浅間日記

2011年05月31日(火) 東関東大震災 スイミーの答案

日帰りで大阪へ。

車中で、例によっておじさん雑誌の週刊現代をこそこそ読む。



週刊現代は、原発事故をフォーカスし、相変わらず気鋭は吐いている、とは思う。

しかし悲しいかな「最悪の事態」である水素爆発の可能性が低くなり、
長期戦の傾向を帯びてくると、必定「すっぱ抜き」記事は減る。

永田町のどうでもよい話題にページが割かれ、
ああ、再び元のおじさん雑誌に戻りつつあるなと思っていたら、

「あの80点、私のです」という見出しの記事に目がとまった。

週刊現代に掲載された写真の、海底に沈むテストの答案は私のです、と
名乗りをあげた女の子の記事である。



編集部宛てに届いた手紙はこんなふうだった。

「・・・自分のテストが海の底に沈んでいるのを見てびっくりしています。・・・ひなん場所のくまの神社の上から波がくるのを見てすごくこわかったです。でも家はなくても家族お父さんお母さん、私、弟、妹が生きていたのであんしんしました。・・・ぶじだということをお知らせしたかったので手紙を書きました。それでは東京でも気をつけて下さい。」

取材記事。
撮影した水中カメラマンだろうか、女の子と一緒に港に立って、
あのへんで見つけたよ、と優しい表情で教えている写真。

カメラマンは、答案用紙を暗い海の底に見つけた時、
スイミーと書かれていることに海とのつながりを感じ、
またこの答案用紙の持ち主は絶対に生きていると感じたそうである。

「スイミー」は、レオ・レオニ原作の小さな魚の話で、
とても乱暴に要約すると、みんなで力をあわせて困難を乗り切ろうと励まし、そして実行する素敵な物語だ。

カメラマンの直感はなかなか的確かもしれない。



瓦礫の中をお母さんと手をつないで歩いているショット。

そう、10才ともなると、しかも下に小さい兄弟が二人もいるとなると、
なかなか正面から母に甘えるということはやりにくい。
でも母に心の支えを求めたい気持ちは変わらない。

手をつなぐ手に込める気持ちが、痛いほど伝わる。




取材での女の子のコメント。

「津波は怖いけど、とても不思議なものだと思いました。だっていつもは静かできれいな海が、家や車も流してしまうくらいの大きな力を持っているから。いまは大変なことも多いけど、私はこの宮古が大好きです。・・・将来はここで美容師か花屋さんになるのが夢。・・・」



最後の、海をバックに微笑む女の子のショットに目が釘付けになった。

子どもというのはクルクルと表情が変わるものだが、
カメラマンはよくこの瞬間をおさめたと思う。

まるで、菩薩様のような表情ではないか。

この子は、宮古の「いつも静かできれいな海」の、波音や潮風に育まれた喜びと、
津波で沢山のものを一度に失った悲しみを、自分の中にちゃんと共存させている。

厳しい自然と折り合いをつけながら生きてきた日本人の魂が、
この小学4年生にも立派に宿っている。


2007年05月31日(木) 
2006年05月31日(水) 学び舎の目標管理
2005年05月31日(火) 飴のエルドラド
2004年05月31日(月) 自給自足



2011年05月30日(月) 東日本大震災 山本太郎さん

福島第1原発事故後、放射能汚染の危険を訴えている俳優山本太郎(36)が、俳優を引退し、疎開する覚悟を固めていたことが28日までに分かった。
山本は原発から30キロ圏外という理由で、避難勧告の出ていない福島市や郡山市の子どもの避難や疎開を支えるプロジェクト「オペレーション・コドモタチ」に賛同。今月16日にアップされた同プロジェクトの公式サイト上の動画で「僕もこのまま(放射能)汚染が続くなら、今の職業を諦めて疎開しようと思っています」と打ち明けていた、というニュース。



この発表の少し前、山本太郎さんは、ツイッターでの反原発発言を理由として、ドラマの仕事を降板させられている。

27日には、所属事務所に迷惑をかけないためにと、事務所を辞めた。



役者が舞台を下ろされて、無念な訳がない。
ひどいことだと思う。
沈黙している同業者たちも、情けないなと思う。

どうも原発推進に異をとなえて仕事を干されるのは、
あらゆる職業に共通するらしい。

反原発の立場から原子炉の研究をする小出裕章さん然り、
独自に放射線の測定をすることを禁じられたことに異を唱え、
厚生労働省を退職された木村真三さん然り、である。



平時であれば、彼らはマイノリティとしてしぶとく生き残るか、
(実際、小出助教はそうして必死に原発の危険性を訴えてこられた)
居場所を失い退場するのみである。

でも今は、そうではない。

おかしいことをおかしいと主張し行動できる人には、
ちゃんと衆耳衆目が集まる。
衆耳衆目が集まればリーダーになる。

私達は顕在化したリスクを共有する、難破船の乗組員なのである。




話を山本さんにもどす。

どちらかというと俳優というよりタレントとしての側面を多く見てきたが、
私は、俳優としての仕事をあきらめないでほしいと思う。

古今東西、国やその他の大きなシステムに異を唱えて、
祖国を追われたアーティストというのは沢山いる。

芸術文化は、人間性が危機に晒されている時こそ真価を発揮する。

例え巨大な何かを敵にまわしても、全存在をかけてそれを表現できるのが、
本当の役者であり、音楽家であり、画家である。

ひとたび役者として身を立てたのならば、簡単に表現をやめてはだめだ。

2007年05月30日(水) 沈黙の春量販店
2006年05月30日(火) 
2005年05月30日(月) 単細胞生物化
2004年05月30日(日) 言葉のない世界



2011年05月26日(木) 東日本大震災 被災地ガイド

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県の第三セクター三陸鉄道が、被災地視察のガイドを始めた。会社存続の危機にひねり出した窮余の策。社内外には「震災でカネを稼ぐなんて」との声もあるが、地元を熟知した社員の案内で被災の実情を訴えている、と言うニュース。




私は、これは良いことだと思う。

書くことを躊躇していたが、
5月の連休を利用して何万人もが東北入りしたボランティアの方々へも、
余裕があれば、そうしたサービスを提供し、金をとればよいと思っていた。




今後の復興を考えると、被災の生々しい状況を、
地域外の人にも、でき得るならば多くの人に、
実際に見て、実情を共有してもらった方が良い。

また、もうひとつ、これは大事なことだが、
不躾な物見遊山の訪問者もいるだろうから、
むしろ「ガイド」という名目で、しっかり誘導した方がよい。
避難している地域住民のプライバシーと尊厳を守ることができる。




今、世界中で、東北地方の日本海側でしか見られない、高付加価値な
地球のダイナミックな地殻変動の痕跡がある。これは資源だ。
また、命からがら生き延びた人達の生の証言は、貴重な財産である。

ガイドは元手がかからない「人に見せる」という仕事だ。
さらに言えば、大変な皮肉ではあるが、被災した地域の人にしか
「その時の状況を再現して語る」ことはできない。独占市場である。
大学の先生に参画ねがえば、学術的な付加価値をつけることもできる。


都内の陳腐なビジネスセミナーでも1日数万円ぐらいとることを考えたら、
1日5万円ぐらい料金をとっても高くない。

ついでに、ツアーに少しぐらいボランティア活動も含めれば、
利用者も良心を痛めることなく、現地の状況を知りたいという欲求を満たすことができるだろう。

2010年05月26日(水) 頭山
2008年05月26日(月) 赤い大地を守れるか
2007年05月26日(土) 
2006年05月26日(金) 文を盗む
2005年05月26日(木) 修繕日
2004年05月26日(水) 学校の話



2011年05月25日(水) 東日本大震災 民間企業による社会インフラ事業

東芝、積極的な投資計画を発表、という見出しのニュース。
詳細は以下のとおり。

かつて有望だった原子力発電事業が難しい状況に置かれているが、東芝は24日、企業買収なども活用した実現可能な長期戦略を模索する試みとして、今後3年間の積極的な投資計画を発表した。
3月11日の東日本大震災によって、福島第一原発事故が誘発された。同原発の原子炉の幾つかは東芝が供給したものだった。この原発事故を受けて、同社は原子力発電以外の社会インフラ事業を強化する必要性が現在高まっている。




社会インフラ事業を民間企業にゆだねていいのか、ということを
今回の事故で疑問に思っている。

もしゆだねざるを得ないのならば、少なくともこれからは、
企業の社会的責任がより厳しく評価され、
そこにインフラ受給者である市民が、関与できる仕組みが必要だ。

今起きているような悲惨な事故、
あるいは郷土の歴史や文化、住民の暮らしを金で分断するような開発、
そうしたことが、たとえばエネルギー事業をすべて再生エネルギーにすれば起きないものだとは、私は全く思わない。

彼らは、意地悪く言えば、マッチを売るのも、エンピツを売るのも、
いくらだってあこぎな方法を生み出せる。
道徳心をもたないことがビジネスだと思っている。



あっちがだめならこっちに手をつけよう、と小知恵を働かせる前に、
己の性根を反省し、根治させることができるのかどうか考えたらどうかと思う。

メーカーとして原子力発電事業に関わってきた企業の責任を、
何もなかったことにして、世の中を喰い散らかしてはだめだ。

2010年05月25日(火) 仕分け残し
2007年05月25日(金) 
2006年05月25日(木) 滋養電池
2005年05月25日(水) 迎合文
2004年05月25日(火) 謝意



2011年05月24日(火) 東日本大震災 週刊現代という情報ソース

週刊現代の「隠された放射能汚染を暴く」なる見出し。
福島第一原発に関わる作業員の内部被爆について、要精密検査となる数値である、1500cpmに至っている人が既に4956人もおり、そのうち4766人は、「福島に立ち寄っただけ」でこの数値に至った、という事実について書いてある。




これが、ただの週刊誌のネタと違うのは、れっきとした
衆議院予算委員会でのやりとりであるところだ。

質問した柿沢未来途議員に対して、原子力安全・保安員の寺坂信明院長は、
実際には10000cpm以上という異常な数値を示したケースが1193件もあったと回答している。




実際、予算委員会の中継をラジオで聴いていて、ものすごく驚いたのだが、
夕方のNHKラジオでも、次の日の新聞でも、そのことはちっとも報道されていなかった。

主筆が社説で立派な持論をしたためるのは大いに結構であるが、
新聞というのは情報を正しく選択して報道しなければ、
その存在価値は半減する。



そういうわけで、原発事故以来、「週刊現代」をときどき購読している。
中年男性を主な購読層にした、ポマードの香りが漂いそうな雑誌であるが、
おそらくは、私のように「新規参入」した女性購読者も多いことだと思う。

2006年05月24日(水) awardとアホウドリ
2005年05月24日(火) 話し合い橋
2004年05月24日(月) 絶滅の前に起きること



2011年05月20日(金) 東日本大震災 松本清張的考察

積み上げた何もかもを奪ってしまったのは地震と津波だが、
原発は、もっと根本的に、未来を含む世界を変えてしまった。

東日本大震災と銘打ちつつ、自分があの日から離れられないのは、
もっぱら原子力発電所の事故に関する出来事になっている。



南相馬市の、誰もいなくなった街にただ残る
「明るい未来のエネルギー」の看板は、象徴的なモニュメントとして広く世界に「拡散」された。

明るい未来のエネルギー。




原子力発電は、戦後からつきすすんできたある方向−それを「明るい未来」と言ってもいい−の一部にすぎない。


それは科学的で、西洋的で、データに基づき構築される。
専門的で、プロフェッショナルが指導をし、大きなシステムによって管理される。

金を払ってそれに身をゆだねていれば、「明るい未来」は約束される。




今、環境、文化、教育、健康、経済、あらゆる分野において、
私たちは、「明るい未来」を制御できなくなっている。

暴走したそれは、時に人を混乱させ、本来あるはずの幸福を遠ざけている。
おかしいと感じても、そう簡単に軌道修正できない。





「明るい未来」は、戦争で無様に負けた私たち日本国民が、それを切望することで、生まれた。

前へ前へ。明るい未来へ。
世界に誇れる先進国へ。
合理的で科学的で、エクセレントな国へ。

負けた国ということを、脱するために。
焼け野原を、忘れるために。



かくして日本の全体主義体質は、軍国主義から「明るい未来」づくりへ向けられた。

予防原則を重視する欧州などよりもはるかに「科学技術」に傾倒し、
明るい未来へ向かって「死の行軍」を強行した。


これまでの戦争、敗戦をめぐる日本の間違いだけでも十分痛ましく悲しいというのに、
今破綻をみせている「明るい未来」が、未だ敗戦の傷を引きずっていることによる、などということになるならば、
よけいにみじめで、悲しい気持ちになるではないか。

2009年05月20日(水) time goes by その2
2006年05月20日(土) 
2005年05月20日(金) 
2004年05月20日(木) 油断スイッチで幕があがるとき



2011年05月17日(火) 東日本大震災 帰納法的考察

これは、3月末のニュース。

東京電力は28日、福島第一原子力発電所の敷地内で21、22日に採取した土壌から微量の放射性物質のプルトニウムを検出したと発表した。原子炉の核燃料が損傷して漏れ出した可能性が高いが、東電は「人体に影響のないレベルの濃度」としている。



「プルトニウムは、自然界にはない、人間が作り出した物質です」という解説と、
「検出されたのは、自然の状態で観測される値と変わらない量です」という解説の矛盾のなかに、現実がある。

福島原発事故を待たずとも、日本は既に、放射性物質に覆われている。
チェルノブイリよりも前から、核実験によって。

なんだ、とっくに世界は汚れていたんじゃないかという気持ちは、
複雑で簡単には表現できない。



もう少し利口に考えてみると、こうも思う。

もう既に汚染されているのだとすれば、もう既に症状は出ているはずだ。

たとえば、がん。
たとえば、不妊。
たとえば、子どもの発達異常。
たとえば、精神面での様々なトラブル。自殺。

もちろん、食生活や化学物質との因果関係もあるだろう。
そのあたりを加味しながらも、どうせ汚染されているこの世ならば、
放射能汚染と社会の劣化の関係を、よく調べたらどうだと言いたい。



もう少し穿った見方をすると、
原発での放射能汚染事故は、もうとっくの昔からしょっちゅう起きていたんじゃないか、という気もする。

5月9日に、敦賀原発でも排気筒から微量の放射性ガスが外部に漏れるトラブルがあった。
放射能汚染事故に対する報道の感度があがったから、こうした出来事が世に知られる。そう理解している。


2010年05月17日(月) 満願成就の話
2007年05月17日(木) 苦を救う その2
2006年05月17日(水) 罪にすることができる
2005年05月17日(火) 芯折れ鉛筆
2004年05月17日(月) サマワに降る雨



2011年05月12日(木) 東日本大震災 チェルノブイリでの実戦経験

松本市が福島第1原発事故の計画避難区域を出て避難中の子どもたちを、夏場に同市内に受け入れる準備を進めていることが11日、分かった。チェルノブイリ原発事故の際の各国NPOの対応を参考に、学校や地域の単位で避難させて集団でリフレッシュしてもらう狙いだ。市は、一時的な滞在だけでなく同市への移住も視野に入れている。
菅谷市長は取材に、「少子化の時代にあって子どもは国の宝。子どもの心身の健康を守ることは大人の義務で、率先して取り組む」と話している。、と言うニュース。




市民の私達は、放射能汚染があった場合のシミュレーションをしていない。
市民だけではなく、政府も自治体もそうしたリスク評価をやっていない。

そうだから、チェルノブイリ原発事故で被害にあった子ども達を支援する活動というのは
今となっては、唯一といってよい実践経験として参考になるものだ。

ありがたいことに、我が方の市長様がその経験をお持ちである。
メディアで将来子ども達の健康被害が起きる危険を指摘している。

対応の遅れにやきもきされているのだと思う。
例のニュースのように、その経験を生かして、福島の子ども達を救済しようとしている。

子どもは国の宝、のコメントに胸があつくなる。





もういいかげん、文部科学省から福島の子ども達の健康問題を取り上げてくれ!と強く思う。

学校での放射能汚染対策は、旧文部省のセクションがやっているんじゃないかと推察する。
学校運営のように、前例がないことへの対応があまりにも遅く、決断ができないからだ。

どうして厚生労働省がやらないんだろうか。





親となった大人が減少する今の世で、子どもへの眼差しは危うい。

「子どもの心身の健康を守ることは大人の義務である」という言葉を、
今の時代、どれ程の人達が共有し、強い世論を形成することができるだろうか。

そうだから、母となった女性は、父となった男性は、
社会に頼らず、学校に遠慮せず、親戚知人に不義理をしたとしても、
一日も早く、子どもを安全な場所へ移してほしい。

2009年05月12日(火) 疫病神の宿る心
2007年05月12日(土) 5月の朝食
2006年05月12日(金) 
2005年05月12日(木) 



2011年05月11日(水) 東日本大震災 セメントに加工される放射能汚染汚泥

東日本大震災から、今日で二ヶ月が経過した。

まだたったのふた月である。

まわりの人々が普通に生活していることが、不思議でならない。
あるいは、私もそのように見えるのかもしれない。

多くの死者の魂が、日本列島を覆っている。
鎮魂を祈っても祈っても、すべての無念が成仏するには、遠い。

生きている者は、死者の魂に押しつぶされないように、と思う。

喜びのある時は喜ぶことにしよう。
笑いのある時は笑うことにしよう。

誰も悪くないし、誰のせいでもない。





翻って、あるニュース。

福島県周辺の茨城、群馬、栃木、新潟の4県の下水処理施設で今月採取した汚泥や、汚泥を燃焼させた焼却灰から、放射性セシウムの検出が相次いでいることが10日、各県の調査で分かった。

4県でセシウムの検出濃度が最も高かったのは、宇都宮市の下水道資源化工場の焼却灰で1キログラム当たり3万2千ベクレル。ヨウ素では、茨城県土浦市の霞ケ浦浄化センターの汚泥の300ベクレルが最大で、栃木県日光市の鬼怒川上流浄化センターの汚泥からは140ベクレルを検出した。

群馬県では、桐生市の桐生水質浄化センターで検出されたセシウムが410ベクレルで最大。玉村町の県央水質浄化センターと千代田町の西邑楽水質浄化センターで100ベクレルのヨウ素を検出した。

新潟県では、新潟市の新潟浄化センターで汚泥から46ベクレルのセシウムが出たが、ヨウ素は検出されなかった。


そして、もう一件。

国土交通省は、福島県の複数の下水処理場の汚泥から放射性物質が検出された問題で、セメントなどに転用できるかどうかの基準を作る方針だ。福島県内の大部分の処理場の汚泥は、通常通り転用できるとする。一方、放射線量が極めて高い場合は条件付きで産業廃棄物処理を認める。週内にも公表する。

さらに一月前にも、こうしたニュース。

福島県郡山市の県中浄化センターの汚泥から高濃度の放射性物質が検出された問題で、汚泥がセメント材として栃木県内などに出荷されていたことが3日、わかった。
住友大阪セメント(東京)によると、汚泥は栃木県佐野市の栃木工場でセメント原料として再利用されていた。同工場でのセメントの生産・出荷を中止した。福島第一原発事故後に使った汚泥は928トンに上り、栃木をはじめ群馬、茨城県などに出荷していた。汚泥から放射性セシウムが1キロ・グラムあたり2万6400ベクレル検出されている。




放射能汚染は、人為的に拡散されそうになっている。
またしてもややこしい、金目もからんでいる。

国土交通省がつくる基準の妥当性、
それからセメント会社の情報公開、
流通のトレーサビリティの確保、
全国の浄化センターで排出される汚泥の継続的な検査体制

こんなものをよくよく注意しておかないといけないと思うのだけれど、
いずれも、危うい気がする。




焼肉店で、ユッケという生肉料理を食べた人が食中毒で亡くなった。
肉の管理をめぐって、争いが起きている。
世の中の関心は、そこへ誘導されている。

ユッケは、少なくとも今後は、食べなければ回避できる。
しかしセメントはそうはいかない。

今ここでハンドリングを誤れば、
自分たちの街の道路が、橋が、マンションが、
これから何十年も常に放射能を発することになる。

週刊誌風にいえば「被爆装置付きのインフラ」とでもいうものが、
追跡不可能な状態で全国に広がってしまう。

焼肉屋の動向に興味を奪われている場合ではない。

2009年05月11日(月) 
2006年05月11日(木) 家が鳴る
2005年05月11日(水) 
2004年05月11日(火) もう春ではない日



2011年05月10日(火) 東日本大震災 官僚不信宰相

5月7日の新聞記事。「定まらぬ完了活用法 首相、根強い不信感」なる見出し。

復興計画の立案を担う復興構想会議のメンバーに官僚が入っていないことを指摘している。
薬害エイズ問題に取り組んだ経験から、官僚不信が拭えない、というのは首相周辺の解説である。




その記事をバサバサとひっくり返したところに、このニュース。

「原子力、3本柱の一つ 経産省のエネルギー政策内部文書 原発重視の方針堅持」という見出し。以下抜粋。

「原発の緊急安全対策を進めて「安全宣言」を早期に行うことで既設の原発からの電力供給を確保し、2030〜2050年には「世界最高レベルの安全性に支えられた原子力」を、エネルギー政策の三本柱の一つとするとした、経済産業省の内部文書が6日、明らかになった。」
4月22日付けで作成され、国会議員らへの説明資料に使用されたものであるそうだ。

記事は、「菅直人首相が、14基の原発の新増設を盛り込んだエネルギー基本計画を含め、政策の白紙からの見直しを表明、中部電力浜岡原発の停止を要請するなど、これまでにない政策を進める中、従来の原発重視を堅持する方針を早々に打ち出したことには、今後各方面から批判が出るのは確実だ。」と結んでいる。




世界最高レベルの安全性に支えられた原子力?20年後に?

まあいい。
でも、その前に、目の前にある世界最高レベルの危険を回避できるのか、
そのことの答えがまだ出ていない。

人の世を喰い散らかしては駄目だ。




この内部文書の作成に、菅首相がかかわっていたとしたら、相当な二枚舌である。

そうでないとするならば、そして、件の復興構想会議に役人を入れない理由が、官僚不信が拭えないという心境によるのならば、それに私も一票投じたい。



政治の実行部隊である官僚を一国の宰相が信じられないと言い、

そのことに妥当性を感じてしまう事実がある。

いったい、官僚組織というのは、あるいはこの国を運営するというのは、
どういうことになっているのだ、と思う。

2010年05月10日(月) それを想像しない権利
2006年05月10日(水) 3時間と一生
2005年05月10日(火) 夢ログ
2004年05月10日(月) 命の著作権



2011年05月09日(月) 東日本大震災 現代佐渡金山

日雇い労働者が多く集まる大阪市西成区のあいりん地区で、東日本大震災後、宮城県で運転手として働く条件の求人に応募した男性労働者から「福島第1原発で働かされた。話が違う」と財団法人「西成労働福祉センター」に相談が寄せられていたことが8日、関係者への取材で分かった。と言うニュース。



ニュースは、話のマクラである。

日雇い労働者に原発での危険な作業を下で行わせていた事実は、
今回の事故によって市民にフォーカスされ、
「原発奴隷」「原発ジプシー」というキーワードで探せば、調べることができる。



今をときめく小出裕章さんが二十年以上前に行った講演会の動画をネットで聴講すると、
既に彼は、原発労働を含め、貧困者にすべてのしわ寄せがいくことを説いている。



日雇い労働者達は、色々な因果があったにせよ、
そうなりたくてなったわけではないだろう。

弱みと無知につけこんで、生命を軽視した労働をさせる仕組みは、間違っている。



頭のよい人は、誰かがそうした犠牲を負うのが現実だ、と言うだろう。

江戸の無宿人が佐渡金山で人夫をしたから、江戸幕府の財政は成立した。
もう歴史的に、人の世はそういうことになっている、と。


けれども、人の身にあることは、いずれ我が身にある。
自分の子どもが将来、路上生活者にならないとは断言できない。


私は、こんな「戸板一枚下は地獄」のような社会構造を継続するぐらいなら、
もう電気エネルギーというものを返上したい。

2006年05月09日(火) 放送網の占拠
2005年05月09日(月) 筋力不足
2004年05月09日(日) さらば黒ヒョウ


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