浅間日記

2004年04月21日(水) 修繕・トマト・夜道

書いた日記を直すというのは、一体どういう了見な訳だ、と
自分を問いただしながらも、衝動を抑えきれず所々修繕する。

他の人が過去の日記を削除したり加筆したりすることは
特別何とも思わないし、やりたければぜひそうするべきだと思うのだけれど、
自分がそうすることについては、なんだかとても
品性のない行為に思えて、恥ずかしい限りだ。

しかし違和感を感じる文章というのは、自分のそれに限って、
どうにも許せないのだ。座りが悪いのである。



フランスのル・モンド誌が、人質になった日本人3名の、
日本におけるバッシングを非難する記事を掲載したとのこと。

Hによると、チャレンジに対してとりあえず賞賛を惜しまないのは、
ヨーロッパにおける高所登山者への評価と似ているのらしい。

自分にはできない発想をもち、実行しているという点で、
まずはそこのところを褒め称えてあげましょう、ということである。
これはひょっとして大航海時代の名残なのだろうか。

でもきっとその賞賛は、当たり前のことだけれど
「自分達の生活と権利を損なわない範囲でなされたこと」というのが
大前提なのだろう。
労働条件を巡り、農業従事者がトマトを街中に撒き散らすような
激しいストライキをやる人達だから、フランスという国は、
きっとそういう時には猛烈に怒ることができる国だと思う。



地域の野暮用を済ませ、HとAと3人で夜道を歩く。
星空を見ていたら、いつともなく「いつでも夢を」を口ずさんでいた。
昭和37年、戦後から高度成長期に入る頃、歌われた歌だ。

悲しみから立ち上がる暖かくて力強い歌だけれど、
何もかも失った後の歌、でもある。



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