無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年10月14日(日) 新番紹介、大トリ!/アニメ『サイボーグ009』第1話「誕生」

 オタアミ当日まであと41日! 41日しかないのだ!

 しげもよしひと嬢も起き出す前に、朝もはよから休日出勤。
 ……って、ホントに6時半だってのに自転車飛ばして山越えだぜ。いったい何の因果でこんな目に(TロT) 。
 バタバタしててつい寝ているしげの髪の毛を踏む。
 「いたあい!」と悲鳴を上げて一瞬アタマを起こしたが、またそのままパタン、と倒れて目を閉じたので、多分、夢だと思ったであろう。

 そんなわけで、よしひと嬢にはご挨拶もできなかった。
 まあ、またそのうち遊びにくることもあろうから、せいぜいよしひと嬢の喜びそうな映画やなんかを録画して用意しておくことにしよう。
 実を言うと、今回も三船敏郎主演の『戦国無頼』とか『赤毛』とか、準備してはいたのだが、チラリともお見せできなかった。そりゃ『ナジカ』とか見せてたからだろうって、そうなんだけど(^_^;)。以前から「黒澤明の『野良犬』見せてください」なんて頼まれてて、うんうん頷いてたのに、その約束も未だに果たしていない。
 よしひと嬢も、日頃映画を見たくてもなかなか見に行けないことも多いようなので、せっかくの機会をムダにさせてしまったようで、申し訳ないことであった。

 昨日の日記では触れ損なってたことであるが(っつーか疲れて書ききれなかった)、実際、よしひと嬢の会社、残業が多くて、録画したビデオもなかなか見られないくらい忙しいらしい。
 でも残業の中には「勉強会」とか称するタダ働きもあるそうなので、結構アコギな職場みたいだ。
 なんでもそこの社長は会社の真ん前に、今時「二宮金次郎の銅像」をおったてるようなアナクロ爺さんだということだが、よしひと嬢が「ポケットマネーで建てたって言ってるけど、それ、会社の売り上げだろーが!」とここ数ヶ月ずっと怒り続けているのである。

 まず間違いなく、この「二宮金次郎像」ってのは、薪しょって片手に本を持ってる姿だと思うが、さて、実在の二宮尊徳が子供のころホントにこんなことしてたのかというと、これがイマイチ定かではないのである。
 というのが、このイメージが世間に広まったのは、実は1891年(明治24)、尊徳の門人の手になる彼の伝記『報徳記』を読んで感動した作家、幸田露伴が、少年少女向けの「少年文学」の中で表した伝記『二宮尊徳翁』の中に、絵入りで薪を担いで読書する金次郎像を提示したことがきっかけになっているのである。
 この話が国定教科書の修身の教材として採用されたことで、世間一般にひろく知られるようになって、半ば国策的な形で全国の小学校の校庭に金次郎の銅像がたてられることになったわけだ。
 幸田露伴という人は、ともかくマジメ一徹な人で、歴史に取材した小説を書く場合でも、原典に信憑性がなかったりすると筆を折っちゃうような頑固なところがあったから、このエピソードも事実なのかも、と一瞬思っちゃうのだが、それがどうも違うらしい。
 なぜかというと、ジョン・バニヤンの宗教書『天路歴程』の1886(明治19)年の翻訳版の挿絵に、背中に大きな荷物を背負って本を読んでいるクリスチャンの少年の姿が既に登場していたからである。
 実際、「文章として」尊徳がそんなことしてたって記録はないんで、言い替えれば、そんなイメージだけが先行してるものにノせられて「精進」をスローガンにしてるような奴は、相当アタマの中身がとろけてると判断してまず間違いないと思われる。
 ……でも、よしひと嬢の職場、最近業績が上がってるらしいのだ。果たしてホントに何かの御利益があったのか、それとも鰯の頭もなんとやらの効果であるのか。


 昼過ぎには仕事を終えて帰宅したのだが、どうにも頭が重く、そのままぶっ倒れて寝る。しげはどうせ練習で遅かろうから、唯一ゆっくり出来る時間だ。
 目が覚めて見るともう夕方。
 ちょっと慌てたのは、今日が新作『サイボーグ009』の第1話の放送日だったからだ。いやはや、危うく録画し損ねるところだった。
 一読三歎、いや、一見百歎と言うべきか、殆どハズレばかりの新番の中で、掛け値ナシの傑作、過去の全ての009映像化を凌駕したことは間違いない。
 興奮して即座にオタアミ会議室に感想を書きこむ。
 (以下引用、ご参照のこと)



 やってくれましたよ、キャラデザイン&作画監督の紺野直幸さん、この、原作そのままの絵柄で(といっても、ベースは多分『エッダ編』の頃)、あのアングルとアクション!
 サスペンスフルなドラマを堪能させていただいた30分でした。

 原作マンガをご存知ない方はいらっしゃらないでしょうから、ネタバレを気にする必要もないとは思いますが、一応ギリギリの線で書いておきますと、第1話が原作と最も違う点は、原作にあったOPの、ブラックゴーストの陰謀の描写、001から008までが誘拐されるくだりが丸々カットされていることです。
 もっとも、このOPエピソードは、原作自体、後から追加されたもののようですが。
 ですから、アニメの第1話は、009の改造、脱出、襲いかかるロボットや戦車、戦闘機との戦い、001のテレパシーによる誘導、仲間たちとの出会い、ギルモア博士の拉致、と続きます。
 いや、ここまでの話をダイジェストに陥ることなく、凝縮して描いた脚本の腕は、称賛に値するものでしょう。何より原作を好きだって思いが伝わってくるのがいいのですよ。

 ああ、特にあの伏線張りまくりのセリフ・セリフ・セリフ!

 001のテレパシーの導く通りに逃げているのに、なぜか敵に襲われ続ける009、「どうして……? 君の言うとおりに逃げてるのに……」
 001はアッサリと、「ごめんごめん。君の能力をもっと見たくて、敵のいるところにワザと連れてったんだよ」
 ……ああ、そういうやつなんだよ、001は!(^^)
 「会ったら君をぶん殴ってやる!」と言う009に、「殴れないと思うよ」と笑う001。
 やっぱりグループのリーダーと言うのはこれくらい人非人であることが絶対条件ですね♪
 爆発する戦闘機から落下する009を救ったのは002。
 このときの二人の会話が……ああ、すごい(初心者には)さりげない伏線!

 既に原作を知っていて、001の正体も、『ヨミ編』のラストも知っているオトナにとっては、これらの伏線、バレバレではあります。
 でも本作で初めて『009』に接した子供たちは、たとえばこの第1話のラストで、あるいは十数話を経て、あたかも「ウルトラマン」第1話と最終回が見事に連続したときのように、「ああ、アレにはこんな意味があったのか!」と感動するのではないでしょうか。
 009はもうブラックゴーストの戦闘員(←人間)に「化け物」呼ばわりされています。サイボーグたちの悲しみを語る伏線も既に張られているのです。

 ちょっと不安材料を口にすれば、どうやら009の設定が「少年院を脱走した」わけではないらしいことや(回想シーンに「ボクは神父さんを殺してない!」のセリフあり)、第2話の予告編が全部止め絵であったり(ウワサではまだ出来ていないとも)、裏番が“俺ももう見てないのになんでまだ視聴率が高いんだ”「海産物一家物語」だったりと、この先原作の改変やテコ入れ、番組の継続自体の危機は訪れているような気がいたしますが、スタッフのみなさんもそれは先刻ご承知のはず、きっと後は「勇気だけ」で乗り越えてくれるだろうと期待しています。

 それにしてもスカールが若本規夫ってのはちょっと濃すぎるんじゃないか。でも中間管理職って言ったら「カッコつけだけ」であんなもんなのかな。
 首領の声はできたら劇場版第一作の山内雅人さんのように、リアリティのある渋い声がいいのだけれど。



 オタクでない人のためにちょっとだけ注をつけておくと、「勇気だけ」は、原作『ミュートス・サイボーグ編』での009のセリフ。
 けれど出来ればこのままレベル落とさずに『中東編』や『移民編』も原作を余り改変せずにやってほしいなあ。
 もひとつ言わせてもらえば、絵面だけのキャラに引かれるんじゃなくて、こういう「魂」を持ったキャラに目をきちんと向けるアニメファンがもっと増えてほしいぞ。マジで。


 帰ってきたしげ、いきなり「スシ食いたい!」と言い出したので、二人で近所の回転寿司屋へ。私はもうカネがないので全てしげのオゴリだ。
 なんて情けない夫だろうとお思いの方もおられようが、そうではない。
 私はちゃんと自分の分の食料を買い置きして、冷蔵庫に入れているのだが、気がつくとしげが肉だのなんだのを勝手に食いつくしてカラにしてしまっているのである。
 ……私は何を食べればいいのだ。
 自分の分は自分で買って作れと言ってるのに、しげはこういうことをしょっちゅうやらかしてるのである。回転スシの10皿や20皿で返せるものではないのだ。
 というわけで遠慮なくタカる。久しぶりに食いすぎた感。……明日はまた絶食せねばなあ。

2000年10月14日(土) 「野草」刈りと漂泊者と生ベルばらと/『あこがれの遠い土地』(トーベ・ヤンソン)ほか



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