2007年04月07日(土) |
ここには神様がいたほうがいい |
山の家へ。
風呂の焚き口に「火の用心」とあるのをながめながら、 ヒューマンエラーや不可知のあるところに、 日本人は神を配したのだろうなと思う。
家の中で火を使う場所には秋葉神社の札が張ってあり、 危ない山仕事では山の神を祭り、田には水神があり、 お産の時は、塩竃神社で安産を祈る。 受験前はもちろん天満宮で絵馬を奉納し、学業成就のお守りを買う。
連続する工程のなかで一呼吸おいて手を合わせ、無事や安全を祈る所作に、 管理のセルフチェックや気持ちの引き締めが織り込まれている。 マニュアルとかメソッドのように明文化された規律とは違う方法で、安全や成功を担保する。
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こういうふうに納得してしまうのは、神々が実に無駄なく配置されているからなのである。 神を信じるのが人ならば、その神を配するのも人間の所業なのである。不思議なことだ。
何かの理由のもと、ここに神様がいたほうがいいという合意形成ができ、 御神体が配置され、祠や社が築かれる。
そうだとすれば、 ヒューマンエラーの最前線である、航空業界とかIT業界へ、 飛行機の神様やら情報セキュリティの神様を配して悪いということはない。 明文化された規律で上手くいかないのだから、試す価値がある。
そして、蛇足ながら、疑問に思うことがあるのでそれを書く。 九段下の靖国神社や、全国に沢山ある護国神社は、誰によって、どういう理由で、 「ここには神様がいたほうがいい」と判断されたのだろうか。
軍神を信仰するというのは、一体どういう心もちで、内面の何をセルフチェックするためにあるのか。
どうして平和の鳩みたいなのでは、駄目なのだろうか。
2004年04月07日(水) 愚民ちゃん
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