無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年08月01日(水) 掲示板変更&21世紀の夏/『日本はなぜ負ける戦争をしたのか。 朝まで生テレビ!』(田原総一朗)ほか

 わあ、もう8月だ。
 といっても、これからまだ暑い日が続くのかなあ思うと、そっちの方がめげちゃうんだけどね。
 考えて見れば、21世紀最初の夏なんだが、21世紀も半年以上経つとその価値も下落するのかね。年の初めにゃなんでもかんでもみんな「21世紀最初の」って叫んでたってのに、それもだんだん耳にしなくなってきた。
 口先ばかりで実体がない、ってのはこういうことなんだろうな。「年頭の誓いが守られたことはない」というが、さて、21世紀に入って、どれだけの人間がどれだけの志を持って未来に歩み出そうと決心し、様々な願いと祈りと誓いをなにものかに捧げてきたか。
 多分、たいていの人間が忘れているだろうし、それが実は「21世紀」についての価値判断でもあるのだろう。それがよくないというのではなくて、そういうものなんである。
 でもこう、21世紀気分が世間から薄まってくると、かえってムリヤリでも21世紀を味わってみたくなってくるけどね、私なんか。
 だって、いいか悪いかは別問題にして、四十年前、テレビすら特定の家にしかなかった時代から見りゃ、今、一家に一台パソコンがあってもおかしくないって状況は充分21世紀じゃないかねえ。
 こうなったら、何か目新しいものが出てくるたびに、ともかく「21世紀だね〜」って言ってやるってのはどうだ。
 「今度のゴジラ、敵はヤマト聖獣だってよ」「21世紀だね〜」
 「庵野秀明の新作はAVだってウワサだぞ」「21世紀だね〜」
 「その梨頂戴」「21世紀だね〜」「20世紀よ、なにバカ言ってんの」
 できるだけつまんないことにつけるのがいいかな。
 ヒネタやつだよなあ、私も。


 昨日、いきなりサーバーエラーが起こって、掲示板への書きこみができなくなった。21世紀だねえ。
 なんだかなあ、と思っていたら、今日になって製作元のネオシティから突然の通知。
 
「いつもネオシティ使ってくれてるのね、うふっ、うれしいわ♪
 でもごめんなさい。いきなりで悪いんだけど、あなたとのおつきあいも8月25日までで、それ以降は無料サービスができなくなっちゃったの。
 今までありがとう。ホントにうれしかったのよ。じゃあね♪」


 いや、ホントにこんな文面で来たわけじゃないが(当たり前だ)。
 でもなんか深い仲だったナニにいきなり三行半突きつけられたような気分になっちゃったのよ。
 だって、なんで急にサービスやめちゃうのか、理由が全く書いてないじゃないの。せめて「これこれこういう理由で如何ともしがたく」とか、口上の一つくらい述べたってバチは当たらないでしょって。
 しかし、入院前で時間もないとゆーのに、掲示板の新設までせねばならんとは難儀なこっちゃ。


 朝っぱらからしげが電話をしている。相手はどうやら鴉丸嬢のようだ。21世紀だなあ。
 ……あれ? たしか夕べも私が寝る前、鴉丸嬢と電話してたような気がするが……。いったい何時間電話してるんだ、しげのやつ。
 聞くともなしに、「んなことないよ〜、気にすることないよ〜」とか言ってる声が聞こえてくる。うぷぷ。あのしげが、いっちょ前になにかの相談に乗ってやってるらしい。確かにしげのほうが年上ではあるけれど、「お姉さん」とか言う言葉がこいつくらい似合わないやつもいないと思うんだが。
 ちょうど仕事に出かけようとした時に、ようやく電話が終わった模様。
 「今の電話、鴉丸さん?」
 「そうだけど、何?」
 「いったい何の電話だったの?」
 「芝居のこととか……」
 「何か気にしてるみたいだったけど?」
 「なに、根掘り葉掘り聞きたがるんだよ?(--#)」
 なんだいその言い方は。わしゃ別にプライバシーを侵害しようなんて気はないぞ。芝居に関することなら聞いておきたいではないの。それとも隠さにゃならんようなヒミツでもあるのか。
 それ以上、追求するのもなんなので、さっさと仕事に出かけたけれど、鴉丸嬢、気丈に見えて無茶苦茶繊細なんだよなあ。何事にも大雑把なしげに相談を持ちかけるってえのは何か間違ってないか。
 間違っても人生相談なんかするんじゃないぞ、鴉丸さん。真面目に話なんか聞いてると、道を踏み外すくらいならまだしも、奈落の底に突き落とされちゃうぞ。何を相談したって、「どうでもいいんじゃな〜い?」と「好きにすればぁ〜?」の二つしか返事をしないやつなんだから。


 仕事帰りに食料を買い込みながら、今週の『少年ジャンプ』を立ち読み。21世紀だなあ。
 『ヒカルの碁』、因島編、なんだか「取材に行きましたから全部見せます」みたいな感じで本因坊秀策関連の名跡をあちこち回っているが、ストーリーとしての進展はなし。
 なんだか『サザエさん』のOPのような回であった。
 尾道は私としげが新婚旅行に行った町である。大林宣彦ファンの私が、『転校生』だの『時をかける少女』だののロケ地を回りたくて、しげをつきあわせたのだが、ある意味これは自分の女房を初恋の相手に会わせるような行為であった。
 しげには少しいやな思いをさせたのかも。
 あの時しげは船に乗って因島に渡りたがっていたが、私は「時間がないから」としげを連れていかなかった。「今度行くことがあったら島に渡ろう」と約束もしたが、未だに果たしていない。
 もう尾道に行くことはないかもしれないが、いつかどこかで船に乗って島には渡ろう。約束を守る気はあるから。


 んなこと考えながら、ウチでテレビを見ていると、西川峰子が「島」の網元の息子と結婚とのニュース。うーん、21世紀だ。
 こういうのもシンクロニシティか? 違うかな。
 相手の旦那さんが、明らかにインタビューするレポーターをバカにして、適当な相槌しか打ってないのに、そのレポーターは最後に「さわやかで誠実な方でした」と型どおりのコメントで締めくくらねばならなかったのがお笑いであった。
 でも「会った瞬間にビビッときましたか?」なんて質問はなんなんだ。
 もともと松田聖子のあのセリフには誰もが失笑したのだ。ビビッときたのは下半身じゃね―のか、なんて口さがない悪口だって飛びかっていたのである。それを知った上で、そんな質問するってのが相手に対してどれだけ失礼なことなのかわかってないのか。わかってないからするのだな。ワイドショーのレポーターの知的レベルって、なんでこう猿並なのかね。


 さて、九月四日にオープンが迫った「東京ディズニーシー」、21世紀かな。
 千葉のくせにあくまで「東京」って言い張るかって感じだが、一足早く、今日マスコミ関係者にお披露目とか。
 レポーターがまた各局ともにはしゃぎまくって紹介してるが、で、結局そこに何があるわけ?
 「23もアトラクションがあるんですよ―!」ったって、その中身を紹介しないで、堀かなんかをぐるぐる回って外見を見せてるだけなのである。
 まだまだお楽しみどころはヒミツですよ―って形で、期待を煽るだけ煽ろうって魂胆なんだろうけど、どうもそれに乗せられちゃう連中がワンサといるってえのがどうもねえ。
 これだけ各地にテーマパークが乱立しちまうと、もうちょっとやそっとのアトラクションじゃ驚かなくなっている。マジで「ジュラシック・パーク」を実現するくらいの科学的コンセプトを持った「見世物」を考えないと、だんだん頭打ちになってくるんじゃないのかなあ。


 坂本竜馬の妻、お龍らしい女性の写真が発見されたとか。おお、これは21世紀だ。
 と言っても、その可能性は五分五分ってとこらしい。写真の裏に「たつ」って書いてあったらしいけど、そうなると「りょう」って読み方は、坂本竜馬に合わせた呼び名のようなものだったのか。
 新聞の解説には「鼻とアゴの形が晩年のおりょうさんとそっくり」と書いてあるが、トシ取ったらたいてい鼻とかアゴの形は変わるもんだがなあ。こういうのを牽強付会と言うんである。でも、その写真が本当におりょうさんのものなら、「おりょうさんは美人だった」という説があったのも、まあ頷けなくはないかな、という感じではある。細っこくて、気丈な妻ってイメージとはちょっと違うけど。
 そういえば、昔「沖田総司」の写真ってふれこみのものがあったけど、それ以降見たことがない。あれはやっぱりデマだったのかな。


 牛丼の吉野屋が並盛りの値段を、440円から一気に280円に値下げ。
 これぞ21世紀。……ホントかよ。
 ハンバーガーも随分前から平日半額で、考えてみたら生まれてこのかたインフレインフレでこれだけはっきりとした形でデフレになったってことなかったから、なんだか時代が昭和40年代に戻ったようで、ちょっとだけ懐かしい気がする。
 やっぱりカレーとか牛丼とか、こういう庶民的な食べ物ってのは、レストランで食ったって200円台なのが普通だよなあ(っていうかカレーって、今でも私ゃ180円って意識があるのよ。マジ昭和40年じゃん)、という感覚なのは私の精神的基盤がどの時代にあったのかを自覚させてくれる。
 もう年よりなんだよねえ。
 でもまだ20代のしげが私と殆ど同感覚ってのはどういうわけなんだろうね。タコ焼き10個で300円でも「高い」って言ってるもんなあ。
 ……実は私より年上で、若作りしてるだけだとか……。それはキョワイ。


 田原総一朗責任編集『日本はなぜ負ける戦争をしたのか。 朝まで生テレビ!』読む。21世紀……もういいよ。
 テレビ朝日の人気トークショー(だと思うぞ)『朝まで生テレビ』の単行本化。なぜかアスキーからの出版。別に、出しちゃイカンなんて言いたいわけじゃないけど。賛否両論相半ばする『朝生』だけど、今までにも出版されたのってあったのかなあ。「今」を扱うものが多いから、数年で話題が古くなっちゃうし、今回は「あの戦争」についてのものだったから、出版できたってことかな。
 でもタイトルからして、あまり客観的に戦争を捉えようって感じがしてないのはどうなんだろう。「なぜ負ける戦争をしたのか」って、負けるつもりで戦争をするやつもいないと思うんだが。
 戦後60年になろうってのに未だに戦争についての総括ができないってのは、元々総括できるものではない、というのが当たり前な判断だと思うのである。一つの事実についても、そこに関わった人間は無数にいるわけで、しかもそれぞれの思惑が全部バラバラであったりする。
 あれが「正義の戦争」であったか、「侵略戦争」であったかは、解釈の相違でしかないのだ。結局はそういう「解釈の相違」を生み出さざるをえない「戦争」そのものを否定しようというのが戦後教育の理念だったように思うが(言い替えれば、誰が加害者で誰が被害者かなんてことも問わない。アメリカの原爆投下も責めないし、中国侵略も悪とは見なさない。戦争そのものを「悪」とする)、それじゃ結局問題がウヤムヤになってるだけだって、みんな思い出したのだね。
 でも、『私は貝になりたい』に既に表されてたように、戦争なんて異常な状況の中で、「誰が悪かったか」なんてことの責任をどこかに収斂させることはほぼ不可能なんである。
 兵士が敵を殺した。上官の命令には逆らえなかったからだ。でもその上官だって、「戦争の大義」に殉じていた。
 あるいは上官の命令に従わずに暴走した兵たちもいた。虐殺と略奪を繰り返した。それは仲間を殺された恨みでもあったし、単に大陸の人々に対しての蔑視でもあったろう。でもその「蔑視」は、中国が西洋の侵略を防ぎきれなかったことに対する怒りが原因にあった。
 事実を遡っていけば、責任の所在など、ウヤムヤにならざるをえないのである。
 それを、「日本はあの戦争責任を回避しようとしてる」と非難するのは、あまりにも物事を単純化しようとする危険な思想だ。
 この対談の中で、大陸で実際に暴走しまくって戦争を拡大させた辻政信について誰も触れていないのは奇妙なんだが、言い替えれば、辻一人に責任を負わせられるものではないと誰もが知っているということだろう。
 当たり前だが、戦争という状況がなければ暴走もない。そんなことを言い出せば、西洋の植民地拡大戦争がなければアジアに戦火が広がることだってなかったのだ。
 出演者のみなさんには悪いが、責任を追求する作業が、自分の責任を誰かに負わせようとしている行為にしか見えないのは私の錯覚だろうか。


 マンガ『GX THE BEST 2001』。
 月刊サンデーGX(昔の別冊サンデーね)の読み切り短編を集めたもの。この手の増刊号に載ったやつは、単行本に収録されない場合も多いので、出た時に買っておかないと損なのである。例を上げれば、安永航一郎の『県立地球防衛群』の第1回『肉弾X』と最終回は、どっちも一度も単行本化されてないのだ。

 アニメの出来があまりにもひどかったし、立ち読みした1、2巻も全然つまらなくて、それ以上読む気も起こらなかったたかしげ宙(「ひろし」って読むのか)の『スプリガン』、今回収録の『ファーストミッション』はまあまあの出来か。ドップラー効果を利用した攻撃は今までにもありそうなアイデアだけれども演出としてうまく効いている。
 でも、ああいう特殊任務についてるやつが普段は普通の高校生って設定は、いくら少年マンガだからってバカバカし過ぎるように思うんだがなあ。あまり神話とか伝説を交えずに、純粋な秘密戦略ものにしてたほうが下らなさは減ってたと思うんだけど。
 少なくとも「アーカム」だけは止めといたらよかったのにねえ。既成の宗教とまったく違う神話大系を創造したラブクラフトの偉業を貶めてるよ。

 ゆうきまさみ『ブラックマジックNIGHT』、なんと久方ぶりの『鉄腕バーディー』の番外編(でもバーディーは登場しない)。
 これなんか見てると、ゆうきさんが『ウルトラQ』的なSF短編シリーズに並々ならぬ興味を抱いているのがよくわかる。なんだかねえ、『KUNIE』もいいけどねえ、三ヶ月に一編くらいのペースで、こういうものを書いてほしいもんだけど、案外、ゆうきさん遅筆だからなあ。
 こう言っちゃ悪いが、あれだけ明確に「アニメ絵」してるのに、なぜ『じゃじゃ馬グルーミン☆UP!』がアニメ化されなかったのかって事実を、ちょっと深刻に考えて見てもいいと思うんだよね。ゆうきまさみに求められてるものはなにかってことなんだけど。あだち充と高橋留美子がパワーダウンしてる中、サンデー浮上のきっかけはゆうきまさみの活躍にあると思うぞ。
 『パトレイバー』の時みたいにヘッドギアを再始動させてほしいんだよ、読者はさあ。ホントは『バーディー』はヘッドギアで再アニメ化してほしいくらいなのだ。マッドハウスじゃ演出が固苦し過ぎて余裕がなかったし。
 『バーディー』でさあ、オンディーヌとサラマンデルまで出しといて、コボルトとジルフュスはいつになったら出てくるんだよう、ともう十年も待ってんだぞ、こっちは。
 公式ホームページも随分前から試運転中だけど、もう半年以上試運転のままだものなあ。……愚痴ばっかしが出るけど、それだけこの短編、面白かったんだよ。


 マンガ、あずまきよひこ『あずまんがリサイクル』。
 『天地無用』シリーズや『バトルアスリーテス大運動会』なんかのアニメを見てないと全然分らないパロディ集。
 でも『あずまんが大王』のコマ自体が持ってる、のほほんとした間(その間にスルリと過激なギャグぶちこむところが面白いんだ)は、こういうパロディものの中で培われてきてたんだなあ、ということがわかって面白い。
 パロディから出て来たってことではゆうきまさみさんと同じような道を歩いて来てるんだけど、そろそろ4コマ以外の長編も(出来ればSF)描いてほしいなあ。
 その実力は充分ある人なんだから。



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