2004年11月15日(月) |
サラリーをもらって戦地へ行く人 |
何故、ファルージャであんなにも一般市民が巻き添えにされるのか、 考えを続ける。
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アメリカ兵の多くは、貧困層であるという。 動機の一つに、わずかでも「金目」があるとしたら、 これは、国民の傭兵化がなされているということだ。
軍事産業の人的資源として貧困層がマークされ、異国の貧困層を殺させる。 こういう貧困層同士の殺し合いで金を儲ける産業システムができあがっている。
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金で雇われた傭兵に、個人としての倫理的判断を期待することは、 残念ながら無理のように思う。 彼らには自分が生きて帰り、報酬を受け豊かな暮らしをすること。それだけだ。指令官が「殺せ」と言えば、従うだけである。
だから一般市民が、子ども達が、巻き添えにされる。 そしてきっと攻撃した兵隊自身にも、その後の豊かな人生などない。
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自衛隊陸自第四次隊がイラクへ。
自衛隊を辞めらるよう我が子を説得したが駄目だった、という老人の話。 不安の中で見送りをする家人の話。
こういう話は、もう少し報道の正面に据えられるべきと思うが、 そうならないということは、逆から光を当てるようなもので、 タブーであるという事情を浮かび上がらせる。 自衛隊を辞めてしまった人だって、きっといるはずと思うが、 そういう話はとんと聞かない。ジャーナリストも書かない。
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非戦闘地域だの戦闘地域だのの、法の解釈上の問題はこの際どうでもよいとして、 人が人によって大量に殺されている、そういう異文化の国へ仕事で「出張」するということを、 派兵される一人一人は、一体どういう動機でもって決断しているのだろう。 国際協力のため、という謳い文句は、個人レベルで果たしてどれほどなのか。
ただでさえ世論が厳しく分かれる中で、 サマワ行きを決断するに至った、自衛隊員やその家族の つ一つ一つのストーリーは、一体どういうものなのか。 何をどこまで覚悟してのことなのか。
私は、批判するでも賞賛するでもなく、 純粋にそれを聞かせてもらいたい、彼らに自分の言葉で話してもらいたい、 と思うのである。
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