無責任賛歌
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2002年06月03日(月) |
「八手三郎」は「やつでさぶろう」/『ふたつのスピカ』1・2巻(柳沼行)/『僕らのスーパーヒーロー伝説』(堤哲哉)ほか |
なんだか最近「王将」で晩飯食うことが増えている。 安価で手ごろってこともあるんだろうけれど、それなら定食屋のほうが私は好みなんだがなあ。 てなわけで今日も仕事帰りに「王将」。ひこねのりおキャラデザインの四神が出迎えてくれるが、どうして玄武の尻尾はヘビじゃないのだ。あれじゃただの亀じゃん。それに色も黒でないと。マンガキャラにツッコミ入れたってしょうがないけど。 先日から揚げ食った時、すごく美味かったそうで、しげは「から揚げ食いたいから揚げ食いたいから揚げ食いたい」とうるさい。しかし私に言わせれば、この店のから揚げは、身がややパスパスで、マズイとまでは言わないが特に足繁く通わねばならないほどの味とも思えない。まだケンタッキーフライドチキンやほっかほっか亭のチキンバスケットのほうがマシのような気がするが。 考えてみたら、福岡は中華料理の店は多いけれど、チェーン店が増えすぎてどこも似たような味になっちゃってるのである。 八仙閣も鹿鳴春も一品香も、どれも冷凍ものが主流だってのは一目瞭然。餃子も「ここのは美味い」って言えるものにとんと当たってないしなあ。そのうち中華料理屋巡りをしてみたいものだが。
マンガ、柳沼行『ふたつのスピカ』1・2巻(メディアファクトリー/MFコミックスフラッパーシリーズ・各540円)。 『ダ・ヴィンチ』ほかで評判になってたんで、興味はあった。 どうして今まで買わないでいたかってのは、表紙絵の「古臭さ」に一抹の不安を感じていて、ヘタすりゃ大ハズレかもって予感がしてたからなんだね。 幸いなことに、読んでみた感じはそこまでひどくはなかった。けれど評判になるほどのものかって印象も同時にしたもんだ。全体的にはストーリーも含めて、可もなく不可もなくってとこかねえ。 いや、「絵が稚拙」ってことが理由じゃない。 稚拙は稚拙なんだけども、それが巧まざる稚拙さであるなら、特に嫌悪感は感じないのよ。 絵本なんかで子供に合わせてるつもりなのか、ワザと絵を子供っぽくヘタに描く画家がいるけど、そんな意図で描かれてるんじゃないかって印象なんだね。 古臭くて野暮ったい絵柄は多分、「懐かしさ」の演出なんだろう。トーンを極力減らして斜線や網掛けで陰をつけたりするカットが多いのも、60年代、70年代を彷彿とさせる。けれど、月に空気があっても、火星に宇宙人がいても別におかしくなかった時代はとうの昔に過ぎ去っているのだ。パロディならばともかく、絵柄ばかりかキャラクターもストーリーもまるで60年代、70年代なんじゃ、今更この作家は何をしようとしているのか、という疑問がどうしても沸いてしまう。 これは未来の物語なのである。 設定自体は宇宙飛行士を夢見る少年少女たちの、「リアル」な物語なのだ。 なのに、登場人物がまるで『青春とはなんだ』とか『飛び出せ!青春』レベルの感情先行型の人間ばかりで、展開もそれに追従した不自然なものになってしまっている。 忍耐力と協調性を試されるドミノ立てのテスト、監視カメラで見てたのなら、たとえ最終的にドミノを完成させたとしても、途中でパニックを起こしたアスミが合格になるはずがない。ハンデを乗り越えさせるという熱血ドラマを優先させるあまり、非リアルな展開を無理強いしているのだ。 結局、そういう古臭いドラマしか作れないってのは、大人子供というか、いいトシして未だに夢見がちな純情ぶりっこの読者に媚びてみせてるだけなんだね。それってなんかイヤラシくないか? これが西原理恵子だったら稚拙な絵でも展開がリアルだから感動できるんだけどねえ。
私のことを、日頃悪態ばっかりついてるけど、根は純情で涙もろいイイ人、だなんて考えてる人は(たまにいるのだ、そんなやつが)、私がこれ読んですごく気に入るんじゃないかと思うんだろうな。 でも、ただの一人もステロタイプでない人間がいないんじゃ、感情移入のしようがない。こんな安っぽいドラマで感動できるほど私ゃ夢見る夢子さんじゃないのよ。
堤哲哉・編『僕らのスーパーヒーロー伝説 昭和40年代アニメ・ヒーロー大研究』(扶桑社・1400円)。 この手の本はもう腐るほど出ているので、書かれてあるエピソードも殆ど既知のもの。けれど、昭和40年代のことを、特撮・アニメ黎明期の古きよき時代と勘違いしている若い人たちにとっては、読み物としては適度にオタクかつノスタルジックな雰囲気が味わえていいのではないか。 私が買ったワケは、関係者のインタビューの分量が結構充実していたからである。 取り上げられている作品は『仮面ライダー』『ウルトラマン』『悪魔くん』『サスケ』『リボンの騎士』『仮面の忍者赤影』『超人バロム・1』『巨人の星』。ラインナップは「ほとんどテキトー」だが、この本が特徴的なのは、当時タイアップとして雑誌等に連載されていたマンガ版にいちいち言及しているところだろう。 『仮面ライダー』の「ゲル・ショッカー」が、すがやみつるの『テレビマガジン』連載時においてのみ、「ゴースト・ショッカー」であったことなど、当時毎月テレビマガジンを買ってたものしか知らない事実である。もちろんかつてテレビマガジンに応募して「少年仮面ライダー隊」に入っていた私が知らぬはずもない(威張るほどのことか)。 あと楳図かずお版『ウルトラマン』のセリフの変更の過程や、『悪魔くん』マンガ版の変遷についても詳細な考察をしてくれているが、多少、ウラを取っていなくて惜しい面もある。昭和63年版『悪魔くん』は、多分、水木しげる御大が描いてるんじゃないと思われるが(森野達哉さんじゃないかと推察)、そのあたり、水木プロに確かめられなかったのかなあ。 あと、平山亨さんが、「八手三郎」は「やつでさぶろう」と読む、とインタビューで明言されたので、これまで「はってさぶろう」と読んでた人は、改めるように。「(仕事を)やって候」のシャレなんだと。
藤子・F・不二雄原作『芝山努と映画ドラえもん『のび太とロボット王国』の世界』(小学館・2415円)。 どうして今回の作品に限りこんな設定資料集が出たのかよく分らないけれど(単に私が知らんだけかもしれんが)、以前から芝山さんのキャラはアニメートされると魅力が半減すると思ってたので、映画本体見るよりもこっちのほうがよっぽど感動できる。 アニメになるとデフォルメが押さえられちゃうんだよな。 それで原作の絵に近づくならともかく、最大公約数的な絵というか、無個性な絵に落ち着いちゃうから、初期の映画はまだしも、近年の長編『ドラえもん』はもう全く見に行っていないのである。 けれど、ラストの「もしも『ドラえもん』が実写で撮られていたら」は蛇足。 ピクサーのNG集と同じで、ヤラセと解りきった遊びは自己満足でしかないって。
マンガ、にわのまこと『THE MOMOTARO』1〜10巻(集英社/ジャンプコミックス・各370円)。 こないだ『ボンバーガール』読んだので懐かしくなって再読。 桃太郎や金太郎、牛若丸に弁慶、浦島太郎や一寸法師や酒呑童子やかぐや姫やヤマトタケルとか、プロレスラーがみんな御伽噺のキャラクターの子孫って設定だったんだよ、って説明しないと、このマンガ知ってる人も少なくなったろうな。平成元年なんて私にとっちゃついこの間なんだけども(^_^;)。 でも、「三年寝太郎」まで出したのに「鶴の恩返し」も「文福茶釜」も「カチカチ山」もなかったなあ……とか当時は思ってたけど、考えてみりゃ、鶴や狸や兎の子孫は出せんわな。「花咲か爺さん」は爺さんだからダメだったのかなあ。 アシスタント時代の小畑健(当時の名前は土方茂。……どっちが本名だ?)がキャラクターとしてしばしば登場している(中には黒武術の幽霊なんてもあったりする)ほか、本人が1ページだけだけれども4コマを描いたりもしているので、小畑ファンには必読書かもしれない。 でもこれも多分絶版。再刊されても権利の関係でアシスタントのマンガまで復刊されることもなかろうから、まさしく幻のデビューマンガってことになるんじゃないかな(リミックス版が6/24日発売だそうな。……買うか?)。 コピーがほしい人は送ってあげてもいいよ(古本屋で探した方が早いか)。 しかし、「次原隆二→にわのまこと→小畑健→和月和宏→尾田栄一郎&武井宏之」って師弟の流れ、ジャンプのマンガ家が昔ながらの徒弟制度で成り立ってるってのがよくわかるな。良くも悪くもジャンプシステムの枷からは逃れられない人たちだってことなのかも。『ワンピース』や『シャーマンキング』がつまんなくなっていくのも宜なるかな。 ジャンプの師弟関係を詳しく知りたい方は以下のサイトをどーぞ。
http://www.ktr.to/Comic/assistant.html
2001年06月03日(日) 全集員合(←解る人には解るね)/『だめだこりゃ』(いかりや長介)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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