2011年11月02日(水) |
スティーブ・ジョブズ以外の大多数 |
米アップル社の創業者である、スティーブ・ジョブズ氏の追悼が止まない。
全世界で、彼の偉業を称え、自分の言葉で語り、その変革に敬意を表する人がいることに、改めて驚く。
今朝も、朝刊には掲載された追悼記事、というよりも彼の業績を解説する記事が掲載され、「使いやすさに付加価値」と見出しがついている。
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性能とデザインは双子の兄弟だ。
いかに高性能を備えていても、それが人の役に立つようにデザインされていなければ、片手落ちなのである。
それでは、その場合の「人」は、専門的な知識を有する人であればよいのか、 それとも、「誰でも」であるべきなのか。
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ジョブズ氏が後者を選んだことは、誰でも知っている。 私が思いを巡らせるのは、「どうしてジョブズ氏以外はそう思わなかったのか」なのである。
マッキントッシュは、技術的にジョブズ氏でなければ発明できなかったのかといえば、それはそうではないんじゃないかと思う。
おそらく、そうしようと思いつかなかったのだ。 コンピュータというのは、専門家が難しい顔をして特別な操作をしなければ扱えないものであってほしいと、願ったのだ。
世界中の、1人ひとりの開発者が、自分の専門家としてのアイデンティティを支えるために、意図せずその性能を囲い込んだ。
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デザインは思想である。あらゆるものについてまわる。スタイルといってもよいかもしれない。
そうだとすると、日本の政治全体にもう長いこと張り付いているデザイン乃至はスタイルというのは、 ジョブズ氏の生み出したマッキントッシュとは似ても似つかない、 私たち「誰でも」にとっては大そう使いにくく、不細工な感じがする。
なんか大そうな性能があるらしいが、よくわからない。 何をどうすれば、自分たちの役に立つのか、さっぱりわからない。 取扱い説明書があるにはあるが、うんざりするほど分厚い上に難解だ。 下手にいじれば、エラーといって文句を言われる。 その上、馬鹿に高価だ。
もしこれが製品だったら、誰も買わないんじゃないだろうか。 そうだから、投票率が下がるんである。
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