無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月12日(水) 悲しい日/『B型平次捕物控』(いしいひさいち)/舞台『笑の大学』ほか

 こんな夢を見た。
 私はある女の子とつきあっている。
 ヤバいことにこれが女房ではない(^_^;)。夢だから怒るなよ、しげ。
 髪の毛を右と左で結んで垂らして(つまりシッポが二つってわけやね。『メガロマン』の高嶺ラン(杉まどか)を思い浮かべてくれい。……って知ってるヤツどれだけいるんだ)、ちょっと小生意気そうな彼女だ。
 学校帰りの彼女(どうやら女子高生らしい。なんてことしてんだ、私)を出迎えて、一緒にさびしい田舎道を歩く。あたりは一面、田んぼしかない。はるか彼方に山並みが見えるだけ。
 私は彼女のことが好きなのだが、彼女は私の気持ちに気付いていながらはぐらかしてばかりいる。えいくそ、この小生意気な悪魔っ子め。
 突然、彼女がこんなことを言い出す。
 「知ってた? 藤井隆って、この辺の生まれなんだよ?」
 「知らなかったな」
 「私、よく知ってんの。彼のこと」
 「ふーん、よく会うの?」
 「うん」
 私の心の中に嫉妬の気持ちがムクムクと湧いてくる。
 ふと、向こうを見ると、ポツンとバス停があって、そこにひとりの男が立っている。
 藤井隆だ。
 サングラスをかけていたが、それを外してこちらを見ると、彼女に挨拶をした。彼女は返事をしない。
 私は少しホッとする。彼女が愛想がないのは、なにも私相手に限ったことではないのだ。あの藤井隆に対してですら(なぜそこまで藤井隆を持ち上げているのかは謎)、彼女はツンとした顔しか見せないのだ。
 ちょうどそこにバスが来て、彼女はそくさと乗りこむ。
 彼女は、私を無視して、藤井隆にだけ「じゃあね」と声をかける。
 てっきりバスを待ってたと思っていたのに、藤井隆は立ったままだ。何しに来たんだ、藤井隆。
 バスは彼女を乗せて彼方に去って行く。
 私は藤井隆と二人きり、バス停に残された。
 ……ここに置いてきぼりにされた方が負けだ! そう察した私は、別に帰り道にでもないのに、藤井隆をそこに置いてバスの去った道を歩いていった。

 で、どういう夢なんだ、これ。
 何かそんなに藤井隆を気にしなきゃならない理由でもあるのかなあ……と思って気がついたんだけど、こないだ見た映画『少林寺サッカー』で、ハナクソほじってるオカマの美容師が出て来たんだけど、あれがちょっと藤井隆に似てたんだね。
 で、多分私は、「藤井隆って、オカマ演技してるけど、ホントにそうじゃないよなあ」とか考えてたんで、「藤井隆はちゃんと男だ」ということを証明するために、こんな夢を見たらしい。
 そんな藤井隆の弁護してやるためだけに夢なんか見るなよ、私(-_-;)。


 腹が減ったがカネがない。
 一応カネの出所は某所にあるのだが、忙しさにかまけて、取りに行っていない(こういう書き方したら不正なカネみたいだがそんなことはありません)。
 しかたなく、しげにココアとサンドイッチ分けてもらう。
 今日の食事はこれだけだ。少しは私のカラダ、痩せてくれるかな?


 アニメ『ヒカルの碁』第三十五局「勝者はひとり」。
 ヒカルと佐為の分岐点を示すエピソード、韓国の少年棋士、洪秀英(ホンスヨン)との対戦編。
 マンガ版では、韓国語をカタカナ表記にして、日本語との違いを表してたが、さて、アニメではどうするかと思ったら、日本語のまんまでやりやがった(-_-;)。
 子供も見てるし、韓国語で字幕を流すのもどうかって判断したんだろうけど、こういうところを安易に吹替えにしないって姿勢も大事だと思うけどなあ。
 洪秀英役の伊東みやこさん、なかなか個性的なイイ声をしている。少し小生意気な少年のオファーが続けば人気が出るんじゃないか。


 夕刊を読んで驚愕。
 消しゴム版画家のナンシー関さんが死んだ。
 1962年生まれの同い年、しかも大学が同窓(私は一部で向こうは二部だけど)。
 先日の伊藤俊人さんの死去のニュースもショックだったが、これはもう、なんといったら言いのか言葉が見つからない。
 「11日夜、知人と食事の後、帰りのタクシーの中で具合が悪くなり、そのまま都内の病院に入院、急死した」とのこと。
 死因は「虚血性心不全」と言うことだが、そんなよく判らん病名で説明しなくても死因はハッキリしている。太りすぎだ。見るからに100キロは越していたし、100メートル歩いただけで息切れがしてたって言うし、あれで心臓が持つほうが奇跡のようなものだ。
 けれどまさかナンシーさんが死ぬなんて予想もしていなかった。
 あの人の消しゴム版画は全然おもしろくなかったけれども、社会に対するキャッチーとしては有効だった。そしてあの毒舌たっぷりのエッセイ。
 同じ「毒」でも、ビートたけしのエッセイとは明らかに質が違う。
 たけしの時評は「いっそのこと○○しちゃえば」みたいなムリヤリギャグに仕立てようとして、失敗してハズしてるところが多々あるが、ナンシーさんの毒舌は実は「芸」ではなかった。いや、「芸」には違いないのだが、「芸」であるようには見せていなかったのだ。

 厳密に言えば、ナンシーさんのエッセイは「批評」でも「評論」でも「解説」でもなかった。客観的な真実を探ろうとするのが「評論」なら、ナンシーさんのは主観的な「印象」に過ぎない。
 しかし、ヒョーロンなんてシチメンドクサイ行為を日常行ってる庶民なんていはしない。ナンシーさんのエッセイに我々が拍手を送ったのは、それがどんなに主観的な思い込みに見えようと、誰もが「そうだよな」と納得する「絶対多数の」主観だったからである。主観も、そう思う人間が多ければ、客観となる。
 それゆえにナンシーさんの文章は、まさしく「時代観察者の証言」たりえていたのだ。

 ナンシーさんの文章は、テレビを見たときのストレートな庶民感情の発露であり、そこには、マジメな人間なら自分が悪人に見られたくなくて言い控えてしまう悪口を「思ったこと言って何が悪いの? みんな同じこと思ってんでしょ?」とサラリと言ってのける「粋」さがあったのだ。
 ああ、そうだよ!
 ナンシーさんは「粋」だったんだ!
 もちろん、ナンシーさんに対して批判がなかったわけではないだろう。
 ネットを散策してみると、小倉智明が「事実無根のことを書かれて……」とかコメントしてたそうな。ファンが追悼してる最中に自分のこと弁解するのか、小倉。……まあ、小倉は言うよな、そういうヤツだってことはナンシーさんも指摘していたことだ。
 「事実無根」って、おまえのヅラ疑惑か?(`▽´)
 別におまえが本当にヅラかどうかなんてどーでもいいんだよ。
 「ヅラに見える」、つまりは、エラソウなことコイてるけど、お前みたいなソトヅラだけ作ってるのがミエミエの胡散臭いヤツの喋くりの中身なんか、いっこも信用しちゃいねーよってことを言ってるんだよ。
 だからナンシーさんの言ってたことは「事実無根」でもなんでもないのだ。
 コラ小倉、テレビに出て、大衆の好奇の目に晒されるのは当たり前なのに、悪口言われたり陰口言われることにいちいち憤慨してんじゃねーよ、みっともないぞ。その程度の悪口を受け止める覚悟もねーのに、キャスターなんてやってんじゃねーや。

 いろんな人のナンシーさん追悼の言葉がネットに散乱している。
 大月隆寛のコメント、「単なるテレビコラムニストの死ではなく、思想的な事件であると思う」。それはその通りだけど、今それを言うか。そんな人が死ねば「持ち上げる」行為をナンシーさん自身が、嫌ってたんじゃないのか。
 なんだかピント外れなコメントが多い中、岡田斗司夫さんのコメントには打たれた。

 「コラムニストのナンシー関さんが亡くなりました。 
  ショックで悲しいです。 
  単行本は全て持っていました。 
  でも、いま悲しいのは「新作が読めない」というのとは、違う気がします。  ああ、僕はナンシー関が好きだったんだなぁ。」

 ナンシーさんのことを「消しゴム版画家」と言ってない(大月さんも「コラムニスト」と言ってるけれど、「テレビ」と付けていたのが惜しい)。
 わかってらっしゃるのだ、この方は。
 なんだかもう、一緒に生きてた人が亡くなった。そんな気持ち。
 悲しいよ。
 

 マンガ、いしいひさいち『B型平次捕物控』(東京創元社・630円)。
 いしいさんのマンガにはまとめてみると面白いものとつまらないものとの二種類があるが、『B型平次』は後者。
 だってハチが「てーへんだっ!」って言って、ダジャレが入って、平次がハチを蹴飛ばすだけのギャグが延々続くんだもの。なんだか鈴木義司『サンワリくん』並のツマラナサだ。
 4コマ漫画を革新させたのがいしいひさいちさんであることは言を待たないが、それが『バイトくん』や『がんばれ! タブチくん』ではなく、この『B型平次』だったら、ブームになるのはちょっと苦しかったのではないか。
 後半『忍者無芸帖』も収録されていて、こちらの方は相変わらずの忍者の間抜けぶりが楽しくて、買って損したって思わずにすんだけれど、結構やっつけ仕事もしてるんだな、いしいさん。


 ビデオで録画してた三谷幸喜の『笑の大学』を見返す。
 西村雅彦と近藤芳正の二人芝居。
 太平洋戦争時、浅草の喜劇団の座付き作者をしている椿(近藤)が、なんとか上演中止に持ちこもうとしている検閲官の向坂(西村)の支持通りに台本を改訂していくうちに、なぜか話がどんどん面白くなってしまうというもの。
 1996年の読売演劇大賞を受賞した作品だけれど、案外構成に破綻のあることが多い三谷さんの喜劇の中では、よくまとまっているほうだ。
 ことに、近藤芳正の熱演は、今までの中でもベストではないだろうか。映画やドラマでは気弱な小市民を演じることが多いけれど、その影に秘めたる熱意、演劇に賭ける情熱、そんなものまで感じさせてくれたってのは、もう、演劇関係者にとっては応援のエールを送られたようなもの。大感激だ。
 ……急に見返したくなったのは、やっぱり自分の心を慰めたくなったってことなのかなあ。
 しげが、仕事から帰ってきて、「また見よん」とかほざきやがった。
 そうしょっちゅう見返してるわけでもないのに、何を文句つける必要がある。それに見返すこと自体、別に悪いことでもなんでもないじゃないか。
 『ブルースブラザース2000』を20回以上劇場に見に行ったアホに言われたくなんかないんである。

2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)



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