ぼんやりと暮らしている。
Hがヒマラヤへ出かけて行って、ちょうど二週間になる。 さみしいでしょうとか大変でしょうとか言われるが、 自分でも恐ろしいほど、何も感じないでいる。
父親の不在を不安がるYが不憫だなと思うことはあっても、 夫の不在についての所感は、なんだかぼんやりしているばかりだ。
面倒をみる子どもの人数が増え、余りにも大変で頭がまわらない、ということなのだろうか。
いや、そうではない。
そして私は多分、こうした心持である、ということを明確にするのを避けている。
だから、大人の知恵として、ぼんやりと暮らしている。
2006年10月30日(月) 権限と必要 2005年10月30日(日) レレレ 2004年10月30日(土) 都市公園事業
Hをネパールへ送り出す。 その足で、山の家へ。
未練がましく実をつけているトマトを引きぬき、 雑草を抜いて、肥料をすき込み、新しい畝をつくる。
新しい畳が敷かれた部屋のようになった小さな畑へ、 冬菜とホウレンソウと小松菜の種をまく。
昨晩小さなYは、明日父はいってしまうのだから言いたいことがあったら言った方がいい、などと姉へ向かって言ったのらしい。
この人の頭の中は本当に変わっている。 否、この年の小さな子どもの頭の中は、と言った方がいいかもしれない。
何しろ、ひと月も遠い国へ出かけるということは、彼にとっては大変な別離だ。
Aはもうそんなことは慣れた、という風にしているが、 小さい弟達との留守を思うとそれなりに緊張しているのが背中でわかる。
私といえば、畑をやりながら、まあ頑張って来給えよと、心の中で小さくエールを送る。
2004年10月14日(木) スピーカーズコーナーで話したことのある人
今年から、近所の音楽ホールの名称が変わっている。 民間企業の冠がついている。 ネーミングライツ、という制度で、要するに施設の名前を売ったのだ。
同じように売られた音楽ホールが別の町にもあって、 地域の名称が入らないからどこにあるのか分からず、親しみも失せた。
*
安易なことをする、と思う。 文化も、名前も、決して金目で売ってはならないものだ。
私設のホールであれば、あるいは運営費の調達によい知恵を出したと思うかもしれない。 しかし、パブリックの施設でそれをやることは、かなり意味合いが違う。
私達は、公私の区別をつけなければならない。
地方自治体の文化施策が、そこまでしなければ維持できないことは、 非常に残念で、情けないことだ。納税者としてそう思う。
地域文化の看板を金で売るようなことをしては、もはやそれは「自治」ではない。
そのうち、駅名、地名や山の名前まで売り飛ばすんじゃないかと思っている。
2008年10月07日(火) 勤労意欲 2006年10月07日(土) 2004年10月07日(木) 大義書き換え上のご注意
安倍元総理を総裁とした自民党が勢いづいている。 憲法改正、集団的自衛権を表看板にあげてはばからない。
結局のところ、我々は、 自民党が如何に危険で嫌か、ということを一旦忘れるために、 民主党を選ばされていたということなのだろうか。
そうだとすれば、あまりにも無念だ。
2007年10月03日(水) 希望アピール 2006年10月03日(火) ヒマラヤ満足 2005年10月03日(月) 炎 2004年10月03日(日) ナガランド州を探せ
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