無責任賛歌
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2001年10月23日(火) |
凡人礼賛/DVD『エイリアン9』2巻/『魔獣狩り』(夢枕獏・木戸嘉実)ほか |
オタアミ当日まであと32日! 32日しかないのだ!
長らくなくしていた家の鍵が、ようやく見つかる。 ともかく、ここしばらくもう、忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて、アタマが回らなかったので(口だけは回ってるが)、どこにやってしまってたか思い出すこともできないでいたが、なんとか記憶を遡って、合羽のポケットの中に入っていたのを見付けたのである。 一緒に印鑑と自転車の鍵も発見。これがないとマジで大変なことになるところだった(^_^;)。
関係ないけど、今ドキの若いヒトは、「合羽」なんて言わないよね。たいていは「レインコート」。 けど、こりゃ感覚的なものなんで仕方がないのだが、どうもそんな西洋風な言い方をしなけりゃならんほどのたいそうなもんかい、という気がどうしてもしてしまうのである。 他にも私ゃ、未だに「ハンガー」なんて言わずに「えもんかけ」って言ってるもんね。元からある言葉で充分表現できるものを、奇妙なコマーシャリズムに乗っかって言い替えるこたあないと思うんである。
今週の『ジャンプ』の立ち読み、と言っても相変わらず読んでるのは『ヒカルの碁』だけ。単行本で買ってるマンガは出来るだけその時の楽しみに取ってるものでね。『ヒカ碁』だけ立ち読みしてるのは、それだけ辛抱たまらん精神状態になってるからだと思ってもらいたい。 しかし、ヒカルも連載当初に比べると、すっかりオトナな顔になった。等身もスッキリ伸びて、もうすぐ高校生、という感じがちゃんと出ている。カラダはちゃんと成長しつつあるのに、ヒカルの心はまだそれに追いついていない、というか、ヒカル自身の心も変化と成長の兆しを見せているのに、それをコントロールする術を知らずに戸惑っている、そういう表情すらヒカルは見せ始めているのだ。……小畑さんの画力の卓抜さよ(@。@;)ゞ。
話の方は、まだまだ引くのか、佐為は復活しないまま。ヒカルの葛藤、相当根が深い。 余りはっきり書いちゃうとヒカルファンには怒られるかもしれないが、このヒカルの碁の魅力の一つは、ヒカルの幼いサディズムにあったと言っていい。 「友情・努力・勝利」の三つが、ジャンプマンガのテーマだとはよく言われることだ。しかし、果たして本当にそうだっただろうか。 実のところ、この「努力」の部分は、ジャンプマンガにおいては極めてリアリティがなかったり、希薄だったりしていたのである。 『ヒカ碁』も『シャーマンキング』もそうだが、主人公が強いのは、本人の力ではなく、「なにか超自然的なモノ」の力を借りている場合が多い。あるいは「生まれながらの星の運命により」なんてパターンだ。本人が全く努力をしないわけではないが、ごく普通の人間が本当に努力してなんとかなった、なんて話は地味過ぎてジャンプのカラーにはあっていないのである。 実際、そんな「ホンモノの努力」を描いたマンガを、私はジャンプ誌上においては、古い例で申し訳ないがちばあきおの『プレイボール』ぐらいしか知らない。 ちばさんが「凡人の努力」を描いて描いて、描き続けた果てにどうなったかを考えると、結局ジャンプは「本当に努力している人」なんか必要としていなかったのではないかという気さえしてくるのだ。 『アイアンジャイアント』を例に引けば解りやすいだろうか、ジャンプマンガの魅力とは、詰まる所、「強大な力」を手に入れ、それを自分の支配化に置くことの快楽に他ならないのである。だから、サディズム。 ヒカルはさんざん佐為を利用してきた。 本当は自分よりはるかに高みにある佐為を、何の力もないヒカルが支配下においていたのだ。ヒカルは、あるいはヒカルを自分の立場に置き換えて状況を楽しんでいた読者は、右往左往させられる佐為を見て、どれだけ溜飲の下がる思いをしてきたことだろう(「かわいそう」と同情していた、という人もいるかもしれないが、同情が優越感の裏返しであることは自明である)。 けれどようやく佐為は「解放」され、ヒカルはただの人に落とされた。 ここで作者は従来の読者に対して、これまでと同等の快楽を与え続けることを拒否した。物語はついにタイトル通り、『“ヒカルの”碁』を描き始めたのだ。もしかすると本作は、ジャンプマンガのセオリーから逸脱して、全く新たな地平を切り開いていくのではないか。 たとえ佐為が復活したとしても、今までのような読者のサディズムを満足させるような展開にはなるまい。下手をしたら、人気はズルズルと落ちて行くことにもなりかねないが、それでもいいと思う。凡百の見せ掛けだけのヒーローマンガにはすっかり食傷している。ファンの方には悪いが、中年になろうという私には、『ワンピ』も『テニプリ』も『マンキン』も『ナルト』も、全て「どこかで見たことのあるマンガ」でしかないのだ。 私は、同じ勝負ものではあっても、新しいマンガが読みたい。本当に普通の子が、一歩一歩、自分で自分の階段を登って行く、そういうマンガを読みたいのだ。そんなマンガ、いかにもありそうだけれど、実際には殆ど書かれたことがなかったのだから。 ややこしいことをコネ回して書いてきたけど、つまりようやく『ヒカ碁』は、読者に「君だってヒカルになれる」と訴えるマンガになりつつあるのである。……やっぱり佐為には復活してほしくないんだよなあ。
帰宅してみると、しげは留守。 携帯に電話してみたら、どうやら鈴邑くんたちと飲んでるらしい。 「理由」は察しがつくので、「いつ帰る?」などと野暮なことは聞かない。 私がよく他人から「いい夫」などと誤解されてしまうのは、こういうときくだくだと妻に絡んだりしないからだが、これは単に私の美意識の問題だったりするのだ。 事実、しげには私があまりに淡白なので、「もうちょっと心配してほしい」と言われて不評なんだが。 けどここで私が「いつ帰るんだよう。オレをほっといてどこ遊び歩いてるんだよう。本当はオレの知らない誰かと浮気したてるんじゃないのか。きっとそうだ、エエエ悔しい口惜しい、この裏切りものめ、○○め、○○め」とか言い出したらすごくイヤだと思うんだがな。
帰宅したしげ、にへらへらと笑って飛び跳ねながら抱きついてくる。 なんかラブラブですってか? いや、そんなツヤのある話ではござんせん。全体重をかけてのしかかられるので、腰に来るだけですって。 ま、お察しの通り、しげがついに自動車の実地試験に合格して、「若葉マーク」をもらったってことなんですけどね。
まだ筆記試験が残っているが、本人は「アンタ知らないね。私、公式の暗記だけは得意なんだ」と言う。 つまりそいつは、「応用はてんでダメ」ってことだから威張れたコトでも何でもないんだが、どっちにしろ8月から初めて三ヶ月、飽きっぽいしげにしてはよく続いたものである。ここは素直に誉めてあげよう。 まあ、口には出してやらん(^^)。 私が余り嬉しそうでもないので、しげ、なんだか不満顔だが、これも博多人の美意識なんだと思いなって。
劇団メンバーの鈴邑くんの話。 彼に二人目の赤ちゃんができたことはこの日記にもチラチラ書いてたと思うのだが、今日しげから彼が現在「求職中」であることを初めて聞いた。 「……なんで? こないだ仕事めっかったとか言ってたばかりじゃん」 「だからやめたって」 「赤ちゃんもいるのに? いったいなんでまた……」 「前に勤めてたとこより、今の職場、給料も安いし休みも取らせてくれなかったんだって」 「だからって、すぐに次の職が見つかるかどうかわかんないのに……」 「日曜日にも仕事入れられちゃうんで、『劇団に顔出せないから困る』って上司に言ったら、『劇団と仕事とどっちが大事だ!』って怒鳴られたんで、『劇団です!』って言って辞表出したって」 ……ああ、なんかカッコイイ。 カッコイイけどバカだぞ鈴邑君。 いや、雇用条件を詳しく知らないから簡単にバカって言っちゃいかんかもしれんが、少なくとも私が同じことをしたら絶対周囲からは「バカ」って言われる行為だよ、それは(・・;)。 しげはもう単純に喜んで「そりゃ『仕事か劇団か』って言われたら『劇団』って言うよ」と笑ってるが、そう割り切って言えることでもないってばよ。 しげの情報伝達能力は極度に低い“ILT”(インフォメーション・ローテクノロジー)なので、どこまでが本当の話なのか分らないが、少なくとも「仕事と私生活のどちらが大事か」などということを本気で部下に言う上司のいる会社があったとしたら、そこは真実ロクでもないトコだってことは断言してよかろう。 ウチの職場だって、雇用条件が決してよいとは言えないが、「私生活を犠牲にしても仕事に従事せよ」なんて、思ってても口には出せないことくらいは上司も知っている。「あとでオゴりますから」「短時間ですみますから」「ちょっと押してるんでどうか一つ」とこちらをだまくらかして残業させたり休日出勤させたりしてるだけである。 不況でどこも大変だってことはわかるが、それだからこそ、社員の雇用条件を適正に確保する努力が企業には求められているし、それを考えなきゃ本来の意味でのリストラクチャーはできないはずなのだ。リストラを即首切りと考える会社なんて、世間からの信用を得られるわけないでしょ? かえって会社を弱体化させるだけだって。 もし、いつ潰れてもおかしくないような職場だったんなら、その前にトンズラ濃いた鈴邑君は賢明だったのかも知れない。 でも、はやいとこ仕事見つけナヨ、鈴邑君。なんか話聞いてると、どんどん雇用条件の悪いとこ悪いとこに移ってるみたいだし。最初の就職口が一番よかったんじゃないか? 今考えると。
……しかし、そうなるとウチの劇団メンバーで、一つトコで一番長く仕事続けてるのって、よしひと嬢の次に藤田くんなんだなあ。 こりゃ意外な事実でビックリ。
DVD『エイリアン9』2巻「退屈 宇宙船 過成長」。 原作1巻の後半部分をほぼ忠実に映像化。 けど、ちょっだけセリフに改変があって、ゆりが恐怖のあまりボウグを「過成長」させちゃったのを見た久川先生の「この子がこんなにダメな子だったなんて」というモノローグがアニメではなくなっている。 「先生」のセリフとしてはちょっと残酷過ぎる、という判断か、話のテンポをとぎらせないためのカットか、そのあたりはよく分らない。しかしこのセリフがあるとないとでは、作品自体の印象がひどく異なる。 あればやっぱりゆりは「ダメな子」なままだが、ないと「この子はまだ自分の才能に気付いていない、ボウグのコントロールがまだできないだけで、潜在的な能力にはスゴイものがあるのだ」という印象が続くことになる。 前巻の感想にも、この作品、原作のイビツさがアニメでは修正されていることを書いたのだが、ストーリーが同じようでいて、絵やちょっとしたセリフで、随分、「健康的」な印象に変わっているのだ。 正直言って原作の方はどうも作者自身がキャラクターに対してサディスティックになってる面が垣間見えていて今一つ好きになれないのだが、アニメの方は何となくではあるが「希望」がありそうな感じで好印象。全何巻になるのかな? 原作の消化ペースからいけば6巻程度で終わりそうなんだが。 原作はまだ1巻しか読んでいないが、ラストを読むのはアニメを見終わってからにしようかと思う。
マンガ、細野不二彦『ザ・スリーパー』2巻(小学館・560円)。 細野さんのマンガも好きと言えば好きなんだが、どこかのめり込めないところがあるのは、やっぱり基本的に作者が「暗い」からなんだろうなあ。 いや、別に作者の性格を云々したいんじゃなくて、絵や線がどうにも腺病質なんである。 折り返しに作者のコメントが載っていて、「合体! 変身! 正義のヒーロー登場!! 一度は描いてみたかった少年ヒーロー漫画王道のパターンです!」なんて書いてるけど、だったら「精神世界で妄想と戦う」なんて設定にするんじゃないよ、と言いたい。そんなん「王道」でも何でもないやんかと。 そのあたりの勘違いが、読者の感情移入を拒否するようなキャラクター造型につながってきてるのだ。精神世界に行ってる間の主人公の少年ひつじの表情、目は白目剥いてるし口からはヨダレ、生汗かいてて気色が悪いったらありゃしない。こんな絵を描く必然性なんて全くないんだが、こういう「壊れた」顔を描くことが、細野さん本当に好きなんだよねえ。『猿飛』や『ガンモ』のころもチラチラそういう気配はあったんだが、メジャーを離れてからは(^^)、その傾向が一気に顕著になった。 でも、細野さんが人間をどう見ているかは知らないが、自分の歪んだ人間観を読者に押しつけるようなことはあまりしない方がいいと思うんである。少なくとも自分が「王道」を描こうって思っているならば。 いや、本人がマイナー漫画でいいんだって思ってんだったらこんなイヤごとは言わないんだけどね。
マンガ、夢枕獏原作・木戸嘉実漫画『サイコダイバー魔獣狩り』(双葉社・980円)。 セガのなんのゲームだったかなあ、この「サイコダイバー」って言葉を勝手に使って、獏さんから(なんか夢枕さんって言い方がピンと来ないね、この人の葉場合は)「そりゃオレの造語だ!」って文句つけられたことがあったっけ。 こういうSF用語には一般名詞としての科学用語で著作権の発生しないものとするものが混在していて、シロウトにはなかなか判別しにくいのだが、だからといっていい加減にしていいものでもない。獏さんの主張は全く正しいのである。 もちろん、「サイコダイバー」という言葉を使わせない、なんて偏狭なことを獏さんは言いたいわけじゃあるまい。 事前に、使用許可を得ればよかっただけなのだが、そう作者の中には「ま、いっか」で済ましちゃういい加減なヒトも多いのである。 こないだ見た鴻上尚史の『ファントム・ペイン』、その前作の『スナフキンの手紙』でも、「サイコダイバー」って言葉を平気で使ってたが、さて、獏さんにヒトコト断った上で使ってるのかなあ。鴻上さんの芝居って、既成作品からの引用が多いせいか、どうも言葉遣いが雑然としていて耳障りなことが多いのである。これもわざわざ「サイコダイブ」なんて言葉に拘る必要なんてないんで、許可を得ずに勝手に使ってる気配が濃厚。鴻上さんもいろいろ芝居について大風呂敷を広げる前に、自分の足元を見てたほうがいいんじゃないかな。
それは余談(^^)。 実は原作は読んだことないんで、マンガとの比較はできないんだけど、同じ精神世界モノの細野さんのグログロ、グチョグチョよりは随分サッパリとした印象。いや、もちろんバイオレンスはあるんだけれど、基本的にアニメ絵なのであまり気色悪い感じはしないのだ。 それをヨシとするか物足りないとするかで評価は分かれると思うが、獏さんは基本的にどんなバイオレンス描写を行っても「希望」のある物語にしようってポリシーはあるヒトなんで、私はまあまあいいんじゃないかと思う。何より新人さんに原作もので力をつけさせようって試み自体はどんどんやっていいと思うし。 確かに絵柄の単調さがキャラクターに深みを与え損なっているし、何より敵が大ボスに至るまで小粒なヤツにしか見えないってのは結構イタイ欠点。 でもふんだんに大ゴマ使ってるあたり、この新人マンガ家さん、なかなか度胸はあるのだ。原作読んでみようかな、という気にさせられる程度の魅力はあるって感じだろうか。
2000年10月23日(月) 浮かれたホークスファンは情けない/アニメ『犬夜叉』『人造人間キカイダー』第2話ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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