無責任賛歌
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この日記作者の妻的生物です。 どうもご無沙汰しておりました。有久幸次郎です。 みなさま、お元気にしておられたましたか? 入院中は、手書きの文でお茶を濁していたわけですけれども、汚い字で、なんて書いてあるか読めなかった、という方もいらっしゃるでしょうから、改めて全部活字に打ちなおすことにします。 その際、気に入らなかったところは書きなおしたりしちゃおう、と思ってますので、一応もとのヤツも「下書き」ということで残しておこうと思います。 それぞれ見比べていただくのもご一興かと(^^)。 ほぼ2週間、「めんどくさい」「きつい」「誰も読んでないのに書くな」とさんざん悪態つきながらも日記をUPし続けてくれたしげに感謝。 ……自分の妻に礼を言うのも照れるものだけれど、ホントにごくろうさまでした。 8/18〜24の分の日記も、随時UPして行く予定です。 それでは今後ともよろしく。 (V)o\o(V)ふぉふぉふぉ(V)o\o(V)。 入院一日目。 天気快晴。というか、日中温度、35度を越えるとか。 ……嬉しくもなんともないな。 結局、昨晩は山崩れを起こした本を片付けるのに時間を食っちまって、入院のための荷物の準備が出来ないままだった。 疲れて途中で寝ちゃったのだ。 おかげで、今朝になって、何の支度もしてないと知ったしげが怒るの怒らないのったら(どっちなんだよ)。 「どこかへお泊まりする時には、二日前から用意しとくもんやろ!?」 ……いや、それはなんぼなんでも早過ぎるんではないかい。 ともかく、9時には向こうに着いて入院の手続きをしておかないといけない。 起きたのが7時だから、もうバタバタである。 乾いている下着、GOODAYで買っておいたおニューの寝巻き兼トレーニングウェアなどをテキトーにバッグに積めこむ。これだけで既にバッグはほぼ満杯。 ……しげに借りたこのバッグ、差し渡し50〜60センチはあるのだが、なんでそんなに下着が必要なのか、と言われたら、実際必要なんだと答えるしかない。そうなることは今までの入院経験から知っている。 毎日運動させられるから、結構、汗をかいちゃうのよ。 一応、入院中もしげが見舞いがてら洗濯物を取りに来てくれることになってるのだけれど、「仕事が休みの日じゃなきゃキツイから来たくない」と冷たい態度でいるので、来ると言いつつ来ない可能性も大なのである。 ……なんで入院の規則が「洗濯は自宅で」なんてことになってるのかなあ。近所にコインランドリーがあると助かるんだが、銭湯の死滅とともにランドリーもめっきり姿を消している。 これも時代か。 あと、昨日、持って行こうと選んでおいた文庫本を十冊ほど。 バッグが一気に重くなる。多分10キロくらいはあるのではないか。 できるだけ退屈しないようにと読み応えのありそうなものばかり選んだからなあ。 炎天下、どうやら遅刻せずに9時ピッタリに西新の成人病センターに到着する。診察券も保険証も忘れずに持って来ていた。 もの忘れの常習犯である私にしては珍しい。 担当の看護婦さん、おチビさんで島田歌穂を可愛くした感じでこれは「アタリ」。 中年ってスケベだなあ、と思うなかれ。 入院中は世間と隔絶しているせいで、自分だけが置いてきぼりにされたような気分にどうしたってさせられてしまうのだ。 看護婦さんの優しい笑顔がどれだけ心の支えになることか。 似鳥ユキエや研修医なな子みたいなのには、あまり当たりたかないのである。 担当のお医者さんは嵯峨善兵をやや若くした感じ。……って、知ってる? 以前入院していた父の担当もしていた方だ。 こちらは別に嬉しくもなんともないな。 病室は四人部屋。 でも、案内されて部屋に入ったときにはまだ誰もいなかった。 まず入院の説明を歌穂ちゃん(いや、名前を勝手に書くわけにゃいかないから便宜上ね)から受ける。 やたらとパンフレットの類をもらうが、「お金がかかりますから、食品交換表とか、お持ちの本がありましたら、それをお使いになったほうが……」と言われる。でもどうせしげに連絡しても「食品交換表なんてどこに行ったか分らない」と言われるのがオチだからなあ(実際、その通りだった。役立たずめ)。仕方なく全部買うことにする。これも入院費に加算されちゃうんだなあ。 食事の時間は朝8時、昼12時、夕方6時。 風呂は男が月・水・金の午後。でも運動療法の後ならシャワーを使っていいとか。けれど一度に入浴できるのは二人まで。 「ちょっと使いづらいと思いますけど、すみません」 いやもう、歌穂ちゃん、そんなに謝らなくっても大丈夫(やに下がってるんじゃないよ)。 テレビはカード式。1000円で1200分映る。 飲みものは自販機で買い、待ち合いの共同冷蔵庫に入れておくこと。もちろんジュースなどは御法度。……なら、置いておかないでほしいなあ。 トイレは男女兼用。 尿の検査の仕方を教わるが、以前入院していた病院では、透明な袋に尿を溜めてたのだけれど、今度の病院では、なにやらメカの中に尿を流し込むようになっている。 ボタンを押すと、メカのフタが「ふなあっ」と開いて(いやホント、こういう音がするのよ)、「尿ヲ、オ入レ下サイ」と女性のアナウンス。検査が終わると、「検査ガ終ワリマシタ」。 こ、これはアナライザー! いやあ、医学も科学も進歩するもんだなや。 でも尿糖の試験紙は節約のために四分の一に短冊切りされていた。……ケチくさいなあ。 歌穂ちゃん、最後に「何か困ったことがあったらナースコールしてくださいね」と言ってくれる。 いやそんな、歌穂ちゃんの仕事を増やすようなことがどうしてできましょうや。ああ、でもナースコールに「どうしたんですか?」って、歌穂ちゃんが来てくれることを考えると、その誘惑に果たして耐えられるかどうか……(中年がなにぶってんだよ気持ち悪いな)。 ようやく病室の方々が戻ってこられる。 歌穂ちゃんが「イビキをかくような人はいないと思いますから」と言ってたがどうだかなあ。 当たり前だがみなさんご年配の方々ばかり。お向かいの方だけややお若くて(それでも40歳くらいか)、私と同時に入院されたようだが、既に壊疽になってしまわれたのだろう、両足を切断されて車椅子で移動されている。 もっとも、その辺の様子はカーテンで仕切りをしていたので、気配で察するのみ。どなたとも特に挨拶は交わさない。 随分愛想がないと言われてしまうかもしれないが、あまり同室の人とは親しくならないほうがいいと言うのは、今までの入院から実感した経験則なのである。何かトラブルがあった時にお互い気まずくなっちゃうし、下手をしたら部屋を替わらなければならなくなったりもするのだ。 以前、入院したときにワープロを持ちこんだら、同室の人から「音がうるさい」と苦情を言われたことがあった。もう今回はワープロどころかMDプレーヤーも持ちこんできてはいない。テレビも極力控えるつもりである。それでもトラブルが起きる時は起きる。 病院の中だってストレスなしってわけにはいかないのだ。お互い、病人同士なんだから思いやりあえればってのは幻想なんだよね。カラダの痛みを代わってあげられないように、ココロの痛みだって自分の分しか考えられないのがフツーなのよ。 寂しいなあ。 午前中はほぼ検査。 採血されたり心電図取られたりレントゲン撮られたり。 検尿を頼まれたが、どういうわけか、いくら気張っても全然ひとしずくも出やしない。いつもは頻尿でトイレに駆けこむことだって多いってえのに。 やっぱり緊張してるのかなあ。 いったんレントゲンを撮ったあと、「もう一度撮り直しますから」と言われる。 はて、息の吸い方が足りなかったか、はたまた息を止めそこなったか、と思っていると、技師の方、「いや、肉が意外と分厚かったんで」。 「肉」ってなんだよ、「肉」って。 ……わかってんだよ。「肉」は「肉」なんだよ。 ど、どうせ私なんかただのデブだよう。どんなに痩せてる時だって、腹の肉だけは落ちてなかったんだよう。うっうっうっ(ToT)。 ……入院中はおとなしくしてようっと。 身長・体重を計測して、一日の摂取カロリーを算出する。 ここ何日か、不摂生してたので、結構増加してるんじゃないかと思ってたのだが、一気に83キロ……(・・;)。 便秘だ。 便秘のせいだ。私の体内には直径5センチ、長さ35センチ、総重量4キロの太い便があるのよ〜。そうよそうに決まってるわ〜。 ♪ヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノ アーコリャコリャ♪ ヘ( ̄ω ̄ヘ)(ノ ̄ω ̄)ノ♪ 現実逃避してる場合か。 一日の食事量、1680kcalと決められる。こんなん、ロイヤルホストでナントカ定食でも頼んだら一発で摂取しちゃう量だぞ。一日一食しかできないってことか?(もちろんそうではなくて三食に分けて食わねばならんのであるが) 午後から第一回の糖尿病教室。 全部で10回、各1時間ずつ、これを全て受講しなければならないのだ。場所は食堂で、だいたい15人ほどの患者さんが受けに来ている。 食堂と言ってもごく狭い部屋で、せいぜい16畳ほどの広さしかないのではないか。テーブルは六つ、15人も入ればもう狭っ苦しくて仕方がない。 入院の予約を一月以上前にしなきゃ取れない理由は、部屋が狭くてヒトが入りきれないってコトもあるのかな? 今日の授業は「低血糖症状が出たらどうするか」。 糖尿病ってのは要するに血液中の糖が増える病気なのだが、つまりいつもは高血糖の状態にあるわけである。それを薬やインスリン注射で下げねばならんわけだ。 ところが病気が進行して、神経障害が顕著になると、薬が効き過ぎて逆に低血糖状態に陥ることがある。下手をすると痙攣を起こし、昏睡してしまったりすることもあるのでマジで命が危ないのだ。 ならどうすればいいかっていうと、「砂糖を舐める」。……でも、私の場合、まだそんなに強い薬を飲んでいるわけではない。インスリン注射もしていないので、今のところ低血糖になる心配はまずない。のっけから、あまり関係ない授業だったなあ。 授業をされたセンセイ、結構な早口の方で、私はなんとか付いて行けるが、お年寄りの患者さんたちはチンプンカンプンではなかったろうか。 半日もすると、ベッドに横たわってるせいか、気分がだんだん「病人」っぽくなってくる。 午後の回診、検査の結果がいくつか出たらしく、「……相当キツかったでしょう」なんて言われてしまう。 い、いったいどんな結果が出たというの? はっきりと数値を教えてくれないので、ムネの中を不安の雲が渦巻いて、心臓がバクバク鳴り出してしまう。普段、疲れたり気分がすぐれなかったりしてたのは、自分がグータラしてるせいだ、と言い聞かせてたんだけど、やっぱりカラダがよくなかったんだなあ。 現実を目の当たりにさせられるというのはやはりツライ。 「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」。 ……いや、別に私ゃ何の過ちも犯しとらんが。 先日、「日本人の寿命、また伸びる」と発表があったが、「男性77歳」ってのは私にはどうも無理っぽい。……でもしげは絶対平均寿命より長生きしそうだ。老衰が似合いそうだもんなあ。 少しでも長く一緒にいるためには、せめて平均寿命くらいは目指しとかないと、先にしげに殺されてしまいそうだ。 「どうせいつか死ぬなら、いっそのことこの私の手でひと思いに」とか。いや、そういうこと考えそうなやつなんですよ、しげってヤツは。 無聊にかこつけて、早速テレビカードを使ってみる。 ニュースなどを一通り見るが、ハナダ兄弟のかあちゃんが死んだとか、ムロフシがハンマー投げで銀取ったとか、私にゃ興味のないことばかり。 いや、ファンの方にはごめんなさいね。 気がついてみたら、今日は広島の原爆投下から56年、平和祈念式典も56回目じゃないですか(とムリヤリ話題転換)。 病院に向かうタクシーに乗っていた時、ラジオから「小泉首相が参列されて献花」と放送していたが、なんと今回の参列が初めてだとか。靖国神社参拝問題で騒がれてるし、「私は平和主義者です」ってデモンストレーションだってことはバレバレヾ(´▽`;)ゝ 。 「政治的配慮」のつもりかも知れないが、こういう姑息なことしてると、かえって支持率下げちゃうんじゃないかな。 気がつけば7時。 夜が来るのが早い気がする。 なんだか『犬夜叉』を見る気も失せていたので、裏番組の『そんなに私が悪いのか』を見てみる。 ああ、これはあれだ、ミギとヒダリに意見の違う者を分けて激論させるってヤツだな。 今日のお題は「そんなに専業主婦が悪いのか!?2 働く主婦の逆襲 最終決着篇」。 なんだかタイトル聞いただけでもーどーでもいーよーな気分になっちゃうねえ。一時期ネットで騒がれてた「リサたん」ってのはこのゲストの「石原里紗」って人のことか。『ふざけるな専業主婦』って本で専業主婦を「社会の粗大ゴミ」と言い放って物議を呼んだヒトだね。ナマで動いてる姿を見るのは初めてだ。 最初、あまりに垢抜けないので(もっと適切な言葉がありそうだが自粛)シロウトさんかと思ってみていたら、一応ライターさんだとか。なんだかホントに「一応」と言いたくなるくらい喋ってることが幼稚。 「専業主婦は税金も払ってない」とか言ってるけど、「それがどうした」と反論されると「税金はどうでもいいんですけど」なんて何が言いたいんだか分らなくなってしまう。批判のための批判がしたいだけなんじゃないか。 果ては「愛情はいろんな形があっていいんじゃないの?」というおすぎの意見に対して、脈絡もなく「私、『お前のカラダだけが目当てだ』って男と6年間つきあった」と発言して、会場内が騒然となる。 しかも「それも愛の形の一つかなって思った」だと。 ああ、馬鹿。すごい馬鹿。 おすぎの「それ、遊ばれてるだけよ」の突っ込みはもっともだ。 男にとって都合のいい女って、いつの世にもいるものなのね。 石原里紗の援護射撃をしてたのがまた内田春菊という(^_^;)ムチャ濃いコンビだったけど、昔、『水物語』とかに出てた時に比べると、老けた、というか、「崩れた」ねえ。 プライバシーでいろいろあったせいなのかなあ。 村上春樹『約束された場所で underground2』(文春文庫・500円)読む。 実はまだ『underground』のほうはまだ読んでないんですけど。 ……まあいいか、必ずしも続きってわけじゃないし。 実際に読んでみたら筆者と河合隼雄さんとの対談の中で前作にも触れていて、たいした支障は感じなかった。 言うまでもなく前作は、あの「地下鉄サリン事件」(オウム真理教事件)の被害者となった人々への筆者のインタビュー集だったわけだが、今回は逆に「加害者」側の人々(ただし実行犯はいない)へのインタビュー。 あのむごたらしい事件も、今のハイティーンズの間では子供のころの記憶でしかないのだ。わずか6年前の加熱報道も当然覚えてはいない。 そんな彼らがこの本やパート1を読んだら、いったいどんな感想を抱くものなのか。 「へえー、そんなことがあったの」程度かもしれない。 人間、どんな大事件だって、自分に関わったことじゃなきゃ所詮は「対岸の火事」なのである。 それが悪いって言いたいんじゃない。 事件の傍観者たちに対して、なお「あの事件のことを知ることは君たちにもとても大事なかかわりがあることなのかも知れないんだよ」と伝えるべき人がいるとしたら、それが「作家」なのだろうということだ。 村上春樹にとってオウムの信者たちは差別化された他人ではない。 いみじくも信者の一人に「ちゃんと僕らの話を聞いてくれるのはあなたくらいのものだ」と言われた通り、村上氏は彼らの「内面」に深く入ろうとしている。そして、つい彼らを既知外扱いしたがる我々と彼らの間をつなぐメディアたろうとしているのだ。 私たちはまず考えなければならない。オウムの信者がみな実行犯たちと一緒くたにされ、社会から排除されていく過程、それは例えば我々が日本人であるということだけでアジア諸国から旧悪の後継者と見なされている状況とよく似てはいないだろうか。 彼らが「加害者」であるなら、我々も「加害者」である可能性はある。いろんな意味で、確実に。 村上氏が彼らを我々の「合わせ鏡」と呼んだのは恐らく正しい。 あの上九一色村での「オウムは出て行け」運動は、全国各地のオウムの支部のある街で行われていた。そればかりか、信者個人が住むアパートすら、追い出されるという状況である。 でもあのハチマキをしていたデモの人々、ウチとソトを反転させただけの「オウム」ではなかったか。 人間はいつだって、自分の憎むべき対象、迫害して構わない対象を探している。公明正大に差別できる対象、それがオウムであった。「いじめ」が決してなくならないのは、イジメをする側にとってはそれが「正当」な行為だからだ。 オウムが骨抜きになって、サリンを作る力もない。なのに我々はオウムをあくまで「敵」と見なす。いや、彼らが「弱い」からこそ、「出ていけ」と叫べたのではないか。 その弱者への憎悪、少数者への迫害の心が、もともとオウムを生み出してきた土壌であったのだ。あの「出ていけ」コールは、彼ら自身の心が新しい「オウムの子ら」を世の中に生み出していく一つの過程にほかならないのだ。 マンガ、しかくの『爺さんと僕の事件帖』3巻。 小学校を舞台にしていながら、『名探偵コナン』のように、幼稚な「少年探偵団ごっこ」が出て来ないのが感心。 数あるミステリマンガの中で本作が頭一つ抜きん出ているのは、子供たちを生身の人として描こうとしているからだろう。夢見る少女とか乱暴なガキ大将とか生意気なチビとか(『コナン』って、『ドラえもん』ののび太の代わりにコナンをぶちこんだだけだもんなあ)、ステロタイプなキャラクターはこのマンガにおいては皆無。 これは作者が「人を見る」「人を知る」ための有効な手段として「ミステリ」という形式を考えているからだろう。 多分、この作者は「こういうトリックを考えて、それに合わせて人物を配置して」という作品作りはしていない。「こういう動機を持つ人間はどんな事件を起こすか」、あくまで「人」を中心にストーリーを作っているのではないだろうか。 そして小さな探偵たちは、その過程を逆に辿って、事件の真相に到着する。 『きりしとほろ変容伝』。 小学校の飼育小屋のウサギたちを殺していく犯人は誰か。 この犯人の動機は、多分古今の小説にも類例がない(少なくとも乱歩の『類別トリック集成』のパターンには当てはまらない)。従来のミステリなら、このような動機を設定することは否定されていたことだろう。しかし、なぜ否定されてきたのか、そして、現代においてはこのような動機もありえるのだと考えた時、このシリーズの本質が見えてくると思うのである。 午後9時就寝。 窓の外、真正面から福岡タワーのネオンが見える。 一瞬、逆三角形に見えるけど、よく見ると辺の途中が小さく凹んでいる。 ……あれって、三つ葉? それとも「フクオカ」の「フ」の字が三つ? 実は何の意味もないかもなあと思いながら気になって眠れないのであった(眠れよ)。 2000年08月06日(日) まぬけ三態/『テレビ消灯時間2』(ナンシー関)
☆劇団メンバー日記リンク☆ 藤原敬之(ふじわら・けいし) |