無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年08月31日(日) 充実の休日。シャレかい/映画『乱れからくり』/『チキンパーティー』1巻(金田一蓮十郎)/『よつばと!』1巻(あずまきよひこ)ほか

 連休最後の日なんで、朝からテレビに張りつき。全部感想書いてたら、枚数がいくらあっても足りないので、ごくサワリだけを。


 アニメ『鉄腕アトム』21話「湖の怪物」。
 環境破壊の調査のために、恐竜が住むという伝説のあるドラゴンレイクを訪れた夕子とアトム。そこで二人は森林管理員のサラと出会うが、実はサラこそが金儲けのために不法投棄を重ねていた犯人だった。
 一方、アトムは、湖を調査中、恐竜を探し求める青年、沼田と知り合う。彼は冒険家である父の遺志を継いで、このドラゴンレイクにやって来ていたのだった。そこにやってきたサラの操る巨大ロボット。夕子を人質に取られ、アトムはどうすれば……。
 ありきたり過ぎる展開で、なんか話題にするのもなあ、という気がしてくる。サラが3人組のグループで「やっておしまい!」ってセリフを口にするのもちょっとねえ。


 日本映画専門チャンネル『乱れからくり』。
 泡坂妻夫の日本推理作家協会賞受賞作を映画化、作者本人も冒頭に焼鳥屋のオヤジで出演という、当時のミステリファンが待ちに待った作品だったんだけれど、原作を下手に改変したおかげで、グタグタの駄作になってしまった悲しい一作。まあ、一応ネタバラシはしないけどよう、あのネタはミステリじゃ「やっちゃいけない」禁じ手なのは常識なんだぞう。古典的なロマン小説、時代モノとかにはよく使われてたけど、現代ミステリでアレやったのって、横溝正史の少年モノくらいのもんだ。
 主演の松田優作が「こんな映画やってられるか!」と台本をひっちゃぶいて、脚本家に謝ったってやつがこれ。でも松田優作正しいよな。
 まあ劇場で見たときはまだ私も若かったら、今見りゃ少しはいいとこ見つけられるかと思ったけど、なんだかテレビ的で安っぽい繋ぎのカットや、安易なドラマ展開にますますダレちゃったのだった。


 チャンネルNECO『ちゃっきり金太』『続ちゃっきり金太』。
 山本嘉次郎監督による1937(昭和12)年製作の『エノケンのちゃっきり金太』(本作同様前後編だが、現在は総集編しか残っていない。助監督が黒澤明!)を三木のり平でリメイク、ということになってるけれども、ミステリファンならご存知の通り、これは『快傑ゾロ』の作者、ジョンストン・マッカレーの『地下鉄サム』シリーズを下敷きにしている。スリのサムが金太で、クラドック刑事が岡っ引きの倉吉に置き換えられている。
 榎本健一&中村是好のコンビを、三木のり平&有島一郎が演じているわけだが、エノケンのあとがまに起用された当時の三木のり平の「位置」がわかって面白くはあるけれど、まあ、エノケンほどの軽妙さがないのは如何ともしがたい。走りが違いすぎるし、のり平さんが歌を殆ど歌わないのもどうもね。声質がどうにも重いのである。後に森繁喜劇のワキに回ってしまうのも、主演作に恵まれなかったせいもあるのだろう。


 『ぬかものがたり』『お伊勢参り』『恋の羊が海いっぱい』。
 珍しい広告映画三本立て。最初の2本は『冗談音楽』の三木鶏郎グループ(三木鶏郎・丹下キヨ子・三木のり平・小野田勇)がナレーションを担当している。と言っても知ってる人少なくなったろうなあ。「ワ・ワ・ワ、ワが三つ」「明るいナショナル」「キリンレモン」他、数々のCMソングを作った人、と言えば若い人でも少しは見当がつきましょうか。三木のり平がブタの声当てをしているのには笑っちゃいました。
 三本目は羊毛のCM映画だが、歌の作詞が寺山修司で、歌手がペギー葉山。よくもまあ、こういう珍品を探し出してきて放送してくれたものと感心。
 ついでだけど、9/18に東芝EMIからCD『エノケン ミーツ トリロー ENOKEN MEETS TORIRO』が発売されるぞ。みんな買え。


 『忘れ得ぬ人』『夜霧に消えたチャコ』。1時間もののミニ映画。『忘れ得ぬ人』は「第1部」とあったから、てっきり2本目が続編かと思ったら何の関係もなかった。筑波久子はあまり好みではない。


 『LAST SCENE』。
 『リング』シリーズの中田秀夫監督による、昭和30年代と現代の、両方の映画界の内幕を描くロマン映画。ホラーではありません(^o^)。
 
 日本映画の黄金期、俳優、三原健(西島秀俊)はスターとして活躍していた。だが、青春映画の相手役としてコンビを組んでいた女優・吉野恵子(麻生祐未)の引退後、彼は会社から見限られ始める。「映画の時代は終わるのよ」。かつて愛人関係にあった恵子の別れ際の言葉が、三原の胸に突き刺さる。荒れる彼を更に直撃する妻、千鶴(若村麻由美 )の不慮の死。彼は酒に溺れ仕事を失い、人々から忘れ去られていった。
 35年の後、今やテレビの劇場版映画しか撮られなくなった撮影所に働く小道具係のミオ(麻生久美子)の前に、年老いた三原建(ジョニー吉長)が現れる。ほんの端役であったが、彼はまさに命がけの演技をミオに見せようとしていた……。

 映画を愛する中田監督の思いがヒシと伝わってくるような映画。年老いた三原を演じるジョニー吉長さんが絶品。これで役者が本業じゃないんだから参っちゃうよね。

 
 マンガ、金田一蓮十郎『チキンパーティー』1巻(秋田書店/プリンセス・コミックス・410円)。
 昔、マンガの単行本には必ず著者近影ってのが載っていて、赤塚不二夫はバカボンパパのコスプレなんかしてたものだったが、最近は自画像描いても写真をナマで載っける人は随分少なくなった。女性のマンガ家さんとなると昔から殆ど写真を載せない。で、描かれる自画像が誰も彼もメガネ掛けた丸顔だったりするから、区別つかないのね(^_^;)。
 金田一さんは珍しくも写真を載せ続けているが、いったい何でだろうと疑問に思っていたのだけれど(ペンネームが男名前なので女であることを主張するためかとも思ったが)、折り返しのコメントに「私はえらいポジティブシンキンです」と書いてあるのを見て、ああ、これかいな、と何となく納得した。勝手な憶測も入ってるけど、金田一さん、自画像なんかで自分を隠したり美化して見せたりするのがイヤだったんじゃなかろうか。読者だって、別にマンガ家さんのプライバシーを何もかも知りたいわけではないけれど、妙に隠されちゃうと、こいつもしかして後ろぐらいことやっとんちゃうかとか勘繰りたくもなるのである。露出を嫌うのもほどほどにしといてもらわないとねえ。

 また悪いクセで本のナカミとたいして関係ない話をしてしまったけど、別に内容を説明したくないわけではないよ。それどころか全く逆で、久々に大笑いが特盛のギャグマンガである。掲載誌は『月刊プリンセス』だそうだけど、こういう毒のあるマンガを読んで今の女の子は育っていくのだねえ(^o^)。
 一人暮らしの女子中学生、吉田毬央のマンションに突然押しかけてきた「トリ」。『オバQ』以来の「ヘンなやつの押しかけ居候」パターンではあるけれど、こいつのハタ迷惑さは尋常ではない。いやさ、普通こういう「押しかけ」パターンには「きっかけ」ってものがあるじゃないの。卵を拾ったとか地球の運命を賭けた鬼ごっこに勝ったとか。
 それが何にもないのである。
 「君が淋しそうだったから来てあげたよ!」
 惹句に「ウルトラポジティブシンキン」とあるが、単に勘違いなお節介野郎だ。つか、なんで「トリ」? 着ぐるみ着てるのか、それとも……。
 ともかく「地には平和を人には愛を」がモットーのこのトリさんが、毬央ばかりでなく、ご近所さんを巻きこんで、余計なお世話をしまくるのがこのお話。
 デパートの屋上から飛び降り自殺しかけたOLのお姉さんに、トリさんがかけた言葉が以下。
 「死んじゃうことに逃げ道を見ないで、もっと楽しいことに目を向けようよ! たとえばお家でマンガ描いたり気になる声優のCDを聴いて一人照れながら微妙な気分になりつつもほくそ笑むとか…どう? いや〜面白いよ声優。なんかクセになるからね! みやむーとか」
 どうと言われても、トリでオタクなんである。みんな次の瞬間に、こいつに殺意抱くだけじゃなかろか(まあ私はみやむーは好きですが)。ああ、愛は地球を救わない(^o^)。
 トリさんはすっかりご近所のウワサの的。おかげで毬央の部屋は、殴られ蹴られたトリさんの血飛沫で染みだらけ♪ もちろん殴っているのは毬央である(^o^)。
 しかし金田一さん、絵が上手くなったなあ。『ポンキッキーズ』か『セサミストリート』のキャラかと思うようなトリさんと、普通の女の子である毬央たちのキャラが自然に一つの画面で馴染んでいるのである。今時のマンガの一つの完成形って気すらする。『ハレグゥ』も随分キレイなアニメになったけれど、これもアニメ化することにでもなったら、アニメーターの技量が試されるな。単純そうな線に見えるけれど、単純だからこそ、ほんのちょっとした「歪み」が大なしになりかねないのである。
 いや、ホントにアニメにしてほしいぞ。でもって、トリさんの声は山口勝平か岩田光央がやってくれないものか。このお二人なら、思いきりぐーで殴りたくなるトリさんを心地よく演じてくださると思うのだが。


 マンガ、あずまきよひこ『よつばと!』1巻(メディアワークス/電撃コミックス・630円)。
 『あずまんが大王』のあずまさんの、4コマではない本格的ストーリーマンガ。一応、シチュエーションコメディにするつもりなのかな?

 新しく引っ越してきた小岩井さんちには、ちょっとヘンな、小さい女の子が一人いた。その名も「よつば」(「その名も」なんて言うほどではないな)。見るもの聞くものが初めてで、ブランコに乗って大ジャンプはするし、電柱に昇ってセミのマネはするし、クーラーを地球の敵と思い込むし(地球を温暖化してしまうからである)。いったいどんな環境で育ってきたのやら。
 お隣さんの綾瀬三姉妹、あさぎ、風香、恵那はいきなりよつばに振り回されて右往左往するけれど、真っ直ぐで衒いのないよつばのかわいらしさにどんどん惹かれていく。

 『あずまんが』もそうだったけれど、マンガマンガしたキャラで、誇張だって当然あるけれど、なぜかすごく身近に感じるのは、作者のあずまさんにキャラ造詣に関する一家言があるからだろう。
 あずまさんのHP『A−ZONE』に、そのへんの「思い」が語られてるので、ちょっと引用しよう。

 あずまんが大王の時もそうですが、私はいわゆる「○○系」といった型にはまったキャラメイキングはしたくありませんでした。そういう作り方をすることでその「系」が好きな人達がとっつきやすくなるというのはあると思うのですが、そういうキャラってなんか人形っぽくて嫌なんです。読んだ人が後で分類するのはいいですが、作るほうが分類で作っちゃキャラは生きてこないと思う。大阪はいわゆる「天然ボケ系」にカテゴライズされるんでしょうが、天然ボケ少女として描いていたキャラではありません。
 「よつばと!」はその辺を受けつつ、例えて言えば少し化学調味料を減らしてみた感じです。あずまんが大王とは違う調理法に色々とまどったりしていますが、必ずおいしいものを作ろうと思います。


 なんだか泣ける言葉だなあ。つか、あかほりさとる当たりに聞かせてやりたいぞ。
 『よつばと!』にだって、パターンに則ったキャラ造型はされてはいる。「三姉妹」って設定だって、これまでどれだけ描かれてきたことか。けれどあさぎはウルドでもかすみでもないし、風香はベルダンディでもなびきでもないし、恵那はスクルドでもあかねでもない。似て非なる造型が施されていることは誰でも気づくだろうが、さてそれがどんなのかと言われるとうまく言葉では説明できないところにリアルさがあるんである。説明になってないな(^_^;)。
 まあ、さりげないけど、風香が自転車停めるときに「よ」って声出すあたりとか。とーちゃんがバンツ頭にかぶって「パンツマーン!!」って叫ぶとことか。そういうのってありそうな気がしませんか? こういう「表現」が描けることが、このマンガを「強く」してると思うんである。
 リアルだけれども理想。「無敵」なよつばちゃんは、読者にとって一番、「隣にいてほしい」女の子なのではなかろうか。

2001年08月31日(金) おたくはセールス電話、おおくありませんか?/DVD『スペースカウボーイ 特別編』ほか
2000年08月31日(木) 耳掻きしてたら血が出た……/『心理試験』(江戸川乱歩)ほか


2003年08月30日(土) ネットではみんな「役者」だ/DVD『恋人よ帰れ!わが胸に』/映画『ゲロッパ!』

 気がついたらヒグラシが鳴いているのである。つい一週間ほど前に夏が始まったって感じなのにもう残暑か。この分だと秋がなくていきなり冬になっちゃわないかな。あるいは暖冬か。年に一回くらいは雪を見たいと思うんだけれど。


 ビリー・ワイルダーボックスから、DVD『恋人よ帰れ!わが胸に』。
 ワイルダーも昔から全作見てやろうと思いながら、未見だったものの一つ。
 ワイルダー作品の中では比較的評価が低いが、それはまあ、ワイルダーにしては、と思って見るからであって、単独で見たらそう悪い出来ではない。なんと言っても、ワイルダーの晩年の作品の中ではほぼ唯一と言ってよいオリジナル脚本(I.A.L.ダイアモンド共同脚本)作品なのである。よかれあしかれシニカルな「ワイルダーらしさ」の横溢した佳作であることは間違いない。
 『七年目の浮気』で起用する予定だったウォルター・マッソー(まだ新人だったマッソーをMGMが嫌った)がようやく出演、ここに初めてジャック・レモンとの名コンビが誕生する。このマッソーのアカデミー助演男優賞演技を見るだけでも充分楽しめる。
 こういう有名な作品の筋を紹介するのは気が引けるのだが、まあ私にとっては初見だからってことでご容赦。

 フットボールの試合中、事故で黒人選手のジャクソン(ロン・リッチ)にタックルされて脳震盪を起こしたテレビカメラマンのハリー(レモン)。義兄で悪徳弁護士のウィリー(マッソー)は、ハリーの脊椎が子供のころ屋根から落ちたのがもとで損傷していることを利用して、チームから莫大な損害賠償を騙し取ろうと目論む。根が善人なハリーはいったんは断るが、別れた女房サンディー(ジュディ・ウェスト)が心配して飛んで来ると知って、ついウィリーの計画に乗ってしまう。ところが罪の意識に苛まれて献身的に看病に日参するジャクソンの姿を見て、ハリーは自分のほうが罪悪感に悩まされる羽目に……。

 タイトルの「恋人よ帰れ〜」は一応レモンの気持ちを表現したものだろうけれども、本編のイメージには合わない。だいたい別れた女房を「恋人」とは呼ばんだろう。原題は“The Fortune Cookie”。お御籤入りの中華せんべいのことである。入院中のレモンのところに運ばれた中華ランチの中に、フォーチュンクッキーならぬ医者の眼を誤魔化すためのクスリの注射器が入っているというシーンがある。運命はどう転がるか、といった暗喩だろう。
 全体が16章の構成になっていて、各章の初めにいちいちタイトルが出るのだが、これがなかなか人を食っていて面白いものが多い。

 1.The Accident(不慮の事故)
 2.The Brother-in-law(義理の兄)
 3.The Caper(悪だくみ)
 4.The Legal Eagles(すご腕弁護士)
 5.The Chinese Lunch(中華ランチ)
 6.The Snake Pit(蛇の穴)
 7.The Gemini Plan(ジェミニ計画)
 8.The Torch(愛の聖火)
 9.The Goldfish Bowl(注目の的)
 10.The Return of Tinker Bell(ティンカー・ベルのご帰還)
 11.The Longest Night(一番長い夜)
 12.The Other Blonde(もう一人の金髪)
 13.The Indian Giver(分け前に群がる人々)
 14.The Taste of Money(金の味)
 15.The Better Mousetrap(巧妙なネズミ取り)
 16.The Final Score(最終結果)

 最初はごく普通に見えるけど、5章なんかいきなり「中華ランチ」である。いや、そりゃ確かに中華ランチは出てくるけれども。
 7章の「ジェミニ計画」って何を大層なタイトル、と思ったら、レモンを監視する探偵が“二人”体制を取るってだけのことだった。
 9章の“The Goldfish Bowl”はもちろん「金魚ばち」のことで、探偵に監視されてるレモンの自宅マンションの部屋のこと。まあ確かに金魚ばちはいつまで見ててても飽きない。たいした変化はないのにね。
 12章の「もう一人の金髪」、なんか謎の女の登場かと思ったら、ただのチョイ役で話の本筋とは何の関係もない。こういうタイトルのつけ方するあたりが人を食ってるというのである。
 13章の“Indian giver”、最近の英語事情には(もちろん昔のにも)詳しくないけど、この「インディアンの贈り主」、差別語には引っかかってないのかな。アメリカの俗語で「贈った物をあとで取返す人」「返礼を期待して贈り物をする人」という意味があるそうである。なんか聞いたことあるなあと思ったらアレだ、かんべむさしの『ポトラッチ戦史』。
 ※「ポトラッチ」(potlatch)〔チヌーク語で「贈与」の意〕北太平洋沿岸の北米インディアンにみられる贈答の儀式。地位や財力を誇示するために、ある者が気前のよさを最大限に発揮して高価な贈り物をすると、贈られた者はさらにそれを上回る贈り物で返礼し互いに応酬を繰り返す。(大辞林第二版)
 劇中では、ジュディ・ウェストがいけしゃあしゃあとレモンに近づくのを皮肉ってますね。

 このペテンが最後にどうなるかってオチが今一つスッキリしないところがドラマとしては恨みはあるんだけれども、必ずしもハッピーエンドにしないところがワイルダーらしいと言えば言えるのかな。


 夕方、しげとよしひと嬢と博多駅で待ち合わせる。先週は前売券をウチに置き忘れてしまったが、今日はちゃんと持ってきていた。よしひと嬢の分はポイントカードが溜まっていたのでタダ。
 開演時間まで時間があるので、オムライスの専門店で食事しながら駄弁り。

 いよいよ公演が近づいているのだが、練習の方、なんだか煮詰まっているようで、よしひと嬢が愚痴ること(^_^;)。
 芝居作ってるときに、段取り通りに行くってことはまずない。たいてい何かのアクシデントが起きる。いや、不慮の事態ならばともかくも、誰か一人でも「やる気あんのかテメエ」といった態度を取るヤツがいると、空気が殺伐としちゃうんである。誰とは言わんが穂稀嬢のことな(^o^)。
 話によれば、演技がうまくいかないと、すぐに「そんなのできませーん」とか駄々をコネちゃうらしい。……わしゃそんなに演技し難いようなムズカシイ脚本書いたっけ。(^・^;) ?
 穂稀嬢がもともと不器用で無知でワガママのはわかってんだから、それを前提にして使うってのも演出の一つなんだがなあ。「そんなことないよできるよ!」って類のハゲマシは、「今はできてない」って責めることになっちゃうから禁句。下手でも「いいねえ、今の。もう一回やってみようか?」と聞いてやらせてみる。するとまず十中八九前の演技と違ってくる。どう違ったかそこで自覚させると伸びる。そういう手もあるのだ。
 でも本番になると役者ってものは意外に何とかなるものである。それに台本渡した以上は、作者ってのはもうそれをどう弄くられようが文句を言っちゃなんないものだ。
 仮に穂稀嬢の演技が眼も当てられないものだったとしても、演出次第ではそれが芝居として成立してしまうのが舞台の不思議なのである。

 よしひと嬢の言動については、日記でも結構突っ込んだところまで書いてるので、気にしちゃいないか、もしかしてかなり立腹されたりしてはいないかと思っていたのだが、「何でも書いていいですよ」とありがたい言葉を頂いてホッとする。
 実のところ、ネットにおいてその人のことを誉めたか貶したかってのは、受け手はあまり忖度する材料にはしていないものだ。感想も批評もそれは書き手の勝手であって、受け手が見ているのはあくまで紹介したその人のナマの思想なのである(そのことに気づいていない受け手も多いみたいだけれど)。その点で言えば、よしひと嬢の思想・信条については、かなりヤバいところまで私は紹介してしまっている。それを知ってなお「いくらでも」と仰る彼女の度胸には、素直に感嘆しているのだ。
 もちろん、彼女のキモが座っているのは、もともと「役者」だからなんであって、普通の人にそれを要求することは、本来酷なことである。私も誰彼ナシに人のコトを突っ込んで書いているいるわけではない。
 でも、ネットってのがこれだけ開かれていれば、参加者は勢い自分もまた大舞台に立たされていることをホントは自覚してないとマズいのではないか。自分の言動がどんな批判をどこから受けるかも覚悟しなくちゃならない。簡単に怒っちゃう人ってのは、そもそもネットに向いちゃいないよなあ、と思うんだが、そういう人々をも広く包含して、ネットは日々ぐちゃぐちゃのどろどろのへねもねのブラウン運動を見せ続けている。
 「要するにネットに参加してるってだけで、バカなんだよ」
 職業上、ネットが必要な人が多数いることも承知の上で、あえてそんな言葉を口にしたが、実際にそう思わないではいられない。例えば、学校や病院など、各種施設のホームページだが、堂々と掲示板を載っけてるところが多い。アレ、荒らされる覚悟でやってんのかな、と思う。どこぞの学校で事件が起こったときに、非難の書きこみが殺到して閉鎖になった、なんて話をよく聞くが、自校の宣伝のためにホームページ立ち上げたんなら、そこでそういうみっともない対応をしたらますます評判が落ちるだろう。最初から掲示板なんか用意しないか、メールフォーム作るだけにしときゃよいのだ。
 この「バカ」ってのには当然、私自身も含まれてるので(と何度もハッキリ書いてるのに、それを読めねえバカが多いんだ)、全く何でこんな芸のないホームページを作ってんだと思っちゃいるんだが、成り行きというものはどうにもこうにも仕方ないと言うか、まあそういうものなんである。
 ウチもささやかな掲示板を設置しとりますが、荒らしさんにも誠実な対応をさせていただいとります。宣伝以外は問答無用で削除したりはしませんので、まあ文句も悪口もご遠慮なくどうぞ。
 

 『GAMERS』を回って、新刊のコミックスを物色、そのあとシネリーブル博多駅にて、映画『ゲロッパ!』。
 「つまらない映画を撮ることが許されない男」というのがCS日本映画チャンネルでの井筒和幸監督のキャッチフレーズになってるが、実際に批判されながらもそれなりの佳作を作ってきてるんだから、立派なもんじゃないかね。
 だいたいこの映画、好みという点から言えば全然好みじゃないのである。
 主人公ヤクザだし、演じてるの西田敏行だし、話は親子の和解モノで「また『父帰る』かよ」だし、出て来るキャラみんなバカばっかだし、とりあえず歌うシーンがあるらしい、くらいしか興味を引くところがない。
 ところが見ている間これが全然飽きないのだね。

 収監を数日後に控えて、羽原組組長の羽原大介(西田敏行)は、25年前に生き別れになったままの娘、かおり(常盤貴子)に一目会おうと決心する。
 新幹線の中で、羽原と舎弟の金山正男(岸辺一徳。名前はもちろんあの方から取ってるんでしょうね)が、昔話にジェームズ・ブラウンのコンサートを思い出して、いきなり『イッツ・ア・マンズ・ワールド』を二人で踊り出すのがおかしい。しかもそこに雪崩れるように芸能人そっくりショーの役者さんたち、森進一やらマリリン・モンローやら双子の美空ひばり(^o^)なんかが押し寄せてくるのである。このへんなんかはマルクス兄弟的感覚ですな。
 で、そのプロダクションの社長やってるのが実は羽原の娘のかおりで、それと知らずに二人はすれ違っているのだ。このあたりの演出は『君の名は』なみの古い演出だが、物語のセオリーをキチッと抑えているということでもある。そのセオリーをこういう雑然とした状況で描いちゃうのが大阪人の感覚なんだねえ。「キレイなねーちゃんやなあ」と羽原が身もだえするのがコッテコテなんだけれど、ああ、これが伏線になってんだな、ということが見えるので、決して鼻につく感じにはならないのだ。
 羽原組も解散する、と思い出の金のJB像も金山に渡してしまう羽原。金山は何としても羽原に元気を取り戻してもらい組の解散を食い止めようと、子分の太郎(山本太郎)、晴彦(桐谷健太)、健二(吉田康平)たちにトンデモナイ計画を命令する。
 「おまえら今すぐ、ジェームス・ブラウン、攫いに行って来い!」
 JBが誰か分らない子分に、金山が『セックス・マシーン』を踊ってみせるのだが、さすがはサリー、実に腰が決まっているのである。もちろんそんなことしたってJBが何者か子分たちに分るはずもないのだが(^o^)。

 これからあとの展開はかなりネタバレに引っかかるので省略。
 一つ二つ、付け加えておくと、西田敏行が舞台で『セックスマシーン』を歌うことになるまでの展開が自然で「よく出来てるよなあ」と思わせる。
 ラサール石井扮する政務秘書官が暗躍する設定は、オチをつけるためには必要だったということはわかるのだが、やや不自然だった。でもこれとても、ムリヤリハッピーエンドにしたおかげで『父帰る』モノに特有の「お涙頂戴」の辛気臭さが消えて、バカバカしさの方が優先される結果になったのだから、必ずしも欠点とは言いがたいのである。やっぱ最後がキャスト全員登場のミュージカルで終わるってのがいいやな。
 長塚圭史、ウィリー・レイナー、塩見三省、根岸季衣、篠井英介、寺島しのぶ、小宮孝泰、徳井優、トータス松本、岡村隆史、益岡徹、藤山直美といった脇の役者も、みんないい味を出している。
 かおりの娘、歩(太田琴音)のこまっしゃくれたかわいらしさは近年の子役の中でも特筆すべき名演ではなかろうか。アンタ、初出演でこれだけ堂々と西田敏行と渡り合えるって、こりゃスゴイことですよ。
 パンフレットが懐かしのLP仕様なのもGOOD。

 外に出ると、雲間に稲光が走るのが見えた。よしひと嬢、「あんなはっきりした稲妻見たの久しぶり」と喜んでいる。実際、まさに龍が走ったように見えたのである。昔の人が龍神を雷から創造したのもムベなるかな。
 でも、いくら待っても音もせず、雨が降る気配がないのは、よほど遠方なのだったのだろう。


 帰宅して、よしひと嬢にDVD『パパ・センプリチータ』を見せるが、よほど疲れていたのか、途中で就寝。なんか毎回DVD見せてばかりだが、若い人が砂が水を吸うように面白いものを吸収していく様子を見るのは嬉しいものなんである。出来るだけ面白いと思ってもらえるものを選んでるつもりなので、多少は「ムリヤリ見せてる」感があったとしても、ご勘弁いただきたいのである。

2001年08月30日(木) 性教育マンガ(* ̄∇ ̄*)/『フリクリ』2巻(GAINAX・ウエダハジメ)ほか
2000年08月30日(水) ○○につける薬がほしい……/映画『蝶々失踪事件』ほか


2003年08月29日(金) 戦慄の3時間/舞台『放浪記』/『新暗行御史』第六巻(尹仁完原作・梁慶一)

 昼からしげと博多座へ、舞台『放浪記』初日を観劇に行く。
 どこかで先に食事をしておこうかと思ったけれど、せっかくだから博多座の弁当を食べることにする。ちょっとお高いんだけれど、幕の内なら品数は多いし、栄養のバランスは悪くないんである。
 けれどしげ、せっかく買ったのにおかずをいくつかつまんでみて「辛い」と言って残してしまう。そりゃ酢のものなんかが苦手ってのはわかるけど、そんなに辛いものばかりではない。エビを残したりしてるのは、単に殻を剥くのが面倒臭いからだ。戦前の人が見たら怒るぞ。殻を剥いてやって差し出したら、案の定パクリと食べた。
 弁当は何種類も売ってたので「他のの方がよかったかなあ」と食べ終わったあとでも物欲しげ。まあ今度は『レ・ミゼラブル』が来るみたいだから、そのときの楽しみにしておいてな。


 林芙美子原作、菊田一夫脚本、三木のり平潤色・演出、本間忠良演出補『放浪記』。
 今回パンフレットを読んで、初めて初演時のもとの脚本が5〜6時間もの大作であったことを知る。それを三木のり平が2時間強にまでカットし、にも関わらずダイジェストに思わせない重厚な舞台を作り上げていたのである。物故した三木さんの名前が未だに掲げられているのは、そのバージョンの再演のため。
 
 芝居を見ていて「戦慄する」ということがある。
 上手いなあ、とか、凄いなあ、というより、「これは人間技か」と言ったような感覚なのだが、特にその人が舞台の上で飛んだり撥ねたりウルトラCの体操技(古いね)を見せるというわけではない。
 ごく自然な、日常のさりげない動きなのだが、実は演技をしているわけでもない普通の人間の日常の仕草の方がぎこちなかったりすることは往々にしてある。「自然な演技」を衒いもなく演じることほど困難なことはないのだ。
 言葉にするのがとても難しいのだが、森光子の演技には、紛れもなく「神」が降りている。
 20年ほど前、昭和58年に、今ほど『放浪記』の公演回数の「記録」が話題になっていなかったころ(森繁久彌の『屋根の上のバイオリン弾き』のほうが記録更新中であったから)、私は東京芸術座で友人と「まだ七百回ほどしか演じられていない」「演出が、亡くなった菊田一夫から三木のり平に代わって2年しか経っていない」舞台を見ている。
 同じ芝居を何百回何千回も繰り返し演じるというのはもちろん並大抵のことでできることではないのだが、役者がそれに倦むことがないというのは、ほんのちょっとした首の動き、指の仕草、0コンマ1ミリの違いであっても、そこに表現されたものが全く違ってくるからだ。年を取るにつけ、演技に円熟味が増すとはよく言われることだが、役者が見聞きし経験したことは1回1回の舞台に確実に反映されていく。老境に入り、からだの動きが鈍くなっていってもそれは続く。
 客もまた、年を追うごとに見るものが違ってくる。ハタチになったばかりのあのころ、ライバルである親友の原稿を出版社に届けるのを遅らせた林芙美子の行為を、私は彼女の言い訳通り、単なる「過失」だと思っていた。全く、若いってことはバカってことと同義語なんだが、もちろん林芙美子の心理はそんな単純なものではない。晩年に至っても、その親友の怒りが溶けても、それでもなお「過失」だと言い訳をし続ける芙美子の心の壁を、あのころの私には思いやることすらできなかったのだ。
 その壁の向こうにある怨念を、今回少しだけ実感できるようになったというのは、それだけ私もその20年分の自分と他人の怨念に触れてきたということの証左なのだろう。

 小鹿番の菊田一夫も、既にモノマネの域を越えている。最終五幕にしか登場しないが、森光子とのやりとりは、林芙美子と菊田一夫もきっとこういう会話をしたのではないかと錯覚させるほどであった。
 舞台の背景に林芙美子の蔵書として『荷風全集』が置いてあったりするのが芸コマ。二階席だったけれど、オペラグラスを持って行ってたので、そこまで確認できました(^o^)。


 マンガ、尹仁完原作・梁慶一作画『新暗行御史』第六巻(小学館/サンデーGXコミックス・580円)。
 なんと韓日合作による劇場アニメ化が決定である。てことは当然全話映像化はムリだから、いくつかの短編を合わせて製作するのかな。
 前巻あたりからまた面白くなってきたけど、これまでのように短編の連作でなくて、一巻かけても終わらない長編にしたおかげで、読み応えが増したってこともあるかな。
 今回の話、「謎」ネタなんであまり詳しいことは書けないのだが、今までで一番「意外性」のあるストーリーじゃないかな。

 文秀(ムンス)は、壊された馬牌を直せるという老人、弥土(ミト)を訪ねて七甲山に赴く。
 そこで出会ったのは、美しい領主の娘、平岡(ピョンガン)。彼女はもうすぐ、山に住む温達(オンダル)という子供のままの心を持った青年と結婚すると言う。しかし弥土は文秀に告げる。「平岡と温達は決して結婚はできぬ」と。
 弥土は、馬牌を新たに作る代わりに、この二人を幸せにしてみせろ、と言う。ただし、山道(サンド)の力を借りず、一人で……。

 筋の紹介はこれくらいが限界かな。ネットを散策したらいくらでもネタバレしてるとこあるけど、未読の方はともかく現物を先に手にして頂くよう、お願いします。
 韓国の民話をもとにすることの多いこのシリーズだけど、これにも原典があるらしい。もちろんそれを下敷きにしているからこそ、韓国の読者はまさか落ちがああなるとは……と意外性もひとしおなのだろう。ああっ、このトリックって、江戸川乱歩の……! まあ偶然の一致でしょうけどね。


 『月刊ガンダムエース』10月号(角川書店・580円)。
 ページをめくると、アムロ・レイと一緒に電車に乗ってる青い服着たきれーなCGのねーちゃんがいるなあ、と思ったら、これがなんと釈由美子。プレイステーション2のゲームソフト『機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙』の広告だったのだ。いや、私の目が悪いってこともあるかもしれないけど、ホントにCGに見えたんだよ。スタイルいいし全体的にツルンとしてるし。
 リアルなCG映像はもう随分見なれてきたけど、実在のアイドルもアニメチックな人が売れてきてるって感じなのかな。「人形のような」とか「絵から抜け出てきたような」って表現は昔からあるけど、そのうち「アニメのような」って形容も生まれるかも。それとももうある?

 『ガンダム THE ORIGIN』、大増56ページ。サイン会で安彦さんに「ページは増えないんですか?」と聞いたファンがいたかららしい。誠実な方だなあ。無理してカラダ壊さなきゃいいんだけど(と昔のファンは未だにテレビシリーズ後半の安彦さん無念のリタイアを思い出して、こんなことを言うのである)。
 嬉しいことに、安彦さんはカラーページも自由に使えるようになったらしい。巻頭と、ランバ・ラルとの決闘と、巻末のアムロ幽閉のシーンと3ヶ所も。これ、単行本になっても全部は再録されないから、やっぱり雑誌を毎月買わなきゃなんないんだよねえ。

2001年08月29日(水) 腹立ち日記/映画『お笑い三人組』ほか
2000年08月29日(火) 後始末は大変そうだな/『ルパン三世総集編』第6集ほか


2003年08月28日(木) 謎の暗号?(^_^;)/DVD『アパートの鍵貸します』/映画『英雄 HERO』

 おっと、昨日の『トリビアの泉』の感想、書き忘れてたな。毎週必ず見てる番組って今んとこアレくらいだし、欠かさず書いとこうと思ってたんだが、書きはじめると必ず長くなるんである。
 原哲夫がふかわりょうの従兄弟だったとは初耳。もちろん両人にインタビューに行ってるのだが、ふかわりょうが子供の頃どれだけ『北斗の拳』のファンだったかをトウトウと語ってる(長すぎてカット)のに比べて、原哲夫が「まあ、そうですね」と「何を言えばいいのか」顔でヒトコトしか口にしないのが笑えた。実はふかわりょうが赤ちゃんの頃に会ったきりで、面識は殆どないそうである。親戚に有名人がいるったって、そんなもんだよなあ、と思わせるあたりがウマイ。ふかわりょうだって有名人なのにねえ。
 しかし、殆どのネタをつまんないと扱き下ろしてるのに(実際、昨日のほかのネタはそれほどでもない)、こういうサベツ的なギャグにだけ受けるというのも、全く業の深いことなのである。


 昨晩、私のパソコンにたったヒトコトだけしげから「ごめんね」のメッセージがあり、キョトンとする。
 しげがこういうワケの分からぬ書き込みをするのは今に始まったことではないのだが、送られた方はもうどう反応してよいのやら困惑するばかりだ。
 ところがしげに言わせれば、「なぜ分からないのか分からない」ということになるのである。私は更に「なぜ分からないのか分からないとなぜ言うのか分からない」と返さねばならないからもう何が何だかである。
 「ごめんね」ってどういうことだろう、まさか「さよなら」ってことか。昨日、藤臣さんのマンガ読んでたもんだから、妄想がどんどん膨らんでいくのである。
 今朝になって、「あれどういう意味?」としげに聞いたら、「ああ、冷蔵庫のアンタの弁当、勝手に食べちゃったから」。
 ……だったらそう書いとけえ!

 
 病院でこないだの診察の結果を確認。摂生したつもりだったけれど、ヘモグロビンA1Cの値は11と最悪。これが下げないことにはなあ。
 「ストレス溜まってませんか?」と主治医に聞かれるが、「さあ」としか答えられない。まあ、仕事上、あまり顔を合わせたくない人もいるこたいるからなあ、「ない」とは答えられないが、かと言ってそれが指の痺れに直結してるかどうかは判断がつかないのである。


 帰宅して、溜まってるDVDを少しでも見て片付けようと、随分前に買ったビリー・ワイルダーボックスの中から『アパートの鍵貸します』を見る。
 これも最初に見たのはいったいいつだったか。多分テレビの吹き替えでだから、完全版ではないだろう。となれば今回の鑑賞が実質上の初見。映画ファンのフリをしていても、この程度のものである。
 もっとも、テレビ放映版と比べてどこがどうカットされてるかなんてのはもうよくわからない。同じボックスの中で、吹き替え版を同時収録しているのは『お熱いのがお好き』だけで、これには吹き替えは付いていないのである。
 映画はもう下手な解説はしたくない傑作。昔はシャーリー・マクレーンがイマイチかわいくないとか思ってたんだけど、そんなことはないな。ツンとして見えてもちゃんと初めからジャック・レモンへの行為は持っている。愛人生活に振り回されてて、自分の心がレモンに癒されていることにきがつくのに時間が掛かっているだけなのだ。
 しげに「見たことある?」と聞いてみたら、「ある」という。しげはコメディ好きではあるけれど、この『アパート』はやや毛色が違う。一応最後はハッピーエンドではあるが、全体的にはサラリーマンの出世主義を背景に、オトナのすれ違う恋心を苦くて渋〜いムードで描いている。しげもよくこんなの見ていたな、と思ったら、昔、『小堺一機のアパートの鍵貸します』ってのが放映されてて、その流れで見てみたのだそうな。私ゃその『小堺一機』の存在の方を知らなかった。しげにそう言ったら、目を吊り上げて、
 「なん、俺がウソついてると思っとうと?」と絡んで来る。
 「別にそんなこと言うとらんやん」
 しげはいつもこんなふうにすぐに被害者意識全開で突っかかってくるのだから、なにげないコトバもかけにくくなってしまうのである。一緒に見よう、と誘ったが、「いや」とニベもない。一緒に見てるとすぐに私が寝ちまうからだそうだ。でも今日は寝ずに最後まで見たんだがなあ。


 仕事帰りにはしょっちゅう寄ってるが、しげとは久しぶりの「バーミヤン」で夕食。特別メニューの酢豚がしげの眼に入った途端、しげ思わず「ハッ!」と声を上げる。食欲がこれだけ態度に出る人間も珍しいよな。もちろん、注文したのはそれ。
 そのあと、ワーナーマイカル福岡東で、映画『英雄 HERO』。
 秦の始皇帝の暗殺未遂事件を題材にしてはいるが、お話自体は完全なフィクションで、登場人物も全くの架空。

 秦王(チェン・ダオミン)のもとにやってきた一人の男、無名(ジェット・リー)。彼は一本の槍と二本の剣を献上し、秦王を付け狙っていた三人の暗殺者を討ち果たしたことを告げる。その功績により、無名は秦王の側、10歩まで近づくことを許される。
 秦王はいかにして三人の暗殺者を倒したのかを無名に尋ねる。
 「一人目の刺客、長空(ドニー・イェン)は果し合いにて」
 無名は静かに答えるが、秦王はその静かさにかえって疑問を抱く。「残りの二人はどうやって討ったのか」
 無名は更に答える。
 「残剣(トニー・レオン)は侍女の如月(チャン・ツィイー)との関係に嫉妬した飛雪(マギー・チャン)に殺されました。飛雪はそのために動揺し、何なく私に討たれました」と。
 秦王はその言葉を聞いて静かに怒る。
 「長空はお前ごときに討たれる男ではない。残剣も飛雪も、愛欲に溺れて自らを失うものたちではない」
 無名は答えない。
 「お前はウソをついている。お前は何者だ?」
 おもむろに無名は口を開く。彼が語り始めた第三の物語とは……。

 二転、三転するストーリーが黒澤明の『羅生門』を彷彿とさせるが、雰囲気は小林正樹の『切腹』に近い。
 ストーリーは重厚だが、チャン・イーモウお得意の原色を多用した映像は美しく、見応えは充分。けれども、最近の中国・香港映画では定番になってしまったワイヤーアクション、カッコイイことはカッコイイのだけれど、こういう歴史モノだとかえってその部分だけ荒唐無稽に見えてしまうのは失敗じゃなかろうか。これが完全なファンタジーだったりしたら気にもならないのだけれども。
 特に始皇帝自身が飛んだり撥ねたりするのは、「しねーよ」と突っ込みたくなった。日本で言えば、徳川家康が真田十勇士とチャンバラやるようなもんじゃないかと思うんだが、それとも始皇帝は自身も剣の達人だったんだろうかね?
 そこんとこを百歩譲っても、特撮に頼らない殺陣を見せてほしかったとは思うんである。

2001年08月28日(火) クリエイターの条件/映画『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』ほか
2000年08月28日(月) 完治には1週間以上かかりそうです/ドラマ『百年の物語』ほか


2003年08月27日(水) つらいことばかりでもないと思うけど/『江戸川乱歩全集第10巻 大暗室』(江戸川乱歩)/『人生とはなんだ 旅と恋編』(藤臣柊子)

 今日でまた仕事をひと区切りにして、明日から4連休である。
 有休使ってだから誰に恥じることもないのだが、芝居に行くためだと思うとちょっと心が痛むのである(^_^;)。休日に行きたかったけど、しげと時間の都合が合わなかったんだよ。
 でも休んでるのは私だけではなくてほかにも結構いたので、「仕事をヒトに任せて自分だけ遊んだりして」という罪悪感はちょっと晴れるのであった。でも、ウチの職場、こんなに人が休んで大丈夫なのか?

 午前中で今日の分の仕事が全部片付いたので、午後は若い子何人かと駄弁る。というつもりだったのだが、なぜか流れがマジメな話になる。最近いろんな事件が多いねえってとこから、死刑制度の是非にまで。
 回りを気にせずに喋ってるから、言葉は相当過激になっちゃってるのだが、殆どの子の意見は「犯した罪は償うべき」というマットウなもの。ここでその言葉の過激さを云々するのは木を見て森を見ず、と言ったところだろう。
 ただまあ、意見が一本化しちゃうと何かアンチテーゼを投げこんじゃいたくなるのが私の悪いクセで、「もしも冤罪だったら?」とか、「情状酌量も一切廃止したほうがいいのかな?」とか突っ込むと、途端にみんな沈黙する。根性ねえなあ(~_~;)。
 でも実際の私は死刑廃止には反対で(^o^)、死刑制度には立派な犯罪抑止力があると思っている。冤罪の可能性ったって、例えば宅間守のケースなんかそんな可能性は探しようもない。情状酌量については事件の性質によっては必要だとは思うが、安易に連発されてる印象はぬぐえない。実質無罪って場合も多いからなあ。けどまあ、そういうモロモロのことを何も考えずにただ「死刑にしてしまえ」という言質が横行してしまう状況はやはり空恐ろしい。
 なんかねー、「攻撃しても心が痛まない」相手を見つけたらここぞとばかりに責めたてるようなイヤラシサっつーかね、みんな日頃からそんなに鬱屈が溜まってるの? と言いたい気がしてくるのである。溜まってんだろうなあ。


 江戸川乱歩『江戸川乱歩全集第10巻 大暗室』(光文社文庫/920円)。
 『怪人二十面相』との合本。乱歩作品は大方のものは大学の頃くらいまででほぼ全作を読んでいると思うが、全集発刊を機に、ちょっと全作読み返してみようと思ったのである。というのも、これまで刊行された全集、文庫の類はいずれも削除、改訂が施されたものが殆どで、初出の表現が随分カットされている。それはこの日記でも折りに触れ、語ってきたことだ。時代に合わせた改訂とは言え、作品は本来その時代の空気を共有しているものである。少年探偵団の創立者・羽柴壮二くんは学習院初等科に通っていなければならぬし、明智小五郎は満州国政府の依頼を受けて新京に出張中でなければならぬのである(念のために言っておくが、私は作品の持つ普遍性を否定したいわけではない)。
 それにしても、この「満州国の事件」、どんな事件だったのかなあ。
 『大暗室』は細部を随分忘れていたので、初めて読むような新鮮さがあった。初読のときには中村警部も登場し、文中に明智の名前まで出ているのに、明智が登場しないのはどうしてだと思っていたけれど、多分、最初は登場させる腹案もあったけれど、正義の使徒・有明友之助と悪の権化・大曾根龍次の一騎撃ちに明智の登場は不協和音にしかならないと判断したのかもしれない。
 意外にこの作品の映像化は少ないが、『大暗室』の描写が『パノラマ島綺譚』とイメージがダブるからだろう。東京の地下帝国、というイメージは結構好きなんだけどな。


 マンガ、藤臣柊子『人生とはなんだ 旅と恋編』(双葉文庫・550円)。
 「旅編」は「美味いモンばかり食ってんなー、うらやましー」ってな気分になるので飛ばし読み。
 「恋編」は余裕があるので(^o^)じっくり読む。
 藤臣さんのオトモダチ? たちの恋愛ばなしがなかなか壮絶で、女房に暴力の限りを尽くされて離婚したのに、また同じ女性と再婚した話とか……。まあ常識的に考えれば「なんでやねん」ということになるのだろうが、男と女の仲ほど常識の通用しないものはない。藤臣さん自身もご本人のココロの病気がもとで、ご主人(知ってる人は知ってるが、本書では名前を明かしてないので、ここには書きません)とお別れになっているのだが、この文庫に収録されてるのは殆どが結婚前、新婚の時期のものなので、読んでて痛々しい。「いいことばっかなんて絶対ないけどふたり暮らしは幸せだよ」って、多分、離婚した今も藤臣さんのこの考え方って変わってはいないのだ。なんかなー、こういう不可効力で離婚したカップルってのは本人同士に責がないだけに慰めようがないしねー。いや、別に私ゃ慰める立場になんぞないのだが。
 男と女は、男と女ってだけでトラブルのタネを抱えてるようなものである。更に二人を結ぶカラダとココロは、時間とともに必ず変質する。身もフタもない言い方だが、カラダはお互いジイさんバアさんになるし、ココロは段々磨耗して、相手に飽きて来る。藤臣さんは「だから努力が大切」と語るが、人間、努力ほど嫌いなものはないんだよね(^_^;)。つか、恋人時代にたいていその努力のためのエネルギーは使い果たしているのだ。そうなるとあとには「夫が○○をしてくれない」「妻が○○をしてくれない」という不満が積もるばかりということになる。離婚はもう目の前だ。
 こないだよしひと嬢とも話してたんだが、「結婚すれば疲れる」ことを前提としてない夫婦ってあまりにも多過ぎるんじゃないか。つか、甘く見てる。「ダメになったら離婚すればいーやー」と最初から軽く考えてとりあえずくっついてみたってんなら離婚したって構わないだろうが、一章添い遂げようって考えてんなら、もちっとそのために何をしなきゃならんかってことを考えなきゃならんのじゃないか。
 ウチの場合に話を移すが、とりあえず10年ちょっと、我々夫婦の仲が持ってきたのは、僥倖の部分が大きいと思う。お互いの不満に対して腹を立て続けるには私はあまりに体力がないし、しげには記憶力がないのだ。マイナスとマイナスが掛け合わさってプラスになってるってのは、実に平仄が合ってるなあ(^_^;)。
 もちろん、我々夫婦の形が正しいあり方だなんて主張するつもりは毛頭ない。念を押すが、夫婦の形にスタンダードなどはないのである。恋愛論の類の本は多いけれど、「あの夫婦に比べてウチはどうして」なんて思わない方がいいと思うよ。

2001年08月27日(月) ノンマルトの後裔/映画『ウルトラマンコスモス ファーストコンタクト』ほか
2000年08月27日(日) 自動車とはケンカしないように


2003年08月26日(火) サヨナラの季節/『のだめカンタービレ』3〜6巻(二ノ宮知子)/『ホントの話』(呉智英)

 『ニュースステーション』の久米宏キャスターが、来年3月いっぱいで番組を降板することが正式に発表された。久米さん本人は「疲れというより衰え」と降板理由を語っていたが、若い若いと思ってた久米さんも来年60歳なのである。下手に『ぴったしカンカン』のころから知ってると時間の感覚がなくなっちまうな。
 最初に久米さんがNステのキャスターになった時には「似あわねえなあ」とか感じたものだったけれども、いつの間にか一番キャスターらしいキャスターになっちゃってたのはいつの間にかこちらのほうが意識改革されたせいだろうか。もの静かで重々しく、といった従来のニュースキャスターのイメージを2ステア分くらい「軽く」しちゃった印象なのだけれども、今や久米さん程度の「重さ」がスタンダードになってしまっているのである。筑紫哲也じゃ華が無くって仕方がない。
 久米さんの後任が古館伊知郎、というのもその「軽さ」路線の継承だろう。プロレスの実況中継をしてたころの古館さんがNステのキャスターになることなど誰が想像していたろう。これはまたニュースが結局はワイドショー的興味本意なものとしてしか世間に受け取られなくなってしまっている現実を象徴しているのだけれど、あまりテレビに踊らされ続けのもなあ、とちょっと眉に唾つけて見る習慣も忘れてちゃいかんよねえとも思うのである。


 ここんとこ糖尿病が悪化して、手足が痺れて来たことばかり日記に書いてたものだから、各方面に心配ばかりかけてしまっている。
 ヨナさんには、ありがたくも掲示板で「ヒジキにキンピラ、わかめ、山芋なんかが糖分吸収を防ぎますよ」などとご教示頂いたので、早速仕事の帰りにコンビにに立ち寄ってみたのだが、セブンイレブンもローソンも、そういう惣菜をほとんど置いていない。あるのは白菜やキュウリの漬物とかキムチばかりである。トロロうどん、トロロそばはカップ麺で売っていたのでそれだけ買ったが、あとは休日にスーパーにでも行かねばムリのようだ。
 あまり自分の病状を事細かに書いちゃうのも同情を誘おうとしているようで心苦しいのであるが、日記書くときに「自分に都合の悪いことを隠すことはしないようにしよう」と決めて書き始めたので、やっぱり書くしかないのである。極端な話、私が浮気したり犯罪犯したりしても、それはそれでちゃんと事実は書こうとまで考えているのであるが、こればっかりはそういう事態に陥ってみないとホントに書くかどうかわからんな(^o^)。


 マンガ、二ノ宮知子『のだめカンタービレ』3〜6巻(講談社/講談社コミックスキス・410円)。
 よしひと嬢オススメのクラシックラブコメだが、しげも「6巻までしか出てないの?」と結構ハマっちゃった様子。実際、読んでて気分がこんなにハレヤカになるマンガも近頃滅多にない。月9の連ドラにでもしたくなるくらいドラマチックでメリハリの利いたお間抜けマンガなのである(いや、誉めてんのよ、これ)。どこがどう魅力なのかってのはぜひ現物に当たって頂きたいが、お馬鹿で不器用なキャラクターたちと、意外にシリアスな(失礼)展開との緩急の妙が読ませてくれるのである。
 音楽の才能はとびきりなのにそれをうまく行かせずに鬱屈もしてて、融通の利かないマジメ一徹だった千秋が、Sオケの破天荒な演奏に音楽の楽しさを思い出したり(バイオリンを縦に振り上げて一斉に弾くなんてパフォーマンスもどこかの楽団でやってそうだなあ。前見た九響のコンサートじゃコントラバス回してたし)、のだめにセクハラしまくるただのスケベ親父の呑んだくれにしか見えなかった世界的な指揮者、シュトレーゼマンが千秋をちゃんと自分の弟子として認めていたり。
 もちろんヒロイン「のだめ」ちゃんの不思議少女(と言ってももうハタチになっちゃったんだろうけど)ぶりっつーか大迷惑ぶりが暴走しまくってるからこそここまでドラマが盛りあがってることも忘れちゃいけない。Sオケの再公演じゃ、マングースの着ぐるみ着てピアニカで「ラプソディー・イン・ブルー」吹いてるんである。それだけふざけていながら(と言っても本人は天然なので大マジメ)、千秋のピアノ演奏を聞いて無性に「ピアノ弾きたい!」と音楽に目覚めるあたりの展開も感動ものである。でもいくら興奮したからって、妙齢の女性が「ムキャー」なんて叫ぶのはどういうものかな(^_^;)。もちろんのだめのことだから千秋に曲を合わせてもらったらすぐ安心して食欲遊び欲に戻っちゃうんだが(^o^)。
 でも一つだけ難を言えば、クラシックにゃ詳しくないから、いろんな曲が演奏されてもそれがどんなんだかシロウトにはピンと来ないことである。作者の二ノ宮さんはラフマニノフを2ヶ月も聞きながらマンガ描いてたそうだけど、ラフマニノフったって、私が思い浮かべられるのは、マリリン・モンローの『七年目の浮気』くらいのものなのである。私の知識ってホントに映画とアニメからしか得てないな(^_^;)。


 呉智英『ホントの話 誰も知らなかった現代社会学<全十八講>』(小学館文庫・560円)。
 ニッポンは自由の国なのかどうかということをマジメに考え出すとなかなか微妙な問題がある。まあアレやコレやとタブーがあることは事実なんだけれども、それを全く活字にできないかというとそうでもなくて、かと言って圧力が公的私的にないかというとそうでもなくて、要するにどっちなんだと頭を抱えてしまうことがいっぱいあって、なにかモノを言おうと思えばひと苦労もふた苦労もさせられてしまう。
 「人権と民主主義について」「ナショナリズムについて」「民族差別について」「現代人の愛について」「教育とマスコミについて」。
 呉さんが立てた項目の内容は、どれも日常的に会話され論議されていて、そこにはタブーなど存在しないように見える。
 けれど、例えば第十一講での呉さんと趙宏偉氏との特別対談『「支那」か「中国」か』一つを取ってみても、こういうお互いの意見の論拠を示してキチンと論議した例がどれほどあったかと言えば、甚だ心許ない状況だったのではないか。
 「日本でももっと議論がなされるようになればいい」とは、呉さんならずとも、折りに触れかなり多数の人々が主張している意見ではあるが、さて、現実にはせっかく行われた論議とやらもたいていはお互いの主張をぶつけ合うだけでモノワカレに終わってしまっている。『朝生』が一度でも結論とやらを出せたことがあったか(^_^;)。
 「和をもって尊しとなす」の精神は現代日本にもしっかりと生き残っているが、つまりは「論理」などでは人心をまとめることなどできない、呉さんはいやがるかもしれないが、意見の対立があれば「理屈抜きで」一方が一方に合わせるという形でその場を収めてきたのが日本人の取って来た選択であった、ということなのである。
 もちろんそれで全てが解決するわけではない。いつまでも飽きもせず片方が片方に合わせることを続けていれば、当然ストレスは溜まるし、そこに「ほころび」も生まれてくる。そのほころびが修復できないところまで来れば、お互いの感情は爆発してしまう。まあ個人同士のトラブルならばモノワカレになったところで大勢に影響はないが、これが国家単位の問題になったり、「世論」を巻きこむような事態になれば、コトは単純に傍観ばかりもしていられなくなる。気がつかないうちにとんでもない「流れ」の中に巻き込まれて逃げ出せなくなってしまうような状況も起きてこよう。日本人は自分たちの方がよりストレスを感じているように思っているかもしれないが、それは中国人の方だって変わりはない。
 本来、そうならないために「論議」をしなければならないのだが、如何せん、日本人は論議を放棄してきた歴史が長過ぎた。おかげで「何のための論議か」ということを確認しつつ話を進めることすらできない。呉さんも苦労する道を歩いているなあ、という印象である。
 私が、呉さんの意見に賛同を示しつつも、中国を「支那」と呼ばずに「中国」と呼称するのも、現代の中国の要求する正式な国名が「中華人民共和国」であることが紛れもない事実であり、それをあえて「支那」と呼ぶことで両国の関係をあえて破壊しようとする姿勢を取る意図を感じないからである。繰り返すが、これは「個人レベル」の話ではないのだ(これが「わが国内での」差別語の問題になるとまた話が違ってくる。かつて差別語でも何でもなかったものが、いつの間にか「ナニモノかによって」指定されていったことについては、「断りもなくテメエの勝手なリクツを押しつけてんじゃねえ」と文句を言うのは当然のことだ。「侵略」を受けているのは差別語とされた言葉を全く差別的な意図なくして使っている我々の方なのである)。
 呉さんの「『支那』は支那を呼ぶ歴史的な名称」で「差別的な意図はない」という主張もわかる。「日支事変」を「日中戦争」と後代に言い換える愚も指摘すべきだろう。ただ、現代、中国を呼ぶ呼称に困るのであれば、「チャイナ」でよいのではないか。「過去に日本はチャイナを『支那』と呼んでいた」という文脈で「支那」という言葉を使うのであれば、中国人も呼称の改正を要求したりはしないと思うのだか。

2001年08月26日(日) アノ娘にもツバがついていたのね/DVD『2001年宇宙の旅 スペシャルエディションBOX』
2000年08月26日(土) 森の木陰でドンジャラ補遺/『金髪の草原』(大島弓子)


2003年08月25日(月) 世代の違いってことじゃないと思うけど/『ASTRO BOY 鉄腕アトム』1巻(手塚治虫原作・姫川明)

 ここ数日、急に暑くなってきたけれど、何となくいかにも夏らしい楽しげなニュースがポツポツと。

 昨24日、神奈川県秦野市のマンションに独り暮らししていた84歳の老女を、77歳になる老女の義妹が、アイスピックで10ヶ所以上刺して殺して逮捕。
 77歳が84歳を。なんかこないだも似たような事件があったけど、最近のトシヨリはなんて元気なんだろうね。ムダな元気って気もするが。なんかね、イマドキの無気力な若者がすっかり霞んじゃう勢いだね。でもこのまま若いモンが負けちゃってていいものなのか。少しは巻き返しを考えなきゃいけないんじゃないのか。頑張れ若者。って何を煽ってんだか(~_~;)。
 でもねえ、どうしても何をそんなに焦ってたのかって思っちゃうよねえ。無理して殺さんでも、早晩ポックリいくだろう(おいおい)。よっぽど、あと数年が待てないくらい憎んでたのか、被害者が二百歳くらいまで生きそうな超元気な婆さんで、自分が死ぬ前に何とかせねば、とかなんとか考えてたのか。
 でも動機はまだよくわかんないみたいだね。犯人の婆さん、以前から周囲の人たちに「あいつ(被害者)が家をダメにする。殺してやる」とか公言してたっていうけど、別に一緒に住んでたわけじゃないみたいだし、何を言いたいのかよくわからない。婆さん、都営住宅に住んでいながら、近くの公園などに野宿することもしょっちゅうだったっていうから、ただ単にイッちゃってただけなのかも。熱帯夜だったからなあ。
 ……だったらさっさと医者に連れてきゃよかったんじゃないのかなあ。それをしなかったってことは、周囲の親戚とか、触らぬ神に何とやらで、傍観を決めこんでたんじゃないのかね。自分たちに累が及ぶくらいなら、誰か一人に犠牲になってもらって、さっさと逮捕されてほしいと願ってたのかも。勝手な憶測ではあるけれど、実際に「そういう人」って多いでしょ。


 もう一つ、同じく昨24日、東京都庁45階の第1本庁舎南展望室で、埼玉県在住のサラリーマン(27)が、突然隠し持っていた「文化包丁」を自分ののどに突き付けて座り込みを始めた。男は約1時間後、警察の説得に応じて銃刀法違反の現行犯で逮捕されたけれど、取調べに対して「インターネットのチャットで知り合ったヤクザの男の悪口を言ったのがバレて命を狙われている」「自分はカッとなると見境いがなくなる性格だ」などと供述しているという。見学客約60人は現場から避難してみな無事だった。
 これも状況がよくわかんないけど、その「ヤクザ」に本名とか住所とか教えたんですかね、この人。知り合ってプライバシーをすっかり知られたあとでヤクザだってわかった可能性もあるし、相手の身内に名うてのハッカーがいて調べられたってことも考えられなくはないけれど、まあ十中八九、ただの妄想ちゃいますかね。だって素直に警察に保護を求めりゃいいじゃないの。警察がアテにならないと思ったら夜逃げすりゃいいんだし。逮捕されるよりゃずっとマシだろう。
 つかもう、次の「自分はカッとなると云々」でもうこりゃ「ここんとこ暑い日が続いてたからなあ」としか思えませんがな。
 みなさん、クーラー病の心配もあるかも知れませんが、イッちゃうよりはずっとマシだと思いますからあまり外を出歩かないでじっとしてましょうね。

 
 仕事帰りに先日まで夏コミに出かけていたZUBATさんと博多駅で待ち合わせ、開田裕治さんとこの同人誌『特撮が来た!6』を受け取る。夏コミ行けなかったんで、それだけ頼んどいたのである。
 それからミスドでしばらく駄弁って、夏コミの様子やら何やら。
 「眼を悪くしなけりゃ行きたかったんですけどねえ」
 「行かなくて正解でしたよ、三日間ずっと雨だなんて初めてです」
 実を言うと、どうやら私や妻に関して唐沢俊一さんあたりにとんでもないデマを飛ばしてる人たちがいたようなので、そのへん誤解がないかどうか、お伺いもしてみたかったのである。ZUBATさん、災難ですねと言いながらも、販売中はお忙しいからお話はできないですよ、と仰る。それもそうか。でもまあ誤解はいつか必ず解けるものと楽観的な考え方をしているので、特に慌ててはいない。
 そのあたりから、今時の同人作家やネットの話など。
 「(プロになれるくらい)才能のある人たちが、狭い世界に閉じこもってるのはどうしてなんですかねえ」
 「そりゃ居心地がいいからですよ」
 ZUBATさんはご自身もずっとコミケに参加していらっしゃるので、私の同人作家たちに対する批判的な言質に対しては自然と擁護する形になる。それはもちろん構わないのだが、私の判断に対して「そうではない」と否定するのではなくて、「その通りだけれども、それでいいじゃないですか」という言い方をされるのが何だかしっくり来ない。プロアマを問わず、表現をする者は自分の作品を読んでもらいたいと思うものではないのだろうか。
 「仲間内の小さなコミュニティで読んでもらえればそれで充分じゃないですか。広く読まれて批判なんかされたくないですよ。だいたい自分の好きなマンガを貶されたってだけで怒り出す人間ばかりなんですから」
 昔、『もののけ姫』についてある女の子と話をしていて、「アシタカって、呪いは完全に解けてないよね。結局死んじゃうんだな」と言ったら、彼女が「私のアシタカの悪口言わないで!」といきなり叫んだことを思い出した。
 「でもそういう小さなコミュニティがネットで繋がっている今の状況はいいことだと思うんですよ」
 でもお互いを拒絶してるのなら、実質的には繋がってないってことだ。それのどこに意味があるというのか、どうにも理解に苦しむ。けれどそこで「もっと広い世界を見るべきではないか」なんて他人の家のドアをこじ開けるようなモノイイもしたくはないので、私のほうもただ首を捻るばかりである。
 「同人誌にしろネットにしろ、みんな自分の意見を言いたいだけですよ。人の意見なんて最初から聞く気ないんです。山本弘さんの掲示板見てれば分かるでしょ? 『煽りに反応するな』ってパソコン通信のころから言われてるのに、全然変わってないんですから」
 それは私も本当に不思議でしかたがなかったのだ。煽りとハッキリ分かる意見に対してどうして過剰反応する人間しかあそこにはいないのか。コトバが瞬時にやりとりされる普通の会話と違って、書き込みをするのには当然時間がかかる。その間に熟慮するということがどうしてできないのだろうか。
 「ネットはそういうものです。藤原さんは志が高過ぎるんですよ」
 そんなにたいそうなことを私は語ってるつもりは全くない。自分の言いたいことを言ったり書いたりすれば、批判される可能性があるのは当たり前だし、それは覚悟しなきゃなんないことだ。それは私にとっては高邁な思想でもなんでもなく、ただのコモンセンスとしての「常識」にすぎない。
 この「志が高い」という言葉にどうしても違和感を感じてしまうのは、それではまるでZUBATさんが「馬鹿に馬鹿と言ったって怒るのは当たり前でしょう」と聞こえてしまうからである。それって、全然身内の擁護になっていない。
 『トリビアの泉』を引き合いに出して、ZUBATさんはこうも言う。「うちの会社の若い子もあれ見てますけどね、知識を得ようとかそんなこと考えてないですよ。司会者の掛け合いがおもしろいから見てるだけです」。
 ますます「みんな馬鹿だけどそれでいいじゃないですか」と言ってるようにしか聞こえない。いや、馬鹿であることは全然いけないことではないのだ。人間はみんな馬鹿なんだから。でも、だからこそ人は自分の無知を恥じ、モノをもっと知りたいと思うものではないのだろうか。「学生のころもっと勉強しておけばよかった」と語るオトナは多い。上から押しつけられ詰めこまれた勉強は苦痛でしかないが、いったん解放された人の好奇心は、自然、快楽を求めるがごとく貪欲に知を漁り始める。実際、私の周りの人間はそういう人たちの方が圧倒的に多いのである。そしてそういう人たちと会話している方が、偏狭な世界に引きこもってる人たちと語り合うより、ずっと楽しいと思うのだが。
 ZUBATさんは、ネット上で私が人や作品を批判すること自体、「言葉がキツイですよ。相手は怒るのは当然じゃないですか。なんでそんなことを全世界に発信するんですか」と仰るのだが、批判と悪口の区別がついている人なら、私の言質が全然キツクなんてないことはおわかりだろうし、普通、この程度のことで怒ったりはしないものである。
 いや、仮に口汚い悪口だって、怒る必要は全くないのだ。繰り返すが、ネットに何かを書くという行為は、自分が批判に晒されることを覚悟するということでもある。私ももちろんその覚悟で書いているし、岡田斗司夫さんも唐沢俊一さんも日頃からそう公言されているし、掲示板が荒らされる覚悟で運営を続けている山本弘さんもそうだろう。と言うか、そんなのはプロアマ問わず、モノを書く上での基本的な心構えなんであって、高い志でもなんでもない。実際、私はどんな悪口書かれても全く腹が立たないが、別にそれは私の人格が高潔だからではない。それが「常識」だからである。「そうでない人もいる、というのも事実でしょう」、と言われるかもしれないが、事実だろうが何だろうが、常識的な判断を非常識な方に摺り寄せる必要は、普通はない。
 正直な話、批判されて怒るというのはただの傲慢ではないか。まさしく「おれの意見を聞け!」と思ってるだけで、回りに迷惑かけてるだけである。
 冷静になって考えてみれば、ネットで作品の批判してる人間だって腐るほどいるのだ。ZUBATさん自身も映画を見て「あれは面白いつまらない」ということを全世界に発信している。それこそ「ネットはそういうもの」なのである。批判を笑い飛ばせる余裕もないのなら、ネットにモノを書くことって、苦痛にしかならんと思う。

 例えばこれ読んでもZUBATさんは怒ったりするのだろうか。「これは書いちゃ誤解を生じるなあ」という部分はしっかり省略している。それを読み取って頂ければ、この文が悪口でもなんでもなく(批判ですらない)、単なる疑問だということはご理解頂けると思うのだが。
 も一つ付け加えとけば、私的な付き合いでウソとか追従を私ゃ言いたかないんですよ。そんなもんで小さな幸せ守ったって自分が淋しいだけですから。
 もちろん、記憶に従って書いているから、事実の誤認、意味の取り違えがあればいくら訂正を入れていただいても構わないのだけれども。


 マンガ、手塚治虫原作・姫川明漫画『ASTRO BOY 鉄腕アトム』1巻(小学館/てんとう虫コミックススペシャル・510円)。
 なんと、“アニメ版”『アトム』のコミカライズである。手塚治虫のマンガ原作がちゃんとあるのに、どうして? と怒ってる手塚ファンもいるんじゃないかな。でも、前の二度目のアニメ化のときも手塚治虫自身がアニメの設定に合わせたリメイク版『アトム』を描いているのである。もしも手塚さんが生きてたら、きっとまた今度のアニメに合わせたリメイクをしたに違いないのだ。要は中身が面白いかどうかで判断すりゃあいいこった。
 けど、アニメ版よりずっと色っぽいぞこのアトム。マツゲなげーし、おメメキラキラだし、全体的にクネッとしてるし。いやまあ私はウランのほうがやっぱりいいけれども。
 ストーリーもアニメと基本設定は同じでも、いろいろ変えているところが多い。アトラス死なねえし(つか、ハカイダーになっちゃってたね)、電光、破壊されて電子頭脳だけになっちゃうし。それでアニメより面白くなってるかっていうと、たいして、としか答えられないんだけど。
 でもこういう珍品にはやっぱり眼を通しておきたくなるものなんですよ、はい。

2001年08月25日(土) 夢は宇宙/『なつのロケット』(あさりよしとお)ほか
2000年08月25日(金) 唐沢本の感想書けなかったけど面白いぞ/『垂里冴子のお見合いと推理』(山口雅也)ほか


2003年08月24日(日) キッチュと言うか、トンデモなのかも/『爆龍戦隊アバレンジャー』第26話/DVD『キノの旅』2・3巻ほか

 『爆龍戦隊アバレンジャー』第26話「釣りバカアバレ日誌、どもども」。
 いつもは『アバレンジャー』、『555』、『ナージャ』あたりの感想は書くの省略してるけど、今日のばかりは書かずばなるまい(^o^)。

 舞と凌駕がテレビアニメ『釣りバカ日誌』を見ているところに、トリノイド「ツリバカツオリーブ」が現れたという知らせが。
 トリノイドは街の人々を釣竿で釣り上げてはオリーブの実に変えていた。しかも『釣りバカ日誌』のハマちゃんの息子・鯉太郎も釣り上げられてしまったのだ!
 凌駕たちは、テレビの中のハマちゃんから「鯉太郎を助け出して!」と頼まれる(声はもちろん山寺宏一)。爆竜チェンジしてトリノイドに立ち向かうアバレンジャーたちだったが、釣り上げた人々をオリーブに変えて詰め込んだ瓶を楯にしているので攻撃ができない。
 その様子をテレビの中から見ていたハマちゃんは(わざわざテレビを現場まで持ってきているのである)ガマンできずにテレビの中から飛び出して、「おまえなんか、釣りバカの風上にも置けないっス! 釣りってのはこうやるんでぃっ!」と一本釣りでオリーブの瓶を釣り上げた。思わず「何でもアリだな!」と感嘆する4人。逃げるトリノイドをスーパーダイノボンバーで倒して(あとはいつもの展開なので省略)オリーブの実に変えられていた人々は元の姿に戻り、鯉太郎もパパとヒシと抱き合うのであった。そしてハマちゃんは、凌駕たちと釣りに行くことを約束して、再びテレビの中へ戻っていった。
 幸人が「どうしてテレビから出てこられたんだ?」とつぶやくと、凌駕と舞ちゃんはニッコリ笑って「それはハマちゃんのダイノガッツが奇跡を起こしたからさ!」
 それを聞いて「なーんだ、そうかあ!」とみんなも納得したのだった。するのか(^_^;)。

 アニメと実写の合成を行った一番古い例が何だったかは忘れたけれど、真っ先に思いつくのは『錨(いかり)を上げて』のジーン・ケリー&トムとジェリーのダンス。ありゃあ楽しかった。
 世界観が違うキャラを共演させるパターンってのは少なくないけど、小説でも映画でも、それやって成功した例って、実はそんなに多くない。『ルパン対ホームズ』だって、ホームズファンには腹立つ部分があるだろう。『マジンガーZ対デビルマン』は見たときなんじゃこりゃって思ったしなあ(この辺、例を挙げてくとキリがないので省略)。
 ましてや「アニメ」と「実写」の共演となると、既に世界観どころか「表現」そのものが違うわけだから、リクツから言えばよっぽどヒドイ出来になってもおかしかないはずなのだ。ところが、これがおかしなもので、ここまで「違和感」があると、かえって面白くなっちゃう作品がやたら多いんだよねえ。『ロジャー・ラビット』のモノ凄さを思いだして頂きたい。『クールワールド』なんて珍品もあったね。
 で、『アバレンジャー』と『釣りバカ日誌』である(『釣りバカ』のほうにも「アバレンジャー」が出演してたそうだが、こちらは私は未見。実写での登場ではなく声優として出演したとか)。もう世界観どころか、作品の質が違いすぎる。つまり八手三郎とやまさき十三の合作なわけだからなあ。これに匹敵できる合作と言えば、水島新司と里中満智子、吾妻ひでおと萩尾望都の合作くらいしかないのではないか(^o^)。まさに「何でもアリ」だね。普通、このコトバは、称賛、批判の双方に使えるが、この場合はただただ「驚嘆」だ。もう視聴者はテレビの前で大歓喜、大爆笑していたのではないか。
 と言いつつ、私はと言えばニコリともせずにただ呆然としていただけだったのだが、ふと我に帰って思ったのは、「これ、『555』でやったら大激怒するファンしかいないだろうなあ」ということであった。考えてみたら、「戦隊シリーズ」はその濫觴たる『秘密戦隊ゴレンジャー』自体、何でもアリの色モノだった。ゴレンジャーで似たようなことをやっていたとしても、やはりファンは喝采を送ったことだろう。
 『ゴジラ』の「シェー」に賛否両論があり、『ウルトラマン』の実相寺演出を嫌うファンもいることも考え合わせると、明らかにファンは同じ特撮作品、SF作品であっても、戦隊シリーズを「特殊なもの」として認識していることが分かる。
 つまりさっきうっかり「世界観」と書いてしまったが、戦隊シリーズに「様式」や「設定」はあっても、実は「世界」はないのである。なんか今ごろこういうことに気付いたってのはお恥ずかしい限りなのだが、どんなにデタラメな物語が展開されていようと「ヒーローモノはみんなマットウ」という思いこみが私にはあって、それが私の眼にウロコを嵌め込んでいたのだな。浦沢義雄さんだって戦隊シリーズの脚本担当したことあるんだから、その時点で気付くべきだったよなあ。
 もうこれからは「『○○レンジャー』とか『○○○マン』とか全部しょーもないダジャレじゃん、ヒーローの名前じゃないよ」なんて野暮なことは言いません。いや、色モノはダサダサであってこそカッコイイのだね。


 よしひと嬢、「つまんないけど続けて見てるから」と言って、『仮面ライダー555』が始まると同時に起き出して来る。夕べは遅くまでお喋りに付き合わせてしまったので、すごく眠そうである。いや、申し訳ない。
 私は『555』はもう、真剣に見ちゃったら役者のアニメ演技が鼻について仕方がなくなるので、薄目で見る(^_^;)。
 『明日のナージャ』、フラメンコのシーンの作画がやたらブツ切れで枚数をかけていないのがアリアリで興醒め。このへんが『プリンセスチュチュ』と比較して見劣りしちゃうとこなんだよなあ。『金色のガッシュベル!!』が始まるころにしげとよしひと嬢は練習へ。
 私は今日は一日、日記を書きながらゆっくり本とDVD三昧である。24時間テレビなんざ、見てられるか(^o^)。


 アニメ『鉄腕アトム』第20話「永遠の少年」。
 うーん、すごく面白くなるネタをあっさりまとめちゃったって印象だなあ。
 「アトムが『ピーターパン』の人形劇を見て、大人にならないロボットである自分とピーターパンとを重ね合わせる」って展開から、「天馬博士に捨てられた自分」をチラッとでも思い出したりするのかなあと期待したんだけど、特にそっ地の方向には向かわなかったし。
 メトロシティで、子供達が次々と行方不明になる事件が起きる。アトムは、いなくなったタマオたちを探すうちに、同じように友達を探している車椅子の少年、トミー(トリトン!)に出会う。子供達がみんな『ピーターパン』を観た後に行方不明になったことに気付いた二人は、子供たちは紙芝居の話と同じように、ネバーネバーランドに連れて行かれたのだと考える。そして二人は天空に浮かぶ巨大な帆船を発見するのだが、フック船長に扮したその船の持ち主は、慈善事業家として有名なダーリング氏であった……。
 ダーリング氏はちょっとジュラルミン大公に似てるのだが髪形が違うから別人なんだろうな。アトムとトリトンの共演というのは嬉しいのだが、「大人になりたくない」ダーリング氏と、「大人になりたい」子供達を単純な二項対立で描いてるのはどうにも物足りない。ラストでの子供たちの「大人になりたい!」の大合唱が、大人になりたくてもなりきれない「半分大人、半分子供」を、ダメ人間呼ばわりしてるようにも聞こえてしまう。全オタクを敵に回すつもりか小中和哉(^_^;)。
 実際、「大人になることが正しい」なんて言いきっちゃうと、アトム自体が置いてきぼりを食らっちゃうじゃないか。原作の『盗まれたアトム』では「アトムは子供のままでいい」とはっきり言い切ってるのに。
 小中監督がアトムの悲しみを描きたいと思ってるんだったら、アトムはダーリング氏にもっと優しくしないといけないと思うがなあ。


 DVD『キノの旅』2・3巻。
 1巻は3話収録だったけど、2巻からは2話ずつ。てことは全6巻か。1巻4800円だから、結構ボッてる気がするが。でも2巻のカバー絵はすげえ「凶悪」である。アンタ、「女の子のキノ」が、赤いリボンの、頬染めにっこりぃの、胸に手を当てぇの、スカートふぅわりの、一本足の爪先立ちぃのですがな(〃∇〃)。これだけ見た人は『キノの旅』ってアニメが、「そんなアニメ」だと錯覚しちゃうんじゃなかろうか(^o^)。念のため言っときますが、これはすげぇシビアな「寓話集」です。
 WOWOW放映時に見損ねていた『大人の国』、作画がちょっと弱かったのが残念。前田愛の「少女声」が聞けるせっかくの回だったんだけど。
 「本物のキノ」の声は井上和彦。もう私みたいにトシヨリは、ベテランさんがゲストで出てるだけで安心しちゃいますね。
 で、ふと気になってエルメスの声の相ヶ瀬龍史って誰だろうと調べてみると、『天才テレビくん』に出てた子役だったんだね。てっきり大人が声を作ってるのかと思ってたけど、まだ16歳なんである。19歳の前田愛とのコンビネーションを考えて、若い子を使ったのかな。
 二人のレギュラーの「新人声優」をゲストのベテランが鍛えていくって形になっているわけだ。作品の出来だけでなく、そういう「新人育成」にまで心配りをしているところもいい作り方だと思う。


 DVD『羊のうた』第二章。
 アニメになるとどうしても冬目景の淡い柔かな描線は濃く固くなってしまうのが残念。しかしやっぱり第一章同様、バンクが多すぎるのが鬱陶しいなあ。演出効果あまりないと思うんだが。
 

 CSアニマックスで8時から『ルパン三世 トワイライト☆ジェミニの秘密』。
 もともとのアニメ『ルパン三世』の企画立ち上げ者である杉井ギサブロー監督によるアニメスペシャル。今日は杉井フェアだなあ。
 これ、ルパンがあだち充顔なってしまってるので、ファンの間ではあまり評判はよろしくないようである。確かに作画が甘いのが気になる出来だけど、スペシャルの中では比較的出来はいい方だと思うけどな。ヒロインが立ってるほうだと思うし。白いジャケットでノーネクタイのルパンっての、原作のカバーでも出てきたことあるからそれがちょっと嬉しかったりもするんである。


 ほかにもいろいろ本読んだりしたけど、書いてたらいつまで経っても終わらないので省略。全く、書きたいことが多い日ほど、書く時間がなくなっちゃうというのはツライものである(´。`;)。

2001年08月24日(金) 祝! 退院!/映画『RED SHADOW 赤影』
2000年08月24日(木) たまには一人で映画を見る日もあるさ/映画『怪異談・生きてゐる小平次』ほか


2003年08月23日(土) 恋から自由であるということ/映画『呪怨2』

 午前中ずっと、シコシコと日記書き。
 注文しておいた唐沢俊一さんのサイン入り『裏モノ日記』が届く。
 思っていたより随分薄かったが、目次を見るとかなり内容をカットしている模様。じっくり読みたかったので、日記を書いている間はパラパラと斜め読み。ウェブより、やはり縦書きの活字になっているほうが読みやすい。本を持った時のこの手の「重み」を忘れない限り、どんなにネットが発達しても、この世から本が消え去ることはないだろうと思うね。


 夕方、シネリーブル博多駅でしげ、よしひと嬢と待ち合わせをする。ところが駅に到着してふとバッグの中を見て、前売券をウチに忘れてきたことに気付く。日頃こういうマヌケな役は圧倒的にしげが担当しているのだが、まさか自分がこんな目に会おうとは(いかにも偶然の災難のように思いこもうとしているくらいに狼狽しているのである)。
 時計を見ると、映画の始まりまであと四十分ほど。取って帰って、間に合わない時間ではない。こちらに向かっているしげに携帯で事情を説明したら、しげ、「はぁ?」といかにもバカにしたような声で笑う。けれどここで怒るわけにもいかないので、三拝九拝して、家と駅を往復してもらうように頼む。
 駅裏の駐車場で待ち合わせすると、程なくよしひと嬢を助手席に乗せたしげの車がやってきた。私が車の後部席に乗りこむなり、しげ、「時間の余裕があったのになくなった」とブツブツと愚痴り始める。こちらはひたすら平身低頭である。かつて、これほどまでにしげと私の立場が逆転したことがあっただろうか。いやない(反語)。ほんのちょっとした人の瑕瑾につけこむとはなんて性格の歪んだヤツなんだろう。
 行きは道がそう混んでなくて、15分ほどで家に着いたが、戻り道は渋滞、20分以上かかって、映画の時刻ギリギリになってしまった。
 しげ、「間に合わんやん!」と悲痛な声で叫ぶ。
 「大丈夫だって。最初10分くらいは予告編が流れるから」
 「その予告編が見たいと!」
 こちらに引け目があるから仕方がないのだが、こういうときのしげのモノイイはワガママ全開だ。駐車場に車を置いて、バスセンターに駆け込んだ時点で午後4時45分。5分オーバーだ。しげはもうイライラを隠さない。
 「ギリギリで駆けこんで見るのが『呪怨2』?」
 「イヤなんかそんなに」
 「すごく見たがってるみたいでイヤやんっ!」
 すみませんねえ、見たがって。よしひと嬢まで「面白いんですか?」と聞いてきたので「つまんないと思うけど、絵がいいんだよ」と答える。答えながら足早にエスカレーターを「歩いて」昇る。
 映画館に飛び込んで「間に合いますか!?」と思わず叫んでしまったが、館員の方は「はい、大丈夫ですよ」とにこやかに応対。公開初日だし、なんかホントに「すごく見たがってる」客を演じることになってしまった。


 映画『呪怨2』。
 1作目のときのように、ダラダラと似たようなシーンを垂れ流してひたすら退屈だったのに比べると、今回は随分面白くなっている。ただそれはストーリーの面白さではなくて、あくまで恐怖の見せ方、つまり「絵」に拠っている点が、この『呪怨』シリーズの評価を微妙にしているところだ。

 今回、佐伯俊雄(尾関優哉)と伽椰子(藤貴子)の「呪怨」の犠牲者となるのは、八人。
 ホラー・クイーンの異名を取る女優、原瀬京子(酒井法子)は、呪われた家をレポートする心霊特番に出演する。ところが、その夜、恋人の石倉将志(斎藤歩)の運転する車に乗っていた彼女を恐ろしい運命が見舞う。飛び出して来た猫を轢いてしまった将志は、死体をそのままに車を発進させるが、なぜかハンドルが利かなくなっていた。車は壁に激突し、将志は意識不明の重態となり、京子も将志との間に宿した赤ん坊を流産したはずだった。しかし産婦人科医は、赤子が順調に成長していることを京子に告げる。この子は、本当に将志と自分との子どもなのだろうか? 困惑する彼女に取りついた呪いは、彼女の母親(水木薫)をも巻き込んで……。
 同じころ、その番組のレポーター、三浦朋香(新山千春)は自宅のマンションで、毎晩12時27分になると起こる、壁の向こうから誰かが叩いているような奇妙な音に悩まされていた。怯えた彼女は恋人の山下典孝(堀江慶)を呼ぶが……。
 更にはメイク担当の大林恵(山本恵美)を始め、番組に関わったスタッフが次々に失踪していく。京子のドラマにエキストラ出演した女子高生の千春(市川由衣)も謎の死を遂げる。ディレクターの大国圭介(葛山信吾)は事件の謎を京子とともに追い始めるが、京子の子供が生まれ落ちたとき、彼にも呪いの手は伸びていたのだった……。

 「呪いの伝播」ってのはもう怪談ものの定番だし、赤ちゃんが実は……ってのも、『ローズマリーの赤ちゃん』の方がずっと怖かったんで、ハッキリ言っちゃえば話は陳腐なんである。いや、もっと言えば、辻褄が合わずに破綻しているところも随所にある。だから、そういう点をいちいち挙げて「つまんない」と切って捨てることも可能なんだが、そう断言するには惜しいものを持ってると思うんだよね、このシリーズ。
 やはりそれはさりげなく窓の外から部屋を覗いている俊雄くんの白い顔に代表されるような「霊の見せ方」の上手さだったりする。俊雄君が「予兆(オーメン)」であり、伽椰子さんが「崩壊(カタストロフ)」を担当している役割分担も呪いを重層的にしていて面白い。これ、『四谷怪談』の呪いが宅悦とお岩に分担されてるあたりに着想のもとがあるんじゃないかな。
 何と言っても毎回呪いの俎上に何人もの美女たちを乗せ、恐怖に歪む彼女たちの顔を接写してきた点に功績の大部分を帰してもよいのではなかろうか。
 もっとも、今回主演の酒井法子は、これがあののりピーかと驚くくらいに生活臭く老けこんでしまっていて、特に眉間の皺が目立つのが痛々しい。前作の奥菜恵や伊東美咲のような「華」がないのが映画全体の印象を地味にしてしまっている。新山千春は『GMK』のときもそうだったが刮舌がひどく悪いので、喋るたびに耳障りで仕方がない。彼女のエピソードもいかにも『新耳袋』にありそうなネタで、言っちゃ悪いが怖いのと紙一重で笑ってしまう。山本恵美が霊感があるという設定で、ホントは一番「美味しい」役にならなきゃいけないと思うんだが、残念ながら御面相がもう一つなのである。
 となると頼みは前作で唯一助かってた美少女・市川由衣なんだが、たいして見せ場もなく、特に必要でもないエピソードの中であっさりとお亡くなりになってしまうのである。一番贔屓だったのになあ(+_;)。このあたりの女優の使い方に疑問が残るのも演出面での弱さだろう。

 しげ、今日も映画の間中、ビビりにビビって私の指を握り締め、ちょっと音楽が高鳴るだけで圧迫してくる。私の指が痺れてること事前に話して、もう手を握るなと言っておいたのに、完全無視である。この一点をもってしてもしげが私の健康など一顧だにしていないことは自明である。
 席も最初はよしひと嬢を間に挟んで向こう側に座っていたのに、わざわざ私の隣に移動してきて指を掴んで来たのだ。振り払っても振り払っても握ってくる。よっぽどこいつの方が伽椰子より怖い。
 何でも映画を見る前に、しげは鴉丸嬢と、「映画を見終わって、けいちん(私のことね)の腕にしげさんの手のアザがついてたらよっぽど怖いね」と笑って喋ってたそうだが、ホントに付いていたのだ。ああ、マジでシャレにならん(T∇T)。
 
 『呪怨』のパンフレット、これがまた大笑いで、昔の東宝チャンピオン祭りみたいに、双六だの福笑いだのお面だの、付録の充実したお遊び仕様。でもあなた、俊雄くんの顔で福笑いとかしたいですか。それ以前に、自分の顔が福笑いやお面にされてると知ったら、子役の尾関優哉君、グレたりしないかと心配になるんだけど。


 帰宅して、よしひと嬢にまだ見ていなかったという山村浩二の『頭山』や『WX掘ゝ‘扱抻.僖肇譽ぅ弌治魁戮鮓せる。
 よしひと嬢は『WX掘戮慮開中はちょうど仕事が忙しかったころで、全く見に行くヒマがなかったらしい。でもよしひと嬢が忙しくなかったことって、かつてあったのだろうか(^_^;)。こないだようやく手に入れた『押井守シネマトリロジー』もまだご覧になっていらっしゃらないようだけど。
 オタクの悪いクセで、映画を見ながらつい「ほら、ここが黒澤の『野良犬』」とか「ここんとこがコントラプンクト」とか解説してしまう。だいたいよしひと嬢はまだ『野良犬』を見ていないので、こんなに意地悪なことはないのである。今度ちゃんとお見せしよう。

 そのあと、四方山話、近況など。よしひと嬢とは、彼女が10代のころからの知り合いだから、もうかれこれ10ウン年になるのだが(~_~;)、昔を思うと随分オトナな話ができるようになってしまった。と言っても、「結婚はしないの?」とかその程度の話だ。
 彼女の答えはいつも決まっていて、「する気ないです」とキッパリとしたもの。これがフェミニズム的観点や男嫌いといった浅薄なものでないのが小気味いいんだよね。ここで「男なんて」なんてセリフが出てくれば一気に興醒めなんだが、よしひと嬢は絶対そんなセリフは吐かない。男性を愛する心はちゃんとあるのだが、それは極めて「契約」的なものであって、相手に頼ろうとか付いて行きたいとか尽くしたいとか、幸せになりたいとか、そんなお互いの人格を縛り合うような関係(つーか殆ど女性の方からの一方的なエゴイズム)はこれっぽっちも望んでいない。岡田斗司夫さんの言う「オンリーユー・フォーエバー症候群」に全く染まっていないのである。
 ご本人は「『好き』って感覚がわからないんですよ。それは自分の欠陥だと思うんで」と仰るが、「依存」という感覚と密接に結びついている旧来の女性の「愛」から自由だということなので、それは決して欠陥ではない。自立している女性ならば、「尽くしたい」なんて感覚が解らなくて当然なのである。自分で働いて、自分で生活して行ける人間が、なぜわざわざ「結婚」なんて自分を束縛するだけの制度に乗っかってやらなきゃならないのか?
 それじゃ、家庭が崩壊してしまうじゃないか、子孫だって残せないだろう、と反論される方もあろうが、子を自分の所有物としてしか見なせず、自分の見栄のためにええとこに進学させてええとこに就職させようとし、年老いては面倒見てもらうことを期待し依存するような家族関係ならば、崩壊したほうがマシだ。独身で何が悪いか。
 恋愛や結婚に幻想を持っていない女性は案外少ないが、よしひと嬢の場合、その珍しい例である。正直な話、男であろうと女であろうと、夢見がちな人というかピュアな方々は(^o^)話していて鬱陶しいんだよね。よしひと嬢に対しては気を遣ったり遠慮したりする必要がないものだから、私のほうも日頃言いたくても言えないことをポンポン口にしてしまう(この日記では結構好き勝手言ってるだろうと突っ込みたい方もいらっしゃるかも知れないが、実はムチャクチャ抑えて書いているのである。それに気がつかないおめでたい人も多いんだけどね)。
 どうせ曲解したいヤツは勝手に曲解するだろうからあえて言うが、私にも「恋愛感覚」なんてものはない。私は浮気をしたことは一度もないし、今後も全くする気はないが、それは私がモラリストであるからでもなければ、“通常の感覚で”しげを愛しているからでもない。しげと結婚したのはごく基本的な意味での「ボランティア」である(昔、しげとの関係を説明するのにこの言葉を使ったら、「なんてひどい!」と怒ったバカがいたが、どうやらその人は「ボランティア」という言葉をよっぽど悪い意味に捉えていたらしい。ボランティアっていけないことなんですか?)。でなきゃ、これだけケンカして、食事も作らねえ、家事もしねえヤツと、客観的にはデメリットしかないってのに、10年以上も一緒にいるわけないではないの。
 まあ、浮気なんてした日にゃあ、女におカネかけちゃった分だけDVDと本が買えなくなるからしないという理由が一番大きいのかもしれないが(^_^;)。

2001年08月23日(木) What is Okyuto?/『新暗行御史』(尹仁完・梁恵一)ほか
2000年08月23日(水) 若いって、イタいことなのよん/『エノケンと呼ばれた男』(井崎博之)ほか


2003年08月22日(金) 病院尽くし/『炎の転校生』1巻(島本和彦)

 仕事は半ドン、通院のため、しげに職場まで迎えに来てもらう。
 医者に行くことは予め伝えておいたのに、車に乗りこむなり、いきなり「どこ行くと?」と聞かれたのでガックリ。昨日も天神回りの約束をケロッと忘れられていたのだが、もうしげの海馬には活断層ができているのではないか。だいたい何しに迎えに来たつもりだったのだろう。
 内科と眼科をハシゴしなければならないので、まずは内科の方へ。
 しげも最近はまた腰の調子が悪くなってるようなので、ついでに整形でリハビリを受けることにする。新しい車は座席も広くなって、少しは楽になってると思うんだが、やはりクッションを腰のところに敷いておかないと、すぐに痛くなってしまうらしい。
 「待ち合わせはどうする?」と聞かれたので、「携帯で連絡取ればいいやろ」と答えて別れたが、考えてみれば病院内は携帯は不可なまのであった。あちゃーと思ったが、あとの祭り。ま、なんとかなるでしょ。
 主治医に指が痛み始めたことを話すと、「糖尿病が進行してますね」と一言。 「運動はしてますか?」
 「帰りにひと駅前で降りて歩いてます」
 「いいですねえ。それを続けてください。体重は?」
 「82キロです(ちょっと太った)」
 「やっぱり80切らないとですねえ」
 なんだかいつもと同じ会話なので拍子抜けである。クスリを変えるとか、何かやりようがないものだろうか。
 検査と診察を終えて客待まで出てみたが、しげの姿はない。何しろ連絡が取れないので、まだリハビリ中なのか、外に出ているのかが解らない。いったん病院の外に出て電話してみたのだが応答がない。仕方がないので留守電にメッセージだけを入れておいて、薬局でメルビンを貰い、眼科に移動する。
 右眼のみ点眼して検査。約1ヶ月ぶりであるが、どうやら裂孔はこれ以上広がらずにすんでいるようである。でも飛蚊症が治ったわけではないので、余りうれしいわけではない。次の通院はまた1ヶ月後とのこと。
 結局、病院2軒のハシゴで2時間近くかかってしまった。
 いい加減でしげの治療も終わってるんじゃないかと思い、外に出て携帯に連絡を入れねと、すぐにしげが出た。
 「今どこにおる?」と聞くと、「そっちに向かいよう。見えるやろ?」と答える。と言われても、私の視力では全然分らない。
 「見えるやろ」
 「見えんて」
 「見えようよ」
 「見えん」
 不毛なやりとりをしていたら、目の前に携帯を耳に当てたしげが立っていた。さすがにその距離なら見える。
 「今までずっと病院にいたの?」
 「やあやあ随分時間かかったよ」
 よく分らないが、単に腰を伸ばすだけでなく、電気治療のようなものもやったらしい。最初は要領がわからないので、痛くてもガマンしてたそうだが、隣りの人が「痛い!」と叫んで電流を弱くしてもらっていたのを見て、「ああ、電流って調節してもらえるんだ」と気付いたとのこと。普通そうだろ。
 「これからどうする? 映画に行く?」と能天気なことを言うので、「今、瞳孔開いてるんだよ」と怒る。さすがにこの状態で映画なんぞ見た日にゃあ、目の前まっ白である。

 ちょうどうまい具合に、上司の入院している病院も近くだったので見舞いに寄る。しげはその間、近所のゲーセンで時間潰し。
 上司、アキレス腱を切って全治2ヶ月の診断が降りているのだが、2週間で職場復帰すると息巻いている。体調自体が悪いわけではないので、そう言いたくなる気持ちは分からなくはないのだが、やはりちょっと無理してはいないか。
 仕事の話、四方山話の合間に、例のあの方の話が出る。
 「どうですか、あの方は」
 「相変わらずですねえ。会話が難しいです」
 「私とは口も利いてくれませんからねえ。藤原さんとなら、話が合うんじゃないですか?」
 「……昨日ですねえ、私のところに彼女が来ましてね。書類を持って来て、『これ、○○○の書類なんですけど、間違って私の書類に紛れこんでたんですよ。どうしましょう』と仰るものですから、『○○○にお返ししたらどうですか?』と言ったら『私がですか?』って答えるんですね。だから『お忙しいなら、私の方から返しておきましょうか?』と言ったら、そのまま黙って向こうに行っちゃいました」
 「……なんですか? それは」
 「……よくわかりません。好意的に解釈すれば、自分で処置すればいいということに気付いて帰ってったってことじゃないでしょうか」
 「それにしてもどうして一言も声をかけずに行っちゃうんでしょうかねえ」
 「わかりませんねえ」
 全く、謎なのである。

 今日のうちに買い物の類は片付けておきたかったので、博多駅まで足を伸ばすが、しげがもう「眠い」と言い出したので、私だけバスセンターの前で降ろしてもらって、しげだけ一足先に帰る。
 紀伊國屋でDVDと本を買い込んで帰宅。


 夜、『浅見光彦シリーズ17 秋田殺人事件』を録画しておいたのだが、ダイエー・ロッテ戦の放送が延長になったせいで、後半が切れてしまっていた。これだから野球が嫌いになるのである。延長したって全部放送できない場合だってあるのだから、最初から延長放送なんて姑息なマネ、しなきゃいいのだ。世の中野球ファンばかりで成り立ってるわけじゃねーぞ。
 ああ、くそ、誰か見てた人はいないか。加藤夏希の行く末が気になるぞ(今回のヒロインだったのである)。


 唐沢俊一さんの『裏モノ日記』8月20日の分に、「『トリビアの泉』はウスいからこそ受けている」という趣旨の記述があり、微苦笑する。スーパーバイザーとして番組に参画していらっしゃるわけだから、立場として貶すわけにはいかないのも分かる。けれど誉め方が屈折しているので、「やっぱりウスいってことは否定のしようがないんだよな」という印象の方が強くなってしまう。
 「テレビのバラエティー番組は、一般の視聴者の少し下のレベルくらいで丁度いい」とか言ってた業界人がいたが、その点、「ものたりねえなあ」と感じさせるレベルに抑えてるのは「今、受ける」戦略としてはアタリなのだろう。でも本当に「残る」番組というのはいつの時代でもアナーキーでカルトなものだ。そういう要素のない『トリビアの泉』は、放送が終了して10年も経てばまず確実に「忘れられる」番組になる(ならないためには延々と続けるしかない)。
 もちろんそれが「いけない」わけではない。私の(そしてたいていのオタクたちの)不満は、三木聡さんや唐沢俊一さんがスタッフにいるのなら、もっと面白く出来るはずだ、という「期待」が前提としてあるからである。
 しかし、実際には三木さんも唐沢さんもディレクターとしてあの番組に参画しているわけではない。モノを言うにも限界があるのだろう。実際、日記の中でも「テレビの世界に行かなくてよかった」と仰っている。

 職場でも若い子たちと『トリビア』について話す機会が多くなっているのだが、別にオタクでない普通の連中でも、やはりあの番組のネタの半分くらいは「つまんない」と思っている(「ウスい」って言い方もオタク用語なので、彼らは使わない。ここでオタクか非オタクの判別が付いちゃうのね)。
 彼らの知的レベルは、タモリや荒俣宏よりは薄いが、ビビる大木やMEGUMIよりは上、ごく普通と言っていいだろう。「ビビる大木って、なんであんなに『へぇ』を連発するんだ?」とパネラーの方がバカにされているのだ(そんな彼等にもこないだの「スフィンクス」ネタはツボにハマッていたようだった)。
 この「半分面白くて半分つまんない」という匙加減が高視聴率の理由だろう。内容が濃すぎると付いていけないし、薄いと見る気も起こらない。劣等感を感じさせない程度に知的好奇心を揺さぶっているのである。

 私も若い連中にせがまれて、つい豆知識を披露したりしているのだが、こないだ「土星と冥王星は水に浮くんだよ」と言ったら、「あ、それ知ってる! ホントホントホント!」と周囲に絶叫した女の子がいて困った。仕事中に叫ぶなよ(仕事中にそういうネタ振った私が悪いんだが)。


 マンガ、島本和彦『炎の転校生』1巻(小学館文庫・630円)。
 もちろん少年サンデーコミックスで全巻揃えちゃいるんだが、「大幅加筆修正!!」に加えてデビュー作『必殺の転校生』を収録となれば買わずにいらりょうか(^o^)。
 まあ中身を見ると「大幅」というのはちょっと誇大広告ではあったが、ここぞというピンポイントで楽しい描き足しがされているのが流石である。なんたって、滝沢と伊吹のバレーボール対決で「必殺技が一つ増えている」のだ。絵柄がちょっと変化してることくらい気にしない気にしない♪
 巻末の「島本和彦×炎尾燃」の掛け合い漫才も必読だ。

2001年08月22日(水) オタクの花道/同人誌『オトナ帝国の興亡』ほか
2000年08月22日(火) とんこつラーメンは臭い/『ここだけのふたり!!』8巻(森下裕美)


2003年08月21日(木) ぼーくーは、ないちっち(^o^)/『BLACK JACK ザ・コンプリート・ダイジェスト』(中野晴行編)

 何だか気がつかないうちに、北朝鮮の応援団に“美女軍団”なんて名前がつけられているようである。「美女」までは外交辞令としても、「軍団」ってのは何なんだか。「アマゾネス」って謂なのかね? 誉めてんだかバカにしてるんだかよくわからんネーミングだが、きっと後者なのであろう。こういう言い方されてることをあの人たちが知ったら不快に思うか激怒するかもしれないけれど、一番上にお立ちになってるお方は将軍サマなのだから、間違いとは言えないよな(^o^)。
 それにしても報道の偏りというのは毎回ひでえなと思うことが多いのだが、今回は特に顕著だ。まず、どのニュース番組を見ても、あの人たちの正式名称、なんて言うのか一切報道してない。だからナニモノなんだよあいつら。
 多分これも誰もが感じてると思うが、本来メインであるはずのユニバーシアード大邱大会については殆ど蚊帳の外なんだよねえ。試合なんてどうでもよくって、カメラはいっつも美女軍団ばかり追っかけてる。これほど目的のわかりやすい報道もない(^o^)。
 なんでも、ネット上にはリーダー格の女性のファンサイトまであるそうである。誰が誰のファンになろうが構いはしないが、あの人たちの中に北朝鮮のスパイが混じってることはほぼ確実だと思うんだが(全員の可能性だってある)、そのへん、どう考えてんだろうね。これも「魔性の女」に惹かれやすいバカな男のサガですか? ┐(~ー~;)┌


 夕方、久しぶりに職場まで迎えに来てくれたしげと、天神を回って芝居のBGMに使うCDを探す。
 本当は今日、しげはアクロス福岡で会場の人と打ち合わせがある予定だったのだけれど、何かアチラの都合が悪くなったとかで、キャンセル。鴉丸嬢も一緒だったのだが、無駄足を踏まされた形。なんかちゃんとお詫びをしたんかな、アクロス。
 鴉丸嬢も付き合ってくれて、三人で「ベスト電器LIMB」へ。鴉丸嬢は「逆戻りだねえ」と笑っている。
 小一時間ほど使えそうなCDがないか探しまわるが、これといったものがない。
 「戦前のエノケン映画のBGMに使われていたような音楽」というのがしげの注文なのだが、だいたいそんなもん、音源自体が独立して存在してはいないのである。ちょっとばかり途方に暮れかけたが、ハッと気付く。
 「……うちにあるキートンやチャップリンのDVDからBGMだけ取ったらどうかな。無声映画だから、音楽だけ取れるし」
 しげの顔がパッと輝くが、「灯台もと暗し」を絵に書いたようなオチであった。

 そのあと、天神コアの7階グルメパーク「喜水亭 和樂」で食事。
 それぞれ別々の定食を頼むが、私のは天麩羅に刺身、酢の物に無花果のコンポートがついたもので「雪」。適量で美味しい。
 しげはまたドンブリを頼んでいたが、いつものように食べない漬物を私に回して来た。仕方がないと思いつつ、口に含んだ途端に脳天に衝撃が走って飛びあがった。漬物の中にワサビが入っていたのだ。
 「わ、わ、ワサビが入ってるじゃん!」
 「ああ、横にどけたつもりで入れちゃった♪」
 漬物とワサビの区別もつかんのかと言われそうだが、ホントに区別がつかないくらい私の視力は悪いのである。実はしげにワサビを食わされたのはこれが初めてではない。そのうちワサビ責めにあって死ぬんじゃないか。

 しげと鴉丸嬢、食事をしながら何やらコソコソと喋っている。
 「気付いてるのかな?」
 「気付いてないっぽいよ」
 なんか私の方をチラチラと見るので何だろうと思って聞いてみると、しげ、「鴉丸の胸見てん」と言うのである。
 女性の胸をしげしげ見るようなインランでヘンタイでドスケベエなマネを、私は生まれてこの方したこたぁない(そういうのはさりげなくするもんである。って、やっぱりしてるのか)。
 「見ろ」と強制されても戸惑ってしまうばかりなのだが、そう言われたら見ないわけにもいかない。だもんで、やむを得ず渋々といやいやながら要請に答えるしか仕方がないので遠慮がちにチラッと鴉丸嬢の胸に目をやったのだが、あまり豊かとは言い難かった彼女の胸が、モリッと膨らんでいるのである。
 「……豊胸手術?」
 途端に鴉丸嬢が絶叫。
 「そこまで悩んでないっ!!」
 つまり「寄せて上げるブラ」というのを付けてたんだそうだが、これ、某君からのプレゼントなのだそうな(^_^;)。やっぱ、しょっちゅう「悩み」を訴えてたんではないのかなあ。でなきゃ男はあまりそういうものをプレゼントしようって気にはならないと思うぞ。
 実際、生まれて初めて胸に「重み」を感じて、鴉丸嬢、結構嬉しそうである。「世間は騙しても○○(某君)は騙してないからいいんだっ!」と言ってたが、ここでバラしてしまったので、世間も騙してない。堂々と今後もお付けになられて構わないと思うのである(^o^)。

 いつもならここでブラの歴史についてトウトウと語りたいところだが、省略(^.^)。


 手塚プロダクション監修・中野晴行編『BLACK JACK ザ・コンプリート・ダイジェスト』(秋田文庫・650円)。
 本書のあとがきにも書かれていることだが、『ブラック・ジャック』には単行本未収録の短編が結構な数、存在する。
 問題はその理由で、本書では「手塚治虫の改作癖を挙げているが、もちろんそれだけでないことは、ファンならずとも知っている人も多い有名な事実。たとえば第41話の『植物人間』なんかは某所からクレームが付いて、2版以降削除されたんだよねえ。
 人権主義者による難癖っつーか「逆差別」は、昨今、目に余るものがあるが、おかげで放送業界はすっかり腰砕けになってしまった。このままじゃ、どんな作品でも「差別」の名のもとに抹殺されてしまう時代が来かねないが、どうやら出版業界は理不尽なクレームに対する巻き返しを図っているようである。
 『ブラック・ジャック』全作を紹介した本書は、来るべき『完全版』刊行のための敷石だそうな。作品が見られない状態では、それが本当に抹殺されるべき愚作であるかどうか、判断できない。「あの作品は幻になるべきではない」という意見は少なからずあるのだ。「差別だ」という意見と「差別じゃない」という意見が拮抗ないしは明らかに「差別じゃない」という意見のほうが多数を占めているのに、論議もせずに抹殺していった歴史をもういい加減で断罪していったほうがよかないか。
 ついでに例の「幻の12話」も解禁しろよ。反戦映画を「戦争を生々しく描いてるから」って理由で上映禁止にしてるようなものだぞ(T.T)。

2001年08月21日(火) 台風の日は病院で寝転んで/『偶然が残すもの 記憶鮮明供戞米渡早紀)ほか
2000年08月21日(月) 一日経つと記憶が消える。……年か?/ドラマ『柳橋慕情』ほか


2003年08月20日(水) びっるーのまっちーにがおー!/『金色のガッシュ!!』12巻(雷句誠)

 北朝鮮による拉致被害者の一人、蓮池祐木子さんの母、奥土シズエさんが、19日、胆管細胞がんのため、死去。享年73。
 それなりのお年ではあるけれど、女性の平均寿命が90歳近い現代ではやや若死にだろうかという気すらする。やはり心労が祟ったのだろうか。拉致事件が完全に解決したわけではないが、亡くなる前に娘さんと再会できたのがせめてもの幸せと考えるべきなのかね。なんだか釈然としない思いが残るのだけれども。


 18日、北九州市小倉北区鍛冶町の飲食店「倶楽部ぼおるど」に手榴弾を投げこんだあと舌を噛み切って自殺した男の正体が判明。やっぱり暴力団の組員、城戸真悟容疑者(33)であった(しかしこれだけ明白な事件でも犯人が死んでても新聞はあくまで「容疑者」って言うのね。これじゃかえって「容疑者」=「犯人」って思い込みを与えないか)。
 でもこれで事件の動機がクラブ経営者の暴力団追放運動に対する報復だってことはハッキリしたのである。
 あー、大きい声じゃ言えないがな、あのへんの治安の悪さの原因に、暴力団と警察の“かなりの”癒着があるんじゃないかってことはずっと昔からウワサされてるんだからな。警察、本腰入れて取り締まらないと、ウワサを裏付ける結果になりかねないぞ。
 北九州のイベントがことごとくコケまくってる理由の一つに、「あそこは危ない」というイメージの影響だってあるんである。本気で何とかする気があるなら、動けよ警察。


 キャシャーンにハニーの次には何が来るかと思ってたけど、まさかの『鉄人28号』の実写映画化。鉄人の設定は身長20メートルということになったらしい(原作読めば分かるが、身長はコマによって2メートル程度から数10メートルまでコロコロ変わるのである)。
 ビルの向こうにヌッと現れる感じではなくて、ビルの谷間で縮こまるような雰囲気になりそうだが、まあジャイアント・ロボとは違うしな。特撮は殆どがCG映像になるらしいけど、『G‐SAVER』みたくならんようにと切に願う。視覚効果は『ゼイラム』『タオの月』の松本肇さんだから、そんなにヒドイものにはならんとは思うが、もしもショボイものを作られてコケでもしたら、これから先、特撮モノにスポンサーが付かなくなる可能性もあるんだから。
 でも不安だなあ、製作費が10億円というのは、そんなに高額とも言えないからなあ(だいたい「直接製作費」と言わない限り、宣伝費が半分を締めてたりするのである)。
 キャストはなかなか面白そうなんだが、名前を見る限り、原作からはかなり離れた内容の物語になるもののようだ。

 金田正太郎……池松壮亮(子役にしてはちょっとスタイルのバランスが悪くないか)
 立花真美………蒼井 優
 金田陽子………薬師丸ひろ子(友情出演)
 宅見零児………香川照之
 貴島・レイラ・ニールソン…川原亜矢子(本人もハーフなんだっけ)
 江島香奈………中澤裕子(見事にモー娘。を脱皮したねえ)
 村雨研二………高岡蒼佑(何で「健次」じゃないんだ!?)
 田浦慶太郎……伊武雅刀(最近、頭を剃ってるらしい)
 八城裕美子……西田尚美(もちょっといい役あげようよ)
 加藤志津絵……北川智子
 河合秀之………水上竜士
 高橋清次郎……村松利史
 レポーター……矢沢 心(最近売れ筋らしい)
 秋山 孝………ささの友間
 鬼塚宏志………栗原卓也
 松川健太………森田直幸
 職人A…………諏訪太朗
 職人B…………鈴木一功
 職人C…………森羅万象
 キャスター芹沢明日香……田中麗奈(チョイ役っぽいなあ)
 風鈴売り………妻夫木聡(何だこの役。押井守じゃないんだから(^_^;))
 金田正一郎……阿部 寛(原作じゃ確か名前がなかったと思うが)
 大塚雄之助……柄本 明(ちゃんとお髭を生やしてほしい。声は富田耕生にアテレコで(^o^))
 綾部達蔵…………中村嘉葎雄(完全に特撮映画の定連になっちゃったね)
 
 でも、原作ファン、一斉に言ってるだろうなあ。

 敷島博士はどうした!?

 まあ、ブラックオックスの開発者の不乱拳博士を出せないのは分からなくもないけれども。
 ああ、しかし薬師丸ひろ子もついに母親を演じるようになっちゃったか……。


 『トリビアの泉』、しょうもないネタも混じっちゃいるが(「トリビアの種」は毎回時間食いすぎ)、これまでの放送分の中では一番「へぇ」が多かった。
 でも、それって「台湾の歩行者用信号機の青のマークは赤が近づくと急ぐ」とか「海底にも郵便ポストはある」とか「秋田県では修学旅行生の安否がCMで流れる」とか、その地方に住んでる人なら周知の事実でも、他地方の人にとっては「そんなオモロイことやっとんのか」と笑っちゃうネタが多かったってことなんだが。
 同じ日本の中にいても、九州の人間は本州のことはよく知らない人間が多い。しげなどは三多摩と埼玉の区別がつかなかったが、私だって学生のころは埼玉と栃木のどっちが北にあるか知らなかった。実は今もよくわからない。同様に九州全県の名前を言えない東京人も多かろう。無知と言うより、そういうものに接する機会があまりないのである(全国各地の情報に一番詳しいのは昼間の観光番組ばかり見てる主婦だろう)。
 チャットであやめさんも仰っていたが、「『春の小川』は渋谷にある」ってのは、渋谷に住んでる人なら知ってる人も多いだろうが、地方人には充分「へぇ」だと思う。私もこの知識を最初に知ったのは仕事休んで寝てたときに見た昼のテレビのご当地案内コーナーだった。これで行くなら「『ぬれぎぬ』の語源は博多の伝説」ってのもトリビアになるかな。

 「江戸時代にスフィンクスの前で記念写真を撮った武士がいる」ってネタ、こないだ亡くなった鈴木明さんの『維新前夜 スフィンクスと34人のサムライ』(小学館ライブラリー)を読んでた人が投稿したんじゃないかな。
 しかし、番組中でこの写真の保管者が三宅雪嶺であったことや、発見者が鈴木明さんであったことには一切触れなかった。補足トリビアで触れても全くおかしくないのに、あえて隠さなければならない理由がわからない。
 また、番組内で「写真に映った人物で後に有名になった者はいない」と断言していたが、それがいかに誤りであるかは、この『維新前夜』をお読みになればご理解いただけよう。
 こういう比較的濃いネタのあとに「スフィンクスの目線(視線と言わないと小林信彦が怒るぞ)の先には今ケンタッキーフライドチキンがある」という全くナンセンスな(悪い意味ではない)ネタを持って来るのが対照的で面白いのだが、よくよく考えればこれ、単独だと「へぇ」ではなくて「ふーん」としか言えない程度のネタである。ゲストに出るたび辛い点しかつけない荒俣宏が初めて感心していたのが印象的だったが、これも「組み合わせの妙」ゆえか。 

 松本零士ネタは「パンツから生えたキノコをちばてつやに食わせた」というもの。「ヒトヨタケ」という正式名称は紹介してたけど、「サルマタケ」とは言わなかったのは放送禁止用語に指定されてるのか? こないだ『爆笑問題のススメ』に出てた松本さん、「スターシアやメーテルのモデルは、シーボルトの孫娘に出会った先祖の記憶が私のDNAに伝わったもの」とデンパなこと仰ってたが、これはトリビアに送っても絶対不採用だろうな(^o^)。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ!!』12巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 しげと私の最近のお気に入りキャラは何と言っても「ナゾナゾ博士」である。普通、主人公を導く「導師」は荘厳な老人だったり、優しい女神様だったりするものだが、「ナゾナゾ博士」だもんなあ(^o^)。
 ガッシュと清麿を助けるために、ティオと恵を呼ぶのだが、ナゾナゾ博士は何でも知ってる不思議な博士だから(なんじゃそら)、ちゃんと恵の携帯の番号も知っていたのである。
 それどころか、最強の敵・ロードの居場所ももちろん知ってるから、“清麿が3日間徹夜して調べ終わったころを見計らって”、その居場所を教えてあげるのである。
 ああ、なんていいやつ(T∇T)。
 魔物退治の展開はそんなに面白いとは思わないんだけれども、キャンチョメと言いフォルゴレと言いウマゴンと言い、普通、真剣な魔物対決のドラマに、こんな「色モノ担当」を主要キャラにはしない。雷句さんは師匠の藤田和日郎よりも鳥山明や尾田栄一郎の感性を受け継いでいると思うけれど、このキャラの「歪み」具合は先達を軽く凌駕しちゃってるのではないか。
 一時期単調な展開で少し飽きてたけど、また続きを読むのが楽しみになってきたのである。

2001年08月20日(月) クルーゾー再び/『パンプルムース氏のおすすめ料理』(マイケル・ボンド)ほか
2000年08月20日(日) 眠い日/『大江戸化物図譜』(アダム・カバット)ほか


2003年08月19日(火) 懸賞つき日記(^o^)/『イリヤッド 入矢堂見聞録』3巻(東周斎雅楽・魚戸おさむ)

 盆が明けてお仕事再開。
 やっぱり少し疲れやすくなっているのである。しかもちょっとパソコンを打っただけでやはり指が痛くなる。これはもう本気で医者に見てもらわねばヤバイ状況のようだ。


 帰宅して、ホームページの更新記事をつらつらと書く。
 アップするまでにはまだまだ時間がかかりそうなんだけれど、まあ少しずつでもやっとかないと。日記だけに追われて記事が書けないままじゃ、せっかく作ったホームページがもったいないのである。

 その記事を書くためもあって、録画しておいた松田定次監督のインタビュー番組を見返して、必要なところをメモる(何の記事を書こうとしているのか、当てることが出来た方には記念品を差し上げましょう(^o^))。
 やたら細かい作業なんで、こういうことに時間がかかるから、なかなか更新が進まない。ご存知の方も多いと思うが、松田監督とマキノ雅裕監督は牧野省三を父に持つ異母兄弟である。松田監督の方が年上だが芸者さんの子供として生まれたので、マキノの名を継いだのは弟の雅裕氏の方であった。
 インタビューの中で、松田監督は弟の雅裕氏のことをしきりに誉めそやしているのだが、雅裕氏の著書である『映画渡世 天の巻・地の巻』には、松田氏のことを特に兄として遇した記述は見受けられない(これも今日ずっと読み返していたのである)。何しろ父、省三の死に関しても松田氏の名前が出てこないのである。おかげで、松田氏が雅裕氏の兄である、という記述を最初に見たとき、既に『映画渡世』を読んでいた私はガセだろうと思ったくらいだ。
 そこにお互いの思いの違いを感じ取れもするのだが、それはもう少し資料をあさってみないと簡単に断定はできない。全く、こんなことばかりしていては、年に一本記事が書けるかどうかもわかりゃしねえ(-_-;)。


 マンガ、東周斎雅楽作・魚戸おさむ画『イリヤッド 入矢堂見聞録』3巻(小学館/ビッグコミックス・530円)。
 入矢修造の存在も「組織」に知られているのに、暗殺されもせず放置されてるのはちょっと奇妙だが、その点も含めて話の展開がいささかスローになってきた感じがする。人気が出たので連載が長期化してきたのかもしれないが、実際にアトランティス実在説を立証することは難しいんだから、あまり間延びしたものにしない方がいいと思うんだけど。
 新登場の中国系ギリシア人のニコス・コー、闇のマーケットでシュリーマンの遺品を取り引きしようとして殺し屋に狙われ、入矢に助けを求めるという、なかなかいいキャラなんだけど、やっぱり魚戸さんの絵だと今一つ魅力がないのがどうもなあ。

2002年08月19日(月) 偽善者の宴/『探偵学園Q』6巻(天樹征丸・さとうふみや)/『虹の子』(石ノ森章太郎)ほか
2001年08月19日(日) 毛が三本/『ふざけるな専業主婦』(石原里紗)ほか
2000年08月19日(土) 今日、彼氏彼女は相々傘であった/『占い師はお昼寝中』(倉知淳)ほか


2003年08月18日(月) ギャグをやるなら命がけ/『魔法先生ネギま!』2巻(赤松健)

 ようやく夏が来たかという感じの暑さ。職場でもタオルで額の汗を拭う人が増えているし、いつの間にか鳴き出した蝉の声も間断なく、ただうるさい。
 それでも例年のように目眩がするとか、そういうことはないので随分楽である。
 ヨーロッパの方は日本と反対に四十度を越す日もあって、死者も多数出たそうだ。テレビのニュースでは、道端で素っ裸になってるデブッたおっさんばかり映してるが、どうして女性の(自粛)。犬が公演の噴水に飛び込んで泳いでいるのが哀れを誘う。日本の冷夏はこのヨーロッパの猛夏の影響だそうな。
 でも、特に気象に詳しいわけじゃないから、偏西風がどうのこうのと言われても、感覚的に何がどうなってどう影響してるのかは全然ピンと来ない。来年、この逆にヨーロッパが涼しくて日本が暑くなっちまうんじゃないかと、そんなことが気になるのである。母が死んだのも例年になく猛暑の夏の終わりだった。


 仕事から帰って、短いけれども頑張って日記を五日分更新。二十日近く溜まっているので、殆ど焼け石に水なのだが、飛ばして今日の分だけ書くというのももうしたくはないので、何とか進める。平日のチャットなんぞしなけりゃ、もちっと書けるんだろうが、これも楽しいのでついつい番人してしまうのである。人待ちしてる間に日記が書けりゃいいんだが、集中力もだんだん衰えてきているので、入室待ちしてる間は日記を書き進められないのだ。
 結局、どんどん自分で自分の首を締めているのである。


 夜、チャットでヨナさんから「フジテレビが13日に放映したバラエティー番組の中で、プロ野球ダイエーの王貞治監督を侮辱するような場面があり、ダイエー球団が抗議していた問題で、フジテレビの矢吹忠比古スポーツ局長が18日、福岡ドームに佐藤賢二球団本部長を訪ねて謝罪した」というニュースを聞く。
 当該の番組は見てないんでよくは分らないが、ギャグであろうが真剣であろうが、誰かをからかったり揶揄したりする場合、自分たちがいったい何をしたいのか、そのリアクションがどう来るかを想定した上でやんなきゃ意味ないと思うんだが、さて、イマドキのバラエティー番組作ってる連中がそこまで考えてるものかどうか。
 基本的に私は、芸能人を含めてメディアに顔出ししてる人たちは自分たちの行為を批判・揶揄されることは覚悟しなきゃなんないものだと思っている。その点、王監督の「芸能界と野球界は違う」との認識は誤りだ。違うというなら、野球人が現役時代からCMに出るような「芸能活動」をしちゃイカンがな。
 仮に当該番組の内容がひどく下品なものだったとしても、まあ腹を立てるくらいならばともかくも、番組に圧力を加えたり、訴えたりするというのは、それこそ逆に「何様のつもり」という謗りを受けても仕方がない。いしいひさいちのマンガに文句垂れてたオッサンも巨人にゃいたが、「大人げないよなあ」としか思われなかったものねえ。
 記事をよく読むと、謝ってるのは「スポーツ局長」であって「番組ディレクター」ではない。つまり、番組自体はあくまで王監督を「侮辱したい」という姿勢を崩したくないのだ、とも取れるのだが、本当のところはどうなんだろう。もちろん批判に対して逆批判される「覚悟」があってやったのであれば、これはどうあったって謝っちゃいかんのだが。
 でも、今のテレビディレクターはバカばっかだから、十中八九、そこまでの覚悟はなかろうと思うんである。今回ばかりはバカにちょっとお灸をすえる意味で、プロ野球協会はフジテレビに対して厳しい処置を取ってもよかろうと思うよ。


 チャットにグータロウ君からの書きこみがあったけれど、返事をする余裕がなかったので、直接電話をする。
 グータロウ君、テレビで『アクロイド殺人事件』を見たそうで、えらくクサしてたので、さてどの『アクロイド』かと気になったのだ。
 『アクロイド殺し』は1931年にオースティン・トレバーがポアロに扮して『アリバイ』のタイトルで映画化されている。もちろん日本未公開なので、まさかそれじゃあ、と思ったのだが、話を聞いてみると、残念ながらデビッド・スーシェ主演のテレビドラマ版であった。
 ミステリをちょっとでも齧ったことがある方なら先刻ご承知だろうが、『アクロイド』は天と智がひっくり返っても映像化は不可能なのである。全く、なにを考えて映像化したのかねえ。


 マンガ、赤松健『魔法先生ネギま!』2巻(講談社/少年マガジンコミックス・410円)。
 こないだ1巻読んだばかりだと思ってたのに、もう2巻が出た。
 しげからは「2巻まで買っとう!」と吐き捨てるような言い方をされたが、そこまで言わんでも。40過ぎのオッサンがラブコメ読んじゃいかんという法律でもあるのか。50過ぎてもラブコメ描いてるマンガ家だっているだろう。
 それはそれとして、確かに読み進めるのがツラクなるマンガではある(^_^;)。1話に1回はパンチラないしはヌードを出そうって姿勢は買うが(買うのか)、「幻の地底図書室」とか、なんだその設定。あろひろしがやるなら笑える設定でも、赤松さんがやるとトホホなものにしか見えないのは、作者の主眼がキャラ萌え読者しか相手にしてないからなんだよなあ。でもとりあえずクラスの生徒が全員出揃うまでは様子を見よう。見ても同じだろうけれど。

2002年08月18日(日) 草臥れ休日/アニメ『サイボーグ009』地下帝国“ヨミ”編/『エキストラ・ジョーカー KER』(清涼院流水・蓮見桃衣)ほか
2001年08月18日(土) オトナの玩具はコドモ/『悪魔の手毬唄』(横溝正史・つのだじろう)ほか
2000年08月18日(金) 気が滅入る話/『明日があるさ』(林原めぐみ)ほか


2003年08月17日(日) 穏やかな休日/映画『宮本武蔵』『續宮本武蔵 一乗寺の決斗』『宮本武蔵完結篇 決闘巌流島』

 アニメ『鉄腕アトム』第19話「ロボットボーイ」。
 今回えらく線が固いなあと思ったけれど、やっぱり作画監督が杉野一夫だった。杉野さんの『ブラック・ジャック』も相当違和感があったけれど、『アトム』にまで起用するのはどうかと思う。名作をたくさん作ってる人にこういうことを言うのは何なんだけど、昔はまだしも、今やすっかり柔らかい線が描けなくなっちゃってるんだからねえ。
 チックとタックをロボットにして出演させるのも、原作ファンはあまり嬉しくなかろうねえ。


 NHK‐BS2で映画『宮本武蔵』『續宮本武蔵 一乗寺の決斗』『宮本武蔵完結篇 決闘巌流島』の三本を立て続けに見る。
 ちょっとした映画通なら、宮本武蔵の決定版は内田吐夢監督・中村錦之助主演版『宮本武蔵』五部作を挙げるところだろうが、私はこの稲垣浩監督・三船敏郎版の三部作も嫌いではない。だいたい戦前からの映画ファンは「宮本武蔵」と言えばたいがい片岡千恵蔵を挙げる。世代により、武蔵観の違いにより、好みは分かれて当然だろう。
 この三本も見返すのは随分久しぶり。嫌いではないと書いたが、原作を後半はしょったために、欠点は随所に生まれている。
 ある種群像劇の要素もあるシリーズだが、前半の主要人物である本位田又八(三国連太郎→堺左千夫)やお杉婆(三好栄子)、沢庵和尚(尾上九郎右衛門)と言った面々が完結編では影も形も現れないのはやはり始末がついていない印象を与える。
 お通(八千草薫)も、美しくはあるのだけれど、どうもお嬢様演技が抜けきれていなくて、もう一つ心に迫るものがない。お前さあ、自分から武蔵追っかけといてよ、いざ武蔵が襲いかかったら「いけません!」って拒絶してさ、それで武蔵が決闘に赴くと「私より剣の方が大事なのね」って、ただのやらずぶったくりのバカ女じゃん(-_-;)。
 これ、アカデミー外国語映画賞を取ってるんだけど、外国人はこれのどこにどう面白さを見出してるんだろうか。それほど凄いとも思わんのだが(ウィリアム・ホールデンが強烈にプッシュしたとの説あり)。
 それでもやはり三船敏郎の殺陣の豪快さは一見の価値があろう。三船はやはり稲垣監督の『佐々木小次郎』でも既に武蔵を演じていたし、この映画が作られた昭和29(1954)年から31(56)年にかけては、『七人の侍』『生きものの記録』などの黒澤明作品に出演していて、脂の乗りきっていたころだった。


 今日も一日中、日記書き。過去の記憶を引きずりだしながらだから、既に正確さは失われてるとは思うが、まあ公開日記なんてものは虚実皮膜なところが面白いんだから、真実をご存知の方も薄目で見ていただければ幸いなのである。

 夜、パソコンを使い始めたら途端にフリーズ。
 ウィンドウを10個ほど開いたらそうなっちゃったんだが、スタートボタンすらクリックできなくなっちゃったのには参った。仕方なく電源コードから抜いたけど、そのうち壊れたりせんかな、このパソコン。

2002年08月17日(土) しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん/アニメ『プリンセスチュチュ』第1話/映画『ピンポン』
2001年08月17日(金) 代打日記
2000年08月17日(木) 明日から仕事/『夜刀の神つかい』(奥瀬サキ・志水アキ)ほか


2003年08月16日(土) 危険な予感/『空想科学大戦1』(柳田理科雄・筆吉純一郎)

 「盆が明けたら来て下さい」と眼科医に言われていたので、出かけたけれども、月曜からであった。日にちをハッキリ指定しておいてほしかったものだと思うが、出かけるの前にそのまま帰るのももったいなかったので、「五風」でカレーライスを食べる。


 鴉丸嬢から、ホームページ用のイラストを一枚、しげが預かって来る。
 早速、アップするけれども、色調の補正がどうもうまくいかない。あの色立てればあの色立たずで、原画の色になかなか近づかないのである。だいたい色弱の私にできる作業じゃないのだ(^_^;)。
 結局一枚アップするだけで小1時間かかる。いつまで経ってもパソコンに馴れないことだ。


 夜、上司から電話があって、突然、アキレス腱を切ったので、来週から仕事を休むとのこと。まあ私もしょっちゅうカラダ壊して休んでるんで、こういうときはぜひ力になって差し上げたいのであるが、するってえと例のアノちょっと困ったお方とお仕事する機会が増えるということでもあるのだ。あの、それはちょっとというか、凄くツライんですが(T∇T)。


 マンガ、柳田理科雄原作・筆吉純一郎作画『空想科学大戦1』(メディアファクトリー/空想科学文庫・630円)。
 某所では散々叩かれてる『空想科学』シリーズのマンガ版。そりゃ突っ込めばいくらでも突っ込めるけれど、そもそも他愛のないお遊びマンガだしなあ。もちろん、このマンガの描写の方が科学的に正しいと思いこむ人間が目の前にいれば「そりゃちゃうで」、とは言うだろうが、そもそもこの程度の科学考証が正しいと思いこむようなアタマの持ち主ならば、会話なんてしない方が無難である。
 SFはかなりハードな作品でもどこかファンタジーな部分を持ってるものなんだから、そこに突っ込むのは野暮ってものなんである。
 そもそもヒーローがマッハで空を飛ぶと死ぬとか、怪獣は自重で潰れるとかのツッコミは小学生のころにみんな散々やってきてるだろう。わざわざ本に書いたりマンガに描いたりするほどの知識じゃない。それが商売として成り立ってしまうくらいに世の中には「遊び」の要素がなくなっちゃってるのかと、そっちの方がよっぽど悲しいんだけどなあ。

2002年08月16日(金) ドリンクバーの果てに/『フラッシュ!奇面組』1巻(新沢基栄)/『永遠のグレイス』(川崎郷太・伊藤伸平)ほか
2001年08月16日(木) 代打日記
2000年08月16日(水) 橘外男&中川信夫ワンダーランド/映画『女吸血鬼』ほか


2003年08月15日(金) 記念日って何の/DVD『レッド・ドラゴン』

 終戦記念日ということで、新聞でもテレビでも式典関係のニュースがテンコ盛りだけれど、さて、こういうの見てる人って、どれくらいいるんだろうか。
 ハッキリ言っちゃえば、もう戦争経験者で当時の記憶を鮮明に持ってる人って70歳以上だから、どうしたって大半の人は親身になって見ることなんてできはしないのである。視聴率が取れないのがわかってるから、制作者側も戦争関係の話については8/15に閉じこめといて、他の日はンなもん、忘れて暮らしましょって構図になってると思うがね。
 何にせよ、上からの押しつけで反戦教育やったって、誰も聞きゃしねえ、ということが最近どんどん鮮明になりつつあるんじゃないかな。


 14日午後4時(日本時間15日午前5時)すぎに、アメリカ北東部と、カナダ南東部にまたがる広範囲で大規模停電が発生。ニューヨークでは都市機能が完全にまひして、停電に関連して1人が死亡。
 相当大きな惨事のようだが、テレビのニュースキャスターは以前のニューヨーク大停電のときに比べて市民は落ち付いているとレポート。いつまで停電が続くか分らず、市民がパニックに陥って乱暴狼藉を働いた前回に比べて、今回は「復旧が着実に進んでいること」「テロの危険性はない」ことを各市長が市民に知らせていたことが効を奏したのだろうとのこと。
 ちゃんと「前回の経験」を生かしているわけで、日本人はこう手際よくはいかないんだろうなあと思うと残念である。これだから「過去に学ばない」とすぐ叩かれちゃうんだけどな。


 こないだから、手をぶら下げてるだけで指先がジンジンするようになっているのだが、キーボードをしばらく叩いていると、痺れるだけでなく関節のあたりが痛くなってくる。関節炎か、それとも糖尿が進行してきているのか。


 夕方から父のマンションで送り火。
 「お母さん、また来いね」と父が声をかける間もなく火が消える。母も慌しいことだ。
 そのあと父としげと食事に出る。「金龍」の横を通りかかったとき、「ここのラーメン屋はどげんや?」と聞かれたので、「とんこつだよ?」と答えたら「とんこつは好かん」と一刀両断。なんども書いてるが博多の人間がみんなとんこつラーメン好きだというのはただの偏見なのでご注意。
 「大河すし」に案内するが、蕨餅まで流れてくる雑多さに、父はいささか閉口したようである。「まあまあかな」とこれも一蹴。実の父とは言え、舌の肥えた人間を案内するのはひと苦労だ。


 DVD『レッド・ドラゴン』。
 原作はレクター博士登場編で、かつて『刑事グラハム 凍りついた欲望(1986)』というタイトルで映画化されている(ビデオは『レッド・ドラゴン レクター博士の沈黙』という更にトホホな題に変更)。
 原作はかつて小林信彦がクサしてたんで、たいしたことないかと思って読んでないんだが、どうやらレクター博士人気に押されて、原作者が書き直したらしい。今回の映画はその改訂版に基づいたものらしいので、厳密に言えば「二度目の映画化」というのは当たらないのかも知れない。どっちにしろ原作を両方とも読み比べないことにはハッキリしたことは言えんな。
 冒頭の「レクター博士逮捕劇」(これは先の映画版にはない)、実はこれが映画の中で最も面白いシークエンスなのだけれど、残念なことに面白さもつまらなさも同時に凝縮されているんだなあ。
 刑事ウィル・グレアム(エドワード・ノートン)がなぜハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)を逮捕できたか、ということなんだけれど、本当はこれだけで一本の作品を作らないと、観客はどうしても「薄味」の印象を持ってしまうことになる。でも、「探偵が実は犯人」ってトリックはミステリーではもう腐るほど書かれてきていて、よっぽどの妙手が書かない限り、面白いものにはならない。だからあっさりと終わらせるしかなかったってのはわかるんだけど、その結果として「物足りない」印象に終わっちゃったのはやっぱり失敗だと思う。
 簡単に言えば、自分が犯人だって証拠を残しまくりのレクターが、ただのバカにしか見えないのよ。『羊たちの沈黙』の時にはクラリスという更に大バカなヤツがいたからレクターのバカも目立ちゃしなかったんだが、やっぱりああも簡単に逮捕されちゃねえ。バカがいなけりゃリコウは目立たぬと言うが、シャーロック・ホームズが天才に見えるためにはやはり「ぼくのボズウェル」ことワトソン博士が必要なのである。
 その「犯人がバカ」ってのは「噛みつき魔=トゥース・フェアリー(Tooth Fairy)」フランシス・ダラハイド(レイフ・ファインズ)にしても同じなので、幼少期のトラウマが犯罪の遠因になってるとか、サイコ・サスペンスの定番な設定をああも工夫もなく提出されると、見てるこっちは気恥ずかしくすらなってくるのである。だってねえ、ダラハイド、自分の力強さを見せつけるために新聞記者フレディ・ラウンズ(フィリップ・シーモア・ホフマン)に背中のレッド・ドラゴンの刺青見せるんだよ。アンタこれ、『ねらわれた学園』の峰岸徹の「私は宇宙だ!」と変わらんがな(^_^;)。
 犯罪者ってのが何らかの形で自我肥大を起こしてるってのはわかるけど、それを抑制する知性がなかったら、探偵と犯人の理知の闘いのサスペンスは生まれないんだよね。
 あと、ヒロインのリーバ・マクレーン(エミリー・ワトソン)も、いかにもダラハイドに騙されそうなマヌケっぷりを披露しているのも興醒め。ちったあ疑えよって。

2002年08月15日(木) 母の呼ぶ声/『フルーツバスケット』5〜9巻(高屋奈月)/『神罰』(田中圭一)
2001年08月15日(水) 代打日記
2000年08月15日(火) 盆休みも終わり……なのに毎日暑いな/映画『シャンハイ・ヌーン』ほか


2003年08月14日(木) やっぱり長く書けません。/映画『SF巨大生物の島』/DVD『天才マックスの世界』

 朝、今日会う予定だった友人より電話があって、都合で会えなくなったとのこと。予定が空いてしまったので、溜まってる日記をつけることにする。
 更新が遅れているので、書きたいことは多々あれどかなり省略。それでも原稿用紙にして10枚以上軽くかかってしまう日もある。結局二、三日分しか書けず。指がちょっと痛くなる。

 夕方、NHK‐BSでハリーハウゼンのダイナメーションシリーズ、映画『SF巨大生物の島』。これも随分昔にテレビで見たっきり。
 ジュール・ヴェルヌ原作の『神秘の島』が原作だが、同じ原作をもとにしたアニメ『不思議の海のナディア』とは似ても似つかぬ。『島編』で舞台が海岸線になってたことくらいか。
 ネモ艦長を演じているのがハーバート・“ドレフュス署長”・ロムなんだけれど、なんでインド人じゃないのか。多分脚本家も原作よく読んでなかったんじゃなかろうか。
 昔見たとき、「カニをわざわざ人形アニメにしてどうする」と思ったものだが、ホンモノのカニは思い通りには動いてくれないだろうからなあ。ハリーハウゼンの中でも珍品な方か。


 DVD『天才マックスの世界』。
 ビル・マーレイのフィルモグラフィーに長いこと“Rushmore”と原タイトルだけ載ってたんで、てっきり例の「ラシュモア山(あのワシントン、ジェファーソン、リンカーン、セオドア・ルーズベルトの顔が彫られてる山ね)」に関する話かと思ってたら、「ラシュモア」って、この映画の舞台になってる名門私立高校の名前だった。
 中学校のころに書いた戯曲の天才的な出来映えに感嘆したラシュモア高の校長の推薦で入学したマックス・フィッシャー(ジェイソン・シュワルツマン)。ところが、マジメな勉強よりも課外授業の方に熱心な彼は今や落第寸前。ところがそんな切羽詰まった状況だというのに、ラテン語のクロス先生(オリビア・ウィリアムズ)に恋をしてしまい……。
 オープニング、黒板の難しい数式をスラスラと解く夢を見ていたマックスが目を覚まし、校長から「史上最悪の生徒だ」と毒づかれ、学校新聞の発行、フェンシングチームの主将、演劇部の演出家、養蜂部の部長まで、18の部活を掛け持ちする様子が描かれるあたりまでは、こりゃどんなに面白い展開になることかと期待させるのだが、マックスが恋にのめり込んで行くと、話がどんどん辛気臭くなってしまうのである。
 恋には必ず難関が立ちふさがるもので、マックス君のライバルは鉄鋼会社の社長、ブルーム(ビル・マーレイ)なんだけれど、彼を陥れるために不倫を奥さんにバラすなんて卑怯なマネ、「天才マックス」のやるこっちゃない。なんか一つ一つのエピソードのあと味が悪いんだよなあ。結局ラシュモア校も放校になっちゃうし。
 全体的に悪い出来とまでは言えないんだけど、もっと面白くできなかったものかという物足りなさを感じてしまうのだ。。
 マックスを慕い、後半心の支えとなる女学生、マーガレット・ヤン役のサラ・タナカ、これが吉本ばななを美人にしたような(微妙な言い方だな)メガネっ娘でかわいい。

2002年08月14日(水) 魔性の女/DVD『プカドン交響楽』/『藤子不二雄論』(米沢嘉博)ほか
2001年08月14日(火) 代打日記
2000年08月14日(月) せっかくいい気分だったのに……/映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』ほか


2003年08月13日(水) でもちょっとだけ長く書きました。/『雨天順延 テレビ消灯時間5』(ナンシー関)

 12日午後、『西部警察2003』の名古屋市内でのロケ中に、池田努運転のスポーツカーがスピンして見物人の列に突っ込み、男女計5人が重軽傷を負う事件あり。
 テレビの映像を見ると、別段、危険な撮影中というわけでもなく、どうやらただの運転ミスらしい。観客も随分間近で見ていたようだけれど、特に危険な撮影でもなければそれも至極当然だろう。なんだか随分不運な話だけれど、かと言って今後撮影を続行すれば世間の非難は必至だろう。いったんは製作中止もやむを得ないのもわかるが、なんか釈然としないものも残る。
 やっぱ芝居やってると心のどこかで「人死にが出ようが幕を降ろしちゃなんねえ」って外道な感覚があるからかな。
 

 福岡市中央区の私立高2年の少年が、昨年8月から今年5月にかけて起こった31件の婦女暴行事件の容疑者として逮捕。本人は「アダルトビデオや漫画を見て自分もやりたくなった」と話しているとか。
 校名隠してるけど、地元だと自然とどこのことかわかっちゃうんだよな。こういう場合、マスコミも「中央区」とか「私立高」とか、記事から外すくらいの配慮はできんものか。「福岡市の少年(17)」で情報としては充分だろ?
 なんかねえ、いかにも人権守ってますって顔しててさ、ネットに情報流すためのヒントを与えようとしてるってのが見え見えだしさあ、あまりいい気持ちはせんのだわ。犯行の原因を「ビデオやマンガ」のせいにするって図式もすっかり犯人たちの意識に擦りこまれてるし、ああ、いったいいつまで犯罪推奨キャンペーンを続けりゃ気がすむんだ。


 夕方から父のマンションで、例年通りに亡母を迎え火。
 毎年、父のマンションの来客用の駐車場はいっぱいになってしまうのだが、今年はうまい具合に何ヶ所か空いている。それどころか住人の駐車場もガラガラだ。と言うことは、ここの住人、地元の人間がすごく少なくなっちゃったということか。
 父の部屋に入ると、いきなり小向美奈子のポスターが貼ってあるのに出くわして、思わず引く。よく見ると、去年のカレンダーで、店に貼ってあったやつだ。わざわざウチまで持って帰って貼るかい。父、「よかろうが」とか言ってくれるが、どう返事すりゃいいんだか(-_-;)。
 まずは母の位牌に焼香。もうそろそろ母との年齢差も二十歳になる。仏壇の母の写真は若々しくて、もしこのころの母と今の私が一緒に並んで歩いていたら、夫婦に見られるかも知れない。生前は父と私が兄弟で、母だけが年上に見られて随分憤慨してたものだったが、案外早死にしたのはもうこれ以上老けたくないとか考えたのかもなどと漠然と考える。
 部屋を見回すと、テレビの横のケースに、石原裕次郎のDVDボックスが置いてある。「DVDを見る時間なんてない」とか言ってたわりにはほしいものはやっぱり買っているのだ。裕次郎は昭和9年生まれ。7年生まれの母や10年生まれの父にとっては全くの同世代である。映画は多分、二人とも殆ど見ているのだろう。デートで一緒に見たというものも少なくないに違いない。両親にとってはまさしく青春の1ページを象徴している大スターのである。親には悪いが、太ってからの裕次郎しか知らぬ私は、裕次郎映画を見るたびに「カッコ付け過ぎ」と貶してたものだったが、そのたびに「ばかたれ」と小突かれていたものだった。うちでは長谷川一夫と石原裕次郎の悪口はタブーだったのである。
 その反動で、一時期私は石原裕次郎をケチョンケチョンに貶してたものだったが、今見返してみると、どれもこれもすげえ名作揃いなのだ、これが。昔は「カッコつけ」としか見えなかった裕次郎の「フリ」が、今にも弾け飛び、踊り出しそうな「若さ」だったのだということに気がつく。一時代を築いたのも頷けるのだ。
 でもよく見ると、まだ買ったばかりらしく、封を切ってない。ちゃんと見る気あるのかなあ。一緒に見ようと誘ったほうがいいのかも。

 迎え火だってのに、いきなり「どこの川に行くんだっけ?」とボケをカマしてしまい、父から「それは送り火」と突っ込まれる。
 ベランダで火をつけるとき、ふと気づいて、「昔は茄子の馬かなんか一緒に置いとかなかったっけ?」と聞いたが、「いろいろやり方あるからなあ」と気のない返事。「最近は盆もせん家も多いっちゃないや」とやや淋しげである。
 そのあと近所のステーキ屋で分厚い肉をウェルダンで。父も生ビールを頼む。二人とも糖尿なのに何も考えていない(^_^;)。
 ふと父に「昔、外から帰ってきたときに、砂糖水を飲む習慣ってあった?」と聞く。こないだ見た映画『山の音』で、山村聰が原節子に砂糖水を頼むシーンがあったからだ(原作にもこの描写はある)。
 「さあ、知らんな」
 「映画の舞台は鎌倉なんだけど」
 「あれやないか。病院で点滴打つのと同じやないか? アレの中身がほら、あの」
 「ブドウ糖?」
 「それ。栄養つけようとやろ」
 リクツは通るようだけれど、「習慣」として、どの程度の地域でどの程度浸透していたのか、というのはよくわからない。シティボーイズのライブ『丈夫な足場』でも中村有志さんが「砂糖水を飲む」というコントがあったので、現在でもそういう人はいるのかも知れないが。

 ゆっくりしていけと言われたので、そのまま三人で漫然とテレビを見て過ごす。
 『トリビアの泉』、福岡の柳川と言えば、名物は鰻のせいろ蒸しだが、「イソギンチャクの唐揚げを売ってる店」もあるそうな。柳川に行ったことはあったけれども、そりゃ食べたことなかったな。ゲテモノはまあまあ食べられる方なので、そのうち行ってみよう。
 「中国ではパンダに性教育ビデオを見せている」っての、確かゴリラにそれやってた動物園もなかったか。あれはストレス解消のためだったかな。人間に飼われるうちに野性を無くしてしまった動物も多いから、これやってるとこって少なくはないと思うけど。
 「ハンガリー語で塩が足りないことを『シオタラン』と言う」っての、日本語との意外な類似ネタだけど(イタリア語の「タベルナ」とかな)、わざわざハンガリーまで行って撮影して来るって、なんか無駄なカネ使ってるなあ、という気が先に立ってしまって、どうもノレない。
 何度も書いてるが、ネタが薄いのは知識が基本的に偏在するものであることを考えれば特に気にはならないのである。不特定多数を相手にするテレビでは、そもそも「こんなの常識だろう」なんてのは有り得ない。自分には周知のネタでも他人には「へぇ」ってことも、またその逆もよくあることだ。要は薄いネタでもそれをどう見せるかって点なのだが、演出まで薄いんじゃどうもね。
 その点、興味を引いたのは、「ルソーは露出狂」というネタ。「ジャン・ジャック・ルソー」の名はもちろん有名だけれども、何をした人か、なんてことまで含めたら、認知してる人は少なかろう。私はかろうじて『エミール』を読んでたんで、まあ大雑把な経歴は知ってたが、露出狂かどうかまでは知らなんだ。その点も一応「へぇ」なんだが、どっちかと言うと「ルソー」がトリビアのネタに使われたことの方がずっと「へぇ」であった。
 だってMEGUMIにビビる大木、あからさまに「誰それ?」って顔してるんだもん。あのね、この人が『告白』書いてなかったら、それに影響受けた島崎藤村が『春』とか『家』とか私小説を書くことも無くって、日本に私小説の伝統もできなくて、引いては飯島愛の『プラトニック・セックス』も生まれなかったかもしれないんだよ。なんてことしてくれたんだルソー(←牽強付会を承知の上で書いてるので突っ込まないよーに)。
 なんかまたネタに突っ込み入れるだけで行数かかっちゃうのでこのへんで省略するけど、親父が見てて一番大笑いしてたのは、「秘密戦隊ゴレンジャーは鶏がらスープで敵を倒したことがある」であった。いや、これトリビアじゃないでしょ、そもそもそういうオチャラケな設定の番組なんだから。「ウルトラマンは怪獣の腋の下をくすぐって隙を作り倒したことがある」ってんなら、ウルトラマンはもともとそんなことするキャラじゃないから「へぇ」にもなろうが、ゴレンジャーでそれやっちゃ、番組自体をバカにしてるのと変わらん。こんなのネタにされてたら、特撮ファンはもっと怒んなきゃいけないんじゃないのか。

 父がイネムリし始めたので、十時過ぎに辞去。帰り際に父が「(来てくれて)ありがとね」と言うが、息子が盆に帰ってくるのが感謝されることかい。なんか日頃よっぽど親不孝してると思われてるな(-_-;)。


 ナンシー関『雨天順延 テレビ消灯時間5』(文春文庫・420円)。
 本文よりも興味を引いたのは、巻末の大月隆寛の解説である。
 故ナンシーさんへの感情過多で、自分の書いた追悼文に勝るものはないと断言し、他の追悼者たちを全て「わけのわかんねえ追悼文垂れ流してたひと山いくらのボンクラ共!」と罵倒する、その過激さだ。
 これを読んで、その傲慢さにムッとする人も多分いるだろうし、またかえってナンシーさんの評判を落とすことになりはしないかと懸念される方もいらっしゃるだろう。実際、いとうせいこうさんの追悼文の方が、はるかにナンシーさんの喪失の事実をこちらにヒシヒシと伝えてくれる。それに比べれは大月さんのはナンシーさんを私物化しようとしているだけのただの駄文だ。
 にもかかわらず、ナンシーさんに関してはこういう「駄文」こそがもっともっと書かれねばならないと思う。
 「自分だけがこの人のことを本当にわかっている」というのはもちろんただの思い込みだ。妄想と言ってもいい。しかし、そんな思いを持つファンが誰もいないような作家に、いったい何の価値があろう? 「自分こそが一番のファン」と自負する思いを持つ人間が多いことがすなわち、その作家にとっての最大の勲章なのだ(作家本人にとっては迷惑な場合が往々にしてあったとしても)。
 大月さんの言に腹を立てた人は、「いいや、大月、おまえこそナンシーさんのことがなにもわかっちゃいない。真のファンはオレだ」と声高に宣言すればいいのだ。静かに追悼するばかりが能じゃあるまい。作家は、作品は、読まれ、語られてこそその命脈を保つのである。

2002年08月13日(火) オタクの血/『アンダンテ』2・3巻(小花美穂)/『魔王ダンテ 神略編』1巻(永井豪)
2001年08月13日(月) 代打日記
2000年08月13日(日) 盆がはよ来りゃはよ戻る/『明治快女伝』(森まゆみ)


2003年08月12日(火) もうあまり長く書けません/映画『地球へ二千万マイル』

 仕事は半ドン。これからが本格的な盆休みである。

 NHK−BS2で映画『地球へ二千万マイル』。
 WOWOWで放送されてた時には『金星怪獣イーマの襲撃』というタイトルがついていた。しかし「イーマ」(北欧神話のイミールのこと)という呼び名は映画中では一切語られない。これはハリーハウゼンが人形の付けていた愛称なのである。
 昔、日本の着グルミ特撮に馴れていた身には、ハリーハウゼンのダイナメーションには違和感があったのだけれど、CG全盛の現在の目で見ると、この残像のないチカチカする動きがかえって懐かしく感じるんだから、映画の見方なんてものはいい加減なものである。
 でも、やっぱりアチラの怪獣は概して弱いよな。すぐとっ捕まるし、逃げ出しゃやられるし。たかが象と戦ったって、面白くも何ともないのである。怪獣としての矜持がないのか。引力光線くらい吐いてみろ金星竜(^o^)。

 『探偵学園Q』、『ぴったんこカン・カン』、『学校へ行こう』、『愛と誠』と続けて。
 『学校へ行こう』は、「マドンナ先生」はそんなにかわいくないし、「学校の怪談王選手権」は、語ってる本人の方が怖い。
 『愛と誠』のゲストは久本雅美。本人と知らせず100人の独身男性にボタンを押させたら73点で歴代2位だったのに、久本さんとわかった途端に51点まで下がる。……いい人だと思うんだけどなあ。このデータだと、男の三人に一人は先入観で女を見てるってことにならんか。女を選り好みできる男がそうそういるとも思えんが。


 マンガ、鳥山明『ドラゴンボールZ 完全版』17・18巻(集英社/ジャンブコミックス・各980円)。
 2、3巻、前のやつ感想書き忘れてる気もするが、まあいいでしょ。後付けの説明がやたら増えてきて、連載中はすっかり飽きてきたころ。フリーザ登場編だけれども、このキャラには全然と言っていいほど私は魅力を感じなくなっていた。それでもまだ買い続けてたんだから、健気なもんである。

2002年08月12日(月) ほしのローカス(笑)/『トライガン・マキシマム』7巻(内藤泰弘)/『コータローまかりとおる!L』4巻(蛭田達也)ほか
2001年08月12日(日) 代打日記
2000年08月12日(土) 地雷炸裂/『スヌーピー26 ぼくはどこへも行かない夜』(チャールズ・シュルツ)ほか


2003年08月11日(月) 水がまた来る/『さちことねこさま』1巻(唐沢なをき)

 午後から半日だけの出張である。
 出張先、自宅から一本道なのだが、なぜかバスが通っていない。福岡というところは博多、天神間の交通の便ばかり考えられていて、他の地域は殆ど田舎同然である。亡き母は「福岡って田舎ですねえ」と遠方からの客に言われたときに烈火のごとく怒っていたが(言う客も客だが、怒る方もちょっとなあ)、実際、バス路線の不便さを考えるとそれも否定はできない。
 言っちゃなんだが、福岡市とその周辺でせいぜい「街」と言えるのは「博多」と「天神」くらいしかない。あとはホークスタウンができてからの「百道」かねえ。言われて嬉しかないだろうが、他地区はやっぱり、軒並み「田舎」なんである。
 粕屋とか箱崎とか香椎とかもねえ、いろんな建物おっ立てて「街」を活性化させようと頑張ってるけど、たいていの買い物、「博多」と「天神」で賄えちゃうから、近隣の客以外、そこまで遠出して買い物する必要ないんだよねえ。『エクセルサーガ』に某デパートが閉店するネタがあったけど、事実だからなあ、アレ(^_^;)。
 久山なんか、昔はアスレチッククラブしかなかった山ん中に映画館だのスーパー銭湯だの市場だの作って、でもやっぱりなにか「目玉」になるものに欠けてる印象が強い。たまに行くたび、本当にたまたまなのかもしれないけれど、店内がガランとしてるの見ると、大丈夫かなあ、と心配になるのだ(もっと心配なのは博多リバレインだけど)。
 もっともそんなふうに「適度に寂れて」いるおかげで、粕屋のワーナーマイカルとか久山のヴァージンシネマズとか、映画館は空いていてありがたい。喜んじゃいかんか。
 その逆に天神東宝やAMCキャナルシティは、いつ行っても混んでいる。だもんで、最近そこでしか見られないって映画がかかってない限りは、とんと足が遠のいてしまった。ポイントカードが溜まってて、タダ券使わないともったいないんだが。

 短く書かなきゃと思いつつ、また余計な話をしているが、つまり、「出張先まで交通機関がない」ということなのである。
 で、夕方から仕事があるしげにムリヤリ頼みこんで、送り迎えをしてもらう。タクシー代を払うほどの余裕はもう今月はないのだ(T∇T)。
 出張仕事、予定時間が少し遅れて、表に出たときにはもう5時。
 外では新車に乗ったしげが、仕事に間に合うかどうか、イライラして待っていた。慌てて謝りながら車に乗った途端、稲光とともに豪雨に見舞われた。いやもう、あっという間に道が水没していく。
 「こないだの水害のときみたいに、駐車場、水にしずまんかなあ」
 「すぐ仕事に行くんやろ? 仕事先は水、大丈夫なん?」
 「高くなってるから、あそこは大丈夫」
 「だったら、仕事が終わっても、そこに置いたままにしといて歩いて帰ってくればいいやん。また迎えに行ってもいいし」
 「最悪の場合、そうするけど……」
 しげはそれでも不安そうである。
 マンションの駐車場に到着した時点では、まだ一階のピロティは無事であった。就業時間が迫っているしげは、慌てていったん汗を流そうと風呂に入る。で、着替え始めるまでほんの20分ほど。いきなり玄関のホーンが鳴って、ご近所さんの顔が画面に映しだされた。
 「はい、何でしょう?」
 「藤原さん! 車が沈みようですよ!」
 「えええええっ!」
 慌ててパンツのまま(本当に驚いていたのである)、ベランダに飛び出したら、まさしく先日の悪夢の風景が再現されようとしているさ中であった。
 轟々と流れてくる茶色い濁流が、今にも新車のタイヤをその下に隠そうとしている。
 部屋に戻るやいなや、しげに向かって「急げ! もう大分沈んどう!」と叫ぶ。しげも血相変えて玄関から飛び出す。すれ違いざまぶつかりそうになるがお違い怒鳴りあってる余裕はない。やっぱりパンツのまま、ベランダから下の様子を覗いていると、しげ、水の中をジャブジャブと車まで辿りつき、そのまま濁流のの中を進んでいった。一応、こないだのように座席まで水が入りこむということはなかったようだが、これでまた新車がオシャカになっちまったら、泣くに泣けない。
 今年の夏はなんか一気にいろいろ来るなあ、そう言えば今年は、後厄だったなあ、厄除けなんて特にしなかったけどまさかそのせいかなあ、とか、普段は全く考えないことがアタマに浮かぶ。
 とりあえず部屋に戻って、テレビを点けたのだが……。
 映らない。
 顔が蒼白になる。明らかにこの雷雨のせいなのだが、今まさにレイ・ハリーハウゼンの『世紀の謎・空飛ぶ円盤地球を襲撃す』がNHK−BS2で放映されていて、それを録画しながら見ようとしていたところだったのだ。
 あああああ、雨の野郎めえええええ!
 天に怒っても仕方がないので、怒りはやはり福岡市の市政に向かう。こないだの水害で、市は警戒サイレンをあちこちに設置すると発表していたのだが、今回もそれは間に合わなかったようだ。よしんば設置されたところで、鳴らすのが遅れればそれまでである。どの程度役に立つものだろうか。

 父と姉が心配になったので、電話をかける。「なんや」と、父のいつものぶっきらぼうな声が聞こえて来る。
 「そっちはどげんね? こっちはもう一階が水没しとうばってん」
 「おう、店ん前は川になっとうぜ。こないだ溝に泥ば流しとうけん、水がはけんとたい」
 暗に道の掃除をした私を非難しているのだが、かと言って、店の前にヘドロを放置しておくわけにもいかないだろう。リヤカーなんかで泥をどこかに運ぼうにも、そのリヤカー自体、持っていないのである。
 生前の母は、自分の責任で何かしたことを、初めはたいして何も言わないで見過ごしてるのに、何かが起きた後になって、こんなふうにイヤミを言う父のクセを、ものすごく嫌っていた。父は70になろうとするこのトシになっても、その悪癖が治っていないのである。私もやや父のモノイイにムッとはするが、心配して電話をかけたのに口ゲンカになっても仕方がないので、そのままやり過ごすことにする。それにこういうイヤミグセ、父ほどではないが子である私にもしっかり伝わっている。父に向けた刃はそのまま私に返ってきてしまうのだ。
 「どげんすると? また椅子とかブロックの上にあげるんね」
 「どげんするかはまだわからん。最悪の場合はそげんしてシャッター閉めて帰るしかなかろうばってん、ぎりぎりまでここにおって様子ば見とく」
 何かあれば呼んでくれ、と言って、電話を置く。幸い、それから10分ほどして雨は上がった。どうやら今年初めての、そして典型的な夕立だったようである。
 

 マンガ、唐沢なをき『さちことねこさま』1巻(エンターブレイン/ビームコミックス・651円)。
 オビに「唐沢なをき初(?)のシット・コム」とあるが、さて、そう名付けていいものかどうか確かに(?)だわな。まあ面白けりゃなんでもいいのである。
 筋を書くのはめんどくさいんでオビの惹句をそのまんま引用。
 「かわいいメガネっ娘と不思議なねこが大活躍!! 貧乏でいたいけで業の深いメガネっ娘・薄氷(うすらい)さちこ。彼女がイジメられると出現する“ねこさま”の正体とは!?」
 まあ、これはネタバラシしても構うまいが、一見動物に見えるこの物体、「アタマノサキニアルモノ」という先祖代々の「業」が凝ったものなのである。普通は人の目には見えないはずなのに、とびきり業の深いさちこのそれはしっかり見えちゃうだけでなく、エサは食うわ人は襲うわ海苔は食うわしっことうんこをしまくるわネズミやヘビをおみやげにくれるわ、狼藉のし放題なのであった。
 「シットコム」というだけあって、確かに設定が揺るがず、文法破壊もないが、そういうのは本当は「唐沢さんらしくない」マンガになるはずなんである。ところがいつもの唐沢さんのマンガと違和感がさしてないのは、やっぱり登場するキャラクターが全ていつもの粘着質でデンパなやつらばかりだからなんだな(^o^)。けど、これまで一度もアニメ化されたことのない唐沢作品の中で、これが一番アニメ化向きなんじゃないかなあ(個人的には『蒸気王』をアニメ化してほしいんだが)。唐沢なをきメジャー化計画で(それなりにマニア受けはしていようが)、どこか勇気のあるスタッフ(IGとかマッドハウスとか)、一本作ってみないか。

2002年08月11日(日) 島田賢志君、元気?(読んでねえって)/DVD『∀ガンダム供〃邯蝶』/『キカイダー大全』(岩佐陽一編)ほか
2001年08月11日(土) 代打日記
2000年08月11日(金) 小心者は女房に内緒で寿司が食えるか?/『冥王と獣のダンス』(上遠野浩平)ほか


2003年08月10日(日) 二元論の陥穽/『魔法先生ネギま!』1巻(赤松健)/『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(横溝正史)ほか

 『プレイガール』の沢たまきさんが、9日、虚血性心不全のため死去。享年66。なんでも風呂場での突然死だそうで、私の母が死ぬ前にも風呂に入って失神していたことがあったから、イメージがダブって少しく気分が悪くなった。
 基本的に私は政界に進出する役者さんというのが好きではない。筒井康隆がいつかマンガの中で「タレント議員に占拠された国会」というのを描いていたことがあったが、ただでさえ不透明な政界を更に解りにくくする効果しかないという気がしている。つまり「党の宣伝塔」というだけでなく、「カモフラージュ」の役割も果たしてるわけやね。それを知ってか知らずか、立候補するっていうのは、よっぽどタチが悪いかよっぽど呑気なのかどっちかだろう(真剣に国政を考えていたとしてもそれはやっぱり「呑気」である)。
 『プレイガール』の誰が好きだったか、というのは人によって好みが別れるのだが、下っ端ばかりが活躍して実質ちょっとしか出演しない「アネゴ」が私は一番好きだったのである。それだけに沢さんの政界進出はちょっとショックだった。
 ……しかし『プレイガール』、東京12チャンネル系だったから当時は福岡にはキー局がなくて、放送してたの、土曜だったか日曜だったかの昼だったんだよなあ。小学生であんなの見ててよく親に叱られなかったものである。まあ巷間言われるほどにセクシーなシーンとかヌードシーンなんてのはなかったんだけどね。


 アニメ『鉄腕アトム』第18話「プルートゥは死なず」。
 プルートゥを作ったのは実は……ってあの設定、何か意味があるのか。ボラーもあんなんなっちまうしなあ。いやまあ、見てる人も多いだろうから隠すほどのことはないんだけどさ。「一応」原作通りプルートゥは死んじゃうんだけど、盛りあがらないんだよなあ。ちゃんと、火山の爆発をアトムと二人で食いとめるシークエンス入れなきゃダメじゃん。岩で火口を埋めるなんて乱暴なやり方、科学的にはおかしくても、ドラマは心情的なもので、科学考証はそれに勝るものではないのだ。
 脚本の長谷川圭一は『GMK』で戦争ネタを強行に入れたがった人である。察するに主題主義に毒されてるとこあるんじゃないかな。


 AIQのMLメールが来ていたので、今ごろなんだろうと思ってみたら、エロの冒険者さんからのAIQ解散のお知らせであった。
 「事後承諾ですみません」とあり、一瞬、何のことか分らずに首を捻る。もうひと月ほど前に解散会を開いて、そのときに解散の報告はあっているのだ。私もしおやさんもZUBATさんもそのことは日記に書いているし、事後も何も、みなさんそのことは先刻ご承知のはずなのである。
 何か改めて解散の理由でも書いて送らねばならない事情でも起きたのかとも思ったが、それも何も書かれていない。何のためのMLか、見当がつかないので、もしかして暗号でも隠されているのかと行数をいろいろ変換してタテヨミまでしてしまった(^_^;)。
 ふと気が付いたのだが、エロさん、もしかしてオタクアミーゴスのお三方に「AIQ解散」の報告をするの、忘れてたのではないか。……多分そうなんだろうなあ。何しろエロさんのホームページ、未だにオタアミ公演の広告が削除されないまま残っているしなあ。
 「ああ、終わった飲んだ終わった飲んだ、ふぃー、ええこんころもちや♪」ってな調子で、きれいサッパリ後のことを考えてなかったのであろう。呑気なお人柄が偲ばれてそれはそれで微笑ましくはあるのだが、あまりトンチンカンなことをされていると、こうして私の日記のネタにされてしまうのである(^o^)。


 昨日、掲示板にふーみんさんという方から、故・坂口祐三郎さんについての問い合わせがあった。
 日記に思い入れたっぷりの記述をしてしまったから、坂口さんについて何か詳しいことでも知ってるんじゃないかと思われたらしい。しかしながら、私はただの一ファンに過ぎなくて、特に坂口さんの関係者というわけではない。だもんで結局、申し訳程度のことしかご返答ができなくて、ふーみんさんはさぞやガッカリされたことだろうと思っていたら、今日になってまたレスがついて、随分感謝されてしまったのである。いやもう、すっかり恐縮してしまった。

 世の中にはおだてられれば簡単に有頂天になれる幸せなお脳の持ち主も多々おられるようだが、私はどうにもこういう過分な評価を受けるとすっかり逃げ場を失ってしまい、部屋の隅で膝っ小僧を抱いて畳に「の」の字を書いてしまうのである(そんなかわいいものか)。
 ……いやね、「誉められ上手」な人の「誉められて嬉しい」という気持ちがわからないではないけれど、翻って自分のことを考えた時に、「自分がそんなに誉められたもんかな」ということはどうしても考えてしまうものではないのかな。
 私が掲示板に「悪口可」と書いているのは、実際、悪口を書いてもらったほうが気が楽だからだ。悪口の中にはただの難癖もある可能性はあるが、正鵠を射ているマットウな批判になっている場合も多い(つーか、悪口と批判の区別は論旨が明確であれば簡単に見分けられる)。
 いや、ただの難癖だろうと、それはそれで相応の対応ができるのだ。誉められてしまうと「私はそんな立派な人間ではありません」と私がいくら“本気で”言っても信じてもらえないのである。何度か日記にも書いたことだけど、文句をつけられた方が、反論するにしろ謝るにしろ対話はしやすいのだ。
 なんだかなあ、私がマジメだとか善人だとか、そういうふうに見られるのは、しげに言わせれば「たまに善人ぶったこと書くからじゃん」と突っ込まれてしまうのだが、それはもう、いろいろと「偽善者」であらねばならないオトナの事情もあるからではないの。つか、私はこの世に「善」と「悪」の二項対立が存在しているとは露も思っちゃいないのだ。
 そういうものがあるとすれば、「偽善」と「悪」の二つだろう。人が大上段に「愛」や「夢」や「理想」を語らねばならないとき、その根底に「偽善」ないしは「悪」があることを否定してしまっては、まさしくそれは「絵空事」ないしは「信仰」にしかならない。
 ……何だか話がまた横ちょに飛んじゃったような気がするが、要するに私は「感謝され下手」だってことです。逆説的かつ矛盾した表現ではあるけれど、私がしげと一緒にいて疲れるけれど気が楽なのは、あいつが絶対私に「感謝しない」からなんだな。まあもともとあいつは誰にも感謝しない人間ではあるのだが。


 マンガ、城平京作・水野英多画『スパイラル 〜推理の絆〜』9巻(スクウェアエニックス/ガンガンコミックス・410円)。
 四十四話の「シュレンディンガーの猫は元気か」のタイトルには笑った。
 確かに量子論に基づく猫のたとえ話は「フタを開けてみるまですべては不確定」ということではあるのだけれど、私の拙いアタマによる解釈が間違っていなければ、それは意志が物理的影響を及ぼすということであって、「やってみなけりゃ分らない」って意味とは大分違うと思うんだが。
 量子論ミステリというのは私もいっぺん書いてみたくて、実際に舞台にかけたこともあるのだけれど、やっぱりどうしてもSFになってしまうのであった。量子論一つだけだとどうしても日常的説得力に欠ける。統一場理論がどんな形になるのかは分らないけれど、我々文系の凡人にも「ああそうか」と納得できるくらい噛み砕いてわかるように説明してもらえると助かるのだが。
 それはそれとして、今巻もカノン・ヒルベルトを止めるために。結崎ひよのが自ら腕を切るという、いつも通りムチャな展開ではあるのだけれど、何となく納得してしまうのはひよののキャラがそれだけ「バカ娘」(もちろん誉め言葉である)として立ってるからだろう。最初は「ヒデエなこのマンガ」と思ってたのが、段々病みつきになってきた。これで私もトンデモミステリが書きたくなっちゃったら困るんだけど(「既に書いてるだろう」というツッコミは却下)。


 マンガ、赤松健『魔法先生ネギま!』1巻(講談社/少年マガジンコミックス・410円)。
 ……えーっと、例えて言うならハリー・ポッターが女子中学の先生になる話です。まんまやんか。主人公のネギは魔法使い見習いで、卒業試験として女子校の先生をやらされる、という設定なんだけど、まあ無理があろうと女の子が出てくりゃいいだけのマンガなんだから文句つけたってしょうがないな。
 なんで魔法使いって設定になってるかってーと、まだ新米の、しかも10歳だから、魔法をコントロールできなくて、くしゃみをしちゃうと回りにいる女の子の服が破れて裸になっちゃうのである。
 ……感想は要らんな。いや、なんでこんなの買ってるかなんて突っ込まないで……(−−*)。


 横溝正史『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(角川文庫・580円)。
 『八つ墓村』映画化時に、それまで90冊も出ていた角川文庫の横溝正史シリーズはわずか22冊に圧縮された。この『人面瘡』も旧シリーズの『びっくり箱殺人事件』『不死蝶』『華やかな野獣』『貸しボート十三号』『死神の矢』の五つの短編集から、表題作にならなかった短編だけを集めて一冊に纏めている。
 収録作品は『睡れる花嫁』『湖泥』『蜃気楼島の情熱』『蝙蝠と蛞蝓』『人面瘡』。いささか知名度の低い作品が多いが、いずれも金田一耕助シリーズの中では「一風変わった」異色作ばかりを選択して集めているのはさすがだ。
 巻頭の『睡れる花嫁』は金田一ものの中でも最も陰惨かつグロテスクな事件だろう。JETによる金田一もののマンガ化はいずれもつまらないが、この『睡れる花嫁』だけはそのグロな絵柄が作品と待マッチしていた。
 『湖泥』は金田一がラストで犯人にブラフをかけるのだが、コロンボならしょっちゅうやってるようなこの手、実は金田一はほとんど他の作品ではやっていない(『犬神家の一族』で意図せず結果としてブラフをかけることになった例などはある)。その点でこれも異色作である。
 『蜃気楼島の情熱』では金田一の「和服談義」が読める。やっぱ和服の方がいいよな。
 『蝙蝠と蛞蝓』はこれも数少ない「一人称」小説。表題の「蝙蝠」というのが金田一のことである。『女王蜂』にも「蝙蝠」になぞらえられている人物が出てくるし、横溝正史がカムバックしなければ、最後の事件は『蝙蝠男』になる予定だった。正史はよっぽど蝙蝠が好きだったのか。
 『人面瘡』を読んだ殆どの人は、あるマンガ家のある作品を思い浮かべるだろう。これも一風変わった結末である。
 作品自体、読んだのはもう30年近く昔なので、ディテールはかなり忘れている。やっぱり本は読み返さないといけないなあ。
 装丁デザインはいいのだが、本文は以前あった解説がなくなって、新しい読者には書誌的なことがわからず、不親切である。

2002年08月10日(土) 映画ファンってどこにいるの?/DVD『∀ガンダム機|狼絽』/『アフター0 著者再編集版』1・2巻(岡崎二郎)ほか
2001年08月10日(金) 代打日記
2000年08月10日(木) トマトの罠/『太陽がいっぱい(リプリー)』(パトリシア・ハイスミス)ほか


2003年08月09日(土) 一足遅れの祝4周年/『なんだかコワレ丸』4巻(矢也晶久)/『プリティフェイス』5巻(叶恭弘)

 頑張れ爆走(^o^)。(あとから纏めて読む人にはわかるまいが、また更新が遅れまくっているのである)

 しまった。8月5日で日記書き始めて満4周年だったんだな。まあ特に記念イベントなんてするつもりはなかったからいいんだけど。
 しかしいろんなことがあった4年間である。たった4年とはちょっと思えないね。


 『宇宙戦艦ヤマト』の新作製作に関して、こないだ西崎義展氏と松本零士氏との間で「和解」が行われているものとばかり思っていたが、急に東北新社から横ヤリが入る。
 「当社は『宇宙戦艦ヤマト』の新作を製作する権利も保有しております。今回の発表によれば、松本・西崎両氏がそれぞれ新作を製作するとのことですが、当社は両氏だけでなくいずれの新作に対しても何ら許諾を与えておりません」とのこと。
 法律的な細かいところはよく分らないが、西崎さんの会社、ウエスト・ケープ・コーポレーションが潰れた時点で東北新社とバンダイに権利は移っているとのことだから、まあ筋は通ってるんだろう。
 ただ、筋が通ってればそれでいいってものでもない。両氏がずっと係争を続けてたことは東北新社だって随分以前から知ってたはずだ。それを今までずっと黙ってて、今更こんな口出しをしてくるというのはいったいどういう了見なんだか。オトナが「後出しジャンケン」みたいなみっともないことしてんじゃねえよ。それにそういう事情なら、バンダイとも話し合いをしなけりゃいけないんじゃないのか?
 まあどこが『ヤマト』を作ろうが、どうせロクなものにはなるまいと思うのだが、曲がりなりにもアニメブームの牽引力となった作品の価値をどんどん下落させる愚はいい加減でやめたがいいと思うんだが。


 夕飯は久しぶりの「めしや丼」。
 カネがないので、しげにおごってもらう。こういう時のしげは心底イヤそうな顔をする。そういう顔を見ていると、どんと高いものを注文してやりたくなるのだが、めしや丼ではせいぜいしょうが焼き定食とか、たかが知れているのであった。


 マンガ、矢也晶久『なんだかコワレ丸』4巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 月刊誌連載で4巻まで来たというのは立派なもの。女の子人気ばかりじゃないと思うんで、もちっと頑張ってほしいものである。
 で、今巻が十二天将勢ぞろいの巻。全員女の子かと思ったら、残る五帝神は男でしたね〜。まあこれ以上女の子増やしても、描き分け限界に来てるし、この判断は正しいでしょう。えばって登場したわりに天一がヘタレってのもいいギャグだった(^o^)。


 マンガ、叶恭弘『プリティフェイス』5巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 雑誌連載の方が終わったせいか、折り返しの作者コメントで叶さん、「自由ってすばらしい」と天に昇ってますけど、次の連載は決まってるのでしょうか。
 こういうH系ラブコメって、ジャンプには似合わないなあ、と思っててハッと気付いたんだけど、これって10年前で言えばまつもと泉や桂正和のポジションなんだねえ。でもまつもとさんほどイメージ優先でもなく、桂さんのようなSF・特撮系への傾倒もない。特徴と言えば、ギャグマンガの古い古いルーティーンを、一歩間違えば陳腐になるだけって危険もあるのに、あえてストレート勝負で展開しているところだろうか。
 ついに「由奈=乱堂」であることを知る少女、夏緒の登場もあまりにも定番だ。でもその度胸にこそ好印象を持ってたので、本当はもうちょっと続いてほしかった。でもまだ最終巻じゃないから、後1巻、楽しませていただきましょ。


 夜、チャットで鍋屋さんとタツノコ話。CSで今『科学忍者隊ガッチャマン』を再放送しているが、それを鍋屋さんはずっとチェックしているとのこと。私自身はタツノコプロの作品は昔からあの吉田竜夫の劇画調の絵が肌に合わなくて(そのくせコスチュームがマンガチックで違和感がどうしてもぬぐえなかった)どうしてもハマレなかったのだが(女&悪役好きの関係で、ジュンとベルク・カッツェ目当てで全話見てはいた)、鍋屋さんにとってはあのあたりがタツノコの原体験なのであろう。
 本放映当時、友達と『ガッチャマン』についてどんな話してたか思いだしてみると、「ベルク・カッツェ馬鹿過ぎ」とか「なんでゲゾラが出るんだ、東宝に許可取ったのか」とか「あの隊長、絶対○○の○○○だよな」とか、見るたび貶してた記憶しかない。世間的にはそんなクソナマイキなガキばかりじゃなかったと思うが、少なくとも私の周辺ではそんなガキしかいなかったのである。それでも「他に見るものがない」という理由だけで殆どのアニメ、特撮を見ていたから、鍋屋さんの話になんとか付いては行ける。けどやっぱり一つのことにあまり執着できない性格のせいか(そんなことないだろうと突っ込む人もいそうだが、冷静に考えればやっぱりそうとしか言えない)、ディテールは殆ど忘れちゃってるのだ。
 タイトルの「ガッチャマン」、これ「科学忍者隊」のことではなくて、「大鷲のケン」一人を指す通り名だと鍋屋さんに指摘されて、思わず「へぇ」とボタンを押しそうになる(^o^)。なんでもどこかのエピソードで「俺の通り名がガッチャマンだと知っているのは、ここにいる科学忍者隊の皆と、ギャラクターの連中だけだ!」というセリフがあったとか。そんなん、見事なくらい、きれいサッパリと忘れている。でも、となるとケンがギャラクターに向かって「科学忍者隊ガッチャマン」と名乗るのは、自分のことだけ言ってて、他のメンバーは無視ということになるわけだ。なんてナルシストなヤツだったのだろう(^_^;)。
 このあたりの知識もタツノコマニアなら周知のことなんだろうし、そこから「ガッチャマン」の世界観やら何やら、分析することもやるんだろうけれど、私の場合は「へぇ」と感心するだけで、それ以上に想像力が広がることはないから、自分はオタクじゃないよなあとつくづく思うのである。

2002年08月09日(金) 文学を教養で語るな/劇場版『機動戦士ガンダム』四部作/『まんがサイエンス次.蹈椒奪箸陵茲親察戞覆△気蠅茲靴箸)ほか
2001年08月09日(木) 代打日記
2000年08月09日(水) 姓は愚奈印、名は南公/映画『ジュブナイル』ほか


2003年08月08日(金) 新車の名前はまだない。/DVD『諫山節考』/『低俗霊DAYDREAM』5巻(奥瀬サキ・目黒三吉)ほか

 車がないので、朝まだ暗い時間帯に、しげはてくてく「チカンさんいらっしゃい」な小路を帰ってこなければならない。
 一応、私はしげの夫であるから、まあほたらかしとくわけにもいくまいと、朝の3時過ぎにしげのバイト先まで迎えに行くことにしていた。
 そこまではまあ、よかったのだが、帰り道、些細なことでまたしげとケンカになってしまった。きっかけは「しげが曲がり角を間違えた」(私は夜目が利かないので、しげを頼りにしていたのである)という単純なことだったのだが、しげが開きなおって「アンタがどのくらい目が見えんかなんてわかるわけないやん!」と言い放ったもんだから、私も「ふざけんな!」と激昂しちゃったのである。
 最終的にしげが謝るまで、また半日かかってしまったが、しょっちゅう私に甘えてくるクセに、こちらの身の上を何も考えないというのは、本気で疲れるのである。
 日記の更新なども頑張ってしようと思っていたのに、すっかりくじけて夕方まで寝る。ああ、せっかくの休みがこんなツマランことでムダに……(T∇T)。


 で、私が寝ている間に、しげの新車が届いた模様。
 さっきまで叱られてベソかいてたしげは打って変わって有頂天。喉元過ぎればなんとやらと言うが、こんなに簡単に過去のことを忘れられる才能が羨ましい。実際、人生に悩みなんてないんだよなあ、こいつ(しげにとっては「今晩の晩飯」以上に悩む材料はないのである)。

 新しい車は、グレーだか銀色の軽である。
 車に興味が全くないので、車種はよく知らんのだが、買った会社を聞いてみると、なんと親の知り合いのところであった。
 それ先に聞いてたら、少しは安くしてもらえたかもなあ、と、一瞬思ったけれど、あまりそういう「特典」を頂くのも好きではない。真っ正直にローンを払うほうが気持ちいいからまあいいか。
 私が寝てる間に、しげ、試運転をしてきたらしく、「広くなって、乗り心地いいよ!」と超ゴキゲン(×3)。
 午前中叱り疲れて腹が相当に減っていたので、早速新車に乗って「しーじゃっく」まで。夏の企画のエビ天寿司など、安い寿司をたらふく。
 そのあと、「ヤマダ電器」で、しげのポイントカードを使って(パソコン買った時に1万円以上溜まっていたのである)、DVD‐Rを買いこみ。さらに「ブックセンターほんだ」で、買い損ねてたマンガをしこたま買う。
 水害からこっち、出歩く足がないと、ホントに買い物が減るのだということを実感した日々であった。

 
 DVD『諫山節考』。
 蛭子能収第1回監督作品。所詮イロもの監督の余技とか軽く考えてる人がいたら、ちょっとニイさん、そりゃあ心得違いってもんだよ。
 文芸でも映像でも、何十年も作品を作って来た超ベテランより、ポット出の新人の作品のほうが遥かにみずみずしく面白い、という例はいくらでもあるのだ。「映画は私の30年来の夢だった」というのは、仮にも監督やろうって人間が口にしちゃあ、かえって陳腐でこっぱずかしくなるセリフだし、テレビのバラエティ番組に出ている時の蛭子さんしか知らなければ、これを聞いて笑う人もいるだろう。けれど、実際に作られた映画を見ていただきたいのだ。

 田中良夫(ベンガル)はごく普通のサラリーマン、今日も便器のセールスに励んでいたが、飛びこみで入ったある会社で、“謎の言葉”を聞く。それどころか、その日を境に、彼の妻、保子(伊佐山ひろ子)も、部下の山本(神戸浩)も、“謎の言葉”を口にし始める。田中の回りで、何かが確実に歪み始めていた……。

 短編映画は、その短さゆえにアイデア一発勝負の要素が強く、ともすればイメージ映像ばかりの不条理劇に逃げがちだ。石井聰五なんて、一時期そんな映画ばっか撮ってて、いささか閉口させられたものだった。凡庸な監督がたいてい勘違いをしていることは、不条理と言うのはただデタラメをやりゃいいってもんではなく、我々の世界とは別の論理によって成り立っている世界を構築しなければならない点に気づいてないことである。
 この映画はまさしく田中良夫の聞く“謎の言葉”たった一つで、見事にその「異世界」を作り上げている。幻想小説ではよく使われる手ではあるが(SFファンならすぐに、「ああ、つまり『馬の首』モノだね」と気づくだろう)、『世にも奇妙な物語』のスタッフあたりなら、臭い演出でだいなしにしてしまうところ
が、蛭子さんの演出は、田中の孤独を、たった一人だけこの宇宙に受け入れられなかった者として、切なく描いていく。メイキングで蛭子さんは「失敗した」を繰り返すが、この作劇技術は決して凡手ではない。自信を持って2作目、3作目を監督して構わないのではないか。

 蛭子さんのマンガを読んだことがある人なら、それが実際の人間によって演じられていることに、妙な違和感、奇妙さを感じるのではないかと思う。
 もともと蛭子さんのマンガのキャラクターは人間などではない。人間の情念が具現化された「もの」としか言いようがないものだ。それが肉体を持てば、これはもう「もののけ」になるしかない。ここに至って私はようやく蛭子さんが水木しげるの系譜に連なる人であることに気づいたのだ。……って当たり前だったんだよな、『ガロ』に描いてんだから。
 蛭子さんの描いた絵コンテもDVDには収録。これだけでも一つの立派なマンガである。実際の映像と見比べてみるのも面白かろう。


 マンガ、奥瀬サキ原作・目黒三吉漫画『低俗霊DAYDREAM』5巻(角川書店/角川コミックスエース・588円)。
 壊れたマンガ家と言われて真っ先に思い浮かぶのは冨樫義博だったりするが(^o^)、奥瀬サキも一時期から微妙な壊れ方をしてきている。新人だったころ、御本人は自分のマンガを本気で「面白い」と、自信を持っていたようだ。そして驚くべきことには、それは生意気な新人の思い上がりなどではなく、本当に面白かったのである。
 このマンガの前身で未完のままに終わっている『低俗霊狩り』は、不幸なことにマニアなマンガ雑誌『COMI−COMI』に連載されていた。奥瀬さんの面白さは、実は『ジャンプ』や『マガジン』でも通用するようなメジャーな面白さであったと私は思っている。「低俗霊」といういやらしげなものを扱いながら、エピソードごとのラストは、たいてい底抜けに明るかった。絵はいろんなとこからの寄せ集めで(当時は天野喜孝と少女マンガを合体させたような凄まじい絵であった)、お世辞にも上手いとは言えなかったが、このまま上達していけば、雑誌の看板を背負って立つくらいにはなれると思ってていたのだ。
 しかし、現実はご覧の通りの寡作作家、『コックリさんが通る』は中断したままだし、この久しぶりの『低俗霊』シリーズは原作のみの担当である。
 なんでこうなっちゃったかを分析していったらまたいつまで経っても書き終わらなくなっちゃうので(^_^;)、結論だけを乱暴にも断定しちゃうと、マニアなファンと、バカな編集者が付いたことが奥瀬さんを不幸な道に追い落としていったのだ。
 パイパン深小姫女王様、今巻はもう大サービスである。巻頭はカラーで露店風呂に使ってギリギリまでの御開帳だし、まあやっぱりナニがあんな風に食い込むのはとてもいいものです(^o^)。でも、昔はあった「明るさ」は、どんなにギャグを飛ばしてももうないんですねえ。
 オビにもあるけど、このマンガ、アニメ化決定ですって。エロアニメでもないのにモノホンの「女王様」がアニメに登場する時代になったのだねえ。これが奥瀬さんに活力を与えてくれるきっかけになればいいんだけど。


 マンガ、魔夜峰央『パタリロ!』76巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 久しぶりに越後屋波多利郎が出てきたな。まあ、前に出て来た波多利郎と同一人物かどうかはわからんが。
 76巻も続くと昔の設定なんて忘れてることも多いだろうしね。そう作者本人もどこかで書いてたよ。
 遺影で登場のパタリロの父王、ヒギンズ三世、1巻登場時の崩御時の顔とは全然違うが、「年を取られてからはかなりガタガタに」の一言ですませている。きっとどんな顔だったか忘れた上に、1巻読み返すのが面倒臭かったに違いない(^o^)。
 なつかしキャラでは間者猫も再登場。アニメ版では大竹宏さんが声アテてたな……ってニャロメじゃん。そういう遊びも楽しいアニメであった。正直な話、今度出るというDVD‐BOX、買おうかどうしようか、これまたむちゃくちゃ悩んでいるのである。


 マンガ、安彦良和『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』5巻(角川書店/角川コミックスエース・588円)。
 『ガンダムエース』を買ってる時に感想は書いてるから今更書くこたたいしてないんだが、纏めて読むとやはり「流れ」による高揚感が弥増すのが面白い。特に、最初単発で読んだときには本編に組み入れたら浮くんじゃないかと危惧していた「シャア復活編」、シャアの審問を経て、ズゴックの開発に至るエピソードが、そう違和感もなくハマッているのには驚いた。キシリアがここでジャブロー後略の計画を練っていることが、ちゃんと次の本章でマ・クベによって語られる、その繋ぎ方も上手い。
 こういう興味深い新しいエピソードを見せられてしまうと、この部分だけでも新しくアニメ化してもらえんものかと思ってしまうファンも多いんじゃないか。特にガルシア・ロメオ少将のようなクセのある役に合う役者さんは誰だろう、なんて創造するのは楽しい。顔見るともうこれは大塚周夫以外にいないってイメージではあるんだけどね。

2002年08月08日(木) モラリストは読まないように(^_^;)/『軽井沢シンドロームSPROUT』1巻(たがみよしひさ)ほか
2001年08月08日(水) 代打日記
2000年08月08日(火) ボケ老人の夕べ/『カランコロン漂流記』(水木しげる)ほか


2003年08月07日(木) さよならロドリゲス/『クロノアイズ グランサー』2巻(長谷川裕一)/『謎解き少年少女世界の名作』(長山靖生)

 名付けといて殆ど使ってなかったけど、こないだ水没したしげの車、ロドリゲスと言うのであった。
 水没直後もまだ動いちゃいたんだけど、しげがムリヤリ動かしてるうちについに完全にオシャカになってしまった(乗るなよ)。しげがこないだ、練習に出かけようと乗って、県道に出る寸前に、プスンと音を立ててエンコ、仕方なくしげと私と二人で駐車場まで押して戻してたのである。うまく戻せなくて隣の枠にギリギリだったので(でもハミ出てはいない)、そこの車の持ち主からクレームがあって謝るというオチまでついた。水没までは天災としてもあとの苦労は人災だぞ、少しゃ悪かったと思えよ、しげ。
 で、そのエンコしてたロドリゲス、私が今朝、朝寝坊してる間に、クレーン車に釣られて持ってかれたそうな。
 しげ、「起こそうかと思ったけどやめた」と言うが、どうしてそんな面白いものを見せてくれなかったのだ。そういうときは叩き起こしたって全然構わないのである。
 でも実際にその様子を目の当たりにしたら、かなり淋しい気分になったかもしれない。自分では基本的には唯物論者のつもりなんだが、いざ別れるとなると何か胸に迫るものがあるのである。そういうのは唯物論者とは言わないか。


 昼はずっとDVD。『プリズナー癸供戞■穎辰ら立て続けに9話まで見る。もう1話1話の感想書いてたらキリがないので省略(^_^;)。
 でもこれが私のSFマインドの基盤を作ってくれたドラマであることは間違いない。完全版がようやく見られて嬉しいんだけど、差別用語の吹き替えがやたらカットされてるのは業腹なのであった。
 「きちがい」の類はまだ仕方ないとしても、「女中」や「粉屋」までカットするなよ。そっちのほうが職業差別だろうが。


 車がないので、外食も歩きである。
 しげ、最初は「でも近いとこ、ラーメン屋とCOCO一番しかないやん」と愚図るが、「ガストくらいまでなら行ってもいいよ」というと目が輝き出す。
 ラーメン屋とCOCO一番屋はマンションから歩いて3〜5分の距離にあるが、ガストは20分はかかる。食事のあとの帰りは多少、苦しいかもしれないが、この程度で出不精になってちゃあまりにも老けこみ過ぎというものである。
 まあ、たまにはしげと二人で、てくてく歩いて行く雰囲気も悪くはない。歩き遅れまいとしげが腕を“つまんで”くるのには困ってしまうが。

 ガストのディスプレイでユニーク占い。人間の値打ちを測るってのがあったんでしげと試してみたら、私が四億円で、しげが三万八千円。この極端な差は何なんだいったい(^_^;)。この手の測定をやると必ずと言っていいほどしげは最低ランクの評価が出るのだが、別に企んでやってるわけではないのである。
 

 夜、チャットで鍋屋さんとまたもや『トリビアの泉』話。
 鍋屋さんはまだ『トリビア』を御覧になったことがないそうで、「観なくてOKなんですか?」と聞かれたので「それなりに面白いですよ」と答える。
 毎回、貶すだけ貶しといて何だと思われる方もおられようが、興味がなきゃ見るわきゃないのだ。三木さんや唐沢さんが関わっていながら、このレベル? って思いがあるから、自然、モノイイもキツクなっちゃうんである。小、中学生から見れば、あれでも充分面白いだろう。ネタの間違いや演出のヘタレぶりは、オトナになってくうちに自然と気づくものだ。
 誰とは言わんが某君の息子さん、この日記は別に子供を読者には想定してないんで、この番組が面白いからって、バカにしたりはしてないから安心してね(^o^)。


 マンガ、長谷川裕一『クロノアイズ グランサー』2巻(講談社/マガジンKC・560円)。
 最大の敵……ってことになるんだろうな、かつてタイキやアナたちの仲間として「グランサー」であったグリーナム・ターンディックの登場。実は「真に平和な世界を生み出すための実験」として、数々のパラレルワールドを作り出し続ける“千界の王”。もちろん、「うまくいった」世界もあるのだけれど、「失敗した」世界もある。そしてその「失敗した世界」は……。
 リクツとしてはグリーナムのやり方には一理も二理もあるから、主役であるグランサーとて完全正義にはなりえない。これまでにも善と悪との単純な二項対立に陥らない、ある意味、夢も希望もない「どうしようもない未来」とも見える世界を構築しながら(『マップス』なんて、宇宙消滅の予定調和で終わるはずだったんだものなあ)、なおそれを越える「指針」を描いてきた長谷川さんのことだ。きっとトンデモナイ落ちを用意してくれてるとは思うのだけど、やはりハラハラしてしまうのである。ダイナミックなSFマンガを書かせたら、長谷川さんが第一人者であることは間違いないと思うんだが、今までは何だか不遇をかこってたような気がしてならない。それがついに本年度の星雲賞コミック部門受賞。未読の人は前シリーズの『クロノアイズ』から揃えて読もう♪


 長山靖生『謎解き少年少女世界の名作』(新潮新書・714円)。
 オビに「大人にしかわからない名作のウラ側」とある。
 『フランダースの犬』『王子と乞食』『小公子』など、世界の名作の時代背景やウラ話を簡潔に纏めたもの。こういうのは実際の「なんとか名作全集」の最後にはたいてい付いてるんだけど、読者の子供への教育的な配慮なのか、あまり悪いことは書かないものである。
 でもアノ名作のアノ作者が実は徹底した人種差別主義者だったとか、アノ名作が書かれた理由は戦意昂揚が目的だったとか、子供でも知っといたほうがいいことってあると思うけどねえ。創作が欺瞞の産物だってことは事実だし。
 でも『吸血鬼ドラキュラ』の「伯爵=カウント」が「数える=カウント」に通じてて、それが「貴族の搾取」の象徴だってのは偶然の一致だと思うけどねえ。

2002年08月07日(水) コギャルかく語りき/DVD『久里洋二作品集』/『ヒカルの碁』18巻(ほったゆみ・小畑健)ほか
2001年08月07日(火) 代打日記
2000年08月07日(月) 胃袋には限界があるのだ/『江戸幻想文学史』(高田衛)


2003年08月06日(水) 落ちていくのーねー♪/『ミステリー民俗学者八雲樹』5巻(金成陽三郎・山口譲司)/『クレヨンしんちゃん』36巻(臼井儀人)

 今日から五連休。
 その間、して過ごすかってことなんだが、目のこともあって遠出はムリなのである。結局、本を読むかDVDを見るかしかないんだが、一応、「日記の更新」なんてのを目標に立ててはいるんである。あくまで目標ね(^o^)。


 ネットをあちこち覗いていたら、押井守ファンサイトの『野良犬の塒』で、ちょっと気になる記事を見つける。
 以下は2003年7月29日付けの記事である。

> 現在発売中の攻殻機動隊STAND ALONE COMPLEX DVD 8巻。こちらに収録されている第16話「心の隙間 Ag2O」だが、これを見て「あれっ?」と思った人がいるだろう。この話の冒頭、タチコマが「赤い靴、履〜いてた〜♪」と「赤い靴」を合唱しているシーン。ここは実はCSの放映時には、「ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜♪ 仔牛を乗〜せ〜て〜♪」と、タチコマが歌っていたのは「ドナドナ」だったのである。権利関係で問題があったためというバンダイビジュアルの回答があったため調べてみると、悪の組織JASRAC(日本音楽著作権協会)にドナドナは登録されていた。この関係で横槍が入り、急遽差し替えられた模様である(「赤い靴」も登録されているが、映像作品での使用は自由となっている)。
> これに伴い、歌の直後のタチコマのセリフもすり替えられている。

>「仔牛が市場に売られちゃう歌でしょう?」
「自己の存在を継続してゆく上で、人が重要視するのは心情よりも経済的な因子って事でしょう?」
「そうそう、友情が貧困に負けちゃう歌なんだよね」

から、

>「女の子が異国に連れて行かれちゃう歌でしょう?」
「母親が開拓地に入植するんで、異国の神父に預けられちゃうんだよね〜」
「そうそう、家族愛が貧困に負ける歌なんだよね」

にすり替えられているが、いまいち物語に一致していない。


 やっぱ、『ドナドナ』のほうがいいよなあ。
 CS放映はAT−Xだろうか。私は加入してないのでこの変更の事実にも気づかなかったのだが、横ヤリ入れてきたってのは本当にJASRACなのか? いちいちCSの番組までチェックして文句つけてるのか? 仮に文句つけられたとしても使用料を払えばすむ問題ではないのか。それともトンデモなく莫大な使用料を取られてしまうのか? JASRACの存在自体が違法なんて説もあるが、実際の法的解釈はどうなのか。
 ネットでいろいろ検索してはみたんだが、どうも要領がわからん。


 週刊誌『WEEKLY漫画アクション』(双葉社)が、部数低迷のため、10月14日号(9月30日発売)で一時休刊が決定。どれくらい売れてなかったかっていうと、十万部行かないってんだからヒドイものだ。今更だけれど、部数立て直しを図ってエロ雑誌に転向したのがかえって裏目に出たのは間違いない。『クレヨンしんちゃん』も追い出しちゃったし、今実際に読める連載って、『ルパン三世』だけになってたしねえ。
 「来春には誌面を刷新して復刊する予定」とのことだけど、休刊して再刊して長生きした例ってそうそうないからなあ。それどころか「復刊予定」と言っときながら未だに復活してない例もあるぞ。……オレ、まだ朝日ソノラマの『DUO』の再刊待ってんだけど。速星七生、かむばーっく!


 『トリビアの泉』、今週も何とも困ったネタ揃い(先週のは書き忘れてたけど、「『サザエさん』のエンディングは実は1番ではない」とか、これまた「どうだオマエラこんなの知らなかっただろう」と視聴者をコバカにしたものばかりだった。エンディングをネタにするんだったら、今はカットされてるセリフ入りバージョンを放送せんかい)。
 「『考える人』は地獄について考えている」なんて、補足トリビア言う前にタモリに解説されかけてやんの。どっちかというと補足トリビアの方が面白かったりするんだよな。
 「広辞苑には『美少年』は載っているが『美少女』は載っていない」ってのもブンガクブ系には有名なんだけど、一般的には知られてないんだろうな。ただ、広辞苑が独善的な編集の仕方をしているようなコメントを取ってるのは演出のやりくちが卑劣である。他の辞書には全部「美少女」が載っていないような放送の仕方してるけど、「美少女」の項目を立ててない辞書はほかにいくらでもあるのだ。岩波も学研もそうだし、伝統的な辞書は殆ど「美少女」を載せていない。理由はやはり「『美少年』は男女ともに指す語」であり、「『美少女』は歴史が浅い」から。その編集方針の是非はともかくとして、ネタ自体に「ウソ」が混じってるんでは困るのである。

 チャットであやめさんと『トリビア』について話したのだが、やはり演出のイヤラシサに疑義を唱えられていた。
 「オーケストラのバイオリンとシンバルは同じギャラ」というトリビア、放送ではワザとシンバルの数が少ないマーラーの「交響曲第5番嬰ハ短調第3章」を選んでいるが、シンバルが大活躍する交響曲もあれば、バイオリンが殆ど使われない曲もあるということだ。だとすれば、このトリビアはそもそも成立しない。両者が同じギャラなのは当たり前だからである。

 ネタにいろいろ問題があっても、唐沢俊一さんの「一行知識掲示板」ならば、誰かがツッコミのレスをつけて「補正」することが可能だ。けれど、テレビ番組は放送しっぱなしである。いや、そもそもムリヤリ事実を捻じ曲げて虚偽のトリビアを作り出してるのだから、仮に間違いを指摘されてもあのディレクターたちは訂正しようなんて気は全く起こらないだろう。全く、こんな犯罪的な行為はない。
 視聴率が下手に高いだけに、視聴者の中に「広辞苑の編集方針は偏狭だ」とか「シンバル奏者は楽してカネが稼げる」とか、あらぬ偏見を持つ連中も増えてしまう危険がある。あの腐れ脳のディレクターども降ろしちまうことはできないものか。
 ああ、本当に三木さんや唐沢さんは何をやってらっしゃるのであろうか。


 マンガ、金成陽三郎原作・山口譲司漫画『ミステリー民俗学者 八雲 樹』5巻「わらべ謡殺人事件」(集英社/ヤングジャンプ・コミックス・580円)。
 『わらべ謡殺人事件』と『女雛はなぜ殺される』の二編を収録。
 タイトルが「わらべ謡殺人事件」だからと言って、これが一連の「童謡殺人もの」だと思ったら大間違いです。童謡殺人ってのは、「犯人がなぜ童謡になぞらえて殺人を犯さなければならなかったのか」って点に根拠がなきゃならないんですけどねー、本作に使われてる「花いちもんめ」は、犯人が仕掛けたトリックとは何の関係もありません。その消失トリックも手品の域を出てない。火サスや土ワイならこの程度でもいいかもね。
 『女雛』は『名探偵コナン』でも使ってたトリックのパクリ。おいおい、ライバルマンガから堂々とかっぱらうなんて、本気でプライドなくしたか?


 マンガ、臼井儀人『クレヨンしんちゃん』36巻(双葉社/アクションコミックス・560円)。
 アクション幼稚園に転入してきたトモちゃん、しんちゃんの「ぞおさん」をほしがるの巻。
 もちろんこの「トモちゃん」とは『ヤキニクロード』にも出演したあの「黒チクビ!」の人である。ちゃんと「あーきらめましょお♪」と歌ってるしな。さては臼井さん、もう一回テレビの方にもゲストとして出てほしくてこのマンガ描いたな(^o^)。
 でも、また引越していくトモちゃんのために自分の「ぞおさん」をテレビカメラにアップで映して見せてあげるってネタ、テレビでやれるんかいな(^_^;)。




ご指摘がありましたので訂正です。ただし本文書き換えるとしげが「卑怯者!」と怒るので(間違いを正すのがどうして卑怯なのか、全く理由が分からんのだが、阿呆に逆らってもムダなのである)、ここに書いときます。

まずはあやめさんから、

> マーラーの「交響曲第5番嬰ハ短調第3章」を選んでいるが、
                 
『第3章』→『第3楽章』

> シンバルが大活躍する交響曲もあれば、バイオリンが殆ど使われない曲もあるということだ。

「殆ど使われない」→『活躍しない』

 補足として、

> 打楽器が活躍するって言ったらやっぱりラヴェルの『ボレロ』。小太鼓叩きっぱなしです(笑)

だそうです。


 更にヨナさんから補足。

> 所謂、古典派の交響曲・・・例えばベートーヴェンの曲ですが、金管系も実は暇な楽器です。
> 第九のリハーサルの時、ある指揮者が自分の解釈をオーケストラに説明しました。非常に感動的な演説だったそうです。
> 「何か質問はありますか?」
と指揮者が尋ねたら、トロンボーン奏者が手を上げました。
> 「今日の練習ではトロンボーン使いますか?」
> それぐらい暇なのです(^_^;)


 音楽に詳しい人がいてくれるとホント、助かります。

2002年08月06日(火) プールサイドの妖精……誰が?/映画『パワーパフガールズ ムービー』ほか
2001年08月06日(月) 復活日記(笑)1・加筆もあるでよ/村上春樹『約束された場所で』ほか
2000年08月06日(日) まぬけ三態/『テレビ消灯時間2』(ナンシー関)


2003年08月05日(火) 仕事ひと区切り/『金魚屋古書店出納帳』1巻(芳崎せいむ)ほか

 盆前の仕事、概ねひと区切り。
 明日から一応休みになりはするんだけど、今年は有給を結構使ってるので、飛び飛びで、用もないのに出勤しなきゃならない日がある。なにしろ、私以外、二人しか同僚がいない日もあるのだ。私もなんだが、いったい何しにその二人は来るんだか。

 アニメ『探偵学園Q』を久しぶりに見る。
 第17話「死に至る秘境! 神隠し村伝説」で、やっぱりありふれた例のトリックが使われたアレだなと思ったんで、ストーリーはもう気にせずに、専らアニメの部分だけ限定して見る。 キャラデザインが原作より随分オトナっぽくなってるけど、なんかどこかから要請でもあったのか。メグなんか中学生にはとても見えんが。

 今日から始まった新番組『愛と誠』。といっても、これも深夜番組の進出版だ。ゲストの顔を隠してインタビューし、独身の異性100人に「結婚したいかどうか」、ボタンを押してもらうってもので、名前に捕われないそのゲストの「モテ度」(「結婚偏差値」って番組では言ってるけど、「偏差値」ってコトバの使い方間違ってるぞ)を図ろうってもの。なんか昔、学園祭とかでやってたような気がするな、こんなの。
 今日のゲストは柳葉敏郎だったけど、この結婚偏差値が高い高い。100人中96人がボタン押してる。話聞いてるうちに柳葉敏郎だってことに気づいた人もいるかもしれないけど、それにしても高いなあ。まあ、プロポーズの言葉なんか、衒いもなくヒトコトでビシッと決めるあたりが「男らしい」からだろうね。
 実際、たいていの女性は保守的で道徳的なのである。モテない男はモテたいと思うからモテないんであって、真正面から相手をちゃんと見てるってことが相手に伝わってれば、女の子ゲットするの、そんなに難しいことじゃないんだよな。「浮気しそうにない」ってのは充分ウリになると思うぞ。


 マンガ、芳崎せいむ『金魚屋古書店出納帳』1巻(少年画報社/ヤングキングコミックス・800円)。
 「金魚屋」という名前のマンガ古書店を舞台にした連作短編集。1話1話の登場人物が変わり、それぞれのマンガ本への「思い」が語られる趣向が面白い。
 1話目の、「父の残した」『サイボーグ009』を読んで島村ジョーに恋するようになる少女の話など、「遅れて来たマンガファン」の悲しみがヒシヒシと伝わってきて切ない。我々の世代は幸せだったのだ。
 もちろん私とて、昔、母から『のらくろ』や『冒険ダン吉』を「リアルタイムで読んでいたこと」を聞かされて、随分羨ましい思いをしたものだ。そんなだから「少年倶楽部文庫」が発刊されたとき真っ先に買ったのがその2シリーズだったのだが、多分諸般の事情で再刊は不可能だろう(実はオリジナル版の単行本は戦前戦後含めてそれしかない)。『009』も既に改訂されてオリジナル版が読めないものもある。リアルタイムと言うのは重いのだ。
 このシリーズは「そういう話」だから、中に出てくるマンガの知識を「濃い薄い」で読んでも仕方がない。マンガオタクはすぐそのあたりに拘りそうだから、未読の人には注意しとくね。
 ……しかしこの古書店の主人ってどんな人なんだろう。

2002年08月05日(月) いのち棒に振って/『おせん』其之四(きくち正太)/『ワンピースブルー』(尾田栄一郎)
2001年08月05日(日) ちょっとさよなら/『シルバー仮面・アイアンキング・レッドバロン大全 宣弘社ヒーローの世界』ほか
2000年08月05日(土) しまった、翌日になっちゃった/『人喰いの滝』(有栖川有栖・麻々原絵里依)ほか


2003年08月04日(月) 映画の話いくつか/『モンティ・パイソン・スピークス!』(デヴィッド・モーガン)/『だめっこどうぶつ』1巻(桑田乃梨子)

 『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』の撮影の様子がようやくマスコミ公開。写真だけ見てると『ゴジラVSメカゴジラ』のラドンがモスラに置き換わっただけという感じだけど、大丈夫なんだろうか。
 でもモスラの造型は随分リアルになったんだな。平成シリーズに、例の思い出したくもない三部作はただのヌイグルミにしか見えなかったから、随分マシになったと言えるか。
 今回のキモはもう、私にとっては「小泉博」の出演だから、ドラマの方はもう期待しない。脚本がいいと言うウワサはあるが、ウワサが当たったタメシがないしねえ。


 映画の話題もう一つ。
 ハリウッド実写版『アキラ』の監督に予定されていたスティーブン・ノリントン監督が降板。
 『アキラ』のストーリー自体はコケオドシが多過ぎて今一つ好きになれないのだが、ビジュアルイメージはやはり日本版サイバーパンクの一つの頂点を極めたことは事実だと思う。
 企画の貧困から日本のアニメに着目するのはいいけれど、あのイメージを越えるものができるかどうか、『ブレイド』は予告編しか見てないから断定はできないけど、ノリントン監督は「自分の手には余る」と判断したんじゃないのかな。
 まあ、あのイメージを越えた「実写」を作るのはちょっとやそっとじゃいかないと思うし、この企画、このままポシャるんとちゃうか。


 デヴィッド・モーガン(須田泰成訳)『モンティ・パイソン・スピークス!』(イースト・プレス・2625円)。
 タイトル通り、グレアム・チャップマン以外の存命のパイソンズへのロング・インタビュー集。収録は1999年だが、日本版出版に4年もかかったのは、膨大な脚注に時間がかかったせいじゃないのかな。なんたって『ローワンとマーティンのラフ・イン』の解説に「『ゲバゲバ90分』の下敷きになった」とまで書くのである。マエタケさんの自伝でもそこまでは書いてねーよ(^_^;)。
 翻訳の須田泰成さんには既に『モンティ・パイソン大全』という大著があるが、この二書を合わせ読むだけで、内外のコメディ史にかなり通暁できるだろう。……こんなのの解説し出したら、何10ページあっても終わらんわ。ちょっだけ言うなら、「ホンモノ」を目指す人間が集まれば、離合集散は運命だと言うことである。パイソンズがパイソンズとして集合することはもうないだろう。けれど、だからこそあのテレビシリ−ズがあれほど輝いていたとも言えるのである。
 シティボーイズの「話変わるけどさあ」のギャグは「お話ガラッと変わって」にインスパイアされてるのかな。


 マンガ、桑田乃梨子『桑田着ぐるみ劇場 だめっこどうぶつ』1巻(竹書房/バンブーコミックス・620円)。
 桑田さん、初の4コママンガ集。動物もののキャラクターを擬人化するんじゃなくて「着ぐるみ」で表現したあたりが秀逸。いったい動物なのか人間なのかとらえどころのないビミョーさがおかしいのである。つまり「中の人」の性格によって動物の性格も左右されるわけですね。おかげで狼はウサギに苛められるわ、狼はチータに片想いするわ、ユニコーンとペガサスは双子の兄弟だわ、何だかよく分らない世界がシュールになることもなくほのぼのと成立してしまっている。いや、凡手じゃないよ桑田さん。片想いに悩んでる男の子は気休めになるかもしれないから読んでみよう(^o^)。

2002年08月04日(日) 爆走……できねーなあ(^_^;)/『スーパーロボット烈伝』(石川賢)/『光の島』3巻(尾瀬あきら)/『黒ベエ』1巻(藤子不二雄A)ほか
2001年08月04日(土) やっと入院準備/映画『猿の惑星』/『20世紀少年』6巻(浦沢直樹)ほか
2000年08月04日(金) 特許成金、夢じゃない?/『20世紀モノがたり』(紀田順一郎)ほか


2003年08月03日(日) 見つかりませんでした/『アニメ&漫画コラボBOOK 茄子 アンダルシアの夏』

 アニメ『鉄腕アトム』先週録画してた分、まだ見てなかったので、2話続けて見る。
 第16話「闇のロボットハンター」。
 脚本が『∀ガンダムI 地球光』や『トリック』の太田愛さん。警官ロボットとしての矜持を持つデルタ(デザイン見ると原作のゲジヒトだね)とアトムとの確執は定番通り。人間のロボットに対する偏見だけでなく、ロボット同士でも反目が起こるってのを出して起きたかったんだろうけれど、デルタがあっさりとアトムを認めちゃうんで、もうひと工夫できなかったものかとどうしても思ってしまう。
 スカンクはもうただのチンピラ。
 第17話「地上最強のロボット」。
 ついに登場、戦うためだけの悲しきロボット、プルートゥ。デザインが原作と変わって口が動かなくなったのは、それだけ感情を抑えるためか、単なる作画枚数減らしか(^_^;)。それにしてもエプシロンが女型ロボットになってたとはなあ。これで、オープニングに出て来た謎の女ロボットの正体が分ったね。
 でも、今回は特に原作ファン怒るんじゃないかなあ。
 モンブランとノース2号はザコキャラになってるし、ヘラクレスも原作にあったような壮大な空中戦を披露してくれない。だいたいたった2話で終わらせられる話じゃないのだ。プルートゥを天馬博士が作ったとなると、原作ラストの展開も変わっちゃうんだろうなあ。


 夜、チャット。ヨナさんたちはご旅行からお帰りである。
 公営の温泉場にネット環境があったので、ここが覗けるかどうか開いてみたけどアクセス拒否されたそうな。いったいどんなマズいワードがあったのだろう(^_^;)。


 黒田硫黄・『茄子 アンダルシアの夏』製作委員会『アニメ&漫画コラボBOOK 茄子 アンダルシアの夏』。
 原作マンガに絵コンテ他の企画本。この手のMOOKの中ではなかなか読み応えのあるほうだ。
 巻頭はすぎむらしんいち、鶴田謙二、寺田克也、トニーたけざき、桜玉吉、あさりよしとお、小田ひで次、大伴克洋諸氏の応援イラスト。この人たち、「大日本茄子党」というのを結成してるらしい(^o^)。
 原作マンガは買ったまま山の中に沈んでるので、このMOOKで読んだのが初見。決して上手い絵ではないが、「ハマる読者」がいるのは分る。初期の諸星大二郎をちょっと感じさせるような、「自分の表現を探してる人なんだな」ということが伝わってくる絵だ。アニメの絵から入った人にはとっつきにくいかもしれないけど。
 黒田硫黄と高野文子の対談はマンガマニアには必読。

2002年08月03日(土) 手帳求めて花いちもんめ/DVD『刑事コロンボ 別れのワイン』/『忍者飛翔 桜の章』(和田慎二)
2001年08月03日(金) 1周年!/TVスペシャル『ルパン三世・アルカトラズコネクション』ほか
2000年08月03日(木) 巻頭言&近頃の若いやつぁよぉ……/『ジェームズ・ボンドへの招待』(ジェームズ・チャップマン)ほか


2003年08月02日(土) 新番組いくつか/映画『パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち』/『ルパン三世公式マガジン』8月18日増刊号

 秋から放送予定のドラマ版『美少女戦士セーラームーン』のキャストが決定。

 セーラームーン/月野うさぎ(沢井美優)
 セーラーマーキュリー/水野亜美役(浜 千咲)
 セーラーマーズ/火野レイ(北川景子)
 セーラージュピター/木野まこと(安座間美優)
 セーラーヴィーナス/愛野美奈子(小松彩夏)

 新人さんばかりだから、当然知らない子ばかり。パッと見、化けそうな感じの子はいないけれど、この世界、誰がどう売れるかわかんないからねえ。もうこのトシになると「先物買い」する気も起きないし(普通こういう番組に興味自体持たないって)、内容が面白ければそれでいいです。セーラムーンで内容が面白くなるのかという議論は置いといて。
 でも、見るからに新人プロモーションの一貫だから、一人一人の人気が出たとしても、アニメ版みたいに何年もは続かないんだろうなあ。


 もう一つ、秋からの新番組情報。
 京極夏彦の『巷説百物語』がテレビアニメ化。制作はどうやら東京ムービーの模様。キャラデザインだけは公開になってるけれど、森野達弥さんだと思ったら全然違って、いかにも最近のアニメ風。アニメは動いてみるまで分らないけれど、あまり期待し過ぎないほうがいいかも。


 昨日でキャナルシティのチケットが溜まったので映画鑑賞券をゲット。
 連日の映画三昧である。
 『パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち』。
 海賊映画の定番のような(ゾンビも出るけど)一作。面白いことは面白いんだけど、何か残るかというと残らないところもディズニー映画。でもディズニーはそれでいいんだろうな。
 ジョニー・デップ演じる海賊が、敵につくか味方につくか、最後まで分らないキャラ……ということになってるんだけど、ディズニーだからなあ。最終的にどっちにつくかはバレバレなのであった。何たって、無人島に二人きりでいるのに、何にもしないんだもの。


 モンキーパンチ責任編集『ルパン三世公式マガジン』WEEKLY漫画アクション8月18日増刊号(双葉社・500円)。
 「ルパン三世ハリウッド進出記念号」って書いてあるけど、ホントに実現するんかな。
 大塚康生の『ある雨の日の午後(後編)』はマンガのコマワリの中でキュークツそうなルパンたちが哀れでならない。押井守が特別出演して、散々ヒドイ目に合うのはファンサービスなんだろうか。銭形に「映画監督? そんなヤクザな商売はやめて正業に戻れ!」とか言われてるけど、押井さんに正業があったんだろうか。
 単行本未収録の本家モンキー・パンチ作の『SEXYルパン掘.札鵐船瓮鵐織襯淵ぅ函戮狼嗚椶鯤震醋士が担当。ルバン版『私を愛したスパイ』といったようなエピソード。あまり凝った話にしないで、こういうワンアイデアだけで成立した話の方がスッキリしてていい。

2002年08月02日(金) 復讐正露丸/『快傑ズバット』第一話/『芥川龍之介 妖怪文学館』/『秘宝耳』(ナンシー関)
2001年08月02日(木) 『題未定』ってタイトルのエッセイ集があったな/『キノの旅検戞併雨沢恵一)ほか


2003年08月01日(金) 引用は盗用じゃないぞ/映画『茄子 アンダルシアの夏』/『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』

  そろそろまた短く纏めて爆走する。こういう悪いクセは改めたいんだけどね。


 『ゴーマニズム宣言』を名誉毀損で訴えていた『脱ゴーマニズム宣言』の上杉聡氏が控訴審で逆転勝訴。
 上杉さんが小林さんのマンガのコマを引用したことを、『ゴー宣』の中で「絵を勝手にドロボー」と批判して、泥棒姿の似顔絵を描いたことについて、「漫画の引用は、無断盗用で違法とまではいえず、『ドロボー』の表現は不相当」として、名誉棄損の成立を認めたもの。
 「マンガの引用は違法ではない」ことは以前も認められてはいたけれども、「無断盗用」という言い方は納得がいかないな。「引用」と「盗用」を一緒にするなよ。そんなこと言ってたら、学術論文はおろか、小学生の読書感想文だって「盗用」だらけだ。
 でもこれで「批評目的」の引用がしやすくなったのはありがたい。もっとも小林さんの本から引用する気にはあまりなれんけど。


 カメラ付き携帯出荷増加。
 いつぞやのノゾキもそうだけど、便利なものは犯罪にも利用されやすい。使い方には気をつけようね。


 しげ、今日は仕事がないというので、AMCキャナルシティ13で映画をハシゴ。
 『茄子 アンダルシアの夏』は高坂希太郎監督の演出が冴えた快作。アップからロングに引いて、炎天下の孤独を表現するあたり、職人芸である。まあ『長距離走者の孤独』でもやってた手だけど。
 絵柄が原作の黒田硫黄とは違うのは、アニメーションにしにくいからだろう。このくらいの改変は仕方がない。一応、ゴール間際で急に絵柄が「黒田硫黄」に戻るあたりが原作ファンへのサービスか。
 主人公、ぺぺの兄との恋の鞘当てをサラッと描いてるのもすごく「粋」なんだが、『キネ旬』ではあのバカの北川れい子が「自転車と女を同列に語るかっ!」と脳みそ腐れたコメントを寄せていた。自分の賭けるものがあれば女を下に置くのは当然じゃん。これだから馬鹿女は。大月隆寛、今度はこいつを俎上に上げてくれ。


 『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』。
 前作より面白くはなったけど、腹が立つところも相変わらず多い。
 オープニングのシークエンスが、まるまる『遊びの時間は終わらない』の盗用である。ヤラレ役にハリガミ貼るあたりまでが同じなんだから、弁解の余地はない。
 群像劇を描きたいつもりか知らんが、余計な設定やシーンも多い。スリーアミーゴスいらねえよなあ。
 囮捜査してる間に、別の事件が発生したからって、そっち追いかけちゃマズイだろ青島。警護がお留守になるんだから。そいういうディテールをないがしろにしてる演出が目立ち過ぎる。
 決定的にダメなのは犯人がアホ過ぎること。アホでないとアホな警察にはつかまらないんだからしょうがないけれど、とことんアホなのは興醒めである。
 興醒めと言えば、前作もあった過去のミステリ映画への「オマージュ」のつもりのパクリ、今回もあったぞ。誰か止める奴はいなかったのか。
 3作目作るんなら、脚本と監督変えてくれ。

2002年08月01日(木) MANGA ATACK!/テレビ特番『パワーパフガールズムービー』/『トランジスタにヴィーナス』4巻(竹本泉)ほか
2001年08月01日(水) 掲示板変更&21世紀の夏/『日本はなぜ負ける戦争をしたのか。 朝まで生テレビ!』(田原総一朗)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)