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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年09月30日(月) 今時の格闘オタク/アニメ『天地無用! GXP』第1話/『Heaven?』4巻(佐々木倫子)ほか

 岡田斗司夫さんの「オタク日記」、8月13日の項に、「私は格闘技オタクはキライだ」の記述がありビクッとする。
 アウトドアだのスポーツだなどと、そんなもんこの世にあるの? とばかりに、世間から隔絶し、ひたすらウチに篭るオタク(オイ)にとって、唯一共感を覚える体育系が格闘技、特にプロレスである事は論を待たない(そうか?)。
 もう我々の世代は『タイガーマスク』でプロレスに対する思いを擦りこまれちゃってるからねえ。40代、50代の男で、かつてアントニオ猪木のファンでなかった人間を探すほうが難しいのではないか。更には現実にタイガーマスクが登場し、ライバルのブラックタイガーやら(やたら弱かったが)、果てはウルトラマンだのウルトラセブンだの、獣神ライガーだの、いったい白いマットの上はジャングルなのかデパートの屋上の特設ステージなのかと、見紛うほどになっていたとき、当時の我々は、生きてるうちにこんな面白いものが見られるとは思ってもみなかったとむせび泣いたものだった。
 ああいうふざけた楽しさが岡田さんにはわかんないのかなあ、と思ってよく読んでみると、どうも岡田さんが毛嫌いしている「格闘技オタク」と言うのは、私のようなプロレスを「イロモノ」として楽しんでいるのとはどうやら違っているようなのである。どうやらプロレスを本気の勝負と思いこんでる連中を指しているようなのである。……今時いたのか、そんな連中。
 少なくとも、私が出会ってきた友人たちで、ジャイアント馬場やアントニオ猪木が本気で強いと思ってたやつは一人もいなかった(ガタイはでかいからそれなりには強いだろうが、少なくとも「地上最強」ではない)。
 プロレスの「強さ」は「演出」なんであり、だからこそ猪木の異種格闘技戦シリーズも楽しんで見ることができたのだ(モハメド・アリ戦は演出に失敗してたからつまんなかったけどね)。
 プロレスがつまんなくなっていったのは初代タイガーマスクが「本物指向」を打ち出してマスクを脱いだころからだったと思うが、度重なるプロレス団体の内紛、分裂がファンの興を削いでいったことは間違いないことだと思う。全日と新日に別れていたころは、それでもいつかはもう一度、馬場と猪木の再戦が見られるとファンは期待していたものだったが、その期待が薄れたころから新日は別の「抗争」を演出しようとして、それに失敗した。いくら弟子が師匠に反旗を翻そうが、それが「脱退して自分たちだけでやります」じゃあ、そりゃ露骨に戦うのを引き伸ばしているだけじゃん、としか言えなかった。戦えば結果が出ちゃうじゃないか、というハラだったのかもしれないが、引き伸ばすにしても限界というものがあるのである。結局、長州はどうなったんだ。もう私ゃプロレスからすっかり離れちゃったから、今の消息も知らないのである。確か初代タイガーは去年の参院選で落選してたと思うが。
 プロレスラーたちは、結局、自分たちが何を見せればよいかを勘違いしていたのである。
 プロレスオタクたちがアホになっていったというのも分らないではない。
 どう見てもつまんないものを面白いと思いこむためには、やはり自らを騙していくしかしょうがないのである。シューキョーにハマるのと同様に、もう他人の価値観を拒絶し、視野狭窄に自ら陥らねば、あんな知性のカケラもないただの肉玉のぶつかり合いに燃えられるはずもないのだ。結果、プロレスファンたちは「プロレスファンにあらざるものは人にあらず」みたいな唯我独尊主義を標榜することになる。
 でもなあ、オタクって結局、みんなこういう傾向があるんだよなあ。去年の「ゴジラ誉め殺し」も全くこれだし。私だって昔から「薬師丸ひろ子が出てれば名作」「原田知世に駄作なし」「加藤夏希が出るだけで映画」とアホは散々やってきているのだ。こーゆーのってシューキョーなんだから、強制さえされなければ「勝手にやってなさい」で、別に怒る必要もないことだ。岡田さんが格闘技オタクをそこまで毛嫌いするからには、何かよっぽどイヤな目に合わされたんではなかろうか、という気がしてならない。
 あるいは『フロン』に登場する岡田さんの周囲の女性たちの発言を読んだり、歌舞伎ファンについて岡田さんが書かれたものを読んでも思ったことだが、岡田さんの回りって、バカがやたら多くないか。人生相談みたいなことやり始めると、バカが本気で集まってくるんである(だいたい他人に人生相談しようなんてやからはバカか極悪人かのどっちかだ)。仕事の上でのこととは言え、バカバリヤーを作りすぎるのもあまりよくないと思うんだけどなあ。


 猫のしっぽや耳をはさみで切断し首を絞めて殺し、その画像をインターネット上で公開して動物愛護法違反の罪に問われた松原潤被告の初公判が、福岡地裁で開かれ、検察側は懲役6ヵ月を求刑した。
 あ、この事件、地元のことだったんだ。こーゆー世間から隔絶してウチに閉じこもったような(今日はこればっかや)人間が犯罪を起こすってのはいかにも都会的に見えるけれど、実際には村八分された人間のストレスの発露だったりするので、福岡もまだまだイナカだなあ、と思うんである。
 「会社で上司の期待に応えられないことなどから、自分を責めるようになり、動物虐待の書き込みで気を晴らすようになった。拾ってきて洗った猫に浴槽でふんをされ『裏切られた』と思って虐待した」のが動機だってさ。
 ……なんだかなあ、人間に裏切られたってんなら、まだ話も分らなくはないけれど、猫かい(-_-;)。人付き合いがヘタで、猫だけがお友達。赤木リツコか。「猫が死んだの」って一緒に暮らしてたらあいつも猫殺してそうだよな。
 なんか、落ちるとこまで落ちるっつーか、人間、駄目になっていくと、ここまで来るかってなもんだけれど、腑に落ちないのはそれをネットで公開したって神経だよなあ。いったいこいつはその虐待画像を公開することで世間からどんな反応があるか、なんの想像もしてなかったのだろうか。
 私のこの日記だって、職場のストレスのうさばらし的傾向が全くないとは言えないのだが、どっちかっていうと、私の意見に共感を持ってもらうよりも、「こんなバカなやつがいる」と読む人にが笑ってくれること、怒ってくれること(^o^)を目的としている。過激なことを書いてるようには見えても(私は全然そう思ってないのだが、人にはそう見えるらしい)、公的な人間に対する批判はしても、私的な人間に対する中傷はあくまで匿名に留めている。職場の連中への悪口が匿名なのはそのためだ。逆に、劇団の連中への悪口は、彼らが役者である以上はあくまで公人としての批判の範疇のもの。だから「芸名」を出してるんである。
 私ですら、この程度の判断力はある。さて、この猫虐待男に何の判断力があったというのか。これはもう精神鑑定の領域なんじゃないかと思うが、いつもなら弁護士が精神鑑定の要求をしたとかいう記事が載るもんだけれど、今回、そういう請求をしたような形跡がないね。つまり、弁護士も多分、こいつを牢屋にぶち込みたいんである。ウチで猫飼ってたりしてる可能性も大だな(^o^)。
 でもネットを散策してりゃ分ることだが、ネット上での極悪なサイトはこんなものではない。この事件だけが突出して報道されるってのは、やっぱり世の中、猫だのハムスターだの、人間以外のものでないと癒されない人間が増えてるんだろうなあ。言っちゃなんだが、「犯人を許すな」キャンペーンを張った連中のメンタリティも、この犯人とたいして変わんないのである。同族嫌悪ってやつだね。


 つくづく私はマジメな人間というのがキライらしい(^_^;)。
 いやね、またぞろ会議がウダウダと長引いちゃったんだけどね、まあ、「実効性のない正論」(キレイゴトとも言う)喋くるやつ多くってさあ。
 もちろん「正論」であるからには、一応理屈は通ってるんであって、反論するのは難しい。本気で相手を説き伏せようと思ったら、もう人格攻撃をするしかないんだが、それやっちゃうと別の意味で業務が滞っちゃうからやれない。
 結局、できもしない「正論」が罷り通っちゃって、仕事はわやくちゃになっちゃうんだが、もうこれに対抗する手段は「手抜き」しかないのである。ヘタにがんばってがんばって仕事しあげちゃうと、「あ、この予算でこれだけのことができちゃうんだ」とクライアントにも勘違いされる。歩合で働くアニメーターみたいじゃんか(-_-;)。
 問題は「手抜きがバレないように手を抜くにはどうしたらいいか」ということだが、ある意味やっぱりこれには徒党を組むしかないとこがあるんだよな。身の回りをうまく固めないと、完璧に孤立しちゃうからねえ。
 とりあえずは『三国志』を読みなおすか(^o^)。

 ともかく、会議が長引いたせいで、今日もまたしげを駐車場に30分以上も待たせてしまった。お詫びにしげに寿司を奢る。寿司屋についてはこないだぴんでんさんから「『すし大臣』ばかり行ってんじゃないよ」と言われていたので安い安い「しーじゃっく」。同じ三千円で食っても、二人で10皿以上、差が出るのだから、確かに普通はしょっちゅう「すし大臣」には行かないよな。
 しげは「ぴんでんさんはお金持ちなのに、どうして?」と疑問を口にするが、私ゃぴんでんさんがお金持ちかどうか知らないって(^_^;)。それに金持ちだって節約はするがな。
 それより、それだけ飲み食いしといて自分以外の人間は金持ちに違いないって思いこみ、他人から見たらすっげー癇に障ると思うんだけど。


 帰宅して、疲労が溜まっていたのでとりあえず寝る。
 早寝して、朝早く起きてパソコンやった方が時間が使えるのである。
 と思ってたのに、7時に寝たのに10時過ぎには目が覚めてしまった。丁度こうたろう君から電話がかかってきたので、東京行きについて打ち合わせ。
 ヨナさん御夫妻とあぐさんとも連絡が取れたので、今回の東京行きは小ぢんまりと妖しい店で歓談することになりそうである(^o^)。


 うまく起動しなかったしげのパソコン、どうやら直ったみたいである。
 しげのが動かない間、私のを使ってたのだが、私のは不必要なソフトが放置されたままで起動は遅いわ、デフラグはろくにかけてないわで、使いにくいこと夥しい。いや、私がメンテの仕方をしょっちゅう忘れてるからなんだけど。
 しげ、あまりに腹が立ったのか、私のパソコンをいろいろいじくって環境を随分よくしてくれたらしい。「らしい」というのは未だに起動が遅いからなんだけど(^_^;)。
 でも、久しく行かなくなっちゃったニフティの映画フォーラムなんかを消されたのはちょっと寂しかった。確かに書きこみはしてないけれど、覗くのはキライじゃなかったんだけどなあ。


 アニメ『天地無用! GXP』第1話「雨のち霧、時々不幸」。
 東京じゃもう放映が終わってるってのに、福岡じゃ今日から新番。しかも2時半からの深夜放映。全く福岡の放送局はアニメを冷遇してくれてることではある。でも『はれときどきぶた』『エクセル▽サーガ』のワタナベシンイチ監督の新作シリーズである。これを見ないでいられようかってなもんだ。
 『天地無用!』の旧シリーズとは世界が同じなだけで、主役も登場人物も重なってはいない。主役の山田西南(せいな)が柾木天地の後輩であるつながりがあるくらいのものだ。本編にも、魎呼が空飛んでる姿がチラッと映るだけ。
 その点、天地シリーズに新参のナベシン監督、自由にのびのびと脚色できている感じ。
 もともと『うる星やつら』的な世界観で人気を博した『天地』シリーズだったが、今回の主役、西南が、なぜか不幸を呼びこむ運命で、しかも結構スケベってところが、諸星あたるに近づいている。っつーか家族から見捨てられてるとこまで同じなんで、これはナベシン監督の確信犯だろう。パクるんなら堂々とパくれ! というポリシーだろうか。いやもう、盗作ギリギリのセンだなあ。
 でも品行方正で面白味に欠けた天地よりこっちの方が絶対面白いやな。つーかその運の悪さはあたる以上。自分の身の周りの人間まで不幸にしまくる。
 家にいると、家が営む店の客がいなくなる、携帯電話をかけている人のそばにを通るといきなり圏外。友人に会うと一人は田んぼに落っこち、一人はトラックに泥をはねられる。ここまで徹底してやってくれるからギャグが生きる。でもナベシンギャグとしてはまだセーブしてる方だな。『はれぶた』や『エクセル』は既に「暴走」してたからねえ(^_^;)。
 西南は、柾木家の親戚筋にあたる柾木霧恋(まさき・きりこ)にほのかな憧れを抱いてはいるが、霧恋はそんな西南の気持ちに気付いてもいない。つくづく不幸が身に染みついているのだ。
 さて、そんな西南がある日偶然、GP(ギャラクシーポリス)の雨音(あまね)・カウナックに出会い、「キミさぁ、GPに入らない?」と誘われたことから新しい騒動が。
 二人のヒロインの間で揺れるって設定は旧シリーズから踏襲してるらしい、っつーか、これもやっぱり『うる星』なんだよなあ。雨音がラムで霧恋がしのぶか。この定番キャラクターをどれだけ暴走させてくれるかが今後の見所だろうけれど、東京人はもう結末まで知ってんだよなあ。やっぱりそれがちょっと悔しいぞ。


 マンガ、横溝正史原作・秋乃茉莉作画『傘の中の女』(秋田書店/サスペリアミステリー11月号付録)。
 私は未だかつてこんなに妖しい金田一耕助を見たことがない(^_^;)。
 秋乃さんのマンガは好きだけどさあ、『リトルショップ・オブ・ホラーズ』のD伯爵と同じ顔で金田一耕助を描かんでほしい。イメージあまりに違いすぎるよ。それから原作は『金田一耕助の冒険』からのセレクトだけど、マンガ化に一番向かない作品を選んだ感覚が解らない。これ、絵で書くとトリックが一発でバレちゃうので(クリスティーの某有名小説からトリックをパクってるが、これの映像化作品も失敗作だった)、そもそもこんなトリックを犯人が考えたこと自体、不自然極まりないのである。
 まあ、いろんな作家さんに金田一を描いてもらうのはいいけれど、やっぱり原作選びと、作画担当者選びにはもちっと慎重に行ってほしいよ。でも少女マンガ誌じゃまずムリかなあ。


 マンガ、佐々木倫子『Heaven?』4巻(小学館/BIG SPIRITS COMICS SPECIAL・950円)。
 唐沢俊一さんが日記で激賞されていたが、1〜3巻とそう極端にレベルが上がったとも思わないなあ。前から面白かったし。
 もちろん、黒須オーナーの暴走を面白がるところに視点を置けば、その非道ぶりはこの4巻では弥増しているわけだから「俄然面白くなった」という感想は妥当なものだ。このマンガがそういう方向にシフトしていくとしても、それはそれで面白くなるんだから、別に文句をつける必要もないことである。
 けれどこの作品は、もともと寄せ集めの(オーナーの「カン」だけで集められたんだから当然そうなる)スタッフが、いかにしてこの最果ての地にある「ロワン・ディシー」を切り盛りして行くかの珍騒動を描くことにあったので、今巻のミステリー話とか幽霊話とかは、「番外編」的要素が強いのである。
 で、黒須オーナーの唯我独尊が本領を発揮してるのが、この「番外編」の方だということは、言い替えれば本編であまりオーナーを暴走させすぎると、話そのものが成り立たなくなってしまう危険を孕んでいるのである。
 だから、いかにもレストラン話っぽい、秋のメニューについてオーナーとシェフが対立する28、29話では、オチの部分以外、黒須オーナーは極めてマトモなのである。
 正直なところ、佐々木さんの作品として『Heaven?』はまだまだ発展途上にあるのであって、だからこそ荒削りなところ、チグハグなところが見受けられる。それを面白がるのはもちろん個々人の自由なのだけれど、もともと絵柄的に佐々木さんの作品は破天荒になりにくいのだ。『おたんこナース』が人情ものに流れていったように、これもギャグとして座りごこちのいいところに着地してしまう可能性の方が高いと思うので、唐沢さんのようにあまり裏読みして楽しんでも、最後には『李さん一家』でオチがついちゃって、あっさり終わって「なあーんだ」ってことになるんじゃないかって気もするのだが。
 サラリと読み流す程度で楽しんどきゃいいんじゃないかなあ。

2001年09月30日(日) 新人さんの名前は?/『不幸な子供』(エドワード・ゴーリー)ほか
2000年09月30日(土) 邪馬台国と背後霊と泥繋がりと/映画『モンティパイソン 人生狂騒曲』ほか


2002年09月29日(日) やっぱり被害に合うのはしげ。/アニメ『サイボーグ009・地上より永遠に』/DVD『マジンカイザー』第7巻最終話ほか

 しげのパソコン(ぴんでんさんから譲って貰ったやつである)が、突然起動しなくなった。
 「なんで?」
 と聞くと、「原因が分ってりゃ直してるよ」。
 ごもっともである。
 よく分らないが、システムを復帰させようとしたら起動自体しなくなったとか。パソコンに関しては私は全く役に立たないので、「ふーん」としか私には言えないのだが、それがまたしげのカンに触るらしく、やたらイライラしている。
 「これじゃ、アンタのパソコン使って作業するしかないじゃん」
 しかない、ってどういう意味だよ。オレの持ち物には触りたくもないってことか。腹は立つが、本気で困ってるのを怒鳴るのも何だし、まあ、がんばってみれば? とだけ言っておく。冷たいようだが、役立たずが口だししたってロクなことにゃならんから仕方がない。
 「どうしようかなあ、よしひと姉さまか、ぴんでんさんに相談しようかなあ」
 ……相談したって、パソコン上で操作してどうしようもないなら、業者に修繕してもらうしかないような気がするんだがどうなんだろう。でも案外「コードが抜けてた」とかそんなオチがつくんじゃなかろうか。
 それじゃまんま『電脳炎』だけど。


 唐沢俊一さんの27日付の『裏モノ日記』の記述に、鮎川哲也の訃報に関して、唐沢さんも探偵小説専門誌『幻影城』を読まれていたことが書かれていて、嬉しくなる。
 もちろん、徳川夢声の『ポカピカン』の朗読までやっちゃう唐沢さんが『幻影城』を読んでいらっしゃらないわけはないのだが、実を言うと、『すごいけどヘンな人』の林不忘の章で、彼の弟である地味井平造に一切触れていなかったことが、やや不満ではあったのだ。
 もちろん、今や本当に幻の作家と化した地味井氏のことを知る者は数少ないし、触れてどうということもないことは重々承知してはいるのだが、それを言い出せば、林不忘(or牧逸馬or谷譲次)だって忘れられている。四男である長谷川四郎の名前は挙げているのだから、やはり片手落ちだなあ、という印象は拭えなかった。失礼な話ながら、地味井氏の存在を唐沢さんはご存知ないのではないかとまでカングってしまったのだ。
 それが、今回、地味井氏の名前を、鮎川氏が発掘した幻の作家の筆頭として唐沢さんは挙げてくれていたのである。私の喜びがいかばかりのものだったか、お察し頂きたい。

 現在のミステリブームは、良かれ悪しかれ横溝正史の影響化にある。
 松本清張以降の社会派推理流行のために、一時期その活動を休止せざるを得なくなった反動で、横溝正史の復活は必要以上に高く評価されすぎたキライがある。新本格の作家たちは、横溝正史のケレン味しか踏襲してはいない。あまつさえ「社会派ってなんだったんでしょうね」とトンチンカンな発言までしている始末である。当の横溝正史が松本清張はしっかり評価していると言うのに。
 鮎川哲也は、社会派の台頭に乱歩も正史もへしゃげ、高木彬光すら変節して社会派にすり寄った中で、ほとんど唯一と言ってもいいほど動揺しなかった作家である。一時期は角川文庫で絶版状態にあった鮎川氏の作品群が、今は光文社文庫その他で手軽に読めるようになった。
 未読の方にはぜひお勧めしたい。その超然とした筆致が、あなたの真のミステリにかつえている心をきっと癒してくれるだろう。


 昨夜の飲み会で体力を使い果たしたのか、朝、起きられない。
 『龍騎』も『どれみ』も『ぴたテン』もしばらく見てないなあ。いや、見なきゃイカンと言うものでもないが、テレビQ、テレビ東京系のくせしやがって、東京でやってるアニメを以前ほどは放送しなくなってるんである。たまに放映されてても、深夜で起きてられないし(ビデオに録りゃいいじゃんと言われるけど、たいてい他に録るやつがあって重なるんだよ)。おかげで『あずまんが大王』はDVD買うはめになったぜ。
 それはともかく、一応、目が覚めはするのだが、ダルさが全身にこびりついてる感じで、また眠りに落ちる。そしてまた寝るのだ。そんなこんなで3時ごろまで過ごす。なんかまた精神的に参ってたのがカラダに来たのかなあ。でもチックは出てないから大丈夫だとは思うんだけど。

 しげ、練習から帰ってくるなり、「かき氷作って!」と叫ぶ。
 何でいきなり、と思うが、しげに理屈はない。急に食べたくなっただけのことである。
 「自分で作りゃいいじゃん」
 「違うと! アンタのが美味しいと!」
 氷には味はないし、シロップは私がかけてもしげがかけても同じである。
 それに、しげは食い方がやたら汚い。皿の中でかき氷をぐっちゃぐちゃに混ぜてどドロドロにして、すするように食うのだ。見てて気持ちが悪いので、作ってやりたくなんかない。
 けどこういうときのしげは、「作ってくれないとイヤじゃんイヤじゃん!」とわがまま王子ウラシマのようにいつまでもうるさい。
 しかたなく、かき氷を作って、メロンシロップをかけ、コンデンスミルクをかける。一応、シロップが上の方だけかかって、底の方は氷のままにならないように、中ごろで一度シロップをかけるのだが、ぐちゃぐちゃ混ぜられたら意味ないよな。
 ああ、やっぱりぐちゃぐちゃ混ぜてやがる。イヤだイヤだ。
 しげ、そのあとはくたっと寝る。やっぱり全然家事する気はないのだ。
 ……私のメシは? いや、自分で麻婆豆腐を作って食べましたがね。いつものことです。

  よしひと嬢からしげに電話があるが、しげは爆睡していて全く起きて来ない。
 パソコンの調子について聞きたいらしかったが、私じゃ相手にならない。
 で、気がついたらまたオタク話になっている(^_^;)。
 「『戦闘妖精雪風』、手に入れたよ」
 「あ、あれキャラデザインがダメです」
 神林長平のファンからするとアレは許せぬものらしい。
 「『WX掘戮蘯蠅貌れたから、そのうち見においでよ」
 もちろんそのあとには黒澤ボックスも控えているわけである。全くDVD三昧だなあ。
 よしひと嬢も今、原作の『009』にハマっているのだが、秋田文庫版には『天使編』が未収録だとか。発表順に収録しないで、テキトーな編集してるから読者が困るんである。でも今や『移民編』のオリジナル版は、どの出版社のも完全に入手不可。トシとっててよかった思えるときはその現物を自分が持ってることを威張れることくらいのもんだ。


 さて、で、今日はいよいよアニメ『サイボーグ009』の実質的な最終回である。
 題して『地上より永遠に』。サブタイトルをフレッド・ジンネマン監督の映画(っつーか、ジェームズ・ジョーンズの小説)からまんま取って来てるのはいただけないが、中身がよけりゃ細かいところはどうでもいいんである。
 今回はOPもカット、いきなり本編突入。これは第1話『誕生』と同様の趣向である。
 バン・ボグートとの戦いがあっさり終わってしまったのはやや拍子抜けだったが、これは後半に「タメ」を作るための措置だろう。原作通り、スローモーションで倒れるボグートを見たかった気もするが、まあ、もともと原作の表現自体が、黒澤明の『七人の侍』のスローモーションの手法をパクってんだから、そのままやるとシャレにならんのである(残像が残るのは『眠狂四郎』の円月殺法ですな)。
 004の「音」に関するセリフも短くなり、その代わり、006が死んだダフネたちの手を握らせてあげるシーンなどが原作にはない追加の演出。
 いよいよ魔神像が発動、ここで001が009に「君に任せる」とテレパシーで伝えるシーン、及び、003が握った009の手がスウッと消えて行くカットなどが追加。001はもっと冷徹だよなあ、とは思うが、これは原作ファンの思い入れであって、今回のアニメでファンになった人には、これくらいオブラートで包んだ方がいいのだろう。
 あとの大きな改変は二つ、一つはブラックゴーストの三つの脳を、男・女・子供に振り分けたアイデアは秀逸。彼らはまさしく人間の象徴だしね。私はちょっと水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』の「雪男・雪女・雪ん子」を連想してしまいましたが(^o^)。けど、内海賢二さんと来宮良子さんじゃ、声優、ちょっと濃すぎないか。あまり演技過剰になってもただのバカにしか見えないのは、スカールで証明ずみだし(若本さんファンごめん)。
 でもこれは最初の映画版の山内雅人さんがこれ以上ないってほど静かで底知れない怖さが感じられるほどの絶品だったので、比較しちゃ悪いかもしれない。子供が混じってるのは、モノクロ版の最終回でのオマージュか。実は子供が一番の悪魔って話も、『オーメン』とか『スプリガン』(^o^)とか、腐るほど見てきてるので、ありきたりではあるのだか、この『009』は原点回帰の物語であるので、これはこれでヨシ。
 おそらく一番賛否両論があろうと思われるのは、004の詩の朗読がカットされたことだろうが、版権の関係が生じてカットされたものか、単なる時間の尺の問題か。ドラマ的にここでの詩の朗読が勢いを止める危険もありはするが、そこは演出の実力次第でなんとでもなったのではないか。回想シーンや戦争シーンを交えつつ、それこそ「地上より永遠に」のテーマを訴えかけてほしかったなあ、と思うのも、原作ファンの愚痴かも。自分で読む時間を自由にできるマンガと、リズムを作り出さねばならないアニメのここが大きな差だ。これはあまり簡単に否定はできない変更ではある。でも今回、随分004がワリを食っている。機械の手でビーナの頬を撫でたところはグッと来たけどさ。
 でもやっぱり今回一番ぐっときたのは002だ。
 原作以上に、003と009の、触れそうで触れられない関係をやきもきしながら見てきた設定、これまでナンバーだけで呼びあっていたのが、最後の最後で「ジェット!」「ジョウ」と呼び合った演出、ほんのささやかな変更だが、「神よ」と原作で祈っていたセリフが「神様」と優しいセリフに変わったこと、002に関しては原作の改変がほとんどジャマになっていない。
 そして、彼ら二人を神様が救ってくれなかったから。
 それでもあの少女と弟が、神様に祈るから。
 だからかつて我々は、深い感動を覚えたのだ。
 大きな悪の細胞と、ちっぽけな善の細胞が消えたあとに残された我々が、やはり善でもあり悪でもあることを知ったから。
 これが『サイボーグ009』の最終回である。
 『GOD’S WAR』の続きが書かれずとも、最終3話が2話で打ち切られても、映画版がポシャっても、このヨミ編最終1話で、我々はこれまでのシリーズのテイタラクを全て許す。
 我々は二十数年、この最終一話を見るために生きて来たのだ。
 
 続けて『最終兵器彼女』の最終回も見ました。
 まあ、二人でらぶらぶやってて下さい(^_^;)。


 東京行きについて、こうたろうくんに電話。
 ヨナさん、あぐさんとの待ち合わせの段取りについて連絡をするはずが、気がついたらまたオタク話になっている(^_^;)。
 丁度テレビで「『アニメ名場面ベストテン』やってるのに見てないのか!」と叱られるが、私、ああいうオタク度低いの、見てて腹たつから、あまり積極的には見ないんだけど。
 で、言われてみたけどやっぱり腹が立ったなあ(^o^)。
 『ドラゴンボールZ』があんな上位にあることが信じられないし(まだピッコロが悟飯の前で初めて涙を流しながら死ぬシーンのほうが感動的だ)、『フランダースの犬』に1位を与えるのは記憶の中で物語が美化されすぎてるとしか言いようがない。当時の私は、『アルプスの少女ハイジ』のあとを受けて始まったこの話が、急に作画レベルが下がっちゃったんで、腹立ててたんだけど。アニメ見る前に原作読んでたってのも大きいかな。救いようのない話をなんで1年もかけてアニメにするかって反発もあったし。
 爆笑問題の田中が「上位三作(『犬』『カリ城』『ハイジ』)は妥当でしょうね」とかワケシリガオに言ってやがったが、世間一般じゃやっぱりそうなんだろうなあ。またぞろホームページ立ち上げてオタクアニメ名場面集なんてコンテンツ作りたくなっちまったが、さて、いつの日になるのかね。


 DVD『マジンカイザー』第7話(最終回)「決戦!! 炎の地獄城」。
 封入パンフに「原作のエピソードで使えるのをセレクトした」とあったが、ゴードンが使えるエピソードかね。
 原作マンガは相当荒削りなんで、作品として昇華させるためには、いろんなとこ補完しなきゃならないんだけど、どうも工夫が足りないっつーか、補完しまちがえてるっつーか。
 グレートが助けに来るのはいいとして、セリフだけで「あれが真のグレート」とか説明したって、どこがどう「真」になったんだか、「絵」で見せてくれないとなあ。
 あしゅら男爵を合体機械獣にするアイデアもなんだか安易だしなあ。司令官は司令官として振る舞うからこそ価値があるんであって、変身したり巨大化したりするとかえって、結局は戦うためだけの下っ端に成り下がっちゃうんである。ぶっちゃけた話、『仮面ライダー』で、「なんで死神博士の正体がイカデビル?」とか思ったでしょ。
 確かに旧シリーズにも機械獣あしゅら男爵ってのも出て来たけどさあ。あまりあしゅら男爵に中間管理職の悲哀みたいなところ、強調してほしくなかったんだけどなあ。一応、ゴードンを原作よりも遥かに小さくしたのは正解かもしれん。相手が巨大過ぎると、アクションを描くのが凄く難しくなるからね。でも、小さくした分、「最強の敵」って雰囲気もなくなっちゃったから、結局はプラマイゼロか。
 それにしても鳴り物入りで前回出したガラダブラ、あっさりやられるし、演出のこのヘタさ加減は何なんだろう。いや、作画やアクションが凄くいいだけに脚本と演出の実力不足が惜しくって仕方がないのだ。
 預言者「大いなる意志」がいきなり現れて、カイザーブレードを発現させるって展開、あれはナニ? 『マジンガー』シリーズって、ロボットものじゃなかったの? まさかこれまで『デビルマン』にリンクさせるつもり? それともあれ、『エクセルサーガ』? 声をアテてたのは玄田哲章さんだったけど。
 で、ムネからブレードを引き抜くし、まんま『少女革命ウテナ』(-_-;)。
 ボスのくれた健康器具が操縦桿の代わりになるってのも無茶だしなあ。そもそもコントロールパネルにそんなもん突っ込んだら、もっと機械は壊れるだろうに。今更、ドクターヘルが「どうだ甲児、仲間にならんか」とか言って誘うのもあまりに古すぎる。不満は多々あるけど、第二期シリーズに続くことが決まったらしいから、イマイチ盛りあがらなかったのは『ブロッケン編』(にしろよ)に続けるため実力をセーブしてたと好意的に解釈してあげましょ。なんたってホント、「作画だけ」はいいんだから。

2001年09月29日(土) 郵便ポストが赤いのも/『エクセル▽サーガ』8巻(六道神士)ほか
2000年09月29日(金) Sashimiと震災の真実とバーブラと/『爺さんと僕の事件帖』2巻(しかくの)ほか


2002年09月28日(土) こんぴーたなんて使えません/『まいっちんぐマチコ先生』1・2巻(えびはら武司)/DVDBOX『電人ザボーガー』

 昨日の『マリツァ伯爵夫人』の感想の続き。

 気位が高く高慢ちきな女主人公の設定、「私に逆らうなんて、あの人、どんな人かしら」とか、「まあ、妹だったのね、私の恋は終わってないわ!」とか、少女マンガのタームが随所に散見。この手の設定って、いったいルーツをどこまで遡れるのかね。
 しかも電光版の字幕の担当者、昔風の雰囲気を出そうとしてか、セリフも文字遣いもやたらコムズカシイ昔風の言いまわしを多用する。「若しや」とか書くなよ、若い人は「もしや」と読めずに「わかしや」とか読んじゃうぞ。
 「よくってよ」なんてセリフのおかげでマリツァはほとんどお蝶夫人のイメージ(演じてる役者はバーブラ・ストライサンドをちょっと美人にした感じだったけど)。しかもたまに翻訳者がなにをトチ狂ったんだか、慨嘆の声を「タハッ」なんて訳す。水木しげるか。もちろん、耳で聞いても「Ah!」としか聞こえない。
 ツゥパン男爵の「訛り」も、「ずんだらべっぢゃっぺよ」みたいな感じで、崩しすぎて所々意味が取れない。字幕の意味ねえぞ。
 そういうちょっとした欠点はあるが、全体的にありきたりな展開なのに、歌と踊りでダレることなく物語を繋いで、一向に客を飽きさせない。何より、盛りこまれるギャグが今でも全く古びていないのが素晴らしい。
 マリツァに相手にされないツゥパンがサラリとリーサに乗り返るいい加減さ、夫人に忠実なワリにやたらと酒をくすねる老使用人、心臓の弱い侯爵夫人の代わりに笑ったり鳴いたり怒ったりの表現をして見せる召使など、確実に客席の笑いを誘っている。
 一人9000円、二人分のチケットはチトお高かったけれど、それだけの代価を払って、少しも損した気分にはならなかった。特に妹役のリーサの子、ちょっとメグ・ライアンっぽくて、可憐で、「そうか! 妹萌えのルーツはこんなところに!」……ンなワケないか。


 帰りに「バーミヤン」で遅目の夕食。
 しげ、やっぱりエビマヨネーズを注文。私が注文したエビと鶏肉と胡桃の秋炒め、これもしげはエビだけつまむ。なぜそこまでエビが好きかな。そのうちエビの祟りでエビ女になるぞ。



 朝っぱらから録画しといた『プリンセスチュチュ』AKT7「からす姫」を見る。。
 ドラマも中盤に入って、一つの山場。
 ドロッセルマイヤーの三谷昇がやはり絶品、っつーか、いつ見ても思うけど、素顔からしてこのヒト、キてるようにしか見えないんだよねえ。声だけの演技なのに、三谷昇以外の何物でもないのが凄い。
 自分がみゅうとに心のカケラを取り戻していることが、かえって彼を苦しめているかも、と悩むあひる。悩みに悩んで猫先生と結婚までしてしまいそうになるからこれは本気で重症(^o^)。そんなあひるを見て、「お話が終わってしまう」ことを恐れるドロッセルマイヤーは彼女に語りかける。
 「どうしたんだい? もうプリンセスチュチュにはなりたくないのかぁい?」
 「だって、私がやってることって、みゅうとを傷つけるばかり……教えて!? どうしてドロッセルマイヤーさんは私をプリンセスチュチュにしたの?」
 「プリンセスチュチュは王子様に恋をしてるよねえ」
 「うん」
 「でも、恋しても恋しても憧れの王子様とは絶対に結ばれない運命なんだよねえ」
 「う、うん」
 「それが面白いからさ!」
 「……私やっぱりプリンセスチュチュやめる!」
 「……ひいいいい! しまったあ!」
 説得するはずが本音を言ってどうする、ドロッセルマイヤー。これはアレですか、話を面白くしようとして、必然性もなくキャラクターをいきなり死なせたりする手○○虫流の演出に対するアンチテーゼですか(^_^;)。
 「二度と会わないから」とみゅうとに別れを告げるチュチュ。けれど今までみゅうとに戻してきた寂しい気持ち、哀しい気持ち、怖い気持ち……その心が、みゅうとに彼女を呼び止めさせる。
 「君がいなくなると寂しい。君がいなくなると悲しい。君を失ってしまうことが怖い。だからここにいて、チュチュ!」……おお、今までの伏線が見事にここにシンクロ!
 脚本の横手美智子、うまいよなあ。たわばさんの奥さんにしておくのはもったいない(なんじゃそりゃ)。
 再びみゅうとに心を戻してあげようと決意するチュチュの前に現れたのは……新登場のこれぞライバル、プリンセス・クレール! 彼女の正体はダレか(バレバレだけど)、彼女はどうしてみゅうとに心が戻ることを邪魔するのか。
 うん、盛り上がってきたぞきたぞ♪
 しげに、「『プリンセスチュチュ』の『チュチュ』って、バレエの服だよねえ。『クレール』ってのも何かの服の名前なの?」と聞く。
 しげ、私を心の底からバカにしたような目で見て、ポツリと答える。
 「『クレール』って、『カラス』って意味じゃないん?」
 ……おお、そう言えば!
 思わず私も眼を見張る。しげがなんだか珍しく知的だ。
 未だかつて、しげが私にこんな知的なツッコミをしたことがあったろうか(いやない。反語)。
 いったいどうしちゃったのか、急に子供のころに落とした頭のネジが元に戻ったのか、天変地異の前触れか、と慌ててしまったが、あとになってフト気付く。 今回のサブタイトルが「からす姫」だったんだね。いやあ、うっかり見落としてたよ。
 ちょっとびっくりしてしまいました(^_^;)。


 5日の飛行機のチケット予約は取れたものの、代金の振込はまだ。
 早いうちに入れとかないと、また持病の金欠病が始まってしまう。
 ほかにも今日は父の店に行ったり、上映会があったりと、いろいろと用件が多い。しかも、しげは疲れて寝てるし夜は仕事だしで、今日は珍しく一人での行動である。久しぶりに慌ただしい1日になりそうだ。

 まずは医者に寄って、いつものクスリを貰う。
 診察されると、その分余計に診察料を取られるので、今月はちょっとこれも節約。看護婦さんに、「クスリだけでいいんですか?」と言われるが、よくないけど仕方がないのだ。浮いた分で予約しているDVDを買わねばならぬ。2週間しか取り置きしてくれないので、次の給料日に、というわけにはいかないんだよね(諦めるという選択はないのか)。

 病院の側のローソンの端末機を使って、振込の画面操作。
 白状するが、こういう細かいことは今まで全部しげにやってもらっていたので、私は全くの初めて。
 というか、こういうコンピューターを使った予約だの振りこみだのってのが何だか人の血が通わない感じがして敬遠してたのである。昔ながらの窓口販売のほうが安心感があるんだけどなあ。
 きれーなねーちゃんがさ、紺の制服に身を包んで(制服はやはり紺でなくては!)、にこやかに微笑んで言うのよ、「どちらまでですか?」。
 そこで、ソフト帽をハスに被った私が、唇の端をチョイと上げて答える。
 「君とならどこまでもさ」。
 いや、いっぺんでいいからやりたいとは思いませんか。男のロマンとして(^^*)。
 国鉄、JRのねーちゃんには○○(伏字にしてんだからクレームはしないように)も結構いるが、航空会社の受付のねーちゃんやすっちゃですさんで○○な人は滅多にいない。便利だからって、そんなねーちゃんとのせっかくの心暖まる触れ合いの機会を減らして、何がサービスなものか。いったい航空会社は男のロマンを何と心得ているか。
 え? 飛行機に乗るのは男ばかりじゃない?
 ……失礼いたしました。□\(- -;) ハンセイ。
 
 気を取り直して、画面を押して、登録番号を打ちこむ。
 ところが何度番号を打っても「予約番号が見当たりません」と出る。おかしいなあ、と思ってJASに電話してみたが、番号はやっぱり間違っていない。
 改めて予約を入れ直してもらって再度説明を見ながら挑戦。でもやっぱり変化はなし。
 「おかしいなあ、表示には番号を○○って打てって書いてあるけど」
 更に目を凝らしてよくよく見ると、その表示の下に小さく「でも会員じゃない人は○○は打たないように」。
 ……見えねーよ! そんな小さい字。
 何だか今日の間抜け度、いつになく高いなあ。
 でもなんとか入金を終えたので、これで来週の今頃は私はすでに機上の人である。逆に先々週までは東京行きなんて全く考えてなかったんだから、人間の運命なんてどう転がるかわからないものだ。ってそんな大袈裟なもんかい。

 博多駅の紀伊國屋書店で予約しといたDVD『あずまんが大王』と『マジンカイザー』を購入。ダイソーで安眠マスクを買おうと思ったが置いていない。ふらっと回るとコミックスまでここは100円で売っている。石川球太の『巨人獣』なんて思いっきりマニアなやつまで復刊して置いてあるが、残念ながら1巻がなかった。でも安さに惹かれて、つい、えびはら武司『まいっちんぐマチコ先生』1・2巻、永井豪『獣神ライガー』1・2巻を買う。
 マクドナルドで月見バーガー食いながら読みきったけど、やはり『マチコ先生』の、ただひたすらオトナのねーちゃんに触りたいという少年の欲望だけで描かれたマンガのパワーというものは侮れない。
 やはり少年の性欲を抑圧すりゃいいってもんじゃない。少年期にはマンガであれアニメであれ、オトナになるためのシミュレーションとして、偶像に対して憧れを抱くことが必要なんである。
 でもそうすると、私の場合、最初に「萌え」たのは『魔法使いサリー』のすみれちゃんとか『アタックNo.1』の鮎原こずえになっちゃうんだよなあ。しかもこずえの場合は中学生編のみ。あの縦じま2本の線とブルマー姿がよかったんだよねえ。……って、当時幼稚園児だぞ。なに考えて生きてたんだ、オレ。
 『ライガー』についてはもう感想は書きません。理由は推して知るべし(^o^)。

 姉の店に寄るが、珍しくお客さんがいっぱいで繁盛している。でもやっぱりお爺さんばかりだなあ。若いお客さんはもう床屋にはつかなくなって来てるんだよなあ。
 写真撮影の件について、父とあまり詳しく話してるヒマはなかったので、チラシだけ置いて帰る。


 8時からエロの冒険者さん宅でDVD『電人ザボーガー』ほかの上映会。
 DVDの提供者はぴんでんさん。この方もよくおカネが続いておられる(^_^;)。
 今晩はしげは仕事で、車で連れてっては貰えないので、自転車でエロさん宅まで。もう勝手知ったる道なので、トリメの私でもなんとか行ける。何回か信号見落としたけど、横から車が突っ込んでは来なかったから命は無事だ。

 今回、エロさんがお母さんから「くん」付けで呼ばれていることが判明。上映会の部屋はエロさん宅の二階にあるのだが、階下から、お母さんの「○○○くーん」という声が聞こえてきたのだ。
 ぴんでんさん、大笑いしてエロさんをからかう。エロさんも照れまくってるが、なーに、心配はいらない。私だってこのトシになって未だに姉からは「くん」付けで呼ばれているのだ。それどころか妻からは愛称で呼ばれている。抵抗したって無駄なものには抵抗しないのが一番。

 エロさん、海洋堂製作の戦車の食玩を見せて、そのディテールの細かさを得々と語る。全く、数年前までは食玩がここまでオタクたちの心を捉えるようになるとは思ってもみなかった。この戦車も集めたくなったが、そろそろブツを絞らないと、キリがなくなってきてるのである。

 しおやさんも合流して、4人での上映会。
 『電人ザボーガー』を死ぬほど見たがっていた獅子児さんは、今日は都合がつかなかったとかで、欠席。それで『ザボーガー』は1話だけの上映。

 まずはQ‐CONで獅子児さんとぴんでんさんが主宰した、武田信廣さんの講演とかち合ったために、たった8人しか客が集まらなかったという幻の企画、「ピープロの部屋」の編集ビデオ、『鉄人タイガーセブン』&『スペクトルマン』の迷場面シーンの再上映。
 まあチープな特撮と言えばこれくらいチープなものもないが、一番笑ったのは、海坊主原人をタイガーセブンじゃなくて、仲間の人間が倒しちゃうところ。タイガーセブン、いなくてもいいじゃん(^_^;)。それどころか誤って人間の子供をバイクで轢き殺したりするし、こんなドジなヒーローがかつていただろうか。ぴんでんさん超お勧めの「少女のすげえパンモロ」シーンには、残念ながら私は萌えませんでした。やっぱオレ、ロリコンじゃないな(^o^)。
 『スペクトルマン』は前回の上映会で見たものが多かったが、ぴんでんさんの編集が面白いのは、怪獣対決シーンをほとんど入れないところ。要するに人間ドラマのヘタレた部分、ヘタレたセリフを中心にピックアップしてるのだ。うしおそうじが見たら怒るだろうなあ(^o^)。

 『電人ザボーガー』第34話「ゴールド・ジャッカー! 首を捜せ!」。
 ストーリーを書くのはちょっとしんどいので割愛。
 いや、これもツッコミどころ満載なんだけれど、満載過ぎて書き切れないこと、分るからさ(^_^;)。
 ゲスト出演の子役時代の戸川京子、健康的で溌剌としていて、まさか20数年後に自殺しようとは、映像を見てるだけじゃ考えられない。当たり前だけど。
 この子のために、主役の大門豊のライバル、秋月玄は、悪之宮博士の命令に背けば腕を絞めつけられる腕輪をつけられるわけだが、フツー、こんなもんつけるのは自分を裏切らせないためだと思うでしょ。
 ところが悪之宮博士は一味違うのである。
 秋月が格闘の末、ついに大門を崖から付き落とし、トドメをさそうとした瞬間、悪之宮博士、「待て! ゴールド・ジャッカーはまだ完成していない! 大門を確実に倒せるまで攻撃をするな!」といって腕輪で絞めつけ、大門を助けちゃうのだ。
 あー、掴まった正義の味方を「じっくり殺してやる」とか言って殺すのを引き伸ばす悪役はいるけど、どう見たって確実に勝てそうなのに、助けてやる悪役なんてのがいたんだ。……要するに、脚本家が助ける方法、考えつかなかったのだね。ピープロは奥が深いわ(^_^;)。

 あとは第50話「大爆発!! ザボーガー基地」のハイライト。
 爆弾ハットの仕掛けた爆薬で、ザボーガー基地が破壊されるのだが、一応その炎上シーンはミニチュアを本当に燃やしてるのだが、その寸前の基地からの脱出シーン、合成の予算もセットを作る予算もなかったと見え、平面のただの書割り。
 おお、『オトナ帝国』のルーツがこんなところに!(^o^)
 こんなん、オレ、ガキのころ一生懸命見てたのかなあ。記憶がほとんどなくなってるんだけど。


 上映会が終わって、近所の焼きとり屋で、焼きトリ、ニラとじ、刺身など。喋ってばかりだから何食ったかあまり覚えてないのよ。
 ぴんでんさんの暴走、今日は一段と凄いが、「恐怖のエビ女」の話、これはもうちょっとしたら凄いオチがつきそうなのでまだ秘密にしておこう。
 もう一つ、これはまさしく今日ぴんでんさんが経験したちょっと素敵な話なのだが、ちょっと寂しい気持ちになったぴんでんさん、○○○○○○に行くほどの余裕はなし、○○○○○○○○○で、○○○○○○にした。なんと○○○○○○○、ぴんでんさんの○○○を○で○○○○○○ばかりか、そのあと○○○○○○○○○そうである。ぴんでんさん曰く、「そのとき、自分の○○○○○○○○ですよ。その瞬間、思いました。次も○○○○○○○ようと」
 ああ、ぴんでんさんって、なんていい人なんだろう!
 しおやさんが語る、福岡のマンガ喫茶の変遷など、時代の証言として面白いんだが、そういうのをまとめて発表する媒体が福岡にはあまりないんだよなあ。
 太閤さんがどうの、福岡と博多がどうの、金印がどうのって歴史はやたら語られるけど、庶民の風俗、文化の変遷という地に足のついた歴史は、いつでも忘れられ埋もれていくのである。こういう公開日記がそういうものの一助になればいいんだけど、聞いてた私ももうそこまで全部書いてる元気がない(^_^;)。
 いや、濃い方々と一緒にいるとネタが多すぎてかえって困るわ。

 河岸を変えて、また近所の深夜バーに移行。
 12時を回っていたし、外観がいかにもソレっぽかったので、「ちょっとこの店怖いんじゃ……」と言ったが、もうみなさん中にズンズン入って行く。
 中は暗いし狭いし、壁からトイレまで、ヘップバーンやモンローの写真が切り貼りしてあるセンスが、どうにもチープ。先に来てたカップル、後から来た連中が怪しいと思ったか、そうそうに退散するが、なんかマスターのヒゲ男の「……万円です」という聞きたくないような声が。
 しかも、注文してもいないのに、豚しゃぶだのマカロニなどが出されてくる。
 これはもう、この時点で覚悟を決めるしかないなあ、と腹を括る。
 ぴんでんさんは寝るし、そろそろ退散しようかと、ウーロン茶一杯だけ飲んでた(つーか、それ以上注文する気がなかった)私は、「ここの勘定は別々にしましょう」と言って、先に席を立ってカウンターへ向かう。
 こんな店でワリカンはご免だ、という、仲間を裏切る私の卑怯さである。すみません、エロさん、しおやさん、ぴんでんさん、一人だけ先に逃げました。(ToT)>゛
 それでも「千八百円です」のマスターの声には、ちょっと一瞬絶句した。ほかの方々はオン・ザ・ロック数杯で三千円近く取られたようである。私がワリカンにしてればみなさんの被害も少なかったのに、エロさん、店を出たあと、「申し訳ないからウーロン茶の代金払います」なんて仰る。
 そんなん受け取れるはずがない。(..*) オハズカシイ……。
 一応ガキのころから目端は効くほうで、こういう店でボラれた経験がないことは自慢だったんだが、つい油断したなあ。でも、これはまだまだ良心的な店である。中洲の裏の方じゃ、なんで警察摘発しねえんだって店、未だに腐るほどあるしなあ。

 帰宅して仕事から帰ってきたしげにその話をすると、「席料取られただけじゃん」と平然。こいつもいろいろ裏街道歩いて来てるからなあ。でも根性座ってるようで、幽霊話を怖がったりするからわけが分らんのである(^_^;)。

2001年09月28日(金) さらば長嶋/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』掘検憤舵良和)ほか
2000年09月28日(木) 百鬼夜行とヤオイSFとデクノボーと/『イミューン ぼくたちの敵』(青木和)ほか


2002年09月27日(金) トンデモさんがいっぱい/オペレッタ『マリツァ伯爵夫人』

 平日だけれど、お仕事休みでゆっくり朝寝。
 こないだ休日出勤した振替だからサボリじゃないよん。
 ああ、三連休は気持ちがゆっくりできるなあ。

 しげは昨夜、職場の飲み会とやらで、サンドイッチやら野菜炒めやらを作って持って行った。仕事が終わるのは3時過ぎなので、当然、店なんて開いていない。だもんで、それぞれか食料持ちよりってことになったんだけど、何となくピクニックみたいだよな。
 帰宅して、余ったサンドイッチやらおでんやらを分けてくれたんだけど、考えてみたらこれが久しぶりのしげの手料理。いったい何ヶ月ぶりだよ。ヘタすりゃ数年食ってないんじゃないか。


 しげの機嫌が随分悪いので、てっきりまだ私の東京行きのことをグズってるのかと思ったら、私がしげの留守中にゴミを出すのを忘れたのを怒ってたのだった。
 「重くて運びきらんから出しといてって言っといたやん!」
 「ああ、ごめん、今度出しとくよ」
 「先週も疲れたとか言ってしてくれんやったやん。どうせまた忘れるっちゃろ!」
 しょっちゅう物忘れしてるしげからは言われたくないセリフだ。
 「忘れんからもう言うなよ」
 「オレが忘れたときは怒るくせに、自分のときだけそう言うやん!」
 「比較するなよ。お前が家事忘れるのは毎日で、オレはたまにやん」
 「たまじゃない!」
 「たまだよ」
 何を夫婦でタマタマ言い合ってるのか。


 昼飯は昨日の残りのカレー。
 しげも食うかと二人分作っといたんだが、ちょっとしか食べてないので、まだ丸々一人分くらい残っている。せっかくしげに合わせて甘口に作ったのに。
 「甘くなかったよう、辛かった」
 としげは不満たらたらだが、牛乳とリンゴジュース、かなりぶちこんだぞ。そりゃ、もともと辛口なんだから、多少の辛味は口に残るだろうけれど、口当たりは悪くなかったはずだ。しげの舌、いつまで経ってもオトナにならないなあ。

 ふと、思いたって、父に電話する。
 写真家の天才アラーキーこと荒木経惟氏が、今、「日本人ノ顔」プロジェクトとして、「福岡の顔」500人を募集している。こないだ誕生日プレゼントを渡すのがちょっと遅れて気が引けてたので、まあ当選するかどうかはわからないけれど、応募してみる気がないかどうか、聞いてみようと思ったのだ。
 事情を話すと、父、何だか照れている。
 「おれ、最近、写真写り悪いったい」
 最近って、そのトシで今更写真写りを気にするかね。
 「それがいいっちゃない? だって荒木さんなんだから、カッコイイ写真が撮りたいわけじゃなかろうもん」
 「そうやな、アラーキーだもんな」
 気安くアラーキーなんて言ってるけど、オヤジ、こっそり藤田朋子写真集なんて買ってんじゃないだろうな。いや、あながち否定できないのは、父の店にも自宅にも、小向美奈子の水着カレンダーがかかっているのを私が知っているからである。
 「……遺影によかろうとか考えとろう?」
 「そうそう。アラーキーに撮ってもらったら記念になるやん」
 相変わらず親子で縁起でもない発言をしている(^_^;)。でも父は特にいやだとは言わなかった。近々応募用紙を持って行くと約束して電話を切る。
 実際には肖像権を放棄するから遺影には使えないと思うけれど、父はしょぼくれちゃいるけど年輪のあるイイ顔をしているのである。全然特別じゃない、ほかの人と何か変わってるところがあるわけじゃない、けれどこれが博多の職人の、ごくフツウの親爺の顔だからイイのだ。
 応募用紙には写真を添付するから、そのへん、荒木さんが見抜いてくれると嬉しいんだが。


 山本弘さんのSF秘密基地の特別会議室、ここしばらくまたもや(今度で何度目かね)荒らしにあってたのだが、結局今まで同様、レッドカードを出されてチョン、ということに相成った。
 コトの起こりは『こんなにヘンだぞ「空想科学読本」』で、『2001年宇宙の旅』の“Grip shoes”を字幕で「磁力靴」と訳してあったのは誤訳だとし、「柳田理科雄は誤訳をそのまま信じた、第一、あんな小さな靴の中に磁力発生装置は内包できない」と批判したのを、その荒らしさんは、「発生装置は外部に作っておけば可能だ!」とやらかしたのである。
 この批判が二重の意味で的外れなのは明白で、「内包できない」ということは外部に作っちゃダメって意味じゃないから、別に山本さんは「磁力の発生装置が外部にあること」を否定してなんかいないのである。第一これは「誤訳を信じた」ことを問題にしてるのであって、「磁力靴が作れるかどうか」の問題ではない。そのことを山本さんからもほかの常連の方々からも何度も説明されてるのに、ご当人は「柳田理科雄の主張を認めなさい!」の一点張りなのである。書き込みするたびにその論旨は支離滅裂、常軌を逸したものになっていくので、これだから既知外と関わるとロクなこたあねえ、と、偏見が助長されそうで困った事態なのである。
 荒らしの心理、というのは、そのうち大学の心理学部とかの研究対象になるんじゃないかと思うが(もうなってるかな?)、異常肥大した自意識がもたらす行為だろうってことは充分推測される。まあ、負けを認めたくない心理っつーかね、誉めてもらえりゃ有頂天になるけれど、叱られたら自分を必死に正当化しなければ情緒不安定になっちゃうのだろう。私もそういう人間、イヤと言うほど見て来ました。

 「バカにされる」ことを極度に嫌う人がいる。バカにされたら怒るのって、そんなん当たり前やん、とお考えの方もおられようが、実はそれがトンデモさんへの第一歩。
 まあ、「人をバカにしちゃいけません」とガッコでせんの……いやいや、教わってきてるものだから、自分の主張に正当性があると考えちゃうのだろうけれど、そうやって腹を立ててる段階で、本人は「なぜ自分がバカにされてるのか」、自らを省みる目を無くしてしまっているのである。いや、対処してる山本さんも他の方々も、決してバカにしてるんじゃなくて、至極マットウな「批判」をしてるだけなのだけれど、自意識過剰な人間には、全ての批判が「こいつはオレのことをバカにしているのだ」と受け取られてしまうのだ。
 逆を言えば、仮に自分が誰かの批判を受けて腹を立てたりした時、それが根拠のないプライドにすがってるせいじゃないか、メンツに拘ってるだけじゃないか、と冷静に自分を観察してみる必要がある。それがオトナと言うものだ。
 で、ホントに冷静になれば、たいていの場合、「怒る必要なんてないじゃん」という結論が導き出されること、多いんだよね。
 仮に、ホントにバカにされたときだって、腹を立てる必要はないんである。
 「お前のかあちゃんデベソ」とからかわれたときに怒るということは、「デベソ」であることが母親にとってマイナス面であることを自ら肯定してしまうことになる。どうぞ私の母のデベソを差別してください、からかってください、と表明しているようなものだ。つまり「バカにするな」と怒った瞬間に、その人がバカだってことが露呈されちゃうんだよねえ。そんな簡単なリクツすら理解できないままオトナになっちまった人間が、どうしてバカでないと言えるのか。自らの愚かさに気付きもせず、似たようなヘリクツを繰り返してるもんだから、結局は誰からも相手にされなくなっちゃってるんだよねえ。

 ましてや件のトンデモさん、「自分が答えられないからうざったいとは何だ」とか、「あなたには答える義務があります」とか、「あなたがやっていることは名誉毀損です」とか、「答えられない」んじゃなくて「答えてるのにその意味が理解できないから答えたくない」んだってことにも気付いてない。これ以上、山本さんに答える義務なんてねーよ。
 名誉毀損って、ハンドルネームの人物が社会的にどういう損害を受けるってんだ。「自分の文章を削除したらあなたの立場が悪くなりますよ」って、脅迫してるの自分のほうじゃん(-_-;)。全く、トンデモさんに関わっちゃうとロクなことがないね(遠い目)。

 それにしても、相変わらず山本さんはぎりぎりレッドカードを出すまで荒らしさんトンデモさんに実に気マジメに対処されている。
 けど、以前、日本語の文章になってないデンパさんの文章を添削してあげたのはちょっとやり過ぎだと思う(^_^;)。ヘンにイジって、デンパさんが暴走したらって考えたらすっごく怖いと思うんだけど。
 
 
 あまり大きな事件じゃないけれども、なんだかなあ、と引っかかった事件。
 北海道白老町で堀川市郎さん(74)が全身を殴られ死亡した事件で、25日、妻の瞳容疑者(71)が傷害致死の疑いで逮捕された。
 まずその年齢に驚いたけどね。年齢からして、随分長いこと連れ添ってきた夫婦なんだろう、それがなんでまた殺人にまで、というのが素朴な疑問だったが、それより何より驚いたのは、その殺害方法だった。
 「瞳容疑者は、21日午前11時ごろから午後8時半ごろまでの間、自宅で棒のようなものを使って堀川さんの全身を殴り、死亡させた疑い。瞳容疑者はこの間、断続的に堀川さんを殴り続けていたとみられる」。
 えーっと、11時からら8時半ごろまでって、およそ10時間?
 相手を殴り続け? 71歳で?
 なんちゅー体力のある婆ちゃんだ!\((;◎_◎)/!
 よく、ミステリで「こんな力の必要な犯罪はか弱い女には無理だ」とかいう言質が出てくるけど、現実にはそんなことないね。女でも婆ちゃんでもやるときゃやるって実例じゃないの。でもミステリで「10時間被害者を殴り続けた婆ちゃん」を犯人として描いたら、絶対「リアリティがない」とか批判されちゃうよなあ、まさに「事実は小説よりも奇なり」。
 ご本人は「夫に昔、乱暴を振るわれた、女性問題で悩まされた」というのが動機だと言ってるけど、夫がトシを取って自分より体力がなくなるのを待って復讐するなんて、あ〜た、アドニオン諸本か(←『頑丈人間スパルタカス』)。
 これ、素直に考えれば同時に自分も体力が衰えるわけだから、きっと日頃からトシ取らないよう、健康に気を遣って、ジョギングなんかもして、「明日のために打つべし」とかやってたんじゃないのかね。うわあ、肉体派の婆さん。面白いけどちょっとイヤだ。
 あなたの身の回りに、シャドーボクシングしながら走ってる婆さんはいませんか? もしかしたら心に秘めた何やら熱いパッションがあるのかもよ。


 北朝鮮の国営朝鮮中央通信が、26日、「日朝間の問題は大局的な見地から解決されなければならない」という趣旨の論評を発表して、その中で日本人拉致事件について、「数人死亡したことをもって日本側が度を越した騒動を起こしては、事態が収拾できない状況に追い込まれる可能性がある」と警告。
 ……北朝鮮ってバカ?
 こういう言い訳が、逆に日本人の感情の火に油を注ぐことになる可能性、考えてないのかな?
 初めて拉致事件について触れたと言っても、首相訪問時の様子を正確に伝えなかった時点で、北朝鮮の底は割れているのである。「大局的な見地」なんてカケラも考えちゃいないだろうがよ。
 日本が「先の戦争で日本もいいことをした」と語れば、「侵略しといて何抜かす」と激怒した自分たちのこと、忘れてるのかね。「拉致しといて何抜かす」という感情の激化をあおってるのは北朝鮮の方ではないの。これでもうはっきりしたけど、北朝鮮は在日の人たちを完璧に見捨ててるね。
 この報道は明らかに北朝鮮の国内向けのもの。日朝の国交が正常化されれば、いやでも拉致のことは北朝鮮人民に伝わる。「わが国は拉致をしたのか!」という世論が起きることを見越して、予め「ごく一部の英雄主義者たちの暴走によるもの」という情報を民衆に擦りこんどいて、国家としての責任を回避しようってハラだね。
 あはは、かつての日本の侵略行為を「陸軍の暴走によるもの」と言い訳した論調と全く同じだねえ。こうもストレートに日本のマネをするなんて、ホントに日本は朝鮮に悪いことばかりしている。朝鮮文化のルーツは日本だね。

 「日本人が死亡したことは、その遺族にとっては極めて遺憾なことで、わが政府は彼らの痛みを和らげるために最善を尽くしていると承知している」。
 日本人が先の戦争について「遺憾」という言い方をしたら、アチラは「反省が足りない」と滅法怒ってたはずなんだけどなあ。それとも「遺憾」という言葉についても考え方が変わったのかな?
 ……で、その「痛みを和らげるために」何をしてるの? 具体的なこと何も言ってないんですけど。この態度も日本人の対応そっくりだねえ。

 「日本には日朝間の肯定的な事態の発展が気に入らない勢力がいる。今、彼らは拉致された日本人のうち、長い期間のうちに一部が死亡した問題を、感情的に極大化し、反共和国(北朝鮮)敵対意識を吹き込む大々的なキャンペーンを繰り広げている」。
 「肯定的な事態の発展が気に入らない勢力」って、北朝鮮に対して怒ってる連中って、世論調査によれば日朝の国交正常化を望んでる人間にだってゴマンといるんだけど。
 それに「長い期間のうちに一部が死亡した」って、ほとんど死んでるのに、明らかにウソじゃん。しかもこの論評子がいかにバカかってのは、「長い期間日本人を拉致したまま、本国では報道管制を敷いてた」ってこと、結局認めちゃってることに気付いてないんだもんね。
 北朝鮮の人たちもみんながみんなバカじゃないから、こんなウソを聞いてりゃ亡命者はぞぞっと増えるだろう。もしかしたら、北と南の統一、意外と早くなるかもな。

 「現在、わが国には過去、日本に強制連行されて半世紀が過ぎても生死すら分からない数百万人と、日本皇軍の性奴隷(従軍慰安婦)として連行された数十万人の女性たちの遺族たちが悲しみと苦痛に耐えながら暮らしている。こうしたむごたらしい歴史的な問題と、日本人数人の問題を絶対に対比はできず、万一、2つの問題が感情的に連結し、対峙(たいじ)した場合、想像できない事態が起きるだろう」。
 えーっと、つまり、過去に罪を犯した国は、いくら報復されても仕方がない、と言いたいわけね? 戦争は歴史だけど、日本人数人の命は歴史にも残らない無価値なものと言いたいわけね?
 で、そんな言い草しといて感情的になるなと? 仲良くしましょうって?
 そりゃ、私はならないけど、なる人間が日本人の中にドッと増えてもいいって覚悟で報道してるのかな? あんたらが、今、見捨ててるのが、その強制連行されて生死すら分らない数百万人の同胞なんだけど、自覚してる?
 これも、移民がドッチャリいるのに、アメリカに宣戦布告した日本の態度とそっくりだよねえ。自分が犯した罪を反省もしない態度までマネして、どこまでも日本に追従するその態度、これぞ皇国教育の賜物ってか?

 これでまた、在日朝鮮人差別が陰湿化しちゃうよ。いったいこれをどうしたらいいんだろうね。
 ともかく、あの「国」は他国にいる「同胞」を見捨ててしまった。在日の人は頼るすべを失っちゃったのだ。もはや自ら身を守る手段を必死で探すしかない。
 一つ提案なんだけどね、露骨に差別するやつが出てきたら、「あいつ、実は北朝鮮人なんだぜ。自分がそうだと思われたくないために、ワザと差別して北朝鮮人でないフリをしてるのさ」とかウワサを立てたらどうかな。
 このリクツ、説得力があるから信じるやつ必ず出てくるぞ。そのうち、「あいつもこいつも北朝鮮人」ということになれば、誰も差別なんてしようがなくなると思うんだけど、どうだろう。
 ……はい、そうです。これも「同化政策」のパロディです(^o^)。
 あ、でもこの手、その人が差別者かどうか見分けるのに役に立つよね。
 「あなた北朝鮮の人でしょ?」
 と言われて、必死になって、「お、オレ、北朝鮮人なんかじゃないよ!」とか否定したら、もうはっきり差別者ね。
 さあ、君も君の友達にいきなり声をかけてみよう、LET'S TRY!

 さて、北朝鮮の報道を真っ向から批判する意見を書いたけれど、これを「日朝の関係悪化を狙ったもの」と誤読するやついるかな?
 いるだろうなあ、「批判」ってのを「相手を敵とする」と同義にしか考えられないバカ、どこにでもいるもんな。でもヒトコトだけ付け加えとくけどさ、「反論があれば受け付けます」って態度を表明した上でこういうことを書くのって、何のためかちょっとくらいは自分の頭で考えてみてね。


 夕方6時半から、アクロス福岡シンフォニーホールで、ウィーンの森バーデン市立劇場公演、イムレ(エメリッヒ)・カールマーン作曲、オペレッタ『マリツァ伯爵夫人(Grafin Mariza)』を鑑賞。
 あちらのオペレッタなんて、日本のコヤにかけて面白いのかいな? という疑問がないわけでもなかったが、それは杞憂に終わった。
 確かにこれは出演者はみな外人、完全な洋モノであるわけだが、堅苦しい芸術作品ではなく、日本で言えば軽演劇、歌と踊りの入った吉本新喜劇と言ってもいいくらいエンタテインメントに徹している。筋立てはもう、このままマンガにしたら見事に定番の少女マンガになるだろうってくらい、お馴染みの設定やセリフがテンコ盛りである。この芝居が作られたのが1924年だってのがちょっと信じられないくらいだ。

 父親の遺産を相続してから、マリツァ伯爵夫人(ヨアンナ・マリア・ルウェッフェル)には結婚の申し込みが殺到。ウンザリした彼女は一計を案じ、ハンガリーの国境に近いバルカン地方の屋敷に引っ越し、そこでヴァラスディンのコロマン・ツゥパン男爵という架空の人物をでっちあげ、彼と婚約すると求婚者たちに伝える。
 求婚者の一人、モーリツ・ドラゴミール・ポープレスク侯爵(マンフレード・シュヴァイゲル)は悔し涙に暮れるが、もう一人、密かに落胆している男がいた。
 マリツァに新しく雇われた領地経営長は、トゥレックと名乗ってはいたが、実はヴィッテンブルグ家のタッシロ伯爵(ミヒャエル・ハイム)。伯爵家が倒産して財産が競売され、かろうじて妹のリーザ(スサンネ・ラーテ)をブカレストの寮制学校に入れて、彼女に仕送りをするために身をやつし、働いていたのだった。素性を明かせぬがゆえに、彼はマリツァに心惹かれつつも使用人としての立場を崩さず、冷淡な態度をとる。
 ところが自分の命令に唯々諾々とする風でもないタッシロに、マリツァの方もいつしか魅力を感じるようになる。おりしもジプシーのマンニーア(マグダレーナ・ホフマン)は、マリツァに「貴族の凛々しい騎士と恋に落ちる」と預言していた。
 ところがそこへ現れたのは、偶然にもマリツァがでっち上げた男爵と同姓同名の男(ロマン・マルティン)。地方弁丸出しのこの粗忽者は、新聞の一面を飾った婚約記事を見て、本気で自分がマリツァと婚約したと思い込んでしまったのだ。困惑するマリツァだったが、その場はどうにか誤魔化すことに成功する。
 相手がいないまま開く予定だった婚約披露宴には、リーサも招かれてきていた。再会を喜ぶタッシロだったが、妹に事情を打ち明ける様子を垣間見たポープレスクは、二人が恋人だと勘違いし、マリツァに注進する。
 リーサへの嫉妬と、タッシロも自分の財産目当てかと憤ったマリツァはタッシロに大金を渡して屋敷から出て行くように告げる。自分の真実を疑われたタッシロは、ジプシーたちに金をバラ巻き、屋敷を去ろうとする。
 そのとき初めてマリツァはリーサがタッシロの妹だと知る。タッシロの伯母であるクッデンシュタイン侯爵夫人(マルガレート・ツガール)が現れ、売られた彼の財産をすべて買い戻したことを伝える。障碍のなくなった二人は、再び恋に落ちたのだった。

 字数をオーバーしたので、この芝居の感想は明日の日記に。

2001年09月27日(木) 「檸檬」って書ける?/『BLACK JACK ILLUSTRATION MUSEUM』(手塚治虫)ほか
2000年09月27日(水) とろける膵臓と行きずりの恋と膝小僧と/『おもいでエマノン』(梶尾真治)


2002年09月26日(木) 鮎川哲也、死去/『手塚治虫の奇妙な資料』(野口文雄)ほか

 エロメールがやたら送られてくるとこないだ慨嘆したばっかりだが、また来た。
 「素敵な男性と朝まで二人・・・
  素敵な男性を今すぐ貴女の元へ向かわせます
  全国ネットワークですぐに紹介
  若い女性も遠慮しないで遊びまくろう!
  1回限り、長期、何でもあり。」
 オレは男だっ!凸(`△´+)
 ……って指立てちゃマズイな(-_-;)。


 柳美里氏のデビュー小説『石に泳ぐ魚』の出版差し止め訴訟で、彼女の敗訴が確定した。これでこの作品の出版差し止めが決定、どうしても読みたいと思ったら、『新潮』1994年9月号を探してみるしかなくなった、ということになる。
 「表現の自由か、個人のプライバシーか」という問題は、個々の作品の性格を考えてみなければ簡単に結論は出せないことである。
 となれば、当該作を未読の私はそもそも何かを言える立場にはない。けれどことは在日韓国人の、しかも身体障碍者に関する問題である。私の職業をご存知の方なら、この件について私が何か語るべき立場にあることを首肯していただけると思う(まあ、この日記はその立場を捨てて書いてるわけだから、ちょっと今回は卑怯なんだけど)。
 あえて憶測だけでものを言わせてもらうと、原告の女性の主張である「無断で小説化されてプライバシーや名誉を侵害され、精神的苦痛を受けた」という主張を全面的に信じるならば、「じゃあ、事前に『こういうの書くけどいい?』って作者が確認しとけばよかったんじゃん」でケリがついてしまう問題のような気がする。柳氏と原告は友人だったそうだから、この「無断で」というところで原告は「裏切られた」という思いを持ったのだろう。
 では、どうして柳氏は無断で小説を書いたのか、というその理由が、新聞の記事だけでは判然としない。だからこれも憶測でものを言うしかないのだが、柳氏はもともと、小説を書く場合、そのモデルたる人物に了承を取る必要はない、という判断を持っていたのではないか、ということだ。
 基本的にこの考え方は間違ってはいない。
 相手が人間であれ、あるいは国、地域、施設の場合であっても、いちいち対象となるものに許可を得なければならないとすれば、小説を書くこと自体、できなくなってしまう。小説に「新宿は魔界と化していた」と書いたら、それだけで新宿区からのクレームを気にしなければならないのか。そんなことになったら菊地秀行も訴えられてしまうことになる(でも冗談でなくその可能性はあるんだよね)。
 プライバシー、という問題に関して言うのならば、描かれた対象が著しく損害を与えられた、と証明されない限り、批判は受け入れられるべきだ。例えば、役者がその私生活をフォーカスされたことに対して訴えるのは是だが、演技についてボロクソに批評されて「おかげで次の仕事がなくなった、損害賠償しろ」というのは非である。そもそもそんなふうに批評される演技をした本人に責任がある問題ではないか。
 しかし、今回の件では、原告は完全な私人である。その点を考えるならば、柳氏のほうが明らかに分が悪い。『仮面の国』で小林よしのりを「常識知らず」と罵った柳氏が、なぜ事前にモデルの件について当人に相談する、というごく当たり前な世間知を持ち得なかったのか。やはりなんだかこちらには分らない事情がありそうで、結論が出た問題にもかかわらず、なんだか釈然としない部分を残しているのである。
 腑に落ちない、と言えば、原告も結局はわが身のことしか考えてなかったのではないか、という疑問が残る。小説の内容は、柳氏の主張を信じるならば、障碍を乗り越えて生きる女性の力強い姿を描いたものだそうだ。ならば、その出版は、同様の障碍を持つ人々に対して、勇気を与えるものとして、原告は喜んでもよかったのではないか。裁判に訴えたことで、「障碍者を題材に書くと、たとえ書き手の方は障碍者のためのつもりであっても、何かクレームをつけられることはままある。ならもう一切触れないでおこう」なんて意識が世間に植えつけられたら、結果的に「囲い込まれて」損をするのは自分のほうではないのか。
 部落解放運動の過激な糾弾行動が、逆差別を生んだ実態を考えてみればいい。
 何にせよ、現物を読んでいず、また、裁判の経過が不明瞭な状況で、私が想像できるのはここまでである。だから、こういう問題は、もっとオープンに語れるようにしないと、邪推が広がるばかりなんだってば。


 深作欣二監督が、『バトル・ロワイアル2』の製作発表会で、骨がんに侵されていることを、25日の製作発表会見で告白。
 手術はほぼ不可能で、放射線治療を続けているが、痛みも相当ひどく、モルヒネを打つこともあるという。
 『バト1』のときも、「随分老けたなあ」と思っていたが、やっぱり病気だったのか。ご本人も今度の作品が最後の作品、と決意されてるようであるが、つまり、『怪人二十面相』の映画化は断念したわけだね。ついこの間、石原慎太郎に東京都庁の撮影許可を取りつけたばかりだったってのに、ついに幻の映画で終わるか。
 深作監督の『二十面相』映画化は、以前も何度か頓挫している。
 おそらくは製作費やロケ地の問題等があったのではないかと推察されるが、それでも深作さんは映画化をあきらめてはいなかったはずである。
 映画評論家の故・田山力哉氏が、死ぬ寸前に、企画進行中の『二十面相』映画化について、「なぜ今更そんな古臭い企画を」と憤慨していたが、古い作品を現代に蘇えらせることなんて、いくらでもある。ある意味いいがかりに近いこの田山氏の批判に対して、深作さんは完成した作品をもって答える義務があったはずだ。『バト2』作るより、『二十面相』の企画を優先すべきではなかったか。
 これは勝手なカングリなんだけれども、深作監督は、二十面相役にビートたけしを想定していたのではなかったか。どこでその話を聞きつけたか、TBSがテレビでやっちゃった。深作監督、さすがに二番煎じと謗られるのがイヤになっちゃったんじゃないかな。
 巨匠なんて祭り上げられてるけれども、深作監督のよさは二流、三流に徹してるところだと思う。へたに「文芸大作」なんてものに取り組んじゃうと、『火宅の人』とか『華の乱』みたいにどうということもないものしか出来あがらない。まるで水に合っていないのだ。『二十面相』は深作監督にはぴったりの企画じゃなかったか。『バト2』作るなとは言わないが、岡田裕介社長は「いくら製作費を使ってもいい」とまで言ってくれてるのである。深作監督に『二十面相』を本気で作る気があったなら、取りかかれないはずはなかったと思うのに、いつどういうわけであきらめちゃったのかなあ。


 推理作家・鮎川哲也氏が24日午後、多臓器不全のため死去。享年83。
 その生年には、大正3、4、5、6、8(1914、15、16、17、19)年、昭和3年(1928)と諸説紛々であったが(本人が韜晦して明かさないのだからミステリ作家ってやつはもう)、『黒いトランク』(創元推理文庫)の解説鼎談で戸川安宣氏が「大正8(1919)年2月14日」と公表し、今回の享年もそれに準拠している。
 遺作は、三番館シリーズの『モーツァルトの子守唄』だが、長編としては鬼貫警部ものの『死びとの座』が最後になる。くそ、買ってるけどまだ読んでねえや(いつもの如く、しげが読んだままどこかに放っぽったままで行方不明なのである)。噂されていた新作『白樺荘事件』(題名から判断するに『私だけが知っている』の小説化か)は未完のままで終わったようである。
 デビューは1943年(昭18)頃、「佐々木淳子」名義で、『婦人画報』の朗読文学募集に一席入選した『ポロさん』。当時氏が住んでいた満州国を舞台に、支那長屋に引っ越してきたロシア人、ポローチコフ氏の、奥さんとの交情を描いたO・ヘンリーかつげ義春かって雰囲気の掌編で、ミステリーではない(現在は『鮎川哲也読本』で読める)。
 その後、那珂川透、薔薇小路刺麿、中川淳一、中川透(これは本名)、宇多川蘭子、Q・カムバア・グリーン(“cucumber green”のシャレ。キュウリは緑って、確か目の前のキュウリを見て思いついたとかそんなだったような)、藤巻一郎、猿丸二郎、畷(なわて)三郎、五反田四郎とペンネームを変え続け(不遇の時代が長かったのである)、昭和31年(1956年)、書下し長編探偵小説全集の新人募集懸賞である“13番目の椅子”に『黒いトランク』が当選、これが日本推理小説ベストワンに推される事も少なくない傑作として、今に至るも読み継がれているのである。このときペンネームを「鮎川哲也」とした。
 この後、アリバイ崩しを中心とした鮎川哲也の本格ミステリの傑作群が次々と発表されていくのである。

 およそ、推理小説ファン、ミステリファンを名乗るもので、鮎川哲也を読んだことがない、というのはまさしく恥であろう。赤川次郎や内田康夫や西村京太郎や山村美紗なんか一冊も読まなくてもいい。特に、『黒いトランク』を読んだこともないのに「私、ミステリが好きなんですぅ」なんて言おうものなら、簀巻きにして那珂川にたたっ込まれても文句は言えない。
 創元推理に鮎川哲也賞が設けられ、乱歩賞ほど有名でないにもかかわらず、「本格推理作家」を標榜する人々が多数応募し、デビューしていっているのも、「鮎川哲也」の実力があったればこそなのである。
 「鮎川哲也と土屋隆夫の本がベストセラーになるようでなければ、本当の意味で推理小説がブームになったとは言えない」とはミステリファンの中ではよく囁かれたものだったが、そのことを考えれば、日本には未だにミステリブームなんてものは起こったことはないのかもしれない。

 二十年ほど前、今はなき探偵小説専門誌、『幻影城』に、鮎川氏は戦前の探偵作家たちの消息を博捜して、『幻の探偵作家を求めて』というシリーズを連載していた。これが当時の私にとってどれだけ楽しみだったことか。
 林不忘の弟にして長谷川四郎の兄、ファンタジーの名手、地味井平造。名探偵青山喬介シリーズの本格派、大阪圭吉。江戸川乱歩の影武者として『蠢く触手』を書いた岡戸武平。ドジな弁護士、花堂琢磨シリーズの葛山二郎。せんとらる地球市の住民、星田三平、などなど……。それはまさしく「発掘」に近かったが、日本の探偵小説界がこれほどの鉱脈を持っていたことは、鮎川氏の存在がなければ、更に何十年、あるいは永久に埋もれたままであったろう。
 当時刊行された『「新青年」傑作選』のオビには彼らの写真が載っているが、いやにトシヨリ顔のものが多いのは、このときの取材時に撮られたものが多いからである。

 生真面目な本格派、と評されることが多いが、一種独特なユーモアもその作品には横溢していて、『死者を笞打て』では、知り合いの作家たちがパロディになって登場する。権田萬治は万田権治、星新一は星野新一、大藪春彦が大虻春彦。からかわれた本人たち、表面上はにこやかにしてたとは思うけれど、内心、ちょっとくらいはむかっ腹が立っていたのではないだろうか。
 後に、鬼貫警部は、小林信彦の『オヨヨ大統領』シリーズや江口寿史のマンガ『名探偵はいつもスランプ』で、「鬼面警部」の名前でパロディにされたが(江口の、名前は「鬼面」なのに、顔は童顔、というキャラが秀逸)、鮎川さんがもしそれらを読んでいたら、結構楽しんだだろうと思う。もちろん、「鬼貫」の名前は、俳人上島鬼貫から拝借したもので、別に「鬼のような刑事」を意図して作った訳ではない。作者本人は「鬼」という言葉が好きで、揮毫までして額に飾っていたようだが。
 鬼面と並ぶキザな探偵、ファイロ・ヴァンスもエラリー・クイーンもかくやというディレッタント、星影龍三は、戦前の帝国キネマ製作の『怪紳士星影』に登場する和製ルパン、星影龍三の名前をそのままいただいたものである。もとがルパンなら、多少ナルシスティックな面を見せるのもいたし方のないところか。

 鮎川氏の作品には、裏切られるということがなかった。
 本格もの、倒叙もの、ユーモアミステリー、ジュブナイル。
 決して作品数は多くはないが、読めば何がミステリーであって何がミステリーではないか、それを判断する指針となっていた。
 『名探偵コナン』なんかに飽きたらなくなってる人、鮎川哲也を読みなさい。損はさせません。


 例の「私、あの人刺すかも」の同僚、今のところ殺人は犯していないが、職場での評判が頗る悪い。
 日頃から不得要領な喋り方で、クドクドと論旨も定まらぬ愚痴を語りつづけ、対応する者はみな困っているのだが、ご本人は全く気付いていない。
 いや、ウスウスは感じているだろうから、かえって被害妄想の度合いが強くなっているのである。
 別の同僚から、ふいに「有久さん、延長コードは返って来ました?」と聞かれる。何のことかと思ったら、以前、例の同僚に貸していたのが、机の上においておいたらいつの間にかなくなっていて、「あなたが盗ったんでしょ!」と詰め寄られたと言うのである。
 実際にはまた別の同僚が机の上に出しっぱなしじゃ危ない、と、ブツを机の中に入れてくれてただけだったんだが、机の近くをうろついてただけで疑われたものだからその人もたまったものではない、相手とちょっとした口ゲンカになってしまったというのだけれど、そりゃそうだろう。
 そこにあったものが無くなったのだから、持って行かれたのではないか、と疑うところまではまあ、頷けなくもないが、いきなり盗人扱いはやはり常軌を逸している。相当精神的に追いつめられてる感じだが、仕事上、私はこの人といろいろ相談しなきゃならない立場にあるんだよなあ。他の同僚はできるだけ対話を避けてるんだが、私がまた一応、ソトヅラだけはよくて、形の上では親身になって聞くものだから(でも聞くしかないじゃん)、延々と愚痴を聞かされること。
 ……いや、私は仕事の話がしたいんだけど(-_-;)。
 いつの間にかその同僚のカウンセリングをする羽目に陥っているのだ。昔からこんな状況に追い込まれること多かったけれど、私ゃ何かそういう星の元にでも生まれてるのか。


 しげがまた拗ねている。
 しげの性格を先刻ご承知の方なら、ご想像がつくことと思うが、今度の東京行きについて、一人きりにさせられるのが歯痒いのだ。
 「……アンタ、東京行くっちゃろ?」
 「行くけど?」
 「なんでオレに声かけんと」
 「声かけんって……お前、仕事は?」
 「あるよ?」
 「あるなら初めから無理やろ。声かけられなくったって、しかたないやん」
 「その根性が好かんと! 初めから決めつけとるやん!」
 「じゃあ、行く?」
 「……行ってもすることないし」
 「ミステリー文学館覗くんだってば」
 「会う人もいないし」
 「こうたろうくんに会えるじゃん」
 「……日帰りで行くと?」
 「いや、一泊するよ」
 「なら、行けんよ。次の日、練習やし」
 「だったらやっぱり初めから無理なんじゃん!」
 「……しかもほかの女と会うし」
 「……ちょっと待て(・・;)」
 「オレ以外の女と楽しく過ごすんやもん(T-T) 」
 「おい」
 「オレ、おいてきぶり(←「おいてきぼり」の意のしげ語)やん(TロT) 」
 「だからオレが東京で何するってんだよ!」
 まあ、覚悟してたことではあるがしんどい。
 仮に連れてったら連れてったで、「人と話せん」とか言って、また泣いちゃうんだよな、こいつは。いや、出かける土壇場になって、「やっぱり行かん」とか言って拗ねることにもなりかねない。と言うか、実際に毎回そうなので、いい加減こっちも相手をしてやる気力が失せているのである。
 いつまで経ってもオトナになる気がないから、こんな風に放り出されることになるのだ。自業自得、ちったあわが身を省みて、そのバカいい加減で治せ。


 CSファミリー劇場『快傑ズバット』第9話「涙の河を振り返れ」。
 今度の用心棒は釣師十兵衛。殺し屋釣師ってのもムチャな設定だが、今回も早川健、「お前さん、釣りの腕は日本じゃ二番目だ」と嘯く。釣道まで極めてたってのか早川健。
 その殺しの釣りの技術ってのが、要するに爆弾を釣りで遠くまで飛ばすってんだけど、確か、爆弾を使った漁業の仕方がホントにあったな。もしかしてそれから発想したのか。
 けれど、これくらい書くのに楽な脚本もないよなあ。ワク組は全部同じだし、あとは変なキャラを登場させるだけでいいんだもの。ファンがこういうのを楽しむのはまあいいとして、作り手の立場になると、やっぱり「ラクしてんじゃねーよ、世間にウケてるのはこれを宮内洋が演じてくれてるからだろーが」とヒトコト言ってやりたい気分になって当然と思うんだが。


 野口文雄『手塚治虫の奇妙な資料』(実業之日本社・1785円)。
 手塚治虫に改稿癖があったことは有名である。
 雑誌収録時の作品がいったいどういう理由があったのか、コマが切り張りされ、絵が改められ、ときにはストーリーそのものが変更された。
 そんな首を傾げる事態が、その生涯において休むことなく繰り返されていたのだ。もちろんそれは水木しげる評するところの、手塚さんの「一番病」ゆえであろう。ともかく自分の作品が読者に「古い」と断ぜられるのが怖くて仕方がなかったのだ。
 作者の野口さんは熱狂的な手塚フリークらしく、「どうして変えちゃったんですか!」と愚痴は言っても、そういった明確な批判はしない。妙に手塚さんに摺り寄るような文章になってるのが、読んでいて気持ちの悪さすら感じるところだ。「結局どちらがいいかは読者の好み」って、それなら批評本を出す意味だってないじゃん(^_^;)。それはその通りなんだけれども、何かを批評するのなら、ある視点に立てばこう考えるしかないってこと、自分がなぜその立場を取ったかを明確にした上で語らなきゃ、何もか語ってないのと同じなんである。
 そういうフラフラした見方なもんだから、もう文章はときには妄想の域にまで達していると言わざるを得ないところまで来てしまう。
 『ハトよ天まで』で、新聞連載時にはあったが単行本で削除されたページについて、手塚さん自身は「代筆部分を削った」と語っているのだが、野口さんはなんの根拠もなく「どう見ても代筆というようなヒドイ代物には見えない」と断定する。「もし当時これほどうまい代筆者がいたら、手塚マンガにあれほど歴然たる代筆場面が散在するはずがない」とか書いてるんだけど、手塚さんが毎回代筆者変えまくってたのは有名なんだから、その中には手塚さんの絵にソックリなの描ける人もそうでない人も混じってて当然じゃないのかね。第一、テレビアニメスタッフはできるだけ手塚さんの絵そっくりに描くことを鍛錬されてたじゃないの。「うまい代筆者」なんて、昔から今に至るまで、吐いて捨てるほどいたよ。出崎統なんか、実際に『少年』に特別編として『鉄腕アトム』を本物そっくりに描いてたし。
 じゃあどうして毎回アニメーターに代筆させなかったのかって反論されるかもしれないけれど、あのね、アニメーターってそんなにヒマじゃないの。アニメーターにとってはアニメは仕事だけれど、手塚さんにとっては(本人の意志はどうあれ)余技だからね、たまにならともかく、そんなにしょっちゅう代筆なんてしてやらないってば。
 それに、言っちゃあなんだが、野口さんの「代筆に見えない」って主張自体が私には根本的に間違ってるように思えてならないんだけどね。キャラクターのポーズやアングルが単調で、しかもヒョウタンツギばかり出して線の違いがバレるのを隠してるあたり、私には代筆にしか見えないんだが。
 だから手塚さんの代作を少しでも減らしたいって心理は分るんだけどさ、批評にもならない駄文を書き連ねられても読者は頷けやしないよ。まあ、絵自体は豊富に掲載されてるんで、手塚ファンなら、文章を読まなくても買って損はないです。

2001年09月26日(水) 彼岸の人/ドラマ『ブラック・ジャック掘戞拭悒疋鵐ホーテのロンドン』(鴻上尚史)ほか
2000年09月26日(火) 泊まりの仕事で本も読めねえ


2002年09月25日(水) まあ、冷静な人間なんていないんだけど/『小説ウルトラマン』(金城哲夫)ほか

 巨人2年ぶりのリーグ優勝、原監督就任1年目での優勝ってのは、長島も王も成し遂げられなかったことであるわけだから、一応、快挙と言ってもいいのだろうな。
 死んだお袋が原辰徳の熱狂的なファンで、LPまで買ってたくらいなんで(今は私が引き取っている。おそらく死ぬまで二度と聞くことはあるまい)、極楽か地獄か中宇でさぞや喜んでるであろうが、私は野球は王貞治の引退で、相撲は千代の富士の引退で興味がすぽーんと消えてなくなっちゃったので、まあ勝とうが負けようがどうでもいいのであった。ああいうのに熱狂するのは自分が「少年」で、遥かな高みへの「憧れ」があるからなのであって、今更このトシになって、ゴジラ松井のどこに憧れりゃいいんだか。
 しばらくは、どこのデパートでも、安売りセールと称して、実は普段とたいして変わらない値で売れ残り品をサバくようなアコギな商売をさらしてくれるのだろうな。値段ってのは商品の顔なんだぞ。安易にテキトーな値段をつけることが、商品自体の価値を貶めることになるってこと、解らんのか……って、これも昔ながらの職人の意地に過ぎんのかね。


 北朝鮮の拉致工作の実態の一端が少しずつ明かされている。
 と言っても、日本の調査でそれが判明したわけではなく、韓国当局の調査によるものってのが情けない話だが。
 1980年6月のある夜、平壌放送で流された「29627」という数字が工作員の生年月日「(19)29年6月27日」を意味していて、拉致決行の合図だったとか。原敕晁さんが、宮崎県の青島海岸から工作船で拉致されたのはその翌日のこと。

 どうも腑に落ちないのは、工作員の辛光洙容疑者、韓国に逮捕されたのが85年のこと。その情報は当然日本にも伝えられてたんじゃないかと思うんだが、どうして今までニュースにならなかったのか。やっぱり外務省の情報隠しか。
 いや、似たような情報はこれまでも何度かワイドショーなんかで取り上げられたことがあった。ただそれは全部断片的で、継続したニュースとしてマスコミが報道してきたのは横田めぐみさんらごく一部のものでしかなかった。

 結局、膨大な情報の流れの中で拉致疑惑のニュースなんて忘れられていったってとこが真実なわけだ。政府だけが無策なわけじゃない、適当な情報を流して事足れりとして来たマスコミも、それを受けても聞き流してきていた我々大衆も、結局は同罪なのである。電車の中でやくざに絡まれてる女子高生を周囲が見て見ぬフリしてるのと同じやね。でも、それが大衆の心理というものだ。
 だから本来、「今まで政府は何をやっていたのか」なんて、エラソウなこと、大衆が軽々しく言えるものではない。今までノンポリ通しておいて、何か事あれば慨嘆してみせるっての、言っちゃなんだがいささかみっともなくないか。

 もちろん私だって、その「大衆の無責任」にだらしなく乗っかって、政治の腐敗も世界を揺るがす大事件もみな、対岸の火事として看過して来たわけである。
 「『日本はどうなってるんだ』なんて嘯いてるくらいなら、オマエが政治家になったらどうだ」なんて突っ込まれたら、返す言葉もない(ないからもちろん政治家になんかならないが)。
 しかし、自分が社会に対しても、ごく身近な他人に対しても、全くの無力であり、所詮は矮小な一個人に過ぎないと自覚した時、我々は「無責任」という枷を引き受けざるをえないのである。それはもちろん卑怯卑劣な行為であることに違いはないのだが、では、何の才もない人間が、さも我こそは、と自らに語るべき資格があるかのごとく、権威を振りかざし、しゃしゃり出た時、どういう事態が起こるか。
 仮に、あなたが、外務省の人間だったとして、拉致問題に被害者の身になって対処しただろうか、考えてみたらいい。人は追い込まれねば、そうそう他人のために積極的に動いたりはしないものなのである。外務官は外交の専門家だろう、専門家が自分の仕事しないでどうする、という批判は正論だが、専門家でない人間に専門の仕事が任されてる実態は、外務省に限ったことではない。そもそも日本人が働きバチなどと言われたのは、日本人の大多数が有能だったからではない、上意下達のイエスマンがそのほとんどだったからではないか。
 「上が動かないから」、当然、下っ端は動けない。動けば潰されるとわかっていて動くバカはいない。杉田千畝が何千人何万人もいるわけがなかろう。我々は「無責任」という共犯幻想の中で生きる生活を自然に選択しているのである。

 朝鮮総連の北朝鮮国籍の人たちが、今、慌てて韓国籍に鞍替えしているそうである。……国籍って、そんなに簡単に変えられたの? (。_゜)?
 これをみっともない、と評するのは簡単なのだが、彼らも自分が迫害されると知りながら、座してそれを待ってもいられまい。中には、本当に拉致に関わった人間もいるだろうから、身を守るためにはナリフリかまっていられないのである。
 まさしく卑劣、無節操には違いないが、北朝鮮という国に固執していないだけ、マシだとも言える(もっとも国籍変えてスパイ活動する可能性もあるが)。
 さて、我々は彼らを受け入れて、なお偏見を持たずにいられるかどうか。
 今まで「無責任」を通して来たのなら、当然、今まで同様、たとえ相手が拉致の関係者であった可能性を感じてもなお、変わりなく接しなければウソだろう。それは、「君が、たとえ北朝鮮の命令で仕方なく任務を遂行していたとしても、君は君だから、変わりなく接するよ」、なんて甘っちょろいものではない。
 「君が今でも北朝鮮の工作員で、私を自分の任務に利用しようとしているとしても、あるいは仮に私を拉致しようと考えていたとしても、そのことで君を責めはしないよ。当局にチクリもしない。もともと君と私は友人ではあっても他人なんだから。ただ、ホントに拉致ろうとしたら本気で殺すぞ」
 これくらいの覚悟がなくて、他人と付き合えるか。「偏見を持つな」ったって、拉致の実態が判明して行けば、北朝鮮の関係者が十把ひとからげに拉致疑惑で見られるのを回避することは、土台、無理な話だ。だったら「偏見持った上で付き合う」選択をするしかなかろう。それのどこが悪い?
 それとも本気でオウムの時のように、「北朝鮮は日本から出て行け」キャンペーンを張るつもりか。今までだって「スパイ天国日本」なんて言われてきたわけだろうが。隣の人間が実はスパイかもって状況を、受け入れて来たんじゃなかったのか。今更何を動揺している。
 実際、「北へ帰れ」と言ってるやつも、「在日差別をするな」と言ってる連中も、どちらも情報に振りまわされ、冷静さを著しく欠いている。今回の件で、我々の周囲の状況の何がどう変わったっていうのか、冷静に考えてみてほしいものである。


 仕事、残業の予定だったが、早く帰れることになる。
 しげには、「遅くなるときには電話するよ。電話がないときは定時に帰れるから迎えに来て」と頼んでいたのに、あのばかちんは寝惚けてやがったのか、「遅くなる」の部分しか聞いてやがらなかった。
 もう夕方でも肌寒くなってるってのに、いくら携帯に電話をしても返事がない。仕方なくタクシーで帰ると、やっぱり高いびき。
 タクシー代を取りたてたから、一応私の損はないんだけども、別にしげから金を取りたてたいわけじゃない。なんでこうもないがしろにされなきゃならんのか、それが侘しいのである。


 夕方からアニメなどダラダラ見る。連続してみるのは結構久しぶり。
 『キン肉マン鏡ぁ戞悒轡磧璽泪鵐ング(最終回)』『テニスの王子さま』など。感想は別になし。悪いか。
 『ヒカルの碁』第五十局「藤原佐為?」は総集編。
 佐為の回想でヒカルとの出会いが語られ、主にアキラと佐為の対決を中心にこれまでの展開が語られる。最後が洪秀英(ホンスヨン)に「俺の名は進藤ヒカル!」と宣言するシーンで終わるまとめ方は、ああ、そうか、これも「佐為との別れ=『ヒカルの碁』の始まり」の伏線だったんだな、ということが解って、なかなかウマイ。

 『世界危険映像まる見え恐怖の怪奇事件大捜査スペシャル』。
 ……タイトルなんとかしてくれ(-_-;)。日本語になっとらんわ。
 クリストファー・ロッカンドールだかロッテンベリーだか名前は忘れたが、フランス生まれの詐欺師が、財閥の御曹司、プロデューサー、FIレーサーを名乗り、ミッキー・ロークを始め、ハリウッドの有名人たちから総額30億円以上を巻き上げたエピソード、ダマされたとわかった後のロークの落胆して呆然とした顔をおおっぴらに映してたが、やっぱ向こうでも嫌われてるのかね、あの人。日本じゃ例のボクサー転向騒動で、役者どころか人間としての株も下落しまくりなんだが。
 それでも一応、金は持ってたんだねえ、カモられるくらいだから。映画にも出てないのに小切手でン万ドルも切るなよ。それだからますます嫌われるんだ。
 それなりに金もあって成功した人間がどうしてコロッとダマされたかっていうと、やっぱり「見せガネ」の効果が大きいんだね。
 「今、十万ドルしかないんで、百万ドル貸してくれないか」
 ……仮に私が百万ドル持ってても、こんな言質にだまされるとは思えないけど、やっぱハリウッドの人間って、「お里が知れてる」んだろうね。
 詐欺がバレたきっかけってのが、うっかり出しちゃった安ワインの味を高級ワインと間違えたってんだから、本物のワインがわかるハリウッド人だって実は少ないってことなんだろう。教養ってのはやっぱり必要なときもあるんである。もっとも、川島なおみに教養があるとも思えんが。


 『キネマ旬報』10月上旬号。
 訃報記事がいつもよりやや多い印象。新聞は丹念に読んでるつもりだったが、日高澄子、御木本伸介両氏の死去には気付かなかった。もっとも、このお二人のお顔がさっと出て来ない。相当数の映画に脇役として出演しているので、名前は記憶しているのだが、どのお顔の方であったやら、とウロオボエなのである。こんなんじゃとても映画ファンとは言えない(-_-;)。
 『女王陛下のOO7』の監督、ピーター・ハント氏も死去。あれは原作に最も忠実な映画化であったにもかかわらず、ボンド役者がショーン・コネリーからジョージ・レイゼンビーに変わったために、不当に低い評価を与えられている。そのせいか、主役も監督も、『OO7』シリーズの連続当番はなかった。
 でも、ボンド唯一の結婚話だし(ダイアナ・リグって、昔はあんなにかわいかったんだ!)、テリー・サバラスの憎々しいブロフェルドぶりと言い、捨て難い一本だったんだけどなあ。
 1ページを割いて、鈴木伸一氏がウォード・キンボール氏の追悼記事を寄せている。本来、アニメ雑誌こそがこの人の特集をグラビアつきで記事にせねばならんというのに。アニメ雑誌作ってる連中が本気でアニメが好きなのかどうか、疑りたくなってくるのはこういうときだ。


 金城哲夫『小説ウルトラマン』(ちくま文庫・882円)。
 『ウルトラマン』の生みの親、金城(カネシロなんて読むなよ、キンジョウだ。本当はカナグスクかもしれんけど)哲夫自身の手になるジュブナイル。こんなの書いてたとは知らなんだ。子供向けだから深みはないが、主要エピソードはキチンと押さえてある。
 テレビ版と違った設定もいくつかあって、その中でも最たるものが「宇宙人会議」によって地球攻撃が決定される下り。藤子Fさんの『征地球論』よりこっちのほうが早いな。『スーパージャイアンツ』でも宇宙人会議の描写はあったが、あちらは地球を守るためのもの。
 議長がメフィラス星人、というのはいかにも納得、というところだけれど、「3分以上闘いを長びかせて、かれが動けなくなるしゅんかんをねらっておそいかかればよい」と提案すると、誰か分らない宇宙人が「闘いが長びきそうになると、かれはきまって、逃げ出してしまうのだ」と突っ込む。……ウルトラマンって、そんなにしょっちゅう逃げ出してたっけ(^_^;)。スカイドンのときは確かにそうだったけど、あれは実相寺演出だしなあ。
 ほかにもジェロニモンが宇宙怪獣だったり、ゼットン星人はやっぱり名前がなかったり(「謎の宇宙人」だそうな)、小説版独特の描写が楽しい。けど、バルタン星人の笑い声を「ウヒウヒウヒヒ」とか「ケ、ケ、ケ」と書くのはちょっとなあ。やっぱりあれは「フォッフォッフォッ」とか「ヴォッフォッフォッ」でしょう。 
 後半は『ウルトラセブン』のシナリオの再録。以前、朝日ソノラマで出版されたこともあるやつだが、『ノンマルトの使者』でのキリヤマ隊長の狂気ぶり、こういうのを見せられると、子供はやっぱり怪獣ファンにはなってもヒーローファンにはならないよなあ、とつくづく思う。私はやっぱり、怪獣ファンではあっても、ウルトラマンやウルトラセブンのファンではなく、ましてや科特隊やU警備隊のファンではサラサラないのである。あ、フジ・アキコと友里アンヌは別ね♪

2001年09月25日(火) リアル・ホームズ/『トンデモ本の世界R』(と学会)/『けだものカンパニー』3巻(唐沢なをき)
2000年09月25日(月) 日記のネタはどこにでも/ビデオ『労働戦士ハタラッカー』ほか


2002年09月24日(火) チチに弱い男ばかりじゃねーぞ/『アフター0 著者再編集版』3・4巻(岡崎二郎)ほか

 職場の警備の当番が回ってきたので、夜8時まで居残り。
 そのあとは警備会社の方にバトンタッチするわけだが、それまでは職場のウチソトを見回らなくちゃなんない。
 トリメの私になんてムチャなことを……と苦労して見回ったのだが、周回したあとで気づいた。懐中電灯持って見回ればよかったんじゃん! ……猿である。
 けど、今回初めて職場の点検してみて、ある事実に気づいた。
 実はウチの職場、これまでしょっちゅう泥棒にあってるのである。年に一回は荒らされてるし、今年なんか立て続けに三日連続くらい、泥棒にやられた。なんでそこまでって疑問に思ってたんだが、その理由が判明した。
 うちの職場、窓の鍵が壊れまくっているのだ。
 しかも何十ヶ所も。
 これじゃ「どうか盗んでください」と言ってるも同然だ。
 これまでの警備の当番だった同僚も、その報告はしてると思うんだけど、全く修繕一つされてないってのはどういうわけだ。総務の怠慢か。それとも修繕一つできないくらい、うちは左前なのか。
 一応、見回りの報告はしたけど、これももしかしたら無視されるのかなあ。
 この日記を書くにあたって、職業を伏せたのは正解だったな。これじゃ恥ずかしくて、とても身分を明かせやしない。


 送りはしげにしてもらったが、帰りは8時過ぎじゃとてもしげには頼めない。とっくに仕事に出かけてるころだ。
 職場からウチまで、バスと地下鉄を乗り継ぐと、車で20分の距離が1時間半かかってしまう。こりゃどうしたってタクシーを拾わなきゃならないんだが、こんな時間じゃタクシーだってそうそう通るもんじゃない。
 どうせ夕食は一人で取らなきゃならないんだし、職場の近くのリンガーハットで、皿うどんとイカゲソを食べる。売り子のねーちゃんが「『イカゲソくん』です」と言って持って来たが、商品に「くん」付けするセンスってどうだろうかね。

 なんとかタクシーを拾えて、帰宅したのが9時過ぎ。
 何の番組だか、テレビではデート詐欺の手口をバラしてる特番を放送中である。出会い系サイトだかなんだかで知り合った女性に会ったら、ダイヤだのなんだのを売りつけられて、2百万も騙し取られたとかいう話。
 詐欺をするやつが悪いに決まってるんだが、いくら色香に迷わされたとは言え、そうホイホイとカネを払っちゃうものかね。視聴者みんな、「男のほうもバカじゃん」とか思ったんじゃないか。
 実は私も、昔(もちろん独身時代である)、知り合いの女性から印鑑売りつけられそうになったが、「値段はいくら?」と聞いたら、そいつ、バカ正直に「言っちゃダメって言われてるの」と答えやがった。「それじゃ買えないよ」と断ったら、「友達でしょ?」と、ボディコンのムネの谷間を見せつけられながら、摺り寄られた(←多少脚色あり)。
 そんなミエミエの手でオチるほど、私はヤワではない。( ̄ー ̄)ゞフフン。
 きっぱり断りましたが、もったいなかったですか?(^o^)
 悪徳商法の連中って、よく観察すればいかに表面的に親切そうに見えても、結局はカネが目的っての、透けて見えると思うんだけどなあ。
 チチだのシリだのに簡単にだまされるってのは、日頃女の子に縁がなくて、ただひたすら孤独で、儚い夢にすがらなけりゃ生きていけないくらいツライ思いをして生きてる男が多いってことなのかなあ。でも、それって、寂しくて痴漢に走るやつとメンタリティはたいしてかわんないと思うぞ。


 疲れていたので、ひと寝入り。
 目覚めたらもう2時を回っていた。
 ネットを覗いたり、日記をつけたりしたあと、丁度アニメ『あずまんが大王』の放映に間にあった。いつもはこの時間帯、寝てるからあまり見てなかったんだよなあ。
 最終回直前なのでみんなの受験話。山本弘さんはアニメ版はお気に召さないようだが、音楽が時々合ってないのと、一部の声優に難があるのを除けば、原作を無理に改変してなくて出来はいいほうだと思う。
 おーさかがトンチクイズに答えるとき、タイムショックみたいに時間を刻む音が入るあたり、芸が細かい。
 ちよ父の声、若本規夫さんだったんだなあ。でもセリフ回しは相変わらずで「ぅぁわたしがネコでぬぁあいとでも!?」(^_^;)。
 いったい、いつから若本さんはこんなに濃くなっちゃったかなあ。「若本紀昭」時代はまだ普通だった気がするんだが。私の記憶では、『アッセンブル・インサート』の課長役あたりからじゃないかと思うんだけど、これも違ってるかもしれない。いや、いいんですけどね、濃いの好きだから。


 マンガ、岡崎二郎『アフター0 著者再編集版』3・4巻(小学館/ビッグコミックス・各530円)。
 『大いなる眠り子』シリーズを二分冊して収録。『アフター0』唯一の連続作品なだけに完結7・8巻に収録されると思ってたけど、随分早く収録されちゃったなあ。
 死んだ父親の魂が1歳の息子に憑依して様々な事件を解決する、という、ちょっとない設定が楽しいSFミステリー。
 普通、シチュエーションコメディのように、ある設定に基づいて展開されるシリーズというのは、話を量産するために(もっと意地悪な言い方をすれば、作者が楽をするために)「受け口」を広くして作られるものである。例えば、不幸を背負いこむ運命の少年が主人公であれば、さこに次々と宇宙人やら妖怪やら悪魔やらが現れるのは自然であるとか。「七つのタマを集めれば願いがかなう」という設定さえあれば、あとは様々なキャラに争奪戦をやらせればいいだけの話である。その設定さえあれば、あとは何をもってきたって話は出来あがる、というのが基本パターンなのである。
 けれど、このマンガの場合、主役は赤ん坊である。初め私は、赤ん坊の行動範囲なんて、たかが知れてるから、シリーズを続けるのはちょっと厳しいんじゃないか、と勝手に思っていたのだ。ところがどっこい、とんでもない。
 殺人事件、財産探し、誘拐、グルメもの、育児ものなど、遭遇する事件もバラエティに富んでいるが、毎回のゲストも実に多彩、産業スパイや大金持ちの隠し子、国際的犯罪者などはまだまだ普通、長命人、妖精、エンマ様や神様の使い、葛飾北斎まで出てくるんだから何が何だか。
 そして一歩間違えればふざけた駄法螺話に陥る寸前でちゃんと「SF」してるのが岡崎さんの才能の表れだろう。オビの「小松左京絶賛!!」の惹句はフカシじゃないんである。残念ながら新作の収録はなかったが(未収録短編はシリーズ外のもの)、これはもうSFファンならまさに必読、子々孫々まで読み継がれるべき傑作中の傑作なのである。

2001年09月24日(月) 荒らしを起こして♪/DVD『マジンカイザー』1巻/『KUNIE』1巻(ゆうきまさみ)ほか
2000年09月24日(日) ○○と○○はどちらが臭いか…汚ねえな/『いつも美空』1巻(あだち充)ほか


2002年09月23日(月) なんだかいろいろ/『一番湯のカナタ』1巻(椎名高志)/DVD『ハレのちグゥ デラックス』第2巻/舞台『天神薪能』ほか

 9/22の続き。

 DVD『羅生門』デラックス版。
 いやもう、特典映像がすごいすごい。野上照代のコメンタリーを初めとして、今生きてる当時のスタッフのインタビュー、NHKスペシャルの『キャメラも芝居するんや』(撮影の宮川一夫のドキュメンタリー)と、これならン万円払った価値があろうってもの。
 もちろん特典がすごくたって、映像が悪けりゃしょうがないんだが、モノクロのコントラストが見事で、これが五十年前の映画か、と見紛うばかり。以前見たテレビ放映の時のや、リバイバルで劇場で見た時のより数弾優れている。
 日本語字幕がつくのも嬉しい。これは多分難聴の人のためにあるんだろうけど、もともと音声が割れ気味で聴き取りにくいんで、字面で確かめられるのは助かる。仮にちゃんと聞き取れたとしても、若い人には「検非違使」なんて、耳で聞いただけじゃなんだか分らないけど、漢字で出してくれてるから、辞書で調べられるだろう。
 音声の裏ばなしで言えば、東宝の火事でネガテープが失われ、急遽一部だけ録音しなおしたこと、そのセリフだけ音質が変わってしまっていたこと、今回のインタビューの中で明かされてたけど、それ、昔見た時、気づいてたわ。真砂が夫が縛られてるのを見て多襄丸に襲いかかるシーン、「俺はこんな気性の激しい女は見たことがない」というセリフ、ここだけ聞き取りやすいんである(^o^)。
 どうやら目と違って、耳は結構いいらしいな、私。


 東京のこうたろうくんから、「また東京に遊びに来ないかい?」と手紙が来ていたので電話をかける。
 今週は私もいろいろ舞台を見に行く予定があるし、飛行機の切符が取れるかどうか分らないから、とりあえずこうたろうくんと日程が合うかどうか、確認のためだったが、今週中はまだ無理っぽい。
 来月に入ったら行けるかもしれないが、そのときまで私の財布が持つかどうかの問題もある。しげは仕事が目一杯入ってるから、ちょっと厳しい。
 けど行きたいんだよな〜、豊島区のミステリー文学資料館で、横溝正史の『八つ墓村』の生原稿を来月12日まで展示してるんである。日曜休館だってことだから土曜に行くしかないけど、どうしても日帰りか、土曜に行って日曜の朝に帰る強行軍になっちゃうしなあ。
 二、三日うちに結論出さないとなあ。


 マンガ、椎名高志『一番湯のカナタ』1巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 地球に亡命して来た星の王子様・カナタさまご一行が居候することになったのは、なんと潰れかけた銭湯・星の湯。跡取り息子のリョウは、大迷惑を被りつつも、持ち前の義侠心から、どうしてもカナタたちを見捨てることができない。そうこうしているうちに、王子様を追って、反乱者の刺客が地球に来襲し始めて事態は笑いごっちゃない展開に……って設定は、こないだ読んだあろひろしの『みこと日記』と似たようなものだけれど、椎名さんのほうが格段にマンガのテクニックが上手い。精進してる人間と、パクリをパクリとも思わない人間との違いが表れちゃってんだなあ。
 もちろん、椎名さんの設定だって、藤子・F・不二雄の『ウメ星デンカ』が下敷きにあることは明らかなんだけれど(口うるさいお目付けもいるしな)、やっぱりアレンジは加えてるんである。絵の構図までパクってる(でもその自覚はないらしい)あろさんとは比較にならない。
 それに、椎名さんは同様の設定で『ゴリガン』という短編を一度発表している。それを叩き台にして内容を換骨奪胎、更に面白くするためにキャラクターも増やしてるが、決して日常性と非日常性とのバランスが崩れて読みにくくなるような愚は避けている。例えば主人公の幼馴染の彼女は両作に共通して登場するが、あろさんの作品では怪力バカでドラマの邪魔にしかなってなかったけれど、本作のサヤカはボケをかましつつも、しっかりカナタたちが地球に受け入れられる素地を作る役割を果たしてるんである。
 キャラはやっぱり作りっぱなしじゃダメだね、ドラマに関わらせなきゃ、って当たり前のことなんだけれど。前回の『MISTERジパング』がやや不発気味だっただけに、今回はぜひとも長く続けてほしいもんである。ついでに『乱波SS』の続きもできたら。



 というわけで、ここからが23日の分。
 けど結構いろんなことがあったんで、凝縮して書かないと、またハミ出ちゃうな(^_^;)。

 北朝鮮拉致事件で最後に身元確認された曽我ひとみさんが、日朝首脳会談当日、外務省幹部との面談を「会いたくない」と断っていたとか。拉致議連の平沢勝栄議員は「本人の意思であるわけがない。言わされたに決まっている」と断言したようだが、何を根拠のモノイイかなあ。
 もちろん、北朝鮮側に言わされた可能性も否定はできないが、今まで生存していられたってことは、北朝鮮の工作員として働いてたってことなんである。アンタ、祖国を裏切って、なおかつ肉親に堂々と会えるものかね。世論は「拉致被害者を返せ」と単純な論調に終始してるが、実は生存者は既に洗脳され、被害者から加害者になってる可能性だってあるのである。帰国して、スパイ活動をしないと断言できるものかどうか。
 みんな忘れてるはずはないんだけど、「李恩恵」とされる日本人女性、田口八重子さんが死んだのは、まず間違いなく大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫・元工作員の教育係だったことがバレたからでしょう。
 ある意味、曽我ひとみさんが、「会いたくない」と言っている、というのは、北朝鮮が今後日本に対して非合法活動、敵対行動を取らない、と意志表示しているという意味でもあるのである。生存者がみんながみんな、「喜んで帰国したい」と言い出したら、そのときの方がよっぽど事態は危ういと見たほうがいい。
 そのことをマスコミだって気づいてるくせに、どうしてまた「感動の再会」を演出しようなんて姑息なこと考えてやがるのだ。政治に人情の問題をはさんだらどれだけ危険か、考えたことはないのか。
 「拉致被害者は帰らない方がいい」という意見が、家族の方々に対して厳しいモノイイだということは分るが、現実というのはそういうものである。たとえ国交が正常化しようが、真の解決などはありえない、という事実を、批評家でも芸能人でも誰でもいいから、テレビでちゃんと語ってくれよ。


 自民党の野中広務元幹事長、訪問先の中国で曽慶紅・中国共産党組織部長と会談したときに、「机をたたいて交渉していた時、既に6人が亡くなっていたかと思うと、無念で、言葉もない」と語る。
 さて、これが自らの「無能」を自覚した言葉なら、政治家にしては珍しく誠実な発言だけれど、それはまずあるまい。ある程度気づいてたのにウソついてるのか、それとも、ただの自己弁護なのか。
 曽氏が「中国は(北朝鮮の犯罪と)知らなかった」と嘘八百を堂々と並べ立ててることから判断しても、多分、野中さんは中国と北朝鮮の手にマンマと乗せられちゃってて、本気では動いてなかった、あるいは動き方がわからなかったと見るのが妥当なとこだろう。まあ、ここで曽氏がバカ正直に「スマン、実は知ってたけどオマエには言わなかった」なんて謝るわけないんだけど。
 そんなことにも気づかず、ここで曽氏を追求できないところが、やっぱりこの人が無能である証拠。騙される人間はどこまでいっても騙されるのだ。
 だから「騙されるやつが悪いんだよ」なんて霧島美穂みたいなこと嘯くやつが増えるのだ。
 もっとも、今更日本の政治家を批判したってしょうがないのよ、所詮そんなのは無意味な内紛なんだし。マスコミは、も一つ、北朝鮮の犯罪に中国がいかに後方支援したかを暴露していかなきゃならんはずだが、おそらくそんな発想はないんだろうな。弱腰だけならまだしも、バカってのは始末に負えない。
 政治家の批判はそれはそれでしていいんだけど、一番の批判の標的がどこなのか、忘れないでほしいもんだ。


 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス』第2巻「ちょっとまってマリィたん/第二回」の2話。
 サブタイトルに“illusion”と付いてるのはやっぱりこの話が全部グゥに食われたハレの見てる夢ってことだからだろうか。
 それはともかく、なんだかテレビシリーズよりどんどんギャグが過激かつオタクっぽくなっていくように思えるんだが、放送コードがなくなってスタッフ暴走してるのかな。ベルの鼻血もテレビシリーズより三倍増し(当社比較。ってどこや)って印象だし。
 原作マンガ自体が相当オタク度は高いんだけれども、マリィがネコ耳少女のコスプレ(顔まで「でじこ」になってちゃ、既にコスプレとは言わんが)するだけならともかく、トラジマビキニ娘や太正浪漫キモノ娘やああっ女神さまの妹まで全くアレンジせずにそのまんま出すのは、これは既に著作権への「挑戦」ではなかろうか(^_^;)。あくまで「コスプレ」と言い張るつもりなんだろうけれども。
 もともと『クレヨンしんちゃん』作ってたころから、『鉄骨しんちゃん』だの『ターミネーター』だの、気がついたら濃いオタクネタをぶちかましてくれてたシンエイ動画だから、これくらいは普通なのかも知れない(更に古いこと言えば、『ドラえもん』のころから『ウエストサイド物語』のパロやったり、『こち亀』より10年以上早く『そのうちなんとかなるだろう』を本編中で歌わせたりしている。しかもママに)。
 原作の都会編をテレビシリーズではほとんどはしょっちゃったせいで、マリィとリタの恋のさやあてのエピソードが割愛されちゃったのはなんとも残念なのだけれど、ここ数年のギャグアニメとして出色の出来なのは間違いない。エンディングが特にキテて、脳内麻薬だだ盛れアニメになってるので、うなされたい人は寝る前にどうぞ。


 実は昨日が父の誕生日だった。
 しげも九月生まれだし、なんだか知り合いに九月度高いっつーか、乙女座度高いんだけど、何か私には乙女座の呪いでもかかってるんだろうか。
 父もとうに赤いちゃんちゃんこのトシも過ぎて、そろそろ平均寿命に近づいてきてるんだが、「もうダメだ」と言いつつ未だに仕事を引退しない。職人はやっぱり死ぬまで職人だってことかな。
 昨日は何かプレゼントを買って持っていこうかと思ってたのだが、しげが睡眠を優先したので断念。夕方から芝居を見に行くついでに天神コアでショルダーバッグとペットボトルのホルダーを買う。色はしげの趣味でどちらも黒。
 「父ちゃん、トシヨリだけど心は若いから若者向けの方がいいよね」とはしげの言。ある程度はそうだろうが、かと言ってあまり流行の最先端を行くようなファッションのものは身に付けても貰えないと思う。程よくシックな方が父も喜ぶだろう。父がペットボトルを持ち歩くかどうか、やや疑問ではあるが、あればあったで使いそうな気もする。そのへん、博多の人間と言うのは「おおまん」(「適当」ってことです。ヘンな意味はない)である。
 二つ合わせて七千円ぽっちというのは親へのプレゼントとしてはケチ臭いが、高いもの買っても「無駄遣いしやがって」とか、かえって悪態つかれちゃうからこのへんが妥当なところだ。高いばかりで役に立たない置物の類より、安かろうが使えるもののほうがいいやな。

 コアの8階、グルメパークの「さぼてん」でアスパラ巻き定食。
 とんかつ屋に入っても野菜中心のメニューを頼んでしまうのは、また少し太りギミだから。また少し本気でダイエットせねば、糖尿もヤバいが、足が自重を支え切れずに捻挫しそうなんである(^_^;)。やっぱりなんとか80キロ切らないとなあ。
 

 コアの屋上で、『天神薪能』鑑賞。
 演目は舞囃子「八島」、狂言「棒縛」、能「船弁慶」。
 街のどまん中で『薪能』というのは面白い試みだったが、正直なところ企画倒れである。
 まず、ビルの空調の室外機がゴウゴウ鳴り響いていて、半端なうるささじゃない。演者の方々は挨拶で「この音が波の音に聞こえれば」とか言ってたが、単調な機械音をそんな風に好意的に聞いてやらなきゃならないギリはない。結局、音声はマイクに頼らざるをえないが、自然との一体化を図る能のあり方として根本的に間違ってやしないか。
 いや、音より何より、流れてくるサバの味噌煮や何やらのマリネの匂いが臭いのなんの。波にドレッシングの匂いがあるかって。
 更に腹が立つのは照明である。
 事前に観客にはパンフレットで謡曲が配られるのだが(現代語訳までつけてある親切なもの)、客が公演中ずっと舞台見ずにこれ見てんのよ。で、その客のためなのか、公演が始まっても街灯型の照明を点けっぱなし。……薪能の意味ないじゃんかよ。
 いくらセリフの意味が分らないからって、例えば外人アーティストのコンサートで歌詞カード見ながら舞台見るやついるかよ。客もバカなら、それに迎合するスタッフはなんなんだ……とか思ってたら、狂言が終わった時点で、照明が消えた。
 単なる消し忘れかい!凸(`△´+)!

 『棒縛』、主人が所用で家を空ける間、使用人が酒を盗まぬかと、太郎冠者と次郎冠者を棒にカカシのように縛りつける。しかし、気転を利かした二人、器用に酒を飲んでしまう。すっかり酔っ払ってるところに帰ってきた主人、怒って二人を打擲しようとするが、逆に追い立てられる。
 演者の所作にキレがあれば当然笑える芝居なのだが、みんなトシヨリでただひたすら退屈。なんで二人で7千7百円も払って旦那芝居見せられなきゃならんのだ。いや、払ったのはしげだけど。そのかわり、しあさってのオペレッタは私が払ったんだからいいのだ。

 『船弁慶』、源義経は、兄頼朝との不和から、都落ちすることになり、静御前と涙の別れをする。義経の前途の幸を祈って、舞う静。
 海上に出ると、義経を狙って現れる平知盛の怨霊。しかし武蔵坊弁慶が折伏し、これを鎮める。
 これが主演目だけあって、一応、見られることは見られる。
 けれど、決して名演と言えるほどの所作ではないし、やはり街灯は消しても舞台上は脇からライトが当たっていて、能面には篝火の陰影一つ表れない。これで「薪能」だなんて、詐欺じゃないのか。
 後ろの席にいたご夫婦、「期待し過ぎたかな」と落胆されていたが、満足して帰った客なんて一人もいないんじゃないか。おそらく、この場所で薪能が開かれることは今後はなかろうし、あったとしても、今日来た客は二度と来ないだろう。
 主催は西日本新聞とRKBだそうだが、企画段階でこれだけ劣悪な環境だってこと、知ってたのかどうか。

 しげは「俺に能って合わないのかなあ」とか言ってたが、そんなことはないぞ。今回は企画が杜撰だったのだ。演者がシロウトだったのだ。本物の能はこんなものじゃない。野村萬斎を見ていればそれは分る。プロ中のプロと比較しちゃ悪いかもしれないが、あの人の芸はやはり傑出しているのだ。
 萬斎さんの来福公演のチラシがパンフレットに挟んであったので、これを見に行こうか、と話をするが、期日を見ると、丁度オタクアミーゴスの公演日。……間が悪いなあ。 


 マンガ、中津賢也『桃色サバス』2・3巻(少年画報社文庫・各620円)。
 2巻でカゴメの妹・ヘキサが登場するあたりまではよかったが、3巻で番外編「西遊記」をやったり、外伝で美少女雀士イーピンゴッデスが出てくるあたりでもう話はわやくちゃの大暴走。作者自身が登場して、「世界観が壊れる」とあせって見せるが、そんなもんもともとたいしてなかったろうが。
 もちろんこういう暴走は大歓迎。
 崇高なテーマなんぞクソくらえ、カゴメもマユもヘキサもみんな脱ぎまくれ! ってのがこのマンガのコンセプトだったはずなのに、この手のマンガによくある、感動話を時々盛り込もうとする悪いクセが出て来てるんだよねー。とり・みきでさえ、つい『クルクルくりん』で一回だけやってしまった。でも中津さんがそれやってもヘタなだけだよ。
 カゴメがいなくなるかも、なんて話、ありがち過ぎ。世代的には『うる星』の「君去りし後」なんかの二番煎じと見られても仕方がない。そういう話の方が妄想型のオタクには受けるのかもしれないけれど、そんなの描いててた中津さんは楽しかったのだろうか。
 やっぱり中津さんはエロとエロとエロいギャグを描くのが一番本領を発揮できると思うんだけど、案外本人は自分の資質に気がついていないのかもなあ。

2001年09月23日(日) 行間を読んでね/映画『ラッシュアワー2』&『ファイナルファンタジー』
2000年09月23日(土) 昼寝とDVD三昧の一日/映画『スリーピー・ホロウ』ほか


2002年09月22日(日) 変なビデオは買いません/映画『仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』ほか

 昨日の日記の書き忘れ。
 夜、録画しといたアニメ『プリンセス・チュチュ』の5、6話(5.AKT 「火祭りの夜に」6.AKT 「夢見るオーロラ」)、しげと見る。
 5話の方、しげが録画に失敗して(どうやらリモコンを踏んづけたらしい)、最初10分くらい録れてない。最初の設定が分らないんで筋をつかむのが難しかったが、まあ、これはDVD買うことにしたので、しげを叱らないでおこう。
 猫先生は相変わらず大活躍してくれてるのだが(特に6話は、ついに! 猫先生にも春が!? というお話。だから相手にするなら人間選べよ)、ストーリー自体は段々シリアスの度合いを増してきている。
 「心のカケラを戻してるのに、どうしてみゅうとは苦しむの!?」
 そりゃ、あんたが「悲しみ」とか「恐怖」ばっかり戻してあげてるからだよって(^_^;)。
 オチを付けなきゃいけないから、シリアスにしなきゃいけない部分があるのはわかるけれど、せっかく「普通じゃない」作品になりそうな感じがあるんだから、あまりありきたりな方向には行ってほしくないものである。
 三谷昇さんはどうもノリに乗ってるらしい。「プリンセスチュチュ」と呼び掛けるところを、毎回、声質を変え、呼び方を変え、あるときは「プリンセスチューチュー」、またあるときは「プリーンセス、チュ、チュ」とか、言い分けてて楽しい(文字じゃ全然わかんないでしょうが)。「キッズステーション」の放映じゃ見てる人少ないだろうけれど、これはやっぱり地上派で流してほしかったなあ。
 ちなみに、今やってる「いただきストリート3」の育成モードでは、私は王子さまに「みゅうと」という名前を付けています(^o^)。

 テレビで吹替版『アダムスファミリー』。
 ゴメスが池田“ヤッターワン「ワオーン」”勝、モーティシアが沢田“テレビ版カマリア・レイ「なんて情けない子だろう」”敏子、ウェンズディが小林“「鷲羽ちゃんって呼んで」”優子、フェスターが青野“「こういうこともあろうかと」真田”武。……いや、ちょっとこういう紹介の仕方、してみたかったものだから(^_^;)。いちいち「それが代表作か?」とか突っ込まないように。
 なかなか楽しい配役してくれてるんだけれど、やっぱりクリストファー・ロイドのフィックスとしてはもう「絶品」のヒトコトに尽きる青野武さんの「マ、ムシカ! ヘイ、ヘイ、ヘイ!」は原音以上にキてました。



 で、ここからが今日の分。
 なんだか最近、しょっちゅう「美少女大股開きDVD」とか、「アワビが大漁で困っています」(^_^;)とか、そんなメールが送られてきている。実害はないんだけれど、塾女系は全くなくて、ただひたすら美少女・ロリータのみである。
 なんでかなあ、私はそっち方面には全く興味がないんだが。もしかして、この日記読んで、「こいつアニメ好きみたいだから、ロリータにも興味があるかも」とか思われたのかな。
 確かに私が好きなアニメにはたいてい美少女が出てくるが、それはアニメ全般がそうだからであって、熟女が主人公のアニメなんてほとんどない。『ルパン三世』の峰不二子だってクラリスだって、『カウボーイビバップ』のフェイだって、カラダはナイスバディでも顔は童顔だ。この「カラダはエロ、でも顔は童顔」のイメージは、80年代以降の巨乳アイドルブームとも重なってて、古くは榊原郁恵、河合奈保子、そして現在のイエローキャブのアイドルたちに至るまで、連綿と続いているのである。昔ながらのアニメファンはどっちかというとそっちの方が好みなやつ、多くないかなあ。
 だいたい、ロリコンキャラを生み出した元祖とも言うべき吾妻ひでお自身、好きだったアイドルは巨乳のアグネス・チャンだったのである(林寛子はちょっと違うが)。妄想と実際の趣味とは別、ということだね
 まあ、やっぱり、「顔もカラダもココロもコドモ」じゃ、私ゃ興味は湧きません。
 ……とかこんなこと書いたら、今度は巨乳関係のメールが来るようになるかな(^o^)。けど、だからって私ゃ巨乳一筋ってわけでもない。その人を好きになったらその人の体が好きになるものなんで、からだの好みは特にないのである。
 私がかつて入れこんだスターやアイドルと言えば、アグネス・チャン、石野真子、夏目雅子、薬師丸ひろ子、原田知世、そして最近は加藤夏希とか鈴木杏とかだけれど、顔や体形に共通項はあまりないと思うな。
 やっぱり、出てる映画が面白そうじゃなきゃ見にいくものではない。石野真子の『九月の空』も、薬師丸ひろ子の『野蛮人のように』、原田知世の『黒いドレスの女』も、結局劇場には見に行かなかった。「アイドル映画」というものが機能しなくなって、私も自然とアイドルのファンであることからも離れていったのである。
 そうだなあ、「アイドル映画が機能しなくなった」ってのは、『花のあすか組』『桜の園』のつみきみほがイマイチ売れなかったってのと、宮沢りえが結局『ぼくらの七日間戦争』だけで終わっちゃった(その後の出演映画はカスである)ってのが大きいように思うがどうだろうか。
 話が逸れたけど、だから、ただの巨乳エロビデオにだって興味はないんだってば。


 今日は朝からワーナーマイカルシネマズ福岡東に。
 いよいよ『仮面ライダー龍騎』の上映も明日までなので、滑りこみの観劇である。道がそう混雑してなくて、10時前に着いたので、近所をウロチョロ、映画館の隣の「サティ」のロッテリアでハンバーガーを買って映画館へ。
 しげは「持ちこみ禁止じゃないかな」とか心配してたが、昔のKBCシネマとかはそんなだったけど、今時のシネコンで飲食禁止ってとこ、あるのかな。
 「そうじゃなくて、『そこで売ってるポップコーンとかじゃなきゃダメ』って言う」
 それにしたって、サティと提携して映画館おっ建ててるのに、「ハンバーガー持ちこみ禁止」なんてことはないと思うぞ。
 映画館に入ったら、「300円安くなりますよ〜」という売り子のねーちゃんに誘われたので、カードを作るハメに。割引に惹かれたのであって、決して、ねーちゃんの色香にではない(^o^)。レイト割引をやらない映画もあるので、これはラッキーだったけれど、さて、ガス止められた経験もあるのに、カードの審査が通るかどうか(^_^;)。


 映画『忍風戦隊ハリケンジャー ジュシュッとTHE MOVIE』。
 いかにも添え物映画って感じの短編映画。
 無意味無内容、ただただひたすらくだらなくてバカバカしいけれど、説教臭い芸術作品よりよっぽど楽しいわ。だから、設定がどうのストーリーがどうのって批評は意味がない。ポイントは「どこまで開きなおってバカやれてるか」ってとこだろうね。
 アストラム第四惑星の王女、ライーナ姫(吉野紗香)を追って地球に飛来する宇宙忍猿ヒザール(声・古田新太)とブリザール。ジャカンジャすら宇宙忍法「猿回し」(^_^;)で操る彼らの力に、ハリケンジャーはおろかゴウライジャーも翻弄されるが……ってのが筋のはずなんだが、見た感じほとんど『ジャジャ馬娘を救い出せ!』。ヒロインの吉野紗香のために作られた映画って感じだ。
 実際、彼女のファンじゃなきゃ、あの小娘のワガママ、ナマイキ、バカっぷりは鼻につくんじゃなかろうか。いくらお付きロボットのナックル(声・宮村優子)が「でもホントは寂しいんです」ってかばってあげても説得力がない。ええい、吉野紗耶香のヘソだのフトモモだの見せてる時間があったらフラビージョとウェンディーヌをもっと出せ! ってそっちが好みかよ(*^。^*)。それに宇宙人のくせにVサインとか出すのはどんなもんだか(^_^;)。
 ラストバトルはもちろん合体巨大化なんだけれども、今回はライーナ姫のトライコンドルの力によって、旋風神・轟雷神・天空神が更に天雷旋風神に「銀河超越・三神合体」。ライーナ姫が「どうして地球にカラクリシステムが!?」と驚くと、日向無限斎(西田健。今回ライーナ姫の力でハムスターから人間に戻ってます)も「どうして宇宙にカラクリシステムが!?」と驚くところが笑える。でもそんな疑問はすっ飛ばして、ハリケンレッドが「リクツはわからねえけど、行くぜ!」。いいなあ、このバカな乗り。結局この謎は解かれずじまいだったけれど、テレビシリーズでは明かされるのかな。かえって説明なんかしないほうが楽しいと思うけれど。
 エンディングは懐かしの原田知世版『時をかける少女』を思い出させる「みんなで唄おうテーマソング」。っつーか、『ブルース・ブラザース』でもやってたんだけど、全く、こんなアホなエンディングを最初に思いついたのはいったい誰なんだろう。ともかく肩肘張らずに見られたんで、これで『龍騎』がつまんなくても1500円損した気にはならなくてすんだな、と覚悟はできた(^^)。


 一応の本命、映画『仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』。
 『クウガ』も『アギト』も、散々「仮面ライダーじゃないじゃん」と叩かれて来たけれど、『龍騎』を見たらまだしも前2作はまだまだ「仮面ライダーであった」と言えるんじゃないかな。「13人のライダー同士の戦い」という設定、真の敵が誰なのかもわからず、登場人物の一人一人が追いつめられて行く全く開放感のないストーリー展開、どれをとっても往年のシリーズのファンなら、噴飯ものとしか見えないだろう。
 しかし「仮面ライダーじゃないから」と否定するのは簡単なんだけれど、そうなると『カリオストロの城』も「あれはルパンじゃないから」、『ビューティフルドリーマー』も「あれはうる星じゃないから」と否定しなけりゃならなくなる。とりあえず「ライダー」という枠は気にせずに見ないと、バイアスがかかり過ぎてて、面白い部分を見逃すことになりかねない。要は「映画」として面白いかどうかだ。テレビシリーズ前に映画公開、というスタッフの勇気を称えて、今回は全てネタバレで感想を書くのでご注意。

 新登場の霧島美穂=仮面ライダーファム。演ずるはオタクアイドルの道を着実に進んでいる加藤夏希(さあ、次はウルトラマンとゴジラに出演だ!)。
 本映画のヒロインとして、充分な登場シーン、それなりの見せ場も与えられているのだが、もともと本作には既に何人かのヒロインがいる。それらのキャラクターとのドラマ上のバランスが難しい。群像劇として展開させるには、1時間半の上映時間はどうにも短く、どうしても駆け足的な展開にならざるをえない。しかもテレビと違ってせっかくのフィルム撮影だと言うのに、カメラも照明も、加藤夏希をどうしたら美しく撮れるかに全くと言っていいほど腐心していない。
 詐欺師の娘と、主人公・城戸真司(須賀貴匡)との恋を描くのに充分なエピソードもなく、ただ何も言わずに心が通い合うような泉鏡花の『外科室』的演出も演技もない。脚本、演技、演出、全てにおいて力足らず。いや、もちろん、スタッフは充分加藤夏希を、仮面ライダーファムを魅力的に描こうとは思っていたのだろう。リュウガに倒され、ビルの谷間の植込みで眠るように息を引き取り、道行く人は酔っ払いの行き倒れかと気にもせずに通り過ぎる。そういうシーンを見れば、ああ、スタッフはちゃんと彼女に「孤独」という名の幸せを与えてやりたかったんだなあ、と「気持ち」は伝わる。しかし、その画面に観客に訴えかける「力」がないのだ。演出の爪の甘さっていうかね、やっぱあれは表通りじゃなくて、誰も気づかない路地裏で死なせなきゃウソでしょ。ホームレスの爺さんならともかく、加藤夏希が倒れてりゃ、誰かが声をかけるって。描かなきゃならんのは「都会人の冷たさ」じゃなくて、「美穂の孤独」、引いては「ライダーたちの孤独」なんだから、焦点のズレた演出しちゃいかんよ。
 ……いや、別に加藤夏希だけじゃなくて、全体的な撮影の仕方自体、問題があるんだけどさ。それはもう、レイアウト、カメラアングル、カメラワーク、カット割り、その他もろもろの「技術の未熟さ」に起因するものなのであり、それらをいちいち挙げてったらキリがない。判断が難しいのはこれが手抜きや思いあがりの演出だったら私も「ふざけんな」と怒鳴りたいところだけど、「努力してるけど届かない」、要するに「実力不足」だから困るんである。えいくそ、オレに加藤夏希の出演シーンだけ脚本書きなおさせろ(←コレは思いあがり)。
 結局、後半神崎優衣(杉山彩乃)にヒロインの座を譲る(というか戻す)ために、途中退場させられる美穂がワリを食っちゃった感じなのだけれど、ほとんどチョイ役扱いになっちゃった桃井令子(久遠さやか)よりはマシか。

 加藤夏希の話ばかりしてても仕方ないので(ホントはまだ言い足りないが)、全体の流れを見ると、やはり脚本の力不足が目立つ。
 テレビシリーズで「謎」だった設定は一応「説明」されてるんだけれど、さて、それで納得した観客がどれだけいるものか。
 全ての始まりは優衣の妄想からだったってのは、SFの定番だし、脚本の好みでもあるんだろうから、あまり突っ込んでもなあ、とは思うが、それにしても整合性を著しく欠いているというのは問題だろう。
 鏡の中のもう一人の優衣が、現実の優衣から命を奪い、20歳の期限付きで与える、という設定は、一つの寓意と取ってもいい。結局優衣は、自分の孤独が生み出した妄想に自ら命を食われることになるのだ。
 しかし、そうなると、鏡の中のもう一人の城戸真司(須賀貴匡二役)である仮面ライダーリュウガの目的はなにか? 彼がいつの時点で生まれたか、というのはやはり幼少時、実は優衣とも鏡の中の優衣とも出会っていたとき、と考えるのが妥当だろう。真司こそが、選ばれるべくして選ばれた仮面ライダーであったのだ。……って、『キャンディ・キャンディ』のアンソニーじゃん(^_^;)。
 彼もまた優衣の妄想が作り出したものであるなら、望むものは鏡の中の優衣同様、現実の優衣の死であるはずだ。だとしたら、そのアナザー真司に「最強のライダー・リュウガ」のカードディスクを与えた、優衣の兄、士郎(菊地謙三郎)の「現実の優衣を生かすために」と矛盾する。それとも士郎は、最強のライダーをもコントロールできる自信があったのだろうか。
 結局、現実の優衣は、ライダーたちの命が奪われ、街の人々がモンスターに襲われ、その命で自分を永らえるよりは、と、自ら死を選ぶ。
 ……あのー、妄想作った本人が死んだのに、まだモンスターたくさん出て来てるんですけど。ライダーたちもちゃんと変身できるんですけど。それとも、「人は死んでも魂は残る」ってことなんでしょうか。もしかして今回の『龍騎』って、トンデモ映画?(^o^)
 そう言えば、脚本の井上敏樹、『うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー』でも夢から覚めても「夢のカケラが現実に残る」って脚本書いてたなあ。20年前からから一歩も進歩してねえのか(-_-;)。一般常識では納得しにくい設定作るんだったら、それを観客に納得させるための「映像」(「説明」ではない)が必要になるんだけれど、その作り方がよく判ってないんじゃないか。
 ラストに残ったのはやっぱり真司と蓮(松田悟志)。もはや戦う意味すらなくなったし、生き残った者の望みをかなえさせるはずだった士郎も消えたのに、蓮がどうして真司に戦いを求めるのか意味不明。で、オチはやっぱり『明日に向かって撃て!』だしさあ。これが井上敏樹の才能の限界、ということなのかねえ。

 チョイ役でゲスト出演で、沢向要士・蛭子能収・ベンガル、更には『仮面ライダーアギト』から賀集利樹・要潤・友井雄亮・秋山莉奈・藤田瞳子・山崎潤・柴田明良も。これもゲスト出演としての使い方がヘタ。一応の役がらが与えられてる沢向・蛭子・友井の三人はともかく、あとはみんなほとんどワンカットのみの顔見せで、ドラマの流れをかえって阻害してる。チョイ役なのにベンガルをアップで撮ったりしたら、なにか重要な役なのかと勘違いするじゃんか。
 全く、このスタッフ、平成『ゴジラ』シリーズのチョイ役出演がどれだけ評判悪かったかわかってないのか(斉藤由貴とかデーモン小暮とかな)。

 鏡の中に少女のころの優衣(この子がごっつかわいいんだけど、パンフにキャスト名が載ってない。誰か知らない?)が映るシーンなど、結構怖いシーンも多かったので、しげが怯える。
 見終わって「なんで『仮面ライダー』で怖いんだよ!」と怒ってるが、もともと初期の『ライダー』って、恐怖ドラマの要素って強かったんだけどな。しげもあのラストには納得してないらしく、「二人が生き残って戦って、そのあとどうなるの。それ見せなきゃ意味ないじゃん!」と憤慨。もちろん描かれちゃいないが、圧倒的なモンスターの前に、二人のライダーは死ぬのである。だから二人の対決は描く必要なし。『明日へ向かって撃て!』も、テレビアニメ版『デビルマン』も実はそういうオチなのだね。
 そのオチを狙ったこと自体、安易なんだって怒んなきゃなあ。


 しげ、昨夜は寝つけなくて、今にも落ちそう、ということなので、本当はそれから天神を回って買いものをする予定だったが、比恵で落とされる。居眠り運転されるよりは一人で行動した方がいいから、これは仕方がない。
 地下鉄で天神まで、まずはアクロス福岡に向かう。
 週末に見に行く予定のオペレッタ『マリツァ伯爵夫人』の解説書を貰いに行くのである。何しろホンマモンのウィーンの森バーデン市立劇場の公演なので、全編ドイツ語、解説書を事前に読んでおかないと、公演中ただただ呆気にとられることになる。
 チケットを見せて解説書を貰う手筈になっていたのだが、事務所を覗いた時点で、肝心のチケットをしげから預かってないことに気づいて慌てる。なんとか事情を説明して手に入れた解説書、シナリオ、楽譜付きの120ページもある大部のもの。こりゃ読み通すのに骨が折れそう、と思ったら、そんな私のような観客を想定してか、巻末にはストーリーをダイジェストした宮脇要子さんのマンガが17ページも(^o^)。こういうのが至れり尽せりってことなんですかね。電光版に字幕流してもらった方がずっと助かるんだけど。
 しかし、マンガ読んだ限りじゃ、ストーリー、全く日本の学園少女ドラマなんだな(^_^;)。細かい話は実際に観劇したあとで、ということでサワリのセリフをヒトコト紹介。
 「妹だったの!?」……面白いといいと思う。

 ベスト電器のLIMBで注文していたDVD、天神コアの福家書店で新刊本を物色。やっぱりここまで足を運ばないと手に入らない本も多い。週にいっぺんは天神に出たいもんだけど。なかなかそうもいきません。
 コンビニで幕の内弁当を買って帰宅。


 アニメ『サイボーグ009』地下帝国「ヨミ」編最終回直前スペシャル「黄泉の群像」。
 「ヨミ編」総集編とは言っても、描かれるのは地底に潜ってから。
 先週、背景画だけでゴマかしたヘレン、ビーナたちの惨殺シーンはちゃんと放映。ただ、やたら使い回しが多かったシーンは全部カットされてたから。まだまだ作画の修正は続くんだろうな。
 来襲の予告編「地上(ここ)より永遠に」、セリフが一切入ってなかったのはどうやら先週の「僕はここにいるよ」というジョーのセリフから察するに、本来先週のが今週のナレーションだった可能性が高い。まあ、一切セリフがないのもそれはそれでいい雰囲気出してたけれども。
 作画も悪くなさそうだし、素直に実質的「最終回」に期待しよう。
 で、できれば1年後に第2シリーズが始まり、残りのエピソードも描かれんことを願って。完結編は無理強いしないよ、もう(^_^;)。

 字数オーバーしたので、続きは明日の分に。

2001年09月22日(土) 気がついたら食ってばかり/映画『カウボーイビバップ 天国の扉』
2000年09月22日(金) 徳間ラッパ逝く……/ドラマ『ケイゾクFANTOM 特別編』ほか


2002年09月21日(土) 世界の王/『パラケルススの魔剣 アトランティスの遺産』(安田均・山本弘)/『パンゲアの娘 KUNIE』5巻(ゆうきまさみ)

 休日出勤。
 休みのつもりが、朝から叩き起こされて車を運転させられるしげもツライかもしれないが、夕べ映画に付き合わされてあまり寝てないこちらもツライことは同じである。若いんだし、昼間は寝てられるんだし、あまり文句言わないでほしいけど。「土曜日だけど仕事あるよ」って言ったらそれだけで怒ってたけど、夫の仕事に文句付ける妻くらい悪妻はないと誰かも言ってたぞ。実は私だ。
 今日は6時からオタクアミーゴスの準備会議があるので、仕事を定時に終えたら天神まですっ飛んでかなきゃならない。土曜日の夕方だし渋滞に巻き込まれる心配はさほどないとは思うが、間に合うかどうかはギリギリなところだ。
 しげ、私を車から降ろして、クドクド「定時になったらもう駐車場に来ときぃよ!」と念を押す。言われなくても分かってるってば。

 とかなんとか自分で言っときながら、しげの野郎、私が時間ピッタリに仕事を終えて駐車場に泡食って飛んでったってのに、まだ来てやがらねえんでやんの。(⌒ー⌒メ) ピクピク。こういう肝心なときに遅刻するか。
 怒ってしげの携帯に連絡を入れると「今、すぐ近く〜」と間延びした声。「ナニしてんだよ! 時間に遅れるなって言ってたのオマエだろ!?」
 「え〜? まだ5分あるよ?」
 「時間ちょうどだよ!!」
 後でわかったのだが、しげの車の中の時計、5分遅れていたのだ。しかも「アンタに頼まれたレジメをコピーしてたら遅れた」とか言い訳するし。オレのせいかよ。凸(`△´+)

 車の中で、明日見に行く予定の映画『仮面ライダー龍騎』について会話。
 しげもだいたいの設定は理解しているようなのだが、「面白そうなんだけど、役者が……」と一緒に見に行くことに二の足を踏んでいる。
 「行かないならオレ一人で行くけど?」と言うと、「やっぱり行く」と言う。こういう態度がコロコロ変わるところが始末に悪い。
 「スペシャル見て一応話はわかったんだから、完結編見ても、なんだか分らないってことはないでしょ」
 「わかんないよ、なんで戦ってるんだか」
 「『勝ち残ればなんでも望みがかなう』って言ってたじゃん」
 「そうだけどさあ」
 「『BLACK』みたいに、生き残った方が『世界の王』になるってんじゃないの?」
 「うーん」
 「でも野球選手になるわけじゃないぞ」
 しげ、一瞬、キョトンとした後、猛烈に爆笑。
 「ぎゃはははははははは!」
 「ど、どうした?」
 「だ、だって、ぐへへへへ、お、面白いこと、ひひひひひ、言うんだもの、ぐふっぐふっぐふっ」
 「……そんなに面白いか?」
 たいしたことないベタなギャグだと思うんだが、なんだかしげのツボにハマったらしい。
 「ひっひっひっ、だって、ら、ライダーが、勝った途端に、げへへへへ、や、野球の、ききききき、お、王になる姿を想像したら、ひゃっひゃっひゃっ」
 何を想像しようが勝手だが、その気色悪い笑いはやめてくれ。横にいてマジで怖い。

 赤煉瓦文化会館に、6時ピッタリに到着。
 もうみなさん来られてるかと思ったけれど、いらっしゃったのはいちろうさんだけだった。なんだ、焦ることなかったなあ。「博多時間は七度半」とはよく言ったものだね(^_^;)。
 地下からホワイトボードを借りてくる間に、他の方々も三々五々集合。
 いちろうさんも私も仕事帰りなのでネクタイなんか締めてたのだが、アンジェさんに「普段はそういう格好なんですね」と言われる。……そう言えばAIQのみなさんと会うときには、たいたいオタクな格好しかしてなかったものなあ。こないだの会合のときは、たしか東京で買った『青の6号』のTシャツ着てたし。赤煉瓦文化会館ってのは、明治期に建てられた建物をそのまま残してるんだけれど、その雰囲気にそぐわないこと甚だしいことである。
 前回、クーラーが壊れていて会議室の中は蒸し暑かったのだが、今日は順調に動いている。外見が古風だから中身も古風で冷房ナシじゃたまらないしな。しかし、実際、明治の建物の中で会議なんかやってると、「御前会議」でもしてる気分になる。
 会議の内容はあまり細かいことは書けないけれど、まあ、今後の日程の計画みたいなものである。順番で司会役を振られていたので、とりあえずレジメを作ってきたけれど、ぴんでんさんが表を作って下さっていたものの方がまとまっていて使い勝手がよかったので、そちらを利用させてもらって会議を進める。こういうちょっとしたところで私に実務能力がないことがバレてしまうんだよなあ。別に隠してるわけでもないが。
 いや、私も最初は表にまとめようかなあ、とか考えてたんだけどねー、実はパソコン上での罫線の引き方が分らなかったの(^_^;)。『電脳炎』の課長か、私は。仕事やプライベートでお忙しいらしいエロ代表は遅れて8時すぎに到着。もちろん。そのときまでに欠席裁判で「アレとコレとソレとナニの仕事は全部エロさんですね」と押しつけておく(^^)。「会議は欠席者が多いほどスムーズに動く」というのは万国共通のセオリーであるなあ。コレも私の言葉(^o^)。

 しおやさんは一足先にお帰りになって、残りのメンバーで前回と同じ天神横町の居酒屋で食事。
 いつもは遠慮してあまり自分で選んで注文はしないのだが、しげともども腹が減っていたので(忙しくて昼食ってないのである。しげはいつでも腹減りなので関係なし)、あれこれと頼む。
 ぶっかけ餃子、何をぶっかけてるのかよく分らないがまあ酢醤油の類であろう。大根卸しとネギをつけるところ、リンガーハットでもやってたが、ここ数年の流行りなのかなあ。ツクネを頼んだらハンバーグが来る。この店ではハンバーグのことをツクネと言うらしいが、卵の黄身をかけて食うツクネは滅法美味いので細かいところは気にしない。ほかに鯖の鉄引き、豚の角煮や牛筋など。一品料理がどれもなかなかいい味なのだが、鳥皮だけは揚げ過ぎて硬いばかりで、皮自体の味が飛んでいて、タレにつけてもあまり美味くないのであった。

 先日のQ‐CONでのお話など、獅子児さんやぴんでんさんから伺い、やっぱりちょっと行きたかったなあ、と羨ましく感じる。そのころ丁度休日出勤と重なってたので行こうったって行けなかったのだが。
 野田大元帥は糖尿が酷くて来られなかったそうだが、柴野拓美(小隅黎)さん、友成純一さん、武田信廣さん、野阿梓さんたちのエピソードを聞いていると実に楽しい。獅子児さんが朝早く目覚めてロビーに出たら、そこに武田さんがいて「こういう(小ぢんまりした)のもいいね」と仰ったというのはちょっといい話である。「竹内文書」の話も面白かったのだが、コレはちょっとヤバそうなので割愛(^o^)。お二人が主宰されていた「ピープロの部屋」も覗きたかったなあ。
 ぴんでんさんから『○○○ー○○○○』の○○話がどうして○○○○○○○○の訳を聞く。ネットでもウワサされてたが、要するに、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○だとか(←わかるか)。それってどっちもどっちって話だなあ、と思うが、全体、○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○が悪いのである。
 「明日、『龍騎』を見に行くんですよ」、と話したら、ぴんでんさん、即座に「1800円無駄にしますよ」と断言。「私は井上敏樹マンセーをやめました、あれはやっぱりバカムスコです。『シャンゼリオン』と『ジェットマン』でファンになりましたが、『ハカイダー』でアレっ? と思って、今度の『ファイナル』と『スペシャル』で見切りました」。
 そんな風にとことん貶されるとかえって興味を惹かれてしまうなあ(^^)。ヒトコトで返事。
 「いえ、いいんですよ。私は加藤夏希を見に行くんですから」
 ……しまった、また家庭争議のタネを口に(^_^;)。
 
 ぴんでんさん、電車の時間があるということで、今日は早めに10時過ぎに散会。
 横町を出た途端、しげが「角煮美味かったね角煮美味かったね」とうるさい。どうせしげが言い出すだろうからと、機先を制する。
 「しげ、どこで食べたい?」(←某マンガのパロですが気にしないように)
 しげ、満面の笑み。こいつの胃袋は底無しである。
 「ブックセンターほんだ」に寄って本を物色、ロイヤルホストで定食。
 食事してる間、時々しげが顔を伏せて笑っているので、「だからいつまでも『世界の王』のことばかり考えてるんじゃないよ」と言ったら「なんでわかるん!?」とびっくりされる。わからいでか。

 
 安田均原案・山本弘著『ゴーストハンター パラケルススの魔剣 アトランティスの遺産』(角川スニーカー文庫・580円)。
 ゴーストハンターシリーズ全3巻、とりあえずの完結編。
 とりあえずと言うのは、ゲーム版のゴーストハンターシリーズがどうやら再開するようなので、おそらくは山本さんの手になる小説版の続きもそのうちお目見えするのではないかと予想されるからである。まあ、アポロンとアルテミスが本作で示されたような設定の存在だとすれば、もう一度捲土重来があって然るべきって気はするが、そんときゃ多分年端もいかない子供として登場することになるんだろうか。
 それはともかく、前作『ラプラスの魔』同様、ゲーム版に準拠していると思われるところは概してつまらなく、山本さんのオリジナルと思われるあたりは滅法面白い。超能力の説明なんかいかにももっともらしくって読んでて楽しい。
 思うんだが、RPGって基本的にアンチ・ドラマなんじゃないだろうか。たいてい主人公はチームを組まされるけど、実際、ドラマ展開を考えると「こんなやついらないよなあ」ってキャラもやたらと多いんである。本作で実は一番いらないのは主役の健一郎なのだが、こいつ省くと女性ファンが怒るんだろうなあ。
 つくづくゲームのドラマ化は難しい。


 マンガ、ゆうきまさみ『パンゲアの娘 KUNIE』5巻(完結/小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 地球から月が分離したって説には無理があるとさっき読んだ『パラケルスス』に書いてあったよ、ゆうきさん(^^)。なんかこの二人仲が悪いらしいですね。理由はよく知りませんが。
 量子論に基づく世界観(例の「シュレジンガーの猫」の話です)は、まだ世間にそれほど浸透してるわけじゃない。それだけ聞くとまず間違いなく「なにソレ?」って意味不明に受け取られる可能性が高いから、打ち切られることが決まった時点でその設定は捨てた方が利口だったと思うんだがなあ。「カラバオは、初代が発見したから存在する」って言われてもねえ。
 SFがやりたかった、ゆうきさんなりのロスト・ワールドをやりたかった、それはわかるけれど、マンガは何よりキャラだよってこと、小池一雄も言ってたぞ。クニエのキャラ自体、フラフラしてて今一つ魅力に欠けてたからねえ。

2001年09月21日(金) 子供のころは本屋さんになりたかったのさ/『多重人格探偵サイコ』7巻(大塚英志・田島昭宇)ほか
2000年09月21日(木) 笑顔とブレゼントとオタアミと


2002年09月20日(金) ついに発売! アレとアレ(^o^)/映画『インソムニア』ほか

 しげから聞いた話。
 劇団メンバーの愛上さん、しげがパートに出ているリンガーハットの面接を受けて内定を貰ったとか。
 「愛上さん、仕事してなかったっけ?」
 「かけもちするんだって」
 愛上さんとこも子供が二人いて、生活が大変だってことはわかるんだが、かけもちでバイトってのはちょっとキツイんじゃないだろうか。
 「お子さんはどうしてるの? おばあちゃんが面倒見てるんかね?」
 「じゃない?」
 「じゃあ、母乳で育ててないんだ」
 「……なに心配してんの? 何かしてやれるわけじゃあるまいし」
 「そりゃそうだけど、知り合いのこと心配しちゃいけないのかよ。だったらオレも、オマエのこと心配せんよ」
 「なんで!? アンタと俺、他人?」
 「他人じゃん。オレが何か言っても、勝手に行動するくせに」
 「アンタもそうやん!」
 「……だから他人だろ?」
 「……」
 情がない人間はこうして墓穴を掘るのである。
 それにしても、愛上さん、仕事続くのかなあ。結構というか、相当オッチョコチョイで、ど忘れと思い込みが服着て歩いてるリアル「サザエさん」な愛上さんのことだから、きっといろいろ面白いトラブル起こしそうで、期待……ああ、いやいや、心配しちゃうんだけれど。


 明日、休日出勤の予定なので、今日は仕事から帰ったら、さっさと寝ちまおう、と思っていたのだが、しげが「映画には行かんと?」と言い出す。
 てっきり映画に行くものだと思いこんでいて、仕事休みを取ったとか。全く、こっちの都合も聞かずにこいつは。
 仕方がないので、付き合うことにしたが、一方的に振り回されるのも癪なので、ムリヤリ博多駅に寄らせて、紀伊國屋でDVDや本を物色する。
 ついに出たぞ黒澤明ボックス(^^)。
 第1弾は大映編、『静かなる決闘』『羅生門』『まあだだよ』だ。しかしDVD一枚2500円が普通の時代に、わずか3本で15000円というのは、いくら特典が付いてるとは言え、絶対ボッてるぞ。今月はデカイのはこれだけで、他に買うものがあまりないから助かるが。
 『映画クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王/嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲』のDVDの広告チラシがあったので、早速予約。これにはしげも文句はつけない。ただ、同時発売のテレビ傑作選とスペシャルの方は「キリがないじゃん」と許してくれなかった。テレビシリーズもパロディの効いてる回なんか面白いと思うんだけどなあ。


 時間に気ぜわしいしげに尻を叩かれて、慌てて博多駅から出る。
 最初トリアスに行こう、と言っていたしげ、車が込んでいるので急遽ワーナーマイカル福岡東に変更。やってる映画はたいてい同じだし、ここのマイカルは休日でもホントにがら透きなので、いつでも貸し切りに近い状態で座れるのである。……よく潰れずに持ってるよなあ。
 近所に「カルビ一丁」という焼肉屋があったので、そこで遅目の夕食。
 しげはいつもデザートを先に頼んで食べるのだが、「かぼちゃ娘」という名のアイスクリームをひと口だけ分けてもらう。かぼちゃをアイスでくるんだだけのシロモノなのに、これが意外にも美味い。美味いのはいいのだが、しげ、「美味ーい、美味ーい」と声に出して食っている。近所に聞こえてるのが気にならんのかなあ。
 ファミリー盛りみたいなのと、うどんクッパ。
 うどんのコシ、ノビがあるのに歯応えがあるあたり、「かろのうろん」によく似ている。多分、博多のうどんの原産って、韓国なんじゃないかな。こういうことを言い出すと、「いや、うどんは日本で独自に発展したんだ」とか反駁したがる人は多いよね。別に不必要に韓国を崇め奉る必要はないが、日本の文化、特に九州の文化が朝鮮経由であることは素直に認めた方がいいんじゃないかなあ。


 映画『インソムニア』。
 実は、今日何の映画を見に行くかは全く決めてなかったんだが、しげが、「アル・パチーノとロビン・ウィリアムスが共演してるんだよ!」のヒトコトでこれに決まり。と言うわけで、事前情報を全く知らない白紙の状態で見ることになる。おかげでタイトルの意味も知らなかったが、“insomnia”って、「不眠症」って意味なんだね。主人公の刑事が過失から殺人を犯し、その罪悪感から不眠症に陥るってことなんであった。こういう病名をタイトルにした映画で真っ先に思い浮かぶのは何と言ってもヒッチコックの『サイコ(psyco)』『めまい(vertigo)』なんだけれど、もともとは医学関係者の俗語で人口に膾炙していたとは言えない「サイコ」って言葉を既知外の意味で流布させちゃったってのは、結構功罪相半ばするものがあるのではないか。まあ、「インソムニア」にはそんな心配はなかろうが、邦題、もうちょっとなんとかならなかったものかね。「眠れない」。「睡魔」。「眠たい男」。だめか。

 映画の中身が当たりか外れかってことは微妙なところだなあ。脚本がヘタというほどではないのだけれど、映画としてハッタリの効いた見せ場がほとんどなくて、全編地味な印象だし、なんたって、アル・パチーノがまるで刑事に見えないのと、ロビン・ウィリアムスが全く異常性格の犯人に見えないのがどうもね。名優の評判が高いこの二人だが、実は私はあまり買ってはいない。基本的に役柄の幅が狭い人たちだと思うんである。それじゃ見所ないんじゃないか(^_^;)。
 もとはノルウェーの映画をリメイクしたものだそうである。別の俳優が演じたほうが面白くなってたんじゃないかなあ。


 帰宅して、CSファミリー劇場で『快傑ズバット』第8話「哀しみのプロパン爆破」。
  用心棒の地獄市役、三夏伸の演技が、顔つきと言い、首の動かし方と言い、いや、その殺陣に至るまで、本家座頭市を忠実にコピーしているのに驚く。この人何者? と思ってネットで調べてみたら、昭和ガメラシリーズでも常連の、大映専属の役者さんだった。きっと勝新さんからちゃんと許可もらって演じたんだろうなあ。

2001年09月20日(木) ま、映画さえ見られりゃいいんだけどね/『夜刀の神つかい』4巻(奥瀬サキ・志水アキ)
2000年09月20日(水) 頭痛と頭痛と頭痛と……/ムック『山下清のすべて』


2002年09月19日(木) 騒ぎどころが違うぜ/『仮面ライダー龍騎 13RYDERS』/映画『恐怖の火星探検』/『ロケットマン』3巻(加藤元浩)

 18日付の唐沢俊一さんの『裏モノ日記』のタイトル、「2020年の朝鮮」は笑えました。
 今更唐沢さんは何の注釈もつけはしないけれど、もちろんこれは『ウルトラQ』、ケムール人登場の名エピソード『2020年の挑戦』のモジリですね。確かにアレも拉致の話でした(^^)。
 ……わあ、もう18年後じゃねえか。

 唐沢さんご自身はできるだけタイトルは無意味にされたい御意向のようだが、たまにこういう「意味」のあるネタをサラリとされてしまう。
 で、その「意味ありげ」なほうを面白いと感じてしまうのは、私がやはり「感覚」よりも「リクツ」でギャグを解するタイプだからなのだろうな、と思う。
 感覚的な人間は、時にとんでもなく面白いギャグを生み出すことがあるが、自分の中でそのメカニズムを整理できないために、一発屋で終わってしまう傾向がある。流行語をはやらせ、ブームを起こした芸人やマンガ家にこのタイプは多い。一般人でも、学生のころはやたら面白いギャグを連発して楽しかったヤツなのに、年取って同窓会で会ってみると、何かただの下卑た親父になってる友人がいたとかいう経験、みなさんにはないかな。
 リクツでギャグを考える人間というのは、実はそんなに面白いギャグは作れない。ここをこうしてこう作ってこうイジれば笑いが取れるな、というのはわかるのだけれど、もう一つ、突き抜けたものが作れないのだ。ナンセンスにしようとすればするほど、どこか「作りもの」めいた雰囲気が漂い、笑いを押し殺してしまう。とり・みきの『遠くへ行きたい』なんかその最たる例であって、一見意味不明に見えながら、実は作者の意図が何なのかがウスウス感じられるために、ニヤリとウス笑いを浮かべることはできても、ワッハッハと腹を抱えて笑えはしない。
 ダジャレ、というのは、短歌における掛詞が元になっているように、実は極めて技巧的でリクツに基づいたものだ。だから本来、「笑い」を取る手段としては理に勝ちすぎている面があり、そんなに笑えるものではない。全くかけ離れた二つのものを結びつける意外性、とは言っても、もとは周知の同音異義語なのだから、そんなに突拍子のない意外なシャレを提示してみせることは至難のワザなのである。博多にわかのオチはほとんどシャレだが、爺さん婆さんはともかく、若者で大笑いできるヤツがいたら、そいつはとんでもなく奇特な人間だと思う。
 「挑戦」と「朝鮮」のシャレも誰もが思いつくであろう。
 と言うか、「朝鮮の挑戦」というシャレを思い浮かべたことのない人間などまずいないと思う。少なくともみなもと太郎は思い浮かべたことがあると思うが、マンガの中にはさすがに使えなかったんじゃなかろうか。唐沢さんのギャグも実は「突き抜けて」はいないのだが、今やメジャーであったはずの『ウルトラQ』もすっかりオタクなネタにしかならなくなってしまった。忘れたころに時事ネタと絡めて、似ても似つかぬケムール人と金正日の顔をダブらせ、蘇えらせたところに、このシャレの「意外性」は生まれているのだが、でもやっぱり一般の人には「どこが面白いの?」ということになっちゃうのだろうなあ。

 ダジャレ一つに何を「考察」してるんだか(^_^;)。
 でも、相変わらず社民党をからかってたり、唐沢さんの日記とネタがかぶっちゃうことが多い。自分だけが物事を裏ヨミしてるわけじゃないのだな、と思ってホッとすることはするのだけれど、読者のみなさんの中で、私のことを唐沢さんシンパだと思ってる人はいないだろうか。
 まあ、ファンであることは間違いないのだけれど、単に発想が似ることが多いってだけで、マネしてるわけじゃありません。更新が遅れると、どうしても後追いで同じようなこと書くことが多くなるんで、いい加減、トバして更新し始めたんだけど、先に書いてもやっぱり似る(^_^;)。これも西手新九郎のシワザか。

 拉致事件の続報、前日とうって変わって朝刊での扱いが随分小さくなっていたので、マスコミも早いとここういう扱いに困る事件は忘れたいのかなあ、と思っていたら、夕刊でまたデカデカと「外務省、死亡日隠す」の大見だし。
 なんだかまた外務省がどえらいミスをやらかしたのかと思って記事をよく読んでみたら、八人の被害者の死亡年月日を非公式に伝えられていたのを、北朝鮮から受け取った正式なリストでは記載がなかったために、発表を見合わせた、というだけのもの。
 なんだかなあ、外務省に不手際がないとは言わないが(記載を求めりゃいいだけの話である)、「重大な情報隠し」というのはどんなもんだか。非公式な情報を垂れ流して、その期日にミスがあったら、また「外務省の勇み足」って糾弾すつもりだろうが。どっちに転んだって、外務省を責められちゃうのである。これがダブルスタンダードってやつだね。
 だいたいこれ、北朝鮮側のミスじゃないのかよ。
 国交正常化が進む中、余計なことで北朝鮮を責めても損、って判断が既にマスコミの中に生まれて来てはいないかね。「日本はなぜもっと強く抗議しないんだ」って、日本の弱腰外交は相変わらず責めてるけどよ、直接北朝鮮を責める言質は巧妙に避けてるんだよなあ。北朝鮮に対して弱腰になってるのはマスコミの方じゃないか。
 そんなことしてるから、間接的に在日朝鮮人に対する差別や迫害を影で横行させることになるんである。

 在日三世のプロボクシング世界王者、徳山昌守選手のホームページの掲示板が、「北へ帰れ」などイヤガラセの書きこみがあったために閉鎖されたそうである。何が腹が立つってよ、まるで荒らしの加害者が『ウルトラセブン』のファンであるかのような偽装を行うとは、なんたることか(怒ってるのってそっちかい)。
 いや、もちろんそれは冗談なのだけれども、北朝鮮に対する感情に溺れるのではない理性的な批判は、マスコミはやっぱり堂々とやってかなきゃならんのじゃないか。それに便乗して差別的な言質を振りまく輩が出てきたら、どうするんだ、という批判もあろうが、そこが逆転の発想ってやつである。調子に乗って公然と差別的な態度を露にしたら、それこそ思うツボ、表舞台でそいつらを堂々と糾弾できるのだ。今こそ、これまで影に隠れてコソコソと女子学生のチマ・チョゴリを切り裂いてたようなクソ野郎どもを燻し出すチャンスではないのか。
 ……でもそんな自分の首を絞めるようなキャンペーン、マスコミが張るわけないよな。なんたって、これまでそういった差別を黙認して来たのがマスコミだったんだからさ。
 マスコミはまた外務省をスケープゴートにして、自らの差別的体質、「臭いものにフタ」する行為から世間の目を逸らそうとしている。みんな、騙されてるんじゃないよ。


 仕事帰りの車の中、しげが突然「ねえ、アンタ結婚したい人いる?」と聞いてくる。
 こういう意味不明な質問は日常茶飯事なんで、マトモに返事するのも億劫なのだが、怒るのも大人げない。
 「どういう意味だよ?」
 と問い返す。
 「そのまんまの意味だよ」
 全然説明になってない。言葉足らずなのはいつものことなんだが、きちんとした対応ができないのに開きなおってるのはナマイキなので、あえて「そのまんま」に受け取ってやる。
 「……つまり、おまえと別れて結婚したいヤツはいるか? って聞きたいんだな?」
 しげ、慌ててカラダでイヤイヤする(運転中にアホなことしてんじゃないよ)。
 「ちがうと! そういうときはオレの名前を言えばいいと!」
 「……もう結婚してるじゃん」
 「なんどしてもいいと!」
 四十も目前だってのに、私はこういう会話をまだ続けてかなきゃならないんだろうか。

 晩飯は、またもや「めしや丼」で夕食。しげも飽きないねえ。
 新発売の野菜炒め定食ってのがあったので、それを注文。給料日前なので今日はしげのオゴリである。
 ここの店、どうしてイマイチに感じてたかっていうと、どの料理も妙に甘ったるかったせいだが、これはごく普通で悪くない。コロッケと冷奴も付いて、栄養バランスも悪くなさそうである。
 これならしょっちゅう来ても不満はないな。しげよ喜べ。

 一昨日の放生会の話をしていて、ふいに「ナシもカキも放生会」と口にしたら、「何それ?」と聞き返される。
 「何それ」と言われても、たいして何か意味のある言葉ではない。
 「……まあ、『猫も杓子』もってとこかな」
 「どういうこと?」
 「『ちゃっちゃくちゃら』ってことだよ」
 「はあ?」
 「だから『わやくちゃ』って言うか、『なんでんかんでん』って言うか、……ええい、普通に使ってる博多弁をいちいち解説なんかできるか!」
 「……アンタ、オレの夫なんだから、説明する義務があるとよ?」
 「ねえよ!」
 でも、確かに、「ナシもカキも放生会」って、どういう意味か説明しろと言われたら適切な言葉が出て来ない。やたらごった返してるようだけれど、どこか整然としてる面もあると言うか、肯定的なニュアンスも否定的なニュアンスもどっちも含んでるような言葉だと思う。うまい共通語を思いついた人、いませんか。


 7時から『仮面ライダー龍騎スペシャル 13RYDERS』。
 「もう一つの『龍騎』」というナレーション通り、本編シリーズとはドラマとしてのつながりはなく、一話完結のリメイクといった趣き。
 アレだね、一時期テレビアニメの映画版で流行った、「劇場版完全新作!」みたいなもんか。アイデアとしては悪くはない。日曜の朝も早から起き出して、子供をダシにして、年がいもなくテレビの中のヒーローに目を輝かせてかじりつくような野原みさえのような主婦ならばともかく、普通のオトナはこれが『龍騎』の初見ってこともあるだろうからね。
 こういうのは本編シリーズとの微妙な違いを確認して行くのが楽しいんだろうけれど、最近はほとんどマジメに見てないからなあ。それにしても1時間スペシャルとは言え、ドラマを展開させるにはやはりなんとしても短すぎる。13人のライダーをムリヤリ詰め込んだものだから、後半はみんないきなり現れて乱闘になるし。仮面ライダーファムの加藤夏希なんか、「あなたたち、それでもライダーなの!?」のセリフ以外は「ヤア!」とか「オウ!」なんて気合いしかなかったぞ(^_^;)。そのクセやっぱり無駄なギャグシーンはありやがるし。
 実際、画面のウスさがやたら目立つのがどうにも気になる。
 役者のヘタさも原因だし(黒田アーサー、最年長者なのにアレは何なんだ)、ありきたり過ぎるセリフもどうにかならんかだが、基本的に演出がドラマに厚みを持たせる手段をまるで知らんのだ。カメラが全くと言っていいほど芝居をしていない。素人が撮った方がよっぽど躍動感が生まれるんじゃないかってほどに平凡なのである。
 それが端的に現れてるのが、視聴者に電話させて、「戦う」「戦わない」の二つの結末のどちらかを選ばせるってインタラクティブな趣向。以前、WOWOWとかで一時期流行ったけど、どっちを選んでもたいして面白くないってことがわかってすぐに廃れた。それを今更またやってんだものなあ。
 結果は以下の通り。
 戦いをつづける : 319583 票
 戦いをとめる : 229564 票
 感心するなあ、みんなよく投票したよ(私も昔こんなのに参加したことあるから人のことは言えないんだが)。
 まあねー、平和主義のライダーなんて、あまり見たかないってのはわかっちゃいるけど、みんな、期待大きすぎないかねえ。こんな単発のドラマで、しかも時間も予算もないってことが解りきってるのに、「戦いのカタストロフ」なんて描けるわけないじゃん。案の定、「戦う」が選ばれたにもかかわらず、結末は戦う寸前で終わりで尻切れトンボ。こういうのが『明日に向かって撃て!』の稚拙な模倣と言うんである。
 ドラマを舐めんじゃねーぞ(`‐´≠)凸。
 ……それとさあ、もういい加減で『羊たちの沈黙』まんまマネるのやめようよ(-_-;)。
 まあ、あんまり貶してもなんなんで、ちょっとだけ面白かったところを。
 城戸真司が秋山蓮からカードを受け取って、龍騎じゃなくてナイトに変身するアイデアはシメとして悪くはない。ライダーには別に「ご指名」はないわけね(^o^)。っつーことは、城戸がファムのカードで変身したら、ナイスバディになるのか。そういうギャグ編、番外で作ってみたらどうか。


 WOWOWで映画『恐怖の火星探検(It! The Terror From Beyond Space)』(1958・米)。
 ああ、これ、エロの冒険者さんが以前、「『エイリアン』のもとネタ」と紹介してたやつだな、と見終わってから気づいた(^_^;)。もとネタどころか、ほとんどマンマやん。こういうパクリは許してるのか、あっちでは。
 もちろん、映画としての見せ方はレベルが格段に違うのだけれど、初めからB級と思って見れば、これはこれでモノクロの宇宙は意外に深淵なムードだったりして、悪くはないよ。『キャプテンウルトラ』も宇宙を青いスクリーンにしたりしないで、モノクロで撮りゃよかったかもって思ったし(ウソウソ)。
 筋はエロさんとこのサイトを見てもらえりゃいいんで(っつーか『エイリアン』知ってりゃそれで充分かも)、ところどころの印象だけ。
 何と言っても、トホホなのは怪物のデザインなんだけれど、なんつーか、西洋甲冑かぶったその上にゴリラのマスクかぶせたような……って、もしかしたらホントにそうなんじゃないか(^_^;)。なんで向こうの怪物は昔から今に至るまでとことんダサイんだ。でも日本にも「ブラックホール第3惑星人」ってのがあるからなあ(-_-;)。
 怪物(せめて名前付けてやれってば。「It」じゃアンマリだ)を演じているのは、元B級西部劇スタ−のレイ・コリガンという人らしい。なんとあの『超人対火星人』(最初の『フラッシュ・ゴードン』ですな)でも似たようなエイリアンを演じているとか。零落しつつも名声を勝ち得たベラ・ルゴシやロン・チャニィなんかと比較しちゃ悪いかも知れないけれど、演技に怪物としての華がない。こんな役ばかりやってたら忘れられちゃうのも仕方ないよなあ。
 ラストはやっぱりハッチから宇宙空間にすっ飛ばされそうになって死ぬんだけれど、怪物さん、カラダがでかくて途中で詰まっちゃうのが哀れでした。酸素が宇宙空間に放出されてるはずなのに、大扇風機で紙吹雪起こしてるようにしか見えないのはご愛嬌(^^)。


 マンガ、加藤元浩『ロケットマン』3巻(講談社/KCGM・410円)。
 失われた水無葉の記憶、結構引くんじゃないかと思ってたけど、3巻目にしてもう蘇える。いささか早い印象はあるけれど、このマンガは「R」の遺志(さて、ホントに死んだのかどうか)を継いで、葉がロケットを完成させる話の方にメインが置かれるのだろうから、伏線をそのままほっといて、ストーリーが複雑になりすぎるのを避けたんだろう。ここまでが長い前フリだったってわけだ。
 もちろんまだまだ残された謎は多くて、果たして葉の母親が生きて何をしているのか、とか、アイエネスは葉を「組織」の中でどう利用していくのか、とか、結構ハードな展開がこれから待ちうけてるような予感はあるのだが、全てはまだベールに包まれている。
 この「組織」が「冷戦終結後に再編成されたスパイ組織」であるという設定は決して荒唐無稽なものではない。というか、これって、白土三平の『忍者武芸帳』なんだよね。スパイたちの「能力」を、それが不必要とされて行く時代の中で、いかにして活用させ、彼らを救っていくか。つまり影丸がアイエネスお姉さまなわけで(^o^)。畢竟、彼らは「自分たちが生きられる」社会を作ろうと画策する。これはもちろん、世界の運命そのものを一変させかねない。
 これだけのスケールの物語を、どう収集させて行くのか、これもまた注目のシリーズなんである。

2001年09月19日(水) ヤンキーたちの好きな戦争/『日露戦争物語』1巻(江川達也)/『探偵学園Q』1巻(さとうふみや)
2000年09月19日(火) 塩浦さん、今度はご夫妻で遊びに来てね


2002年09月18日(水) 復讐するは誰にある?/映画『恐怖のワニ人間』/『Q.E.D. 証明終了』13巻(加藤元浩)

 日朝国交交渉の続報しきり。
 けれど、驚くほどに意外な展開、というものがない。みんな予想された反応、言質を繰り返すばかりで面白味に欠けるな。
 北朝鮮は公式に拉致を認めていながら、やっぱり本国のテレビ放送では「日本謝罪、経済援助、国交正常」とか「拉致」の「ら」の字も報道してないし。言い換えれば、文書に残してない言質は後からいくらでも翻せることを既に北朝鮮は表明しているのだな。
 まあ、ホントに翻しちゃうと、それこそ袋叩きにあうことは解ってるから、これはやはり北朝鮮の国内事情を鑑みての措置、ということなのだろうね。第二次大戦直後の日本じゃあるまいし、「昨日までの主体思想教育は全部間違いでした、すみません」と自国民に向かって節操なく変節できるものでもなかろうよ。賛同はしないが。
 しかし、言い換えれば対外的に非を認めたってことは、それまで「北朝鮮は拉致などしていない」と主張して来た人たちを北朝鮮は見捨てた、ということでもある。哀れなのはその「見捨てられた人たち」のコメントである。
 社民党の土井たか子、これまで思いっきり北朝鮮寄りの発言をして来たものだから、ほとんど支離滅裂、これまで散々批判して来た小泉首相の訪朝の成果を褒め称え、「今でも拉致はなかったと思う」とか言ってやがる。つまり「行方不明者は自発的に北朝鮮に行った」と言いたいわけね。どう思いますか。
 朝鮮総連も声をなくしている。そりゃもう、北朝鮮の工作員が日本に潜入してたんなら、この人達が関わってないわきゃないんで、完全に本国から見捨てられたってことだからねえ。在日は在日で勝手に生きろってこと突きつけられたんだから、そりゃ、呆然ともなろうよ。のんきに「朝鮮学校の子供たちのチマ・チョゴリが狙われないか心配だ」とか言ってるが、タネを撒いたのはあなたがただよ。
 福岡の朝鮮人学校は臨時休校した。多分、他の地域でも何らかの対策を取っているのではないか、けれど、これは一日ひっそり暮らしたからどうなるというものでもない。子供たちに罪はない、というのはリクツである。口実を与えられた感情ほど怖いものはない。いくら子供たちを守ろうとしても、「迫害は正当」と感じる人たちの耳にリクツは届かないのだ。被害者は必ず出る。それもこれから長きに渡って。

 差別や迫害について、何度となく私が繰り返して言っていることは、「差別をなくそう」というキレイゴトを主張するだけでは実効力はない、ということである。特に、家族を殺されたものの身になれば、復讐の念が芽生えることを簡単に否定できるものでもない。できないから、北朝鮮だって韓国だって中国だって、いつまでも50年以上前の戦争の恨みゴトを口にするのだ。
 憎しみにとらわれた人間に、「説得」が通じるものかどうか。被害者意識にとらわれた加害者に言葉が通じるものかどうか。彼らに、「いくら北朝鮮の行為が憎いからって、彼らを憎めばそれが差別になるのですよ」と言ったところで通じはしない。「被害者である」ということはそれだけ「免罪符」を与えられているのだ。
 結論として、迫害から身を守るためには二つの方法しかない。
 逃げるか戦うか。
 もちろん、戦うと言っても武力によるものであっては事態は泥沼化するだけである。相手を説得できなければ、自分たちに賛同してくれる「味方」を増やし、言論の壁で守ることである。
 朝鮮人学校が行うべきことは、怯えて身を潜めることではなく、石を投げられることを覚悟で、「自分たちがこの日本にいる意味はなにか」を地域に語りかける努力なのではないか。それをせずして「守られる」こともありえない。そこに座していれば誰かが助けてくれるだろう、というこ態度は、戦後の日本が加害責任を明確にしないまま、なかなか国際社会に受け容れられなかった過去とダブってくると思うのだけれど、どうだろうか。
 冗談じゃなくて、「在日は挑戦に返れ」とか理不尽なこと言ってる連中は、「識者」の中にもいるんだからね。渡部昇一とか。真剣に身を守る手段、考えていかないとよ。


 仕事帰り、給料日前で金はないのだが、しげの「寿司!」の一言で「すし大臣」へ。
 「オレ、今、五千円しかないんだけど」
 「だったらたくさん食べんどきゃいいやん」
 「そりゃそうだ」
 と言っても、腹は減っているのでそうもいかない。できるだけ安そうなネタ、納豆マヨネーズだのイカオクラだの押し寿司だの、110円の皿ばかり選んで食べる。合いカモロースもウナギも意外と安くて200円。しげは卵サラダ巻があれば満足なので、あまりたくさん食べない。二人で結局、3300円ほど。「すし大臣」で食べた中で一番安かったのではないか。何しろ今回、ウニもイクラもトロも食ってない。いや、食わなきゃならんというものでもないが。


 マンガ、加藤元浩『Q.E.D. 証明終了』13巻(講談社/KCGM・410円)。
 MITを15歳で卒業した天才少年、燈馬想の推理を描く第13弾。
 いや、隔月連載で、13巻、よく続いてると思うよ。ミステリとしてのレベルは『コナン』なんかより遥かに高いんだけれど、それだけにかえって客にはマニアしかついてないんじゃないかと心配してたし。ここまで続いてるんなら、一般のお客さんもちゃんといて買ってくれてるってことだろうし、ミステリブームは本物なのだろあなあ。
 見返しの作者の加藤さんのコメントにあるけれど、この作品には原作者は全くいないそうである。時折外した話はあっても、ブレーンが誰もいなくてこれだけハイレベルな作品を提供できるということは素晴らしい。
 第1話「災厄の男」は一種のコン・ゲームもの。ビル・ゲイツをあからさまにモデルにしたアランソフト社社長、アラン・ブレードが燈馬をヘッドハンティングするために来日する。アメリカに来る意志のない燈馬をムリヤリ引っ張って行くために、アランは罠を仕掛ける。孤立した豪華客船の中に飾られたレンブラントの絵を盗み出せるかどうか。
 あれ? これって怪盗もの? と思わせといて、……なオチにもってくところが上手い。難を言えば、アラン、そんなにバカで社長としてやってけるのかって疑問はあるけど、まあ、本物も……らしいから、これでもいいのかも(^o^)。
 第2話「クラインの塔」は推理に矛盾はないが、やや単純で、ちょっとした推理クイズって印象の作品。まあ、しょっちゅう傑作は描けないだろうから、たまにそういうのがあっても仕方がないか。塔の中での消失トリック……と言ってもたいしたトリックじゃない。どちらかと言えば、この解りきった答えになぜ気がついたか、という「証明」の部分に救いがあるような作品である。


 WOWOW『恐怖のワニ人間(THE ALLIGATOR PEOPLE)』(1959米)。
 これもスチールでしか見たことないアチラのトホホSFとして有名なのだけれど、やっぱりキテるよなあ、あのデザイン。
 筋はまあ、実験に失敗してワニ人間(ロン・チャニーJr.!)になった男の悲劇、というありきたりなものだけれど、一応、役者は一生懸命がんばって演技してはいるのよ。でも、やっぱり小道具がもうどうにもしようがない(^_^;)。
 だってよう、あからさまにハクセイやロボットな動かないワニ見て(一部本物も使用)、ヒロインキャーキャー叫んでるんだから、観客はもうどうしたらいいのゆら(^_^;)。こんなん作っててアチラは日本のゴジラを笑ってたのかなあ。頼むから「うおーっ」て吼えるなワニ(何しろ変身前のただの生ワニまで鳴くのだ、この映画は)。
 あの有名なワニ頭男、実はラストシーンにしか登場しないのな。それまでは単に顔の皮膚がワニ皮ってだけだったのが、それを元に戻そうとして手術してた真っ最中に既知外に乱入されて、完全に頭部がワニになってしまうという(^_^;)。なるか。西岡俊哉の『新・世界の怪獣』に出て来た「アプタ人」はこれからイメージを取ったのかな。
 哀れ、自分が完全にワニ人間になったと知った男は、底無し沼に身を投げて死ぬ。登場シーン、五分もないぞ。タイトルに偽りありじゃないのか。でも監督もあんなワニ頭、長いこと画面に出しときたくなかったのかも。
 こんなん、昔の人は本気で怖がったんだろうかねえ。

2001年09月18日(火) 声だけ美少女/『スタジアム 虹の事件簿』(青井夏海)ほか
2000年09月18日(月) ゴキブリと音痴娘と構造記憶と/『僕らは虚空に夜を視る』(上遠野浩平)ほか


2002年09月17日(火) 放生会の掘り出し物/『博多の心』(朝日新聞福岡総局)/『魁!! クロマティ高校』5巻(野中英次)

 今日は平日だけど仕事休み。
 いえ、別にまた体コワしたとかじゃなくて正当な休みでやんす。
 ♪(((#^-^)八(^_^*)))♪
 
 朝から映画に行こうとか思ってたんだけど、体力に限界を感じて昼まで休み。
 しげも今日は一日休みということで、相変わらず家事もせずに寝ている。
 先日の「運動」で足もまだイタイし、まあ、昼からゆっくり出かけりゃいいかと、横になってプレステ2で『いただきストリート3』など。
 ウチにはしげの買ったRPGやエロゲーやエロゲーやエロゲーが山とあるが、私ができるゲームといったら、この『いたスト』くらいなものである。でも1・2・3と来て、どんどんコースが増え続けてるんだけど、これ全部クリアできる日が来るのか。

 ようやく起きてきたしげを誘って、箱崎まで放生会を冷かしに行く。
 他地方の人にはよく読み間違えられるが、「放生会」は「ほうじょうえ」ではなく「ほうじょうや」と読む。この読みに拘るところが博多んもんの誇りというやつなので、「訛ってるじゃん」とか突っ込まないように。
 ご承知のとおり、「生き物を大切にしよう」のスローガンのもと、露店でイカだのタコだのを食いまくる縁日である。
 「博多三大祭り」と称される如く、休日の夜に出かけようものなら、箱崎宮の参道は立錐の余地もないくらいの大混雑になるのだが、平日の昼だと人通りもまばら。つーか、こんな空いてる放生会を経験したの生まれて初めてだ。だってガキのころから夜しか出かけたことなかったし。

 昼間だとおばけ屋敷などは当然、空いていない。
 しげが入れもしないくせに「なん、開いとらんやん」と文句をつけるので、「昼間から出るオバケがいるか」と言い返したが、考えてみたら遊園地のホラーハウスの類って、昼からやってるよな。オバQも昼間から出てたか。
 串焼き、イカ焼き、タコ焼き、唐揚げ、オムソバ、かき氷と食いまくる。放生会と言えばまず一番にトウモロコシなのだが(っつーか、昔はそれとワタアメしか売ってなかったような気がするぞ。バナナチョコだのリンゴアメなんて、いつから売りだしたんだ)、何となく敬遠。いや、歯にはさかる(←これも方言かなあ)のがイヤだっただけだけど。
 しげ、唐揚げがえらく気に入ったのか、二度も買う。「『味で勝負!』のハリガミに惹かれたっちゃ」というので、一つ分けてもらったが、確かに露店のものにしては油っこくなくかと言ってパサついてるわけでもなく、美味い。少なくともケンタッキーフライドチキンよりはずっと美味い。
 しげ、店のオヤジさんに「ねえちゃん、また来たね」と声をかけられて照れる。仕方なく私が代わりに「なんか気に入ったみたいで」と愛想笑い。どうせこのオヤジさんも私がしげの父親かなんかだと思ってるんだろうなあ。
 かき氷はたいてい蜜がかけ放題なので、青リンゴにコンデンスミルクを思いきり掛ける。糖尿はどうしたと突っ込まないように。今日は祭りだ。
 店のねーちゃん、突然「青リンゴにミルクって合いますよね!」と声をかけてくる。童顔で何となく声優のTARAKOみたいな女の子だ。「ええ、美味しいですよ」と答えると、「友達がみんな変って言うんですけど美味しいですよね、青リンゴにミルクかけたの、今日はお客さんが初めててです」と捲くし立てる。なんかそんなに孤独感味わってたのかな、このねーちゃん(^_^;)。
 店の人とこんなやりとりができるのも放生会ならではである。どんたくや山笠に比べるとまだ昔の博多らしさが残ってるところが好きだ。

 八幡宮の境内まで行きながら、しげ、お参りはしない、という。「何で?」と聞いたら、「お参りは正月だけって決めてるから」。よく分らん理屈だ。
 境内にはハトがいる。ハトがいれば当然自販機でハトのエサを売ってるのである。エサを売ってれば買わずばなるまい(別に決まってねーよ)。100円で、モナカの中にコーンの粒が入ってる例のやつ。ちぎって撒くとみるみるハトが飛んでくる。飛んでくるだけならまだしも、撒く間もあらばこそ、私の腕に留まって、直接エサをついばんでくる。しかも、1羽、2羽、3羽。背中にも留まる。そんなとこにエサはないぞ。
 ハト同士でエサを奪い合い、ケンカが始まる。クチバシでつつき合うだけでなく、翼でビンタを食らわす。一発、二発。たまらず逃げる弱いハト。嘘ではないぞ、目撃したんだから。昔、『帰ってきたウルトラマン』を見ていて、テロチルスがウルトラマンにツバサでビンタ食らわせてたのを見て、「トリがツバサで敵を叩くかよ」と思ったのだが、この認識は誤りであったことが20数年後にして判明したなあ。
 しげ、ハトに埋もれた帆場英一のような私を見て一言。
 「……満足?」
 おお、満足だとも。

 オムソバは一の鳥居のある岬の石段に座って食う。
 しげ、波打ち際に行くのをちょっと怖がっていたようだったが、「大丈夫、『あんとくさま』(by『海竜祭の夜』諸星大二郎)は来ないよ」と言って慰める。慰めになってないか。
 寄せては返すワカメを見ながらオムソバ食うってのも風情があるんだかないんだか。

 放生会には毎年古本市も出る。
 これがまた意外に掘り出し物もあるので、ついいつも買い込んでしまうのだが、しげは縁日と古本市の結びつきがピンと来ないらしく、入りたがらない。
 仕方なく、一人でさっと見回る。丹念に見るヒマはなかったが、偶然、私にとってはまさしく正真正銘の出物を発見。

 朝日新聞福岡総局編『博多の心』(葦書房)。昭和51年発行で、もうとうに絶版になってるのだが、この本の「最後の職人」の項に、亡くなった祖父が取り上げられているのだ。
 祖父は沈金師というちょっと珍しい仕事の職人だったのだが、もう10年以上前に亡くなった。この本が出たころには、沈金の仕事が激減して、本気で生活に苦労していたころだった。確か、父が密かに資金援助もしていたはずである。この本は、基本的に今に残る職人の仕事を記録する目的で編まれたものだったが、その「廃れていく」雰囲気がこの本の文章にもそれとなく匂っている。平成不況どころか、職人の不景気はもう20年以上も続いている。
 というのも、祖父の「沈金」という職業、耳慣れない人も多かろうが、漆器に彫刻して、その刻み目に金箔を埋めた沈金細工を作るのだが、これが祖父の晩年のころには全くと言っていいほど売れなくなっていたのだ。要するに、世間の人間の判断は「そんな贅沢品は要らない」ということだったのだ。贅沢品と言ってもあくまで工芸品で、使われることを目的としているから、当時でも何千円もするものではなかった。しかしやはり売れない。質が悪かろうが、極端に安いものしか買わない。博多の人間は戦後、「粋」という感覚を確実に失っていったのだ。
 跡を継ぐはずだった伯父は生活が出来ずに転職した。
 それでも祖父は沈金一筋で暮らしていたが、やがて脳溢血で寝たきり生活になり、七年経って死んだ。子供のころ、遊びに行くと小遣いを必ずくれた祖父だったが、見舞いに行くと、私の顔を見た途端、必ず声にならない声をあげて泣いていた。言葉はもう出せなかったのだ。
 父が祖父の散髪をするために、私に祖父の頭を持つように言ったが、その頭はすごく軽かった。軽すぎてかえってバランスが崩れそうだった。耳毛が伸びていて、それも白髪だったが、父はそれも耳を傷つけないように丹念に切っていた。今の父なら手が震えてそう上手くは切れないだろう。あれが私と父の最後の親孝行、祖父孝行だった。
 晩年の祖父が少しでも幸福だったと言えるのは、福岡市が祖父の功績を称えて名誉市民みたいなもの(正式名称は忘れた)にしてくれたことである。別に私たちの一族は誰も市に働きかけなどしていない。もう祖父は動けなくなっていたから、そのことをどこからか聞き知った市の温情だったのかもしれない。
 福岡はおろか、九州では唯一の、そして最後の沈金師だった祖父の仕事は、もはや博多のほとんどの人が忘れ去っている。たまに祖父や伯父の作った沈金細工を老舗の料理屋の器などで見かけることがあるが、それもいずれは失われていくだろう。
 私は祖父の晩年の作品を一点だけ持っている。高校入学のときだったか、記念に貰ったものだ。湖水で釣りする老人がわずかな線で掘られている。初め私は「獏」の絵を依頼したが、もうそのころには大作を作れる体力は祖父にはなかった。それでも脇辞に「綜藝綜智(しゅげいしゅち)」と彫ってくれた。
 それが今でも私の座右の銘となっている。

 『博多の心』は父も持っていたが、自分でも持っていたかったので買った。元値は980円だが、600円。絶版本でもそう高値にはなっていないが、せいぜい20年ほど前の本ならこんなものだろう。しかし、ここに載せられているほかの職人さんたちも、今やほとんどが故人。博多の心は着実に消えていっている。
 新生姜を買って(これも放生会の名物)、父の店に届ける。
 そのとき、『博多の心』も見せる。
 父、「よう(こんな珍しいものが)あったな」と驚きながらも喜んで、姉や、丁度遊びに来ていた姉の娘さんのあっちゃんに写真を見せる。本には祖父の作品、松に鷹の絵を彫った堂々たる大作が載っているが、あっちゃん、目を丸くして「すごーい!」と叫ぶ。ここに写真を紹介できないのは残念だが、若い子が見ても一発でその凄さが分るほどの堂々たる芸術作品であったのだ。考えてみればそんなものを二束三文で卸していたのだから、祖父も随分欲が無かった、というより高い金は取れない、というのが矜持でもあったのだろう。

 知り合いの本屋に寄って新刊マンガをいくつか物色。
 丁度そのとき、日朝国交交渉終了のニュースが店先のテレビから流れてきた(ここのおじさん、いつもテレビを見ているのである)。
 覚悟はしていたろうが、拉致されたご家族の悲しみはいかばかりであったか。

 マルキョウに寄って買い物。
 ずっと探していたかき氷のシロップをようやく発見。「ブルーハワイ」を見つけてしげ、狂喜。「イチゴが無いのは残念だけど」。ついこの間まで「イチゴは嫌い」とか言ってなかったか。無いとなると別に欲しくなかったものまで欲しがるようになるのだから、やっぱりしげの根本的な性格はジャイアンである。


 さて、8人の犠牲者が判明した日朝国交交渉だが、単純に考えれば、洗脳に成功した人間が生き残り、抵抗した者が殺された、というのが真実に近いだろう。「病死」なわけがあるかい。
 洗脳されたフリでもして、なんとか生き延びられなかったものか、と思わないでもないが、そうそう人は自分を偽れないものだ。私だって、当時、拉致られて金日成に忠誠を誓え、なんて言われたら、やっぱ抵抗するだろうし。これは日本に対する愛国心があるというわけではなく、力でもって服従されることに強い拒否感があるからだ。もっとも、拷問されたらその場凌ぎで「キムイルソン、マンセー!」とか叫んじゃいそうだ(-_-;)。
 北朝鮮がこれだけ真実を認め、素直に謝罪したというのは、日本が初めて強行外交に出たからというよりは、アメリカの後押しがあったからこそってことは間違いないことなんで、あまり嬉しくもない。だからって、その理屈で、ブッシュの今の強行姿勢を支持したくもないんだが、やっぱり国際社会もヤクザに対しちゃヤクザで対抗しなきゃダメってことなんでしょうかね。一歩間違えば北朝鮮だって窮鼠猫を噛むで、ヤケな行動に出る危険が今でもあるってことは、こないだの不審船騒動でも分かってることだと思うんだが。金正日が本当に統制力を持ってるなら、こんな訪朝直前の騒動は起こらなかったはずなんだけどね。
 ともあれ、日本人は北朝鮮を責める口実を手に入れてしまった。いくら北朝鮮の人が侵略戦争がどうの、と言いだしても、反駁する材料が公然と与えられたのである。図に乗って、在日の人たちに罵声を投げかけたり、差別的な行動に出るバカ日本人がまた大挙して出そうな気配がして、民間レベルではそっちの方がずっと心配なのだが。


 マンガ、野中英次『魁!! クロマティ高校』5巻 ―天使編― (講談社/マガジンKC・410円)。
 大事件が起こってるってときにまたこんな本を(^_^;)。
 既にもうヤンキーギャグじゃないよな、と思いつつ、いきなり「北斗軍団」(全国制圧を狙うって、やっぱモトネタ『男組』なんですかね)という初期設定が復活してきて当惑したけれど、軍団分裂の話をしているはずがなぜか焼肉を誰が焼くかの話にスライドして、やっぱり全然ヤンキーマンガにはならないのだった(^_^;)。
 でも焼肉焼いてるそばから食ってくヤツってやっぱりいるよな。そのクセ、「アンタ、ちゃんと食べてる?」とか言うんだよ。
 「オマエに全部食われたよ(`‐´≠)」。

2001年09月17日(月) 祝日には旗を。私は出さんが/『クラダルマ』1・2巻(柴田昌弘)ほか
2000年09月17日(日) クウガと絶叫としゃぶしゃぶと/『少年探偵虹北恭助の冒険』(はやみねかおる)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)