだろう。
 ちょっとおもしろかったのは「ハッ」とか「ソイヤッ」と掛け声のかかるBGM。普通のアニメにはしたくないっていう監督の気概は感じられる。何話か見てみて面白くなりそうだったら続けて見るかも。


 夜、こうたろう君から東京行きの確認の電話。
 「奥さん、(置いてきぼりで)怒ってないかい?」
 「怒ってるよ」
 「やっぱり」
 しげに関して言えば、もうこれはブチブチ文句を言われるのは覚悟の上である。ヤキモチ妬かないと夫との接点も作れない不器用な人間なんだからしゃあないわな。しげと付き合ってると自分が「海よりも広い心で許したるでー」(byおーさか)という気分にならないと、やってらんないのである。
 待ち合わせ場所、その他の確認は済んでたのだが、こうたろうくん、ほかにもまだいろいろと心配事があるらしい(^o^)。
 私はもう全然、心配なんかしてやしないのだが、O型のくせにどうして「何かあるんじゃないか」とか思っちゃうかな。
 「最悪の事態を想定しといた方がいいよ」とか言ってるけど、私ゃ最悪の事態なんて、「飛行機が落ちて死ぬ」くらいしか想定できんなあ。今回、日にちの指定はこうたろうくんの希望だから、これで私がマジで事故死でもした日には、彼は奥さんにすがりついて「お、おれが有久を殺しちゃったよう」とか言って泣きじゃくるに決まっているのだ。この善人め。
 あとはまたいつものごとくオタク話。もうすぐたっぷりできると言うのに電話代使って何やってんだか。15日放送予定の火サス版『鬼畜』について、まだ見てもいないのに、二人してコキおろす。
 「今度の『鬼畜』、ビートたけしだってな」
 「意外性がないんだよな、たけしじゃ」
 「相手も奥さんが黒木瞳で愛人が室井滋じゃあなあ。逆だろうにって」
 でもやっぱり見ちゃうんだろうなあ。何しろ『鬼畜』は松本清張作品の中でも、しげが一番好きな作品なのである。親が子を殺す話なのになあ(^_^;)。


 マンガ、吉原由起『愛人(あいするひと)』2巻(小学館/プチコミフラワーコミックス・410円)。
 また、しげが勝手にこんなのを買ってきやがって(^_^;)。もちろん言うまでもなく、この作品はしげの大好きな「スケベギャグ」であります。
 はい、主人公の大学生・咲子さんが、妻子のいる千冬先生の押しかけ愛人になったものの、お堅い先生はチュー以上のことはしてくれない。その間、なんと先生の弟の夏生くんと関係を持ってしまい、でも、そのテクニックに堪能して(するなよ)、「センセとHできるまで練習しましょ」と弟くんとの関係を続けることにした、というのが第1巻の内容でしたねー。
 で、今巻はというと、ついに咲子さんと夏生くんとの関係が千冬先生にバレました。怒った先生はいままで抱こうとしなかった咲子さんに無理やりナニをしようとします。「プライドを傷つけられたのが許せないだけでしょ!」と抵抗する咲子さん。そこで先生は告白します。「許せないさ! 私は君を愛しているのだからな!」
 ついにお互いの気持ちを確かめあった二人。これで二人もハッピーエンド(なんか勝手にやってなさい的な終わりだけど)か……と思いきや。
 「先生、ヘタだから、夏生くん、これからも練習台になってね」
 ……あ〜、のけぞっちゃいましたね。Hのことしか考えないキャラ描かせたら吉原さんが天下一品だということは、前作『ダーリンは生モノにつき』読んでてわかってたつもりだけど、ここまで男を翻弄するキャラを描かれるとは思ってもみなかったなあ。
 女が男に言ってはいけないセリフの第1番に挙げられるのが「ヘタクソ」であることは自明である(そうか?)。創作の中でそのセリフを吐く者は概して、男を弄ぶ悪女として描かれることが常であった。ところが吉原さんはその常識をいとも簡単に覆してしまったのだ。
 最愛の人と最高のHをするために、他の人と練習する(しかも相手はその人の弟)、こんなのが「かわいい女」として成立させられるなどとはねー、十年前だったら考えられなかったねー、これも時代かねー。
 いや、それが可能だったのは、ひとえにこのヒロインの咲子が「バカ」だったからだろう(^o^)。無自覚に二人の男を手玉に取るナチュラルさというか野性というか、もうこの話の根幹を流れている「思想」は、全くもって「バカには勝てない」なんである。ご大層なイデオロギーも、胸を打つ熱い涙も、未来に向けたメッセージもくそ食らえ、男と女はナニじゃあ! という身もフタもない真実を、山上たつひこかどおくまんが描くならばともかくも、繊細な少女マンガのタッチで、吉原さんが描いちゃうのである。この威力には勝てないよ(^_^;)。
 ホントの兄弟をホントの「兄弟」にしてしまう強引な展開が、まさしく吉原コメディの真骨頂なのだろう。
 ……でもまさか次の3巻じゃ、千冬先生の奥さんが出て来て四角関係になるとか、ありがちな展開になっちゃうんじゃないかと、それがちょっと心配。

 
 マンガ、藤子不二雄A『ブラックユーモア短編集 番外社員』(中央公論新社/コミック・スーリ・ChukoコミックLite・300円)。
 愛蔵版にはなぜか収録されなかった『番外社員』シリーズ。初出は1973年の『劇画ポスト』というから、もう三十年も前なのだけれど、Aさんも脂がノリにノリきっていたころの作品である。
 会社をユスってきたヤクザの応対をして麻雀勝負をするとか、結婚間近な社長の息子の愛人に、手を切らせる交渉とか、ライバル会社と、ある原材料を巡っての権利をゴルフ勝負でケリをつけるとか、要するに「表ではできない」ウラを専門に引きうけるのが主人公の仕事なのである。
 「黒イせえるすまん」こと喪黒福造もこの系列のキャラクターではあるけれども、セールスマンと言いつつも、どこかの組織に所属しているようにも見えず、ただひたすら不気味な喪黒に比べると、本編の主人公、番外大五郎は番外とは言えやはり組織に所属する人間なのである。任務に失敗すれば即お払い箱という厳しい立場にある以上、いくら彼が完全勝利をし続けていても、なにか手放しでは喜べない、今一つカタルシスを感じ切れない恨みがあるのだ。彼がもう少し自分を陰で使う専務に対して、その知力で反旗を翻すようなところを見せてくれていたら、藤子A版「蘇える金狼」みたいに面白くなったかもなあ、と思うのだが。

2001年10月03日(水) 新番2弾!/『X』第1話/『女刑事音道貴子 花散る頃の殺人』(乃南アサ)ほか
2000年10月03日(火) 博多はよか、よかァ/映画『博多ムービー ちんちろまい』ほか


2002年10月02日(水) もうあのクニについて書くのはやめようかな/ドラマ『迷路荘の惨劇』/『よみきり▽もの』3巻(竹本泉)ほか

 東京行きが近づいているので、ちっとばかし食費も節約。
 ここんとこ一週間ばかり、職場の弁当400円を360円の定食に変えているのである。カロリー配分から行けば幕の内式の弁当のほうがバランスはいいのだが、40円の浮きも1年経てば馬鹿にならない。
 それでゆうにDVDが一本は買える。って、使っちゃ意味ないじゃん(-_-;)。
 実は本を買うのも控えてたんだが、いつの間にかしげが新刊を何冊も買って来ていた。おお、これで2千円くらい浮いたぞその分DVDに……。
 バーミヤンで夕食。
 しげはやっぱりエビマヨネーズ。あとホイコーローとつけ麺。
 しげ、いつになく少食。昼寝てないので(またかい)、眠いそうな。居眠り運転されないうちにさっさと帰る。


 あっくそ、今日からアニメ『スパイラル』が始まってたんだった。
 ミステリーものは一応つまんなくてもチェックしようと思ってたのに、ついうっかりビデオにゃ『歌ふ狸御殿』をセットしちまってたい。
 まあ、二回目以降見て面白ければ改めてDVDで第1話を見る楽しみができていいけど。つまんなきゃ、1回目見逃したって別にどうってことないんである。


 夕刊に「横田めぐみさん『自殺』」の文字がデカデカと踊っている。あまりにデカイので、かえってなんでそこまで、と思ってしまうのだが、これまで拉致事件を放置して来た新聞社の、自らの罪の意識を糊塗する心理がそこに働いてると考えるのは、それほど的外れではあるまい。
 北朝鮮を訪問した政府調査団が作成した調査報告書では、
 \限犬垢諄巴徃鏗下圍疑佑般銘未掘∨椰佑斑把蠅靴燭、5人は帰国に消極的だった。
 ∩床罎劼箸澆気鵑歪敢挫弔法嵎譟淵潺茱靴気鵝砲醗貊錣堀巴廚気譴拭廚噺譴辰拭
 2E弔瓩阿澆気鵑蓮崟鎖隻臓廚箸覆蝓⊆殺した。
 ぞ礁攘阿気鵑噺られる遺骨を持ち帰ったが、他の人の墓は1995年の洪水で流された。
 ベ巴彁件の責任者の一人は死刑になった。
 などが示された。
 もちろん、被害者家族は「北朝鮮の説明は不自然で信用できない」と反発しているのだけれど、では横田さんほかの方々が生きている可能性があるかというと、冷静に考えればその可能性は低いと言わざるを得ない。
 拉致被害者が生きているのに死んでいると発表しなければならないメリットは今の北朝鮮にはないし、もし生きているとしても、全く別の顔、別の名前、別の人生を歩かされてるはずで、となればやはり家族に会えるチャンスは全くなくなったと言っていい。

 「めぐみは自殺するような子ではない」と訴えるめぐみさんの母や、他の残された家族たちの心の痛みに思いを致さないわけではないが、家族が癒される真相が提示されることはまずあるまい。それでもなお「真相」に拘る人々が、怒りに駆られ、判断力を失っていることは、哀しいことだが事実だ。
 テレビで、ご家族の方々の悲しみに沈み、怒りに震える姿を見ていると、批判的なことを口にするのが憚られるのだが、やはり、あの人たちの一部の方の激昂しているときの表情、口吻を見ていると、さも「我等の怒りは日本の怒り」と思いこんでいるような独善がまま見受けられる。そういう一つの色で日本人をくくってしまわれては困る、と考える日本人も少なくないのではないか。私だって、北朝鮮を批判的に捉えてはいるが、彼らに対しては怒ってもいないし、憎んでもいない。それは、直接の被害を受けたわけではない立場である以上、「憎む」という行為自体が過剰反応でしかない、という判断があるからである。そういった、事態を静観する態度を、さも「冷血漢」だの「人非人」だの「非国民」だのと捉えるような風潮が作られつつあるようで、私は北朝鮮の恐怖よりもそちらの方がよっぽど身近にあって怖い。
 洗脳を行っている国の人間に対して、怒りを持ったところでどうにもならないではないか。じゃあ、洗脳してる人間だけを責めればいいかというとそうとも言えない。洗脳という行為は、その術者に対してもフィードバックされ、逆洗脳という形態を取ることがしばしばだからである。
 だとしたら、彼らに対して行わなければならないのは怒りをぶつけることではなくて「治療」でしょ?
 文化相対主義で行けば、そもそも北朝鮮とも韓国とも日本は付き合えないのは解りきってる。それでもなお国交正常化を図るというのなら、彼らの洗脳を解くことから始めなけりゃしょうがない。彼らは病気なんである。病人に対応するように接しなきゃならないんである。なのに、医者が患者に対してヒステリックに怒ってちゃ、話にならないのである。

 ご家族の方々に怒りや憎しみを捨てろ、などとキレイゴトを言いたいわけではない。だが、「早く拉致されたあの子に会いたい」と願うご家族もいるのに、「調査が不充分な段階で面会したくはない」と、全員に一律的な行動を取らせるあたりに、私はどうしてもキナクサイものを感じないではいられないのだ。
 愛する家族と引き離されたら、「一刻も早く会いたい」という感情のほうが先に立つものではないのか? 政府批判より、北朝鮮憎しより、ともかく会わせてくれ、という気持ちの方が湧き上がって来るんじゃないのか? 私がしげを拉致されてたら、「もう少し待たねば」なんて言ってるやつが仲間うちにいたら、そいつのこと、絶対ぶん殴ってるぞ。っつーか、もともとああいう家族同士の連携自体、初めから取らないと思うけど。
 
 政府は、「家族の思いを第一に、今後の調査にあたる」と答弁している。小泉首相も同様の発言をしていたが、これがリップサービスとすら言えない姑息なゴマカシ以外のナニモノでもないことは、端から見ている者にはハッキリ分る。家族の思いを第一にしちゃったら、北朝鮮の体制そのものを批判していくしかなくなっちゃうのだ。いかにアメリカの後押しがあるとは言え、別に弱腰が改まったわけでもない日本政府が、それほど強く北朝鮮に当たれるものかどうか。
 もちろん、国内の世論のことを考えたら、そう言うしかないことも分りはする。けれど、だいたい「弱腰、弱腰」って批判してるけど、政治家がちょっと強い態度に出たら、右だろうと左だろうと、「あれはヒトラーだ」「ファシズムだ独裁だ」とクソミソに貶して骨抜きにして来たのは、やっぱりマスコミだったし、「世論」ってやつだったじゃないか。「NOと言えよ」なんてセリフ、誰がどの口で言えるってんだ。
 北朝鮮がウソをついているとすれば、横田さんの死の事実そのものではなく、死因だろう。仮に横田さんが発表通り自殺したのだとしても、そこまで彼女を追い込んだ原因はなにか。そこに「北朝鮮を憎むべき理由」を見出すことはたやすいことだ。家族の追求通りに調査を続けることは、憎しみに基づいて相手を疑うということであり、たとえ真相がわかったとしても、やはり変わらず北朝鮮を憎み続けるということでもある。いや、憎しみではない、理性的な批判だとおっしゃる方もおられようが、批判と憎しみを明確に区別できる人間なんて、そうそういるものではない。せいぜい怒りにオブラートがかかるか、屈折した形で現れるだけである。
 誰かを憎み続けることでしかアイデンティティを保てない人間の醜さは、それこそ北朝鮮や韓国を見てきて日本人はいい加減、ウンザリしてきたのではなかったかね? それと同じく、「朝鮮人を許すな」キャンペーンを、張ろうとしている連中が、実はそこいら中にウヨウヨしてるんじゃないか。彼らの矛先は、果たして政府や北朝鮮にだけ向けられるものだろうか? 気がついたら、世間の情報に疎い人間に、なにやら「非国民」的レッテルが張られようとしているのではないか。私にはそちらの方が気持ち悪くて仕方がない。
 もっとも、栗本“拉致されるのもチャンスじゃん”薫さんに、もしもそのレッテルが張られたとしたら、それは自業自得だと思うけどね。


 アニメ『ヒカルの碁』第五十一局「倉田六段」。
 おお、倉田さんの声、岩田“オラですだ”光央か。
 なんてピッタリな(^o^)。
 この声聞いたら、ほかの声優さんが考えられないなあ。ほかの声優さんは声優しゃべりが鼻につくけど、倉田さんはもともとそういうキャラだから違和感ないのである。
 日頃『ヒカ碁』を絶賛している私であるが、そのキャラクター設計に関しては必ずしも小畑さんのデザインセンスに全面的に両手を上げて賛成したいわけではない。少年マンガの派手さと、リアルなドラマ展開と、その両方を鑑みてキャラを設計することが並大抵のことでないことは解るが、例えばヒカルの髪がなんでメッシュ? という疑問は、連載当初から感じていた。マンガ連載のほうで、ヒカルがすっかりオトナな面持ちになってしまった今、あのメッシュはリアルな世界観にそぐわなくなっている。実写で誰か俳優にあの髪のまんまで演じさせたらどうなるかってことを考えてみたら、その違和感についてはご首肯いただけると思う。アキラだって、子供のころならともかく、今もあの髪型ってのはちょっとキツクないか。もっとも固定ファンが髪型の変更を許さないって事情もあるんだろうけど。
 倉田厚のデザインが秀逸だと言うのは、マンガチックでありながらあんな顔のやつが現実にもいそうだからだ(君の隣にもいないか?)。
 アニメの作画では横顔がやたら頬の線を強調しててブサイクになっていたが、「オレって天才?」と嘯く倣岸だがどこか憎めない木下恵介のようなキャラ(ルーツはどこいらにあるのかなあ。坂田三吉?)を見事に表現したキャラになってると思う。
 実は御器曽プロも私のお気に入り。ああいう顔の人もなんかそのへんにいそうなんだがなあ。妙に悪役ヅラな人。本人にはちょっと失礼なんだが。


 ドラマ、『女と愛とミステリー 横溝正史生誕百年記念 「金田一耕助ファイル 迷路荘の惨劇 京都祇園祭怪奇連続殺人! 呪われた地下道に消えた悪魔の復讐か!」』。
 相変わらずサスペンスドラマのサブタイトルってのはなんでこんなに(^_^;)。
 今更テレビドラマに映画の濃厚な味わいを期待しちゃいないが(たまに出来がいいのがあるからそれでも期待しちゃうんだけどさあ)、百年記念と銘打ったわりにはそこそこの出来。別に祇園祭、事件と関係ないじゃんかよ。そういう無意味な彩りが、ドラマをかえって貧弱にしてる作品ってやたら多いんだけど、テレビの製作者はタイアップが取れるからやっちゃうんだろうな。
 原作の『迷路荘の惨劇』は、「洞窟に逃げこんだ謎の怪人の復讐」という『八つ墓村』でも使われたモチーフが再び使用されているが、実のところ、このモチーフは横溝正史オリジナルとは言いがたい。
 洞窟内でのおっかけは江戸川乱歩の『孤島の鬼』でもっと戦慄的な筆致で描かれているし、謎の怪人についても『吸血鬼』や『緑衣の鬼』(これの原作は更にイーデン・フィルポッツの『赤毛のレドメイン家』だ)を換骨奪胎したもの。乱歩作品が必ずしも本格探偵小説というよりもその怪奇性、ロマンチシズムに重点をおいているのに対し、横溝正史は材料自体はアンチリアルでも、あくまで本格ミステリとしての骨格を持たせようと腐心した。それはやはり正史の乱歩に対するストレート過ぎる対抗意識の表れだと言っていい。何しろこの『迷路荘』、初め短編として発表されたのに留まらず、正史最晩年の長編として書き直されてまでいるのだから、その執念の深さは想像するに余りある。露骨なパクリ、という点では、ヒロインの名が『吸血鬼』と同じ倭文子である点にも注目したい。乱歩に対する敬意とかオマージュとか言うより、彼のものは細部に至るまで全部奪ってやるって正史の粘着質な性格が表れてると見るのはあながち穿ち過ぎではなかろう。
 従って、本編のヒロイン、篠崎(古館)倭文子は、乱歩の小説にしばしば登場する「狙われ」型の女性である。これに映画『RAMPO』で小山田静子を好演した羽田美智子を配役したのは製作者が乱歩と正史の関係を知った上でのことかもしれないが、残念ながら今回は感情過多なセリフのせいもあってか、薄っぺらな演技に終始していた。この人の場合、もともとセリフ廻しが余り上手くないんで黙って立たせといた方がいいんである。原作ではどこか浮世離れした昔風の儚げな雰囲気の女性なんで、羽田美智子、ふっくらし過ぎじゃん、ってのにも違和感を持った。78年の浜木綿子もちょっとな〜という感じだったけど、そんな女優さん、今時はいないから仕方ないかなあ。
 それより、お糸さんが野際陽子ってのはないだろう。これはもう圧倒的に78年版の千石規子に軍配が行く。基本的にあれは「かわいいお婆ちゃん」じゃないと感じが出ないのだ。「旦那様のお手つきでございましたのよ、ほっほっほ」と屈託なく笑うキャラを月影千草に演じられちゃあねえ(^_^;)。
 金田一耕助を間に挟んで、等々力警部の中村梅雀と井川刑事の火野正平が対立しつつ捜査に当たる、という図式はちょっとした新機軸だがさほどドラマに寄与しているとは言えない。初登場シーンではなかなか雰囲気のよかった火野正平も、後半、金田一の前でごく普通の役立たず刑事になっていったのは何とももったいない使い方だった。
 それにしても中村梅雀、顔立ちにも面影があるが、何よりその声が父ちゃん、爺ちゃんとそっくりである。特にくぐもった発声するあたりなどまるで区別がつかない。耳だけで聞いてたら、一瞬、爺ちゃんが蘇えって来たかと(^o^)。
 古いファンならご承知のとおり、梅雀さんのお爺ちゃんである故・中村翫右衛門は78年版『獄門島』で了念和尚を演じている。これで梅之助さんが何か演じてくれてたら親子三代で金田一作品に出演という快挙が成し遂げられるのだが。『獄門島』リメイクして了念さんを演じてもらうというのはどうか。もっともアレの原作には等々力警部出て来ないから親子共演というわけにはいかないけど。『悪魔が来りて笛を吹く』の玉虫伯爵でもいいぞ。
 さて、で肝心要の上川隆也金田一だが、2枚目半と言ったところで、可もなく不可もなく、と言ったところ。事件の真相に気付いて「そうだったのかあ!」と叫ぶところだけ目を剥いて演技過剰だったけど、それ以外はまあ落ちついた演技ではあった。金田一の持つ東北人の朴訥さは出てるような出てないような微妙なところ。でも原作の「中肉中背、小柄で貧相」というイメージ通りの金田一を描こうって制作者、全く出て来ないね。
 ドラマそのものについては、確かに細かいところを言い出せばキリがないが、概ね原作に忠実で、『明智対二十面相』のときのような、そりゃないぜって印象はない。一応この程度でガマンしなきゃならんのかなあ。
 祇園祭のセットがチャチだとか、照明が市川崑演出を意識して影つけてもビデオ映像じゃムードでねえよとか、欠点もあるが、これくらいの制作力があるなら、シリーズ化自体に反対はしない。いい加減『犬神』ばかりじゃなくて、未映像化の『白と黒』とかやらんかな。お茶の間にキツイ題材だってのは解るけど、悪質な中傷メールが横行してるネット社会に置き換えたら面白くなるとは思うけど。でも現在金田一が生きてるとしたら、もう89歳なんだよなあ。


 マンガ、竹本泉『よみきり▽もの』3巻(エンターブレイン/BEAM COMICS・756円)。
 読み切り作品ばっかなので、一作ごとに感想書いてたらキリがないので、一番お気に入りのやつだけ。
 『遠くの呼び声』、以前にも耳かき話描いてなかったか、竹本さん。
 けど、私も耳掻きをしてあげるのは大好きである。
 結婚して女房に何をしてやりたかったかっていうと、耳掻きをしてやることと白髪を抜いてやることと、怪談をたっぷり聞かせてやることだったんだが、しげの耳垢って液状で全くほじくりだしがい(どんな日本語じゃ)がないのである。
 誰か私に耳掻きさせてくれんか。もちろん男は御免被る。
 ……マンガの感想になってないな(^_^;)。

2001年10月02日(火) 新番組マラソン開始!/アニメ『FF:U ファイナルファンタジー:アンリミテッド』第1話「異界への旅」ほか
2000年10月02日(月) 出たものは全部食う、は貧乏人の躾か?/『名探偵は密航中』(若竹七海)


2002年10月01日(火) たかが賞金で金持ちにはなれない/アニメ『あずまんが大王』最終回/『西洋骨董洋菓子店』4巻(よしながふみ)

 今日からそろそろ衣替えかな、と思って、職場に背広を持って行ったのだが、結局全く袖を通さなかった。
 暑さにゃ弱いが、寒さには結構耐性があるので、風が随分涼しくなってはいるが、特に寒いとは感じていないのである。けど世間的には未だに半袖ってのはちょっと異常なんだろうなあ。こないだ芝居を見に行ったときも半袖だったの私としげだけだったし。私がTシャツだったのは、実際、そうでないと人いきれで暑苦しくなっちゃうからだが、しげの場合はただのドジ(しげは私と違って寒がりであるなので、救いようがないのである。……天神の屋上でも寒い思いしてたくせに、どうして長袖にしないのかなあ。

 こないだ職場の警備の当番をしたばかりだったが、同僚と交代することになったので、また居残り。今度は懐中電灯を持ってちゃんと見回り(前回は暗闇で廊下を見通すこともできず、戸締りの確認をし損なった箇所が多くて、警備会社からお叱りを受けたのである)。
 鍵の状態、以前と変わらず壊れまくり。
 業者に頼めばすぐに取り替えてもらえそうな気もするが、それともウチは予算がそんなにないのだろうか。慣れたはずなのに、前回より見回りに時間がかかる。戻ってくると上司から「今度は完璧ですか?」と聞かれるが、そんなん分るか。「さあ?」と答えると(このあたりのぞんざいな口の利き方が私の上司のオボエが悪い原因の一つだ)、「期待してるんですからね」と、やや懇願するような、でも何となく説諭のようなニュアンスも含むような口調で返される。
 ……たかが見回りに何の期待? それとも何かこれが査定の対象にでもなってるというのか?
 私は職場の連中の思考パターンが読めないことが多いが、こういう意味不明な言葉遣いをされるとウラに何かあるんじゃないかと勘繰りたくなるので精神衛生上あまりよくないのである。要するにあまりアテにならねえなあ、と思ってんだろうが、だったら視力のない私に夜の警備なんて任すなよ。イジメか?

 しげはもう、仕事の時間になっていて、迎えには来られないので、タクシーを拾いに、夜道をてくてく歩く。
 ここんとこ車での移動ばかりだったので気がつかなかったのだが、もう、草むらが秋の虫の音に変わってしまっている。……ついこないだまでツクツクボウシが鳴いてたと思ってたのになあ。
 昔は虫の音の違いも聞き分けていたのだが、もう脳細胞が随分死んじゃったのか、どの音色が蟋蟀やら松虫やら鈴虫やら轡虫やらとんとわからない。
 「ひひひひひひひひぃよ」と、甲高く笑う女のような音色を奏でてたのは何という虫だったか。


 帰宅して疲れ果てていたので、すぐにぐたっと寝る。
 目覚めたのは午前1時。6時間くらいは寝てたか。
 でもおかげで、アニメ『あずまんが大王』の最終回に間に合った。これも東京じゃ先週放送ずみなんだろうな。
 原作をほとんど改変せず、しかしアニメとして見せるというのはなかなか難しいのだが、ごく普通の仕草をキチンと描いて、さすがJ.C.STAFFというところを見せてくれた。音楽がどうも違うんじゃないかって気はするが、これは主観が働いてると思うんで、はっきり失敗である、とは断定しないでおこう。
 声優は、やっぱり榊さんの浅川悠(私はこの人を『ブギーポップ・ファントム』でしか認識してない)が、落ちついた声の中に少女らしさを漂わせていて、絶品だったと思う。
 噛み猫に「撫でていのか?」と言うときの、期待と不安と嬉しさと、その微妙なニュアンスを含んだ声が静かに流れると、そのあとやっぱり噛まれちゃうんだよな、とは思いながらも、榊さんと噛み猫の関係はこれでよかったんじゃないかなあ、という気にさせる。
 2番目はやっぱりおーさか。松岡由貴が本当の大阪人かどうかは知らないが、丁度いい気の抜け方だった。この演技は特殊で、ほかの役を演じたときにはこのほんやらした味わいはまず消えてしまうだろうが、これがキャリアになってくれればいいと思う。
 みんな一緒か。多分それは現実には夢なんだけれど、ゆかり先生の「あんたたちは大丈夫だろ。知らんけど」のセリフが、その夢に根拠を与えてるんである。なんだか『夢だっていいじゃない』という川原泉のマンガを思いだしちゃったね。


 部屋がそろそろ本もビデオもDVDも置ききれなくなってきている。
 本気でエロの冒険者さんに部屋を斡旋してもらわなければならなくなりそうな気配なのだが、如何せん、先立つものが全くない(^_^;)。
 こないだ、何の気なしに「小説でも書いて、懸賞に応募しようかなあ」と呟いたら、しげの目がランランと輝き始めた。
 「金持ちになると?」
 なるか(-_-;)。
 「お前、俺に面白い小説が書けると思ってるのかよ?」
 と言うと、「別に面白くなくても、テキトーな固定ファンがつけばいいやん。やったあ、金持ち化計画やね!」と、世間を舐めきった発言をする。
 そのときはそれだけで終わったつもりだったのだが、今日になって、しげからメールが送りつけられてきた。
 ……江戸川乱歩賞と鮎川哲也賞の応募規定(・・;)。
 しげは本気だ。
 しかもこんな恥ずかしいこと、日記にも書けないでいたのに、「なんで日記に書かんの?」と責められるので仕方なく書いた。これで私を追いつめようって腹だろうが、これで私がやっぱり小説が書けなくても、仮に書いて落選しまくっても、そりゃ、私に才能がないってだけの話だから、それだけのことである。
 だいたい日記の更新もホームページ立ち上げもままならぬと言うのに、小説が書けるというのか。
 少なくとも、誇大妄想で自分に才能があると吹聴するやからと同じと思われるのも癪なんで、先に言い訳しとこう。こんな弱腰の臆病者に、マトモな小説が書けるわきゃないのである。読者諸賢も期待しないように。


 マンガ、よしながふみ『西洋骨董洋菓子店』4巻(完結/新書館/WINGS COMOCS・557円)。
 上手い。
 切ない。
 けれど、明るい。
 こういうマンガが描けたら、マンガ家冥利に尽きるんじゃないだろうか。
 わずか4巻で完結するとは思いもしなかったけれど、ダラダラ続くより、このくらいの長さが丁度よかったかもしれない。
 登場人物たちの昔語りも3巻までで一通り終わり、予想通り最終巻は橘のトラウマにケリをつける展開。
 橘が九歳のころに誘拐された事件と全くそっくりの誘拐事件が頻発に起こる。
 かつての事件の犯人の現在も描かれ、事件は再び彼の犯行なのかと読者に気を持たせつつ、刑事が橘のもとにやって来て張り込みを始める。
 未だにかつての悪夢に悩まされる橘は、自分が待ち望んでいたのは、過去に決別すると言うよりは、突然の犯人の変心で、放り出されてしまった過去の「続き」を、自ら紡ぐことではなかったかと気付く。
 事件は解決する。
 変わらぬように見えた時の流れも、確実に橘たちの身の上を少しずつ変えて行く。エイジはパリに発った。千影は「私がいなくても大丈夫だから」と言って去った。
 再び、『アンティーク』は橘と小野、二人だけの店になった。
 けれど、小野は言うのだ。
 「そんなに長い年月が経ったわけじゃない。この窓から見える家並だってあの頃とちっとも変わってない。なのに……今は店に二人だけだった頃がひどく懐かしい気がするよ……」
 それは多分、彼らの中でなにかが「終わった」からだろう。
 橘とかつての誘拐犯との最後の「出会い」。
 彼らの、お互いに対する感情に名前を与えることができるだろうか。
 愛でもない。憎しみでもない。もともと彼らの間には何もなかったし、今もなにか明確なものがあるわけではない。
 けれど、彼らは確かに今でもつながっていて……そしてそれが、多分、人と人を結びつける唯一の「絆」だから。
 だから泣けるのである。
 私は愛の物語では泣かない。だが、理屈のない、「絆」の物語にはどうしても泣けてしまうのである。それは、私としげを結んでいるものでもあるのだから。

2001年10月01日(月) 貴公子の死/ドラマ『仮面ライダーアギトスペシャル』/『終着駅殺人事件』ほか
2000年10月01日(日) スランプと○○○の穴と香取慎吾と/映画『マルコヴィッチの穴』



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藤原敬之(ふじわら・けいし)