無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年06月02日(土) レトロポリス/アニメ映画『メトロポリス』(2001)

 体重が、体重が、87キロ〜(T_T)。
 だから野菜ばかり食ってんのにどうして太るんだよう。
 ズボンのベルトがだんだんしまってきてるから、痩せてるはずなのにどういうわけだ、やっぱり筋肉がついてきてるのか?

 土曜で半ドン、先週行き損ねたアニメ『メトロポリス』に行く約束をしていたのだが、帰宅してみるとやっぱりしげは寝ている。
 まあ、日記の更新が遅れているので、ギリギリまで寝かしといてやるかと、夜までひたすら日記を書く。古い分になると、もう一週間くらい時間が経っているので、思い出すだけで時間がかかるのだ。やれやれ。

 さすがにそろそろ起こさねばと、7時過ぎにしげを起こす。
 多分人気がなくてすぐに打ちきりだろうから、今日あたり行かないと前売券がもったいないのだ。
 そうまでして、天神東宝まで自転車をかっ飛ばして見にいった結果はどうかと言うと……。
 ちょっとトサカに来て思わずオタアミ会議室に書きこみをしたので、それをちょっと転載。
 いや、なんというか、同じような内容を二度書く元気がなくて。



 会議室のみなさま、こんにちは。藤原敬之です。

 公開一週間が過ぎたってのに、だ〜れも話題にしないな〜、もしかしたらつまんないのかな〜。
 でもあの『メトロポリス』を21世紀に蘇えらせようってんだし、作画監督が『メモル』『ムーミン』『天たま』『お勢』の名倉靖博だし、まあ、脚本が大友の、監督がりんたろうのと、不安材料はどかんとあるんだけど、全然楽しめないってことはないんじゃないかな〜、そう思って見に行ったんですが……。




















 うわあ、これほど誉めるところのないアニメを見たのは『プロ野球を100倍楽しむ方法』以来だ。
 ともかくどこからどう貶していいか分らないくらいにひどい。

 とりあえず脚本から行きますけどね、手塚原作がこのままでは映画にならないと考えたことは一応理解できる。
 でもだからって、新たに付け加えた設定やキャラクターに説得力がないんじゃまるで無意味だ。『スプリガン』の時にも思ったけれど、根本的にドラマツルギーってものを理解してないんじゃないのか大友克洋。
 原作のミッチィにあたるティマ、こいつが登場するまでがともかく長くてタルい。丸首ブーン大統領とレッド公の政治的駆け引きだの、ヒゲオヤジ探偵のロートン博士探索だの、人間対ロボットの確執だの、背景を説明したくなるのは解るけどね、盛りこみすぎて整理がついていない。手塚流のキャラクターシステムの使いすぎなんだよねえ。
 なのに、原作にある「おそらくいつかは人間も発達しすぎた科学のためにかえって自分を滅ぼしてしまうのではないだろうか?」というセリフを述べるベル博士を省いたのは、あまりに説明的過ぎるからということなのかもしれないが、その分余計な設定を加えてしまって結局説明過多になってるのは、言ってみれば自家中毒。
 ヒゲオヤジの捜査に協力するロボット刑事や、革命を狙っている地下組織(『罪と罰』からの流用?)の存在など、思わせぶりに登場させといて、あっという間に消してしまう。これじゃドラマに殆ど寄与しない。
 『未来少年コナン』を見習えとは言わんが、「都市」を描くのなら、民衆の存在を早々と消してしまうのは矛盾だろうに。ラングの『メトロポリス』だって民衆は最後までいたぞ。「引く」技術を知らないのか。
 主人公のケンイチの行動原理も不明瞭。
 というか、殆ど主体的な行動をしないし、何も考えてないような印象しかない。
 ティマに逢って、照れて、ロックに追われて、レッド公にとっ捕まって、メトロポリスの崩壊とともにティマを失って、それでどこが主人公だ。
 そのティマを失うあたりも、前提となる彼女との心の交流が充分に描かれてないために、何ひとつ感動を呼ばない。
 おい、ケンイチ、おまえ、言葉も満足に喋れないティマと出会って、その正体をちったあ疑問に思うことは無かったのか。
 ティマが人間ではないと知って、ショックを感じたり迷ったりすることはなかったのか。
 新人の脚本家だって、主人公の心の葛藤を描かなきゃならないってことは知ってるのに、ケンイチについてはそんな感情が全く描かれない。
 おい大友、乗り越えるべき障碍を描かなくて、観客がキャラやドラマに感情移入できると思っとんのか、コラ。

 ああ、だめだ。
 脚本のアラ書きたてるだけで長文になってしまう。
 りんたろうのアホ演出ぶりまで書いてたらキリがない。

 こんなアホ映画について書き込みするのは時間の無駄かもしれないですけどね〜、この映画、女房誘って見に行ったおかげでね〜、「手塚で大友でりんたろうで何を期待したの」って散々言われて夫婦喧嘩になっちまってね〜、その恨みをつい吐き出したくなっちゃったんですよう(T_T)。
 私怨でどうもすみません。
 ネタバレ改行したにもかかわらずここまで読まれて、まだなお見に行ってやろうと考えてるお方がいらしたら、せめてパートナー同伴では行かないのが身のためとご忠告させていただきます。
 ……言わなくてもみなさん、クソつまんねーって事前情報を知ってらしたんでしょ、通のかたばかりでしょうから。うじうじ(ーー;)。



 ああ、文章が上ずってるなあ。
 しげとケンカしたって書いてるけど、これマジで、帰りがけに「これからどうする?」「帰るよ!」となんとも些細なケンカ。
 これで離婚にでも発展してたら、私、大友刺しに行っちゃうよ。
 まあそういう佐野善左衛門みたいなことはしないけど、オタアミに書かなかったりんたろうのアホ演出について少しだけ補足。

 例えばアクションシーン、ケンイチがティマを連れて逃げる所、いわゆる「追っかけ」なんだけど、ここでまずりんたろう、銃を取り出すロックと、逃げようとするケンイチをスローモーションで描くのね。ここまではいい。つまりこれは果たしてその銃口から逃げられるかどうか、気を持たせる演出なんだから。
 でも、そのあと、弾をよけたなら、後は一気呵成にスピードアップして逃走劇に突入しなけりゃいけない。
 けど、二人のタテになって撃たれたロボットのフィフィ(原作にも出てくるけどデザイン的には『火の鳥宇宙編』のロビタに近い)が出てきて動きが止まる。そしていきなり画面が超ロングになるのね。二人がメトロポリスのどこを逃げてるか見えないくらいに。
 追っかけをロングで描くなどと言うアホな演出を私は初めて見たぞ。
 移動撮影が困難だった昔、例えば『隠し砦の三悪人』で黒澤明がカメラを複数台直線に配置して次々と馬で追いかける三船を捉えるような苦労をしていたことをりんたろうは知らないのか。
 いや、せめて『カリオストロの城』くらい見て勉強しろよ。
 りんたろう、今回は手塚っぽくしないために「虫プロ」系のアニメーターを外したと言ってたが、なんで平気でそんな嘘つくかな。マッドハウスは立派な虫プロ系でないの。
 演技のつけ方もタルいわりに手を振りまわしたり背筋を反らしたりというオーバーアクト、つまりディズニーの悪影響を受けっぱなしの虫プロ系演技のまんまだ。こんなんで感動できるやつの鑑賞眼は、はっきり言って最低である。

 ティマは可愛かったんだけどねえ。
 初めはケンイチをどう誘うのか、天使か悪魔かどっちかって雰囲気があって。でもデザインがよくても、脚本と作画と演出の三つが三つともアホじゃどうにもならないのであった。

 しげとケンカしたので、寝たのは午前4時(仲直りに時間がかかるのよ)。
 二時間しか眠れなかった。明日は休日出勤だってのにもう(+_+)。



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