無責任賛歌
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2001年06月05日(火) |
一日本しか読んでません/『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』(長谷川町子)ほか |
今朝の身長40メートル、体重1万5千トン。 つまんないジョークですみません。ここんとこダイエット状況にあまりにも変化がないもので、だんだんこっちもつまんなくなっているのである。 便秘が続いていて85.4キロってことはもうチョイ痩せてるとは思うんだけど。 こうなったら、巷に溢れるダイエット法をいろいろ試してみるべきかなあ。
先日大塚英志さんの著書を読んで以来、昭和40年代の連合赤軍事件、日本赤軍事件に興味が沸いて、関連本をいろいろ読み漁っている。
『一億人の昭和史』で、ようやく森恒夫の写真を見られたが、ちょっとヤクザな飯場のおっちゃん、という感じで、実は内心、岸田森をイメージしていた私は肩透かしを食らわされた。何となく「光クラブ」事件のような挫折のエリートってイメージ持ってたんだけど、根拠はなかったな。 共産主義革命だの世界同時革命だの銃による殲滅戦だの、当時のムードに飲まれたとは言え、殆ど妄想の域に達している言動をとっていたんだから、知恵らしい知恵なんか持っちゃいないのは当然だったんだが、当時、子供心にも「革命」という言葉に理想的な響きを感じていた私は、たとえそれが残虐なリンチ事件を起こした犯人であったとしても、冷酷で狂気を孕んだ知性派であってほしい、と思っていたのだろう。 私も危険なフィクションの中に生きてたんだなあ。
『文藝春秋の昭和史』、重信房子の父、重信末夫氏の、娘を弁明した文が収録されている。 このとっつぁま、井上日召の血盟団事件(団琢磨が殺されたヤツね)に参加して逮捕された経験のある人だったんだな。極右の娘が極左ってのも面白い、というかある意味当たり前過ぎる展開かな。 「あたしはとうちゃんみたいにはならないわよ!」ってか? にもかかわらずこのとうちゃん、実に悪びれず堂々と娘のテロリズムを弁護しており、ある意味で清々しくさえある。 家庭の貧困ゆえに娘を進学させられなかったことが娘が共闘して行く契機になった、と言っているが、でもそれって結局は「みんなビンボが悪いんや」と責任転嫁してるだけじゃん。ガキか。 マスコミが自分たちの図式に合わせて事件を捻じ曲げて行くのは今に始まったこっちゃない。娘を「女の魅力でテロリストたちを操る毒婦」のように喧伝すしていることに対して、憤りを露わにしているが、それで娘のやった罪が相殺される訳じゃないんだがなあ。 安岡章太郎『私の戦後史Ⅲ』、リンチ殺人事件が戦時中の軍隊のシゴキによく似ている、としながらも、「殴り方のノウハウも知らない」と、なんだか「近頃の子供は集団で行動する機会が減ったために加減を知らなくなった」みたいな安っぽい論法を持ち出している。作家だから立派な分析ができるなんて思っちゃうのは権威主義的な発想なのだろうな。 犯人たちが被害者たちについて「死ぬとは思わなかった」なんて言ってるのは、もちろんウソで、当然被害者を殺すつもりであったことは間違いない。 だがここで興味深いのは、今言ったことと矛盾するが、この「殺すつもりはなかった」というのが、彼らの心理においてはウソではなかったのかもしれない、という可能性もあるからである。 ここで「総括」という言葉がクローズアップされてくる。これが現実の「死」から意識を乖離させるために編み出された言葉だとしたらどうだろうか。 と言うか、まさしくそれは事実なのであって、「総括」だからこそ彼らは仲間を死に至らしめることができたのである。「殺人」には抵抗あっても「死刑」は平気ってなもんだよねえ。 彼らの悲劇は、そういったカリモノの革命思想に操られたまま、自分たちが洗脳されていることにも気付かず、自らの言葉を持とうとしなかった報いである。その意味で言えばまさしく戦時中の軍国思想と全く同じだ。 ……そう言えばオウムも「ポア」って言ってたよな。言霊は現代でも生きているのだなあ。
永田洋子『私、生きてます』を読んでも、その印象を新たにした。 「私が仲間の女性を殺したのは私がブスでみんなが美人だからとマスコミは言ってますが、当時は女性の美はそれだけでブルジョアに通じるもので、共産主義革命を実現するためには否定しなければならないことだったからです」と弁解している。 でもそれが即ち「私がブスだから美人のみんなを殺した」ってことなんだがな。 結局言葉をすりかえることで、自分にウソをついてることから目を背けているのだなあ。 誰ぞが言ってたな。 「男はウソをつくが、女は自分がウソをついていることにすら気付いていない」って。 吉行淳之介だったかな? でももとネタは『ハムレット』の「弱きものよ、汝の名は女なり」だな。 あ、それと、永田洋子が少女マンガを模写していた、と大塚さんの本に書いてあったが、この自伝の中に収録されてたのは「みつはしちかこ」「ちばてつや」そしてなんと「友永和秀」(もちろん『名探偵ホームズ』などで知られるジブリ系のアニメーター。多分そうだと思うが、絵が歪んでるので、もしかしたら宮崎駿本人の絵の模写かもしれない)であった。 誰が差し入れしてんだろうか。
丁度、あの連合赤軍事件を扱った立松和平の『光の雨』が映画化されるそうである。 もっとも映画はリンチ事件を「劇中劇」として描くそうだが。 大塚さんの本の再出版も含めて、こういった一連の動きは、やっぱり重信房子の帰国の影響なのかな?
で、ここらで赤軍から離れて(^^)。 マンガ、長谷川町子『サザエさんうちあけ話・似たもの一家』読む。 『うちあけ話』、西日本新聞の連載を毎週楽しみに読んでたのももう20年以上前だよ。 NHK朝の連続ドラマ『マー姉ちゃん』の原作で、主役のまり子が熊谷真美で、作者の町子役がこれが人気爆発のきっかけになった田中裕子で、『のらくろ』の田河水泡が、まるで似てねーぞふざけんじゃねえ、の愛川欣也で、と、今じゃ誰も覚えてないよなあ。 基本的に連ドラは見ない私が、母親のススメもありはしたけれど、案外丹念に見ていた番組だったんだけど。 更に言えば、作者ばかりでなく、サザエさん一家ももともと福岡人だってことももう知ってる人は少ないんだろうなあ。 アニメのほうでも、たまに「九州の親戚」なんてのが出てくるだけだし。 でも、長谷川町子が磯辺でサザエさん一家を思いついて、私も子供のころ毎年海水浴に出掛けていた百道の海岸は、今やホークスタウンだ。かつての面影まるでなし。 だもんで、私ゃあまりホークスファンにはなりきれないのである。 『似たもの一家』、サザエさんちのお隣に住む作家の「伊佐坂難物」さんちのマンガである。でもこれも古い。昭和24年だもんねえ。 長男が甚六、長女がウキエってギャグも、もう若い人には解らないだろう。 実際、いつだったか塩浦さんに「惣領の甚六」の解説してあげたこともあったような気がする。本人はもう忘れてるかもしれないが。 伊佐坂先生のヒロポンを隣の子が遊びに来てうっかり飲んじゃった、なんて話も、今なら絶対描けないネタ。昔は誰でもヒロポンやってたって、ホントなんだなあ。いっぺん親父もやってたかどうか聞いてみようかな。 マンガ、高橋留美子『うる星やつら 夫婦ゲンカ始末記』。 あれ? 高橋留美子のインタビューがなくなってるぞ。1ページだけだったけどそれが楽しみで毎号買ってたのに何考えてやがる小学館。 今回読み返して驚いたのは、あれだけ読みこんでた原作なのに、何話か、細かいところを忘れていたこと。 ちょうど作者がスランプでつまんない話が続いてたころだったからだな。タヌキのO島なんて、気の抜けた話だったしなあ。 でもこの直後、「竜之介」登場で『うる星』は第2の山を迎えるのである。
日記の更新、さっさとすませたかったが、元気なく寝る。 でも先週に比べればまだカラダは楽だ。 もうひとふんばりしたいなあ、トシのこと忘れて(^_^;)。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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