無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2002年06月04日(火) 日常ってつまんない?/『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』1巻(安彦良和)/『ヒカルの碁』17巻(ほったゆみ・小畑健)ほか

 日中、気温が30℃を越えたそうな。
 道理で頭痛がすると思った。
 ようやく席も出なくなったと言うのに、今度は気温でやられるか。せめて風が吹いてくれればいいのに。


 ワールドカップ、日本がベルギーと引き分けた途端に新聞各紙は「快挙」の報道。……よっぽど娯楽がねーのかな、日本には。いやマジで。
 なんだかこの国中の燃え方がだよ、私にゃどうにも「イビツ」に見えて仕方がないんだけどね。私の今の気分をたとえてみれば、高校3年の体育祭でブロックリーダーが「これが最後の体育祭なんだー!」って無理やり盛り上げてるけど、下級生はシラケてるってゆーか、そんな感じ。同じようにシラケてると思ってた同級生の友達が一緒になって「オーッ!」て叫んでるの見ちゃって、つい、「こいつ正気か?」ってビビってる気分かな。あえてこの「騒動」と呼ぶが、これにどこか「作り物」めいた印象を浮けてるのは私だけかねえ。
 だって、この国にそんなにサッカーファンがいたか?
 ついこの間までのJリーグの不人気は何だったの?
 世界的なイベントというのはこれまでにもいろいろあったけどさ、それこそアポロの月着陸だの東京オリンピックだの万博だの、そんなのになら私だって燃えましたよ。時代の象徴だったからね。
 けれどワールドカップは一体、何の象徴なの?
 私にゃ、「これを逃すとオレたちの時代のイベントはもうない」とサッカーに別段興味もない有象無象が群れ集まってるだけにしか見えないんだが。日常のストレスがたまってて、ここを先途とウサを晴らしたかったんじゃないかね、ホントの話。こういうやつらを乗せるのは実に簡単だ。
 マスコミはもちろんそういう有象無象を煽動したいんだろうね。そういうアホなやつらがカネを落としてくれるわけだからさ。
 私だって楽しけりゃアホになってもかまわねーけど、数あるスポーツの中でサッカーだけに入れこむ気がしないのよ。
 未だにチケットが入手できない、席は余ってるのにどういうわけだ、政治家が優先されるのはおかしいじゃないかと喧しいが、そんなトラブルはこの手のイベントにはザラにあることだ。今回だけやたら不手際を云々するのはみんなアタマに血が上ってるよ。
 博多って土地柄は、ともかく興奮しやすい人間がゴマンといる。
 一人既知外が出ると、その既知外が隣の人間にも伝播し、それがまた隣の……と、気がついたら周りがみんな既知外ってことになりかねないところなんである。……あまりのぼせあがった人の中で暮らしたくないなあ(-_-;)。


 しげが、フトンに寝っ転がったまま、深刻な面持ちで声をかけてくる。
 「ねえ、聞いていい?」
 しげの「深刻な表情」というのは、「何も考えていない」ことと同義なので、別に構えることもなく「なんだよ」と聞き返す。
 「こないだの飲み会(1日のAIQの集まりのことらしい)でさあ、みんな『おたく先生』が好きって言ってたやん?」
 どうやらしげには、AIQのみなさんが徳光康之の『濃爆おたく先生』を誉めていることが気に入らないらしい。
 「それが? おまえは面白くないんだろ?」
 「うん」
 「でもそれは単に趣味の問題なんだし」
 確かにギャグを外しまくっているところは多々あるが(ドリル番長は……ねえ)、妄想が暴走してかえって顰蹙を買うのもオタクの微笑ましい特徴である(そうか?)。何も目くじら立てることはなかろう、と私は思っていたのだが、しげはあえて何と文句をつけようと言うのか。
 「『ガンダム』に入れこむのはいいんよ。『ドム一筋』とか、オタクだなあって思うし」
 「じゃあ何が気に入らんの」
 「……『サクラ』好きって言ってる時点でオタクじゃないよ」
 うひゃあ、そう来るか(^_^;)。
 もちろん『サクラ』と言うのは『サクラ大戦』のことである。徳光さん、このゲームとゆーかアニメとゆーかのクールビューティ、マリア・タチバナに「萌え」ているのである。
 で、しげが『サクラ大戦』を蛇蝎の如く嫌っている(つーか、アンチあかほりさとる)のは、何度かこの日記にも書いた通り。……やっぱり単に趣味の問題じゃないのか。
 けれど確かに『ガンダム』から『サクラ』へ転ぶという行為については、コアなアニメオタクとしては許せないものがあるのも分らないではない。『ガンダム』にドラマはあるが、『サクラ』にはご都合主義しかない。『ガンダム』にキャラクターはいるが、『サクラ』にはデザインしかない。こりゃしげならずとも、転ぶにしてももう少し相手を選べなかったのかって言いたくなるよなあ。
 「まあ、確かに……『サクラ』はねえ。けど、AIQのみなさんはあくまで『ガンダム』ネタで笑ってるんで、『サクラ』のことはよく知らないんじゃないか」
 そう言ってて実はAIQに『サクラ』のファンの方がいらっしゃったらどうしよう(^_^;)。


 マンガ、矢立肇・富野由悠季原案・安彦良和漫画『機動戦士ガンダム THE ORIGIN ―始動編―』1巻(角川書店・588円)。
 もう『ガンダムエース』の方で一回読んじゃってるので、いちいち単行本買わなくてもいいような気もするが、やっぱりそれはそれ、これはこれである。
 表紙のカバーも描き下ろしだし。
 安彦さんのコメント、「『ガンダム』というのは、こういう物語です」という短いセリフに万感の思いを感じるのは、やはり何だかんだ言いながら、私がファーストガンダム世代だってことなんだろうなあ。
 だいたい、あのころ高校生だった我々は、好むと好まざるとに関わらず否応なしに「『ガンダム』はSFや否や」、「『ガンダム』は戦争アニメか反戦アニメか」みたいな論争に巻き込まれていったのである。
 お若い人々にはピンと来ないだろうが、「どーだっていいやん、そんなこと」などと言える雰囲気ではなかったのだ。ある意味、後の『エヴァ』論争よりも熱かったと言っても過言ではない。
 そんな中で私は終始、「SFは手法であって、ジャンルではない、したがって『ガンダム』がSFであるか否かはその問い自体が無意味である」、「戦争を描いている作品について、肯定的な意味と否定的な意味の両方の受け取られ方が生まれるのは、それだけその作品が『リアル』である証拠である。従って、『ガンダム』が戦争を肯定しているか否かという視点ではなく、リアルかそうでないか、という視点で見るべきである」と語っていた。
 もちろんこれは遠回しに仲間を「オマエらはバカだ」と言っているわけで、当時から私が、マスコミやムーブメントに乗せられやすい連中を軽蔑していたことがよく分る。ところがこんな見え透いた詭弁に簡単に乗せられる友人も結構いて、ウンウン頷いたりしてたんだから、みんな本当に熱に浮かされていたのだ。
 もちろん友達もいつまでもバカではないので、私からバカにされていると気付いた時点で口を利かなくなった。おかげで私の友人は今、ホントに少ない(-_-;)。
 けれど、私は実のところ本気でハラを立てていたのだ。
 それまでアニメや特撮をバカにしていた連中が、いきなり『ヤマト』『ガンダム』と浮かれ出した様子に。
 それまでアニメーションという言葉すら知らなかった連中が、「マンガ映画」あるいは「動画」という言葉を簡単に捨てていったことに(当たり前だがアニメブーム以前に「アニメーション」という言葉はアニメファンの間では普通に使われていた)。
 ここで、きっちり言っておかねばならないと思うが、半可通なアニメファンが、よく「『ヤマト』『ガンダム』によって、日本のテレビアニメに大人の鑑賞に耐えるSF作品が生まれた」とか言ってるが、そんなことは大ウソである。
 創世記のテレビアニメがほとんどSF作品だったことを忘れちゃいないか。正確には「世間に対してSFアニメをオトナが見てもいいと認知させた」という点において『ヤマト』や『ガンダム』には価値があるんであって、だからそれ以前にロクなSFアニメがなかったなんてのは勘違いも甚だしいのである。
 だったらどうして今でも『鉄腕アトム』や『サイボーグ009』がリメイクされるのだ。『鉄腕アトム』で描かれた未来、意外と当たってるぞ(21世紀になつても未だに学生はツメエリ着てるし。それは違うか)。
 ……『ガンダム』の感想じゃなくなっちゃったけど、一回読んだやつだから話が本編から外れるのもご勘弁ね。


 マンガ、ほったゆみ原作・小畑健漫画『ヒカルの碁』17巻(集英社/ジャンプ・コミックス・410円)。
 これも雑誌連載の時に読んでて、感想書いてるしなあ。
 けれどまとめて読むと、実によく構成されてることが分るね。これまで『ヒカルの碁』を読んでなくて、これから読む、という人には、まとめて一気に読む楽しみが味わえるんだから羨ましいね。もう、毎週毎週ドキドキワクワクするのも嫌いじゃないけど、トシを取ってくるといささか心臓に悪い。『ジャンプ』片手にコンビニで心臓発作なんて起こしたくないぞ。
 連載の方もついに第2部再開でなんだかジャンプシステムの「対決もの」に取りこまれそうな気配なんで、「ここで終わっておけばな」ってのは誰もが感じてることなんだけども、そうなると私は天邪鬼なもので、「これからが『ヒカ碁』の真骨頂」と言いたくなる。
 『ヒカ碁』はこの17貫で一旦、あまりにきれいに終わりすぎた。
 けれど、もともとこの物語は『終わりのない物語』なのである。佐為は千年の時をかけて神の一手を極められなかったが、ではそれがヒカルに可能なのか? そうではあるまい。ヒカルにも神の一手は極められない。それはもう分っている結果だ。だとすれば、ヒカルがその一手を極めて物語が閉じるのではなく、佐為がヒカルにそうしたように、ヒカルもまた誰かにその扇子を渡す時が来る……。
 それを描いてこそ、初めて『ヒカルの碁』はその果てしない物語の先を示す形で終わることができるのではないか。
 これまでは佐為の庇護のもと、ヒカルに大きな挫折はなかった。けれどこれからは違う。もうヒカルは大人に一歩足を踏み入れている。これまでとは比べものにならない挫折を味わうこともあるだろう。あかりちゃんとの初めての経験もあるだろう(あるのか?)。
 もとい。
 それまでの紆余曲折を私は見てみたいのである。
 ……っていつまで続くんだよ。人気落ちて打ち切られたらどうするんだ。いきなりヒカル死んだりしてな。いや、ジャンプじゃよくある例だし(『侍ジャイアンツ』の打ち切りんときはすごかったよなあ)。ヒカルに早死にはさせないでほしいけど、虎次郎って前例があるから油断できないぞ(^_^;)。

 
 マンガ、藤子・F・不二雄『パーマン/パーマン大暴れ!!』(小学館/My First Big・300円)。
 前巻で「超人」だった「スーパーマン」が今巻では「バードマン」に。
 改訂がいい加減になってるあたり、出版社の混乱ぶりが見えるなあ。多分「どうしてバードマンはバードマンじゃないんだ!?」とか苦情が行ったんだろうな。
 昭和46年発行の虫コミ版と比べてみても、スーパーマンがバードマンになって、「くるった」が「へんになった」に変わっているくらいで大きな変化はナシ。完全カットの回がある「オバケのQ太郎」に比べればムキズですんでいる面はあるのである(それにしても藤子不二雄ランド版で全12巻分はある『パーマン』をたった3巻で出すというのは少なすぎるが)。
 ほかにも改訂のせいで起きた矛盾。「ゆうれい船」の巻で新聞記事の「昭和四十二年」という記述を訂正し損なっているけれど、「パーマンはつらいよ」ではしっかり「昭和58年」の記述が。パーマンは15年も子供のままか。
 もっとも、このへんは「ドラハッパー」が存在してるのに、『ドラえもん』に大人になった星野スミレが登場したりと、設定はいい加減なんで、気にしてもしようがないんだけどね。


 マンガ、赤塚不二夫『天才バカボンとおそ松くんとアッコちゃん』(小学館/My First Big・300円)。
 『週刊アカツカ』以来久しぶりの赤塚不二夫短編集。
 できたら、こういう有名どころを3種類合わせるんなら、中に1本くらい、単行本未収録の作品とかマイナーな作品を入れてほしいもんだ。
 赤塚不二夫漫画大全集DVD‐ROM発売記念第1弾だそうだけれど、全作品をDVDでってアイデアはイイよな。場所を取らないし。けれどもう私は買わない(買えないだろ)。誰か買って見せて(^_^;)。
 
 
 マンガ、高橋留美子『うる星やつら/決闘!女VS女』(小学館/My First Big・300円)。
 あー、このシリーズも20冊目か。買い損ないはないかな。読んでも日記に感想書いてないこと多いから、見返しても何冊買ったか確認取れないし。
 ゲストは藤田和日郎氏。『うる星やつら』を読んでた当時が中学生ってことは、私とだいたい同世代か年下なんだな。一本調子過ぎて、藤田さんのマンガは最近それほど熱心には読んでいないんだけれども、マンガに対する真摯な姿勢は嫌いではない。でも、もういいトシなんだから熱血だけじゃなくってもう少し知恵のある展開を考えたほうがいいと思うぞ(^_^;)。
 高橋留美子のインタビュー、『うる星』も『めぞん』も語り終わって、『闇をかけるまなざし』。当時、子供のファンからの手紙で「ギャグが少ない」とお叱りを受けたというのが微笑ましいというかなんというか。『うる星』を読めばわかることだが、ギャグとはいってもこの人の作品はあくまでシチュエーションコメディなので、当然、ギャグ以外も描けることは、私たちのような高校生くらいのトシの入ったファンには見当がついていたのである。
 るーみっくわーるどシリーズも今や隠れた名作になってしまった(『人魚』シリーズの再開はまだか)。高橋作品は短編も結構な数がアニメになってるけれど、シリアス第一作のこれがアニメ化されてないのはもったいないよなあ。『犬夜叉』の併映で一本つけるくらいのことしてくれると嬉しいんだけどな。

2001年06月04日(月) Nobles oblige/『韃靼タイフーン』1・2巻(安彦良和)



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)