数日前にみた草間彌生の変な映像が、頭にこびりついている。 彼女はNYで成功した現代アートの大御所といわれているが、私にはあまり理解できない。
* ピンクのおかっぱ頭、赤い水玉のワンピースといういでたちの草間彌生が、 対象物(人物)の全身へ、ピンクとか黄色の水玉シールをぺたぺたと貼り付けていく。 その周囲を、全身水玉のダンサーが輪になって踊っている。 貼付け作業を完了した草間彌生と、全身水玉にされた人物は、 手をつないでダンサーと一緒に踊っている。
というのが件の映像で、美術館の売店の端のTVに映されていた。 正直言って、奇妙奇天烈、奇奇怪怪、の部類である。
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これは多分、自分が社会の規範とか組織の要領にあわせて日頃活動している反動なのだろう、と自己分析した。
この国において、子どもは学校教育で、大人は仕事を通して、個性−自分の物語と言ってもいい−を失い、社会に標準化されていくのである。
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社会秩序によって完璧に標準化された人−というのがいればだが−を北極とすれば、 草間さんと言う人は間違いなく南極である。南緯何度などという曖昧な境地ではない。 だから私は、彼女の作品を心地よいとは思えないし、理解もしがたい。
ただ彼女の、「誰とも接点をもたないけれど、私の世界はこれ」という 極地からのかなり強烈な情報発信は、人の−私の−心を激しくゆさぶったのである。
私は「私の世界はこれ」と言わなくなってどれぐらいになるのだろう。
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人々に喜びと共感をもたらす芸術文化の曲がり角には、 他人と相容れることができない強烈な個性が膝を曲げて座っている。
芸術文化で最も大事な部分は、その存在なのではないかと思う。
2007年04月08日(日) 放棄狂 2006年04月08日(土) 2004年04月08日(木) 無言の圧力
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