書いた日記を直すというのは、一体どういう了見な訳だ、と 自分を問いただしながらも、衝動を抑えきれず所々修繕する。
他の人が過去の日記を削除したり加筆したりすることは 特別何とも思わないし、やりたければぜひそうするべきだと思うのだけれど、 自分がそうすることについては、なんだかとても 品性のない行為に思えて、恥ずかしい限りだ。
しかし違和感を感じる文章というのは、自分のそれに限って、 どうにも許せないのだ。座りが悪いのである。
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フランスのル・モンド誌が、人質になった日本人3名の、 日本におけるバッシングを非難する記事を掲載したとのこと。
Hによると、チャレンジに対してとりあえず賞賛を惜しまないのは、 ヨーロッパにおける高所登山者への評価と似ているのらしい。
自分にはできない発想をもち、実行しているという点で、 まずはそこのところを褒め称えてあげましょう、ということである。 これはひょっとして大航海時代の名残なのだろうか。
でもきっとその賞賛は、当たり前のことだけれど 「自分達の生活と権利を損なわない範囲でなされたこと」というのが 大前提なのだろう。 労働条件を巡り、農業従事者がトマトを街中に撒き散らすような 激しいストライキをやる人達だから、フランスという国は、 きっとそういう時には猛烈に怒ることができる国だと思う。
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地域の野暮用を済ませ、HとAと3人で夜道を歩く。 星空を見ていたら、いつともなく「いつでも夢を」を口ずさんでいた。 昭和37年、戦後から高度成長期に入る頃、歌われた歌だ。
悲しみから立ち上がる暖かくて力強い歌だけれど、 何もかも失った後の歌、でもある。
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