無責任賛歌
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2002年06月15日(土) |
大宰府の赤い橋/DVD『幕末未来人』1〜3/DVD『ピンクレディ&ジェフ』 |
数少ない読者のみな様がた、休日はいかがお過ごしでしょうか。 私の休日の過ごし方は基本的には決まっています。 寝ることです。カラダを休めることです。だから「休」日と言うのです。 違いますか違いますか違いますか? でも、しげの考え方は違うのです。 休日は夫婦でやたらべたべたいちゃいちゃらぶらぶする日だと言うのです。 そんな理不尽かつ非道な行為をしていいものなのでしょうか。 私も経験がありますが、他人の日記を覗いてみて、「今日は、彼と初めてのデート。ホントは私の手を握りたいくせに、ちょっと偶然指先が触れただけで、あわてて真っ赤になって、飛びのいちゃうの。ウブなんだからぁ。うふっ」なんて記述があったりしたら、握りっ屁カマしたくなります(まあ、こんな古臭い文章マジで書くヤツもそうそういませんが)。 妻帯者である私ですら、そう思うのです。 ましてや、毎夜サビシイひとり寝をかこち、火照るカラダを抑えながら悶々と○○○○○○○○○過ごしているチョンガーのヒトが(いえ、アナタのことではありません。ありませんったら)、「バカだなあ、オマエって」「いやーん、アナタこそ(はあと)」みたいなクソタワケな会話を聞いたり読んだりした日には、いったいどんな気持ちになることでしょうか。 殺意を抱いても仕方がないのではないでしょうか。 ですから、私は、これまで極力、しげとはらぶな関係になるまいと努力してきました。 一所懸命、しげを罵倒し虐げ、暴力亭主を演じて来ました。 それも全て、「ほーら、私たちは仲良くなんかないんだよ、だからジェラシって私たちを付け狙ったりストーカーったりしないでね」というささやかな意志表示であったのです。 なのに、なのにです。 今日、しげが突然、感極まったように「どこかに出かけたい!」などと言いだしたのです。 「どこかって映画?」 「映画とかそう言うんじゃなくてどこか!」 つまりしげにとって「映画に行く」はデートではないということらしいのです。「もっとらぶなデートがしたい」、そんなオソロシイことを言いだしたのです。 そう言えば、最近しげはストレスが溜まっていたようでした。なんだか落ちつかなくって、急に泣きだしたこともありました。 「どうして私たちは夫婦なのにらぶじゃないの?」 そんなことをしばしば口にしていました。 いまやしげの目は、イモリの黒焼きを盛られた大奥の女のように(なんちゅータトエじゃ)ランランと輝き、その瞳の奥で情欲の炎を燃やしています。 ここで逆らったら、チョンガーのストーカーに殺される前に、しげに私が殺されてしまいます。 仕方がありません。 今日は、「デート」をします。しなければならなくなってしまいました。道を歩きながら手なんかも握っちゃうのです。けれど、それは私の本意ではありません。 お願いですから、ストーカーのみなさん(←断定するなよ)、狙うなら私ではなくしげだけにしてください(←外道)。
「で、どこに行きたい?」 「太宰府!」 福岡・博多の人間が「太宰府」と言えば、それは即、「太宰府天満宮」のことを指す。 みなさん、ご存知だろうか。博多人には有名なフォークロアが太宰府にはあることを。 天満宮の祭神は、言わずと知れた学問の神様・菅原道真である。 同時に道真は、平安京最大の怨霊でもある。藤原氏の策略で大宰府に左遷され不遇のうちに死んだ道真は、死後、次々と天変地異や疫病を起こし、藤原一族に祟りをなしたと言う(事実、そのころ藤原四家がバタバタと連続して死んでいる)。もともと天満宮は、怨霊道真を鎮魂する意図で建立されたものだ。夢枕獏の『陰陽師』のおかげで、そのことも随分有名になった。 しかし、それで道真公のウラミが消えたわけではない。 天満宮に向かう赤い太鼓橋。 あれをカップルが手をつないでわたると、呪いがかかるのである。 笑うんじゃないぞ、そこ。 武田鉄矢は、若いころその伝説を知らなかった。ために、彼女ができるたびに天満宮に参っていたのだが、呪いは確実に武田鉄矢の身を襲っていたのである。 鉄矢はフラレた。次々に肘鉄を食らった。そして、「呪い」の存在を知り、次にできた彼女とは「これを逃したらあとはない!」とコブシを握りしめ、決して、太宰府には行かなかったのだ。 その最後の彼女が、今の武田鉄矢の奥さんなのである。 恐ろしい話である。 実は私も、若いころ、当時の彼女と大宰府に参ったことがある。 しかし、私はかつて、神様をナメていた。 そのウワサを知ってはいたが、「ボクラの仲は誰も引き裂くことはできないさあ!」とかなんとか腑抜けたタワゴトをほざいていて、平気で手なんか握ったりして、るんたるんたと赤い太鼓橋を渡っていた。 結果はどうだったか。 別れちゃったのである。マジで、その直後に。 なんとオソロシイ話であろうか。 千年の時を越え、道真公の呪いは武田鉄矢と私を奈落の底に突き落としたのだ。 他に楽しみないのか道真、とか考えてて、ハッと気付いたのだ。 私は藤原氏の子孫なのである。藤原姓だった祖父が四国生まれだったから、本家じゃなくて、純友系じゃないかという気もするが、先祖が藤原を名乗っていたのは事実だ。つまり道真とは仇敵の間柄。呪いがかかっても仕方がない立場だったのだ(じゃあ、武田鉄矢は? とかそこで突っ込まないように)。 私は迷信ぶかい方ではない。 しかし、偶然であろうと、呪いの結果は確実に出ている。 しげが「太宰府に行きたい」と言い出したのを聞いて、私はマジでビビッたのだ。 私は悩んだ。 私が「太宰府になんか行きたくない」とゴネた場合、しげのウラミがどれほどのものになるか。 悩んだ末に結論を出した。 たかが左遷で怨霊になれるくらいなら、しげのウラミは道真を越えるだろう。 これは道真対しげの戦いである。ゴジラとガメラのどっちが強いかってなものである。 よし、賭けよう。しげに。 しげが勝つ。夫である私がしげを信用せずにどうするのか。 行くぞ、太宰府に。 来るなら来てみろ道真。 だから祟りはしげ一人にかけてね(←ド外道)。 というわけでここは太宰府である。 随分早く着いたようだが、交通期間を使って行くと、乗換えやら何やらで、1時間以上かかるのに、車だとウチから一本道で20分ほどで着くのだ。こんなに近かったのか、太宰府。って、ほとんど隣町だから当たり前なんだけど。 以前、仕事の関係で天満宮に来たときには結構参道も混んでたように記憶するが、今日は時間が昼前なせいか、人通りはそれほどでもない。 「このくらいがちょうどいいね」と言いながらしげは私にひっついてくるが、客が毎日この程度じゃ商売上がったりだろう。道すがら、店先を覗いて行くが、昔ながらの梅が枝餅屋が軒を並べているが、子供のころには多分なかった店も結構ある。オルゴール専門店なんて、なぜそんなものが太宰府に。こないだ来た時にあったガラス細工の店は見当たらない。短い時間の流れの中でも少しずつ様変わりしていっている感じだ。 しげは、「テレビで紹介されたコロッケ」とか、「ヤキトリ」とか、縁日っぽい食いものにばかり興味を示す。「どこかの店に入って食事する?」と聞くが、気に染む店がないのか、べたべたしてたいのか、生返事。 ともかく、鳥居をくぐって中へ入ると、左手にもう例の赤い太鼓橋が。 「その昔の彼女と、ここへ来てからどれくらいで別れたん?」 「……二ヶ月くらい?」 「ああ、なら効き目あるねえ」 効き目って言うのか、そういうの。 ともかく、まるで何かに挑戦するように「手をつないで」橋を渡る。来るか道真、と思ったが、特に悪寒も何も感じるものはナシ。今日が6月15日だから、破局が訪れるとしたら、8月15日だ。……終戦記念日じゃん。勝負を決するにはいい日和……なのか? お参りしたあと、だざいふえんの方まで足を伸ばしてみるが、中には入らず。さすがに遊園地で遊ぶほどのカネはない(トシの問題じゃないのかよ)。代わりといってはなんだが、池があるところでは必ずやってる鯉のエサ巻き。店先にパンが しげは「またあ?」とか言うが、なぜか止められないのよ、コレが。 風が少し強かったので、買ったパンくずが吹き飛ばされてなかなか池に落ちない。しかたなく、大きめにパンをちぎって投げ入れると、鯉がもう、寄ってくるわ寄ってくるわ。とても一口じゃ食いきれなかろうってほどの大きさなのに、突っつきあってるうちに手ごろな大きさになってくから面白い。面白がってるのは私だけで、しげは退屈かもしれんが。 池には亀もいて、鯉と競争するとやっぱり負けるのである。できるだけ亀にエサがいくように投げるが、そのたびに鯉に横取りされている。弱肉強食の原理からいけば、こんなトロいカメが長生きというのも理不尽な気がするが、あまり食わずにすむからこそ長生きできるのかも。 食うやつほど早く死ぬなら、食わなきゃ食わないほど長生きできるのか。中国の仙人思想ってそういう発想から生まれたのかもな。こういうどーでもいいことを考えていると、何となく休日っぽい気分になってくる。 帰りにタコ焼きとヤキトリとコロッケを買って、車の中で食う。なんとなくピクニック気分である。こういうチープな食事が、縁日の醍醐味であろう。今日は別に縁日じゃないけど。
せっかくここまで来たのだから、近所の都府楼跡にも回ってみる。ここが本来の太宰府である。 といってももう、土台の石しか残っていない。それも、見たところ発掘したあとになって並べられたものも多いような感じだ。どうせなら何十億かカネ掛けて、都府楼の建物自体、復元したらどうかと思うが、そこまでの予算は大宰府市にはないのだろうな。あちこち「まほろばの里」とか、市全体で観光地を売りものにしていながら、もう一つ目玉をって気にはならんものかね。 そんな訳で、今は日向ぼっこのための広場みたいな感じになっていて、今日も手作りのグライダー(ゴムで飛ばすやつな)で遊んでるオジサンたちが数人来ている。 こういう何もないような所を、ただぐるっと散歩したりするのがしげは好きなので、結構気に入った様子。側溝の水に入って遊びたそうだったが、ツッカケで来ているしげはともかく、穴の空いた靴履きの私は一緒になって入るわけにはいかない。っつーか、一応史跡なんだから、そういう遊びはマズいような。 しばらくブラブラして帰宅。 しげ、「またお出かけしようね」と言うので、「しょっちゅう出かけてるじゃん」とぶっきらぼうに言ったら、「だから、映画とかじゃなくて、こういうの!」と怒る。 こういうのもどういうのも、これだけ一緒につるんでて、まだ不満があるというのが、贅沢というものだと思うんだがなあ。
帰宅しても、しげはまだ何か物足りなげに、「一緒に何かビデオ見る?」と聞いてくる。「何かを見よう」じゃなくて、「見る?」と、私に責任をおっかぶせてくるのがヒキョーだが、私もゆっくりしたかったので、買ったまままだパッケージも開けていなかったDVD『少年ドラマシリーズ 幕末未来人』1〜3巻を一気に掛ける。 本放送は1977年(昭和52年)。これをリアルタイムで見てたの、もう25年前になるのか。感覚的にはついこの間なのに、なんだか信じられないな。 けれど、今や疲れたオバサン顔になってしまった小手川祐子の凛々しい美しさや、顔出ししていた納谷悟朗のシワのない顔なんかを見ていると、確かにそれだけの年月が経ってしまったことを実感せざるを得ないのである。再放送の機会がほとんどなかった本作などは、いくらなつかし番組の好きなしげとても、さすがに幼すぎて見ていない。少年ドラマシリーズの中でも脚本・演出がしっかりしているほうなので、今見ても面白いようだ。 原作は眉村卓。テロップには「『思いあがりの夏』より」とあるが、これは当時の短編集の表題で、実際の原作は所収の『名残の雪』。原作の方は大人向けの小説で、かつて幕末にタイムスリップしたことのある主人公の回想、という形になっている。ドラマの方は、その帰ってきた現代のことを一切省いているので、本放送当時は随分物足りなく思ったものだったが、今、見返してみると、あの唐突な終わり方のほうがかえってこれからのシビアな現実を予感させていいんじゃないか、という感想に変わってしまった。年月が経つと本当に見方が変わるものである。 特典で、主演の星野利晴のインタビューで、「今だから明かしますけれど、当時、主演の三人で、夜中に酔っ払って渋谷の大通りを歌うたって夜明けまで騒ぎました。あのときは、ぼくも沢村正一くんも、ともかく古手川さんとずっと一緒にいたかったんです」とのこと。 青春だなあ(* ̄∇ ̄*)。 っつーか、『なぞの転校生』の時も別れのシーンで岡田可愛の手を握りつづけてたって言うから、星野利晴、えらく色気づいてたんだな(^o^)。でも確かに岡田可愛と古手川祐子なら、私でもそうしたろう。いや、だから「青春のヒロイン」ってやつはあるんだってば。 予算の関係だろうか、タイムスリップシーンなど、今ならデジタル映像などをハデに使うところだろうが、全くない。戦艦三笠に乗り込んで、暗闇の中から出て来たと思ったら、そこは既に幕末の黒船の甲板なのである。 けれど、その静かな変化がしげにはかえって気に入った模様である。私も、ありきたりな歪んだ空間の表現には食傷している。SFはセンスであって派手な映像じゃないのだ。このあたり、現代のSFドラマの作り手も少しは考えてみたらどうか……って、『クレヨンしんちゃん アッパレ! 戦国大合戦』がそうだったね。
夜、エロの冒険者さん宅で、DVDの上映回あり。 その前に汗をかいてるからひとっ風呂浴びようということで、平尾の「やまとの湯」と言う温泉センターに寄る。 食事もそこでして行こうと思ったのだが、なんだか体育会系のジャージ軍団が座敷にいて、そいつらの注文で調理場はてんてこ舞い、30分経っても料理が出て来ないので、どうしたことかと思ったら、バタバタしていたせいかチケットを無くされていた。 怒って払い戻しをしてもらい、あわててエロさんちに向かったが、8時を少し過ぎてしまった。 お集まりになっていたのは、しおやさん、ぴんでんさん。 「さっぱりしてますね」と聞かれたので、「ひとっ風呂浴びてきまして。何しろガス代払ってないんで、ウチ、今、風呂には入れないんですよ」と言わずもがななことを言う。でも、私って隠しごとやキレイごとは嫌いだし(そういう問題ではないか)。しおやさん、「まるで大学生のような」と笑われる。受けて頂いて恐縮です(^_^;)。ああ、そろそろ意地張るのやめて、カネ入れんとなあ。
上映されたのは、結局こちらでは輸入放映されなかった、あの幻のピンクレディアメリカ進出番組、NBC特番『ピンクレディ&ジェフ』。 今ならともかく、当時はややオチメとは言え、まだまだ日本でのピンクレディ人気はあったころだったから、ピンクレディを明らかにイロモノ扱いしているこの番組がおクラ入りしてしまったのは分らないでもない。 何しろあの『UFO』の振付を、アメリカの本物のバックダンサーたちを10人くらい並べて、一緒に踊らせてるんである。もちろん、あのやたらラメの入ったヘンテコな衣装もつけて。なぜかいきなりミスター・スモーと名乗る相撲取りが乱入してくるところもさすが国辱番組。 ああ、あのキテレツな雰囲気は、とても言葉では表せませんがな。 ヒアリングができなくても何やってるかが一発で分るのは、それだけギャグが単純だからである。単純=バカとは必ずしも言いきれないものだが、芸ナシのピンクレディーにギャグを担当させられるわけもなく、結局、もう一人のホスト、ジェフ・アルトマン(まさかあの『クッキー・フォーチュン』のロバート・アルトマン監督と関係はないだろうな)にほとんどスケッチの進行は任せてしまっている。 けれど、正直な話、このジェフ氏、あちらでも二流どころなんじゃなかろうか。デクノボーのピンクレディーをカバーしようと一所懸命なんだけれど、カバーしきれるものでもない。最初からワリ食うとわかってて、起用された気配が濃厚だ。 けれどゲストはすごいね。いきなり「プレイボーイ」社長の(今は会長かな)ヒュー・ヘフナーが出て来たときにゃ驚いたが、そう言えばこの人、サタデー・ナイト・ライブにもゲストで出てたことあったよな。結構、バラエテイに顔出しするのが好きだったみたいね。 思うに、SNLの影響は相当受けてるんだが、1980年と言えばちょうどベルーシ、エイクロイドほか、SNLの第1期のメンバーが抜けた直後だから、「こんなんでもイケる」と、アチラのプロデューサーも踏んだのかも知れない。もちろんSNLは第2期もエディ・マーフィほかを擁してさらに人気を拡大していくので、こんなもんが太刀打ちできるはずもなかったのだが。 けど、水着になると、ミーもケイもホントにムネないねえ。アチラのグラマラスなボディと比べたらマジで二人とも小学生に見えるぞ。向こうにもコアなファンがいたからこそ、こんなDVDが出たんだろうけれど、向こうじゃロリコンシュミの男どもに受けてたんではないのか。もういっぺん向こうでリバイバル特番組んだら高視聴率取れるんとちゃうかな。 その前にオタクアミーゴスのお三方にお送りして、公演に使っていただくという手もありか(^o^)。
金欠病、いよいよ深刻化しているので、今日は飲み会には付き合わず。 帰りの車の中で、しげ、また落ちこんで、「オレが顔出しても、みんな嬉しくないかなあ」なんて言い出す。「話を聞いてるのはすごく楽しいけど、オレの方からは喋らないから」。 いつものことだなあ、と思いながらも、午前中陽気だった反動が来てるのかな、と思って、少しは気を遣った返事を返す。 「別に楽しくないと思っちゃいないんじゃない? オマエの方から喋ってくれりゃそりゃ嬉しいだろうけど、喋らなきゃならないってものでもないし」 しげは以前の某オフ会でもほとんど人と会話しなかったのが気になってるらしい。しかし自分自身が会話しようとしなかったものを今更後悔してどうしようというのか。 思うに、しげは基本的に強欲なのである。 自分の思い描く「理想の自分」、「理想の人間関係」というものが常にアタマにあるのだが、当然、理想は理想にすぎないのであって、それに近づけるはずもない。 明るく如才のない自分、というのが「理想のしげ」だとしたら、それに近づくべく、失敗しつつも努力するのがフツーの人間なのだが、欲深なしげは一片の瑕瑾すらそこに許せない。結果として、ナゲヤリになるか、あるいは萎縮する。まさに自縄自縛である。 プラスで開き直りゃいいのに、マイナスで開き直ってしまって、それでもなんとか日々を暮らしていけているのは、ひと寝入りするとしげは自分が落ちこんでたことすら忘れてしまうからだ。 情緒不安定なんだかそうじゃないんだか全然わからん(-_-;)。
2001年06月15日(金) 毎日がクイズです/映画『大菩薩峠 第二部』(1958・東映)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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