無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年12月17日(月) はったらっくおっじさん/『BEST13 of ゴルゴ13』(さいとう・たかを)

 週遅れどころか、ついに十日遅れ日記になってますが、さて、私の記憶力はどこまで辿れるのだろーか。
 ともかく、そろそろ爆走だ!

 同僚が足を怪我してビッコを引いている。
 「どうしたんですか?」
 「いや、起きたら急にこうなってて……」
 「病院には行かれないんですか?」
 「いやそんなヒマないですよ」
 内心「休めよ」と思いながら、口では、はあ、そうですか、と言うしかなかったが、なんだか、このへんの感覚が世間の人々と私のズレであるのだなあ、としばらく黙考。
 私のようにしょっちゅう病気で仕事休んでる人間は、世間的には「ダメ人間」の烙印を押されてるんだろう。けれど、そういう烙印を押しちゃうヒトは、自分が病気になったときには自分自身も「ダメ人間」の烙印を押されてしまうってことを、どの程度自覚してるんだろうかと思うんである。
 多分、ウスウスは感づいているのだ。
 だから、「病気になったって休んでられない」と思い、無理をし続ける。
 そういう考え方って、自分を追いつめちゃうことにしかならんと思うんだけどなあ。けど、無理をさせる会社の方がおかしいんだ、なんて考えたりしたら、即座にクビになりかねんから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないね、今のご時世じゃ(´o`;)。

 しかし、それで一番迷惑を被っているのは、病気を抱えつつ、なんとか頑張って仕事しているヒトたちなんだけどね。
 ともかくちょっと休んだら白い目で見られるのはなんとかならんものか。
 「今日はなんか、仕事行きたくない気分だしい〜、なんか課長の顔見てるとムカツいてくるからあ〜、休んじゃお〜っと」てなこと言って仕事サボリまくるヤツと同レベルに見られてるんだもんなあ。
 しかし、いくら抗弁しようと、ちゃんと診断書まで出していようと、結局は「使えないヤツ」ということで十把ひとからげに見なすのが、世間というものなのである。
 それで身を粉にして働けったってねえ。
 どう言われたって、やっぱり自分のカラダの方を優先するよ。こちらの身を考えてくれない職場のために尽くしてやらなきゃならない義理はないって。

 コドモのころ、「世の中をよくする」ってことは、「人間が働かなくてもよい社会をつくっていく」ことだと思っていた(←もちろん、これは「水木しげる」史観である)。高度経済成長だって、オトナたちは、「これだけ働きゃ、あとで楽できるだろう」という考え方のもとにやってるんだと思っていた。
 多分、その見方はそう間違ってはいないと思うんだが、それがだんだん積み重なって行くうちに、「働いてない自分は自分でない」という感覚がみんなの身に染みついてしまったんじゃないか。
 日本人のアイデンティティが「働く自分」「職業人としての自分」だけに集約されちゃってるんである。だから病気になったり、定年退職したりして、それを喪失してしまうと、自分が自分でなくなってしまったように感じて、呆けてしまう。ひどい場合は自殺する。
 それはもう、世間が人間を「肩書き」でしか判断しなくなっている、というか、それがないといられない「不安症候群」に罹ってるからにほかならない。
 今の失業率が一向によくならないのも、「景気が悪い」以上に、結局はリストラされた人たちが、自分の「肩書き」的なものに拘ってるからだろうという気がして仕方がない。
 40歳を過ぎたら就職口がない。
 なら、どうして屋台を引かないか。
 リストラされても多少は退職金が出るだろう。百万あれば、屋台は用意できる。月十万稼ぐのだって難しかろうが、人一人暮らして行くのならそれで充分だ。妻や子供にも働かせれば、生活はもっと楽になる。高校くらいまでなら、奨学金で子供を学校にやることだって可能だ。
 結局、自分に「何かができる」なんてゴーマンな気持ちがあるから、仕事が見つからないのだ。私だって、もし無職になったら、今みたいなオタク生活は捨てるよ。今、ウチにある本とビデオ見返すだけで余生を充分楽しく暮らしていけるし。
 充分ゼイタクかな。
 ……ああ、でも今の私がクビになったら「病人」ってことでどこも雇っちゃくれないんだろうなあ。実際、10年先まで働けてる自信はないし、細々とでもやれる仕事を考えてくしかないかなあ。


 なんか、こういうことをぼんやりと考えてるのも、体調が一向に回復しないせいである。結局、カラダがだるくて立ってられなくなったので、2時間ほど早めに帰宅。

 しげがパソコンを使っているので、「使い終わったら教えてね」と言って、布団に潜りこむ。
 するとしげが「使うんなら使いーよ」と言う。
 「いや、お前が使ってるから使っていいよ」
 「アンタが使いたいんだったら使えばいいって言ってるじゃん!」
 「オマエが先に使ってるんだから俺は後でいいよ!」
 「いい、もう使わん!」
 「オレも使わん!」
 気がついたら口げんかになってたが、これって「譲り合いのケンカ」コントそのまんまだ。
 「漫才みたいな夫婦」とはよく言われるが、単に知能のレベルが低いだけなんだよなあ。
 

 ふてくされたんで、横になってプレステ2でゲーム。
 と言っても、新しいゲームはほとんど知らないので、『いただきストリート』なんて、もう3、4年前のゲームをやっている。
 しげが『桃鉄』の新作を買ってきているので、仲がよいときゃ二人でやるんだが、今日は一人サビシク、コントローラーをいじくる。
 でも、気がついたらハマってて、もうしげのことなんか忘れてるのだ。
 ずいぶん薄情な感じだが、なあに、しげだって、メシ食って一晩寝たら、今日のことなんてケロリと忘れてるから、お互様なのである。
 ああ、やっぱり我々夫婦って同レベル……(-_-;)。


 マンガ、さいとう・たかを『READERS’CHOICE BEST13 of ゴルゴ13』(小学館・1800円)。
 1969年以来30年以上、休載することなく続いている『ゴルゴ13』の読者選出ベスト13。
 ベストの中身を見てすぐ気がつくのは、ゴルゴの正体を探ったエピソードが高順位に来ている、ということだ。
 11位『ミステリーの女王』
 6位『毛沢東の遺言』
 3位『芹沢家殺人事件』
 1位『日本人・東研作』
 と、十三本中、3分の1を占める。
 確か十年以前に人気エピソードを募った時も、1位は同じく『東研作』だったと思うから、初期からの『ゴルゴ』ファンは、根強く今もファンであり続けているのだ。
 しかも、このベスト13には、ほんの数年前の作品も収録されている。新しいファンもちゃんと取り込みながら連載が続いているのだ。しかも、そのレベルが落ちていない。これは驚異的と言っていい。
 いしかわじゅんが『漫画の時間』の中で、『ゴルゴ13』の擬音の描き文字が変化していないことを挙げて、「作家の努力不足」と断じていたことがあったが、それは見当ハズレな批判というものだろう。確かに「今どき銃声に『ズキューン』はないだろう」という意見も判らなくはないが、30年間続いている連載で、「音」だけ変化させられるものでもない。絵柄が自然に変わっていくのは仕方がないにしても、ゴルゴのキャラクターを含めて、「変えないでほしい」部分は多々あるのである。
 正直にここで告白しちゃうけれど、私は世界情勢を『ゴルゴ』を呼んで間に合わせていた時期が確かにあった。MI6の長官はずっとヒュームって言うんだと思ってたものなあ(笑)。
 政治を扱った物語には、どうしても作者の思想性が出る。『沈黙の艦隊』をどうしても称賛する気になれなかったのは、エンタテインメントから一歩も二歩も踏み出していて、それがどうも「反則」だと私には思えていたからだ。
 ゴルゴ13には思想性がない。
 彼はあくまで非情のスナイパーである。
 ビジネス上のルールには厳しいが、依頼主の思想性には頓着しない。時によっては右も左も関係なく依頼を受ける。世界情勢がいかように変化しようと、そういったゴルゴのキャラクターだけは変わらなかった(どんどん寡黙になっていったが)。
 そこが実に小気味よかったのだ。
 70巻くらいまでは全作読破してたんだけど、気がついたら120巻を越えている。未読作品も多いのだが、今回読みなおして、既読作品の中にも、つかこうへいご推薦の『海へ向かうエバ』のように、短編漫画として珠玉と言っていいくらい絶妙な構成の作品があったことに気付かされた。
 インターネットカフェに行って、1巻からまた読み返してみるかなあ。

2000年12月17日(日) 今世紀最後のゴジラ/映画『ゴジラ×メガギラスG 消滅作戦』ほか



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