浅間日記

2011年04月29日(金) 東日本大震災 原発事故の因果関係

衆議院予算委員会。

原子力発電所の事故は、天災か人災か。
第二次世界大戦時における天皇責任のような議論になっている。



東京電力の行方は、既に、というか今さら確認するならば、
東京電力だけのものではない。

東京電力の株をもっている人達が、運命共同体である。
本来は安定しているインフラ企業だから、ふってわいた災難である。

銀行も、東京都も、外国人も、経済大津波に襲われ、
何もかも失いかけている間際で、必死に助かろうとしている。

東京電力が沈没しないためのロジックをどうすれば作れるか。
それができそうな政党や政治家は誰か。



投資というのは、大変な因果を含む。

誰かが儲かってよかったね、という他人ごとの話ではすまない。

投資は、社会に何らかのインパクトを与える行為である。
いわば薬を服用するようなもので、否応なしに私達はそれに巻き込まれる。

もちろん良い影響だってあるだろう。

ただ、悪い方向に投資が暴走すれば、科学的現実を捻じ曲げ、
道理を引っ込め、力づくで世論を形成し、不都合を無視する。




原発事故について、正体不明の悪者を炙りだすのは空しい作業だ。
結局のところ、特定できる何者かなど存在しない。

紐解いていかなければいけないのは、因果関係だ。

意思決定あるいは黙認のシステム、利害関係、マスコミュニケーション、
そして、ひとたび動き出した政策を国民の世論で止めるシステムの不在。

原発事故だけではない。
戦争、ハンセン病、この因果関係で物事が暴走した例は過去にいくつも例がある。
現在進行形でも、封じ込められているものだってきっとある。

どうしたら、私達は同じ轍を踏まずにすむのだろうか。

2005年04月29日(金) 春も静かに飲むべかりけり
2004年04月29日(木) 気の抜けたビール



2011年04月28日(木) 東日本大震災 震災復興構想会議

政府の「東日本大震災復興構想会議」は2011年4月14日、首相官邸で初会合を開いた、というニュース。



景気が低迷し、内需拡大が叫ばれる中で、今回の地震は発生した。
そして、復興という名の下での、官需の大発生である。

なんとか総合研究所の類が、ゼネコンが、医薬品会社が、通信会社が、
建設機械メーカーが、霞ヶ関に押し寄せる。

情報をとって、実績をつくって、「その発注」に食い込もうとする。

被災地に対する眼差しは、災害初期の頃に取り戻した人間性を失って、
もう、利益を至上命題とする、企業のものに変質している。



もちろん、今こそプロフェッショナルとして腕を振るう時、というのもある。
その気概を悪く言うつもりはない。

けれども、繰り返すが、私達は内需拡大が叫ばれる経済状況の中で被災した。



被災地の瓦礫の撤去の目処も立っておらず、住民が困り果てているのに、
よそ者がそこへ勝手に十年先、二十年先の図面を引いたり、金をはじくのは不謹慎だ。

せいぜい、今の段階でよそ者がやってよいのは、一次復旧程度と思う。
不便のないように。清潔で快適であるように。離れ離れにならないように。

豪華絢爛な都市やインフラは、ほんの一時は被災した人々の自尊心を満足させるが、その後はただ人心を荒ませるだけであり、不要だ。



まだ一ヶ月半しか経っていない。
「何もかも失う」ことの意味を本当に知るのは、これからなのだ。

一つひとつ、ゆっくり元にもどしていくより他に、道はない。
次世代に託さねばならないことも、沢山あるだろう。
でも、命の助かった子ども達はきっとやってくれるだろう。



土足であがりこんでくる目先の復興に惑わされてはいけない。

そのことを、経験をもって東北の人々に伝えられるのは、
阪神淡路大震災を経験し、その後の真の復興に苦労した市民だけである。

復興支援は、東北の自治体や企業、市民が自分達で再び街をつくりあげるのを後方で支えるような、そんなあり方であってほしいと思う。

2009年04月28日(火) 作為の真相
2007年04月28日(土) 
2005年04月28日(木) ファンファーレ
2004年04月28日(水) 奴らの足音のバラード



2011年04月25日(月) 東日本大震災 菅直人首相

統一地方選での民主党敗北を受け、同党内では25日、菅直人首相や岡田克也幹事長の責任を問う動きが加速した。小沢一郎元代表を支持する勢力は、執行部を追及するための両院議員総会の開催を要求する構え。首相は政権維持に強い意欲を示しており、党内対立は激しさを増している。と言うニュース。



菅直人首相が酷評されている。
しかし、どうもその理由がよくわからない。

もちろん、民主党内の醜いお家騒動は論外であるし、
別に菅直人を特別に贔屓するつもりはない。
短気な人間はどちらかというと敬遠したい方だ。

しかし、地震が起きたのも、津波が襲ってきたことも、
福島第一原発の非常用ポンプを海沿いに配置したのも、彼のせいではない。
悪いことをした人、被災の原因をつくった人という評価は違うように思う。

その上で、緊急事態対応において彼が責めを負う決定的な対応のまずさがあったとしたら、
それは何か、またそのことによる影響は何だったのか。




こうも酷評されていると、
人の運命としても、多少のシンパシーを禁じえない。

東北地方の子ども達が「津波の子」「原発の子」であるならば、
菅総理は「津波総理」「レベル7の総理」である。

子どもの頃から「将来は首相になる」と抱負を語っていたそうであるが、
まさか、こんなかつてない国難を背負うとは思っていなかっただろう。

孤独である。前例はない。後藤新平だって原発事故は経験していない。




菅直人首相の良し悪しは別として、私は、
今が自民党政権でなくてよかったと思うのである。

そうであったならば、今よりもっと多くの事実が内々にされ、
事故の進行もより粉飾され、民意はさらに誘導されていたと思う。

自民党は、鉄腕アトムをこしらえた天馬博士みたいなものだからだ。

2007年04月25日(水) wilderness
2006年04月25日(火) 家なき鯉
2005年04月25日(月) 都市の影
2004年04月25日(日) 



2011年04月24日(日) 東日本大震災 津波の子 原発の子

東京電力福島第一原発の事故を受け、文部科学、厚生労働両省は19日、保育園や幼稚園、学校活動での放射線量の安全基準を発表した。

内閣府の原子力安全委員会によると、基準は、児童生徒の年間被曝(ひばく)線量の上限を20ミリ・シーベルトとし〈1〉現在の放射線量が今後も継続〈2〉1日の屋外活動は8時間〈3〉残りは木造家屋内で過ごす――との想定で算出した。年間20ミリ・シーベルトは計画的避難区域の設定基準と同じで、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を基にしている。

というニュース。



年間20ミリシーベルトというその基準は、感受性の高い子どもに適用するにはあまりにも高すぎるという声があがっている。


子どもを公園で遊ばせられない、と不安がる母親のコメント。
原発被害地域に暮らす幼子や小学生の写真を見るたび、苦しい気持ちになる。





津波の被害地でもそうであるが、東北の子ども達は、これからは国の宝だ。

50年後あるいはそれ以降まで、「生き証人」として千年に一度といわれる規模の地震そして津波の経験を語ることができるのは、世界中でこの子達だけなのである。

100年後の子孫達が、長老となったこの子ども達の話に、真剣に耳を傾けるだろう。
上手くいけば、次の大津波に遭遇する子孫達へ、じかに経験と戒めを伝えられるかもしれない。



人間の経験は、総合的に、感情を伴って記憶され、物語性をもつ。
それは、100年、200年といった時の流れに伴う風化に対して強靭な耐久性をもつ。

映像記録がどれほど優れていても、解析技術が最新化されようとも、
実際に見聞きした証言以上に説得力のあるものはない。


津波が襲ってきてどんなに恐ろしかったか、どこをどうやって逃げたのか、
家族や友達はどうなったのか、避難所でどんな暮らしをしていたのか、
誰とどんな会話をしたのか。




原子力発電所の事故も同様である。

そうだから、原発から何キロだの、計画的避難区域だのの指定にかかわらず、状況で変更される国の基準などあてにせず、高い濃度の放射性物質が検出された地域の子ども達は、生き続けることを最優先にして、遠くへ逃げてほしい。

逃げのびて、必ず生き続け、成人し、家庭をつくり、子や孫を残していってほしい。

そして、小さい頃に経験した、全世界を震撼させたこの未曾有の事故の経験を、
膝の上の孫に語るじいさんばあさんになってもらいたい。




自治体や地域に暮らす親の集団しか、もう子ども達を守れない。祈るような気持ちでいる。


2006年04月24日(月) コンセンサス



2011年04月21日(木) 東日本大震災 目に見えない恐怖

本日上京す。

車中にて。ちくま新書「内部被爆の脅威」を読む。


仔細は省くが、放射性物質の人体へ及ぼす危険性は確実に存在すると書いてある。


次に、キオスクで購入した、週刊文春の最新号を読む。

「放射能に勝つ「食材」「水」−細胞生物学の権威が緊急報告」という記事。

こちらはうって変わって、放射線被ばくというものについて、至ってカジュアルに書かれている。放射性物質は身体から勝手に排出される?

ピロリ菌とどのぐらい深刻さが違うのかわからなくなるほどだ。




車窓の桃の花が広がる風景に目をやりながら、嘆息す。

どうしてこうも、原発や放射性物質については、天と地も違う見解があるのだろうか。


「安全」は「危険」を馬鹿にしてせせら笑い、
「危険」は「安全」を悪者に仕立て上げる。

すでに実用化されて何十年も経ている科学技術を取り巻く感情として、
なんかおかしいと思うのである。

我々は、専門家ですら実用化可否の合意ができていない技術の、恩恵だけ先取りしている。




ではどうしてそのように実用化できたかというと、
「安全」はオーソリティであり続け、「危険」はマイノリティでありつづけたからだ。


「安全」の主張は学校の副読本になっており、「危険」の主張は、失礼ながらほとんどは聞いたこともない出版社から出ている。
「安全」の活動資金は潤沢であり、「危険」は市民カンパから成り立っている。

「安全」は、リスクやそれを案じる声をignoreし、科学的事実や過去をignoreし、
反対の立場の人を徹底的にspoilし、記録をfakingし、オーソリティであることを増幅させながら、
何かひとつの方向へ、バッファローの大移動みたいにつきすすんだ。




誰がそれを指示しているのかは誰も知らない。ケネディ暗殺の計画みたいに。

ただ、一人ひとりにとっては、立身出世の前に、
明確なタブーと、絶対に許されない失敗が存在するだけなのである。


その目に見えない意図による引力の構造こそが、
私には放射性物質よりもはるかに気味悪い。

2009年04月21日(火) 
2007年04月21日(土) フィルハーモニー
2006年04月21日(金) 
2005年04月21日(木) 魔法の鏡日記
2004年04月21日(水) 修繕・トマト・夜道



2011年04月19日(火) 東日本大震災 過度な自粛への牽制

消費せよ、復興のために!というスローガンが街をいく。
「過度な自粛は控えよう」とメディアが強調する。

自粛という言葉に違和感を感じる。
その上、ヒステリックに繰り返される喧伝に
「消費強制」の気配すら感じてうんざりする。



立派な家を建てても、高級な車を買っても、ぜんぶ津波がさらっていった。

私達が共有する心境は、「過度な自粛」などではない。
「そんな気になれない」という、極めて能動的な心の発露なのだ。

無理やり財布をもたされ、首根っこをつかまれて、店頭に連れて行かれるいわれはない。



何事もなかったかのように、今までの消費生活を繰り返す気にはなれない。

けれども、一方で、今回の震災やこれまでの自然災害をとおして、
私達は、お金は意思の表れとして「役に立つ」ということもわかった。

人を支えたい、地域の力になりたいという気持ちを、購買行為で実現できるならそうしたい。
その誠意は正当なもので、尊いものだ。



だからこそ思う。
お金を大事にしなくてはいけない。無思考に消費してはだめだ。
氏素性のよくわからないものにお金を渡すのは危険でさえある。

商品を買う時に支払ったその金が、誰の手にわたりどう役立てられるのか、よくわからないものは、極力買わないことだ。お金がもったいない。
今ならできる。

そして、叶うならば、自分のお金が、大きな経済を動かす一滴になるのではなく、
顔の見える地域の誰かを支えるいくらかになる、と実感できる買い物ができたら、それは嬉しいではないか。

被災地の産品を買う人達の、その心境のように。

2010年04月19日(月) あなたの言うことはまったく事実だと思うが、別に何とも思わない
2007年04月19日(木) 
2006年04月19日(水) 
2004年04月19日(月) 駄考の日



2011年04月14日(木) 東日本大震災 健康被害

被災地の瓦礫の撤去作業を、地元住民を雇用して実施する、というニュース。
以下詳細。記事にはないが、日当七千円だそうである。



釜石市は11日、東日本大震災の復旧に伴う緊急雇用2 件対策として、被災者を対象に市内で約千人の雇用を創出する方針を明らかにした。事業所の被災により解雇された住民も出てきており、がれき撤去2 件や仮設住宅設置の業務に従事しながら、市が復旧期と位置付ける今後2年間の雇用を確保。14日からの民有地のがれき撤去を手始めに、関連の企業・団体に協力を働き掛ける。

*

民間団体が、被災地の大気中に飛散するアスベストについて調査をしたというニュース。4月10日にNHKニュースで報道された。
以下詳細。



被災地でがれきの撤去が進むなか、建材に含まれるアスベストが健康に影響を及ぼすおそれがあるとして、宮城県南三陸町で、空気中にどの程度飛散しているかなどについての調査が行われました。
この調査は、新潟県中越地震などでもアスベスト調査を行ってきた民間団体の担当者や医師など合わせて6人が行ったものです。調査は、南三陸町中心部の志津川で行われ、住宅が壊れてがれきの山になっている現場では、アスベストを含む壁などの建材が次々と見つかりました。アスベストは耐火性が求められる建物に使われることが多かったということで、海岸近くのガソリンスタンドでは、鉄骨の柱に吹きつけられたアスベストがむき出しの状態で残されていて、担当者が分析のために採取していました。このほか、専用の機械を使って空気中に含まれる粉じんの量の測定も行われ、分析結果は今後、町内の避難所に届けたいとしています。調査をした中皮腫・じん肺・アスベストセンターの永倉冬史さんは「津波で想像以上に建材が粉々になっていました。がれきは、撤去作業や処分場への運搬の際、さらに、一定期間野積みにされていても、細かく粉砕されて粉じんが広範囲に及ぶおそれがあるので、防じんマスクを着用して身を守ってほしい」と話していました。


*

環境省が、同じく被災地のアスベスト調査に乗り出したと言うニュース。4月13日から開始したと、14日のNHKニュースで報道された。以下詳細。



環境省は東日本大震災の被災地で出たがれきなどからアスベストが飛散して健康に影響を及ぼすおそれがないか、13日から福島県で調査を始めました。
古い建物には健康に影響を及ぼすアスベストが使われていることがあり、平成7年の阪神・淡路大震災では、倒壊した建物からアスベストが大気中に飛散したケースが確認されています。このため、環境省は今回の大震災について調査することにしたもので、13日は福島県郡山市の災害廃棄物の置き場で、民間の業者が山積みになった廃棄物の風下で空気のサンプルを採取しました。環境省は今後、福島県と宮城県の廃棄物置き場や避難所など15か所程度で、空気に含まれるアスベストの濃度を測定し、早ければ今月下旬ごろに結果を公表したいとしています。調査に立ち会った環境省の山口久雄係長は「本格的なアスベスト調査の第一歩として郡山で調査をした。しっかりとアスベストの対策をして、一日でも早い被災地の復興に協力したい」と話していました。




件のニュースでは、民間団体がアスベストの飛散状況の調査を始めため、環境省は慌てて後に続いたようにも思われる。


国や大企業は確かに大きな金を使って大きな行動を起こすことができるが、
志と技術のある個人やそうした人々の方が、コンパクトではあっても、はるかに迅速で的確な行動を起こせるようになっている。





アスベスト(石綿)は、髪の毛の五千分の一という細かい繊維で、
吸い込んで肺に突き刺さると、悪性中皮種を引き起こす。
アスベストを含んだ建築物を解体する時は、厳重に飛散対策をし、
作業員は防護服、防塵マスクを着用しながら作業にあたることが法律で決められている。

そんなものがむき出しになっている瓦礫の撤去作業を、
被災地住民を雇用して作業させるなどというのは、あまりにも危険だ。

なんか美談のように報道されていたが、即刻やめた方がいい。




被災地の健康被害の危険は、放射能汚染だけではない。
それから、件のアスベストだけでもない。


沿岸部には、漁船の燃料である重油タンクが沢山あり、津波で殆ど流された。また化学工場では厳重保管されているPCBや毒劇物が、おびただしい量で外部へ放出されているはずである。瓦礫の中に混じったボイラーや焼却炉からは、ダイオキシンも検出されるだろう。

さらに東北地方というのは、有害物質を含む産業廃棄物を埋め立て処分する最終処分場が集中しているところなのである。
こうした施設が、今回のような大規模な地震に耐えられているだろうか。




こうして差し迫った問題について具体的に色々な心配をしていると、
地球温暖化というリスクは、実にメルヘンチックなものにみえてくる。

百年待たなくたって、IPCCが勧告しなくたって、
私達はもうこのように、存亡の危機に立ってしまっている。

2009年04月14日(火) 孤独と雨と風景と
2005年04月14日(木) コミュニケーション原点回帰
2004年04月14日(水) made in Japan



2011年04月13日(水) 東日本大震災 救済のリーダーは

こうした出来事が起きると、
孤独な自営業者は、仕事が尻に火がつくまでラジオ、新聞、ネットの情報をかき集めてしまう。

ということで、本日は、まず、長々とした引用記事から始まる。



 【ワシントン時事】米有力シンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」は11日、日本経団連と共同で、大震災に見舞われた日本の再建に向けた日米協力の具体策について提言する有識者会議「復興と未来のための日米パートナーシップ」を設置すると発表した。20日に初会合を開く。
 米航空宇宙・防衛最大手ボーイング社のマクナニー会長兼最高経営責任者(CEO)が座長を務め、アーミテージ元国務副長官、ハムレCSIS所長ら知日派の大物が加わる。キャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)もオブザーバー参加する。
 当面は災害救助・防災、マクロ経済・財政、エネルギー、同盟に基づく協力など6分野で議論を進め、今秋に報告書をまとめる。



北海道東北地方知事会は11日、都内で臨時会議を開き、震災後の経済・雇用対策などを盛り込んだ政府への要望をまとめた。省庁を横断した復興支援機関「東北復興院」(仮称)の創設も提案。会議後、枝野幸男官房長官や民主党の岡田克也幹事長らに要望書を手渡した。




引用終り。

付け加えると、
日本経団連の会長という人は、先月、福島第1原発の事故について
「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と発言して物議をかもした人物である。
また東京電力に対して、原子力損害賠償法に基づく免責適用を訴えている。

アーミテージ元国務副長官に、そう言えと言われたのだろうか。




災害で生活基盤を全て失った人が万人単位で発生している。
その一部は、放射能により、故郷を半永久的に失いつつある。

これらの多くの人々の健康、衣食住、安全を確保し、
さらに新たな諍いが起きないようコミュニティを安定させ、
新しい故郷と未来を用意しなければいけない。

そのためには、刻々と変わる状況に対して、臨機応変に対応していく必要がある。
目標管理型の進行をする段階ではないのである。

否、そのような表看板だけの予定調和的なメソッドを捨てられるかどうかが、
今回の震災で私達に問われていることなのだ。



臨機応変な対応の舵取りは、米国の「圧日派」や、日本の商売人や政治家は不向きだろうと思う。

救済のリーダーにふさわしいのは、例えば緒方貞子さんのような、
行き場を失った弱い人々の、悲惨さや修羅場を熟知し、
かつ、その実績をもって国際社会で信頼される人物ではないだろうか。

2010年04月13日(火) 投資する者が口をはさむことは
2009年04月13日(月) シェア
2006年04月13日(木) ニュースと文脈
2005年04月13日(水) 花ざかり
2004年04月13日(火) 阪神ファンじゃないのに道頓堀に飛び込んだ人



2011年04月12日(火) 東日本大震災 余震という呼称

震災から一月の節目に、大きな余震発生。

今回のような百年に一度という規模の地震においては、
本震に続く揺れについて「余震」の概念を適用してよいのだろうかと疑問に思う。


確かに地震学の領域では、初めのインパクトに起因するものだから、
「余った揺れ」になるのだろう。

でも、「揺られる側」の人間には、因果関係ではなく大きさが重要なのだ。

だから、揺られ側からいうなれば、これは、「第二震」「第三震」とでも言うものであり、それぞれに「余震」がぶら下がっていると理解した方が、
注意を喚起しやすい。

そして当然、インフラ復旧着手のタイミングも、この第二震、第三震を見据えて、元の木阿弥にならないように注意する必要がある。
人命はいわずもがなだ。



いたずらに復興を急ぐのは、せっかく高台に避難した人が、
津波の第一波と第二波の間に家に帰って被災するようなものだ。

日常という「家」には、まだ戻ってはいけない。我慢のしどころだ。



自然の力は人智を超えている。
特に、今回のようにそれが顕著になった時は、人間の常識的なタイムスパンを放棄して、地質年代の時間軸で様子を見ることだ。

2010年04月12日(月) 心がふるえる風景
2009年04月12日(日) 聴く阿呆
2006年04月12日(水) 
2004年04月12日(月) マンガさん



2011年04月11日(月) 東日本大震災 涙の流れるままに

3.11東日本大震災から一月経過する。

頑張ろう、元気を出してというメッセージは、
今日は少し横においておきたい。



地震、そして大津波という未曾有の自然災害に遭遇し、
東北地方を中心にして、日本人が考えられないぐらい沢山、死んだ。

老人も、若者も、子どもも、男も女も、涙を流して悲しんだ。

故郷を遠く離れて久しい人だって、震災で損なわれたふるさとを思い男泣きした。
救護に駆けつけた看護士も、職務上涙を禁じられつつ、被災者と涙を共にすることをやめられなかった。

テレビを見ながら、ラジオを聴きながら、ネットに接続しながら泣いた。
声をあげて、あるいは声も出さずに、崩れ落ちて泣いた。

親を失い、子を失い、夫や妻を失い、
船を失い、農地を失い、未来を失い、涙にくれた。

市民も泣いたが、権力者も泣いた。
東京電力の人だって、記者会見で泣き崩れた。

社会での枠組みをはずれ、一人の小さな人間として、
大変なことが起きてしまったと自覚し、悲嘆にくれた。



悲嘆は、何度も押し寄せる。あの津波のように。


命日の度、一周忌、そしてその後の祥月命日の度、悲しみは蘇る。
いずれ被災の話は子孫に伝わり、その子孫も涙を流すだろう。

それはもう、仕方がないし、悲嘆する時は涙すればよいのだ。




人は人として被災する。
他の生き物も多く損なわれたが、
被災を自覚し、涙を流して悲嘆するのは、おそらく人間だけである。

2007年04月11日(水) 改心日記
2005年04月11日(月) 不売運動



2011年04月10日(日) 東日本大震災 熱心に復興を語る人達

「大震災から一ヶ月どうなる日本経済」と題した日曜討論。



10年だけ東北を支援してやるが後は自力でやれ、という発言。
まるで患者が入院した日に退院期日を宣告するようなものだと思って聞く。

米国ではスリーマイルで今も原発が稼動している。極端な原発反対でなく大人の対応を、という発言。
米国では件の事故以降、新たな原発を建設していないという事実が欠落している。
原発に対する市民の不信感、拒絶反応を、完全に甘く見ている。

こんな時だからこそ改革改造を止めてはいけない、TPPを推進するべきだ、という発言。
震災で国という建物が壊れてもただ決められたとおりに動き続ける、機械仕掛けの人形のようである。



うんざりしながらもラジオに耳を傾けたのは、内橋克人氏の発言が唯一の救いだったからである。

あんな面子の中でよく、正しいことを正しいと、間違っていることを間違っていると、視聴者に伝わるように発言されたと敬意を表する。



今回の震災と原発事故によって甚大な被害があり、そのうちのいくつかの事象は、もう経済や環境に取り返しのつかない結果をもたらしている。
内橋さんは、まずそのことを再確認した。誰も反論できない。

次に、被災地の復興は、阪神淡路大震災の経験を踏まえて、
まず被災者の人心の復興に一番に取り組まねばならない、とする。
災害弱者を後回しにしないこと、大手ゼネコンが儲かるだけの方法でインフラ整備をするなと釘をさした。

さらに、危険は去っていない、と警告する。
福島第一原子力発電所はもちろんのこと、地震に関しても東京湾北部の直下型地震、東海、南海地震の時期が早まったという見方が強まっている。
原発を継続するために詭弁を弄している場合ではない。



政治家や御用学者は、震災や原発事故を、自前の政策や持論展開の口実として利用しようとしている。

でも私達は、この「プレートの歪みの解放」によって現れた割れ目から、
国家や政治が「存在しないこと」としてきた色々な欺瞞や情報誘導のやり方を、もうわかってしまった。
日本に起きた重要なことはNew York Timesを読まなければわからないということも、実感した。

そうだから、放射能と同じぐらい、封じ込めに躍起になっている。

2007年04月10日(火) 
2006年04月10日(月) TGF-βとの嫌な出会い
2005年04月10日(日) 団塊の国
2004年04月10日(土) 



2011年04月08日(金) 東日本大震災 新聞と自治

福島の地方紙を購読してみようか、という酔狂なことを考えた。
マイ被災地支援、である。

わざわざ紙で購入しなくても、地方紙のサイトで情報はひろえるし、
面倒くさい資源ごみの量も増える。
しかも、県外配送は翌日配達だから、情報としては古くなっている。

でも、そんなことはかまわないのである。



地方に暮らしているとよくわかる。

地方紙というのは、その地方にとっての誇りであり、自治であり、文化であり、歴史なのである。

被災地で、地元の記者が実態を取材し、発信し続けてもらうために、
経営を少しでも支えたい。

それに、全国紙が書かない意外な情報だって手に入る。



県内の主要な新聞は、福島民報がNo.1で、次いで福島民友というのがあるらしい。
いずれも、明治以来から、福島県の自然、産業、文化、政治をみつめている新聞社だ。

どちらも送料込みの購読料は月々4,250円で決して安くないのだが、
自分の新聞図書費をあてることにして、福島民報を三ヶ月だけ申し込んだ。
しばらくの間、CDも我慢だ。



福島以外では、宮城県は河北新報社、岩手県は岩手日報社と岩手日日新聞社、などがある。

2010年04月08日(木) 標準化の対極
2007年04月08日(日) 放棄狂
2006年04月08日(土) 
2004年04月08日(木) 無言の圧力



2011年04月07日(木) 東日本大震災 封じ込め

「総務省は、本日、電気通信事業者関係団体に対し、東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語について、各団体所属の電気通信事業者等が表現の自由に配慮しつつ適切に対応するよう、周知及び必要な措置を講じることを要請しました。」と言う文言からなる4月6日付けの要請。

マスコミ等から、言論統制だという批判を受けている。



この国は識字率が高く、人によっては母国語以外の言語に堪能で、
書籍やインターネットによる情報収集の手段も学習している。


日本人の教育水準の高さや勤勉さが、今回のこの国難を生き延びる一助になっていると思っていた。


私達は、誰からも指示されなくても、各種文献資料を調べ上げ、
縁遠かった放射線障害や原子力発電設備のアウトラインを素早くおさえ、
ドイツやノルウェーのサイトから放射性物質の拡散予想をみて、
「本当に起きていることは何か」「どうすればよいのか」「世界はどのように評価しているのか、そして、
「どこの情報にバイアスがかかっているのか」までおおよそ調べ上げ、共有している。

みな、新書の一冊とはいわなくてもちょっとした記事ぐらいは書けるほど、もう色々知っている。

けれども、その結果、誰も異常な混乱など起こしていない。

文部科学省の情報公開に対する態度や、東京電力や政府の安全性に関する対応の遅さに苛立つことはあっても、である。

だから、どうもそこが気に入らないのだな、と誰もがまた思う。
できることなら、中国のように、海外からの不都合な情報も遮断したいのだろう。



今、さっさと封じ込めなければいけないものは、燃料棒、そして放射性物質である。

長引けば長引くほど、人心は荒廃する。
どんなに緘口令をしいても、隠し事は明らかになる。

間違えないでほしい。

2010年04月07日(水) 春の嵐
2009年04月07日(火) 宿るべきところに宿り続けるもの
2007年04月07日(土) ここには神様がいたほうがいい
2004年04月07日(水) 愚民ちゃん



2011年04月06日(水) 東日本大震災 私の持続可能性その2

東京電力は4日、3月末に提出した2011年度の電力供給計画に盛り込んだ福島第1原発の7、8号機の増設計画を撤回する方針を明らかにした。藤本孝副社長が同日出演した民放番組で「増設は無理だと思っている」と述べた。 東電は、東日本大震災の影響を考慮せずに7、8号機の増設を盛り込んだ計画を提出し、本県が反発していた。 (2011年4月5日 福島民友ニュース)

*

原子力発電所の暴走は終息せず、
高濃度の放射性物質を含む水を海に流出し、魚に検出された。
その最中にあってこのニュースである。
県が反発しなければ、どうなっていたのだろうか。





世界最大級のマグニチュードである地震がかつてないほど広域を襲い、
日本はおろか、世界でも経験のない原発事故が起きて、未だ終息していない。

放射能の被害というと原子爆弾のイメージが強い日本人は、
誰も黒こげになってないし、ケロイドの肌にもなっていない今の状況に対する認識がきわめて甘い。

チェルノブイリやスリーマイルを振り返れば、
放射能の被害の深刻さというのは、発生直後に出るものではないのである。



私達は今、ごまかしや欺瞞なく、深く認識するべきであると思う。

私達のつくりあげてきた世界は、3.11に終わりの始まりを迎えた。




けれども、この受難の瞬間に生まれるものも、またある。

私のような中年女には、失われた世界であっても、
昭和も何も知らない子ども達にとっては、今ここがスタート地点である。
今この混乱が、将来、懐かしい場所、懐かしい時代となるのである。



「私の持続可能性」と稿を起こした時にはこんな状況を考えもしなかったけれど、今、再び深く思う。

私達は、この絶望の中にあって、心を奮い立たせ、協力しあい、慰めあい、
その結果、何を、今日を明日へと持続させなければいけないのか?

東京電力の持続可能性?
原子力発電所のサステイナビリティ?

すべてのオーソリティーが、持続可能性をまとった保身のために地中でうごめいている。冒頭の引用記事のように。



残念ながら、未来という船には、そう多くは積み込めないだろう。

その現実を思えば思うほど、私は、人類の本能として、
髪を振り乱し、必死の形相をして、日本の子ども達を!と叫びたいのである。


2007年04月06日(金) 溶脱
2004年04月06日(火) 上野公園のアコーディオン弾き



2011年04月05日(火) 東日本大震災 自己否定できない人々

東京電力福島第1原発の事故を受け、全国原子力発電所所在市町村協議会(全原協)会長の河瀬一治・福井県敦賀市長らは4日、首相官邸で福山哲郎内閣官房副長官らに会い、菅直人首相宛ての要望書を提出した。まず原発事故の事態の収束に取り組むとともに、緊急時の代替電源確保などを要請。首相が原発増設計画の見直し方針を示している点に関しては、時期尚早との思いを伝えた。というニュース。


驚くべきことに、「引き続き原発を我が方へ」と官邸へ陳情した一行の中には、福島県双葉町の井戸川克隆町長も入っている。




東京電力に「そう言え」と言われたのだろうか。

それとも、もっと根の深い気持ちなのだろうか。



原子力発電所とともに歩んだこの土地や人々にとって、
それは既に自分達のアイデンティティであり、自己否定するのは難しい。
そんな風にも想像する。



都市に電力を供給し、それを誇りに思い暮らしてきた。
偉い会社の偉い人が、片田舎まで足をはこんで自分達に平身低頭する。

自分か家族か知り合いには必ず原発で仕事を得ている人がいて、
厳しい環境での仕事もみごとにやり遂げる彼らの専門性へ敬意を抱き、
その子ども達は、原発のおかげで自分が育ててもらえたと思っている。

整備された道路や橋や東京並みの豪華な文化ホールが、それらの感情を具象化する。


深く根を下ろしてしまった草は、そう簡単には引っこ抜けない。

とりわけ「自分達は国のために頑張ってきた」という実感は、
「意味がない、むしろ害悪だった」という事実を決して受け入れないだろう。まるで侵略戦争で息子を亡くした母親のように。




かくして、福島第一原子力発電所は、まるで「靖国」のような重力をもちはじめる。

権力のある者は、そのことを利用する。
上記の記事から、そのように思う。



自衛隊も然りでありである。
いずれ憲法改正論議や自衛隊のあり方を議論する時に、ある立場の人間は、
今回のことを「貸し」として見返りを求めてくるだろう。


現場の自衛隊隊員や消防隊員や電力会社の作業員を賞賛するのは、
平和と安定を願う一般市民だけでよいのだ。

2010年04月05日(月) 別れという名の出会い
2009年04月05日(日) 国家の癖
2007年04月05日(木) ローソクと絵札
2006年04月05日(水) 時差ぼけ
2004年04月05日(月) 病名告知



2011年04月01日(金) 東日本大震災 計画停電

計画停電は、必要ないという実証がされつつあるが、
電力会社が原子力発電によって電気を供給しなければ、
世の中はこれほど不便になるぞという脅しのようにみえる。


国民は電気を使って暮らしている。もう縁を切ることはできない。
問題は、電力会社を選べないことだ。

経営のおかしい企業とも、無期限に通年契約しなければいけない。
選ぶならば住処を変えるしかない。

世の中、こんな「買い物」が他にあるだろうか?



電力会社との関係において、我々消費者は対等の立場ではないのである。

その余り金は、企業の利益であるが、予算に口をはさめない税金のようなものであり、
悪く言えば、「電気のない生活」を楯に脅し取ったものである。

そうだから、その金は、ひどい毒性をもつようになる。



あげく、大学に金をばらまいて、御用学者を育成する。
あげく、情報操作に奔走する。
あげく、今現在の危機的状況について「一応の安定をみている」という自己欺瞞に満ちた会長発言がでる。




地震にともなう原発事故に関して、私達国民は多くのものを失い、恐怖の真っただ中にいる。

そのことについて私達は、あの戦争の時と同じようにやはり、国民総懺悔しなければいけないのだろうか。

懺悔しなければいけないとしたら、何を悔い改めるべきなのか。
電力を使い過剰に便利な暮らしをしたことだろうか?
原子力発電所の管理について、電力会社の評価をしなかったことか?

よくわからない。

2007年04月01日(日) 悪い方向
2006年04月01日(土) すすめボート
2005年04月01日(金) fool
2004年04月01日(木) 


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