無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月23日(日) ふつーの休日/『狼には気をつけて』4巻(遠藤淑子)/『民俗学者 八雲樹』2巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか

 脚本家の笠原良三氏が22日、肺炎のために死去。享年90。
 随分なお年だが、となると、『社長シリーズ』『若大将シリーズ』『クレージーシリーズ』の脚本を書きまくっていたころは既に50代だったわけだ。多作が災いしてか、その全てが傑作だとは言えないまでも、コメディのフォーマット作りには定評があった人だと思う。
 もっとも、フォーマットだけ作って、放り出すこともあったようで、例えば『大冒険』は一応テロップの上では田波靖男との共同脚本、ということになっているのだが、実際はお互い全く相談せずに脚本を進めていったという話である。笠原氏は前半だけ書いて放り出し、田波氏は田波氏で前半の設定を無視して後半だけ書いて放り出す。頭を抱えた監督の古澤憲吾が、小林信彦に頼み込んで、名前を出さずにゴーストとして、つじつま合わせの脚本を書いてもらったのだとか。
 どうしてそんな事態になったのか、理由はよくわからないんだけれど、要するにこのころの笠原さんはもう「権威」になっちゃってて、使いづらい人になってたんではないか。70年代以降、笠原脚本の映画が全くなくなってしまったことも、それを裏付けてる気がするのである。


 久しぶりに朝の特撮・アニメを一通り見る。
 『忍風戦隊ハリケンジャー』第18話「父と兄弟の絆」。
 ゲストで団次郎(現・時朗)が出演していてビックリ。つーことは『帰ってきたウルトラマン」のライバル、久方ぶりの共演でないの!(片方はハムスターになってるが)スタッフもそのへん意識してるんだろうね、団さんが空を見上げると星が十字に光ってたりしてるもの。それが面白いかどうかってことになると話は別だけど。
 『龍騎』、『どれみ』、『ぴたテン』の感想は割愛。量が多くて書く気力が湧かん(-_-;)。
 『ぴたテン』はオープニングテーマと、設定だけは気に入ってるんだけど、本編のアニメがねえ、演出がなっちゃないからなあ。原作はそのうち読んでみたいと思っちゃいるんだけど。


 しげ、今日も具合が悪いのか、昼間、ずっと寝ている。
 と言っても、仕事が休みなんだからゆっくり寝ればいいものを、朝方まで夜更かしして遊んでで、寝たのは午前7時である。で、午後3時に起きてくるのだから、生活が乱れていると言われても仕方あるまい。体調を崩すのも当たり前だ。
 こちらも買い物などで自由に動けるのは休日だけなので、寝坊するにしても昼少し前には起きてほしいのである。
 つーか、私一人で買い物したって構わないんだけど、一緒に行動しないと後で必ず悪態つかれるからな。

 ホームセンター「グッデイ」で、洗剤だのトイレットペーパーだの日用品を買い込む。しげは新しいつっかけを買って喜んでいる。……ふと思ったが、イマドキは「つっかけ」ってのも死語かね? スリッパだのサンダルだのアミサンだのミュールだの、なんだかどれがどれやらわからんコトバが増えてくると、「全部『つっかけ』でいいやん」という気になってくるんで、私なんかは重宝してるんだが。
 そのあと、博多駅の紀伊國屋書店、メトロ書店で本を物色した後、駅地下の一品香(「いーぴんしゃん」と読んで下さい)で食事。
 4皿千円のセットがあって、酢豚だの餃子だの唐揚げだのを自由に選べるので、二人で頼むが、さすがにちょっと量が多い。ちょうど昼飯を食べていなかったのでなんとか食えたが、やっぱ中華はカロリー高いよ。しげが和食の定食屋を嫌いじゃなかったら、外食でもさほどカロリーを気にしなくて食べられるんだがなあ。

 食い過ぎて気分が悪くなる。
 本当ならこのあと映画を何か見るつもりだったが、カラダが持ちそうにないので中止。帰宅して、ひと寝入りした後、夜の買い物。
 「ガスト」でダッカルビ定食というのを頼むが、不味いわけではないのだが、香辛料の効き過ぎでやたら辛い。ガストは今、ディスプレイが設置してあって、ネットで遊べるようになっているのだが、100円、200円と余計にカネを取るのがちょっと気に入らない。
 唐沢俊一さんの一行知識掲示板も見られるようになってるので、覗いてみたい気持ちはあるのだけれども。


 マンガ、遠藤淑子『スマリの森』(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。
 もう絶版になってしまったが、遠藤さんには『ラッコはじめました』を初めとする、一連の動物シリーズがある。たしか連載中は「人間と動物のよりよい関係(「共存」だったかな?)を考えるシリーズ」とかサブタイトルがついていた。
 遠藤さんファンの私だが、この動物シリーズだけはイマイチいただけない。自然を真面目に考えるんだったら、動物の擬人化には細心の注意が要るのだ。そうでないと、結局「動物たちの気持ち」ってやつも、人間が勝手に考えた妄想ってことになってしまう。梅川和美『ガウガウわー太』なんかも、登場する動物たちが人間的な意志を持ってはいても、動物としての生態を精緻に描くことで、なんとかギリギリのラインでリアルさを保っているのである。
 動物を人間として描く手法は、大島弓子『綿の国星』が有名だが、あれは実は「動物モノ」ではない。「ねこ」という名のファンタジーの住人なのである。さて、この『スマリの森』は動物もの、ファンタジー、そのどちらにもなりきれていない。主人公がキタキツネでなくても成立する話だし、「動物モノ」ではなく「人間モノ」として書きゃいいじゃんかよ、と言いたくなるエピソードばかりである。
 腰砕けしてしまったのは、人間に「ラスカル」と呼ばれて、自分のことを「ラスカル」という名前だと思い込んだアライグマの話。本当の名前をアライグマは知りたがっているのだが、主人公のスマリ(キタキツネ)が、「君はアライグマって言うんだよ」って彼に告げる……って、「アライグマ」ってのも人間が勝手につけた名前じゃん。問題の解決になってないというか、遠藤さん、自分で何を描いてるのか解ってるんだろうか。動物が本当の名前を知りたがるって設定自体にムリがあると思うんだが。
 遠藤さんが動物モノで描きたいことって、なんなのか? こういう意図が不明な話は、読んでてちょっとツライものがあるね。


 マンガ、遠藤淑子『狼には気をつけて』4巻(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。
 『スマリ』よりこっちのほうが何倍も面白い。
 これも絶版になってしまったが、『エヴァンジェリン姫シリーズ』以来、お転婆というか無軌道というか外道というか、ともかく後先考えない行動で周囲を振り回す少女キャラを描かせたら、遠藤さんの右に出るものはないんじゃないかってくらい、破天荒な楽しさが遠藤さんのマンガにはある。
 もちろん、こういう「姫もの」は、倉金章介の『あんみつ姫』や手塚治虫の『リボンの騎士』以来の少女マンガの伝統なのだけれど、そのかつての「姫もの」のほぼ全てが『ローマの休日』的な、「お仕着せの権威からの脱却」を目指したもののバリエーションであったのに対し、遠藤さんの描く「姫」たちは、須らく自分に与えられた「権力」をフルに活用する。
 本作のアレクサンドラも、「大財閥の天才お嬢様」という設定で、現代の「姫」と言っていい。今巻も誘拐されたフォレスト君の行方を探すために警察から不法に情報をハックして入手するわ、誘拐犯のアジトにブルドーザーで乗りこむわ、やりたい放題。……富豪刑事かお前は。もちろん、そんな傍若無人なところがカタルシスを生んでるのだが。
 けれど、遠藤さんの最近の作品は、必ずしもかつてのシリーズほどには爽やかでスッキリした読後感を感じさせなくなっている。それはヒロインのアレクサンドラが、廃人となった父を秘匿し、代理として会社を経営しているという悲惨な立場に置かれている、という設定も関係しているだろうが、何より作者自身が「世の中には回復しない人間関係もあるのだ」という思いを少しずつ強くしていっているからのように思えてならない。
 フォレスト君と実の父親との出会いのエピソードもそうだ。ロクデナシで、山師で、フォレスト君の母親を妊娠させたあげくにポイと捨ててトンズラこいたどーしょーもない父親。フォレスト君と再会した今も、沈没した黄金船の引き上げ話で詐欺を働こうとしている。
 昔の遠藤さんなら、恐らく、一旦はアレクサンドラを引っ掛けさせて(『マダムとミスター』はたいていこのパターン)、ギリギリのところでフォレスト君が真相をつかんで、父親はまたもやどこかに蒸発して終わり、みたいな形でオチをつけたかもしれない。
 なのに遠藤さんは、父親を末期ガンの患者にしてしまった。
 息子を詐欺にかけるためにやってきたと見せかけて、本当は最後に息子と会いたかっただけ、という結末。……この結末に「救い」があるのかどうかと問われれば、「ある」と答えることはできるけれども、でもやはり「しこり」が残りはする。
 確かにしんみりする話も昔から描いてはいたけれど、それでも遠藤さんの真骨頂は「脳天気」だったように思う。涙を流すにしても、切ない涙じゃなかったんだけれど、これからこういう作品が増えていくのかなあ。 


 マンガ、金成陽三郎原作・山口譲司漫画『ミステリー民俗学者 八雲樹 かぐや姫殺人事件』2巻(集英社/ヤングジャンプコミックス・580円)。
 『竹取物語』をベースにしたミステリーと言われて真っ先に思いつくのは高木彬光の『月世界の女』。名作の誉れは高いけれど、小説としては面白いトリックでも、実は現実的にはちょっとムリがあるし、言っちゃなんだが「かぐや姫」をモチーフにしたってことを予めバラしてたら、先が読めちゃうのである。
 この『かぐや姫殺人事件』も、ログハウスのトリック自体は面白いけれど、ミスディレクションがヘタクソなので、犯人もトリックもバレバレである。……つーか、その程度のトリックなら何も門外漢の民俗学者に依頼しなくても、警察官がすぐに見破るんじゃないか? もっとも作者としては、今の刑事ってバカがすごく多くなってるから、こんなチャチなトリックも見破れないのだって皮肉のつもりでそう描いてるのかもしれないけれど。……いや、実際、刑事の顔がもう「無能」を絵に描いたような(絵だけど)ヒドイ顔でねえ(^o^)。
 もう一編の『蕗の葉の下の殺人者』、これもどこにムリがあるかはトリックに関わることだから書けない(-_-;)。まあ、警察がよっぽど無能だったら成功するかもしれないけれど、有能、とまではいかなくても、普通に常識的な感覚を持った刑事だったら、すぐ真相に気がつくトリックだってことくらいしか言えない。けど、それは全てのミステリーにも共通して言えることだしな。
 それはまだいいとして、天狗、かぐや姫と来て、今度は「コロボックル」がモチーフになってるんだけれど、「実はコロボックルは実在していた」ってオチはやめようよ。最後の最後のドンデン返しで、「実は本当の犯人は幽霊でした」なんていう、いわゆる「怪奇ミステリー」の手法の一つなんだけれど、これ、作者によっぽど力量がないと外すんだよ。高木彬光も『大東京四谷怪談』じゃ外してたし、松竹映画版の『八つ墓村』も、それで原作の論理性をオジャンにしてしまっていた。
 ……やっぱ、ミステリ作家に求められるのは「節度」だと思うんだが、どうか。

2001年06月23日(土) 愛のバカクサ物語/『フロン』(岡田斗司夫)/DVD『ウルトラQ』1巻ほか



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