無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年08月07日(水) コギャルかく語りき/DVD『久里洋二作品集』/『ヒカルの碁』18巻(ほったゆみ・小畑健)ほか

 8/6日の日記の続きから。

 映画『パワーパフガールズ ムービー』。
 内容については、テレビシリーズでも部分的に紹介されていた「パワーパフガールズ誕生編」を、改めて本格的に描いたのが効を奏している。この映画で初めて『PPG』に触れたって人にも、キャラクターや世界観が分かりやすく、すんなりと入り込めるようになっている。
 お定まりの「お砂糖、スパイス、すてきなもの一杯、でもユートニウム博士は間違ってとんでもないものを入れちゃった。それはケミカルX〜」のナレーションが入らないのは残念だけれど、オープニングは、BGMに乗せて、まだただのサルだったころのモジョ・ジョジョと、ここだけいかにもマッドサイエンティストな博士とのメリハリの効いた動きでミュージカルっぽく見せている。いい演出だなァ。
 「かわいくてすてきな女の子を作るのが夢だった!」って博士が叫ぶあたりも、随分アブナい。この博士、一見品行方正に見えて、テレビシリーズでも相当アブナい発言を繰り返していて(セドゥーサとはオトナの関係にもなってたしな)、このあたりの描写一つ取ってみても、この作品がファミリー路線じゃないってこと、気づきそうなもんだが、騙されてる日本人多そうだよなあ。
 スーパーパワーを持つがゆえにタウンズビルの人たちに嫌われ、それと気づかずモジョの悪巧みに荷担させられていく過程の細かな描写が実にうまい。たとえ真実を知らなかったとは言え、結果的に街を災厄に陥れちゃうわけだから、観客の中にはPPGの3人に対して拒否反応を抱く人もいるかも知れない。けれど、警察に拷問された(と思しい。この辺の描写もハード)博士に「彼女たちは子供なんだ……どうしてそれがわからない」とつぶやかせたり、モジョに連れられて3人が動物園に行った時、バブルスが赤ちゃんの落としたオモチャを拾ってあげたのに、母親から悪態をつかれるシーンを挿入したりと、さりげないけれども、3人に対して同情がわくようにうまく演出している。いいなあ、こういうのを「演出」と言うのだよ。
 モジョがケミカルXをPPGに盗み出させて作り出した猿軍団(これが世界のお猿大集合って感じでやたら何十匹も出てくるのが可笑しい)をものともせずに倒し、PPGはようやく街の人たちに迎えられる。結末がそうなることはわかっているのだけれども、こういう話で予定調和で終わるのは当然のこと、描写をキチンと積み上げてドラマに仕立てているから、不自然なところや欲求不満に感じるところは少ない。ホントに『スターウォーズ』よりよっぽどドラマの構造がしっかりしてるよ。

 これまで謎(と言うほどでもないが)となっていた事実が明らかにされている点も多く、オタクなファンにはそれだけでも大満足。
 ブロッサム、バブルス、バターカップのネーミングの由来も「お花が咲くようにパッと喋り出したから(ブロッサム)」「泡がはじけるように笑うから(バブルス)」ときて、「Bで始まる名前だから(バターカップ)」と、3人目が割リを食うのは、『リア王』以来の伝統か。
 バブルスがいつも抱いてる玩具のオクティは、ユートニウム博士がくれた最初のプレゼント。博士のことを「Dady(パパ)」と呼んでキスをするのもバブルスが最初。オクティを肌身離さず抱いてたのは、パパとの最初の思い出だからなんだね。
 レギュラー悪役で顔を見せるのは、モジョのほかにはファジー・ラムキンズとギャングリーン・ギャングだけ。ファジーは普段は山奥に引っ込んでてそんなに悪い事してないと思ってたけど、強盗してるのは食料調達で出稼ぎに来てるのかね。ギャングリーンギャングの住まいは、ゴミ捨て場のダンボール箱の中。なんだ、こいつらホームレスだったのか。バターカップもまさかこのときは後にエースに惚れることになろうとは想像もしてなかったろうなあ。
 モジョの秘密基地を作ったのが実はPPGだったってのが、一番の衝撃の事実かな。エネルギーがマグマってのは見たとおりだけれど、基地を作った材料が、沈没船(何となくノーチラス号っぽい)や、氷山の中の隕石だってのはもしかして五右衛門の斬鉄剣(原作では「流星」という名の隕石から作った剣)からの連想か? それにしても、そんなことモジョはなんで知ってたんだろう(^_^;)。
 喋る犬パピィは、てっきりテレビ第一話で、モジョが博物館から盗み出したアヌビスの呪いのせいで、人間が犬に変身させられていたんじゃないかと推測されていたが、もともと喋る犬だったことが判明。道理で呪いが解けても人間にならなかったはずだ。このパピィ、堂々と立ちションしてるけど、アメリカでは子供向けアニメに立ちションシーンを描くのは犬でもご法度。つまり、この一点だけ考えてみても、製作者たちがこの作品を子供向けだと思ってない何よりの証拠なのだ。
 うーん、こういう細かいところも語りだしたらキリがないね。
 PPGがテレビを見つめるシーン、画面に映ってる人たち、多分、実在人物のパロだと思うんだけど、よく知らないから解らない。誰か知ってる人いないか。
 嬉しいのは特撮ファンにだけ分かるギャグを随所に散りばめてくれていること。市庁舎を巨大モジョがまたぐシーンは、明らかに本邦の『キングコングの逆襲』のイメージだし、そのあとPPGを捕まえて摩天楼(明らかにエンパイアステートビルがモデル)に昇るのはもちろんオリジナル版『キング・コング』。つまりこの二つのシーンが東西キングコング映画を結び付けているって趣向なのである。
 摩天楼の中に働いてる人たちを見て、モジョが「こんなやつら、救ってやる価値があるのか!」って怒鳴ってるけど、恐らくこの人たちアニメのスタッフだ(^_^;)。楽屋オチだけど、一番好きなギャグがこれでした。
 で、もひとつ人を食ってたギャグが、「PPG」という呼び名を考えたのが博士でも街の人たちでもましてやモジョでもなく、ナレーターだったってこと(^∇^)。いやはや、意表を突いてくれるねえ。

 これは口にするとあまりにも単純なテーマなんで、気恥ずかしいんだけれど、この映画のテーマは、やはり、人間の心の「絆」だってことなんである。スーパーパワーだって、作者たちは決して便利ですばらしい能力だとは思ってない。博士が「ユニークなものは人には理解されにくい」と語った通り(幼稚園児に向かってすごいこと言わはる)、これは差別に立ち向かう物語でもあるのだ。
 PPGとモジョはケミカルXが作り出した兄弟のようなもの。つまり、硬貨の表と裏のように、両者の境遇はいつ逆転するか分らない緊張感の中にある。憎しみや恨みを乗り越えて、人を赦せればPPGになるが、赦せなければモジョになる。
 しかし、監督は恐らく、モジョを絶対悪の存在だとは思っていない。モジョもまた、もともとは「虐げられし人々」の一人なんで、逆恨みで博士やPPGや街の人々を恐怖のズンドコに陥れてるけれど、やっぱりスタッフからも視聴者からも暖かく見つめられてるのである。だってこいつの悪さがなかったら、PPGだって生まれてなかったって設定を、これだけハッキリと打ち出してるんだからね。
 どんな悪にだって、そこに生きてる意味はある、それが『PPG』の隠れテーマでもあるのだ。意外とハードじゃない?
 さあ、みんなも『PPG』を見て悪の道に走ろう!(違うって)  


 映画がハネたあと、「カルビ大王」で食事。やっぱりしげ、肉ばかり食う(^_^;)。みんなでPPGを誉めたたえて、気分よく散会。
 帰りの車の中で、しげから鴉丸嬢がエロマンガがうまく描けなくて困ってる話を聞く。
 「やっぱり絡みのポーズがうまく描けないんだって」
 「エロビデオ見りゃいいじゃん」
 「そう思うけど。其ノ他くんに頼んで、知り合いの女の子と絡んでもらおうかと考えたけれど、それもイヤだしって言ってた」
 「……オレたちがやってみせてもデブ専にしかならねーしなー」
 これでも役者のハシクレなんで、ポルノモデルになるのも吝かではないのだが(貧弱な体形でもドデブでもそれなりの需要はあるもんである)、何分、職場にバレた時がまずいんでねえ。
 けど、鴉丸嬢のマンガ、一度はホントにじっくり読んでみたいものだ。エロ話するわりには彼女は意外と純情なんで、ちゃんとエロが描けるかどうか心配なんだけど。やっばりネチっとした質感と言うか、絵に「重み」を与えられるかどうかが鍵だと思うんだが(ヤオイ同人誌の大半がエロではなくただのファンタジーだってのは、この質感のなさに起因してる面が大きい。どこに挿入してるんだかわからん絵も多いしな)、イラストだけ見てるといまいちエロに向いてないような印象なのが気になってるんである。
 

 住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)が稼動して、マスコミは政府批判に忙しい。批判をしようと熱が入るあまり、針小棒大でムリヤリな報道を繰り返してる痴態が笑える。
 その辺のコギャルにインタビューしてるけど、こいつらがいかにも馬鹿ヅラで、予めキャスターが与えた情報に操作されて、何も考えずにモノ言ってるのがバレバレ。
 「住基ネットについてどう思う?」
 「やっぱー、いきなりー、電話とか掛かってきてー、『オマエの秘密を知ってるぞー』とか言われたらー、怖いしー」
 あのー、電話番号なんて、住基ネット調べなくても既に世の中には電話帳ってものが存在してるんですけれど(^_^;)。わざわざ電話帳に載ってない情報まで手間隙掛けて調べてイタズラ電話掛けるやつなんていないよ。逆に、そういうこと言うバカがいるからわざわざ調べようってやつが出るかもな。そうなっちゃうと、こりゃまさしくヤブヘビってもんである。
 こういうアホな報道がまかり通ってること自体、住基ネットのどこがどう危険なのか、マスコミが全く理解してないってことを証明している。どうせ批判するなら、もっと別んところにカネ使えって批判した方がまだマシじゃないかね。
 私の場合、本名も住所も電話番号も、どこにどう個人情報が漏洩しようがしまいがへったくれもない(ここで私の職業を勝手に憶測しないように)。逆にこの日記のことを職場にチクラレることのほうがマズイんだよねえ。
 っつーことは、日記を移動して1年以上、今んとこ職場に秘密がバレてないってことは、私、意外と読者の方に好かれてる?(いや、常連さんはたいてい私の職業知ってるもんで。メールで聞かれりゃ教えてるしな)


 NHK、『BSマンガ夜話』、今日のお題は『ぶっせん』(三宅乱丈)。見たことないマンガだけれど、結構面白そう。
 アシスタントがなんとサトエリ。NHKも張ったなあ、という感じだけれど、衣装が全くムネを強調してないので、アシストに使う意味が全くない。ここでコスプレさせるくらいの度胸がないのがNHKの限界か。特定番組の宣伝になるのがマズイってんならオリジナルキャラでも作ればいいのに。いしかわじゅんにデザインさせてさ。きっと凶悪なデザイン描いてくるぞ(^o^)。
 岡田斗司夫さんは、ダイエット中とかで10キロ以上痩せたというが、見た目たいして変わってない。大月隆寛も言ってたが、「でぶは14キロ痩せても普通の人の7キロ分」なのである。イタイ言葉だ(-_-;)。
 毀誉褒貶激しい番組だけれど、もう23弾。ややネタに詰まってきつつある感じはあるけれど、古いのも新しいのも取り混ぜて、今後も続いて行ってほしいものだ。なんだかんだ言いながら、定期的に放送されてる唯一のマンガ情報番組なんだよ、これは。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』6巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 イギリス編ラスト……っつーかデザイン的にも性格的にもヘンなキャラばっかり出て来るようになったなあ。『ワンピース』の影響か? 絵的には師匠の藤田和日郎の影響も大きいんだが(つまり天野嘉孝の影響も大)。
 原稿の規定枚数がまたオーバーしそうなので感想はこんだけ(^_^;)。


 DVD『久里洋二作品集』。
 イラストレーターとしての久里さんしか知らない人も多いだろうが、アニメファンにとっては何と言っても実験アニメの久里さん、『殺人狂時代』の久里さん、「アニメーション三人の会」の久里さんである。だから『殺人狂時代』と言った場合、それがチャップリンのなのか、岡本喜八なのか、久里洋二なのかってのを区別するためには(ほかにも誰かいたな)必ずアタマに「誰それの」と付けなきゃなんないのである。
 アイデア勝負の実験アニメだから、ハズしちゃって「なんだかなあ」って印象になっちゃってる作品もあるけれど、さすがに代表作の『人間動物園』や『殺人狂時代』は、シニカルな題材をサラリと見せるあたり、ブラックでゾクゾクする快感が味わえる。手塚治虫の実験アニメも多分に久里さんの影響受けてるよなあ。
 『椅子』のような「実写アニメ」をマネしたやつ、もうホントに数え切れないほどいるものな。ヤン・シュヴァンクマイエルだって、久里さんの延長線上にいるのである。
 懐かしかったのは『ケメ子のLOVE』。これをフルコーラスで聞けて嬉しがってるのはもう四十路(^_^;)。



 で、、ここから8月7日(^_^;)。

 炎天下を小倉まで出張。
 特急だと小倉まで四十分か。昔、快速でも1時間半かかってたのがウソみたいだなあ。って何年前の話や。駅弁買ったりして、しばし旅の気分を味わう……ヒマもない。
 中身は仕事に絡みすぎるからどこで何をしたかは一切書けない。楽しいこと半分、つまらんこと半分。
 アジア太平洋インポートマート(AIM)で昼食ったバイキング、千円で食えるのはいいけど、チャーハンとかヤキソバとか、皿が空になったら追加がないのは頂けない。おかずが少なきゃバイキングの意味ないじゃん。
 おかげでやたらスイカばっかり食っちゃったよ。

 帰りの特急の中で外を見てたら、赤間で人間の背丈ほども直径のあるどでかい面が飾ってあるのを見付ける。どうやらエビスとオタフクらしいのだが、どちらもなんつーかこう、顔の歪んだ普通のオジサンとオバサンにしか見えない。いったいどういうセンスなんだ。「お師様まつり」とか幟りが立ってたみたいだけど、さっと通り過ぎたので確認できず。あのいびつなお面のせいで、ちょっとどういう祭か見てみたくなったが、行ってみりゃどうせただの縁日なんだろうな。


 アニメ『ヒカルの碁』第四十二局「ヒカルVS和谷」。
 原作ではもうこのころのキャラは完全に以前と違ってオトナなキャラになってるけれど、アニメの方は各話作監の問題もあるのがオトナになったりコドモになったり。今回はコドモだ。……和谷が楽平に見えちゃうんだよなあ。キャラ設定表、そろそろ一新したらどうかと思うけど、余裕がなくなってきてるのかなあ。
 プロ試験も残り2戦。再来週くらいにはひと区切り、9月からいよいよ佐為との別れも秒読み段階ということになるけれど、それでも9月一杯じゃ終わらないよなあ。番組延長決まったのかな? 12月で最終回と踏んだがどうかな。


 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健漫画・梅沢由香里四段監修『ヒカルの碁』18巻(番外編/集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 第2部への場繋ぎエピソードで、内容のレベルダウンがあるんじゃないかと思ってたけど、一つ一つの短編がよくまとまっている。これもアニメにするなら、OVAでじっくりと時間と予算をかけて作ってほしいなあ。
 塔矢アキラ、加賀鉄男、名瀬明日美、三谷祐輝、倉田厚、藤原佐為の6人をフィーチャー。帯で倉田さんだけがカラダがはみ出てるのが可笑しい。
 表紙を飾っただけあって、奈瀬のエピソードの完成度は実に高い。
 ……奈瀬、16歳だったのか。絵のイメージだと18歳くらいかと思ってたのに。それだけ小畑さんの絵がオトナっぽいんだけどね。
 いやあ、本編では全く目立たなかったし(だから番外編に登場したんだろうけれど)、普通、番外編に出すならあかりだろう、なぜ奈瀬?(シャレではない)とか思ってたけど、読んでみるとこれが実にいい女だわ、奈瀬。
 いやホント、マンガのキャラで「コイツいい女ー!」なんて思ったの、久しぶりじゃないかな。碁会所のオヤジたちの間で一歩もヒケを取らない打ちっぷり、毅然とした態度、こういう女を落としてこそ男の本懐ってもんだろう(古い表現でスマンねえ)。モデルはもしかして監修の梅沢由香里四段か? もっとも梅沢さんはちゃんとプロ試験に合格してるし、イイ男性にも巡り会えてるようだけれども(ご結婚おめでとうございます)。
 やっぱ、現代の若い男って、みんな本気で軟弱化してるからさあ、「男を必要としてない女」、ありふれた言い方だけど「自立してる女」とは付き合えなくなってるんだよね。どうしても「女を守る」視点でしか女を見られないもんだから、必然的に「バカオンナ」しか引っ掛けられない。おかげで世の中の一人身の女ってのが、必然的にみんな「イイ女」揃いになる。ああ、もったいない。
 ……いや、ホントに現実にイイ女があぶれてるわけじゃないんだけど、そう感じるくらい、リアリティがあるってこと。現実にいないかなあ、奈瀬。いたら真っ先にパトロンになってやるのに(カネねーだろ)。
 ほったさん&小畑さん、月刊とかに『明日美の碁』とか描いてくれないかな。「奈瀬明日美写真集」でも可(^o^)。


 CSチャンネルNECOで何気なく『パンツの穴 キラキラ星見つけた!』を見てたら、どこかで見たような人がチラホラ出てたんで驚く。
 主役の西野妙子は、このあともなんかアイドル歌手やってたみたいだけど、言っちゃなんだが顔に華がないからねー。『プレイボーイ』のグラビアで何度か見かけたっきり、どこかに消えてっちゃったけれど、それも仕方がないかなって感じ。
 それよりも浅野忠信だよ(^_^;)。これがデビュー2、3作目くらいか?
 いや、ヘタとかいう半端なレベルじゃないって。キャスト順位で言えば三番めだってのに、存在感も全くないし、これがよくもあそこまでブレイクしたもんだ。当時この映画を見てたとしても、あとになって出演してたなんて絶対気づかないよな。
 中身の感想は特になし。
 なんか、この『パンツの穴』シリーズって、第一作こそ菊地桃子主演で正統派アイドル映画的扱いがされてるけど、本質的にはB級C級アイドルの底上げ救済映画じゃなかったか。だって日本映画データベースで検索かけてみたけどさ、全8作中、私が知ってるアイドルって、志村香と中野理恵と西尾悦子(らんま1/2の主題歌歌ってころはあんなに脱ぎまくることになるとは思ってなかったなあ)くらいのもんだったぞ。私が無知なだけかもしれんが。丸典善カイって誰だよ。


 ナンシー関『何もそこまで』(角川文庫・500円)。
 買い忘れてた旧作。話題は1995、6年ころで、世間が阪神大震災とオウムで騒然となっていたころ。アニメでは『エヴァ』が始まった年だね。もう七年前になるのか、時が経つのは早い。
 けれどそんな世間の流れに逆行するようにナンシーさんはテレビ番組のみを切っていく。オウムにナンシーさんが触れるのは、横山弁護士のコワレっぷりを描写する時だけだ。この態度がホントに潔くてよかった。
 もちろん七年前の記事だから、今やナンシーさんの読みが外れたねってところはある。「『徹子の部屋』にホンジャマカは招かれても爆笑問題は招かれない」というのは今やニュアンスとしても事実としても違ってしまっている。
 けれど当時の我々の「感覚」はそうだったのだ。爆笑問題がほんの5、6年ほど前までアナーキーだったことを覚えている人も若い人の中にはいなくなってきつつある。説得力のある「時代の表現」をなくしてしまったという空虚な気持ちは、今、じわじわと広がってきている。

2001年08月07日(火) 代打日記
2000年08月07日(月) 胃袋には限界があるのだ/『江戸幻想文学史』(高田衛)



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