無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月11日(火) 有久家の崩壊……直前?/『パタリロ西遊記』4巻(魔夜峰央)/『くらたまのお蔵だし』(倉田真由美)ほか

 今日も残業も頼まれるがきっぱり断る。
 いくら私がお人好しだからって、二日も連続して騙されやしないって。
 しげから「今日はちゃんと断ったの?」と聞かれたので、「ああ。もちろん!」と威張って言う。
 別に威張ることでもないどころか、同僚との間に気まずい関係を作っただけなんだが(^_^;)。

 なんだか急に気温が高くなって暑い。
 日中、びっしょり汗を書いてしまったが、お風呂はやっぱり水のまま。
 水風呂も気持ちよくはあるのだが、熱くなったと言っても、真夏日ほどではないから、腰から下までつかるのが限度。
 心臓の上までだと死ぬかも。
 早いとこカネ入れてガス復帰させてもらえりゃいいじゃん、と言われそうだが、あともうしばらく日々の生活をやり過ごさなきゃならんのと、しげに「どうせガス来なくっても平気なんでしょ」なんて言われたので、私も意地になっているのだ。

 そのしげ、私に言われた通り、ポットのお湯を使って、体を流そうとしたらしい。
 「湯舟にお湯入れたけど、暖かくならんかったよ!」
 「当たり前だろ!? ポットのお湯の量じゃ、焼け石に水じゃん(←タトエが逆だが)」
 「じゃあアンタどうやったん!?」
 「洗面器にお湯移して、水で薄めて使うんだよ!」
 口で言ってもよく理解できないようなので、実演して見せる。
 「ホラ、こうやって、お湯と水の量を加減して……」
 「そんなん、水の量間違えたら熱いやん!」
 「間違えなきゃいいだろ!」
 「間違えるんよ! オレは!」
 「威張って言うなあ!」
 その後もお湯の量が足りないとか文句を言うので、タオルにお湯を浸してカラダを拭けばそれで充分、と教える。
 「な、これでお湯が少なくても充分カラダが拭けるやろ?」
 「そんなんで大丈夫と?」
 「大丈夫だよ。オレは大学時代、こうやって半年にいっぺんしか風呂に入らんかったけど、別に病気にもならんかった」
 「……うそくさ」
 まあ、ホントはちょっと病気になったが。


 昨日覗いてみた、あずまきよひこさんのHP『A−ZONE』。
 今日覗いてみたら、「雑誌に載っていた『九月から新連載』というのはホントですか?」という質問に対して、あずまさんがおーさかの口を借りて「あれ、うそ」と答えていたのが、ちょっと問題になっている。
 つまり、これを本気に取った読者の一人が、「出版社がウソの情報を流したのか?!」と怒ってきたというのだ。
 ……ギャグマンガのファンなのに、ギャグが理解出来ないのかよ、コイツは。
 表紙であずまさん、「雑誌に載ったときは、編集者さんとの間で『できたらいいですね』というやり取りをしていた段階なので、確実とは言えませんでした」と謝罪しているが、謝罪しなければならないことじゃないよ。
 だいたい新連載を始める時期が遅れたからと言って、そんなに騒がなきゃならないことなのか。もともと、連載予告、とは言ってもどうやら正式な発表ではなくて、そのころになるかもって情報にすぎなかったみたいだし。なのに作者にメールを送りつける神経過敏さ、これだけでも充分トンデモさんだと思うのだが、どうか。
 ギャグをギャグとして受け取れない人間には、私もしょっちゅう出会っているが、なにが困るって、こういう「マジメな奴」ほど「自分は善人」だと思いこんでるから、自分の方こそ世の中をキュウクツにしている加害者だってことにも自分の愚かさにも、いっこうに気付かないのだ。
 昔はこういう連中をバカにする「野暮」っていう適切な言葉が日本語にはあったんだけど、最近は通用しなくなってるからねえ。つ〜か意味自体知らないやつばっかだし。「野暮」に替わるイイ言葉を発明しないといかんかなあ。


 買い置きの食料がもはやラーメンしかない。
 しかし金欠病がいよいよ深刻になってきているので、ここでムダ遣いは出来ないのだ。
 喜多方ラーメンのコシのある麺を一本一本啜りながら思う。
 生活がどんどん大学時代の貧乏なころに近づいてきているが、内心、それを楽しんでる部分が自分にないか。
 あのころに戻ってみたい、バイトをしながら、今とは比べモノにならないくらいの微々たる給料でも、おカネを手渡されるのを心待ちにしていた日々を懐かしんではいないか。
 ある意味これもまた緩やかな現実逃避なのだろう。
 トバッチリはしげに来てるみたいだけれども(^_^;)。


 マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』4巻(白泉社/花とゆめコミックス・410円)。
 原作にもある三蔵法師の妊娠話(^o^)。
 昔のドラマじゃ、夏目雅子がウンウン唸ってたなあ。あのドラマの功罪はいろいろあって、あれ以来、三蔵法師は女性が演じるものと決まっちゃった。ホントの三蔵は、ガッシリした肉体派だったらしいけど。女が男のフリして臨月シーン演じるのって、なんだか妙に可笑しかったな。
 マライヒは一応男だから問題ないのか。
 でも本編ではフィガロ生んでるし、もしかしてフィガロをここで生んで一行に加わるなんてことになりゃしないかって、心配しちゃったよ。
 このペースで行くと、原作を消化するのに軽く10巻以上はかかりそうだけど、ちゃんとそこまで連載を続けさせてもらえるのかなあ。『パタリロ』本編は確かに70巻を越して未だに終りそうな気配もないけど、それ以外の連載は『ラシャーヌ!』と『妖怪始末人トラウマ』(&『トラ貧』)がちょっと続いただけで、あとは軒並み数巻で打ち切られてるからねえ。
 私は魔夜さんのしょーもないギャグが好きなので、ぜひ人気が出て続いてほしいんだけど。
 ついでに山本貴嗣の『西遊少女隊・完全版』も読み返す。これも続いてほしかったのに打ち切られちゃったやつ。美少女三人組と「最終教師」こと茶羽顔八のバリエーションであるアルピニスト三蔵とのコントラストが楽しかったんだけど、牛魔王も金角銀角も出せずに終わっちゃったんだよね。残念。


 マンガ、倉田真由美『くらたまのお蔵だし』(扶桑社・900円)。
 『だめんずうぉーかー』がヒットしなければ出るはずもなかったことが確実なくらたまさんの初期作品集。
 けど、出なくてもおかしかないよな、くらたまさん本人が「西原理恵子のマネをした」と告白してたけど、どうしてどうして、まついなつきやら中崎タツヤやら内田春菊やら臼井儀人までパクリまくってるよ。
 「どこかで見たような」マンガじゃオリジナルとして評価はしてもらえないよねえ、やっぱし。
 けれど、私がくらたまさんを「面白い」と思ったのも、昔、巻頭収録の『マンガ家への道』を読んでからだった(『だめんず』以前から注目はしてたんである)。
 有名大学を出ているというだけで就職は楽勝!と錯覚し、受ける会社受ける会社ことごとく落ち続け、藁にもすがる思いで描いたマンガが「ヤンマガ」の奨励賞に引っかかり、なんとかマンガ家デビューはしたものの、全く単行本が出る気配もなく、カツカツの生活をしながらいつかヨメに行ける日が来るのだろうかと不安な日々を過ごしているって……。
 なんだかねー、ここまで馬鹿女だとねー、むしろかわいく思っちゃうのよ、男は。つきあうとしつこそうだからコナかけはしないけど。
 やっぱり作ったマンガはたいしたことない。くらたまさんの真骨頂は自分切り売りマンガである。せっかくリコンという楽しいイベントも経験したんだし、そのへんの事情をマンガにすればまた化けると思うんだけどな。今こそ内田春菊を見習おう(^o^)。


 なんだか三谷幸喜を見返したくなって、劇場映画第一作でキネマ旬報の脚本賞を受賞した映画、『12人の優しい日本人』を見返す。
 今は亡き演劇雑誌『しんげき』にこれの舞台版の脚本が載っているのだが、それと比較しても細部に渡って変更が加えられているので、俄然面白くなっている。本家の『十二人の怒れる男』ほどのインパクトはないけれど、実は同じ陪審員劇とは言っても、社会派ドラマを目指した『怒れる男』と、単純な推理劇である『優しい』とは似て非なるものなので、比較してもあまり意味はないのだ。
 映画用にキャストを一新(オリジナルキャストは相沢一之と梶原善のみ)したとは言っても、そのほとんどは舞台俳優。故・村松克己のような重鎮もいるが、一般の人はほとんどキャストの名前を知るまい。けれど、だからこそいかにも陪審員として集まりそうな普通の人たちが集っている、という印象があって、穏やかないい映画になっている。
 かつての東宝「金田一耕助」映画『悪魔の手毬唄』に出ていた林美智子と、後に『八つ墓村』で「金田一耕助」を演じることになる無名時代の豊川悦司が共演し、協力し合っているのも面白い。
 何より「優しい」と言いながら、登場人物がみな島国根性まるだしの小市民と言うのがコメディタッチの中にもリアルさを出している。
 三谷幸喜の原点はここにあるな。

2001年06月11日(月) 誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)



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