無責任賛歌
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2002年06月26日(水) |
イカが怖い/『育ってダーリン!!』A・B巻(久米田康治)/ドラマ『ししゃもと未亡人』ほか |
オウム真理教の新見被告への死刑判決が下る。 これももう、1995年の事件。7年も前のことだ。ローティーンの(下手をしたらハイティーンも)若い世代にはどれだけショッキングな事件だったか分らない人も多くなっただろう。 オウムの被告たちの中には、事件発覚後も麻原彰晃に本気で帰依している者、利用して私腹を肥やそうとしていただけで最初から信じていなかった者、目が覚めて逆に麻原批判に回った者などいろいろ人間模様を見せてくれているが、こいつは完全に「帰依派」だったようだ。 万が一、釈放されることがあっても、コイツだけは間違いなく教祖の命令通り、ポア(=殺人)を繰りかえすだろうと目されているのである。 信教の自由がどこまで許されるのか、という問題については、大方の人間が「人に迷惑をかけない限りは」とか甘っちょろいことを考えてるんだろうなあ、と思う。 本来、宗教ってのは、法律が許そうが許すまいが、そこに既に「ある」ものである。マスコミはやたらと信者に向かって、「麻原が命令したらアナタも人を殺しますか?」とか聞いてたけれど、これほど意味のない質問はない。だって、そこで「いいえ」と答えたら、そりゃ信者じゃないってことになるんだから。たとえ教義で、「人を殺すな」と戒律があっても、教祖が「殺せ」と言えば殺すのが宗教なんである。キリスト教だって異教徒を惨殺した歴史があるよね。これは信者を追い詰めるための質問でしかないし、オウム真理教だけを危険な宗教と見なそうとする誘導尋問でしかない。 これは「もしも戦争になったら、アナタはお国のために戦いますか?」というのと同じ質問だ。戦時中なら、もちろん「イエス」以外に答えようがない。そして、『私は貝になりたい』のフランキー堺のように、敗戦後は「戦犯」のレッテルを貼られ、殺されることになるのである。さて、それが法として正しいと言えるかどうか? 私ゃ別にオウムを擁護する気はサラサラないし、なんで破防法を適用しなかったんかねアホンダラが、と思ってる口なんだが、だからこそ、新見被告の死刑判決は法の上の矛盾だと思うわけである。オウムが宗教である以上は、死刑に値する人間は麻原彰晃しかいないし、麻原以外を死刑にすべきではない。もし、新見を死刑にしたければ、「オウム真理教は宗教ではない」ことをまずもって証明しなければならないのだ。オウムが宗教でないなら、彼らはただの「殺人の共謀者」に過ぎない、ということになり、死刑は求刑できよう。 多分、法廷ではそんな「麻原の命令でやった」「麻原の命令と関わりなくやった」論争があったんじゃないかと思うんだが、マスコミ、相変わらず肝心なところは全然報道しないしな。そのへんハッキリさせてくれないと、もしかしたら新見が死刑になるにしろならないにしろ、法そのものが揺らいでいることになってるかもしれないのだ。 ……だからよう、やっぱ終身刑は要るよ、絶対。そうでないと、誰かに洗脳されて人を殺した人間もみんな死刑ってことになるもの。それでいいのか。
しげ、具合が悪いということで、また迎えに来れず。 けれど、今回は寝不足とかそんなんじゃなくて、本当に風邪らしい。 タクシーを拾い、ウチの近所のコンビニで降ろしてもらって、滋養液を買う。 ふとお菓子の棚を見ると、「世界名作劇場セピア」のガシャポン(食玩じゃないからこう言うしかない)が置いてある。『フランダースの犬』、『母をたずねて三千里』、『ピーターパンの冒険』、『赤毛のアン』と、これも写真で見る限りディテールがすごくいい。原型制作はやっぱり海洋堂で香川雅彦という人。思わず二つ買って、帰宅して開けてみたら……マルコ&アメデオとフィオリーナを見事にゲット!(『フランダース』は実は好みじゃなくてね) 合体させるとマリオネットを操るフィオリーナと、アメデオと一緒に踊っているマルコが……。うううう、また一つハマりそうなブツが増えちゃったよう(T∇T) 。
風邪を引いても仕事には行くというので、しげに滋養液と風邪薬を無理やり飲ませる。 「これ、オナカがよくない時にって書いてあるけど、オレ、喉が痛いんだけど」 「いいんだよ、どっちにも効くから」 若く見えてもしげももうそろそろ中年が近い。風邪を放置しておくといつまで経ってもズルズルと回復しないことは見当がつくので、ちったあ自分のからだのコントロールは真剣に考えてもらいたいものだ。 果物食って、日に当たれよ。
少しでもしげを応援するつもりで、パート先のリンガーハットで夕食セットを頼む。 しげから「何で食べに来るん?」と聞かれるが、「おまえを応援したいからさ」とは恥ずかしくて言えず、「リンガーの味を盗むためさ」とか言う。オマエは包丁人味平か。 でも、麺ズサラダ、ゴマダレ味がやはり美味い。冗談で言ってたが、盗めるものならこの味盗んで、なんとかウチで作れないものかと思案。ゴマダレの中に入ってる難い粒みたいなのはキュウリを刻んだやつか? 見栄切った以上、しげに聞くわけにもいかないんだよなあ。そのうち適当な食材で作ってみようか。
マンガ、BONES・出渕裕原作・百瀬武昭作画『ラーゼフォン』2巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 アニメの方は未だに見たことないが、結構評判は呼んでるのかな。最近はそれほどネット散策もしていないので、情報に疎くなってるんである。週あたりの制作本数は多くても、全国ネットでしかもゴールデンタイムに放映しているアニメなんて、ジャンプ系列のアニメや『サザエさん』とか『ドラえもん』とか、数は限られている。『ラーゼフォン』だって、夕方の早い時間じゃ社会人は見られない。ビデオ仕掛けるには、私はほかに見たい番組が多すぎる(^_^;)。 畢竟、マンガだけでも読んでおくか、と思ったんだけど、どうもイマイチなのである。時間軸の違う二つの世界の戦争、といういかにも面白い設定を考えていながら、その「時間軸の違い」を生かした展開に全くならないのはどういうわけ? 考えてみれば、片方は世界そのものが「加速装置」持ってるようなものだから、まともに戦えばそっちが勝つに決まってる。これってどうも設定ミスっぽいが、どう収集つけるつもりなのか。 恋人の屍を乗り越えてってドラマ展開も、果たして正義はどちらにあるのかってアンビバレンツも、もうこれまでにたっぷり見てきてるんだよなあ。15年くらい前だったらもう少しノレたかもしれないけれど、今ドキこの程度のお話じゃ、何か新しいものが付け加わらないと、続けて読もうって気にはなかなかなれないんだよなあ。 新作アニメもいいけど、『ルーンマスカー』もどうなってるんだよ、出渕さん。仕事きちんと片付けてから、次の仕事にかかってほしいと考えてるの、私だけじゃないと思うけどね。
マンガ、クレイグ・マクラッケン原作・石川裕人翻訳『パワーパフ ガールズ <DCコミックス版>』3巻(小学館 /ワンダーライブスペシャル・788円)。 コミックス版のエピソードは、アニメの方にはないものばかりってのはアチラのお約束のようだ。おかげで、初登場のプリンセスもギャングリン・ギャングも、以前から何度もPPGと戦ってきたような扱い。このマンガで初めてPPGに出会うお子様たちには(あんまりそんな子はいないと思うが)、不親切この上ない。そのためにコラムでいろいろ解説してくれてるのはいいのだけれど、お子様にはちょっと専門的過ぎ……というか、オタクしかターゲットにしてないんじゃないかな? 今巻も「この話、日本の特撮・アニメで見たような」ってな話がいっぱい。 第一話はいきなり放射能怪獣が海から現れるし(これがハリーハウゼンの『原子怪獣』よりも『ゴジラ』のパロになってるのは、やたらコマ割りで足や尻尾による破壊のカットを見せている点で明らか)、バブルスが巨大化するのは巨大フジ隊員かも(^o^)。アチラにも「巨大女」映画は数多くあるけれど、怪獣ものとのセットになってるエピソードだから、やっぱり「ウルトラ」シリーズの影響の方が強いように思われる。 モジョの「パラノイア光線銃」は『パーマン』からか?(^o^) でもこれは「パラノイア」と言っても不安神経症になるだけだから、違うかも。あるいはさすがにアチラでも「パーになる銃」ってのは出せないのかもね。
マンガ、久米田康治『育ってダーリン!!』A・B巻(完結/小学館/少年サンデーコミックス・各500円)。 久米田康治の普通のラブコメ(^o^)。 サンデーの増刊に連載されてて、どうやらオトナの事情で打ち切りにあってたらしいのだが、新作を加えて奇跡の復活。作者本人は「これはなにかの罰ですか!?」と叫んでるけど。 だってねえ、絵柄的にはともかく、ギャグ的には『改造』『南国』の片鱗も見せない上品さ(ラスト近くにドギツイキャラがちょっと登場するけど)。シチュエーションコメディとしては、小学生の婚約者を理想のダンナサマに鍛え上げようという逆『じゃじゃ馬馴らし』『ピグマリオン』的展開な第1部は少年マンガにはあまり見られなかった設定で、新味があるけれども、第2部の「夫婦であることを隠して寮生活」、なんてのはこれまでに腐るほど同パターンがある。直接の影響は『ストップ! ひばりくん』っぽい。「は〜ん」(←何のことか解説はしない)を期待してた当時の読者は肩透かしを食らった気分じゃなかったろうか。 つまんないかと言われると微妙なところで、「慣れてないな」という批評が妥当なところか(^_^;)。この本で一番、久米田さんっぽいギャグはどこかっていうと、帯と巻末フロクだったりするのは『改造』ファンへのサービスかお詫びか。 ……あ〜、そこのアナタ、帯に「ドラマ化!」とか書いてあめるけど、本気にしないようにね。横に小さな文字で「希望」って書いてあるから。 フロクはA巻が「地丹式ラヴ論」で、B巻が「羽美式ラヴ論」。地丹よう、「そんなの愛じゃないとかいうけれどそんなのも愛なんだよ」とか言ってるからあんな目やこんな目に合うんだよ(-_-;)。 羽美ちゃん、「がんばればがんばるほどあんたの事嫌いになるよ彼」って言ってるけど、私、私のためにがんばってくれる女性に出会ったことないです。「彼」を「彼女」に読み変えるとすっごくキツイんですけど、私に死ねと言うのですか。って、マンガのキャラに人生相談求めてどうするよ(ー’`ー;)。
しげが帰ってくるまで、夜更かし。 具合が悪いのに帰ってきてみりゃ亭主は高イビキってのはヤだろうなと思った気遣いだが、多分しげはそんなことには全く気付いていないだろう。腹の虫抑えに餃子食う。 3時に帰宅したしげ、薬が効いたのか、見た目はそれほどキツそうではない。けれどそのまますぐに寝室に転がりこむから、やっぱりキツイのか。 私は私でパソコンに座って、さて、日記を更新しようかと前を見ると、見なれぬ白い物体が。いや、見慣れないと思ったのは間違いで、先日組み立てて置いておいた「イカデビル」のフィギュアが背中を向けて裏返されていたのだ。 私は触った覚えはなし、しげが落として立て直したときに間違えたのかな? と思って、しげに「おまえ、イカデビル、ひっくり返したか?」と聞いてみた。 しげ、一瞬、間を置いて、弱々しげに「うん」と答える。何やらワケがありそうだ。 「……なんで?」 すかさず叫ぶしげ。 「だって怖いやん!」 ……ちょっと私、コケました。 いや、マジで椅子から転げ落ちるとこでしたよ。 怖いぃぃぃぃぃ? イカデビルがぁぁぁぁぁ? イカデビルってよう、死神博士の正体ということになっているけどさあ、放映当時はなぜ、あの死神博士がよりによってイカなんぞに自分を改造せにゃならんのか、と、ガッカリしたもんだったんだよ(ホントはギルガラスになる予定が、都合で変更になったらしい)。実際、あっさりやられて弱くてよう。 「どこが怖いんだよ! イカだぞイカ! 美味しそうなくらいじゃん」 「背中は美味しそうだけど顔がイヤあ!」 ……そういうもんかなあ、顔を怖くしてる分、スタイルはどう見てもヤリイカなんで、「所詮はイカ」感が強いと思うんだが。 ともかく、ケツ向けてフィギュア立てるのもバカみたいなので、しげによく見える位置にあえて立て直す。この程度で怖がるというのは人間としてダメだと思うからである。 しげは本気で自分の怖がりを治さねばならんと思う。今度、寝入ったときに耳元で怪談を聞かせてやろう。睡眠学習で少しは耐性ができるかも。
深夜、CSファミリー劇場で『ししゃもと未亡人』。 その昔、と言っても昭和62年だからついこの間だが(私はもう、昭和50年以降は「最近」と呼ぶことにしたぞ。文句あっか)、関西テレビ系で『現代恐怖サスペンス』の第一話として放送されたもの。タイトルが全然変わってたから、最初原作がなんだか気がつかなかったのだが、これ、阿刀田高の代表作の一つ、『干魚と漏電』の映像化だったのだね。 引っ越してきた家で、電気代が前に住んでいたときより増えていることに気付いた未亡人が、その原因を調べて、電器屋や役所と交渉・家捜ししていくうちに、謎の電気コードが床下に続いていることを知って……というストーリーなんだけど、驚いたのは、トリックのネタ、冒頭でバラしてやがること(^_^;)。 だからまあ、ミステリーの映像化としては駄作としか言えないんだけど、これが妙に世間では評判を読んでるらしいのだよね。ナンシー関と町山広美の対談本『堤防決壊』でも「すごく怖いドラマ」として紹介されてたし。いや、何がコワイって、たかだか千円程度電気が増えてただけで、その原因に拘る未亡人の偏執狂ぶりに。で、その未亡人を演じてるのが小川真由美だから、演技に説得力があることったら(^_^;)。 わざとネタバレさせたのも、予め結末が解ってれば、カタストロフに向かって一歩一歩近づいていく小川真由美の悲運が際だって、「恐怖サスペンス」になるってことなのかも。 小川真由美以外はみんなチョイ役なんだけれど、これに実にゼイタクないい役者さんを使ってるのもドラマに厚みを加えている。役所の署員に故・小坂一也、近所の魚屋に菅井きん、電気代の集金人に平田満、隣家の主人に三谷昇(小川真由美にハイエナそっくりと陰口叩かれるギャグあり)、電機修理屋に松田洋治、役所の調査員に益岡徹。ああ、ビデオに撮って、しげにも見せればよかった!
2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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