無責任賛歌
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2001年10月08日(月) |
これは戦争ではない。……まだ。/映画『クイーンコング』/『カムナガラ』3巻(やまむらはじめ)ほか |
オタアミ当日まであと47日! 47日しかないのだ!
劇団ホームページの方の公演情報、まだ私が出演することになってるなあ。いい加減で変えないか。
連休最終日。 起床は7時半。 夕べは映画『陰陽師』を見たあと、床に倒れこんで、そのまま寝てしまったので(どこでも寝れるという特技は、こういう時かえってカラダを壊す原因になるのがネックだよなあ。最近、行き倒れ式に眠っちゃうこと多いぞ)、ちょっとカラダの節々が痛む。
パソコンで「エンピツ」の日記サーフィンをしていると、ところどころに、「戦争」の文字が踊っている。 もしや、と思ってテレビをつけてみると、やっぱり「米英アフガン空爆」のニュース。ブッシュ大統領がなんたら演説しているが、どうも真正面から見るとこの人、マヌケに見えて仕方がない。タリバンがビンラディン引き渡しゃ話は片付くのにそれをしないのは「こんなマヌケ顔に頭下げてたまるか」と思ってるからじゃないのか。 イスラム圏では、人を罵倒するのに「犬」と譬えるそうだが、実際、犬に似てるものなあ(「犬に失礼」との説もアリ)。
それにしても、ネット上では、宣戦布告もないのに「戦争」だあ、と騒ぎ立ててるヤツらが多いのにはビックリ。これは「報復攻撃」であって、「まだ」戦争ではない。ブッシュがいかに「WAR」を繰り返そうと、国際法における「戦争」には当たらないのだ。 もっとも、日本の新聞やテレビがヒトッコトも「戦争」というコトバ使ってないのは、そうしちゃうと自衛隊派遣が「戦争協力」ってことになっちゃうんで使えないんだろうけど。 どっちにしろ、アメリカがあれを「戦争」と呼んでいるのは、自国民の報復の意志を駆りたて、国際協力をも得たいがための宣伝工作の一環にすぎないのである。だから、直接テロにあったわけでもない日本人が、盲目的にあれを「戦争」と呼ぶことは、とりもなおさずアメリカの認識に追従することにしかならない。 そんなに今回の攻撃を「戦争」に仕立て上げたいのはどうしてかね? この攻撃がどんどん拡大していって、本格的な戦争になればいいと願っているのか? そうでないなら、安易に「戦争」なんてコトバを使うな。 「21世紀型の戦争」とか、一見意味ありげで、その実何が言いたいんだか分らない言質を繰り返して喜んでる軍事評論家モドキと同じレベルだぞ。 ……民間レベルでは戦争について、その程度の認識しか持てないのかねえ。
もちろん、今回の空爆によって、罪のない民間人も多数、死傷しているに違いない。たとえこれが現時点では「戦争」ではないとしても、その「死」は紛れもない事実だ、と主張する方々はおられるだろう。 けどねえ、みんなヒステリックに「民間人がたくさん殺されてるんだぞ!」と叫んでるけどさあ、さて、今まさに民間人を殺しているのは本当にアメリカだって言えるのか、ちょっと考えてみたらどう? アフガニスタンもまた、ワザと自国民を犠牲にしているってことに、気がつかない? あのさ、ビンラディンもオマル首相も、アフガンの閣僚が全く犠牲になっていないのに、どうして民間人にだけ被害者が出てるわけかな? つーか、攻撃ターゲットになってる周辺にどうして民間人がいるの? 危険区域にそれと知らせず、置き去りにしてるからに決まってるじゃないの。 これは、タリバンが「民間人をアメリカは虐殺した。悪いのはアメリカだ」と自分たちを正当化するためにあえて自衛をしなかった、そう考えるのが自然だよねえ。
「パールハーバー」のときみたいにさ。
はい、戦略マニアにはお馴染みでありましょう、田中芳樹の『銀英伝』でも同じ手が使われておりました、「あえて犠牲者を出して戦意を鼓舞する」作戦であります。 ……だからこの程度の見え透いたプロパガンダに乗せられて、「イスラムは正しい、アメリカは悪だ」あるいは「戦争自体が悪だ」と主張するヤツらはただのバカなんだって。 で、このバカが歴史上、いなくなるってことはまずないから実に有効な手なのだよなあ。 アメリカも既に自国民の犠牲者をを「利用」してここまで戦略を拡大させている(日本の「英霊」と全く同じ扱いになってるじゃんかよ)。この事件について何か感想を述べるだけで、我々は否応なしに「戦争に巻き込まれる」ようなシステムが作られつつあるのだ。 いや、もはやアメリカの犠牲者、あるいはイスラムの犠牲者、どちらか(あるいは双方)に「同情」する気持ちを持つことすら、「戦争肯定」の「思潮」に荷担せざるを得ない状況になりつつあるのである。「イデオロギー」やら「宗教」ってのをあまく考えちゃいかんよ。
だから言ってる。 政治家は何らかの態度を取らざるを得ないからしゃあない。けど、民衆まで過剰に反応する必要はないのだ。 こんなのは「対岸の火事」だ。 無視しろ。
ビンラディンの最新映像とやらも何度となく流れて、「ジハード」を訴えている。これだけはっきりとこれは「宗教闘争」である、と宣伝してくれているのだぞ。日本人には全く無関係ではないか。一体いつから日本はキリスト教国になったのだ? 日本の米軍施設が襲われる危険性? そんなもん、ホワイトハウスが再攻撃目標とされることに比べたら針の先ほどの可能性もないぞ。 デマを広げようとしてるのは誰だ?
そして、そのデマに乗せられかけてるのは紛れもなく、アナタなのです。
しげが言う。 「戦争になったら、何がイヤかって、『隣組』とかでご近所と『協力』しなきゃならないってのが絶対イヤ。そんなんするくらいだったら、『特攻』して犬死した方がいい」 至言である。 敵は常に身内にアリなんだものねえ。
しげとマツダに寄って、手続きの残りを片付ける。 しげの銀行印などを押して、これでほぼ書類は出揃う。あとはしげが住民票を取ってくるのと、マンションの管理会社から車庫証明が届くのを待つだけだ。 外はポツポツと雨が降りだしていたが、映画に行けるのはもう今日しかないので、自転車で傘さし運転、ちょっと危ないが、なんとか博多駅までたどりつく。
シネリーブル博多駅、実は前売券が公開当日でも一階のチケットぴあで売っている。……少しでも客に入ってほしいという健気な心がけなのだろうか、先にそこでチケットを買って、映画『クイーンコング』を鑑賞。
タイトルでおわかりの通り、これは女版の『キング・コング』、もちろん正当な続編などではなく、徹底したバカパロディ映画である。いやもう「パロディ」なんてコトバも使いたくないくらい、ヘタレたモジリの連続で、ただひたすら「バカ……」という感想しか出て来ない。 面白いとかつまんないとかいう評価を超えているのだ。 筋はもちろん旧作の『キング・コング』(ナカグロで区別しよう)に則ったもの。なんたって、主役の名が「レイ・フェイ」だ(フェイ・レイが生きてるうちにこれを見てたら、どう思ったかなあ)。
女の、女による、女のための映画を作ろうとアフリカに出かける(なんで?)女映画監督。主演の男・レイを誘拐して、女だけの部族の村に潜入したとたん、レイはまたもやその部族に誘拐されてクイーンコングの生贄に出される。 で、恋に落ちるレイとクイーン。 レイを襲う恐竜ティラノ“ハリボテ”ザウルスと戦うクイーン。……このシーンがどつきあってるだけなのにひたすら長い。ともかく長い。 ……すみません、見ながらこのへんでちょっとオチました。というわけで筋の紹介はあと飛び飛びです。
お約束通り、ロンドンに運ばれてくるクイーンコング(ニューヨークじゃないのか、と文句言わないように。これ、英=伊合作なんだし、『キング・コング』の更に元ネタ、コナン・ドイルの『失われた世界』では、恐竜は当然のごとくロンドンに運ばれて来るんだから)。 メスなので、放送上問題があると、鉄のブラジャーをつけられる(でも下半身はスッポンポン。ボトムレスはいいのかイギリス)。怒って鎖を引きちぎって暴れだし、レイとビッグベンの頂上に。 そこでレイは「女性解放」を訴えて、民衆の共感を得、クイーンとレイはめでたく夫婦揃ってアフリカへ。 ……で、終わりかい。
ジョン・ギラーミンのクソ映画、リメイク版『キングコング』(実は私、あれをそう嫌いではない。だってジェシカ・ラングが出てるしい♪)の直後に公開予定だったらしいが、製作のディノ・デ・ラウレンティスが怒って公開中止に追いこもうとしたってのはなぜなんだ? 歯牙にかけるほどの出来ですらないぞ。 なにしろロジャー・コーマンの低予算ホラーより金かけてない。 いや、『ウルトラファイト』以下の特撮、と言ったらイメージが伝わるであろうか。だってティラノってどう見ても布でできてんだもん。
吹き替えは広川太一郎と小原乃梨子。楽屋落ちと言うより、映画自体への突っ込みまくりのアテレコ、これも面白いんだかつまんないんだか評価に困る。 ハンナ&バーベラの動きの少ないリミテッドアニメだったら、行き過ぎたアドリブも効果はあるけど、もともと動きのある実写に過剰なアテレコしたって、セリフは浮くばかりなんだよね。 『ミスター・ブー』も私ゃ広川さんのアテレコは、全然つまんなかったし。 歯がキラッと光って「キラーン」「カキーン」「ピカーン」なんてのはまだ笑ってられるけど、踊りに合わせて延々と「ヒッチャカフッチャカハッチャカハ……いつまでやらせるの」って、声優が疲れた様子見せてどうする。 オチで「最後は愛は勝つって、終わり方が陳腐だね」って、アテレコだって意外性もないし陳腐だわな。
まあ、私ゃバカ映画は大好きだし、作り手にここまで知性が全くないと、「私バカなフリしてるけどホントはリコウなんですよ」的なイヤミが全くないので、キライなところは全くないんだけど、面白いわけでも全くないので、映画を楽しんだ感覚も全くない。 ああ、ダメだ、映画のことを思い出しただけで頭の中も大分トロケてきたよ。 まあ、人生の数時間を無駄に過ごすのも優雅な贅沢でありましょう。 しげ、音楽が気に入ったらしく、多分ここで買わないと二度と手に入るまいと、サントラCDを買う。 ついでに『カウボーイビバップ』、エドのストラップも購入。エドがストラップを上下するようになっていてかわいい。
「GAMERS」でマンガの新刊を何冊か買い、妖怪根付を1個買う(開けたらまた天狗だった。なんでこう天狗ばかりにぶち当たるかな)。 帰り道、「ビッグボーイ」で食事。 買ったばかりのマンガを読みながらハンバーグにかぶりつく。
マンガ、やまむらはじめ『カムナガラ』3巻(少年画報社・520円)。 先の「侵略者」との戦いで右腕を失った久谷。 何となく右腕もいずれは復活しそうな気配だけれど、今のところは義手のまま。安易に生やしたりしないところは、作者が作品を大事にしている証拠だろう。 前世の記憶も戻らないまま、それでも敵は襲ってくるので、戦わざるを得ない久谷。彼に襲いかかってくるもとは人間だったモノ、それはたとえばごく普通の主婦であったりする。自分の赤子をその手で殺した母親をヒヒイロカネの剣で倒しながら、心にやりきれないわだかまりを感じていく。 それでも、少しずつ、過去と現在の接点を探し求め始める久谷のその顔は、前巻に比べるとどこかイっちゃってたような“目の下クマ”の表情が、随分落ちついて来ていて、どこか淋しげな、諦観にも似た装いを見せるようになってきている。 ああ、そうだなあ。このマンガって、どこかいつも淋しいのだ。「剣」の久谷に付き従おうとする「鏡」の香奈多。 彼女だって、前世の全ての記憶を思い出したわけではない。全く思いだせない久谷にいらだち、怒り、反発しながら、それでも、その淡い絆を手繰るように久谷に寄りそう。 淋しいのだ。 なんだか、こう誰一人として幸せになりそうもないムードのまま、物語が展開していくの、読んでてけっこう痛いんだけど、目が離せなくなっちゃってるんだよなあ。
帰宅したら、ちょうどCSで『チャンピオン太』の第4話をやっていた。 おお、またアントニオ猪木がゲスト、今度は覆面レスラーのストライプスネークだ。で、展開は第1話と全く同じ。 路上で暴れまくって、第一話では並木をぶったおしてたが、今度は電話ボックスを倒す。……試合する前に警察に捕まるって。
空爆のニュースのせいで、イチローの首位打者のニュースもすっかりかすんでる。 この世の森羅万象に興味がない「ここにいるのは私だけ」のしげに、「どうせお前はイチローのニュースも他人事なんだろうな」と言ったら、「アンタが首位打者になったら他人事じゃなくなるけれど」とアホなことを言い返される。 一気に会話するのがバカバカしくなったので、口をつぐんでいると、ややあってしげが口を開いた。 「……で、どうやって首位打者になったん?」 「イチローが?」 「違う、アンタが」 「オレがいつ、首位打者になった話をした?」 「イチローは野球をしてるから首位打者になるのは判るけど、アンタはやってないやん、なのにどうして首位打者になれるのかと思って」 「だから、オレは別に首位打者になる話なんかしてないだろ? そうやって自分の妄想膨らませて勝手に人を巻きこむな!」
「スマスマ」、今日から再開。 吾郎くんがいなくてもみんな元気一杯なのは、罪を軽く考えてるわけじゃなくて、また戻ってきた時に気遣わずにすむようにという配慮からだろう。 ヘタなコメディアンより、よっぽど笑える番組を作っているのだから、早いとこ五人組に戻ってほしいものだ。 冗談ではなく、スマップはドリフの跡を継ぐコメディ・ミュージシャンだと思っているのである。
しげが仕事に出かけたあと、またカレーを作り置き。 鶏の唐揚げも一緒に作ったが、うっかり流しの中に落として、全部洗い流したので、コロモがグズグズになってしまった。 仕方なく殆ど自分で食う。顎の裏にベタベタとコロモが張りつく感じで、気持ち悪いのであった。……無理して食わずに捨てろよ(貧乏人はこれができないのだよなあ)。
2000年10月08日(日) V2余燼/映画『X‐MEN』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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