無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年08月06日(火) プールサイドの妖精……誰が?/映画『パワーパフガールズ ムービー』ほか

 広島に原爆が落ちた日である。
 なんだか今更そんなこと書くのも当たり前すぎてバカバカしい気もするが、そういう感覚こそが歴史の記憶が風化してるってことの何よりの証明なんで、事実の記録として、一応書いておくに如くことはない。

 現実にもう、今時の10代、20代の若者には、冗談ヌキで、57年前、日本がどこと同盟を組んでどこと戦ったか、知らないやつがゴマンといるのだ。アメリカと組んで朝鮮と戦ったってマジで言ってたやつ、知り合いにいたよ。
 ここまで来れば、親は何してる、教師は何してる、というレベルの問題じゃない。いい悪いではなく、現実として既に日本人自体が、もうあの戦争のことを忘れてしまっているのだ。夏が来れば思い出したようにテレビでは戦争特番が作られる。しかし、そういう「期間限定」で戦争の記憶が呼び起こされるというのは、裏を返せば普段はそんなこと忘れちまってるってことなんだよね。
 8月6日に、8月9日に、8月15日に、あの戦争は封印されているのだ。

 我々の子供時代には、まだ神社の境内に箱を持った傷痍軍人が立っていた。
 両親に「あれなぁに?」と聞いたけれども、二人とも黙ったまま、何も答えてはくれなかった。戦争を経験していようがいまいが、多分、そんな親が圧倒的に多かったのだろうと思う。戦争の風化は日本人の総意だったと言ってもいい。

 諸外国から、戦争の加害者であったことを忘れるのか、と非難されるのは当然ではあるのだろうが、さて、ではあの戦争の記憶を日本人は未来永劫抱きつづけていたほうがよいのか、ということになると、ことはそう単純ではない。アラビアンナイトのツボの中の魔人の話ではないが、ある境遇を強いられた者の感情は十中八九、恨みに転化するものだからである。
 映画好きの私であるが、亡母からこの映画だけは見るな、と厳命されている映画がある。『ひめゆりの塔』だ。理由は「アメリカが憎くなるだけだから」。別に『ひめゆり』に限らず、『黒い雨』だって『はだしのゲン』だって、マジメに見てりゃ、アメリカ憎しの感情が起こるのもおかしかない。憎まずに、ただ戦争の罪のみを糾し、世界に平和を希求するなんてキレイゴトを通すことがはたしてできるものだろうか。人間は不器用だから、戦争の罪を許すには忘れるしかしかたがない面もあると思うんだけどね。
 あの戦争に関しては未だにあまりにも観念論とイデオロギーが付きまとっている。マジメに戦争を語ったりすると、右か左かと見られるならまだしも、バカか道化のように見られるのがオチだ。で、実際に今、戦争を語ってる連中って、右も左もなんだかわかんないのもこぞってバカばっかりでしょう(^_^;)。
 ……いや、ようやく小林よしのりの『戦争論2』読んだんだけどね、なんか感想書くのがバカバカしくなってきてねえ。と言っても、内容が間違いだらけ、ということを今更指摘したいんじゃなくて、ああいう「物語」が語られる段階で、戦争って、本当に風化してしまったんだなあ、ということを実感しちゃうのよ。
 小林さんの主張を全てウソだと断定はしない。しないけど、あの本読んでるとさ、大東亜戦争自体が大いなる虚妄であったのではないか、なんてことも日本人はほとんどマトモに論議してこなかったんだなって、実感しちゃうのよ。小林さん、未だに「公」がどうのと主張してるけれど、公共道徳の「公」と、全体主義による個人の思想の弾圧をいっしょくたにしちゃいけないよな。
 全てを忘れてしまえ、とまで言うつもりはない。けれど、庶民レベルではもはや、「せんそうはいやだ、ひとがおおぜいしぬから」と、その程度の認識でしか、あの戦争は理解されなくなっている。っつーか、それでもマシなほう。小松左京の『戦争はなかった』は、マジで現実化しているのだ。
 あの戦争を理解するには、あまりにも戦後の「事情」が錯綜し過ぎたのだ。

 いやねえ、戦後すぐの小学生の日記なんかを読んだりするんだけど、これがもう、一年前まで戦争してでしたって感じがヒシヒシと伝わってくるんで、こりゃもう、戦争を知らない世代がヘタなこと言えるもんじゃないよなあ、と思うよ、ホントに。
 

 午前中だけ、出張。
 一時的に落雷、大雨が降るが、幸いタクシーに乗っていたので、濡れずにすむ……って、よかないんだよ。上司から、最寄りの駅から現場までタクシーで10分、とか聞いてたから安心してたら25分もかかったぞ。タクシー代が馬鹿にならんほどかかった。でも、これって職場から出してもらえないんだよな。
 出張先で昼飯に食った炒飯がこれ以上ないってくらい不味い。油でべとついてモチ状態になってんだよ、これが。胃にもたれる気はしたが、なんか癪に障るんで犬ぐいする。案の定、腹をコワす。何やってんだ、オレ。

 昼2時、竹下駅でしげと待ち合わせて、帰宅。
 すぐに穂稀嬢から電話連絡があり、グッディまで来ているとのこと。詳しいスケジュールは知らされてなかったのだが、どうやら穂稀嬢のおトモダチのM子嬢の車でプールに向かうことになってるらしい。
 昨日買ったばかりの海パンに帽子、度付き水中メガネやバスタオルをコンビニのビニル袋に突っ込んで出かける。「そんなんでいいと?」としげがオヤジを見るような眼で見るが、粋なバッグなんてのは持ってないからしかたがない。
 オヤジはよう、天神に出かけるのにもサンダル履きが普通だからいいんだよ。わが父君は、新幹線で上京する時、シャツ一枚にスリッパで行ったこともあるからまだ私のほうが負けている。勝ちたくもないが。

 穂稀嬢、マンションの下まで迎えに来ている。
 以前より髪の毛が三倍くらいに伸びている。夏場に髪を伸ばすのはお菊人形だけでたくさんだ、と心で思うが口には出さない。たまに、心にもないことを口にすることもあるから、気をつけておかないといけないのである。オトコの趣味に合わせて伸ばしてるのかな。穂稀嬢、最近、またオトコ引っかけまくってるって話だからなあ(あ、ウワサですからね、ただの)。
 ちなみに私もロングヘアは好きである。一時期、しげにもロングでいてもらったことがあるのだが、怖がりのしげ、夜中に自分の髪の毛がフトンに広がってる様子が怖くて悲鳴をあげるので、すぐに短く切ってしまった。せめてボブにしてくれたらなあ。ボブも実はルイズ・ブルックス(古いね)をスチールで見て以来、大好きなのである。でもしげには多分似合わないな。
 グッディの駐車場で、M子さんの車を初めて見たが、車種はよく知らないが、シルバーでメタリックな、しかもやたら平べったくて縦長な大型乗用車である。なんだかちょっと昔の「スーパーカー」が入ってます、みたいな。「飛ぶの? これ」と冗談を飛ばしたくなったが、ウケそうにないのでやめる。
 しげ、乗ってる間ずっと、「車高低い、怖い」を連発してうるさい。他人の車に乗るときはマナーを考えろと、私には散々言ってるくせに自分は全くデリカシーというものがないのである。

 3時過ぎ、プール到着。
 どこに行くのかと思ってたら、アクシオン福岡の近くだった。
 アクシオンってのは比較的新しくできた運動施設で、福岡で国際的なスポーツ選手を育成しようってな目的があるらしく、結構な予算をかけてぶっ建ててるんで、見た目だけはやたらとバカでかい。
 「アクシオンの中にあるの?」と穂稀嬢に聞くと、
 「その隣です。古いほう」と答える。こんな山奥にはあまり来たことなかったから、そんな昔からプールがあるとは知らなかった。
 残念ながら、入口で二手にに分かれる(当たり前だ)。サイフを持って来るのを忘れたので、しげに入場券を買ってもらったら、しげ、「ワザと忘れたと?」とブツブツ文句を言う。私にたかるときは思いきりたかるくせに、人間のウツワが狭いと言うか、ヒキョウ者と言うか。

 水中メガネ、10年も前に買ったやつだが、一番度の強いやつでも私の視力を強制できるものではない。普段つけてるメガネですら矯正視力が0.3なのに、多分このレンズだと0.1程度。それでも気休めにはなるので、つけてプールサイドに出るが、ヒトの姿がぼんやりとしか見えない。
 しげたち、どこだよ。あのへんの「人だかり」がそうかな? と見当をつけていく。これで「やあ」とか声かけてみて、アカの他人だったら、大恥をかくところだ。いや、たまにホントにやるし。
 そういうわけで、しげや穂稀嬢の水着姿やスタイルの細かい描写はできないので悪しからず。まあ勝手に釈由美子とか優香とか想像して下さい。

 プールと言っても、別に泳ぐつもりはなかったのである。
 全身運動になればいいなあと思っていたので、歩いて往復しようかとか、軽く考えていたのだが。
 ……水深が2メートルあるなんて聞いてないぞ。しかもなんでタテが50メートルもあるのだ。CIAの陰謀か。
 穂稀嬢とM子嬢はスイスイ泳いでるのだが、中年でしかも数年泳いでない私が、一気に泳げるはずもない。学生のときだって、75メートルを超低スピードで泳ぐのが限界だったってのに、私に溺れて土左衛門になれというのか。誰もが思いつくダジャレを思いついたが、ウケないことが解りきってるので言わない。ますます腹が膨れるやんけ。
 しかたがなく、プールのヘリに掴まって、「からだを送る」。全身運動と言うより、ひたすら腕の筋力を鍛えている気がしてくる。段々愚痴が口をついて出る。
 「なんでみんな泳げるんだよ、人間は水に浮くようにはできてないのに」
 「できてますよ」
 すかさず穂稀嬢がツッコミ。できてるんならなぜ私だけ沈むのだ。
それでもたまに泳ぎに挑戦。クロールも平泳ぎも異様にスピードが遅い。息よりも体力が続かず、10メートル進んではヘリに掴まる。その横を穂稀嬢がひゃらら〜っと泳いで抜いて行く。足を掴んで沈めたくなる衝動に駆られるが、犯罪者に間違えられたらいけないので、あきらめる(犯罪だって)。
 ふと、しげを振りかえると、ボードに乗ってぴちゃぴちゃ遊んでいる。こいつも泳ぎは得意ではないのだが、水遊び感覚なので、全然苦になってないらしい。へらへら笑ってやがるし。いいなあ、コドモは。

 でもなんだかんだで二時間以上遊んでいた。
 いや、プールって好きなんだよ、実は。泳いだあと、ついポカリスエット飲み過ぎるから、運動の意味がないんだけど。


 5時過ぎに帰宅して、しげ、仮眠を取る。
 昨夜も夜通し仕事、今日は昼からプール、そして夜はエロの冒険者さん、ぴんでんさんと映画を見る予定なので、しげには寝る時間がほとんどないのである。私は昨夜はたっぷり寝てるから、多少の夜更かしも平気だが。
 待ち合わせの時刻は8時半にトリアス久山で、ということだったが、車で行くのは初めてである。けれどまあ1時間見ておけば余裕かと、7時半までしげを寝かしておく。2時間くらい寝ておけば少しは持つだろう。実際には、山を越えて45分で到着したので、あと15分は寝かしてあげられていたが。
 交通機関を使うと、トリアスまでは福岡空港を迂回する道しかない。乗り継ぎもあって軽く2時間はかかってしまうのだが、意外と家から近かったことに気づいたのは発見だった。

 早めに着いたので、腹をすかして泣いてるしげとケンタッキーフライドチキンで、軽めの食事。軽めと言っても、二人ともチキン2ピースくらいは食う。映画のあとは食事も予定しているので、私は控えたかったのだが、しげがあまりに「腹減った腹減った」とうるさいので根負けしたのである。だつたら、しげだけ食河、私は食わなきゃいいじゃん、と言われそうだが、やっぱり目の前で一人だけうまそうに食ってるのを横目で見てるだけってのもねえ。

 エロさん、ぴんでんさん、お二人とも待ち合わせ時間に15分遅れて到着。
 この程度の誤差は博多時間の範囲内だから、私は全く気にしていないのだが、しげは明らかに不安げであった。待ってる間ソワソワしていたので、「まあ、予告編の時間もあるし、ギリギリでも絶対込んでないから」と言って安心させる。
 まあ、見る映画が『スターウォーズ』だったらこんなことは言えないが、『パワーパフガールズムービー(字幕版)』だからな(^_^;)。けれど面白さにおいて両者には格段の格差があったのであった。

 映画『デクスターズ・ラボ/ニワトリ男の恐怖』。
 『パワーパフガールズ』の本編が81分と短いので急遽くっついたと思しい短編が先に上映。
 天才科学者の少年(デクスター)に、乱暴女の姉(ディーディー)のコンビってのも、なんだか日本のマンガにあったような気がするが、思い出せん。マッドサイエンティストの姉に気弱な弟が振り回されるってパターンなら、あろひろしとか描いてそうだけどな。
 オマケ映画だから、ツマンナイかというと、さにあらず、天才が、日常的な常識には欠けている、というのは、シャーロック・ホームズからパタリロに至るまでの黄金パターン。これを生かしたメリハリのいい短編にしあがっている。
 全身に水疱瘡ができたデクスターを見て、ディーディーが、「それ掻いちゃうとニワトリに変身しちゃうわよ」、ウソをつく。と言ったって掻かずにはいられないデクスター、ロボットに電気ショックを浴びせてもらったり、超巨大メカを作って、カラダを縛りつけたり(どでかいワリに、機能がカラダを縛るだけってところが秀逸なギャグ)するけれどもやっぱり掻いちゃう。
 もう劇場の大画面に、全身を掻きまくって狂喜するデクスターの痴態が踊る踊る(^o^)。こういうキタナイキレテルネタを堂々とやってくれるところがいいねえ。

 映画『パワーパフガールズ ムービー』。
 本国での公開は既に終わり、前評判はよかったものの、興行自体はイマイチ伸び悩んだようだ。製作費2500万ドル(換算すると約30億円? どっひゃー!)に対して興行収入は1000万ドル。やっぱり『ポケモン』ほどの認知度はないのかなあ。アチラの批評じゃ、「テロ事件を連想させてよくない」なんてのもあったそうである。バカはいるよな。
 なんかねー、『クレヨンしんちゃん』についても「だって『クレヨンしんちゃん』でしょ?」と、自分のアタマでモノ考えずに見ないやつらは腐るほどいるからねー、『PPG』を普通の子供向けアニメだと思ってツマンナイと決めてかかってるオトナ、多いんじゃないかなー。確かに『サウスパーク』みたいにハッキリオトナ向けを打ち出しちゃいないけど、そんじょそこらのファミリー向けアニメとは格段に質が違う。
 いやあ、ある意味実験アニメといっていいくらい、これまでのアニメ技術の粋を集め、それを更に発展させて表現している。単純な線のキャラクターだから勘違いする客もいると思うけれど、一見、テレビアニメの延長線上にありながら、その演出が映画としてブローアップされてるのがすごい。そのすごさがわかりにくい点では『となりの山田くん』並なんだけれども(^_^;)。
 もちろん、全編がデジタルで作られてるんだけれど、あのCG映像の無機質感が見事なくらいに払拭されている。すなわち、セルアニメの柔らかな質感を残しつつ、カメラアングルは自由自在、ということをやってのけているのだよ。
 日本のセルアニメは、もともと奥行きを表現するのには、もっぱら「職人の技術」に頼っていたわけだけれども、デジタルを導入することによって、一応以前よりは楽に奥への動きを表せるようになった。けれど、『どれみ』とか見ててもわかるけど、まだまだ「タテへの引き」にしか見えない部分が多いんだよね。『PPG』がすごいというのは、アニメでありながら、きちんとカメラを意識したアングル、レイアウトを常に意識していること。
 たとえば、テレビシリーズでも、キャラクターにカメラが迫っていく時に、遠景、中景、近景と、何段階かに分けて近づいていく、という映画的技法を使っていたけれども、こういうのは単にただアップにしていくより、ずっとキャラクターの心理と観客の心理がシンクロする効果があるのだ。カットを割るだけでなく、少しずつ近づいていきながら、絶妙のタイミングでキャラクターのアップに迫る。うまい!
 ほかにもあそこの構図はどうの、あのタイミングはどうのといろいろ言いたいことはあるんだけどさ、キリがないから省略。けれど、こういうさりげない演出をキチンと評価していかなきゃ、アニメがいつまで経っても子供のもの(この場合の「子供」は「バカ」と同義の差別語だ)で終わっちゃうよな。

 まだ書き足りないが、規定枚数を越えたので、今日はここまで。明日の記事に続く。

2001年08月06日(月) 復活日記(笑)1・加筆もあるでよ/村上春樹『約束された場所で』ほか
2000年08月06日(日) まぬけ三態/『テレビ消灯時間2』(ナンシー関)



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