無責任賛歌
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2001年10月27日(土) |
どこまで行くのかな、クラリス……天神まで行きました(-_-;)/DVD『STACY』ほか |
オタアミ当日まであと28日! 28日しかないのだ!
先週は法事だったし、先々週は休日出勤だったし、残業は多いし、ようやく休みが来たなあ、という感じの連休。 ともかく更新の遅れてる日記をメモに基づいて、やっさ(←博多弁)書いてるわけだけれど、一日二日経つともう記憶が曖昧で、特にメシに何を食ったかというのはきれいサッパリ忘れている。 これを書いてるのは日曜の夜なのだが、昨日の今日だぞ、いくらボケるにしても早過ぎやしないかと、一生懸命、脳を攪拌して、そうだそうだ、昨日はロールキャベツを作ったんだったとやっと思い出した。 最近、炊飯器の調子が悪くて、磨ぎがあまく、3合以上炊くと、苦くて食えなくなっちまうのだ。 そのことはしげにもちゃんと言っといたのに、私に輪をかけて記憶力がない(多分こいつの脳に海馬はなくて、海牛か海豚か海ミドリムシか海コノドントがあるのだ)しげが4合も炊いたものだから、くさいメシが釜一杯にあふれてしまっている。 これをどう処理したらいいものやらと、ともかく「おじや」にでもするしかないと、とんこつとコンソメスープをベースにポン酢で味を整えて、ロールキャベツを茹でてメシにぶっ掛けて食ったわけである。 あ、意外と美味い(^^*)。 なのにしげは一口も食べようともしない。 自分の失敗のあと始末もできないんだから、心底、性根が腐っているのである。
最近、買うばかりで全然見れていないDVDを、少しでも消化しようと、待望の(^^)『STACY』を見る。 原作のオーケン、特別出演した上にメイキング映像でコメントしてるが、これが大笑い。 「まあ、十年くらいあとでカルト映画として評価してもらえたら嬉しいかな」 絶対ヒットしないってちゃんとわかってるじゃないの(^^)。 ううむ、しかしこれだけどう評価したらいいか迷っちゃう映画もないなあ。それは別に加藤夏季が出ているから貶したくないというばかりではなく(^_^;)、完成度とか、全体的にはクソ映画と言ったっていいのだけれど、捨て難いところが結構あるんだよねえ。 ステーシーのメイクや撮り方がチープだとか、いらない登場人物が多過ぎて整理されてないとか、筒井康隆と内田春菊の演技の下手さ加減はなんなんだとか、それは突っ込んでいいものなのやら。 15歳から17歳の少女たちが突然ゾンビ(ステーシー)化していくのはなぜか、なんて理由を描写したって仕方がないということはわかる。それはただの象徴に過ぎないから。これは「美少女アニメ」だの「特撮」だの、その年頃の少女たちに幻想を抱き、救いを求めなければ心が癒されないでいる哀れなオタクたちへの痛烈な皮肉であるし、愛でもあるのだ。 まあ、わかりやすく言えばステーシーたちは巨大アヤナミなわけですよ。包まれたいし食われたいと言う(^^)。実際、累々と横たわる死体の中に少女が白く浮かび上がるっていう劇場版『エヴァ』みたいなシーンもちゃんとあるし。 でもだからこそ、この映画はもっとリリカルに描けたはずだと思うのだ。別にスプラッタ描写を抑えろと言いたいのではない。ゲチョゲチョ、グログロ、ヌトヌトだってそれを美しく感じさせる演出ってのはあるのだ。と言うか、そのグッチョングッチョンを美しく見せられないで何が映画か。映画の才能が監督にない、それが一番の問題点だ。 だいたい、これはハイビジョンには向かない題材だよ。 なぜフィルムで撮らなかったんだよ。これは絶対に「なつかしい」映画にしなければならないと言うのに(かと言って大林宣彦に撮らせると『いつか見たドラキュラ』になっちゃうけどな)。 尾美としのりや蛍雪次朗が随所でいい演技してるだけに、もっと面白い映画にできたはずだと、もったいなくてもったいなくて。 何より、腹が立つのは、主演、加藤夏季ぃぃぃぃ? ゲストやん! 登場シーン、多分筒井康隆より少ないぞ! それは加藤夏季がこの物語を影で牽引する「天使」みたいな役だからしようがないとして、カメラ、もっとカットを割らんかい! 漫然と撮るだけじゃこの少女の神秘性は描けないぞ! この少女には現実感を感じさせてはならんのだ。 超ロングか、アップか、どちらか一方、中途半端な撮り方をしちゃいけない。「よく見せない」ことで、そのイミを観客に感じさせねばならないのだ。 つまり『ゴジラ(1954年版)』のように加藤夏季を撮らねばならないのだ! これだから中途半端な特撮オタクに映画撮らせるとよう。 (T^T)(^T )(T )( )( T)( T^)(T^T)
昼は疲れ切っていたのが夜近くまでぐっすり昼寝。 カラダは休まったが、何もしないで一日が過ぎるというのももったいないので、買い損ねているマンガを買いに、車でキャナルシティの福家書店へ。 文庫も含めて十冊ほど買いこんで、ウェンディーズで晩メシ。 ここまでは何の問題もなかった。 行きのしげの運転も順調だったし。
「初心者」の恐怖を私が味わうのはこれからである。
自宅からキャナルまでは、車ならおそらく二十分ほどの距離である。自転車でだって、30分で余裕で着く。 キャナルを出たのが6時30分。まあ、7時にはウチに帰りつくであろうと考えるのが自然なところだ。 誤算の一つは、車だと、キャナルから道に出ること自体、時間がかかるということだった。5、6、7、8階の駐車場の車が、一斉に1ヶ所の出口から出ようってんだから、これは時間がかかる。ようやく道に出たのは7時10分前。……20分もかかるかよ。 私は夜だと全く夜目が利かないので、助手席に座っていてもナビはできない。 「一方通行とか、そういう標識全然わかんないから、どっちに曲がればいいか、地図で確認しといてくれよ」 「うん、わかった」 しげは、地図を見て確認して、堂々と言った。 「道に出たら左へ曲がるよ」 ……このとき、私は不安を感じるべきだった。 行きは右の方からこの駐車場に入ってきたのだ。ならば右に戻るのがスジと言うものである。しかし、地図で確かめてまで間違いをしでかすとは普通、思えない。 「いったん左に行って右に曲がるから」というしげのセリフを素直に私は信じてしまったのだ。相手はしげだと言うのに。 予定通り左に曲がって、中洲の手前まで出て、しげが言った。 「あれ? 右に曲がれない」 道路の上の矢印が右を向いていない。このまま進めば、天神に向かうことになる。 「しょうがない、いったん天神まで出よう」 「ちょっと待て、なぜ天神まで出なきゃならん? 中洲の中を通って逆戻りすればいいじゃん」 「でも中刷って一方通行多いから道わかんないし。まっすぐ行って左に曲がるよ」 わかんないも何も、目の前を車が中洲に何台も入って行ってるのだ。それが見えないのか。 そう言ってもハンドル握ってるのはしげだし、どうにもできる状況ではない。そのまましげは直進しようとするが、あっと言う間に渋滞に巻き込まれる。こうなると右へも左へも行けない。 「おまえ、左に曲がりたいって言っときながら、どうして左車線に行かないんだよ。これじゃもう、信号のところで中洲の方に向かうしかないだろ」 「……わかった、あんたの言うことを信用しよう」 「信用しようって、いつも自転車で通ってるときに車がどう動いてるか見てるだろ!?」 結局中洲を通りすぎ、明治通まで出て、さらに大博通りまで戻って、ようやく博多駅の方へ向かった。 この間、30分。最初右に曲がってりゃ1分の距離をこれだけかけやがった。さすがは若葉マーク。っつーか、しげ以外の誰にこんなバカなマネができよう。 「だって、この道行けばいいのかなって思ってるときには通りすぎてるんだもん」 教習所、なんでこんなやつに免許取らせた。何か間違ってないか。 帰宅は結局8時。20分の距離に一時間半か。やっぱりこれはしょっちゅう練習させないと危なっかしくってしかたがない。 ……結局、また私の仕事が一つ増えたってことなのかよう(T∇T)。 私の心労をヨソに、くそしげは言うのであった。 「今日は天神まで行けたね♪」
夜中にどこぞの民放で『マネーの虎』というのをやっている。 お金持ちの社長に、一般視聴者が応募して、事業のための出資をしてもらおう、という番組らしい。 なんかSMの女王様とかいうのが、「女性のための焼き鳥屋を開きたいから、3500万円くれ」とか言っている。 「今、SMの店やってるんでェ、月200万ほど金が入るんだけどォ、すぐ店を開きたいからァ、3500万円出してほしくってェ」 私はSMびとに偏見はないが、こういうバカは捻って潰したくなるので、居並ぶ社長さんたち、出資したりするんだろうかと見ていたら、案の定、誰一人お金を出さなかった。 だいたい、なんでSMから焼き鳥屋なんだか、言ってることがわかんねーよ。この番組、表向きは「何かをしようとする人たちのために援助を」とか言ってるが、その実はマトモに努力して働かずに出資金出してもらおうとするバカを晒し者にして笑うための番組なのだろうな。
2000年10月27日(金) 頼むから一日12時間も寝るのは止めて/映画『少年』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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