無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年10月13日(土) 封印/第三舞台『ファントム・ペイン』(鴻上尚史作)/アニメ『カスミン』第1話

 オタアミ当日まであと42日! 42日しかないのだ!


 すっかり書くのを忘れてたけど、この人のことを書かないではいられない。
 10月9日、映画監督、ハーバート・ロス氏、死去。
 死因は詳らかではないが、ここ数ヶ月、入退院を繰り返していたとか。
 享年74歳。

 CNNは「映画『愛と喝采の日々』のハーバート・ロス監督、死去」と伝える。
 もともとバレエの振付師から出発した経歴をメインに、バレエ映画を数多く撮ったと紹介。
「バレリーナのノラ・ケイさんと結婚したが、ノラさんは1987年にがんで死去。1989年には、故ジャクリーン・ケネディ・オナシスさんの妹リー・ラジウィルさんと再婚したが、10年後に離婚した。」とも。
 代表作として挙げられていたのが、『チップス先生さようなら』『ボギー!俺も男だ』『グッバイガール』『ニジンスキー』『ダンサー』『フットルース』『摩天楼(ニューヨーク)はバラ色に』『マグノリアの花たち』など。

 まあ、一般的にはそういう認識だったのだろう。
 でも、私にとってのハーバート・ロスは、上記の作品の中では『ボギー』くらいしか面白いと思ったものはない(っつーかほかのは余り見てないんだが)。

 それよりも、ロス監督といえば、脚本家ニール・サイモンとの名コンビであったことを明記しておかねばなるまい。
 調べてみると、『サンシャイン・ボーイズ』を初め、5本もある。『カリフォルニア・スイート』『グッバイガール』『わたしは女優志願』『キャッシュ・マン』……あはは、ニール・サイモンのファンみたいなことを日ごろ言っときながら、私の見てるのが最初の一本だけだ。情けないなあ。
 でも、その1本だけでもこのコンビのスゴさは充分語れると思う。
 『サンシャイン』はいわゆるバックステージものなのだけれど、私自身はこの作品はチャップリンの『ライムライト』を越えたと思ってる。ウォルター・マッソーとジョージ・バーンズのかけあい漫才は楽しかったし、二人だけの幕切れがイキだった。三谷幸喜が「東京サンシャインボーイズ」を立ち上げたのも本作へのオマージュだろうが、逆立ちしたって敵うもんじゃないのである。

 いや、それよりも更に、私のロス監督フェイバリット・ムービーは、実はこの一本なのだ。

 『シャーロック・ホームズの素敵な挑戦』。

 ……あえて原題を書こう。“The Seven-Per-Cent Solution(7%の溶液)”。
 これは、いわゆるホームズシリーズの「正典(キャノン)」ではない。映画評論家ニコラス・メイヤーによるパスティーシュ(贋作)小説、『シャーロック・ホームズ氏の素敵な冒険』の映画化なのである。
 ホームズがコカインの常習者であったことは正典にも記載のあることだが、原題の7%溶液というのは、このコカインの濃度のことを表している。このコカインがホームズの頭脳にどのような影響をもたらしたか。
 それを解き明かすのがなんと、実在の精神分析医、シグムント・フロイト!
 ホームズが実在の誰それと会った、という贋作は数あれど、私はこの「フロイトVSホームズ」が、山田風太郎の『黄色い下宿人』(夏目漱石VSホームズ!)と並ぶ傑作だと信じて疑わない。
 ホームズに扮したのは、ニコル・ウィリアムソン、腺病質のホームズをキッチリ演じていた。後に彼は『刑事コロンボ/攻撃命令』でホームズを彷彿とさせる役を演じ、擬似「コロンボVSホームズ」の夢も叶えてくれることになる。……アンタ、知ってるかい? 吹き替え版の声優は平田昭彦だよ!?
 Dr.ワトスンにロバート・デュバル、マイクロフト・ホームズは『OO7/ダイヤモンドは永遠に』で三人目のブロフェルドを演じたチャールズ・グレイ、モリアーティ教授はアッと驚くハムレット名優、ローレンス・オリヴィエ。
 しかしなんと言っても感動なのは、フロイトがもう一人のクルーゾー警部、アラン・アーキン!

 つまりこの映画、「クルーゾーVSホームズ」でもあるんですね(^o^)。

 ラストのオッカケはまんま『キートン将軍』へのオマージュ、果たしてこれはシリアスなのかコメディなのか、けれどともかく数あるホームズ映画の中でもむちゃくちゃ面白いという稀有の傑作なのだ。

 ロス監督はやはりアチラの職人監督、役者の芸に注目する目には確かなものがあったのだと思う。観てない映画もまだまだ多いし、DVDを少しずつでも集めて行こうかな。
 少なくとも『サンシャイン』と『ホームズ』が出たら絶対買うぞ!


 今日はよしひと嬢が泊まりに来るので、仕事から帰るなり、部屋の中を大片付け。でも対して間がなく、トイレ掃除も風呂掃除も取りかかれないまま、タイムリミット。
 博多駅で待ち合わせして、私、しげ、よしひと嬢の三人でメルパルクホール福岡へ。
 開場30分前に到着したが、既にホール開場を行っていた(並んでいる客が多いのでそうしたのであろう。メルパルクは、そういう配慮を殆どしないところなので、鴻上さんの指示かも)。
 周りを見まわした感じでは、ジジババ(私と同年輩以上)は殆どおらず、だいたい20代〜30代のお客さんばかり。てことは旗揚げ当時は小学生以下って子供ばかりなわけで、世代交替してるんだなあと実感。
 どちらかというと、カップルや女性客の方が多い感じ。

 今回の公演は、第三舞台『ファントム・ペイン』。
 20周年記念&10年封印公演だとか。最終公演がオハツ、というのもなんだかなあ。
 デビュー当時から注目してて、鴻上尚史の脚本も『朝日のような夕日を連れて』以来結構買いこんで読み耽り、ビデオなんかでもよく観てた第三舞台だけれども、実はナマで観たのはこれが初めて。
 理由は簡単で、ビデオで観た舞台の様子が、脚本から想像される面白さの半分も面白さを伝えていなかったからだ。芝居が、演出が、学生演劇の延長でしかなかったのだ……って、そりゃ早稲田の学生演劇だったんだから当然なんだけれども。
 もちろん、若さゆえのパワーを感じてはいた。
 それまでの演劇には見られなかった様々なガジェット、たとえばマンガ、たとえばアニメ、たとえば特撮、そういったものを作品中に散りばめることによって、「ああ、この人はボクたちと同じものを見てきている」、そう感じて共感もした(同じようなことを渡辺えり子や野田秀樹もやっていたが、鴻上尚史のほうがより我々に“近かった”)。
 けれど同時に「何か違う」という思いもしていたのだ。
 それはつまり、鴻上さんという人が基本的に「青春野郎」であった、ということに起因しているのだろう。
 鴻上さんには、世の中にたくさんの「許せない」ことがある。それは例えば、「演劇が世間的に認められていない」なんてことも含まれるのだが、ともかく、世の中の矛盾、いい加減、適当なこと、そういうものにたいする怒りを結構露わにしちゃう人なのだ。
 鴻上さんの発言は、だから時として、年下の私から見てすらとても青臭くなることがある。
 教育問題について発言し、「学級崩壊を起こさないために20人学級を実施せよ」なんてことを言ったりする。いや、教育に関する発言、鴻上さんは結構たくさんしてるのだ。

 ……多分、鴻上さんは、演劇の道に進まなければ、教師になりたかったのだ。

 『ファントム・ペイン』は、鴻上さんのかつての作品同様、様々な映画や演劇の影響を受けて作られている。
 もちろん、『朝日』以来、全ての作品に影を落としているサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』は言わずもがなだが、もう一つ指摘しておきたいのは、黒澤明の『赤ひげ』だ。
 青年医師が、頑固一徹な老医師の指導の下、心を閉ざした少女の治療に成功する物語。実はこの二人の関係は、医者と患者のそれと考えるより、教師と生徒のものとして見たほうが理解しやすい。
 『赤ひげ』にこういうシーンがある。
 青年が少女に薬を飲ませようとするが一向に飲んでくれない。
 ところが、老医師「赤ひげ」が匙を差し出すと、初め同じように抵抗していた少女がやがて薬を飲んだ。
 いったい、赤ひげはどんな「魔法」を使ったのか。
 何も使ってはいない。赤ひげはただ匙を差し出し続けただけだ。つまり、「何もしなかった」。

 鴻上さんは教師になりたかったのかもしれない。しかしなれたとして、「よい」教師にはなれなかったろう(「よい教師」なんて概念自体、空中楼閣だが)。 なぜなら、鴻上さんには赤ひげのように「何もしない」ことが出来ない。
 何かをしなければならないと思いこんでいる。
 そして、何をすればいいか、正しく「よい教師」への道が見えていたからだ。
 しかし、これが大いなる罠なのであって、目の前に見える道は、それがどこへ続く道であろうと、決して最善の道ではありえない。
 それが現実だということを、「青二才」の鴻上さんは未だに知らないのである。

 「ファントム・ペイン」とは、「幻肢痛」のことである。事故などで失われた四肢がまるであるように錯覚すること。切断面の神経が圧迫されているために起こる錯覚だ。それをタイトルに選んだ理由について、鴻上さんはこう語っている。

 「例えば、ひとり旅とか、グループ旅行の思い出とかは延々語られていくわけだけど、別れた人と行った旅の思い出は二度と語られないと思うんだよな。
 そういうのはもちろん俺にもあるし、誰でもある経験だろうと。じゃあ、その語られなくなった言葉は消えてしまったのか。いや、もしかして、ふたりが共有していたモノに閉じこめられているだけかもしれない。もし、そのモノに込められた“語られなくなった言葉”を読みとることが出来る人物がいたら……」

 気がついているのだろうか、鴻上さんは。
 そんな人物の存在自体が「幻肢痛」であるということに。

 『スナフキンの手紙』の続編として書かれた本作は、「争いのない」平成の現代日本に飛ばされてきたパラレルワールドの人々が、かつての仲間たちと邂逅を果たすところから始まる。
 かつて、この世界に飛ばされるきっかけとなった、インターネット上のサイト「やんすネット」を通じて語られていた謎の言葉、「スナフキンの手紙」。
 それが、この世界にも「ある」というのだ。しかも、その言葉が語られているサイトの名は「やんすチャンネル」。
 彼らは、その管理人に会おうとするが、彼は今まで20年も自室に「ヒキコモリ」の状態でいた。パラレルワールドの人々は彼を外に引き出すため、ヒキコモリの部屋を前にしての、「岩戸神楽」を試みていく……。

 ……お客さんはね、ここから大いに盛りあがってたのよ。
 役者たちが次から次へとヒキコモリくんを呼び出すための方法が楽しくて。
 「楽しいことをすればいいんだ!」
 カンケリ、サッカー、フルーツバスケット、ミュージカル、etc.……。
 どれもヒキコモリ君の心には届かない。
 ……届いてないのに、どうして観客はああも笑えるか?
 いや、笑ってていいんだよ。
 ヒキコモリくんも、そして舞台で飛びまわってる役者たちも、そして実は観客たちも、みんな「舞台」という名の部屋に引きこもってる人たちなんだから。

 私がどうにも不快に陥ってしまったのは、このときのミュージカルシーンで、役者全員が唐突に「一緒に滅びましょう」と歌ったことだ。
 このセリフは、ヒキコモリくんに投げかけられたセリフでもあるが、観客に投げかけられたセリフでもある。
 それで一気に気持ちが覚めていった。
 なぜ、私があなたたちと一緒に滅びなければならないのか?
 コトバを逆転させようと、本質的な意味は変わらない。このセリフにあるのは陳腐な共同体幻想であって、鴻上さんがやったことは、「私たちと一緒なら幸せに慣れるよ」と誘うただの「宗教の勧誘」にすぎない。
 そして、カーテンコール、「信者」たちがあちこちで立ちあがり拍手を送る。
 ……彼らの中のどれだけが、「一緒に滅びましょう」の意味に気付いたというのだろうか?

 だからこその封印、ということなのであろうか。
 劇団が封印されるだけではない。
 観客もまた、「第三舞台のファン」という立場を追い出され、どこかに閉じ込められるのである。
 かつて、第三舞台の芝居に熱狂し、公演のたびにかけつけていた同世代の客たちは、今、殆どいなくなっている。
 小劇場ブームは、結局、一過性の流行現象でしかなかった。
 オトナになり、演劇を生活の必需品とする習慣の消えた人々、言わば、劇団との共同体幻想を持ち得なくなっている人々は、とうに第三舞台から離れているのだ。
 劇場に足を運ばなくなった彼らこそが、「語られなくなった言葉」なのだ。
 彼らが姿を消したのは、鴻上さんが「言葉をないがしろにしてきたツケ」だとは言えまいか。 

 しげやよしひと嬢はそれでもまあ満足したようである。
 「役者がみんな『芝居が大好きだ!』って感じがいいの。第三にストーリーなんか期待してない」
 と誉め言葉になってないことを口にするしげ。
 役者の何人かについて、自分たちの芝居と比べて、あれこれ見習わなければ、などと話し合う。
 特に、今度私が書いた脚本の中に登場させたヤツとよく似たキャラがこの『ファントム・ペイン』にも出てきたもんだから、「あんな風に演じればいいんだよねえ」などと某くんへの愚痴を言うよしひと嬢。
 ……なんかシンクロしてんなあ、とつい思っちゃったのは、その「よく似たキャラ」を演じてたのが、私の高校時代の友人で、池田成志というやつだったからだ。すごく親しいというわけでなくて、普通の友達の間柄だったので、卒業後特に連絡をとってはいなかったが、間に知り合いを介在して、今でもちょくちょく近況を聞いたりしてはいるのである。
 ……本人も役がらそのまんまなやつなんだけどね。


 帰りにロイヤル・ホストで三人で食事。
 よしひと嬢、会社の悪口を言いまくる(笑)。
 大分疲れがたまっていたので、タクシーにでも乗ってさっさと帰りたかったが、いかんせんそんなカネはない。
 ……パンフレットがなあ、DVDつきで、3600円もしやがったんだよ。……こういうときは、別売りにするもんじゃないのか?


 帰宅して、慌ててトイレ掃除、しげは風呂の準備。
 こういう時、結局汚いほうを私がやるのだ。つくづく性格の悪い女房に引っかかっちまったなあ。

 録画しておいたNHK教育の新番組アニメ『おいでよ! ヘナモン世界 カスミン』第1話を見る。
 全く前情報ナシに録画したんだが、なんと、『クレヨンしんちゃん』の元監督、本郷みつる氏だったのだった!
 更に更に、キャラクターデザインは『おじゃ魔女どれみ』シリーズの馬越嘉彦、制作は『To Heart』のオー・エル・エム。どういうわけだか「ヘナモン監修」に荒俣宏(^o^)。つまり「ヘナモン」ってのは妖怪なわけだ。
 こりゃ結構強力な布陣ではないかな?
 なるほど、日常的な描写がなかなか細かくて上手い。主人公の春日カスミがベッドにポンと横たわるときに足なんかが投げ出される感じ、華奢な重さが感じられててすごくいいぞ。
 両親がアフリカに行くことになったカスミの下宿先は、なんとオバケ屋敷だった、って設定はありきたりなんだが、そういう細かい描写で見せる。少なくとも、これまで観てきた新番アニメのなかじゃあ、出来は格段にいい。
 ……でも気がついてみたら、毎週楽しみに見てるアニメが段々少女ものに傾いてきてるなあ。
 あ、いや、別にちっちゃな女の子が好きだからってワケでは(^_^;)。

 『ヒカ碁』『ナジカ』をよしひと嬢に見せる。
 やはり原作ファンなだけあって、『ヒカ碁』はお気に召さなんだご様子。
 後は疲れてみんな眠る。……久しぶりに私はイビキをかいたらしい。また鼻詰まりが再発し始めたかな?

2000年10月13日(金) 病気自慢と白髪三千丈と……ね、眠い/映画『レッド・ブロンクス』



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