学校給食法の改正に関するニュース。
法の目的を、栄養補給から食育に大幅変更するのだそうである。
息抜きでもある給食の時間にまで「教育」が押し寄せて、 子ども達は息苦しいだろうなあと案ずる。
教育・学習と銘打つものは、すべからく意識的に運ばれる。 意識的であることは、不自然だが、決して悪いことではない。 分野を問わず何かを自分のものにする時、この道は避けて通れない。
けれども、食べるなどという人間として当たり前のことを、意識的・意図的に運ぼうというのは、 私にはどうしても合点がいかない。
人間として当たり前のことは、自然の内に身につけるのがふさわしい。 私達はプログラミングされる機械ではない。
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もう少し言うと、 食べ物や食べる行為は、その安全性もさることながら、 もう少しその人間性を回復したらいいと私は思う。
人間らしく、人間としての食事をする。 他者への信頼と親しみを深め、自分は孤独ではないと実感できる食事をする。 今日を明日へと生きてほしいという他者への願いとともに、食材を調達し調理し供する。
そのことはきっと、私達が幸福であるとはどういうことかについて、 −それは、既に求めることすら忘れてしまったもののように思える− もう一度、考えるチャンスになると思うのだ。
クリスマスの食卓までにはまだ時間がある。きっと間に合うだろう。
2006年11月26日(日) 食う飲むところに住むところ 2005年11月26日(土) 世代間男女交代論 2004年11月26日(金) 文芸の話
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