2006年11月12日(日) |
楽興の時と希望の明日 |
「楽興の時」で始まる、音楽の泉という番組。 ささやかな日曜日の楽しみなので、時間を見計らってラジオをONにする。
長く続いている番組だし、始まりのこの曲もずっと変わらないせいか、 これを聴くと、どういうわけか子どもの頃を思い出す。
建直す前の古い家の、薄暗い部屋にあるピアノや、ゴブラン織りのカバーや、 その上に置かれた、教本−おそらく母が子どもの時に使っていたものだろう−の黒い表紙などが、ぼんやりとうかぶ。
そのすべては、自分にとって、有史以前の出来事であったのだ。
ということは、今日、一家揃ってラジオに耳を傾けるこの冬の朝も、 やがてAにはおぼろげな記憶となるのだろう。
小さい子を育てている親の姿など、−自分もそうであるように−、 しょせん儚い情景になる宿命だ。
それでもいいやと思う。またそうならなければいけないと思う。
Aがそうして幼い日を思い出すその時に、鮮明な希望の明日があるのならば、 おぼろげなものはおぼろげなままでいい。
2005年11月12日(土)
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