無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年06月01日(金) あえて美人殺しの汚名をきて/『「彼女たち」の連合赤軍』(大塚英志)

 ううう、書きたくはないが書かねばならぬ。

 今朝の体重86.0キロ……(T_T)。

 なんで一日で1キロも太るかなあ、これはきっと便秘だ、便秘のせいなのよ、おなかに溜まった宿便を全部ひり出せばきっと痩せるのだわ〜。

 汚い話ですみません。
 なんというか、この栄養を全て体重に還元してくれる中年太りのカラダが恨めしい……。


 ここしばらく体はダルイは、目眩で頭はクラクラするは、ふらつきながら仕事をしていたが、今日は比較的楽。でも睡眠を取っても取っても疲れが取れずに昼間眠くなるというのはどういうわけかと思っていたら、いかりや長介自伝『だめだこりゃ』の中に「ピックウィック症候群」とあるのを発見。
 なんでも肥満等で睡眠中の気道が確保できないために慢性的な睡眠不足に陥って、居眠りしてしまう病気らしい。高木ブーが稽古中でも居眠りしていたのはその病気のせいだというのだ。
 特徴は断続的なイビキ。激しいイビキをするかと思ったら、途中、無呼吸状態になることもあるという。

 オレじゃん(・・;)。

 いや、勝手に自分は何の病気だなんて決めつけたがるのはみっともない。
 自分のナマケグセを病気のせいにして逃げているみたいだ。でもホントに病気だったらどうしようかなあ。もう罹ってる病気が多過ぎて覚えきれないのだが。


 大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍 サブカルチャーと戦後民主主義』読む。
 1972年、あさま山荘事件、というより一連の連合赤軍事件当時、多分私は事件の一連の首謀者たる森恒夫と永田洋子の写真も見ていたはずだ。
 しかしあれからおよそ30年、さて、彼らがどんな顔をしていたのかどうにも思い出せない。
 興味本意と言われればそれまでだが、私には彼らの顔がどうにも気になる事情があった。
 一般に、あの連合赤軍内部での「総括」事件は、思想統制を図るための粛清であったと思われている。しかし最初の犠牲者たる遠山美枝子を追いこんでいく永田洋子の詰問は以下のようなものだった。

 「あなたはなぜここに来たの?」
 「なぜって、軍事訓練に来ました」
 「違うのよ、あなた自身がどんな気持ちで来たかと言うことよ」
 「私は(中略)革命戦士になる必要を理解したから……」
 「あなたは自分のことを何も語っていない。なんであなたは山に来たの」
 「何を言えばいいの?」
 (中略)
 「それじゃ聞くけど、なんで朝、化粧をしていたの?」
 「……」
 「山に来て、どうして化粧をする必要があるの?」

 つまり、「化粧をしている→戦士としての自覚がない→総括」という極めて短絡的な思考の流れの果てに遠山は殺害されたことになる。
 あるいは予め永田らには遠山たちを殺害したい理由が別にあり、この論法はその口実として使われただけだ、という説もある。
 永田洋子は不美人であった。だから美人だったほかの女たちを殺したのだと。それが真実だとすれば古今未曾有と言われたあの事件、結局は「痴情のもつれ」と同じレベルのものに過ぎないということになる。

 真実はどうあれ、私が引っかかってしまったのは、この永田の詰問のしかたが、私自身が論争の相手を詰問する方法と酷似していたからだ。

 「君はこの件について、なぜこのような判断を下したのですか」
 「○○○だからです」
 「それは理由としては非論理的で根拠がありません」
 「あなたは私に何を言わせたいのですか?」
 「あなたの説明した理由と行動の間には矛盾があります。その理由を説明してください」

 この詰問のしかたのどこがズルイかと言うと、「人間は矛盾した行動しか取れない」「人間はそんなにものを考えて行動しているわけではない」という誰もが持ってる弱点にツッコミを入れている点である。
 このやり方で論争に負けることはまずない。
 では向こうが同じ論法で攻めてきた時にはどうすればいいかというと、「前提となる基本認識が異なっている」あるいは「あなたの言いたいことの意味がわかりません」と論点をずらせばいいのだ。

 で、この卑怯な手段を私に仕込んだのが誰かと言うと、他ならぬ私の母親だったりするのだ。しかもウチの母親が更に卑怯だったのは、そんな卑怯な手段で他人を言い負かしていたくせに「私は間違ったことは言わない(から論争にも負けない)」と断言していたことだ。

 子は親の鑑である。
 しげが私との口ゲンカで常に負け続けるのも、こんな親に育てられた男とつれあいになった運命のなせるワザだと思ってもらいたい。

 で、気になって調べてみた永田洋子の写真だが、ちょっとお袋に似ていた。
 美人ではないかもしれないが、不美人かどうかというのも主観だろう。大塚が「美人」と言った重信房子の若いころの写真も見たが、これも美人か不美人かは時代の雰囲気に左右されているような気がする。
 月並みな言いかただが、彼ら彼女らの反社会的活動は、やはり時代に躍らされていただけではないのか。

 冗談はさておき、安保闘争以来の一連の学生運動の過激化は、幼いころの私にはどうにも理解のできないことだったが、テレビで東大の立てこもりを見ていた時も、ハイジャックやあさま山荘事件を見ていた時も、私の父の感想は一言、「バカ」であった。
 父は彼らよりひと回り上の世代ではあったが、戦後の社会主義革命思想に対しては、ある種のシンパシーを感じていたのだと思う。方法には賛同できないが、理念には、と言ったようなものなのかもしれない。
 しかし、彼らの内実がそういった理念とは縁遠い、ただの嫉妬などの感情の発露にすぎなかったことを知ったら、いったい父はどう思うだろうか。何しろかつて彼らを「バカ」呼ばわりした父は、今や「あのころの学生のほうがエネルギーがあったね」と言って憚らないからである。
 それって、オウムやバスジャック犯を擁護するのと変わらないってことに気付いてるか? 親父よ。

 大塚英志は、永田洋子が少女漫画風のイラストを描いていることから始めて、80年代のフェミニズムと、サブカルチャーとしてのフェミニズムを対照させながら、それぞれの「危うさ」について警鐘する。
 確かに「君ってキレイだよ」の一言すら言わせぬ女性の性を封印するかのようなフェミニズムは狂信的といえるし、萩尾望都や大島弓子ら、24年組のマンガが女性の性を否定しつつ発展してきたことは事実であろうが、それをいっしょくたにしてしまう論法にはかなり無理がないか。
 大塚はマスコミが永田の犯罪を不美人ゆえの嫉妬に収斂させていくことを批判しているが、実際、その通りである可能性の方が高いと思うがどうか。
 更には「宮崎勤事件」の、「オウム真理教事件」の、サブカルチャーが生み出したと言っても構わぬ事件について、その「矮小さ」について「分りやすい」と言いながらも「笑い飛ばせない困難さ」があると、矛盾したもの言いをしてしまっていることを大塚はどう考えているのか。
 その程度の分析なら、彼らを「バカ」と言い切りつつ、「エネルギーがあった」と評価してしまう私の父と実は同レベルなのである。
 連合赤軍事件の犯人たちや、オウム真理教事件の犯人たちについて、分析を施してやること自体、彼らを甘やかしてしまう大塚の日本的で単純な「母性」に他ならない。
 大塚は気付いていないかもしれないが、傍目にはそれはとても「気持ち悪いこと」なのである。
 多分大塚は、一つ時代が違えば、あるいはきっかけさえあったなら、彼らの中に名を連ねた可能性があったことに対して自分自身を許したいのだ。『多重人格探偵サイコ』の残酷描写も、自己弁護、自己正当化のためだったかと思うとやや興醒めである。

 大塚もまたコミュニケーション不全症候群のオタクなのである。
 「常にぼくの関心は<矮小>なる者の歴史化に向けられる」とする大塚の意見は、一見オタク擁護のように見えて、自分をその歴史の中に含めようとしない点においてただの差別化である。
 「オレはオタクだ!」と叫んだ後でないと、まともに大塚の言説を受けとめる者は、少なくとも彼が擁護しつつ甘えようとするオタクの中からは現われないと思われるがどうであろうか。

 ああ、今、気がついたが、つかこうへいの『熱海殺人事件』(初稿ね)、「ブス殺し」ってところ、連合赤軍事件の暗喩だったんだなあ。


 仕事から帰宅してみると鈴邑君夫妻(ふなちゃんも入れるのなら、親子、あるいはご家族と呼ぶべきか)がウチに来ている。
 仕事の都合でパソコンが使えないので、リレー小説の第1回、ウチのパソコンを使って書き込んでいるのだ。
 うーむ、第1回を読むかぎりでは普通のラブロマンスにもファンタジーにもホラーにもできそうな雰囲気である。果たして2回目のしげがどうつなげてくれるか。

 ついでに晩飯もご一緒しようと、鈴邑君の車で、井尻のMKに向かう。
 先週キズのついた鈴邑君の車だが、愛上さんの話によれば、翌日すぐに修繕に行ったとかで、見た目キレイになっている。
 「ああ、修繕したんだね」
 と鈴邑君に声をかけると、
 「え? 何のことですか?」
 と、トボケる。
 私のほうが呆気に取られていると、愛上さん、
 「傷つけたことは記憶から抹消してるんです」
 と耳打ち。
 鈴邑君、結構プライド高いのだなあ。

 で、しゃぶしゃぶの食い放題。鍋が二つなので、鈴邑君としげ、愛上さんと私がペア。まるでス○○○ングのようだが(こらこら)、これにはちゃんと理由があるのだ。
 鈴邑君としげの二人は肉好きと言えば聞こえはいいが、徹底的な野菜嫌いなのである。野菜を勧めても「食べた」と言って、実はエノキしか食っていない。後はひたすら肉、肉、肉である。
 愛上さんにふなちゃん、私はもっぱら卵に野菜に豆腐なので、1時間もすると、向こうの鍋のスープは、表面に分厚い油の層ができていてどんよりと黒く、こちらの鍋は未だに澄んだ色である。
 こういう食べ方は人間としてどうかと思うが。

 食事の後、本屋とマルショクに寄って買い物。
 マルショクでついに「ゴジラ名鑑」、残りの『初代ゴジラ』と『ゴジラVSデストロイア』を購入。ああ、これで四体全部そろったわけだけど、せっかくこれだけ造形がよいのだから、今度の新作に合わせて、『大戦争ゴジ』や『ミレゴジ』も出してくれないかなあ。
 前に買って破損していた『ゴジラVSデストロイア』、やっぱりしげが落として壊してたようだが、新しく手に入れたことだし、今度だけは許してやろう。
 もう二度と「フィギュアなんて集めるな」なんて言うなよ。

 帰宅は10時。
 くたびれ果てていたので、帰宅するなり日記も書けず、散歩にも出られず爆睡。明日の体重が心配だなあ。



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