九月二日に青森県八戸市で行われた「教育改革タウンミーティング」で、 内閣府が県教育委員会に依頼し、学校関係者に予め用意された発言をさせていた、というニュース。
用意されていた発言は、 「改正案は「公共の精神」などの視点が重視されていて共感している。改正をきっかけに思いやりのある社会の実現を目指すべきだ」というもの。
御丁寧に、なるべく自分の言葉で、とか、せりふの棒読みは避けて下さい、 などという演出指導までついているらしい。
*
けしからんけしからんという思いをしたためようと思ったが、やめた。
迷いようのない、明らかな憤りの出来事でありすぎて、 逆に、私は本当にここで憤るべきなのか、わからなくなってしまったのだ。
人は人に、力でもって言論を強要する。 そういうことがある。
そう言い聞かせた方が−頭からどうやって煙を出すか考えるよりも− 自分の思考が長持ちする。それではどうすればよいかに知恵がまわる。
ある作用がはたらくのなら、反作用がなくてはいけない。 実のところ、為政者達は、この原理を「因縁と落とし前」というかたちで、 いやらしいほど上手に活用している。
2005年11月02日(水) 記憶に残るもの、生きていくもの 2004年11月02日(火) 避難とは何か
|