2004年04月06日(火) |
上野公園のアコーディオン弾き |
子どもの頃、春休みといえばよく上野公園へ出かけた。 そこで毎年のように、両足がない物乞いの老人を見た。 軍服を着てアコーディオンを弾き、 「戦争でこんな身体になってしまった私にお恵みを」、 というような立て札がかかっていた。
低学年であった私は、違和感を笑いに変えながらも、 同時に何かをインプットしていた。
休み時間、友人と語る身の上話のなかで、 「おじいちゃんは戦争で死んだ」というフレーズは、 今の子供達にとって「親は離婚した」と同じぐらい、 普通に在り得るものだった。
夏休みに出かけた父の田舎では、日傘を差した黒い服の人々や、 家々から立ち上る線香の匂いを嗅ぎながら、海や山で遊んだ。 課題図書の一つには、必ず戦争の本が入っていた。 夏休みとはそうするものだと思っていた。
子ども番組は、笑いの後ろに、暗さを秘めていた。 みなしごとか、貧しさ、世の不条理といった設定を背景に、 華やかなカラーテレビの映像にも、それはくっきりと映っていた。
大人向けのドラマ番組は更に暗く、戦争を取り扱ったものも多かった。 演じる役者も、それをブラウン管のコチラからみる大人も、 表情は一様に暗かった。
学校へ出かける前に見ていた朝の連続テレビドラマでは、 空襲警報に防空壕へ避難する場面や、 赤紙と呼ばれる召集令状に怯え悲しむ家族、 公安に連れ去られる人々、万歳三唱を受けて列車に乗る男、 遺骨を抱いて汽車に乗る女、などが放映されていた。 兵士の安全を祈願する千人針という習慣も、「りんごの唄」も、 掛け算より先に、自然に覚えてしまった。
自分は戦争を知らない子どもたち、などでは決してないと思う。 なぜならば、親や身近な大人達の瞳の中や、息遣いに残る 戦争の匂いを、ちゃんと知っている。
あれから数十年を経た今日、またこの匂いがしている。 東京駅に配置された「爆弾を嗅ぎつける犬」には、 これは嗅ぎ分けられない。
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