Hが借りてきた、水木しげるの「総員玉砕せよ!」という本。 読後彼は、眠れなくなるほど気分を落ち込ませていた。
Hは素直でゆがみのない性格であり、 そこが私も気に入っているのだが、 その汚れのない典型的な反応は時々鼻につくので、
「やれやれ良い子はどんな平和が好きなのかな」、と 実はちょっと意地悪な気持ちで私も読んだ。 そしてやはり、落ち込むことができた彼は素直な性格だと思った。 私はそんなに素直に哀れむことができない。
著者を含む兵士達が、異国の島で まるでゴミのようにむなしく命を失っていく一連のほぼ実話に対して 私のように「愚民ちゃんの成れの果て」、という感想を持てば、 作者や遺族は怒髪天をつくかもしれない。
でも、玉砕命令なんか無視して逃げればよかったのだ、逃げれば。 国のために、たった一つしかない命を粗末にするのは愚民だ。 命を懸けて逃げるべきだった。
たぶん、法律と既成事実の積み重ねという毒を徐々に盛られ、 気が付いたら、玉砕せよ!と言われればそうせざるを得ないほど 「国家病」におかされていたのだろう。まるでオウム信者の洗脳だ。
しかし徐々にそうなる前に、 「そういうのは嫌だ」と動かなかったから、そうなったのだ。 そこのあたりが「愚民ちゃん」なのだと思うのだ。
でも本当に一番憎たらしいのは、 普通に青春を過ごし、恋愛をし、家庭生活や社会参加をしている人々が 日常的に考えなくてもよいこと、また考えや行動が及ばないことに対して 判断を強いるその状況だ。 本来愚民などと呼ばれる筋合いのない人をさえ、愚民にしてしまうそれだ。
どうやって殺されないで生き延びるか(それも国策によって)、 などということを市民が日々考えなければならないのならば、 そんな国も、政治家も官僚もお払い箱だ。
愚民ちゃんには、なりたくない。
私は何故、どうして人々がああも硬直して、 自分の生存への意志を無くしていったのか、 そのシステムが知りたいのである。
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