無責任賛歌
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2001年06月23日(土) |
愛のバカクサ物語/『フロン』(岡田斗司夫)/DVD『ウルトラQ』1巻ほか |
ひいいいい! た、体重が83.8キロぉぉぉぉ! 恐るべし、お好み焼きパワー! わずか一日で1キロも太らせるとは! ここ四、五日、雨続きで、夜の散歩ができないでいるけど、その分、雨合羽着て汗だくで自転車通勤してるからそう増えはすまいとタカを括ってたんだがなあ。 ああ、でも今日も大雨。 私もそうだが、この休日、世間はみんななめくじになっていることであろう。 昨日の日記に書き忘れてたこと。 父の日のプレゼントは、昨日しげが私から奪い取っていったオカネでお風呂セットを買って持っていったそうである。 そのときの親父の反応を知りたいとは思ったが、人の顔色を読み取ることのできないしげは全然説明できないのだった。
岡田斗司夫『フロン』読む。 近所の本屋を探しまわって全然見当たらなかったのに、博多駅の紀伊國屋と、天神の福家書店にはしっかり平積みで置いてあったのだった。 「先に読ませて!」とタダをこねていたしげは、昨日のうちに読んでしまっていた。 今日、私が読み終わったところに、てぐすね引いて待ちかまえていたかのように、「ねえ、面白かった?」といかにも疑問、と言った面持ちで聞いてきたので、かえって私はキョトンとしてしまった。 私はてっきり、しげは『フロン』を読んでいろいろ共感するところも多かったのではないかと思い込んでいたのだ。実際「オンリーユー・フォーエバー症候群」の権化みたいな女だし。 「女が全部そうだってのは納得するんだけど」 という前置きをした上で、しげは言うのだ。 「なんでこんなに特殊な女しか岡田さんの周りにはいないの? アンケート取ったって言ってるけど、ヘンな例しか挙げてないんじゃない?」 ……そう思うのはお前が特殊だからだ、と心に思いつつ口にも出したのだが、実はしげのその指摘、間違っていなくもない。
実際、この本に載ってる女性の意見、まともに考えたらツッコミ入れやすいこと。 「本当に結婚という制度は私を幸福にしてくれるのだろうか?」 結婚はもともと幸せになるための手段ではありません。私だって、しげに対して「幸せにするよ」なんて言ったことは一度もないです。あなたはユメを見ているだけです。早く覚めなさい。 「子供はほしいけど、結婚してうまくやる自信がない」 養子を持ちなさい。自分の血を分けた子供でないとイヤなら「えっちはしたいけど妻と子供が付いてくるのはいやだ」という男を捕まえなさい。 「いい母親になれる自信がない」 ならなくていいです。 「結婚したら生涯、他の人を好きになってはいけない。だから自分は結婚などできない」 しなくていいです。 「飽きっぽい私に結婚など不可能」 だから誰もあんたに結婚してくれなんて頼んでないよ。 「結婚しても他の人を好きになるのは止められない。いったいどうやって今現在結婚してる人はそういう衝動を抑えてるのか。その秘密を知りたい」 秘密なんてありません。そんな衝動がある人は普通結婚しません。してもやがて別れます。なんでそこまで結婚したいのだ。しなきゃいけないと思いこまされてるのか。それとも貴様は「結婚して夫からお金をもらって、その金で他の男と浮気したい」と考えてるのか。 馬鹿。
特殊な例ではない。 女性に幻想抱いてる男性諸君、これが女の真実なのだよ。 世の中の大抵の女が「どんな最低な男よりもレベルが低い」とは宮崎駿も断言している事実なのである。 おっと、こういう言い方はまた誤解を招くな(^_^;)。 でも、男に依存するあまり自分の不幸の原因まで男のせいにする女が多いのは事実だと思う。 岡田さんは「現代の結婚は女が不幸になるように出来ている」と言うが、そんな女しかいない世の中でその女に育てられ、そんな女と結婚させられる男のほうだって充分不幸だと思うなあ。
「こういう意見が出る、という状況がいかに根源的で深刻か、いかに私たちの幸せを大きく左右するかに気がついた私は、『この問題を本にしよう』と決心しました」と岡田さんは本書の執筆動機を語っている。 つまり「こういう馬鹿女をはびこらしたのは今の社会を作ってきた馬鹿男の責任でもあるから、なんとかせんといかんな」ということであるわけ。 結論として導き出される「家庭から夫をリストラせよ」ってのが、「男が自由で女が子育て全部しなきゃいけないなんて女に不利じゃん」って見られちゃうかもしれないけど、「リストラ」ってのは「無能を雇う余裕はない」ってことなわけでしょ? 社員が二人しかいない会社で片方が足引っ張ってたらその会社が潰れるのは当たり前じゃないの。「無能な男に頼るな。自分の頭で考えて自活せいや、この馬鹿女」って言ってるのと同じなわけです。
実はウチの親、岡田さんの言ってる男のリストラ、もう三十年も前に実行してたようなもんでね。 実家は床屋なんだけど、私が子供の頃、夫婦にありがちな「離婚の危機」に発展したらしい。でも商売人の離婚ってのは、即、売上に響く。世間体とかなんとかより、そっちの問題の方が大きかった。 でどうしたかと言うと。 床屋の支店開いて、それぞれに独立したんだわ。 会計も何もかも別。もっとも片方の店が忙しくなったら、私が留守番して、本店と支店を行ったり来たり。 いやもう、子供のころはその留守番のために一日に何度も両方の店を自転車で往復させられてたんだけどね。……そうなのよ、本店と支店って、距離が100メートルしか離れてないの。 でもこれだけで夫婦の危機が回避されてたんだから不思議なもんだ。 実の所、お袋の方の店は経営が苦しくて、また「女の店か」と客に馬鹿にされることも多くって苦労もしてたらしいけど、それでも自立する道をお袋は選んでた。そしてその苦労を親父には一言も愚痴らなかった。 お袋が死んで跡を姉が継いで、親父も自分の店をたたんで姉の店を手伝うようになったんだけど、そのときになって初めて親父のやつ、過去の家計簿見て「あれはこんなに苦労してたのか」って気付きやがった。
そうだよ。覚悟もなしに結婚も離婚も出来るわきゃないのだ。 男も女も「愛情」なんかで結婚が続くと思ってるようなガキな発想はいい加減捨ててもらわなきゃ後の世代が苦労する。 ある意味、岡田さんが21世紀の今になってもまだこんなことを言わねばならないくらい、戦後60年近く、世の大半の男女は自分のアタマでものを考えることを放棄してきたと言えるのだ。
でもここまで言いきっちゃうと、例えばしげなんかは物足りなさそうに「でも『愛情』がオマケについてきたほうがいいじゃん」なんて言い出すのだ。 そりゃ、オマケについてくるのが金のエンゼルならいいけどね、銀のエンゼルどころか、「毒入り、食べたら死ぬで」ってやつばっかりだったら誰も買わんでしょう。 あのね、結婚と愛情は別とか、岡田さんは優しい言い方してるけどね。結婚に愛情は「毒」なの。 愛情以上の「意志」と「覚悟」と、それに「運」がいるのよ。
しげはね、私が浮気一つしない亭主なもんだから気がついてないんだけどさ、世の中のたいていの男は自分に言い寄ってくる女が五人いれば五人とも付き合いたくなるものなのよ。これだけでも「愛情」が「毒」だってこと、解るじゃないの。私を除けば身近にいくらでも例はいるでしょ。 だからたいていの女は男の浮気グセに悩まされることになるよねえ。特殊でもなんでもない。しげは多分「じゃあ最初っからそんな男と結婚しなきゃいいじゃん」と思うかもしれないけれど、そんな男しか世の中にいなけりゃ、どうしたって不幸になるのが女の「運」ってことにもなるのよ。
要するに男も女も馬鹿だから不幸になるの。
『フロン』のサブタイトルは「結婚生活・19の絶対法則」となっているけど、これはもちろん、岡田さんお得意のハッタリ。表記通りに鵜呑みにしちゃあいけない。今まで述べてた通り、岡田さんが提示した「夫のリストラ」ってのはこれを読む馬鹿女の頭脳レベルに合わせた「救い」のサンプルにすぎないのであって、結局どんな家庭を作るかってことについてはこの本の100ページに「じゃあ自分はどうしようと考えて見ることが必要」とちゃんと書いてる。 かと言って、岡田さんが読者の女性を「本気で」馬鹿にしているわけじゃない。岡田さんの発想は、「教師」なのである。もっと簡単に言えば「啓蒙家」。 「世の中の人は、こうすれば物事がうまくいくのにどうしてこうしないのかなあ」と気付いたら、それを「教えて」あげなければ気がすまない。ともすればその言質は「こんなことも知らないの?」的優等生の発言になってしまって、説教めいてしまうものなので、劣等生が読んだらムッとくるところも多いのだけれど、「馬鹿にされた」と思うのは劣等生の被害妄想。 優等生ってのは別に劣等生を「フフン」と鼻で笑ったりはしてないんだよね。ホントに単純に、「どうしてこんなこともわかんないの?」と思うだけ。 でもそう言う誤解を招かないように、「一緒に考えましょう」的な論理展開をするのが「教師」の方法。 「私が考えた理論」ってのならイヤミに取られるけど「結婚には法則がある」と言えばそれは自分の埒外のところにあることになるので、読者も拒否反応が少なくなる。これも「教師」の方法。 さすが『ぼくたちの洗脳社会』の著者である。 この辺の商売感覚は本を売る上では、あって当然のものだ。別に悪いことじゃない。
もともと結婚の絶対法則なんて、「法的に結婚している」事実があるだけで他に法則があるわけもない。歴史的、世界的に形態は異なれども、男と女を結びつけるシステムを社会は常に必要とし続けてきたのだ。簡単に言ってしまえばそこには「男女がくっつく」結果がありさえすればいいので、愛だの義務だのそんなのはあとづけの理論でしかないのだ。だから「結婚」という形態だってホントはいらないんだよね。 にもかかわらず我々が往々にしてその「愛」が先にあってその成果として「結婚」があるように錯覚してしまうのは、そうじゃないとなんで二人がくっついているかうまく説明できなくて自信がなくなっちゃうからなんだろう。 あるいは「打算」と「悪意」と「妥協」と「世間体」で結婚していると自覚したくないからかも? 打算のなにが悪い。 打算のない人生があるとでもいうのか偽善者め。 現実逃避してるくせに現実の苦労を愚痴るな、馬鹿。
家庭の問題の大半は、「他の家庭」と比較して身の不幸を感じてしまうことから生じている。 私も今までに別れたカップルってのをいくつも見てきてるけど、たいてい別れる前に私に言うんだわ。「有久さんとこがうらやましい、夫婦仲良くて」って。 もう、オタク道ひた走りの私と、家事も何もしないヒステリー女のしげを見て、そんなタメイキが出るくらいだから、これはもう最悪だ。 他人の家庭は比較するものではなくて観察して楽しむものだ。 ましてや「サザエさん」みたいな家庭とか「しんちゃん」みたいな家族が理想、なんて語るやつは逆さ吊りにしてサンドバッグ代わりにぶっ叩きたくなるな。
岡田さんもチクリチクリとは皮肉を言ってるんだよね。 現代社会は「自分の気持ち至上主義」であるって。 でもそれって「ワガママ女に『お前はワガママだ』って言っても聞く耳持たないのは解り切ってるから言葉を変えた」ってだけのことだ。 リストラした夫に金を要求することを許すほど、女のワガママを認めてるわけじゃない。
ともかく、変えていかなきゃ困るめんどくさい社会システムはゴマンとある。 この本は、「結婚してない男女、浮気している夫婦、離婚した夫婦、子供のいない家庭は精神的に何かが欠落している」という偏見というか幻想を吹き飛ばすための岡田さんの、「オタク認知洗脳運動」に続く第2の戦略なのである。
ま、確かにこういう戦略中に『クレヨンしんちゃん』を誉めきれない岡田さんの立場もわかるわなあ。 でも、あれも「家族」の一形態にすぎんので、それはそれとして考えてりゃいいとも思うけど。どうもあれをただのエンタテインメントとして思いきれないものがみんなの心の中にあるのだよなあ。
仕事を半ドンで切り上げて、天神を回り、ベスト電機と福家書店に寄る。 今月から来月にかけてほしいDVDや本が目白押しなので絞るのに苦労をする。見たり読んだりする時間だってそうそう捻出できんのに。
マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』1巻。 新人さんらしいがこれが初連載というわけでもないらしい。 あはは、現世における魔王決定戦って、つまり『魔女っ子メグちゃん』だな。もう最近はこういう「懐かしさ」の感じられる漫画の方が好きになってきてるなあ(昔はマンガはもっと先鋭化していいと思ってた)。 たった1巻だけど展開が早い早い。 主人公の少年のところに大鷲に乗って謎の子供(ガッシュ)がやってきて、電撃を吐いて少年のピンチを救って、ヒロインの女の子が銀行強盗に捕まったのも助けて、第2の謎の子供が現われてガッシュと戦って、更に第3第4の子供が現われてその子たちが魔物の子であるとわかって……。 要するに人気がなくて打ちきられるかもしれないので、描きたいことはどんどん描いとこうと思ったのだろうけれど、おかげで面白い。 シリアスな展開の間に挟まるギャグも惚けてていい。 ケンカから逃げようとした主人公の清麿、自分を助けに来てくれると信じるガッシュ、そのときのセリフが「清麿が今来ないのはウンコをしてるからだ!!! きっと、きっと太い、そう、アナコンダよりも太く、金魚のフンよりも切れが悪い、最悪のやつだ!」は良かった。 でちゃんと、「誰がそんなウンコするか!」と清麿が出てくるのも定番だけど、こういうベタなギャグもタイミングがうまけりゃ笑えるんだって。 『少年サンデー』ここんとこ気を入れて読みたいマンガが少なくなってきていたので、これはなかなか買いかも。
DVD『ウルトラQ』1巻、LDボックス持ってるのに買っちゃいました。 いや、つい二、三日前まで、買う気は全くなかったのだ。 でも『キネ旬』7月上旬号で「特典映像よりもオリジナルのクォリティの再現を第一に考えた」って紹介されてたんでねえ。 「保存されてたフィルムを見付け出し、ブラッシュアップして新たにテレシネがかけられ、さらにデジタル化された映像をレタッチしてキズが取り除かれ、色調を統一した」って書いてあるけど機械オンチの私には意味が全然解らん。誰か説明してくれ。 要するにすごい画質、音質になってるらしい。 で、見てみたのだ。
……凄いよ、由利ちゃん! アンタがこんなにかわいかったとは!(女見てねえで怪獣見ろよ)
一部にまだ傷は残っているものの、少なくとも以前見たビデオ、LD版と比べて各段に画質が向上していることは事実だ。いやあ、モブシーンの服のシワや背景の小石まで鮮明に浮かび上がって見えるぞ。 逆にゴメスなんかはキグルミの細密な状況までわかるので、そこは作りものっぽくて不利なのだが、ナメゴンは逆に合成の妙ともあいまって、そのぬらぬら感といい、巨大怪獣が襲ってくる恐怖をヒシヒシと感じさせてくれる。 ああ、この『宇宙からの贈り物』が『鉄腕アトム・ゲルニカ』の二番煎じじゃなけりゃ、もっと評価するのになあ。 今見ると、多分脚本か編集のミスだろう、製作第1話の『マンモスフラワー』では、お堀端の怪物体の調査もすんでいないのに一の谷博士が「植物」と決めつけてたり、命名される前に「マンモスフラワー」と怪獣を呼名するシーンがあったり、ミスは随所にあるのだが、それでもそれ以前の実写版『アトム』やら『月光仮面』、『快傑ハリマオ』に比べたら脚本も映像演出も格段の違いがある。 と言うか、これを越える特撮SF番組は未だに日本では生まれてないのではないかという気がしてならない。
封入のパンフも佐原健二氏のインタビューや当時の時代背景など充実しているのだが、スタッフ・キャストについての調査などは未だにきちんとなされていない。東宝の特撮DVDシリーズは可能な限りこれをやってるのに、こういうのを特典映像としてつけてくれないと、マニアはなかなか納得しないものなのである。 『ゴメスを倒せ』のジロー少年の声、小宮山清がアテレコしてるっていい加減でどこかに書いとけよ。マニアの口コミだけで知られてるって状況は恥だぞ。 後、先着限定の店頭プレゼント(オープニングパラパラマンガ、怪獣大相撲、フィルム栞、新聞式の紙袋)もあるので、買われる方はお早めに(^^)。 でも、「紙相撲」、怪獣がガラモンとケムール人なのはいいとしても、あとがカネゴンとM1号というのは納得いかんぞ。身長が違うではないか。
さて、新作のウルトラシリーズ『ウルトラマンコスモス』、脚本監督がこの『ゴメスを倒せ』の脚本や『2020年の挑戦(ケムール人)』、『虹の卵(パゴス)』演出の飯島敏弘監督である。「少年とウルトラマンの友情ものかあ。臭くなりそうだなあ」と心配していたのだが、『キネ旬』のインタビューでは、「少年とウルトラマンの関係が希薄なのが狙い目」と言っていた。これは意外と拾いものになるのかも?
あともう一つ『キネ旬』で気になった記事。 あの『恐怖奇形人間』で江戸川乱歩『パノラマ島奇談』『孤島の鬼』を合体映画化した我等が石井輝男監督が再び乱歩世界の映像化に挑む。 題して『盲獣VS一寸法師』!
……ぶわはははは! いやもう、できる前から珍品ができると保証つきの超B級なたいとるだねえ。 これはもう乱歩フリークならずとも、映画ファンを自認するものならば見るしかない大傑作になるであろう。 いや、またぞろお蔵入りして幻になりそうだって意味でね。 主演が『サウス・パーク』キリスト役のリリイ・フランキー、他のキャストは映画監督の熊切和嘉、手塚眞、中野貴雄で占める。……明智は誰が演じるんだ?
深夜、CS時代劇チャンネルで『大菩薩峠 完結編』(1959・東映)を見る。 机龍之助が死んだ息子の幾太郎の名を呼びながら濁流に巻き込まれるところで終わってるけど、これ、原作じゃ全20巻のうち2巻目までの映像化なんだよね。 だから机龍之助、あそこで死んでません(^_^;)。 何度も大河ドラマ化が企画され、そのたびにスケールのデカさゆえにボツってる、時代小説至上最長にして最大の傑作だから、映画を見てみたい、原作を読んでみたいという人もいるでしょうが、ともかく膨大な原作で、あれからが長くてしかも作者の死によって未完になってると言うことは知識として知っといたほうがいいと思う。 でも今どきはタイトルすら知らないという人も増えたかな? けど、『大菩薩峠』がなかったら、後の時代小説や映画におけるダーク・ヒーローの系譜、『眠狂四郎』も『仕掛人梅安』も『壬生宗十郎』も生まれなかったに違いないのだ。 誰が言ったか、時代小説の三大傑作は、国枝史郎『神州纐纈城』、白井喬二『富士に立つ影』、そして中里介山『大菩薩峠』。多分これに異論を唱える人はそうそういまい。 ああ、こんなことも昔は常識だったんだけどなあ。みんなもっと時代物も読もうよ。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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