無責任賛歌
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記




ホームページプロフィール掲示板「トーキング・ヘッド」メール
藤原敬之(ふじわら・けいし)

↑エンピツ投票ボタン(押すとコメントが変わります)
My追加


2002年12月31日(火) あまりノロケてるって受け取らないようにね(^_^;)/『エクセル・サーガ』10巻(六道神士)/『永井豪作品全書』ほか

 11年目の結婚記念日である。
 てことは、ギリギリ20代で私は結婚してたのだな。
 でも11年経っても人間的成長なんて1年分くらいしかないような気がするなあ。しげと結婚して唯一悟ったことは、「バカには勝てん」かも知れない。

 こうしょっちゅう夫婦喧嘩ばかりしていると、仲がいいんだか悪いんだか、読者の方の中には判断がつかないと仰る方もおられるようだが、それは人生の機微を知らぬ者の言いぐさである(←エラソウ)。
 人間、くっつくも別れるも全て「縁」なんで、仲がいいか悪いかとか、愛情があるかないかとかは、たいした要素じゃないんである。
 我々自身、「リコンの危機やね」が口癖になっていながら(言ってるのは一方的にしげなんだけれど)未だにくっついてるのは確かにフシギではある。しかしその理由を説明しろったってやっぱり「縁でしょうねえ」としか言いようがないのだ。
 「続いてる秘訣はなんですか?」とか「羨ましいですね」とか言われることも多いが、まだ11年しか経っちゃいないんだけどねえ。実際、年がら年中、マンガだのアニメだの特撮だのと騒いでDVD買いこんでるアホと、家事一つできない生活無能力者の夫婦のどこが羨ましいんだか。どうも皮肉や揶揄ではなく、本気でこういうこと言ってるらしいんで、困惑してるのは我々の方なんである。
 それとも、我々の存在が羨ましくなるくらいに世の中には不幸な人間が増えてるのかなあ。冷静に考えてみたら、我々なんて「ああはなりたくない」サンプルだろうに。
 もちろん、ある意味では我々夫婦も「円満」であると言えなくもない。今んとこ私も浮気はしてないしする気も全くない。しげからは「○○○に行ってカネ使うくらいなら、一人で○○○○するやろ、アンタは」と言われてるが、そういうもんでもない(それにしても自分の相方に向かって、なんて言いようだ(^_^;))。ただ、「このままずっと一緒だろうなあ」とは思っているから、それこそ本当に家庭崩壊しているような家から見たら、羨ましがられるのかもしれないが、そんな低いところで羨ましがられても、と思うんである。黒澤明の『天国と地獄』じゃないが、どうせ憧れるんだったらもっと高いところに目をやらないか。「ヨッちゃんのケーキのほうが1センチ大きいもん」なんてレベルで嫉妬するのって、みっともないだけだと思うが。
 我々とて、未だに子供がいないので、じゃあコドモのいる家庭が羨ましいかと言うと、いいなあとは思うが嫉妬するほどではないのだ。人は人、ヨソはヨソなんである。
 やっぱり最近、やたらと「子供は作らないんですか?」と私もしげも言われちゃいるんだが、これとて縁だ。コウノトリさんが扉を叩いてくれないのでしょうがない(^o^)。

 この「コウノトリさんがコドモを運んで来てくれない」ネタ、最近いろんな人に受けている。「どうしてコドモがいないんですか? 作らない主義なんですか?」などと聞かれたときに、こう答えると、次にその人に会ったときは「コウノトリさんは来ましたか?」と聞かれるようになったのだ。
 しかし驚いたのは、今やこの「コウノトリが子供を運んでくる」というフォークロア、もう知らない人いるんだね。「キャベツから生まれる」ってのはもっと知られてない。『ホーホケキョ となりの山田くん』のオープニング、若い人には不条理アニメに見られちゃうんじゃないか。


 しげへの結婚ブレゼント、昨日博多駅を回ったときに慌てて買ったのだが、一つだけだとイヤだと言われそうだったので、各種いろいろ取り揃え。
 12時を回るなり、しげに渡すと、嬉々として品定めを始める。
 でもあまり「結婚の」という雰囲気のモノがない。しげの顔がみるみる暗くなる。やば(・・;)。全く、これも私の悪い癖なんだが、いかにもプレゼントブレゼントしたものを贈るのは誰に対しても照れくさくなってしまい、つい悪ノリしたものばかり買っちゃったのだ。
 「指紋採取セット」や「環境度チェックセット」はウケるかと思ったんだが、「実験してどうするん」と言われた(^_^;)。いや、21世紀だし科学の子になってほしいし。
 「茶運びカラクリ人形」は「夜になったら動き出すからヤだ」と拒否。動きださねーし髪も伸びねーよ。いや、怖がるかもと思いつつ、つい面白いんで買っちゃった私も悪いんだが。
 「電動耳掃除機」は、一瞬喜ばれたが、試してみるとズル耳のしげの耳には合わなかった。あれ、吸引式だから粘着タイプの耳垢には効果がないのである。
 結局、コートと安い化粧セットと、ごく無難なものだけがまあ、しげのお気に召したよう。シール式のネイルアートを私の爪にも貼って喜んでたが、やっぱりブレゼントはシンプル・イズ・ベストと言うことか。つーか「ヘタなテッポも数あちゃ当たる」という感じだったけどね。

 せっかくの結婚記念日なのだが、こんな年末、近所で開いてる店なんてどこにもない。一番豪勢に食事するとすればロイヤルホストである。
 帰宅したら2時を回っていたので、朝までひと寝入り。


 ゆっくり寝るつもりだったが、意外と早く目覚める。しげは当然まだイビキをグガスカかいている。けっこう仮面のポーズでいぎたなく寝ているしげを見ていると、窓を開けてご近所に見せてやろうかという気にもなるが、あいにく寝室の窓はテレビと本棚で潰れているのである。しかし、こいつにだけは「トシヨリは早起き」になる時期が来るとは思えないな。
 テレビを点けると、「テレビタックル」の再放送をやっていて、これが超常現象特集。ロシアかどこかの超能力者とかいうのが出演してたが、「空中浮遊ができる」と言っていながら、ロシア本国でも日本でも全くできない。日本旅行のダシに使われただけじゃん、テレビ局。「飛べなかったら旅費は向こう持ち」くらいの契約書結んどきゃよかったのに。でもそうしたらきっと来日しなかったんだろうな。
 ビートたけしや大竹まことは失笑してたが、本気で超常現象を研究するつもりなら、こういうインチキネタばかり出してくるのは逆効果だと思うが。


 しげが起きてきたのは、結局2時。まあ夕方にならなくてよかった。
 父の店に連絡を入れたら「今忙しいからあと1時間して来い」とのこと。
 それじゃあ、と風呂に入ったら、途端にまた電話が鳴って「ヒマになったからすぐ来い」。どっちなんだ。
 店に着いて中に入るなりビックリ。壁にかけてあるカレンダー、巨乳アイドルのMEGUMIである。
 「なん、これ?」
 当惑して思わず出た私の声に、父が即答する。
 「MEGUMIたい。巨乳」
 いや、それはわかる。私が聞きたいのは「なんでそんなものが壁にかかっているか」だ。
 「よかろうが。これ掛けとくとお客さんが喜ぶとたい」
 姉まで「ホント、喜ぶとよ」とやや処置なし顔で言う。でも一番喜んでるのは、どう考えても父だ。
 そう言えば去年はここに小向美奈子が掛かってたっけなあ、と思い出す。どっちかというと父の好みは八千草薫みたいな清純派だったはずだが。いつから巨乳セクシー系に蔵がえしたんだ。トシ取ってかえっておっぱいが恋しくなったか。
 まあ、突っ込んだって仕方がないので、黙って伸びきった散髪をしてもらう。
 「なんではよう来んやったとや」と言われるくらいに伸びていたので、思いきりバッサリと切ってもらう。実際、そうしてもらわないと、髪が薄くなってるのがバレバレなのだ(^_^;)。
 父も今朝の「タックル」を見ていて、「日本におるけん飛べんとか言うとったばってん、ロシアでも飛べんやったやないか」と文句をつけている。ああいう番組でホントに人が飛んだためしってないんだけどな。
 途中、常連のお客さんが見えたので、いったん散髪を中止。
 「息子さんば先にせんでよかとね?」と仰ってくださるが、父、「よかとよかと。アンタとの付き合いのほうが長いっちゃけん」とお客さんを優先。もちろん私に文句はない。今や大晦日にいらっしゃるお客さんというのは40年以上のお付き合いのある人だけになっているのだ。大事にするのは当然。
 しげは自分で時々勝手に髪を切っているので、あちこちザンバラである。それを整えて見られるようにしてもらったら、ほとんど刈上げ状態になった。なんだかおぼっちゃまである。
 散髪が終わって、「ソバいらんか?」と聞かれたが、「ソバだけは用意してるから」と断る。ホントはもらっときゃよかったんだろうが、用意してくれてるときとそうでないときがあるからあまり当てにしてないのである。


 テレビ『もういくつ寝ると25周年!? ドラえもんスペシャル』。
 原作第1話『未来の国からはるばると』初アニメ化ってのが触れこみだけれど、まあそんなに大上段に構えるほどの始まり方はしてないのである。原作版は、ドラえもんもオバQもそうだが、初期はどちらも実に「もっさり」していて、このもっさり感が実は藤本さんの「味」なのだが、当然、今のキャラデザインに合わせたドラえもんにそういう印象はない。スタッフに「原典回帰」の意図はあったのだろうが、原作自体が変質していった中では、それは詮無い試みであると思う。良くも悪くも第1話とて「今の」ドラえもんにならざるを得ない。だって、本気で「原典に」とおもうなら、声優を一新するくらいの気持ちで始めないといけないのではないか? 少なくとも私は今の『ドラえもん』が始まったときに「大山のぶ代ってドラえもんのイメージじゃないなあ」と感じた違和感は忘れてないぞ。少年同士の友情なんだよ、のび太とドラえもんは。大山さんのオバサン声でそれを表現するのはムリだ。石田国松のころの大山さんならまだ合うんだが。もちろん今の若い視聴者にそういう違和感を感じてくれって言ったって、イメージを刷り込まれてる今じゃ、到底ムリな話だろうが。

 ずっと隠してた(ことになってた)主題歌の歌い手、東京プリンと発表。
 アニメとの合成で頭にプリンのかぶりものかぶって踊ってたけど、これでまたファンの怒り買わないかなあ。けどこの「ドラえもんじゃない!」と批判の多いリニューアルソングも、しばらく経てばみんな馴れるのである。私ゃ前の子供に媚びてたのに比べりゃ、よっぽどマシになったと思うけどな。


 『ビートたけしの世界はこうしてダマされた!?』。
 なんだか今朝と同じような番組やってるのである。
 タイトルからすると「月面着陸はヤラセだった!?」ってトンデモな結末を導き出すのかと思ったらそうではなかった。まあ、あれを否定したら番組への非難轟々だろうし。
 でもどの「ヤラセ」についても結論を出す寸前の寸止め状態で引くってのは、やっぱりビリーバーの人たちのヒステリックな反発が怖いのかね。サイババなんてどう見てもインチキしてるようにしか見えないんだが。


 DVDレコーダー、長いこと買ったままで接続してなかったんだが、『紅白』を録るためにようやく接続。ところが端子が足りず、BS放送が映らない。仕方なくCSから録画。
 見返してみると、倍速だと相当に画面が粗い。ビデオテープに比べると、ディスクでコンパクト、ということ以外にはあまりメリットがないな。


 マンガ、六道神士『エクセル・サーガ』10巻(少年画報社/YKコミックス・520円)。
 次のアニメ化があるならまだ続けていいけど、そろそろネタとしては引きどきじゃないかなあ。いい加減でイルパラッツォと蒲腐博士の因縁とエクセルの絡み、書いてほしいんだけど。
 しかし、毎回福岡限定、ヤバいネタやってくれてるよなあ(^_^;)。岩田は改造されたあと、「三越」って名前になってたのか。でも実際に吸収合併したのは「伊勢丹」だぞ。そっちの名前のほうがロボットっぽくないかな。
 第1話「弱かったり儚かったり」に出てくるデパート「表屋」っての、「寿屋」だよ。店長の「人が居ないんです荒れてるんです等閑になってるんです!!」って、関係者が見たら激怒しないか。実際、支店がどんどん消えてったものなあ。私ゃ、どこより安くて一番利用してたデパートだったってのに。テーマソングも歌えるぞ♪(それがどうした)
 「濃度99.9%」に初登場の住吉の妹、「かなる」ちゃん、これはもう明らかに「キャナルシティ」である。確かにあそこの住所、住吉だったな。オサゲで眼鏡っ娘で中一の13歳の「妹」である。ここまで「狙った」キャラというのも珍しいな(^o^)。ということは、この女の子の中にも間歇泉みたいな噴水とか、シコシコしてたり油っぽかったり肉厚だったりするものを味わわせてくれるスタジアムとかがあるのだろうか。……すみません、ついどうしょうもないシモネタやっちゃいました。m(__;)m
 「黄金の心」の「海鷲スタジアム」はもちろんダイエーホークスフランチャイズの「福岡ドーム」。これは福岡人以外にも『ガメラ 大怪獣空中決戦』でお馴染み。ダイエー選手のサイン入り色紙とかは常時買えます。
 「神でも痛い」のさつま焼酎「林伊蔵」は元ネタわかんないなあ。酒には疎いもんで。

 けれど今巻の白眉は何と言ってもラストの番外編、『夏の番組』だ。
 市立アクロス学園2年A組、ごくフツーの女子こーせー、小林琴乃は、そのパワーを校長と生徒会長に見初められて、「アメリカから来たナゾの外人・エクセル」の名前を与えられ、対外試合の助っ人として抜擢されたのであった。
 ……って、まんま『アグネス仮面』じゃん(^_^;)。蒲腐の顔、しっかりマーベラス虎嶋になってるよ。そのあとの展開も、エルガーラとタッグ組まされるとこまでおんなじ。ここまでテッテ的にやられると、ヒラマツ・ミノルさんも面白がってるんじゃないかな。
 ほかにもやたら細かいパロがあったんで、分るだけ解説しようと思ったら、既にネットに全て書かれていたのであった。さすがマニアはいるよなあ。
 「あれは… デンプシーロール!?」→ 森川ジョージ『はじめの一歩』
 「ああ 光が見える」       → 小山ゆう『スプリンター』
 「先生ー バスケが……」     → 井上雄彦『スラムダンク』
 「光速!! 右ペン速攻」      → 松本大洋『ピンポン』
 「我が部は今日からカーリング部になったのだよ」「ナンテツイテナインダ」→ 吉田聡『ちょっとヨロシク!』
 「チョキ? いやっグーだっ」   → 福本伸行『賭博黙示録カイジ』
 「まてーっその技を2度使ったら……! おまえは死んでしまうんだぞーッ」→ すがやみつる『ゲームセンターあらし』
 「そのシルエットは! 生きていたのかエクセルーっ」→ 宮下あきら『魁!! 男塾』
 「人が鳥に――!?」「うう…聞いたことがある あれはまさに――」→ 島本和彦『男の一枚 レッドカード』
 「カバディ」「カバディ」「カバディ」→ うすた京介『セクシーコマンド−外伝 すごいよ!! マサルさん』
 「エクセルうううー オレは人間をやめるぞォォォーッ」「誰!?」→ 荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』
 「右上スミ小目!」        → ほったゆみ原作・小畑健作画『ヒカルの碁』
 全体的にジャンプ系が多いね。私も全部はわからん。『スラムダンク』、読んでないし。『ちょっとヨロシク!』懐かしいなあ。死んだ母が「この世で一番つまらないマンガ」と貶してたっけ。そこまで貶すほどの何が母にあったのだろう(^_^;)。
 いやまあ、それはそれとして、結局何とかエクセル・エルガーラにせ姉妹は四王寺学園の六本松(ロボット)姉妹に辛勝するのである。どうやら次巻も続編が載るらしいのだが、滅法面白いんだから、どうせならこれだけスピンオフさせて、連載しちゃったらどうか。


 『永井豪作品全書』(新紀元社・3675円)。
 表紙が『まろ』の卵の君のぬーど。なんてマイナーな(^_^;)。
 短編長編取り混ぜて、全ての作品を各2ページずつ解説して網羅。網羅はいいんだけれど、1ページのコママンガも『バイオレンス・ジャック』も同じ2ページ扱いってのには疑問が残る。
 それだけ一つ一つの短編にページを裂いていながら、永井豪自身が筆を取っていなくて、アシストに描かせている作品(『ハマグリどっせ〜!』ほか)まで全て何の注釈もなく載せているのは資料としても不備である。
 反面、単行本未収録の『快傑痴仮ン面!』ほかの短編を完全収録してくれているなど、嬉しい面もあるのだが。
 ああ、けれど本当に永井豪が破天荒でバカバカしくてムチャクチャ面白かったのは、『イヤハヤ南友』くらいまでだったんだよなあ。ギャグもエロスもバイオレンスもSFも、それ以降の作品はことごとくパンチに欠けている。
 今の説明的でゴテゴテしてるばかりでキャラの線が少しも生きてない作品を見てたら、永井豪がかつてどれほど一時代を築いていたか、納得しきれない若い人も多いだろうなあ……。

2001年12月31日(月) 40歳のロンゲ……髪薄いってのに/『読者は踊る』(斎藤美奈子)ほか
2000年12月31日(日)  20世紀の終わりの夜に……/『算盤が恋を語る話』(江戸川乱歩)ほか


2002年12月30日(月) 迷える不惑/DVD『ウォーターボーイズ』ほか

 40歳である。
 オジサンになったなあ、というのは30歳のときに感じたことであるので、今さらトシ取ったって感慨はない。それよりもう、あと何年生きられるかなあ、と、つい、余命を考えて、できるだけキツイ仕事は避けよう、なんて考えたりしているのである。なんたって今の職場、今年1年だけで3人も過労で退職、入院してるんだから。
 今日だって、同僚は仕事してるんだけれども、「カンベンしてくれ、年末や元日まで仕事するのかよ」と休みを取っているのである。そんなにみんな死にたいのか。
 けれど私が決して仕事から逃げているわけではないことは付け加えておこう。こないだの日記にも書いたが、なんたって二日からはもう仕事なのだ。「働いてないでDVDばかり見てるんだろう」とは言わせんからな。誰が言ってるんだ。みんなか(^_^;)。
 まあ、これからもいきなり死なない程度にはがんばらせていただきますんで、何卒ごヒイキに。


 朝、広島の友人のH君から電話。
 「誕生日だろ?」
 よく覚えててくれたなあ、と嬉しくなる。私の方は人の誕生日をなかなか覚えられないタチで、何しろ父親の誕生日すらしょっちゅう忘れてる。しげも私の誕生日をしょっちゅう忘れて、「あんたの誕生日いつやったっけ?」と真顔で聞かれるのだが(ネタではなく事実である。マジで女房は天然なのである)、こういうところで夫婦似たくはない。
 「今、実家に帰ってるから、借りてたDVD、返しに行こうか? ついでにまた本を持って行くから」
 そう言えばDVD貸してた。こちらは数枚DVDを貸すだけで、彼からは10冊も20冊もマンガだのSFだの貰ってるのだから、毎度のことながらありがた過ぎるほどにありがたいことなんである。
 だいたいどこの世界にその価値を知っていながら早川の銀背やサンリオSF文庫をポンとくれるヤツがいるだろうか。なんだか友人には恵まれ過ぎてる気がする。

 友達が来るのは夕方になるので、それまでに博多駅の紀伊國屋を回って、本やDVDを買い込む。あとで気がついたが、そのときついでに何か土産を買っておけばよかった。つくづく不義理な人間であることよ。

 夕方4時、H君来訪。
 「持って来たぞ」と言いつつ出してくれたのが、いしかわじゅんの単行本がズラリ。『ちゃんどら』や『パンクドラゴン大全』『メンカー』など。うわあ、軒並み絶版本ではないか。このころのいしかわじゅん、一番勢いがあったよなあ。
 「いいのか貰って?」
 と恐る恐るH君を見上げるが、全く屈託がない。人間の器の違いを見せつけられる瞬間であるが、やっぱり私は遠慮なく貰っちゃうのである。これではしげの強欲を責められんなあ。
 中身は昔読んでたものばかりなのだが、ペラペラとページをめくりながら、やはりいしかわじゅんの絵は最初期の頃が好きだったなあと再確認。女の子の絵の書き方に変化が生じて(流行に乗ろうとして失敗)、つまんなくなってしまった。もっともいしかわじゅんの最高傑作『約束の地』は絵柄を変えてからの作品だけれど。
 たがみよしひさの『精霊紀行』上下巻も貰う。これも持ってんだけどな(^_^;)。この単行本も店頭ではすっかり見かけなくなってしまった。復刊……というよりは、何年、間が空いてもいから続編を書いてほしいくらいのシリーズだった。都筑道夫の『雪崩連太郎』シリーズにインスパイアされたと思しい日本版ゴースト・ストーリーなのだが、ホラーブームが起きる以前、80年代にこの手の作品を書いていたのはたがみさんくらいのものだったのである(つのだじろうは切り口が既にかなり古臭くなっていた)。

 礼と言ってはなんだが、H君に『プリンセスチュチュ』や『攻殻機動隊SAC』などを見せる。H君、どう感想を述べて言いかわからぬ様子。そりゃまあ、いきなり第1話の「花のワルツ!」のシーンを見せられりゃあ、絶句するしかなかろう。私も最初はそうだった(^_^;)。ともかく「なんだこれは?」なシーンの連続だものなあ。
 『千と千尋の神隠し』の予告編映像と本編映像を比較して見せながら、「どうだ? 赤いか?」と聞く。色弱な私には未だにその違いがよく分らんのである。「赤いでしょ?」と言われたらそんな気がしてくるが、映像を入れ替えて同じことを聞かれても「イエス」と言ってしまいそうな気がする。
 H君、「予告編を収録しなければ、気がつかれなかったんじゃないか?」と言う。まあ赤いと言ってもその程度だろう。やっぱりこの事件、裏に「仕掛け人」がいる気がしてならない。

 ご家族がいらっしゃるので、H君もあまり長居はできない。せいぜいウチにいたのは数時間か。独身時代はもちろんまる一日ウチで遊んでたものだったが。

 私より遥かに知識も見識もある彼が、自分のシュミを犠牲にしているのを見ていると、オタクってやっぱり結婚しないほうがいいよなあ、と思うこともある。けれど、もちろんそれを承知でH君は「家族」を作ることを選択したのである。幸せを全てオタク的見地で括っていいものではない。だからこんなモノイイは、ホントは避けるべきであろう。けれどやはり、家族とか、そういうもののほかに、「こういう生き方もあっていい」という価値観を示す人々がいてもいいのではないかとも思うのだ。私は『オトナ帝国』における「家族の絆」を、人と人を繋ぐシステムとして有効、とは考えたが、絶対、と考えている訳ではないのである。安易な家族主義が、個人の圧殺を引き起こしてしまう例とてあろう。
 ……念のために書いておくが、H君が別に自分の家庭を不満に思ってるわけではないので、そこは誤解なきように。彼の家庭は、夫婦喧嘩一つなく、昨今珍しいほどに円満である。人徳だよなあ。
 彼を見ていると、私はやっぱりしげに遠慮してるようでいて、実は結構好き勝手に生きてるのかもなあ、と思ってしまう。自分のシュミを貫いて行けば、たとえ自分の相方が相当なオタクであっても、どこかにすれちがいが生じるのは仕方がないことである。
 しげとのケンカはたいてい「お互いを顧みない」ことが原因でで起きる。でも私の場合、残りの人生ってたいしてないと思ってるから、どうしてもしげを無視して生き急いじゃうところがあるのだ。
 しげの存在は私の人生にとってなくてはならないものではあるが、かと言って
その全てではない。しげの要求に全て答えることは精神的にも体力的にも到底ムリな話なのだが、「全て」を求めるしげの強欲さが数々の齟齬を生むのである。……アンタね、しげの望み通りに行動しなきゃならないとなったら、毎日毎日、帰宅するたびに腰を捻って踊りながら「ハーイ、マぁイはに〜、待ってたかァい?! ボクは今日も君に胸がズッキュンズッキュン! 一瞬だって忘れてないぜベイベぇ〜! らぶらぶビーム!」とかやらねばならなくなるのである。……できるか(-_-;)。
 しげと付き合って、その命を縮めぬ者はまずおるまい。


 H君が帰ったあと、父からも誕生日の電話。しばらく散髪をしてないので、明日は必ず来るようにとのこと。いやそりゃ行きますけどね。
 姉から「もっと頻繁に顔を見せなさい」とお叱り。
 「だって、『正月、なんか予定あると?』って聞いても、『ない』ってしか言わんし」
 実際、「別に来んでいい」と言われちゃ、行けないじゃないの……と続けたかったのだが、そう言う間もなく、続けて姉に捲くし立てられる。
 「用事がなくても来ていいとよ! ああ見えてホントは寂しがっとうっちゃけん。そりゃ、姉ちゃんにお父さんば押しつけたっちゃ、全然かまわんばってん?」
 いや、押しつけてる気はないけど……結果としては押しつけてるなあ。まあ抗弁してもなんなので、明日顔を見せることを約束。しがらみで会うのは父も私も好きじゃないんだがなあ。


 DVD『ウォーターボーイズ』。
 映画自体も気に入ってたのだけれど、特典映像がスゴイ。メイキングがあるとか、コメンタリーがつくとか、そこまでは普通なのだけれど、登場キャラクターをフィーチャーしての短編を5本、新たに制作しているのですよ!
 まあ、出演者が若手ばかりでギャラが安かったからこそできたんだろうけれど、数あるDVDの中でも、これほど「おトク」感を得たものは近来にないと言っていい。

 『チェリーとスイカ』。
 矢口史靖(しのぶ)監督自らメガホンを取ったサイドストーリー。
 火事のせいでプールが使えなくなった唯野男子高校水泳部に救いの手を差し伸べた眼鏡っ娘トリオ、桜木女子高の伊丹弥生(秋定里穂)・中村由紀恵(土師友紀子)・小林久美(上野未来)、人呼んで、「チェリーズエンジェルス」の文化祭前の1日を描いたもの。監督もお気に入りだそうだが、私もお気に入りだぞ。
 本編映画では弥生ちゃんが一番目立っていたのだが、今回のサイドストーリーでのメインは久美ちゃんにシフト。この子、八百屋の娘だったのだな(もちろんこの話のために新たに付け加えられた設定であろう)。『ひみつの花園』の頃から矢口監督はちょっとヘンな女の子を描き続けているんだけれど、この子も相当ヘン。拾ったスイカ食っちゃうだけならともかく、友達にも食わせちゃうんだもんなあ。そんな女子高生おるかい(^_^;)。……で、三人とも食中毒で入院してやんの。よく文化祭に間にあったものだ。
 でもこういうヘンな女の子たちと言うのは見てて楽しい。どうも私は普通でない女の子に惹かれる悪い癖があるようである(今さら)。
 
 『鈴木のトラウマ』。
 本編の主役、鈴木智<スズキ>(妻夫木聡)の過去のトラウマ歴を辿る一編。監督は本編助監督の片島章三。
 文化祭当日、土壇場になってシンクロを披露することに躊躇を覚えた鈴木は、自分がこれまでいかに根性ナシであったかを回想する。
 小学生の頃は全くのカナヅチで女の子にバカにされていたとか、それはまだたいしたことないのだが、中学時代、不良に絡まれた彼女を見捨てて逃げたってのはちょっとシャレにならない。今になっていくら勇気を奮い起こしたからって、過去の罪が帳消しになったわけじゃない。絡まれた彼女は結局どうなったんだよ? あの状況じゃマワされたとしか思えんが。
 ドラマの主人公ってのは、どんなに悪辣なやつでもどこか優しいとこがあるとか、客に感情移入をさせるための工夫をしなきゃならんものである。これじゃ、鈴木は、過去のことは過去のこととしてキレイサッパリ忘れて、新しい恋に生きる卑怯者に過ぎない。炎尾燃が見てたら、こんなやつ、鉄拳制裁だぞ。
 脚本家がバカでヘボなので、せっかく主役の子を使ったのに、つまんないどころか腹立たしくなっちゃった一編。

 『ワンモアチャンス』。
 監督助手の山口晃二の脚本・監督による、東海林勇二<ユージ>(鈴木祐二)、成瀬金太<キンちゃん>(金原泰成)、星野宏<ホシノ>(星野広樹)、阪本友也<ユウヤ>(西川祐也)のウォーターボーイズ・バックダンサーズ(^o^)の4人をフィーチャーした一編。
 体操一筋にやってきて、ふと、自分の未来に疑問を感じるユージ。「オレって本当は何をしたいんだろう?」。
 モチーフそのものはありふれてるものだけれど、じゃあ青春ものにありがちな熱い友情物語が展開するかというとそうはならない。なにしろホシノとユウヤは、ユージが悩んでる間、高校三年間の思い出造りに、立ちんぼさんに会いに行っているのである。そうかそうか、彼女いないヤツはそういうことやってたのか。30分で1万5千円(二人で3万)ってのは、相場としては安いんかな。
 結局、ユージの悩みも叫んでるうちに何となく解消する。その何となくな感じがイマドキなんだろうな。

 『がきんちょハート』。
 ウォーターボーイズチョイ役の望月大志<ダイシ>(松永大司)をフィーチャーした一編。メイン5人組の一人、金沢孝志<カナザワ>(近藤公園)も出演しているが、映画本編には登場していないアッコ(宮下ともみ)の出演がこのサイドストーリーの見どころだろう。男をグーで殴れる女に悪いやつはいない(^o^)。
 これって、まさしく『ウォーターボーイズ』の裏ストーリーっつーか、アンチドラマになってるのな。ダイシってただのバカで、シンクロやろうと考えたのも、カナザワたちがテレビに映ってたの見て羨ましくなっただけという単純なもの。「悩める鈴木」とは真逆なのだ。アッコと付き合い始めたのも、不良に絡まれてるアッコを助けたところからだし、「シンクロやろっかな」と言ったらアッコから「バカ?」と嫌われるのも、本編の静子がシンクロに偏見がないのと比べると全然違う。で、ダイシがふられてしょげて、シンクロやる気なくすかと思ったら、これがならないのだね。そして超常現象研究が趣味のカナザワにつき会って、UFO見物に出かけて行く。お空じゃUFOがホントにシンクロ演技。……って、どういうストーリー展開だよ、脈絡ねーぞ(^_^;)。つまり、「バカの行動に理由はない」ってことなんだろうな。いや、楽しいんだけどね。
 脚本・監督はメイキング演出担当の白石晃士。

 『太田HOLE』。
 文句ナシの傑作。いやケッ作か。もう最初から最後までバカなんだものなあ。
 監督は五編中、唯一の女性、片岡英子さんだけれど、「女性監督に映画は撮れない」というのが偏見だっての、よく分るね。
 映画本編で「ガリガリの体を鍛えたい」とストレッチやってた太田祐一<オオタ>(三浦哲郁)が主役。主役だが、ほとんど全編、彼は穴の中である。歩いてていきなり、道端に空いてた穴の中にアタマからまっさかさまに落ちたのだ。普通そんな落ち方、せんわ(^_^;)。そして彼の受難の1日が始まる。
 一緒にいた兄貴(本編で警備員A役だった田中要次)は今週の「ヤングヤング」の話しかしないで全然助けようとしない……っつーか、弟の存在、忘れるし。
 それから穴の前に現れる人間たち、誰も太田を助けずにからかったり面白がったりするばかり。映画本編に登場した水族館の女の子(大津綾香)はやっぱり「バカじゃん!」と捨て台詞だけ食らわしてくれる。こいつ絶対ヤな女に育つな。
 突然現われた謎の男も、ヤカンに水を入れて下げるだけで太田を助けようとしない。というより、ヤカンの水が飲めない太田を見て楽しんでいるのだ。
 雨が降ってきて穴の中に水が溜まり、溺れかけるオオタ。彼がなぜ助かったかというと、謎の女(林田麻里)が泳いできて助けてくれたからである。穴の中って泳いで来れるほどに広くはないのになあ。でもそれが太田の幻想だとしたら、女はどうやって太田を助けたのか? っつーか、それ以前にその女、誰だ(^_^;)。
 なんだかよく分らないが、その事件がきっかけになり、彼はシンクロに目覚めたのであった。なぜ?(ー∇ー;)?

 まあしょーもない作品が混じってはいるが、新人にこういう形で短編映画を撮らせるというのは悪くない。DVDの特点もこれくらい凝ってくれると、まさにコレクターズ・アイテム。わざわざ買おうって気になるものだよ。

2001年12月30日(日) ケーキとシュークリームと焼き鳥と/『ヒカルの碁』15巻(ほったゆみ・小畑健)/『細腕三畳紀』(あさりよしとお)ほか
2000年12月30日(土) 誕生日スペシャル/アニメ『フリクリ』5巻、『競作五十円玉二十枚の謎』(若竹七海)


2002年12月29日(日) 消えていく街/DVD『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』/『TRICK2』(蒔田光治・太田愛・福田拓郎)ほか

 朝、目覚めると9時。
 自分の部屋以外で目覚めると、なんだか新鮮な気になるね。しげのお泊まり好きも分らないではない。
 でも窓のカーテンを開けると清々しい風景が……とはいかない。昨日も書いたが、前の山はずっと造成中なのである。おお、禿山の一夜。魔物は出たのか出なかったのか。
 チェックアウトは11時、ということなので、まだもう少し時間の余裕はあるのだが、食料などの買い物もしたいし、と、しげがもうひとっ風呂浴びるのを待って、10時に出る。
 料金は、入り口の精算機にカードを入れると、請求額が表示される仕組み。1泊14000円弱である。意外に安い。街中のホテルだと、二人で2万円くらい取るものなあ。やはりここは郊外だからだろうか。
 

 帰宅して、マンションのエレベーターに乗り込むと、中に「ゴミの分別を守ろう」というハリガミが。
 ウチは一応きちんと分別しているつもりではあるが、こういうハリガミが出されるということはウチのマンション、燃えるゴミと燃えないゴミの区別をしてない家庭が多いってことなんだろうな。
 マナーの守れない、だらしないヤツが増えた、と切って捨てるのは簡単なんだが、これはもしかしたら、と私が思うのは、もっと単純な理由で、「燃えるゴミと燃えないゴミの区別がつかない」ヤツが意外と多いんじゃないか、ということだ。
 かくいう私も、昔は「ペットポトル」が「燃えないゴミ」に入るとは知らなかった。どう見ても燃えるじゃんアレ、と思ってたんだが。実際、プラスチックだのビニールだの、その分別に困る材質のものは多い。更には、燃える材質のものと燃えない材質のものが合体してるようなものまで、巷にはゴロゴロしているのである。ダンボールなんか、いちいち留め金だけ外して分別して出すのか。そんな細かいことまでできるもんか、と反発したくなる人も、多くないか。一人暮しの非力な婆ちゃんにまで、そこまでせよと強制するのか。
 実際、大上段に「社会のルールを守れ、守れないのは非国民だ人間失格だケダモノだ」と罵倒されれば(いや、そこまでは言われないだろうが)、ムッとして「どうでもいいや」と適当な捨て方をする人も出てくるだろう。
 我々庶民の知的レベルなんてたいしたことはない。そこを見誤って、無理なマナーを要請するのは、ただの権威主義だ。ドラマやコメディによく出てくる「正義派おばさん」みたいないなヤなやつ、ウチのマンションにもいるのよ、全く迷惑かけてるのはどっちなんだか。
 ゴミの分別が大変なのは分るけど、行政の方でなんとかしてくれよ、そのために税金払ってるんだからさ。


 昨日は夜、ネットを見られなかったので、あちこちのサイトを散策。
 『龍騎』のあとの仮面ライダー、『仮面ライダー555(ファイズ)』ってタイトルなんだね。
 どういう話になるのか、今の段階では全く知らないけど、タイトルだけ見ると、何だか一気に貧相になっちまった印象である。いやね、「クウガ」も「アギト」も「龍騎」もタイトルは結構いいジャン? とか思ってたんですよ(#^_^#)。
 でも、今回の、「数字三つ並べりゃいいってもんじゃないでしょ。『漂流幹線000』か」とか思いませんでしたか、そこのアナタ。え? 太陽族がゴーゴー踊ってる姿を想像した? いくつですかアナタ。
 それにしても謎なのは、5を三つ並べて、どうして「ファイズ」と読ませいるってことだ。単に私が無知なだけなのかもしれないが、そういう読ませ方ってあるのか? 5の複数なら「ファイブス」だけど、三つ重なると「ブ」が取れるのか? それとも「φs」ってこと? いや、それでも意味不明なんだが。
 まあ、恐らくはこれも語呂がいいだけのただのハッタリなのであろう。
 もっとも、ハッタリの過ぎた作品って、たいていコケちゃうんだけどね。


 渋谷の歩行者天国が廃止になるそうである。27日から「試験的中止期間」に入ったそうだけれど、実質的にはこのまま廃止される可能性が高いらしい。
 1970(昭和45)年から数えて今年まで32年、それなりに伝統があると言ってもいい催し(と言っていいだろうね)が一つ消えるってことについて、東京都民はどう感じてるんだろうか。
 地方在住者にとっては「渋谷のホコ天」って聞いたら東京文化の象徴みたいに感じてて、ファッショナブル〜ってイメージだったんだが。もっとも今の若い世代がどう思ってるかは知らないけど。
 廃止の理由は「周辺の渋滞解消」「利用者の捨てるゴミへの苦情」ということだそうだが、前者はなるほど仕方がないかなと思わないでもないが、後者はどういうことだろう。利用者は開始当時の4万人から、現在、1万5千人にまで減少しているのである。人数がそれだけ減ってるのにゴミは倍増したのだろうか。単純計算しても、開始当時の4万人のうち5%がゴミのポイ捨てを行っていたとして2千人分、それを凌駕するゴミが現在出ているとすれば、3千人分か4千人分か、さうなると利用者の5人に1人くらいがゴミを捨てまくってることになる。そんな光景が渋谷で本当に展開されてるのか? そこまで東京人のマナーはデタラメになったってことなんだろうか。
 原宿と上野の歩行者天国も既に廃止、残る銀座・新宿・秋葉原・蒲田の4地区も見直す方向というから、要するに警視庁はホコ天の存在自体をなくしたいのだろう。「秋葉原」と聞くとつい「オタク対策か?」とか錯覚しそうになるが。
 ホコ天の何がそんなにいけないのだろう? 東京から離れて暮らしてもう随分になるからホントに実態が分らないのだが、福岡の親不幸通りみたいに犯罪の温床にでもなっていたのだろうか? そうでも考えない限り、「渋滞の解消」程度でホコ天を廃止しようとする意図が分らないのである。
 いや、こういうことをつい考えちゃうっていうのは、一昔前の映画にはやたら渋谷のホコ天が登場してたからなんである。記憶が定かじゃないんだが、『ウルトラQ』でもどの話だったかにホコ天出てこなかったかな? 全話見返す手間がかかるんで未確認なんだけど、映像は思い浮かぶ。そういう思い出があるものだから、地方在住者の私にとっても、道一杯に広がり、交差点を行き交う人々の群れは、「郷愁」を誘う風景なんである。
 そう言えば、最近の映画でも、『ガメラ3』でハチ公が燃えてたな(^^)。
 「風景」というものも、もちろん一つの文化なんである。それを簡単に無くそうってのは……ま、東京は昔からそればかりやって肥大化してきた街なんだろうけれどね。でも、そうやって建物だけが空間を占拠していく街の中にあっては、人々の姿が、みなただの「通りすがり」に見えてしまう瞬間がある。ここは、人が「生きている町では無いのか?」、そういう疑問を抱いてきた人はこれまでにもいくらでもいると思うのだが。「東京には空がない」か。もちろんそれは、空を見上げる人もいないからである。
 ゴジラがやたら新しい建造物ばかり壊したがるのは、東京人が本気で街を戦後の廃墟のころにまで戻したがってる願望の表れなのかもね(^_^;)。


 充分に寝たりなかったせいか、ネットをしてるうちに睡魔に襲われる。
 そのまま夕方まで再び爆睡。起きたらもう夕方の7時である。こんなに寝ちゃ、しげのことを笑えないなあ。


 テレビで劇場版『ONE PIECE(ワンピース)珍獣島のチョッパー王国』を放映。年末スペシャルってことだけど、これでテレビシリーズの作画スタッフに少しでも正月休みをあげようってことなんだろうね。でもその分、劇場版の制作時がもうてんてこまいとゆーか、修羅場になっていると推察される。
 なにしろ、劇場版のわりに作画がそんなによくないから(^_^;)。
 話はチョッパーが珍獣島の王になりかけるって話だけど、でも最後はやっぱり仲間と旅立たなくちゃって、もう『冒険ダン吉』ゆら『少年ケニヤ』以来の古色蒼然としたパターンをなんの工夫もなくやっちゃうんだから、呆れるほかはない。こういうのは「バカ」と言わずに「クズ」というのである。こんなんでも映画を見なれてない客は感動しちゃうのかもなあ。ま、いいけど。


  DVD『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』。
 既にLDを2枚も持ってるんで悩んだけど、コメンタリーが聞きたかったもんでね。それになんたってこれは『御先祖様万々歳』と双璧をなす押井守の最高傑作なんだし。
 池田憲章を司会に、監督の押井守、演出の西村純二、声優の千葉繁が「昔のことなんで忘れた」と言いつつ、裏話をどんどこ披露。おかげで長年疑問であった「迷宮の街の中でしのぶを見つめる謎の人物」の正体もやっと分った。あれはただのマクガフィンだったのである。全く、フェリーニだのゴダールだのにかぶれるとすぐああいう映像を作りたくなるんだよなあ。映画に免疫のないアニメファンは混乱したことだろう。
 当時、押井さんも西村さんも映画版にかかりきりで、テレビシリーズは全く関知してなかったそうである。「いったいテレビは誰が作っていたのだろう?」なんて脳天気なこと押井さん言ってるけど、それは客の方が聞きたいよ。
 西村さんの「今からでもリテイク出したいんですけど」のセリフが切実だけど笑える。押井さんが「そういうのは見ないの」と言い切る姿勢もグー。過去は振り返っちゃいけない、未来だけを見つめよってことなのだな(^o^)。
 それならば押井さんの次回作、『イノセント 攻殻機動隊2』にどうしても目は向いてしまうが、やっぱり押井守の「記号」は出て来てしまうらしい。「好きだよなあ、何度でも出すよなあ」と述懐されてるが、本人も確信犯でやってるんだね。「コンビニ」また出すって言ってるけど、『攻殻』の世界にコンビニ。合うんだか合わないんだか。もっとも牛丼屋出されるよりはいいんだろうけれど。


 蒔田光治・太田愛・福田拓郎(堤幸彦監修)『TRICK2 トリック2』(角川文庫・630円)。
 テレビ第2シリーズのノベライゼーションだけれど、作者として名前のあがっているシナリオライターたちは小説版には関与していない。実際に執筆してるのは木俣冬、という人である。この人の文章がまあヘタなことヘタなこと。なんでノベライズするのにもちっとマシな人探せなかったのかな。第1シリーズのノベライズ版のほうもあまりうまい文章ではなかったが、今回は輪をかけてひどい。ギャグがほとんど滑りまくっているのである(テレビのギャグからして滑っちゃいたのだが)。
 例えば『六つ墓村』のエピソードであき竹城演ずる老婆が歌いながらやってくるシーン、山田奈緒子が「ダイラクダカンノ、ヒト?」と突っ込むのだが、その風貌の具体的な描写がないもんだから、小説だけ読んでるとこのギャグの意味が全然ピンと来ないのだ。しかもカタカナで表記してるもんだから、ますます意味が捕らえにくい。
 やっぱりドラマはドラマ版を鑑賞するのが一番ですね。

2001年12月29日(土) これでもだいぶ短くしました。/映画『シュレック』/DVD『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』
2000年12月29日(金) やっと年末


2002年12月28日(土) カラオケホテルの夜/『ショック・サイエンスR』1・2巻(あすかあきお)

 アメリカン・ニューシネマの傑作とされる『明日に向って撃て!』の映画監督ジョージ・ロイ・ヒルが昨27日、パーキンソン病の合併症のため死去。享年80。
 「アメリカン・ニューシネマ」とひとくくりにされちゃいるが、旧来の脳天気エンタテインメントに完全に背を向けていたスタンリー・キューブリックやアーサー・ペン、マイク・ニコルズ、デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ、マーティン・スコセッシと言ったニューシネマの旗手たちと違って、ジョージ・ロイ・ヒルは「ニューシネマの皮をかぶった普通のエンタテインメント」を作ろうとしてたんじゃないか、という気がしてならない。
 ご承知のとおり、ブッチ・キャシディ(ポール・ニューマン)とサンダンス・キッド(ロバート・レッドフォード)は映画のラスト、銃撃戦を直前にストップモーションとなり、生死はわからず、というエンディングを迎えるのだが、もちろん「実在」のこの二人は壮烈な死を遂げるのである。
 似たようなタイトルだが内容の全く異なるアーサー・ペン監督作『俺たちに明日はない』では、ボニー&クライドの死をこれでもかというほどに描写した手法に比べれば、『明日に向って撃て!』のラストはいかにも「甘い」。リアルになる寸前でファンタジーで終わらせていると言ってもいい。しかしだからこそ、このエンディングは無数の「模倣」を生んだ。最近では映画版『仮面ライダー龍輝ファイナル』までなんの工夫もなくこのエンディングをマネしていたので、いやはや、オリジナルの罪の深いことであるよ、と嘆息したものである。
 バート・バカラック作曲の主題歌「雨にぬれても」の軽妙な曲調を考え合わせてみても、『明日に向かって撃て』の描こうとした世界が当時の「ニューシネマ」が指向していたリアル路線の系列に入れてよいものか、という疑念を私は昔からぬぐい切れていない。もちろんいささか幼稚な「反権力」の姿勢、という点での共通はあるのだが。
 それでもヒル監督の「反権力」思想は、作品中で声高に叫び演説するようなウルサイものでもなく、怠惰な犯罪者を主役にするような重さやねちっこさもない。『明日に……』の姉妹編とも言える『スティング』がもう全く純粋なコン・ゲーム・エンタテインメントとして成立していることを考えてみてもそれはわかる。
 そうたくさんの作品を残してはいないが、ヒル監督に駄作はなかった。
 「安心して」見ることのできる監督であるという点では結構稀有名人であったのではなかったかと思う。


 午前中だけ仕事。
 昼過ぎに帰って、チョイと昼寝。

 最近、しげがクサイ。
 いや、比喩とかそんなんではなく本当に臭いのである。
 いったいどれくらい風呂に入ってないものか、近寄るとツンと饐えた匂いが鼻腔を刺激するのだ。
 私も妻の悪口は散々書いてきているが、そこまで真実を書いてしまうのは、あまりにヒドイのではないか、いくら夫婦だからってプライバシーというものがあろう、と不快に思われるかもしれないが、そのしげ本人が、自分の腕をコスって、「ほーら、こんなに垢が♪」と私の顔面に突きつけようとするのだ。
 夫婦だからって、やっていいことと悪いことがあるやろ。てゆーかよ、普通の夫婦は自分の垢を相方にこすり付けたりゃぁせんわい。

 いや、垢の話は前フリである。
 どんなに汚い場所でも食料さえあれば棲息していけるオモライ君なみの生命力を持つしげですら、さすがにカラダがちょっと痒くなってきたらしい(ちょっと程度かよ)。
 いきなり「フロに行きたい!」と言い出したのである。
 「フロって、……入りゃいいじゃん」
 「狭い風呂はイヤと! 広くてのびのび〜ってできるとこがいいと!」
 「なら、温泉センターにでも行くか?」
 「一緒に入れんやん!」
 「誰と?」
 「あんたと!」
 「なんでおまえと一緒に入らなきゃなんないんだよ!」
 「背中コスってもらえんやん!」
 「背中くらい自分でコスレや!」
 「自分だと手がとどかんとよ!」
 それは太りすぎてるせいである。
 「じゃあ何か? 混浴の温泉にでも行きたいのか? そんなんこの近くにはなかろ?」
 「あると! いいとこ見付けたから今から行こ!」
 「今から!?」
 ほとんど強引である。まあゆったりできるのは私も賛成なので、しげに連れられて一晩お風呂屋さんにお泊まりに行くことにする。

 とは言え、どこに行くのか全く知らされていない。どうやらしげはこの日のためにネットでいい泊まり場を探していたようで、車は迷わずスルリと表通りに出ると、南下をし始めた。方向としては、市外か山に向かう格好になる。

 ひと晩泊まりで温泉、ということになると、どうしても読む本が必要になる。
 ところがこの道すがらはどういうわけか、新刊書店がほとんどないのである。一軒でもあれば決行ペイするんじゃないかと思うけれどそうでもないのかなあ。
 しかたなく、「BOOK OFF」に寄って、古本を物色。
 目当ては『大使閣下の料理人』だったのだが、結構フロアの広い店なのにバラで6巻・7巻があるだけで揃いがない。こちらは諦めて、珍しい本はないかと思って探してみると、あすかあきおの『ショック・サイエンスR(リターン)』1・2巻(アスペクトコミックス)が(^o^)。
 いやまあ、とりあえず読みました。読みましたけど、これについては感想書く元気はないので、あすかあきお氏の著書のトンデモ性については、と学会の本でも読んでください。ただ、実際に読んでみると、全てのネタがトンデモってわけでもなかったけど。「人魚のミイラが作りモノ」ってマトモな主張もあった。もっともアレくらいバレバレなものまで「ホンモノ」と主張してたら、それこそ誰からも相手にされなくなっちゃうだろうけどね。
 あと、DVD『うる星やつら2』があったので、これも定価の三割引きくらいでゲット。いや、買おうかどうしようか迷ってたのよ、これ。

 夕食を「庄屋」で取る。ここも居酒屋メニューがあって、ついつい二品三品と注文してしまって、カロリー的にはよくないのだが、できるだけ山菜のミソ炒めみたいなのを頼んでカロリーオーバーしないように気をつける。
 アルミホイルの上に葉を敷いて、その上で鶏肉や山菜などを乗せ、コンロで焼くのである。これが香ばしくて実に美味い。分量も適量で、チェーン店のわりにあまりありきたりでないメニューが多いのが嬉しい。

 さて、我々は一路どこかを目指していたのだが(どこだよ)、「このへんだよ」としげの言うあたりに近づいても、温泉センターらしい場所は一向に見当たらない。
 時間はもう10時を回っていて、私の視力ではもうネオンサイン以外何も見えず、ナビすることは到底不可能である。
 「住所はこのへんなんだけど……」としげが言うので、いったん車を停めて、懐中電灯で地図を見る。
 「おい、その住所だと、道路を降りて細道を山の中に入ることになるけどいいのか?」
 随分奥まったところに風呂屋があるもんだ、とは思ったが、しげが間違いない、と言うので、見えない目で「そのへんに横道はないか?」と言ったのだが、しげ、見事に道を見つけられずに通りすぎる。
 「なんで通りすぎるんだよ!」
 「気づいたときには通りすぎてたんだよ!」
 言い訳にも何にもなりゃしない。Uターンしたのはいいものの、「こっちのほうが近道かも」と、しげ、いきなり左折する。
 「おい、地図上だとソっちは行き止まりだぞ!」と言ったがもう遅い。
 あとの過程はあまりにくだくだしくなるので省くが、目的地に着いたのは1時間後、11時過ぎであった。しげは私をラビリンスに連れていこうと図ったのか。

 結局どこへ連れてかれたのか、と見上げてみると、ホテル風の建物の上に、妙なネオンが輝いている。ホテル式の風呂屋とはまた豪勢なことである。明かりが花火のように広がっては消えているが、看板らしいものは見当たらない。私の目が悪いので見落としてただけかもしれないが。
 駐車場に車を置いて外に出たものの、建物の入口がまたどこだかよくわからない。建物を経巡って、階段の奥に黒ガラスのドアがあるのを見つけた。道にも面してないし、なんでこんな入口っぽくないところに玄関を作ってるのだ。
 中に入るとロビーである。夜が遅いせいか誰もいない。誰もいないどころかフロントもいない。てゆーか、フロント自体が閉まっている。閉店中か。
 しげが「そこの光ってる部屋の番号を押すんだよ」と言うので、ふと壁を見ると、どでかい電光版が設置してあって、ズラリと部屋番号が並んでいる。しかし光っている番号は一つもない。その下を見ると、電光版と同じボタンと、受話器が並んでいる。
 どうやら風呂に入るには、この受話器で申しこまなければならないらしい。それにしても随分用心深いセキュリティを施している風呂屋である。

 「あの、すみません。電光版に光がついてないんですが」
 受話器を取って話しかけると、若い女性の落ち付いた声が聞こえてきた。
 「部屋が空くまであと30分ほどお待ちいただきますが、よろしいですか?」
 敬語が正確である。巷でマトモな敬語を聞く機会がほとんどなくなっていたので、なんだか嬉しくなる。ええ、いいですよ、30分でも40分でも待ちましょうとも。
 ところが、受話器を置いた途端、どこから現われたのか、ロングヘアの若い女性が、「あの、今、電話なさったのはそちらですか?」と聞いて近寄って来た。ちょっと驚いたが、本当にどこから現われたのかわからなかったのである。どうやらこの風呂屋の従業員らしいが、秘密の従業員部屋でもあるのだろうか。
 「はい、そうですが」
 「ほかにはどなたもロビーにはいらっしゃいませんでしたか?」
 「ええ、私たちだけです」
 「ちょうど、部屋が空きましたので、そちらに行かれてください」
 そう告げるやいなや、次の瞬間にその女性はまたいずこかへ消えていた。九の一か。電光版を見上げると、一室だけ光が点いている。
 「あの、ボタンを押せばいいんですか?」
 どこへともなく声をかけたら、どこからともなく「押してください」の声。なんだが阿片窟にでも入りこむような雰囲気である。阿片窟に行ったことはないのだが。

 階段らしいものはロビーのどこにもない。エレベーターが3基ほど。
 ちょうど右端のエレベーターのドアが開いて、中年の男性と、若い女性のカップルが降りてきた。この人たちもお風呂でさっぱりしてきたのだろうか。
 入れ代わるようにエレベーターの中に入りこむ。

 部屋は4階。中に入ると自動ロックで鍵が閉まる。
 なるほど、完全個室の風呂屋ということか。入口の側に精算機があって、部屋を出る時にはここに料金を入れるらしい。フロントで精算とかしないのだなあ。人件費の節約のためなんだろうか。

 部屋の中はシックで落ち付いた雰囲気である。
 出入口のすぐ側に風呂場があったので早速覗いてみる。ゆったりしたい、がしげの希望であったが、そのわりには底が浅い風呂である。幅はあるから二人で入るのに不便はなさそうだが。
 サウナ部屋まであったが、二人で泊まる部屋に、ここまで風呂の設備が付いているというのは確かにすごい。せっかく来たのだから、まずはやはり風呂の準備。水道の蛇口が丸形でなく扁平。従って出るお湯も扁平である。これだけでもなんとなくリッチな気分になるのだから庶民は単純なものだ。

 お湯が溜まるまで、部屋の様子を見る。
 広さは二、三十畳くらいだろうか、二人用の部屋にしては随分と広々している。
 ダブルベッドに、枕元には何やら調整機っぽいモノがいろいろ。正面のガラス戸は壁一面に大きく、夜景が一望できるが、向かいは整地中で光もなく、殺風景である。
 やたらでかいテレビがあったが、なんとカラオケができる。なるほど、ちょっとした温泉センターだ。しげが探し出しただけのことはあるな。
 早速、『愛國戦隊大日本』(^o^)を歌っていると、しげが風呂場から顔を覗かせて、「見て見て! ここのお湯、溜まったら自動的に止まるよ!」とはしゃいでいる。ここまでスゴイと、1泊いくらぐらいするんだろうかとちょっと財布の方が心配になってきた。

 湯の温度を調節して二人で入浴。……こらそこ、口笛吹くな。夫婦なんだからこれくらい普通だ。
 浴槽の横にボタンが二つあったので、一つ押してみると、突然ボコボコッと音がして水泡が全身を包む。ジャグジーのボタンだったのだ。もう一つのボタンを押すと、急に天井の照明が落ち、浴槽の中にライトが照らされる。
 しげ、「おおーっ!」と歓声を上げるが、たかが風呂にこんなに凝るというのはいったいどういうコンセプトなのか。
 しげ、興奮して浴槽の中にシャンプーをドバドバ入れる。途端にジャグジーで攪拌された湯舟が泡風呂になる。しげ、「あはあはあは」と笑いながら泡を吹いたり手で掬ったり私に投げ付けたりして遊ぶが、ホントに好きなんだよなあ、こういうの。
 ともかく今回は「しげの垢を落とす」が目的なので、テッテ的に洗う。こすってもこすってもなかなかボディソープが泡立たない。全くどれだけ垢を溜めてたんだ、こいつ。
 なんとかしげを洗い上げた時には、すっかりくたくたになってしまった。
 風呂好きのしげは堪能するまで入浴し続けるつもりらしいが、私はそこまで付き合えない。しげを残して、先に上がる。

 飲み物は予めコンビニで買い込んで持ちこんでいた。
 冷蔵庫はあったが、取り出せば当然高いカネを取られるのであろう。覗いてみると、確かにいかにも高そうな酒類やら栄養ドリンクがズラリと仕舞われている。これ1本で何百円も取られるんだろうなあ。持ちこみして正解であった。あー、お茶が美味い。
 テレビを点けたがもう深夜でスケベな番組しかやってない。
 巨乳のねーちゃんが朝寝坊してる彼氏のナニをナニでナニして起こしてあげるというしょーもないもの。こういうスケベな番組はできるだけ男をカットしてほしいんだがなあ。ねーちゃんは結構かわいいのだが、男優の方がもう、肌の荒れた上島竜兵みたいなんである。
 カラオケに切り替えて、カタログを見る。
 しかしアニソンが異常に少ない。ほんの3ページほどしかない。仕方なく『思い出の渚』だの『さらば涙と言おう』だの、往年の青春ソングを中心に1時間ほど熱唱。『アラビアの夜』『夜来香』にも挑戦してみたが、キーがうまく合わない。いろいろ歌ったことのない曲にも挑戦して悪戦苦闘していたら、さすがに睡魔に襲われて来た。しげが上がってきたころにはもう私はダウン。
 しげは私が寝たあともブルーハーツなんかを歌ってたらしいが、それも全て夢の彼方である。

2001年12月28日(金) ラーメン・ファイト!/DVD『御先祖様万々歳!』ほか
2000年12月28日(木) 初めてタグ使ってみました


2002年12月27日(金) ミハル至上主義(笑)/『買ってはいけない2』/『T・Pぼん』5巻(藤子F不二雄)/DVD『クレヨンしんちゃんスペシャル』1・2ほか

 一応、今日が全国的に2002年の仕事収めってことになっとります。
 でも、ウチはなぜかそうじゃないんですよねー。明日、明後日まで、午前中だけだけど、仕事があるんである。でもそれは私の場合だけで、実は年末年始も、大晦日も元旦も丸いちんち、出勤してる人もいるのよ。言っとくがウチの職場は24時間年中無休のコンビニじゃありません(^_^;)。
 なにしろねー、なぜそんなに働かなきゃならなくなったかってーと、年度末にあたってウチの職場がいかに左前であるかってのをイチイチ数字でデータ出してよ、訓戒してくれたわけなのよ。
 「今のままでは、未来はありません!」とか叱咤されてさ。
 でも、でもウチの職場のこと知ってる人ならわかると思うけど、別に就業時間増やした分だけ能率が上がるって仕事でもないんだわ。それどころか、今のまんまの経営状態じゃ、かえって業績落ちるよって指摘、もう何年もみんな言い続けてるんだよね。なのに、首脳部はそういう意見を一切無視し続けてきた。芳しくないデータばかり出るってのは、どっちかっつーと、無理ばかり通そうとしてきた首脳部と、その腰巾着どもに原因がないかな?
 あのさ、ハードスケジュールのせいで、もう何人、ウチの人間が「病気」で辞めてったと思ってんの?
 それに、新聞沙汰になってない、いろんなことを揉み消してるの、どう思ってるの?
 ……と、この手の愚痴も何度も書いたけど、どうにかできる類のものじゃないんだよなあ。まあどうにも出来ないから愚痴ってるわけなんだけども。我ながら、情けないね、全く。
 社会のよ、底辺に生きるド貧民はよ、おカミの言うことに逆らわずにヘイコラしてるしかねえだ。コメ出せって言われたら出すだよ、女出せって言われたら素直に出すだよ、それで命が助かりゃ儲けもんだ。……なんだか『七人の侍』の万造(藤原釜足)の気分になってるな、オレ。


 一応、私にも部下らしき若い子はいるので(ここで私が「若い子」と言ったら部下のことだと思っていただきたい。同格の者はみな「同僚」と使い分けているが、もちろんこの用語はこの日記のみに通用するものである)、来年のことについて少し話をする。
 というのが、頼んでおいた仕事を、この子(仮にA子としよう)は、もう二ヶ月もほったらかしているのである。とは言え、A子がワザと仕事を放棄しているわけではない。実はこの子の足を引っ張っているバカが一人いて、こいつがA子の仕事に茶々を入れまくって、会議・討議が一向に進展しないのである。

 このバカがどれくらいバカかと言うと、まあ、仕事のヒマを見つけちゃ「ガンダムシリーズでどれが好きですか?」とか「ガンダムのキャラで誰が好きですか?」とか私に聞いてくるのである。
 もちろん、最初は、「つまらんこと聞いてないで仕事しろ」とか言ってたのだが、翌日も翌日もあんまりシツコク聞いてくるので、「『ガンダム』にシリーズはない。『ガンダム』と言った場合、それは『ファーストガンダム』及び劇場版三作を差すのであって、それ以外の『ガンダム』をオレは『ガンダム』として認めない」と言ったら、そのバカは「でも『Gガン』……」とか言いかけたので、サバ折りを食らわしてやった。
 「アムロとシャア、どちらが好きですか?」とか、またアホなことを聞くものだから、もう一気にまくし立てて退散させる。
 「『ガンダム』において真実、血肉を持ち得たキャラは、ミハル・ラトキエただ一人である。ミハルの苦悩、ミハルの決意、ミハルの勇気、ミハルの優しさ、そしてミハルの悲劇、ミハルという稀有なキャラクターを通して、これほどまでにハイレベルなドラマを作りえた例をオレは他に知らない。あとはせいぜいフラウ・ボウに若干の血肉を感じるのみだ」
 「でもセイラさんとかは……」
 「ブラコンなくせにタカビーで、制服着てる時にはスレンダーだけれども脱いだら途端に熟し過ぎるくらいの巨乳になっちまうような、いかにもマゾなオタクが喜びそうな出来合いのキャラに、なぜオレが萌えてやらなきゃならんのか(あ〜、そこのコアなセイラファンさん、これはこのアホを追いやるための方便ですので、本気にしないで下さいね。いいじゃないですか、セイラの巨乳。私も劇場版で萌えました)」
 「女キャラばかり好きなんですね」
 「男がどうして男キャラに入れこまなきゃならんのだ。私は男は大っ嫌いだ」
 「オタクはみんなそう言うんですよ」
 私の右アッパーがそいつのアゴを粉砕したことは言うまでもない。
 でも、このバカはさらに懲りずに、「中村うさぎの代表作ってなんですか?」とか聞いてきたもんだから、「『ショッピングの女王』」と答えるやいなや、スコーピオン・デスロックをお見舞いしてやったのである。

 で、こいつがA子の足を引っ張ってるってわけである。
 しょうがないので、バカは相手にせず、さっさと仕事を進めてもらうように指示する。これでなんとか進展があればいいのだが……、と私はその横顔がちょっとミハルに似ているA子を見て思ったのであった。


 テレビで『ウリナリ社交ダンス部大復活!』を見る。
 このシリーズは結構好きで、時おり見てはいたのだが、こうしてまとめて見ると、キャイ〜ンの天野にいかにダンスの素質がないかがよくわかる(^o^)。創立メンバーなのにねえ。
 なんだ、おまえも感動屋か、と言われそうだが、私がこれを見てたのは、ほかのバラエティ番組と違って、単にヤラセの入る余地が少ないからだ。ダンスは誤魔化しようがないもんねえ。
 ただ、ダンスを習得して行く過程を見せる番組構成自体は、正直言って頂けない。芸人に芸ができるのは当然のことで、この世界、「過程より結果」なのである。「私はこれだけ頑張りましたよ」って自慢を見せられちゃ、ダンスに対して「感心」することしかできなくなる。別に幼稚園のお遊戯の練習を見守るバカ親じゃないんだから、結果だけ見せてくれればいいのよ。
 芸人も、「自分の努力を見てほしい」なんて心境になってるとすれば、粋じゃないこと夥しい。
 それはそうと、「ブラボー内村」の「ブラボー」ってメキシコ人のつもりだったのか。そりゃスペイン語だろう、とツッコミ入れられてたが(ギャグではなく本気で間違えていたのである)、じゃあメキシコ語だとなんて言えばいいんだ?


 『『週刊金曜日』別冊ブックレットァ’磴辰討呂い韻覆part2』(金曜日・1050円)。
 あそこの出版社の名前、「蟠睛貌」って言うんだ。感覚おかしかないか。
 前回パート1で「危険」と指摘された企業、怒り狂って金曜日を名誉毀損で訴えるかどうかするかと思ったけど、どこもやらなかったのね。
 この「買ってはいけない」と主張してる根拠自体がアヤフヤで、これはトンデモ本である、といろんなところで「『買ってはいけない』は買ってはいけない」と揶揄されたものだったけれど、企業自体が静観してる状況だと、結構、図星さされてたんじゃないかなって気もしてくる。結局は安全な食い物なんてないってことじゃないのかね。
 今回も「食っちゃいけない」食べ物として、「とんがりコーン」「プリマウインナー」「キューちゃん特級福神漬」「ホテルの朝」「ふぁんけるのサプリメント」「山本海苔の焼海苔」「マクドナルドハンバーガー」「マルハチリペパーソーセージ」「ミキプルーン」「ニチレイのほうれん草」などなどを槍玉に挙げる。全く、このままどんどん増えてったら世の中から食えるものがなくなるなあ。
 幸い(?)、この中で食ってるのってマクドナルドハンバーガーだけだった。問題点は「環境ホルモンの『疑い』のある農薬(「疑い」だけで未確認)が、微量残留している」ということだそうだが、批判の論法としては「ちょっとでも人体に危険な疑いのあるものは売るべきでない」、ということである。だからそれ言い出したら食えるものなんて世の中になくなるんだってば。そんなささやかな環境ホルモン以前に、ハンバーガーはもともとカロリーバランス自体、悪いと思うが。ハンバーガー食いすぎてデブデブになってるアメリカ人はゴマンといるだろう。別に金曜日スタッフに言われなくても、一般人はしょっちゅうマクドナルドになんか行かないのである。
 まあ、このあたりの論法はかわいいもので、ヒドイのは「森永ウィダーinゼリー」などを「これらに頼り過ぎると危険」「ゼリー飲料でビタミンはすべて補給していると安心し、野菜や卵を取らないでいると、ビタミン欠乏症を起こす」と言ってるが、それは商品の問題ではなくて、食べる人間の方の問題だろう。なんとしてでもその食品を危険なモノだと思いこまそう、という発想はいったいどこから生まれているのか。
 別に、「この食品は食べるべきでない」という主張をするな、と言いたいわけではない。実際、批判された企業の反応が、どこか奥歯にモノが挟まったような印象を受けるのは事実だからだ。ただ、批判する方も「企業憎し」の感情が先にたって、批判の仕方に全く説得力がないのが気になるのである。
 勝手にウラを考えちゃうとさ、いわゆるクレームゴロってやつでさ、因縁つけて口止め料せしめようとしてるだけじゃないかって気もしてくるのよ。批判されてる企業は実はその裏取引を拒否したとこだけだったりしてな。
 もちろん、これはただの「疑い」に過ぎないんだけれども、ちょっとでも「疑い」があれば、批判して構わないってのが金曜日のスタッフの考え方だろうから、問題はないでしょうね。


 モンキー・パンチ原作監修・山上正月作画『モンキーパンチ責任編集 ルパン三世公式 official magazine』(WEEKLY漫画アクション 1月20日増刊号/双葉社・500円)。
 ついこの間、「峰不二子賞」っての応募してたかと思ったら、もう「第2回」だと。サイクル早いなあ。結局グラビアを彩るための方便で、これでもって「実写版ルパン」を作ろうとか、そういう企画はないんだろうなあ。実は私、実写の『念力珍作戦』も好きなんだけど。「ルパンのイメージに合わない」って言うんだったら、『カリオストロの城』だってそうなんだよ。ルパンの場合、オリジナルイメージ自体が揺れ動いてるので、あまり「これはルパンじゃない」とか言ったりするのは無意味になってるんである。
 アニメスペシャルが新人育成のための道具に成り果ててる今、実写版ルパンを、という企画が上がってもいいんじゃないかな、とは思う。グラビアの磯山さやか、顔はロリ系でセクシーって感じではないが、サイズはB91、W60、H87と、公式設定の峰不二子に随分近づいてきている(峰不二子はB99、W55、H88)。
 考えてみれば、かつてルパンが実写化された1970年代、巨乳のアイドルなんてそんなにいなかったのだ。『クイズ100人に聞きました』で、「バストのでかい芸能人」として挙げられてたのが、榊原郁恵、原田美枝子、かたせ梨乃、朝丘雪路(元祖ボイン)と、その程度だった時代だ(河合奈保子の登場以来、ムードは変わるんだけどね。しかしこんなこと、オレもよく覚えてるな)。だから我々は、『珍作戦』の江崎英子程度でガマンするほかなかった(いや、江崎さんも好きなんだけど)。
 しかし、今や時代は変わった。栄養価が上がったのか、芸能人の巨入荷は留まるところを知らない。巨乳を探すだけで大変だった時代から、巨乳の中から峰不二子のイメージに合う女性を探せるようになったのである。機が熟したとはまさにこのことを言うのではないか。
 磯山さやかも悪くないけど、個人的には根本はるみあたりがいいんじゃないかと思いますが、いかがでしょう。で、声だけ二階堂有希子が当てると(^o^)。
 え? ルパンや次元や、ほかのキャラを演じられる人間がいない? いいんだよ、そんなの誰でも。声優にそのまま顔出しさせとけ(爺さんばかりや)。

 マンガの内容に全く触れていないが、この雑誌のメインはグラビアとコラムや対談、モンキー・パンチの単行本未収録作の掲載なんだから仕方がない。
 モンキー・パンチ対談の相手はちばてつや。デビューはモンキーさんの方が遅いが、ちばさんの方が年下。ちばさんが17歳でデビューした早熟の天才で、モンキーさんが28歳でデビューした遅咲きの桜だからこうなる。
 ちばさんが自分の絵柄に影響を与えた作家として、筆頭に、馬場のぼるを挙げたのは意外だった。言われてみれば、国松や鉄兵のトボけたキャラは馬場作品に連なるものがあるかもしれない。手塚治虫、山川惣司・杉浦茂の影響を挙げるのは時代的に納得できる。
 その中で、塩田英二郎の名前だけが私には初耳である。かわいらしい女の子を描く人で、ちばさんの女の子キャラはこの人の影響が大だったらしいが、さて、どんな人だったのだろうか。読売新聞に『ミーコちゃん』というマンガを三千回以上連載したらしいが、いったいいつごろの話なのか。今でも活躍されてるのか。ネットで調べても茫洋として実態が掴めないのである。
 寺山修司主催の「力石の葬式」について「冗談はやめて」「酒の席ででも盛り上がって出て来た企画なんでしょう」と切って捨てているのは小気味よい。あの件を、いかにも「時代のムード」と結び付けて、『あしたのジョー』の社会的影響力を声高に叫ぶ人たちがいるが、それって『ジョー』が伝説化されたあとの刷り込みなんじゃないのかな。私は当時「はあ? マンガのキャラじゃん」としか思わなかったし。実際には当時、大半のファンは失笑してたのではないかなあ。
 でも実際に参列してるファンの真剣な表情を見ていたら、ちばさん、「更に真剣にこっちもやらないといけないな」という気になったそうである。イッてる連中の期待に答えようとすると、トンデモナイことになるような気がするが。もうなっちゃってるかな(^o^)。

 おおすみ正秋のコラム、「若いヤツなんか知ったこっちゃねえ!!」に、あのチャーリー・コーセイの近況が。神戸の酒場に自分の店を持ち、今も客のリクエストに答えて『ルパン三世のテーマ』を歌っているそうである。うおおおお〜! 私も聞きたいぞ〜、生ルパン! けどなんていう店かわからないし、そもそも神戸まで出かける時間も余裕もないのであった。
 大塚康生の「ルパンマンガ」も次号掲載予定。ルパンに関わった二人のコーセイさんがお元気とは喜ばしいことだ。……関係ないが、しげはこの二人が同じ「コーセイ」なので、親戚か何かと思ってたそうである。んなわけあるかい(-_-;)。


 マンガ、藤子・F・不二雄『T・P(タイムパトロール)ぼん』5巻(完結/嶋中書店/Primoアイランド・コミックス・320円)。
 コンビニ売りの雑誌本だけれど、単行本未収録の五編を収録。『コミックトム』に掲載されたまま、藤本さんが続きを描かなかったので、「幻」になっていたものだ。私も『ぼん』は「藤子不二雄ランド版」を持っているが、この五編は未収録。そのことに気付かず、手に取っていなかったのだが、しげが見つけて買ってくれた。しげに感謝である。

 「平家の落人」
 これは既読のもの。平家の落人・加茂丸を助けるために、ユミ子が身代わりになるのだが、ぼんが助けに来るのが遅れて、ユミ子はホントに首を切られる。ぼんは時間を巻戻してユミ子を助けるが、こういう道具に頼りすぎる結末のつけ方は安易。藤本さんの作品の中では低調なほうである。

 「トロイが滅びた日」
 実を言うとシュリーマンの名声は偶然の産物だったんじゃないかと私は疑ってるんだが(根拠もなしに伝説を信じるのは、基本的には今でもトンデモさんである)、もちろんマンガの中のモチーフとしては「少年の日の夢を忘れなかった人」でなければならない。
 トロイの少女メノアは、ちょっと『ミノタウロスの皿」のミノアを思わせる。落城で命を落とそうとする彼女を救い出すために、いったん時代を下ってシュリーマンの発掘現場に行くというのは秀逸なアイデア。ページ数がもう少しあったら、藤本さんはぼんたちとシュリーマンを会わせもしたのではないか。少年の夢を語らせるにこれだけうってつけの人物もほかにはいないからである。
 もっとも、作者は以前別エピソードでアンブローズ・ビアスとぼんたちを出遭わせてもいるから、それは二番煎じになる、と判断したのかもしれない。

 「死神の大群」
 藤子F版『赤死病の仮面』(^o^)。
 いや、扱われてるのは「黒死病(=ペスト)」だけれど。
 これももう少しページ数が欲しかったところ。
 ぼんたちが黒死病の元凶として処刑されかけるというハラハラする展開になるはずだったのに、ユミ子が「もうペストは峠を越したと事前調査してたから」とのんびりして言うんじゃ、せっかくのサスペンスってものが減じてしまう。もうひと波瀾、ほしかったな。
 それはそれとして、ぼん、タイムパトロールの正隊員なら、事前調査はちゃんとしておこう。

 「鉄の町の秘密」
 ヒッタイトの製鉄技術の謎を解く一編だが、どうやら大村幸弘氏の著書の受け売りらしい。エジプト人のスパイ・ハキムを助けるために神殿に忍び込むぼんたちだけれど、結末が「実はもともと死ぬ運命にはなかった」というのは、正直な話、「なんじゃそりゃ?」である。しかたないことかもしれないが、藤本さんの晩年の作は、以前ほどにはしっかり練られていない。

 「誰が箱舟を造ったか」
 ノアじゃなくて、『ギルガメシュ叙事詩』に出て来たウトナピシュティムだそうである。洪水の一つや二つ、どこででもあったと思うけどな。祟りで村が水底に沈む話なら日本にもあるぞ。ウトナピシュティムを全ての洪水のルーツにしちゃうのはどうか……って、これは別に歴史検証マンガではありませんでしたね、すみません。

 「十字軍の少年騎士」
 藤本版『戦争論』。『太平洋の地獄』というか、十字軍の少年と、イスラムの兵士の呉越同舟、という展開も折りこんで、最後まで緊張感の溢れる展開。『ぼん』シリーズの掉尾を飾ったのがこういう佳作だったことは嬉しいが、それだけに今さらながら、藤本さんがこの世にいないことが悲しい。藤本さん自身のあとがきもこの本に収録されているが、最後の言葉が「実はまだ連載を終えてはいないのです」である。
 ホントにそうだよ(T-T)。


 DVD『クレヨンしんちゃんスペシャル』1・2。
 『オトナ帝国』ばかりが売れてる気がするが、テレビ版も売れないと次のDVDは出ないのである。というわけで買いました。でも結構初期の頃の作品で、後にニャンチュートロ星人まで出るような暴走ぶりはない。
 見所は「ブリブリざえもんの冒険」シリーズの第1話や、『アクション仮面』第1シリーズの最終回や映画版(という設定ね。実際の劇場版『VSハイグレ魔王』とは別)、『カンタムロボ』をたっぷり1話分見せてくれているところだろう。
 なんと最初のぶりぶりざえもんはしんのすけ自身が演じている(キャラクターデザイン自体は既にブタなのだが)。だから当然いつものしんちゃんのままの行動をするので、あの卑怯なキャラクターにはまだなっていない。目の前の事件を看過しようとするところはしんちゃんもぶりぶりざえもんも同じなのだが。
 アクション仮面とミミ子ちゃんはテレビ版も『VSハイグレ魔王』と同じく玄田哲章&小桜エツ子なのだけれど、『カンタムロボ』は山田ジョン少年を風間くん役の真柴摩利さんが演じている。後にこの役は山口勝平が演じるようになるが、もちろんこれは『ジャイアント・ロボ』からの流れであろう。
 初期作品を見返して行くと、このシリーズの「濃くなって行く過程」も見えてくるのである。オタクは頑張ってテレビ版DVDも買おう(^_^;)。

2001年12月27日(木) ぷれぜんとってぷれぜんとってそーゆーもんか?/『パンゲアの娘 KUNIE』2巻(ゆうきまさみ)ほか
2000年12月27日(水) やっぱり今日も眠い/『富士山 第4号』(さくらももこ)ほか


2002年12月26日(木) 藤岡弘が洞窟に入る♪/『地球ナンバーV‐7』(横山光輝)/『キッチュワールド案内』(唐沢俊一)/DVD『プリンセスチュチュ』1巻

 昨日の日記に書き忘れてたけど、藤岡弘の、『スイスペ!今夜復活!! 伝説の探検隊が帰ってきた アマゾン奥地1500キロ! テラプレータの密林に謎の猿人ジュンマは実在した!』、見ましたよ。
 もちろん、アレについてその真偽がどうの、なんて野暮は言っちゃいけません。カメラは隊員たちより先に入らなければ撮影できませんやね。
 いやあ、藤岡隊長カッコイイ! ナレーションの声も本気だ! 川口隊長を凌駕していると言っても過言ではないね。まさしく熱い魂が燃え滾るようです。
 ぜひ、これからもシリーズ化してほしいものですね。


 さて、またかい、というご指摘もありましょうが、しげをまたまた閉め出しました(^_^;)。
 理由もまたいつもと同じで、しげがヒステリー起こしたからですけどね。けどこないだ閉め出したばかりだから、しげも今日はすぐに詫び入れてきたんで、すぐに家に入れてやりました。私だって冬の寒空の下、しげを外に放ったらかしになんかしたくはないのです。かと言って、押入れに閉じ込めるとかトイレに閉じこめるとかしたら、しげは暴れて押入れやトイレを破壊します。実は既にトイレのドアは一部しげに蹴破られています。しげに部屋の中を破壊させないために仕方なく外に追い出しているわけなのです。しげの体力は多分、猿人ジュンマ並にありますから、みなさまご心配なきよう。


 マンガ、横山光輝『横山光輝SF傑作選 |狼絅淵鵐弌治屐升掘戞聞崔娘厂_菠幻法798円)。
 いやあ、マンガ文庫ブームがこんなのまで発掘してくれることになるとは本気で感謝、感謝だねえ。
 オビには「バビル2世の原典」とか書かれている。なるほど、単純にこのマンガを超能力対決ものとしてみるならそうだろう。けれど、テーマとしてはこの作品、A.E.ヴァン・ヴォクトの『スラン』に始まる、新人類・エスパーが旧人類から迫害され、それに打ち勝っていくっていう、正統派SFアクションの王道パターンの一つなのだ(と言いつつ、私は『スラン』の内容を殆ど忘れている(^_^;))。
 このパターンがいかに多くの模倣者を生んだかって例を一つ上げれば、本来そんなテーマとは関係なく終わるはずだった『機動戦士ガンダム』にまで「ニュータイプ」という概念が持ち込まれちゃったくらいなのだ(^o^)。いやね、虐げられしものの選民思想をうまくくすぐっちゃうところがあるのよ、このモチーフは。富野さんがこれに惹かれちゃったってことで、あのヒトの思想の基盤にあるものがどういうものであるかってことも、なんとなく見えてくるよね。
 元祖『スラン』が発表されたときもSFファンが「SFファンはスランだ!」と叫んだそうだし、岡田斗司夫さんの「オタクエリート論」もこの思潮の果てにあることは否めない。オウムだのラエリアンだの、新興宗教の連中も、自分たちの非社会性、非常識性を選民思想にすり変えて正当化していたが、こういう「新人類」って発想は実は何の取り柄もない自分を誤魔化すのにとっても便利なんだよね。
 けれど、そういう読み取り方ってのは、どうにもさもしいなあ、という気がしてしまうのである。確かにエスパーたちの活躍に手に汗を握り、感情移入するのはわかるが、それはあくまでエンタテインメントとしてであって、「自分にも隠された力があるかも」などと考えるのは発想の飛躍というものだ。かつての「ガンダム論争」のときに、「ニュータイプは単なるエスパーではなく、人と人とが争うことなく理解しあえる可能性なのだ」と大上段に唱えていた人がいたが、シリーズが打ち切りにあって、話をまとめるのに持ち出してきたその場凌ぎのリクツに、そんなたいそうな意味があるものか(^_^;)。

 前置きがまた長くなっちまったが、横山光輝は徹底したエンタテナーである。モチーフに旧来のSF作品をもってきてはいても、実はそこに内包されているテーマには意外と無頓着、ということが多い。鉄人28号のモチーフは『フランケンシュタイン』だと作者自身が発言しているのだが、読んでるほうは「被創造物たる怪物の悲しみなんてどこにもないじゃん」と、ついツッコミを入れたくなってしまうのである。
 もちろんこれは横山作品に対する悪口ではない。思想と無縁だからこそ横山作品は長く読者の心を捉えてきたのだ。誤解を招くことを承知の上で横山作品の魅力を解説するなら、「どんな思想も作劇上のハッタリ」となるその「無節操さ」にあると言えよう。
 『V―7』の冒頭は、意外にも『機動戦士ガンダム』によく似ている。
 人類が、その増えすぎた人口の解消に、火星に移民しはじめて既に長い時が経ったころ。降り注ぐ宇宙線の影響か、人間自体が進化しはじめたのか、火星では超能力を持った人々が多数生まれ始めていた。火星政府は自らの優越性を根拠に、火星の資源を搾取し続ける地球政府に対し、「超能力者によるテロ」という形で脅迫を行い始めた。
 地球政府は、火星政府の野望を打ち砕くために、地球人類の中から超能力者を捜索し、殲滅に当たらせる。そこで選ばれたのが、V−7ことディック・牧。ところが、火星の秘密工作員を次々に倒していくディックに、地球政府はかえって恐怖を覚え始める……。
 後半になるに従って、当初の設定が微妙に変わってきて、最後は火星政府の存在自体が全く忘れ去られるなど、多少のいい加減さはあるものの、『伊賀の影丸』や『仮面の忍者赤影』などの忍法もので培ってきた、特殊能力を駆使しての対決シーンはやはり迫力があり、全体的なまとまりもいい。
 ディックの僚友・ブレランドのひょうきんな味わいや、秘密警察長官があの村雨健次だったり、横山ファンならニヤリとする趣向も盛り沢山だ。
 第2弾、第3弾も出版予定らしいが、このシリーズで『ジャイアント・ロボ』の完全版も出してくれないかなあ。
 
 
 唐沢俊一『キッチュワールド案内(ガイド)』(早川書房・1365円)。
 表紙絵のD[di:]さん描く唐沢さん、まるでぽっぺん先生みたいだ。童話と勘違いして買ってく人とかいないだろうか。いないな。
 早川書房の本だから、いずれ文庫にはなるのだろうが、唐沢さんの著書はやはり単行本で買う癖がついてしまっている。でも文庫になったら多分それも買ってしまうのだ。どうもご本人を存じ上げるようになって、WEB日記で本の売れ行きを気にされている様子まで知ってしまうと、こりゃ少しでも売り上げに協力をしないと、という気になってしまうものである。
 さてしかし、『キッチュワールド』というタイトル、売れ筋をねらうにはいささか弱くはないか。「キッチュ」という言葉自体、一時期ほどには世間に浸透しなくなっている。かと言って、「トンデモ物件」と言っちゃうと中身とズレが生じる。連載中の『妄想通』ではマズい理由でもあったのだろうか。私はレイアウト次第ではこのタイトルの方がよっぽどキャッチーだと思うのだが、客層が狭くなっちゃうのかなあ。
 けだし、本のタイトル付けは難しい。

 唐沢さんの数々の著書の中でも、この種の「ヘンなもの」解説本はまさしく本領発揮と言えよう。唐沢さんが60歳くらいになられたら、本気で南方熊楠の『十二支考』並の著書が書けるのではないか、と思っている。一つのテーマに関わる題材を収集していくと、全く無関係に見えたあるモノとあるモノとの意外なつながりが見えてくることがある。それはまさしく「世界の再構築」であり、それまでは何の変化もなく、退屈な日常が繰り返されるだけのように見えていたこの世の中が、実は一変しておかしくてデタラメでトンデモナイ姿を見せ始めるのだ。
 例えば「臭覚論」で、ある香りを心地よいと感じるのは全て「文化的刷り込みによる」と指摘するところまでは誰しもできることだろう。ところがそこで唐沢さんが例としてあげるモノが、『枕草子』で清少納言が牛糞の匂いから思い人を連想するエピソードや、司馬遼太郎『義経』における男色のために香料をケツにまで塗られる話、H.G.ウェルズが蜂蜜の体臭の持ち主だった話、世界各国の「臭い」食い物の話などなど、これでもかこれでもか、というほどに羅列される。傑作なのはスウェーデンのシュールストレミングというニシンの缶詰の話。「大根の糠づけとくさやと鮒ずしとチーズと道端に落下している生銀杏があいまったような強烈なものに、さらに腐りかけたニンニクのような臭気をかぶせた感じ」だそうだが、スウェーデン人でも女性は嫌がって食べたがらないらしい。自分たちも嫌いな匂いのモノをどうして作るかな(^_^;)。と言いながら私も日本人でありながら、クサヤだけは生まれてこの方、一度も食ったことがない。美味いんだろうか。
 それらの記事を読んでるうちに、段々と、「なるほど、『臭い』なんて感覚は所詮は思いこみなんだな」と実感するようになる。恋人同士なら、お互いの体臭を「キミの○○○は薔薇の香りがするよ」「アナタの○○○を嗅いでるとまるで水蓮に包まれてるようだわ」くらいの会話をしなければなるまい。幼い娘から「お父さんのオナラ、クチャ〜い」とか言われたら、お父さんは「しっかり嗅げ!」と言い返そう。それが愛だ。
 私ら夫婦はお互いの体臭、結構嗅ぎあっているのだが、しげは私のオナラだけはどうしてもダメだと言うし、私もしげのワキを嗅ぐことだけはダメである。まだまだ夫婦としては修業が足りぬということか。

 ただまあ、こういう「知識もの」になると、唐沢さんの博覧強記を尊敬する一方、私もどうしても「これはまだちょっと見方が甘いぞ」とツッコミを入れたくなる悪い癖がムクムクと頭を持ち上げてくる(^_^;)。
 例えば「江戸と大坂論」で、花登筐作によるテレビドラマ『細うで繁盛記』や『どてらい奴』が「大阪=しつこくがめつい」というイメージを作った、というのは我々の世代にとってはそうであっても正確とは言えないだろう。
 というのが、井原西鶴の『日本永代蔵』に既に「がめつい大坂商人」は登場しているからである。原本が本の山に埋もれていて取り出せないが、金持ちだがケチな商人が、正月の客にも料理を出さない、台所で音がしているのは「ありゃ大福帳の糊を摺ってるんです」と客をケムにまく落語そのまんまな話もあった。実際、落語の「しわいや」で取り上げられてるネタの発祥は、殆ど関西落語である。唐沢さんが西鶴を読んだことがないとは考えられない。これなどは余りにも有名過ぎて、唐沢さんはかえってウッカリと失念されていたのではないか。
 しかし、関東以北の人々が関西以南の文化について無知とまでは言わないまでも、視野に入れ損なうことが多いのは、やはり自分たちの文化が中心にあるという奢りによるものであると思う。実際の歴史上、関東が文化の発進地であったことなど殆どないのだが。

 ほかにツッコミを入れたいところがないわけではないが、全ての項目について感想を述べていく余裕はないので、あとは目次をちょっと紹介しておくだけにしとこう。読んだ人、誰か掲示板ででも「ここはちょっと掘り下げが甘いよなあ」とか話しませんか(^o^)。
 「美少女論」「記録論」「道教論」「新渡戸稲造論」「ゲテもの論」「排泄論」「都市伝説論」「カニバリズム論」「異名論」「水銀論」「ヒロポン論」「フリークス論」「辛味論」「歌舞伎論」「堕胎論」「裁判論」「同性愛論」「幽霊論」「服装倒錯論」「悪趣味論」「ハゲ論」。
 論、論、論と続いているとお堅い本のように錯覚するかもしれないが、実はこれ全て副題で、各論のメインタイトルは、、例えば「ヒロポン論」には「日本ヤク中時代」などというアブナいタイトルが付いている。書き写すのがめんどくさいから省略しただけだ(^_^;)。エンタテインメントとしてのコラムにはしっかりなっていて、読んでて退屈するということはないのでご安心を。


 DVD『プリンセスチュチュ』1巻。
 第1話から第5話まで、1.AKT「あひると王子さま」/2.AKT「心のかけら」/3.AKT「プリンセスの誓い」/4.AKT「ジゼル」/5.AKT「火祭りの夜に」を収録。
 昨今、2話収録したたげで七千円とか九千円とかボってくれる某アニメに比べたら、6800円でしかもサントラCD付きと言うのはムチャクチャおトクである。これでようやくテーマソングの歌詞がわかった。

 Morning Grace

  呼んでいる声 さあ目をさまして
  泣き顔ぬぐって
  まぶしい光 木々の露
  生まれる
  だれも知らない秘密の水辺で
  踊れ いのちのパ・ド・ドゥ
  今日も夢見てる
  それは やさしく激しい潮流(ながれ)ね
  どこまでつづくラビリンス
  私は行こう
  にぎりしめる 夢

 作詞・作曲・歌は岡崎律子さん。こういう透明感のある歌には無条件で惹かれてしまうなあ。カラオケに入ったらしげに歌わせよう(^o^)。
 全体の作曲は『ロードス島戦記』の和田薫さん。クラシック曲の指揮もご自分で振っておられるくらいだから、相当リキ入ってる感じだ。特に猫先生のBGM、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』が失速するアレンジは最高である。
 でもこれ、初回限定版のみのサービスなので、ご購入の際はお気をつけて。
 しげはこのCDがいたく気に入ったようで、「ジゼル」が好きだと言う。それは初耳。今度CD全曲入ってるやつを買ってやろうかな。

 表紙はもちろんチュチュなんだけれど、ワキにしっかりアリクイ美ちゃんが(^o^)。このあたりもちゃんとファンサービスだよね。
 全話しっかり本放送時に見ているつもりだったが、第5話の「火祭りの夜に」はなぜか見損ねていた。
 金冠町の伝統である、火祭りの夜。一番素晴らしく踊ったカップルは、金色のリンゴを贈られて永遠に結ばれるというしきたりを、あひるは知らなかった。「この街に住んでて火祭りを知らないなんて常識知らずにもほどがあるわぁぁぁ♪」とりりえにくちゃくちゃにされるあひるはかわいいけれど、それが元あひるのあひるにはただ切ないだけ。永遠に愛する王子とは結ばれない、と運命付けられてるあひるには、火祭りのしきたりも何の意味もないのである。
 トンデモ描写で余り重くならないように演出しているけれど、テーマ的には殆ど救いってものがないのだよな。逆に言えば、「救いのない者に救いはありえるのか」、あひるの子が白鳥になれたのはもともと白鳥の子だったからで、本当に「みにくいあひるの子」だったら救いはないんじゃないか、それでもあひるに救いがあるとすれば、それは何かってことが本作のテーマになっているのである。
 いや、男性はこういうDVDを買うのは躊躇するかもしれないけれど、これだけハードでありながらちゃんとエンタテインメントしてて作画も一流なんてアニメはそうそうありませんぞ。恥ずかしがらずにレジにGOだ。



<追記>
> かつての「ガンダム論争」のときに、「ニュータイプは単なるエスパーではなく、人と人とが争うことなく理解しあえる可能性なのだ」と大上段に唱えていた人がいたが、シリーズが打ち切りにあって、話をまとめるのに持ち出してきたその場凌ぎのリクツに、そんなたいそうな意味があるものか(^_^;)。

 上記の記述について、宇津見さんより、打ち切り決定以前にニュータイプの構想はあったとの指摘がありました。放送開始以前にニュータイプ構想がなかった、ということと混同していたようです。謹んでここに訂正させていただきます。宇津見さん、ありがとうございました。

2001年12月26日(水) イベント近し、ネタは無し/『これで古典がよくわかる』(橋本治)/『だめんず・うぉ〜か〜』2巻(倉田真由美)ほか
2000年12月26日(火) 明日こそは眠るぞ/『ひっち&GO!!』1巻(永野のりこ)ほか


2002年12月25日(水) ねくたい綺譚/『恋に唄えば♪』(たむら純子)/『黒蜥蜴』(江戸川乱歩・JET)

 WEB現代での唐沢俊一さんのエッセイ、『近くへ行きたい』第12回に、唐沢さんが『ウッチャきナンチャき』に出演した時のレポートが。
 しまった、出演してるって事前に知ってたのに、つい見損なってた! と慌てたが、本文を読んでホッと胸をなでおろした。要するに、「結構喋ったんだけど、テレビには映らなかった」らしいんである。映ってたのは「何も喋ってない優香ばかり」とのこと。
 脱がない優香には何の興味もないので、だったら見なくても全然惜しくない。考えてみたら、多少シリアスなところがあるとは言え、ウンナンの番組ということは結局はバラエティである。ああいう番組に呼ばれる「文化人」というのは、例えば「北野大」とか「大槻教授」とか、「文化人のクセに意外とトンチンカンなことを言う人」でなければならないのだ。ホントにアタマのいい人で、ヘタに知性的なこと言っちゃうと、バカな視聴者の反感買っちゃうもの。実際の北野大さんは、多分アタマがいい人じゃないかとは思うんだけど、テレビで見る限り私ゃあのヒトのアタマのいい発言なんて聞いたことがない。多分カットされているのだろう。タレントが知性的なことを言うのは許されてるのに、もともと評論家とか大学教授とか「文化人」の肩書きを持ってる人は、決して知性的な話をしてはいけないんである。これも差別の構造だよねえ。
 唐沢さんがテレビに映るためには、トンチンカンなことを言ってくれないといけないんじゃないかと思うが、もちろんそんな道化を演じてまでテレビに出たって、唐沢さんにたいしたメリットはなかろう。
 それこそ、と学会主催の番組をまるまる作るとかしないと、唐沢さんの見せ場はないだろう。それだけの度胸のあるプロデューサーがテレビ界にいたら面白いのだが。


 しげからのクリスマスプレゼント、ネクタイとハンドタオルであった。
 なんで二つかというと、私の誕生日とのセットだからだそうである。……あの、結婚記念日のは?(・・;)
 これで私が「こんなん要るか!」とネクタイをつけていかなかったりした日には、またしげは泣きじゃくり、ご近所中に聞こえるほどの悲鳴を上げ、すわ人殺しでも起こったかとお隣さんが飛んでくるような事態になりかねない(一度ホントにあったのである)。
 自らの恥晒しと、家庭崩壊のいずれを選ぶかと聞かれて、後者を選ぶバカもいまい。私はとうに覚悟はできているのである。と言うわけで、早速、職場に買ってもらったばかりのネクタイを付けていく。
 私の家庭の事情を先刻ご承知の方もおられようが、いったい私が何を懸念しているのかご不審の読者の方のためにご説明せねばなるまい。実はしげは私にマトモなネクタイを買ってくれたことなど一度もないのだ。と要っても安物だとかインドかエジプトあたりの妙な文様が描かれてるような珍品と言うわけでもない。その全てが、あるときはドラえもん、あるときはウルトラマンと言った、キャラクターグッズなのである。
 ……想像していただきたい。私はもう四十になるのである。四十でデブでビンゾコメガネの中年オヤジの首からぶら下がったネクタイには、何人ものドラえもんが微笑んでいるのである。そんな光景、誰が見たいだろうか。そんな悪趣味なヤツは世界広しと言えど、しげただ一人であろう。
 そして今回、しげが選んだのは、いつの日かこいつと出会うことになるだろうと覚悟していた究極のキャラ者であった。
 そう、西原理恵子も大好きというあの、「ミッフィ(akaうさこちゃん)」である。
 職場に着くなり、案の定、若い子から「ミッフィですね」と指を差される。それ以上、何も言わないのはある意味私のことを恐れているのではないか。
 いや、あの、私はただ単に恐妻家なだけであって、○○○○でも○○○○でもないんだが。と言っても信用してもらえないか。
 多分、また一つ、私に関する黒いウワサが流れたに違いない。……本気で今の職場、移れんかなあ(-_-;)。

 有休休暇が余ってたので、半日で帰る。
 あとはひたすら寝たので、特に書くことなし。


 マンガ、たむら純子『恋に唄えば♪』(角川書店/アスカコミックスDX・588円)。
 優香主演の“あの”映画のコミカライズである。
 絵柄がかわいらしかったので、つい買ってしまったのだが……いいじゃん、これ。まさしく正統派少女マンガ、映画版のストーリーと全く同一でありながら、マンガ版の方が圧倒的に面白い。
 実は堀田あけみが書いた小説版も読んではいたのだが、その甘ったるい自己陶酔型の文章に閉口して、とても感想を書く気になれなかったのだ(貶してるように見えても私ゃ書く価値のある作品しかレビューはしないよ)。
 ところが、小説よりも映画よりもよっぽど甘ったるいかと思っていたマンガ版が、メリハリの利いた「作品」として仕上がっているのに驚いたのだ。
 まず主役のユミが優香のようにバカに見えない、これが実に大きい。
 壷男がテレビのクイズ番組の司会者に成りすまし、ユミをサトルのいるオーストラリアに旅立たせようとするシークエンス、映画版じゃどうしてユミが旅立つ気になったのか、心の変化が全く見えて来なかった。しかしマンガ版では、ユミ自身がサトルに会わないではいられないことを自覚する心理変化の過程を、サトルに贈るはずだったクマのぬいぐるみを見つめる視線で語らせているのである。こういう普通の演出ができれば金子修介も少しはマトモな監督になれるんだけどねー。コメディは、コメディだからこそ、キャラクターの演技には真実味がなきゃ訴える力は生まれないという基本的なことを押さえてほしいのである。
 壷男のデザインも三頭身でかわいらしい。やっぱ竹中直人じゃ感情移入できないよ(~_~;)。『恋に唄えば♪』に関してはこのマンガ版だけ読んでおけば充分。まあ、ドラマツルギーなんかどうでもいい、オリャあ、生身の優香が見られる映画の方が断然いいんだ! と主張するのなら、そりゃもう勝手にしてくださいませ、としか言えまへんな。


 マンガ、江戸川乱歩原作・JET作画『名探偵登場! 黒蜥蜴』(朝日ソノラマ/眠れぬ夜の奇妙な話コミックス・840円)。
 恥ずかしい角書を付けてくれてるなあ(-_-;)。
 金田一にエラリー・クイーンにシャーロック・ホームズと来て、ついに明智にまで手を出しましたか。誰が何しようといいけど、JETさん、どんどん作画技術が低下してるのはなぜ? コマワリは読みにくくなるわ、背景が疎かになってキャラの位置関係すら解りにくくなるわ、そのキャラも以前に比べて寸詰まりでクドイ絵になって人間味が感じられなくなってるわ、誉めるとこまるでないじゃん。
 でさあ、明智を描くんなら、少女マンガだから美形になっちゃうのは仕方ないとしても、せめて髪はモジャモジャノ雀頭にしてくれよ。金田一はそうしてたろ? キャラデザイン、同じでいいんだからさ。
 原作にはいつも明智に協力する警視庁の恒川警部・浪越警部・中村警部・花田警部のいずれも登場しない。明智対黒蜥蜴の対決をスッキリさせるための乱歩の配慮だと考えられるが、JET版では「丸目屋警部」という警部を登場させている。こういう脇キャラを出さないと、話を転がせなかったんだろうね。
 まあ、この程度の改変はご愛嬌だが、ラストを全く変えてしまって、爆破の中で黒蜥蜴の生死がわからなくなり、明智が「黒蜥蜴は本当に死んだのだろうか?」と述懐するなんて、アンタ、『怪人二十面相』シリーズをここに持って来てどうするのよ。陳腐なだけじゃん。

 併録の『人でなしの恋』、これもネームに失敗してるよなあ、京人形がきちんと描けてないしなあ。それに夫の目の前で人形壊しちゃダメだって。「描かないことによって想像させる」ってとこにあの原作の怖さがあるんだよ?
 しかもラストをまた陳腐な形に改変してしまってる。人形を恋する夫を自殺(心中)に追いこんだ妻が、今度は自分が人形の虜になるって……そういうもんじゃないだろう(-_-;)。
 自分の個性を出そうとして原作をいじくって失敗した典型的な例だよなあ。まだ古賀新一版の『人でなしの恋』の方がよっぽど出来がいい。自分に才能ないことを自覚してよ、先輩の描いた作品をきちんと参考にしてよ、もちっと謙虚に自分の作画のどこがマズイか考える位のことはしてほしいものだね。

2001年12月25日(火) 怪獣道なんてないよ/『30独身女、どうよ!?』(岡田斗司夫)ほか
2000年12月25日(月) 男はみんなえっちだってば/『羊のうた』5巻(冬目景)


2002年12月24日(火) ノロい呪い……座布団取っちまいなさい(^_^;)/『桃色サバス』7巻(中津賢也)/『蟲師』3巻(漆原友紀)

 さて、これはトンデモ本関連の話題ということになるかな。
 オーストラリア・メルボルンのモナッシュ大学のマーク・ネルソン氏が、英医学誌に、「ツタンカーメンの呪いはデッチアゲだった!」と発表。
 1922年、墓を開けたメンバー25人全員の死亡日を調査・特定したところ、平均で70歳ぐらいまで生きていたとのこと。
 でもそれって既に『トンデモ超常現象99の真相』に書いてなかったかなあ。今さらって気がするけどねえ。
 だいたい、この「ファラオの呪い」っての、オカルト事件の中じゃあ、もともと一番信憑性のないネタだったんである。私がこの事件を知ったのは、多分、小学生のころ買ってた学習雑誌のオカルト特集を読んだのだろうと思うが、その時点で「呪い」とするにはちょっとムリがあるなあ、と思わざるをえないものだったのである。
 発掘の直後に死んだのって、出資者のカーナボン卿一人だけだし、肝心の発掘者であるハワード・カーター自身が結構長生きしている。1874年生まれで、発掘時は既に48歳。しかし死んだのが1939年、65歳の時で、発掘から17年も経っている。随分遅効性の呪いもあったものだ、と苦笑したものだった。

 でも記事をよく読むと、今回の発表は、「呪いの否定」そのものより、「誰がこのデッチアゲを仕掛けたか」ということを暴く目的のもののようだった。
 言われてみればあまりにもありきたり、仕掛け人はマスメディアだったのである。
 ネルソン氏は、「英タイムズ紙が発掘について独占報道したため、歴史的発見から締め出されたライバル新聞社が呪いの話をでっち上げたのはほぼ間違いない」と主張。新聞記事にあった「『王の平穏を乱す者には早い死が訪れる』という呪いの言葉が墓に彫り込まれていた」というような記録は全くなかったのだそうだ。
 ……なんだか女に捨てられた男がストーカーするのとたいして変わらん心理だよなあ。新聞にジャーナリストとしての矜持があるというのは真っ赤なウソで、どこの国でもいつの時代でも、新聞その他のマスメディアは大衆を愚弄し、権力に阿り、自らの思想を過信し、狂っているのである。


 先日買い損ねていたDVDを買いに、博多駅の紀伊國屋に行く。
 『プリンセス・チュチュ』のDVD第1巻なのだが、本来25日の発売予定だったものを、天神ベスト電機のLIMBでは21日の時点で既に店頭販売していたのである。
 予約を入れていたのは紀伊國屋の方だったので、当然こちらも売っているものと、取りに行ったところ、「24日にならないと出ない」と断られたのだ。
 「でもベスト電機ではもう売ってましたよ?」
 「それは規約違反です!」
 ……まあ、そうなのかもしれないけれど、既にあるものを出さずに隠しておくことの方が客をバカにしてると思うがな。


 マンガ、中津賢也『桃色サバス』7巻(完結/少年画報社文庫・620円)。
 まあ、ラストは『ネジ式』ですな。こういう話は予定調和で終わるしかないので、意外性がないからって別に怒りません。
 今まで出し惜しみしてたカゴメのヌードもたっぷり登場、ナニも出来たし、まさしく大団円である。
 でも私としてはvol.103「黄金色に輝いて」のように、「ただひたすらウンコをガマンするだけの話」のような徹底的に下らないギャグの方が好きだったりするんだが(^o^)。ギャグに気品は要らんのよ。


 マンガ、漆原友紀『蟲師』3巻(講談社/アフタヌーンKC・560円)。
 うわあ、こんなに早く3巻が出た……と思ったら、掲載誌を移籍してて、執筆のペースが早まったせいなんだね(『アフタヌーンシーズン増刊』から『アフタヌーン』本誌へ)。こりゃてっきり作品の質も落ちちゃいないかと心配したんだけれど、そんなことはない。作品によっては、「まだこれほどのレベルのものが書けたか」と舌を巻くほどの完成度。才能というのはこういうものを言うのだよ。
 オビには大友克洋の『幻想と郷愁が静かに語られ、心に沁む作品です』の推薦文も。うーん、一般的には大友さんが誉めると「箔が付く」って感覚なんだろうなあ。私ゃ逆に、Dr.オートモに誉められても「贅肉が付く」だけじゃないかとしか思わないが。「こんなに太れる!」……さあ、何人がこのギャグ覚えてるか(^o^)。
 『錆の鳴く聲』(「錆」はホントは旧字体)。
 カラーページ付きである。この色遣いがまた素晴らしいんで、できれば1巻もカラー付きで再販してほしいくらいだ。
 本作のヒロイン・しげの歌う聲は、「小柄な体に似つかわしくない、太くかすれた、けれど、甘く渋みのある残響を持つ、不可思議な響きの声」である。その声が人の体に目に見えぬ「錆」を涌かせ、村人たちの四肢を不自由にしていく。そのことに気付いたしげは、自らの声を封印するが、村人たちは自分達の病の原因がしげにあることに薄々気付いている……。
 緊張感あるなあ。
 『蟲師』はどの話もどこかに人間同士のディスコミュニケーションがあり、それは果たして越えることのできない壁であるのか、という問いかけがある。何しろしげの声は生来のものだ。自分自身の努力でどうにかできるものではない。人を傷つけたくなくても、自然に傷つけてしまわずにはいられないのである。だから、しげはこれまで「詫びる」ことでしか生きてこられなかった。
 読者はしげを哀れむか? そうではないだろう、「人を傷つけずにはいられない」というのは、人間の持つ「業」であるからだ。意図せず人を傷つけたことのある人ならば、しげの悲しみの重さと、それに耐えようとする健気さが理解できるはずだ。我々はみな、しげと同じように「罪の十字架」を背負っているのであり、たとえ救われる日が来なくてもやはり生きていかなければならない存在なのである。
 しげが救われるのはある意味では偶然である。
 もしかしたら、しげはあのまま村人たちに責められ、殺されていたかもしれない。しかしそうだとしてもしげは決して村人たちを恨んだりはしなかったに違いない。
 その力強さが我々を勇気付けてくれるのだ。

 もう一つ、このマンガについて触れておきたいことは、「音」の表現についてである。
 マンガで「音楽」を表現することの難しさを、昔、『サルまん』で竹熊健太郎は語っていたが、そりゃ楽譜で表せるような音楽を伝えることはムリに決まっている。いくら背景に音符を書きこんだって、楽譜を読めない人にはただの落書きにしか見えやしない。
 ではマンガに「音」を伝える能力が全くないのかと言うと、そんなことはない。文学の神髄が「詩」であり、楽譜が存在しなくとも「詩」が単独で「音楽」でありえるように、マンガもまた読者の脳に働きかけて「音楽」を喚起する力があるのである。
 そこで、「錆が涌く声」という設定の素晴らしさについて考えてみたいのだ。
 いったい、みなさんは「錆」の涌く声というものがどのような声なのか、想像がつくだろうか? 「花」が咲く声でもなければ、「虫」が涌く声でもない。そんなのは「きれいな声だろうな」「汚い声だろうな」というだけのことで、我々の想像力を少しも刺激しない。
 しげの声は、人々を病に陥れ、そしてまた人々を救う声でもある。善でもなく悪でもなく、幸福と不幸をともに内包した、まさしく「神秘」の声である。こんな「声」は想像の中にしか存在しえない。実際の楽曲で表せるものではない。だがしかし、我々はしげの声が「蟲」となって山々や村々を経巡るのを見たとき、確かに彼女の「声」を聞くのである。
 これが「マンガ」だ。マンガによってしか表現できないものだ。
 しげの声は村を救ってのち、変質する。
 「潰れ果てたが奇妙に美しい聞き覚えのある唄声」に。恐らく読者もみな、その声を聞き、その美しさに気付くことだろう。

 一つの短編にいちいちこんなに長々と書いてちゃいつまで経っても終わらないのでほかのはごく簡単に(^_^;)。
 『海境(うなさか)より』。
 二年半前、沖に出て妻をもやのような蟲に取りこまれた男・シロウ。
 時を経て、彼はまた沖にあの時の「もや」を見る。
 澁澤龍彦なども小説の題材に使った「うつほ舟」伝説をモチーフに、「浅茅が宿」的夫婦の情愛を描く。
 異界が現世と違う時間が流れていることは、お伽話にはよくある設定だが、それを「不幸」としてではなく「せめてもの救い」として捉えた好編である。

 『重い実』。
 凶作の年ほど豊作になる奇妙な村。村人はそれを「別れ作」と呼び、「豊作の代償に『弱い者』がご先祖さまに取られる」と口々に言う。
 贄の印は、口内に生える「瑞歯」。そして今年、瑞歯が生えた男は、この村に豊作をもたらしたはずの祭主だった。
 「永遠の生命」をモチーフにした物語は数あるが、これほどに美しい物語は珍しい。萩尾望都の『ポーの一族』、諸星大二郎の『暗黒神話』、あさりよしとおの『ワッハマン』(^o^)に並ぶ傑作だろう。大地が永遠であるならば、永遠の命も決して恐れることはないのではないだろうか。

 『硯に住む白』。
 硯師のたがねが作った硯は、彼女の婚約者を殺し、持ち主を次々に死に至らしめていく。そして今度は蔵の中にしまわれた硯をいたずらした子供達が病にかかって……。
 今巻では一番オーソドックスな妖怪退治ものかな。もちろんこれもよくできた短編なんだけれども、ほかのが傑作揃いだと印象が薄くなってしまうのがなんとももったいない。
 『旅をする沼』に登場した収集家・化野(あだしの)先生の再登場、かつ失敗談としても楽しめる一編。

 『眇(すがめ)の魚(うお)』。
 「すがめ」とは片目、めっかち、あるいは斜視、やぶにらみのこと。「すがめで見る」という言い方をした時には「横目で見る」という意味になる。昔、差別語に指定されたこともあったが、みんなが使わなくなったら差別語であることも忘れ去られた(^o^)。おかげでこうして堂々とタイトルに使われました。
 なんと「蟲師」ギンコの誕生編(カラーページ付き)。ギンコって本名じゃなかったんだね。「ギンコ」は「銀蠱」だとわかったけれど、本名の「ヨキ」ってのは「斧」って意味かなあ。
 岩崩で母を失った物売りの息子・ヨキは、森に住む片目の女、ぬいに拾われる。ぬいはかつて「蟲師」を生業としていたのだが、ある時「トコヤミ」に夫と子供を捕われた。それ以来、その「トコヤミ」の住む池のそばに六年も住み続けているのだという。
 「こんな恐ろしい蟲、どうして生かしておくんだよ」
 ヨキの詰問にぬいは静かに答える。
 「畏れや怒りに目を眩まされるな。皆、ただそれぞれがあるようにあるだけ。逃れられるモノからは知恵ある我々が逃れればいい。蟲師とは、ずっとはるか古来からその術を探してきた者達だ」
 「蟲師」の時代設定が今からやや昔に設定されているのは、現代の我々が「あるようにある」ものを否定しているからではないか。口では「偏見をなくそう」と言いつつ、他人の欠陥を、世の闇を忌み嫌う人間のいかに多いことか。
 醜いもの、汚れたもの、奇妙なもの、狂ったもの、害をなすもの、それらもまたこの世界を構成する一つのものではないのか。「蟲」はその象徴である。そして「蟲」を心の内に潜ませていない人間は誰一人いないだろう。
 ヨキは銀蠱に出会う。トコヤミの底に住む目のない魚に。そしてトコヤミから出て再び現世の光を見るために、片目と記憶を失う。闇から抜け出すためにはなんでもいい、思いつく名を自分の名とすればいい。
 そして、そのときからヨキは「ギンコ」となった。
 ギンコもまた、いつかはトコヤミに飲まれる日が来るのかもしれない。それが「蟲」を見続ける者たちの宿命であるなら。ギンコは「再び会おう」と約束した人達とももう会えないのだろうか。
 でも、いや、だからこそギンコは蟲たちを見続ける。自らが「あるようにある」ために。

 短く書くつもりがまた長くなっちまったな。いや、これもいつものこと。
 でも実はこれでも全然書きたりないのだ。こういうのはいったいどういう蟲に取り憑かれてるんだろうね?


 しげ、クリスマスイブだというのに外出である。
 なんでも職場の人たちとパーティーをするという。
 「冷蔵庫にケーキ入れてるから、店が終わるころに持ってきてくれん?」
 「店が終わるころっていつだよ」
 「さあ、12時過ぎるかも」
 「自分で取りに来いよ! 明日オレ仕事だよ!」
 全く、自分は甘えて当然って顔して、ヒトの都合は全く考えないのである。
 結局、私が寝てる間にケーキは取りに来たらしい。
 最初からそうしろ。

2001年12月24日(月) イブの焼肉/DVD『三毛猫ホームズの推理』/『シベリア超特急』ほか
2000年12月24日(日) 昼寝したので今日の休日は短かった/『ルパン三世』7集(山上正月)


2002年12月23日(月) 料理は好きなんだけどね/『帰ってきたウルトラマン大全』(白石雅彦・荻野友大)/DVD『アリーテ姫』/DVD『椿三十郎』ほか

 天皇陛下、もう69歳か。
 体調もよくないようだし、平成もそう長くはないだろうなあ。あと10年前後と見て、さて、私がくたばるのととどっちが早いか。
 きっと今の皇太子が践祚したあとで皇室典範の改訂が行われるんじゃないかな。女性の即位を認めるように。となると未来の「玉の輿」は男か。ハタ、と気付いたが、女性が天皇の場合、その夫の呼称はどうなるんだろう?


 岡田斗司夫さんがいよいよ食玩プロデュースに乗り出すそうである。
 ここまでありとあらゆるバラエティーなものが出回っているのに、ここでもう一つ、というのはなかなか大変じゃないかと思うのだが、さてどんな企画なんだろう。
 「岡田斗司夫」の名を関する限りはオタク度の高いものでなくてはならないし、かと言って売れそうにもないものじゃしようがないし。関西人の悪い癖で、ノッちゃうと「オ○コマーク事件」とかトンデモナイ発想をしたりするからなあ、岡田さんは。海外SFドラマコレクションの類なんかだといかにも「らしい」んだけど、今一つインパクトが薄いしなあ。
 もしかして岡田さん自身のフィギュアとか(^o^)。オタアミで売ろう♪
 なんにせよ、そのうち具体的な発表があるだろうから、期待して待ちましょ。もちろん私はオトナ買いしちゃいますよ。


 今日は一日、日記書きと昼寝。
 しげが「料理作ってくれたら、片付けはするよ」と、今まで1億5千万と飛んで3回は繰り返した言葉を信じてカレーを作ってやる。なんで信じるかな、オレ。
 市販のカレー粉を混ぜ合わせ、予めバターで炒めた肉汁で再度炒めて、醤油とフルーツジュースと牛乳で味をまろやかにする。近所のカレー屋のカレーよりよっぽどコクがある。
 しげ、「美味い美味い」と食って、皿に山盛り二杯おかわりするが、やっぱりそのまま片付けもせずに放置。食ったらもう約束を忘れているのである。シナプスの切れる速度が常人の三倍は速いんじゃないか、こいつ。


 マンガ、藤子不二雄A『黒ベエ』2・3巻(完結/ブッキング・410円)。
 全11話で完結しているが、白眉は8話の『黒ベエ、白ベエになる!』。
 かわいい少女に出会って、悪行の数々をたしなめられる黒ベエ。少女に惚れた黒ベエは、悔い改めて黒い服を脱ぎ捨て白服にイメージチェンジ、「白ベエ」としてよいことをしようとするが、やることなすこと大失敗、かえって周りに迷惑をかけまくってしまう。それを見た少女が黒ベエに投げかける言葉がスゴイ。
 激情するわけでもなく淡々と冷静にこう言うのだ。「君の心は服ぐらい変えてもどうにもならないほどシンまで黒くそまっているのだわ」
 いや、確かに黒べエはそういうキャラクターなんだけど、そこまで身もフタもない言い方するのか(^_^;)。その少女は水鉄砲で黒インクを黒ベエに浴びせ、「きみにはやっぱり黒い服の方がよく似合うわ!!」と言って去る。
 黒ベエの頬を伝う涙。けれど、これはそれで正解だったのではないか? 人の持つ欲望を含めたドス黒い部分、これをキレイゴトだけで否定してしまうことは人間のありうべき尊厳自体を否定しかねないのだ。
 いいじゃないの、悪人で。自分を善人だと信じてる既知外より、よっぽどマシだよ。


 白石雅彦・荻野友大編著・西村祐次資料・円谷プロダクション監修『帰ってきたウルトラマン大全』(双葉社・2310円)。
 「誕生30年&DVD発売記念」とオビにある。オイ、もうそんな昔か。感覚的にはついこの間なんだがなあ。初期ウルトラ世代の感覚だと、もう「帰りマン」以降は世代が代変わりしてるんだけど、もう今の若い人にとってはこれすら「古典」なんだよなあ。しげですら『80』以降の記憶しかない……ということは、今の10代、『ティガ』が最初のウルトラマンってことになるのか。うーん(-_-;)。
 しかしハヤタとモロボシダン、郷秀樹が出会う設定上の矛盾について、何か解説があるかと思ったら全然なかったなあ。これ、もう「今さら触れるなよ」ってことなのかね。私ゃ未だに納得してないんだけど。


 DVD『アリーテ姫』。
 結局、福岡までは来なかったんじゃないかなあ、世評はすごく高かったというのに。というわけで今回見るのが初めて。『名探偵ホームズ』の片渕須直氏の初監督作品ということで興味を持ってたんだけど、片渕さんの名前知ってる人も少ないんだろうなあ。
 原作はダイアナ・コールスの『アリーテ姫の冒険』。と言っても映像化に当たっては結構アレンジがされているらしいが、未読なのでよく分らない。映画の方は一言で言ってしまえば、深窓のお姫様が、魔法使いに攫われたのち、ただの一人の人間として生きて行く決意をするまでの物語である。
 非常に丹念な作りがされてしいるし、中世の世界のように見えたものが、実は失われた科学技術の崩壊したはるか未来世界の話、とわかって驚くような仕掛けはあるのだが、全体的にひたすら地味である。作画は丁寧、演出も堅実で、CGIのさりげない使い方も見事なのだが、アニメーションとしてのカタルシスには乏しい。同じようなテーマを映像化するなら、1960、70年代の東映動画だったらもっと楽しく派手に演出してくれたものなんだが。
 もちろん本作は、惹句にもある通り、「自分に迷い、自分にできる何かを探しているすべての世代の人たちに見てほしい、こころの冒険の物語」である。私のように「今さら自分に迷ってるほどヒマ人じゃねーよ、自分にできることなんてもともとない、そんなふうに考えるのはただの思い上がりだ」と思ってる人間にとっては無用の物語である。私にできることはせいぜい「アリーテちゃん、がんばれ!」とかげながら応援することくらいだ(^o^)。
 けれどやはりこの映画は「今」の人に見てほしい、そして感想を聞いてみたい、と思わせる物語である。具体的に名前を上げはしないが、この日記の読者であるあの人やあの人が見たらどう思うかなあ、とか想像しながら見た。
 アリーテは美人ではない。求婚し夜這いしてくる隣国の王子たちも、別に人間としてのアリーテを求めているわけではない。それを知悉しているアリーテは、門番の目を盗んでは街中を身分を隠して歩き、自分がここで何をして生きていけるかを模索する。それはまさしく「自分探し」の彷徨だ。
 しかし、本来、文学や芸術はそういった個人のさ迷いの果てにある「世界」を描こうとすることに主眼があった。そう考えると、この『アリーテ姫』の物語は、ラストに至ってようやく「物語」が始まるのであって、本編自体は「文学以前」を描いたものとしか言えない。もっとはっきり言えば、「人間」の物語はようゆくこのラストから始まるのである。
 そういう物語を現代の若い人が本当に欲しているとすれば、そういった人たちはまだ「人間ではない」ということにもなる。「あなたはまだ人間じゃないでしょ?」と言われて、若い人たちはそれでもこの物語に感動してしまうのだろうか。実際、私が「すべての世代の人たちに」という言葉を不遜に感じてしまうのは、「いいオトナがさあ、今更自分探ししてるようじゃ、人として情けないじゃん」と思ってしまうからである。
 だから私は、こういう映画が作られてしまう「時代」が悲しいなあ、と思うのだ。まあ、太宰治や三島由紀夫にかぶれる人を哀れむのと同じような感覚なのね。


 DVD『椿三十郎』。
 黒澤明『用心棒』シリーズの第2作(第3作は監督が代わって稲垣浩監督の『待ち伏せ』。岡本喜八の『座頭市と用心棒』は番外編と見るべきだろう)。
 原作は山本周五郎の『日々平安』で、メイキングで小林桂樹が語っているところによると、本来、主演は小林さんの予定だったそうである。確かに原作のイメージなら小林さんのほうがうってつけだ。チョイ役出演の小林さんが、タイトルロールでは三船敏郎、加山雄三に続いて三番目なのにはそういう理由があるのだろう。
 もちろん、その主役交代は前作『用心棒』の大ヒットで「三十郎ものをもう1本」と東宝から頼まれたためである。そのせいで三船敏郎の三十郎、いかにも山本周五郎的世界を体現している入江たか子や団令子の間にあって実に居心地が悪そうであった。居心地が悪いのは仲代達矢演ずる室戸半兵衛もそうであって、本来、彼がその悪辣な知恵を弄するのは、藩を乗っ取ったあとであったはずである。三十郎に「あいつは虎だぜ」と言われちゃいるが、その虎としての本領を全く発揮しないまま物語は終わってしまう。
 だから、あの有名な血飛沫のラストシーンは、全く山本周五郎的でない二人のキャラクターの憤懣が爆発した瞬間であったのだ。さて、原作者はあれをどう見たことか。
 仲代達矢がインタビューで「ラストではあの血飛沫が出た途端に記録の野上(照代)さんが逃げ出してねえ」と笑っていたのが楽しかった。

2001年12月23日(日) 幸せを配る人/映画『アメリ』/『あひるの王子さま』2巻(森永あい)ほか
2000年12月23日(土) 天皇誕生日スペシャル/『本格推理マガジン・絢爛たる殺人』


2002年12月22日(日) 宮崎対黒澤対富野(^o^)/『電脳なをさん5』(唐沢なをき)/DVD『攻殻機動隊 SAC』第1巻/『帰ってきたウルトラマン』第1巻ほか

 DVD『オーバーマン キングゲイナー』の第1巻が急遽発売延期、理由は「収録された第1話の映像が本来収録されるべき放送用映像ではなく、先行試写用のものであった」ためだそうな。
 なんだか最近この手のトラブルが多いな。やはり収録映像にミスがあった『七人の侍』も回収、再発売されたし、こうなると「赤い『千と千尋』」問題でのジブリの対応のマズさが反作用的にクローズアップされてくる感じだねえ。
 さて、その「先行試写用の映像」ってのと本来のものとがどれだけ違うのか興味のあるところだが、バンダイの広報に「既にご購入のお客様には大変お手数ではございますが、商品の交換にご協力くださいますようお願い申し上げます」とあるから、どうやら実物を手に入れた人もいるようだ。でも、そこで商品の交換に応じた人は殆どいないのではないかと想像する。だって、それって印刷ミスの切手みたいなレアものじゃん。ここで憤慨して交換に応じるようじゃ、オタクとは言えない。適正版も含めてちゃんと2枚買いなさい(^o^)。
 『千と千尋』も客がみんなオタクばかりだったら、こんな騒動にはならなかっただろうに、誠に不幸なことである。適正版出したら、バカ正直に交換に応じる客ばかりだろうしなあ。裁判で負けたら適性版出すのだろうか。もちろん私は交換なんてしないでもう1枚買うだろうなあ。
 で、もしかしてこれが流行になって、わざと「初回出荷分のみミスあり」ってのが流行したりしてな。全てがそうじゃなくて、一部にのみミスがあるってんでコアなオタクは何枚もDVD買いあさってミスのあるやつを探したりしてな。
 それにしても宮崎、黒澤、富野と、大物監督の作品に集中して、この手のトラブルが多いね。さあ、次は誰だ。


 朝方、ちょっと用事があって川端を通りかかる。
 するってえと、お隣をスッと通りかかった長身のご老人、高い鼻に細い目、薄い髪をピッタリなでつけて、なんとなく丹頂ヅルみたいだ、どこかで見たような人だなあ、と思ったらこれが劇作家の別役実氏であった。
 なな、なんで博多の川端の、こんなところに氏が、と思ったら、そう言えば今日まで博多座で高校演劇の九州大会が開かれているのだったと気づき、ははあ、別役さん、この審査委員に呼ばれたな、と納得。
 ずっと以前に、私は別役さんの公演会を聞きに行ったことがある。そのときの演題は「中景としての演劇」というものだったが、若気の至りというか、無遠慮にも私は「演劇におけるリアルとはなにか?」みたいな初歩的な質問を別役さんにぶつけた。きっと「このドシロウトが」と別役さんは思われただろうがに、少しも怒らず(もともとすごく表情の見えにくい人なのだが)、懇切丁寧に返答してくださった。そのときのことを思いだして、つい顔が真っ赤になってしまったが、別役さんは案の定、博多座の中に入って行かれた。
 ちょっとご挨拶したい気持ちになったが、いくらミーハーな私でも、さすがに通りがかりの人をつかまえてサインをねだったりはしない。ああ、でもあとそうたいして長生きもすまいに、千載一遇のチャンスを逃がしたかも(←人でなし)。
 

 用事が予定より半日ほど早く終わる。
 いやね、実は仕事で来たんだけど、出張先に来てみたら仕事がなかったのだ。なんじゃい、そりゃ(。□°)??
 でも、これで時間が空いたので、やりたいことができてありがたい。もともと寄る予定ではなかったけれど、博多駅の紀伊國屋でDVDと本を買って帰る。


 夜、またこうたろう君から電話。
 いや、引き出物をお送りしたお礼の電話だったのだが、思っていた以上に感謝されて恐縮する。何をお送りしたかは恥ずかしいので書かないよん(^_^;)。


 マンガ、唐沢なをき『電脳なをさん5』(アスキー・1680円)。
 おわっ、価格がちょっとはねあがっちゃったぞ。でもナカミは相変わらず面白いから買いなさい。
 毎回、『なをさん』の新刊が出るたびに、各話のもとネタをわかる限り書いてやろうか、と思いながら、その分量の多さに立往生してやめているのである。
 いやね、もうイマドキの若い人には、例えばvol.251・252の『竜神沼ac』の元ネタ自体、分らない人もいるだろうし、ましてや途中でやたらとカットバックが挿入されてるのがなぜなのか、解説されないと全然ピンと来ないだろうな、と思うからである。
 そんなのオマエがせんでも、という批判に対しては、そう思って今40代・50代のオタクたちが若い世代に説明を怠っていたことが、結果的に世代間の断絶を生んだのだ、と言っておきたい。
 つまりこの漫画の元ネタとなった石森章太郎の『竜神沼』が、同士の『マンガ家入門』に自作のサンプルとして、紹介され、そこで映画的カットバックの手法が説明されていた、ということが元になってるのだね。更に言えば、石森さんが参考にした映画は、黒澤明の『姿三四郎』。
 そういう理由で、あともうちょっとだけ、疑問も含めて、気付かれにくいパロディなどを。

 vol.253は特撮番組『流星人間ゾーン』のコミック版。作画は古城武司が担当していて、唐沢さんの絵柄もその模写。流星人間ゾーンがゴジラと協力してガロガ星人の送りこんでくる怪獣と闘う、というものだが、なぜかゴジラも怪獣も、それどころか変身後のゾーンも出て来ない。版権の関係か?
 vol.261、どうしてデビルマンの絵がこんなにヘンなの? と思われるだろうが、これはテレビ版に準拠した蛭田充による絵の模写のため。テレビ版に基づいてるのでシレーヌもあっさり死にます。それにしても「デッサンが狂ってヘンな顔」とは唐沢さんも情け容赦のないことを(^_^;)。
 vol.269、伝説のマンガ家、一ノ関圭の『らんぷの下』のパロディ。これについては唐沢俊一さんも日記で触れられてたが、ビッグコミック掲載時にはこう横向きに印刷されてたのだ。今はさすがにこんなことはしなくなったけどさ。
 一ノ関さんを消えたマンガ家だと思ってる人もいるだろうが、最近も『絵本夢の江戸歌舞伎』(岩波書店)などを出している。ファンならぜひご一読を。
 vol.272、絵が全然似てないのでわかりにくいが、矢口高雄の『マタギ』である。矢口さんの線を模写するんだったら、やっぱりGペン使わなきゃムリだよなあ。
 vol.276、落語『火焔太鼓』が元ネタ(途中、ちょっと『もと犬』が混じる)。
 落語の素養なんて日本人の基礎教養だと思うんだが、近頃のわけェやつァ、からきしなっちゃいねェからよゥ。
 古臭い太鼓が実は掘り出し物で高く売れちゃうってとこは同じ筋だけど、落ちは原典が、「けど、よくあんな汚い太鼓が三百両で売れたねェ。やっぱり音がしたから気が付いたんだねェ」「そうともよ、やっぱり音がしなきゃだめだ。おれァ、今、半鐘仕入れようと思ってんだ」「半鐘? だめよ、おじゃんになっちゃう!」というもの。このギャグも若い人にはわかりづらくなってるかなあ。
 あとは有名どころが多いからだいたいわかるんじゃないか。っつーか、わかんなかったら自分で調べなさい(誰に言ってんだよ)。

 
 DVD『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』第1巻。
 第1話「公安9課」と第2話「暴走の証明」を収録。
 原作と劇場版との中間の絵柄って感じでどっちつかずになってるなあ。つまんないとは言わないが絵的には魅力を削減された印象。26本持たせるためにはこういう「動かしやすい」絵柄にしないとしょうがないんだろうなあ。
 でも素子の唇が分厚いのはちょっと萌えにくい。いや、萌える必要はないんだが(関係ないが「萌える」が一発で変換されてしまうウチのパソコンはどうなってるんだか)。
 ミステリーもの、刑事ものとしての特徴を強調しているせいで、印象が『パトレイバー』っぽく見えてしまうのも損かなあ。『ドミニオン』がアニメ化されたときもそんな印象だったし。


 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ』5巻。
 illusion宗峽晃と対策」、勝峺彊と結果」。
 ギャグアニメでは定番かな、過去の親に会うっての。オタクなら間違っても「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマネじゃん」とか言っちゃダメよ。
 面白かったギャグは原作にもあったけど、ハレがいきなり金髪になってマツゲが伸びたところ。体験すれば本気で気色悪いだろうなあ(^_^;)。
 ついに次は最終巻だけれど、アメちゃんの誕生でめでたしめでたしで終わるんだろうなあ。水島監督、次は劇場版しんちゃんで頑張ってね。


 DVD『帰ってきたウルトラマン』第1巻。
 収録は1〜4話まで。
 第1話『怪獣総進撃』第2話『タッコング大逆襲』第3話『恐怖の怪獣魔境』第4話『必殺!流星キック』。
 こうして見返すと、ドラマとして初期の作品ってムチャクチャ高密度だよなあ。濃過ぎてついてけないというか、「『ウルトラマン』で熱血スポ魂モノやるなよ」って部分はあるんだけれども。
 痛し痒しなのは、坂田健(岸田森)と郷秀樹(団次郎)の関係が、シリーズ後半で立ち切られちゃったことなんだよなあ。この「全くウルトラマンらしくない」師弟関係は暑苦しくて仕方なかったんだけれども(MAT内での隊長と隊員の関係もひたすら鬱陶しい)、かと言ってやっぱりウルトラマンだから嫌いにはなれなかったのだ。でもって、あの衝撃の結末には、当時も「イナズマ2世号はどうなるんだよう!」とか思っちゃったのよ。

 1話は当時、サブタイトル見ただけで燃えた。だって「怪獣総進撃」だよ? たった30分の中に怪獣がザザーン、タッコング、アーストロンと三匹も出るんだよ? どれだけ燃えたかは、当時毎週新聞のテレビ欄の記事を切り抜いて、ノートに貼って書きこみして、「帰ってきたウルトラマン資料集」を作ってたくらいだ。結局、親に捨てられたけど。あの恨みも私は忘れん(`Δ´)。

 でも2話でいきなりガックリ来た。郷秀樹が慢心してウルトラマンになれない。これは『マン』でも『セブン』でも、人間体とウルトラ戦士とは心が同じだったのと全く設定が違っていた。……じゃあ、郷秀樹、ただの人じゃん。ヒーローじゃないじゃん。もちろん、製作者が「苦悩する人」として主役を描きたかったのはわかるが、それは「ウルトラマン」じゃないだろう、と思ったのだ。ウルトラマンが「絶対善」なら、そのウルトラマンに選ばれた郷秀樹だって、「善」でなければ……偏狭だけれども、少年の夢とは得てしてそういうものなんである。

 3話、後年知ったが、デットンはテレスドンの縫いぐるみが疲弊したんで「テレスドンの弟」ということにしたんだとか。テレスドンの弟ならやっぱりテレスドンだろう、というツッコミを、小学三年生だったが当時から私はしていたぞ。こういう子供ダマしの設定がシリーズ後半になるほど増えてったのがウルトラシリーズからのファン離れにもつながったと思うんだがなあ。

 いや、4話もヒドイね、ウルトラマンが特訓してバリアー飛び越えようってんだから。……もともと飛べるじゃん、ウルトラマン。
 金城哲夫と上原正三を比較したときに、どうしても金城さん寄りになっちゃうのは、自分たちの作った設定に対して誠実かいい加減かって、その差が大きいと思うんだよね。

 そんなに貶すなら買うな! と誰かが言いそうだが、ウルトラシリーズの主役で私が唯一会ったことがある人って、団次郎さんだけなんだよ。しかも放送前のイベント、会場の最前列で言葉も交わしてもらったし、握手もしてもらった。
 私は永遠に団次郎さんのファンなのだ。

2001年12月22日(土) 夢診断/映画『耳に残るは君の歌声』/『冬の角川アニメ』/『蛇神さまといっしょ』1巻(桑田乃梨子)ほか
2000年12月22日(金) 祝、大ヒット/『封神演義』23巻(藤崎竜)


2002年12月21日(土) 肉!肉!肉!(トラ!トラ!トラ!)/『新世紀エヴァンゲリオン』8巻(GAINAX・貞本義行)

 しばらくサボってたが、そろそろ病院に行かねばクスリが切れる。
 クスリが切れるとどうなるかというと、ともかくカラダがダルくなって、階段を登るにも手すりに持たれかからなければ上がれず、息が切れ動悸は激しくなり血管がうずいて頭痛がし、気力がなくなって人生に嫌気がさし、不法に手に入れた拳銃でもって、通りがかりの「てゆ〜か」なんて言ってる生意気なコギャルを撃ち殺したくなるのである。
 ではクスリを飲むとどうなるかというとひたすら眠くなるので、仕事中もふと気が付いたらイネムリしたりしている。これじゃ仕事にならないなあ。
 ……どんどんクスリを飲もう。

 休日の外出にもしげの車を足に使っているので、しげの機嫌はあまりよくない。かと言って使わないで無視してると「オレのこと嫌い?」と言って泣くので、結局拗ねられる点では同じなのである。だったら「使えるものは親でも使え」である。……諺っぽいけどなんだか下卑てるな、このコトバ。いったい誰が言い出したんだ。
 病院は超混雑していてとても診療時間内に診察が終わりそうな気配がない。検査だけしてもらって、診察は今回はオミット。とりあえず血圧だけは良好だと看護婦さんから聞く。この「血圧だけはいい」おかげでなんとかカラダが持っているのである。

 比恵で車を駐車場に置いて、地下鉄で中洲へ。
 博多座の紀伊國屋に、オタクアミーゴスのチラシを50枚置かせてもらう。天神や博多駅バスセンターと違って、ここの紀伊國屋は演劇専門店なので、チラシ置きが可能なのである。
 ちょうど博多座では、高校演劇の九州大会が行われている。学生さんがこのチラシを見て興味を抱いてくれたら、若いオタクの掘り起こしになるのだが。でも基本的に学生さんはおカネがないからなあ。
 不況のせいもあるのかもしれないが、中高生の1ヶ月の小遣いが「5千円以下」というのはよく聞く。もちろんこれには学校での昼食代や日頃の服飾費などは含まれないのだが、それにしても少なすぎる。私が高校生の頃だった20年前、月に2万円は貰ってたんだがなあ(今の物価に改めれば4万近くになるだろう)。
 まあ、演劇やろうなんて子の中には、大金持ちのボンボンやお嬢ちゃんが案外いたりするから、オタアミチケット3500円くらい屁のカッパよ、ってな具合に来てくれるかもしれない。


 紀伊國屋で、ついでに何かええ本はないかと思って物色していると、店員さんが電話で話している声が耳に入った。何やらお客さんから注文を受けて、本を探している模様である。
 「あの、井上ひさし作の、『脱線トリオのコント集』、ありませんか?」

 ……先に申し上げておくが、私は基本的にお節介は嫌いである。いや、あえて「イジワルである」と言ってもいい。
 ネットの掲示板などで、「○○について教えてくれませんか?」という類の書きこみがあって、その答えを知っていても、「誰かがレスつけるやろ」とか、「人に聞く前に、自分で調べんかい!」と思って無視することも多い。

 しかしである。
 お笑いファンならば、私の気持ちは理解していただけるだろう。この「間違い」だけは、どうしても聞き逃すわけにはいかなかったのだ。
 気がついたときには、横から口出ししていた私がいた。
 「あの、それ、『脱線トリオ』じゃなくて、『てんぷくトリオ』です」
 店員さん、驚く。そりゃそうだろう。ヘンなオヤジがいきなり割り込んで来たのだから。
 「タイトルも『井上ひさしナントカ劇場』(とっさで思い出せなかったが、正確には『井上ひさし笑劇全集』である)って言ってたと思いますよ」
 「あの、出版社はわかりますか?」
 「講談社文庫から上下巻で出てました」
 井上ひさしがまだ売れてなかったころ、ストリップ小屋の前座に出ていたてんぷくトリオ(三波伸介、伊東四朗、戸塚睦夫)のためにコントの台本を書いていたことは演劇関係者にとってはつとに有名なのだが、もう若い人にはそういった事実はおろか、脱線トリオ(由利徹、南利明、八波むと志or佐山俊二)との区別もつかなくなっているのである。
 ビデオが殆ど残っていない今、このコント集は在りし日のてんぷくトリオのギャグを伝えるものとして貴重なのだが、井上ひさし自身のギャグレベルは、実はそんなに高くない。三人の間と体技で面白く見せていたのである。どこかのテレビ局に眠ってないかなあ、当時の演芸番組とか。
 その本を注文したとおぼしき女性の方からも感謝されたが、とうの昔に絶版本だろうから、果たして手に入るかどうか。


 腹をすかしたしげをなだめるために、リバレインの柳川屋でウナギ。
 ここに来るのも本当に久しぶりで、注文したのは当然櫃まぶし。
 しげは普通にうな丼の梅を頼む。値段を見て控え目にしたのだろうが、胃が心肺を圧迫するほどに肥大しているしげがそんなもので足りるわけがない。
 私が「味見するか?」と差し出したまぶし飯を、サラリと一杯平らげる。
 「ねえ、この『松』とか『特上』とか、どう違うの?」
 「そりゃ、ウナギの量が違うんだよ」
 そこでしげ、無言になってしまったが、どうせ「特上ってどれだけウナギが乗ってるのかなあ、頼んでみたいけど値段が高いしなあ、それでもってたいしてウナギが乗ってなかったりしたらガクーンってなっちゃうしなあ」とか下らないことを考えているに決まっているのだ。


 キャナルでしげの買い物につきあう。劇団のみんなにクリスマスのプレゼントを買ったらしい。
 そのあと、天神東宝に回って、『ゴジラ×メカゴジラ』、二度目の鑑賞。
 なんでまた、と思われるかもしれないが、エロの冒険者さんがホームページの日記で絶賛されていたので、しげが「エロさんが誉めてるなら見なくちゃ」と言い出したのである。
 私がすっかり口を噤んでいるというのに、亭主の言は信頼しないってか。いや、ほんのちょっとでもしげが「面白い」と思ってくれて、「DVD買おうよ」と言ってくれるんだったら万々歳なんだが……。
 『ハム太郎』は前回も眠くなったが、今回もウトウトしてしまう。ドラマにメリハリがないのだな。
 『釈ゴジ』も二度目なので眠くなる。前回もそうだったが、エンドクレジットが流れ出すと、家族連れはゾロゾロとみんな帰って行く。ちょうどラストシーンが流れ出す直前に席を立った親娘がいて、釈が再び登場した瞬間に父親の方がピタリと足を止めた。娘が怪訝そうに父親を見る。
 「ねえ、どしたの? 帰ろうよう」
 「うん」と言いつつ父親、その場を動かずに画面に見入っている。
 「帰ろうよったら、帰ろうよう」
 「うん」やっぱり父さん動かない。そんなに釈が見たいか。
 そもそもエンドクレジットが終わるまで席を立たないってマナーをしつけてない親の方がよくないよな、これ。

 しげの映画の感想は聞かずともわかったのであえて声をかけない。
 売店を覗いて、何かしげがほしいのあるかと思ったが、「特にない」と言う。
 「帽子は?」と聞いたが「カッコ悪いから要らない」と切って捨てる。
 やっぱりなあ。こないだ買わんでよかった。
 ストラップにまで手を出していたらキリがないので、結局、今回はグッズ類は一つも買わず。


 そのあとベスト電機のLIMBで予約しておいたDVDを購入。
 最近は紀伊國屋で買った方が10%引きで安いので、あまりLIMBでは予約しなくなっているのだが、こちらの店員さんとも顔馴染になっているので、まだ予約を途切れさせられないのである。待望の『帰ってきたウルトラマン』1〜3巻を入手。
 そのまま店を出ようとしたら、しげが幽鬼のような形相で、背後からフライングクロスアタックをかけてきた。
 グエッと呻いて床に突っ伏した私のアゴをグイッと引き上げて、しげ、「買え〜! これを買え〜!」と1枚のDVDを持って叫ぶ。
 鼻血を垂らしながら薄目で見たそのDVDは、『We are the world』。
 「……な、なんでこんなのを?」
 “ボランティアに回すカネがあったらオレに寄越せ”がモットーのしげが、なぜ『We are the world』? と、誰もが疑問に思うであろう、そう思わず聞いた私に、しげは不敵な笑みを浮かべて、あたかも味皇様のごとく咆哮した。
 「ボエ〜!(翻訳→ダンが出てるんだよぉぉぉぉぉぉ!)」
 しげのそのソニックブームで、途端にベスト電機のビルは一瞬に爆発、崩壊した(ここで「ダンって団しん也?」とかボケかましてたら、私もまたその瓦礫の下に沈んでいただろう)。
 まあちょっとした事故はあったが、しげもほしかったDVDが手に入って、機嫌はよくなった模様。


 更に松屋レディスのオタクコーナーを回る。
 しげのお目当ては、ガンダムのTシャツである。いや、Tシャツもいろいろと面白いブツが出てますな。
 ギレンが胸のところで「諸君らの愛してくれたガルマは死んだ。なぜだ!!」と絶叫。背中の隅でシャアが「ボウヤだからさ」と酒を飲んでいる。……いいわ、これ(^o^)。
 私もいいのがないかと探してみたが、着て歩くのにはイマイチ。
 『デビルマン』のジンメンTシャツと言うのがあったが、面白いけどこんなん着て歩けんわ(^_^;)。だってアナタ、「くるしぃぃぃぃいたいぃぃぃぃたすけてぇぇぇぇおぅおぅおぅぅぅぅ」って呻き声ばっか書かれてるんだもの。

 リーブル天神で来年のカレンダーをいくつか物色。『クレヨンしんちゃん』は当然として、ほかに「これ」というものがない。悩んだ末、『円谷英二生誕100年』カレンダーを買う。でも確か円谷さんの生誕100年って、去年か一昨年じゃなかったっけ。


 8時から、焼肉のウエストでエロの冒険者さん、ぴんでんさん、武内さんと食事。エロさん、ご自宅から天神まで歩いてきたとのこと。いや、歩いて来れない距離ではないが、それでも10キロ近くはないか。
 「おカネなかったんですか?」
 「いやたいした距離じゃありませんから」
 思わず失礼なことを聞いてしまったが、私も若いころは一日その程度歩くのは苦痛じゃなかったからなあ。それだけ私が老けこんじゃったってことである。
 ウエスト、忘年会シーズンでムチャクチャ込んでいて、30分ほど待たされる。
 先発隊でぴんでんさんが来ていたのだが、その頭に乗ってるモノを見て、思わずのけぞる。
 ついさっき、しげと二人して「だせえ」と言って買わなかった『釈ゴジ』「機竜隊」のキャップである。なんとぴんでんさん、私たちと同じ回の映画を見ていたのだ。
 ぴんでんさん、溌剌として「いいでしょ!」と仰る。武内さんも「いいなあ!」と唱和する。これで「いやそれは」とも言えない。同じオタクであっても、人の趣味は様々だなあ、としか言えないが、口はモゴモゴするばかり。いや、こんなに気まずいことはなかった(^_^;)。

 食事の席についても、ぴんでんさん、『釈ゴジ』がいかに素晴らしかったかを熱弁するものだから、こちらはもう、口を差し挟む余裕がない。
 「メーサー隊から外されて、機龍隊に復帰するまで、釈由美子が一人ひたすら走りこむ、あの姿を見て立たなかったら男じゃない!」
 すかさずエロさんのツッコミ。
 「立たねえよ!」
 ぴんでんさんの攻撃の矛先はすぐに私たちにも向く。
 「だいたいあんたたち夫婦は映画を見過ぎて、素直な見方を失ってるんですよ! 釈由美子のどこがよくないんですか!」
 「いや、釈由美子はいいんですけどね、でも話が……」
 「釈由美子がよければそれでいいじゃありませんか! 来年は今年の続編で『釈由美子の逆襲』ですよ!」
 ふと隣のしげを見ると、楽しくてたまらない、という顔でニコニコしている。しげは『釈ゴジ』はもう、『アルマゲドン』とどっこいどっこい、としか見ていないから、熱弁を奮うぴんでんさんがかわいらしくてしかたがないのであろう。
 いや、「たとえ誰がなんと言おうと、オレはこれが好きだ!」と、愛を込めて訴える姿というのは、たとえその愛の対象が○○映画であったとしても、そりゃ美しいものですよ、はい。

 席上、最近出回っているコンピュータウィルスの話になる。
 ウチもZUBATさんやしおやさんの名前でしょっちゅうウィルスメールが届いているのだが、ぴんでんさんのところにもウィルスが送られてきているらしい。それも、以前私が出入りしていたサイトの管理人さんの名前でだ。
 いろいろあってそこにはもう久しく顔を覗かせていないのだが、そう言えば、以前、そこのサイトがウィルスに感染した、という話を人づてに聞いたことがある。そのウィルスが伝播してきたのかどうか断定はできないが、関係者には「ご注意を」とのメールをその人は送ったとのことである。
 ところが私んとこにはそういう通知が一切来ていない。
 つまりその人は、私のパソコンがウィルスに感染しても構わない、と判断したいうことであるのだな。ネチケットをやたらうるさく言う人ではあったが、ご自身のネチケットはいささかも心得ぬ人であるらしい。
 そのヘンに嫌気がさして絶縁したんだけど、なんか未だに最後っ屁かまされちゃってるのかなあ。

 たらふく食って、閉店まで居座る。っつーか、ひたすら肉食ってたのはしげとぴんでんさん二人だけなんだけど。
 途中、隣近所の席の家族が、そそくさと帰っていったが、私らのシモの話の多さに閉口したのかも。こっちを睨んでたそうだし。どうもこのメンツで飲み食いするときには、ちょっと場所を考えないといけないのようだ(^_^;)。


 マンガ、GAINAX原作・貞本義行漫画『新世紀エヴァンゲリオン』8巻(角川書店/角川コミックス・エース・567円)。
 ようやく「ネルフ誕生」まで来ましたね。
 ユイさんの微笑を見ちゃうと今でもつい、林原めぐみ・オトナバージョンの声を想像しちゃうなあ(^o^)。
 アニメとは微妙なシークエンスの違いを見せつつも大筋では変更なしに来たこのコミック版。今巻も微妙な違いがチラホラと。

 STAGE.49「…Kiss.」。
 暴走したエヴァに取り込まれたシンジをサルベージするエピソード。
 アニメでは『第弐拾話 心のかたち 人のかたち』あたりですね。
 シンジの心象風景の中で、ゲンドウがシンジを見捨てるときのセリフ、「伯父さんの所でいい子にしていろ」……アニメでは「伯父さん」が「先生」だった。親戚いたのかゲンドウ。それともユイの伯父さんかな? まあアニメ版の「先生」同様、この「伯父さん」が登場してくることはないと思うけれど。
 この回でシンジがゲンドウを刺し殺すイメージが挿入。恐怖するシンジだけれど、こうなると最終回でホントにシンジがゲンドウを殺すのって難しくならないかな。それとも殺さずに結末をつけるつもりかも。

 STAGE.50「心の中へ…」。
 母さんがハダカでシンジくんを誘ってくれます(どこへじゃ)。
 これも劇場版最終回のイメージと重なる。別の結末への期待がいやでも膨らむね。
 レイがゲンドウよりもシンジに心を開いていく描写、レイはレイであって、ユイではない、ということをアニメ版よりも明確に描く。
 「いつの間にかそこに碇くんがいる 鈴原君のことでもう立ち直ることはできないと思ってた でも彼は帰って来て私たちを救ってくれた 碇くん戻って来て」
 これはもう、恋する乙女である。こうなるとなおのこと、バックアップというかコピーを取られて何人もいるのであろうレイの存在自体がいたわしい。
 
 STAGE.51「MOTHER」。
 ユイがシンジに指針を示す描写が追加。これも最終話のイメージの前倒し。

 STAGE.52「回想」。
 ここからアニメ版『第弐拾壱話 ネルフ、誕生』編。
 殆ど変更はないが、冬月がユイにふと手を伸ばす描写など、彼女への思いを示す表現がアニメより強調されている。

 STAGE.53「光の巨人」。
 と言えばやっぱりウルトラマン(^o^)。
 ユイの「結婚しました」のかわいいハガキは出て来ない。残念。

 STAGE.54「ネルフ誕生」。
 本部の庭園で語らうシンジとレイ。レイがシンジの手に触れるシーンが追加。
 「初めて触れたときは何も感じなかった
  2度目は少し気持ち悪かった
  3度目は暖かかった スーツを通して碇くんの体温が伝わってきた
  4度目は嬉しかった 私を心配してくれる碇くんの手が
  もう…一度 触れてもいい?」
 触れてもいい、触れてもいい(T∇T)。
 こんなセリフを彼女から言われたら一生かけてもこいつのために生きると誓うぞ、男なら。
 なんかもう、この二人の未来を知ってると、ここで「ノスタル爺」みたいに「抱けえええ!」と叫びたくなるね。

 STAGE.55「伝言」。
 加持の死のシーンが追加。
 血溜りの中の加持を、「迎え」に来る子供たちの幻覚。彼らも死者だとすれば、何らかの理由でシンジたち以前に「抹消」された「チルドレン」たちか?

 STAGE.56「ジェラシー」。
 表紙がセーラー服(夏服)のリツコさんだ。
 嬉しいようなイケナイものを見たような(^o^)。
 リツコが興奮して、一瞬、レイを殺しかける描写が追加。
 「今まで碇司令しか眼中になかったみたいなのに、ふふ、たいしたものね ただの人形かと思っていたら父親と息子を一度に手玉に取ろうとするなんて」
 ……普通、三文メロドラマじゃないんだから、そこまでは言わんぞ(^_^;)。このセリフが全く芝居じみてなくて、サラリと出るから怖いのである。
 「碇司令を見てたのは本当のことかもしれないけど、でも、それは赤木博士も同じなんじゃないですか?」
 このレイのセリフに切れて、リツコはチューブでレイの首を締めかけるのである。母親の赤木ナオコ博士が最初のレイを殺したときの再現。リツコがハッとして「これじゃまるで母さんと同じ……」と心に思うのだが、となるとリツコは母親の死の真相を知っていた?

 ここまででテレビ版の21話までを消化。
 結構テキパキ来たので、当初20巻以上かかるんじゃないかと思われてたコミック版も、どうやら10〜12巻の枠で収まりそうである。
 折り込みチラシに「現在ではまだ発表できない大型企画も」とか書いてあるけど、わざわざ「大型」なんてぶち上げちゃった以上、それに見合う企画って、新作アニメかハリウッド映画化くらいしかないと思うが。……実写化だと大ヒットはちょっと難しいんじゃないか。誰が綾波レイをやれるよ? 加藤夏希は14歳過ぎちゃったぞ(ロビーナちゃんのときアヤナミやればよかったのか)。
 ガイナックスにはエヴァに頼り過ぎて、オフィスアカデミーの二の舞にならないようにしてほしいんだけどねえ。エヴァの新作を作るより、よりみんなまだ『蒼きウル』待ってると思うぞ。

2001年12月21日(金) オトナ買いってコドモしかやらねえよな/アニメ『キカイダー01 THE ANIMATION』2巻
2000年12月21日(木) 北野武は先生役が合うなあ/映画『バトル・ロワイアル』ほか


2002年12月20日(金) 謎のガマと謎のウサギ/DVD『お熱いのがお好き 特別編』/『金色のガッシュ』8巻(雷句誠)

 夕飯、さかいで焼肉。
 しげと方言のことで口ゲンカ……と言ってもこれは本気のケンカではない。
 大修館書店の雑誌『言語』の1月号が「ふるさとのことば」として方言特集を組んでたのである。
 その「広島県」のページを読むと、「はぶてる(=ふくれる・拗ねる)」とある。以前、私に向かってしげが「なに、はぶてとうと」と聞いたことがあって、意味の分らない私が「広島弁で言うな」と言い返したのだが、しげは「はぶてる」が標準語だと主張して憚らなかったのである。
 「はぶてる」が方言だということがこれで証明されたわけだ。ザマヲミロと思ったのだが、しげは「博多の人間に言われたくはないな」と負け惜しみ。こういうところが広島人の潔くないところだろう。
 この本には「福岡県」の方言も紹介されているが、「しろしい(=うっとうしい)」や「せからしか(=うるさい)」はピンと来たのだが、「がまだす(=精出す)」はあまり聞いたことがない。音だけ聞いたら「蝦蟇を出す」という意味にしか取れんな。油でも売るのか。
 「博多ことば」の本にも載っていないから、福岡の方言ではあっても博多ではあまり使わないものなのだろう。博多って、面積的にはすごく狭いからねえ。
 ネットで見ても「がまだす」が例として出てくるのは、長崎、熊本が多い。職場の同僚でしょっちゅうこの言葉使ってる人がいるけどどこの出身の人なのだろう。


 積文館で本を買い、ベスト電機に回る。先日急にウチの掃除機がウンともスンとも言わなくなったので、修理に出していたのを受け取る。ついでにまたDVDを買う。前からねらっていた「ビリー・ワイルダーDVDコレクションボックス」である。『アパートの鍵貸します』『七年目の浮気』『お熱いのがお好き』『あなただけ今晩は』『恋人よ帰れ!わが胸に』『情婦』の6枚組。小林信彦に言わせれば晩年の気の抜けた作品、ということになろうが、このあたりの作品で私たちは「映画の楽しみ」を知ったのだ。
 昨日からの風邪、またひどくなる。夜はなにか映画を見にいこうと、しげと約束していたのだが、無理そうなので諦める。
 そうしたらしげが「じゃあちょっと鴉丸んところに行って来る」ともう夜中だと言うのに外出しようとする。
 「いったい何の用事?」と聞くと、「ウサギの移動」と答えて出て行った。
 「ふーん」と思わず聞き流してしまったが、考えてみたら「ウサギの移動」って何?


 DVD『お熱いのがお好き 特別編』。
 実は、私のカラオケの定番の一つがマリリン・モンローの(っつーか、ベティ・ブープの、と言うべきか)『愛されたいの』である。気持ち悪がられるのが分ってるので大勢のときに披露したことはないが。
 特別編、と言うだけあって、トニー・カーティスのインタビューほか、特典映像も充実している。楽しいのはマリリン・モンローほか女性だけで結成されたバンド、スウィート・スーのメンバーの同窓会。エミリー役のサンドラ・ワーナーが告白しているが、撮影直後に妊娠したモンローはスチール撮影が行えず、ワーナーが体だけを吹替えて、顔写真を合成したそうだ。うーん、あのポスターの数々、モンローじゃなかったのか。これはビックリ。
 特典もいいけれど、何より素晴らしいのは、日本語吹替えが復刻されていること。テレビサイズなのでところどころ原音に戻ってしまうが、伝説の、向井真理子のあの艶やかなマリリン・モンロー(シュガー)の声が(何しろ「モンローの声で○○○○してくださいというイタズラ電話が向井さんとこに殺到したほどだそうである)、旬の声で聞けるのである。
 モンロー映画が吹替えで放映される機会がめっきり減っちゃった今、これはまさしく秘蔵ものである。
 恐らくこれは1967年に日曜洋画劇場で放映されたものだろう。
 トニー・カーティス(ジョー)は広川太一郎、ジャック・レモン(ジェリー)は愛川欽也。
 DVDにはこれだけしか記載がないが、ジョージ・ラフト(スパッツ・コルンボ)は大木民夫。デイブ・ベリー(ビーンストック)は塩見竜介。ジョージ・E・ストーン(爪楊枝のチャーリー)が永井一郎。ネヘミア・パーソフ(ボナパルト)が雨森雅司。パット・オブライエン(マリガン警部)が大平透。
 聞き取れたのはここまでで、ジョー・E・ブラウン(オズグッド・フィールディング三世)の声もジョーン・ショウリー(スウィート・スー)の声も聞いたことはあるんだがちょっとわからない。このDVD持ってる人でわかった人いるかなあ。あとチョイ役で八奈見乗児や小宮山清が出てたな。毎度毎度思うことだけれど、資料が全く残ってないってことはないはずだから、販売元はこういう資料もきちんと記録しといてくれ。
 今さらこの名作のあらすじだの解説だのをするような野暮はしないが、本作に関するちょっとしたこぼれ話を一つ。本編中に出てくる「チューバ吹きの女の子が無人島で片足のジョッキーと出会った小噺」、これ、落ちを語る前に話が流れちゃって聞けないまま終わっちゃうんだが、三谷幸喜がやたらと「洗面器を頭に乗せた女」の話を自作に盛りこむのはこれのマネ。だからあれにオチはないのである。


 マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』8巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 アニメ化決定だそうだけれど、ギャグの間が結構難しいんじゃないかなあ。『コナン』と『犬夜叉』がロングヒットになってるわりには今一つパッとしないサンデーの起爆剤になるか否か。
 ちょっと私は飽きて来てるんだけれども。
 ここんとこギャグキャラばかりが続いたせいか(前半はやっぱりよく分らないヘンな外人が二人も出るが)、えらくストイックな魔物、ウォンレイが登場。コンビの人間は香港のお嬢さま・リィエン。魔物が中国風だととっつくのも中国人なのかな? それにしてもライバルキャラにどんどん「いい人」が増えてる。話が退屈になってきてるのはそのせいもある。
 もう少し「巨悪」って感じのキャラを出していかないと小ぢんまりと収まっちゃいそうだなあ。



<追記>
 思い出せなかった『お熱いのがお好き』のジョー・E・ブラウン(オズグッド・フィールディング三世)の声、江幡高志(江端高志・江波多寛志・江波多寛児)さんじゃないかな。
 役者としては『どですかでん』や『ゴジラ(84)』、『みんなのいえ』に脇役出演しているが、声優としては『鉄腕アトム(モノクロアニメ版)』のハム・エッグが有名。
 こういう昔の映画って、クレジットが出ないことが多かったから、資料はホントに耳に頼るしかない。八割までは確かだと思うけれど、もう少し確定的な証言がほしいところだ。

2001年12月20日(木) ゴメンね、素直じゃなくってっ/『名探偵コナン』35巻(青山剛昌)ほか
2000年12月20日(水) 敵国降伏/CGアニメ『ポピー・ザ・パフォーマーのひみつ』ほか


2002年12月19日(木) オタクの明るい未来/『リンダリンダ ラバーソール』(大槻ケンヂ)

 朝、またもやしげ起きてこれず、タクシーで職場へ。
 このとき乗ったタクシーの運ちゃんがなんかボケてて、道を教えても「はあ?」とよく聞こえない様子。「右です」「左です」と、いちいち二回ずつ言わないと伝わらないのだ。
 私はタクシーの運ちゃんの話を聞くのが好きなのだが、たまにこういうのに当たることもあって、そういうときはホントに往生するのである。なんたって「右」と言ってるのに左に曲がられるから、仕方なく「次の次の角を右ですよ」と早めに言うと、次の角で右に曲がられてしまったりするのである。
 朝っぱらから神経使わされたせいか、体調がよくない。
 喉がいがらっぽく、咳も出始めたので、また風邪にかかったかと暗い気分になる。葛根湯を飲んで、体を休め休めしながら仕事。


 職場で若い子たちとお喋りしていると、なぜか「オタクはいかにして恋愛するか」という話になる。というのも話相手は二人だったのだが、そいつら二人が二人して男も女も隠れオタクだったのであった。
 まずそのオタク野郎が、「鬱陶しいオタク」の典型だったと思っていただきたい。大声でしつこくて自分の趣味を押しつけるタイプで、女の子に嫌われて当然、というやつだ。
 「お前さあ、趣味は趣味で持ってていいけどさあ、もう少し、人の気持ち考えろよ。彼女いないだろ?」
 「いませんけど」
 「女の子好きになっても、自分の趣味押しつけるばかりで、女の子から好きになられるような自分になろうなんて考えてないだろ?」
 「……まあ」
 「好きな子いるか?」
 「いやその」
 「どうせお前のことだからさ、好きだけどなかなか言い出せなくてよ、なにかのきっかけで向こうからこっちを見てくれないかなあ、とか甘いこと考えててよ、それでいて偶然目があったらついソッポ向いたりしてよ、優しい思いやりのある言葉の一つも言えなくて、会話すればつまんないことで言い合いのケンカになったりしてさ、本心はいつまでも言えないままで、それ以上関係が進まないとか、そんなガキみたいな恋愛してるんだろ」
 「あの……えらく具体的なんスけど、見てたんすか?」
 「見てなくても当たってるだろう」
 「……当たってます」
 「自分の言いたいことだけ言って、相手の気持ち考えないからそうなるんだよ。相手はお前の大事な大事なフィギュアじゃなくて生身の人間なんだぞ? 自分の思い通りになるって心のどこかで思ってるからゴーマンな態度取って平気でいられるんだよ。そんなことしてたら30過ぎても結婚できなくて、段々焦ってきてちょっとかわいいオタクっぽい女の子がいたら、『この子しかいない!』とか思いこんでムリヤリからんでストーカーめいた行為働いちゃって「気持ち悪い」って嫌われてよ、トモダチからも絶交されて独りぼっちになっちゃうとか、そんな哀れなオタクになっちゃうんだぞ。シンジくんか。だいたいオタク男ってさ、同じ趣味持ってるからってオタク女を好きになるけどさ、オタク女はオタク男が鬱陶しいから嫌いだってことに気づいてないんだよな」
 「あ、あの、なんかスゴイ、イタイんスけど」
 「ある人の実話だ」
 「うひいいいいい!」
 後ろで女の子が笑っていたので、そちらにもネタを振る。
 「女のオタクだって、30過ぎまで独身で結婚できないなんてのいくらでもいるんだぞ。ずっと同人誌でヤオイマンガとか描いててよ、コミケでいいブース取ることだけに命かけててよ、○○サマ〜とか○○サマ〜とか人目も憚らず叫んでるもんだから、『あいつに近づくとヤバいぞ』って男の間でウワサ立てられてよ、宴会のあと『ウチまで送ってやるよ』ってエスコートされてよ、ホントにウチまで送られちゃうような女になっちまうんだよ」
 「あ、あの、ムネがイタイんですけど……」
 「実話だ」
 「ああああああ!」
 「オタクだからって人と違ってていいとか、常識なくていいとか、全部言い訳なんだよ、少しは自分のやってること、見直せよな」
 もちろん、私が自分を見直して見たことなんてないのは言うまでもない。
 「心に棚を作れ!」(by伊吹三郎(^o^))。
 あの、これ冗談の会話ですから、オタクのみなさん、本気で怒らないでね。


 帰りがまた、定期の見回りで遅くなる。
 しげはもう仕事に出かけているので、コンビニでチキンカレーとデミグラスソースオムライスを買って、これが晩飯。
 「ゴジラ名鑑」をいくつか買って、ようやく「メカゴジラ」をゲット。あとは「南海ゴジラ」だけだけれど、さてあと何個買えば手に入ることやら。


 夜、東京のこうたろう君から電話。
 「たまにはこちらから電話でも」とありがたいコトバ。日記に夫婦ゲンカの記述が多いので心配してくれているようだ。
 しげとは年齢差があるので、そのミゾを埋めるには軽いケンカ&たまに重いケンカは必要なのである。何しろしげに私の気持ちが伝わらないように、私もしげの考えてることが分らないのだから。
 仮にホントにリコンなんてことになれば、この日記でどれだけ私がしげに対して乱暴狼藉を働いたかの証拠になるだろうから、慰謝料は私から取り放題だろう。しげにとって不都合なことにはならないはずである。


 大槻ケンヂ『リンダリンダ ラバーソール いかす!バンドブーム天国』(メディアファクトリー・1260円)。
 いわゆる「バンドブーム」というものに私は全く引っかからなかった。
 タイトルにある「リンダリンダ」だって、サビの「リンダリンダー!」って絶叫してるのを何かの番組で見かけたことがあるだけだし、甲本ヒロトの名前も知らなかったのである。っつーか私にとっての甲本ヒロトって、『タイムボカン王道復古』でのセコビッチ・ファンの甲本浩人くんなんだけどな(誰が知ってるそんなもん)。「山本正之と組んでるアニソン歌手」というのが基本イメージなのだ。こんな覚え方されてたら、ブルーハーツファンは激怒するかもしれないが、甲本さんは山本さんを師匠と仰いでるんだから、失礼には当たるまい。ついでに言えば、甲本さんの弟が俳優で元東京サンシャインボーイズの甲本雅裕。弟さんがゲストで出演していた『笑っていいとも』を偶然見ていて知った。トモダチのトモダチの輪はなかなか面白い。
 いやまた話が逸れた。
 要するに私は「イカ天」も全く見てなくて、ロック系とは全く縁がなかったのだが、それがどうして大槻ケンヂにだけは興味を示したかと言うと、この人が江戸川乱歩のファンだったからである。
 何かの番組で、「乱歩の映像化にはもっと超豪華におカネをかけなければならない」と語ってたのを聞いて、得たりや応、と膝を叩いたのである。それから大槻さんが書いたSF小説なども何冊か買ったのだが、すぐに山の中に消えて未だに取り出せない。エッセイをいくつか読んだきりなので、大槻さんの本格的な「小説」(ひたすら自伝に近いが)を読むのはこれが始めてである。

 私は「筋肉少女帯」の曲も殆ど知らない。「高木ブー伝説」もサビの部分しか知らない。「ボヨヨンロック」も聞いたことがない。
 なのにこの小説が面白くて仕方なかったのは、これがまさしく「青春小説」だったからだろう。
 バンドブームとはいったいなんだったのか。全てのものが消費されつくしていく時代の流れの中では、それもまた流行歌の歴史の一つの徒花、と切って捨てることもできようが、その渦中にあったものたちは自らを表現すべく、蠢き、あがいていた。けれど、彼らが表現したかったものはいったい何だったのか。
 実はそんなものはない。彼らにあったのは何かを表現したいいという思いだけであり、それが奇矯なスタイル、奇矯なライブを作り出していった。大槻さんはそう喝破する。舞台でゲロを吐いた男達もいたが、それはなんの表現にもなっていないという意味でまさしく彼らの表現だった。
 無意味さが無為ではないことを示すのが青春小説の謂であるとすれば、まさしくこれは青春小説の名にふさわしい。この小説の切なさはそこから生まれてきている。
 どこに向かって行くのかわからぬまま、殆ど全てのバンドが嵐に飲みこまれ、遭難して行った。そして死んでいった者たち。バンドブームが終わり、イロモノになっていった池田貴族が最後にロックに帰って行く姿は切ない。その曲を私は聞いたこともないのに。
 大槻ケンヂは一応、生き残りはした。けれど失ったものもやはりあった。それはまさしく「青春」そのもの。
 浮気がバレて別れたかつての彼女、コマコとの再会でこの物語は終わる。
 多分、この最終章は大槻さんのフィクションではないかと思うが、コマコは別れた日に大槻さんとした約束を果たしてもらうために、再び大槻さんに会って言葉を伝えるのだ。
 「ラバーソールを買って」
 もう今は誰もそんな厚底靴を履く人はいないだろう。昔のファッションがとてつもなく恥ずかしいのはそれがバカの証明だからだが、コマコは大槻さんに「神様がオーケンにバカやっていいって言ってくれてんだよ」と語る。
 バカの思い出を抱いてコマコは去っていく。けれど、背中を向け、去って行くコマコの姿を大槻さんは描写しない。大槻さんと二度と会うことはないだろうその後ろ姿を、私は勝手に想像する。
 そのとき、コマコは自分の靴をラバーソールに履きかえただろうか。
 読み終わった私がちょっと気になったのはそのことだった。

2001年12月19日(水) 厳密な計算/『透明な季節』(梶龍雄)/『コータローまかりとおる!L』2巻(蛭田達也)ほか
2000年12月19日(火) 多分、ココロが病んでいるのです/『名探偵コナン』30巻(青山剛昌)


2002年12月18日(水) つらいよねえ、やっぱり/『“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期』(デイヴ・ペルザー作/田栗美奈子訳)

 ちょっと楽しい話題から。
 東京書籍発行の中学教科書『新しい社会 公民』の記述の中で、新潟県中里村の「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」と誤記していたことが判明。
 もちろん東京書籍は来年度用の教科書では修正する措置を取ったそうだが、村の方は「雪を克服しようとしているのに、まったく逆のイメージが広まってしまった」とカンカンに怒ってるそうだ。
 村が怒るのは当然だけれど、申し訳ないことにこういうニュースは大好きである。文部科学省もこのミスに気がつかなかつたってんだから痛快じゃないの。
 原因はパソコンへの入力ミスということで、打ちこんだ人も多分「雪国はツライよ」と信じきっていたに違いないね。だってさあ、「南国はツライよ」とか「常夏はつらいよ」とかじゃあイメージが結びつかなくて誤記のしようがないもの。これが「雪国」だからしっかりハマっちゃったのである。
 それにヒドイ話ではあるが、これで「はつらつ条例」はかえって有名になったんじゃない? こういう事件がない限り私だってそんなん知る機会なかったと思うし。怒るほどマイナスイメージにはなってないと思うけどなあ。雪国の人がはつらつとしてるってんなら、こういうミスも笑って赦してやるくらいの度量があったらよかったと思うんだけど、どうかね。
 それにしても「条例」とは言ってるけど、具体的にはどんなこと記してあるのかねえ。「第一章・雪国人は雪国人としての誇りを持たねばならない」とか?
 「第二章・雪国人は雪との平和的な共存を図り、雪だるま・カマクラ・雪合戦などの雪国文化を後世に伝えるべく努力すべし」とか。
 雪国の商工会議所のあちこちにこれが張られてて、みんな朝礼で唱和してから仕事にかかるんだよ、きっと。
 せっかくだから「ホントはこうです」って宣伝すればいいのにねえ。どうも役所ってとこはアタマが固くてイカンよねえ。


 珍しいことはウチでも起こるという話。
 仕事帰り、迎えに来たしげが愚痴を言う。
 「今日、水漏れがあったんよ」
 「なにそれ」
 「上の階の洗濯機の配管が壊れてて、天井から水が漏れてきたと」
 「それでどしたん」
 「仕方ないから管理会社に電話して直してもらった」
 「直ったんならいいやん」
 「よくないよ、工事の人がくるまで、管理会社の人とずっと世間話しなきゃならなかったんだから」
 「なんて?」
 「『本やビデオがたくさんありますねー』とか、『ガンダム』見つけて『ファンでしたー』とか『イデオンがどうの』とか」。
 どうやら結構オタクな兄ちゃんだったらしい。
 そういう会話は確かにしげは苦手だろうが、それも世間との付き合い方の勉強になるというものだ。
 帰宅して見ると、なるほど、天井にヒビが入っていて、水が漏れた跡がある。洗面器を置いてあるのが昔の貧乏長屋の風景みたいだ。あと数センチずれていたら、DVDプレイヤーにかかっていたところで、危機一髪であった。
 これの修繕費、当然タダなんだろうな。


 今日もしげは早出だと言うので一緒の食事はなし。
 昨日同様、ほっかほっか亭で新発売のガーリックチキン弁当を頼んで食う。こちらの方が昨日のテリヤキより好み。
 新製品に飛び付く、というより、もともと私は定食屋などでも一通りメニューを制覇しないと気が収まらない性格なのである。
 同じものしか頼まないしげと趣味が合わないのも仕方ないか。


 デイヴ・ペルザー作・田栗美奈子訳『“It”(それ)と呼ばれた子 幼年期』(ソニー・マガジンズ/ヴィレッジブックス・650円)。
 ベストセラーの文庫化。
 作者自身がいかに母親から虐待を受けて来たかって経験を語っているだけだから、本来ツッコミの入れようもないはずなんだけれど、一人称の伝記というのは、ともすれば客観性を失う危険を秘めている。
 読んでいて母親の折檻の異常さ、特にデヴィッドを風呂場に閉じ込めてガスで苦しめるなんてのは戦慄ものなんだけれど、そういう描写を読まされるたびにどうにも疑問が涌きあがって、素直に「かわいそう」とか「ひどいなあ」とか思えなくなってしまうのである。つまり、母親の虐待の動機が全く語られない点、それと父親の見て見ぬフリ、この二点が引っかかって、なかなか読み進められないのである。
 もちろん、子供であるデヴィッドにもそれはわからない。彼はいつの間にかどういうわけか兄弟三人のうちたった一人だけ、虐待され始めたのだ。彼が考えていたことは、現実に目の前にある虐待という事実からいかに逃げるかということだけで、「どうして自分が?」と思う余裕すらなかったのである。
 読者は受け入れるしかない。
 親は子を憎み、殴り、刺し、虐待し続けるものなのだと。父親の放置も緩やかな虐待であろう。
 なぜそんなことをするのかと両親に聞いても、恐らく彼ら自身、答えられないだろう。本当は、理由などないのだから。親が子を愛するのに理由がないように。

 私もかつて、子供のころ、父親から「虐待」と言ってもいい折檻を受けたことがしばしばあった。難しいのは、一方で父親に熱愛されたことも間違いない事実として認識していることだ。この矛盾をどう理解すればいいのか?
 母親は私に「お父さんはアンタのことがすごく好きだから、自分の思い通りに育ってくれないのが悔しいんよ」と説明した。
 だからってなあ、殺そうとまでするかなあ。酔っ払ったオヤジに鉄板でアタマ殴られたこともあるんだぞ(私は事故で頭蓋骨にヒビが入っているので、ショックで死ぬ危険もあったのである)。親は子にそんなことまでするのか。いや、酔っ払ってるからこそ本性が現われたのかもしれないが。
 子供のころの私にとって父親は恐怖の対象であった。父と話ができるようになってきたのは皮肉なことに父が病気で老いさらばえてきてからである。今ならケンカして私が負ける心配はない。

 デヴィッドの母親がデヴィッドを憎んで虐待していたのか、それはわからない。あるいはそれが母親の歪んだ愛情の形だったのかもしれないとも思う。それで死んでしまう子も存在するとしても、やはりそれは「愛情」としか言えない場合もあるのだ。
 愛情なんて、もともと人と人を繋ぐものとしては極めて不確定かつ危険なものである。移ろいやすく、アテにならない場合も多い。「家族の絆は愛情」とか、能天気に言い放って平気でいられる人間が多いのは、実は潜在意識の奥底で、その絆が簡単に解けることを知っていて、リセットの準備をしているのではなかろうか。
 でなきゃ、どうしてこんなに欧米でも日本でも離婚率が高くなっているのか?
 子を育てるシステムとして、「個人個人の愛情によって結ばれた家族」というのは、実は極めて持ちが弱いのである。『オトナ帝国の逆襲』でしんちゃんは「ずっとみんなといたいから」と叫んだが、実は原作マンガでは「ずっといっしょ? それもちょっとな」と現実的なことを言っている。ハタチを過ぎても親元から離れないパラサイト・シングルが増えている状況を、果たして「家族の絆」などという甘いコトバで語れるのか?
 疑問が膨らんでしまうのは、デヴィッドの母親は、息子を一生自分の手元から離すまいと思っていたのではないか、という気がするからである。デヴィッドがオトナになって「自立」すれば、自分の行為が白日のもとに晒されるのである。そうならないようにする意図がなければ、どうしてあれほどの虐待を続けられものだろうか。母親は「虐待」という絆で、デヴィッドとの永遠の関係を夢見ていたようにすら思える。実際にデヴィッドは、その虐待される関係から抜けだし、救いを求めることがずっとできなかったのだ。
 これが悲劇でなくてなんであろう。
 子供って、できるだけ早く自立させるもんだと思うんだけれど、違うかね。少なくとも「優しさ」とか「思いやり」とか「気遣い」とか「助け合い」が「強制」される世の中って、すごく気持ちが悪いと思うんだけど、どうかな。

2001年12月18日(火) バラゴンには女の人が入ってるんだよ/映画『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』ほか
2000年12月18日(月) もしかしたらあなたも覗かれてるかも/『だから声優やめられない!』(山寺宏一)


2002年12月17日(火) 買ったからには見まくるぞ/DVD『七人の侍』『赤ひげ』『蜘蛛巣城』『姿三四郎・最長版』

 昨日外に締め出したしげ、朝になったら帰って来るかと思ったら、音信不通のまま。
 これで仕事場に迎えにも来なかったら、また二、三日追い出しておこうかと思ったが、仕事を終えて駐車場に出てみると、ちゃんと車を乗り付けている。ただゴメンの言葉はない。いやに静かに大人しくはしているが、反省しているわけではないのは分ってるので、早晩またケンカになるであろう。
 しげ、仕事が早いと言うので、コンビニで落としてもらって、自分一人分の夕食の買い物。近所のほっかほっか亭を覗くと、新発売とやらの「てりやきチキン弁当」を売り出していたので、それを買う。ちょっと味が濃いが、まあ悪くはない味。


 初めてアニメ『スパイラル』を見る。
 クリスマスに合わせてか、プレゼントを買う話で、本筋からちょっと離れている印象。思ってたより出来はそう悪くなさそう……と思ったら、作ってるのが『少女革命ウテナ』『エクセルサーガ』のJ.C.STAFF。ああ、こりゃもう少し早めに見ておけばよかった。トリックに難があるのは分るけれど、原作は必ずしも志が低くはないんで、アニメのデキがよければ追っかけてみてもいいかなと考えているのである。


 さて、今日は黒澤明ボックスのまとめ見。一度見てるやつばかりだし、筋は先刻ご承知、という方もおられようから、今回見て、改めて気づいたところだけ。
 まずは途中まで見てたDVD『七人の侍』後編。
 これも語りだすと長くなりそうだなあ。できるだけ短くいこう。
 最初に見たのは多分中学生か高校生のころだと思うけれど、そのときは登場人物に好き嫌いが結構あった。
 七人の侍で好きなのは、久蔵・勘兵衛・五郎兵衛・七郎次・平八の順で、勝四郎と菊千代は嫌い。百姓はみんな嫌いだった。要するに足引っ張るやつが嫌いだつたのだね。
 ところがこのトシになって見返してみると、この嫌いだったはずの青二才たちが全く逆にいとおしく見えてくるのである。百姓の利吉の軽率で平八が、菊千代の先走りのせいで五郎兵衛が死んだと言うのに、中学生のころは腹を立ててた私が今は「それも仕方がないよなあ、若いんだし」という気持ちになっているのである。それどころか彼らの若さ故の苦悩が昔よりヒシヒシと伝わってくるのだ。
 考えてみたら、黒澤監督は常々「私は青二才が好きだ」と公言していた。たとえ失敗しても、人を傷つけても、そこで泣き、自らを責め、そこから先に進もうとする意志が若者には見える。それをこそ黒澤監督は「オトナ」として愛したのだろう。
 なるほど、平八が死んでも五郎兵衛が死んでも、勘兵衛たち「オトナ」は、一切その責任を利吉や菊千代に着せようとはしなかった。彼らの「若さ故の過ち」はオトナが引き受けなければならない自らの罪でもあるからだろう。
 ……そう思うと現実のオトナって、みんなオトナになりきれてないトッチャンボーヤばかりだよなあ。いったいいつから日本は「オトナ」のいない社会になってしまったのか。
 メイキングには、当時の撮影風景もチラリと収録。


 DVD『赤ひげ』。
 これもまた「青二才」の物語である。パンフレット(これがもうムチャクチャ分厚い)によれば、史実の小石川診療所には赤ひげこと新出去定のような名医はおらず、診療所と言うよりは隔離所のようなもので、病人はあまりここに入りたがらなかったと言うことだ。とすればこれもまた「映画」という名のファンタジーであるのだろう。
 ファンタジーではあっても、その描写の仕方自体は実にリアルだ。
 加山雄三演ずる保本がその高慢から診療所のお仕着せを着るようになるまで、随分時間がかかる。
 六助の死、女の手術、おくにの告白、狂女に殺されかけ、瀕死の佐八に彼の過去を聞かされ、そしてようやくお仕着せを着るのである。自分がここで何をしなければならないか、若造が気付くにはこれだけの手間がかかるということだ。その間、赤ひげはただ保本を見守って待っているだけ。
 この「待つ」ということが今のオトナにはできないのだね。患者に触れ、彼らの心を知ることができれば、自然に自分のすべきことは知れるものだという信念と、若造への信頼がなければ、「待つ」ことはできない。オトナがオトナになりきれないのは、つまりは自らを信じることすらできなくなってるからではないのか。
 ……なんだか青臭い教育論になりそうだからこのへんでやめるけど、説教するだけが能じゃないよなってことは言えるのではなかろうか。
 あともう一つだけ。食事のシーンで去定と森半太夫、保本が三人並んで食事を取るシーンがあるが、これ、『家族ゲーム』で森田芳光がやってた手だなあ。もちろん先にやったのは黒澤さんのほうなので、また私の中で森田芳光の評価が低くなってしまった。


 DVD『蜘蛛巣城』。
 説明は要らないだろうが、シェークスピア『マクベス』の時代劇版である。
 最初劇場で見たときにはセリフが割れてて殆ど聞き取れなかったんだけれど、ノイズが取り除かれて音声もシャープになり、日本語字幕もつくので随分見やすくなった。
 今見るとまさしく舞台を意識してる演出をしてるな、と判るのは、殺人のシーンが殆ど省略されているからである。城主・都築国春を鷲津武時が殺すシーンも、盟友三木義明を家来に暗殺させるシーンもみなカット。けれどこれは鷲津が自らの罪から目を逸らし続けたことの象徴でもある。結局彼は身分不相応な野心に身を滅ぼした、哀れな小さな人間に過ぎないのだ。
 もともとの舞台がそういう脚本になってるのだから、日本に舞台を移しているとは言え、これは原典に忠実な映像化と言えるだろう。
 昔見たときには気付かなかったが、チョイ役で「蜃気楼博士」井上昭文や、「コロンボ」小池朝雄、「ムーミンパパ」高木均などが出演してたのを見つけるのも楽しい。


 DVD『姿三四郎』。
 ご存知の方も多いと思うが、黒澤明のデビュー作である本作の完全版は今のところ存在しない。戦後の再映時に、上映時間の制限を受けてネガからカットされ、そのまま紛失してしまったのだ。カット部分は二十分に及び、その部分は現在、字幕で解説されている。
 以前から「海外には日本映画の失われた作品が埋もれているのではないか」というウワサはたびたびあった。しかし、それがどこにどういう形で残されているかは皆目見当がつかなかった。ところがソ連邦が崩壊したことがこの「失われたフィルム」探索に一筋の光明をもたらしたのである。
 戦時中に満州からロシアに移送されたフィルムの中に、『姿三四郎』の編集版があり、そこに日本版にはないシーンがいくつか発見されたのだ。今回DVD化されたのは、そのカット部分を復元、挿入した、現時点における「最長版」である。
 残念ながら、あまりにも有名な、猫が飛び降りるのを三四郎が見て、投げられても着地する方法を思いつくシーンは今回も発見されなかった。このシーンを亡母は当然見ていて、生前見ていることを自慢して、私を悔しがらせていたものだったが。
 川崎のぼるのマンガ、『いなかっぺ大将』で全く同じエピソードが披露されるが(そのときの猫がニャンコ先生)、これはもちろん『姿三四郎』へのオマージュである。
 今回の復元シーンで最も長いのは、月形龍之介演ずる檜垣源之助が、村井半助の娘・小夜(原作の乙美に当たる)に言い寄るシーン、父親の半助に婚約を取り付けようとするシーンである。これがないと、三四郎との三角関係がはっきりしないよなあ。全く、このシーンの復活は実に喜ばしい。
 村井半助を試合で傷つけてしまった三四郎は、小夜の誘いにも「顔向けができない」と会おうとしない。このシーンも今回の復活。とか何とか言いながら、次のカットでちゃっかりと小夜と一緒に歩いているのだから、カタブツなようでいて小夜に惹かれてしまっている三四郎の純情さ、かわいらしさがここで強調されることになる。こういうユーモラスなシーンは、やっぱりカットされちゃ困るね。
 せっかくこれだけ復元されたんだから、東宝、リバイバル上映くらいしたらどうか。そういう発想がないから、この国では映画文化がいつまで経ってもマトモに評価されないんである。

2001年12月17日(月) はったらっくおっじさん/『BEST13 of ゴルゴ13』(さいとう・たかを)
2000年12月17日(日) 今世紀最後のゴジラ/映画『ゴジラ×メガギラスG 消滅作戦』ほか


2002年12月16日(月) 殺伐とした日々/『吼えろペン』6巻(島本和彦)/『バラバラくん』1・2巻(唐沢なをき)/『百鬼夜行抄』10巻(今市子)ほか

 山本弘さんの「SF秘密基地」、これまでにもちょくちょく掲示板に荒らしさんやトンデモさんが登場して場を賑わしていたのだが、なんだかいきなりアノひとコノひとと、バラエティに富んだ方々が跳梁跋扈し始めた。
 例のトンデモさんは復活するなり削除食らってたけれど、今度も「山本弘を訴える、賠償金出せ」と、金目当てのイヤガラセを続けていた。処置ナシだねえ、全く。
 更に別口で、女子大生を名乗るネカマっぽい人が、トンデモ本らしき本の真贋を山本さんに鑑定依頼してきた。ンなもん常識で判るだろう、と一蹴できそうなんだがこんなクソスレッドにもやっぱりアホな常連がどんどんレスをつけていくのである。この常連はホントに学習能力がないんだなあ。
 何度か日記や掲示板にも書いたことだが、荒らしに反応する人間も荒らしなのである。その証拠に、わざわざ荒らしさんのサイトにまで出かけて行って、くだらん論争をやらかしてる常連さんが何人もいるのだ。あの、こちらにとっては向こうが荒らしでも、あちらにとってはこちらが荒らしってことになるのよ? そんな単純な理屈も分らないくらいバカ? 結局、定連さんも程度の差はあれ、みんな「トンデモさん」だし「かまってくん」なのである。
 困るのは、こういう粘着質の荒らしさんが定連として横行してるサイトだと、ごくフツーにSFやアニメの話題をしたい人が書き込みしにくくなる、ということなんである。言っちゃなんだが、ここの常連さんの立てるスレッドって、「そんなこと語ってどうする」ってレベルのものが多いんだよね。
 恥ずかしくならないのかと思うんだが、「色のついたヒーロー」とかの名前を挙げてって、何が面白い? 古今東西ゲームの下準備か? そんなん一行知識にすらならんわ(-_-;)。っつーか、こんなくだらんスレッド立ててりゃ、立派な「荒らし」だよ。
 どうせなら、「『黒イせぇるすまん』や『ブラック商会変奇郎』は改題の憂き目にあったのに、どうして『ブラック・ジャック』は無事だったのか」くらいの話題は振れないものかねえ。
 「その人に知識がどれだけあるか」的なスレッドってさ、その知識をウズ高く集めた後で、そこから何か普遍的な法則でも抽出しようって意図がない限り、なんのデータにもならないし、実りもないんだよね。「掲示板」とか「会議室」ってのは、個々人の「判断」を問うスレッドを立ててくもんだと思うんだけど、その手のスレッドがどんどん少なくなってきてる。少しはそこに歯止めをかけようって気が常連さんにはないのかね。
 もう一度言っとくけど、つまらんスレッド立てた人に対して、「注意」なんてする必要もないんだからね。ただ単に「レスつけない」だけで充分。本人が「自分は荒らしだ」と自覚しない限り、何度でも似たような書き込み続けるよ、あの人たちはさ。


 最近、自分で読み返してみても日記の内容が殺伐としてるなあと感じてるんですが、もちろんこれはしげとのケンカが頻繁になってるせいなのですね。
 いやもう、ホントにたいしたことでもないのにすぐにケンカになる。たいてい原因はしげが生意気な口を利いて私が怒る、というパターンなので、しげが素直になりさえすればなぁんてことはないんですけれど、しげにとっての「素直」=「生意気」ということらしいんで、これはもうイカンともしがたいのであります。

 今朝もしげ、起きて来ようとしなかったんで、叩き起こしたんだけれど、そのあともう、車の中で行きも帰りも悪態を吐き通し。
 「私はアンタの運転手じゃない!」って、そりゃその通りだ。
 けれど私ゃ別に、しげに理不尽な命令なんかしてないのだ。
 「食事はどうする?」とか「コンビニ寄れるか?」とか聞いただけなのに、しげはなぜか「そんな時間ない!」(5分と寄り道にはならないのに)と怒り出したのである。驚いたのは私の方だ。いったい、何がどうして被害妄想に陥っちゃったのか。
 だいたい、私がこういうことを聞かなきゃならんのも、しげが全く家事をしないからなのである。普通、聞くなら「今日の晩御飯は何?」だろう。料理作る気なんか毛頭ない人間にそんなこと聞いたってムダだから、仕方なく「食事はどうする?」と聞かざるを得ないのである。なのに、あたかも自分の方が使われてるように怒るというのは、本末転倒も甚だしい。「家事なんかしなくていいよ〜ん」と内心思っているからこんなセリフが平気で出るのだ。
 しげのほうが理不尽だと言うことはもう何度となく指摘し、本人もかつてその事実を認めていたのに、また忘れているのである。ホントに感情と本能だけで、知能が働いてないやつである。
 私もここんとこ、しげのワガママに閉口してたんで、マトモに相手をしてやる元気がなくなった。と言うか、優しくしてやる余裕もなく、ただ疲れてしげの声も聞きたくなくなってしまった。
 だもんで久しぶりにしげを外に閉め出すことに。
 仕事から帰ってきたしげ、閉め出されてドアホーン越しに謝ってくる。
 「なにを悪いと思ってるの?」
 「判らんけどゴメン」
 判らんのなら反省してることにはならんだろう。やはりバカである。
 もともとアタマが悪いのは仕方がないが、自分がバカだと分かってるのにあえてアタマを使おうとしないのはバカである以上に罪悪だ。
 もうどうでもいいやって気になって、そのまま無視して寝たら、しげはそのうちどこかに行ってしまった。携帯に連絡を入れたが反応がない。どうやら、本気で反省する気がないらしい。どうせ私が仕事に出かけたら、戻って来れるのだからと、高を括っているのだろう。
 家から閉め出したって、すぐに戻って来れるんじゃ、結局しげに対しては甘いってことになるんだろうなあ。一度やっぱり別居でもしてやらなければ本気で反省はしないか。でもどうせそんなことしたってこいつは私をストーカーするに決まってるのだ。
 客観的に考えれば、ここまで妻としての責務を果たしていなければ、トウの昔に離婚してるか浮気してるか、破局が訪れていて当然だろう。なのに、どうしてそうなっていないのか。その意味をいい加減でそのシワのない脳でもなんとか感じとってほしいのだけどサルだからなあ(T-T)。
 性悪な猿の躾方って、どうすればいいんでしょう。


 アニメ『映画 犬夜叉 時代を越える想い』。
 結局、これも劇場まで足は運ばなかったなあ。
 『うる星』のころまでは高橋留美子のアニメは劇場にかかると必ずと言っていいくらい見に行ってたんだが、『らんま』以降、以前ほどには熱心でなくなってしまった。賛否両論はあっても『うる星』シリーズは押井守・やまざきかずお監督の個性が爆発していて一見の価値はあったのだが、『らんま』や『人魚』シリーズなど、劇場版ですら毒にもクスリにもならない凡作に成り下がってしまっていたからである。
 でも一番の原因はねー、ファンとしては認めたくないんだけど、原作マンガ自体に力がなくなってしまっているんだよねえ。
 『犬夜叉』も面白かったのは最初の数巻。四魂の玉探しの旅になって、しかもかごめが戦国と現代を行ったり来たりできるようになっちゃって、ドラマとしての緊迫感が全くなくなった。ピクニックがてら妖怪退治したってねえ。
 かごめがせっかく作ってきたお弁当を犬夜叉が美味しいって言ってくれない、なんて安っぽいラブコメのシチュエーションを戦国ものでやるのかよ(-_-;)。
 作画も全然高橋留美子キャラになってなかったし動きも悪かったし、これは見にいかなくて正解だったかな。
 

 マンガ、島本和彦『吼えろペン』6巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。
 あ、なんとなく読み飛ばしてたけど、今回映画ネタが多いな。
 第21話『ノリにノッてたグーな人たち』が『チャーリーズエンジェル』、22話『未来の男』が『ターミネーター』、23話『愛あるかギリギリ』が『青い珊瑚礁』。24話『純な男柄』はこれってのが思いつかんが、使いものにならない原作をマンガ家が勝手に創作するってネタは現実にありそうな気がするぞ。
 さて、それはそれとして、かつて80年代の少年サンデーにワクワクしていた人たちには嬉しいお知らせ、第21話で、あの「うかつけんじ」が復活ですよ!
 ……と言っても、知らない人にはなんのことか判らんのだよな。あの、つまり80年代の『サンデー』は一時期『ジャンプ』の発行部数を抜くほどに面白いマンガが揃っていたのですよ。その二本柱があだち充と高橋留美子であることは論を待たないのだけれど、ほかにもこの時期に綺羅星のごとくデビューしたマンガ家さんが、島本さんのほかにもたくさんいたのです。
 前作の『燃えよペン』で『ふぁいてぃんぐSWEEPER』の中津賢也を「うかつ賢二」として登場させ、『吼えろペン』の第10話では『陸軍中野予備校』の安永航一郎を「流れ星超一郎」として追加。そして今話ではついに島本さんこと炎尾燃を含めたサンデー三羽鴉が揃い踏みすることに! おお、なんというゴージャス!
 よく分らないのは新登場の渡飛鳥。チューリップハット(?)にサングラス、トレンチコートとかなり奇妙なイデタチなのだが、モデルはいったい誰だろうか。ゆうきまさみの『アッセンブルインサート』や『究極超人あ〜る』に刑事役で出演していたサンデーの福田孝記者もこんなスタイルだったけれど、マンガ家じゃないし名前も似てないしなあ。石渡治じゃないしなあ。


 マンガ、唐沢なをき『バラバラくん』1巻(おてつだい編)・2巻(コナゴナくん登場編)(偕成社・各1050円)。
 マンガと書いたが形式は25×21センチの絵本型。もともと福音館書店の『おおきなポケット』で連載されてたものなので、これくらいのサイズじゃないと読みにくいだろう。唐沢ファンなら単価は高いけど、新書版や文庫になるのを待たずに買いなさい。
 街の平和を守るために博士が作ったスーパーロボット、けれど完成直前、ネジを締めようとしたとき、博士がうっかりしちゃったクシャミが原因で、バラバラになってしまう。でもその様子が面白かったので、博士は完成させないままロボットに「バラバラくん」と名前をつけて、放置してしまうのだ(ああ、かわいそう)。それからというもの、バラバラくんは「未完成なまま」、弟の少年探偵ケンジくんと一緒に、街で起こる事件解決のためにこき使われちゃうのであった。
 唐沢さんのマンガだから、懐かしのマンガに対するオマージュは随所にある。少年探偵とロボットという組み合わせが既に正太郎くんと鉄人28号(ドジロボットという点ではロボタンも入ってるな)だし、バラバラくんを見て「がんばれロボコン」のロボパーを思い出す人も多いだろう。バラバラくんの手がアタッチメント式で取り替え可能なのは、ちょっとライダーマンっぽいけれど、既に『鉄腕アトム』のノース2号やシラノに見られるイメージ。だいたいバラバラくんがロボットとしては「カタワ」(差別語などと言うなかれ)なのは、「人造人間キカイダー」で一番強調されてるけれど、ロボットもの永遠のテーマ。パロディマンガに見えるけれど(実際にそうなんだけれど)、王道をきちんと守っているのである。
 怪盗キングたかじんは『怪奇大作戦』のキングアラジンとやしきたかじんの合成キャラか(^o^)。「いいかげんでネジをしめてくださいよう」と嘆くバラバラくんをムカデ形に改造するのはこれも『鉄腕アトム』のガデムであろう。ムカデン星人が空飛んでる様子はナウシカの蟲っぽいけど。で、ドクターぶんぶんはガリガリ博士か(いや、ルーツをたどればドクターフェイトまで行っちゃうけどねえ)。
 あと、悪人が悪いことするけど「信号無視」とかセコイことしかできないッてネタ、いったいルーツはどこまで遡れるんだ。チャップリンか? マンガだとやっぱり赤塚不二夫か永井豪になっちゃうのかなあ。
 私の少ない知識じゃこれが限界なので、あとは読者のみなさんで読み解いてください。読み解かなくても面白いけどね。


 マンガ、今市子『百鬼夜行抄』10巻(朝日ソノラマ・眠れぬ夜の奇妙な話コミックス・800円)。
 花組芝居で舞台化かあ。脚本がわかぎえふさんと聞くと見たくなってくるが、これも福岡には来ないだろうな。
 3月に『奇跡の人』を見に上京するのだけれど、これはもう「当たり馬券」を取りに行くようなものなのである。わざわざ高い金払って東京くんだりまで行くのだから、そりゃハズレは引きたかあない。けれど「ハズレ馬券」の可能性が高い『百鬼』を見たいというのも、これ、オタクのサガなのである。
 とは言え、オタクが細分化されちゃってる現在、今市子に興味があってしかも花組芝居やわかぎえふの名前にワクワクする人ってのも少ないだろうからなあ。誰か見に行こうってバカはいないかな。

 さて、10巻を経ても息切れせず佳作を描き続けるこのシリーズ、『BSマンガ夜話』でも取り上げられてるんだから、いい加減でもうちょっとオタクの間で話題になってもいいと思うんだがなあ。今巻もなかなか諸星大二郎してる『枯れ野』を始めとして、怖いような笑えるような微妙な世界を五つの短編に展開。
 全部を語る余裕はないので、もう一人の飯島律、飯島開について。
 前巻で26年ぶりに異界から帰ってきた開伯父さんだけれど、蝸牛の息子たちの中では一番「見える」人だったようだ。今回、『闇は彼方に佇み』では、早くもその「能力」ゆえに、トラブルメーカーとして律たちに多大なメイワクをかけていきそうな気配を濃厚に見せてくれている。姿は46歳でも心はハタチってんだから、それも当然かな。律の母さん曰く、「開さんは自信過剰なのよ」(^o^)。
 開の処遇をどうするかで急遽開かれた「家族会議」。蝸牛の娘、息子たちが久しぶりに一同に会する。わあ、10巻記念なのか、超豪華キャストだね。
 その中でも、次女の環と三男の開は、ちょうど司と律の関係をそのまま映したかのように「因縁」で結ばれていた。かつて彼らは「あるもの」をいっしょに飼っていて、そして捨てた。環は「それ」が何か気付かなかったが、開はそれを封印しなければならないことを知っていた。それは蝸牛がかつて封じていた幽鬼の一匹だったのだ。
 失踪中の26年の間に、死体を食らい、巨大になっていた幽鬼。環のもとに帰ろうとするそれを開はいかにして屠るか。
 ……ってな、えらいシリアスな展開を見せときながら、オチがアレとはねえ(^_^;)。いや、そこが今さんらしくていいんだけどね。
 あとがきマンガを読むと、今さん、結構行き当たりばったりに描いてるようだけれど、それがこれだけの整合性を見せているとは全くどういう才能だろう。ホラーを描こうと考えている人は、須らく今さんの語り口を参考にすべきであろう。


 マンガ、とり・みき『遠くへ行きたい』4巻(河出書房新社・998円)。
 もう廃止されてるのに文春漫画賞受賞って未だにオビに書いてあるぞ。箔付けになってるんだかないんだか。
 しかし、まだこのマンガを読んだことがない人にその面白さを伝えるのにはどうしたらいいのか。
 タテ×ヨコ3コマ、計9コマのサイレントマンガである。
 そこで行われているのは常に「意味の解体」、ひとコマ目で「あるもの」と見えていたものがコマを追うごとに変容し、全く別の「あるもの」として現われ、読者の意表を突く。その変幻自在ぶりはともすれば四角四面なコマワリ自体を破壊し、なにが面白いのか分らなくなってしまうくらいだ。
 ……まるで誉めてないみたいだなあ。誉めてんだけど。
 いや、ホントに文字にするとその面白さって伝わんないのよ。
 例えばあるマンガ(50ページ)の内容を説明するとこうだ。主人公のタキタくん(とりさんの友人、田北鑑生氏がモデル)が、大地を歩いている。突然足元に現われた五本の線。その源を辿る旅に出るタキタくん。延々と旅を続け、その地平の果てにタキタくんが見たものは……ト音記号。
 ……うーむ、やっぱり文字で書くと面白くない。でもマンガで読むと面白いんだってば。

 私のお気に入りのやつは、テレビの歴史をいつもと違って36コマで辿るミニマンガ(68ページ)。なつかしモノには引っかかりやすいのだね。でも、これがいくつかよく判らんのがある。誰か知ってる人がいたら教えてくれ。
 1、『ジェスチャー』。映っているのは柳家金語楼。私が生まれる前から放送されてたけど、10年近く放送してたので私にも記憶がある。
 2、力道山のプロレス中継。敵はシャープ兄弟のかたわれか?
 3、『日真名氏飛び出す』。ミステリドラマの草分け。主演の故・久松保夫は黒沢明の『虎の尾を踏む男達』にも出演してたが、後年は声優として有名になった。
 4、『名犬ラッシー』……だと思う。「リンチンチン」じゃないよなあ。
 5、『月光仮面』。見ているタキタくんも月光仮面のコスプレをしている。子供がマネをして危険だというので打ち切りになったことでも有名なのだ。
 6、皇太子御成婚。って今の天皇だけど。これがテレビ普及の一番の原動力になった。
 7、『鉄腕アトム』。足だけしか映ってないけど版権がうるさいのかな。このへんで私が生まれた。とりさんとは5歳ほどトシの開きがあるのである。
 8、東京オリンピックの聖火台。
 9、『ウルトラマン』。これもスペシウム光線を出す手だけ。
 10、『日曜洋画劇場』。映ってるのが「サイナラ」ポーズの淀川長治。時期的にはこれだろうね、『ララミー牧場』だともっと前だし。
 11、小川ローザのCM「オー!モーレツ!」……って何のCMだったんだよ。タキタくんは赤くなっている。
 12、アポロ月面着陸。タキタくんは泣いている。なぜ泣くかわからない人は科学の子ではない。
 13、あさま山荘事件。タキタくんは手に汗握っている。私は「よど号」のときもそうだったけれど、ずっと同じ画面しか映ってなくて退屈なだけだったが。
 14、スプーン曲げ。ユリ・ゲラーですな。この時期、日本中でスプーンを握って念力で曲げようとしなかった人間はいないのではないか。
 15、長島茂雄現役引退。後年氏が語ったところによると、予め考えていたメッセージを殆ど忘れて、仕方なく「わが巨人軍は永遠に不滅です」でシメたとか。感動した我々の気持ちはどうなる。
 16、ピンクレディーかなあ。歌ってるのは手の振りから見ると『ウォンテッド』か?
 17、『宇宙戦艦ヤマト』。解説不要。
 18、『三年B組金八先生』。実は殆どマトモに見たことがない。教師ものって嫌いだったから。
 19、『俺たちひょうきん族』。映っているのは明石家さんま演ずるブラックデビル。タケちゃんマンよりも人気があった。
 20、エリマキトカゲ。これもCMからのブームだが、何のCMだったか。
 21、日航機墜落。例の逆噴射事故ですね。映ってるのは川上慶子さんの救出シーン。実は私、このK機長の操縦する日航機に、事故の何ヶ月か前に偶然にも乗りあわせてました。「き、き、き、機長のKです」とドモッてて、しかも超アクロバット飛行をしてくれてたので覚えてたのである。この段階で治療しとけばこんな事故は……(T-T)。
 22、チャレンジャー機事故。
 23、平成改元。オブチさんもこんなに早く死ぬとは。
 24、これがよくわかんないんだけど、ベルリンの壁崩壊? 天安門事件?
 25、噴火らしいけどどの噴火だ。島原か?
 26、阪神淡路大震災だろう。時期的に。
 27、オウム真理教事件。映ってるのは教祖。タキタさんは怒っている。
 28、ワールドカップらしい。いつのだ。初ゴールのときのか? でもタキタさんがいきなりハゲた爺さんになっている。
 29、スキーが映ってるけど、ソルトレイク?
 30、衛星が映ってるけど、BS放送開始?
 31、除夜の鐘。
 32、カタカナで「イ」の文字。テレビ放送開始……って時間が逆戻りしてるよ!
 ……こういう解説をしてるとキリがないね。でもどういうギャグをとりさんが書こうとしてるか、ちょっとは伝わったでしょうか。

2001年12月16日(日) 週遅れ日記・記憶はどこまで手繰れるかっ!?/DVD『バトルロワイヤル』ほか
2000年12月16日(土) あの感触が忘れられないの


2002年12月15日(日) 実は今日の日記は殆どない(^_^;)。/倉田真由美サイン会

 昨日の続きである。

 ラストに『ゴジラ対ガメラ』の速報でも流れるだろうか、と期待したんだけど、何もなかったね。やっぱりあれは角川社長のフカシか。今度の『クレヨンしんちゃん』は『嵐を呼ぶ栄光のヤキニクロード』(^^)。さて、どんな出来になりますやら。
 映画を見終わってロビーに出ると、大きなお友達がグッズを買いあさっている。3000円の時計はもう売り切れてなくなっていた。しげに土産になるものはないかと思って探したが、さしたるものはなし。しげはキャップマニアだから、機龍隊のやつはどうかとデザインを見てみたが、これがもうメカゴジラの輪郭をあしらっただけの手抜きかつダサイとしか言いようのないデザインで、一目でしげは気に入らんだろうな、とわかるしろもの。結局パンフレット以外はなにも買わなかった。グッズくらい、もちっとオタク心をそそるものをつくってほしいものである。


 天神東宝の一階、以前回転寿司のあった店が、麻婆豆腐の専門店に代わっている。しげはこういう専門店というのを嫌ってファミレスばかりに行きたがるのだが、定食屋の類は品数は多いが、味が散漫になって実はあまり美味しくないのである。っっーかそれくらい常識なんだがなあ。
 しげと一緒だと、まずこういう店には入れないので、ランチを頼んでみるが頗る美味。豆腐だし、カロリー的にも悪くなさそうだ。ちょっと行きつけの店にしてみてもいいかもしれない。


 夕方まで時間を潰さねばならないので、その足でベスト電機のLIMBと、天神コアの福家書店を回る。

 博多駅のバスステーションの紀伊國屋で、3時からマンガ家・倉田真由美さんのサイン会が催される予定なので、それに間に会うように2時に到着。『だめんずうぉ〜か〜』4巻の発売記念、ということだが、実はその4巻、私は既に買っていた。買っててなぜまたサイン会に行ったかというと、まず誰も客がいないだろう、と踏んだからである。サイン会に人がいないときの淋しさといったら、いしかわじゅんもどこかで書いていたが、たまらないだろう。ファンとしては、少しでもサビシイ思いを軽減してさしあげたいものではないか。
 予想は当たって、整理券をもらったら17番。おい、サイン会直前でまだそんだけしか出てないか。地元作家だし、ドラマ化だってされてるってのになあ。でもマンガ家というのは、作品はともかく作者にはなかなか日が当たらない職業である。どんなヒット作品でも、作者に会いたいとまでは思わないファンは多いだろうし、それになんたってくらたまさんは「男なんてダメ男ばかり」なんて、フツーの男だったら激怒するようなマンガ描いてるのである。内田春菊ほどではないにしても、ファンわりは敵のほうが多そうではないか。そりゃ、人、来ねーよ(-_-;)。
 時間になっても集まっているのは2、3人。店内に2、3回繰り返してサイン会の案内が流れる。けれど人が集まってくる気配はない。ややあって、女の子が数人と、いかにもオタクな長髪縮れ毛にメガネの年齢不詳男が、「整理券はどこですか?」と店員に聞いてくる。
 そんなこんなで、開始時間を10分ほど遅らせて、10人ほどが集まった段階で、ようやく倉田さんが登場。マンガの中では「太った太った、でもちょっと痩せた」ということをよくネタにされているが、確かにあまり体形の目立たない緩やかなセーターを着ていらっしゃるが、デブの印象は全くない。長い髪に細面、目はやや吊り上がっているがキツネ目というほどではなく、パッチリとした印象で、鼻筋も通った、人目を引く美人である。
 ヨーコ会長がまたすげえ美人だから、自分のことをブスみたいに書くのは、ちょっとヒガミが入っているのかも。
 慌てて椅子に座ろうとするのを司会者の方に「先に挨拶を……」と促される。マンガ通りアワテモノさんではあるらしい。そのご挨拶で、地元出身であること、サイン会を開きたくて、自分から紀伊國屋に頼みこんだことを告白。……切ないなあ。
 10人ほど列ができたあとに続いて、最後尾に並ぶ。このあと一人後ろに並んだが、結局サインを求めたのは100人の予定が12、3人。やっぱり「サイン会だけ」のイベントだと、あまり集客力はないんだろうなあ。
 ファンの子と記念写真を撮ったりしていて、時間がかかるが、ゆっくり待つ。
 おしゃべりをなんとはなしに聞くが、相槌に「そうなんだー」とか仰ってるのが聞こえて、わあ、くらたまさんのお年で既に「そうなんだ女」になってるのか、と、ちょっと残念。本人に悪気はなくても、これ、「人の話を聞いているようで聞いてない」印象を与えちゃうので、避けた方がいいのである。実際に「聞いてない」場合も多いしねえ。
 ようやく椅子に座って、まず「○○様へ」と本名を書いて頂く。私の本名は書き間違えやすいので、ちょっと気になったが、正しく書いて頂いてホッとする。
 「やっぱり『だめんずうぉ〜か〜』のファンなんですか?」
 「いえ、その前の、“就職に失敗してビンボーになって”ってマンガのころから……」
 「そうなんだー、そういう人って珍しいですよぉ」
 「いえ、こんなオジサンですみません」
 「いえいえ、とんでもございません」
 ああ、「とんでもない」の敬語表現も間違えておられるな。これはもう仕方がないけれど。最初に間違えたのは山本富士子だという説があるが、どうなんだろう、美人が間違えると、否定はしにくいものであるから信憑性はあるかもしれない。正しくは「とんでもない(こと)です」もしくは「とんでもないことでございます」。長いから省略したいって気持ちがこんな表現を生み出したんだろうと思われる。ここまで浸透していると、そのうちこれも誤用とは言えなくなるか。
 「ヒットおめでとうございます」
 と告げると、「ようやくですね」とやや疲れた声で返事をされる。
 「岡田斗司夫さんにも随分苛められたそうで」
 と言うと、イラストを描いていた手がピタリと止まる。しかも俯いたまま動かない。どうやらホントに苛められてたらしい(^o^)。
 そばにいた店員さんが「と学会の方ですか?」と聞いてきたので、「AIQの方で」と答える。倉田さんに「2月にお会いしますが、何か伝言しておきましょうか?」と言うと、ややどもりながら「し、しあわせ探してます、と伝えて下さい」と言われる。なにかありそうな返事のしかただなあ(^o^)。さあ、これはこのまま伝えていいものかどうか。
 できあがったサインはくらたまさんのキス顔つき。並んでた人はみんな握手をして辞去されていたが、私は一礼しただけ。ヘタに手を握ってポッとしちゃったり、この手はしばらく洗わん! とか言ったりしたら、そのことをあとで知ったしげに(こうやって書かなきゃいいじゃんと言われそうだが、ウソついたらいずれバレるし)嫉妬されるのは目に見えてるからな(^_^;)。
 くらたまさんにまっすぐ目を見て微笑んでいただいたので、応援に来たファンとしてはそれで充分である。
 果たして先があるのかわかんないけどバツイチ一児ありで頑張ってらっしゃいますから、みなさんもくらたまさんを応援してあげてください、マンガに描かれてるほど性格は悪くなさそうですよ。
 
 
 帰宅したのは4時。
 部屋を覗いてみると、マグロが二匹、並んでいる。
 いやね、なんと床にホットカーペットが敷いてあって、そこにしげと鴉丸嬢が二人して並んで寝てたのよ。
 どうやら部屋の片付けはすっかり終わったようだけれど、疲れ果てて寝てしまったらしい。起こすのも悪いので、そっと脇を通って、パソコンの椅子に座る。鴉丸嬢はそのうち起き出したが、よっぽど疲れてるのか、しげはイビキをかいたまま。
 7時を過ぎて、これじゃさすがにマズイとムリヤリ起こす。今日は更にこのあと、劇団の忘年会も控えているのだ。

 其ノ他くんを迎えに、しげと鴉丸嬢は8時に車で出発。私はバス停に向かうが時間がうまく合わないので、散歩がてら歩くことにする。
 開始時刻の9時15分前に会場の「豊竹」に到着するが、今回特別ゲストのエロの冒険者さんとZUBATさん、既に来ておられた。主催者が遅れるというのは全く申し訳ない話である。
 予約は入れていたはずなのだが、どうも忘年会が重なっていて、まだ席の用意ができていないそうである。おかげで寒空に三十分ほど待たされた。
 そうこうしているうちに、風邪を押して飲み会に飛んできたよしひと嬢が到着。先に私の携帯に最寄りの駅に着いた旨、連絡を入れてきたのだが、第一声でいきなり本名で呼ばれたので、一瞬びくついてしまった。考えてみたら、劇団関係者からはいつも殆ど芸名(かそれに類する愛称)で呼ばれているので、本名で呼ばれるとなんだか別人として認識されてるような錯覚を起こすのである。フツーは逆なんだろうが。
 でももともとはお互いに本名を知ってる間柄なんだよなあ。それだけこの子とも付き合いが古い。つ〜かくらたまさんと同い年じゃん。「子」なんて言っちゃ悪いな。

 ようやくメンツが揃って座敷に通される。和室で落ちついた感じで悪くはない。ここに上がるのももう何年ぶりか。改装後、昔と間取りが変わって窓の外が見られなくなっているのがちょっと残念だが、ヨッパライが窓の外に向かって叫んだりすると困るから仕方がないのだろう。
 参加者は結局、私、其ノ他くん、ラクーンドッグさん、しげ、鴉丸嬢、よしひと嬢、エロさん、ZUBATさんの八人。本当は円谷君も参加する予定だったらしいが、寸前でドタキャン。なんでもいきなりバイトが入ったそうな。っつーか、まだ就職してなかったのか。穂稀嬢は金欠病とか。全くどうしてウチの劇団は生活に苦しんでる連中が多いのかなあ。ほかの連中もどうして参加できなかったのか、しげに事情を聞くが、要領を得ない。幹事は普通、その当たりをきちんとすべきものである。こういうナゲヤリなところがメンバーを参加しにくくさせてるんじゃないのか。
 コースはすべてしげにお任せしていたのだが、どうも運ばれてくるのが遅い。忘年会シーズンで忙しいのはわかるが、刺身を運んでくるのを忘れるのはちょっとなあ。コースの案内には鍋がつくようなことが書いてあったが、それもしげに聞くと「さあ?」とのこと。何を打ち合わせしてたんだか。
 料理自体は焼き鶏を含めて美味しいものばかりだったので文句はないのだが、店のサービスに行き届かないところがあったのはせっかく参加してくださったエロさんたちに申し訳ない限りであった。それでもエロさんもZUBATさんも随分酔われて楽しまれたようで、少し胸をなでおろす。
 鴉丸嬢がすっかりデキあがって、足腰が立たなくなる。あとで考えれば、ここでもう散会しておけばよかったのだが、もうみんなカラオケで徹夜する気になってたし。
 「ひゃひゃひゃひゃ」となんだかワケの分らない笑い声をあげる鴉丸嬢を、其ノ他くんが肩を貸しながら、外に連れ出す。しげがこんなふうになれば私も肩の一つや二つ貸すのだが、しげは底ナシだからそんなことには滅多にならない。まさかこんなやつだとは結婚する前には夢にも思わなかったが。間違いなく劇団ではよしひと嬢に次いでの酒豪であろう。そのよしひと嬢、風邪薬を飲んでいるので今日は全く酒を入れていない。みんながガバガバ飲んでるのを横目に見てなきゃならないのである。これぞ針のムシロと言うものであろうが、よしひと嬢が犬神に変身しないことを祈るばかりである。

 「豊竹」から歩いて10分ほどの場所にあるカラオケ、シダックスに移動。
 移動中も鴉丸嬢、上ずった声でなんだか意味不明なことを喋っているが、まあヨッパライは放っとくより手はない。しかし、鴉丸嬢がこんなに酒に弱いとはなあ。狼どもの中にぶちこんだら簡単にエサになるぞ。其ノ他くんがいないと、こりゃうっかり酒も飲ませられない。
 しかし11時を回って夜道は相当に寒い。それなのにいっかな鴉丸嬢の酔いが覚めないのだから、いったいどれだけ飲んだのか。
 間が悪いことに、カラオケ屋も大混雑で30分待たされる。全く日本人ってのはどうしてこうも同じ行動を取りたがるかなあ。我々もそうなんだが。
 ようやく部屋に入れたころ、ZUBATさんも相当お酒は入っていて、もうウトウトしかけていらっしゃったのだが、マイクを持った瞬間にシャキッと豹変して、アニソンを歌いまくる。しかも3時間ずっと息も切らずである。カラオケ歌うために生まれて来られたのではなかろうか。
 私は『アタックNo.1』ほか、「女の子の歌」を歌いまくる。よしひと嬢から「今日は全部そっち系ですか?」と聞かれるが、男の子の歌はみんなが歌いたがるだろうから、避けただけである。エロさんが『キャプテン・ハーロック』を歌うのを聞きながら、鴉丸嬢が「この曲好き……」とウットリ(まだ酔っているのである)つぶやいていたから、オイシイとこを取らずにいてよかったようだ。どうせしげは「また気持ち悪い歌ばかり歌って」と思っていたのだろう。
 鴉丸嬢もいつもの声の張りがない。当たり前だが。「うまく歌えない〜」と泣くが無理して歌わなきゃいいのに、これだからヨッパライは。
 実際、ヨッパライが揃って3時間も熱唱し続けるものではない。冷静な判断ができなくなってしまっているのだ。私は一滴も入れてはいなかったが、雰囲気に酔ってた点では同罪である。
 ついにエロさんが、3時を回った時点で、「そろそろ帰りましょう」とネをあげた。ウッカリしていたが、エロさん、明日は仕事だったのだ。自分たちが休日だからと思いこんでいて、そのことに全く気づかなかったのは全く不明の至りであった。エロさん、ホントにすみません。m(__;)m

 エロさんZUBATさんとはそこで別れて、残りはみんなウチに移動。タクシーで二手に分かれて、私とラクーンさんが一台、残りがもう一台。
 これでもう、今日は終わりかと思ったら、ウチで明日の練習の打ち合わせだそうな。酔っ払ってて、なにか実りのある話し合いができるのだろうか、と思ったが、甲論乙駁、気がついたら私は、みんなから「早く台本書け」と吊るし上げられていたのだった。書きますよ、書きますってば。
 ラクーンさん、まだ酔ってる口調で私に「プロとアマの違いってなんだと思いますか?」と絡んでくる。「別にないんじゃないですか?」と言ってあしらうが、これには実は深いわけがあったのだとあとで判明。
 鴉丸嬢は、ラクーンさんと私のこの会話を聞いて、「なんか難しい話をしてるー」とか言ってたが、どこがどう難しいと言うのか。酒飲んでもう4、5時間は経ってると言うのに、まだ素に戻りきれてない。

 其ノ他くんと鴉丸嬢をしげが車で送って、部屋に残ったのは私とよしひと嬢、ラクーンさんの3人。
 ラクーンさん、「さっきの話ですが」、と、改めて隣の椅子に座って語りかけてくる。どうもヨッパライのタワゴトではないらしいので(いや、まだ明らかに酔ってはいらっしゃったが)、マジメに聞く。
 「ゴローくん(円谷君)、もういっぱいいっぱいですよ。多分そのうち潰れます」
 「どうして彼が? 今度の芝居でなにか役割でも与えられてるんですか?」
 「演出ですよ」
 「……え〜っ!?」
 ウソではなく、今の今、初めて聞いたのである。もう合宿以前に決まっていたとのことだが、しげはヒトコトも私に言わないでいた。なんでも、本人が「やりたい」と言って、了承されたらしい。やりたいって……芝居始めたの、つい、この間なのに、演出なんてできるわけがないではないか。いったいなぜ?
 「役者よりそっちのほうが楽だと考えたからですよ。で、今彼は役者から質問責めにあっても何も答えられなくて立往生してます」
 ラクーンさん、事実を噛み締めるようにして教えてくれるが、どうにも信じられない。円谷君には悪いが、自分が何者なのか、全くわかってないのではないか。
 「だからプロとアマの違いって何なのかって思うんですよ。芝居が好きだと言うことはよくわかる。だから私も協力したいと思う。けれどしげさんたちはいったい何をしようとしているのか?」
 当然の疑問だろうが、その疑問は私も何度となくしげにぶつけてきて、しげが全く答えられなかったことだ。だからこそ、私は劇団から殆ど身を引いているのだが、しげは自分の何がよくないのか、結局一度も反省することがなかった。反省させようにも、私がしげに対してちょっとでも批判的なことを言えば、すぐに泣くし喚くし、話ができなくなるのである。これではもう、身の起きようがない。結局、誰が見てもウチの劇団はヒステリー女が牛耳ってるようにしか見えないので、マトモな人間が腹を立てるのは当然なのである。
 もちろんこれは、しげだけに責任を負わせることはできないことではある。ほかのメンツはいったい何を考えているのか。円谷君を演出にして構わないと、みんなんが認めたという時点で同罪であろう。ラクーンさんの話によると、鈴邑君や藤田君が今度の芝居に参加しないと思ったのも、その放埓で杜撰な芝居の作り方に批判的であるかららしい。まあ藤田くんは円谷君とどっこいどっこいのメンタリティしかない人だから、便乗してケツまくってるのをしげたちのせいにして責任転嫁かつ自己正当化してるだけだろうが、鈴邑君に愛想をつかされてるとしたら、これはもうウチの劇団の存亡の危機である。多分何らかの意志表示を鈴邑君もしたはずだが、誰も引き止めなかったのだろうな。
 よしひと嬢、私とラクーンさんの話を聞きながら、「自分にも責任があります」とシュンとしているが、「学芸会」の雰囲気に馴らされてしまえば、批判的なことが言えなくなるのはしかたあるまい。
 ラクーンさんは私に何とかしてほしがってるようだったが、私とて脚本以外で協力する気はもうない。
 しげが帰ってきたので、話は自然に中断。ラクーンさん、喋りつかれて寝る。よしひと嬢も落ちこみながら寝室に引きこもる。しげも何も知らずに寝る。
 全く今日はなんとバラエティに富んだ一日であったことか。




 で、ようやく今日の日記。
 と言っても疲れて丸一日寝てました(^_^;)。本読んだ感想くらい書こうと思ったけど、もう規定枚数オーバーなんである。それはまた次回に。

2001年12月15日(土) 映画行き損ない/竹本泉『ぴこぴこのきらきら』(竹本泉)
2000年12月15日(金) 今日の日記も「スゴイ」?/映画『夜にも奇妙な物語 映画の特別編』


2002年12月14日(土) You bet your life!/映画『とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ! 幻のプリンセス』/『ゴジラ×メカゴジラ』

 石原慎太郎都知事の「ババア」発言が波紋を呼んでいるそうである。
 昨年11月の(1年以上も前じゃないか)女性週刊誌のインタビューで、「文明がもたらした、もっとも悪しき有害なものは、ババアなんだそうだ」と言ったことに対して、女性市民団体が損害倍賞請求訴訟を提訴する動きを見せてるんだってさ。損害倍賞って……誰がどう傷ついたって言うの?
 と言うことは、この女性市民団体とやらは、自分たちが身勝手で汚らしく私利私欲に走ったエゴイストのババアの集まりだってことを自覚してるってことなんだね? 自らの存在が「有害」であることが事実だからこそ、「このババアっての、私たちのことよ! キイイ、図星指されちゃったわ、悔しいィィィ!」と頭に血が上って提訴なんて愚挙に出たんでしょう。やっぱり群れになってるんだねえ、ババアは。
 これらのババア、有害であることに加えて馬鹿でもある。石原さんが老人の女性の全般を指してババアって発言してるわけじゃないってことくらい、小学生でも理解できそうなものだが、もちろんこのババアどもは、脳軟化症を若年時から起こしているので、そんなこと全く理解できないのだ。しかもこれ、東大大学院教授の言葉を引用しただけで、石原さん本人の発言じゃないし(^_^;)。向ける矛先、間違えてるぞ、ババアさんたち。
 石原さんは「人間のつくった文明が地球の循環を狂わせてしまったということ。ラジカルな物の言い方だが、文明論的には当たっているかなと思った。しかし、政治家自身の口からは言えませんな、と言ったわけで。まあ、何をされても結構ですが」と皮肉混じりに事情を説明しているが、これで納得できなければ、その女性団体のババアどもは馬鹿の上にカスであろう。こんな団体がのさばってるから、女性の社会における地位向上の足が引っ張られるのである。
 女性のみなさん、こういう腐れた井戸に涌いたボウフラのような連中はさっさと駆除した方がいいんじゃないかと思いますが、いかがですか。
 石原さんの失言を、いちいち俎上に乗せたがる人がいるけれど、はっきり言って有名人のウ○コにたかる蝿のようなものである。例の「三国人」発言にしたところで、不法入国者の犯罪をどうするかって問題が現実に目の前にあって、それについての議論の中での発言だったのに、その発言だけを捕らえて鬼の首でも取ったかのように蝿が寄ってくること寄ってくること。みっともないとは思わんのかね? ただの言葉の揚げ足取りにしかなってないから、結局は「アホか」ということになるんである。
 今回の件では、「やっぱりババアは有害なんだ」ということがその女性団体とやらの動きによって大衆の前に露になってしまいました。困ったことに、私たち男の目には、初めその人が普通のおばあさんなのか、心の腐れ切ったババアなのか、ちょっと見だけでは区別がつきかねます。とりあえず「ババア」と呼んで怒る人はホントにババアで、怒らない人はおばあさんだったりしますが、これはちょっと危険な確かめ方ですね。
 私たち男にそんな余計な確かめ方をさせないですむよう、女性のみなさん、ババアとかクソババアとか呼ばれたりしない、普通のおばあさんになるように心がけてくださいね。迷惑やたらかけられてるんですから、お願いしますよホント。


 さて、今日は12月14日である。……と言われてピンと来られた方がどれだけいるだろう。
 今日はもしかしたら、私にとって特別な日となるかもしれない。
 そう、私は人生最大の「賭け」に出たのだ。この賭けに私は勝てるのか。
 勝算はない。あるとしても恐らくは10%……いや、それ以下だろう。しかし私は闘わなければならない。男には、負けるとわかっていても闘わなければならないときがあるのだ。そうだろう、アンタレス。
 なぜならこれは、「愛」のための闘いであるからだ。

 「……今年も行くと?」
 「行くよ、行くに決まってるじゃん」
 「……なんで毎年つまらないって判ってるのに行くと?」
 「つまらないって言うほどじゃないよ。やっぱ特撮は進歩してるし」
 「でも話がダメじゃん」
 「そりゃ、1作目は絶品だし、どうあがいたって、アレを超えられるはずはないんだから、そこそこの出来で満足してもらわないと……」
 「おれ、アレに、高いハードルなんて要求してないよ? つまんないプロレスがなきゃそれで充分だし」
 「じゃ、行きたくない?」
 「行ってもいいけど、その代わり見に行ったらDVDを買うのはナシね」
 「そりゃ違うだろう! だって映画を見て面白かったらやっぱりDVD買うってことあるじゃん!」
 「じゃあ、今度の面白いの?」
 「面白いって言ってた」
 「誰が?」
 「『キネ旬』」
 「どう面白いって?」
 「平成以降のシリーズの中じゃ『最高傑作』だって」
 「『平成じゃ』でしょ?」
 「……わかった! ともかくまずオレが一人で見に行く! そんでもって面白かったらお前を誘う! で、お前も面白かったらDVD買ってもいいだろう?!  もちろん、面白くなかったのに『面白かった』なんてウソをつくような卑怯なマネは、映画ファンのハシクレとして絶対にしない! これでどうだ!」
 「いいけど……勝つ自信あるの?」
 「勝つ! 今度こそ!」

 で、見に行きましたよ、『ゴジラ×メカゴジラ』。
 帰宅した私がしげと全く口をきかなかったのは、言わずもがなでございます。

 気を取りなおして、一応、感想書きましょうかね。全く気乗りがしませんが。
 場所は天神東宝、初日第1回、朝の9時。
 相当混んでるかと思ったが、それほどでもない。座席数246のコヤに、満員にちょっと足りないくらい。お子さん連れ以外にも大きいお友達がチラホラいるが、あれはゴジラのファンかそれとも釈のファンか。全員プレゼントのメカハムゴジ、子供さんにだけかと思ったら私にもくれた。嬉しいような、メカゴジラがハム太郎に乗っ取られて悔しいような。


 さて、まずは昨年、悪評紛々だった『とっとこハム太郎』の映画化第2弾、『ハムハムハムージャ! 幻のプリンセス』。
 昨年は、オープニングでお子さまたちが一斉に主題歌を唄いだして、困ったものだったが、今年は静かなもの。もう歌い飽きたか?
 話は一応前作の続きになってるらしい。ハムハムランドから持って帰ってきた書物には、ハムスターたちの故郷、ハムージャ王国の伝説の記録が。
 その記録にあった「ハムハムハムージャ」という呪文を覚えたハム太郎の夢に、不思議なハムスターのお姫さまのイリュージョンが浮かんでくる。
 「助けて……私を助けて……」
 ああ、もう未だにこのパターンやりますか(-_-;)。しかもヒロインったって、所詮太ったハムスターだからねえ。『スターウォーズ』最初に見たときも「お姫さまがこんなブ○○○○でいいの?」と思っちゃったけど、それを上回る異常なインパクトだね。
 ハムージャ王国に行く方法も簡単で、月夜の砂場にお城を作って呪文を唱えるだけ。異界への扉を開くワクワク感が全くない。ここでようやく出るタイトルだけれど、その直前はやっぱり出統ストップモーション! ……なんつーかねー、もう私ゃ飽き飽きしてるんスけど、出ファンはこれが楽しみなんでしょーねー。今回は前作よりも繰り返しカットやストップモーションが多いんで、出ファンは大満足なのかもねー。ハムスターにそれやられても別に興奮しないんスけど。
 ここから先、ミニハムずやモーハムず&ゴハムの踊りだの、CG全開の展開は昨年と同じだけど、楽しいのかなあ、ネズミのモー娘。。(←句点が二つは間違いではない)みんなもう「ハムハムハムージャ!」って繰り返すばかりだから、段々アタマの中がその呪文でいっぱいになっちゃって、気分は洗脳状態。オウムアニメかこれは。去年よりもトリップムービーになっとるんとちゃうか?(-_-;)。
 猫の魔法使いサバクーニャの登場で少しは話が動くかと思ったら、もうここからは『長靴をはいた猫』というか『ルパン三世・じゃじゃ馬娘を救い出せ!』だからねえ。新味は全くと言っていいほどない。サバクーニャ役の安原義人の好演がなかったら寝ちゃうとこでした。実はウトウトしたけど。
 思うんだけど、ヒロインであるシェーラ姫のキャラクター造型にそもそもの失敗があるのではないか。いや、所詮ハムスターじゃん、というのはとりあえず置いとくとしても、サバクーニャ復活の原因作ったのがこいつの考えナシの行動だし、ワガママ姫の言動にハム太郎振りまわされっぱなしだし、最後は結局、ハム太郎からハムーハ王子に乗り返るし、アンタ、子供向けアニメのヒロインにこんな性悪女を設定するんですか(^_^;)。フツーはワガママに見えても実は寂しがり屋さんとか、そのキャラに「救い」を作るものではょうが。最後、ハム太郎に「ごめんね」のヒトコトくらいあっていいんじゃねーのかシェーラ姫。しばくぞ。
 そんでもって、シメが本当のハム太郎の故郷はロコちゃんのところって……『青い鳥』っつーか『オズの魔法使』っつーか、最後まで工夫ナシのパクリですか。……もう溜め息しか出ませんね。


 前座がこのテイタラクだと、否が応でも『ゴジラ』本編に期待しちゃうものです。ゴジラシリーズももう26作。けれど、我々の世代がゴジラをゴジラとして認識してるのって、ホントに昭和ゴジラも前半、初期のゴジラ、5、6作程度なんだよね。なんたって「東宝チャンピオン祭り」で『キンゴジ』も『モスゴジ』も『三大ゴジ』も全部見てるから、新作の『ゴジラの息子』や『怪獣総進撃』、『オール怪獣大進撃』より、昔の特撮の方がよっぽどいいじゃん、と子供心に理解していたのだ。もちろんこれは、円谷英二とそのお弟子さんたちの力量の差に起因してることだったんだけど。
 ましてや昭和後期シリーズや平成ゴジラシリーズは本家会社が作ったパチモンにしか見えなかったわけで。
 でも、出だしの緊迫感はなかなかのものでしたね。
 1999年、1954年以来45年ぶりのゴジラ襲来に浮き足立つ特生(特殊生物対策)自衛隊。陰鬱な空の描写、やがて来る嵐、大雨の中、埠頭に現われるゴジラ2世。……ちょっとワクワクしたんだけど、テレビレポーターの後ろからゴジラの頭部が現われるシーンで拍子抜け。もういやって言うほど繰り返されてるシチュエーションなんでつまんなかったってこともあるけれど、それより何より問題なのは、遠近法に失敗してるという初歩的なミス(^_^;)。ゴジラ、すげえ小っちゃいんでやんの。本編に入って街を破壊し始めるまで、今回のゴジラってせいぜい10メートル? とか思っちゃったし。
 もちろんここでの演出の目的は、ヒロインの家城茜(釈由美子)が、ゴジラ攻撃に際して誤って同僚を殺してしまう、そのシークエンスを描くことにある。なぜ茜がゴジラと戦おうとするのか、その動機を観客に納得させるためには当然必要なことだ。
 けど、これ、別に茜が殺したわけじゃないじゃん? どっちかって言うと、浮き足立ってメーサー砲のそばに近づいてった葉山兄(森末慎二)の方がバカなだけって思うけどねえ。茜の操縦ミスと言っても、観客からはだの不可効力にしか見えないんだけどなあ。
 茜、メーサー扱ってるんだから、彼女を「人殺し」として描くんだったら、メーサーで森末を殺さないとダメじゃん。ゴジラ射程内に森末の車輌があるのに気付かなくて撃ったとかさ。もちろんお子さま相手の商売だと、そんなの「残酷だ」ってことでできないんだろうけど(だったら最初から森末も殺すなよ)。
 この段階での演出の「甘さ」が、このあとのストーリー全体の甘々感(という言葉は今作ったが)を象徴しているような気がするんである。

 これからあとのトホホな展開はいちいち挙げてったらイヤになるくらい。
 2003年、人工生物学者の湯原徳光(宅麻伸。このネーミング、ギャグのつもりか?)ほかの各界のスペシャリストたちが、ゴジラ対策のために政府によって召集される。このときこの湯原、一旦、その申し出を断るんだけどさあ、理由が「子供と一緒にいたいから」だよ。
 オマエは人類の危機より子供のほうが大事かっ! 別にこれはマイホーム主義を非難してるんじゃなくて、映画の必然性について文句をつけてるんである。ゴジラなんて脅威でもなんでもない、みたいな印象を観客に与えてどうするのよ。しかも、政府高官、「子供を研究施設に入れてもいいですよ」とかとんでもないこと言い出すし。日本政府に機密保持の感覚はないのか。なさそうだけど。
 で、この湯原、メカゴジラ=機龍のオペーレーターに復帰した茜にコナかけてくのよ。ああ、ゴジラ映画がどんどん三文芝居に毒されてく……。こーゆー寒い展開に耐えられる人って、私生活でも湯原みたいに寂しいんじゃないかって気がしてくるけど、違いますか。
 一度ミスを犯した茜がたいした状況の変化もないのに簡単にオペレーターに復帰できたのも謎ですねー。もちろん機龍隊の隊長・冨樫(高杉亘)のヒキがあったってことにはなってるけど、それだけしか説明がないから、この二人、ただアヤシイだけじゃないかって見方も可能。ダメだよコドモ映画でそんなオトナの雰囲気漂わしちゃ(^o^)。
 このへんはまだ許せるんだが(許せるのかよ)、もう匙投げちゃったのが、茜と同じ機龍隊に配属された葉山弟(友井雄亮)の設定と演技。いくら兄が茜のミスで死んじゃったからと言って、仮にも対ゴジラチームのエリートとして選抜されたはずの男がだよ、茜を逆恨みしてやたら感情的に「こんなやつの近くにいるとみんなも殺されますよ!」なんてオーバーアクトしちゃうのは、いくらなんでも芝居が安っぽすぎる。ホントの敵はゴジラで、茜じゃないだろ? そんな小学生にもわかる理屈がこいつにはわからんのか。こんなバカに治安を任せてんじゃねーよ(-_-;)。「人間ドラマ」ってこういう「バカを描く」ってことを言うんですか? てゆーか、脚本と監督がバカなのだね。
 葉山にとって兄の死がトラウマになってるって設定自体は悪くない。
 だからさあ、例えば、最初、葉山本人はそのことを自覚してなくてね、あくまで茜と協力してゴジラに対抗しようとしてるってことにしておいてさ、いざと言うときになって、茜が危機に陥ったときに彼女を助けようとするんだけれど、その瞬間にふと、忘れていたはずの「兄さんはこいつに殺されたんだ」という思いが涌きあがってきて、助けの手が止まって茜が死にかけるとかさあ……まあ、これも安っぽいことは安っぽいけれど、オーバーアクトよりはマシじゃないかね。もちょっと「人に見せられる」ものを書こうよ、脚本家。プロで一応食ってんだろ?
 そんな複雑な心理描写なんか、コドモにゃ難しすぎる、なんてのは、コドモの理解能力をバカにした発言だから、みだりに使わないようにね。既に我々の小学生の頃から「ゴジラシリーズで映画として見られるのは第一作のみ」ってのは常識だったんだから。だいたいゴジラ映画をオタクとコドモのオモチャに貶めちゃったのは、受け手よりも作り手の方の安易さに原因があったんだからさ。一般のお客は離れて行くって。

 ほかにもデタラメな展開、つじつまの合わない設定など、ツッコミはいくらでもできる。
 作中に挿入されるかつての作品、『モスラ』や『サンダ対ガイラ』と、本作との整合性が曖昧なところとか、湯原の娘・沙羅(小野寺華那)が「ゴジラだってメカゴジラだって生きてるのよ! どうして人間の都合で殺そうとするの!」なんて安っぽいヒューマニズム振りかざすところとか。葉山弟が殺すべきはこのムスメの方ではないのか(^_^;)。
 物語が政府と特自の動きばかり追ってて、庶民の反応が殆ど描かれないとこもちょっとねえ。
 いや、勢いで見せてくれる演出をしてくれてたら、そんなのはどうでもよく感じられるんだけれど、今回、「機龍を開発したことが、日本を軍事国家への道に歩ませることになるんじゃないか」というようなセリフや、機龍暴走による責任を取って「内閣総辞職もあるか」というニュースが流れる描写などが挿入されていると、再び機龍を対ゴジラ兵器として投入する決断を五十嵐総理(中尾彬)があっさりと取っちゃった瞬間、「おいおい、庶民はそれで納得しないだろ?」とツッコミ入れたくなってしまうのである。
 ましてや、関東一円の電気を全てメカゴジラに投入するって……、あの、都内には電気を必要とする病院の患者さんたちも多数いるでしょ? その人たちは見殺しですか? 昔『スペクトルマン』じゃ、サンダーゲイに電気食われて手術中の患者が死ぬ、なんて悲惨な描写がちゃんと描かれてたもんだけどなあ。ゴジラ映画、ピープロ以下。誉められたもんじゃないよ、これ。

 で、まあ、その辺はまだ軽いキズなんである(おいおい)。
 もっとも、少しは誉めとかないと、コアなゴジラフリークにストーキングされちゃいそうだから、一応、「見応えがないわけではない」と言っとくけどね。ストーリーがあまり脇に逸れずに、茜を中心に対ゴジラの流れでまとめられてるってところはまあ及第点だろう。
 感心したのは、初め遠隔操作で動かされていたメカゴジラが、故障後、茜が乗り込む形で再起動する描写。やっぱり巨大ロボット(サイボーグみたいなもんだけど)はパイロットが直接乗って操縦しないと、迫力が出るもんじゃない。

 けれど、どうしても私には今回のゴジラもまた全体的な評価として言えば、「ダメじゃん」としか言えないのである。やっぱりさあ、あまりに「アレ」からのパクリが多すぎるよ。
 「初代ゴジラ」の骨から生体ロボットを作る、という発想から、「あれ……?」と思い始めたけれど、メカゴジラ=機龍を「吊って」運んでいく描写、ゴジラに共鳴しての突然の暴走、機能停止と来て、動かない機龍を懸命に動かそうとレバーを何度も引く茜、「私は要らない人間」発言と来て、ついには「ヤシマ作戦」だもんなあ(元気玉だと思った人もいるようだけど、それは『ガメラ2』)(^_^;)。ラストバトルも見たような構図や動きがどんどこ出てくる。
 これで脚本家や監督が「『エヴァ』? 見たことありましぇーん」とか、ディズニーみたいなこと言ったら、怒る人が出てくるんじゃないか。
 で、これまた肝心の特撮がもう、情けない出来だからさあ。
 ミニチュアもしょぼかったしメーサー砲の描写もシーンが少なかったし、それから、ガチンコするしか能のない怪獣どうしの争いならともかく、片方メカなのに怪獣プロレスをのっけからやるなよ。
 アブソリュートゼロを発射するためには接近戦を避けなきゃなんないんじゃないの? 市街地での戦闘を避けるために接近してゴジラを捕まえて移動しなきゃなきゃならないとか言うんだったらわかるんだけどさ。
 で、どうしてゴジラがやられないわけ? あれでゴジラがやられなきゃ、映画としての整合性自体が崩れちゃうじゃん。エンディングで茜が「あれは引き分け」って言ってるけど、殺せない限りは負けでしょう。永遠に引き分けさせるつもりかもしれんがな、東宝は。
 ゴジラファンを標榜しておきながら、そんなに貶してどうする、とは毎年言われてることなんだが、アナタ、ゴジラファンが不毛の時代を何十年耐え続けてると思ってるのよ。例えば「凶悪連続殺人鬼」が「ゴメン」と一言謝ったからって、それだけで赦しちゃうかい? モンティ・パイソンのギャグじゃあるまいしよ。ちょっとやそっとの出来のよさじゃ、これまでの汚名は決して返上できるものではないのである。
 ともかく、ヘタな人間ドラマとか、SFとしてのコリクツなんかどうでもいいから、「映画」として見られるものを作ってほしいんである。そこまで譲歩してオレはゴジラ映画見てるんだよ。これでも「誉めてる」方だ。別に『キネ旬』とかに認められる必要はないんだからさ、映画作ってよ、いい加減でさ。


 規定枚数を越えたので、続きは次回の講釈にて。

2001年12月14日(金) 多分それは美しさではない/映画『ピストルオペラ』
2000年12月14日(木) 差別語なんて知らないよ/『銭豚』(ジョージ秋山)ほか


2002年12月13日(金) 煙が目にも喉にもヘソにも染みる/『サイボーグ009 ―素顔の戦士たち―』

 何度か日記にも書いてることだが、私はこの世の中でタバコが死ぬほど嫌いである。道端で煙草を吸いながらスカシたポーズを取ってるようなスットコドッコイを見かけたら、怒りのあまりケツに鉄棒ぶちこんでグリグリいわしたくなるのはしばしばだが、煙毒で脳軟化症起こしてるようなクズのために自分の一生を引き換えにしたくはないので、離れたところから石を投げて逃げるようにしている。
 いやまあ、今のは冗談だけれど、福岡市の喫煙者のマナーの悪さは相当ひどいものだ。道端は煙草を捨てていいものだと思ってる連中がゾロゾロいるし、車の窓から灰を落として平気なスカタンもしょっちゅう見かける。何が腹が立つって、小学生の登下校路で平然と歩き煙草してるオトナね。そういう腐れたカス野郎は、ちょっと脇道に連れこんでシメてやってるのだが、ウンコにたかる蝿のようになかなか数が減らない。

 なんとかならんもんかなあと思っていたら、自民党福岡市議団が、11日、歩きたばこ禁止に罰則を付けた「人に優しく安全で快適なまち福岡をつくる条例案」ってのを12月の定例市議会に提案した。罰則つきの禁止条例は、東京都千代田区に次いで全国2例目とのこと。
 条例案は、市長が指定する「路上禁煙地区」で「歩行中または自転車に乗車中に喫煙してはならない」と定めており、違反者には2万円以下の過料を科すことになる。市内全域でも、罰則のない努力規定として歩きたばこをしないことや、屋外で喫煙する際は吸い殻入れを携帯するなど、喫煙者のマナー向上を促す規定も盛り込んでいる。その「禁止区域」では条例施行後、警察がパトロール、違反者を摘発してその場で罰金を徴収するらしい。

 嫌煙者にとって朗報ではあるんで、私も基本的に喜んじゃいる。けどねえ、この程度の「常識」を守らせるのにだよ、いちいち「法」でもって規制しなきゃならなかったのかねえ、と思うと、いささか陰鬱な気分にもなるんである。マナーってのは本来、誰かに言われて守るようなものじゃなくて、本人の意識の問題でしょ? つまりは、いいトシしたオトナが、規制を受けるまで自分がノウタリンの唐変木の大馬鹿野郎だったってことに気づかなかったってことがそもそもの大間違いだったのである。全く、ちったあ恥を知れよって。

 ン十年も昔のこと、私がまだイタイケな中学生だったころのことである(←ツッコミ禁止)。
 生徒会にいた私は(そんなヤなやつだったのである)、校内の風紀の乱れに対処するために、「校内パトロール隊」を結成しないか、と提唱したことがある。もちろん、眉村卓の『ねらわれた学園』からの発想なのだが、もちろんこれは生徒会の全員から反対されて否決された。
 でも、それが私の目論見だったのである。校内の諸問題への取り組み方がいささかダラケていた生徒会の様子を見て、誰かから規制されるのではなく、一人一人のマナーの意識を高めるのが大切なのだ、という気持ちをみんなに持ってほしいと思った私のチエであった。
 私の計画が効を奏し、生徒会は意欲的に生徒の啓蒙活動に取り組むことになった……んだったら、感動的なんだけれどもねえ。そんなキレイゴトがうまくいくわけないじゃん(^_^;)。単に「パトロール」なんてめんどくさいことみんなしたくないだけだったから、我が校の風紀の乱れはいっこうに改まらないのでありました。
 今、実際に「パトロール」してる学校もあるようだねえ。

 現実に実害があるってのに、理想論を言ったってしかたがない。
 規制はまあ、歴史の必然である(んな大袈裟な)。喫煙者はそのうち、自分ちの便所の中からも「壁に匂いが付いちゃうから吸わないで!」とかなんとか家族から怒鳴られて追い出され、どこにも居場所がなくなっちゃうんじゃないかって気もするが、これまでの悪行の報いだから、諦めてもらうより仕方がない。
 なあに、そのうち煙草よりずっと気持ちがよくって疲れが取れて、いろんなイリュージョンを見て楽しめる草を吸わせてくれる人がアナタのそばに来てくれるから、遠慮なくそれにハマってください。


 スタジオジブリの新作アニメの情報、どの記事も「宮崎駿監督の新作!」と大々的に報道している。
 でもこの『ハウルの動く城』、もともと東映アニメーションからわざわざ細田守監督を招聘して製作する予定だったんだよね。2ちゃんねるあたりでは既に今年5月の時点で細田監督の降板は話題になってたみたいだが、私は全然気付かなかった。
 降板の理由は、宮崎監督の「原作の世界観を表現するには、自分でやるのが最適」という判断によるものだそうだが、表向きの理由でこんな細田監督をバカにしたような発言をするとはいったいどういう了見か。実際の理由は細田監督が「ジブリと合わなかった」だけだと思うんだが、せめて「細田監督の体調不良」くらいの言い方で気遣ってやるだけの度量が宮崎監督にはなかったのだろうか。まあない人なんだけど。性格の歪んだ正直者って、一番始末に悪いよなあ。
 ジブリの新陳代謝、世代交代を図るなら、今年の『猫の恩返し』に続いて、来年、細田監督作の『ハウル』を公開すべく、ジブリスタッフは協力すべきだったと思う。外部監督を呼ばなきゃならん、という判断がいったんは下されたってことは、つまりは現存スタッフがまだまだ監督の器じゃなかったってことでしょ? たとえ不満があろうと、細田監督の演出に従うことも必要だったと思うけどなあ……って、憶測だけでモノ言ってるので、あまり真剣に読まないようにね。

 大友克洋の『スチームボーイ』、押井守の『イノセンス』(『攻殻機動隊2』!)も、それぞれ来年秋、04年春に封切られるそうな。でも実はこの二人にはそんなに期待してない。『スプリガン』見たあとの大友さんに何を期待するかってのがあるし(もっとも私は『アキラ』の時点で大友さんを見捨ててるが)、押井さんは押井さんで、どうせまた「ここはどこ、私は誰」モノを作るに決まってるし。
 まあ、期待しないで見たらそれなりに楽しく見られるんじゃないかとは思うから、一応、見に行きはするでしょうけれどもね。


 昨日、疲れた仕事をしてたら、早速、客の何人かから苦情があったそうな。
 苦情には一応誠実に対処することにしてるんで、その客の意に沿うようにお仕事をさせて頂いたら、今度は別の客から「前のほうがよかった」と苦情。
 そんな逆の注文を付けられても、っつーか、疲れた仕事してた方がいいんかい、私ゃ(^_^;)。
 私の本職を知ってる人は、笑ってください。


 『キネマ旬報』12月下旬号、橋本治の『嘘つき映画館 シネマ・ホラセット』が最終回を迎えた。
 こんな映画が作られてたら面白い、という「ニセの映画紹介」なのだが、これ、以前筒井康隆が『不良少年の映画史』の中でやってたネタだし、橋本さんの発想もどうもズレてて、今一つ面白くなかった。
 今回の最終回も、どこをどう面白がればいいのかよくわからない。タイトル見たら笑うよ。もちろん「面白いから」ではないんだけど。
 っつーか、紹介するのも恥ずかしいんだけどね。

 『七人の侍 エピソード2 野武士の復讐』。

 ……あー、監督はフランシス・フォード・コッポラで、まだ製作途中で、実は三部作になる予定だそうです。
 『七人の侍 エピソード1 百姓の勝利』
 『七人の侍 エピソード2 野武士の復讐』
 『七人の侍 エピソード3 勘兵衛の凱歌』
 ……ホントにこんな映画ができたら、見たいですか? いや、見たいことは見たいだろうけれど、もちろん「面白そうだから」という理由じゃないよね。
 で、パート2のストーリーがどうなるかっていうと、野武士の残党(確かにいたなあ)・伴左衛門(サミュエル・J・ジャクソン)が、百姓に復讐するために、「悪の七人の侍」を結成する。新しい首領の源五右衛門はアル・パチーノ。七人の中には、新しい女房・志乃(アンヌ・パリロー)に逃げられた利吉(ジョン・マルコビッチ)もいる(なんでや)。
 対して、再び百姓のために立ちあがる勘兵衛(ケヴィン・コスナー)、七郎次(ダン・エイクロイド)、勝四郎(ベン・アフレック)。
 で、野武士が勝って、パート3に続くんだと。この三部作構想は黒澤監督の遺志によるものだってことだけど、いやあ、ウソつくにしても、もう少し考えようはないのかって言いたくならない?
 ポスターまでコラージュして、いかにもこんな映画が作られてるように仕立ててるけど、ちったあリアリティってものがないと、つまらないんだってば。
 一応、ダン・エイクロイドの写真が載ってたのでしげに見せたら、「七郎次って誰?」と聞いてきた。『七人の侍』、見てるくせになあ(-_-;)。


 夜、ヨナさんとこでチャット。
 最近は週に一度くらいしか覗かなくなってるけれど、平日は体力が続かないので仕方がないのである。それにどうも○○○○○○○○○○○○○○○○○○ので、あまりアブナいことは喋れない。いや、ささやき機能を使えば問題はないんだけれど、あれって面倒臭いし。
 少し考えるのは、私がホームページを開設したら、チャット室を設けるかどうか、ということだ。リアルタイムで会話できる、というのは確かに面白いのだけれど、定期的に部屋を覗くということが私の場合どうにも難しそうなのである。そうなると参加者の方にご迷惑をかけそうで、なかなか設置に踏みきれない。
 もちろんそれ以前に、まずホームページを開設せねばならんのだが。


 ちょっとフザケた宣伝メールが届いたのでご紹介。

 ▼「寒い時代だと思わんか?」という人の懐を温めます▼
----------------------------------------------------------------------
┘┘┘┘  ○○○○○VIPローンカード       ┘┘┘┘
┛┛┛┛  実質年率8.7%〜  利用限度額最高300万円    ┘┘┛┛
┛┛┛┛  全国125000台の銀行・郵便局等のATMでご利用できます  ┛┛┛┛
┛┛┛┛  入会費・年会費無料         ┛┛┛┛
----------------------------------------------------------------------

 ▼「美しい女性を嫌いな人がいて?」と思う女性全ての方にお勧めです▼
----------------------------------------------------------------------
━ ××××化粧品「△△△△セット」全国どこでも送料無料で1000円! ━
☆その1.女性の肌が本来持っている生体リズムに着目した新スキンケアです
☆その2.洗顔料に日本初のゴールデンパームを配合するなど各商品に贅沢な
     美容成分を厳選して配合、基礎化粧品4品を2週間分お試し頂けます
----------------------------------------------------------------------

 ▼「若さゆえの過ちを」と老後に後悔したくない皆様に▼
----------------------------------------------------------------------
登│場│!│新│し│い│外│貨│定│期│預│金│!│ [□□□バンク]
─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘─┘
▼年間の金利が確定▼毎月円または預入通貨で利息を受取り▼比較的高い金利
□□□バンクの"マンスリー●●●●"があなたの心豊かな暮らしをサポート!

 わはははは(^o^)。
 これは是非、ほかにも▼「坊やだからさ」とバカにされないために。「ブ★ワー★ー」とか、▼「僕には帰れるところがある」とは限らない。「ぼったくりバー」とか、第2弾、第3弾を送って来てほしいものだね。
 読者のみなさんも、別にガンダムでなくても、何かアニメや特撮を使ったコピーを思いつきませんか? 面白いネタを掲示板にでも書きこんでいただいたら……って、こういうのを山本弘さんとこに投稿すればいいんでしょうかね(^_^;)。


 『サイボーグ009 ―素顔の戦士たち―』(角川書店・1680円)。
 「完全公式ビジュアルガイド」と言ってるわりには資料的にちょっとボリュームに欠けている。
 カラーイラストは多いものの、設定資料が少なすぎるのだ。00ナンバーサイボーグ以外のキャラ紹介が、スカール、バン・ボグート、0010、0012、0013、メリー&真一&勝、クビクロ、ママドゥ、アポロン、アルテミス、イシュキック&カブラカンと、これだけである。ヘレンも紹介されてねーんだぞ、オイ!
 さすがに各話紹介はあるものの、それもスタッフ・キャストの記述が数人だけ。これじゃあ、ネットでファンクラブの記載を調べたほうがよっぽど詳しい。
 「完結編・序章」の続きがどうなるのか、少しは情報があるかと思ったけれど、キャストのメッセージは全てアニメシリーズは「終わったもの」として語られている。やっぱりアレだけひどい製作体制だと、もうスポンサーがつかないのかもなあ。とほほ。

2001年12月13日(木) 寝寝寝寝寝/DVD『エイリアン9』vol.3ほか
2000年12月13日(水) 小山田いくの模写もできます/『まんがサイエンス7』(あさりよしとお)


2002年12月12日(木) 悪いことさせまショ/『臘筆小新』(臼井儀人)/『ブギーポップは笑わない』2巻(完結/上遠野浩平・緒方剛志)

 和歌山毒入りカレー事件の林真須美被告に、死刑判決が下される。
 あの事件も1998年の出来事なのか。もう4年でようやく一審判決って、やっぱり日本の審理って遅過ぎないかなあ?
 弁護側は即日控訴したそうだが、当然これは最高裁まで行くだろう。刑が確定するのはどう早く見積もってもあと4、5年はかかりそうだ。そこで仮に死刑が確定したとして、刑の執行はさらに何年後になるのか? ヘタすりゃ60、70で死刑ってことにもなりかねないよな。
 物事を勝ち負けで判断したくはないのだが、これって結局、真須美被告の勝ちってことにならないか? 犯罪が凶悪的であればあるほど審理に時間がかかって、十年、二十年と延命できるのである。オウムの麻原彰光も然りだ。だったら、どうせ死刑になるならたくさん殺した方が勝ちって考えてもおかしくないではないか。毒をくらわば皿までで凶悪犯罪が増えるのも当たり前だよねえ。
 更に言えば、黙秘を徹底的に続けたことによって、動機は未だに解明されないままなのである。ヘタすりゃ証拠不充分で逆転無罪……?


 宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が、アカデミー賞に正式にエントリーされる。今んとこ17作品のうちの1本に選定されただけで、最終選考で最大5作品まで絞り込んで、来年2月11日にノミネート作を正式決定するそうだけれど、既にいくつもの賞を取ってるんだし、ノミネート自体は固いだろう。
 ただそれで受賞するかどうか、という点になるとそれは意外と難しいんじゃないか、という気がする。そもそもアカデミー会員の投票によって賞が左右されるアカデミー賞は、「どうしてこれが受賞?」と首を捻る結果になることが往々にしてあるのだ。単純な話、アカデミー会員が『千と千尋』を見てなきゃ、受賞はムリだよね(^o^)。仮に見ていたとしても、人間の心理として、既にあちこちで受賞している作品だと、「もうオレ一人が投票しなくてもいいや」と考えて、別の作品に入れる、なんて現象も起こる。金熊賞取ってるのがプラスに作用するとは限らないのだ。
 あとはライバル作の出来がどうか、ということになるのだけれど、候補に挙がっているのがドリームワークスの『スピリット』やディズニーの『トレジャー・プラネット』『リロ&スティッチ』、20世紀フォックスの『アイス・エイジ』などらしい。一本も見てないから、これ、どれが強いんだか全然分らん(^_^;)。予告編で見る限りでは『リロ&スティッチ』と『アイス・エイジ』は箸にも棒にも引っかからないような印象だったけど。
 さて、で『千と千尋』が受賞してほしいかどうか、ということで言うと、これはしてほしいなあ、とは思うんである。母校の先輩が作ってるんだからそりゃ当然で、作品の出来に関する感想・批評とは関係がない。少なくとも受賞を逸して「それ見たことか」と鬼の首を取ったかのように扱き下ろす批評が出るのを見るよりは、脳天気な宮崎駿礼賛のムーブメントが起きてくれたほうが、アニメ界の活性化につながる(かもしれない)分、ナンボかマシじゃないかと思う。
 

 仕事がすげえキツイ。
 どれくらいキツイかと言うと、処理スピードが当社比の50%を切るくらい。わからん例えだ(^_^;)。
 疲れてたので、しげが迎えに来てたら車の中で寝かせてもらおうと思ってたんだが、駐車場に行くと、車がない。またしげ、寝過ごしである。電話をすると「すげえキツイ」。そりゃオレもだよ、と言いたかったが詮無いことなので諦めてタクシーで帰る。
 しげ、今日も具合が悪いということで仕事を休む。


 先日、職場の同僚が台湾旅行をして来て、土産に『クレヨンしんちゃん』の台湾版単行本34巻を買って来ていた。ナカミを見せてもらったけれど、「しんちゃんずエンジェル」のあたりだね。
 タイトルはまんま『臘筆小新』なんだけれども、これで「のはらしんのすけ」は漢字で書くと、「野原新之助」であることが判明。『戦国大合戦』でもそうなってたかな?
 あと、判る限りキゃラクターの名前を調べてみる。
 ひまわり=小葵(かわいいぞ)
 みさえ=美冴(おお、美人っぽい)
 よしなが先生=吉永老師(若くても老師)
 ネネちゃん=女尼女尼(女編に尼が二つ)
 マサオくん=正男(まんまや)
 ボーちゃん=阿呆(……)
 怪獣シリマルダシ=露屁怪獣
 ひろしや風間くんは、名前で呼ばれるシーンが見当たらなかったので漢字の特定ができず。でもこれ発音はみんな中国語読みなんだろうね。「シャオシン」とかそんなふう?


 マンガ、上遠野浩平原作・緒方剛志作画『ブギーポップは笑わない』2巻(完結/メディアワークス・998円)。
 1巻が出て、1年10ヶ月ぶりの2巻発売。連載が終わってからも随分間が空いてるがそこにどんな事情があったのかはよくわからない。描き足しでもしてたのかな?
 イラストレーターとしての緒方さんは好きなのだが、マンガ家としてどうかというと、ちょっとねえ、と言わざるを得ない。コマ割りとレイアウトがどうもギクシャクして読みづらいし、キャラデザインが一定していないのもつらい。霧間凪と百合原美奈子の描き分けが不充分なのはいくらなんでもマズイでしょう。
 この小説版第一作の出来がよければ、『VSイマジネーター』のマンガ化もありかな、と思っていたけれど、ちょっと厳しそうな印象。
 かと言って、ほかの人に、全く違ったキャラデザインでマンガ化されてもなあ。『負け犬たちのサーカス』の人に描いてもらうという手もありはするんだろうけれども。

2001年12月12日(水) 鶏は卵を音を立てて生む/『獣星記ギルステイン』2巻(酒井直幸・田巻久雄)
2000年12月12日(火) モロボシダンは不滅だ!/ドラマ『ウルトラセブン・果実の熟す日/約束の果て』


2002年12月11日(水) ミスキャストの楽しみ方/『耳のこり』(ナンシー関)

 ウチから遠いんでたまにしか出かけないんだけれど、百道にある福岡市総合図書館、ここって結構スゴイとこなんである。
 今ここは、2万本を保存できる収蔵庫を設けて、アジア映画や日本映画などのフィルムの収集、保存事業を進めているのだけれど、そのことを知った俳優の高倉健が共感して、なんと自分の出演の記念として映画会社から買い取っていた43作品の16ミリフィルムを寄託したのだ。意外と知られてないけど、高倉健って福岡の出身なんだよ。網走じゃなくて(^o^)。
 そのことを受けて、福岡市の山崎広太郎市長は、昨日の定例会見で、来年1月から3回にわたり、「高倉健映画祭」を開催すると発表。一俳優のみをクローズアップして、これほどの規模の映画祭を実施するってのも日本じゃ結構珍しいんじゃなかろうか。
 実は私はこの映画祭にすっごーく期待しているのである。いや、高倉健のファンってわけじゃないよ。どっちかっつーと嫌いなくらいなんで(念のために言っておくが本人がではなくて、そのヘタクソな演技がである)。
 じゃあ、何に期待してるかって言うと、上映予定の35本の中に、金田一耕助シリーズの『悪魔の手毬唄』が含まれてないか、ってことなのね。
 昭和50年から始まった横溝正史ブーム、高林陽一監督・中尾彬主演の『本陣殺人事件』、市川崑監督・石坂浩二主演の『犬神家の一族』、野村芳太郎監督・渥美清主演の『八つ墓村』と、立て続けにその代表作が映画化されていったのだが、それ以前に横溝正史作品の映像化がなされなかったわけではない。
 それまでは原作発表の直後に映画化されることが圧倒的に多く、東横(東映)で松田定次監督・片岡千恵蔵主演の『三本指の男(本陣)』『獄門島(前後編)』『八つ墓村』『犬神家の謎・悪魔は踊る』『悪魔が来りて笛を吹く』『三つ首塔』の七本が制作された。私はこのうちの『獄門島』と『三つ首塔』を見ているが、中見はまあ、探偵映画と言うよりは現代版遠山の金さんである。洋装の金田一は原作の金田一のイメージとは似ても似つかないと評されがちだが、さすがは名優片岡千恵蔵、キメの時代劇調ケレン味たっぷりの演技はともかくとして、普段は知的で落ちついた、探偵らしい演技を披露している。
 その間、他社も岡譲司・河津清三郎・池部良らを金田一耕助に配して映像化していったのだが、本家本元、東映は片岡千恵蔵の老齢化に伴い、新金田一耕助の白羽の矢を誰に立てるかを模索していた。
 で、東映金田一耕助シリーズ最終作の金田一に扮したのが当時はド新人の高倉健だったのである。今でも高倉健はホントに芝居がヘタなんだが、当時、今にも増してどれだけひどかったかは、その数年後に主演した『飢餓海峡』ですら、内田吐夢監督がそのへぼい演技に何度も激昂したというエピソードにも表れている。確かに『飢餓海峡』の高倉健はただのチンピラだ。刑事のムードがまるで出ていないが、私はギリギリ「本物の刑事ってチンピラっぽいのかも」と自分を騙して見ることにしている(^^)。
 片岡千恵蔵版の金田一シリーズはたまにテレビに流れることもあるのだが、高倉健の『悪魔の手毬唄』は今まで一度も見る機会がなかった。もちろんビデオ化もされていない。聞けば、原作の連載途中で映画制作が決まったので、原作を使ったのは冒頭の部分のみ、ストーリーは全く別ものだという。千恵蔵のあとをうけて、プレッシャーから高倉健がどんなに右往左往しているかを確かめてみたいというイジワルな楽しみもあるが、何より、その「改変」がどんなものか見てみたいのである。
 残念ながら、1月のラインナップに『手毬唄』は含まれていない。2月以降にも果たして上映されるかどうかは定かではない。『網走番外地』以前の主演作品については高倉健自身、記憶から消したいだろうから、寄贈作品の中に入ってないこと自体考えられるのだが、私ゃ今さら『幸福の黄色いハンカチ』なんかにゃ興味ないのよ。
 黄金期の日本映画がゴミのような無数のプログラムピクチュアによって支えられていた事実を認識するためにも、名作(と言うほどのものって高倉健作品には少ないけど)偏重のラインナップじゃなくて、珍品を混ぜて上映してほしいんだけれど、難しいかなあ。
 『手毬唄』以外にも『ギャング忠臣蔵』とか見たいんだけどね。


 『新世紀エヴァンゲリオン』のDVDがリニューアルされることになったとか。ガイナックスのホームページによると、「最新のデジタル技術を使い、10ヶ月に及ぶリマスター作業により、 画質が飛躍的に向上、さらに音声も5.1chのサラウンドへ」ということであるから、特に新作製作、というわけではない模様。
 未だに『エヴァ』で食わなきゃならんのかなあ、意外と新婚生活でモノイリが多くて困ってるのか庵野監督、と勝手に邪推しちゃってるが、『ラブ&ポップ』『式日』と、どんどんマイナーな方に進んで行ってる監督の、これは方向修正かもしれない。ガイナックス自体も久しく大ヒットってのがないし、次の企画のための資金集めとしてリニューアル版を庵野監督に依頼したって事情もあるのかもね。これも邪推。
 もっとも、ファンの間に冷ややかな反応は多いんじゃないかと思う。テレビシリーズでマクガフィン(客の気を引くもの。ヒッチコックの造語だけれど、ハッタリやコケオドシと考えてもらってもいいかな)撒き散らしたあげくのシメが映画版ラストの「気持ち悪い」だったものなあ。あのとき怒り狂ったファンは今回のリニューアル版に関しても「ケッ」てな見方するんじゃないか。誰とは言わんが、「エヴァはもういい」と嘆息混じりに言ってた人も知ってるし。
 でも、あのとき別に怒りもせず、かと言って絶対信奉者にもならず、ただフツーに一アニメ作品として『エヴァ』を楽しんでいた私から見れば、リニューアル版が出ることについて別に文句もない。『ヤマト』や『ガンダム』の続編を作るのとは意味合いが違うんだから。それともかつてのファンは、これが続編製作の伏線と考えて怒り出すのかな? 続はねえよ、インサイドストーリーの可能性ならなくもないが。アレの続編作ろうと思ったら、『バイオレンス・ジャック』方式しかないって(^_^;)。
 ごく冷静に考えたら、『エヴァ』はセルアニメのデジタル化やCGアニメがフツーになる直前の、手描きアニメ最後のヒット作だったのである。それをリニューアルすることにどんな意味があるのか、それを確かめるためにもこのプロジェクト、期待して悪いことはない。未だに『エヴァ』と聞いただけで、まるでかつての古傷に触れられたかのように過剰反応してしまう方が恥ずかしくはないかな。
 唐沢俊一さんも何かで語っていたが、あれは単純なマクガフィンで成り立ってたアニメなんで、謎解き遊びをあくまで「ごっこ」として楽しむのならばともかく、SFアニメのエポックのように過大評価するのは、鑑賞の仕方としては稚拙に過ぎるのである。あの騒動のおかげで、いいトシしたオタクの鑑賞眼もたいしたこたあない、それどころか、ロクにアニメも映画も見てないってことが露呈してしまった。確かに、クソつまらん美少女&ロボットアニメしか見てなきゃ、映画を見る目なんか育ちゃしないわな。
 と同時に、「信者」作るのって簡単なんだなあ、とも思った。もちろん、そういう信者を作ることが庵野監督以下、ガイナックススタッフの本意でなかったことは明らかなので、ああいう客をすっ転ばすような最終回を作ったわけなんである。
 だから、言っちゃ悪いけど、あのラストに腹を立てた人はただのマヌケなんである。マクガフィンにもともと「正解」なんてものはないんで、そこに深遠な何かを見出そうとしても、そりゃ、「ご苦労様」としか言いようがない。
 私もあの騒動で気の狂った人に関わっちまったことはあるんで、ここでまたその手の人たちを刺激するようなことを書いちゃうのは避けた方がいいんだろうが、私も別の意味でバカだからさ(^o^)。未だに腹立ててる人見てると、いい加減、自分のバカ認めて、も少し映画見ろよ、でないとほかの作品に似たようなハマり方してまた「裏切られたあ!」とか叫ぶことになるぜ? と言いたいのである。あのとき腹を立てたってことはさ、自分が実は「ものにはたくさんの表現の仕方がある」っていうことを知らない、偏狭で自己中心的かつ差別的な価値観しか持ってなかったってことなんだから。周りにそんなのがウジャウジャいたら、わしゃ鬱陶しいんだよ。
 あのさ、女に惚れたって、その女が自分を好いてくれるとは限らないんだよ? それが「世間知」ってものなんだから、アニメが自分の思い通りの展開になるなんて思わないこと、『エヴァ』を大傑作だなんて言うつもりはないけれど、少なくとも「失敗作」なんかじゃないよ。アンチエヴァのみなさん、リニューアルの機会に見返してみたらどうかな?
 ついでに言っとくが、あのとき、うちのしげも『エヴァ』はフツーに楽しんで別に狂ったりしなかったよ。だから、狂ったやつはうちのしげ以下(^o^)。


 長いこと修理もせずに放置しておいた寝室の天井の壊れた電球、しげが「いい加減で修理頼もうよ」と言うので、仕事帰りに近所の「ベスト電機」へ。
 ビデオデッキもついでに修繕に出そうかと思ったが、どうせだからDVDレコーダーに変えちゃおうと、品定め。実はすぐに買うつもりはなかったんだけれど、特価品があったので、ソニーのDVD−RWを購入。ソニー好きのしげに合わせれば、これしか買えない。HDD内蔵のやつ、パナソニックしか売ってなかったし、ちとばかし値段が高かった。これはまあ、来年買えばいいか。

 博多駅に回って、バスセンター上の紀伊國屋で本とDVDを買う。
 ついにというかやっとというか、収録映像にミスがあったと言うことで発売延期になっていた『黒澤明DVDボックス』1巻を買ったのである。これで『七人の侍』がいつでも見られるというのは嬉しいなあ。
 あと、東京旅行に向けて、ホテルガイドや旅行案内本を買った。もっとも今回のスケジュール、結構タイトになりそうなので、そうそううろつけそうにないのだが。遊ぶにしても渋谷・原宿近辺に限定されそうな気配である。

 紀伊國屋の上の食堂街、焼肉屋の「大韓苑」で食事。
 もちろんしげが「焼肉食いたい」と言ったからである。久しぶりにこの店に入ったのだが、相変わらず照明が暗い。肉は美味いのだが、こう暗くちゃ、肉が焼けてるかどうか、私の視力では判別しにくいのである。比較的厚切りの肉を出してくるので、つい焼きすぎちゃうのだ。
 肉を食いすぎたせいか、しげ、気分が悪いと言い出す。だから毎回三人前食ってるからだよ。結局電話連絡を入れて、今晩の仕事は休みを取ったが、「食いすぎで休み」って、いいのかそんなんで。


 帰宅して、テレビドラマ『天才柳沢教授の生活』最終回を見る。
 これもなんとなく今まだ見てなかったんだけど、やっぱり全然面白くないな。
 松本幸四郎のどこがマズイかと言うと、原作の「線目」を表現できていないことである。んなムチャな、と思われる方もおられようが、別に私ゃ目を閉じて演技せえ、と言いたいわけではない。マンガの表現というのは一つのカリカチュアであるから、そこれが何を象徴しているものかを読み取った上で生身の演技に転換しなければならないのである。それをし損なったマンガの実写ドラマ化はことごとく失敗してしまうのだ。
 柳沢教授は人に関わらない。いや、本人は関わっているつもりなのだけれど、その関わり方には常にズレがある。そのズレに、関わられた人たちはイキリ立ち、そこに騒動のタネが生まれる。しかし、何も見ていないように見える柳沢教授の目が、実は相手の気付かぬ真実の心を射抜いていることに、あとになって人々は気付くのである。コミュニケーションを拒否しているのに、なぜかそこに「絆」が生まれてしまう、あの「線目」はそういう目なのだ。
 松本幸四郎、セリフはそれなりに気遣っているが、目線をどうするかまで意識して演技をいない。アレは生身でやるときには視線を相手と会わせちゃダメなんだよなあ。そこにはどうしてもコミュニケーションが生まれてしまうから、目線は常に「逸らし」ていなければならないのだ。
 コミックの映像化にはそれくらい奇抜な演出を案出しなきゃいけないんだけど、そこまで考えてドラマ作ってるやつっていないんだよなあ。


 山本弘さんところであまりに話題になっていたので、ついに『アルマゲドン』を見ようと「ツタヤ」に行く。レンタルにしようと思っていたが、生憎貸し出し中。けれど、決意してここまで来たのだから、手ぶらで帰るのは癪に障ると、ビデオテープを借りるのはなんだか「負けた」気がするので(なんでや)、もうめんどくさいやと、DVDを買ってしまう。2500円と安かったからだが、そのカネすら惜しいと思えるほどに悲惨な出来であるのか。
 でもすぐに見るのは怖いので、今日はとりあえず買ったばかりのDVD『七人の侍』を途中まで見て寝る。こちらの感想は後日に。


 ナンシー関『耳のこり』(朝日新聞社・1050円)。
 『小耳にはさもう』シリーズ、2000年から2002年初頭にかけての分を収録。
 すっかり疲れてるのか、消しゴム版画は殆ど誰も似ていない。この絵の荒れも死の予兆だったのかなあ。私の昔の日記を読み返してみると、晩年のナンシーさんについて「エッセイに元気がなくなってる」旨を記した箇所があって、ちょっと胸が苦しくなってしまう。
 エッセイの方は絵ほど荒れてはいないが、やっぱり「疲れてはいるなあ」と思う文章が目立つ。
 芸能ネタに関して語るときに、自ら封印していたという「くだらない」「視聴者をバカにするな」、この言葉を、ナンシーさんはあえて「松田聖子&郷ひろみ」のデュエット曲に対して使うのである。封印していた理由は簡単で、「芸能ネタはそもそも全て下らない」「誰でも言える考えなしの批判」ということだろうが、それ以外に何も言葉が思いつかないほど、ナンシーさんは脱力していたのだろう。これはもう「毒舌」ではない、ただの「愚痴」である。
 悪口や毒舌はたとえ誰かの心を傷つけることがあるとしても、その対象に対して関わろうとする意志の表れである。「仕事だから仕方なく書いてる」感じのエッセイに惹かれることはない。そこまで落ちてはいないが、以前の溌剌とした文章を知っていると、ナンシーさんの文の疲れはやはり「凋落」と映る。
 ヤワラちゃんの「最高で金、最低でも金」というフレーズにツッコミを入れて「オリンピック名言に認定だ。はやらないかなあ。『最高で板東英二、最低でも板東英二』とか」と書いてるけど、しげには異常に受けたこのセリフ、私には「切れのないツッコミ」としか映らない。
 もうナンシーさん、突っ込んでるようでいて、一歩引いて苦笑いしてる感じなんだよね。「はやらないかなあ」というのは、「この人に突っ込むのはもう私ゃ諦めたよ、誰か代わりにやって」ってことだし。
 視点が鈍くなってるわけではない。「野村沙知代タイホ」時に、街頭でされた「野村前阪神監督についてはどう思いますか」というインタビューの答えが一様に「女房の管理もできないのに、選手の管理ができるわけがない」と答えていたのを、ちゃんと「これ、正しい言いぐさなんでしょうか。間違ってると思うけど」と指摘しているのだ。ただ、その口調の「弱々しさ」にも気付いていただけると思う。
 未だに寂しさを覚えずにナンシーさんのエッセイを読むことができない。そんな読まれ方、ナンシーさんはされたくはないだろうけれど。

2001年12月11日(火) 夢の宮崎で盆踊り/『伊賀の影丸/邪鬼秘帖の巻(下)』(横山光輝)ほか
2000年12月11日(月) デジタルビデオ、どれがいいか?/『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版』5巻


2002年12月10日(火) 頑張れ爆走ァ帖弔劼い佞Α進絃呂疲れてヘロヘロだけどカンベンしてね/映画『ゴジラVSモスラ』ほか

 警備のため職場に居残り。
 帰宅が8時を過ぎたので、しげとはすれ違い。
 こういう小さな小さなヒズミが、澱のように溜まっていってやがてはリコンへと雪崩れこんでいくのである。早いとこ今の職場から離れよっと。何か大きなミスの一つでもすれば一発なのだが、やりすぎるとクビになるしな。いや、別に何か策略を働かせなくても自然になにかドジは踏むものなのである。重要書類をなくすとか(^_^;)。
 しげと一緒に食事はできないので、コンビニでチキンカレー・オムライスを買って食う。せっかく鴉丸穣が部屋を片付けてくれているので、ゴミが散らからないよう、袋に入れる。当たり前だ。


 第23回日本SF大賞が、古川日出男『アラビアの夜の種族』(角川書店)と牧野修『傀儡后(くぐつこう)』(早川書房)の2作に決定。
 しまった、まだ読んでないや。去年の『かめくん』は読んでたんだけどなあ……って、文庫になるまで本を買わない方針だと、新作はなかなか読めないのである。昔に比べて文庫化のサイクルが短くなってるとは言え、それでも1年程度は待たないといけない。たまに二年待っても三年待っても文庫化されず、待ちきれなくて買った直後に文庫化、という悲しい目に何度もあった(T-T)。ちゃんと待つから、早いとこ文庫化してくれ。


 テレビで『踊るさんま御殿』を見ていたら、また千石規子さんが出ていた。しかもやっぱり隣に瀬川瑛子さんがいる。千石さんが出演してるときは瀬川さんに介護を、という図式が成り立っているのだろうか。
 ドラマ『アルジャーノンに花束を』、最終回一回前。
 でも首尾よくユースケ・サンタマリアはボケ出して、けーかほーこくに最後のヒトコトを書きこんだ模様。ならホントはこれで最終回じゃん? あと一回あるってことはつまり余計なドラマを付け加えるってことだろうな、お涙頂戴の。
 すっかり見る気をなくしちゃったので、来週はもういいや。しかしこのドラマを見て「SFってこんなもん」と思われたら悲しいよなあ。まだ昔の『NHK少年ドラマシリーズ』の方が透徹した空気があって、出来がよかったよ。なんだかこのドラマは役者同士の演技も演出も見てるファンもベッタベタに甘えてる感じである。


 夜、テレビで『ゴジラVSモスラ』をやってたので見るともなしに見るが、これが平成シリーズで一番ヒットしたってのは情けないよなあ。
 冒頭の安っぽいインディ・ジョーンズもどき展開も腹が立ったが、一番腹が立ったのはインファント島に土人がいないことだったな。コトナカレで作られた映画のどこが面白いかね。
 今見返してみても、ストーリーはバカだし、役者の演技はカッコつけばかりで見るに耐えないし、特撮はメリハリが利いてないし、平成シリーズの中でも出来の悪いものの一つだ。モスラのような怪獣と言うよりファンタジーとして見せる必要のキャラクターを描くには、設定にもっと説得力を持たせないといけないのである。バトラ要らないじゃん。
 平成シリーズの新怪獣が一匹も復活していない事実を、東宝はもっと真摯に受けとめないといけないんじゃないかね。

2001年12月10日(月) “神様”を読むこと/『SFJAPAN vol.3 冬季号 手塚治虫スペシャル』ほか
2000年12月10日(日) 外見でしか人を判断できないヤツ/『あずまんが大王』1・2巻(あずまきよひこ)


2002年12月09日(月) 頑張れ爆走ぁ身しい言葉のひと/『ぞうくんとりすちゃん』(藤子・F・不二雄)

 今日は皇太子妃雅子さまの39歳の誕生日だとか。これから1ヶ月弱は私も雅子さまと同い年。別にそれで嬉しいとか言うこともないんだが。
 雅子さま、東京・元赤坂の東宮御所で記者会見して、質問に対していちいちご解答なさっているのだが、いつも思うのは、雅子さまに限らず、皇族の人々のその話ぶりのあまりの類似性である。
 無難なことしか喋れない、というのはその通りなのだろうが、例えば結婚に際しての皇后陛下のかつての発言と、今の雅子妃の発言のそれとを比べてみると、どちらがどちらだかほとんど区別がつかないほどなのである。
 それは、無個性、というより無意味ですらある。
 今回も、北朝鮮の拉致問題について「被害に遭った方々、ご家族の気持ちを思うと本当に胸が痛む」と語られていたが、これほど紋切り型の発言もあるまい。しかし、それを「心が篭っていない」と見る日本人はあまりいないだろう。恐らくは日本人の大多数が、雅子さまと同じ感想を持ち、その言葉に感動し、そして同じように胸を痛めて、それだけで終わるのである。悲しみが募ったとて何かができるわけでもなく、何もしないで、今日と同じ明日を過ごしていく。
 その意味では、雅子さまもまた実に日本人の「象徴」であらせられるのだ。
 そんな無意味な言葉でも、亡母は「ああいう人がいてくれなければ困る」と生前言っていた。どんなに世の中が乱れようと、人の心が汚れて行こうと、あのような「模範解答」を清らかに述べる人がいてくれれば安心できるのだそうだ。
 それがただの幻想であることはハッキリしているが、結局人間は、宗教を信じない者でも何らかの幻想にすがりつかなければ生きて行けないのである。それを自覚することには一抹の寂しさを覚えるが、それもまた次の瞬間には過去の記憶である。
 私が信じてるものはなんなのだろう。アニメか?(^_^;)
 東京はちょうど、大雪である。何かを流し落とすための雪だろうか。


 テレビ、『子連れ狼』の最終回をようやく見る。
 今までの回を見逃してたので、どんなもんか見てみたのだが、あくまで第1部最終回ということで、柳生烈堂との決着はつかず。
 ……いやね、ここしばらくの時代劇の中で一番ひどいものを見たって印象だね。
 北大路欣也が拝一刀に見えないってだけじゃない、柳生烈堂も夏八木勲って、いったいどこから発想したキャスティングなんだ? 原作の持ってる迫力のカケラもないぞ。
 殺陣は少しは見られるかと思ったが、たった一回の鍔競り合い、火花を散らしただけ(明らかにバレバレの合成の火花が白ける)でもう痛み分け。ふざけてるのか?
 いや、それよりもっとひどいのは、前田愛の超大根演技。ほとんど突っ立ってるだけで芝居にも何にもなっちゃいないし、時代劇のセリフが板に付いてないどころか、小学生の学芸会並のひどいセリフ回し。あれならウチの役者のほうがナンボかマシだ。妹の前田亜季との演技力の差が天と地ほども違うぞ。
 なんだかムチャクチャ腹が立っちゃったので、口直しにと思って、昔の若山富三郎版の『子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる』をビデオ録画してたのを見返して見たが、これも若山富三郎が太り過ぎてて、拝一刀のイメージではないのであった。カメラワークが悪くて、殺陣もきちんと撮れてないしなあ。


 なんだか疲れてしまったので、日記も書かずに寝る。
 昨日はせっかく更新急いだのに、また逆戻りである。


 絵本、藤子・F・不二雄『ぞうくんとりすちゃん』(小学館・1470円)。
 藤子さんが1974(昭和49)年に『めばえ』に連載した「文章のないお話絵本」の初の単行本化。
 絵本とは言っても、内容は4ページの4コママンガ。
 例えばヒトコマ目でりすちゃんが風車を持って立っている。
 フタコマ目でぞうくんが鼻から息を吹き出して風車を回してあげる。
 サンコマ目で息を吸いこんだぞうくんの鼻に枯葉が舞い落ちてくる。
 ヨンコマ目でクシャミをしたぞうくんの鼻息で、風車もろともりすちゃんも吹き飛ばされる。
 幼児向けとは言え、オチの付け方はいかにも藤本さんらしい。
 こういう埋もれた作品が、他にもあると思うんだよな。小学館が一番版権持ってるんだから、出し惜しみしないで全集を出してほしいものである。安孫子さんと合作したものの復刻は難しいだろうけれど。

2001年12月09日(日) 短いけどともかく更新/アニメ『サイボーグ009』第9話「深海の悪魔」ほか
2000年12月09日(土) 今日はちょっと食いすぎた/『分化祭ウラ実行委員会』1巻(江川達也)ほか


2002年12月08日(日) 頑張れ爆走/変わるわよ♪……何が?/DVD『WX掘ゝ‘扱抻.僖肇譽ぅ弌治魁

 晴れて「ゴジラ女優」の仲間入りを果たした釈由美子、釈由美子、高橋ツトム原作のマンガ『スカイハイ』(未読だけど面白いのかな?)のドラマ化(テレビ朝日系1月17日午後11:15よりスタート)でも主演を張ることになったそうだが、そのときのコメントが振るっている。
 「私自身も霊感が人より少し強い。この台本を読んでいると、そばに(霊が)いるんですよ。興味があるのか、応援してくれているのか…」。
 天然なのか、そういうキャラとして売ろうとしてるのか判然としないが、こういうキャラは役者として大切にしていってもらいたいものだ。いや、マジで「神懸り」的な人って、伸びるんだわ。もともと「演技」ってもの自体が「神降ろし」から始まってるからね。大竹しのぶや荻野目慶子を見よってなもんで。もっともトシ食ってホントにアチラの世界に行っちゃうと、それはそれで困るんだけどね。


 えーっと、私もうそろそろオトコとしては枯れてきてるんで、若い女の子になんか興味ないんですが、セクシー巨乳軍団「R.C.T」ってのがいるそうですね。でもって、セガのイメージキャラクターになってチチの谷間をブリブリ見せてることなんて全然知らないんだけれども、巨乳アイドルのMEGUMIってのもいるんだそうですね。その二者が合体した写真集『キューティーハニー with MEGUMI〜女神計画〜』ってのが発売されたそうなんです。
 このR.C.T(森ひろこ、根本はるみ、小林恵美、北川友美、五十嵐結花)とMEGUMIが、キューティーハニーの七変化をコスプレするっていうんですけどね、それが「ポリス、ナース、スッチー、チャイナドレスほか」だって言うんですよ。
 でも永井豪の旧アニメをご存知の方ならおわかりだと思うんですが、キューティーハニーの七変化って、基本は以下の通りなんですよ。
 1.キューティーハニー(愛の戦士)
 2.如月ハニー(女子高生)
 3.ハリケーンハニー(レーサー)
 4.ミスティーハニー(シンガー)
 5.フラッシュハニー(フリーカメラマン)
 6.ファンシーハニー(デザイナー&モデル)
 7.アイドルハニー(国際線スチュワーデス)
 スッチーはいるけど、ポリスとかナースとかチャイナドレスはどこに? いや、七変化と言いつつハニーはいろんなのに変身してましたからね(エンゼルハニーとかコンバットハニーとか)、もしかしたらポリスとかにもなってたかもしれませんけど、コスプレ写真集を出そうってのにベースを押さえてないってのはどうもねえ……。
 いったいどの程度原作に忠実なコスプレになってるのか、永井豪ファンとしては気になってしかたがないんです。でも購入したりしたら、またしげが巨乳のねーちゃん目当てで買ったに違いないとか、私にあらぬ疑いをかけてくると思うんですね。もちろん私は妻にメロメロのベタボレなので、そんな写真集の女になんか興味は全く無くって、あくまで純粋に永井豪ファンとしてそれを見たいだけなんですけれど、しげの誤解を招くのがイヤでこっそり買ったりして、もし見つかったりしたら、やっぱり心のどこかにやましいところがあるんじゃないかって勘繰られると思うんですね。そんないやらしい気持ちは全然ないんですけれども。
 ですから、この世のどこかにとっても奇特な方がいて、「よしよし、それじゃあ、それをプレゼントしてあげよう」って人がいたら、これはさすがにしげも捨てたりなんかできないと思うんですが、いかにセチガライ世の中とは言え、まだまだ人と人との絆というか、義理と人情は消え去ってはいないと思うんです。もちろん匿名でこっそり送ってくださる人を募るような、そんなセコイまねはしようとも思ってませんので、私はただただ自分の運命を信じるのみなんですが、クリスマスも近いし、ちょっとくらいサンタさんに祈ってもバチは当たらないと思うんですが、いかがでしょうか。


 朝から『ハリケンジャー』『龍騎』『どれみ』ほか、アニメ・特撮三昧。
 もうどの話も最終回に近いなあ。でも漫然と見てるので、どこがどう盛りあがっているのかよくわからない。朝方はやはり脳細胞がよく働いていないのである。 
 『新婚さんいらっしゃい』を見てたら、夫が19歳、妻が17歳、一児ありという夫婦が出てくる。話はからっペたなんで面白くもなんともないのだが、桂三枝の聞き出し方もどうしょうもないくらいヘタで見るに耐えない。姿勢もハスに構えてて「こんなやつとマトモに会話できるか」という傲慢な態度がミエミエ、これが何十年もトークショーをしてきた芸人の取る態度か、と思うといささか呆れる。
 だいたい、この人は落語もトークも全然上達しないまま固まってるので、どうして人気が出たのか、私には未だによく分らないのである。本当に「オヨヨ」と「いらっしゃ〜い」の一発ギャグだけで凌いできたんじゃないかとすら思える。
 でも関西じゃ重鎮なんだろうなあ。こういうののさばらせとくと、関西の芸そのものが一段低く見られちゃうと思うけど、それでいいのか関西芸人の諸君。


 アニメ『ONE PIECE』第136話「ヤギの島のゼニィと山の中の海賊船!」。
 思い出したように見た感想書いてるけど、オリジナル編に入るとやっぱりつまらない。原作付きでもつまらないんだからそれも仕方ないかもしれないが、原作の味わいを出そうとして、無理やりルーティーンなギャグ(しょっちゅう騙されるチョッパーとか)を入れるのはもういい加減でやめたらどうか。マンガとアニメは別物なんだから、原作以上におもしろい展開にしたってバチは当たらんと思うんだけどね、それに触発されて原作の方も少しはドラマらしくなってくれれば言うことなしだし。


 『笑う犬の情熱』、ベッキーの「浜崎テンコー」ネタが笑える。
 まだ18だって言うけれど、ナンちゃんとの掛け合いの間がいいのだ。この子、コメディエンヌの才能があるんじゃないか。見る目のあるディレクターがきちんと使えばいずれ森光子レベルにまで行けるんじゃないかという期待すらしてしまう(若い人にはこの例えよくわかんないだろうが、ムチャクチャ誉めてるのである)。


 DVD『WX掘ゝ‘扱抻.僖肇譽ぅ弌治魁戞▲灰瓮鵐織蝓爾鯤垢ながら鑑賞。二種類あるうちの、出渕裕、とり・みき、ゆうきまさみの三者の対談を選択。
 映画の感想自体は以前に書いたけれど、やはり前半のディテールを積み重ねた描写の上手さには唸らされる。元の脚本はとりさんの話によれば相当監督によって書き変えられたそうで、冒頭、秦が野球試合でピッチャーをしているシーンも高山文彦監督の創案だとか。
 初めから刑事だとは気付かれないようにした演出だと言うが、なるほど細かい。まず、主人公に感情移入させる方法としては基本であろう。もっとも最近の若い人の鈍い感受性では、これらの細かい演出がどの程度効果を奏するか、疑問ではあるが。マイナス点はせっかくのその演出が、ゆうきまさみの亡羊としたキャラデザインによって消されちゃってることだが。
 やっぱりどうしたって、視点は杖をついてる久住の方に行ってしまうのである。とりさん、ハッキリと「久住が杖をついてる理由を語るつもりはなかった」と言明。やっぱりねえ。創り手の意図がちゃんとこちらに伝わった時の快感は、これを味わったものにしかわからぬものだろう。本作を「説明不足」と捉えた観客は結構いたようだが、わっかりやすいテレビドラマに馴らされちゃって、鈍感になってんだろうね。
 それは所詮は個人個人の感受性の問題だから、どうにもならないことなんだけれど、「その作品が理解できない=駄作である」という短絡的な思考を持つのはやめようよ。自分のほうがアホって場合も多いんだからさ。
 もっとも、ディテールにこだわってると言っても、意味ないものもやっぱりある。「図書館のシーンが出てくるのは『ガス人間第1号』」だそうだが、そんなんオタク以外にわかるかっ! で、わかったところで何の意味もない(^_^;)。楽屋落ちにだって芸はいるんだから、あまり80年代的なパロディ感覚を引きずって脚本書いたってなあ、と思うんである。
 「警察会議のシーンはやたら『パト』のあと、真似された」との発言もあり。やっぱり『踊る大走査線』のこと、『パト』のみなさん、気に入ってなかったんだな(^o^)。もちろん『パト』だって岡本喜八の『独立愚連隊』シリーズが根底にあるのだけれど、決してまんまパクったりはしてない。創意工夫の感じられない『踊る』は私から見たら全然つまんないんだが、あれがウケたってことはやっぱり世間の人たちって、日頃、映画もアニメもロクに見てないんだね。それで堂々とモノを言う傲慢な姿勢が情けないんである。

2001年12月08日(土) レディのタメのオタクスベース/映画『おいしい生活』(監督ウディ・アレン)
2000年12月08日(金) ぐるぐるにゃーぐるぐるにゃー/映画『インビジブル』


2002年12月07日(土) 頑張れ爆走◆振元い鮓討嵒屋/『全日本妹選手権!!』3巻(堂高しげる)

 土曜日、鴉丸嬢の片付けも今日で三度目である。
 片付けても片付けてもゴミが減らないので、鴉丸嬢も随分神経をやられている模様。これ、悪口じゃなくて実話ね。
 ペットボトルの飲みかけのお茶が腐っていたので、中身を捨てて洗い、新しいお茶を入れ直して冷蔵庫にしまっておいたら、鴉丸嬢、それを見つけて、けたたましく笑い始めた。
 「あはははははははは!」
 「ど、どうしたの!?」
 「捨てろよ、そんなの!」
 「いや、中洗ったから大丈夫だし……」
 「あはははははははははは!」
 笑いが止まらなくなっちゃったらしい。
 腹を抱えて苦しげにひ〜ひ〜言っている様子を見てるうちに、段々と怖くなってきた。だって目がマジで逝っちゃってんだもの。
 確かに鴉丸嬢の言う通り、もう捨てたって構わないのだが、それを指摘するのに大笑いするというのは明らかにキている。
 逃げるようにソロソロと後ずさりすると、パソコンの椅子に座って黙々と日記書きを始める。ヒステリーを起こした女性の近くほどオソロシイものはない。
 けれど、ウチに掃除に来たらみんな神経に異常を来たすってジンクスが出来たらいやだなあ。

 鴉丸嬢が来てくれるまでの平日の間、少しでもしげが苦労をかけまいと片付けをしていたかと言うと、もちろん全然しない。やはり人でなしである。
 今日は其ノ他君もやって来て、粗大ゴミに出すとカネがかかっちゃうソファを解体してくれる。ベランダに出て「このっ!」とか言いながらバラバラにしていく様子を見ていると、男の子だよなあ、と思う。
 でも、もともとこのソファ、家が狭くなるってのに無理やりしげが買ったものなんである。しかもソファとして使わずにどんどん荷物置きにしていったのだ。こういうもったいない捨て方をするくらいなら、初めから買うなと言いたい。
 3週間の労働の甲斐あってか、ほぼ部屋の片付けは終了。広い面積が使えるようになる。全くありがたいことであるが、感謝する相手は鴉丸嬢と其ノ他君に対してだけで、しげにではない。しげは卑怯なだけである。
 頼むから、こんな夏休みの宿題を最後の3日で片付けようなんてマネ、もうしないでくれ……と言いたいが、頼んでもどうせまた無視するのだ、こいつは。
 「自分の妻をコントロールできないのは夫のせい」と非難される方もおられようが、心の底から腐ってるやつには何をどう言ったところでムダなんである。「結婚」した時点で、しげは私に対して「どんなに被害を与えたって構わない」と思っちゃってんだから。実際そう公言してるし。
 しかも「イヤなら出てけ」と私に言うのだ。そりゃどっちのセリフだ(T∇T)。


 片付けの間、しげは自分のメシを外で買ってきている。もちろん、私の分まで買ってきてくれるような優しさはない。
 仕方ないので、自分で三食、一人でカレーを作って食う。
 気分はサビシイを通り越して枯淡の境地に入りつつあるような。なんとなく俳句でも詠みたくなったきちゃったよ。あははは……。


 アニメ、『クレヨンしんちゃん』「こたつから出たくないゾ」「寒い朝でもジョギングだゾ」の二本。
 アニメ見ながら、部屋は片付いたが、コタツは出してないな、と気づく。
 やっぱり冬はコタツだよな、と思うのだが、しげは「どうせ荷物置きにしかならないし部屋が狭くなるし」と言って出そうとしないのだ。
 だから、荷物だのゴミだのが出たら、その都度片付ければいいだけじゃん。結局、家事の手を抜きたいだけなんだよなあ。


 ZUBATさんの名前で、添付ファイルが送られてくる。
 こちらから何かを頼んだ覚えもないし、本文が全くないので、これはウィルスかも、と思い、念のためZUBATさんに連絡を入れる。
 伝言をしておいたら、折り返し連絡が入って、「何も送っていませんよ」との返事。どうもどこぞの誰かのパソコンがウィルスの被害にあっているらしい。
 と言っても私はウィルスについての知識なんてないから(一応ウィルスバスターはしげがインストールしてくれてるらしいが)、どこにどういう被害があって、どう対策を取ればいいやら見当がつかないのである。ともかく添付ファイルは削除。これをお読みの方で、「誰それから謎のファイルを貰った」ということがありましたら情報をお寄せ下さい。つきあわせてみれば、どこのパソコンが元凶なのか、見当がつくかも。


 マンガ、堂高しげる『全日本妹選手権!!』3巻(講談社/アッパーズKC・540円)。
 てっきり今年のオタク大賞はこれだと思ってたんだがなあ。と言うのはウソ(^o^)。
 でも岡田斗司夫さんが強力にプッシュしてたし、候補の一つではあったのではないかと思う。しかしよく3巻まで続いたね。
 同人ヒステリー女騒動も記憶に新しいし、これだけオタクをからかってたら、他にも何か物議を醸しちゃうんじゃないかと思っていたが、作者の後書きを読むと、やはり単行本に収録できなかったネタがあった模様だ。
 アッパーズ本誌を読んでないんで、初めはなんのことだか分らなかった。
 こういうときに役に立つのが2ちゃんねるである(^o^)。検索かけて漫画版を調べてみると、ちゃんとありましたね、『妹選手権』スレッド。さすが2ちゃん、目が行き届いてる。
 それによると、154ページでエロオヤジが操とエンコーしようとしているカット、連載中は『世紀末リーダー伝たけし』のキャラだったそうである。うっひー(゜∇、°)。なるほど、確かに単行本化はしにくいだろうねえ。っつーか、まず雑誌に掲載されたって時点でスゲエよな(^_^;)。しかも他社のマンガだしねえ。想像だけれど、集英社から講談社にクレームが来たんじゃないかなあ。
 さて、そういうウラ事情を知っちゃうと、次のコマの清美の「ハハハハ……こりゃピッタリだ!!」のセリフが実に生きてくる。恵美の「単行本バージョンですね?」も改変を余儀なくされた作者の悔しさがさりげなく表れている。
 他人のキズをムヤミに抉ったりするもんじゃない、というご意見の方もあるかもしれないが、堂高さんは同業者が犯した犯罪について怒っているだけである(本人は「愛」と言い張ってるようだが)。いささか直截的に過ぎる嫌いはあっても、その罪を露骨な形で描くのは正当な「告発」であろう。これって当然の反応じゃないのかな? それとも堂高さんを非難したい人はどんな犯罪者に対しても寛容になってやれって言いたいのかね? 連続強姦魔にも連続殺人鬼にも?
 政治漫画じゃ政治家のスキャンダルを戯画化するのは当たり前だし、芸能人の下ネタがからかわれることだって珍しいことじゃない。マンガ家だけを特例のようにそうやって保護するってのもおかしな話だ。揶揄されても仕方がないことを島袋さんはしたんだって認識は、この「たけし」ネタを「規制」した人にはなかったのかねえ。
 けど、このネタが規制を食らったってことは、確実に島袋光年、集英社は復活させる気でいるな? チト甘くないか? 更生の機会を与えるのが悪いとは言わないけれど、過去を「無かったこと」にしていいってわけじゃないからな。そこ、勘違いするなよ集英社。

 中身に触れるの忘れてたが(いつものことだが)、またもやアブナい妹が登場。ヤンキーだけど「サンデー」フリークの長瀬亜紀、メカフェチお嬢様・連城明日香、関西キャラ萌え娘・遠野愛。テコ入れが必要なのかねえ。このマンガに……と思ってたら、三人出した直後に『モーションコミック』(私も全巻持ってるよ)とか「妹戦隊」とか「お日様くんタイホ」ネタとか、濃い&ヤバネタのオンパレードになっちゃってたから、好き勝手するたるのテコ入れだったんだろうな、やっぱり。
 「品のないパロディマンガ」と貶すのは簡単だけれど、某声優に対して「勘違いして『アーティスト宣言』とかやらかして声優の仕事をおろそかにしたらアカン」とか、「ムカつくのが『アニメは夢があっていい』とかいう安いコメント!! 頭悪そうなタレントに限って『アニメ=夢』みたいに安易にククりやがるのよね」とか、「オタクのほうも安易にマスコミ批判するだけじゃなくて自分のフリも見直したほうがいいと思うな」とか、チラホラとフザケてるだけじゃないなあ、とわかるセリフが散見するのである。「オタク」とか「同人女」というククリの中にヌクヌクと安住してヨシとしてるヤカラは、いっぺんこのマンガ読んでみたらどうだろうか。それで腹を立てずに冷静に読めたらまだ「更生」の余地はあるんじゃないかと思うが。
 しかし、堂高さんから見たら、もしかしてしげも「オレ女」に映っちゃうかなあ。こいつはただ単に「広島出身」だから「オレ」使ってるだけで、妄想の果てに立ち役に走ってるわけじゃないと思うんだけど。

2001年12月07日(金) なっまえっ、そっれっはっ、もっえっるっ、いっのぉちっ/『ガゥガゥわ−太』1巻(梅川和実)ほか
2000年12月07日(木) 仕事三昧、遊び半分/『虚無医院』2巻(林光默)


2002年12月06日(金) 頑張れ爆走 紳萋鷁麁本オタク大賞/『SとMの世界』1巻(ビーパパス・さいとうちほ)/『井戸の中の悪魔』(篠田真由美・秋月杏子)

 「第二回日本オタク大賞2002」が、以下のように決定。

 大 賞 ………… 株式会社 海洋堂
 赤熊賞 …………『千と千尋の神隠し』DVDソフト
 トップをねらえ!賞 ……『ほしのこえ』
 初夢ジャンボオタク賞 … HGUC RX-78ガンダムGP03デンドロビウム
            …『鉄騎』
 残念賞 …………『手塚治虫ランド』(テーマパーク)
 岡田斗司夫賞 … SFムービーセレクション第3弾『謎の円盤UFO』(食玩)
 唐沢俊一賞 …… ベータマックス
 眠田 直賞 ……『トータリースパイズ!』
 切通理作賞 ……『ぼくのなつやすみ2 海の冒険篇』
 氷川竜介賞 …… 雑誌「ネットランナー」付録『中華キャノン』
 鶴岡法斎賞 ……『忍風戦隊ハリケンジャー』のウェンディーヌ
 米沢嘉博賞 ……『神罰』
 児玉さとみ賞 … ジョイまっくす(ニトロプラス広報)
 カンザキカナリ賞 ふたけっと

 毎回、楽しい賞を作ってくれるなあ、と感心する。
 『ほしのこえ』、ウワサによれば結構酷評受けつつの受賞だったそうだが、『トップをねらえ!』賞ってのはまさに皮肉だ岡田斗司夫さんが提唱したのかな。確かにSFネタとして考えた場合、『トップをねらえ!』第5話「お願い!! 愛に時間を!」とかぶってるのはわかるんだが、別にこのネタ、『トップ』の専売特許ってわけじゃなし、そうおちょくらんでもええやん、という気もしてしまうのである。
 もっとも、皮肉と言えば「手塚治虫ランド」の「残念賞」というのも皮肉の利き過ぎだとは思うんだが。一応、資金不足ゆえってことになってるらしいけれど、そんな単純なものじゃないよな。
 手塚治虫を神格視してディズニーと同列かそれ以上に扱おうって人間が結構いたりするものだから、いかにもそんなテーマパークが作れそうな気になったのかもしれないが、率直に言ってそこまで社会的な波及力のある人ではないし、イメージキャラクターとなるような作品も、ディズニーとは比較にならないほどに少ないのだ(既に「手塚治虫」って誰? とその存在を知らない若い人も多い)。アナタ、ヒゲオヤジやアセチレン・ランプの着ぐるみが遊園地の中を闊歩してるの見て、楽しめますかね(^_^;)。ましてや小山内桐人や変身後のトッペイがウロチョロしてたら子供は泣くぞ。もともと「テーマパーク」に向く漫画なんか殆ど描いてない人だってこと、手塚プロの連中も認識しとくべきじゃないか。「アトム」と「レオ」と「サファイア」だけで数々のアトラクションを持たせられるわきゃあないのだ。まだしも『スタジオジブリランド』の方が実現性があろうってものである。「ラピュタ」の崩壊を体感できる巨大なアトラクなんかがあったら、私なら3時間行列してでも入るがな(^o^)。

 それにしても大賞が「海洋堂」とはねえ。
 掲示板にも書いたことだが、確かに素晴らしいディテールのジオラマを食玩で展開したことを評価するに吝かではないのだが、「こんなん作ってどうするよ」というものも結構あるのだ。「鉄人28号」目的で買った「タイムスリップグリコ」だが、それを当てるためにムダにしちゃったものの中には、「牛乳配達のオート三輪」とか「学校給食」とか「旋風機」とかもあるのである。脱脂粉乳のミニフィギュアとか、作ってる方も虚しい気分にならんかなあ。どっちかというと、海洋堂製作の食玩の、ベストテンを作ってその最高傑作に大賞を挙げてほしかったなあ。細か過ぎるか。
 ちなみに、私が思う今年の海洋堂食玩ベスト3は、『銀河鉄道999』「鉄郎のかーちゃん(死に際の表情がいい……ってヘンタイか)」、『タイムスリップグリコ・鉄人28号』「正太郎くんと大塚署長(初期バージョンの正太郎くんの顔が最高!)」、『ゴジラ名鑑』「モスラ対ゴジラ(モスラ浮いてるし)」ってところだろうか。もちろん名作アニメシリーズや妖怪根付、手塚治虫も外せないんだけれどね。

 けれど、このラインナップを見て、「アレが入ってない」「アレが全く言及されてないのはなぜだ」って感想を抱く人も多いんじゃなかろうか。
 実は私もこの大賞のノミネート掲示板に『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ! 戦国大合戦』をノミニーしておいた。だからと言って、「どうして選考から漏れるんだ!」と喚き騒ぎたいわけではない。
 昨年、『オトナ帝国』が圧倒的指示でオタク大賞を受賞した(というより、『オトナ帝国』に受賞させるためにこの賞が新設されたようなもの)その翌年がまた『クレヨンしんちゃん』では賞のあり方としてどうか、という問題もあるし、第一、今回の『青空侍』は、オタク的マニアックな魅力とは全くベクトルが違っていて、まず「映画」としての魅力を評価すべき作品なのである。もちろんあの映画に全くマニアックな要素がないというわけではなく、侍の風俗、戦闘の描写などを「時代劇マニア」として評価することや、タイムスリップが起こる必然性に関してのSF的整合性の見事さに言及することは可能だろうが、さて、それをして大賞を与えるにふさわしい突出した要素として見てよいかどうか、という点については、当然、論議の対象になろうとは思っていたのである。まあ、全く初めから無視されるのも寂しいよなあ、という気持ちで書きこんだのだから、別に審査委員に目がないとか思っちゃいない。
 掲示板には他にも『おじゃ魔女どれみどっか〜ん!』40話や、『少林サッカー』などの書き込みがあったが、これらはどの賞にも滑りこまなかった。これらは確かにちょっと惜しいという気がする。吾妻ひでおの『スクラップ学園』復活を挙げてた人もいるが、これはいくらなんでもコア過ぎると言うものだろう(^_^;)。
 放送の様子は「輝け!第二回日本オタク大賞2002」と題して、
 第一部 2003年元旦23時〜24時
 第二部 2003年1月2日23時〜24時
 スカイパーフェクTV!279chほか全国一部CATVにて放送の「MONDO21」にて放送予定だそうである。元旦の、コタツで温まってミカン食ってテレビ見ての、だらけた夜の過ごし方はこれで決まりだね(^^)。今回から扶桑社から単行本も出るそうだから、放送でカットされるであろう過激な審査委員のやりとりはこちらでチェックされたらいかがか(それでもカットされるだろうしなあ)。


 また今日もしげ、「具合が悪い」と言って、朝送ってくれない。
 ここんとこ連日なので愚痴は省略。昨日の日記の文句をコピーして貼っておいていいくらいだな(^o^)。


 マンガ、ビーパパス原作・さいとうちほ作画『SとMの世界』1巻(角川書店/あすかコミックス・420円)。
 ビーパパス作、となっているが、実質これは幾原邦彦だろう。言わずと知れた『少女革命ウテナ』コンビによる新作である。……ということはこれもそのうちアニメ化……?(・・;)
 まあ、『ウテナ』の作者たちだからマトモなもの作るわきゃないってのはわかってるんだけど、なんつーか、タイムスリップもの+「真珠夫人」って言えばいのかな? 相当アブナイです、このマンガ(^_^;)。

 フランスに修学旅行でやってきた主人公の高校生、舞姫セカイ。彼女にはずっと思い続けていたクラスメート、御堂がいた。意を決して、TGVの中で自分の想いを告白した瞬間、列車は脱線事故を起こす。身を捨てて世界を守ろうとする御堂。セカイの意識は遠のき、再び彼女が目を覚ましたそこは、中世フランス、ルイ14世の統治する謀略と動乱の時代だった。
 見知らぬ世界に投げ出され、戸惑うセカイだったが、その奇妙な容姿(当然セーラー服である)と言動から、魔女だと疑われ、裁判にかけられそうになる。彼女の窮地を救ったのは、「S」と呼ぶ人形を大切に抱いている不思議な美少年、ソヴュール。彼が世界をこの時代に連れてきた張本人であったが、自らの素性とセカイをタイムスリップさせた理由については、口を固く閉ざして語ろうとはしない。
 やがて、王家の権力闘争に巻き込まれたセカイの前に、御堂とそっくりの男、マキャヴァリオが現われる。一瞬、御堂が助かっていたのかと錯覚し、心惹かれたセカイだったが、 彼が永遠の命を持ち時間を自由に移動できる「魔人」であり、この世界での数々の動乱を、不思議な術を駆使して陰から引き起こしていたと知って、恐怖に怯える。
 マキャヴァリオはセカイを「我が花嫁」と呼び、犯そうとする。それは、かつて「魔王R」が得ていたという万能の力「SとMの書」を手に入れるために必要な「儀式」だったのだ……。

 どのへんが『真珠夫人』なのかっていうと、セカイがしょっちゅう犯されかけてなんとか助かるってシークエンスね(^o^)。マキャヴァリオはどうやら真性の悪魔らしいけれど、何だかんだ言って、いずれセカイは犯されちゃうんだろうな。ソヴュールの助けってのがあまり役に立ちそうにないし、これから先何巻続くかわからないけれど、テレビシリーズにしたら毎回どうやって世界を助けるかに苦心するんじゃないかな(^o^)。しかし、ホントにそんな企画、通るのかなあ。通ったら面白いけれど。
 タイムスリップを繰り返して、毎回別の世界に行くってのもよくある設定ではあるけれど、バラエティな物語を期待はできる。ただし、少女ものだと飛ばされる世界が限定されて狭くなりそうで、せっかくの設定をうまく生かせるかどうかが心配。どうも時間移動はできても空間移動を同時にはできないらしく、フランスから外へは行けないみたいなんだよね。間違っても『タイムボカン』にはならんってことか。日本の過去じゃあ、あまり耽美な世界は描けないだろうし(いや、新撰組ものとかではアリかも)。
 一応悪の魅力のカッコイイ系と、愛玩タイプの美少年系のキャラを用意してはいるのだけれど(まんま『ウテナ』の暁生or冬芽と幹やんけ)、人気が出るかどうかってのが微妙だなあ、と思う。意外にあっさりと次の間で打ち切られちゃう可能性もなきにしもあらず。
 けど、別にセクハラ発言するつもりはないけどさ、少女マンガってもう少し革新してってもいいとは思うんだよ。24年組が台頭していったころから考えると、明らかに現実から遊離していって、御伽話の世界に埋没していってるマンガが増えてるしねえ。けれど現実として、年頃の女の子って、男の愛玩物にされる危険を常にはらんでるよね。セカイもこのままの展開だと、犯されながらも相手の男・マキャヴァリオを愛するようになりかねない。そうなっちゃったら男の思う壷じゃん? と怒る女性ファンも出てきそうだけれど、そんな虫のいいこと考えながら女を犯す手合いだって、実際に男の中にいたりするし、そんでもってホントに女が男を愛するようになっちゃう場合もあるのである。悲しいけど。
 そのあたりの描写がリアルなんで、もしかしたらこの物語、第2の「少女革命」を幾原さんが狙ってるんじゃないかな、とも思うのだ。犯されてもなお、少女は自らの魂を潔く誇らしく気高くして行けるものなのか。『ウテナ』ではそれに対する解答を「男に抱かれたあと、女に走る」という形で提示していたんでちょっとずっこけちゃったが(でもある意味説得力はある)。
 ともかく、この物語世界の意味について描こうと思ったら、2巻3巻程度では足りないということはわかる。できれば人気が出て、5巻、10巻と続いてほしいと思うんだけれど、難しいかなあ。
 

 篠田真由美原作・秋月杏子漫画『建築探偵桜井京介の事件簿 ^羝佑涼罎琉魔』(角川書店/あすかコミックスDX・546円)。
 ミステリーのコミック化、もうブームを通りこしてごく当たり前の感じになっちゃったけれど、取り上げられる作品が新本格以降の作家ばかりに集中しているのが不満なところである。マンガ家さんたちも松本清張や高木彬光や鮎川哲也や土屋隆夫などに目を向けてほしいものである。内田康夫でミステリを図られてもファンとしては困るんだよ。ふと思ったが、いかにも漫画化されそうな伊集院大介シリーズのコミックがないってのは、栗本薫が自作の漫画化を嫌ってるってことなのかな? 昔、コンタロウが『ぼくらの時代』をマンガ化したことがあったけど(同タイトルのシリーズとは別)、アレが気に入らなかったとかかなあ。
 それはさておき、篠田真由美初のコミック化であるが、やはり原作のコミック化は難しいねえ。いや、こんなアクの強い絵柄を原作読んでるときは想定してなかったのせいなんだけど。目はいつもどこかウツロ、異様に長いマツゲで、半開きの口の上唇だけを太い線で描くあの奇妙な絵柄は、どうやって生み出されたものだろうか。やっぱり同人誌あがりなのかな。顔の表情も角度も、コマ内での構図も固定化されてるので、ストーリーにダイナミズムが生まれていない。
 ただ、ヘタクソだと言うことはこれから発展途上のマンガ家さんだってことでもあるので、もう少し期待して今後を見て行きたいという気もする。コマワリのし方はそう悪くないからである。
 収録作は表題の『井戸の中の悪魔』と『迷宮に使者は潜む』の二本。どちらもトリックはそこそこ。これが「建築探偵」ものだという前提で読めばあっさりとネタがわかる程度のものだ。でも、だとすればもっと「建築物」に視点を置いた作画をすべきではなかったか。どうもキャラクターばかり描いてて、肝心の「建築」の描写がおざなりになっているのである。

2001年12月06日(木) 他人の日記ネタ。Aさんすみません(^_^;)/『ナジカ電撃作戦』MISSION 009/『韃靼タイフーン』2巻(安彦良和)ほか
2000年12月06日(水) 人は年6回風邪を引く/『冒険配達ノート ふまじめな天使』(赤川次郎)


2002年12月05日(木) 数年前までは忘年会なんて殆どしなかったなあ/『時代小説英雄列伝 銭形平次』(野村胡堂)

 我が永遠のアイドル、石野真子が政治家(兼、極真空手の元全日本王者(^o^))大西靖人と“不倫同棲”してたんだそうな。
 今でも2時間ドラマのキャストなどで「石野真子」の名前を見つけるとついついチャンネルを合わせてしまう私であるから、さぞショックを受けているのではないかとご心配の向きもあろうが(え? 全然してない?)、まあ、そんなショックは彼女がナガブチと結婚した時点で通過儀礼として済ましている。私もいいトシのオトナなのよん(キモイわ)。
 それにしてもナガブチの次が広岡瞬だったし、今度の大西さんて人もよくは知らんが、経歴見る限りロクなもんじゃあるまい。妻もいるのに熱烈アタックを繰り返したっていうから、昔、『狼なんかこわくない』や『恋のハッピーデート』に涙した口ではないのか(いや、私は泣いてませんよ。泣いてませんとも)。そんなん、ストーカーと付き合うのと変わらんぞ。石野真子、オトコを見る目がホントにないのね。
 アイドルからの転落人生というのはよくある話だけれど、同期の榊原郁恵の幸せぶりを思うと(アレでも幸せなのだろう)、石野真子の落ちついた場所が結局は「愛人の座」だったっていうのはなんとも寂しい(やっぱりショック受け取るやんけ)。でも、この先まだまだ二転三転しそうなんでヤなんだよなあ。死ぬまで愛人ってわけにもいかないだろうし。誰か彼女をホントにホントの幸せにしてやってくれ(T∇T)。


 「バウリンガル」が売れに売れちゃってるそうである。
 「バウリンガル」が何だか知らない人のために説明しておくと、犬の首輪に装着した小型マイクで鳴き声を分析して、「楽しい」「悲しい」など6種類の感情を会話体に「翻訳」して飼い主に伝えるペット商品のことである。値段の14800円を高いと思うか安いと思うかはペットに対する思い入れによるってとこじゃないかな(^^)。
 ともかくどれだけ売れてるかってのは、この不況の折だってのに、販売メーカーの「タカラ」の株価が急上昇してるっていうんだから、相当なものなのだろう。でも、そんなもん付けないと犬の気持ちがわからないってことは、もともとペットとの間に心の交流なんてなかったってことじゃないのか。
 さらに胡散臭いのは開発に当たったっていう日本音響研究所長の鈴木松美博士の存在である。私、この人って結構トンデモさんじゃないかと疑ってるんだけどね。
 この人をテレビで最初に見たのって、もう、二、三十年前になるんじゃないかな。何の番組かは忘れたが、写真からその人の声を再現する、という企画で、坂本龍馬に『王将』を歌わせてた。寄りに寄ってなぜ「王将」? しかもこれが聞くからにいかにもキカイで作った声って感じでねえ。っつーか、単に誰かの声の回転音を遅くしただけじゃないのかって言いたくなったよ。その時、黒柳徹子の声も合成して、「こんなに本物と同じ声が作れます」って主張してたけど、そんなん本物が実際にいるんだから似せられるのは当たり前(^_^;)。だいたい、外見というか、ノドの形だけで声が作れること自体、信憑性に欠けると思うんだけどね。だって、太って肉がついたらそんなん解らなくなるやん。
 この鈴木博士、こないだもウサマ・ビンラーディンの公開ビデオを分析して「本物」と鑑定結果を出したけれど、しばらくしてどこぞの調査機関が再鑑定して「本物とは断定できない」とあっさり否定してしまった。ウケ狙ってるだけの人って気がして仕方ないんだけど、未だにトンデモさんとして追求する人がいないのは、音響とか声紋に関する研究者がもともとあの人の他には日本にはいないってことなのかもな。鶏口牛後だね、まさしく。


 例の『千と千尋の神隠し』まっかっか事件で、DVD購入者三人(みんな弁護士だそうな)が、販売元のウォルト・ディズニー・ジャパンに対して、正しい色調のDVDとの交換と、一人につき1万円の慰謝料を求める訴訟を京都地裁に起こした。
 なんでジブリや宮崎駿を訴訟対象にしなかったかってあたり、自らを悪人にしたくない心理が働いてる気がするねえ。原告たちは「ブエナとジブリの関係について、私たち購入者は分かりませんので、販売元を相手取りました。ただ、裁判の過程で今後、ブエナが『ジブリの言う通りのものを販売した』と主張してくるかもしれませんが。制作者としてどのようにお考えなのか、宮崎駿監督にも(法廷で)話を聞いてみたいと思います」と言ってるけど、ディズニーとジブリの関係が分らないならそれくらい予め調べろよ。弁護士だろ?
 それともまさか、「宮崎駿に会いたい」ってのが本音じゃないだろうな。まず絶対出て来ないと思うけどね。
 私も何度か本編と予告編を比較して見直してみたが、色弱の私には「赤いと言われりゃそう見えなくもない」というレベルでしかないのよ。第一、テレビにはたいてい色調補正のボタンがあるのだから、それで調整すればいいだけじゃん。「訴える」なんてレベルの問題じゃないよ、これは。


 職場で上司と転勤についての相談。
 ホントはこういう大事な話は人のいない密室で行われるのが普通なのだが、ウチの上司は脳天気なので廊下で堂々と立ち話をしかけてくる。いいのかそんなんで。私は隠しごとは嫌いなんで、同僚にも「来年ここにいないかもー」と平然と喋ってるけど。おいおい、それってマズイんじゃねーの? と思われそうだけど、そうでもないのよ。つまりねー、たかが私一人の動向で職場に動揺が走るとかねー、そういう事態には絶対ならないってことなんでねー。
 ちょっと悲しいかも(/_;)。


 迎えの車の中でしげが突然、「今日、アンタは『豊竹』でオレに奢るよ」と言い出す。
 何だそのインチキ宗教の予言者みたいなモノ言いは、と思ったが、話を聞くと、今度の劇団の忘年会の場所に「豊竹」を選んだので、そこへ下見に行くのだと言う。だったら「奢って?」と言えよ。しげにとっては私に「お願い」するのも自分が負けた気分になって嫌いらしい。それにしても、最近は「時間がないから」と言って、店に寄ることも少なくなって来たのに今日はどうしたのかと思って、「仕事はないの?」と聞いたら、「今日はないから寄れるんじゃん!」と怒鳴られる。
 別に怒って言うことはない。口の利き方ってものをいい加減で覚えろ。
 「当日はいったい何人集まるの?」と聞くと、「7人」と答える。
 AIQの人たちにもお誘いをかけるつもりなので、もう少し多くなるとは思うのだが、それにしても在籍メンバーの人数を考えると、ちょっと少ないのではないか。
 「10人だと飲み放題の割引が効くから、10人ってことで申し込もうと思うんよ。当日、人数が減ることはあるし」。
 そりゃそうかもしれないが、普通は参加人数自体を増やそうと努力するもんじゃないのかねえ。
 「藤田くんとかは声かけたん?」
 「メール送ったけど返事ないし」
 ウワサだけは耳に入っているので、もしかすると顔を出しづらいのかも知れないけれど、全く反応がないってのは、そのヘンのウワサが事実かもって勘繰られることになりかねないんだが。
 何にせよ、反応がなきゃないでまた何か声をかけるなり電話するなり、連絡取る方法はいくらでもあるだろうと思うのだが、しげはそれ以上はまず押さない。1度声をかけたんだから、返事がないのは無視してる証拠、と考えて無視し返してるんだろうが、人間関係を作ろうって気がない点では、しげも藤田くんもどっちもどっちである。全く、ウチの劇団の連中はどうしてこう、コミュニケーション不全なやつばかりであるのか。つまらんプライドは捨てて誰かまず折れろよ。

 「豊竹」が忘年会の会場に決まったのは、其ノ他くんのプッシュが大きかったらしい。
 劇団で飲み会に一度行って、気に入ったから、という話だが、いつの間にそんなことをしてたんかな。全然気づかなかったぞ。
 実際、炭火焼の焼き鳥は美味いし、種類も多い。一品料理も鍋料理もあって、宴会には最適である。今日も焼鳥のほかに豚の角煮などを頼む。舌鼓を打って、チラシを貰って帰る。

 知り合いの本屋と積文館を回って、本を買いこみ帰宅。
 ふと台所を覗くと、買い置きしておいたラーメン「goota」の数が減っている。しげに食われたのだ。どうしてこいつは人のメシを勝手に食ってくかな。


 野村胡堂(縄田一男編)『時代小説英雄列伝 銭形平次』(中公文庫・620円)。
 『鞍馬天狗』に続くシリーズ第2弾。厳密に言えば『銭形平次』シリーズの通しタイトルは『銭形平次捕物控』なんだから、そう表示してほしかったところだ。
 映画化、テレビ化されていて、名のみは有名でも、原作は読んだことないと人の言う時代小説は結構ある。だもんだから、銭形平次についても映像のイメージだけで勝手にツッコミを入れる人もいて、その代表的なものが「あんなに毎回銭を投げてて、平次んちは財政危機に陥らないのか」ってもの。原作じゃ投げ銭の描写なんてほとんどないんだって。ありゃ逃げる下手人にとっさの判断でやってんだから、そうそう毎回下手人が逃げ出すものでもなし、たまにしかやらないのは当たり前なんである。テレビのルーティーンに対して突っ込みたいのは、原作ファンの方なんだがなあ。
 こないだも鴉丸嬢が同じこと言ってたんで、「そりゃちゃうよ」とついたしなめてしまった。でも考えてみたら大川橋蔵の『銭形平次』の本放送すら記憶にない世代なんだから、何も知らなくって当たり前、無知を突っ込み返すのも野暮ではあった。
 だいたいエラそうに言ってる私だって、銭形平次シリーズの全ては読んでいないのである。昔、富士見時代小説文庫で傑作選が全10巻で出ていたのと、講談社大衆文学館で、『銭形平次・青春編』を読んだだけだ。これでもあの膨大なシリーズの5分の1程度に過ぎない。この傑作選シリーズも現在は絶版、今、銭形平次シリーズ383作全てを読もうと思ったら、大きな図書館で『銭形平次捕物全集』50巻を探すしかないのだ。そんな中、わずか1巻本とは言え、映像とは違った平次の魅力を伝える一冊を編んでくれたのはありがたい。
 収録作は『平次屠蘇気分』『五月人形』『赤い紐』『迷子札』『鉄砲の音』の短編5作と、『随筆銭形平次』の抄録。
 随筆を読むと、野村胡堂がトリックの創案にいかに腐心したかが縷々として語られている。つまり、捕物帳を単に江戸風俗を描くものではなく、探偵小説として成立させようとしたということである。一時、「『銭形平次』は海外小説の翻案ではないか」という疑惑が浮上したことに対し、「種本はない」と言下に否定しているが、これも作家としての矜持だろう。
 でも、作者の主張をそのまま鵜呑みにもできない。例えば『五月人形』などは、あちこちの店に飾られた五月人形が次々に何者かによって破壊されていく、という話で、あまりにも有名なあの小説が明らかにネタになっている。ただし、単純な翻案と言えないのも確かで、そのトリックの解決が元ネタ作品とはちょっと変えてある。ネタを探偵小説の古典に求めてはいても、換骨奪胎していればいいってことか。
 でも、実のところ銭形平次の小説としての面白さは、作者には悪いがトリックなどではなく、平次とガラッ八の掛け合い漫才にある。

 「親分、世間はとうとう五月の節句となりましたね」
 「世間と来たね、お前のところは五月節句が素通りすることになったのか」
 「あっしも男の子でしょう。鯉幟や五月人形の贅は言わないが、せめて柏餅くらいにありつけないものかと朝っから二、三軒、男の子のありそうなところを当って見ましたが」
 「さもしい野郎だなア、生憎おれのところもお祝いするほどの男の子はねえが、謎を掛けられて季節のものを食わせねえほどのしみったれじゃねえ。おい、お静、表の餅屋へ行って、柏餅を総仕舞にしてな、臍が欠伸するほど八の野郎に食わせてやるが宜い」
 「じょ、冗談じゃありませんよ、あっしだって、柏餅を買うお鳥目くらいはありますがな、大の男が餅屋の店先に突っ立って頑張るのも色気が無さ過ぎると思って、ツイ独り者らしい愚痴を言ったんですよ」
 「食い気ばかりかと思ったら、色気もあるんだな、お前は。ま、安心しねえ、お静は気が小さいから、柏餅を一両と買って来る気遣けえはねえ」

 冗談に冗談で返すこの妙味が、テレビ版では今一つ薄かったように思う。
 やはり映像化作品については原作にも当たってほしいものだ。『バガボンド』で『宮本武蔵』を語られてもねえ(^_^;)。

2001年12月05日(水) おばさんのタイホ/『おさんぽ大王』2巻(須藤真澄)ほか
2000年12月05日(火) NOT THAT IT MATTERS/アニメ『鉄腕アトム・ミドロが沼の巻』


2002年12月04日(水) 殺伐とした日々/『文章読本さん江』(斎藤美奈子)

 アニメーターの大塚康生氏が平成14年度の文化庁長官賞を受賞されたそうである。
 日本アニメーション史の生き証人である氏が『ルパン三世 風魔一族の陰謀』
(1987<昭和62>)を最後に第一線から退いて、もう随分と時間が経ってしまった。氏のホームページによれば、所属されていたテレコムを1994(平成6)年に定年退職後、近年は専ら後進の育成に励んでおられるようだが、アニメーション職人は死ぬまでアニメーター、という意識が私にはあったので、もう氏の新作が見られないというのは寂しい限りである。同じく定年でリタイアしててもおかしくない宮崎駿が未だに創作意欲の衰え一つ見せてないのにねえ。
 氏の功績を考えれば、こういう賞とか勲章の類は何10個も貰ってておかしくないのである。これまでコツコツやってた技術屋がようやく日の目を見たような印象を受けるのは、もう何十年も大塚康生ファンをやってる身からすれば噴飯ものなのだが、実際、若い人には今一つ大塚さんの業績というものが伝わってないように思えてならないのである。
 大塚さんなかりせば、今の宮崎駿だってありえないんだぞー。宮崎監督の『未来少年コナン』も、『ルパン三世 カリオストロの城』も、作画監督は大塚さんだったんだからなー。
 いや、それ以前に東映動画創世記のころは……って、こういうのがトシヨリの愚痴ってやつか(-_-;)。
 アニメ誌もこういう情報をきっかけにして、大塚さんの特集くらい組んでもいいと思うんだがな。コラム記事程度じゃ、とても大塚さんの業績はフォローしきれない。でもそんなのやってくれそうな雑誌って、今や『アニメスタイル』くらいしかないんだよなあ。……って、まだ続いてるのかなあ、あの雑誌。

 関連情報、というわけでもないが、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のテレビ放送が来年1月24日の『金曜ロードショー』枠に決まったそうである。「視聴率40%超えを狙う」とは日本テレビ編成局のコメントだが、DVDが普及してるのにそんなに行くのかなあ、と思っててフト気づいた。
 今度の放送は「赤い」のか?
 もしかしたらそれを確かめようと、DVD買ったやつもみんな見るんじゃないかな。まさかそこまで計算してのジブリの作戦?……なんてことはないと思うが、意外とこの40%という数字、達成不可能なものではないかもしれない。
 もっとも、別に40%取ろうが取るまいが私ゃどうでもいいんだけどね。


 しげ、また具合が悪いといって送ってくれない。
 昼寝て夜寝て、どうして具合が悪くなるんだか。しげは私がプレッシャーを与えるせいだと言うが、そのプレッシャーってのは「少しは家事しろよ」って言ってることか?
 そんなん、受験浪人が塾にも通わずウチでゴロゴロしてる時に、親から「少しは勉強したらどうだ」と言われた瞬間、「うるせえな、今やろうと思ってたんだよ。イライラしてんだから声かけるんじゃねえよ!」と身勝手な屁理屈こねてるのと変わらんぞ。
 じゃあ、プレッシャーかけちゃいかんと黙ってたら、少しは何か片付けの一つでもするのか。もちろん、しげがそんなことをしたためしはない。まさしく、屁理屈こねてる甘えたガキと精神構造は同じなんである。
 ここまでになっちゃうと、充分テレビのネタとして使えそうにも思うんだが、どこか「衝撃のバカ嫁! 10年間家事一つしなかった女!」とかいうテーマで面白がって放送してくれるバラエティ番組とかないかな。せめてそれくらいのことででも家計を助けてくれないと、ホントにしげはいるだけで役立たずなんである。


 同僚がまた一人辞める。
 病気が悪化したので仕方がないのだが、実力があるのにそれをひけらかすこともなく、具合が悪くても弱音を吐かない、それでいてムリをしている様子は全くなく、飄々としていてそこにいらっしゃるだけでどこか安心できるような、そんな方だった。ずっと日記を御覧になってる方ならピンときたかもしれないが、映画ファンで、古いドラマの話や「ぶりぶりざえもん」の話題で盛りあがったことのある、あの女性である。
 「全然元気そうに見えるでしょ?」
 と屈託なく仰っていたが、本当はそうとう苦しかったのだろう。最後まで全然普通である。けれど私は返す言葉を見つけられなかった。
 いい加減、上の連中は、才能のある人間を食いつぶしていくような職場環境を改善しようって気はないのか。
 私もとうに労働意欲をなくしている。


 晩飯は「王将」。
 どんどん増える棚のフィギュア、でっかいピグザムが置いてある前に、ちょこなんとワンピースのちび人形が四、五個。「こんなん前からあったっけ?」としげに聞いたら「あったよ」とのこと。別に前より増殖してたってわけじゃないようだ。どのキャラかよく見ようと触っていたら、「盗ったらいかんよ」としげが言う。
 あのな、それなりの社会的立場もあるオトナは万引きなんかしないって(-_-;)。わしゃ小木茂光か(←『OUT』)。こういう何も考えてない発言してるからバカだバカだと言われるのである。言われたくなきゃバカな発言しなきゃいい。少なくともしげの身の回りでこういうバカな発言するやつは誰一人いないぞ。


 帰宅して、今日はアニメ『ヒカ碁』で佐為が消える日だったということに気がついて、慌ててテレビを点けるが、ちょうどエンディングで、肝心なシーンは見損ねてしまった。多分クライマックスだから、作画にも力が入ってただろうに、残念。あともう一回の佐為の登場予定は、第一部の最終回。今度は見逃さないようにせねば。


 斎藤美奈子『文章読本さん江』(筑摩書房・1785円)。
 『文章読本』ではなく、『文章読本』の研究本である。まずはこの着想が素晴らしいね。
 斎藤さんの本は以前『読者は踊る』を読んだことがあるが、そのときも着眼点が面白いな、と感じた記憶がある。
 そもそも、我々日本人はどうしてこんなに「文章が上手く書けるようになりたい」と思うのであろうか? そういうのは学校で教わるもので、何もいちいち「文章指南書」の類を紐解く必要はないのではないか? 
 作者は、100冊以上の「文章指南書」を俎上に乗せ、「名文」への欲求がいかにして日本人の中に形成されていったのかを社会学的かつ心理学的に解題していく。しかもこれが平易な文章で書かれてるものだから、滅法面白いんだわ。

 まず、百花繚乱たる『文章読本』には、「御三家」と「新御三家」が存在する、と斎藤さんは説く。この例え方がキャッチー(古い)。
 ・御三家
   谷崎潤一郎『文章読本』
   三島由紀夫『文章読本』
   清水幾太郎『論文の書き方』
 ・新御三家
   本多勝一『日本語の作文技術』
   丸谷才一『文章読本』
   井上ひさし『自家製 文章読本』
 この選択に異論がある人もあろうが、私は妥当だと思うね。ベストセラーになってるものばかり、ということもあるが、ガクセイへの影響力という点で納得がいくのである。いや、全部読みましたよ、一応ブンガクブ出身なもんでね。
 それぞれの本に斎藤さんが付けたキャプションも面白い。
 「谷崎潤一郎の天衣無縫」ナチュラル志向と言いつつ、矛盾だらけで何が言いたいんだかわからない。
 「三島由紀夫の貴族趣味」芸術家にしか文章は書けないんだと。読本の意味ないじゃん(^_^;)。
 「清水幾太郎の階級闘争」芸術的な文章より実用的な文章のほうが上って、上下の問題じゃないでしょう。
 「本多勝一の民主化運動」ともかく卑屈で神経質である。デンパな文章書きたい人にはお勧めか?(^o^)
 「丸谷才一の王政復古」かな遣いは今さら昔にゃ戻りませんって。
 「井上ひさしの滅私奉公」文章を語るのに初めてディベートとエンタテインメントを持ちこんだけど、くどいです。
 斎藤さんの言ってることを短くまとめるとこんなところか。多少私の感想も入ってるが。

 結局のところ、我々が文章指南書を欲するのは、みんな自分が「文が書けないことはよくない」と思ってるからだろう。
 明治時代の小学生が文章の定型にハマるあまり、花見に出かけりゃ必ず「一瓢を携へて」と書いた、というのは笑い話であるが、このことは、何も今のガクセイの文章力が昔に比べて著しく低下してるってわけでもない、ということを証明している。しかしこういう状況は、「美しい日本語を守ろう」なんて考えてるヒトにとっては実に憂えるべき状況であろう。となれば、そのヒトたちが「このままでは日本人から正しい日本語能力がケツラクしていく。それを看過するわけにはいかない」と一念発起、指南書を書こうって気持ちになっちゃうのも分らないではないのだが、それがかえって結果的に日本人全般に「悪文コンプレックス」を生みつけることになっちゃったんではないか。
 「公文書などもあるのだから、お固い文章も書けないと」という意見もあろう。しかし、今書かれている公文書の生真面目そのものに見える文だって、昔の漢籍のみが文とされていた時代から見たら、全部ハナモゲラなのである。人の書いたものにやたら難癖つけたがるやつは多いが、別に作者はそいつのご機嫌取るために書いてるわけじゃない。そのくらいのことは理解しなきゃ、自分のほうがゴーマンかましてるだけってことになるんだよ。
 著者の斎藤さんが導き出した結論は「文は服だって言ったじゃん。いつどこでどんなものを着るかは、本来、人に指図されるようなものではないのである」。
 全面的に賛成。\(^o^)/

2001年12月04日(火) 「ピー」って口で言わんでも/『ワンピース』21巻(尾田栄一郎)/『うまんが』1巻(新井理恵)ほか
2000年12月04日(月) 仕事休んでマンガ三昧(^_^;)/映画『戦場のメリークリスマス』ほか


2002年12月03日(火) 余裕のない日。いつもかも。/DVD『アードマン・コレクション2』

 鳩山由紀夫民主党代表の辞任と、『電波少年』の打ち切りがほぼ同時にニュースになる。これもいわゆる「共倒れ」というやつなんだろうか(^o^)。
 もともと、どっちも「芸ナシ」という点では共通してたけど、ヘタなあがきを見せての終わり方まで似通ってたのには大笑い。なんかさー、どーにも納得いかないんだけどさー、自由党との新党結成とか、カッパ騒動とか、こんなんマジで成功すると思ってたのかね?
 人間、切羽詰ると自然とトンデモさんになっちゃうのだなあ。最近、私もいろんな意味で余裕なくなってきてるし、自戒自戒。


 のどの調子もイマイチで未だに具合が悪いけれど、もう仕事は休めません。
 けれど、しげ、「気分悪い」と言って車で送ってくれない。なんで気分が悪いかも答えない。仕方なくタクシーで職場へ。けれど、今日の仕事はもうへろへろである。
 どうにもカラダが持たなくて、休眠室のベッドで横になりながら、少し気分がよくなったら起き出して仕事をして、また疲れて横になる、という寝たり起きたりの繰り返し。
 こうまでして仕事をせにゃならんのか。せにゃならんのよ(T∇T) 。


 しげ、帰りは迎えに来てくれるが、メシをどこで食うかでまた口論になる。
 「メシ、どこで食う?」
 「オレはウチに帰るよ。仕事まで時間ないもん」
 「じゃあ、オレのメシはどうするんだよ。お前、自分のことだけ考えてて、人のことなにも考えてないだろ?」
 「じゃあどこ寄ればいい? そこで落とせばいいっちゃろ?」
 「落としてそのままほったらかしか? 具合が悪いのに歩いて帰れってか? おまえ、根本的に看病しようって発想自体なかろ? 自分は病気になったら甘え腐るくせして、オレが病気のときはジャマってか? 人間じゃねーよ、おまえ」
 「じゃあどうすればいいん!」
 「なんでそんなこと考えてやらなきゃならないんだよ! そんな余裕があるなら怒るかバカ!」
 毎度毎度、こんなくだらんことでケンカするのはバカバカしいと重々承知しているのだが、具合が悪いと私も言葉と感情のセーブが出来ないのである。日頃溜まってた鬱憤が一挙に吹き出た感じで、しげを罵倒して、結局そのままウチに帰る。
 しかし、この日記つけ始めてもう二年になるけど、その間しげが料理作ってくれたことなんて殆どないんじゃないか。これで自分が家族の一員になってる気になってるのがフシギで仕方がない。何度も書いてるが、仕事の送り迎えをしてなければ、ただの寄生虫である。
 今度しげが病気になったら、どんなに頼んでもお粥一つ作ってやるまい。

 夜、ひと寝入りしたあと、少し具合がよくなってきたので、こうたろうくんに愚痴の電話をかける。
 いや、愚痴を言うのが目的じゃなくて、『奇跡の人』のチケットが取れたことを報告するのが目的だったのだが、気がついたらしげのことを罵倒しまくっていた。生活のサポートができないなら、せめてジャマだけはしないでいてほしいのに、実際には足を引っ張られてばかりなので、ホトホト疲れているのである。
 具合が悪いときにメシの一つも作ってほしいと妻に望むのは高望みなのかね?


 DVD『アードマン・コレクション2』。
 『ウォーレスとグローミット』(何度も書くが「ウォレスとグルミット」は誤訳である)シリーズのアードマン・スタジオ製作のクレイ(粘土)・アニメーションの短編を収録したもの。けれど『W&G』のニック・パーク監督の作品は今回は未収録。主にピーター・ロード作品が多く、全般的にダークなムードが横溢しているのだが、私はこちらの方が好みである。

  悒織ぅ肇襦Ε掘璽エンス』
 『アードマン・コレクション』劇場公開時に製作されたオープニングアニメ。そこは映画館の観客席、今まさに映画に見入っているのは、奇妙な顔の子供たち。彼らが見ているのは、SFアドベンチャー? ホラー? 恋愛映画? 飛んだり撥ねたり消え失せたり、子供たちの阿鼻叫喚の中、次に始まる映画は……?
 ディズニーもワーナーも手塚治虫もこの手のオープニングを作ってるけど(『シンプソンズ』もか?)、単にキャラを並べただけのものに比べてずっと面白い。やはりキャラには演技をさせなきゃね。

 ◆悒團屬肇櫂亜
 「ガチャピンとムック」みたいな子供向けキャラクターショー……に見せかけた残酷アニメ。いつもナカヨシなピブとポグだけど、ちょっとしたものの取り合いからケンカがどんどんエスカレート、ノコギリ、硫酸、爆薬、大砲、気付いたら二人はバラバラに……。
 設定は好きだけど、オチが『ロジャー・ラビット』だったのはちょっと興醒め。アードマンが誰でも思いつくネタでシメちゃいけませんな。

 『仮出所』
 『快適な生活』と同じく、先にインタビューを録音しておいて、それに合わせて作画するパターンの一編。つまり犯罪者のインタビューをアニメ化してるんである。なんちゅーものを作るか(^_^;)。日本で言えば安藤昇とか安部譲二の語りをアニメ化するようなもんだろうが、そういう企画自体、日本じゃ成り立つまいねえ。「悪いことから足を洗ったとは言い切れないけど、今は前ほどひどいことはやっちゃいないよ」としみじみ語ってるのがリアル。好きな一編である。

 ぁ悒Εー・ストーリー』
 やっぱり爺さんの戦中の思い出を語らせてアニメ化してるんだけれど、どうもこの爺さん、ちょっとボケてるらしい(^_^;)。どこまでがホントの話だか分らないが、戦時中は斜めに立ってる家に住んでたり、空襲があったら石炭室に逃げこんでたそうである。なんでそんな危険なところに(ー∇ー;)。全く、よくこんなのアニメにしようと思ったよな。

 ァ愽饌羔寡歉鼻
 これはちゃんとしたドラマ。
 内容はアードマン版『ノートルダムの傴瘻男』。犬使いの小人・タイニー(直截的な名前だ)は、映画スターの大男アーノルド(眼鏡かけてるけどモデルはシュワちゃんかね)にこき使われる毎日だったが、愛しのダフネがアーノルドに殺されそうになったとき、ついに反逆を決意する。
 物語としては普通だけれど、時間が交錯する演出と、劇中映画のモノクロ映像の処理が見事。

 Α悗△觴付嬢の告白』
 またもやインタビューのプレスコアニメ。こういうのが好きなんだな、ピーター・ロード。でも、このインタビューものってどの程度真実なのかな? ちょっとヤラセっぽくもあるんだけれど。
 ヤクやってるゲイに薬貰ってるみたいですけど、大丈夫ですか、あなた。この「どーでもいいことを喋ってる女」をアニメ化しよう、なんて発想も日本人にはちょっと思いつかないなあ。
 「アタマが痛い」って、だったらクスリやめろよ。

 А悒瀬Ε鵝Ε▲鵐鼻Ε▲Ε函
 救済センターにやってきた爺さんと係官とのとんちんかんなやりとりをアニメ化。ここまで来ると「世の中にアニメにならないものはない」という実験をやってるんじゃないかって気になってくるね。
 これ、録音されてたこと、爺さん知らないままなんじゃないかなあ。この爺さんも、ここは救済センターだってのに「金払うから入れてくれ」なんてヘンなこと言ってるし、ちょっとボケてるみたいだ。こんなの日本じゃ人権問題に引っかかって封印されちゃいそうだよなあ。

 ─悒丱咼蹈鵝
 ラストはちょっと奇妙な肌触りの諷刺アニメ。
 武器商人の集う晩餐会で、今しも主賓のスピーチが始まろうとしている。
 ウェイターは仕事をサボリ、会場の隅では大男が小男を苛めている。大男はなぜかどんどん肥え太り、会場いっぱいになってしまう。
 「武器を売り、平和を守ることが利益を生むのだ」
 スピーチがクライマックスに達したとき、それは起きた……。
 暗示の意味を考えるのは野暮だからしないが、アードマン・スタジオが何を語ろうとしているのかが垣間見える一編。大男の最後まで続く不敵な笑みが印象的。

2001年12月03日(月) 平和だねえ。/『蒼い時』『華々しき鼻血』(エドワード・ゴーリー)ほか
2000年12月03日(日) この日記も歴史の証言/映画『エクソシスト2』ほか


2002年12月02日(月) いつか見殺しにされる予兆/DVD『助太刀屋助六』/DVD『真夜中まで』

 唐沢なをき氏のホームページ『からまん』に衝撃の告知。と言ってもファンでない人にはどーでもいーことかもしれんが。
 今月から来月にかけて唐沢さんの新刊がドドッと出るので楽しみにしているのだが(『電脳なをさん』も出るぞ!)、文春漫画賞受賞作の『電脳炎ver.4 ウィン版・マック版』(小学館)も1月末にいつものごとく90%同じ内容で同時発売。ところが、この巻を最後にマック版はなくなってしまうと言うのである。
 理由は誰でも想像がつくと思うが、マック版とウィン版の売り上げ比が、ウィンユーザーとマックユーザーの割合と同じ状態になってしまい、マック版を販売したても全くペイしなくなってしまったからだとか。
 唐沢さんは「マックユーザーの方には申し訳ないのですが、時世時節とあきらめてください」と苦衷のコメント。もう心からのマックユーザーだから、その悲しみがこちらまで伝わって来そうな感じなのだが、あまりにも当然過ぎる結果にかえって微笑ましさを覚えてしまう。申し訳ないんだけど。
 それはさておき、唐沢さんの新刊『バラバラくん』、2冊セットでもう出てるはずなんだけど見当たらないなあ。どうして唐沢さんの本はこうも毎回見つけづらいんだか。


 風邪ますます悪化、職場に休みの連絡を入れる。もう有休残ってないってのになあ。
 朝のうちに医者に行きたかったのだが、しげが起きて来ない。一人で自転車漕いで寒空を病院まで走ってく元気はなかったので、まあ、昼頃には起きるかと待ってたが、1時を過ぎても2時を過ぎても起きて来ない。
 おいおい、夕べ寝たの3時ごろだろ? まる12時間も寝るか?
 と思ってたら結局起きてきたのが4時過ぎ。「医者に連れてって」と頼んだらまた露骨にイヤな顔をされる。「一人で行きゃいいじゃん」とか言うものだからマジ切れする。
 ムリヤリ起こして「寝させない気か!?」とか下らん文句を聞くのがイヤだったから寝かせといたのに、ここまで自分勝手なこと抜かしやがるか。
 「いいよもう。おまえが具合が悪くなったとき、今度はオレがほったらかしてやるからな」
 「前からほったらかしとるやん」
 「勝手に記憶を捏造するな!」
 自分が病気の時に私から食事を作ってもらったり薬飲ませてもらったりしたことはキレイサッパリ忘れてやがるんだから、ニンゲンじゃないよな。しげに言わせれば、「オレだってアンタのために薬買って来てやったり、食事作ってやったことはあった」と主張するんだろうが、そんなのは全て「私が頼んでさせた」ことだ。自分から動いたことなんてないじゃないか。何も言われなくても食事作ってやったりした私と比較できるものではない。
 もしもしげが本気で私の心配してるんなら、今日だってせめて昼には起きて食事くらい作ってるはずである。今日も昨日と同じく、私は自分で咳とくしゃみとめまいに悩まされながら冷凍そばを自分で作って食ってたのだ。買い置きがなきゃ飢えてるって。
 しげがどんなに言い訳しようと、しげに他人を気遣うだけのメンタリティは存在していない。結婚するとき「もう少しマトモな人間になる」というのはしげが私とした約束だったのだが、その約束を未だに果たそうとしてはいないのだ。
 こいつ、カルネアデスの舟板じゃないけど、何か危険に晒されたらなんの遠慮もなく私を犠牲にして自分だけ助かろうとするんだろあなあ。そんな外道相手に犠牲になってやらなきゃならないかって気もするけど多分その場になったら私って「いいよもう」とか言って諦めて舟板から手を離しちゃうんだよ。
 ……やっぱり人生捨てないと結婚なんてできるもんじゃないね。


 寝てるだけだと退屈だし業腹なので、買ったまま見損ねてたDVDを続けて見る。ゆっくり休んでろと言われそうだが、自分でメシ作ったりして、ゆっくり休めないからこんなことでもしてストレス発散させてるのよ。

 まずは1本目、DVD『助太刀屋助六』。劇場公開時も行きたかったんだけどなあ。あっという間に打ち切りになるんだもの(^_^;)。
 岡本喜八監督、あのトシであの言語不明瞭な状態で、果たして映画がマトモなものになるのか心配だったんだけど、意外や意外、往年の冴えはさすがにないものの、よくぞここまで作れたなあってくらいの佳作。この程度のレベルの時代劇が常時作られていけば、時代劇ファンももっと増えると思うんだけどね。
 ともかく設定が面白い。
 出だしのナレーションがその世界観を見事に表していて、しかもテンポも抜群、これぞお手本、てな感じなので、ちょっと長いが、そのまま引用させて頂く。

 この男、別に気が触れているのではない。
 少しばかり足りないのでもない。
 いい若い者が子供相手に遊んでいるように見えるのだが、どうして本人はいたって大マジメ。世のため人のため、そしてなによりもまず自分のために、かくのごとく忙しいのである。
 この男、その日の得物は、手近にあった物干し竿だ。刃物は嫌いだ。抜いたこともない。いったい何事、と思った時には、こりゃもう敵討ちと決めていた。
 義を見てせざるは何だっけ、首を捻った時には物干し竿を絞る。

 この男、十七歳の時に故郷を飛び出して江戸へ向かったが、途中、ひょんなことから敵討ちに巻きこまれ、助太刀をやってしまった。その時の、何とも言えないいい感じ、何しろ侍の野郎がオレに頭を下げやがった。この俺にだ。これが病みつき。その上、無理やり俺の手に何やら握らせやがった。ズシリ。滅法いい感じ。これがまた病みつきになって以後七年。
 敵討ちを探しながら、流れ流れた……。

 流れ流れて七年目の春、ある敵からさる敵討ちに示談を、そう、示談。つまりは、金銭的話し合い方を持ちこまれた。
 十五両、大金である。でも、あぶく銭のやらずぶったくりでもある。第一、花の武士道はどうなる。
 え? そこまで地に落ちた?
 まあいいか。
 
 と、この男、いつしか鼻っ先を、生まれ故郷の上州に向けていた。
 とは言っても、誰かが待っているわけでもない。
 待っているとすれば、五歳のとき、三十五歳の若さで亡くなったお袋の墓だけだ。
 まあいいか。

 この男、人呼んで、いや、人は別に呼ばないが、助太刀屋助六。
 助太刀屋助六、粋なヤクザのつもりである。


 いかがですか、この名調子と反骨!
 私は黒澤明の映画を貶めるつもりは全くないんだけれど、あの人の映画はやっぱり「侍」の視点で描かれてるんだよね。私ゃもう先祖代々職人の家系だからさ、好みから行けば圧倒的にアルチザン・岡本喜八に軍配が上がっちゃうのよ。
 「義を見てせざるは何だっけ」、侍の理屈なんかどうだっていい。
 何が気持ちいいかって、「侍の野郎がオレに頭を下げやがった」。
 そう、江戸の昔っから、武士道なんて「地に落ち」てたんだ。
 「助太刀屋助六」と御大層に名乗っちゃいるが、「人は別に呼ばない」無名の人。これぞ岡本喜八の主人公だね!
 世の中ってさあ、バカでトンマでモノ知らずのお人好しな名もない庶民が作ってんだってこと、何の衒いもカッコつけもなく、サラリと粋に語れる人って、なかなかいないんだよね、黒澤さんの名作『七人の侍』ですら、「勝ったのは百姓だ」とか、いかにも「思想」が入ってるようなセリフを語らせてるじゃん?(間違ってもあれは「百姓賛歌」なんかじゃない。勘兵衛の淋しげな口調を思えばただの「侍の愚痴」に過ぎないんじゃない?)
 「まあ、いいか」はもう「思想」自体を否定してる。
 庶民には右だろうが左だろうがシューキョーだろうが、思想なんていらないんだよ。

 また、このファーストシーンに敵や敵討ちの役で懐かしい顔が続々出てくること。しかもナレーション通り、侍の胡散臭さが露なワザトラシイ演技(←誉めてます)をしてくれるもんだから嬉しくってもう。
 天本英世、伊佐山ひろ子、佐藤允、竹中直人、嶋田久作、田村奈巳。みなさんほかの監督の映画に出てる時よりも三倍増しくらい生き生きと演じていらっしゃるんだもの、岡本監督のことがもうめっちゃ好きなんだなってことが伝わってきて、心がほんのりと暖かくなっちゃうのよ。

 でもねえ、この素晴らしいナレーションを誰がやってるかって、岸田今日子なのよ。
 え? 予告編じゃ春風亭小朝ですごくよかったのに。ちゃんとクレジットまでされてたのに、なんで変更になったの?
 岸田さん、暗いし括舌も悪いし(前記のナレーションは耳コピーなんで、間違ってるかもしれない)、軽さが全く出せてない。どう考えてもミスキャストじゃない?

 しかも何がいけないって、肝心の主役がねえ……。
 真田広之、悪くはないよ。今時あれだけ動ける俳優さんっていないのは解るからね。けどやっぱり「軽さ」がない。この映画、1969年のテレビ時代劇『仇討ち・助太刀屋助六』のリメイクだそうだが、オリジナルではジェリー藤尾が演じていたとか。未見だけど(DVD化できないのかな?)そっちのほうが圧倒的に合ってたんじゃないかなあ。
 実際、こういうお調子者のキャラなら、昔だったら『ちゃっきり金太』あたりを見れば解る通り、エノケンが演じて然るべき役どころなんである(昔過ぎるって)。いや、少なくとも美男じゃマズいって判断はしておくべきでね、映像特典で竹中直人が「もっと出たかった」発言をしてるのは、「自分が助六を演じたかった」と読み変えられるだろう。でも竹中さんじゃ真田さんほど動けないからムリ。喜八組なら、かつての砂塚秀夫ならもうドンピシャの適役、けれどもうおトシだからなあ……。
 真田広之の父親を演じる仲代達矢もどうにも「重い」。これも役柄として強そうに見えちゃダメなんだよ、誠実ではあるけれど成り上がりでしかも好きな女ほったらかしてたような男なんだからさ。小林桂樹にやらせとけばいいのに、仲代さんをどこかにキャスティングしたかったための失敗だろうね。この映画に仲代さんの出番はもともとないよ。
 「映画の演出はキャスティングでその八割が決まる」というのは市川崑の名言だけれど、その点で行けば岡本喜八映画の最大の欠点はそのキャストだ。大部屋俳優に至るまで味のある役者の多かった二十年、三十年前に比べて、最近の岡本作品は「ほかに誰かいなかったのか」と言いたくなるキャストが目立つ。
 その中で、唯一、「このキャストはいいな」、と思ったのが助六に思いを寄せる棺桶屋の娘、タケノ(山本奈々)だったりするんだが、これは私がロリコンなせいではない(^o^)。池脇千鶴をちょっと泥臭くしたような(失礼)、『赤ひげ』の二木てるみにちょっと似た(古いね)風貌で、美少女然としてないところが時代劇向きでリアルだなあ、と思うわけ。岡本喜八の映画って、『独立愚連隊』でも『殺人狂時代』でもすぐに「荒唐無稽」と評されてたけど、設定は確かに非現実的でも人物描写は決していい加減じゃなかったのだ。現実の人間を見て御覧よ、まさしく「事実は小説よりも奇なり」で、「こんなやつ本当にいたのか」ってくらいキテレツでヘンなやつって見かけるじゃん。フツーに見える人間の中にだって狂気はいつだって潜んでる。そこを常に捉えて描いている喜八映画を指して、単純に荒唐無稽と言い捨ててしまう批評がいかにくだらないか。
 だからこそこの映画、どうしても「惜しい」って感覚がしてしまうんである。これが三十年前に作られてたらもっともっと面白いものになってたろうにねえ。
 あ、あと山下洋輔の音楽はいいですね。カット割りがだいぶ「甘く」なってるのを相当手助けしてます。

 
 DVD『真夜中まで』。
 真田広之二本立てだな(^o^)。敵が岸辺一徳ってとこまで同じ。五社協定があった昔ならいざ知らず、今こんなにキャスティングが似通っちゃうってのは、ホントに役者払底だし企画者のアタマの悪さも表してる……と言いたいところだけれど、こちらに関してはキャスティングの違和感は殆どなかった。和田誠監督のこれまでの『麻雀放浪記』『怪盗ルビィ』『怖がる人々』といった作品も佳作だったけれど、今回が一番の出来じゃないかな。
 その理由は何と言っても上映時間1時間50分と、映画内の時間経過を一致させたその演出によるだろう。冷静に考えれば、ジャズの公演と公演の合間に起こった麻薬密売事件を、単に事件に巻き込まれただけのジャズ・トランペッターがヒロインと一緒に解決しようとするって設定に無理はありまくりなんだけれど、この演劇的な同時性がその欠点を結構補っている。

 もっとも、真田広之が何度かバックレようとするたびに、ミーハーなファンの柴田理恵に追いかけられたり、ホームレスの名古屋章に説教されたりして結局ヒロインのミシェル・ヨーのところに舞い戻ってしまう、という展開は和田監督ふざけすぎ、と思わなくはないが。
 いやね、毎回チョイ役で意外な役者を使って映画ファンの気をそそるってこと和田さんやってるけど、これ一般的には殆ど意味ないんだわ。和田さん自身が映画ファンだからそれやりたくなるのわかるんだけど、内輪受けに過ぎないんでね。
 例えば小松政夫さんがマジシャン役でチラッと出てくる。ワンシーンだけでセリフも全くないんだけれど、これで喜んでるのは私くらいのものだろう(^o^)。少なくとも、「小松政夫がワンシーン出てるんだよ!」と言われて「じゃあ劇場に行って見ようかな」と思う人って、世間にはそうそういないと思う。ましてや「三谷幸喜が映画マニヤの役で出てるよ」なんて言っても「ふーん、それで?」と言われるのがオチだね(^_^;)。「意外な人が特別出演」みたいな形で宣伝されても、実際に映画見た時に「で、どの人が意外な人だったの?」って思われたら逆効果でしょ? これ、役者さんに対して失礼になるんじゃないかと思うんだけど。
 で、実は今回は和田さんも反省したのか予告編からちゃんと誰が特別ゲストで出演してるかクレジットされるんだけれど、なぜか佐藤仁美の名前だけ忘れている。……やっぱ、すごく失礼じゃん(-_-;)。
 配役ってさ、やっぱり「その人がその演技をするのにふさわしいかどうか」って観点でマジメにキャスティングしてほしいんだよね。だから実は、ゴジラ映画やなんかの特撮映画で、昔の作品に出てた人をチョイ役で使ったりするのも実はあまり好きではないのである。

 ジャズ演奏のヨシアシはあまりよくわかんないんだけれども、多分真田広之は自分では吹いてないと思うな(^o^)。

2001年12月02日(日) ナンビョーY子さんのHP/『新世紀エヴァンゲリオン』7巻(貞本義行)ほか
2000年12月02日(土) 『BLOOD』=『プロジェクトA子』?/アニメ『BLOOD THE LAST VAMPIRE』


2002年12月01日(日) もう今年は風邪なんか引かないと思ってたのに/『バンパイヤ トッペイの巻』(手塚治虫)

 ドリームワークス製作の『ザ・リング』、公開1ヶ月で1億ドル突破の大ヒットになったことで、パート2の製作が決定。相変わらず売れるとなると即決だねアメちゃんは。
 問題はその中身で、『らせん』『リング2』とも全く無関係の完全オリジナルストーリーになる予定だとか。ドリームワークス製作部門の重役ウォルター・F・パークス氏によれば、「日本版の前日談(『リング0 バースデイ』)と後日談(『リング2』)は日本的な要素が強くなりすぎている。過剰に抽象的でややこしい」んだとさ。猿相手の商売だとどうしてもそうなるか。
 『リング0』のほうは未見なので何とも判断できないが、『リング2』は確かに失敗作だとは思うけれど、それが「抽象的(英語のニュアンスから考えれば単に「わかりにくい」って意味だろう)」なせいだとは思わないがなあ。『2』がつまんないのはどの描写も全部二番煎じになっちゃってるからでしょ。ヒロインだってありゃあくまで松島菜々子で行くべきだったんで、本来脇役だった中谷美紀を主役に据えたせいで映画の印象が甘くなっちゃったからね。わざわざ『らせん』を無視してパート2作ったんだから、ちゃんと「続編」にしないとねえ。もっともあれからどうストレートな続編を作れるのかって疑問はあったんだけど。
 米版のほうは次もナオミ・ワッツ主演だし、サマラもちゃんと登場するそうである(大きくなってなきゃいいがなあ)。その点、パート2の作り方のセオリーを「わかって」はいるのだろうが、日本版とは別の意味でウス味になりそうな気はするなあ。だいたい今回の第一作だって、「猿を怖がらせるにはこの程度で充分」と判断されたってことなんで、そのために日本映画が利用されたってことになると、あまり嬉しいこっちゃない。
 一応完成したら見に行くかもしれないけれど、あまり期待はしないほうが無難だろうねえ。
 
 さて、でホラー映画にゃつきものの「心霊現象」ネタだけれど、やっぱりありましたねー、『ザ・リング』でも。
 エンディング近く、ナオミ・ワッツらがロッジに子供を引き取りに行く場面で、2人の間とその奥の窓際に不気味な「影」が動いてたんだって。インターネットのやりとりでそういうウワサが広がってるらしい。まあ「影が見えた」って言うんなら見えたんでしょ。でもそんなの『ザ・リング』に限らず、『ハリー・ポッター』だろうが『ゴジラ』だろうが発見できると思うがな。『千と千尋』が赤かったのはマルクスの呪いか(^o^)。
 配給元のアスミック・エースは、「徹底したモニターチェックを行っている大作で、マイクやスタッフの写りこみは考えにくい。霊的な存在かどうかは分からないが、不気味だ」と、宣伝第一のコメントを発表。商売人だねえ。どうせなら、「主役の男の子の目の下のクマはメイクではなく呪いです」とでも言やあよかったのに。


 リメイクと言えば、無謀なリメイクが二つ。
 やっぱりドリームワークスが計画中だそうだけど、黒澤明の『生きる』をハリウッドで再映画化だって。黒澤プロじゃまだ製作オッケーの正式な返事はしてないそうだけど、とっつぁまの遺産を汚したくないなら断れよな、黒澤久雄(-_-;)。
 もう一本は小津安二郎の『秋刀魚の味』。フジテレビが40年ぶりにリメイクして、来年1月3日に放送する予定だって。笠智衆が演じた父親役は宇津井健、岩下志麻が演じた娘役に財前直見。ほかのキャストは植木等、泉ピン子って……橋田壽賀子ドラマ? 期待はしないけど、まあ『晩春』をリメイクって考えなかっただけリコウなのかな。


 昨日からの風邪悪化。
 外に出るのがキツイので、食事は冷蔵庫の中の買い置きを食べて済ます。
 と言っても冷凍ラーメンくらいしかない。
 練習に出かけるしげに、「帰りに風邪薬と栄養剤買って来て」と頼むが、この世のものとは思えないくらいイヤーなイヤーな顔をされる。私が病気になっても、気遣ってやろうなんて気持ちはカケラもないのだこの女は。
 日記だけはつけようと、五日分くらいを一気に書き上げたら、途端に発熱(当たり前だって)。そのままくたばる。と言うわけで今日はこれ以上書くことがない。
 エンドレスでDVD『オトナ帝国』をかけながら寝る。
 ラストシーンが繰り返されるたびに泣いてんだから、全く病気である。いや、病気なんだけどね。


 マンガ、手塚治虫『バンパイヤ トッペイの巻』(秋田書店/秋田トップコミックス・300円)。
 コンビにの安売りマンガで買うつもりはなかつたんだけど、巻末に「単行本未収録のバンパイヤたち」が収録されてたので購入。と言っても手塚さんのお遊び企画なんだけどね。
 一般的には「吸血鬼」を意味する「バンパイヤ」という言葉を手塚さんがどうして「狼人間」(ないしは変身人間)を表す言葉として使ったのかは未だに謎なんだけど、手塚さんのことだから多分深い意味はないのだ(^o^)。語呂がよかったからタイトルに使ったけど、中身は連載が始まるまではまるで考えてなかったって可能性もあるしな。特に手塚治虫自身が準主役的なキャラとしてマンガ内に登場する場合はその可能性がより高い。特撮番組のコミカライズである『サンダーマスク』の場合もそうだし。
 『バンパイヤ』のDVDBOXがもうすぐ出るけど、これ、結構原作の設定に則ってるので、ちゃんと手塚治虫も登場するのである。しかも熱海教授役は戸浦六宏さんだしなあ。それを考えると欲しいんだけど、CSでそのうち流れそうな気もするしな。ちょっと悩みどころである。

2001年12月01日(土) ご生誕。/DVD『ラ・ハッスルきのこショー』
2000年12月01日(金) エクソシスト=悪魔じゃないよ/映画『エクソシスト ディレクターズカット版』



↑エンピツ投票ボタン
日記の表紙へ昨日の日記明日の日記

☆劇団メンバー日記リンク☆


藤原敬之(ふじわら・けいし)