無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月24日(月) 役者や脳/『三谷幸喜のありふれた生活』(三谷幸喜)/DVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』ほか

 書き忘れてたけど、止まってたガス、先週から復帰してます。
 いやねえ、土曜日に西部ガスまで出かけていってさあ、溜めてたおカネを振り込んだんだけどね、なんで三ヶ月も溜めてたのか事情をうまく説明できなくってね(事情もなにも、お金を通帳に入れ忘れてただけだし、別に説明義務もないんだが)、つい、「すみません、しばらく家に帰ってなかったもので」とか、口からデマカセを言う。「家内は今まで一人で、ガスも使わず、どうやって暮らしてたんでしょうか」と肩を落とし、淋しげに俯いて、生活に疲れて家を出たものの、もう一度だけ妻とやり直したいと決意して戻ってきた夫を一所懸命演じる。
 ……脳ミソ膿んでるなー。そんなん演じられたって、係の人も困っただけだろうが(^_^;)。
 私には、特に関わりのない人に対して、こういうその場限りの後クサレのない演技をしてしまう悪いクセがあるのである。
 だって、演技するの好きだしぃ(*`▽´*)。
 これが過剰になっちゃうと、虚言癖にもスライドしかねないから(そういうヒトも知ってるからなあ)、友人や知り合いにはウソはつかないようにしてるんだけど、ついうっかり何かやってないかな。
 まあ、私が言ったり書いたりしてることで、「いくら何でもそりゃウソやろ」って感じるものがあったら、どうぞご質問下さい。多分、9割9分の確率で誇張が入ってます。でも、ここだけの話ですが、私がローマ法王の隠し子だってことは真実なんですよ(^o^)。


 昨日から降り続いていた雨が、今日は大降り。
 梅雨もそろそろ本格的、ということなのかもしれないが、今年はあまり雨続きという印象がない。特に蒸し暑くもなく、かえって寒いくらいなので、夏は案外凌ぎ易くなるんじゃないかと期待する。
 仕事もまあまあのペース。
 昨夜は少し喉が痛かったが、咳が出るほどのことはなかった。ついこの間、風邪引いたばかりだったのに、そうそう連続して引いてられるか。……と思っていたら、同僚が悪い感じの咳してるんだよなあ。
 あれ? なんだか喉がいがらっぽくなってきたぞ。
 ううっ、咳が出てきた。う、移ったのか?
 ……今日は暖かくして早目に寝よう。

 定時に職場を退出。
 しげ、昨日から「米を買いたい」と言っていたので、マルキョウへ。
 ホントは銀行でおカネを卸してから行く予定だったのだけれど、しげの仕事が早いというので、おカネを借りて買い物。
 銀行へは改めて明日寄る予定だけれど、なんだか利子つけて返せとでも言われそうだな。ともかくカネに汚いヤツだから。

 仕事が終わったばかりなので、疲れて黙っていたら、しげが「腹がいてェ!」と叫び出す。
 「……なんだよ、いったい」
 「ストレスが溜まってるから腹が痛いんだよ」
 「何のストレスがあるんだよ」
 「アンタが黙ってるから」
 「オレが黙ってたら、なんでお前のストレスになるんだよ」
 「無言のプレッシャーやん」
 「喋りかけたらかけたでプレッシャーだって言うじゃん。黙ってた方が静かでいいだろ」
 「ジェイソンが黙ってたら怖いやん」
 「誰がジェイソンじゃ!」

 しげは今晩は食事をするヒマもなく午後7時から午前3時まで8時間労働。この時間帯に客が大挙して押し寄せるというのだから、日本人がいかに自然の摂理に逆らってる生活を営んでるかってことなんだよな。

 
 三谷幸喜『三谷幸喜のありふれた生活』(朝日新聞社・1260円)。
 うーん、なんでだろうねえ、三谷さんの芝居自体は好きなほうなんだけれども、エッセイとかナマな文章になると、どうにも読んでて不快になってしまう。
 『気まずい二人』で、「私は引っ込み思案で対談なんて向いてない」とかなんとか言ってた三谷さんだけれども、自分で自分のことを「対人恐怖症」みたいなこと言ってる人間がホントに引っ込み思案なわけはない。タイトルに堂々と「三谷幸喜」なんて謳ってるじゃないの、これがデシャバリでなくてなんだというのか。こういう見え透いたウソには、どうも興醒めしてしまう。
 要するにこの人の文章、「ぶりっこ」なんだわ。なんつーかねー、四十ヅラ下げたオヤジがぶりっこしてたら、そりゃ気持ち悪いのもしかたがないっしょ。

 三谷さんの芝居に出てくるキャラクターは、どんなにオトナなフリをしていても、実際は全く幼稚なコドモである。そのギャグも小学生の学芸会レベルで、それが舞台や映画では、「いいオトナが幼稚なことをしている」ために観客に笑いが生じる。
 でもそれが笑えるのは、そのオトナコドモがあくまで舞台の上のキャラクターだからだ。目の前にホントにそんなやつがいたら、鬱陶しいだけだわな。自分がナマに出てしまう(ように見える)エッセイを読むことは、まさしくそんな「お近づきになりたくないやつ」を相手にしているのと同じことだ。いくら作者がユーモアのつもりで書いていても、読者にしてみれば「どうして小学生の作文で笑ってやらなきゃならんのだ」って気になってしまう。
 松たか子が自分のシナリオを読んでも笑ってくれないって愚痴ってるけど、卑しくも芝居の台本書いてる三谷さんが、演じる役者がいちいち台本読んで笑ってちゃ仕方がないってこと、分らないわけがない。つまり、これもユーモアのつもりで書いてるんである。でもよう、中年男が拗ねてる様子を見せられても嬉しくもなんともねーよ(-_-;)。
 エッセイもまた演技の一つ、役者として書いてるつもりなんだろうけれど、それにしちゃキャラクター造り、間違ってないか。
 けど、これで「三谷さんってシャイな人なのね」と勘違いするバカオンナもやたらといるんだろうから、それはそれで、戦略としては当たっているのかもねえ。

 映画『みんなのいえ』のメイキング本としても読めるのだけれど、役者さんたちに対してはミーハーを演じて見せてるから、映画作りの裏話的興味はイマイチ薄い。せっかく和田誠さんにイラスト描いてもらってるのにもったいないなあ。


 マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘画『眠狂四郎』4巻(新潮社/BUNCH COMICS・530円)。
 うーん、柳川さん、作画は馴れてきたのだろうけれど、狂四郎の無明の感じは全然なくなってきちゃったなあ。
 原作だと、美保代に肩入れするのも、そこに自分と同じ暗い運命を見出してるからだし、祖父・松平主水正への思いも母をないがしろにした恨み、なんて単純なものじゃない。
 これじゃただの時代劇ヒーローものだし、狂四郎が「いいひと」に見えちゃうよ。キャラクターにも少し深みを与えてほしいもんだけど、ジャンプ系の漫画家さんって、そこが一番ヘタなんだよねえ。


 マンガ。細野不二彦『ザ・スリーパー』4巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 次巻で完結ってことで、今巻はまるまる1巻使って一本のお話。
 でもねえ、現実と妄想の区別がつかなくなって破滅する人間ってモチーフは、エドガー・ポーの『黒猫』や『ウィリアム・ウィルソン』のころからずーっと続いてる「怪談」のテーマだからねえ。現代のマンガにリライトするんだったら、もう少しアレンジが必要だと思うんだけど。
 妄想世界で「胡蝶」(「最も純度の高い胡蝶」だから「最胡蝶」=「サイコ蝶」ってネーミングはなんとかしてほしいけど、こういうしょーもないシャレ作るクセ、昔からなんだよな、細野さん)を捕らえれば、現実世界での犯罪者も捕らえられるって設定は、プラシーボ効果をもとにしたアイデアだろうけれど、ちょっくらムリがないか。
 ムリがあると言えば、心清き無垢な精神にしか棲まないはずの「白獏」が、どうしてイマドキなコギャルなうつつにとり憑いてるのか、納得のいく説明がほしいもんだけど。


 夕方、宅急便で待ちに待ってたDVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン ―マットアロー1号発進命令―』が届く。
 ウワサのみは聞いていたけれど、見るのは全くの初めて。大学時代は、まさかこんなもん作ってる同世代の連中がいるなんて、思いもよらなかったものなあ。
 後の鬼才、庵野秀明の監督作と言っても、あくまでアマチュアによる8ミリ作品である。欠点をあげつらっていけば、いくらでもツッコミは入れられるだろう。
 しかし、断言する。
 この「映画」を見て、鼻で笑い飛ばしてしまう人間に、オタクを名乗る資格も映画ファンを名乗る資格もない、と。たとえ庵野秀明自身が「素顔で」ウルトラマンを演じるというとんでもないシチュエーションを目にしても、である。
 あれはこれがアマチュア映画であること表明するための「記号」である。ただの「予算削減」のためのものではない。プロには作れないアマ映画の底力がそこに横溢していることを、一度でも映画を作ってみたことのある人間ならばすぐに感じるだろう。

 冒頭、平和な街の空に輝く隕石の光。
 空を見上げた少女は光に包まれ、次のシーンで、マット隊長のイブキ(演ずるは『快傑のーてんき』こと後のガイナックス取締役・武田康廣)は、冷徹に隊員たちに通告する。「諸君、ヒラツネ市が壊滅した。使者は一万人以上」。
 ……あ、あ、あの女の子、いきなり死んだのかよ!
 『ガメラ2』で仙台市をふっとばすずっと以前に、軽々とアマがそれやってたのだ(まあ、『ガメラ』の樋口真嗣さん、ガイナ出身だけど)。
 ハードな展開はその後も続く。
 隕石から出現した怪獣バグジュエル(これはあくまで地球側の呼称で、ウルトラマンであるハヤカワ隊員は、「キロア」という名前で呼んでいるあたりも芸コマ)を殲滅するため、マットは生き残り住民を無視して核攻撃をあっさりと決定するわ、反対するハヤカワ隊員を強制的に拘束して「キサマそれでも地球人か!」と罵倒するわ、マットを明確に「軍隊」として描いているのもスゴい。
 当たり前だが、「侵略」が行われて、その国に「軍」が存在していれば、まず絶対に敵として排除する方向に動くわな。脳天気な科学者じゃあるまいし、むやみに殺さず捕獲しようなんて悠長なこと考えるわきゃないのである。
 また、地球人によって拘束されたにもかかわらず(監視つきの「自室謹慎」という形式を取ってるあたりがまた、人間のイヤラシサを如実に表している)、宇宙人・ハヤカワが、あくまで自分を「地球人」として怪獣と戦おうと決意する心情は、まさしくオリジナル・ウルトラマンが、ウルトラセブンが持っていた悲しみそのまではないか。沖縄県人・金城哲夫が創造した「異界の者からの視点」。これをまさかアマチュア映画がパロディにすることなく、ストレートに継承していようとは。
 ウルトラファンなら、怪獣ファンなら、SFファンならば、その制作姿勢に諸手をあげて称賛を送らずにはいられまい。そして思うだろう。自分もまたこんな映画を作ってみたいと。
 もちろん特撮も、紙製のセット、小道具を、映像センスでここまでリアルに見せることができようとはもう、感服である。何かと毀誉褒貶喧しい『エヴァ』だったが、その映像センスはやはり称賛に値するものだった。その原点がこの『帰りマン』の随所に散見される。『エヴァ』ファンならばやはり必見だろう。
 期間限定販売ってことだから、手に入れるのなら今のうちだ。7700円くらいかかるけど、製作記録CD−ROMも付いてて、買って損はないぞ。さあ、ガイナックスのホームページから今すぐ注文だ。
 ……けど、これの脚本、岡田斗司夫さんってことになってるけど、庵野さん自身が書いてる公算が大だな。主役の名前がハヤカワケン(=快傑ズバット)になってるところは岡田さんっぽいけど。


 コンビニで手に入れたバンダイの食玩、『仮面ライダーメモリアル 激闘2号ライダー編』の死神博士・イカデビルを組み立てて、パソコンの上に飾る。
 前の1号ライダー編のときは興味を惹かれなかったけれど、今度はなんたって、死神博士ですよ、天本英世さんですよ。似てるようでイマイチ似てない造型はちょっと残念だけれど、悪役ファンならやっぱり欲しくなるよな、これ。
 既に私のパソコンの上は怪獣だの妖怪だのロボットだのアリスだのアスカ・ラングレーだので大変なことになっているが、これからもっともっと欲しい食玩が出てきたらどうすればいいのだろうか。
 この手の「飾るだけ」のモノをコレクションするのが一番しげの気分を害することらしいからなあ。「そんなん集めたって役に立たないじゃん」って言われるけど、物理的なものじゃなくて、心のオアシスってやつだよ、こういうのは。
 少なくとも「癒し系アイドル」とかに夢中になるよりゃよっぽどマシだと思うけど。ヘンな妄想してるわけでもないし。
 あんまり文句つけると、トイレの壁にモー娘。と藤原紀香のカレンダー貼っちゃうぞ。いいのか、しげ。

2001年06月24日(日) マンガ読みのマンガ知らず/DVD『地球防衛軍』ほか



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