無事未遂に終わるも、スペインで再び爆破テロが発覚し、 電車での移動も生きた心地がしない中、日帰り上京。
駅前の駐車場は夜間閉鎖を知らせていた。 係員は駐車している車のナンバーを控えていた。 駅の構内は警察が警備に立ち、 乗り込んだ車内では、鉄道警察が見回りに来た。
国鉄時代の置き土産のような車掌が、車内で 水を得た魚のごとく高圧的な態度。 図に乗るなよ、の意を込めて、一瞥をくれる。
こういう時代だからこそ笑顔で対応するのが 本当のサービスというものだろうが、と思った瞬間に、 「こういう時代」などという言い回しをした自分に悲しくなった。 どういう時代だというのだ、と反問す。 戦前、という言葉より他に回答がないことを認め、 また心の底から悲しい気持ちになった。
余命いくばくもない病名の告知をされた瞬間は、 こういうものだろうか。
自分のいる世界は、既にひどい病魔におかされていて、 こういうものと対峙していかなければならない事実。 きっとこの悲しい気分は、車内から世の中へ蔓延していくのだろう。
車窓から見える、晴れ渡った空に白く輝く山々を見ても、 私は本当に、ただやるせないだけだった。
☆
帰路。 すっかり疲れていた上に、行きと同じ心境になるのはもう嫌なので、 慰みに購入した泉鏡花の「天守物語」と「夜叉ヶ池」を車中にて読む。 幾分助けられた気持ちになる。
家に帰り着き、山から下りてくる冷気を吸い込み、 ふりそそぐ蒼い月の光を浴びて、 さらに、かなり回復する。
とにかく明日考えよう、明日だ。 ラストシーンの、スカーレット・オハラの心境だ。
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