無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年08月15日(木) 母の呼ぶ声/『フルーツバスケット』5〜9巻(高屋奈月)/『神罰』(田中圭一)

 なんだか疲れが溜まっていて、午前中はひたすら寝る。
 どうせパソコンはしげと穂稀嬢が占領してて、日記の更新もできないし。
 それに、できるだけ寝て暮らさないと、書きたいことが溜まって、日記の量がどんどん溜まるのだ(^_^;)。

 夕方、父と姉と合流して、食事。
 初め八仙閣に行くが、団体さんが来ていて30分待ちということで、十徳やに移る。その席で親戚の誰か(顔も知らん)が、今度結婚することを知らされる。
 「お前たちの結婚のとき、お祝い貰ったんだからお礼せんとな」
 「そんなん貰ったかいな?」
 「忘れとうとや!」
 しげにも聞いてみたが、私以上に記憶力のないしげが覚えているはずもない。
 父、本気で呆れているが、本当に貰ってたとしても、当時から私がお礼のことなんか考えてなかったことはまず間違いないと思われる。
 そういう贈答だの親戚づきあいだの無意味な儀礼が大っ嫌いだったから、結婚式だって入籍以来5年以上も挙げなかったんである。それを母が死んで、墓前に結婚写真を捧げたいからと父に懇願されて、形だけということで親戚も呼ばず神主も坊主も神父も呼ばずに、父の弟子たちだけを呼んで挙げたのが我々の結婚式ってやつだったのだ。
 その程度のもんだから、私も職場からの祝いの申し出は一切断っている。そんなんにお祝い送る方もどうかしてると思うがな。断るより先に親が受け取っちゃってんだから、どうしようもない。
 まあ、放たっときゃ、親が勝手に包んでお祝いとやらを送るだろう。父はしきりに「育て方を間違った」と嘆いていたが、こーゆー性格、小学校のころから変わってないんですが、アナタ三十年以上も気付かなかったんですか。
 しかしその貰ったっていうお祝い、いったいいくらで何に使ったのかな。

 そのあと、父がすっかり酔っ払ってたので、しげの車に乗せて、マンションまで送る。
 初めは「一人で自転車で帰る」と言い張ってた父だが、歩いているうちに、こりゃ無理だと自分で気付いたらしい。5年前なら意地でも一人で帰ってたところだろう。意地っ張りで頑固者の父も自分の肉体の衰えには逆らえなくなっている。
 しげの車に父が乗るのは初めてだが、特に怖がってる様子はない。
 盆送りの場所の川岸にも車で乗り付け。道幅狭いってのに、こういう迷惑なやつはウチだけかと思ったらほかにも車が2台ほど。全くエゴイストが増えたもんだ。
 去年まではみんな自転車で出かけてたんだよなあ。
 私ももう自転車で何10キロも飛ばす体力も元気もなくなってきてるから、これからだんだんとしげに頼りっきりになってくんだろう。私が定年になってもしげはまだ40代だから、しげが先にくたびれ果てることはないと思うけど、もしもしげに見捨てられたらって考えたら、自分で自分の処置は考えないといけなくなるよなあ。そろそろそういうことも射程距離に置いとかないといけないトシになっちゃったね。
 父は母を送りながら、「あまり、はよう呼ばんでね」と呟く。えらく生に執着してるようだが、残された姉が心配なんである。私の生活のことは父は全く心配してないのだが(心配のしがいがないともゆー)、姉はまだ一人だちしていない娘三人を育てていかねばならないのだ。父の後ろ盾なしにやっていけるものではない。

 父には、母の声が聞こえているのだろうか。
 夢にでも出てくるか、と聞いたら「全然」と答えられたことがある。
 かと思ったら、気配を感じたようなことを言うこともある。
 恐らく、全ては錯覚だ。
 私は時々、母に声をかける。返事は、心の中に直接「思い」の形で響く。
 たいてい、母は怒っているし、恨み言を言うこともある。父やしげへの私の対応が優しくないからだと言う。責められて嬉しいはずもないから、たまにしか声をかけない。母に声をかけるときは、私が本当に疲れているときだ。叱られると解っていても、つい、「どうしたらいい?」と呟いてしまう。母は無言で答える。無言の感覚が伝わってくるのだ。
 母の声は、私の罪悪感の現れだろう。
 母を仮構しなければ、私は、私自身の罪すら自覚できないほどに傲慢なのだろう。ホントに霊魂になっているのなら、祟ってくれてもいいんだが。
 こういうことを書くと、母の声が聞こえるのだ。
 「バカが」と一言。 

 母が意地悪でなければ、あと10年は父を呼んだりはしないだろう。
 頼むよ、お袋。


 帰宅して、CSファミリー劇場で『快傑ズバット』の第2話「炎の中の渡り鳥」。
 こういうタイトル付けといて、「渡り鳥シリーズは意識してない」とか言ってのけてるんだから、脚本の長坂秀佳、鉄面皮と言うか厚顔無知と言うか、人間見えちゃうよな。20年前の脚本に文句付けるのもどうかと思うが、まあ今はもっとひどくなってるから構うまい。武上純希がどんなにヒドイ脚本を書こうが、長坂秀佳にはかなわない。
 ブラックハート団の用心棒、居合切りの達人風流之介を演じるのは天本英世さん。各話悪役の中でも一番ギャラが高かったんじゃないかな。テロップでも一枚看板だったし。けれど、身長がすごく高い方なんで、宮内さんとの背丈の差を誤魔化すのにカメラが苦労してるね。若いころから猫背で演技させられることが多かったけれど、居合切りの達人って設定も、腰を低くさせるための方便って気がしないでもない。でも天本さんの代表作はやっぱり背筋をピンと伸ばしたキャラに限るんである。
 みどりとオサムの二人、第2話にして、はやくもいてもいなくてもいいキャラに成り下がっている。早川がブラックハート団に入るフリをするのも30分の短い枠の中ではほとんど無意味。いいよなあ、いくら手を抜いても脚本として扱ってもらえるってのは。


 マンガ、高屋奈月『フルーツバスケット』5〜9巻(白泉社/花とゆめCOMICS・各410円)。
 途中で読むのをやめてた分を一気に読了。
 でも、まとめて読んでもあまり進展がないなあ。十二支なかなか全部揃わないし、慊人は思わせぶりな行動取るばっかりで、なかなか仕掛けてこないし。やたら回想シーンが入るとこも含めて、こんな展開どこかで見たなあ、と思ったら『ワンピース』だった(^_^;)。シリアスとギャグを適度にマゼコゼするあたりもね。人気がある理由もわかりはするが、なんだか今一つドラマの「幹」がないというか、盛り上がりに欠けてるよなあ。
 うおちゃん、はなちゃんの過去なんか、番外編で書きゃいいんであって、本編に差し挟んでも、ドラマの流れ中断させるだけだと思うけど、ファンの声に答えたんだろうね。あの二人、人気ありそうだし。
 はなちゃんとかあーやとか、コメディリリーフの役を果たすキャラって、ドラマツルギーから行けば狂言回し以上の働きさせちゃいけないんだけど、この作者、それを知っててワザと崩してるんじゃなくて、単に語り口がヘタなだけって感じだから、そのうちカベにぶち当たっちゃうんじゃないかなあ。
 それにしてもアニメはどこで結末つけたのかな。まだ9巻かけてもほとんど事件らしい事件起こってないんですけど。


 マンガ、田中圭一『田中圭一最低漫画全集 神罰』(イーストプレス・1049円)。
 この人のマンガを買うのって、『ドクター秩父山』以来だが(もう15年も経つのか)、こんなに絵柄が変わっていたとは(^o^)。
 いやね、『コミック伝説マガジン』に『グリンゴ』の後日譚を描いてた時点で、この人、手塚治虫の絵を随分本気で研究してるなあ、とは思ってたんだよ。だってねえ、普通、手塚治虫を模写しようと思ったらさ、『メトロポリス』や『来るべき世界』のころの描線か(スノウチサトルが描いてたね)、アニメ的に整理された『鉄腕アトム』後期のころの描線か、どちらかを選ぶ場合が圧倒的に多いんだよね。
 それを田中さん、ハッキリ手塚さんの表現力が落ちてきた80年代の線をベースにしてるんだよねえ。これがまた実によく似ているのよ。コイズミ首相の似顔絵にもよく表れてるけれど、田中さんは手塚さんの描線、デザイン能力を自家薬籠中のものとして、新しいキャラクターを作れる域にまで達しているのだ。これほどの能力、水木しげるの線をモノにした森野達弥と肩を並べるほどだ。
 本人の意図はどうあれ、結果としてこれはもうイヤガラセ以外の何物でもない。なんてったって、その内容ときたら、明確なパロディはほんの少し、ほとんどが単なるエロ・シモネタマンガを「手塚のキャラで描いた」だけのシロモノなんでねえ(^_^;)。
 装丁は『手塚治虫漫画全集』のまんまっつーか、ここまで似せてたら盗作と言われてもしかたないくらい。オビに踊ってる手塚るみ子の「ライオンキングは許せても田中圭一は許せません!」のコトバ、ちょっとマジ入ってないか(^o^)。
 いやまったく、手塚治虫を神様のように思ってる人にとっては、マジでこれ、噴飯ものではなかろうか。

 でもねー、これがねー、恐ろしいくらいに面白いのよ。いや、ギャグはつまんないんだ。ギャグだけを取り上げて説明したら、もうしょーもないというか、誰も笑わねーだろーってくらいにベタ。
 例えば、こんなギャグ。シスターが寿司屋を開いているが、海苔を切らしてしまう。主に祈ると、そこに中国皇帝が現れて、冠のてっぺんを剥ぐとそれが海苔。皇帝曰く、「だめだよ、きらしちゃ。」。
 ……面白い? これだけだと全然笑えないね。
 あるいはこんなの。
 愛するシモーヌが死ぬ。夫の脳裏に走馬灯のように浮かんでは消える彼女の思い出……。「あなたのいちもつを見ていると安心するの」「え!? 理由? あなたのいちもつが立派だったからよ」「よかった!あちこちケガしてるみたいだけどいちもつだけは無傷だわ!」「あなたのいちもつだけでいいの!! ほかになにもいらないわ!!」「あなたのいちもつのことで頭がいっぱいだから!」……。
 なんだか書き写してて人生が無意味に思えてきた(-_-;)。
 つまんないなー。とことんつまんないなー。
 これだけで笑えるという人がいたら、そいつのギャグセンスを私は思いっきり疑っちゃうぞ。

 けれど、これらの最低最悪なギャグが、カンペキな手塚治虫の絵で描かれるのですよ。これがどれだけすごいギャグだかおわかりいただけますでしょうか? え? 神様手塚をとことんコキ降ろしてるのが痛快だからだろうって?
 違います。
 何がすごいかって言うと、生前の手塚治虫のギャグセンスが、まさしく田中圭一と同レベルのどーしょーもないものだったからです! つまり、このマンガ、手塚治虫が描いたと言っても通用する作品になってるんですよ!
 あ、信じてませんね? でも、冷静になって考えてくださいな。ヒョウタンツギとかブクツギキュとか、あなた、ホントに面白いですか? ピノコのアッチョンブリケで笑った人いますか? 『新・鉄腕アトム』に出てくるロボット・アトラスなんて、おしっこ引っ掛けて敵を爆発させる仕組みになってるんですよ。これでギャグのつもりだったんですから、あの神様は。

 誰かをからかったり、バカにしたりすることを極端に嫌う人がいるが、悪口雑言には権威的なもの、抑圧的なもの、絶対的なものを相対化する作用もあるのである。手塚治虫を神棚に祭り上げて信奉するだけではその価値を冷静に判断することはできなくなるだろう。
 手塚治虫はいやらしい。手塚治虫はくだらない。だから面白い。田中圭一は絶妙の模写でそれを証明してくれているのだ。こうなったら『グリンゴ』だけじゃなくて『ネオ・ファウスト』も『ルードウィヒ・B』も『火の鳥 アトム編』も全部田中圭一に続きを描いてもらったらどうだ。全部エロにして(^o^)。
 ブラック・ジャックとロックが懸命になってギャルゲーの中の和登サンやサファイアやメルモを落とそうとしてる姿って、リアリティあるよな。手塚治虫がもしも生きてたら、ブラック・ジャックの新作で絶対に似たようなシーンを描いてたに違いない。なんたっていしかわじゅんと吾妻ひでおのキスシーンまで描いてた人なんだから。
 でも藤子・F・不二雄の模写は似てないぞ。永井豪はまあまあ。本宮ひろしと福本伸行は……まあいいか(^_^;)。


 DVD『パワーパフガールズ』をかけながら寝る。

2001年08月15日(水) 代打日記
2000年08月15日(火) 盆休みも終わり……なのに毎日暑いな/映画『シャンハイ・ヌーン』ほか



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