2009年11月24日(火) |
理不尽な権力を感じる者との対話 |
ラジオの「気になることば」なるコーナー。 今日は、特定の職場内でのみ通用する、いわゆる仕事用語についての説明。
1日を「ついたち」といわず「いっぴ」と呼ぶことや、 出先から職場にもどらずに帰宅することをさす「直帰」「N.R」「らず」なる表現。辞書にあるような本来の意味とは違う使われ方がされているものもある。
興味深かったのは、「政治的判断」という表現。
議論を尽くし、客観性、公平性をもって、という意味かと思っていたが、そうではなく、 「相手との力関係に鑑みて決める」という意味で使われているらしい。
係長は不本意ながらも部長に従う道を選ぶ、ということだ。
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言葉は生き物である。 社会の霞か霧のような集団心理を付着させながら、変化する。
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そう、政権交代しようが何だろうが、「政治的」は未だに「権力的」と双子の兄弟なのだ。
「政治主導」という言葉に込めた民主党の願いや意気込みは、空しくもかように化学変化を起こし、 結局のところ私達は、自民党政権時代と同じように政治に権力を感じている。
否、むしろ政権交代をしたからこそ、それまでのならい−良しにつけ悪しにつけ−が次々とひっくり返される中に、権力を感じるのかもしれない。
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私は思う。
つまり、大きな判断をするのが政治の役割で、それを誰が担っても満場一致の解はなく、 政治に対して理不尽な権力を感じる者は常にいる。そういうことだ。
そうであるならば、その者との対話をどのように継続していくかは、政治手腕の一部に初めからビルトインされていなければいけない。
事業仕分け作業を遠巻きに見るだに、そう思う。
2006年11月24日(金) ここに残るということ
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