2012年11月26日(月) |
君は、僕のためにこそ死にに行く |
総選挙に関する各政党の動き。
日本は米国に明確に間接統治されている、などと書かれた本を読んだ後で、 選挙についてまじめに取り組む気力がどうもわかぬ。
それでも、我々は、選ばなければいけない。 メニューに食べたいものがない食堂で、何かを腹に入れねばならぬ。
それならば、絶対に食べたくない物をはっきりさせようではないか。
私にはそれは、自衛隊を国防軍にするなどと息巻いている軍事化だ。
忘れてはいけない。 以前、それで一度、腹をこわしたことがある。
2010年11月26日(金) 収容 2007年11月26日(月) 幸福な食卓 2006年11月26日(日) 食う飲むところに住むところ 2005年11月26日(土) 世代間男女交代論 2004年11月26日(金) 文芸の話
夕飯時。Hが登頂成功の四方山話を始めそうである。
こちらは、聞かない、誉めない、喜ばないに徹し、ノーモア・ヒマラヤ、の姿勢である。
もう心に決めたことだから、そのように努めている。
2009年11月24日(火) 理不尽な権力を感じる者との対話 2006年11月24日(金) ここに残るということ
H帰宅。疲れ果てている。 けれどもこちらも疲れ果てている。
家は何かあった?と尋ねられ、別に何も、と答える。
2009年11月23日(月) 中年らしいエレガントなプロセス 2007年11月23日(金) 2006年11月23日(木) 2005年11月23日(水) 2004年11月23日(火)
阪田寛夫作詞 山本直純作曲、児童合唱と管弦楽のための組曲「えんそく」。
ラジオで耳にして以来、どうしてももう一度聴きたくて、 探して探して、やっとCDが手に入ったのである。
こんなに心躍る気持ちになれたのは、久しぶりのことだ。
CDジャケットの写真には、直純氏と、その後ろにずらっと並んだ児童合唱団の子ども達がいて、皆片手をあげてオーイと呼んでいるようなポーズ。 何とも愉快である。
何これ?という風のAに、 まあまあ聴きたまえと、したり顔。
2007年11月21日(水) 2006年11月21日(火) 2004年11月21日(日) 善意の総量
本日退院。
赤ん坊は病み上がりと入院のストレスで、すっかり青ざめている。 Yは方々を泊まり歩いて、寂しさが限界に達し、やはり青ざめている。 友達の家で五日間過ごしたAは、気丈に母を支えるが、やはり青ざめている。
私はといえば、「子どもを三人連れて終戦後に北朝鮮から日本へ戻るのよりはまし」といった具合である−今思えば、あの本を読んだのはまさにこの日のためだったのだろう−
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Hの遠征を、安請け合いをするのではなかった。 迷惑だから駄目だと言えばよかった。
青ざめた子ども達を前にして、 Hのライフワークがひどく陳腐なものに感じる。
何がアルパインクライミングだ。
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Hも私も同罪なのだ。
私はほとんどすべての遠征登山を、身内という特別な展望台からみている。
それは面白く、支える甲斐があり、共に歩むに足るものだった。
私は親の責任を放棄して、その展望台から早く登れとけしかけた。
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しばらくは、あの展望台には登るまい。
2009年11月19日(木) something greatとhumanbeing 2007年11月19日(月) 2006年11月19日(日) 2005年11月19日(土) ランディさんと私
熱が下がらないまま、再診、そして予想通り、 医師から五日間の入院を言い渡された。
小児科の入院は、24時間付き添いが必要である。
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Aの月曜日までの滞在先を確保し、 Yは今晩だけ病院に泊めることにした。 必要な荷物をかき集め、朝食の食器もそのままに荒れ果てた家を後にする。
2010年11月15日(月) 幸福の追求と損失 2009年11月15日(日) 家族合宿 2008年11月15日(土) もぬけのから 2007年11月15日(木) 成仏について 2006年11月15日(水) 西陽の幻 2004年11月15日(月) サラリーをもらって戦地へ行く人
赤ん坊の高熱。それだけならばそう慌てることもないのだが、 首のところのリンパ節が梅干しみたいに腫れている。
町医者に、川崎病かもしれないから総合病院で精密検査を、と言われる。 嘘つけ!と思いながら、ネットで「かわさきびょう」と検索する。
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午後の診察を待って総合病院へ。 顔見知りの女医さんが、鼻で笑うように、 色々総合すると、川崎病っていうのはないですね、と言う。
ほれみろ、とひとりごつ。 そうは言っても、高熱とリンパの腫れは半端じゃないので、 要経過観察である。
2006年11月12日(日) 楽興の時と希望の明日 2005年11月12日(土)
秋晴れ。
元外務省国際情報局の局長、孫崎享氏の書いた「戦後史の正体」を読んでいる。
赤ん坊の寝た合間やら夜半やら、もう一カ月以上もかけて細切れに読み進めているから、よく頭に入らないが、どうも内容は非常にショッキングである。
戦後の対米路線は、米国追従か独自路線を主張するかの二つの派があったが、1990年以降、追従派がほとんど主流になり、外交官僚だけでなく政治家も同様、であるということ。
米国にとって都合の悪い政治家や官僚は、米国の指示によりその存在を抹殺され、マスコミも同様であるということ。
この本では、そんなことが、嫌になるほど「この文書にこう書かれている」という証拠付きで示され、著者の思い込みの余地を残さない。 著者の元外務省国際情報局長という立場が、それをさらに念押しする。
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やはりそうだったのか、という思いと、それほどまでにそうなのか、という思い。
どうも怪しいと思っていた恋人の浮気の動かぬ証拠を突き止めたような、 失望と怒りとバカバカしさが入り混じって、青空を見上げるような気分。
まあいい、どうだって。 どうせそんな事だろうと思っていた。
それよりも、過去において、石橋湛山や重光葵のように自主路線を貫いた政治家が確かにいたことが重要だ。私達はそこにこそ注目するべきだと思う。
未来への拠り所にすべき考えや人々が、かえってはっきりしたではないか。
2008年11月10日(月) 夜更けのデッサン 2005年11月10日(木) silent violence 2004年11月10日(水) バーチャル懐古
強行軍をして家に戻ったら、留守番電話。 ネパールから、とぎれがちの国際電話である。
早々に失敗して帰路に就くという連絡か?と思いきや、 ではこれから行ってきます、という部分が鮮明に聞こえた。
これから登るんだってさ、とYに伝えるも、特に感想がない。 寂しくて仕方がないから恐ろしいほど無反応である。
まあ、我々留守番組には関係ないことだ、と同意してみかんなど喰うが、 心の片隅で、私とおそらくAだけは、 今この瞬間にも、あのHがどこかの岩壁にしがみついていると思うと、どこかワクワクするのであった。
2008年11月07日(金) 柿の実を残す 2007年11月07日(水) 2006年11月07日(火) 2005年11月07日(月) 見ざる、聞かざる、言う 2004年11月07日(日) お休みの日の男親は
強行軍がたたって、ダウン。
留守の疲れがたまった上に何やら行事が続き、まったく疲弊した。 もう一歩も動けない。けれどもここに留まることはできない。 ほとんど、藤原ていの心境である。
藤原ていの「流れる星は生きている」と違うのは、ここが北朝鮮ではなく実家だというのに、ということだ。
雨の音さえ優しい懐かしい我が家だというのに、 もう自分の居場所ではない情けなさ。
2007年11月05日(月) 2005年11月05日(土) 2004年11月05日(金) 小春日和
祝いの席。
まったく過酷な旅路を経て、今回の目的である晴れの日が 恨めしいような気持ちになりかけたが、美しい花嫁の晴れ姿をみて、 救われたような気持ちになった。
有難いご縁というものはあるものだなあと、しみじみする。
2011年11月04日(金) 海は誰のものか 2009年11月04日(水) 経験の共有 2007年11月04日(日) 2006年11月04日(土) 2005年11月04日(金) スーパードライ 2004年11月04日(木) 大統領の選び方
やんごとなき理由のため、子ども3人を連れて上京。
乳児と幼児と小学生と大人1名の鉄道の旅は難しい。 今日、堂々と座席を向かい合わせにできるのは、 乗車券をもっている4名様御一行の場合のみである。 我々4名は4名でも、実質2名、割り引いても2.5名では到底分が悪い。
それでも混雑するまでは4人掛けにして様子をみていたが、 車内は徐々に駄目っぽい雰囲気に。
独りで座ってくれるか、とAに尋ねるも、 知らない人の隣は嫌だ、という。 Yに頼むも、母と一緒ならばいいよという、拒否と同等の回答。
かくして、二人掛けシートに、4人がぎゅうぎゅう詰め。 可哀そうに、赤ん坊は押し出されてはみ出しそうである。 なんじゃこれはという様相の客を乗せ、ガタゴト電車は走る。
2010年11月03日(水) 2006年11月03日(金) thin sun 2005年11月03日(木) 出来高ボート 2004年11月03日(水) お家に帰ろう
2012年11月02日(金) |
その教育を受けさせない権利 |
朝のニュース。 内容を一つも逃したくないので、以下にそのまま引用。
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財務省は、文部科学省が目指している少人数学級の実現は必ずしも教育の向上につながらないとして、公立の小中学校の教職員を5年間で1万人削減する案をまとめ、来年度予算案の編成作業では、増員を要望している文部科学省との間で、教職員の定数をどう取り扱うかが焦点の1つとなりそうです。
この案は、財務省が1日に開かれた財務大臣の諮問機関である財政制度等審議会で示したものです。それによりますと、文部科学省が教職員の増員によって実現を目指している少人数学級について、必ずしも教育の向上につながらず、少子化が進んでいることもあって、公立の小中学校の教職員の定数を逆に5年後の平成29年度までに毎年2000人ずつ、合わせて1万人削減すべきだとしています。定数の削減で、650億円の事業費を減らせるとしており、この財源を全国学力調査やスクールカウンセラーなど外部の人材活用、それに財政の健全化に充てるべきだとしています。 一方、文部科学省は、公立の小中学校で1学級の児童や生徒数を35人以下にするという少人数学級を実現するためには教職員を5年間で2万7800人増やす必要があるとして、来年度予算案の概算要求でそれに必要な予算を要望しています。 このため来年度予算案の編成作業では、小中学校の教職員の定数をどう取り扱うかが焦点の1つとなりそうです。
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こんな重大な決定を、「財務省は」などという顔の見えない主体で発表しないでほしい。橋や道路の予算を削るのとは訳が違う。
財務省の誰が、公立の小中学校の教職員を減らせと意思決定したのか。 外部の識者が加わっているだろうから、後押ししたのは誰か。 表に出てきて、自分の口でそれを説明してくれ、といいたい。 もちろん政権与党の民主党は、国民にちゃんと説明するべきだ。
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子どもの育ちを食い荒らしてまで、経済効果や財政健全化を追い求めようと言う浅ましさ、である。 未来への責任放棄もはなはだしい。
こんなことが起きたら、公立の学校教育は決定的に駄目である。
学校というのは今よりも一層、子どもにとって危険で、心身ともに不健康で、得るもののほとんどない環境になり、そんな場所で子ども達は9年間も強制的に集団生活を送らねばならないのである。
「その教育を受けさせない権利」を主張したい。
2011年11月02日(水) スティーブ・ジョブズ以外の大多数 2010年11月02日(火) 2007年11月02日(金) 2006年11月02日(木) 因縁と落とし前 2005年11月02日(水) 記憶に残るもの、生きていくもの 2004年11月02日(火) 避難とは何か
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