無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年06月30日(月) ダンボールの迷宮/『新世紀エヴァンゲリオン DVD−BOX』

 昨日の劇団の練習に、久々にC−1藤田くんが来ていたのだそうな。
 借金だらけのはずなのになぜかワンボックスカーを買ったという藤田君にせがんで、しげ、その車に乗せてもらったのはいいのだが……。
 まず、後部座席に乗ろうとして、ドアが開かない。鴉丸嬢のか細い腕では全然ビクともしない、しげが渾身の力をこめて、「ええい!」と開けて乗りこんだはいいが、今度は降りるとき、固く閉ざされて内側からどうやっても開かなくなってしまった。しかたなく其ノ他くんが、外から男の子らしさを発揮して、なんとか開けたそうである。
 「でね、車の中が凄かったとて」
 「どんなふうに?」
 「内装がね、ダンボールなんよ!」
 「はあ?」
 「天井の布張りが剥げてたからそこに手を突っ込んでみたらね、中はダンボールやったと!」
 ……私は世間の車に詳しくないのだが、もしかして、車はみんな内側にダンボールを張っているものなのだろうか。ベンツもフォードもクライスラーも。


 今日も雨がパラつき。
 職場に電話をして、眼科に行くことを伝える。
 同僚にやりかけの仕事など頼むが、欠勤の理由が「風邪」とかだと、露骨に「その程度で休むのかコイツは」って感じの反応が返ってくるのが常だが、「網膜剥離」だと、「無理しないでどうぞゆっくりお休みください」って感じになるのがおかしい。病気の軽重でサベツしちゃいかんな。本人にとっては仕事にならん点では同じなんだが。

 今日は病院までしげに送ってもらえる。
 検査の結果は、とりあえずレーザー治療はうまくいっているとのこと。穴が広がるのはなんとか防げているようである。
 主治医からは「また一週間後に来て下さい」と言われたが、これから毎週、点検しないといけないんかな。
 ふと小さな黒いものが目の前を横切るので、虫かと思ったら、例の首吊り紐なのであった。コバエが目にたかってるような感じで、なんだか眼球が腐っていくような錯覚にとらわれてしまう。精神衛生上、あまりよくないのである。これもレーザーで焼いちゃうことはできなかったのだろうか。
 しかし、私が虫嫌いでなくてよかった。これがよしひと嬢だったりしたら、目の前にしょっちゅう蜘蛛がぶらさがってきてるように錯覚して、悲鳴を上げてたとこだろう。
 受付で、一昨日は手元不如意で払えなかった治療費を払う。保険でなんとかならんかと思うが、証書がどこに行ったか覚えてない。病人がこういうことに杜撰では損をするのである。

 帰りがけ、「ビッグボーイ」で遅めの昼食。
 二人とも同じランチを頼む。いつも絶対に私のと違うメニューを選びたがるしげにしては珍しいことである。手ごねハンバーグにチキンと豚肉のしょうが焼きが付いて680円。ボリュームがあるのにまあまあリーズナブルだ。
 サラダバーを覗いてみると、なぜかウドンがある。普通はスパゲティだろう。もしかして、パスタと間違えてウドンを注文しちゃったのか。……んなわけないな。けど麺つゆもないのにどうやって食うのか迷っていたら、しげが「ゴマダレかければ?」というので試してみる。
 ……辛くて食えたものではない(>_<)。
 「かけすぎとうやん」としげが言うので、タレをちょっとだけ付けて食べてみると、今度は味がしない。どうも要領がつかめない。和風ドレッシングにすべきだったろうか。
 帰宅して、目を休めるために夕方まで寝る。

 夕方からしげは仕事に、私は博多駅へ。
 紀伊國屋でDVDや本を買いこむ。もう、ここのDVDコーナーの店員さんにもすっかり顔を覚えられているので、カウンターで「あの……」と言うなり「『エヴァンゲリオン』ですね」と、荷物を手渡される。こんなふうに手回しがよすぎるのもあまりいい気はしないのだが、ここの女性の店員さん、丸顔に丸めがね、ショートカットでちょっと男の子っぽい感じが可愛らしくて、ちょっと昔にアイドル(?)だった斉藤ゆう子に似ていて、何だか憎めないのである。声も実にハキハキしていて感じがいい。
 こうなると、この店では絶対えっちびでおは買えないのであった(この店でなくても買わんけどさ)。
 

 DVD『新世紀エヴァンゲリオン DVD−BOX』。
 まあ、ケースがごっついこと。梱包用のダンボールから本体を取り出すと、赤いガラスケースの中に、セフィロトの木と死海文書をレリーフにした、細長い、銅色のケースが。ちょっと厳重すぎる気もするな。
 昔LDシリーズに付いていた「EVA友の会」も復刻。まさにコレクターズ・アイテムと言ったところだ。
 とりあえず、DISC1〜3と、特典映像を見る。確かに音が昔に比べてよくなってる気はするが、たかが音声多重のステレオテレビじゃ、そんなのよくわからないのであった。
 けれど、改めて『エヴァ』を見返すと、そのドラマ造りのうまさに今更ながらに舌を巻く。やっぱりかつてエヴァに人生狂わされた人々というのは、昔ながらのテーマ主義に毒されてて、何もないところに自分を投影し過ぎちゃったんじゃなかろうか。
 本放送時、第2話の『見知らぬ、天井』を先に見たしげが私に、「すごいよ! 前の話の続きを二つに割ってね、最初と最後に持ってきてるの!」と、その「ドラマ構成」にまず注目していたのを思い出す。
 しげに演劇の才能があるなあって感じるのは、こんなふうにキャラクターの内面描写よりも「語り口」にこそ演劇の本質があると直観してるとこなんだが(だから『エヴァ』をドラマとして楽しめて、自分を見失わずにすんだのだ)、あれから8年が経って、さて、少しはその才能が開花したのかどうか。

 特典映像、アフレコ用映像と称して、シロミだらけの映像を9話分収録。台本が手元にあれば、あなたもシンジ君やアスカやレイになりきってアフレコごっこができるという趣向である。……だったら台本もフロクに付けとけよ。
 ウワサの実写版「エヴァ」は、劇場版の予告編でもちらっと使われた、レイ、アスカ、ミサトを林原めぐみ、宮村優子、三石琴乃の声優本人が演じるというもの。シンジは本人が演じるわけにいかないのは分るな(^o^)。これがあたかも『ラブ&ポップ』につながる庵野秀明第1回実写作品として極めて高い完成度を持っているのが興味深い。そうだよなあ、こういうもう一つの『エヴァ』もありえたというのが、「作品世界というのは、とどのつまり、作り手と受け手が関わった分だけ無限にあるのだ」という世界観を表しているようで面白い。最後のシンジの声は、庵野監督自身の声アテだそうである。
 この実写版見られただけでもボックス買った甲斐があったなあ。

2002年06月30日(日) 荒む心、続く/DVD『マジンカイザー』5巻/『忍者飛翔 雪の章』(和田慎二)ほか
2001年06月30日(土) 原稿アップ(´。`;)/『マンガ世界戦略』(夏目房之介)ほか


2003年06月29日(日) 明日はどっちだ/『コミックマスタージェイ』10巻(田畑由秋・余湖裕輝)ほか

 読む本とか増えてきたし、いい加減で工事中のコンテンツも仕上げていきたいんで、これから日記はできるだけ簡単に書きます。ホントか?(^_^;)

 今日は『ガッシュ』『アトム』の放送は特番で中止。
 いや、『クラッシュギアニトロ』から『明日のナージャ』まで見ちゃいるけど、全部感想書いてるとキリないし。

 もしかして、明日から入院しなきゃなんないのかなあ、と思ったら、俄然、ホームページのコンテンツを増やしたくなる。
 まるで新学期が始まる前に慌てて宿題を始める小学生のようだが、メンタル的にはたいして変わりがないのかもな。
 まずは、小説の第一回目を仕上げる。私の小説は、以前自作の戯曲に登場させたキャラをそのままスピンオフさせて書いてるのがほとんどなのだが、元の戯曲とは微妙に設定が変わっている。でもまあ、そのへんはパラレルワールドの出来事と割りきろう。って作者の都合を読者に押しつけてるだけかもしれんが。
 もう一つの新コンテンツは、マンガのセリフを取り上げて解説するもの。まあ、みんなよくやってることだと思うけど、自分でもいっぺんやりたかったのである。面白がっていただけたら幸い。


 CS日本映画専門チャンネルで、石原慎太郎原作・篠田正浩監督『化石の森』。
 まあ、辛気臭い映画である。描写も構図も平凡だし、実際、私には篠田監督の作るものがほとんど面白くないのである。
 何でこの人、評価が高いのかなあ。『心中天網島』の財産だけで食ってんじゃないのか。


 マンガ、田畑由秋脚本、余湖裕輝作画『コミックマスタージェイ』10巻(少年画報社/ヤングキングコミックス・520円)。
 2本アニメ界に輝く巨星、アニメ監督・菅野政次って、まあ誰でも分ると思うけど、モデルはあの人だよな。本作でその某監督のことを、「脚本のヌルさ」などで批判もしてるけど、ちゃんと評価してるのは立派。あれだけデカイ存在になっちゃうと、ちょっとやそっと叩いたところでただのヤッカミとしか思われないし、まあ、エライ人を叩くなんて、誰にでもできることでもある。様々な批判を越えて、自分の世界を無知蒙昧な(それは今でもそうだ)世間にムリヤリ認知させたその手腕はやっぱスゴイと思う。だからいい加減でホントに面白いアニメ作ってほしいんだけどな、あの人には。
 でもって、「夢と現実の区別がつかなくなる」マンガばかり描いてる天井薫ってのはあの人だな。つーことはその世界に取りこまれたメガネの田賀浩ってのがつまり……。
 まあそれよりも今回一番胸にズンと響くのはジェイの次のセリフだろう。
 「漫画大国日本で漫画を読めぬやつは死ねっ」
 もちろん、この「読めない」というのは「理解できない」という意味であろう。まあ、「理解できる」の基準をどこに置くかにもよるけど、あまりにも表面しかなぞってない迷惑なヤカラは腐るほどいるしなあ。……日本の人口、半分に減るぞ。

2002年06月29日(土) 能古島紀行/『ワイド版 風雲児たち』1・2巻(みなもと太郎)
2001年06月29日(金) フェイト教授、さようなら/『スカルマン』7巻(石ノ森章太郎+島本和彦)ほか


2003年06月28日(土) ちくしょう、目医者ばかりではないか/北村薫サイン会/『とんち探偵一休さん 謎解き道中』(鯨統一郎)ほか

 目の中のぶら下がった輪っか、ふと、これってあの「玩具の輪っか入れ」に似てるなあ、と思った。名前が何ていうのか知らないけど、透明なガラスケースの中に水を満たされてて、中央には棒が立っている。で、棒の周辺には小さな輪っかが散らばってるんだけれど、ボタンを押すと水圧で輪っかがふわっと浮く。
 ボタンの押し加減で、輪の浮かび方が変化するので、うまく棒に入れられたらご立派、ってやつね。
 ただ、私の目の中に棒はないので、この輪っか、どこかに引っ掛けとくというわけにはいかないのである。

 眼科にはしげに車で送ってもらう予定だったが、何だかまた「寝つけなかった」しげは起きて来ない。これが、私の身を心配して寝つけなかった、というのなら可愛いものなのだが、もともと今日は一緒に映画に行こうと約束していたので、ドキドキしていただけであろう。

 そぼ降る雨の中、バスに乗って、かかりつけの眼科まで。
 ついこの間、来たばかりなので、受け付けの女性の看護師さんも、やや怪訝な顔をしている。
 「あの、目の中に紐が垂れ下がっててブラブラ揺れ出したんですけれど」と説明をする。なんだかこの説明だけを聞いていると、まるで楽しいことが起こったみたいで全然切迫感がないが、何と言ったらいいのか、ほかに言い方を思いつかん。
 それでは、ということで眼底検査。今日は両目とも瞳孔を開かれてしまうと、道も歩けなくなってしまうので、異状のある右目だけにしてもらう。前回も目薬の効きは悪かったが、今日も20分程度ではなかなか開かない。追加に次ぐ追加で、何だかたっぷりと目薬を差されるが、何だか目玉が浮いてきそうだ。
 30分以上待たされて、ようやく主治医に観察してもらう。
 こないだは書き忘れたが、この眼科医さん、メガネをかけてヒゲを生やした細面な方で、マンガ家のいしかわじゅんにちょっと似ている。ただ雰囲気はいしかわさんほど胡散臭くはないし、声もずっといい(^o^)。
 またまた「右見て左見て上見て下見て」と指示されて、目をキョトキョト動かす。なんかこんな風に目がグルグル回るブリキの人形が昔あった気がするが。お眠りリカちゃんは目を閉じるだけだったかな。
 「ああ、網膜が剥がれてますねえ」
 「はあ」
 こないだは大丈夫ですよ、とか言ってたのに、いきなりこれである。
 「穴が開いてますよ」
 「穴ですか」
 何だか「穴」なんて言われちゃうと、眼球のてっぺんにぽっかり黒々と穴が開いてて、そこから「おーい、でてこーい」とか呼ばれそうなイメージなのだが。紐は向こうの世界にいる人が垂らしてるのだな。
 「糖尿病のせいでしょうか」
 「いや、これは強度の近視によるものです」
 私の近視は生まれつきなので、つまりこれは母の遺伝によるものだ。母が生きてたら、自分の罪のように感じて落ちこんでたことだろう。糖尿病のせいだとこれは父の遺伝ということになる。どっちにしたって、目が悪くなる運命にあるのだな、私は(^_^;)。
 主治医がいろいろ状況を説明してくれる。
 近視が進行して、眼球の中の硝子体(しょうしたい)が歪み、ついには後部硝子体膜が網膜から剥がれてしまう(後部硝子体剥離)。そのときに、網膜に穴が開き(網膜裂孔)、その穴を中心に網膜が下の層から剥がれて硝子の方へ浮き出す(網膜剥離)。紐はやはり硝子体の中の「濁り」で、血管ではないそうだ。
 これを放っておくと、視野が下の方から黒々と影が上ってくるように狭くなって、失明にいたるということである。
 治療方法は、レーザー光線で裂孔の周囲を焼き固め(光凝固法)、それ以上の剥離への進行を予防する、とのことだが、一回見え始めたこの「濁り」はもう消えないらしい。
 「とりあえず、レーザー治療をしてみようと思いますが、よろしいですか?」
 よろしいも何も選択の余地はないよな。
 「費用が○万円ほどかかるんですが」
 あう( ̄∇ ̄ ;)。
 四捨五入したらフタケタになるではないの。
 イタイ、それはイタ過ぎる。
 「すみません、ちょっと今日はそこまで用意してきてないんですが」
 「いいですよ、月曜日にまた来てもらいますから、そのときに一緒に」
 「……それはどういう……?」
 「レーザー治療の効果がなかったら、入院して即手術、ということになります」
 早いよ、それ(・・;)。
 まだ、ホームページの更新も滞っているというのに(←そういう心配をしているところがネット依存)。
 けれど、ここは「お願いします」と言うしかないのだ。
 「えーと、で、どうすればいいんでしょうか、ベッドに寝れば……?」
 「いえ、この機械にアゴを乗せてください」
 えらく簡単である。
 「痛くなったら、無理しないで言ってくださいね」
 痛くなるのか(・・;)。
 「ためしに一発、撃ってみますね」
 「一発」に「撃つ」である。表現として間違っちゃいないんだろうが、もう少し患者の恐怖心を和らげる言い方ができないものだろうか。「一本、通す」とか「いっちょ、いってみよう」とか。ダメかな。
 右目にコンタクトレンズを嵌められて、開きっぱなしにさせられたところに、パッ。
 目の前が一瞬、まぶしくなっただけで、別に痛くはない。
 「大丈夫でしたか?」
 「うぇうぇ、ふぇうぃきどぅぇす」
 別にいきなり言語中枢に障碍を起こしたわけではない。アゴを固定されてるのでこんな喋り方しかできないのだ。
 安心したのか、主治医、パッパッパッパッパッ、といきなり機関銃のようにレーザーを撃ち始める。実際にえらく速いのだ。映画『河の女』で、ソフィア・ローレンが歌う主題歌「マンボ・バカン」のテンポくらいに速い。……たとえが解りにくくてすみません(^_^;)。
 しかし、まぶしかっただけなのは最初の二十数発くらいまでで、六十発を越えるころには、光るたびに、ズン、ズン、ズン、ズン、ズン、と目の奥を頭蓋骨に押し当てられるような圧力を感じてくる。
 「うう」
 「痛いですか?」
 「うう」
 「痛いんですか?」
 うう、としか言えないのだから、察してほしいものである。休憩を挟みながら、百発ほど撃ったところで、「これで一周しました」と主治医。
 ヤレヤレ終わりか、と思ったら、「もう一周しますね」。
 患者にフェイントかけるなあああ!
 でもやっぱり私は「うう」としか言えないのであった(T.T)。
 こういうときには、無意識のうちに撃たれた数を数えているもので、結局、全部で212発。主治医の話によれば、相当大きな穴が開いていたらしい。それならなおのこと、どうして前回の検査で予測がつかなかったかな。
 「なんとかくっ付きましたね。これからはあまり頭を振らないようにしてください」
 「それはどういうことでしょう」
 「硝子体がどうしても揺れますからね。運動の類は避けてください」
 「走ったりしちゃいけないってことですか」
 「そうですね」
 「旅行とかは」
 「2ヶ月ほどはちょっと遠慮してください」
 ああ、密かに目論んでいた夏コミ目当ての東京行きがこれでオジャンである。病状が悪化したら、もう上京自体が不可能になるのだなあ。
 「テレビを見たり、パソコンを使うのもダメですか」
 「ものを見るのは普通にして頂いて結構です。ともかく揺らさないようにして頂ければ」
 「映画館に行くのは」
 「うーん……」
 自分でも細かいことをシツコク聞いているなあ、とは思うが、これまで目を酷使した生き方をしてきたのだから、仕方がないのである。
 ともかく頭を揺らさないこと。これが一番大事だということはわかった。
 これからは後ろを振り返るときは、カラダごと動かすか。なんだかヌリカベになった気分である。

 薬局で目薬をもらって時計を見たら12時半。家を出たのが10時前だったから、結構時間が経っている。右目はやはりまぶしいままなので、右目をつむってウィンクした状態で歩く。
 しげとは2時に天神で待ち合わせて、映画でも見ようと話していたが、どうもこの状態では難しそうだ。とりあえずまだしげは寝ているだろうから、連絡はあとですることにして、もう一つの用件があるので、博多駅の紀伊國屋に向かう。

 1時より、紀伊國屋で、東京創元社の新ミステリ雑誌、『ミステリーズ!』創刊記念として、ミステリ作家・北村薫氏をお呼びしてのサイン会。
 北村さんは今回、エラリー・クイーンの国名シリーズのパスティーシュとして
『ニッポン硬貨の謎 エラリー・クイーン最後の事件』という作品を新連載し始めたのである(創元社だから“Mystery”が「秘密」ではなく「謎」と訳されてるところがミソ。タイトルに関して言えば、私は「謎」のほうが訳としていいと思う)。これまでのパスティーシュの作法に則り、クイーンの未発表原稿が見つかったという設定だが、時代がフレデリック・ダネイが1980年ごろに来日したときに設定してある。既に代作すら行わず、アンソロジストとしてしか活動していなかったダネイが進作を書いていたとは設定的にムリはあるのだが、それすらもトリックに組みこんだ作品を書いてくれたら嬉しいなあ、と思う。
 1時には、20人ほどの人が並んでいる。私がこないだ紀伊國屋に来たときにもらった整理券は57番だったから、もっと並んでてもいいはずなのに、みんな博多時間で集まって来ているのかな(^_^;)。店員さんから「とりあえず並んでください」と言われたので前の人の番号を聞いてみたら、27番だった。間の30人、何してる。
 実はぜひこれにサインしてもらおうと、『覆面作家は二人いる』の初版単行本を持ってきていたのだが、今回はあくまで『ミステリーズ!』創刊記念ということで、それ以外の北村さんの本にはサインしないそうである。
 私を含めて、慌ててレジに『ミステリーズ!』を買いに行く客が続出。そりゃ、サインしてもらうなら、雑誌より単行本と誰でも思うよなあ。ハッキリと看板に「『ミステリーズ!』のみのサイン会です」と書いていてほしかったところである。北村さんもバタバタ走りまわるファンを御覧になって、申し訳なさそうな顔をしておられた。
 私なんか、もう一冊買ってたのに(T∇T)。
 サインをして頂きながら、「『覆面作家』のドラマ化はいかがでしたか?」と聞いてみる。
 「かわいらしくてよかったですよ」と結構気に入っていたご様子。
 原作と違って、双子ネタが使えなかった点についてはあまり怒っておられないようだ。
 「新シリーズはないのでしょうか」と余計なことまで聞く。私ゃそんなにあのシリーズ、好きだったかなあ。まあ、ともさかりえは舞台まで見にいったくらいだからキライではないのだが。
 「もう、間が開いちゃいましたからねえ」と、新シリーズはなさそうなことを仰っていたが、北村作品はテレビシリーズよりも映画向きだと思うんだがなあ。

 雨の中、天神まで地下鉄で。
 しげ、待ち合わせ場所の福家書店に来ているかと思ったら、影も形もない。
 携帯に連絡を入れてみたら、案の定、まだ寝ていた。
 「今から出てくるか?」
 「ごめん、眠い」
 まあ、今日はこちらも少し控えた方がいいだろうと思っていたので、新刊書をいくつか買っただけで帰宅する。


 とりあえず、首をあまり動かさなきゃ、パソコン使ってもオッケー、ということなので、あちこちのサイトを覗く。
 東映アニメーションが、昨年5月に倉庫から盗まれた『美少女戦士セーラームーン』のセル画が「まんだらけ」で売られていたとして、セル画の返却を求めて提訴したとのニュース。
 「さくら出版」の事件と直接の関係はないが、これで「まんだらけ」の買い取り方が入手ルートを確認しようともしない杜撰かつ確信犯的な行為だということがより判明した格好である。
 福岡の「まんだらけ」でも結構珍しいものが売ってたりしてるけれど、ああいうのも横流し品じゃないかって疑惑が生まれてくるなあ。


 エロの冒険者さんが、山本弘さんのSF秘密基地の掲示板に、「『変身忍者嵐』は福岡では放送されていなかった」と書きこまれたところ、途端にほかの九州出身の方から、「放送されてましたよ、ウラが『ウルトラマンA』でしたから、御覧になってなかったのでは」と指摘され、「うわあ、30年間、ずっとされてないと思いこんでいた!」とパニックに陥られていた。
 えーっと、エロさん、その会話、以前に酒の席で私ともしましたよ(^_^;)。
 カラオケで私が『変身忍者嵐』の主題歌を歌った時に、「福岡では放送されなかったんですよねえ」と仰ったので、「え? されてましたよ?」と言ったら、「されてたんですかあ! うわあ、30年間、ずっとされてないと思いこんでいた!」と、身悶えなさっていたのである。どうやら酔っ払ってキレイサッパリ忘れておられていたらしい。だからあまり深酒はするものではないのだな(^o^)。
 この分では、この会話、エロさん今までに十回くらいはしてるかもしれない。多分、あと三回くらいはされるであろう(^o^)。
 本放送時は、私もどちらかというと『A』派であったので、『嵐』のほうはたまにしか見ていなかった。時代劇としては雑な出来であったし、特に林寛子のファンでもなかったから、これは仕方のないことであろう。主題歌だけは『嵐』のほうが好きだったので、まずはオープニングだけ見て、本編は『A』を見る。そして、予告編は『嵐』を見て、ストーリーの流れを抑え、物語に急展開がありそうだったら(月ノ輪が死ぬとか、悪魔道人が出てくるとか)、たまにそちらを見る、という涙ぐましい努力をしていたのである。ビデオが各家庭に何台もある若い人たちがうらやましいよ。
 似たような感じで、『ミラーマン』と『シルバー仮面』は、主に『ミラーマン』を見ていた。
 困っちゃったのは『アルプスの少女ハイジ』と『宇宙戦艦ヤマト』と『侍ジャイアンツ』が重なってた時で(関東では『猿の軍団』も重なってたそうだが、これは福岡では別時間帯だったので見られた。つまんなかったけど)、結局、『侍』、『ハイジ』、『ヤマト』の順番で見ていた。
 梶原一騎が大っ嫌いだった私が、どうして『侍』を最優先にしたかっていうと、もちろん作画監督が大塚康生さんだったからである。11歳でもう作画監督でアニメを選んでたんだから、全く、ナマイキなガキではあった。
 『侍』を見ている間は、ちょうど『ハイジ』はフランクフルト編である。そこがすぽーんと抜けてると、ハイジが山を降りたと思ったら、すぐ戻って来ちゃうじゃないの、と言われそうだが、そのときは既に原作小説を読んでいたので、話の骨子は知っていたのである。
 ほとんど見向きだにしなかったのは『ヤマト』で、実は完全に見ていたのは第1回と最終回だけなのである。SFファンだったら、真っ先に見るべきなのは当然『ヤマト』じゃないのか、と言われそうだが、私はアニメは作画レベルで見ていたので、明らかに虫プロ系列、技術レベルの低い『ヤマト』は第1回であっさり見捨ててしまったのである。
 オタクブームを最初に作ったのが『ヤマト』ファン、という意見に異議を唱えるつもりはないが、東映動画系列のアニメがオタクの興味の対象外にあったようなモノイイに対しては、そこまで断定してほしくはない、という思いがしているのである。
 いや、もちろん、後に再放送で『ハイジ』も『ヤマト』も完全にカバーしましたけどね。『ヤマト』の劇場版もほとんど見に行きましたし(『永遠に』と『完結編』はビデオで済ました)。でも「若気の至り」と思うほどにはハマらなかったってことです(とか言いながら『さらヤマ』で泣いた口。アンノさんに嘲われるタイプである)。


 夜、心配しているらしいグータロウくんに電話。
 務めて明るくふるまったが、実は心の中では悲しみに沈んでいたのだよ。……なんて、うっそぴょーん(イタイなあ)。
 今日買って読んだばかりの『月刊ガンダムエース』8月号の話をしながら、「やっぱ、男だったらシャアよりランバ・ラルのほうがいいよな!」と力説する。「おれはドレンだよ」「だったらクランプも」「おまえはミハルだけいりゃいいんだろ」「あれでカイも男を上げたしな。反面リュウは目立ってない」「死ぬとこだけかな」などと他愛ない話、しきり。
 グータロウ君は「読むとこなくなったんでもう買ってない」と言っていたが、「今号はトニーたけざきの『ガンダム漫画』はカラーだぞ! それから開田裕治さんのカラーイラストストーリーはガンダム漫画なのに怪獣ものなんだ!」とムリヤリ奨める。確かに『オリジン』以外のマンガがもう少し面白くなってくれたらいいんだけどね。
 グータロウ君の息子さんは、日々着実にオタク道を歩いて行ってるようである。偶然にも、息子さんの学校の、担任の先生がまた、ウルトラマンなんかのファンだそうで、随分話が合うらしい。
 先生が「『ウルトラQ』の中では、おれはケムール人が好きだな」とか言うと、息子さん、「ボクはパゴスです!」と答えたとか。パゴスとは渋い。ここで「実はあのキグルミはバラゴンを改造したものでね、更に、ネロンガ、ガボラと改造を続けられて……」とか、他人が聞いたら鼻白むようなウンチクを言い出すようになればもう、一人前であろう(^o^)。
 ……ホントにそんなオトナに子供を育てたいのかな、グータロウくん。
 知ーらないっと♪


 鯨統一郎『とんち探偵一休さん 謎解き道中』(祥伝社/ノン・ノベル・840円)。
 なんとサイン本である。クジラマークがやたら可愛い(^o^)。
 気がつかないうちに福岡でサイン会してたんだな、鯨さん。どんなお顔か、拝見してみたかった。ペンネームからの勝手なイメージ、和田慎二なんだけど、シツレイかな(^_^;)。
 本作は『金閣寺に密室』に続く『一休さん』シリーズ第2弾。相変わらずタイトルセンスは無いに等しいけれど、ミステリ短編集としては高水準。長編だった前作よりも楽しめた。
 前作のラストで、茜の両親を探す旅に出た一休、蜷川新右衛門だが、道中、八つの事件に遭遇する。この道中ものという設定、八つという事件の数から、発想をモーリス・ルブランのアルセーヌ・ルパンもの『八点鐘』から取っていることは明らかだが(『水戸黄門』はミステリじゃないしな)、もちろんこれはトリックを模倣しているわけではないから問題はない。一休さんの八つのとんちばなしと、事件とを絡めるやり方はいささか強引だが、これもクイーンの「Q.E.D.」や麻宮サキの「テメエラゆるさねえ!」と同じ定番だと思えば(例えが不適切か)、まあ腹が立つほどではない。
 何より、それほどムリをしたトリックがないのである。それはやや他愛ないという印象を与えはするものの、少なくとも「これはおかしすぎる」と反発したくなるような結果にはなっていない。いや、多少はちょっとムリがあるな、とは思うが、語り口が上手いので、そんなに気にならないのである。基本的に鯨さんの小説も、チェスタートン式、泡坂妻夫式の「現実にはちょっとムリっぽい」けど、小説のトリックとしては有効、という範疇のものなので、例えば第四話『尾張・鬼の棲家』の家屋消失トリックなどは、ちゃんと伏線を張っているのだから、笑って認めればよいのである。
 一休さん一行が旅するのは難波・大和・伊勢・尾張・駿河・伊豆・相模・武蔵の八国。残念ながら九州には来てくれなかったけれど、駿河のお茶や伊豆の蛤、相模の焼き団子などに舌鼓を打つ一休さんの姿は可愛らしい。でもタイトルが『一休さん東海道グルメツアー殺人事件』にならなくてホントによかった(^_^;)。
 こういう連作短編のほうが、鯨さんは本領を発揮していると思うな。最後に謎を一つ残したまま終わりってことは、第3弾もあり……?

2002年06月28日(金) 犬も歩けば/『仮面ライダーSPIRITS 受け継がれる魂』(村枝賢一監修)/DVD『続・黄金の七人 レインボー作戦』吹替版ほか
2001年06月28日(木) 事故&カラオケ地獄変/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN 始動編』機供憤舵良和)


2003年06月27日(金) マンガを舐めるな/CD『アヴェ・マリア』(本田美奈子)/『キノの旅察戞併雨沢恵一)

 終日雨。
 沖縄の方じゃ梅雨明け宣言されたようだけど、福岡はそんな感じ、全くない。でもそれほど鬱陶しいって感じがしないのは、さほど湿度が上がってないせいかも。
 朝の送りの車の中で、しげから、夕べファミレスで食事をしているとき、しげの隣の席にいたカップルの話を聞く。
 見た目いかにもバカップルっぽかったそうだが、その会話の内容ってのが、聞くだに恐ろしい。
 男「九州って、いろんな県があるよね」
 女「うん、北方領土とか」
 ……もしかして、尖閣諸島と間違えてるのか? でも、あれ「北方」にはないよなあ。けれど、その女は続けてこう言ったそうである。
 女「で、北方領土ってなに?」
 わかんないのに、それがどうして九州にあると断言できるんだろう(^_^;)。
 更に女は、「神様って信じる?」とかいきなり男に聞いたりしてたとか。シュウキョウノヒト? もしそうでないんだったら、純粋に気になってたんだろうねえ。しげもちょっと前まではこんな質問をよく私にぶつけていたものだ。
 男は「特に信じないほうだから」とかなんとか返事してたそうだが、特に引いてたとか、笑ってたとかいう様子もなかったらしい。……類友?
 でも、極めつけは女の次のセリフである。
 「私ね、○○さんが『えいっ』って言ったら、時間が止まると思うの」
 ……会ってみたいなあ、○○さん。その言葉の感じでは、その○○さん本人が「時間を止められる」などと主張していたわけではないようだ。あくまでその女の「直感」である。自分自身のことならばまだしも、他人についてのことまで、自分の直感をそれほど信じられるというのはすばらしいことだねえ。
 それともその○○さん、いかにも「時間を止めそうな」雰囲気を漂わせていたのだろうか。どんな雰囲気だい、「時間を止められそう」っての。普段着でサリーを着て出歩いてるとか、突然「ちょっと待って、今、瞑想の時間になったから」と言ったりとか、アンテナの伸びる腕時計を持ってるとか、そんなんか。
 男のほうも、「○○さんなら止められそうだよねえ」とか相槌打ってたらしい。ああ、ホントにその○○さんがどんな人か気になっちゃうぞっ!!


 仕事忙しく、昼飯を食う時間もない。
 帰りに博多駅で紀伊國屋と、金星堂(CD屋)に寄る。
 金星堂に寄ることは滅多にないのだが、目的は本田美奈子のアルバム『アヴェ・マリア』だったりする。いや、『ニュータイプ』の先月号で宣伝されてたんでねえ。アイドル時代の本田美奈子にはそんなに興味関心はなかったんだが、『明日のナージャ』で久しぶりにその歌声聞いて、アイドル時代と全然違っちゃってるソプラノな声質と声量に驚いてしまったのである。曲だけは大好きだぞ、『明日のナージャ』。カラオケではとても歌えんが。
 こりゃ新譜も聞いてみたいなあと思っていたのだが、こないだからいくら探しても見つからず、あまり品数出てないのかなあ、とか思っていたのだ。
 そんなの、店員さんに聞きゃ簡単なのだが、このトシになると、本田美奈子は照れくさくてさ(少女マンガ買うのは恥ずかしくないのか)。
 で、意を決して、店員さんに「あの、この店、ナビは置いてないんですか?」と聞く(やっぱ度胸ない)。
 店員さんは当然のごとく、「なにをお探しですか?」と聞き返す。しまったあ! そいつは予測してなかった……。仕方なく、「ホ、本田美奈子の新譜です」と答える。うう、昔の吃音癖が久しぶりに出ちまった。
 店員さん、「ああ、クラシックのコーナーにありますよ」。……クラシック!? いや、確かにクラシックをカバーしたと記事にあったので、そこを探すのが当然だったのだが、もう「アイドル歌手」というアタマがあったもので、J‐POPのコーナーばっかり見ていたのだ。そら見つからんわ。
 なんと、クラシック部門の売り上げ第1位である。本田美奈子人気、未だ衰えずといったところか。

 帰宅して、聞いてみてやっぱりびっくり。澄んだ、伸びのある声、ヘタなソプラノ歌手によく見られるような声を張り上げ過ぎてかえって耳障りに聞こえちゃうようなところがない。ミュージカルを経験しているだけあって、感情表現が豊かなのがなんといってもいい。なんか、ホントに歌姫って感じだね。個人的な感想だが、悦に入ってる感じがする島田歌穂よりずっと上手いんじゃないか(いや、『レ・ミゼラブル』がつまんなかったもんで)。
 どんな曲をセレクトしているか内容を以下にご紹介しておこう。

(1)流声(井上鑑)
(2)アヴェ・マリア(カッチーニ)
(3)私のお父さん〜オペラ「ジャンニ・スキッキ」より(プッチーニ)
(4)タイム・トゥー・セイ・グッバイ(サルトリ、カラントット&ピーターソン)
(5)美しい夕暮れ(ドビュッシー)
(6)ヴォカリーズ(ラフマニノフ)
(7)グリーンスリーヴス(イングランド民謡)
(8)ジュピター〜組曲「惑星」より(ホルスト)
(9)私を泣かせて下さい〜オペラ「リナルド」より(ヘンデル)
(10)シシリエンヌ(フォーレ)
(11)ニュー・シネマ・パラダイス 愛のテーマ(エンニオ・モリコーネ)
(12)タイスの瞑想曲(マスネ)
(13)アメイジング・グレイス(ニュートン)
(14)ベラノッテ〜映画「わんわん物語」より(ペギー・リー&ソニー・バーク)

 一部を除いて日本語歌詞の曲が多いが、クラシックにはシロウトな身には、日本語歌詞で歌ってくれた方が、感情表現の抑制と解放の具合がわかりやすくていい。特に、本田美奈子自身が作詞をした「タイスの瞑想曲」は本アルバム中の白眉だろう。「癒されたがりくん」なんか、これ聞いたら天にも昇る心地がするのでは(^o^)。
 チャットでヨナさん相手に「いいよ、本田美奈子は!」なんて力説してしまったから、ちょっとあきれられてるかもしれない(^_^;)。


 手塚治虫の『ブラック・ジャック』、秋田チャンピオンコミックス版は全25巻で完結してるのだが、ファンなら先刻ご承知の通り、実はまだ収録されていない短編がいくつか残っている。
 理由はまあ、どこぞよりなんたらというクレームがついたという下らんことなのだけれど(結局、その手のクレームの多さのせいで『ブラック・ジャック』は連載終了に追い込まれた。「善意の迷惑」の典型的な例である)、それを憂えたのかどうか、『植物人間』『死に神の化身』など10作品を収録した海賊版の26巻目を勝手に作って、1冊10万円で売っていた東京都内の会社員(38)が麹町署に摘発されて、3月中旬に東京地裁から著作権法違反で罰金30万円の判決を受けていたことが判明。
 表紙の写真がWeb上にあったんで見てみたんだけど、なるほど、よくできている。表紙はチャンピオンコミックスそのまま、背景にはニューヨークかどこかの写真を使ってるが、ブラック・ジャックの絵自体は手塚治虫の画集を素材にしているもののようだ。「関係者も驚くほどの完成度だった」というのは頷ける。。
 法律的にどうのといった、海賊版を作ることの是非を問うのはちょっと置いといて、この会社員の動機が何だったのかってことが気になるんだが、さて、理不尽なクレームに怒り、幻の作品と化した作品をぜひとも社会に流通させたいという道義心で行ったことなのかどうか。
 常識的な判断なら、「十万円なんて暴利を貪ってんだから、当然、ファン心理につけこんだ金儲けだろう」と判断するところだけれど、モノが『ブラック・ジャック』だからなあ。「人の興味を満たしてやってるのに、暴利を貪って何が悪い!」とか言い出しそうだなあ。言わんか。
 けど、いい加減で手塚プロも未収録作品を「幻」なんてことにしてないで、堂々と出版したらどうか。頭のイカレたクレーマーに迎合して、こんな海賊版作られることの方がよっぽど害毒だと思うがね。

 
 こないだからネットで話題になっていた「さくら出版」事件であるが、被害にあった弘兼憲史さん、ついに「まんだらけ」を提訴することになったようである。
 事情を知らない人のために簡単に説明しておくと、弘兼さんの作品集を初めとして、多数のマンガ単行本を発行していた「さくら出版」が、2002年に倒産、その際、預けられていたマンガ原稿のほとんどの行方がわからなくなっていた。
 それが今年になって、「まんだらけ」のカタログに、初期作品『ガクラン放浪記』の原稿約600枚に75万円の値が付けられていたのを初めとして、多量の原稿が売りに出されていたことが判明したのである。
 まんだらけの社長は、マンガ家さんからの返却要請には一切応じず、「買い取るときは常に身分を照会している。だが、盗品かどうかなど入手経路まで確認するのは非常に難しい。作者が返却を望んだ場合、店頭価格で買い戻してもらうのが原則」と不正規なルートで入手した原稿を売ってることについて、開き直りとも取れるコメントを述べているのだ。
 法的には「まんだらけ」の社長、間違ったことはしてないのだろう。けどねえ、それこそこいつ、知っててやってる「確信犯」(さあ、この場合は正しい使い方になるのか誤用になるのか)だってこと、ミエミエだものねえ。
 「入手経路まで確認するのは非常に難しい」って、あーた、例えばずっと昔に亡くなった作家さんの原稿ならばともかくも、みんな現役の作家さんのものばかりでないの。作家さん本人に聞きゃ一発でわかることなのに、そういう手間をなんで惜しむか。「いい値がつくぜ、これは、へっへっへ」とほくそ笑んだに決まっているのだ。その社長、キャラ的には時代劇の悪徳商人みたいで美味しいんだけれど、言い返れば所詮は黒幕とかラスボスになれるほどの器ではない。セコイ言い訳してないで、さっさと返しちゃえばいいのに。その程度の損失で「まんだらけ」の屋台骨が揺らいじゃうわけでもなかろう。悪役イメージのレッテル貼られるのと、太っ腹なところ見せて称賛されるのと、どっちを選ぶ方が賢明かねえ。
 弘兼さんの原画や原稿、1500枚近くの在庫があるというが、既に47枚は売られちゃったとか。買った人も何十万円で買ったかは知らんが、損を承知の上で弘兼さんに原稿を無償で返してやらんものかな。私だったらそうする(それ以前にンなもん買えるカネがないが)。

 以下に、まんだらけに持ち込まれた可能性のある原稿のリストをあげる。一部はマンガ家さんが大枚はたいて買い戻したものもあるそうだが、どこかでこれらの生原稿を見かけられたら、「盗品」の疑いの濃いものであることをご承知いただきたい。そして、当該のマンガ家さんに、ぜひご一報をお願いしたいものである。くれぐれも買いとって秘匿などしないように。
 ソースは、やはり被害にあったマンガ家さん、渡辺やよいさんのホームページ『やよいが行く!』である。

弘兼憲史
 弘兼憲史ベストセレクション〜朝の陽光の中で
 弘兼憲史ベストセレクション〜刑事の紋章
 弘兼憲史ベストセレクション〜こんにゃく侍騒動記
 弘兼憲史ベストセレクション〜雲に抱かれて
 弘兼憲史ベストセレクション〜見えない好球
 弘兼憲史ベストセレクション〜ガクラン放浪記 銑Α覆泙鵑世蕕洩槝新悩棔
 刑事の紋章
 侍志願
 教師失格
 二人だけの戦争 
ジョージ秋山
 パットマンX 1〜3
 デロリンマン 1〜3
大島やすいち
 駒が舞う 1〜3
 熱闘コンドルズ 1〜2
小畑しゅんじ
 ゲタバキ甲子園 1〜2
たがみよしひさ
 たがみよしひさベストセレクション「侠客」
 たがみよしひさ自薦短編集「首」
 たがみよしひさベストセレクション「依頼人から一言」
どおくまん
 暴力大将 1〜3(コピー原稿まんだらけ目録掲載)
あすなひろし(遺稿であろう表紙原稿が不明らしい)
 あすなひろしベストセレクション「ぼくのとうちゃん」
 あすなひろしベストセレクション〜家族日誌・悲しい人々1
バロン吉本
 現代柔侠伝 1〜2
みなもと太郎
 ホモホモセブン1〜2
松森正
 バッドブラッド
 危険な飛行
つのだじろう
 女たちの詩 銑
篠原とおる
 刑事あんこう 銑
 さそり in U.S.A 
青柳裕介
 鬼の武吉 上下
 青柳裕介短編コレクション「嫁盗み寝話」
古谷三敏  
 手っちゃん 1〜2
真崎守
 キバの紋章 1〜2
村野守美
 村野守美ベストセレクション〜氷炎の孤島
井出智香恵 
 嫁と姑“超”名探偵 上下
山上たつひこ
 快僧のざらし1
長谷川法世
 ぼくの西鉄ライオンズ
影丸穣也  
 昏き処刑台 上中下
柳沢きみお
 俺にもくれ 上下 
かざま鋭二
 海商王 1〜2
引野真二
 合気道橋本道場 上下
かわぐちかいじ 
 かわぐちかいじベストセレクション「水すまし源五郎」
なるる
 遊子No.1
佐藤量
 ギャル・ギャグ・ワールド
雅亜公
 夏の少女DX 微熱
 夏の少女〜愛人・やさしい関係〜その他短編集
春籠漸 
 マジカルちゅ〜ん
うういずみ
 オレの妹マジ・好き・かわいい
 砂織SIXTEEN
琴音かのん
 ランプにお願い 
神武祐二
 賭博戦隊ダイサンゲン 
篁よしやす
 放課後の妖精
藤井昌浩
 機動少女ポリコちゃん
ふじさわたつろー
 妄想クラブ
悪遊戯 (アンソロジー)


 例の福岡の4人家族殺人事件(もう詳細を書くのめんどくさいから、よく分らない人はそういうことがあったと思ってください)、ネットでいくつかのサイトを回ってみると、福岡の知り合いが何人か、「福岡のイメージが悪くなるなあ」と心配している。
 でも博多のイメージが悪くなったわけじゃないしな(^o^)。福岡に住んでる者以外には福岡も博多もいっしょくたなんだろうが、先祖代々ど博多な人間にとってみれば、あんな、博多の外れの鬼門で起こった事件なんか、どうでもいいのである(すげえ地域差別発言してますが、そういう感覚が未だに博多にゃ残ってることの事実の提示のためなんで、御容赦願います。一応、ヒデエよなあ、って自覚はあるんですよ)。
 「じゃあ、博多で事件が起こったら、オマエ、どうするんだよ!」と言われそうだが、博多人でみっともない犯罪犯すやつが出たら、そいつは自動的に博多人からオミットされますんで(^ー^)。
 いや、だから「博多んもん」とか「博多っ子」って自覚持ってたら、そうそう悪いことはできないんですよ。私がパチンコ、麻雀、カケゴトに明け暮れ、中洲にしょっちゅう通ってたのも小学生のころまでです。やっぱ、中学に入ったら、もうバカはやめなきゃ。


 時雨沢恵一『キノの旅 the Beautiful World』(メディアワークス/電撃文庫・557円)。
 SFを現代のおとぎばなし、寓話と捉えて千篇のショート・ショートを残した星新一だが、その語り口、普遍性、目指すところは、しっかりと時雨沢さんに受け継がれてるように思う。ライトノベルだからってバカにしないで、ちゃんと評価しようよ、頭の固いSFファンのみなさん。
 プロローグ&エピローグ、キノの“少女”時代が描かれる『何かをするために』。
 キノがどうして今のキノになったのかってことを示す重要なエピソードだけど、もう一つ、この話のおかげで、やっぱりキノの「師匠」と、旅する仕事人の「師匠」とが同一人物だとわかった。同行してた若い相棒はどうなったのかな?
 第一話『迷惑な国』。
 エネルギー過多な「炉」を持つがゆえに、常に「移動」し、通った土地を破壊しながら進み続けなければならない国と、平原に陣取って、通る人々から法外な通行料を暴利を貪る国。二つの国がぶつかって始まった戦争にキノは巻き込まれてしまう。
 別に両国をアノ国やソノ国に比定する必要はない。「国ってのは基本的に迷惑なもんだ」という視点があれば、どの国のどの時代でもこの方程式は成り立つ。そこが本作の普遍性を表しているね。
 第二話『ある愛の国』。
 若い頃の師匠と、相棒(だれやろね。こいつ)の旅の途中のお話。
 キノでこんな話が読めるとはねえ(^_^;)。でも星新一にも『解放の時代』なんてトンデモナイのがあるから、この程度はなんちゃないか。いや、申し訳ありませんが、オチはちょっと言えないんですよ。
 第三話『川原にて』。
 シズ様が乗ってるバギーの由来を陸に語るショート・ショート。これを「反戦もの」と単純に捉えちゃ面白くない。過去も未来も、「時代」の価値観なんて、相対的なものでしかないというさばけたお話だと思うよ。
 しかし、アニメ以来、陸の声が大塚芳忠さんに聞こえてしゃあないな(^o^)。
 第四話『冬の話』。
 キノは実はドクター・キリコでしたって話。もちろん、ブラック・ジャックとの対決もあるのである。教義で「病気治療」自体が禁じられている国。キノはそこで病人たちの「安楽死」を頼まれるが……。
 これは例の宗教の人たちに読ませてやりたい本だね。
 第五話『森の中のお茶会の話』。
 またまた師匠と相棒の話。今回、外伝が多いな。
 いきなり師匠と相棒が森の中に住む老夫婦を撃ち殺しちゃうけど、オチはちょっとありきたり。それより師匠が、実は幽霊嫌いだってことが判明するのが面白い。いきなり幽霊に銃ぶっばなすとこなんか、可愛いぞ、師匠(^o^)。
 第六話『嘘つきたちの国』。
 まあ、これもオチはすぐ読めちゃう。
 でも、それが『キノ』シリーズが「寓話」たる所以であるんだからいいのである。気が狂い、恋人を待ちつづける男。彼は革命の英雄だったが、戦闘中、ある事情で、恋人を誤って殺してしまったのだ。
 世の中、正直に生きないほうがいいこともあるよってお話なんだけど、教条的な人はこの程度の話でもクレームつけたりするのかね。

2002年06月27日(木) 緩やかな統制に異議を/『七人のナナ』&『アベノ橋魔法☆商店街』最終回/『王妃の離婚』(佐藤賢一)
2001年06月27日(水) 「マチャアキ」離婚ってあまり言われてない。時代か(+_+)/DVD『八岐之大蛇の逆襲』


2003年06月26日(木) 書かでもの記/『コミック★星 新一 午後の恐竜』(白井裕子ほか)

 俳優の八代駿(やしろ・しゅん)さんが昨25日、脳梗塞で死去、享年70。
 八代さんがテアトルエコーの舞台は、大学時代にグータロウくんと一緒に『一発逆転』を見に行ったことがある。主演は小松政夫さんが招聘されていたが、八代さんも司祭役で登場されていた。舞台で右往左往するだけのほんのチョイ役ではあったが、声を聞けば「あっトムさんだ」とわかるので、なんだか昔馴染みに偶然会ったように親しみを覚えたものだった。
 版権が切れているせいだろう、八代さんのトムさんの声はもうテレビでもDVDでも聞けなくなっているが、あの独特のセリフ回しは今でも耳に残っているのである。
 科学実験所から逃げ出した白いネズミを蹴飛ばして、爆発したあと、ボロボロの情けない顔で「どう、なってるんだ、ろう、なあー」って言ったり(文字で表現するのは不可能である)。
 ネズミをいじめたりしなければ百万ドルを相続できるのだけれど、ジェリーにからかわれてついにキレちゃって、思わずジェリーをぶっ飛ばしたあとのセリフ。「しまった。これで、もう、百万ドル、もらえないんだあ。……でも、いいや!」
 もう、あのセリフは二度と聞けないのである。せめて、こんなセリフもあったよねえ、と、ときどき語っていきたい。


 今日まで気がつかなかったが、東宝映画でお馴染みの山本廉さんも17日に脳出血で亡くなっておられた。享年73。
 最近、なにかの2時間ドラマで白いヒゲを生やされてお年を召されたお顔を拝見したばかりだったが……。この人も、脇役一筋だったが、画面の片隅にでも連さんがおられると、フシギと「ああ、私は映画を見に来たんだなあ」という気分にさせられたものだった。
 記念すべき、ゴジラ最初の被害者(いったん助かって、またやられる)として特撮映画の歴史に残る方でもある。平成以降のゴジラシリーズがゴジラっぽく感じられなくなっていたのは、廉さんのような大部屋俳優の人たちが醸し出す「映画らしさ」がなくなっていたことにも原因の一端があったように思う。


 毎日の恒例のようになってしまったが、例の心の弱い同僚、今日もトバしてくれている。
 こないだの会議で途中退席したのは書いたが、会議に出席していたときに決めた内容までキレイサッパリ忘れているのである。ともかくこの人のアタマの中には予め「結論」があって、自分の意向に合わない意見は自然に封殺されてしまうらしい。「それはちゃんとこれこれこういうことになりましたよ」と言ってもムダなのである。かと言って、あまり強く言うと、ブツブツ独り言を言い出すのである。小さな声で「そんなこと言われても私にはムリなんだから、ブツブツ」とか、虚空を見ながら陰にこもった声で呟いてるのである。怖いのである。
 せめてこの人の記憶障害だけでも何とかできないものか。でないと仕事がどんどん歪んでって修正がとても難しくなっちゃうのである。
 とかなんとか考えてたら、いきなり「有休取って帰ります」ときた。なんか虫の居所が悪くなっちゃったらしい。それは私に言われてもしょうがないので、上司に連絡するよう促したのだが、「あの人は聞いてても忘れるから」と来た。
 お前が言うこっちゃねえええええ!
 で、実はその上司も今日は出張でいないのであった。同じ部署にいるのに、お互いのスケジュール、全然把握しあってないのな(-_-;)。


 晩飯は、仕事帰りに買った海苔弁だけれど、なんだか食欲がなくて、帰宅して数時間は食べず。こういうことは滅多にないのだが、やはり心の変調がカラダに影響を与えているのだろうか。


 夜のチャットは、鍋屋さん、お久しぶりのあやめさんと。
 鍋屋さんには「第12回トンデモ本大賞」のレポートを書いて頂いたので、その校正をお願いする。私も一通り見はしたのだが、やはりいくつか誤字の見落としがあった。
 あやめさんにはこないだ、ウチのチャットが「男くさい」と言われていたので、もう、ご来臨下さらないかと思っていたのだが、杞憂であったようで、ホッとする。


 昨日のことであるが、友人の某くんから(^o^)、緊急のメールがあった。
 なんだか血相変えて(メールだから顔は見えないが)「2ちゃんねる見ろ見ろ!」と言うのである。なんでも私や妻のことが話題になっているらしい。
 彼が大袈裟に騒ぐときはたいてい大袈裟なことが起こっているのであるが、言われたスレッドを覗いてみたら、要するに、ここのURLが貼られていたということなのである。
 そこは例の、私が以前は出入りしていて、今は閉鎖されてしまったホームページに関するスレッドで、私のことも何度か話題になっていたのだが、ここしばらくはたいした展開もなく、随分と静かだった。それを寂しく思った誰かが、元住人ということで私を俎上に乗せたものだろう。
 某くんはしきりに「誰のしわざだ!」と立腹しているが、友人に先に怒られてしまうと、私としては「まあまあ」となだめるほうに回るしか仕方がない(^_^;)。
 まあ、こういう好き勝手なこと書いてるホームページであるから、どこぞで叩かれることもしばしばであるので、今更怒ったりもしないのだが、今日になって、某くんは、わざわざ電話までしてきた( ̄∇ ̄;)。
 彼が心配しているのは、しげの動向なのである。そこでいろいろ書かれてることに対してキレたりゃしないかと言うのだ。
 「キレてないよ。状況が違うし」
 「それならいいけど」
 つくづく心配性な悪友を持ったものだ。いや、気持ちはとてもありがたいのだが。
 だいたいしげが泣いたりわめいたり、意固地になったりするのは、私が誰かを「好き」になったり、「好かれ」たりしたときにジェラシってそうなるのであって(と言っても、通りすがりのきれいなねーちゃんに目が行っただけでヤキモチ焼かれるレベルだ)、私が嫌われたり叩かれたりするのは全然平気なのである。つーか、楽しんでるし。今回も、私がネット依存のような書かれ方をしている部分に反応してキャイキャイ喜んでいるのである。……そこまで楽しがられると少しは怒れよって言いたくなるな(~_~;)。
 某くんは、私やしげが2ちゃんねるに書きこみをしてるように疑われてることについても憤っているのだが、いくら私が「どこのスレッドにしろ、2ちゃんねるに書きこんだことは一度もないし、今後もしないよ」と言ったところで、信じない人は信じないものだ。つーか、信じる信じないも、それは読む人の自由なんだから、怒る筋合いのものでもない。いや、怒ってもいいのだが、「怒った」という事実だけで、あとなにかリアクションを取る必要はあるまい。
 実際、どんな罵詈雑言を書かれても、それが、私が日記に書いたことについての感想ならば、ホントに腹は立たないのである。
 一応、何度か書いてることではあるが、私やしげが2ちゃんに書きこまない理由について述べておくと、別にあの掲示板の匿名性について文句をつける気は全くないのである。唐沢俊一さんがいつぞや日記で書かれていた通り、ホンネを語る場として、ああいうものは社会的にも必要だろうと思う。
 つまり、私が2ちゃんに書きこみをしないのは、単に私自身が自分のHNを出さない形で発言することをしたくないだけの話なのである。あそこで名前を出して書き込みしても、本人であることを証明するのにはいちいち手間がかかる。しげも私も、そういうめんどくさいことはやりたがらないぐーたらな人間なのである(めんどくさがりだから日記の更新もしばしば遅れるのであるよ)。実は、2ちゃんねるへの書きこみ方すら知らない(^_^;)。
 某くんもねー、そんなに怒ってばかりいるとさー、2ちゃんに書きこみしてるんじゃないかって疑われちゃうぞぉ(^o^)。
 そこのスレの人たちは、多分、私とウォッチ対象だったサイトの管理人さんとのトラブルとか、閉鎖に至った事情とか、そういうことを私の口から聞きたいのだろうが、相手が表に出て来ない状況で、私が一方的に語るのもいかがなものか。サイト閉鎖直後には、管理人さんになんとか復活してもらいたいと思って、呼びかけもしたり、あちこちツテをたどりもしたが、わかった結論は「これ以上私にできることは何もない」ということである。だからこのひと月ほど、日記で話題にすることもなくなってたのだが。
 2ちゃんねるの方々の中には、私や妻が怒ってるんじゃないかとご心配されてる方もいらっしゃるようなので、語れる範囲の事情は説明しておきます。お気遣い、ありがとうございました。今後、この件に関して日記に何かを書くかどうかは様子見ってことで。m(__)m
 ……しかし、今日のウチのホームページのアクセス数、いつもはせいぜい20件前後なのに、いきなり80件にアップである。これもその管理人さんの人気ゆえかね(^_^;)。


 マンガ、『コミック★星 新一 午後の恐竜』(秋田書店・700円)。
 『ミステリーボニータ』に連載されていた、星新一原作のショート・ショートをマンガ化した竸作を収録。ストーリーはほぼ原作に忠実で、だから面白くはあるのだが、マンガとしてどうかと言われるとこれが判断に苦しむところである。
 もともと寓話性の強い星作品は映像化を拒否するところがある。F氏ものを避けて、できるだけ現代日本の現実に近い作品を選んではいるが、それでも物語と絵柄の違和感を強く感じてしまう。冒頭の『ボッコちゃん』、「ボッコちゃんって、こんないかにも少女マンガなキャラだったの? こんな脳ミソなさそうなマスターがロボットを作ったっての?」なんて感じで見ていくと、星さんの原作自体がつまんないんじゃないかって気までしてくるのである。
 比較的、原作の印象を損なっていないのは『午後の恐竜』、『生活維持省』くらいのものか。
 以下に収録作品のタイトルを挙げておく。
 『ボッコちゃん』(JUN)
 『金色のピン』(川口まどか)
 『天使考』(木々)
 『殺し屋ですのよ』(かずはしとも)
 『おーい でてこーい』(鯖 玉弓)
 『午後の恐竜』(白井裕子)
 『現代の人生』(有田 景)
 『生活維持省』(志村貴子)
 『夜の事件』(小田ひで次)
 『箱』(小田ひで次)

2002年06月26日(水) イカが怖い/『育ってダーリン!!』A・B巻(久米田康治)/ドラマ『ししゃもと未亡人』ほか
2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか


2003年06月25日(水) 暗い話、えとえと、……何題?/『風雲児たち 幕末編』3巻(みなもと太郎)

 訃報が二つ。
 俳優、名古屋章(なごや・あきら)さんが昨24日、肺炎のために死去。享年72。
 こういう脇役に徹していて、あまりにも代表作が多い方は、かえってこれという作品を提示して思い出を語ることが難しい。
 各新聞記事も苦労をしているようで、「『放浪記』(昭和37年)や『天国と地獄』(38年)で印象を残した」とあるが、実際はどちらもチョイ役だったりする。この間、うちで『天国と地獄』を見ていたよしひと嬢が、刑事の一人が名古屋さんだったのを見つけて驚いたくらいだ。これが代表作だと言うなら、『天国と地獄』でなんて役を演じてたか答えてみい。
 また、『ひょっこりひょうたん島』の二代目ドン・ガバチョには触れているのに、2年もの間、霧隠才蔵を初めとして様々な役を演じ分けた『真田十勇士』には言及していない。『美人はいかが?』や『コメットさん』のことは書いても、それこそ5部まで続いた『刑事くん』の時村重蔵署長については語られない。いつも思うことだが、こういう訃報を記事にする人というのは何の資料をもとにして書いているのだろうか。
 特撮ファンはその点、『帰ってきたウルトラマン』のナレーターや『ウルトラマンタロウ』の朝比奈勇太郎隊長を挙げればいいから楽なものである。アニメファンには『空飛ぶゆうれい船』の嵐山パパが記憶に残っているだろう(『もののけ姫』にも出てたはずだが、何の役だったか思い出せん)。でもこれらをして名古屋さんの代表作と語るのはどうかと思う。もちろん、名古屋さんは朝比奈隊長役には本腰を入れて取り組んでおられた。DVD『帰ってきたウルトラマン』の封入パンフのインタビューでは、ウルトラマンのSFとしての魅力を滔々と語られている。
 SF作品に対して偏見なく接してくれて、本気も本気で演じて下さったその心の広さを思うとき、感謝の涙が流れてしまうのを私は抑えることができない。
 けれど、だからこそ思うのである。
 名古屋さんを語るのに、ウルトラシリーズだけを挙げるのは偏り過ぎてはいないだろうかと。そう思うのは、名古屋さんが演じられたどの役を口にしてみても、「それだけの人ではない」という感慨が自然に思い浮かんでしまうからだ。
 実直な善人を演じることの多い名古屋さんだったが、和田誠監督の『麻雀放浪記』では、「上州虎」というイカサマ師役をいかにも楽しそうに演じていた。私の名古屋章ベストワンはこの演技である。芸達者とはよく言われるが、こういう役をご本人はもっと演じたかったのではないか。
 その和田監督の追悼の弁。
 「いろんな役柄ができ、せりふ回しが非常に明りょうで良い日本語が使える人。独特の味付けで役柄をしっかり膨らませてくれるので、頼りがいのある役者さんだった。もっとたくさんの作品に出てもらいたかったので、残念でならない。

 同感である。これ以上、付け加える言葉を、私は持たない。


 もう一つの訃報。
 『よたろうくん』の作者、山根赤鬼(やまね・あかおに)さんが同じく24日、大腸がんのために死去。享年67。
 代表作といわれる『よたろうくん』だが、これをリアルタイムで楽しんで読んでいたのは、私より少し上の世代だろう。ユーモアよりもギャグが好きだった私は、復刻された際にも、山根さんの作品にはあまり手を伸ばさなかった。
 にも関わらず、子供のころ、私はしょっちゅう山根兄弟のマンガに触れていたのである。学習雑誌の挿絵などで「やまねあおおに・あかおに」と書かれたサインに、「本当に鬼みたいな人が描いてるんだろうか」とやたら気になっていた。
 実は未だにお二人の絵の違いが私にはわからない(別々にマンガを描かれるときは絵柄を変えるのだが、合作する時には本当に似た絵を描くのである)。いつかその区別を付けてやろうと思っているうちに片方が亡くなられてしまった。またどこかの出版社で、作品集が復刻されないだろうか。


 毎日書くのもなんなんだが、首吊り紐は今日もブラブラ揺れている。
 いや、これを首吊り紐と考えるからよくないんであって、もっと、プラス思考で考えないといけないのである。輪っかがぶら下がってるからと言って、それが首吊り用とは限らないではないか。
 たとえば、これが海の中道マリンワールド(福岡にはそういうのがあるんである)のイルカショーの輪っかだと思えば。
 ……なんでわしが輪っかくぐらにゃならんのか。
 ああ、でもよく見ると、あっちこっちに黒い点も見えるなあ。ほんなこつ、こないだの精密検査、目医者さん、出血見落としてたんじゃないのか。


 で、また例の心の弱い同僚さんの話である。
 なんか活動が激しくなってきたなあ。春はもうとうに過ぎたぞ。
 デスクワークの真っ最中、ふと背後に気配を感じたので振り返ってみると、まさしくその同僚の女性である。
 私の耳元に口を寄せて、ささやくように(ささやいてるんだが)ある用件をささやいた。……いかん、私もちょっとコワレてきてるな(-_-;)。
 ともかく本音を言えば、私はこの人にかかわるのはもうやめたいのである。やめたいのだけれど、やめたいやめたいと私が思えば思うほど、こうやって向こうからかかわってくるのである。でもって、ほかの同僚もその様子を見ているのである。
 周囲から敬遠されてる人間と親しげに(してるつもりはないのだが)していると、同僚たちが私のことをどういう目で見るようになるか。当然、私もまた彼女と同類と思われて、遠巻きにされてしまうのである。ハッキリ言って、それは迷惑以外のナニモノでもないのだが、しかしそうなったらそうなったで、「それって、イジメの拡大の構図じゃん」という気がしてきて、同僚たちにも腹が立ってくるのである。
 で、やっぱり仕事関連の話ならしかたがないかなあ、と思って、彼女の話を聞いてあげることにするのである。で、聞いてあげたんだけど、あげたんだけど、あげたんだけど。
 「それ、私の係じゃないじゃん」
 だからさあ、いくらほかの人が信用できないからってさあ、私の仕事でもないことをなんで持ち込んでくるかね。そんなまねされても、会社にはそれぞれの部署というものがあるのだから、どうしたってタッチできないことだってあるんだよ。それくらい常識でわからんのか、この女は。……わからんのだよな。
 そうなのである。相手は心が壊れた方なのである。逆らったって、理屈が理解できるアタマはお持ちでないのだ。どうにもしょうがないのだ。しょうがないから、その係の同僚のところにコッソリ行って、彼女の用件を伝えるのである。
 ……なんでこんなアホなマネせにゃならんのか(T∇T)。


 帰宅途中、BOOK OFFに立ち寄って、文庫本を渉猟。
 食事はCOCO一番屋で、牛筋コンニャクカレー。あちこちうろつき回ったので(ぼんやりして道を間違えた)、ひどく疲れている。
 チャットでグータロウくんと久しぶりに会話。と言っても内容は他愛ないオタクばなしである。CS日本映画専門チャンネルでちょうど『超少女REIKO』を放送してたので。特撮を貶しながら見る。でもアレの欠点は特撮「だけ」にあるわけではないのだよな。


 マンガ、みなもと太郎『風雲児たち 幕末編』3巻(リイド社・550円)。
 黒船来航をここまでミッチリ書いてくれると、生半可の歴史ドラマなんか、すっ飛んじゃうね。
 ペリー来航に庶民はほとんど驚いてなかったというのは、嬉しくなるような事実の提示である。実際、ドラマじゃやたら庶民が怯え逃げ出すシーンばかり撮ってるしねえ。
 けど、黒船を実見した幕末の偉人たちが、実際には佐久間象山、勝海舟、吉田松蔭、坂本竜馬の4人くらいしかいなかった、というのはサビシイ話である。
 今巻の白眉は、「歴史的事実として」紹介された「白旗事件」であろう。会談に先駆けて、ペリーが日本側に「降伏の印」として贈った白旗が、幕府の硬化した態度を一変させたと言うのだ。近年まで、日米双方の「恥」として封印されていたその事実を、みなもとさんは復活させたのである。
 「息を飲む展開」とはこういうのを言うのだ。

2002年06月25日(火) 揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一)
2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング


2003年06月24日(火) 暗い話更に二題/DVD『ななか6/17 <めもりーふぁいる>』/『羊のうた』第1章

 一晩寝たら消えてるかと思ってた「ぶら下がり血管」、今日も一日中目の前でぶーらぶら。これが上から垂れ下がってるということはどこかに引っかかってるか、今まさに剥がれかけてる最中か、ということなんだろうけれど、となるとコレが切れちゃったりすると、目の前が血でぶわわっと真っ赤になっちゃったりするのだろうか。そう思うと、ヘタに眼を動かすことすら憚られてしまうのである。ったって、そんなのムリじゃん(-_-;)。
 さて、またぞろ土曜日に眼科に行ったものかどうか。
 ホントはいつものかかりつけの医者に行ったあと、しげと久しぶりに映画にでも行こうかと思ってたのだが。
 もし、眼科にも回って眼底検査を受けたら、また半日、眼が使えないのである。朝9時に検査を受けたとして、映画を見られるようになるには、2時、3時ごろまで待たねばなるまい。それまでしげが退屈しないで待ってられる場所がありゃいいのだが。


 今日も帰りが遅くなってしまったが、理由は上司にとっつかまっていたからである。
 いや、また例の心の弱い同僚の件なんスよ(-_-;)。
 今日、会議がありましてねえ、まあいつものごとくコレが勤務時間外まで長引いちゃってね、でもってその方、5時を回ったら「時間になりましたので退出いたします」って言って、プイと出てっちゃったのだ。しかも上司が挨拶しても完全無視。
 その方、前にもこういうことやって顰蹙買ってたんだけど、もう、誰をテキに回しても構わないって感じの切れっぷり。って既に、全社員から嫌われてるんだよな。この人、自分の部屋をあてがわれちゃいるんだけど、実質上「隔離室」になってしまっている。誰もそこへは近寄れないし、そもそも近寄ろうともしないのだ。
 「あそこに入れるのは藤原さんだけですよ」
 と上司は言うのだが、私とて、好きで出入りしてるわけではない。仕事だからだ。全く、どうして私にだけ愛想がいいのだよ、あのひた〜(T∇T)。
 で、上司の相談というのは、「昼食会を開いたものか」ということなのであった。上司は何とか頑ななその方の心を解きほぐせないものかと考えているのだが、どうも賛同者が圧倒的に少ないらしい。
 そりゃ、頼みごとをしても逃げてばかりいる、あるいは完全に忘れていたり、勘違いしてたりする、そのくせ、自分のほうが被害者であるような気になって誰彼なしに文句をつける、陰で愚痴をこぼす、なんてことを繰り返していたら、誰だって嫌気がさそうというものだ。
 まあ、私もメンタル面では似たようなものだから彼女の被害妄想的な面に同情しないわけではないのだが、同情してるからといって、何かができるわけではないのである。「まあ、いいんじゃないですかあ」とマヌケなことしか言えないのである。
 で、上司は私に、ついにハッキリとこう言った。
 「藤原さん、彼女とのパイプ役になってくれませんか。多分あの人は、あなたとお話しするのが唯一の『癒し』になってるんですよ」
 パイプどころか私にマッチポンプになれと言ってるようなものだよ(T∇T)。
 だからねー、アナタはねー、彼女が「いつか刺したい」って言ってるのを聞いてないから、そんなこと簡単に言えるんだよう(T∇T)。私がこれまでやってきたことは、「癒し」なんて軽いレベルのものじゃなくって、「説得」なんだってば。できればもう必要以上に「刺激」を与えたくはないのよ、私は。
 ……これで胃潰瘍にまでなったら、シャレにならねーよなー。


 版飯は博多駅の地下でカツ丼。セットで頼むとほうじ茶が付いてくるのだが、これが一番美味い(^_^;)。もう少し、衣をふんわり揚げるとか、そういうことできないものかね。これじゃ私が作るのとたいして味が変わらん。


 DVD『ななか6/17 <めもりーふぁいる>』。
 昨日と今日で全13話見切りました。原作と引き比べてよくなってるとこあり、コレはちょっとなと思うところあり。
 原作では、序盤から結構、17歳のななかが顔を出してたのだけれど、テレビシリーズでは修学旅行編に入るまで、おとな七華は全く出現しない。シリーズ構成としての意味合いもあるのだろうが、例えば雨宮さんにピアノを懸命に習う6歳ななかを見ていると、肝心の本番のときに17歳七華が出て来て見事に弾いてみせるってのは、どうしても「これまでの6歳ななかの努力は何だったんだよ!」という気になって、ドラマとしてこれはちょっとどうかなとは思うものね。
 原作のほうは、雑誌連載がどこまで長く続くか分らないので、早めに17歳七華を出しとく必要があったのだろう。マンガとテレビという媒体の違いがあるから、これはいたしかたのないことである。
 逆に、テレビは13話しかないために、後半が相当駆け足の印象を受けてしまう。エピソードが相当省かれているし、6歳ななかが消えるのも唐突の印象を免れない。アニメとしてよく出来ているので(やっぱりJ.C.STAFFはいい仕事してるよ)、これがせめて2クールあったらなあ、と思ってしまうのである。
 しげは、『ななか』を買った私を、毛虫でも見るような目で見て、「そりゃ、アンタが『ななか』好きだってのはわかるよ、わかるけど、だからってDVDまで買う?」と言うのだが、ええもんはええやん。


 DVD『羊のうた』第1章。
 アニメ版の方である。実写版も実は買ってるのだが、まだ途中までしか見てない。
 監督が杉井ギサブローというのは期待していいんだか悪いんだかよく分らないんだが(『悟空の大冒険』『ジャックと豆の木』『銀河鉄道の夜』なんかはうまいと思うけれど、『タッチ』『紫式部 源氏物語』『ルパン三世 トワイライトジェミニの秘密』なんかはつまんないんだよなあ)、やっぱりいいとこと悪いところが同居してる感じなんだよねえ。
 あの、輪郭のはっきりしない空間感覚を持った白っぽい背景(『タッチ』を思い出してね)はこの作品によく合ってると思うけれど、実写感覚を強調してるつもりなのか、やたら回想シーンを入れるのは、どうもねえ。それってアニメの場合、作画の使い回しで手抜きにしか見えないんだけど(-_-;)。
 林原めぐみが千砂というのは、さて、どんなものだろうか。「だって高城の家は吸血鬼の家系だもの」ってセリフとか、あっさり言いすぎてるような。私はもう少し低い声を想像してたんだけど、そうすると雰囲気がちょっと重くなり過ぎるのかなあ。

2002年06月24日(月) 役者や脳/『三谷幸喜のありふれた生活』(三谷幸喜)/DVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』ほか
2001年06月24日(日) マンガ読みのマンガ知らず/DVD『地球防衛軍』ほか


2003年06月23日(月) 暗い話二題/『鉄腕バーディー』1巻(ゆうきまさみ)/『金色のガッシュ!!』11巻(雷句誠)

 朝起きたら、右目の前がどうもモヤモヤする。
 よく見ると、黒い、糸のようなものがぶら下がっているのである。ゴミでもついてるのかと右目の前に手をかざしてみるが、指先に引っかかるものは何もない。
 ああ、アレだ、明るいところで空なんかを見ると、糸クズみたいなのが見えるやつ。「飛蚊症(ひぶんしょう)」と呼ばれてるが、これはよく見える人と見えない人がいるらしい。私の場合、子供の頃からこれがやたら多かった。カエルの卵みたいに、ブツブツと点と線の続いた糸クズが、視界一面、雪になって降りしきる。見ようによっては美しいと見えなくもないが、鬱陶しく感じることも多かった。
 これは、眼球の中の硝子体に生じている“濁り”の影が網膜に映り、眼球の動きとともに揺れ動いて見えるものである。この“濁り”はほとんどの場合、生理的な原因によるもので、普通、心配は要らない。母体内で胎児の眼球がつくられる最中には存在していた血管が、生まれたのちも硝子体に残存すると、これが“濁り”となって飛蚊症の症状を生み出す。恐らく、これまでのちらつきは全てこれだったのだと思う。
 けれど、糖尿病や高血圧、外傷などの原因で眼底出血が起こり、その血液が硝子体に入って飛蚊症の症状を呈することもあるのだ。
 今度の糸クズは、右目の上に引っかかったまま、ぶらぶら揺れて視界から消えることがない。今まで、こんなヘンな見え方をした“濁り”はなかった。やはり以前の健康診断で見られた出血はあったのではないか。面倒臭いが、また眼科に行かねばならないかもしれない。
 糸クズはずっと揺れ続けている。その先端は、よく見ると、輪になっている。そしてその輪のところどころに黒い、血がたまりのような点が見える。まるで人を縊り殺した直後の絞首台の吊り紐のようだ。随分丈夫な紐で、いつまで経っても、どんなに揺れても千切れないのである。やだなあ。


 ときおりこの日記に書いてきた職場でのトラブル、ちょっとシャレにならない状況になってきた。
 上司と、同僚の女性との関係が険悪になっていて、板ばさみにあっていることを書いたが、その女性の心のコワレ具合がだんだん激しくなってきたのだ。
 今日、上司がパソコンからあるデータを取り出そうとして、そのデータを管理している彼女にその旨を伝えた。彼女は露骨にそれを拒否した。
 「今、忙しくてできません。ご自分でマニュアルを見てやってください」
 困惑した上司が、私のところにやってきて、「藤原さん、あなたから、聞いてくれませんか」と頼んできたのだ。そんなこと言われたって、私だって困る。
 「私が聞いてもして下さるかどうか分かりませんが」
 「けれど、私では無視されてしまいますから」
 ちょっと待てや(-_-;)。問題はまさにそこにあるので、“もしも彼女が私には親切にしたら”、上司と彼女の関係、ますます溝が深まっちゃうではないの。で、その原因を私に作らせようってのかい。
 でも、断れないから、おずおずと、彼女のところに行って聞くのである。
 「あの、すみません、コレコレナニナニのデータについてなんですけど……」
 「あ、出し方ですか? こうすればいいんですよ」
 そんなん簡単に教えるなああああ!
 もちろん出したデータは、上司のところに持って行きましたよ。すげえ緊張したけど。
 上司も心の広い人なので、怒りはしなかった。怒りはしなかったが、苦笑して、「出してくれたの、あの人」と言って、データを受け取って、あとは何も言わなかった。こういう人を彼女はどうしてあそこまで憎むことになったのか。全くわからない。わからないけれど、人と人とのすれ違いなんて、こんなものなのだろう。……って達観なんてしてられねーんだよう(T∇T)。
 この話、読んでる方もハラハラするばかりで面白くないとは思うのだが、私の今後の身の振り方に密接に関係してくる可能性が大なので、書かずにごまかすわけにはいかない。
 なぜ、彼女が私だけを信頼するのか、まずその理由自体、よくわからない。思いこみが激しく、記憶障害はしょっちゅう起こし、こちらの言ったことをやたら脳内変換しているらしいので、私の何気ない言葉を勝手に「極度に美化」した可能性もあるが、私自身、どんな言葉がきっかけになったのかサッパリ見当がつかないのだから、どうにも対処のしようがない。
 今は私を信頼し、上司を「いつか刺すかもしれない」とまで口走っているが、その矛先が私に向かないとも限らないのだ。なんでそんな心配しながら仕事をせにゃならんのだ。私ゃ、こんなスリルとサスペンスな職場で働きたいわけではないぞ。
 あああ、ホントにシャレにならん。どうすりゃいいのかタコのフンドシ(T∇T)。
 
 気が晴れないので、帰宅途中につい博多駅の紀伊國屋&メトロ書店で、本を買って散財。まる一週間くらい、部屋に引きこもってただひたすら本だけ読んでたい気分である。


 しげが仕事から早めに返ってきたので、一緒にDVD『ウォレスとグルミットのおすすめ生活』を見る。
 7年ぶりの新作、という触れ込みだが、2分程度の短編のシリーズを10本集めたもの。まあこれまでのエッセンスはあるが、見応えはもう一つ、というところか。欽ちゃんの声アテも私は好きじゃない。辻村真人さんのバージョン、NHKはもう一度放送してほしいよ。あっちは正確に「グローミット」と発音してたしな。
 見てる途中で、いつのまにか寝る。


 マンガ、ゆうきまさみ『鉄腕バーディー』1巻(小学館/ヤングサンデーコミクス・530円)。
 ゆうきまさみの最高傑作になるはずであった(^o^)未完の傑作を、一から仕切り直し。
 宇宙のテロリスト、クリステラ・レビの一味・ギーガーを追って地球にやってきた、宇宙連邦警察の捜査官、ウルト……もとい、バーディー・シフォン・アルティラ。別名「狂戦士(バーサーカー)殺しのバーディー」。
 しかし彼女は、廃墟マニアの少年、千川つとむをギーガーと見誤って殺してしまう。つとむの命を救うために、二人は一つの体を共有することになったが……。
 って、ストーリーは先刻ご承知の方が多いでしょうね。前作とストーリーラインは同じでも、細かい設定の付加があって、それがドラマに厚みをもたらしている。でもつとむが「廃墟マニア」になってたのには驚いちゃったな。結構マイナス志向が強くてバーディーとの信頼関係もなかなか作れないつとむなのだけれど(全然色っぽい展開にならないんだよなあ、せっかく青年誌に移ったのに)、そういう根の暗さっつーかオタクっぽさっつーか、それを象徴するものとして随分「旬」なものを持ってきたなあ、という印象である。旬なのか、ホントに。
 このあたりは、『パトレイバー』で各キャラクターの描き分けをしてきた経験がモノを言ってるように思う。キャラクターこそがドラマを作る基本だってこと、当たり前のことだけどなかなかできないマンガ家さんも多い。ゆうきさんも初期の作品は類型的過ぎるキャラが多くて、面白味も深みもなかったものなあ。それを考えると、ゆうきさんの作劇手法、ちゃんと進歩してるのである。
 でも、できればこれからはもっとセクシーな展開を望むね(^o^)。
 バーディーの眼、猫の眼のように瞳が細くなったり丸くなったりしてるんだけど、前作からそうだったかなあ?
 巻末のおまけまんが、ゆうきさんがHPで「今回は鉛筆描きしみじみ3ページまんがもおまけについてます。自分で言うのもナンですがしみじみしますよ」と仰ってる通り、こういうバーディーはすごく好きだ。めがねっ娘はやっぱ、どこかださくないとね。趣味走り過ぎかな。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ!!』11巻(小学館/サンデーコミックス・410円)。
 しげが「『ガッシュ』はギャグの部分しか面白くない」と言ってたが、確かにギャグの部分はとことんバカバカしくていいわ。そのあたりは読者も分かってると見えて、今回行われたキャラクター人気投票、ウマゴンやキャンチョメ、フォルゴレあたりが結構上位に食い込んでいる。つーか、「バルカン300(空き箱と割り箸で作ったおもちゃ)」が7位だぜ。キャラじゃないじゃん……。
 新登場のナゾナゾ博士とキッド、パティもいい味出してくれてる。マジョスティック12って、なんだよこれ(^_^;)。いや、どこがどう面白いかってのはトテモ言葉じゃ説明できないんで、まあ、立ち読みでもしてみて下さい。

2002年06月23日(日) ふつーの休日/『狼には気をつけて』4巻(遠藤淑子)/『民俗学者 八雲樹』2巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか
2001年06月23日(土) 愛のバカクサ物語/『フロン』(岡田斗司夫)/DVD『ウルトラQ』1巻ほか


2003年06月22日(日) 寂しいニュースばかり/映画『シベリア超特急2』『シベリア超特急3』

 花紀京さんが、5月20日、自宅で入浴中に倒れて、救急車で病院に運ばれていたことが昨日になって判明。
 低酸素脳症と診断され、現在は「生命に別条はないが、意識が回復していない状態」だという。
 でも、5月20日から意識不明って……1ヶ月じゃん。昨日になってようやく発表っての、もう「回復の見込みがない」って判断したからじゃないのか。まだ66歳だぞ。関東より向こうの人間にはまるで理解できまいが、花紀さんは東京で言えば森繁久彌や三木のり平や益田喜頓やフランキー堺や渥美清に勝るとも劣らないほどの芸人なんだぞ。吉本新喜劇が若手中心になってつまらなくなって、もう舞台中継なんかでたまにしか姿を見られなくなっていたけれど、老けこむには早いと思っていたのに。
 もっとも、「低酸素脳症」をネットで検索かけてみると、意識不明後1年して回復した例もないわけではない。奇跡を望む。


 庵野秀明監督の新作、実写版『キューティーハニー』だってねえ。
 しかも主演はサトエリだってさ。
 もう、「何をやってもいい」と開き直ってないかな、庵野さん。それともあえて自分を貶める「修業」のつもりなのか、はたまた「もう『エヴァ』以上のものは作れない」というあがきなのか、あるいはアニメオタクの毛嫌いしそうなものをワザと作ってやろうという意地悪なのか。
 案外、「本当は『マジンガーZ』を実写化したいけど予算的にムリだから、とりあえず『ハニー』を」、ってなところが正解かもしれない。
 いやまあ、出来たら見に行くけどね。永井豪ファンとしては。
 けど、サトエリの七変化って全然そそられるものがないなあ。かと言って、他にハニーにふさわしい巨乳って思いつかないしなあ。MEGUMIでも小池栄子でも、なんかケバいだけだしなあ。


 山本弘さんとこの掲示板、例の文化庁の国語調査についての話題で盛りあがっているが、ともかく国語能力の低さを本人たちが露呈しているようなテイタラクに陥っている。
 これは誤用だ、いや、誤用ではない、私はこう思う、それはただの思い込みだ、と、「辞書引いてから発言しろよ」と言いたくなるような浅薄な意見が続出している。中には間違いが誰の注意も受けずに放置されてるものもあるが、もう、あそこの連中に何か言っても詮無いだけだと思っているので、書きこむつもりはない。


 朝はいつもの『鉄腕アトム』、チャンネルを設定し損ねて、最初の2、3分、でじこが映っている。あんな「にょにょ」言ってるバカキャラなんぞ見たくもないわ。
 えいくそ、またアニマックスで録りなおさねば。

 昼はのんびり日記書き、そのあとちょいと昼寝して、夕方、練習から帰ってきたしげと「焼肉のさかい」へ。
 「つけ焼きハラミ」という新製品が出ていたので、それを注文。タレをつけて焼いたあと、生卵にもう1度つけて食べるのである。……ってつまりすき焼きじゃん。まあ、美味しかったからいいけど。
 積文館で、買い忘れてた本を何冊か物色して帰宅。


 しげと一緒にDVDに録画しておいた『シベリア超特急2』『シベリア超特急3』を見る。
 1作目のトリックにもなってないミステリモドキよりは随分骨格がしっかりしてきているが、やはり「あの作品とあの作品からパクッてるなあ」というのは、ミステリファンには一目瞭然であろう。もっとも、どんなにすばらしいシナリオを脚本家が書いたところで、演じるのが水野晴郎のドシロウト以下の演技の前では、紙吹雪のように舞い散ってしまうだろうが。
 いや、一応あれでもミステリなので、トリックとかは明かしません。悪しからず。

2002年06月22日(土) 発熱は冷やしてあげなきゃいけないもんでしょ/『楽勝!ハイパードール』vol.1(伊藤伸平)ほか
2001年06月22日(金) 冷蔵庫は8年で買いかえるものだそうな(電器屋談)/『ななか6/17』1巻(八神健)ほか


2003年06月21日(土) こんにちは/映画『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』/『あひるの王子さま』6巻(森永あい)/『ななか6/17』12巻(八神健)

 しげ、昨日の喧嘩など全くなかったような顔でサバサバと起きだしてくる。
 「出て行く」「もう離婚やね」と自分からやたら言い出すくせに、「じゃあ離婚届取ってこいよ」と言うと、「何でアンタが幸せになるために私が努力してやらないかんと?」と言い返すのである。
 っつーことは、オマエは私と一緒にいて私を不幸にしているという自覚があって、それでもなお私にしっかりしがみつくつもりだってことなんだな?
 ……それって、「悪魔」じゃん(-_-;)。


 休日で昨日の疲れを癒す……のは明日にして、今日はお出かけ。
 もっともしげはいつもの練習だが、私は買いものと映画である。
 休みでも最近はなかなか一緒に行動できなくなってるなあ。
 博多駅の紀伊國屋で買い忘れの本やDVDを買ったあと、久しぶりにゲーセンでちょっと遊ぶ。と言っても私ゃUFOキャッチャーしかしないのだが。トロのぬいぐるみを首尾よくゲット。
 昼飯はマクドナルドで豆腐バーガーにチキンナゲット。ここで買ったばかりの鳥山明『ドラゴンボール 完全版』13・14巻を読み切る。とうとうサイヤ人編(アニメだと『Z編』だね)に突入だが、連載当時は「もう終わろうよ、いい加減で」って気持ちだったな。「亀仙人がもちっとだけ続くんじゃ」と言ってたわりに、これまでの分量分軽くかかってたなあ。「ドラゴンボール」が使えるのもあと一回のはずだったのに……。


 バスに乗って、ワーナーマイカル福岡東まで。考えてみたらバスでそこまで行くのは初めてだ。バス停の見当がつかないので(駅の地図で「福岡東サティ前」というのを見つけたのだが、掲示板を見てもそのバス停が身つからなかった)、ともかく別府まで行く。そこから歩いて15分もかかった。
 映画は2時から『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』(原題:CHARLIE'S ANGELS:FULL THROTTLE)。
 今日の先行上映にわざわざ出かけたのは、「パーフェクトガイド」というパンフレットがタダでもらえるという特典が付くから。実質的な千円興行だね。こういうサービスをしてくれるってのはありがたい。
 しかも、福岡東、相変わらず客入ってないから、上映10分前でもゆっくり座れる。見たとこ100人弱くらい? 前の方なんかガラ隙である。キャナルシティなんか、今日は三館上映やるそうだけど、それでも押すな押すなになるんだろうなあ。

 昔のテレビシリーズがグレードアップで映画化、ということになると、かつてのオールドファンからたいてい「昔のとイメージが違いすぎる!」と文句が出るものだけれど(私も『スパイ大作戦』が『ミッション・インポッシブル』になったとき、あのオチはないよなあ、と思った)、なぜかこの『チャリエン』シリーズはあまり不満の声、聞かれないね。昔のイメージ、これだけ破壊しまくってる映画もないって思うんだけど(^_^;)。MTV出身のマックジー監督の映像センスがいい意味で発揮されてるのだ。初期のバカ映画撮りまくってた頃の大林宣彦を彷彿とさせるような、とたとえたら怒る人もいるかな(^o^)。
 チャーリーが昔と同じくジョン・フォーサイスだってのもポイント高いけど、「リメイク」ではなく「続編」として制作したのが勝因だろうね。かつてのエンジェルたちのイメージはそのままに取っておいて、今の若い子をチャーリーが雇ったら、まあ、こいつらみたいなイカレたやつらでもおかしかないか、と納得はできるし。いつも通りオープニングで三人の過去や活躍ぶりを紹介するのだけれど、相当ヘンだよ、三人とも(^_^;)。
 いやもう、前作のトンデモないバカ映画ぶりは、あの中野貴雄氏をして「この映画を見るために生まれてきた」(「映画の歴史は『チャリエン』を生むためにあった」だったっけ?)と言わしめたほどの出来であったが、もちろん私はこーゆーのは大好きである。誰も認識しちゃいないが、推理の部分も(ミステリなんだよ、これ一応)案外キッチリしてるんである(テレビシリーズよりも今のアッパラパーに見える彼女たちのほうが知性的には上だったりするのだ)。だいたい、女の子が3人いればそのうち一人はボケ役に回るものだけれど、みんな頭いいんだものなあ。元ヤンキーのディランまで知性派ってのはどういうわけだ(^_^;)。

 今回のエンジェルたちのファースト・アサインメントは、モンゴル奥地に拉致された米警察機構の要人、カーター(ロバート・パトリック)の救出。
 任務自体は成功したものの、カーターが持っていた対組織犯罪の最重要証人のリストを隠した「指輪」は敵に奪われたままだった。
 そして、そのリストに載っていた証人が次々に狙われる事件が起こる。しかもそのリストの中にはディランの名前も含まれていた。彼女はかつてアイリッシュマフィア「オグレディファミリー」の殺人現場を目撃していたのだ。かつての恋人、シーマス・オグレディ(ジャスティン・セロウ)に命を狙われることになったディラン。ナタリーとアレックスに被害が及んではと、彼女は一人姿を隠した。
 その間、事件の黒幕を追っていた残る二人は、カーターに目を付ける。ところが、彼はあっさり殺されてしまった。そしてその殺害犯人、真の黒幕は……。

 ミステリの定石としてはこれから先は秘匿しておくのが筋なんだけど、もうCMでもなんでもバラしてるから、問題はないね。
 今回の敵は、かつてチャーリーの元で働いてた「最強のエンジェル」、マディソン・リー(デミ・ムーア)なんだね。しかも、彼女の最初の殺しの相手がカメオ出演の元夫ブルース・ウィリス。でもって、ウィリスの過去のテレビ出演作『こちらブルー・ムーン探偵社』の彼の相方の役名が「マディ」だったことを思い出すと、このお遊びがずいぶん凝ってるものだってことがわかる仕組みだ。当初、ムーアの役名は「ヘイロー」になる予定だったから、これは確信犯的な変更だろう。
 そのムーアは、5000万円近くもかけて自らのカラダをアクション用に改造したとか。確かに胸も以前に比べて小さくなってるし、あまり揺れない。黒柳大徹子か(←安永航一郎のギャグです。念のため)。何をどう改造すればそこまでかかるのかねえ。170億も製作費がかかるわけだな(^_^;)。
 楽屋オチで言えば、今回、3人のうちナタリーにもアレックスにも恋人がいるのに、ディランだけは一人身に戻っている。前作のチャドちゃんがいなくなってるのである。これは私生活でもドリュー・バリモアと付き合ってたチャド役のトム・グリーンと別れたのを、そのまんま映画にも持ちこんでるのだな。セルフパロディっていうか、実生活反映映画(^o^)。でもって、かつての殺し屋には狙われるわ、前作で変態ぶりを見せつけてた「痩せ男」(クリスピン・グローバー)には言い寄られるわ(前作の爆発でよく死んでなかったなあ)、3人の中での汚れ役は前作同様、ドリューが一手に引き受けようって感じ。これはプロデューサーでもあるドリューの二人に対する敬意だろう。
 前回も自分の過去の出演作、『E.T.』や『ウェディング・シンガー』をパロってましたが、今回はBGMに『炎の少女チャーリー』が流れます。そんなとこにまで気がつくなんて、私ゃドリューのファンなのか(^_^;)。いや、3人とも全然私の好みじゃないんだけど。
 ディランの本名も今回初めて判明。「ヘレン・ズアス」ってのがそうなんだけれど、続けて発音すると、「へレンズ・アス」、つまり「ヘレンのお尻」って意味になる(字幕では「ヘレン・ノケツ」になってた。ムリがあるなあ)。でそこから延々、「ケツ」の駄洒落が続く(「出身は“アス”トラリア?」とか)という下品な展開(^_^;)。こういうベタなギャグがある意味では映画版『チャリエン』の真骨頂なのだけれど、そういうのが嫌いな人にはこのシリーズ、いまいち楽しめないかも。もちろんここまで開き直ってシモネタ百連発って感じでやってくれれば、私は大好きです。
 アレックス役、ルーシー・リューの父親役、ジョン・クリースもシモネタ担当(なんでイギリス人のクリースの娘が中国系なんだってことだけど、ちゃんと映画中に中国人のお母さんと映った写真が出てきます)。娘のアレックスを「イタチちゃん」と呼ぶくらい溺愛してるのだけれど、彼女の恋人、ジェイソン(マット・ルブラン)から「実は彼女はヘルス嬢だ」(そうジェイソンも思いこんでいるのである)と言われて、アレックスの一言一言に勘違いかまして呆然となる。まあ、「チャーリーのこと、黙っててごめんなさい、きっと心配すると思って……、でも今、私この仕事がとっても楽しいの! 今日も50人の男を相手にして、イカしちゃったのよ!」なんて娘に言われりゃねえ(^o^)。前作のギャグ担当はビル・マーレーが主に受け持ってたけど、今回はクリースがいい味出してます。
 前回ボスレー役のビル・マーレーは今回は写真のみの出演(前作でスタッフにワガママ言いまくるルーシー・リューとソリが合わなかったらしい。リュー本人は否定してるけど)。代わってのボスレーはバーニー・マックが演じている。でも、同じ役ではなくて、マーレーの弟という設定。でもマックは黒人なんだけど(^_^;)。これも本作で明かされる秘密だけど、ボスレーおの母さん、子育てが趣味で、人種に関わりなくどんどん養子を取ってるのである。だもんで、今回も15歳の若いボスレーが誕生。こうやってボスレーはどんどん増殖していくのである(^o^)。……ってことは、テレビシリーズの初代ボスレーの故デビッド・ドイルも養子なのかな。それとも、あの黒人のお母さんが奥さん?
 ともかく、そういったお遊びはあちこちに満載。とても全部は追いきれないし、よくわかんないものもある。初代エンジェルのジャクリーン・スミスの出演シーンなんか、私は息を飲んじゃったんだけど、お客さんはよくわからずに見てた感じだったしなあ(前作でも出演依頼があったけど、もうトシ取ってたので辞退したらしい。そのせいか今回、紗をかけまくり(^_^;))。
 全体的に客席の反応は鈍い。アクションには見入ってるけど、お話(というほどたいしたことないけどね。マディソンの犯罪動機が「スピーカーに使われるのがイヤになった」って、おまえはコドモかい)やギャグには興味ないって雰囲気。こういうバカバカしいお話を余裕で見られる感覚に欠けてる人間が多いってのが困りものなんだよねえ。まあ、確かに喫茶店なんかでこの手の話をしてると周囲から白い目で見られちゃうけど(^_^;)。
 一つだけ文句つけるなら、タイトル。テレビシリーズから気になってたけど、どうして複数じゃないのか、それがフシギ。
 
 しまった、ナタリーのキャメロン・ディアスに全く触れてない。
 えーと、前回も受けてた「パンツ」のギャグ、今回もあります。なんと彼女、男モノのブリーフはいてる(^_^;)。多分恋人のピート(ルーク・ウィルソン)のを拝借してるんだろうけど、女は恋人のなら平気でパンツ履けるのか(全然動揺してなかったから、間違えて履いたわけではないのは確か)。
 しげは履くんだよな。しげとキャメロンの唯一の共通点であろう(^o^)。
 でもってもう、何枚も私のパンツ履き潰してる(履いたあと洗濯に出さないで放置するのである)。だもんで私のパンツがどんどん減ってるのである。
 「買って返せ」と言ったら、「私の代わりに履いていいよ?」だと。
 誰が履けるかああああ!


 映画が終わってしげに電話をかける。
 どこかで待ち合わせをするかと考えていたのだが、ちょうど穂稀嬢を家まで送るついでなので、福岡東まで来るとのこと。
 その間にサティの中の本屋で買い損ねてた『Newtype』などを買う。


 ほどなく、しげの車がマイカル前に到着。 
 穂稀嬢、なんだか以前よりふくよかになっていらっしゃる。
 ふと、ドアを開ける左手の指先を見ると、クスリ指に指輪が。
 思わず「なに、穂稀さん、結婚したの? それとも男避け?」と聞いたら、「違いますよう。たまたま拾ったから、付けてんです」。
 しげが驚いて「拾ったあ?」。
 穂稀嬢、慌てて、
 「あ、拾ったと言っても、自分の部屋でです」
 と否定する。
 「……つまりそれは、部屋でなくしてたのを見つけたってことで、もともと自分のものなんだね?(それならそう言えよ)」
 ( )はもちろん心の声であるが、カッコ付けにしなくても、この程度のニュアンスは汲み取れるであろう。穂稀嬢以外の人間なら(^o^)。
 「はい、そうです」
 しげ、「よかったあ、ハカセ、ホントにどこかで拾ったものを指にはめてたのかと思った(おまえならそれくらいしかねん)」
 「さすがにそこまではねえ」と私が言ったら、穂稀嬢、「まあ、『心頭を滅却すれば火もまた涼し』と言うじゃないですか」。
 ……たとえの意味が繋がってねえ(-_-;)。
 「なんだそりゃ」と言ったら、穂稀嬢、「いえ、しげさんが暑そうだったから」。
 人の話聞けよ、おまえは! まあやっぱり相変わらずの「ハカセ節」なのであった。


 そのあと、しげと「びっくりドンキー」で食事。
 5時近かったけれど、昼のランチをまだやってたので、注文。ハンバーグに野菜の掻揚げというちょっとミスマッチな組み合わせだけど意外に美味い。
 その足で、ベスト電器、BOOK OFF、ブックセンターほんだを回る。今日のうちに買うもの買って、明日はゆっくりするつもりなのである。
 ゲーセンで、猫のマグカップをゲット。こういうのなら、しげはあまり文句を言わないのである。
 帰宅は七時過ぎ。しげはすぐに爆睡。
 チャットでヨナさん、鍋屋さんと話す。鍋屋さんの「トンデモ本大賞」のレポート、もうすぐ上がるということで、楽しみである。
 買ってきた本などを見ているうちに私も寝る。


 マンガ、森永あい『あひるの王子さま』6巻(完結/角川書店/あすかコミックス・420円)。
 結構ドロドロになりかけてたからどうなることやらと思ったけれど、オチが付くというより、「騒動はこれからも続く」パターンで終わりましたね。これもまた『李さん一家』チルドレン。もうこうなるとつげ義春はマンガ界の「空気」のようなものである。みんな吸ってるのに気付かない。
 けど、ミスターと蘭姉さんの始末をああいう形で方付けるとはねえ。わはは、麗一とミスター、穴兄弟になりましたな(お下品)。


 マンガ、八神健『ななか6/17』12巻(完結/秋田書店/少年チャンピオンコミックス・410円)。
 完結ものが続くね。
 でも実に、いい終わり方をしたよなあ。
 ……ごめん、読みながら泣いた。だから、誰かが消えていくって話、基本的に駄目なんだよ、私(誰に謝っているのだ)。まあ「アルジャーノンじゃん」という批判はあろうが(^_^;)。
 いや、これも稔二と七華、雨宮さんとの三角関係はそのまま継続、という形なんだけれど、明らかに稔二も七華も雨宮さんも「大人」になったからね。同じ世界観がこれからも、という終わり方とは違う。
 七華のように多重人格にならなくても、人は大人になって行く過程で、自分の中のたくさんの「子供」を一つ一つしまいこんでいく。その「子供」の正体は、たいてい心の「傷」だから、ただしまいこむだけで忘れてしまおうとする。時としてそれは、忘れなければ生きていけないことでもあったりするから、仕方のない面もありはする。
 けれど、本当は覚えていなければならない「傷」だってあるはずなのだ。そうでないと、人は「大人になったふり」をしてるだけで、ものが見えなくなってしまうから。もちろん、一番見えなくなっているのは「自分」なのである。

 しげからはこういうマンガに感動してる私がバカに見えるらしいが、実際、バカなんだからなあ。だから私も「置き忘れてきたもの」がたくさんあるんだよ。で、それを取り戻せた七華がうらやましいのだよ。
 それと、同じチャンピオンマンガのほのぼの路線括りで、「小山田いくを好きなヤツはこれだから」という言い方はちょっとやめてほしいな。あれとこれとは全然ベツモノだよう(T∇T)。八神さんは小山田さんみたく自分自身が作品世界に埋没してるんじゃなくて、も少し現実とちょうどいい感じで距離を取ってると思うよ。

2002年06月21日(金) やっぱりカネがあると肉/映画『ウォーターボーイズ』/映画『アイ・アム・サム』
2001年06月21日(木) つーきも、おぼーろに、しらーああうおの、/舞台『黙阿弥オペラ』(井上ひさし)


2003年06月20日(金) さよなら/『ナジカ電撃作戦』3巻(完結/田代琢也)/「『ぼくら』連載漫画版 妖怪人間ベム』(田中憲)

 まずは言葉についてのニュース。
 文化庁が忘れたころに行ってる(^o^)「国語に関する世論調査」が昨19日に発表された。
 「今の若い連中はこんなにモノを知らない」ってトシヨリが憂える材料を提供するためだけにあるような調査で、いけ好かないことこの上ないのだが、読むとやっぱり「今の若い連中はこんなにモノを知らないのか」と憤っちゃうのである。ノせられてるなあ、俺。

 コンビニの店員なんかがよく使うという、
 「お会計の“ほう”、1万円になります」
 「1000円“から”お預かりします」
 「休ま“さ”せていただく」といった“さ入れ表現”。
 この三つの表現が気になる人が増えたと言う。ところがどうも私ゃ、こういう表現に出会った記憶がないんだよねえ。コンビニの店員さん、まず「お会計」って言葉自体使わなくて「以上で1万円になります」、なんて言い方してるから、「ほう」だって使わなくてすむのだ。「から」も聞いた記憶がない。もしかしてこれって関東限定で流行ってるのか?
 「さ入れ表現」はたまに聞くことはあるけれど、ついうっかりの誤用の域を出てはいない。
 それより私ゃ、未だに「以上でよろし“かった”でしょうか」って言う店員が気に障って仕方ないんだが、これは話題にはなってないのか。

 また、慣用句の意味を勘違いしている人も毎回増えつづけている。
 例えばこんなの。
 「流れにさおさす」=「大勢に逆らう」(本来は「大勢に従う」)
 「役不足」=「役目が重くて辛い」(本来は「能力のわりに役目が軽い」)
 「確信犯」=「悪いとわかっていながら行う行為、犯罪」(本来は「政治的、宗教的な信念から正しいと信じて行う行為、犯罪」)
 漱石の『草枕』の冒頭の「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」なんか、逆らってんなら流されないでしょうに。と言ってもどうせ若い人はもう『草枕』だって読んじゃいないんだろうねえ。とかなんとか言いながら、私も昔はこれを全く逆に覚えていたのでした(^_^;)。
 「その仕事には私は役不足で」「なに〜!? この若造が生意気な!」なんて部下と上司の会話が全国でよくなされてるんだろうか。上司も言葉知らなくてそのままやり過ごされちゃうケースの方が多いんじゃないかって気がするけど。
 ただ、三つ目の「確信犯」を誤用とするのは微妙なセンだよなあ。政治犯が「“一般的には”悪いとされてる行為をあえて自分の信念に基づいてやっちゃった」ような場合には、「悪いとわかっていながら行う行為、犯罪」ってことにもなるじゃん。まあ、ここのポイントは「確信」の「信」が「信念」ってところで誤用かそうでないかが分かれるんだろうけどね。

 次に、「外来語120語の理解度ランキング」。
 全部紹介するのはめんどくさいから、ベスト20とワースト20をご紹介。

(順位)(外来語)    (語義)
1 ス ト レ ス……………肉体的、精神的な緊張や圧迫
2 リサイクル ……………資源の再利用、再生
3 ボランティア …………自発的に奉仕活動をする人
4 テ ー マ ……………主題、題目
5 レクリエーション ……休養、娯楽
6 サ ン プ ル……………見本、標本、試供品
7 リーダーシップ ………統率力、指導力
8 ス タ ッ フ……………職員、幹部、映画などの出演者以外の関係者
9 フルタイム ……………常勤の、専任の
10 ホームページ …………ワールド・ワイド・ウェブから提供される情報の表紙に当たるページ
11 キャンペーン …………選挙運動、宣伝活動
12 リフレッシュ …………気分を一新する
13 インターネット ………ネットワークが相互に接続された世界規模の通信網
14 プロジェクト …………計画、企画、開発事業
15 ドキュメント …………文書、記録、証書
16 ピ ー ク ……………最高潮に達する点、頂点
17 パフォーマンス ………実行、功績、公演、人前での表現行為
18 ケ ア……………手当て、世話、保護、介護
19 コ ス ト ……………値段、費用、原価、経費
20 ホワイトカラー ………事務系労働者
(中略)
101 キャッチアップ ………追いつく
102 スケールメリット ……規模の大きさに伴う利益
103 ノーマライゼーション 正常化、健常者と障害者とが隔てなく一緒に暮らす社会にすること
104 サ マ リ ー……………要約、まとめ
105 モラトリアム …………猶予、債務の返済期日を延期すること
106 モラルハザード ………道徳的危険、道徳的節度を失って行動すること
107 インセンティブ ………誘因、刺激、動機
108 ス キ ー ム……………公的な計画、枠組み
109 ジェンダー ……………社会、文化面の性差
110 デジタルアーカイブ …資料をデジタル情報にして保管すること
111 バックオフィス ………後方で事務処理や管理業務を行う二次的部門
112 ガバナンス ……………支配、社会的統括
113 リテラシー ……………読み書きの能力、識字率
114 トレーサビリティー …生産流通の履歴を管理し追跡できる仕組み
115 エンパワーメント ……権限の付与、問題解決の主体となる力をつけること
116 メ セ ナ ……………企業などによる芸術、科学、文芸の擁護、援助
117 タスクフォース ………特定任務を遂行するために編成された部隊、企画開発班
118 コンソーシアム ………企業共同体、発展途上国への援助方式の一つ
119 エンフォースメント …法律などの実施、知的財産保護のための権利執行手続き
120 インキュベーション …企業支援、地球の中心

 ベストの方は、まあ、そんなもんだろうだろうって感じだね。ただ、こういうふうに日常語化してるものだと、かえって「どんな意味か日本語で説明してください」って言われても言葉にできないものも多いんだよねえ。「ストレスはストレスだろう」って言い返しにしかなんない。そこに実は「誤用」の可能性も生まれてくる。日本語化される過程で微妙な意味の差異が生まれてくるのだね。
 よく言われてるのがベスト3になってる「ボランティア」。もちろん「奉仕活動をする人」って意味に間違いはないけど、日本人、この言葉の意味、やたら軽く使ってるよな。
 まあ、中学で英語を習った経験のある人なら先刻ご承知だとは思うが、英語の“volunteer”には「志願兵」って意味もあるんである。また、学校で掃除を進んで行う人も「ボランティア」だったりする。社会奉仕についての感覚、意味合いがもっと広くて強いんだよ。日本人の「ボランティア」の感覚って、ご近所の草むしりとか老人介護のお手伝いとか、町内会的なものに卑小化されてんじゃん。もちろん、本来の意味で解釈するなら、休日のたびに町内会の役員の仕事を嬉々としてしてたり、老人ホームの慰問とか楽しんでやってる人は、一朝ことあるときには義勇軍として馳せ参じなきゃなんないね(^o^)。しかし、日本人の一般的英語力って、マジで中一程度もないのな。こんなムダな教育システム取ってるくらいなら、本気で学校廃止した方がよかないか。
 もともと日本人の生活感覚って、ほとんど「ボランティア」だったんだから、こんな言葉導入する必要はなかったのだ。それを日本人の個別化を憂えたのかどうか知らんが、誰かがさもご大層なもののように持ちこんだおかげで、猫も杓子もそういうものを「持たなきゃいけない」もののように錯覚させた。それがかえって本来日本人が持ってた「絆」の感覚を失わせてる結果になってないか。
 ああ、けど、「ホームページ」って「表紙」だけを指すんだねえ。となると「ホームページのトップページ」って言い方はおかしいってことなの? じゃあ、トップページを含んだホームページの全体はなんて呼べばいいんだ?

 ワーストの方は、確かに日頃使わないのが多いんだけど、「ノーマライゼーション」「モラルハザード」「ジェンダー」といった、人権問題、差別に関する言葉の一般的認知が低いのにはちょっと笑っちゃうね。人権擁護派の方々がいかに口角泡を飛ばして熱弁を奮っても、笛吹けど踊らずってのが現状なわけだ。理念や思想先行で人を洗脳しようったってねえ、具体的かつ見えるような形で自分の問題として感じられめように先導しなきゃ、一般大衆は動かないよ。
 考えてみたら私だって、「ジェンダー」って言葉を知ったのは松尾由美さんのSFミステリ『ジェンダー城の虜』を読んだのが最初だ(^o^)。生物学的な性差である“sex”と社会的な性差である“gender”を区別する必然性を大半の日本人は感じていない。けれどアメリカだって、ジェンダーを完全否定はしてないと思うんだけどなあ。なんかアチラものを日本人が輸入すると、どこか先鋭化・突出化、わかりやすく言えばトンデモ化する面が大きいと思うんだがねえ。
 こういうの見てると、言葉の感覚に鈍感なやつが外来語をやたらと導入したがってる気がしてしょうがない。


 えー、山本弘さんとこの掲示板が(以下略)。
 だってもー、同じこと書くの飽きたし(-_-;)。


 今日も残業で、帰宅は9時過ぎ。本当だったらもうちょっと早めに帰れたはずなんだが、バスが遅れて、連絡がうまく行かなかったのである。なんかこないだもこんなことあったな。
 乗り換えのバス停の時刻を見ると、9時を過ぎてるのでもう1時間に2本しかバスがない。次のバスは30分後である。そこまで待つのなら、歩いて帰ったほうが早い、と思って、てくてく早歩きで帰る。運動にもちょうどいいか。
 こないだは歩いてる最中に偶然しげと出会ったが、今日はもう誰にも会わないよなあ、と思ってたら、自転車に乗って帰宅途中の姉に会った。偶然とはこうもしょっちゅう起こるものなんだろうか。
 「今、帰りようとね!」
 と姉に驚かれたが、忙しいときはこんなものである。だから休日はできるだけ休んでたいのだ。


 コンビニで「懐メロクッキー」というのを売ってるのを見つける。発売元はブルボン。
 懐かしの歌謡曲のカバーを見て、CDでも付録に入ってるのかな、と思って、近づいてよく見ると、ホントにそうだった。五種類くらい出てるけど、これ売れると思ってるのかなあ(^_^;)。
 確かに280円でCD一枚ってのは安いかもしれない。けれど、一枚買ったら、その人はもうこのクッキー買わないじゃん。リピートして買われることがないってことが最初から分かってるものを売るのかなあ。
 ……ということは、逆にこれ、初回出荷のみでレアものにして売りきろうって戦略なんだろうか。そう思うとなんだか見過ごすのももったいない気がして、つい三つも買ってしまった。ザ・キングトーンズの「グッドナイトベイビー」、加藤登紀子の「ひとり寝の子守唄」、小椋佳の「さらば青春」の3曲。みんな子供のころに口ずさんでたものばかりだ。私、加藤登紀子は歌える曲がないと思ってたけど、これがあったんだな。
 けど、歌詞カードはついてないし、保管はしにくいし、ちゃんとしたCD買ったほうがいいこたいいのである。まあ、ハナシのタネにって程度のものだね。


 チャット中にしげが帰宅。まだ11時なので、ずいぶん早い。
 仕事かと思ったら、ラクーンドッグさんの芝居の練習を見学に行ってたのだそうな。時間の余裕があったんなら、たまには家事の一つもしてほしかったものだが。
 私がチャットをしていたので、しげの機嫌がまた悪くなる。ネット使っていいよ、と言っても「いい、使わん」と拗ねる。「食事はどうする?」と聞いても「勝手に食べれば?」と素っ気ない。
 何を聞いても無視をするので、癇癪を起こして怒る。いつも繰り返してる喧嘩なので、「何度同じこと繰り返すんだ、いい加減飽き飽きしてんだよ!」と怒鳴ったら、しげ、「オレもアンタを怒らせるのいやなんだよ! もう出て行く!」と言い出す。
 「ホントに出て行くんだな? 自分の意志で行くんだな? 俺に追い出されただなんて思ってないな?」
 と念を押すと、「そうだ」と答える。
 しげの顔を見ると、いつになく真面目だ。泣いてはいるが、悔しげでもない。むしろサバサバした、といった表情である。なるほど、しげが覚悟してるのなら仕方がない。結局、しげと私とは縁がなかったということだ。
 そういうわけで、しげは荷物をまとめて出ていきました。どこに行ったかは知りません。もうしげがこの日記に登場することはないと思います。














 と思ってたら、30分くらいしてしげが帰って来ました。
 「何しに戻ってきたんだよ! 出ていったんじゃなかったのか!」
 「いや、だから出てったから帰ってきたよ」
 ……オレはおまえととんち合戦してるんじゃねえっっっっ!
 彦一かおまえは。


 マンガ、スタジオファンタジア原作・田代琢也作画『ナジカ電撃作戦』3巻(完結/メディアファクトリー/MFコミックス・540円)。
 アニメはずいぶん前に終わっちゃったけど、マンガはずいぶん引っ張ったねえ。アニメ制作再開をねらってたんだろうか。
 最終話は設定自体はアニメと同じ。ただ、アニメのほうはリラがヒューマリットの少年と旅立ってしまうが、マンガ版はあくまでナジカの相棒として終わる。どちらがいいとは言えないが、画面の緊張感はやっぱりアニメの方が圧倒的にあった。マンガ版の作者さんにもう少し絵心があったら、ナジカのパート2もありえたかもなあ、とか想像してみたりして。


 マンガ、田中憲「『ぼくら』連載漫画版 妖怪人間ベム』(講談社・1575円)。
 何で今ごろこういうのが復刻されるか、理由はよく分らないけれど、懐かしいからいいや。とは言え、私はこのマンガの存在をすっかり忘れていた。時期的に昭和43、4年ごろと言えば、『ぼくら』は確実に買っていたから、読んでないはずはないんだが。
 作者の田中憲は、今は「田丸ようすけ」と名前を変えているらしいが、それも私は全く知らなかった。
 しかし、絵が上手い。もちろん昔の絵柄であるから(少年マンガ時代の白土三平の影響を受けていることは見てすぐに判る)、古臭くはあるが、線が生きているのである。アニメのキャラデザはお世辞にも美しいとは言い難かったし、第一よく動いてなかった(^_^;)。が、マンガ版のベロなんか、目も口もよく動いているのである。こういうマンガ家さんが売れなかったってのは、なんとも勿体ないハナシだ。
 アニメでは語られなかった、ベム・ベラ・ベロの誕生秘話(アニメじゃ偶然生まれたようにオープニングで言ってたけど、実は彼らを作った人間がいたのである)や、パラパラマンガもあり、読み応えは充分。ただ、やっぱり値段が高過ぎ。売れないと思ってんだろうなあ(^_^;)。

2002年06月20日(木) 癒してくれなくていいってば/映画『怪盗ジゴマ 音楽編』/『夏のロケット』(川端裕人)ほか
2001年06月20日(水) べとべと、ぬめぬめ、もわああっ/『トガリ』3巻(夏目義徳)


2003年06月19日(木) 壊れる妻/『ゆうきまさみのはてしない物語 〜天の巻』(ゆうきまさみ)/『ロケットマン』5巻(加藤元浩)

 大友克洋監督の新作『スチームボーイ』が公開予定の10月には完成しないことがハッキリしたようで、バンダイビジュアルが公開延期を公表。
 「現在、完成に向けての最終段階の作業を続けておりますが、ラストのクライマックス・シーンが質・量ともに当初の予想をはるかに超えた緻密な作業が必要な状況に立ち至ってしまいました。最高の作品として完成させるために、甚だ遺憾ではありますが、今秋の公開を見送らせていただき、作品をベストな形で完成させた上で、改めて来年の公開に向けてチャレンジさせて頂くことになりました」ってことだけど、「チャレンジ」って何なんだそれは。映画制作は「仕事」だろう。いつから大友克洋は「冒険野郎」になったんだ。
 まあ、スケジュールの見積もりが甘いってのはアニメ制作にはツキモノなんだし(なんでそんな無理なスケジュールを立てるんだよって現場の意見は、初めから無視されることが多い)、未完成のまま公開した『火垂るの墓』とか『春エヴァ』、『ガンドレス』よりゃ良心的と言えるのかもね。
 しかし、こないだ『死霊のはらわた』の上映会で会った映像制作会社の知り合いも『スチームボーイ』に期待してたけど、そんなに大友克洋って信頼されてるのか。大袈裟なもの作るとあの人たいていコケてんだけどねえ。『メトロポリス』や『スプリガン』を見て、まだあの人に期待するか? っつーか、『アキラ』の時点で底が見えてたと思うんだが。
 どっちかと言うと、『老人Z』や『最臭兵器』みたいなギャグ路線の方が好きなんだが、そっち方面じゃ世界には紹介できないのかねえ。
 でもとりあえずは見に行くよ、鈴木杏出るし(^o^)。


 例のアンマンの国際空港爆発事件で、毎日新聞の五味宏基記者が記者会見。
 何度も頭を下げて、自らの不注意が引き金となって事故を引き起こしたことについて、「道義的責任を一生背負って生きていこうと思う」と語る。
 この事件の報道がまとまった形でなされるのもこれが最後になるんじゃないかな。イラク戦争も既に事後処理ってことでしか語られなくなってるし。
 まあ何度も書いてる通り、私は戦争そのものには何の興味もなくて、それすらもワイドショー感覚で楽しんでる脳天気な人々の方にずっとお笑い感覚を刺激されてしまうわけだが、この五味記者が最終的にイラク報道のオチをつけてくれたって点で、全く世の中というものはよくできていると思うのである。こういうバカが最後に登場してくれたってことが天の配剤なのかねえ。
 もちろん五味記者はただのバカなんだけれど、博多弁で言えばこういう人が「のぼせあがり」なんである。「戦場だってことを自覚してなかったのか」という批判は実は当たっていない。「ホンモノの戦場」だからこそ、爆弾拾って帰ろうなんて非常識な思いに駆られちゃったのだ。「イラク戦争を取材した証しを持っておきたかった」なんて五味記者のコメント、「甲子園の土」と同じ感覚ではないの。
 でも、そういう感覚にとらわれてなかった日本人があの戦争の最中にどれだけいたかね。ヒステリックに反戦を唱えてた連中も、アメリカべったりだった連中も、本質は五味記者とたいして変わらんがな。もしそこにそいつらがいたら、爆弾ならずとも「何か」を持って帰るくらいのことは「のぼせあがってた」日本人なら誰だってしかねなかったと思うがねえ。実際、してるんじゃないか。
 五味記者は、戦争のさ中にいたからって、必ずしもその実態を理解できるものではない、ということを証明してくれたことで、凡百の「戦争論」を机上の空論化してくれた。戦争体験者だって国際通だって、所詮は自分の知る狭い範囲でのモノイイしかできゃしない。日本人がエラソウに戦争を語ること自体、今や滑稽なんである。
 いつもはこういう「バカの罪」が報道されるたびに、救われない気分になるのだが、今回は私としては「功」はあったなあと思う。何かを語ることを仕事にしてる人たちを別にして、一般大衆が自分に関係ない戦争について訳知り顔で語ることくらいバカなことはないってこと。


 朝方しげがまた「気分が悪い」と言うので、仕方なくタクシーで出勤。
 ところが台風のせいで仕事が全部キャンセル。しょうがないから有給取って帰ろうかとも思ったけれど、バスが動いてないので帰れないのでありました(-_-;)。しょうがないから一日雑用。合間に読書、『八つ墓村』なんかを読み返す(だいたいいつも本は何冊か持ち歩いているのである)。
 こういうのんびりした日って、久しぶりだけど、それが台風のおかげってのも何だかねえ。

 夕方まで待って、しげを電話で呼び出す。1時間だけ有休を取って、一緒に食事をするつもりだったのだが、迎えに来たしげの格好を見て驚いた。
 先日、日記に「虎柄のシャツ着てた」と書いたが、今日のしげは毒々しいまっ赤な花柄のハデハデシャツに例の黄色いサングラスである。女じゃなけりゃ、どう見たってただのヤクザだ。
 「何だよその格好は!」
 「売ってるシャツなんだからいいじゃん!」
 そういう問題ではないのである。
 「なんでそこまでいやがると!?」
 「なんでそこまで恥ずかしくないんだよ! おまえはそんなやつじゃなかったろ!?」
 「おとなになったんだよ!」
 違う。それは絶対に違う。
 でも、どう説得しても、話が全くかみあわないから何の効果もない。
 なんかさあ、『ここだけのふたり』で、夫にかまわれなくなったたきえがどんどんオカシクなってったのを思い出すなあ。しげが壊れてってるのも私のせい? 私がしげに何か悪いことをしたとでも言うの?(T∇T)

 リンガーハットで冷麺(ゴマダレ)、蒸し鶏ちゃんぽん、皿うどんを頼んで分け合い。しげ、蒸し鶏を食べながら「こういう薄味のほうがいいよね」とか言ってるが、充分濃いと思う。味覚はまだ変わってないのだな。
 しげの話によれば、今フェア中の皿うどんのファミリーパック、4食入り税込み503円ナリを、一店につき百個売らなきゃならないノルマがあるそうである。とは言え、ウチの職場じゃそういうのを宣伝するの、禁止されてるしなあ。こういう販促には全く向かない職場なんである。
 誰か買ってくれませんか(^_^;)。

 帰宅したころから、頭痛が激しくなって来る。台風のせいか。いや違うよな。腹が重いのは便秘のせいだと思いたい。
 昨日の日記を書いたりしてるうちにガマンができなくなってきたので、しげが仕事に出かけたあとははやばやと寝ることにする。
 てなわけで、今日はチャットもなし。お待たせした方、申し訳ありませんでした。


 ゆうきまさみ『ゆうきまさみのはてしない物語 〜天の巻』(角川文庫・680円)。
 まさかこれまで文庫になるとは予想してなかった。あとがき対談(ゆうきさん&井上伸一郎)も載ってるので、単行本持ってても買っちゃった。でも文庫で結構薄いのに、七百円近くもするのである。文句は言わないから、給料上げてくれ。駄目か。
 対談で『ニュータイプ』創刊時のエピソードを読んでいると、具体的には書かれていないけれども、角川春樹の功罪って、手塚治虫に匹敵するんじゃないかって気がしてくる。アニメファンをジブリ系とオタク系に分けちゃったというか垣根を作ったというかね。本来そこまで対立するはずはないんだが。『幻魔』作ってたときはそうでもなかったけど、やっぱ『サイレントメビウス』作ったあたりからなあ(^_^;)。
 ゆうきさんが宮崎さんの映画を「あれはオタク文化じゃないからな」と語っているのが何だか寂しいのである。確かに批判されるべき点はいくらでもある。実際に宮崎駿映画を見に行ってる連中の大半がアニメとしての価値をほとんど見ようとしてないってことも確かだ。けれど、宮崎駿の「技術」を評価できないオタクって、じゃあ何を評価してるんだって気がしてくるんだがなあ。
 あと、原田知世話で盛りあがってるのは本当に懐かしかった。私は未だに薬師丸ひろ子と原田知世を見捨ててはいないのである(* ̄∇ ̄*)。


 マンガ、加藤元浩『ロケットマン』5巻(講談社/KCGM・410円)。
 前巻から「水無葉の事件簿」って感じになって、『Q.E.D.』との差別化がちょっと付きにくくなってるキライはあるけれど、誠実な創作姿勢は変わりがない。ただ、世界を舞台にするために「T.E.(トゥルー・アイズ)」という国際情報組織を設定したのは便利ではあるけれど、葉みたいな情に流されやすい子供をエージェントにするのかなあ、という疑問はどうしても付いて回る。もう少し「葉を使うメリット」をアイエネスが示してくれたらなあ、と思うんだが、それともそれがこの物語の根幹になってるのかな。もっとも、そういう細かいところにも注文をつけたくなるのは、それだけ加藤さんの描くもののレベルが高いからなんだけれど。
 でも、最初のエピソード「影がゆく/虎よ、虎よ!」はちょっと出来が悪い(^_^;)。「災いを招く本」の保管を以来される葉だったが、初め謎のような絵が描いてあったはずの本が、いつの間にか白紙の本にすりかえられていた。一度も手放ししてなかったはずの本がなぜ?
 これって、謎というほどのものじゃあないんだよね。ミステリ読み慣れてる人なら、すぐにトリックもその背景も気がつくし。この程度の謎なら、もっと単純な始末の仕方があるように思わせちゃうのがやや失敗。
 2本目は「金属モンスター/天の向こう側」。こちらのほうが読み応えがある。「T.E.」の創設時からのメンバー、ビント・ベルガー。元ソ連のロケット開発者の一人である彼は、ミサイルの誘導制御装置を入手して、「どこか」を破壊する計画を練っているらしい。調査を依頼された葉は、彼が、現在生死不明の葉の恩人、「R」の友人であることを知る。
 フォン・ブラウンも回想シーンに登場して語られるV2ロケットの開発の歴史と悲劇。それがビントの「動機」に重い説得力を与えている。「守りの女神」という謎の言葉があっさり解かれちゃうという物足りなさはあるけれど、やはり推理モノは人間ドラマとして描かれてることが命だ。
 新本格作家の作品をどうにも好きになれにいのは、やっぱり「推理モノが人間描けてなくて何が悪い」って開き直ってるからなんだよなあ。そりゃ、推理もの以前に小説じゃないでしょ。
 今巻でどうやら「R」の消息も知れてきた。次巻は更に盛りあがってきそうな印象である。推理ファンなら、今、加藤さんの作品を見逃すと損だよ。

2002年06月19日(水) VS借金取り(^o^)。って、笑ってる場合かよ/『卓球戦隊ぴんぽん5』(桑田乃梨子)ほか
2001年06月19日(火) 孤独な自転車乗り/『となりのののちゃん』(いしいひさいち)


2003年06月18日(水) 「日本人」という名の妄想/『少年名探偵 虹北恭助の新・新冒険』(はやみねかおる)

 昨日、タクシーに乗ってて、ラジオから流れてきた話。喋ってたのは多分、栗田善成。
 林家ペー、パー子のことであるが、あの「ペー」がカタカナなのかひらがななのか、みなさんご存知だろうか。私ゃ気にしたこともなかったんだが、パー子さんがカタカナなんだから、当然カタカナだろう、とお考えの方も多いかもしれない。
 ところがさにあらず、マネージャーさんに問い合わせたところ、正解は「縦書きのときはひらがなで、横書きのときはカタカナ」なんだそうな。テレビや雑誌の表記がそれを忠実に守ってるとはとても思えないが、ご本人には拘りのあることなのかもしれない。
 けど、筆記体ならともかく、普通、「ペー」のひらがなとカタカナの区別ってつかないよなあ。この日記の字体だと、ひらがなは「ぺー」で、カタカナは「ペー」。わかんねーよ(^_^;)。
 ついでに言っとくと、もともとペーさんの芸名は「林家平平」と書いて、「はやしや・ぺえぺえ」と読ませていた。もちろん「おまえなんかいつまで経ってもペエペエだ」という意味である。ところが、いつの間にか「平」が一つ落ちて、「林家平」と書かれるようになった。これでは「はやしや・たいら」と読まれてしまう。そういうわけで「林家ペー」と表記することにしたのだとか。


 台風6号、九州接近。
 と言ってもコースを見るとちょうど朝鮮と日本の間を通りすぎるような感じで、それほど被害は出ないのではないか。今年はどうもカラ梅雨っぽいし、少しは雨が降っといてくれないと、また夏場の水不足を招きかねないので、今回の台風はどっちかと言うと歓迎した方がよさそうだ。
 今朝もしげは朝帰り。7時に電話をかけてきて、「今日は早出?」と聞いてくる。仕事が終わってまたどこかでバイト先の人と朝までくっちゃべっているのである。で、ウチに帰ったらまた夜まで寝こくつもりなんだから、もう完全に家事をしようって気なんかないのである。食った栄養が全部ちちに行ってるやつはこれだから。
 

 昨日まで、がんばって仕事したので、今日は少し時間の余裕がある。
 雨も降ってたので定時に退社。ちょうど通りがかった同僚が車に乗せてくれたので、いつもは歩いて15分かかるバス停まで運んでもらった。少しは雨に濡れずにすんでありがたい。
 いつもは連絡がうまく行けば1時間とちょっとで帰宅できるのだが、雨のせいでバスも遅れがちである。結局1時間半かけて帰宅。でも、バス待ちの間にコンビニでレトルトカレーとコロッケを買えた。これが今日の晩飯。


 9時から『ザ!世界仰天ニュース』を見る。
 「少女ユウコの100日間」。
 吉岡忍のノンフィクション『日本人ごっこ』で詳しくルポされてる、タイ人の女の子の日本人なりきりっ子事件だけれど、まあ、1時間のテレビ番組だし、深い掘り下げがないのも仕方がない。
 1986年、タイのバンコクに、日本大使の娘・ユウコ(番組内では紹介されなかったが、これはタイでも放送されていた『おしん』の田中裕子から取られている)と名乗る少女が現れた。彼女はある名門大学にやってくると、たどたどしいタイ語で、タイ国内の観光案内を頼む。日本大使館のサイン入り証明書も持っていた(もちろん偽造)彼女を、すっかりホンモノと信じた学生たちは歓待する。
 「日本は努力して発展した。あなたたちタイ人も頑張らないといけない!」と、学生たちにお説教をするユウコ。日本コンプレックスの強いタイ人たちにそういう強い口調で言えば、彼らをダマすことなどたやすい、ということを、彼女は肌身で知っていたのだ。
 日本の桜に関する文献を軽々と翻訳し(これも図書館で猛勉強して訳した)、彼女の「日本人ごっこ」は2ヶ月以上に及んだ。ある時は区役所まで騙し、警官を護衛につけて地方視察までやってのけた。しかし、調子に乗った彼女は大きなミスを犯す。入手不可能と言われた中国舞踊団のプラチナチケットを希望者に取ってあげると約束したのだ。しかし、ニセモノの彼女にはそんなことができるはずもない。
 ウソはバレた。彼女の正体は、出稼ぎでバンコクに出てきた、ごく普通のタイの田舎の少女だった(テレビでは流れなかったが、本名はカンティア・アサヨット)。

 テレビはその結末を語っただけで、ゲストもたいしたコメントを付けずに終わってしまったが、ノンフィクションを著した吉岡忍氏は、数年後にカンティアを探し出してインタビューを試みている。吉岡氏の興味は「なぜ日本人になりすまそうと思ったのか」を問い質すことで「タイから見た日本」を浮かびあがらせよう、ということだったのだろうが、私の専らの興味は、「この子は自分のウソにどう始末をつけるつもりだったのだろうか」ということだった。どう考えても「いつかはバレる」ウソだということはわかっていたと思うのだが。
 恐らくそれは違うのだろう。彼女は「自分が本当に日本大使の娘のような気になってきた」と語っている。彼女が一番初めに騙していたのは他人ではなく、自分だった。彼女はタイ人の日本人への憧れを利用して日本人になりすましたのだが、誰よりも日本に憧れていたのは、カンティア自身だったのだ。
 この事件を考えるとき、日本人である我々はどんな感慨を抱くだろうか。そのように憧れられることに面映さを感じるものもいるだろうし、もっと強い、拒絶感を感じるものもいるだろう。
 けれど、そう感じる日本人たちこそ、実は「日本人ごっこ」をしているとは言えないだろうか。つーか、アイデンティティってもの自体、ただの妄想って言えば妄想なんだからね。なんかまた、押井守的に夢と現実がどうのこうのって話になりそうだから、これ以上の感想は控えます(^o^)。


 続けて、『新・夜逃げ屋本舗』第10話。
 源氏(中村雅俊)は、不良少年の借金取りに追い込まれている中年の教師・宮島健作(山田辰夫)に出会う。ところがこの少年は、家出中の宮島の一人息子・友明(塚本高史)だった。
 友明は、交通死亡事故を起こした彼の友人を、父親が警察に売ったと信じこんでいた。源氏は、宮島の夜逃げの方法を考える一方で、なんとか二人を仲直りさせようと奔走するが……。

 見よう見ようと思いながら今まで見逃していたこのシリーズ、キャストが映画版と一新されてるのは残念だし、夜逃げのテクニックがあっさりしてるのもいささか拍子抜けだけれども、もともと「借金したって無責任に逃げちゃえばいいじゃん」というコンセプトが好きなので、細かいところに文句をつけようと思わない。できればまた映画版を作ってほしいと思っているくらいである。
 しかし山田辰夫がこんな実直な教師を演じるようになったんだなあ。昔は不良少年「しか」、演じないような印象があったんだけど。


 はやみねかおる『少年名探偵 虹北恭助の新・新冒険』(講談社ノベルス・777円)。
 同時発売のもう一冊だけど、仕事が忙しかったんで、読むのに時間がかかってしまった。
 『春色幻想』『殺鯉事件』『聖降誕祭』の三本立て。一応今回は恭助が三作とも登場するけど、やっぱり主役はカメラ屋の若旦那のような気がするのは私だけだろうか(^o^)。後ろの作品リストにもこれ、「虹北恭助」シリーズじゃなくて、「虹北商店街」シリーズって書かれてるものな。
 マンガの少年探偵はたいていトシを取らないけれど、小説の場合はちゃんとみんなトシを取るのが一般的。不登校の恭助君も、年齢だけは15歳、ヒロインの野村響子ちゃんともども、本当なら中学三年生のはず。もちろん「本当なら」ってのは一般常識のワクから捉えた感覚的表現でしかないので、恭助君は小学校卒で正しい。
 たまにしか虹北商店街に帰ってこない彼だけれど、どうやら故郷で暮らすことを決意したらしい。次巻からは「高校生編」ということだけれど、中学行ってなくて高校どうやって入れたのか、それが一番の謎かも。
 『春色』はまあまあ、『殺鯉』は捻り過ぎ、『降誕』はムリがあるって出来だけれど、無意味でドロドロな殺人がないだけ読後感はいい。ただ、お話全部、「冒険」にはなってないよなあ(^_^;)。

2002年06月18日(火) 狂乱の終わり……始まり?/『横溝正史に捧ぐ新世紀からの手紙』(角川書店)ほか
2001年06月18日(月) オンナノウラミ/『うる星やつら 努力、女の道!!』(高橋留美子)


2003年06月17日(火) どうせみんな買うんだ(T∇T)/『おまえにチェックイン!』1巻(桜木さゆみ)

 朝方、しげは「寝違えて背中が痛い」と言って起きて来ない。
 この寝違えというのをしげはしょっちゅう起こす。寝相が人一倍悪いせいもあるが、もう一つは人一倍ちちがでかいからであろう。
 なにしろ、上を向いて寝ると胸が圧迫されて苦しい、というので、普通に寝られない。だから横向きで寝るのだが、そうするとかたちちがかたちちを圧迫して痛い。だから細長い抱き枕をちちとちちの間に挟んで寝るのだが、寝相が悪いから、寝ている間に右向いたり左向いたりする。ぶっとい抱き枕抱いてそんなことしてたら、寝ながら枕相手にプロレスしているようなものである。これで寝違えるのは、当たり前、当たり前でしょう〜♪
 しかし世の中のちちの大きい人は、寝る時みんなこんな苦労をしているのだろうか。

 ということなので、職場へは久しぶりにタクシーで行きました。要領のいい運転手さんだったので、「その道右へ、左へ」とのこちらの指示にちゃんと反応してくれる。結構高い確率で道を曲がり損ねる人いるんだよねえ、「いやあ、道が見えませんでした」とか笑ってゴマカシてさ。余計に走った分、運賃割引するくらいしろよって。
 今日は10分と少しで職場に着く。道に慣れたしげですら20分かかるのに、たいしたものだ。でも、こんなに近いのに、どうして公共交通機関を使うと1時間半もかかるのか、未だに納得がいかない。


 昨日に引き続き、今日も残業、帰宅が9時過ぎ。
 外は台風6号が近いとかで、小雨がぱらついている。つまんないことに拘る人たちと仕事をしているので、からだも気分もすっかり疲れている。外ももう真っ暗だし、風の音もうそ寒いと来れば、元気の出ようもない。
 それでも昨日よりは30分くらい早く帰れたので、食事する時間も日記を少し書く程度の時間は取れた。でも作ったのは簡単に目玉焼き丼。

 チャットの過去ログを覗いてみると、こうたろう君改めグータロウ君(なんだか「岩之森章太郎改め山止たつひこ」みたいね)が、「食生活を改善しろ」とのお言葉。ありがたいし、そうしたいのは山々だが、そのためには今の仕事を辞めるしかない。
 でもだからと言って、転職できるかどうか、この不況では到底心許ないし、仮にできたとしても職場環境が今よりよくなる保障はどこにもないのである。運が悪けりゃ死ぬだけさと、某なつかしドラマの主題歌みたいなことを嘯くしかないのよ。

 今日のチャットは、ヨナさん、鍋屋さん。
 東芝がDVD−RAM、DVD−RW、DVD−Rの3種類のメディアに対応できるという触れこみで七月に発売予定の「RD−XS31」、鍋屋さんはあまりお好きでないようである。私はちょっと心が動きかけてたのだが、鍋屋さんのお勧めは同じHDD&DVDビデオレコーダーでも「RD−X3」の方らしい。
 実のところ何をどう奨められても、ウチではしげの「ソニーのこれがいい!」で決まってしまうので、あまり意味がなかったりするのだが(ー∇ー;)。
 ブルーレイディスクも普及しないんじゃないかと鍋屋さんはお考えのようだが、私が映像関係のハードやソフトをできるだけ買うようにしてるのは、必ずしも個人の趣味ばかりでなく、知り合いが多いので、各人のハードに対応するためだったりするのだ。だもんで、もう、ビデオ時代にゃVHSもベータも両方買っちゃったわけですよ。
 要するにいずれ私は出るものは全部買うことになるので、どっちを買ったらいいのかなあ、なんてあまり迷わないですむのである。とりあえず今回はこっちを買おうってあっさり決まっちゃうのだな。ブルーレイもいずれ買うでしょう。特にそれでしか見られない古い映画とか出された日にゃあね。
 でも当然、おカネはどんどん出て行くのだよ(T∇T)。


 マンガ、桜木さゆみ『おまえにチェックイン!』1巻(ぶんか社・780円)。
 なんかしげがまたマンガ買ってるなー、と思ったらこんなんでした。えー、どーゆーマンガかって言うと、4コマエロギャグです。
 表紙がヒロインののりこちゃんの下着姿ですね。キャッチコピーは「私、のりこといいます。沢田さんというカレシがいます。」当然、この「カレシ」というのは語尾が上がるのでしょうね。
 この子の頭ん中はへとんどHです。あるいはうんこです。何しろHの最中でも気持ちよくなるとうんこをしちゃうのですよ(^_^;)。別にスカトロプレイがしたいわけではなくて、これがのりこちゃんの自然なんですね。
 ランブータンを見たら、股間に二つ並べて「きんたまっ」と叫ぶ。オデンのウインナーを見て「ホーケイちん○○」と言ってニコニコ笑う。沢田くんから「すぐ薀蓄たれるね」と言われたら「なんで知ってるんですか、高2の夏のことを」と青ざめる。違うだろう、それ。
 短小でホーケイですぐイク沢田くんとのHにも全然満足してないし浮気もちょくちょくしてるのに、なぜか別れずに付き合っている。
 こういうマンガ、私はおもしろいんだかつまらないんだかよくわからないんだけど、鴉丸さんあたりが読んだらおもしろがるんじゃないかなあ。あるいは「この程度?」とかいうかもしれんが。
 ……そうか、特に読んでて笑いもビックリもしなかったのは、のりこちゃん程度の女の子なんていくらでも知ってるからなのだな。オレってつくづく女性に幻想持ってないのね。これって幸福なのか不幸なのか。

2002年06月17日(月) 范文雀はプロレスラー!?/『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを造った男たち』(武田康廣)
2001年06月17日(日) 父の日延期(^_^;)/映画『高校教師』


2003年06月16日(月) 書くことない日はない/『Holy Brownie ホーリープラウニー』2巻(六道神士)

 仕事が忙しくて、帰宅が10時直前。
 こうなると、日記書いて、チャットして、それで寝るだけだから、日記に書くこと何もないなあ、と思っていたら、新聞に春風亭柳昇師匠死去の報。死因は胃がんで、享年82。
 近年、ずいぶん痩せ衰えていらっしゃったし、入院されていたことも話に聞いてはいたので、いきなりのショックは受けなかったが、やはり寂しい。
 いくつかオタク系の掲示板を覗いてみると、「あの春風高校の柳昇校長が」という形で話題になっている。……なんだか、落語家が亡くなった時の追悼の感じじゃないねえ(-_-;)。
 だいたい「ヤナギノボル」ったって、そりゃあくまでゆうきまさみのマンガのキャラクターであって、柳昇師匠とは関係ないじゃん、オタクの判断思考って、やっぱり我田引水、牽強付会なところが多すぎないか、志ん朝師匠のときは冷淡だったのに、こういうおかしな追悼の仕方をするのか、とちょっと憤慨したいところなのだが、実は柳昇師匠、CDでしっかりと柳昇校長を演じているので、文句はつけられないのである(^_^;)。パンフのコメントにもあったが、ご本人は出演をとても喜んでおられたらしい。
 ましてや、『究極超人あ〜る』映画版の監督、知吹愛弓氏は柳昇師匠のご子息だから、オタクの反応が強いのも仕方がないところだろう。実際、私だって、一番印象に残ってるのは、『究極超人あ〜る ザ・夏祭り』上映会で、師匠がビデオゲストで登場して「ヤナギノボルと言えば、日本で私ただ一人でございます」と、ご自身のネタを自らパロって見せたことだった。こういうおおらかさが持ち味の人だった。
 落語好きの私ではあるが、ナマで見たことのある落語家さんはごく少数である。柳昇師匠だって、さて、テレビでどれだけ見たか、さほど記憶にない。こういうとき、寄席通いを子供のころからしていたこうたろう君改めグータロウ君のような東京人が、うらやましくなるのである。


 マンガ、六道神士『Holy Brownie』2巻(少年画報社/ヤングキングコミックス・520円)。
 ピオラとフィオの極楽妖精コンビのお助けタイムトラベルも第2巻。『エクセル▽サーガ』よりもSF度が高いところが私としては好みなとこなんだけれど、ギャグなのになんか読んでると切なくなってくるのよ、これが。
 それは多分、ピオラたちが救おうとしてる(たいてい救えないが)人間たちがものの見事にバカ揃いだからだろう。
 自分に才能があると信じて、妻を顧みない科学者。
 竜宮城に帰ることを夢見る年老いた浦島太郎。
 薬草を取りにのこのこ森に入りこんで山賊に犯された村娘。
 ロクデナシの夫を抱えて仕方なくヘンゼルとグレーテルを捨てた継母。
 恋人の「正体」も知らず、城にさらわれた彼女を救いにいく青年。
 救ってやるほどの価値もない彼らを、神様はどうしてピオラたちに「何とかさせよう」とするのか。
 それもまた予定調和の一つなのか。神の掌の上で踊らされていることを彼らは知らない。しかし、それは我々読者とても同じことではないのか。
 つまり、作中に登場するバカな面々はまさしく我々の象徴であり戯画化なのである。どうして同情せずにいられるだろうか。

2002年06月16日(日) 悪態つくのは照れ隠し/『おしのび倶楽部』(横山えいじ)ほか
2001年06月16日(土) 通産12時間睡眠/『QUIZ』下巻(浅田寅ヲ)


2003年06月15日(日) 父の日に父から奢られる話/映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』/『20周年アニバーサリー 死霊のはらわた』

 昨日の日記の続き。

 博多駅に6時半に到着。先に手早く食事を取ることにする。
 バスステーションの地下のオープンベーカリーで、カレーパンにチーズパン。しげはグラタンを食べるが、寝起きなせいですぐに胃にもたれる。そうなるとわかってて「でも食べるもん」と言うのだから処置なしである。


 シネリーブル博多駅で、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』。
 本来、この作品はテリー・ギリアムによる『ドン・キホーテを殺した男』のメイキングになる予定であった。
 ところが、数々の予想も出来ないアクシデントにより、制作は撮影開始後わずか6日で頓挫してしまう。
 ハリウッドに総スカンされてヨーロッパでの全面製作への変更、スポンサーの突然の出資拒否による制作規模の縮小(それでも4000万ドルから3200万ドルにちょっと下がっただけ。最低でもそれくらいはないとギリアムのイメージを具現化できないのだ)。
 役者が来なくてリハーサルもできない。せっかく作った道具は作りなおし。セットを組むスタジオに行ったら防音設備がないことを知ってキャンセル。撮影前からどんどん悪い知らせばかりが届く。監督は叫ぶ。
 「FRAGILE!(ぶっ壊れそうだ!)」
 ようやくドン・キホーテ役のジャン・ロシュフォールが到着、タイムスリップしてサンチョ・パンサに間違われる現代の青年トビー役のジョニー・デップと意気投合する。ようやく雰囲気は上向きになるかに思えた。
 ところが撮影第一日。エキストラのリハーサルが出来ていない。ロケ地はなんとNASAの基地の近くであった。1時間置きに飛んでくるF−16の爆音。それでも撮影を強行するギリアム監督。
 二日目。
 突然の雷雨。撮影機材がアッという間に濁流に流された……。

 このあと、どんな不運が映画を襲ったかは詳述しないでおこう。あまりに見るに忍びないからだ。結果的に、この映画は「完成しなかった映画のメイキング」という奇妙なものになった。
 子供のような嬉々とした表情のギリアム監督の顔がどんどん険しく、厳しく、暗澹たる影に覆われていく過程は見ていて辛い。

 反面、疑問も生まれはする。なぜここまで不運がギリアム監督を襲うのか? スタジオやロケ地の選定など、事前に調べようとすれば出来ないはずはなかったのではないか。あまりにも不自然である。
 パンフレットでミルクマン斎藤氏と行定勲氏が推理する。この映画そのものが実は「フェイク」なのではないかと。初めから「メイキング」としての映画を作ったのではないかと。
 その可能性も考えられないではない。しかし、そうだとしても『ドン・キホーテを殺した男』が未だに作られていない、という事実に変わりはない。そしてギリアムは、まさしく自らの集大成かつ渾身のエンタテインメントとして、今もなお『ドン・キホーテ』を作ろうと決意しているのだ。
 ホンモノだろうと、フェイクだろうと、この映画の収入が、少しでもギリアム監督の映画制作のための資金になるのならと、喜んで映画を見に来るファンもたくさんいるだろう。なぜなら彼らは知っているからだ。
 ギリアム監督の映画にかける情熱が、同じくホンモノなのだということを。

 見終わっていったん外に出る。
 このままもう1度中に入って、今度はレイトショー『20周年アニバーサリー 死霊のはらわた』を見るのだが、既に外には長蛇の列が出来ている。
 最前列に並んでいるヒゲヅラの若者二人とふと目が合って驚く。昔の知り合いである。
 「何でこんなとこにいるんですか?!」
 「いや、今、映画一本見て今度は『死霊のはらわた』見ようと思って」
 「……さすがですねえ」
 何がさすがなんだかよく分らないが、しばらくぶりだったので、近況などを語り合う。一人は昔から映像関係の仕事をしたがっていたが、今や自分で映像制作会社を立ち上げて、イベントのオープニング映像などを何本も手がけているそうだ。
 「まだ、夢、捨ててませんよ。いつか劇映画撮ります」
 「いいねえ。山村浩二さんの例もあるし、やれるんじゃない?」
 随分お気楽に保障しちゃったが、もう作品作って生活も出来ているのなら、そう不可能なことでもあるまい。
 今日は、このレイトショーの主催の方が知り合いなので、応援のつもりで来館したとのこと。数日前の西日本新聞で、その金丸さんという方のインタビューが記事になっていて、「福岡にもっとホラー映画を根付かせたい」と語っていたことに意気を感じていたのだが、まさか知り合いの知り合いだとは思ってもみなかった。

 上映前に友成純一さんのトークショー。
 『幻影城』デビュー当時から友成さんの原稿は好きで読んでいたのだが、いきなり「私の原稿、町山君が結構、手を入れててねえ」と切り出したのには驚いた。町山君というのはもちろん映画評論家の町山智浩氏のことである。友成さんが大雑把な性格なのに対して、町山氏はデータに細かい几帳面な性格。だもんで、友成さんが適当な原稿を書くと、町山さんが不備を正して、更にはウンチクを「勝手に」付け加えてくれるのだそうな。
 「ファンから、『さすが友成さん、よく知ってますねえ』なんて言われるんだけど、書いた覚えないんだよ」
 と笑っておられたが確かに友成さん自身は大雑把な性格のようだ。普通はそこで困っちゃうものだと思うけど。
 サム・ライミとシッチェス映画祭で初めて会ったときのエピソードも面白かった。なんとサム・ライミの方からいきなり友成さんに声をかけてきたそうだ。
 「オウ、オマエ、ニポン人カ? アニメ好キカ? マンガ好キカ? ニポンノアニメノコト、イロイロ、教エロヤ」
 ってな調子だったそうだ。サム・ライミが日本のマンガオタクだったことは知ってたが、見も知らぬ日本人にいきなり声をかけるほどのやつだったとはなあ(^_^;)。
 今やすっかり下火になってしまったスプラッタ・ムービーだが、友成さんはそれを1980年代のビデオデッキの普及とバブル経済と重ねて説明する。それ以前ならお蔵入りになってしかるべき映画が、ビデオで簡単に見られるようになったこと、これが大きいと仰る。
 「で、バブルが弾けてスプラッタもはじけちゃったと」
 何かオチがついたところで、いよいよ『死霊のはらわた』の上映である。
 友成さん曰く、この映画の見所は、「ヒロインが襲われるシーンの色気のなさ」だそうな。普通、ホラー映画はエロ映画でもある。ところが敬虔なユダヤ教徒であるサム・ライミは、どうしても女性に対してオクテな描き方しかできないんだそうである。『ダークマン』しかり、『スパイダーマン』しかり。そう言われるとそんな気がしてくるような。

 今更これだけ有名な映画を説明するのもなんだかなあ、と思うのだが、実は私はこれが初見なのである。パート3の『キャプテン・スーパーマーケット』は見てるんだけどね。
 3はすっかりお笑いになっちゃってたんだけど、第1作はマトモなホラー映画かと思ってたら、やっぱりどこかヘンなのであった。一応ニュープリントなんだろうけれど、どうも色調自体が70年代っぽく見えて古臭い。当時も多分「古い」と思われてたんじゃないか。
 もう、山小屋に5人が向かうファーストシーンから、作りが適当なことと言ったら。色調はカットごとに変わるし、ブルース・キャンベルの隣の女の子がカットごとに消えたり現れたり。テリー・ギリアムが見たら怒るぞ(^_^;)。
 トラックとのすれ違いショックシーンも全く無意味。でも、山小屋に入った途端、演出が急に懲り出す。漏れ込む光に揺らめく埃、斜めのアングルを多用して画面に不安感を与えるのは『第三の男』のテクニックだ。
 「自分が何を撮りたいか」が、ハッキリとわかる。確かに80年代にこれを見ていたら、「俺もこんな好き勝手に映画を撮ってみたい」と思ったかもしれない。
 でも「撮りたいものを撮った」からと言って、面白くなったかどうかってのは、まあ、こういうのはカルトだからねえ。どんなに気持ち悪いメイクして「悪霊憑き」を演じても、「メイクじゃん」としか思わないので全然怖くないのである。隠れて、次にどこに出てくるかもわかるし。
 一度死んでも蘇えってくるので、これも一種のゾンビなんだろうが、目を閉じて死んだフリしてキャンベルを襲う、なんてドリフみたいなギャグ、やるかな、フツー(^_^;)。
 しかし、このチープな映画の監督さんが今や、ねえ。
 しげは映画の間中、やはり私の指を握りっぱなし。手を握るのではなく指を握るのである。手を離しても離しても握りしめてくる。おかげでまた映画が終わったころには左の手の感覚がなくなってしまっていた。だからおまえ、フツーの女より握力倍あるんだから、少しは手加減してくれ。

 帰りに「めしや丼」に寄って「彩(いろどり)弁当。小分けにしたオカズはお煮しめ、掻揚げ、かしわ、ミニバーグ、芋の煮っころがし、冷奴、野菜の天麩羅など。実に健康的なことである。




 でもって今日の日記。

 ゆっくり朝寝をするはずが、またまた七時前に早起き。
 だもんで、休日の朝の特撮・アニメ三昧。しげは芝居の練習に、といういつもの日曜の始まりである。
 なんだかお爺さんは柴刈りにお婆さんは洗濯にという雰囲気だが、桃がどこかから流れてくる気配はない(←面白いのか?)。
 『金色のガッシュベル!!』、ついにフォルゴレとキャンチョメが登場。私ゃ本筋に関係ないこういう脱力ギャグ編の方が好きだな。いやもう、ただひたすら「チチをほげ」の無意味さ、下らなさね。ああ、ちゃんとメロディーあったんだ、この曲、って感じでした。
 『鉄腕アトム』は斜め見。なんかこないだの天馬博士の「私は神だ」発言で、ちょっと続けて見る興味が薄れてしまったんである。ロボットサーカス団に育てられた少年の話って……。これ、『アトム誕生』の焼き直し? まあ、結末が見える分、お話自体もそんなに面白くないのであった。


 昼寝して、起きて、また寝て、もう一度起きて日記書き。
 ちょっと更新が追いついたら、一日に書く分量がまた長くなってしまって、すぐ疲れてしまうのである。もちっと簡単に書きゃいいものだが、やっぱ面白い本を読んだりしたら、つい書いておきたくなるのだね。
 でも、書いても書いても終わらない(-_-;)。いい加減でハショるが、それでも規定枚数の20枚は軽く突破してしまうのである。
 もう、ほかに読んだ本のや見たテレビの感想とか、ニュースについての意見とか、そんなものは書いてる余裕がないのである。


 夕方、父から電話。
 父の日の晩餐に誘われたのだが、しげがまだ練習から帰ってこない。あわててしげに連絡を入れるが、渋滞に巻き込まれているとのこと。
 「鴉丸が布団買うって言うから、運んできた」
 「そりゃいいけど間に合うように帰ってこいよ」
 6時10分、ようやくしげが帰ってくるが、待ち合わせは6時半である。本当は店まで二人で歩いていく予定だったのだが、とても間に合いそうにないので、車で行くことにする。
 今日のしげのいでたちは、ゴリラの顔のTシャツの上に水墨画風の虎の絵をあしらったアロハ。しかも黄色くて細長い釣り目気味のサングラスなんかをかけてるものだから、見るからにチンピラヤクザである。
 「いいっしょ?」
 とかなんとか言ってるが、そんな格好で街中でヘンなやつに絡まれたらどうするつもりだ。もともと頭が悪いからって、なんであえて頭の悪い格好をしなきゃならんのか。やっぱり頭が悪いからだろう。せめてサングラスだけは外させる。

 店はかに料理「甲羅本店」。本店と言っても店の名前がそうなので、本当の本店は熊本にある。福岡も昔に比べて、かに料理の専門店が増えた。
 6時25分に到着したが、父と姉はもう着いて待っていた。あと、姉のご両親がまだ来ていない(こう書くとヘンな感じだが、実の姉ではないのでこういう表現になるのも仕方がないのである)。
 何でカニなんだろうと思っていたら、父が割引のハガキをもらっていたのだった。コースを頼むと、一品サービス品が着いてくるのである。
 せっかちな父、姉のご両親が到着する前に料理を注文する。でもこれがうまい判断で、お二人が来られたころにタイミングよく料理が並んだ。
 「初夏の特別企画」とやらで、ずわいがにの姿会席。
 父、あまり面白くもなさそうな淡々とした口調で、「いつもタラバガニばかり食べとうけん、今日はズワイで」なんて、庶民にあるまじきことを言う。カニなんて、わしゃ、もう何ヶ月も食ってないぞ。しかも食ったのだってバイキングの安いカニだ。仕事、繁盛してないって言ってるわりにはずいぶん贅沢してるんだなあ。
 しげ、カニをうまく食べられるか心配していたが、たいてい今のカニは食べやすく割ってあるのである。それに、関節のところでうまく折って引っ張れば、簡単にツルッと身が出る。ところが不器用なしげ、これがなかなかできないのである。何本も失敗して、ようやくうまく引っ張り出せた途端、喜んで見せびらかす。ああ、なんて子供。でも格好はチンピラ(-_-;)。
 ズワイ姿のほか、料理はかに刺身、ずわい陶板焼、かにのにんにく蒸し、かに天麩羅、グラタンパイ包み、かに雑炊。刺身はやはり身がぷりぷりしていて一番美味しい。父、「ずわいも案外よかやないか」とまたエラソウなことを言う。
 さすがにこれだけ多いと、姉の御両親は全部は食べきれない。最後に出て来た雑炊が五杯分くらい余ったので、必然的に始末は私としげがすることになる。こうなることは予測していたので、今日は朝も昼も食ってこなかったが、いくらカロリーが低いからといって、一日の食事がほとんどカニのみってのもねえ。

 食事を終えて、父たちと別れたあと、散歩がてら「ブックセンターほんだ」へ。もっとも今は一文無しなので、ただの冷やかし。
 帰宅してまた日記書き。チャットはヨナさんと。
 ペプシを飲んだコカコーラの社員が解雇されたとか、渡部高志監督のパンチラアニメの新作(なぜか『三国志』ネタ)とか、実写板『サンダーバード』とか、ブリトニー・スピアーズの乳揺れ人形とか、三面記事ネタでいろいろ笑う。国際情勢より、こういう卑俗で下らないバカなネタで笑ってたほうが、ずっと平和だと思うんである。


 マンガ、岩明均『寄生獣 完全板』7巻(講談社/アフタヌーンKCデラックス・900円)。
 途中の巻の感想書かずに飛ばしちゃってるような気もするが、まあいいや。あと1巻くらいで完結かな?
 人間対寄生獣の本格的な、最初の戦い。そこで広川市長の口から初めて語られる「人間こそ寄生獣」の言葉。岩明均がストーリーテラーだと言うのは、この作品が発表された9年前ですら陳腐に聞こえかねないこの手のセリフを、ドラマの最も効果的な部分で思いもかけない人物に語らせることによって、説得力を持たせている点である。これ、主役の泉新一が言っちゃ、ただのセンチメンタリズムになっちゃうんだよねえ。
 しかし広川は自分が「寄生生物」だと思いこんでいたのかなあ。こいつの過去とかもどんなだったかちょっと知りたい感じだったんだが。

2002年06月15日(土) 大宰府の赤い橋/DVD『幕末未来人』1〜3/DVD『ピンクレディ&ジェフ』
2001年06月15日(金) 毎日がクイズです/映画『大菩薩峠 第二部』(1958・東映)


2003年06月14日(土) 健康じゃないけどとりあえずは……/『名探偵コナン 特別編』19巻(青山剛昌・山岸栄一)

 昨日の『日本庭園の秘密』の続き。

 また、クイーンの映画に関する趣味がそこここに見られるのも嬉しい。
 エヴァを取り合う二人の男、スコット医師とテリー・リングは、一方が知的なダンディ、一方が野卑な乱暴者と好対照だが、スコットは作中、エヴァに向かって、「レスリー・ハワードとかクラーク・ゲーブルにうっとりすることは?」と聞く箇所があるのだ。
 もちろんこの二人の役者は、1939年の映画『風と共に去りぬ』でハワードが知的なアシュレーを演じ、ゲーブルが野性的なレット・バトラーを演じているが、マーガレット・ミッチェルの手になる原作小説が出版されたのがまさしくこの『日本扇の秘密』の出版されたのと同じ、1936年なのである。この小説は出版当時から映画化が決定しており、誰が誰の役を演じるかが巷間、噂されていたのだが、さて、この二人の名前が登場しているのは果たして偶然の一致かクイーンの慧眼か。

 ついでだけれど、映像化されたエラリイ・クイーンについて。
 最初の映像化は1935年の“The Spanish Cape Mystery”。もちろん『スペイン岬の秘密』の映画化である。エラリィ役はドナルド・クック、監督はルイス・D・コリンズ。レナード・マーティンのビデオガイドによれば☆☆1/2。結構評判はよかったようだ。
 続いて、1936年の“The Mandarin Mystery”。原作は『チャイナ・オレンジの秘密』。エラリィ役はエディ・クィラン、監督はラルフ・スタウブ、どうやらコメディ仕立ての映画になっていた模様だが、当時の探偵ものはだいたいそういう感じのものが多かったようだ。クイーンが後に映画化をしぶるようになるのもこのあたりに理由があるのかもしれない。
 三人目のエラリィが一番有名で、シリーズ化もされた。近年まで『大逆転』や『プリティ・ウーマン」などにも顔を見せていたラルフ・ベラミーである。
 “Ellery Queen, Master Detective”(1940/カート・ニューマン監督。原案は『日本扇の秘密』だけれど、キャラクター名は変えられ、もちろん日本的なものは一切登場しない)
 “Ellery Queen's Penthouse Mystery”(1941/ジェームズ・ホーガン監督。以下同じ)
 “Ellery Queen and the Perfect Crime”(1941/原案は『悪魔の報復』)
 “Ellery Queen and the Murder Ring”(1941/原案は『オランダ靴の秘密』)
 の四本が制作、これは全て映画用にクイーン自身が脚本を書き下ろしたもので、マーガレット・リンゼイ扮する女探偵ニッキー・ポーター(この名前が『ジゴマ』に登場する探偵ニック・カーターをもじっているのは明白。クイーンはニックものの映画化も手がけたことがある)とコンビを組む形が作られた。とは言っても、実はその前年のラジオドラマ化でニッキーは既に登場しているのだが。片岡千恵蔵の多羅尾伴内、金田一耕助シリーズに、助手として女探偵がいつもくっついてるそのルーツはこのあたりにあるだろう(『影なき男』シリーズは夫婦だしな)。
 後に最初の三作は小説化され、それぞれ『消えた死体』『ペントハウスの謎』『完全犯罪』と題して『エラリー・クイーンの事件簿』に収録されたが、実はこれは全て代作者の手になるもの。原案作品と読み比べてみるのも一興だろう。
 リンゼイのニッキーは変わらず、監督もホーガンのまま、エラリィ役者だけをウィリアム・ガーガンに変えて、更に三作、“A Close Call for Ellery Queen”(1942)、“A Desperate Chance for Ellery Queen”(1942)、“Enemy Agents Meet Ellery Queen”(1942)が作られる。
 これら戦前作品はみな日本未公開。全て日米の関係が悪化した時期の作品だから仕方がないのだが、これだけの作品が作られていて、戦後になっても一本も輸入がなかったというのは不思議ですらある。
 各役者の当時の写真を御覧になりたい方は次のサイトをどうぞ。でもどいつもこいつも鼻眼鏡付けてないんじゃ、エラリィとは言えないよね。
 http://www.mindspring.com/~mkoldys/movies.htm

 エラリー・クイーンの活躍は、戦後はテレビに舞台を移す。
 こちらは数が多いので、とても書ききれない。でもそのほとんどが日本未輸入。詳細は次のサイトでご参照下さい。
 http://www.mindspring.com/~mkoldys/episodes.htm
 ここに紹介されているテレビ作品のうち、日本で紹介されたのはピーター・ローフォード主演の“Ellery Queen: Don't Look Behind You”が『青とピンクの紐』というどうしょうもないタイトルでテレビ放映。原作は『九尾の猫』である。ジム・ハットン主演のテレビシリーズも放映されたはずだが、私はいずれも未見。見ても多分つまんなかったんじゃないかな。刑事コロンボのオリジナルスタッフであるウィリアム・リンクとリチャード・レヴィンソンが制作してたのだが、さて、倒叙ものでないミステリだとあの人たち今一つだからねえ。それにどうやら現代に時代を移してるらしいのもマイナス要因なんである。

 映画に戻って、『十日間の不思議』がフランスで“La Decade prodigieuse(「異常な10年間」英題/Ten Days' Wonder)”として1972年に映画化。なんと監督はクロード・シャブロルである。オーソン・ウェルズやアンソニー・パーキンスも出演していて、見てみたいのだが、これがまた日本未公開。フランス映画なので、エラリィもフランス人に置き換えられ、「ポール・レジス」という名前になっている。演じるのはミッシェル・ピッコリ。
 そして今のところクイーン最後の映像化は、1979年、「エラリー・クイーンが映画になる」のキャッチコピーで本邦で映画化された野村芳太郎監督作品『配達されない三通の手紙』(原作は『災厄の町』)。考えてみたら、クイーンの映像化作品を私はこれしか見ていない。
 当時は松坂慶子のセミヌードがやたら宣伝に使われていて(後に『青春の門』や『火宅の人』で完全ヌードを披露するようになるが、このころはまだ出し惜しみしていた)、パンフの裏表紙も全面、胸を隠した松坂さんのヌードであった。こういうことは細かく覚えているのである(^_^;)。
 エラリー・クイーンに当たる探偵役はボブ(名字がわかんねえんだよ)というハーフの留学生の青年という設定で、演じていたのは蟇目良。その二年前、朝の連続テレビ小説『風見鶏』で、新井春美の相手役をさわやかに務めていてある程度顔が売れてはいたが、外国作品が原作だから外人を探偵にしたのかと、当時はその安易さに鼻白んだ人も多かったと思う。今だったら黒田アーサーにやらせるのか。ヒロインが安達祐実だったらお笑いになるぞ。
 映画は原作よりも随分アッサリした作りになっていて、犯人もトリックも簡単に割れる。脚本の新藤兼人が本格ミステリの書き手としてはあまり妥当ではなかったせいだと思う。『事件』の時はよかったんだけどなあ。
 それでも佐分利信・乙羽信子・小川真由美・栗原小巻・神崎愛・片岡孝夫(片岡仁左衛門)・渡瀬恒彦・竹下景子・米倉斉加年 といった演技派の好演に助けられて、地味な印象の強い野村作品の中では珍しく豪華な印象を与えていた。DVDが出れば絶対買うんだがなあ。

 つい長々と書いてしまったが、若い読者にとっては細かいウンチクはともかく、今回の新訳は「読みやすくとっつきやすい」だろう。ハヤカワ文庫版でクイーンのほぼ全作品が新訳で読めるようになったことは素直に喜びたい。
 もっとも、本来のエラリィ・クイーンであるマンフレッド・リー(本名マンフォード・レボフスキー)とフレデリック・ダネイ(本名ダニエル・ネイサン)の従兄弟が二人で合作していたのは1958年の『最後の一撃』までで、ブレインであるリ―が引退してからは、執筆者としてしか関与していなかったダネイは「EQ」ブランドのプロデューサーとなり、それ以降の作品はすべて代作とならざるをえなかった。1963年の『盤面の敵』などはシオドア・スタージョンの作なのである。
 それはそれとして、クイーンの作品は私も未読のものが多いから、これから読んで行くに吝かではないのだが、まだ一度もクイーンを読んだことがない、という方には、とりあえず『Xの悲劇』と『Yの悲劇』をお奨めする。もっとも探偵エラリィは出てこないんだけど。


 マンガ、青山剛昌原案・山岸栄一漫画『名探偵コナン 特別編』19巻(小学館/てんとう虫コミックス・410円)。
 最近は、特別編のほうがお話自体は青山さん自身が描いてるものより出来がよくなってきてるような。画力を比較するとアシスタントさんたちが描いてるのはまだまだなんだけどね。
 もちろんご都合主義はどの話にもつきものだし、トリックに無理があるものも多いんだけれど、「てんとう虫コミックス」だからと言って、手抜きはしないように、という配慮が働いてきているのではないか。昔ほどチャチなトリックが少なくなってきているのである。
 本編でも数少ない倒叙推理もの、「名探偵VS完全犯罪」などはもう少しページをあげて、じっくり描いてほしいくらい緊迫感がある。青山さんもウカウカしてると、アシストさんたちに足元救われちゃうぞ。
 それにしても『コナン絶体絶命』で強盗犯に撃たれた阿笠博士、なんで助かったんだ? 




 朝方、しげに眼科まで送ってもらう。
 精密検査は点眼して瞳孔を開き(ルパンがデジレに変装するときに使った手だな。今もアトロピンを使ってるのかどうかは知らないけど)、医師が光を当てて中を覗き込むという、考えてみれば随分アナログな検査である。
 糖尿でない人はこの瞳孔が20分ほどで簡単に開くのだが、糖尿病者の場合、これがなかなか時間がかかるのである。私も1度の点眼では効かず、2度点眼して結局は30分以上、目をつぶってじっと待っていなくてはならない。この間、悪い想像ばかりがアタマを経巡って、精神的によろしくないこと甚だしい。
 しげは鴉丸嬢と舞台の小道具類を買い物するというので、私の検査中に彼女を迎えに行く。
 待機中、目をつぶっていても左目にかけてチックが起こる。しばらくこんなことなかったのになあ。
 ようやく瞳孔が開いてくる。目の前のものが白く反射し出してまぶしい。
 土曜日ということもあるのか、小さな眼科なのだけれど、待ち合いには患者さんが4、5人。ちょっと待たされて、やっと呼び出される。それでも自分では瞳孔が開ききってないような気がする。
 何やらごっつい機械にアゴを乗せ、まぶしい光を当てられ、目を覗かれる。その間、「右見て、もっと右、上見て、真っ直ぐ見て、瞬きしないで、左見て、左下見て、まぶしいの我慢して、下見て」とうるさい注文。でも唯々諾々とするしかない。
 検査が終わって、医師が首を傾げる。「念入りに見たんですが、前回の結果にあった白斑も眼底出血も見当たりませんねえ」
 「それは異状なしってことですか?」
 「異状はありますよ。ヘモグロビンA1Cが高過ぎます。いつ出血してもおかしくありません。そうなったら糖尿はもう相当進行してます」
 「写真に映ってたってのは間違いでしょうか」
 「わかりませんね。念のため、2ヶ月後に来て下さい。2ヶ月間隔で検査していったほうがいいでしょう」
 以前は「1年に一回でいいですよ」と言われていたのが随分短縮されたものだ。ホッとした反面、油断は禁物ということなのだろう。

 待ち合いに戻ってほどなく、しげと鴉丸嬢が迎えに来る。
 見えない目でムリヤリ雑誌を読んでいたので、「なんだ、目ぇ見えるんじゃん」と鴉丸嬢が拍子抜けしたような声。もちろんメガネをかけていてはまぶしすぎるので、裸眼で雑誌に目を当てるようにして光を遮断して読んでいたのである。
 「そうまでして本を読むか」と呆れられたが、それが常識というものだろう。だから本や映画に関しては私は非常識を通してるんだってば。
 けれど、さすがにそろそろ本格的に世界がまぶしくて目を開けるのが辛くなってきたので、しげの肩に手を置いて薄目を開けて、車まで案内してもらう。
 しげ、「ヘンなのが肩に手を置いてるみたいで気持ちが悪い」と本当にイヤそうな声を出す。ヘンなのって何なんだよ。

 昼飯の弁当をコンビニで買ってもらって、私は帰宅、しげたちは買い物に出発。
 飯はお握りとハンバーグ。やっぱり薄目を開けて食べる。そのあとは、どうせ目を開けてはいられないので、そのまま昼寝することにする。

 起きると午後の2時。帰宅したのが10時半ごろだったから、3時間ほど寝たことになる。ちょうど直後にしげも帰宅。しげはこれから夜の映画に向けて昼寝である。しげは夕べもバイト先の人たちとカラオケ三昧だったので、あまり寝ていないのである。
 その間、私はチビチビと日記を書き進める。
 6じ過ぎになってしげを起こすが、寝惚けたしげ、自分がなぜ起こされたか、まるでわからない。
 「なん、どこ行くと?」
 「映画に行きたいって、自分が言ってたじゃん」
 「なんの?」
 「テリー・ギリアムの新作!」
 なんだかよくわからないままに慌てて起き出すしげ。なんとか車にすべりこんでようやく正気に戻るが、時計を見て、「なん、時間まだあるやん。慌てて損した?」と私に聞く。
 「ギリギリに行ったら焦るくせに。時間はちょうどよかろうが」
 「いきなり起こされたけん、寝惚けとったとよ」
 起きてる間だって、ずっと寝惚けてるようにしか見えないんだが。

 長くなったので、この続きはまた明日。なんかどんどん先送りになってくなあ(^_^;)。

2002年06月14日(金) 狂ったヒトふたり。片方は軽いけどね/映画『模倣犯』
2001年06月14日(木) ミステリー波止場の片足/『あひるの王子さま』1巻(森永あい)


2003年06月13日(金) ある正義の死/『日本庭園の秘密』(エラリィ・クイーン)

 実は今日は、前に書いた、「余興」を披露する日であった。
 まあ、詳しいことは職場の内部事情に属することなので(ホントかよ)ちょっと書けないんですが、やや物議を醸しちゃったようです。バカやり過ぎたんですね。若い連中にはウケてましたが。
 いや、たいしたことはやってないんですよ、コスプレして「白鳥の湖」踊っただけですから。白鳥の首が腹んとこからニョキッと生えてたのがまずかったのかなあ。あくまで腹の上で腹の下じゃあないし、腰も動かさなかったんだけど。
 まあ、職場に対するストレスが溜まると、たまにこういうバカもやりたくなるってことで。


 しげが父に低反発枕をプレゼントに買っていたので、父の店に行く。
 プレゼントを渡してすぐに帰るつもりが、ちょうど店がヒマだったので、散髪させられる。
 散髪中、二人して北朝鮮の悪口などを言い合う。相変わらず口さがない親子なんである。
 帰りしなに明後日の夕食に誘われる。さあ、これで一食分、お金が浮いた。これなら明日、しげを誘って映画に行けそうである。


 俳優グレゴリー・ペックが昨12日に老衰で死去。享年87。
 厳密に言えば私の両親の世代のスターなので、私自身はそれほど思い入れはないのだが、それでも片っ端から映画を見てれば自然と10本以上は彼の映画を見ることになる。リアルタイムで見た最初の映画は『オーメン』だろうが、これとてもう27年も昔の映画だ。当時、名優グレゴリー・ペックがこんな安っぽいホラー映画(あくまで当時の第一印象です)にも出るのか、と驚いた記憶があるから(あるいはそれは母の述懐であったかもしれない)、それ以前に名前くらいは知っていたのだろう。少なくとも『ローマの休日』はもう見ていたと思われる。
 ところがその誰もが名前を挙げる『ローマ』にしたところで私の関心は専らオードリー・ヘプバーンに向いていたし(男ならたいていそうであろう、あとは脇役でカメラマンのエディ・アルバートが好きだったね)、初期の『白い恐怖』はイングリッド・バーグマンの美しさに専ら見惚れていた。晩年の『私を愛したグリンゴ』に至っては、ジェーン・フォンダのヌードしか覚えていない(^_^;)。
 いかにもヒーロー然としたペックの風貌と演技には、女と悪役を偏愛する私には引っかかるものがほとんどなかったのだろう。もちろん「そういう人」がいなければ映画が成立しないことは承知していたのだが。
 確かにカッコイイ人ではある。『ローマの休日』のラストシーンで、ポケットに手を突っ込んで無造作に去っていく彼をアオリのアングルで捉えたときの「足の長さ」はえらく印象に残った。アレが「長い足はカッコイイ」ということを私に認識させた最初の記憶ではなかったか。
 足の長さに反発したわけではないが、アメリカ流の正義とか民主主義とかに子供の頃から反発みたいなものを覚えていた私にしてみれば、彼の「カッコよさ」にも何かしら欺瞞のようなものを感じていたのだと思う。もちろん、私生活では敬虔なクリスチャンであった彼自身はきっと誠実な人だったのだろうが。
 同じくアメリカの民主主義を代表しているように見えても、どこかイラついてて腺病質に見えるジェームズ・スチュアートや、無骨で融通の効かなそうなヘンリー・フォンダの方が私の好みだった。その点、ペックはいささか「カッコよ過ぎ」たのである。
 そう言えばある掲示板で、ペックを追悼しながら、その代表作として、『ローマ』のほかに『めまい』や『北北西に進路を取れ』を挙げている人がいた。しかもその掲示板の誰一人としてその間違いを指摘していない。若い人なんだろうが、ちょっとこの間違いはひど過ぎないか(念のために書いておくが、『めまい』の主演はスチュアートで、『北北西』はケイリー・グラントである。始終スケベったらしいグラントと間違えられるとは!)。
 けれど、ちょっと冷静になって「いかにもヒーロー」なペックのアメリカ映画における立ち位置を考えてみると、この勘違いも仕方がないようにも思えてくる。ヒーローを演じようとしてもどこか滑稽に見えてしまうジョン・ウェインには彼は決して間違われないのだ。
 そう思うとき、さほど思い入れのなかったはずの彼の死の大きさが私にもようやく見えて来る。アメリカが失ったものは白井佳夫が指摘しているような「民主主義」の代弁者ではなく、映画の持つ真っ直ぐなカッコよさではなかったか。ヒーロー映画は作られる。主人公の苦悩も昔と変わらぬように描かれる。けれど、その苦悩を乗り越える力をペックほどに感じさせてくれる俳優が彼以後、どれだけいただろうか。『スーパーマン』のクリストファー・リーブも『バットマン』のマイケル・キートンも『スパイダーマン』のトビー・マクガイアもみんな弱っちく見えないか。『白鯨』をモチーフにした『ジョーズ』のロバート・ショウはどうだったか。
 理屈抜きの、批評することを拒絶した、単純なスターへの憧れ。もはやアメリカはどこか屈折した形でしか映画を見られなくなっているように思う。


 エラリィ・クイーン『日本庭園の秘密』(大庭忠男薬/ハヤカワ文庫・819円)。
 エラリィ・クイーンの国名シリーズの最終作……と言っても実はクイーン自身からそうは認定されていないこともミステリファンには周知の事実。でもまあ、この日記を読まれる方にはその辺の事情をご存知ない方もおられるだろうから、簡単に。
 この小説の原題は“The Door Between(間の扉)”と言い、「日本」という単語は冠されていない。しかし雑誌掲載時には“The Japanese Fan Mystery(日本扇の秘密)”というタイトルであって、『ローマ帽子の秘密』以来の国名シリーズを踏襲していた。変更の理由は、原作発表時の1936年という第2次大戦前夜の時代背景が影響しているということだ。それまでの長編には必ずあった「読者への挑戦状」も省かれているし、エラリィの決めゼリフ「Q.E.D.」もない。
 しかし、この小説のタイトルは絶対に『日本扇の秘密』でなくてはならない。それは本作に他の国名シリーズ以上にクイーンの日本趣味が横溢しているからであるのだが、それだけではない。たとえ「日本」と謳っていても、『日本庭園の秘密』や『日本庭園殺人事件』(石川年訳・角川文庫)や『ニッポン樫鳥の謎』(井上勇訳・創元文庫)ではダメなのである。その点では今回の新訳も、原作タイトルの意味を理解していない、と言える。
 実は、本作には「日本扇」は全く登場しない。翻訳者たちが首を傾げつつタイトルを変更しただろう事情は、創元版の脚注であの最低訳者の井上勇が「内容とはあまり関係がない」と書いてることからも見当がつくのだが、これは実際の扇を指すのではなく、「寓意」としてのタイトルなのである。
 「扇」は何に使うものか。風で仰ぐものでしょ? と答えてしまってはその寓意は掴めない。日本の古典世界において、扇は「人の顔を隠すもの」であった。特に女の。本作の登場人物たちはみな、見事に自らの「顔」を隠している。探偵エラリィ自身が「単純に見えてこんな複雑な事件はない」と、最初ネを上げかけるのは、主要人物たちの本当の顔が見えてこないせいであるのだ。まさしくミステリ中のミステリを象徴するようなタイトル。これを「樫鳥の謎」などと改題した井上勇のマヌケさには、腹立たしさすら覚えてしまう。

 日本贔屓の閨秀作家、カレン・リースが、日本庭園を望むニューヨークの自邸で怪死を遂げる。癌研究の大家、ノーべル賞受賞学者のジョン・マクルーア博士との結婚を控えていた彼女に、いったい何が起こったのか? 現場は窓に鉄格子がはめられ、屋根裏部屋へ通じる扉には鍵が内側から差し込まれ、入口の扉の見える居間にはずっとマクルーア博士の娘、エヴァがいた。
 誰も入れるはずのない「密室」の中でカレンは殺されたのである。“もしもエヴァがカレンを殺したのでなければ”。
 容疑をかけられ、パニックに陥るエヴァ。なぜかエヴァを助けようと策を弄する私立探偵、テリー・リング。固くなに証言を拒む琉球人のメイド、キヌメ(漢字で書くと「絹女」か?)。それぞれに秘められた思惑を暴き、隠された真実を解き明かすべく、エラリィは、父親クイーン警視とも対立しつつ捜査を進めて行く。
 謎を解くキーワードは「ニッポン」。そして最後の決着をつけるマクルーア博士とエラリィとの頭脳比べ。果たして勝利の女神はどちらに微笑むのか。日本人ならずとも、これだけワクワクさせるプロットを持ったミステリは滅多にない。

 ところがこれが、以前読んだ創元版では(角川版は未読)、例の悪訳のせいで実につまらなかったのだ。今回の新訳と引き比べてみると、訳文を見ただけでも明らかな誤訳と思われる部分が随所にあり、時には段落を一つ飛ばして訳しているところまであった。キャラクターの描き分けをセリフで工夫することもしていないし、ともかく読みにくい。以前も書いたが、クイーンの評価がクリスティーに比べると著しく低いのは、この悪訳のせいである点、非常に大きいのではないか。

 一例を挙げる。カレンを発見した時のエヴァとテリーの会話の部分である。

A〔創元版・井上勇訳/99ページ〕
 「ひまがない」褐色の男は低い声でいった。「そのほうがまだましだ ―― あんたは泣いていたように見える。あちらでは何に手をつけた?」
 「なんですか」
 「なににさわったかというんだ。さあ、早く」
 「机と」エヴァは低い、ささやくような声でいった。「窓の下の床と、おお」
 「なんたるこった」
 「わたし、すっかり忘れていたわ、あることを。ぴかぴか光る宝石の飾りがついた鳥の形をしたもののことを」
 エヴァは、またもや、男から平手打ちをくらおうとしていると考えた。それほどに男の目は熱っぽく、狂気じみていた。「鳥、宝石。なんたることだ。よく聞くんだよ。あんたは、その口をしっかり閉じておくんだ。ぼくのいうとおりにするんだよ。泣きたければ泣くがいい。卒倒してもいい。好きなだけ醜態をさらしていい。ただ、しゃべりすぎてはいかん」
 男にはよくわからなかった。鳥とは。鳥のお化けとは。「でも ――」

B〔ハヤカワ版・大庭忠男訳/109ページ〕
 「時間がない」褐色の男は小声で言った。「とにかく、そのままの方がいい ―― 泣いていたように見える。寝室では、なんに手をつけた?」
 「え?」
 「なんにさわったんだ? 早く言え!」
 「机」エヴァは、ささやき声で言った。「窓の下の床。あ!」
 「なんだ?」
 「忘れてたわ! あるものを。ピカピカ光る石のついた鳥を!」
 エヴァはまたぶたれるのではないかと思った。それほど彼の目は怒りにもえていた。
 「鳥。石。なにを言ってる! いいか。その口をあけるな。おれの言う通りにするんだ。泣きたけりゃ泣いてもいい。失神してもいい。なんでも好きなようにやっていい。ただ、あんまりしゃべるな」
 男にはわかっていなかった。鳥とか、半分の鳥のことは。「でも ――」

 一読して、どちらがわかりやすいか歴然としているとは思うが、いくつか注を。
 まず全体的にテリーの口調がAとBとではまるで違う。テリーは下町のしがない私立探偵だから、ノーベル賞受賞学者令嬢のエヴァとは立場がまるで違うのである。粗野で乱暴なBの方がずっとキャラクター性が表されているし、一人称だって、「ぼく」より「おれ」のほうがずっと自然だ。
 Aのエヴァの「なんですか」は、多分、“What?”の訳だろうが、死体発見の現場で相当焦ってるだろうに、エヴァも随分のんびりした聞き方をしているものである。Bの「え?」のほうが簡潔で正解。
 Aのテリーの「なんたるこった」は明らかに誤訳。エヴァはまだ何に触ってしまったのか、言い終わっていない。なのにもう驚くなんて、テリー、おまえはテレパスか。「なんだ?」と問いかけているBの方が正解だろう。
 エヴァが触ってしまった「鳥」というのは、この段階では何のことだか分らないが、実は凶器に使われたと思われるハサミのことである。日本製で、ハサミの両刃が鶴のクチバシに模されていて、それのネジが取れて片方だけになっていたのである。
 Aではこれを「鳥のおばけ」、Bでは「半分の鳥」としており、訳が全く違っているが、原書ではどうなっていたのだろうか。断定はしかねるが、元の単語は“freak”とかなんとか言ってたのではないか。つまり、クチバシが半分になって欠けている鶴を「奇形」と例えたのである。それをAは「お化け」と訳したのだろうが、これじゃ何のことだか訳がわからない。まだしも「かたわの鳥」と訳した方がしっくり来るが、Bの方はそれでは表現的に問題があると考えて、実質的な意味として「半分」と訳したのだろう。
 どうもこの比喩自体、Aの訳者には意味がわかっていなかったような雰囲気がある。その前のセリフでテリーは「なんたることだ」と言っているが、エヴァがパニックに陥って「ハサミ」という単語が思いつかずに「鳥」としか言えなくなっている状況を見ているのだから、Bのように、「なにを言ってる!」と戸惑うのが自然である。いったいAのテリーは何にアタマをかかえているというのか。
 こんなのはほんの一例に過ぎず、Aの方はこんな愚訳がページをめくるたびに頻出するのだ。全く、「適当な訳してるんじゃねえや」と怒声を浴びせたくなる。文章の「わかりやすさ」という点では、このようにどうしてもBの方に軍配が上がるのである。
 
 とは言え、Bの訳に問題がないわけではない。
 例えば、引用される人名について、訳者が知らないと勝手に名前をカットするということをやってのけている。Bの285ページで、マクルーア博士が結婚しても別居生活をしようと主張していたカレンを評して、「新しがリやの女優をまねた気まぐれ」と語る記述があるが、これがAの259ページと比較すると「リューシー・ストーナーふうの気まぐれ」と書いてあるのである。実は「リューシー・ストーナー」という女優は存在しない。これはルーシー・ストーン(1818-1893)という19世紀の女権拡張論者のことを踏まえた記述なのである。つまりこれはAもBも誤訳。正しくは「女権拡張主義者のルーシー・ストーンをまねた気まぐれ」か「ルーシー・ストーン主義者をまねた気まぐれ」としなければならない。こういう知識的なことはちゃんと調べて書いてもらわないと、本当に困る。
 また、先の例でもわかるが、Bの訳では差別的に思える表現を極力抑えている。ところが、どうもそれがやり過ぎの感が強いのだ。
 Aの28ページ「スコット医師は、片目で、あたりをちらりと見まわした」がB30ページでは「スコット医師は、ちらりとあたりを見まわした」と、「片目で」がカットされている。別にこのスコットは目が潰れているわけではない。単に片目をつぶっていただけのことだ。それをいちいちカットする神経過敏ぶりはどうだろう。
 Aの175ページにはクイーン警視に「ジャップ」と言われたキヌメについて、「キヌメは、またおじぎをして、警視の不注意な代名詞などは気にもかけないようすで、落ち着きはらって階段をおりて行った」との記述がある。これがBの194ページでは、「キヌメはふたたびお辞儀をして、静かに階段をおりて行った」と、「警視の不注意な代名詞」の部分がカットされているのだ。
 これなどは逆に差別を助長しかねない、全くバカな措置だろう。「ジャップ」が日本人に対する侮蔑的な意味を表すことを説明している部分を削除してしまっては、事実を知らぬ人間にとっては、これが普通に日本人を指す言葉だという誤解を与えてしまう。これなどは、作者クイーンが戦前の反日の風潮の中で、それでも日本に対する一方的な偏見を持ってはいなかった何よりの証拠になるではないか。
 こういう例が本書にはほかにも随分ある。これが「言葉狩りの弊害」なのである。判断力のないバカに差別を語らせちゃいかんよ。
 翻訳のことを語りだすとキリがないから、この辺で切り上げるが、こうなると結局、「そんなに訳に不満があるなら、英語を勉強して原書で読めば?」ということになってしまうのである。そんなヒマがあるかい(でもこれは本当に原書で確かめられるものなら確かめたいのだ)。
 多少の誤訳は私は気にはしない。「訳文を読んだだけでも誤訳だとわかるような稚拙な訳」が問題だと言ってるんである。
 このことは先日、よしひと嬢にも話したのだが、「翻訳者である前に、作家でないといけないですよね」と仰っていた。蓋し、至言であろう。
 
 翻訳のミスを割り引いて考えれば、クイーンへの評価は格段に上がると思う。しかし、この『日本扇の秘密』が大傑作かというと、そこまで言えないのもまた事実である。
 トリックも既成作品に依拠しているものがあるし、何よりある人物の心理の過程に不自然さがありすぎる(誰かは書けんが)。読了したあと、どうにも「しこり」が残るのである。
 けれどやはり私はこの小説が好きだ。日本知識をひけらかす作者クイーンの稚気がこれだけ感じられる作品も滅多にない。カレンの書いた小説のタイトル『八雲立つ』のタイトルはもちろんラフカディオ・ハーンの筆名、元をたどれば日本最古の和歌と伝えられる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」(素戔嗚尊)から取られているし、スコットがエヴァの足にフェティッシュな執着を見せるシーンなんか、まるで谷崎潤一郎の小説である。クイーンが谷崎を戦前に読んでいたかどうかは定かではないが、クイーン編によるアンソロジー『日本文芸推理12選&ONE』では谷崎の『途上』を選出しているから、もしかして以前から作品に親しんでいた可能性はある。

 長くなったので続きは明日。

2002年06月13日(木) 暗い木曜日/『名探偵コナン』37巻(青山剛昌)ほか
2001年06月13日(水) とんでもございません(←これも誤用)/『少女鮫』6〜9巻(和田慎二)ほか


2003年06月12日(木) 正義に勝たれても/『少年名探偵 虹北恭助の新冒険』(はやみねかおる)

 終日小雨。梅雨入り宣言はされたはずだが、まとまった雨が今のところ降ってない。今年は空梅雨かな。また水不足にならなきゃいいけど。1日中ジメジメしているが、風は吹いているのでそれほど不快というほどでもない。
 仕事は忙しいが、この程度の気候なら、体調を崩すギリギリの線で何とかカラダも持っている。……と言いつつ、今日は早出の仕事があったのに、どうにも起きられずに同僚に連絡、遅れて出社。無理はやはり効かなくなっているのである。


 奈良県市町村人権・同和問題啓発活動推進本部連絡協議会というところが(長いよ)、インターネットの掲示板への差別的な書き込みを監視する「インターネットステーション」を開設したとのニュース。
 悪質な書き込みについては、プロバイダー法に基づいて発信者を特定して、名誉棄損や脅迫容疑で告発する方針だという。
 とは言っても、いきなリ告発というような乱暴なことはせず、初めのうちは人権の大切さを理解できるような新たな書き込みをしていくんだとか。
 気持ちは分らないではないのだが、この「悪質な書きこみ」っての、基準が設けられるものじゃないからねえ。なんだかんだでただの言葉狩りになっちゃうんじゃないかという危惧は否めない。
 早い話が、今、私がこうして感想を書き連ねているこの文章ですら、「悪質」と判断されてしまうのであろうか? 出版業界の自主規制は、差別語、僭称語とされるもの自体を完全排除する方向に向かっているが、そんなことをすればこの手の問題について語り合うことすら困難になってしまう。
 特に気になるのは、この協議会の人たちの姿勢が、「告発するのは認識を改めることなく、名誉を傷つけたり、脅迫したりする書き込みを続けたケース」と言ってる点で、もちろん法的に問題がある場合、それも仕方ないとは言えるが、初めから「認識を改めない」と、あたかも「認識を改めるのが当然」という考えで望んでいる点である。こういう何が差別で何が差別でないか、といったような明確な線引きのできない問題に関しては、自らもまた差別者でありうる可能性を常に忘れてはならないのではないか。絶対正義の姿勢がどれだけ危険かは、具体例をいちいち挙げるまでもなく、容易に想像できることだと思うのだが。
 少なくとも、私が今まで出会ってきた被差別者の方々、部落出身の方々や、身障者の方々で、真剣にこの問題について考えている方々は、決して自分たちを被害者としてのみ捉えてはいなかった。巷間よく言われることのある「傷つけられた人間には、他人の痛みもわかる」というのがウソであることは、虐待されたことのある子供が親になったときに、その子をまた虐待するケースが多いことでも証明できる。
 本来この言葉は、「傷つけられたことがあるのなら、他人の痛みも理解できるようにならなければならない」であって、自らが加害者になり得る可能性を否定しちゃいけないのである。
 同協議会の平岡恭正事務局長さん、「差別は人を傷つけるという基本的なことを理解してほしい。賛同者を増やし、全国に啓発運動の輪を広げたい」と話しているんだそうだ。このコメント、どの程度ご本人の言葉のニュアンスが反映しているかよくわからんけど、これだけだと逆に差別に関する認識がえらく低いように見えてしまう。っつーか、理念だけが先走ってて、現実がまるで見えてないように聞こえちゃってねえ。差別がよくないことがわかってても現実には差別が横行してるわけだし、人を傷つけちゃいけないったって、人を傷つけずに生きていけるはずもない。「気をつけよう」なんてスローガンだけ言ってて世の中どうにかなるなら、とっくの昔にどうにかなっている。我々はこの現実をどうにも変革のしようもないジレンマの中で生きてるんであって、その事実を踏まえずにご大層な言質だけを撒き散らすのは、それこそ「賛同者」を増やすことだけを目的としたカルト宗教と何の変わりもない。
 まあ、実際に、この人たちがどんな「書き込み」をしていくのか、それを見てからでないとこれ以上の即断はできないことだが、標的にされるのはまず真っ先に2ちゃんねるだろう。結構ハデな攻防戦が展開されるかもという気がするが、協議会、2ちゃんねらー、双方ともに頑張って頂きたいものである。私ゃいつも通り、傍観させていただきますんで(^o^)。


 バタバタと仕事忙し、今日も帰りが遅くなる。
 食事はミニストップで買ったお握りを歩きながらパクつく。“二つ折りにした”平たいお握りの間にハンバーグを挟んで、海苔で包んでいるのがちょっと変わっている。少しでも食べやすいように、という工夫だろうが、見かけはあまり美しくないので、あまり売れ筋ではなさそうな気がする。でも歩いて食べるには実にちょうどいい。
 歩きながらなんて、なんて行儀が悪い、てなことは重々承知しちゃいるのだが、あまり非難しないでいただきたい。食事の時間と帰宅の時間をこうして兼用できれば、それだけ本を読む時間が確保できるのだ。
 こないだよしひとさんから「雨の日まで傘差して本読まなくても」と言われてしまったが、確かに風呂でもトイレでも私は本を読んでいる。傍目から見て無節操だとか変人だとか、そう言われてしまうこともわかっちゃいるのだが、そうでもしなけりゃ、一日のうち本読む時間なんて、一般人がどうして取れようものか(^_^;)。


 はやみねかおる『少年名探偵 虹北恭助の新冒険』(講談社NOVELS・735円)。
 『少年名探偵 虹北恭助の新・新冒険』との同時発売だけれど、一冊だと厚過ぎるので二分冊としたもの。でも、そのおかげで一冊分のナカミが薄い印象がどうしてもしてしまう。活字を二段組にすればこの問題は解消できるはずなんだが、小・中学生も読むのでそれは避けたんだろう。まあ、私はオトナなのであまり目くじらは立てません(^o^)。
 小説の内容よりも、イラストのやまざきもへじさんの絵で売れてるんじゃないかという気もするが、まあジュニアミステリとしてみれば、内容もそう悪くない。こういうのに日常描写が多くてミステリとしての味わいが希薄だとか、トリックがたいしたことないとか突っ込むのは野暮というものである。そういうミステリもあるのよ。
 わたしはこの主人公の恭助が中学生のクセにペシミストで、けれどどうにも人間が好きでたまらなくて、だから不登校でずっと放浪しているけれど、たまに故郷の虹北商店街に帰ってくる、という設定が好きなんである。幼馴染の響子ちゃんには心配ばかりかけているけれど。
 ……と書くと、もう気がつく人もいると思うけれど、この話、ベースは『男はつらいよ』なのだね。恭助の細い目は寅さんの目なのか(^o^)。
 作者が「寅さん」ファンであるのは、作中に劇中劇として登場する若旦那たちの自主制作映画『名探偵はつらいよin虹北大決戦』『名探偵はつらいよ リターンズ』というタイトルからもわかる。ここまで堂々と寒いタイトルを付けられるのは、ファンであることの証明以外のナニモノでもないよ(^o^)。
 今巻の大半は、この自主映画の監督である、カメラ屋『大怪獣』の若旦那が主役になって大活躍する外伝『おれたちビッグなエンターテインメント』で占められている。虹北商店街に昔からある映画館「虹北キネマ」には「つまらない映画をかけると『北斗七星が舞い降りる』という伝説がある」とか、「上映中に心霊現象のラップ音が聞こえたり、精神的な圧迫を覚える」映画の謎とか、ミステリ風味はちょっとあるものの、まあ、メインは若旦那ほか、映画オタクの狂乱ぶりだ。どこの世界に怪獣映画と横溝ミステリと寅さんとインディ・ジョーンズを混ぜて映画を撮るバカがいるか(^o^)。日本酒と青汁とレモネードと酢醤油を混ぜて飲むようなものである。飲んだことはないが。あっ、でも、平成『ガメラ』シリーズは怪獣映画とミステリを混ぜてたな。そこまでは許容範囲か。
 でも、そのおかげで作中に恭助がほとんど出て来ないから、タイトルに偽りありではあるのだけれど(^o^)。

2002年06月12日(水) 悲しい日/『B型平次捕物控』(いしいひさいち)/舞台『笑の大学』ほか
2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)


2003年06月11日(水) 夢の中のもどかしさ/『ガゥガゥわー太』5・6巻(梅川和実)

 6月2日から7日まで、フランス・アヌシーで開催された第27回国際アニメーション映画祭で、山村浩二監督の『頭山』がグランプリ[The Annecy Cristal (Grand Prix Annecy 2003)]を受賞。米アカデミーアニメーション短編賞を逸したことなんか、これでどうでもいいことになってめでたいことである。
 とかなんとか言いながらまだ『頭山』見てないんだよな。DVDはもう届いてるはずなんだが、連絡よこしてくれないのか、天神LIMB。


 朝方またヘンな夢を見る。
 細かいシチュエーションは忘れたが、何かの用事で道を歩いていると、脇道からひょいと現れた女の子が「手を握って」と頼むのである。
 まあ、握っちゃいけない理由もないしなあ、と、ギュッと握ってやった途端に、女の子の顔にひび割れが生じ、中から赤黒いバケモノが飛び出して来た。
 騙しやがったなと腹を立てるが、同時に私は「化け物とか幽霊とかいるわけないじゃないか。てことはこれは夢だな」と気付くのである。
 「私のやつめ、夢だからと思って、私に幽霊の存在を信じさせようとしたな!」と私に対して怒った私は(ああ、ややこしい)、腕から電撃を放出して、バケモノを爆発させる。
 あたりを見まわすと、何となく印象が「薄っぺらい」。試しに空間を平手で叩くと、空間はくしゃっとくずれた。これが夢であることを確信した私は、怒りの電撃ビームを発射しまくって、夢を破壊していくのであった。
 ハッと目覚めて思った。『うる星2』じゃん(-_-;)。
 しかし、ヘンな夢を見ても、たいてい「これ夢だよな」と冷静に判断してしまうものだから、展開が至極つまらなくなる。自分の夢なんだから、も少し破天荒な展開があってもよさそうなもんなんだけどねえ。


 溜まってた仕事を片付ける一日。上司に眼底出血のことを報告したら、すぐにでも精密検査を受けるように言われる。もちろんそのつもりだったので、「じゃあ、土曜日に病院に行きます」と返事。ああ、これで今週は休日出勤させられずにすむな。ちょっとだけいいことがあったってことか。
 帰りは今日もバスを乗り継ぎ。晩飯をどこで食べるか考えたが、運動がてら少し歩いた方がよかろうと思い、家から2キロほど離れたところにある「バーミヤン」の前のバス停で降りる。
 焼きソバ、北京ダック、黒酢のスープ。
 北京ダックは薄皮にキュウリ、大根の千切りを一緒に乗せて、つつんで食うのだが、単品で食べた方が美味い。黒酢のスープはカラダにいいかと思ったが、だ酸っぱいだけ。水を混ぜて薄めて、なんとか喉に流しこんだ。
 この店にも久しく来てなかったが、それはしげの好きだったエビのマヨネーズ煮がメニューから消えてなくなってしまったからである。エビ料理で今あるものは、チリソース煮だけだ。
 単品を組み合わせて食事ができるので、ここは結構重宝した店なのだが、今まではそんな理由で足を運べなかった。我ながら今までは随分しげに合わせた食生活をしてたのだなあと実感。もう少しワガママを言ってもよかったかもしれないと思う。


 帰宅して、ひとしきリDVDの整理。録画したはいいものの、表紙に何も書かずに放置しといたやつが溜まっていたのである。マジックでタイトルを書いていくのだが、既に見てないDVDが30〜40本はある。こんなの、毎日見てかないととてもハケる量ではない。ホントは日記なんか書いてはいられないのである(^_^;)。ああ、なんで一日は48時間くらいないのだろう(そんときゃ仕事も2倍に増えるって)。


 マンガ、梅川和実『ガゥガゥわー太』5・6巻(新潮社/バンチコミックス・各530円)。
 しまったなあ、5巻出てたのに気がつかなくて初版買い損ねた。えらく間が空くなあとは思ってたんだ。これだから『ダ・ヴィンチ』とかの新刊案内は丹念に読んどかないといけないんである。
 なんで初版に拘るかって言うと、特典で折りこみのカラーポスターが付いてるからなのね。どこか古本屋で5巻だけ見つけたら改めて買っちゃうかも。
 さて、どうしても未だに集英社から出てるんじゃないかと勘違いしちゃうバンチコミックスだけど、実際、表紙絵からして、5巻6巻ともにジャンプっぽいんだね。動物マンガなのに、女の子ばっかりだから。いくら売れセン狙ってるからって、露骨だよなあ(^_^;)。
 表紙の明るいラブコメ風な印象と裏腹に、中身は一層ハードになって来てる。太助がついに獣医になりたいと決意するに至るまで、「命あるものを飼うこと」を読者に問いかけるかのような展開が2巻に渡って繰り広げられる。このへん、語りだしたらキリがなくなりそうなので端折るけど、動物を「ペット」としてしか見られない人間には生き物を飼ってほしくはないなあ、と思っちゃうんである。全体、イマドキ生き物を飼うのにそれ相応の覚悟をしてる人がどれだけいるのかね。社先生の「家族で飼育の責任を持つ覚悟がないうちは動物はやめた方がいいですよ。子供がいらないと言ったからオトナもいらないと言うような家庭では動物が不幸になるだけですから」って言葉、生き物飼ってる家庭なら、本気で考えてほしいよ。
 思うんだけど、作者の梅川さん、『動物のお医者さん』とかすごく嫌いじゃないのかなあ。あれは「動物マンガ」ではなくて「動物観察マンガ」だからねえ。

2002年06月11日(火) 有久家の崩壊……直前?/『パタリロ西遊記』4巻(魔夜峰央)/『くらたまのお蔵だし』(倉田真由美)ほか
2001年06月11日(月) 誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)


2003年06月10日(火) 遠くなった人たち/『きみのカケラ』1巻(高橋しん)

 なんだかテレビのニュースは、「万景峰(マンギョンボン)92」の出航取りやめのことばかりである。
 いや、報道するのはいいんだけどさ、どうしてこう、拉致被害者の家族のデモとか、在日朝鮮人のインタビューとか、事件の全容を解明するのに何の貢献もしない内容ばかりなのかね。こちらの知りたい事実は全くって言っていいほど報道しないんだもの。もしかして、マジで何も知らないのかね? だとしたら、日本の報道機関の調査能力って、ゼロってことじゃん。「情けない」を通りこして、もう「あほ」としか言えませんな。
 しかもそのほんの些細な報道内容にしたところで、「拉致被害者の家族らは安堵の表情を浮かべ、在日朝鮮人社会には困惑が広がった」という具合に、「で、どっちの味方がしたいんや」と突っ込みたくなるほど無内容。平等報道のつもりかどうか知らんが、こんな電波のムダ遣いみたいなニュースばっかり垂れ流されてるとさあ、なんかイラついちゃってねえ。
 「北朝鮮の亡命技師が米議会公聴会で、『ミサイル部品の90%は万景峰号で3カ月ごとに運ばれていた』と証言した」。
 それはわかった。だったら、その万景峰号のどこにどう部品を隠してたのか、その可能性を検証することを報道陣はどうしてしない? 万景峰号の構造が分らない? 狭いところでも隠そうと思えば隠せる? そういうことじゃないんだよ、かつてその船に乗り込んだことのある人や、これから乗船する予定だった人に「政治的な意見」しか聞こうとしないその姿勢に、事実を検証しようなんて気がサラサラねーんだなってことが見てとれるから「バカかてめえ」って言いたくなるんだよ。
 結局、この船がホントに工作船であったかどうかということなんて、マスコミにとっては実はどうでもいいことなんである。こういう無内容な報道ばかり続けてるとさ、聞いてる方はもう、全く関心を示さなくなるか、あるいは白か黒か何の検証もしないで先入観だけで物事を判断するようになるか、どちらかになっちゃうんだけどね。そうなるともう、「相互理解」なんてのはほぼ不可能になる。まさかそれを狙ってるのか? マスコミさんよ。


 地下鉄のFカード、すっかり使いきってしまって、ホントはまた新しいのを買わねばならないのだが、いちまんえんなどという大金は今の私に出せる額ではないのである。それならば千円のでも三千円のでも、とりあえず買っときゃいいではないかと言われそうだが、そんな大金は今の私にはとても出せる額ではないのである(^o^)。
 だもんで、バスカードのみで博多駅まで遠回りして帰るのだが、これだともう、家に着くまで2時間近くかかる。全く、何でこんなめんどくさい職場に毎日通わねばならんのだ。
 もっとも、博多駅に寄れると、バス待ちの10分ほどの間に、立ち食いウドンが食えるという楽しみがありはする。久しぶりにコロッケうどんとかしわ握りを頼む。隣にいたサングラスをかけてちょっとお洒落な感じのおばちゃんが、偶然同じものを注文。「久しぶりにかしわ握りが食べられたわねえ。いつ来ても売り切れてるんだもの」と喜んでるのだが、その感想まで一緒(^o^)。
 ウドン屋の類にかしわ飯やいなり寿司を置いているのも、福岡の隠れた名物である。お握り=かしわという図式が擦りこまれてるので、実際、飛ぶように売れている。十回通って一回食べられるかどうかなのだ。
 しげとすれ違い生活が続いてる私の、これが今のささやかな楽しみであったりする。


 夜、こうたろう君改めグータロウ君が(たまに覗くかもしれない読者さんのためにしばらく併記しておこう)、いつもの朝の書きこみをしてなかったので、カラダの具合でも悪いのかと、ちょっと電話してみる。
 休日の「祭り疲れ」は残っていたものの、もう大丈夫だということで、ひと安心だったのだが、逆に昨日の日記の記述のことで心配され返されてしまった。全く、お互い心配しあってりゃ世話はないのである。
 まあ、心配してくれる友人がいるということはありがたいことである。もっとも、陰で私のことを中傷している人間がいるらしいことに対して、わがことのようにグータロウ君が立腹してくれるのは、ありがたいことはありがたいのだが詮無いことだよなあとも思う。
 誤解する人間は何をどう弁解したって誤解するものだし、一度仲がこじれたあとで自分が間違っていたと気付いても、人はそうそう素直に謝れるものでもない。謝ったところで、そこで仲が元通りになることはなく、しこりは残る。
 私自身は心底バカなので、何かトラブルがあった相手に対してもそういうしこりが全く残らないのであるが、残るタイプの人間にはそんなことはわかりはしないのだ。それが証拠に、私のことを中傷してた人たちは、とうの昔にそれが誤解だったってことは分かってるはずなのに、未だに何のリアクションもしてこないのである。自分に対する言い訳を考えるのに汲々としてるんではないかね。
 あるいは事実でないことを脳内変換して、あたかも事実であるかのように思いこんでいるのかもしれない。となれば、そういう人たちはみんな「触らぬ神」なんだわな。疎遠なままにしておいていいんじゃないの、と思うんである。


 マンガ、高橋しん『きみのカケラ』1巻(小学館/サンデーコミックス・410円)。
 発売されてたのは随分前だったのだが、ようやく読了。
 高橋さんが体調を崩されて活動を休止しているようなので、2巻がいつ出るかは心許ないのだが、何だか本格的なSF作品になりそうな雰囲気なので、ぜひ再開してもらいたいものだ。
 副題に“LOOK FOR ONE PIECE.TO THE FUTURE OF YOURS.”(カケラを捜せ。君たちの未来のために)なんて書かれていると、どうしてもシェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』を連想してしまうが、実際、そんな感じの話である(^o^)。
 高い壁に囲まれ、降り続く雪にいつか埋もれて、死ぬことを待っているだけの狭い国。ヒロインの王女(ではあるが権限は既になく、奴隷扱いである)イコロには「笑顔」が欠けている。突然「落ちて来た」少年、シロには「痛み」や「記憶」が欠けている。その「欠けたカケラ」を探しに、二人は狭い世界から旅立っていく。
 二人を追う「戦族」の3人組が、まんまドロンボーで、「ヒトガタ」と呼ばれる「何か」を追ってきて……となると、その展開はどう見ても『ふしぎの海のナディア』なんだけれども、これは冒険モノの王道パターンなんだし、あまり目くじらは立てまいよ。
 しげにはまた、「また、高橋しんなんか読んで」と言われそうだが、こういう切なげ系なマンガに惹かれてしまうというのもアレですよ、私が昔なくしてしまったココロのカケラに対する未練なんだと思って(^_^;)、お目こぼし願いたいのである。

2002年06月10日(月) 騙されて騙されてどこへ行く/『ありえない物語』(ポール・ジェニングス)/『マンガ狂につける薬21』(呉智英)ほか
2001年06月10日(日) ハカセ、負傷?!/『少女鮫』2〜5巻(和田慎二)ほか


2003年06月09日(月) いや、落ちこんでるわけじゃないんだが/『なんてっ探偵▽アイドル』12巻(北崎拓)ほか

 ちょっと書こうかどうしようか迷ったのだが、いずれそうなることを予測はしていたので、一応書いておく。
 先日の健康診断の結果が出たのだが、ついに眼底に出血が表れた。明日すぐ失明ということではないのだが、もうそんなに長く持つものでもなさそうである。食生活も改善できないし、仕方がないと言えば仕方がないのだが、体重が減り加減であったので、自分としては少しはマシな状況になってるんじゃないかと油断していた。あとどれくらい本が読めて映画が見られるのかなあと思うと、ちょっと寂しい。
 もともと私の視力は極端に悪い。数メートル先の人の顔の区別もつかないし(つかなくても生活に支障は来たさないのだが)、とうに人の顔を覚えようという気はなくしている。そんなんで本や映画をよく見られるなと思われるかもしれないが、だから劇場の大画面で映画を見るのが好きなんである。活字は大きいに越したことはないが、多少つぶれたように見えていても、慣れでどんな字か見当はつく。それでも出血がひどくなって、目が霞むようになれば、本も映画も見るのを諦める日が来るのだろう。数ヶ月先か、数年後か、10年後か。でも、最初に失明宣告を受けたのは小学生のときだったから、よくここまで持ってくれた、と言った方が正しいかもしれない。
 とは言え、何せ救われぬ煩悩の徒であるから、潔く諦めきれるかどうかは自信がない。メクラの癇癪モチの因業ジジイになりゃしないかと心配である。
 このサイトも、どれだけ長く運営できるかしらないが、できればしげに口述筆記で日記くらいは書き綴ってほしいなあと甘えたことを考えている。でも一日10行以上は絶対いやがりそうなんだよなあ(^_^;)。
 週末はとりあえず眼科に行って、精密検査を受けるつもりである。それでまた結果がどう出るか、今後はいったいどうなるのか、世は全て“Que sera sera”。


 ショックの余り、我知らず神経のバランスが崩れたりはしないだろうかとかなんとか不安に思うが、そういう思考をしていること自体、既にバランスを欠いている証拠である。
 仕事が手につかないというほどではないが、ふと、廊下を歩いていて、目的の部屋を通り過ぎている。これがココロ、ココニアラズ、という状態なんだろうか、ああ、意外とオレも脆いなあ、と苦笑する。
 帰宅途中、博多駅に寄って、近くに今年のトンデモ本大賞の例の歯医者があるんだよなあ、ちょっくら寄って、パンフでも貰って来ようかと考えて、「今、夜じゃん」と気がつく。焼きソバ屋に寄って、マヨネーズをかけていてふと気がつくと一本使い切っている。目の前の焼きソバはマヨネーズのこんもりとした山に埋もれている。でもってそれをまたヤケになって食うのだ。
 自分で自分がおかしくなってるなあ、と理解はしているのだが、では、そのおかしくなってる自分を見ているもう一人の自分は誰なのだろう?
 どうもこう調子が悪いと、しげの情緒不安定を笑えない。


 帰宅すると、まだしげが寝ている。検査結果のことを言おうかどうしようか迷ったが、どうせ日記を読むんだしなあ、と思って黙っている。一日経てば私ももう少し落ちつくだろうから、それからでも話して悪くはない。だいたい、私が失明しそうだからと言って、いきなりかいがいしくなるような人間ではないのだ(だったらとうの昔になっている)。
 しげが仕事に出て行ったあと、日記をほとほとと綴って、チャットを開く。いつもより一割増しくらい、露悪的な書き込みになることが多い。やっぱり神経が高ぶっているのである。ヨナさん鍋屋さんには、いったいどうしたのかと心配なされたことであろう。実はこういうわけだったのである。いや、申し訳ない。


 録画しておいたCSアニマックスの『ジャックと豆の木』を見る。前にも感想を書いた気がするので、詳しいことは繰り返さないが、『銀河鉄道の夜』や『源氏物語』のような幻想世界を見事に描いた杉井ギサブローの、スラップスティック感覚が横溢したもう一つの代表作。音楽がBGM的な働きしかしておらず、今一つミュージカルになりきれてないのがウラミだが。
 しかし声優陣は豪華だ。市村正親・山本リンダ・西村 晃・悠木千帆(樹木希林)・日下武史・水島 弘・一谷伸江・麻生美代子・上村一夫・左とん平。今だったら、キャストだけで製作費が吹っ飛びはしないか(劇場公開は1974年)。
 樹木希林と麻生美代子の声質がよく似ているので、麻生さんがいつもよりやや甲高い声で当てているのがおかしい。


 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵▽アイドル』12巻(小学館/ヤングサンデーコミックス・530円)。
 えー、「闇のドッキリ番組編」「青い目の逃亡者編」「アキラ拉致問題編」「ゆかりん視姦編」「リスト対テロリスト編」を収録だそうです。
 なんかもー、どの話もとことんトホホな展開で、確かに私自身なんで未だにこれを買ってるのかよくわからないのだが、やっぱこの作品、基本的に「ハレンチ学園」モノだからなのかもなあ。これが「刷り込み」なのであろう(そう言えば『ハレンチ学園』もコンビニで発売されましたね。なぜか第1話から収録されてませんが)。
 だって、アレですよ、アキラが誘拐される話なんか、自分の居所を清春と片岡に知らせるために、アキラがプラジャーやパンツを落としていくんですよ。こーゆーマンガをどう評価すればいいというのか。……だから自分でもなぜ買ってるか説明がつかないんですってば。

2002年06月09日(日) チキュウは狂気で回ってる。/『全日本妹選手権!!』1・2巻(堂高しげる)/『おごってジャンケン隊』5巻(完結/現代洋子)ほか
2001年06月09日(土) イカレポンチ天国/映画『大菩薩峠 第一部』(1957東映)ほか


2003年06月08日(日) 別れの予感/DVD『八つ墓村』/『HUNTER×HUNTER』17(冨樫義博)ほか

 アニメ『鉄腕アトム』第10話「金星ロボット襲来!」。
 20年前、金星開発のために大量生産されたが、宇宙開発が木星の衛星群に移行したために、使われることなく海底に廃棄された金星ロボットがトロール船の電磁網に引っかかる。彼らは未だに稼動しているのか? 強力な冷却装置を持つ金星ロボットの危険性を心配したお茶の水博士は、アトムに海底の探査を命じる。驚いたことに、彼らは自己進化を遂げ、海底で町を作り、使命を与えてくれるキャプテンが再びやって来るのを待っていた。
 アトムのあとを追って広大な都市を発見した天馬博士は、自らキャプテンと名乗り、金星ロボットを操り、彼らの持つ冷却装置で、メトロシティを凍らせようと企む。
 ベースになってる原作は『ロボット爆弾(□□□□から来た男)』か。天馬博士を登場させた分、メイスンも丸首ブーンも出番がなくなってしまったが、手塚キャラクターシステムファンとしてはちょっと寂しい。ヒゲオヤジもレギュラーじゃないからなあ。
 天馬博士が「私は神だ!」って叫ぶのもキャラクターを安っぽくしてしまっている。それにラストのモニュメントのデザインがお茶の水博士を支えるアトムって……なんかベタ過ぎるぞ(^_^;)。
 だいたい、アトラスをアトムと戦わせたのが「試練」のためだったとしたら、金星ロボットでメトロシティを凍らせようとする天馬博士の目的は何だったのか。ロボットの独立を図らせるのにはまだまだ時期尚早だろう。特にアトムを「ロボットの王」に本気でしたいのなら。「今の」アトムがロボットたちの暴走を止めようとするのは分りきっている。仮にメトロシティが破壊され、ロボット王国が築かれ、事後承諾で(おいおい)アトムを王位につかせようとしたとしても、さて、アトムが納得するはずがない。アトムにもっと人間に対する不信感を抱かせてからでないと、金星ロボットを操るだけでは結局、目先の破壊しかできはしないし、体制の転覆までは無理な話だろう。
 なんだか天馬博士がバカに見えちゃうんだけど、そういうのって、よかないよなあ。シリーズ構成がちょっと甘いのではないかとも思う。
 あっ、けど、アトムのコブシを握ったおなじみの飛行ポーズが出て来たの、今回が始めてではないかな。


 よしひと嬢としげ、練習に出かける。
 14日にシネリーブル博多駅で友成純一さんのトークショー&『死霊のはらわた』の上映会があるのでお誘いしたのだが、今週は都合がつかぬとのこと。残念である。


 ともかく見ないまま溜まってるDVDを見ねばと、まずは松竹版の『八つ墓村』を鑑賞。
 横溝正史ファンとしてはまあまあ濃い方だろうと自認している私ではあるが、実はこの映画を公開当時劇場では見ていない。なんでかって、もう休日となるとスゴイ長蛇の列で、何回行っても人が多くて入れなかったのよ。
 でもって、当時の福岡の松竹ピカデリーってさ、映画館としては最低な部類だったので(客席が急勾配で、映画がマトモに見られる角度がほんのちょっとしかないし、スピーカーが古くて声が割れてて聞こえない)、ええい、もう見なくたっていいや! とパンフレットだけ買って帰っちゃったのだ。あとでテレビで見て、これはやっぱり「いい条件の」大画面で見たかったなあとつくづく思ったことである。
 特典で「シネマ紀行」ってのが収録されてるのだけれど、これが単に「ロケ地は今どうなってるか」ってだけのもので、つまらない。
 まだ、予告編5パターンが全部収録されてるが、こちらのほうがよっぽどメイキングとしての価値がある。原作者横溝正史と野村芳太郎監督との打ち合わせの様子とか、津山30人殺しの現地を訪ねる渥美清の映像とか、こりゃスゲエ貴重だよ。街頭インタビューは明かにヤラセのアフレコだったけど(^_^;)。
 予告編でやたらと「『砂の器』のスタッフが再結集」と紹介されているのは、1977年当時の状況を知るものでないとピンと来ないだろう。1974年公開の松本清張原作による『砂の器』は、松竹映画史上最大のヒットを飛ばし、ロングランに継ぐロングラン、映画賞も次々に受賞し、この『八つ墓村』の前年にもリバイバル公開されやっぱりヒットを飛ばすという、とんでもない状況を生んでいたのである(その記録を『八つ墓村』が破ることになるのだが)。
 当時の総製作費7億円(現在の金額に換算すると15億円程度)、キャストも松竹定連だけでなく、もと東宝の役者さんでフリーになっている人たちも総動員して、実に厚みのある演技陣。
 下準備に6年をかけ(実は最初は角川との共同提携であった。角川春樹と松竹が揉めて袂を分かち、角川映画第一作として『犬神家の一族』が前年に公開されたのは周知の通り。これがかえって『八つ墓村』を宣伝する結果になった)、音楽は『砂の器』の汚名返上、起死回生を狙う芥川也寸志(実は『砂の器』のテーマ音楽『宿命』を作曲したのは芥川さんではない。弟子の菅野光亮さんである。でもあれを芥川さん作曲だと勘違いしている人は当時から多く、芥川さんにとっては忸怩たるものがあったろう)、脚本は黒澤組の橋本忍、撮影は松竹生え抜きの川又昂、監督は横溝「文学」の映像化を長年夢見ていた野村芳太郎。既に『張込み』『ゼロの焦点』『背徳のメス』『五辨の椿』『影の車』『砂の器』などの作品で、ミステリの映像化に関しては第一人者と見られていた。これだけの大作感のある映画は当時はそうそうなかった。
 同時期に『スター・ウォーズ』第一作(今はエピソード4『新たなる希望』って呼ばれてるやつね)が公開されているが、その前年からの宣伝攻勢でSFファンはともかく一般観客は食傷気味になっており、興行自体はたいしたことはなかった。前年からの横溝ブームの方が世間的には圧倒的に上、という状況だったのである。
 では、映画として、完成度は高いかと言うと、そこが微妙な評価になってしまうのである。原作は随分改変され、里村慎太郎・典子(原作のヒロインなのに)の兄妹がカット、重要な役を担う僧侶英泉も同じくカット、いくつかの人物に習合されている。映画的に2時間にまとめる必要があったという事情もわかりはするのだが、ミステリとしての深みが薄まってしまった印象は否めない。
 何より、都筑道夫も「これは推理映画ではなくオカルト映画だ」と嘆いたラスト、詳細は省くが、「あれはないよなあ」なんである。脚本の橋本忍、考えてみたら『幻の湖』の人だものなあ(^_^;)。何のことか映画見てない人にはよく分らないと思うが、ネタバレに属するので、この程度の表現でカンベンしていただきたい。
 それでもこの映画は、私の「横溝正史映像化作品」の中では市川崑の全作を抜いてベスト2になる(1は高林陽一監督作『本陣殺人事件』)。それはたとえ風貌が原作通りでなくても、金田一耕助の内面を見事に表現した渥美清の名演にかかっている。
 金田一耕助は怖い人である。
 人間の心の深淵を覗き、そこでのたうち回り、帰ってきた人間である。かつて麻薬中毒患者でもあった過去までも感じさせる演技を披露してくれた役者さんは渥美さん以外にはいない。
 渥美清の金田一に、「怖さ」を感じた人ならば、私のこの意見にも首肯していただけると思うのだが。


 帰宅したしげと、久しぶりに一緒に外食。
 「焼肉のさかい」へ。「焼き肉」と言うとしげの方から誘ったように思われるかもしれないが、珍しく私の方からである。私もたまには肉に飢えることもあるんで。
 しげ、なんだか情緒不安定。人の悪口がやたらと口を突いて出るが、そんな自分がまた嫌いになるらしい。果てはいきなり別れ話を切り出される。
 「別れたいなら別れてもいいけど、なんで?」
 「最近会ってないから。会ってないと忘れるし」
 「つまり、『夫婦のすれ違いってシチュエーションがあるから、別れなきゃいけない』ってこと? 別れたい理由があるわけじゃなくて?」
 「うん」
 「それって、ムリヤリ『別れのドラマ』作ろうとしてないか?」
 「だって、ドラマ作るの好きだって知ってるやん」
 「……何度も言うけどさ、オノレの作った夢(=妄想)に人を巻きこむなよ(by諸星あたる)」
 でも、しげにはこういういい加減な理由で別れちゃいそうなところはあるんだよなあ。例えばしげはやたら「ラブラブなムード」を形で示してくれるよう私に望むことが多い。私にとっては、必ずしねベタベタなラブシーンを演じなくても、「今のこの形で」充分それを表しているのだ。ところがしげはそれではとても物足りない。それこそ、「うふゥ〜ん、君ってなんでそんなに素敵なのぉ?」「いやァ〜ん、アナタこそどうしてそんなにカッコイイのォ〜ん?」ってな臭過ぎるくらいの語り合いをしないと満足しないのである。でも、それは実は「恐怖心」の裏返しだ。
 「形あるもの」、それもベッタベタに象徴化・具象化されたものにしか信頼が置けない、というのは、そうでもしないと二人の関係を保てないかもしれない、と恐れているからである。私がどんなに口で「お前を嫌いになることはない」といってもムダである。
 じゃあ、実際に愛している様子を見せたらしげは本当に安心するのか。それもまた望み薄だな、と私は感じているのである。そのときはそのときで、「怖がり」なしげは心のどこかで「これはウソだ」と思うだろう。結局、自らの心から「恐怖」を追い出さない限り、しげは何も信用することはできないのだ。
 しげはやはりまだ「怖がって」いる。人の心を受け入れることを。その深淵に触れることを。
 でもそれをする、と約束をしてしげは私と結婚したのだ。しげのことだからそんなことはすっかり忘れてるのかもしれないが、まずその努力をしないで私に何かを求めても、私は永久に答えることはできないのである。
 ともかく「形」に左右されるの、やめようよ(-_-;)。


 マンガ、冨樫義博『HUNTER×HUNTER』17(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 相変わらずトーン使わないし、白っぽくて雑な印象なんだけれど、さすがにグリード・アイランド編もクライマックスが近づいてきたせいか、それなりに面白くはなってきた。っていうか、本誌の方でチラチラと今後の展開を見てるせいもあるけど。
 カードかどうのこうのってのは実は全部読み飛ばしてるのであるが(^o^)、キャラクターの心理の流れに緊迫感が生まれてきてるのがまだこのマンガを読ませている原動力だろう。
 けれどヒソカがどんどんいいやつに見えてくるのはどうかな、まあ、まだここぞ、というところで残虐になってくれるんじゃないかと期待してるんだけど。

2002年06月08日(土) いろいろあって書ききれねー/『あずまんが大王』4巻(完結/あずまきよひこ)/映画『少林サッカー』
2001年06月08日(金) 子供の命は地球より軽い/映画『ハンニバル』


2003年06月07日(土) なんだか盛り沢山な日/映画『腰抜け巌流島』/DVD『怪獣大戦争』ほか

 ホントは今日は出勤してほしいと頼まれてたのだが、そうそう休日出勤ばかりしていたら、カラダが持たないのである。
 もともと休みなんだから、休んでなんの悪いことがあろうか。
 というわけで、朝寝をするつもりが、目覚めたら七時。なんか数時間寝ただけで起きちゃいました。カラダがやっぱり仕事人間になってるのかなあ(それはないない)。


 DVD『怪獣大戦争』、コメンタリーは土屋嘉男さん。
 もちろんこの映画にはX星人の統制官として影の主役を演じていらっしゃるのだが、コメントは「俳優、土屋嘉男伝」といった内容で、デビューから黒澤映画への出演、例のUFOの話と、いやまあ、面白い話がいっぱい。もちろんそれらの多くは黒澤明関連の本や土屋さんのご著書などにも紹介されているものではあるが、やはり「語り」を交えられると一味違うものを感じる。
 土屋さんのデビューのきっかけが太宰治からの「君は俳優になりなさい」の一言だったというのは初耳だった。こういう重要なことが自伝に書かれてないとは思えないから、多分私は読みおとしていたのだろう。「ほんとはあの人が俳優になりたかったんだよねえ」という太宰評はいかにも的を射たものという印象だ。

 実のところ私は、土屋さんのお名前を知ってからも、『地球防衛軍』のミステリアンや、この『怪獣大戦争』のX星人の統制官が土屋さんだとは長らく気付かないでいたのだ。黒澤映画の利吉や森半太夫が、別の映画で宇宙人とは、あらゆる役を演じるのが役者の仕事だとは言え、あまりにイメージが違いすぎたためである。「あんなお面かぶって顔の見えない役をやるなんて」という周囲の揶揄は当時からずっとあったようだが、土屋さん自身が「やらせてください」と本多猪四郎監督に頼みこんで出演することになったという話を何かで読んだときには、涙が出そうになった。怪獣映画をバカにしないで出演してくれる役者さんは、今でこそ増えはしたが、当時は珍しかったに違いないのである。そのあたりのことも今回のコメンタリーで語られている。

 土屋さんのご著書にも書かれていることだが、私が大好きな、黒澤さんと本多さんにまつわる一エピソード。黒澤さんが土屋さんに語ったという、本多さんについてのコメントである。
 「猪(いの)さんの映画って、怪獣が襲ってくると、みんな大八車引いて逃げ出すだろ。でもそれをちゃんと交通整理してる警官がいるんだよねえ」
 「監督ならどう演出しますか?」
 「そりゃ、警官は真っ先に逃げるよ。……でもね、あれは猪さんの良心なんだよ」
 近年のゴジラ映画にどうしても飽きたりなく感じるのは、この「良心」の欠落にあるのではないだろうか。

 あと、「統制官の演技はシェークスピア風」だとか、「X星語はドイツ語やイタリア語っぽいものの中に芥川龍之介の『河童』語を混ぜた」だの、「ニック・アダムスは撮影中ずっとダイエットしていて、しょっちゅうズボンを上げるのがくせになっていた」とかいうこぼれ話はどれも楽しい。しかし、あの賛否両論甚だしい「ゴジラのシェー」の発案が土屋さんだとは知らなかった。土屋さんファンの身としても、いくらなんでもそれはちょっとどうかと言いたいような、「でも土屋さんが言ったんならなあ」と弁護したいような、痛し痒しの心境である。
 土屋さんももう76歳である。『ゴジラVSキングギドラ』に出演したあとは、Vシネマや『水戸黄門』のゲストなど、数作の出演作しかない。お年を考えれば無理のないことではあるが、東宝、次のゴジラにでも出演依頼をしてくれないだろうか。


 しげから、急ではあるが「よしひと姉様、また泊まりに来るよ」と聞いたので、こりゃ今日は夜更かしになるだろうと、昼のうちに仮眠。
 練習を終えて、夕方、しげ、よしひと嬢を連れて帰宅。ちょうど、『腰抜け巌流島』をBSで放送中だったので、主役の宮本武蔵役の役者を指して、「これ誰だかわかる?」と聞いてみる。
 「……どこかで見たことあるような気はするんですけれど」
 「森繁久彌だよ」
 「……ああ、言われれば」
 昔の映画の方に馴染んでいると、今の爺さんの森繁の顔の方が「老けたなあ」としか私には思えないのだが、やはり若い人には昔の顔の方が「若いなあ」になるのだろう。つくづく自分が年を取ったと感じることである。
 と言ってる私も、佐々木小次郎のヒゲを生やしてない大泉滉のつるんぺたな顔には違和感を感じてしまうのだが。大泉滉は子役時代の『風の又三郎』のときの美少年ぶりと、『赤影』のアヤシイ宣教師との間にギャップがありすぎて、私の中ではその間がミッシング・リンクになっているのだが、これはちょうどその間を埋めるものか。
 しかし当時の森繁、飛んだり撥ねたり、よく動いているものである。
 ナンシー関さんは、まず確実にこのころの森繁映画を見てはいなかっただろうが、見た上で貶すなり批判なりをしてほしかったと思う。そうすれば時代観察としての意味以上のものが書けたと思うのだが。

 食事は諸岡のロイヤルホストで。
 よしひと嬢、口内炎が出来ているので汁ものは避けたいと言っていたのに、グラタンやシチューを頼む。やっぱり「いたた」と涙を流しながら食べていたが、そうなるとわかっててどうして目先の欲にとらわれるか(^_^;)。
 しげと私は、定食メニューを。最初しげは「スパもほしいし、これもあれも」と悩んでいたが、結局メニューを一つだけに絞る。最近、ようやく「我慢すること」を学習したようである。
 食事をしながら雑談をしていたのだが、そのうち、ホームページのコンテンツの話になる。よしひと嬢に、イラストを何か描いてもらえないか聞いてみたのだが、最近しばらく描いていないとか。
 「『名探偵コナン』は描ける?」
 「あの絵はちょっと……」
 しげが「他力本願」と突っ込む。でも私が描くとこいつは「自画自讃」と文句をつけるのだ。どうすりゃいいんだ。
 『名探偵コナン』を批判してることについても、しげの舌鋒は厳しい。
 「なんでそんなにトリックに拘るの? まずはストーリーじゃん」
 「トリックにだけ拘ってたりしてないよ。プロットもストーリーもキャラクターもチグハグだし、まず殺人の動機が一番いい加減だって言ってんだよ」
 「でも口を開いたらすぐに『ミステリーとして』って言うけど、読者は『面白いかどうか』だけで、いちいち『コナン』がミステリーかどうかとか考えてないって」
 「それはそれでいいんだよ、オレが『ミステリーとして』っていうのは、その言葉を使えば他の細かいめんどくさい説明をしなくても通じる相手がいるからで、『話が面白いかどうか』って意味でなら同じなんだし。だいたいおまえは『コナン』面白いの?」
 「ひまつぶしに読むのにはちょうどいいよ。けど、読みながらいちいち『ああ、この事件のトリックはこうで、犯人は誰だな?』とか考えないよ。アンタの読み方って、物語を読んでるんじゃなくて、『クイズマニアがクイズを解く』見方になってるじゃん」
 「そういう描き方をあのマンガがしてるからだよ。『ミステリーとして』読まれることを意図してることがはっきりしてるのに、ファンがみんなそこんとこは無視して、新一の蘭への愛がどうの、平次の和葉ヘの愛がどうのって、そんなとこだけ見てるほうがよっぽどおかしいよ」
 「……そんなに好きなん?『コナン』が」
 「好きじゃなきゃ、単行本41巻全部買って、特別編も19巻まで全部買って、映画も毎年必ず見に行って、ムックまで買ったりせんわ!」
 ……いや、自分で言っててもバカだと思う。そりゃ、わかっちゃいるのだ。
 私は『コナン』の話のチャチさや既成作品からのパクリの多さや、ミステリそのものに対する作者の志の低さにばかり腹を立てているのではなく、どちらかと言うとファンサイトを開いてる腐女子の「ものの見方の狭さ」の方に憤りを感じていたのだ。
 でも、更によしひと嬢から聞いたのだが、『コナン』のヤオイ本というのもちゃんと存在してるようなのである。
 「誰と誰だよ。小五郎とコナンか」
 「いや……大坂の方にいるじゃないですか」
 「……平次とコナン? ああ、いや、平次と新一か」
 「いえ、平次とコナンで」
 「コナンと? 攻めはどっち?」
 「コナン君のほう……かな?」
 イカレてるとしか思えないが、考えてみたらこんな話をまだ日も落ちてないのにロイヤルホストで堂々と喋ってる我々もそうとうイカレているのである。
 他にも、海外作品の翻訳がどれだけ雑か、などといった話など、多々。
 よしひと嬢、「久しぶりにたくさん喋った」と言ったけど、そんなに彼女の会社は、コミュニケーションの少ないところなのだろうか。 


 帰宅は9時。しげは昨日の夜に出勤してから、丸24時間寝てないので、もう限界が来ている。風呂の準備だけを何とかして、寝床に転がりこんでキュウ。
 せっかく時間があるので、よしひと嬢に、まだ見ていないという黒澤明のDVD『天国と地獄』を見せる。
 10時を回ったころ、愛上嬢から電話が入る。ラクーンドッグさんのメアドを聞きたいということだったのだが、生憎私は知らない。しげは寝こけて起きてくる気配がないので、困っていると、よしひと嬢が教えてくれた。明日の練習のことで鈴邑君が連絡を取りたがっていたそうである。
 愛上嬢、「あとで遊びに行っていいですか?」と言うので、どうぞどうぞと答える。私も夜更かししてお相手できるのは土曜の夜くらいのものである。
 『天国と地獄』の終盤のころ、愛上嬢来る。本が山積になっている部屋に三人は、少々どころか大変手狭なので、何とか椅子を空けてそこに座ってもらう。愛上嬢は、黒澤映画を見るのは初めてだとか。地上波のテレビじゃ黒澤映画を流す機会も少なくなっているから、それも仕方のないことか。
 見終わったあと、よしひと嬢、感極まったように「面白かった……。久しぶりに面白い映画を見た……。『マトリックス』なんて見ても仕方ない。キアヌはカッコよかったけど」と呟く。どういう比較の仕方なんだか、よく分らないが気に入ってはいただけたようだ(^o^)。
 そのあと、『天国と地獄』のメイキング、押井守実写作品の一部などを見せたころには時計は1時を回っている。「さすがにもう寝ないと」とよしひと嬢は寝床に引き上げ。
 愛上嬢もしばらくパソコンで私の日記を見ながら笑っていたが、じきにご帰宅。予想外に賑やかなサタデーナイトになったことであった。

 チャットを覗くと、鍋屋さんがせっかくトンデモ本大賞に行かれたことを書き込みされていたのに、待ちぼうけをくらわせてしまっていた。申し訳ないことである。金・土・日の夜は、必ずしも顔を覗かせられるとは限りませんので、そのへん、ご了承願います。m(__;)m



 『時代劇マガジン』vol.3(辰巳出版・1260円)。
 あっ、2号買った覚えがないのに3号が。これだから本屋には足繁く通わないとって思うな。
 特集は『魔界転生』と『あずみ』だけれど、キャストインタビューなんかはあまり面白くはなくて、これまでの山田風太郎映像化作品コンプリートの方が資料的に読んでて面白い。やっぱポルノ映画化がほとんどなんだなあ。さすがに小学生のころにそんなのを見るのはムリなんで、ほとんどが未見。かと言って、これから博捜して見るというのも(^_^;)。
 ここ数年、映画でコンスタントに時代劇が作られるような状況が生まれたおかげで、こういう雑誌も生まれる。時代劇ファンとしては嬉しいのだが(あのね、80年代のその年に見た時代劇が『里見八犬伝』だけ、なんて状況から考えたら今は天国ですよ)、それでも時代劇が本当に面白かったのは、戦前から戦後の昭和30年代までだったんだよなあ、と、この雑誌を読んでるとつくづくそう思う。新旧の映画紹介が載っているから、比較しちゃうとどうしても「昔の作品の方がよかったよなあ」と思ってしまうのだ。
 快楽亭ブラックさんが、『傑作時代劇文豪列伝 陣出達朗の世界』と題して片岡千恵蔵主演の「遠山の金さん」について語っているのだが、
 「千恵蔵の金さんとテレビの金さんの決定的な違いは悪役の知能だ」
 「遠山の金さんシリーズがすばらしい法廷ドラマであることがわかる」
 「『はやぶさ奉行』と『さくら判官』がお勧め」
 と、何だか「我が意を得たり」な意見が綴られていて嬉しくなる。
 普通、キャラクターのイメージは最初に出会った役者のそれで決定づけられてしまうとはよく言われるが、言っちゃなんだが、そりゃドラマを見ることもできないアタマの悪い連中の言いぐさじゃないかって気がしてくる。私も「金さん」に出会ったのはテレビ版の中村梅之助版が最初だが、そのあとで片岡千恵蔵の映画版金さんを見たら、それ移行の金さんは全て消し飛んだ(ついでに言えば、水戸黄門も月形龍之介を見ちゃうと他のはどうにもねえ……)。
 年に何作も作られていたプログラムピクチャーなのに、ドラマの「密度」が違うのである。

2002年06月07日(金) 野良犬は革命ごっこの夢を見るか/映画『血とバラ』
2001年06月07日(木) MURDER IS EASY/『詩的私的ジャック』(森博嗣)ほか


2003年06月06日(金) ココロさみし/映画『愛してる、愛してない…』

 最近、職場で気疲れすることが多いので、ささやかな憩いを、ということで、職場の机の上に手塚治虫のミニフィギュアを置く。
 例の食玩(と言ってもお菓子が入ってないから既に食眼とは言えないのだが)のシリーズ第2弾のやつで、モノは『ふしぎなメルモ』である。赤ん坊メルモ、普通のメルモ、おとなメルモと三体が同時に立ってるんだけど、前シリーズと同じで、出来はいいがキャラ自体は全然、手塚治虫の絵に似ていない。でも見てると何となく和んでくる。決してメルモがパンチラで目をつむってキスしようとしてるように見えるからではない(^o^)。
 私の職場を考えると、そんなモノを置いてたらちょっと問題が起こりそうではあるのだが(どんな職場だ)、目立たないよう、ものの陰にちょっと置いているだけなので、上司には見つからないであろう。
 ……しかし困ったねえ、「癒し系」なんて言葉、大っ嫌いなのに、いつの間にか「癒されたい病」に罹ってるよ。


 居残り警備を終えて、天神に直行。いつもはしげと一緒なので、車で比恵まではすんなり行けるのだが、今日は一人、バスと地下鉄を乗り継いでなので、時間はギリギリ。食事をするヒマがない。空腹を抑えながら天神東宝で、映画『愛してる、愛してない…』を見る。
 『アメリ』で大ブレイクしたオドレイ・トトゥ主演の、これがまた何と言うか、見事にハートを射抜かれちゃった大感激の大傑作。ところがどこがどうよかったかを語ろうと思ったら、これくらい難しいものもない。
 このタイトルを映画を見終わったあとで考えてみると、実に上手いつけ方だと言えるんだよねえ。原タイトルは“A la folie pas du tout(心より狂気をこめて)”なんだけれど、それよりずっといいなあと思う。でもその理由がまた、一切説明できないんですよ、これが。
 いや、筋そのものは「途中までは」なんとか語れるんだけどね……。

 ヒロインは画学生のアンジェリク。明るく、元気な彼女は、絵の技術も個展を開けるくらいの実力で、賞も取って未来は明るく開けているように見える。デッサン中にモデルの顔をつい好きな人の顔にして書いちゃうようなおちゃめなところもあるけれど、夢見がちなのは恋する乙女のセオリー。
 そんな彼女の恋の相手は心臓外科医のロイック。でも、彼には奥さんもいて、今度は子供も生まれるとか。でも、アンジェリクはめげたりしない。
 あの人の心が、本当は私にあることを、何より私が知ってるもの。
 夜は一緒にパーティで、二人だけの時を過ごした。休日は公園で、あの人の姿をスケッチした。それなのに……。最近になって、彼が私との約束を破るようになった。約束の場所には現れない。二人で行こうって誓ったフィレンツェ旅行も当日になって、キャンセル。あの人、もしかして奥さんの元に……?
 「もう、あんな男とは別れたほうがいい」って、友達のエロイーズも、私に片思いしてるダヴィッドも忠告してくれる。けれど、もう、私の恋は止まらない……。

 えー、これを読んで、まだ映画を御覧になってない方は、原タイトルの「心より狂気を込めて」って意味が、アンジェリクの募る思いを表現したものだとお思いでしょうか。
 そして二人の恋の結末がどうなるのか、それがこの映画のクライマックスになるのではないかとご想像されますでしょうか。
 ……だから、それから先が何にも言えないんですよう(T∇T)。なんで言えないかすら言えない。この映画に関するいくつかのサイト見たら、そのへん書いちゃってるのがあるんで、もしこれから見に行こうって人は、できればそういう事前情報も入れないで見てほしい。そして見て、「驚いて」ほしいんですよ。
 アンジェリクのオドレイ・トトゥはともかく素敵です。見た人の中には「あんな女はなあ」と仰る方もいらっしゃるかもしれない。でも、彼女を通して描かれているのが「愛」の本質であることに疑いはない。アンジェリクを愛せない人間は、愛を知らない人間だと言ってもいいでしょう。
 何が何だか訳わかんないでしょうが、しょうがないんです。禁じ手だけど、あえてこう言わせて頂きましょう。「ともかく見ろ!」
 ほてから、チャットでこっそりささやきあいましょう(^o^)。
 でも、もうすぐ公開終わるんだよなあ。もう少し早めに見に行っておけばよかった。


 映画が終わって、腹の調子が悪かったので、トイレに駆け込み。
 これで5分ほど時間をロスをしたので、一本、地下鉄に乗り遅れる。これが響いて、乗り継ぎ予定の最終バスにも乗り損なう。
 となると、あとは家まで歩いて帰るしかない。30分ほどかかりはするが、タクシー拾ったんじゃ、せっかくレイトショー割引で映画代を浮かせたのに、意味がない。まあ、運動不足を解消するつもりで歩き出す。

 途次、半分ほど来たろうか、突然、黒い車が道寄せして私のそばに停まった。
 いったい何だ、マフィアがCIAが私を攫いに来たのかと、車をよくよく見ると、何のこたあない、しげの車である。中を覗くと、しげはリンガーハットの制服を来ている。しかし、この道はリンガーへ行く道ではないはずだが。
 「どうしたん? こんなとこで」
 「いや、ちゃんと『今日は映画に行く』って言っとったろうが。お前は何しよん?」
 「食材が切れたんで、他の支店に取り行きようと」
 「ああ、じゃあ、また店には出るん?」
 「……タダ働きだけどね」
 また居残りして勤務時間外まで働いているのである。あとの人が忙しくなるのが心苦しいからと言うのだが、優しいんだかお人好しなんだか。でも、その優しさが私に全く向かないのは何でだ(-~~- )。
 「じゃあ、乗せてけ。腹減ってるから、お前んとこでメシ食う」
 「ちょうどいいね、新メニューも出とうよ」
 というわけで、同乗して、食材を貰いに店をぐるりと回り、しげの店まで戻る。
 考えてみたら、こんなふうに偶然出会えるなんて、滅多にあることではない。しげは内心、「赤い糸」とかなんとか思ってんじゃないか。でも、私は基本的に人の縁は信じるが、それとて過剰に運命論を唱えたいわけではない。たまにこういうことがあると嬉しいねえ、程度のものである。
 だって、こんな偶然が毎日あったら、かえって怖いではないか。それって、単に私がしげにストーカーされてるだけだって(^_^;)。
 店では蒸し鶏ちゃんぽんと冷麺を注文。「餃子もいかがですか?」と店員さんに聞かれるが、いくら腹が減っているからと言って、さすがに餃子までは食えない。でもおでんは食った(^o^)。
 蒸し鶏は美味かったが、冷麺はゴマダレを頼むつもりでつい醤油味を頼んでしまったので、失敗。醤油のほうは苦手なのである。

 帰宅して、チャットを覗いてみるが、既に1時を回っていたので、さすがに誰もいない。まあ、休日前はこんなこともあるということで、待たせてしまった方々にはご容赦いただきたいのである。

2002年06月06日(木) つまりシロクマって保護色?/『愛はめんどくさい』(まついなつき)/映画『原子怪獣現わる』ほか
2001年06月06日(水) フォークって民謡って意味なんだが/『メトロポリス』(手塚治虫)ほか


2003年06月05日(木) なんかタイトル思いつかん/『キカイダー02』5巻(石ノ森章太郎作・MEIMU)/『ヒカルの碁』22巻(ほったゆみ・小畑健)ほか

 また今朝もしげにいきなり起こされる。
 「なん、これ!」
 という、しげの怒りと憤りと憤怒と激怒と激昂の怒声である。
 寝惚けてまた「な、なに?」とからだを起こす私。
 しげが凝視しているのは、テレビの画面である。
 映っているのは、夕べ仕掛けたチャンネルNECOの『サクラ大戦 轟華絢爛』である。ちょうど6話のオープニングが始まったころで、サクラが桜吹雪の中で刀を振りまわしている。
 「『サクラ』……しかも6話?!」
 この日記を長く読み続けていらっしゃる奇特な方ならご存知であろうが、しげは藤島康介が嫌いである。あかほりさとるはもっと、蛇蝎のごとく嫌っている。そこまで嫌わんでもいいんじゃないかと思うんだが、嫌いになっちゃったものは仕方がないのである。
 それはいいんだが、私が藤島関連、あかほり関連の話をするだけでも機嫌が悪くなるし、ましてや私が「サクラ萌え〜」なんて言ったりすると(言わんが)、後頭部めがけて石や矢やハンマーが飛んでくるのである。
 私も命は惜しいので(^o^)、あまりしげの神経を逆撫ですることばかりするのもなあ、と、「サクラ関連のものは買わないから」と約束してたのである。でもまあエアチェックするくらいはよろしかろう、と油断したのがマズかった。でもやっぱ神経、細か過ぎるぞ(-_-;)。
 なんとかしげをなだめはしたものの、実は今晩もまた『サクラ』があるのである。なんかまたネチネチ言われそうだなあ……。


 翻訳家の厚木淳氏が5月19日に胆管がんのため死去していたことが判明。享年73。
 氏の翻訳したエドガー・ライス・バローズの『火星』シリーズは、5年前から改訳・合本が出ていたが、これが最後の仕事となったものか。名実ともに「バローズの翻訳者」として亡くなられたことになる。
 火星シリーズは第一作しか読んでないので、とても熱心な読者とは言えない。なにしろ初読の印象が「宇宙ののらくろ」だったのである。フリークな方が聞いたら激怒しそうな感想だが、当時は(例によって中学校の図書館が出会いである)そう思っちゃったんだから仕方がない。まだまだガキで、武部本一郎画伯描くデジャー・ソリスの美しさにもさほど惹かれなかった(つーか、多分私が読んだヤツは現行の絵ではなかったと思う。訳も厚木さんだったかどうか)。
 今読み返してみると、スペオペの原典と言うより、「男の妄想」の実現を試みた作品のようで、なんだか面映い。翻訳は適度に読みやすいが、デジャー・ソリスのお姫様口調などはやはり時代がかっていて、島本須美の声で聞いたら思わずイッちゃいそうな(おいおい)。
 先日の井上一夫氏に続いて、子供のころから親しんでいた訳者の方の訃報である。寂しさを感じないではいられない。


 件の詐欺メール、大流行の模様である。そんなんに引っかかるやつっているんかいな、と先日の日記に書いたが、ネット検索してみると、三千万円を騙し取った例もあるとか。
 でもって、そのとき送りつけたメールの数が七万通。一通の請求額が約三万円である。ってことはなにかい? 七万人中の千人が、あんなバレバレの詐欺メールの内容を信じちゃったということになるんかね。こないだ「百人に一人もバカがいるものかな」とか書いたけど、それどころか「七十人に一人」という高確立でバカはいるのである。これって、ご近所で、「詐欺に引っかかった人」を見つけることが確実にできる数値なんだよねえ。まさに「石を投げたらバカに当たる」のである。
 基本的に騙すやつの方が悪い。それはその通りだ。けれど、騙される方のこの腰砕けぶりはいったい何なのだろう。コトナカレ思想が日本人の精神に巣食ってるとしても、どうにも腑に落ちない。か、カネが絡んでいるのだぞ、しかも三万円。た、大金じゃないか。なんでそんなに簡単に振り込みができるのだ。それとも、不況不況と言いながら、実はどの家も三万円くらいポンと出せるくらい余裕があるのか。こ、こんちくしょう、庶民のフリして騙しやがったな(←言いがかりである)。
 でも、仮にあの文面を信じちゃったとしても、どうして警察や法律事務所に相談しないのかね。いや、まずは知人友人、家族なんかに相談しないか。そうすりゃ誰かが、「それ、詐欺ですよ」と教えてくれるだろう。
 バカっつーより、これもまた、コミュニケーション不全症候群の一例のように見えてしまうのである。しかし被害者に対して全く同情できないって状況もおかしいよなあ。


 しげが、アマゾン・コムでダン・エイクロイド&ジム・ベルーシ(ブルース・ブラザーズではない)の新譜CD『Have Love Will Travel』を入手。こないだLIMBにも注文してたが、待ちきれなかったようだ。LIMBからも届いたらどうするんだろう。
 「先に聞いたらダメよ!」とクギを刺されるが、私はそういう面白くない意地悪はしない。寝ているしげの耳元で怪談を囁いて、悪夢にうなされる顔を見て喜ぶとか、無邪気なイタズラくらいのものである。
 けど、ちょっと驚いたのは、封書が私の宛名で届いたことである。名前に拘るしげにしては珍しい。初めは誰かが私の名前を騙って、ヘンなものを送りつけて来たのかと思ったが、考えてみればそんなことをしそうなヤツもしげしかいないのである(^_^;)。
 しげも忙しくて、自分のホームページの更新も長らくないのだが、私はあの結構くどいウンチクが好きなのである。またテレビの前にかじりついて、ビデオをコマ送りしながら画面の隅々からデータを見つけ出そうとするオタクな姿を、木陰からそっと見守って「しげ……」とか呟いてみたいのだが(^o^)。


 晩飯はスパゲティーをカレーで炒めて食う。
 すき焼きのタレをちょいと絡めるのがミソ。けど作るのは簡単でも炭水化物は取りまくりなのである。しげと一緒に食事を取ることがままならなくなってきたので、完全自炊をマジで考えねばならなくなっているのだが、もっと安くて低カロリーでしかもボリュームのある食事メニューはないもんかなあ。


 夜のチャットの番人を始めてそろそろ一週間になるが、なんとかペースを掴めるようになってきた感じか。
 家事をしたり日記書いたりしてれば、どうしたってチャットに入るのが10時くらいになってしまうが、翌日の仕事のことを考えると、午前様にはなれない。1、2時間の番人が限度である。
 その程度のささやかなチャットであるが、毎日どなたかが来てくださっているのはありがたいことである。けれどそのたびに話題になるのが、「男ばかりで暑苦しいチャットだなあ」(^o^)。
 しげが仕事で同時参加できないのが(仕事に行ってなくてもパソコンを同時にネットに繋げられないので、できないのだが)残念だけれど、あいつもチャットには飽きちゃったみたいだからなあ。一時期は私よりも頻繁にやってて奨めてたくらいなのに。
 よしひと嬢にも先日「チャットに来ない?」と誘ってみたのだが、「反応が遅くて」と遠慮されてしまった。ウチのチャット、なぜかやたら開くの重いんで、ゆっくり考える時間はあると思うのだが。愛上嬢のとこのパソコンは壊れたまま放置しているそうである。鴉丸嬢はもともとパソコンを持ってなくて、其ノ他君ちのパソコン借りてしか使えない。
 そういったわけで、なかなかうちの女性陣はチャットに(というより私のホームページ自体に)来てくれないのだが、決して私が彼女たちに嫌われているわけではない(と信じたい(T∇T))。
 でもまあ、私んとこは日記、掲示板も含めて、たまに2ちゃんねらーに覗かれたりしてるので、発言をからかわれたくないなあとか考えてる人にとってはちょっと参加しづらい面があることは事実である。「なに書かれたっていいや」という度胸は必要だろう。私は平気でも、そうでない人にまで参加を強いることはできないから、それは仕方がないのである。

 今日も鍋屋さんから教えて頂いたのだが、ある掲示板にて私のことが「秘密警察長官」とか揶揄されていたらしい。特高のイメージなのかな。なんか『アドルフに告ぐ』のハム・エッグを思い出して、ウケちゃったのだが、実際にはその掲示板に参加したことはないし(そこでからかいの対象となってる某掲示板の方には何度か書き込みをしているが、それとて定連になるというほどの回数ではない)、もう見飽きちゃっててあまり覗いてないのである。それがどういうわけか、一部の人には私のことが忘れられずに意識されているらしい。
 そこの掲示板の人たちが某掲示板を揶揄していたのと同じ行為を私もしていたのだから、基本的には発言する場所は別でも共闘していたようなものである。だからアチラが私をからかうというのは内ゲバをするようなものなのであるが、さて、私を嫌っているらしいその方たちは、そのことを認識しているのかどうか。もちろんそんなに人数が多いわけでもなさそうである。誰かが私をからかってもほとんど反応がなくてスルーされてしまうことからも、私に拘ってる人間がごく少数であることは分かる。だいたい、私のような無名人を叩いたところで、何かカタルシスが得られるとも思いにくい。
 となると、そこまで私に執着する動機がなんなのか、ということを勘繰ってみたくなる。
 思えらく、その私の批判者の方、実は未だにもとの某掲示板に定連として入りこんでいるのではないか。でもって、そこの管理人さんのファンのフリをしていて、その実、ウラで名前を隠して散々揶揄や批判を繰り返しているのではないか。私に執着するのも、定連としてそこにいたときに、猿呼ばわりされた恨みがあるのかもしれない。
 憶測だけでたいした根拠もないが、恨まれるのもネットで好き勝手ものを言おうと書きこみを始めたときに覚悟したことであるので、何と書かれようと全然構わないし、期待に答えて(^o^)、なにか感想でも日記なり掲示板なりに書いてもいいのだが、なにしろ「秘密警察長官」くらいでは、具体的なものが何もないので、この程度のことしか書けないのである。「人間のクズ」と書かれても、それは当たってるから否定できないし(^_^;)。
 なんか叩きがいがない人間だとは思いますが、私が別んところで話題にされると、しげがやたら喜ぶんで、今後もご贔屓にお願いいたします。m(__)m


 マンガ、石ノ森章太郎作・MEIMU画『キカイダー02』5巻(角川書店・567円)。
 表紙のビジンダーを見て、「こんなのボクのビジンダーじゃないやい」と言うのはやめよう。これはMEIMUさんのビジンダーなんだよね。まあやっぱり気持ち悪いとは思うが、ロボットが実際に我々の生活の中に入って来て、慣れてくりゃこれでも「美しい」ってことになるのかもね。
 何となく01編に突入。でもプロフェッサー・ギルはまだ生きてるし(死んだのはクローンという設定)、原作でも曖昧だった「シャドウ」の正体とのカラミとかはどうなるんだろ。だいたい全10巻くらいを想定してるのかな。
 ココロを持たないらしいイチローを操るミツコはもう全くマッド・サイエンティスト。こんなにのボクのミツコじゃ……いやいやいや。


 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健『ヒカルの碁』22巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 ジャンプの連載の方は休止中だけれど、第1部の長さを考えると、やっぱり打ち切り、仕切り直しの印象が強い。やっぱり佐為がいないとダメってことなのかな。
 少年マンガとして見た場合、どのキャラクターにも余裕がなくなっていて辛い。今や倉田くらいしかギャグメーカーがいないんだもんなあ。佐為とヒカルの掛け合い漫才がどれだけこのマンガの雰囲気を和ませていたか。いや、今だって「青年マンガ」としては充分面白いんだけれども、どうしても「佐為復活」までの場つなぎ話にしか見えないのがつらいんだよねえ。
 こういう勝負ものの最大の敵はマンネリとかワンパターンとか言われようが、やっぱり自分を育てた父であり師匠なんである。その「師」である佐為が消えた以上、いくら高永夏がヒカルの前に立ちふさがっても「小物」にしか見えない。普通のマンガならそんなことにはならないのだが、『ヒカ碁』の場合はあまりにも佐為のキャラクターの完成度が高すぎた。
 安易に生まれ変わりとかで佐為を復活させてほしくはないけれど、キレイに第1部で終わっておけばいいものをわざわざ第2部まで続けたんだから、何としてももう一度盛り上げてほしいものである。


 『月刊ガンダムエース』7月号。
 月刊化されて、なんだか「もう出たか」って印象だね。
 安彦良和『ガンダム THE ORIGIN 』、ランバ・ラルとアムロの邂逅まで。途中、フラウ・ボゥがヒステリー起こしっぱなしだけど、これがもう、全然かわいくない。昔のフラウ・ボゥはもっとこう、なんつーか、怒っててもその、少女らしい健気さというか、そんな雰囲気が漂ってて「こんなフラウを困らせるアムロって超ワガママ!」とか腹立ててたものだったが(^o^)。
 今回の収穫(?)は、「ホワイトベースの食堂には麦茶がある」ってこと。飲んでたのはハヤトだったから、当然と言えば当然なんだけど、ホワイトベースに麦茶はやっぱし違和感あるよなあ(~_~;)。
 トニーたけざき『ガンダム漫画』、タイトルが「金髪さんはGメカがお好き? TVと劇場の間で」。『オリジン』が劇場版に準拠した形になっているので、恐らくは登場しないであろうテレビ版メカに対するレクイエムのつもりでもあろうか(^o^)。なんたって、テレビ版と劇場版(と小説版まで)をちゃんと読んどかないと、若い人には何が面白いか、チンプンカンだと思われるからである。いやもう、「Gファイター」って言っただけで笑うしかないものねえ、あれは(^_^;)。でもってザクレロまで出るのよ(^o^)。

2002年06月05日(水) 人間失格かな、やっぱ/『『鉄人28号』大研究』(飯城勇三)/『ちょびっツ』3・4・5巻(CLAMP)
2001年06月05日(火) 一日本しか読んでません/『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』(長谷川町子)ほか


2003年06月04日(水) 無知の巣窟/『美女で野獣』2巻(イダタツヒコ)

 夜中(っつーか朝か?)、帰宅したしげがいきなり私を叩き起こす。
 「アタマ上げりぃ!」
 寝惚けたまま、なにがなんだかよくわからず、「ふぁ?」と声を上げる私。
 いきなり枕を蹴飛ばされて、頭がガクンと落ちる。
 「な、なにすんだよう!」
 と頭を起こしたら、すかさずしげが何かを私の頭の下に滑りこませた。
 しげ、「ふんっ!」と鼻息をねずみ男のように吹かして、私の頭を「それ」に押しつける。沈みこむような感覚。
 そこでやっと気が付いた。
 これはしげが「買いたい」と言っていた「低反発枕」とかいうしろものである。父の日のプレゼントに、とか言ってたが、自宅用にも買って来たのか。
 なるほど、確かに今までの枕とは感触がひと味もふた味も違う。どう言ったらいいのか、柔らかめの土の中に沈みこんでいく感触とでも言えばよいか、まるで頭の鋳型を自然に取られているような感じである。もちろん、それが「気持ちいい」のだ。
 まあ、しげも買って嬉しいのは分かる。でも寝てる私を叩き起こす必要はないじゃないの。どうして起きたあとで見せるってことをしないのかなあ。


 「噛みつき魔」こと、フレッド・ブラッシー死去の報。
 この人と力道山との流血試合をテレビで見てショック死したおばあさんがいたとかいうのが伝説となっているけれども、テレビ創世記ならそんなこともありうるよなあ、と納得できちゃうくらい、昭和30年代のテレビの持つ意味あいは、現行のそれとは大きく違っていたのだ。
 なんたって「プロレス」がゴールデンタイムに放送されてたころである。テレビはそこにそれがあるだけで「刺激的」であった。どこにでもある、「惰性」で流される番組なんて一本もない時代だった。
 一人の悪役プロレスラーが死んだというより、また一つ「テレビの黄金時代が終わった」と感じる人も多いことだろう。


 唐沢俊一さんの「裏モノ日記」に、黒澤明の『天国と地獄』に関する以下のような記述を見て、ちょっと首を傾げる。

> 北野武が、黒澤明に招かれて、“『天国と地獄』の、間違えて違う子が誘拐されるのがいいですね、面白かった”と言って恥をかいたことを書いていた。まあ、確かにあの映画の原作がエド・マクベイン『キングの身代金』であることはほとんどの映画ファンが忘れていることだが。しかし、世の黒澤ファンたちがあの映画を持ち上げるあまり、ことさらに原作を“つまらない作品”“あまり大したことのない作品”とけなし、“そこからあれだけの映画を作り上げた黒澤は凄い”という風に話題を持っていくのには腹がたつ。

 「ほとんどの映画ファンが忘れてる」って、普通そんなヤツは「映画ファン」とは言わないと思うがなあ(^_^;)。まあ、私も映画ファンのハシクレではあるが、『天国と地獄』がマクベイン原作であることを忘れたことはないし、私の知る限り、知人でそのことを知らない人間もほとんどいない。だいたいネットで『天国と地獄』を検索すれば、たいてい「これはマクベイン原作で」と注釈が付いている。どう考えても「ほとんど」じゃないよなあ。
 「忘れられてる」ということで言うなら、『酔いどれ天使』の原作が菊田一夫の『堕胎医』であることの方が「忘れられ率」は高いと思う(読みたいヤツはウチに来な)。
 唐沢さんの日記を読んでると、時々「今時こんなことを知ってる(気にする)のは私くらいのものか」といったような記述が目につくが、たいてい私も知ってることばかりである。なんだか孤独感と言うか寂寥感を感じさせる表現だけれど、唐沢さんの周辺にいる人間って、そんなにモノシラズなバカばかりなんだろうか。
 『キングの身代金』についても、「つまらない」という意見を誰がどの口で言ってるのか、所詮は若造の青二才の半可通の、ミステリをマトモに読んだこともないスットコドッコイの言質としか思えない。そんなやつらが本当に「映画ファン」だの「黒澤ファン」だのと言えるのだろうか。
 私も87分署シリーズはそんなに読んではいないが、さすがに『キングの身代金』くらいは読んでいる。黒澤明脚色を除いてもあれはなかなか面白かった記憶がある(随分昔なんで、細かい内容を忘れてるのはいつものことだが)。テレビシリーズの『87分署シリーズ・裸の街』(古谷一行がスティーブ・キャレラ、田中邦衛がマイヤー・マイヤーだった)でも前後編で映像化されているくらいの、シリーズ中でも特に人気の高い、傑作の部類に入る作品なのだ。別に黒澤が映画化したから傑作になったわけではない。マトモな鑑賞眼を持った人間なら、「つまらない作品」などと切って捨てられるはずがないのである。
 この誤解には、黒澤明自身が「エド・マクベインの小説はほんの一部分を借りただけです。誰をさらおうとも脅迫は成り立つというあの思いつき、あれがすばらしい着眼だったので、そこのとこだけもらったんです」と述べている点に原因があるのだと思う。この言い方だと、原作を読んだこともなくて短絡的なオツムしか持ち合わせていない人間なら、「他の部分はつまらないんだな」と思いこんでしまうだろう。
 当たり前のことを真面目腐って口にするのも気恥ずかしいが、全く、「貶すならまず読んでからにしろ」なのである。

> ネットの映画サイトでも、『天国と地獄』をコトコマカに批評家ぶって分析しながら“原作は読んでません”などとツラリと書いている人が多いのには呆れる。ただ見るだけならいいが、一応批評めいたことを書こうというなら、原作くらい読んでおかないとたけしのように恥をかく。

 ネットに参加する人間の知的レベルが著しく低いのは、某SF秘密基地の定連を見ていても分かる。チェック機能の働かない、書きたい放題の映画サイトに集まってくる連中など、無知な上に恥知らずの塊みたいなやつがほとんどである。そいつらを基準にイマドキの連中を語られてもなあ、とは思うが、そいつらに「分を知れ」と言ったって、聞く耳なんか持ちゃしない(持ってりゃ、SF秘密基地があんな惨状になりはしない)。実際にそういう有象無象がはびこるのも、ネットの避けられぬ弊害なのだ。
 バカの淘汰は不可能としても、「指摘」だけはしておかないと、バカが増殖する。唐沢さんにはやっぱり「小言幸兵衛」になってほしいんだけど、そこまで老けこみたくはない、と思ってらっしゃるのかなあ。


 その「無知の巣窟」、某SF掲示板であるが、しばらく覗いてなかったが、いつのまにかまた、いくつもの香ばしいスレッドが立ちまくっている。
 洋モノの特撮・テレビ番組の翻訳の名訳・迷訳のスレッドの中で、『刑事コロンボ』の翻訳について、某作家さんが戸田奈津子と額田やえ子を取りちがえた挙句、「コロンボはキリストのカリカチュア」などとトンチンカンな批評をしているのを見つける。
 さすがにこれには「あれは『罪と罰』のポルフィーリィ判事がモデルなんですよ」とツッコミが入ったが、コロンボファンには周知の事実をその作家さん、ご存知なかったようなのである。
 一応、コロンボをキリストに見立てること自体は面白い見方だし、不可能だとも断言しないが、そもそもミステリにおける「探偵」が主役ではなく「狂言回し」に過ぎないことは自明のことであるし、だからこそ「神」に例えられるのは別にコロンボに限ったことではなかったのである。私生活が明らかになっていない探偵なんて腐るほどいる。「隅の老人」もキリストのカリカチュアだと言うつもりかね(^o^)。
 「そう断言できる」というのと、「そう解釈することも可能だ」ってのをとっちがえちゃいけないんである。
 その作家の方も、随分トンデモ擬似科学を批判されてる方なんだけれども、自分が思いこみっつーか妄想にとらわれちゃシャレにならんと思うんだが。
 ついでに言っておけば、額田さんの訳を「名訳」と称える人も多いが、それも原典に当たらずにイメージでモノを言ってるだけの「錯覚」である。「my wife=かみさん」と訳したってだけで名翻訳家に仕立てあげるのは、いくらなんでも乱暴ってものだろう。実は額田さんの珍訳の多さは、戸田奈津子に勝るとも劣らないのだ。そのいくつかはこの日記でも指摘しておいた。
 プロがものを調べないで放言するようになるんだから、ネットはやっぱり参加する者の常識を狂わす「何か」があるのではないか。こんな言い方すると、いかにも「ネットの幽霊」なんてアヤシゲなものがいそうに聞こえて、話が一気に胡散臭くなっちゃうけれども。
 他のシロウト衆のトンチンカンぶりは今に始まったことではないので、今更いちいち指摘しないけど(『あずまんが』関連のスレではもう読んだだけで萎えちゃったけどさ)、これはプロの方の書きこみだったんで、つい文句つけちゃいました。またたまに覗くだけのROMに戻ります。


 『キカイダー01』のDVD−BOXが発売されることになったそうであるが、既発のDVDに大幅な新作画を加えた上に、原作の『イナズマン』中の短編『ギターを持った少年』を完結編として付加するとか。ああ、また、そういうアコギなことしてくれるし。
 結局、前の分のDVDが「未完成品」だったってことじゃないのよ。テレビシリーズで一編放送したものがスケジュールの関係で未完成品だったなんて事件はもう日常化しちゃってるが、OVAがハナからツクリが適当だったなんて、客を舐めてないか。
 え? じゃあ、そんな制作会社のインケツなやりくちに反対するのなら、DVD‐BOXは買わないかって?
 それはもちろん(以下自粛)。


 広島アニメーションフェスティバルの事務局から、「アニメーション作品を出品しませんか?」と手紙が届く。
 昔しげと参加して、ワークショップで見よう見まねで一回だけヘタクソなアニメを作ってみたら、こうして毎年案内が来るのだ。
 ったって、今や『ほしのこえ』なんてのが作られる時代に、今更私ごときが何を作れますかってねえ(^_^;)。「国際」フェスティバルなんだよ? それとも私みたいなのにまで声かけなきゃならんほどに出品作が減ってきてるのかなあ。まあ、ホントは単にかつての参加者全員に宣伝のつもりで送って来てるだけだろうけれども。
 でもほんの遊びで、5秒ほどのアイデア一発勝負のでアニメを作って、ホームページに載せたいとは思っているのである。そういう機能もビルダーには付いてるみたいだし。まあ、これも遠い夢ではある。


 マンガ、イダタツヒコ『美女で野獣』2巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 オビの推薦文が加藤夏希である。これだけで「買い」だね(^o^)。
 いやまあ、ナカミは1巻同様、「女の子の地下プロレス、ちょっとえっちあり」ってだけの話です。まあ、それだけだからリクツなんてこねくらずにすんで楽しいんですが。

2002年06月04日(火) 日常ってつまんない?/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』1巻(安彦良和)/『ヒカルの碁』17巻(ほったゆみ・小畑健)ほか
2001年06月04日(月) Nobles oblige/『韃靼タイフーン』1・2巻(安彦良和)


2003年06月03日(火) 路傍の石のように生きたい/『ああ探偵事務所』3巻(関崎俊三)/『爺さんと僕の事件帖』4巻(しかくの)

 同僚の一人がなにやら真剣な面持ちで、「藤原さん、ちょっとお願いがあるんですが」と耳打ち。
 「なんですか?」と聞き返すと、「ここではナンですから」と、暗闇に(^o^)連れていかれる。
 なんだか怪しげな雰囲気なので、まさか「いい○○○があるんですが」とかそんなんじゃねーだろーな、とちょっとびくつく。
 あたりを見まわし、ヒト気がないことを確かめて、その同僚、「実は」と切り出す。
 ゴクリと唾を飲みこむ私。
 「……藤原さんに余興に出てもらいたいのです」
 ……はあ? とは思ったが、声には出さない。そういえば、忘れかけてたが、もうすぐ宴会があるのであった。
 「藤原さんには、ある『役』を演じてもらいたいのです」
 「と言うと、芝居か何かをやるんですか?」
 「はい」
 宴会に参加する気などこれっぽっちもなかったのだが、私が劇団に参加しているということを一部の同僚は知っている。どうもそこを勝手に見こまれたらしい。私は脚本専門だってのに。
 もしかして……と思い、同僚に質問する。
 「……イロモノですか?」
 ニッコリ笑う同僚。それ以上は全く話してくれなかったが、どうも何やら「かぶりもの」をしなくてはならないらしい。その同僚には先日欠勤したせいで、迷惑をかけており、とても断れる雰囲気ではない。
 ああ、いやだなあ。目立つことはできるだけ避けて生きるのが私のポリシーだというのに。仕方なく引き受けてしまったが、いったいこれからどうなることやら。


 昨二日、北九州市八幡西区黒崎の複合商業ビル「コムシティ」が自己破産を申請。負債総額は130億円に上るとか。96の店舗は全て閉店に追い込まれ、北九州市が無利子で融資した35億円は回収不能のまま。
 第三セクターの破産としては、宮崎シーガイアの3261億円倒産には遠く及ばないものの、一市町村の破産としては結構な額だろう。これだけの税金が無駄に使われたんですぜ、どう思いますかね、よしひとさん(←北九州市民なのである)。
 北九州市の末吉興一市長は、「多くの人に迷惑をかけ申し訳ない。市として、できる限りのことをやりたい」とコメントしてるが、いつぞやの北九州博と言い、アンタが頑張っていい目が出たことなんてほとんどないと思うんだけど。
 そごうの倒産と言い、今度のコムシティと言い、立地的には駅に隣接、それなりの集客は見込める好条件であるにも関わらず、こうも失敗続きと言うのは、やはり資金投資の規模がデカ過ぎるのである。
 ハッキリ言うが、わざわざ北九州くんだりまで買い物に行く人間がどこにいるのか。福岡の人間は福岡だけで充分買い物ができる。九州の他県の人間だって、遊びに行くなら福岡だ。北九州でメダマになる施設と言えば、スペースワールドと、松本清張記念館しかないではないか(後者は違うというツッコミは聞かん)。地元の人間しか利用しないのが最初からわかりきってるのに、どでかい施設を作ったって無意味なのである。
 人口流出が進み、既に政令都市の基準に達しなくなりつつあることから焦っているのはわかる。けど、鉄鋼業が駄目になっちゃった時点で、北九州市に未来はなくなったのだ。町というものが発展するためには、そこが他の町からも「必要」とされる何かがなければならない。福岡への対抗意識から、福岡のマネをしてみたところで、それはただの二番煎じではないの。誰が振り向いてくれるというのか。
 例えて言うなら、今の北九州の狂乱ぶりは、男に捨てられ、ほかの女に走られてしまった女が、嫉妬に狂って、「ほら見てよ! 私の方があの女よりいいカラダしてるわ!」と前をはだけて見せてるようなものである。誰がそんなん見るかい。
 自分たちが「捨てられた女」であるという客観的な事実から目を逸らしたって、立ち直ることはちょいと無理だと思うんだけどねえ。まずはつつましやかに、一人で生きていくことを考えた方がいいんじゃないでしょうか。


 昨日、ウチに届いた「金払えメール」(厳密に言えば借金メールではなくて、「コンテンツの使用料を払え」って内容でした)、唐沢俊一さんのところにも届いていたようだ。
 どうやら、サイトを開いてるところに手当たり次第に送りつけているもののよう。唐沢さんの本を読むとかしてその人柄を知っていたなら、こんなアホなメールに引っかかる人ではないと判断できるはずだし。
 チャットでヨナさんが「百人のうち一人が引っかかればいいんですよ」と仰ってたが、そんなに率が高いものなんだろうか。


 アニメ『成恵の世界』第5話「香奈花学校へ行く」。
 このアニメも途中を見損なっているが、まだまだ見逃せない。まあ美少女ほのぼのラブコメではあるけれど、基本的に藤子F系の日常SFはできるだけチェックしておきたいのでねえ。『天地無用!』ほどにドギツクないところも「買い」だし。
 でも、さすがに5話目ともなると1話ほどの作画レベルではない。別に体操服姿のときにどうしてチチ揺らしをせんのだ! とは言わんが、もちっと線が柔らかくてもいいんじゃないかと思うんである。


 マンガ、関崎俊三『ああ探偵事務所』3巻(白泉社/ジェッツコミックス・530円)。
 表紙は茜ちゃんの、恐らくはロリコン親父に対してはとてつもなく凶悪なポーズ。関崎さん、絶対昔、エロ雑誌で描いてた経験があると思うな。冒頭のテニス話は特に推理モノではない。っつーかこのマンガを推理モノとして読んでる読者ってあまりいないかもしれないねえ。私くらいか(^_^;)。実際、四分の一くらいはエロマンガだからなあ。
 でも、今巻特筆すべきことは、流行りのミステリマンガのいい加減さに対して、ついに作者の怒りが爆発しちゃった描写が表れている点だ。
 大学の卒業論文を手伝ってほしいという依頼を引きうけた妻木。ところがその卒論のテーマは「コミックスにおける探偵の表現について」。山と詰まれた探偵マンガを読むうちに、妻木が思わず漏らした述懐。
 「人が次々死んで、戦争みたいでした。次々トリックを解いていく探偵たちがなんだかTV番組の『手品の種明かしスペシャル』でトリックネタ我がもの顔で暴露してるマジシャンに見えてきて」
 もう、コナンだのキュウだのに聞かせたい言葉だよ(T∇T)。
 で、コナンと言えば、コナンの脳内でしか解けない暗号ネタ(別名ナゾラーの謎々)ですが、もうこれに対する皮肉ネタも今回入ってます。妻木の「こんな暗合っわかってたまるかーっ!!」の絶叫も青山剛昌に聞かせてやりたい。
 やっぱさあ、『コナン』とかに対して怒ってる人間って、たくさんいるんだよ。
 それから、前半はロリコンオヤジ向けですが、後半は美少年背徳モノ、いけない女教師の放課後レッスンって話になってます(^o^)。
 「授業中……あんな目で見ないで……先生恥ずかしいから」
 「先生だって……僕のことよく見てたよね? でも僕は恥ずかしくなんてないよ? 嬉しいよ?」
 そうかそうか、女教師ってそうやって落とせばよかったのか。ちっ、あのころこのマンガ読んでれば……。ああ、いやいや。〜( ̄▽ ̄〜)(〜 ̄▽ ̄)〜
 そういう方面のオハナシが好きな人は、買ったらマルトクです。


 マンガ、しかくの『爺さんと僕の事件帖』4巻(角川書店/アスカコミックス・デラックス/546円)。
 小学生の推理モノだからと言って、『コナン』みたいにチャチにならないところが、このマンガのスゴイところ。作者が、子供たちの世界をこよなく愛しているからこそ、動機もトリックも不自然ではないミステリが書けるのである。
 殺人や誘拐がなくたって、「事件」は少年たちの身の周りには一杯ある。オトナが見逃している、あるいは忘れ去っている断片。それを子供たちの好奇心の目は、見付け出さずにはいられない。子供は、自らの行動を抑制する術をまだ知らないから。
 しかし、オトナたちがそれらの記憶を封印してきたのにも、口に出せない訳のあることだ。真相が明らかになったとき、子供たちは、何気なくそこにいるように見える大人たちが、深く、切ない心の傷を抱えて生きてきたのだという事実を知る。そして、その傷を抉り出したのが自分たちの心に巣食う悪魔だということにも気付く。子供たちは恐怖する。自らの心に。
 子供たちの流す涙は、決して彼らの誰も救いはしない。悲しいことだが、それが事実だ。けれど、ただ一つだけ言えることがある。
 その傷を得て、少年は、また一つオトナになるのだ。

 「清か水求む」。学校のプールの水がいつの間にか抜かれ、プール開きが危ぶまれる事態に。このトリック、実行が可能っぽいから、これ読んだ子供たちは同じような動機でイタズラしちゃダメだよ(私も高校時代、このトリック考えたことがあったなあ。もちろん実験はしなかったが)。
 関係ないけど、逸実たちの担任の「玄田哲明」って、やっぱり声優さんがモデルなのかなあ。
 「閉鎖書架の神様」。
 古本好きには嬉しくてたまらない一編。捨てられる寸前だった図書館の本。その中に隠されていた一枚の紙片。
 「神の手蹟を無の本に隠す」。
 実のところ、この「暗号」、古本に関する知識がないと全く解けない。
 もしも、「作者と読者の知恵比べ」としてこの作品を捉えると、古本の知識のない読者は圧倒的に不利になる。しかし、ミステリの楽しみ方は、単に「知恵比べ」にのみあるのではない。子供たちが「知識」を一つ一つ手に入れて真相に近づいていく過程自体に、読者をして「知的興奮」にいざなう力が含まれている。そういう形式のミステリだってあるのだ。
 「『コナン』素敵!」なんて喚いてる腐女子、これ読んでもまだコナンがカッコいいなんて言えるか。

 余談。
 小学五年生にして、逸実の愛読書は『郢犂椹人事件』に『ドグラ・マグラ』。なんていい趣味なんだろうねえ(^o^)。
 小学生でそんなコムズカシイの読むのか、とか文句つけるヤツはモノを知らない。そういう発想自体が小学生をバカにしているじゃないの。もちろん「趣味の違いで」読まない小学生だってたくさんいるだろうけれど、読む小学生だっているんだよ。私がそうだったんだし(中学に上がったとき、校長先生が夢野久作の息子さんだったんで狂喜したんだから)。
 読んだ当時はよく意味が取れなくたって、本ってのは人の心の中で熟成していくものだ。小学生のころから活字に慣れさせとけば、「オトナの」活字離れなんてことは起こりゃしないのよ。

2002年06月03日(月) 「八手三郎」は「やつでさぶろう」/『ふたつのスピカ』1・2巻(柳沼行)/『僕らのスーパーヒーロー伝説』(堤哲哉)ほか
2001年06月03日(日) 全集員合(←解る人には解るね)/『だめだこりゃ』(いかりや長介)


2003年06月02日(月) 人間みんなどこか狂ってるけどな/『るくるく』1・2巻(あさりよしとお)

 夕べのチャットで、あやめさんから「高校時代の原稿とかホームページに載せないの?」と言われたのだが、私が当時書いてた小説というのは、悪魔くんが気弱な少年にとっついちゃう童話とか、病弱な美少年が蔵の中で耽美な妄想に耽る話を旧仮名遣いで書いたものとか、文芸部の仲間を全員モデルにして書いた館もののミステリとか、まあ、創作をしたことがあるものならば一度は通る恥ずかしい道の数々なのである。そんなん読んでもイタイばかりでとても面白いとは思えないんだがなあ。
 それよりも、あやめさんが昔書いたというダークで陰鬱なSFっぽい小説を読んでみたいものである。だいたい世間というものはむさくるしい中年男の書いたものよりも、妙齢の美女の書いたものの方を好むものと決まっているのだし。


 博多祇園山笠振興会が、昨6月1日、山笠期間中に男衆たちの詰め所に立てていた「不浄の者立ち入るべからず」の看板を撤廃することを決定したという。「振興会には「不浄の者とは女性を指すのではないか」という意見や問い合わせが寄せられていて、会長さんは「時代にそぐわない慣例は廃止する」といかにも進歩的なコメントを発表している。
 ただちょっと気になるのは、この会長さん、「詰め所は精進を誓う男がいる神聖な場所。それを汚してはならないと言う意味で看板があった。女性を軽視していたわけではない」なんて言ってるのね。
 じゃ、なんで今まで詰め所に女が入れなかったんだ? この「不浄の者」が「女」を指すってことは博多んもんにとっては常識だったはずだが。それに看板を外すのはいいけど、で、女が詰め所に入れるようになったかどうかってのは、記事には一切書かれてないのね。もし相変わらず「女立ち入るべからず」って実態が変わらんのだったら、看板だけ変えたって意味はないと思うが。


 しばらく収まっていた顔面のチック、また再発。仕事を終えて帰宅すると途端に収まるから、やはり原因は職場の人間関係であろう。
 というのが、例の心の弱い同僚の女性、ついに会議をすっぽかして帰っちゃったのである。もうあんたらと一緒の席にはいたくもない同じ空気も吸いたくないということなんだろうが、もちろん、会議の内容はその方の業務にも関わってくることであるから、このままほったらかしにするわけにもいかないのである。何より、今日の会議の内容を誰が伝えるというのか。もちろん、その役目は上司がやらねばならないことなのだが、ともかくこの上司との仲が最悪と来ている。
 「藤原さんにはあの方も心を開いていらっしゃるようですから、お願いしては」
 なんて発言も出るが、私の方はべつにアチラに心を開いた覚えはないぞ。なんだか知らないが、そういう心の弱い人ばかりが私に近寄って来て、勝手に親密になった気になり、こちらがちょっと忠告めいたことを言うと「裏切られたあ」と言って騒ぎ出すのだよ。そんな経験をこれまで何度したことか。
 上司はちゃんとモノゴトの筋が判断できる人だから「いや、ちゃんと私から伝えます」と仰ってくれたが、これでまた一悶着が起こることは避けられないのである。
 かと言って、上司に「あの人、いつかあなたを刺すと言ってますよ」なんて伝えられるわけがない。
 ああ、結局、上司がその人に接触する前に、私がさりげなくその人をなだめておかなきゃならないのか。こんなことしてたら私の方が先にキレるかもしれないぞ。夜中、通りすがりのねーちゃんの前にいきなり飛び出して、「へへへへ、ええもん見せたろか」とか言って前をはだけたりするようになるのだ。そうなったら誰が弁償してくれると言うのか(何を?)。


 仕事が遅くなって、帰宅は9時半。ホントに残業が増えたなあ。上司からは「あなたがいてくれて助かります」と労われるが、問題はこの調子で体力が持つかどうかだ。
 一息ついて、メールボックスを開くと、「借金払えや、コラァ」という内容の身に覚えのないメールが来ていて萎える。ってのが、これが詐欺メールだってのがバレバレのシロモノなんた゛よね。私の宛名も書いてないし、「問い合わせは受け付けません」ってのも、なんでやねんである。一応、「ふざけんなボケエ」と返信。
 あとでヨナさんとチャットしたときにこのことを話したら、「今、東京じゃ、詐欺メールが大流行です」とのこと。で、「実際にお金払っちゃう人も多い」とも。身に覚えのない借金を払う人がいるってのもちょっと信じられない話だが、案外、大家族だと、この手の詐欺に引っかかる人がいるのかも知れない。自分はそんな借金したことなくても、家族の誰かがナイショでとか勘繰ってね。
 ……でも、もしも一人暮しなのに、うっかり払っちゃったってヤツがいたりしたら、それはまあ、すごく臆病過ぎるっつーか、お人よしっつーか、すごくさびしいヒトなのかもしれませんねえ(ちょっと言葉を濁してます)。


 CSチャンネルNECOで、劇場版『エクスドライバー』を見ながら寝る。CGがどうにも違和感ありまくり。で、ナカミは『逮捕しちゃうぞ』未来版だしなあ。


 マンガ、あさりよしとお『るくるく』1・2巻(講談社/アフタヌーンKC・各510円)。
 なんかもー、男の子のウチにかわいい悪魔が押しかけ女房してくるという、ありがちの上にマンネリとワンパターンをトッピングしたような。なのにこれが面白いんだから、やはりマンガはアイデアもさることながら「職人の腕」が必要なのだよなあ、と実感。料理の仕方次第で、陳腐な材料も極上の味に、ってことだね。
 いやもう、ヒロインの悪魔、るくちゃんのかわいらしさときたらもう。まあ黒髪のロングで目隠しがちのってキャラがもともと私の好みだってのはあるが、マジでいいキャラだよ。こういう絵をあさりさんが描くのも初めてじゃないかな。このキャラデザ一つ取ってみただけでも、あさりさんが一歩でも二歩でも自分のマンガを先に進めていきたいって考えてるのが伝わってくるね。
 ああ、料理ヘタでもいいし悪魔でいいから、こういうるくちゃんみたいな子に……。イカンイカン。悪魔の囁きが(^o^)。
 るくたち悪魔が地上にやってきた理由ってのが、「地獄はもう定員オーバーだから、これ以上、人間に悪行を犯されて地獄に来てもらっては困る」ってんだから奮ってる(一応、これにも元ネタはあるけど)。おかげで、やってきた悪魔がみんな「善行」を行ってんだからねえ(^o^)。おかげで一番パニクってんのが天使たちなんである。「悪魔がいいことをするなら、我々は悪いことをすればいいのだ!」って、違うでしょ(^_^;)。
 ギャグのキレも昔みたくよくなってきたし、あさりさんの復調が嬉しい。できればこの物語、ハッピーエンドで終わってほしいなあ。

2002年06月02日(日) 天動説健在/『ブレーメン供截慨(川原泉)/『殉教カテリナ車輪』(飛鳥部勝則)ほか
2001年06月02日(土) レトロポリス/アニメ映画『メトロポリス』(2001)


2003年06月01日(日) 再開シンクロ日記(^o^)/映画『あずみ』

 あとからこの日記を読んでる人にはよくわかんないだろうけれど、実はつい2週間ほど前まで、この日記、1ヶ月以上も更新が遅れていたのである。
 理由は要するに1回1回の書いてる分量がやたら長かったせいなのだけれど、それをあるときは数行ですっ飛ばして、なんとかこの2週間で追い付いたのである。まあグータラな私のことだからまた更新が遅れることもあるかもしれないけれど、そのときは温かく見守って下さいまし。

 で、いきなり痴漢の話から始める(^o^)。
 5月30日の夕方のこと、埼玉県の所沢市の路上で、自転車に乗った高校3年の女の子を、後ろから自転車で近づき、追い抜きざまにスカートの中に手を伸ばして触って逃げた寺西誠司容疑者(34)を、一緒に帰宅していた同級生の女の子が自転車で3.5キロにわたって追跡し、疲れ果てて「負けた」と観念した寺西容疑者を駆け付けた所沢署員に引き渡したというニュース。
 その同級生はソフトボール部部員で、「体力には自信がある。自分は被害に遭わなかったが『女の敵』は許さない」と話していたとか。
 実に拍手喝采、溜飲の下がる事件なのであるが、なんだかその情景を想像してみると、まんま昭和40年代の東宝喜劇のオープニングあたりに使えそうな気がして笑ってしまった。
 まあ、痴漢さんはそうですね、当時の小島三児あたりに演じてもらって、追っかける女の子はデビュー当時の森昌子(^o^)。私は森昌子の主演映画が『どんぐりっ子』だけで終わっちゃったのがもったいないと思っていたので、もう一本くらい、こんな元気なソフトボール少女の(本人にソフトが出来るかどうかは別として)明朗快活青春コメディとか作ってくれてたらよかったのになあ、と残念に思っているのである。
 いやね、あの当時って、アイドル映画は山口百恵主演の辛気臭い映画が多くってさ、それはそれで好きではあったけれど、もうちょっとカラッと明るいやつがないものかと思っていたのよ。これが更に10年経つと逆にアイドルのバカ映画が増えてくるんだけどね。
 でも、実際のこのソフトボール少女、多分そんなに華奢じゃないんだろうなあ。二の腕とか多分すっげぇぶっといんだろうなあ。それはそれで喜劇になりそうだけれど。


 某掲示板に某氏が「『マ○○○棒ラーメン』は美味い」と書いてあるのを見て驚く。人によって味覚に個人差はあるとは言え、四十年生きてきて、アレを「美味い」と言ってる人に出会ったのは初めてだからだ。
 なんたってあの麺の歯応えがねえ、固く茹でると糸食ってるみたいだし、柔らかくするとベちゃベちゃして気持ち悪いし、細くて真っ直ぐなもんだから汁が麺に絡まなくて味がしねえし、百円足らずでとりあえず腹は充たせる以外に何の取り柄もない、そう思ってたもんで、「出前一丁」だの「チャルメラ」だの、縮れ麺が出たときにはあっさりそちらに移行したものである。
 しかし考えてみたら、最後に棒ラーメンを食ったのはいつの日か。結婚してからはまず間違いなく食ってない。就職してからも記憶にない。学生時代にカネがなくて一回か二回は食ったか。ヘタすりゃ20年食ってないのである。
 もしかしたらその20年の間に技術革新か何かがあって、マ○○○ラーメンも美味くなったのかもしれない、そう思って、試しに昨日、マルキョウに寄ったときに買ってみたのである。棚にはズラリと、味噌味だの九州味だのトンコツ醤油味だの、いろんな種類の棒ラーメンが並んでいる。いつの間にかこんなに種類が増えていたのだなあ。
 そのうち、「醤油トンコツ味」を買って、今朝になって作って食ってみたのである。麺だけでは寂しいので、卵も入れてみた。
 ところがである。
 ……不味い。
 固くて糸である。あんまり不味いので、もう一度茹で直して今度は柔らかくしてみた。
 ……不味い。
 ベちゃベちゃして気持ち悪い。マジで吐きそうだ。
 なんだか20年間封印していた悪夢が蘇えったかと思うくらいに不味い。
 味覚に個人差があると言っても、いくらなんでもこれはヒドすぎるのではないか。それとも私が食った棒ラーメンは某氏の食べたものとは別モノなのか。
 ともかく作ったものは食わねばならぬ。
 昭和30年代生まれは出されたものは残せぬようにインプリンティングされているのだ。
 なんとか全部食ったのだがその途端に。
 腹が鳴り出したのだ。迅速にして火急。先日、健康診断を受けたときにバリウム飲んで下剤飲んだが、そのときだってこんなにすぐには利いて来なかった。
 痛みがハラにキリキリと走り出す。
 あとはもう、レ・ミゼラブルである。
 私は〜、かつて〜、この〜ような〜、悲惨な〜、光景を〜、見たことがな〜い〜♪ 便器、何日か前に掃除したのにまた洗いなおしちゃったよ。
 考えてみたら、朝っぱらからとんこつ醤油ラーメンなんて濃いものを食ったのがよくないと言えばよくないのである。味覚だってまだ充分に働いてはいなかったであろう。
 けれどたとえ夜だろうと、私はもう二度とマ○○○ラーメンは食わないだろう。多分一生。


 朝方から頑張って日記の更新。
 けれど、もう最近は記憶力がヘロヘロで、チャットで誰と何を喋ったかもすぐに忘れてしまっている。
 過去ログを開くが、1000件以上表示されるはずが、重過ぎるのか途中でブツ切れてしまう。なんとか2、3日前の分まで開けて、ちょっとトイレに席を外したら、その間にしげが起き出してきて、勝手に消してしまっていた。
 「なんで開いてたの勝手に消すんだよ!」
 「消してないよ!」
 何の気なしにやった行動はすぐに忘れてしまうのがしげであるが、ほんの数分前の自分の行動も忘れるのかこいつは。
 「だってアンタがわざわざ過去ログ取って人の言質取って喜ぶようなイヤラシイやつだなんて思わんもん!」
 「単に日記書くために見返してるだけだよ! メールならともかく、いちいちチャットまで保存しねーよ!」
 二人で喧嘩してたはずなのだが、なんだか矛先は誰ぞに向かっているような(^o^)。まあ、チャットの記録は管理人は管理放棄してそのまま流しちゃいますんで、取っておきたい方は御随意に。ただし、しげから上記のような人間だと見なされます(^o^)。

 『仮面ライダー555』『明日のナージャ』と見ているところによしひと嬢、ようやくお目覚め。
 『金色のガッシュベル!!』にはなんとか間に合う。今日は原作にないオリジナルエピソードで、魔物の声を若本規夫さんがアテている。よしひと嬢、聞くなり「この声、『ツッチー』?」と呟く。何のことか一瞬わからなかったが、これが若本さんの愛称らしい。でもなんで「ツッチー」なのかよくわからん。
 しげと二人で練習に出かけたあと、私は『鉄腕アトム』第9話『フランケン』を見る。絵コンテが出崎統。と思って見るとアングルとかいかにも出崎っぽい。ラストシーンは止め絵だし(^o^)。ストーリー自体は原作を大幅に改変。とゆーかまんま『われはロボット』みたいだけど。原作の「狂ったロボット」って設定はもう使えないんだろうなあ。


 久しぶりに映画の日と休日が重なったので、天神東宝まで『あずみ』を見に行く。
 11時の回を見るつもりが、なんと満席。
 あまり芳しい評判も聞こえてこないが、結構ヒットしているのだろうか。映画の日だけの現象かもしれないが。次の回は2時半。仕方なく、それまで福家書店、ベスト電器を回る。
 食事はこのあいだ入った天神コアのバイキングの店でカレーライス。ランチバイキングは品数が少なくて今一つ。やっぱりしげと一緒でないと、メインディッシュを注文できないのである。

 時間を潰して天神東宝に行くと、また知り合いに会う。全くどうしてこう世間は狭いのか。
 さて、肝心の『あずみ』の感想だが、悪評を聞いていたわりにはそれほどひどくはない。かと言っておもしろいかどうかというと、やっぱ、ビミョー?
 まず、あずみ役の上戸彩が原作みたいに脱がないしなあ。いや、これは意外と重要だと思うんですぞ。私は原作の小山ゆうさんの絵って、はっきり言って下手だと思うんだけど、女性のヌードだけは上手いなあと感心してるんで。
 ストーリーはメリハリのない原作のエピソードを順序を入れ替えうまく張り合わせた印象。その過程で、豊富秀頼とあずみの恋愛は完全にカットされた。原作ファンは怒るかもしれんが、あんなエピソードは要らん。
 一番の改変は「果たして正しいのは本当に徳川の方か?」という疑問が一切描かれない点にある。もっともそれやっちゃうと、話が終わらないから仕方ないんだろうが、原作の根幹を成してると言ってもいいこの設定がカットされたことで、原作と映画は全くの別モノとなった。あずみはあくまで「使命」を疑うことなく、刺客の道を行くのである。
 ある意味、ヘンな思想が入らなくて物語としてスッキリはしてるのだが、やっぱ役者がみんなド大根だからなあ。脚本家も時代劇をあまり書いたことないんだろうけれど、なんだよ、「それってカッコいいじゃん」なんてセリフは。
 若い連中に、時代劇の登場人物らしさを演じることが全然できていないのは致命的だと思うんである
 でも最上美女丸役のオダギリジョーの怪演はよかったね。あずみたちとの対決がなんとなく『クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望』の吹雪丸対股旅猫之進に似てるのは気になったけど。


 帰る途中、晩飯は「金龍」で。ついうっかりまたカレーライスを頼んでしまった。ハラを壊したというのに何を食っているのかね。案の定、帰宅したらまたトイレに駆けこむハメになる。
 しげは仕事に向けて仮眠中。おかげで鴉丸さんにイラストをもらえたかどうかも聞けやしない。
 ようやく8時過ぎに目覚めたので、風呂場で髪を洗ってやる。一人で映画に行ったお詫びでもあるのだが、こういうことすると、しげ、すぐに、私が何か企んでるのだろうかって疑うんだよなあ。10年以上も一緒にのたくってて、今更なにを疑うのかね。


 夜、しげが仕事に出かけたあと、あやめさんとチャット。あやめさんの恥ずかしい話を一杯聞く。
 とこう書くとアチラの話かと疑う人もいるだろうが、あやめさんが昔書いた小説のことである。筋を聞くと面白そうなのでホームページに載せたいのだが即座に固辞される。惜しいなあ、ホントに面白そうなんだけどなあ。


 夜中、11時を回って愛上嬢が、先日録画してあげてたなんたかよく知らないがサッカーの試合のDVDを取りに来る。
 それはいいのだが、つい二、三日に録ったはずのDVD‐Rがどこにあるか見つからない。ようやく部屋の隅に落ちていたのを発見するが、そのときには愛上嬢、このホームページを見るのに熱中していた。
 そのあとプライベートな面白い話もいろいろ聞けたのだが、これはもうとてもここには書けないのだった。悪しからず。しかしみなさん、いろいろと楽しい人生を送っているねえ。



 よしひとさんから訂正がありました。若本さんの愛称は「ツッチー」ではなくて「ツッキー」だそうです。若本「規」(ツキ)夫だからだとか。
 でもどうして「のリリん」でないか、疑問は残りますなあ。

2002年06月01日(土) マトンウォーズエピソード0(^o^)/『ボンバーガール』1・2巻(にわのまこと)ほか
2001年06月01日(金) あえて美人殺しの汚名をきて/『「彼女たち」の連合赤軍』(大塚英志)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)