無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月10日(月) 騙されて騙されてどこへ行く/『ありえない物語』(ポール・ジェニングス)/『マンガ狂につける薬21』(呉智英)ほか

 同僚の一人から、仕事の都合とやらで、急な仕事を頼まれる。
 「たいして時間がかからないから」という言葉に騙されて、気がついたら、勤務時間を1時間もオーバーしてしまう。
 おかげで駐車場で待ってたしげが怒るまいことか。
 「いや、騙されたんだよ、同僚に」
 「つまりあんたは悪くないっちゃろ! そこで謝らんやん! だけん怒っとうとよ!」
 「だってオレのせいじゃないし」
 「ほら見てん!」
 なにが「見てん」なんだか。
 「仕事なんだから仕方ないじゃん」
 「仕事なのはわかっとうよ。アンタが謝らんのがハラ立つと!」
 「謝ったよ」
 「謝ってない!」
 「謝ったよ」
 「謝ってない!」
 キリがないのでやめよう。
 ともかくこちらは迎えに来てもらわなければならない立場なので、あまり強くは言えない。最近はあまりしげを待たせることがなかったから、つい油断したのが敗因だった。もう少し状況を聞いていたら同僚の申し出、断っていたろうに。
 「じゃあ、お前は絶対オレを許さんってこと?」
 「アンタが優しくないんやん」
 しげはすっかりご機嫌斜めだが、いつものことで数時間もすれば怒りもたいてい忘れてしまう。とりあえずこの場をやり過ごせばなんとかなる。
 「じゃあ、明日、同僚に文句言っとくよ」
 「『騙された』って?」
 「言うよ。その通りなんだから。時間とかそういうのはちゃんと言ってください、困りますって」
 しげ、ようやく機嫌を直したよう。
 しかし職場のことで家庭にこれだけトラブルが起きるってのは、困りものだ。
 いっそのこと転職しようかとも考えるが、転職するにはもうトシがイッちゃってるからなあ。今日の件でも分る通り、簡単に騙されちゃうタイプだから、お人好しは使いものにならんと判断されちゃうかも。阿地川盤嶽か。
 っつーより病気持ち雇ってくれる奇特な会社なんてそうそうないよなあ。
 え? 病気のことよりオマエの根性悪の方が問題だって? コリャマタ、シツレイイタシマシタ。
 

 しげ、今日は早出で私を家の前で落とすなり、リンガーハットに向かう。。
 これから、早い時間の出勤が多くなるそうで、そうなるとますます残業ができなくなる。仕事のスピード自体をアップしていくしかないんだよなあ。でもそんなに簡単に行くこっちゃないのよ、これが。
 晩飯に買い置きの冷凍ラーメンを作る。
 ガスは止まったままなのでポットのお湯を注いで、電子レンジにかけるだけ。
 一度のお湯では解凍しきれないので、二度注いで、電子レンジは30秒。
 これだけでラーメンは充分美味しいどころか、茹ですぎることがないので、麺も伸びずコシがあるまま。……ホントにガス要らないんじゃないか。


 山本弘さんのHP「SF秘密基地」の掲示板で、『あずまんが大王』のあずまきよひこさんのHP「A‐ZONE」が紹介されていたので、覗きに行ってみる。
 コンテンツは少ないけれど、センスがすごくいい。
 コンテンツをたくさん設けるだけ設けて一つ一つの内容が薄くなり、ゴタゴタし過ぎて見るに耐えなくなってるHPがザラである中で、このセンスのよさは貴重だ。こんなHPが作れたらなあ(性格的にムリだろうけど)。
 特にFAQ(よーするに質問コーナーのことなんだが、私ゃてっきりFは“fan”、Aは“answer”、Qは“question”だって思いこんでたよ。ホントは“frequently asked questions”「しょっちゅう聞かれる質問」ってことなのね)がよくできてる。
 Q.このホームページにリンクしてもいいですか?
 Q.あずまんが大王のコミックスの絵を私のHPに載せていいですか? 許可はもらえませんか?
 Q.メールの返事がきません。
 Q.榊や神楽の名前はなんていうんですか?
 Q.「あずまんが大王」の主人公は誰ですか? ちよちゃんが主人公ですか?
 などなどの質問に対して、全て『あずまんが大王』のひとコマで答えているのだ。
 例えば最初の「リンクさせて」の答えは、おーさかの「ええよー私は心が広いから許したげるでー 海のように広い心ー」。
 いいなあ(^^*)。
 あとの答えはどうぞみなさんで確かめてください。

 http://www15.xdsl.ne.jp/~azuma/menu210.htm
 

 しげ、12時前に帰宅、二人で「めしや丼」に向かう。
 とっくの昔にしげはウキウキしていて「これからラブラブになろうね」とかアホなことをこいている。
 これだからしげと真剣にケンカになることがないのだ。


 ポール・ジェニングス、吉田映子訳『PJ傑作集1 ありえない物語』(トパーズプレス・1121円)。
 オーストラリアの作家、ジェニングスの短編集第1弾。
 あと『とても書けない物語』『がまんできない物語』『想像もつかない物語』『先の読めない物語』『信じられない物語』『やってられない物語』と続いてるらしい。
 ヒトコトで言えば、現代版オー・ヘンリーと言った趣きのアイデア小説集。
 なぜか言葉の最後に「シャツも着ないで」と付けなければ喋れなくなってしまった少年の物語や、時限つき接着剤を売りつける詐欺師の運命を語る話や、便所に出る幽霊の話など、設定は面白いんだけれど、「どれもどこかで読んだことがあるような」という印象がしてしまうのがちょっとネックか。
 もうここ7、8年のロングセラーになってるらしいけれど、この手の小説が読みたければ、フレドリック・ブラウンの短編集をまず読んでほしいね。『天使と宇宙船』とか。


 マンガ、石ノ森章太郎『歯車 石ノ森章太郎プレミアムコレクション』(角川ホラー文庫・820円)。
 『マスカーワールド』に続く角川ホラー文庫の石森章太郎アンソロジーの第2弾。第1弾の方は全作読んでたんで買わなかったのだけれど、今回は『石森章太郎読切劇場』の完全収録を初めとした、雑誌掲載のみの作品の単行本化。これが嬉しいね。
 何より巻頭が名のみ有名であった小松左京原作による『くだんのはは』!
 正直な話、私は『くだんのはは』がそれなりの佳作だとは思うけれど、ホラー中のホラー、大傑作とまでは思ってない。ギャグとホラーは紙一重、とは言うが、その「ギャグ」の方にちょっと傾いちゃったかな、というのが私の印象だ。
 ましてや「絵」で見せるマンガが、アレを笑わずに見せることができるのか、と考えたら、むこりゃ結構難しいんじゃないかと私が危惧するのも原作を読まれてる方にはご理解いただけると思う。
 一読して見て、途中までの展開はナレーションに頼り過ぎている面はあるものの、油の乗りきっていたころの石森さんのテクニックが縦横無尽に駆使されていて、戦時中を舞台にした原作の厚い雲に閉ざされているかのようなどんよりとした雰囲気をうまく出している。でも肝心のラストは……やっぱりいただけない。やっぱりちょっと笑ってしまった。怖い人には怖いのだろうけれど、アレを怖く見せるにはやはりページが足りなかったのではないか。つーか、アレをはっきり絵にしちゃ、やっぱり笑いしか起こんないような気がするんだけれど。
 ホラーとしては『読切劇場』のいくつかの短編の方がよっぽど怖い。
 石森章太郎自身をモデルにした『鋏』。新進マンガ家と、そのファンである二人の少女の淡い恋。けれどそれはマンガ家の婚約で無残にも引き裂かれる。
 その大半はフィクションだろうが、もしかして本当にあったことかも、と思わせるのは、少女の一人が、自分の身に起こったことを、まるでもう一人の少女の身に起こったことのように語る、その「虚構性」のゆえにである。
 ほかにも『怪談雪女郎』や『遠い日の紅』などはまるで一編の映画のようだ。
 これだけの傑作シリーズが今まで一部を除いて埋もれていたというのは、なんとモッタイナイことであったか。
 ラストの『マタンゴ』はもちろん東宝映画とのタイアップ企画。
 ページ数が少なすぎてとても映画ほどのインパクトは与えられないが、これはまあ、CDならボーナストラックと言ったところか。
 

 呉智英『マンガ狂につける薬21』(メディアファクトリー・1260円)。
 日本にはこれだけマンガが氾濫してるってのに、マンガ評論家としてコンスタントに本を発行してる人は意外と少ない。
 雑誌の書評自体はあちこちで見かけるんだけれど、単行本として纏まっちゃうと売れなくなるのかもなあ。
 だいたい、評論ってのは読んでてそんなに面白いものではない。
 ただの感想なら「ふーん、アンタがそう思ってるだけでしょ?」と言われりゃそれまでだから、評論それ自体が「読み物」として面白くないと読者はワザワザ手に取って見ようという気にならないのである。
 いしかわじゅん・唐沢俊一・米沢義博の諸氏も、それぞれにマンガ評論があるが、あとが続かない。となると、今、最も意欲的かつラディカルに評論本を出し続けているのは「呉智英」ということになるのではないか。
 呉氏は評論の有効性について次のように語る。
 「もちろん、最終的な評価は読者一人一人が決めることである。しかし、評価を決めるに際し、適切な評論や解説は必要なのだ。外国の小説を原書で読むには辞書が必要である。これと同じことだ」
 当たり前のことを普通に語ってるだけなんだけれど、これが現実問題として過激な言質に受け取られてしまうのは、それだけ受け手である読者が傲慢になっている証拠だろう。あるいは脆弱な自分の精神を守るために頑なになっているのか、自分の好き嫌いだけを絶対に主張して、他人の価値観を入れようとしない。
 マンガ読者にはその傾向が特に強いように思う。その風潮を吹き飛ばすためにも呉さんにはもっともっと頑張ってほしい。

 『ダ・ヴィンチ』連載のこのマンガ評論集、秀逸なのはマンガと活字本とを同一の俎上に乗せて、多角的な視点で作品世界のモチーフを浮かびあがらせていく手法だ。
 作品世界の中には実に様々な情報があり、必ずしもそれがメインテーマとは関わりがなくとも、「時代の象徴」として作者自身、無意識のうちに表出してくることがある。それを小説との比較によって明確化することで、飛ばし読みをしていた時には気づかなかった新しい視点を読者は得ることができるのだ。
 例えば唐沢なをきの『怪奇版画男』と森鴎外の『百物語』を比較し、「くだらない、意味がないから面白い」と説く。活字史上主義者が聞けば、「文豪鴎外とどこの馬の骨かわからぬマンガ家とを同等に扱うとは何ごとか!」と激昂しそうだが、ホントにこの『百物語』という小説、徹頭徹尾作者の分身と思しい主人公がぼんやり取りとめもないことを考えてるだけの作品なのだ。
 というか、実は鴎外にはこの手の小説が意外に多い。『舞姫』や『阿部一族』、『高瀬舟』と言った作品ばかりが云々されて、鴎外は近代の苦悩の象徴みたいに言われることが多いが、「別に難しいこと考えたって人生面白くないしー」と、本作や『寒山拾得』みたいな小説も書いているんである(『寒山拾得』は日本文学史上屈指のまぬけ小説なので、まぬけギャグが好きな人は読んでみよう)。
 人生の苦悩を描くものがブンガクだ、と思い込んでいた人にとっては、目からウロコであろう。多分この本読んだあとはウロコが軽く10枚くらいは落ちると思うから、マンガ好きはぜひ読んでみよう。ただし、評論という性格上、ネタバレが圧倒的に多いので、まだ読んだことない本の批評を読む時には気を付けるように。
 『くだんのはは』も、引用の絵も文章でも、しっかりオチをバラしてるんだもんなあ。 

2001年06月10日(日) ハカセ、負傷?!/『少女鮫』2〜5巻(和田慎二)ほか



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