無責任賛歌
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2001年06月12日(火) |
マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか) |
ああっ、更新遅れさせまいと思っていたのに、また一日遅れになっちまった。 だから二日分まとめて書くのはツライってのに。 事情はあとで書くとして、まずは今日の体重。
は、は、84.0キロジャスト!
うおお、減っている、確実に減っているぞ! 当たり前と言えば当たり前かもしれんが、ダイエットの極意は運動することなどではない、「食わないこと」なのだと実感。腹が減って昼はフラフラしてるがもうひと息だ。今月末までに80キロ切るぞ!(マジかよ)
マンガ家の西原理恵子さんのホームページ、『鳥頭の城』で、去年の末から「私の画力って、他のマンガ家と比べてどうよ」という無謀な(^_^;)アンケートをとってらしたのだが、その集計結果の発表があった。 1位 蛭子能収 ………… 17票 1位 しりあがり寿 …… 17票 3位 さくらももこ …… 16票 4位 中崎タツヤ ……… 13票 5位 とがしやすたか … 10票 6位 漫☆画太郎 ……… 8票 7位 けらえいこ ……… 7票 7位 谷岡ヤスジ ……… 7票 9位 吉田戦車 ………… 6票 9位 中川いさみ ……… 6票 わはは。サイバラさん落ち込んだみたいね。間違っても「小畑健」なんて出て来ないものな。死語になっちゃったけど、「ヘタウマ」の流れにある人ばかりだもんなあ。 一般的なイメージとしてはそんなもんかな、とは思うが、ただの絵のうまさとマンガの絵のうまさの違いに気付いてない読者って多いんだなあ、とつくづく思う。 絵画的な意味で絵がヘタでもギャグマンガとしてはそれが魅力になってるって場合が往々にしてあるのだ。 だから、いくら一般的に「画力」があると思われてるマンガ家だって、ギャグが書けるとは限らなかったりする。例えば、大友克洋には逆立ちしたって『まあじゃんほうろうき』は書けない。サイバラさんは自分が自分の絵に相応しいマンガを描いてることに誇りを持っていいと思う。 この中でマンガとしての絵のうまさが今イチ(つまりギャグを絵でいま一つ生かしきれていない)なのは、私見ではしりあがり寿、さくらももこじゃなかろうか。 しりあがりさんはパロディマンガ、模写マンガを描かせたときには、その中途半端に似ているような似ていないような、といったところがギャグの面白さを減殺している。 さくらももこの代表作は『ちびまるこちゃん』ではなく『神のチカラ』だ。あの地に足のついてない絵柄は思い出マンガより不条理マンガの方によく合う。 サイバラさん、「なんでエビスやとがしと同レベルなんだよう」と絶叫しておられるが、谷岡ヤスジと同レベルと見られたことに関してはもって瞑すべしだと思うがな。
西尾幹二ほか『新しい歴史教科書 市販本』読む。 ……困ったなあ、面白いぞ(^_^;)。 とにかく歴史問題に関してはヒステリックに叫ぶ連中や、ちょっと意見を言っただけでネチッこく絡んでくるやつも多いので、閉口してしまうのだが、別に私ゃ右寄りでも左寄りでもないんだけどね。 例えば、南京事件については、全く虐殺がなかったとは思わないが、民間人を三十万も殺せるか、と思っている。でもそういうどっちつかずの言い方してると、右の人も左の人も、一生懸命自分の陣地に私を引きこもうとするのだな。それがイヤなんで、下手に意見を言えなくなってしまうのだ。 この教科書について、例えば「神話が載ってるのは面白いねえ」などと言おうものなら、「皇国史観に基づいた神話を歴史と認めるつもりか!」と左の人が怒ってくるのは目に見えている。 あるいは「安重根の名前がないのはちょっとどうかな」と言ったら、今度は右の人が「テロリストを英雄視する気か!」と突っかかってくるに違いないのだ。いや、安重根を肯定的に見たりはしないけど(だってあの暗殺事件がきっかけで「日韓併合」させられちゃったわけでしょ?)、一切触れないのは変じゃん、と言いたいだけなんだけどね。 実際、何度もそういう無意味なバトルを経験してきているのである。こちらの言うことをこうも勝手に拡大解釈、曲解されるんなら黙ってたほうがいいなって気にもなってくるよ。 でもそこで黙ってられないのが、私の悪いクセなのだろうな。 実際、黙ってると、右の人も左の人も図に乗ってつけあがってくるし。一応、一言「バカ」って言ってやっとかないと、周囲の被害者が増えるばかりなのだよなあ。 一応、この本で評価されるべき点は、その基本姿勢にあると言えるだろう。 「歴史を学ぶのは過去の事実について過去の人がどう考えていたかを学ぶことである」という本書の執筆動機は全く正しい。現代人の常識や感覚で過去の人々の行動にムリヤリ基準を当てはめては、歴史の持つ意味など理解できるはずがない。文化相対主義はタテの時間軸にも連用されねばならぬものなのである。 その点「神話」が盛り込まれていたからと言って、その事実をもってのみ「偏向」と呼ぶのは批判になっていない。「神話」が歴史であった過去は確実にあったのだから。それを否定すること自体「歴史の捏造」にほかならないだろう。 しかし、そういう姿勢で書かれたはずの本書が、その方針通りになりきれてない点があるのはやはり指摘されてしかるべきではないか。 例えば、「神話」をとりあげるのはよいとしても、そこで特にピックアップされているのが神武天皇と日本武尊であるというのはどういうわけか。『古事記』『日本書紀』を子細に研究した者なら理解できることだが、大和朝廷を正当化しようという意図のもとに編纂されたにもかかわらず、日本の神話は「まつろわぬ人々」の痕跡を色濃く残している。 国造りの神ということで言うなら、出雲神話の主役である大国主の扱いが少ないのは明らかに偏向である。日本の国造りを行った実質的人物は彼だということになっているのに。 その程度の偏向は大したことない、という人もいるかも知れない。決して民主主義を否定するものではないからと。 しかし、たとえそうだとしても、この教科書を使って「皇国史観」を生徒に教えこむことは可能なのである。何しろ日清戦争時の「木口小平」までこの教科書では復活しているのだから。 結局は教科書がどうだろうと、「教える者の意志」次第だってことになっちゃうんだよなあ。
夕方6時ごろ、ビデオカメラを借りていたUさんから電話。 「撮影終わりましたので、今からお返しにあがっていいですか?」 「いいですよ」 「じゃあ、ちょっと用事があるんで9時に参ります」 ……え? 今、「今から」って言わなかった? Uさんの「今」ってのは3時間後ってこと? 相変わらずどこかハズしてる方だが、かと言ってまた返しに来る機会がいつになるかわからなくなるのも困るので、どうぞお出で下さいと言う。
以前の日記で、Uさんの要領の悪さについてクソミソに書いてたのだが、どうやらUさん、全く読んでいなかったらしい。私も性格が悪いので、読んだらどんな反応してくるかなあ、と楽しみにしていたのだが、なんの音沙汰もなかったので、ちょっと拍子抜けしていたのだ。 ウチに来るなり、パソコンで件の日記を読んだので、Uさんご立腹されるかと思ったら、「申し訳ありませんでした」と謝られたので戸惑う。 非難されるだけのいい加減なことやっときながら開き直って逆ギレしたウチの職場の上司と比べると雲泥の差だ。人間ができている。 ……困ったなあ、こんなにいい人じゃあ、そうそう悪口が書けないではないか。この日記、基本的に他人の罵倒をネタにするというイヤらしいコンセプトで書かれているにもかかわらず、実際には私自身の小心さゆえに、ごく少数の身内のことしか書けずに困っていたのに。 本人の意志はともかく、しげと藤田くんと桜雅さんとUさんについては何を書いてもいいと思ってるとこがあるのだな、私は(^_^;)。貴重な一人を失うか? でも、「すぐ帰りますから」と言いつつ、夜中の1時まで居座ってたから、もちっと悪口書いててもいいか(^。^)。
世間一般の常識と私の常識とはズレている点もあるだろうから、ここで書いておくが、私にとって他人にかける迷惑、他人からかけられる迷惑というものはどちらも腹立たしくはあるが、否定されるべきものだとは思っていない。 つまり人は人に迷惑をかけずに生きられるはずがないからである。かと言って「どんどん迷惑をかけよう」とは言えないから、私が迷惑をかけたら謝るし、迷惑をかけられたら怒る。注意しなさいとは言う。 ただし、「二度と迷惑をかけるな」とは言わないのだ。 私は他人に無理難題を押しつける気は毛頭ない。
Uさんが帰ったあと、今日は仕事が休みのしげと散歩。 ずっとUさんと喋っていて構ってやらなかったので、しげはちょっと機嫌を悪くしている。 「何話してたの?」 「楽しかった?」 と、しつこい。こういうとき、へたになだめるとしげはかえって拗ねちゃうので適当に相槌だけ打ってあしらう。 え〜、電話でもメールのやりとりでもなんでも、私と楽しく喋ったあとは、必ずしげは私に「私といるより楽しい?」と絡んできますので、ウチに家庭争議を起こしたい人はどんどんメールをください(^o^)。 帰宅したあとさすがに日記を書く元気はなく、そのまま寝る。 しげに一緒に寝ようと誘ったのに(まあ♪)、「一瞬で落ちるくせに」と断られる。 実際その通りなのであった(^_^;)。しげのストレスがたまるのも解るけどしゃあないじゃん。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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