父と母の正月休みの娯楽がパズルから映画鑑賞に変わったのは、 レンタルビデオというのが普及し始めた頃だから、 もう随分前のことになる。
そのラインナップの中に、クロード・ルルーシュ監督の 「愛と哀しみのボレロ」が入っていた理由は、 今ではもうわからないが、たまたまだったと思う。
ただでさえ難解なフランス映画、それも3時間も続くものを 正月の酒盛りの慰めに見ようというのだから無茶もいいところなのだ。
とにかくラストシーンの、ジョルジュ・ドンによる素晴らしい舞踊見たさに アルコールで稼働率50%の頭を家族全員分あわせ、 「あの時のあれがあの人だ」、「あの台詞の意味はこうだ」などと、 ストーリーを追いかけていた。
それでも解明できない下りが翌年の宿題となって、 いつしかこの映画は、正月の定番となっていた。
そうした正月を何年か経て、ストーリーはもちろん、 映画のあちこちに潜んでいる仕掛けや、役者の演技まで すみずみといっていいほど味わい尽くしてしまった。
いつしか私たち子どもはこの恒例行事から離脱し、 他の楽しみや過ごし方に目を向けるようになった。
そして両親だけが、毎年毎年この映画を、 もう飽きているはずなのに儀式のように見ていた。
さすがにそこまでやられると、 「戦争と平和について年初めに考えるため」に見ていることぐらい 何も言わなくてもこっちに伝わってくる。
まあこれは、大人になってから親に何かを教わる、 数少ない出来事なのだ、ということにした。
ところが私がそう感心したのを察知したとたん、 「役目は果たした、次の世代も平和でたのむ」とばかりに、 一昨年あたりから「奇人達の晩餐会」をメインに据えた、わが親である。
やれやれ。まあAともちゃんと見ますけどね。 ジョルジュ・ドンを。
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