無責任賛歌
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2001年08月20日(月) |
クルーゾー再び/『パンプルムース氏のおすすめ料理』(マイケル・ボンド)ほか |
なんだか朝食のメニューがだんだん単純化してるような気がするのは気のせいだろうか。いや、気がするって言いかたすればそりゃ気のせいだってことなんけど。 ご飯にお浸し、味噌汁と牛乳。せめてもう一品、目玉焼きくらいは欲しいぞ。
今朝から看護婦さん指導による運動療法が再開。 台風が近づいているはずなのだが、外はやや曇っているだけで、風もそう強くはなく、雨が降る気配すらない。どうやら進路がそれて、九州には上陸しない模様である。 考えてみたら、この2週間、朝も昼も夕方も、運動中に雨に降られたことが一度もない。夕立なども結構あったのに、私が外出したときに限ってピタリと止むのである。日頃の行いがよいおかげかな(笑)。 盆休みの間も、私は休まず散歩を繰り返してきたが、他の患者さんたちが歩いているのを見かけることがほとんどなかった。 同部屋のお隣りさんなんか、堂々と「今日は行かん」と言い放ってた。でもその「今日」が毎日続くと、ふつー「サボリ」と呼ばれちゃうのだが。 他人から管理されないと動かないってのはオトナもコドモも同じなんだよなあ。 祖原公園前に集まったのは10人ほど。盆前と比べると何人かメンバーが変わっている。退院した人も多いのかなあ。もしかして私、取り残されてる? 公園は一周がほぼ600メートル、これを5分で歩かねばならない。カロリー消費量が綿密に計算されているのである。 私は昨日までと同じペースで歩いているのに、他の患者さんたちはみんな、一様に遅れていく。一週間、サボっていたツケが来ているのだろう。……みんな、こんなことで真剣に病気を治療する意志があるのかなあ。
今朝の血糖値、86まで下がる。 これだけなら健康体と言って構わないのだが、脂肪だけが一向に取れていかない。メーターで量った体脂肪量、20キロのラインがどうしても切れないのだ。 運動をしたあと計測すると、確かに脂肪量が減っているのだが、寝ている間にしっかり元に戻っている。 脂肪って、夜、作られるんだなあ。 それなら、夜、あまり眠らずにいたらいいのかと言うと、眠らないと体重自体も減らないそうで。……確かに、朝、起きると体重は減ってるのだな。カラダは夜作られる、ということらしいのだが、どうも感覚的には理解し難いメカニズムだよなあ。 それでもクスリを替えたおかげか、体重は微減しつつあるのだが、食事のカロリー自体、もうちょっと押さえておかないと、標準体重にはほど遠い。 運動のあと、近所のダイソーで電動ヒゲソリを買う。しょっちゅう風呂に入れるわけではないので、当座の便宜のためにであったが、さすがは100円、ほとんどモノの役に立たないのであった。 単三の電池が8本入りで100円、なんてのを見ると、かえってこれ使いものになるのだろうかという気にすらなってくる。「安かろう悪かろう」という思い込みがあるのだなあ。なぜ電池まで買わねばならんかというと、ゲームセンターのUFOキャッチャーで取ったクマのプーさんの置き時計に入れるためである。 また入院中なのに遊んでたのかと言われそうだが、ゲーセンだけにしか置いてない限定品、なんてのもあるので、つい手が伸びてしまうのである。まあ、娯楽が少ないなかでの気バラシなんで、勘弁してちょ。
昨日の24時間テレビで、研ナオコが48キロを完走したってんで、日本テレビ、朝からずっと、「感動の24時間!」と銘打って、その舞台ウラを紹介している。 こういう「感動」の押しつけって、かえってシラケるばかりでチャリティーとしては逆効果だと思うんだけどなあ。なんだかテレビ局が研ナオコをヨイショしてるみたいに思えて、気持ち悪くすらあるのだ。 本人は「仕事のために走ってるんじゃない、家族のために走ってる」ってコメントしてたそうだけど、あの、これってチャリティーのためではないわけ? そんな言い方されたら、「考えてみたらただ走ることがどうしてチャリティーに結びつくの?」という根本的な疑問(笑)にまで考えが至ってしまうぞ。 結局このセリフ、研ナオコの独善、思いあがりに過ぎないのだ。 足を痛めながら走りきった人に対してヒドイことをいう、とお怒りの方もあろうが、ちょっと待っていたただきたい。 確かに私も、アニメ『オトナ帝国』や『うる星4』での「走り」には感動しちゃうのに、ナマの人間の走りに何も感じないってのはどういうことなんだろうなあ、私の感覚がヒネクレてるせいかなあ、と一応は首をひねってはいるのである。けれど、ナマであっても、間寛平の走りのほうには毎回ちょっと感動しちゃってるんだよねえ。私も多分、やっかみでものを言っているわけではないと思う。 高橋尚子の笑顔には何か心打たれるものがあるけれど、有森裕子の「自分を誉めてやりたい」発言には「アホか」としか思えない、なんて差異も、感動できる走りとできな走りの違いに何か関係があるように思う。 走りきった研さんには悪いが、これはもう「研ナオコだから」としか理由が言えない。24時間テレビというワクの中で走ってるから感動できないというわけではないのだ。 マラソンが元から好きだったとか、なにかイワクがあるわけではないのに、なぜ研ナオコが走らねばならんの? という疑問がつきまとって離れないことが一番の原因なのだろう。 まあ、来年も再来年も研ナオコが走っていったなら、こんな「胡散臭さ」っていうのも消えていくのかもしれないけれど。
昼食はスズキのゴマ焼き、付け合わせ、ジャガイモの含め煮、メロンが100グラム。100グラムだからメロンと言ってもたいしたことはない。小皿に小さく切ったメロンが4、5切れあるだけだ。でも、これをわびしいと感じるのであれば、ちょっと贅沢に慣れすぎているということになるのだろう。 糖尿病教室も今日から再開。 今日はスライドで糖尿病治療の歴史の解説。 聞いてる患者さんたち、みんな「そんな過去の歴史なんか教えるより、どうしたら治療出来るのかを教えんかい」みたいな顔でやや憮然としている。 けれど私は、どちらかと言うと、そういう歴史的な知識を聞いてた方が、面白かったりするのだ。 「糖尿病の最も古い記録は、紀元前2000年、エジプトのパピルスにまで遡るんですね。……ハイ、これがそのパピルスです。(スライド映写)……ここに、その糖尿について、書かれてあるんですね、それがどこかと言うと……。わかりませんね。エジプトの文字なんで読めません」 ちゃんと冗談を交えて教えてくれるところもいいぞ。実際には「尿が甘く、腎臓が溶ける」と書いてあるそうである。やっぱり「尿が甘い」と解ったってことは舐めたか飲んだかしたやつがいるんだろうか。 世界史上最古の飲尿の記録である。恐るべしエジプト人。 「糖尿病治療の歴史はそんなに古いものじゃなくて、1921年、フレデリック・バンティングとベストによって『インスリン』が発見されたところから始まったんですね。 二人は血糖値を下げる物質が膵臓から分泌されてるんじゃないかと考えて、たくさんの犬から膵臓を摘出して、すりつぶしたんです。その抽出物を細かく分けて、それぞれの犬に注射すると、マージョリーという犬だけか、血糖値が2時間で50%下がったんですね。 その抽出物が『インスリン』だったわけです」 その後マージョリーは90日間生きたそうな。よくがんばったぞ、マージョリー。 後に、血糖値を下げることの出来るホルモンは「インスリン」しかないことが判明したとか。我々のカラダ、膵臓一つにかかってる面もあるのである。糖尿を「贅沢病」とバカにするやつもいるが、いったん膵臓が故障するともう二度と元には戻らないのだ。侮れる病気ではないのである。 村田英雄さんの切断した足の写真も見せられる。 自分の身にも起こり得ることだと思うと、「かわいそう」という感覚は全く生まれて来ない。仮に神経障害から壊疽を起こし、そんな状況にまで至ったとして、それでも自分に何が出来るんだろう、ということを考えてしまうのである。もちろん今はそうならないように努力しているわけなんだけれども。 夕食はおでんに冷奴、オレンジ。 授業を受けたあとだと、一食一食が大切なんだなあ、という気になるから現金なものだ。
テレビで『そんなに私が悪いのか』を見るが、今日は日本人の外国かぶれについての激論、ということだったが、争点が明確でないため、迫力に欠ける。 なんでみんな、こんなにアメリカ志向、ブランド志向が強いんだ、とデビ夫人が文句つけてるけど、アンタが言っても説得力が全然ないぞ。 また、アメリカで子供を産んで日本とアメリカの両方の国籍を取ろうとする親が増えている、という件については、パネラーの全員が大反対していた。……論争にならんやん。 外国映画の邦題はなんで現代のままが多いのか、という点について、おすぎが「映画会社に『日本語の専門家』がいなくなったのよ」と吐き捨てるように言ってたことは、痛烈な皮肉として配給会社の宣伝担当が真剣に考えなきゃならんことなんじゃないかな。 「『リバー・ランズ・スルー・イット』なんてワケわかんないじゃない!」……おすぎの怒りはよく解る。これと、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』は翻訳史上、最悪の邦題だと言えるだろう。田中小実昌か長部日出雄だったかが、「でも訳しようがないよなあ」みたいなことを昔、言ってたように思うが、別に原題に忠実にする必要はないのだ。 かつては『望郷(1937)』(“PEPE-LE-MOKO”) 『哀愁(1940)』 (“WATERLOO BRIDGE”)『慕情(1955)』(“LOVE IS A MANY-SPRENDORED THING”)といった、日本語二文字の邦題が多く見られた。簡にして要、これを単純すぎて印象に残らないと感じていては、逆に言語感覚が麻痺していると見なされても仕方あるまい。 そんなトンチンカンが、『荒野の決闘(1946)』(“MY DARLING CLEMENTINE”)を『荒野の決闘/いとしのクレメンタイン』なんて改題して再公開しちゃうのである。 「今の日本人には日本語はダサくて受け入れられない」というのはただの偏見である。『氷の微笑(1992)』(“BASIC INSTINCT”)のヒットは、日本語ならではのことだろう。 ……日本人も『赤影』に『RED SHADOW』なんてタイトルつけてんじゃないよ。
マンガ、桂正和『プレゼント・フロム・レモン』(集英社文庫)。 ジャンプコミックスで昔、買い損なっていたもの。 父の遺志をついで歌手を目指すという、芸能界版『がんばれ元気』。コンセプト自体は悪くないのだ。連載時、19週で打ち切りになっちゃったのは、キャラクター描写が余りにステロタイプすぎたせいだろう。 主人公がジャンプには馬の糞並にありふれている猪突猛進型の単純バカで、そいつが人の心を打つ歌を歌える、ということに説得力がないのである。
マンガ、CLAMP『エンジェリックレイヤー』1・2巻(角川書店)。 アニメを途中からしか見ていなかったので、設定が知りたくて買ってみたが、本当に『プラレス三四郎』だった(笑)。 主役の女の子がエンジェリックレイヤーの魅力にとりつかれるのは解るとしても、いくら何でも強くなっていくのが早すぎやしないか。それがどうも「親の血筋」のせいらしいというのがちょっと安易だなあ。
マイケル・ボンド(木村博江訳)『パンプルムース氏のおすすめ料理』(創元推理文庫)。 『くまのパディントン』で知られる英国作家、マイケル・ボンドによる大人向けユーモア・ミステリー。……しかし、『くまのプーさん』のA.A.ミルンといい、「くま」の童話を書く作家はミステリーも書くという法則でもあるのだろうか。 一読してわかるのは、この作品、小説として書かれた『クルーゾー警部』だということだ。 元パリ警視庁警視で、今はグルメガイドブックの覆面調査員、パンプルムース氏が、有名ホテルレストランでなぜか謎の男たちから命を狙われ始める。身に覚えのない氏は右往左往、愛犬ポムフリットとともに犯人探しに乗り出すが、間一髪のところで命は助かるものの、色情狂のマダムに寝こみを襲われたり、義足のフリをしなければならなくなったり、「なんで私がこんな目に」状態。 最高のギャグシーンは、マダムから身を守るために、氏が、知り合いの故売屋に高性能のダッチワイフ男版(ダッチハズって言えばいいのか?)を頼むところ。空気を入れて膨らますところは当然アソコなワケで、一生懸命、モノを膨らましている最中に案の定、部屋に入ってくるメイドさん。 「きゃー!」 ……いやあ、こういう下品なギャグは大好きだ(^◇^)。 何を勘違いしたのか、解説の村上貴史、「エロチックではあるものの、全体としては上品で穏やか」とトンチンカンなことを言っている。 『モンティ・パイソン』を洗練されたエスプリに基づくギャグ、と勘違いしてる人は多いが、それと同じ誤解をしてるんだよねえ。あのね、この小説は、ただひたすら「下品」なだけなの。 この解説者には、そして訳者もそうだが、なぜイギリス人作家がフランスを舞台にミステリを書いたかと言うことがまるでわかってないのだろう。もしかして英仏戦争の長い歴史すら知らないんじゃないか。 もちろん、多少の知識さえあれば、原著者の意図がフランス人をバカにすることにあるのは明白に気がつくことなのである。 犬を登場させてるのも、作中のマスコットというだけの意味ではない。どう見たって、犬のほうが人間である氏よりも事件解決のために活躍しているのだ。つまり「フランス人は犬以下」だと言ってるのよ、これは。 翻訳者もバカなんで、訳が生硬で読みづらいんだよね。 マダム・ソフィーに襲われた瞬間、氏はとっさに枕元にあった燭台を“逆さにして”股間に挟み、身を守るのだが、上にのしかかってきたマダムは、見事その燭台の上にホール・イン・ワン! 「あはぁ〜ん(* ̄∇ ̄*)」 こんなアホなギャグだってのに、実にマジメに訳しているのだよねえ。なんだよ「両足の間」なんて味も素っ気もない訳は。「股間」と呼べ、「コカン」と! 「道具」じゃないだろ、「ナニ」だよ「ナニ」!(「アレ」でも可) 「うめき声」「うなり声」じゃない、「あえぎ声」だ! 既に本国では17冊がリリースされてるこの人気シリーズ、日本では売れなくて2冊しか出てないというのは、ひとえに訳者がバカで無知だからである。もったいない話だなあ。
2000年08月20日(日) 眠い日/『大江戸化物図譜』(アダム・カバット)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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