無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年06月22日(金) 冷蔵庫は8年で買いかえるものだそうな(電器屋談)/『ななか6/17』1巻(八神健)ほか

 さて、久々に職場でのことを書く。

 ちょっとビックリしちゃったことなのだが、今年、チームを組んでる同僚二人が、なんと私と同じ高校の出身者だということが解ったのだ。
 なんつーか、私ゃヒトの経歴とか全く気にしないタチなんでねえ、今までそんなこと気にもしてなかったんだが、私が以前お世話になった同じく同門のある人が、私のことを気にかけていろいろ喧伝してくれてたらしい。
 その同門の同僚の女性、「偶然ってあるものねえ」と仰ってたが、私の驚きは学閥だのなんだのそういう小うるさいことを全く無視しているのに、気の合う人が大抵同門だったりする、という偶然が今までの人生の中であまりに多い、ということだ。
 偶然なのか?
 それともやはりウチの高校にはある種の「校風」というか「伝統」があって、その流れの中にあって共感し合えたということなのか?
 確かに在校中、誰もが「ウチの校風は『自由』だ」と思っていた。
 かと言って校則がなかったわけでもなし、とりわけウチだけが特別だと思っていたわけでもない。
 でも確かに、オトナになってみて他の高校の状況を知るにつけても、ヨソはなんでこうしがらみが多いのか、ということには気付くようになっていったのだ。

 例えばウチの高校、教師がよく出張になると自習になってたんだよね。
 普通、他の高校は自習はさせない。必ず、誰か代理の教師が授業に来る。空き時間を作らない、というのが普通の高校のタテマエだからだ。
 でも、ウチの高校の場合、それどころの話じゃないんだよね。その自習が5、6時間目だったりすると、学校を早引け出来ていたのだ。
 なぜそんな自由が許されたのか?
 簡単である。
 自由にやらせたほうが、生徒が勝手に勉強したからだ。
 「教師に教わるより自分で勉強したほうが実力がつく」
 それがウチの高校の出身者のコモンセンスであったのだ。
 もちろんその「勉強」ってのが「学校の勉強」ってものよりも多少幅広く捉えられてた面はあるけれども(^o^)。

 その同僚の女性Kさんとの、今日の会話。
 K「(読んでた本に「紅」という字があるのを見つけて)紅、紅、紅。紅孔雀
 私「ま〜だ見ぬ、く〜にに、住〜むとゆう〜♪」
 K「おっ、昭和30年代だね。何年生まれだっけ?」
 私「37年です。Kさんは?」
 K「……36年」
 ……サバ読んでるなあ(^_^;)。
 でも、女性に年齢を聞いても失礼にならないのもウチの校風なのである。
 しかしまさか『紅孔雀』ネタで職場で盛りあがれる日が来ようたあ、思いもしなかったぜ。

 ちなみに私の宴会芸の持ちネタの一つに、「妖婆の魔術に翻弄される浮寝丸(『紅孔雀』の登場人物の一人で元祖美形キャラ。演じるは絶頂期の東千代之介!)のマネ」というのがあるが、やってみせても何のことか解らん人が多いので、披露する機会がないのが残念である。


 仕事から帰ると、しげがえらく慌てている。
 「ど〜しよ、冷蔵庫が壊れた!」
 「はあ? なんで?」
 「なんでって、私が壊したんじゃないもん!」
 誰もそんなこと言うとらんわい。ただどういう事情なのか聞いただけなのに。
 「ねえ、直して!」
 「故障が直せるかよ、電器屋じゃないんだから」
 「じゃあどうすれば!?」
 「だから電器屋に電話しろよ!」
 どうもパニックに陥った時のしげの頭の回転は半分以下に落ちるようだ。日頃がヒトの半分くらいの回転力だから、四分の一といったところか。
 しげが電機屋に連絡している間に、冷蔵庫を確かめてみる。確かに電気が来ていない。
 コンセントを確認してみたがネズミに齧られてる様子もない。
 どこかで断線してるんなら、やはり部品を取り換えねばダメかもしれない。
 電話を終えたしげが、ますます困った顔で問い掛けてくる。
 「ど〜しよ、古い型だから部品がないかもって」
 「それなら買いかえるしかないかなあ。もう10年使ってるしなあ」
 金を使うことをとことんしぶるしげは、思いきり渋面を作っている。
 「ともかく、冷蔵庫の中身を腐る前に片付けなきゃな」
 で、冷凍食品のチキンを温めて食べようと、電子レンジに入れてつまみをまわしたのだが。

 え?

 電子レンジが、ウンともスンとも言わない。
 思わずしげのほうを振り返る。
 「……おい、これ、バッテリーが落ちてるだけじゃないのか?」
 「……え?」
 バッテリーのスイッチを確かめてみると、確かに台所のスイッチだけ、下に落ちている。
 そのスイッチを上げた途端。

 ウィ〜……ン。

 故障なんかしとらんじゃないかあああ!

 「お前、バッテリーが落ちたんじゃないかって最初に考えなかったのかよ!」
 「え? だって天井の電気はついてたし……」

 天井と台所の配線は違うに決まっとろうがあああああ!

 腐っちゃいかんと思って、しげは冷蔵庫の卵を使いきって目玉焼き10個も作ってるし、私は私で牛乳ひとパック一気飲みしちまったし、これで太ってたらいったいどうしてくれる。

 ……一部のみなさまにはこの件でご心配もかけたようですが、事態は解決いたしました。
 どうも申し訳ありませんでした。
 お怒りの方々、しげのことはちゃんとシメときますのでどうかご容赦下さい。


 唐沢俊一さんの日記はもちろん毎日欠かさず読んでいるのだが、21日(木)冒頭に「親父が死んだ程度でこんなに悲しいのだから、猫が死んだらどんなに悲しいか。」というフレーズがあって爆笑。
 もちろんこれは、お父様が亡くなられて本当はお寂しいだろうに、それを読者に気遣わせまいとギャグにされているのであろう。
 しかし、となるとこういう場合、笑った方がいいのかいけないのか。でもそんな風に迷うのは、たいてい笑っちまったあとである(^_^;)。
 「死」をギャグにするのは古今東西のギャグの基本みたいなものなのだけれど、確かこのフレーズも落語か何かにあったような記憶があるんだが思い出せない。うーむ、隔靴掻痒。
 

 で、落語と言えば、魔夜峰央『パタリロ!』である(^^)。
 ついに今巻で72巻(落語ネタもちゃんと「寿限無」あり)。
 「いったい誰が買ってるんだ」と突っ込まれることの多いマンガに『本気!』とかがあるが(^_^;)、『パタリロ!』も既にその一つであろう。もう既にエンドレスって気がしてくるよなあ。
 いったん『花ゆめ』本誌で連載が終わった時、『鉄腕アトム』テレビモノクロ版の最終回のパロディネタで締めくくっといて、全く何気なく翌月から『別花』で連載再開した時には、「食えないマンガ家さんだ」と思ったものだったが、今回もなんと72巻目にしてパタリロのおばあちゃんが登場する。
 今更(^_^;)。
 『少年マガジン』で連載再開した蛭田達也の『コータローまかりとおる!L』でも今更コータローのかあちゃんが登場してたが、この長々々期連載で主役の身内が出てくるというパターン、最近はやってるのか。『こち亀』でもやりそうだし。
 でもこういうの特に嫌いではない。多分、このばあちゃんも、あまた登場してきたパタリロの親戚同様一回こっきりの出演であろうし、今までもキャラクターとして使えなくなったときの魔夜さんの見切りのつけ方は潔くすらあったからだ。ザカーリしかり、ラシャーヌしかり、エトランジュしかり、警察長官しかり。
 準レギュラーならまだしも、ほぼレギュラーに等しかった警察長官まで切ったときには、「ああ、この人は純粋に『ギャグ』が好きなんで、『キャラクター』でマンガを描くタイプではないのだ」と納得したものだった。
 パタリロもバンコランもキャラクターが立ってるのでキャラクター主導タイプのマンガに見えるんだけど、それは方便なのだね。譬えて言うならパタリロは水道の蛇口なのであって、流れてくる水(ギャグ)の出口として機能しているだけなのである。
 だから、実のところ、「守銭奴でがめつい」といったキャラクター設定も、実はしばしば無視されることが多い。あとからどんどん親戚が増えるのもそう言った理屈だろう。真面目にマンガを読んでる人には「設定が変わって整合性がなくなってる」と文句をつける向きもあろうが、『パタリロ!』に関してはそういう批判は野暮であろう。
 でもオカマバー「東カリマンタン」がレギュラー化するとは予想もしてなかった(・・;)。
 ああ、でも今巻で一番笑ったのは「やおいとはもちろん やめて おしりが いたい の略です」と言う身もフタもないギャグだった。
 ……その通りじゃねえか。

 マンガ、牛次郎・ビッグ錠『釘師サブやん 釘師見参!!』読む。
 いやあ、懐かしい。なんたってパチンコが電動でなかった時代のマンガだ。
 子供のころ、パチンコ好きの母親についてって、一生懸命「忍球玉バサミ」を練習してたのを思い出した。もちろんできるわきゃなかったのだが。
 ビッグ錠の野太い線で描かれてるおかげで気付かれにくいけど、それまでマンガの対決ものと言えば野球や柔道、つまりはスポーツに限られてたのを、「パチンコ」という意表をついたものを持ち込んできた功績は大きいと思うのである。
 何よりこのコンビ、グルメ対決ものの元祖である『包丁人味平』を少年ジャンプ」で連載することになるのだし。
 つまり、マンガのネタで「勝負」に持ちこめないものはない、そのことを証明してくれた作品でもあるのだ。
 つまりこのマンガなくして『ヒカルの碁』は生まれえなかった、とも言えるのである。
 でも今度久しぶりに読み返してみて、何ページか欠落があるのに気付いた。「忍球玉バサミ」のアップのシーンなどがまるまる2頁ほど、抜けているのだ。
 紛失かなあ。古いマンガだし、そんなことに気付かなかった編集者のせいかもしれない。
 
 マンガ、八神健『ななか6/17』1巻。
 ジャンプからチャンピオンに移った八神健の正統派「少女」マンガ。
 実際、ここまで古き懐かしき少女マンガの王道を踏んだ作品というのも今時珍しい。
 ひょんな事故から精神が6歳にまで退行してしまった17歳の少女・ななかと、彼女を守ろうとする幼馴染の不良少年ねんじ。
 今どき「不良少年」が少女を守る話ですがな。『愛と誠』だね、全く。
 でもね、実はね、何つ〜か、こういうストレートな関係提示されただけでもう、私ゃダメなんスよ。そういう基本パターンにどっぷりハマる体質になっちゃってるし。
 だってね、幼馴染の二人がいてさ、女の子は子供の頃にお母さんをなくしましたと。
 で、男の子のほうは悲しむ女の子を元気づけようと、アニメの魔女っ子になったつもりで「オトナになあ〜れ」と呪文をかけてやると。
 で、「ほれ、これでもうオトナになったぞ、もう泣くなよ」と肩を抱き。
 それから女の子は立派なオトナになろうと努力して努力して。
 努力しすぎて嫌味な優等生になっちゃったと。
 男の子の方はそんな女の子に反発して不良になっちゃったけど、女の子が退行しちゃったときに、初めて決意すると。
 「俺が大人にならなきゃ、あいつを守っていけねえ」と。
 王道というより「古典」だね、こりゃ。でもだからこの作品には今時のおしゃれ風なマンガにはない、「力」がみなぎっているのだ。
 しかもちゃんと恋のライバルのピアノ少女、雨宮さんまで登場するんだけど、このキャラがモロ綾波レイ。『エヴァ』の残滓はまだこんなところに残ってたか(^^)。
 これで私にハマるなと言うのは無理というものでしょう。 


 夜、鈴邑くんから電話。
 先日録画したライブのビデオを取りにくるついでに食事に誘われる。
 ううむ、ちょうどスパゲッティを食べたところだったのになあ。でもこういうお誘いには私もしげもとことん弱い。
 結局お誘いに乗ることにする。
 今日は愛上嬢は里帰りとか。ふなちゃんもいないので三人だけで平尾の「もみじ」という広島風お好み焼き屋へ。客が多くて30分ほどちょいと待つ。
 チラシに地元のテレビ局に何度も取り上げられた旨、宣伝している。
 なるほど、メニューを見るといわゆる「変わりダネ」が多い。
 牛スジ焼きなんて歯に引っかかりそうだがなあ。
 とりあえずこういうとき私は一番珍しそうなものを食べると決めているので、「キムチホルモン焼き」というのを頼む。
 ……ウン、適度な辛さでうまいわ、これ。
 つい満腹しちゃったけど、明日の体重が心配である(^_^;)。みなさん、あまり私を食事に誘わんでください。意志が無茶苦茶弱いんですってば。


 ああ、全然短縮版になっとらん。なんで私ゃこんなに書きたがるかなあ。猿だね全く。
 あ、今日の体重は82.6キロでした。微増。



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