無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年08月27日(月) ノンマルトの後裔/映画『ウルトラマンコスモス ファーストコンタクト』ほか

 朝、テレビをつけるなり、稲垣吾郎の神妙な顔が。
 あれ? もう釈放されたの?
 まあ、駐車違反と公務執行妨害なだけだから、たいした罪じゃないんだよなあ。稲垣君、ほとんど泣かんばかりの顔で「すみませんでした」と頭を下げているけれど、もう人一人殺しでもしたかのような謝りよう。
 アレで謝らなければならんくらいなら、日本人は一人残らず毎日、誰かに謝罪してなきゃならんがね。謝罪する人が身の回りにいなかったら近隣諸国に(笑)。
 何日か前、ダウンタウンのハマちゃんが追突事故起こしたけど、別に謹慎したって話も聞かない。まさしくあの「謝罪の姿勢」は、彼が『SMAP』の一員だからってことなんだよなあ。
 いや、トシヨリ連中のなかには、未だにSMAPの全員の名前を言えない、とか、「SMAPちゃ何ね? 夫婦交換のこつかいね(それはスワップ。( ゚_゚ )\(〃_〃)バキ)」とかいう人も多いのだ。この事件で、SMAPは、ニュースかワイドショーしか見ないようなオトナにまで、「SMAPちゃあ、たかが交通違反ばしたくらいのこつで謝らにゃならんくらいスゴか人気のあるグループらしかばい」と知らしめたのである。
 いいことじゃん。
 それに、コメンテーターが「罪は罪として償わなければならない」なんて言い方をしてるときは、既に心理的に罪は許されているのである。


 さて、『宇宙船』などを立ち読みしていても、賛否両論っつ〜か、関係者以外には不評の渦の『ウルトラマンコスモス ファーストコンタクト』。
 いやがるしげをムリヤリ誘い、朝一回だけ上映中のAMCキャナルシティへ。
 割引券があったので、それを用意して行ったのだが、来週分で使えないと言う。仕方なく既定料金を払い、中へ。何だか幸先が悪いな。

 入ると『サクラ大戦 活動写真』の映画予告編が流れている。
 脚本家のあかほりさとるを、しげがとことん嫌っているので、これ単独の上映ならまず見に行くことはないのだが、今回、併映が『スレイヤーズぷれみあむ』に『あずまんが大王』『デ・ジ・キャラット』なのである。
 ううむ、これは濃い。濃すぎる。
 まさしく現在考えうる最強の「美少女アニメ」、オタクにのみターゲットを絞ったラインナップではないか。もう「冬の角川アニメ」なんて通しタイトルは取っ払って、「ロリコンフェスティバル」とでも銘打った方がピッタリこよう(笑)。
 藤田容疑者も、もうちょっとガマンしてれば、こんないいものが見られたのに(^w^)。
 しかも、『サクラ』の劇場版の監督に、『エスパー魔美』『チンプイ』『クレヨンしんちゃん』の本郷みつるを起用しているぞ。
 『チンプイ』では、ほたるちゃんという藤子原作にないオリジナルキャラを作って「美少女を描かせるなら本郷みつる」という定評を受け、更に劇場版『クレしん』シリーズではルル・ル・ルルや吹雪丸、トッペマ・マペットなど、原作以上の切なく可憐でしかし力強く戦うヒロインを造形してきた本郷氏である。「帝国歌劇団」という題材はまさしく本郷氏にとっては自家薬籠中のものだろう。
 ああ、見たいぞ、これは。
 と言うか、しげが行かなくても、私一人でも見に行くぞこれは。劇場も多分、大きなお客様ばかりだろうから恥ずかしくないし(笑)。

 ……そう言えば『∀ガンダム』も映画化だってな。ホントに「アニメ新世紀」目指してるかな、トミノさん。

 まあ、それはそれとして『ウルトラマンコスモス』である。
 ……なるほど、賛否両論になったのもよくわかる。確かにこの映画、相手にしている客層がずいぶんと狭い。
 まず、この映画の中でのウルトラマン、これがあくまで「ドラマの中のキャラクター」ということになっている。つまり、ウルトラマンが実在していない世界なのだ。しかし、ここが重要なことなのだが、じゃあバルタン星人もドラマ上の存在なのかと言うとそうではなく、この世界での『ウルトラマン』中にバルタン星人は登場していないらしいのだね。
 なんだかややこしいが、『ウルトラマン』中の『侵略者を撃て』『科特隊宇宙へ』のエピソードはなく、『禁じられた言葉』でメフィラス星人が連れて来たのはザラブ星人とケムール人だけ、と考えればいいのかな。
 でも主人公のムサシだけは「ウルトラマンは本当にいるんだ!」と信じているという……ギャ、『ギャラクシー・クエスト』!(笑)
 そうなのだ。主人公の男の子、こいつ、イッちゃってるオタクなのだ。
 まず、ここで乗れるか乗れないかで評価は全く分かれちゃうだろうなあ。非オタクは「何こいつ、気持ち悪い」とか思っちゃうだろうし。
 で、ムサシの前に、バルタン星人との戦いで傷つき、森に落ちてきたウルトラマンコスモスが現れると。……あ、『アイアンジャイアント』!
 飯島監督が『アイジャイ』を見てたと言うより、誰でも思いつくネタなのだよな、あのネタは。
 まあ、このバルタン星人との宇宙での戦いもねえ、コスモスもバルタン星人も、星の間を猛スピードで飛びまわってたりしてるんだよ。お前ら、身長が10光年とかあるんかよって。それともあのキラキラ光って星々に見えるもの、何かの星間物質か?
 ムサシが覗いてる望遠鏡、月が映ってるんだけど、あれだけ大きく拡大してたら、月は必ず移動して見えるはずなんだがなあ。しかもそこをコスモスが一瞬横切るんだけど、ピントがピッタリあってたってことは、ほとんど月と同距離にコスモスはいたわけだ。
 ……なるほど、コスモスの顔は月とほぼ同じ大きさなわけだな。
 一応、コスモスの姿は「信じるものにしか見えない」し、言葉も「ウルトラマンを信じるものにしか通じない」ということになっているので、そこまで巨大でも誰にも見えなかったのだろう、と。辻褄が合ってはいるがねえ。
 でもまあ、この辺は瑕瑾なのである。
 何だかなあ、絶句しちゃうのは怪獣に対抗する組織が、SRC(科学調査サークル)っていうんだけどさあ。サークルなんですよ、サークル。つまりこいつらみんな、ボランティアなのだ。
 すごいぞ、教師やったり、自動車修理工やったり、ケーキ職人やったり、どう考えてもたいした給料取りいねーのに、「トロイトータル」みたいなメカ作っちゃうんだから。
 しかもこいつらの目的、怪獣を倒すことじゃなくて、怪獣を保護したり宇宙人と平和的友好を持つことなんだよねえ。『ウルトラマン』があくまで架空である世界の中で、よくそんなことやってたよなあ。
 だからこそ、こいつらだけはムサシの「ウルトラマンは本当にいたんだよ!」というセリフを信じるのである。
 うひゃあ。オタクの仲間はオタクだけというミもフタもない論理。こんな身につまされる設定、作んないでくれよう、寂しくなっちまうよう。
 もう、あとはねえ、その「怪獣を傷つけずに捕獲」するためのトロイトータル、戦闘機じゃないからってことで、ミサイルは積んでいなくて、ボクシングのグラブみたいなので怪獣ドンロンを叩いたり、バルタン星人に対しては「音楽は宇宙共通の言葉だから」ということでシューベルトの子守唄を流して眠らせたり。ああ、バカの集まり。へ(゜∇、°)へ ……『ウルトラマンタロウ』がこんな感じだったなあ。
 大分ネタバラシしてしまったが、落ちもまたスゴイのである。それまでの呑気な展開と全く変わって、ある意味「救いのない」結末。
 多分、飯島監督、最初のウルトラマンのころから40年近く経って、たくさんの仲間を失い、どんなに希望を示す映画を作ろうと思っても、どうしてもペシミズムが混じってきてしまうのだ。
 かつて、怪獣を倒すウルトラマンを、大江健三郎が「アメリカの核の笠の下で守られている日本」になぞらえ批判したことがあった。恐らく、そのことに一番臍を噛んで悔しがったのは、ウルトラマンの生みの親とも言える、返還前の沖縄出身者である故・金城哲夫ヤ上原正三であったろう。
 バルタン星人に蹂躙される街を見ながら、ムサシはウルトラマンコスモスを呼ぶ。しかし、コスモスは来ない。以前の飯島敏弘ならば、そんな複雑な展開にはしなかった。典型的な怪獣退治もの、ストレートなエンタテインメントを飯島監督は得意としていたからだ。
 ウルトラシリーズは、途中、何度も中断している。円谷英二亡き後、円谷プロ自体が存続の危機にさらされたこともある。夢破れ、沖縄に去り、非業の死を遂げた金城哲夫や、早世した円谷一らを思う時、結局はなすすべを持たぬSRCの姿が、飯島監督には最後に残された自分自身に重なっていったのではないか。
 それを思う時、単純に『コスモス』をつまらないと言い切ることは私にはできないのである。『ウルトラセブン/ノンマルトの使者』で切実に訴えられていた、決して歩み寄れない二つの人類の問題。
 宇宙の孤児となったバルタン星人の姿は、明日の我々ではないのか。
 ……でも、バルタン星人の笑い声、もっとハッキリ、
 「(V)o\o(V)ふぉふぉふぉ(V)o\o(V)」
 としてほしかったなあ。

 『ウルトラマン』の科特隊のメンバー、黒部進、石井伊吉(毒蝮三太夫)、二瓶正也、桜井浩子らが全員ゲスト出演している。そう、だから逆に大きな欠落も感じてしまうのだ。われらのムラマツキャップ、小林昭二氏はもういないのだから。

 映画を見た後、しげの機嫌が頗る悪くなる。
 「何がやりたいの? この映画。ウルトラマンはやたら鶴の舞、踊るし」
 CGを多用したバルタン星人とのバトルアクションはすごく良かったと思うんだが、これにも拒否反応するヒトがいるんだなあ、と、ちょっとビックリ。
 しげの機嫌を取るために、スターバックスカフェに寄る。
 しげ、何だかキャラメルっぽいものを頼んで美味そうに食う。
 わたしはミネラルウォーターだというのに。くそう。

 昨日食べたイカの唐揚げが美味かったというので、今日もマルキョウに寄ってイカを買う。
 マルキョウの隣にも新しくうどん屋ができているので、昼食はそこで食べる。
 うどんに50円から100円でトッピングができるというのがここのウリらしい。
 ついコロッケやイカ天をトッピングしてもらうが、朝飯たいしたもの食ってないからまあいいよな。
 二人でちょうど千円、手ごろな安さでよかった。

 帰宅して、しげにまたイカの唐揚げを作ってやるが、昨日と唐揚げ粉を変えたらこれがけちゃくちゃ辛かった。しげ、仕方なく、唐揚げ粉を全て落としてイカだけを食べる。
 既に唐揚げではないやん、それ。 


 DVD『伊賀忍法帖』(1982・東映=角川)見る。
 昭和50年代、映画と言えば角川映画、と断言していい時代が確実にあったと思う。
 今やアニメ以外見る影もなくなってしまっているが、『犬神家の一族』に始まって、『人間の証明』『野性の証明』『復活の日』と続く初期の大作路線、『蘇える金狼』『金田一耕助の冒険』『悪魔が来りて笛を吹く』『魔界転生』などのプログラムピクチャー、『セーラー服と機関銃』『探偵物語』『時をかける少女』『晴れ、ときどき殺人』などの角川三人娘によるアイドル路線と、日本映画の衰退が叫ばれる中、一人気を吐くかのようにさまざまな方向性を持ったエンタテインメントを供給し続けていたのだ。
 ただ、ヒット作を数多く生み出しながら、映画としての評価は一様に低い、というのも角川映画の特徴であった。皮肉なことに、映画としても高い評価を受けた『Wの悲劇』や『蒲田行進曲』を製作したころから、角川映画自体の衰退が始まっているのである。
 『伊賀忍法帖』は、その少し前、角川映画がアイドル路線を突っ走っていた真っ最中に、まるでポツンと浮くような形で作られた、山田風太郎原作の忍法帖シリーズの極めて正統的な映画化作品。
 主演は真田広之と渡辺典子。渡辺はこれが第1回主演作品である。
 何が異色と言って、そのころのアイドルたちの主演映画(特にそのデビュー作)がどんなものだったか、見比べてみれば一目瞭然だろう。たいていが文芸ロマンであったり、今で言うライト・ミステリーであったのに対して、「時代劇」で「忍法帖」で「エロ・グロ・バイオレンス」なのである。
 ……あんたねえ、つい、こないだまで「ひろこ〜」「ともよ〜」って叫んでたガキどもがそんなん見に行くと思ってんの? てな感じでこの映画、大ゴケしちゃったらしいけど、山田風太郎作品として見た場合、近年の『くの一忍法帖』シリーズと比べてみても、その背徳的な魅力を伝えている点では全く遜色がない。
 原作の七人の妖術僧が五人に減らされてはいるものの、彼らの特殊能力はケレン味たっぷりで、エンタテインメントとは即ち「見世物」なり、と割り切って描いているのが実に潔い。
 渡辺典子も、これが新人とは思えぬ演技力、三役を見事に演じ分ける。
 なによりも最高なのは、これが彼のベスト・ヴァリアント・アクトといってよいだろう、果心居士(この史上最大の妖術師のことを知らない人は、小泉八雲の『果心居士』か、司馬遼太郎『果心居士の幻術』、細野不二彦のマンガ『さすがの猿飛』を読もう)役の成田三樹夫!
 松永彈正に取り入り、妖しげな幻術でその心を惑わし、天下簒奪の欲望を掻き立てさせるが、いったい何の目的でそのようなことをするのか、皆目、解らない。人間の存在そのものを嘲笑うような甲高い「ほーっほっほっほ」という笑い、一転して「天下を取れ」と彈正を恫喝する悪魔のごとき形相、地獄から響いてくるかのような声、どれ一つ取っても一世一代の名演の名に値する。
 低予算ゆえのアラは散見するものの、抑制の利いた脚本(『殺人狂時代』『ルパン三世』の小川英)、ロングと長回しを多用し、役者の演技をじっくり取ってなお飽きさせない演出(『悪魔が来りて笛を吹く』の斎藤光正)の、これだけの傑作が半ば埋もれているというのはなんともったいないことか。
 『RED SHADOW』なんてクソを見るくらいなら、この旧作をもう一度堪能した方が遥かにいいぞ。


 9時からテレビドラマ『明るいほうへ明るいほうへ・童謡詩人金子みすゞ』
 近年、急にクローズアップされ始めた金子みすゞの伝記ドラマ。映画では田中美里が演じる予定らしいが、テレビスペシャル版は松たか子。
 しげがファンである渡部篤郎がみすゞの夫、桐原役を演じているので録画したが、実話とは言え、いかにもツクリっぽい展開にはなかなか乗れない。
 たいていこういう自殺したひととか早死にしたひとを描く時は(それが戦前ものだったら特に)『おしん』の亜流になっちゃうんだけど、最後にしみじみ過去を思い返して終わるとこまでそのまんま。
 これだから脚本家不在なんて言われちゃうんだよなあ。


 マンガ、和田慎二『ピグマリオ』第3巻(メディアファクトリー)。
 死の山のゼオの話のあたり、『もののけ姫』を見た人は「あ、マネしてる」と思うかもしれないが、もちろん『ピグマリオ』の方が先に描かれているので、それは間違い。
 雪姫の描写なんか、『太陽の王子ホルスの大冒険』の影響が顕著。だから宮崎駿と共通性があるのは当然と言えば当然かも。
 セリフやモノローグが説明的過ぎるという欠点はまただけど、好きな作品を思う存分描いてるから、テンポを阻害するほどまでには至っていない。……でも全12巻かあ。あまり本屋で見かけないんだけど、全巻揃えられるだろうか。

2000年08月27日(日) 自動車とはケンカしないように



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藤原敬之(ふじわら・けいし)